日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブルⅢ〔32〕

「ん、う……?」
 カーテン越しの朝日が瞼の裏に注ぎ、睦月はゆっくりと目を覚ました。
 断続的に鳴り続けるアラーム──枕元のデバイスにもぞもぞと手を伸ばし、手元に引き寄
せる。チチチと、小鳥達の囀る声が、そこで初めて遠くに聞こえた。
『07.03 AM6:30』
 タップした画面には、そう日時が表示されている。
 睦月は疑いもしなかった。機械とは、淡々と命令通りにそのタスクを捌き続ける存在なの
だと。……いや、一見そうしたシステマティックとは対極にあるような少女が、この画面の
奥の方で、くてんと寝返りを打ったりしてはいるのだが。
 昨日は何があったっけ? ぼんやりと、まだ半分眠っている頭のまま、睦月は昨夜までの
記憶を引っ張り出そうとしていた。
 バイオを倒し、再び変身ができるようになり、冴島さんが“唇のアウター”に襲われた筧
刑事をすんでの所で助けた──。
(……由良刑事は、もう)
 冴島や司令室(コンソール)の皆人達との、通信越しの会話を思い出し、睦月はスッと音
もなく表情を曇らせる。
 現場に居合わせた冴島隊曰く、奴の口振りから、由良が同じく襲撃されたのはほぼ間違い
のだという。事実当の本人は、ここ数日行方を眩ませていた。正直ショックだったが、そう
いう事なのだと認めざるを得ない。
 筧は通信越しに、自分達を──対策チームの暗躍を非難し、皆人もこれに強く反論した。
曰く一度目の勧誘の際に彼が応じていれば、そもそもこのような事態には発展していなかっ
た筈だと。
 でも……と睦月は思う。それを言うなら、肝心な時に変身に失敗し、コーカサスフォーム
を由良刑事に使う機会を逃してしまった自分にこそ、明確な遠因があるのではないか? 友
はそれを自覚させないように、仲間達に意識させないように、敢えてもっと遡ってそもそも
論を弄したのではないか?
 個人的な意見としては、結局の所、責任転嫁なんだろうと思う。
 対策チームを名乗り、アウター達から街を人々を守るという体を採りながらも、その実失
うものの方が多かった。勿論それを理由に戦うことを止めてしまう訳にはいかないし、止め
ないことがひいては周りの大切な人達を守る──自分の利益、良心の呵責にも適う訳なのだ
が、一方で自分達はそういった自覚をもって臨むべきではないのかと思うのだ。
「……っ」
 そこまで悶々と考えて、睦月はふるふると首を横に振った。
 いけない。自分はともかく、皆人達にまでそんな押し付けがましい事……。これは自分の
我が儘で、他人に求めても詮無いことだ。皆は最善を尽くしてくれている。その事実だけは
忘れてはならない。
「明日から期末テストかあ」
 だからこそ、睦月はそう自ら頭を切り替えるように、画面の日付を眺めながら呟いた。日
常の裏側でどんなにアウター達との戦いを繰り広げようとも、季節は着実に移ろっている。
梅雨明け、夏本番は近い。
『──!?』
 だからこそ、パンドラはぎょっとした。画面の中で、しょぼしょぼと寝惚け眼を擦りなが
ら起きようとしていた所に、そう彼が“何も覚えていない”風なことを口走るものだから、
彼女は大いに焦ったのである。
『ま、マスター。もしかして……何も覚えてないんですか?』
「? 何もって、何を?」
 画面の外、現実(リアル)の側からそう小さく頭に疑問符を浮かべて応じてくる睦月。
 パンドラは確信した。嗚呼、やっぱりだと思った。電脳の身体を持つ自分は憶えている。
すっかり一晩経って忘れてしまった彼に向かって、改めて話し始める。
『新しいアウターが現れたんですよ。今日一日を、何度も巻き戻す能力を持つ個体が──』
 画面の中から身振り手振り。自らの中に幾度も蓄積された“今日(ログ)”を、つぶさに
語っては訴えて。
 じわりとゆっくりと。睦月の両目が大きく見開かれてゆくのが分かった。一時は失われて
いたn回目の今日という記憶が、認識が蘇って急速に頭の中を駆け巡る。くしゃっと、思わ
ず後ろ髪を掴んで、睦月は絞り出すように呟いた。
「……そうだよ。僕らは……」
 思い出した。
 それは睦月達が、繰り返される七月三日(ひび)から抜け出した瞬間で──。


 Episode-32.Tomorrow/明けない夜はない

 はたしてそれは、九回目の“今日”のことだった。
 学園に登校した睦月とパンドラは、皆人や國子、海沙・宙、仁ら対策チームの仲間達を新
電脳研の部室に集め、今朝の一件を話して聞かせた。
 時間を巻き戻すアウター。何度もループしてきた今日という一日。
 最初は怪訝に、信じられないといった様子の面々だったが、他ならぬパンドラに蓄えられ
た記録(ログ)がそれを物語っていた。実際、彼女がフォローしてくれていなければ、睦月
を含めた全員がこの事実を忘れてしまっていただろう。
 何とも不気味な、後味の悪い心地。
 思い思いに着いた部室内の席で、或いは背を預けた壁際で、皆人達は渋い表情(かお)を
して口元を押さえている。
「……危なかったな」
「うん。僕も今朝、パンドラに説明されるまではすっかり忘れてたよ」
「パンドラがいりゃあもう大丈夫だって話も、昨日司令室(コンソール)でしてたっていう
のになあ。いや、ループしてるんだから昨日も今日か」
「ややこしいわね」
「あはは。でも実際、これでえっと……九回目なんだっけ?」
 コンシェルたるパンドラの既視感(デジャヴ)は何よりの証拠だ。前回の──八回目の昨
夜と同様、早速事の次第を司令室(コンソール)に伝えて動いて貰ってはいるが、苦笑する
海沙のように、睦月ら人間サイドはまだいまいちループしているという“実感”が不充分な
ままだ。暫く思案顔をしていた皆人が、ぽつりと一同を導くように言う。
「時間を巻き戻す──厄介な能力だな。とにかく先ずは、そのアウターの召喚主を探さない
事には始まらない」
 一旦皆で部室棟の屋上に出て、皆人は海沙に頼んでビブリオ・ノーリッジ──検索能力に
特化した彼女のコンシェルを召喚して貰った。紫紺のローブを纏った賢者風の青年が、調律
リアナイザから現出し、ふよふよと複数の古書型装置を浮かべながらその走査領域を眼下の
街並みへと大きく広げる。
 彼に、広域の検索を掛けて貰ったのだ。個々の詳しい情報を犠牲にし、とにかくこの感知
圏内にどれだけのアウターがいるのか、その一点に絞って確認して貰う。
「ひい、ふう……。何だこりゃ!? 滅茶苦茶多いじゃねえか!」
「……それだけこの飛鳥崎が、アウター達に侵食されているという証だろうな」
 皆でビブリオの展開する古書──出力用のホログラム画面を覗き、少なからぬ驚きをもっ
てごちる。思わず目を見張った仁とは対照的に、皆人はあくまで冷静であろうと努めている
ように見えた。
 現在の所、件の時間を巻き戻すアウターの姿は分からない。召喚主も不明だ。もしかした
らもう“用済み”となって消されている可能性もある。
 少なくとも、現状向こうが直接こちらに何かを仕掛けてきている訳ではない以上、彼らを
探し出すのは困難を極めた。面が割れなければどうしようもない。司令室(コンソール)で
の観測はあくまで市中に張り巡らせた定点のもの。基本獲物が映るまでは待つしかない。だ
からこそ、今こうして海沙に能動的にその存在を把握して貰おうとしたのだが……。
「結構、これまでたくさん戦って、倒してきたつもりだったんだけどな」
 睦月がぽつっと、そう隠し切れぬ落胆とショックを漏らしていた。自らの無力さに改めて
心苦しい表情を募らせる。「睦月……」「むー君……」宙や海沙、幼馴染達がちらりと肩越
しにそんな彼を見つめていた。こちらこそ申し訳ないと思う。ただでさえ自分達は、唯一変
身できるからと、彼に守護騎士(ヴァンガード)の役目を押し付けているのだから。
「お前はよくやってくれているさ。ただそれよりも敵の勢いの方が強く、巧妙なだけだ」
「元より、数の力では劣っていますしね」
 皆人は皆人で、國子は國子で、淡々とそうフォローはしてくれている。
 睦月は静かに眉根を寄せたまま、じっと中空に浮かぶビブリオを見ていた。ぎゅっと丸め
た拳を握り締めている。気を遣ってくれていると分かる分、余計に自責する(つらい)。
「だからって、片っ端から喧嘩を吹っかける訳にもいかねえしなあ。一体ずつだから何とか
なってたモンも、こう目に見えてわんさかいると分かっちまうと気が滅入らあ」
「……ああ」
 やや仰々しく嘆息をつく仁に、皆人は横目も遣らずに頷いた。じっと一同とビブリオの眼
下の、飛鳥崎市外の一面を見つめながら言う。
「そもそも、今ここで検知できた個体が全てとは限らない。中にはまだ進化前で、その都度
召喚主に呼び出されている者もいる筈だ。実数はもっと多いと考えていい。何より今回の、
時間を巻き戻すアウターがそのどちらであるかも分からない以上、当たってみた全てが外れ
という可能性も十分にある。余計に手間が掛かり過ぎる」
「そりゃあ、そうだがよ……」
 ポリポリと頬を掻き、仁がちらっとそう皆人の方を見遣りながら、次の瞬間にはついっと
再び正面眼下の街並みを見下ろし始めた。睦月や海沙、宙に國子も、期せずして露見したこ
の敵の多さに、内心圧倒され途方に暮れている。
「……でもこのままじゃあ、また今日が繰り返されちゃうんでしょ?」
「うーん。確かにそうだけど、パンドラちゃんが憶えてくれているんだから、もう私達が忘
れちゃうってことは防げるんじゃないかな?」
「ループは許しちゃうけど、虱潰しに当たってくこと自体はできなくもない、か……」
 話し合い、相談は結局、時間を掛けてでも地道に調べてゆくしかないという方向に落ち着
くかのように思えた。
 じっとしていても仕方ない。とにかく動かないことには……。
「いや」
 だがそれを否定、止めたのは他ならぬ皆人だった。
「大丈夫だ。その必要はない」
 小さく且つ確かにそう言い、その言葉に思わず一斉に振り向いてきた睦月達に向かって、
フッと静かに、口元に不敵な弧を描いて哂う。
「だってもう……状況は“動いている”だろう?」

 ──これは一体、どういうことだ?

 何度目かの七月三日、繰り返してきた七月三日。目の前に広がる光景は、もう全て僕の見
知ったものばかりの筈だった。僕だけが知っている筈だった。
 なのに……“今日”になって急に事態に変化が訪れた。そこで起こる筈だった“いつも”
が、今回に限って起こらず、別の形に向かっていったんだ。
 最初の変化は、うちのクラスメートの佐原。普段からへらへらと、ぼーっとしていて掴み
所のない奴だったが、今朝に限ってあいつがヒソヒソと友人──三条と何やら相談して廊下
に出て行ったのだ。一緒に登校してきた天ヶ洲と青野(確か佐原の幼馴染だったと記憶して
いる)も妙にそわそわして二人の耳打ちを見ていたような気もするし、あいつらに何かあっ
たのは気のせいじゃない。
 何より明確になったのは、次の──昼休みのことだ。
 いつも佐原達は、中庭で弁当を広げている。それは教室から見下ろせば簡単に確認できた
これまでの日常だ。
 なのに、今回に限ってあいつらは中庭に集まらなかった。どうも別の場所──部室棟に向
かったらしい。以前、大江の部活がどうのこうのという話があったし、気が付けばあいつも
つるむようになっていたので、その縁か。とにかく普段とは様子が違っていた。他の人間に
とっては同じ七月三日──何もかもが繰り返される筈なのに、あいつらはそのパターンから
逸脱する行動を取り始めたんだ。
 ……いや、佐原達だけじゃない。
 じっとよく観察してみれば、クラスの中にも外にも、ちらほらと最初の頃とは違う言葉や
行動を取っている奴が現れつつある事が分かった。尤も佐原達を含め、その事に気付いてい
るかどうかは分からなかったけれど。
 巻き戻し(ループ)の筈じゃあ、なかったのか?
 僕は内心困惑していた。てっきり丸々同じものになると思っていたのだが、もしかしたら
繰り返す内に、わずかな因果やら何やらにズレが生じてくるのかもしれない。佐原達もその
一例に過ぎないのか? ただ最初に目に付いたのがあいつらなだけで、そこから僕が改めて
周りを確認し始めたからで、こうした変化は本来「誤差」の範囲なのか?
 だが……そうは言っても、僕自身は“違う”ようには振る舞えない。振る舞う訳にはいか
ない。なまじこのループを起こし、自覚している分、大きくその言動を変えればこの“七月
三日”自体が大きく変質してしまう恐れがあったからだ。最悪、取り返しのつかない状態に
固着してしまう可能性がある。
 もどかしい。
 折角、繰り返せるように──時間を無限に取れるようになったのに、いざ蓋を開けてみれ
ばこうも“自由”が効かないなんて。僕にできることは、この七月三日を繰り返し、それが
変わっていないことを確認する。ただそればかりだったんだ。
 ……まさか、自分以外にこのループに気付いている者がいる? 佐原達や、他の連中が?
 考えて、それこそ恐ろしくて堪らなかった。やっと手に入れた自分だけの世界を、じわり
じわりと壊されているかのような錯覚に苛まれた。ただの偶然? いや、意図的に? 確か
めようにも僕が行動を起こせば、それこそ本末転倒になってしまう。均衡が壊れてしまう。
『検証:世界はループしている説』
 加えて、ふと眺めていたネットの中に、そんなスレッドが立っていたのを見た時には正直
ギュッと心臓が握り潰されるかのような思いだった。
 恐る恐る読んでみると、内容はいわゆる都市伝説・陰謀論──世の中で成功している者と
そうでない者がいるのは、前者が予め未来を知っているからだというある種の嫉妬に基づく
妄想の駄文でしかなかったのだが、今の僕には妙に疑われているような心地がして真正面か
ら笑い飛ばすことができなかった。続くレスポンスには、話半分でスレ主を哂っているもの
もあれば、悪ノリして予知めいたことを書き込んでいるものもあったが、もしかして……と
今の僕は思わざるを得ない。
 ……失いたくなかったんだ。この七月三日(まいにち)を。
 だから僕は、ぐっと堪えてきた。大きな行動を取ることを控えてきた。最初の頃に辿った
“自由”を反復し、変わっていないことを確認する。街には同じ世界の人間達が溢れている
のに、僕だけが特別──取り残されてしまったような気がした。
 こんな筈じゃなかった。もっと余裕ができると思った。自由になれると思った。
 だけど結局、こんな思いをするのなら、窮屈になるのなら、願わなければよかった……。

「──貴方が二宮馨ね?」
 なのに現実は、とことん僕にそっぽを向こうとするらしい。
 その何回目かの七月三日、下校中の僕に、ひょいっと見知らぬ人影が近付いて声を掛けて
きた。いわゆるゴシックロリータな服装に身を包んだ、如何にも気の強そうな女の子と、僕
より少し年上の、死んだような目をした男子だった。
 僕は思わず身構え、じりっと後退った。鞄の中に入っているリアナイザを引いてしまおう
かとも考えたが、街中は拙い。周りを行き交う人々は、それでいて何処かそれぞれあさって
の方向を向いているかのようで、僕らに気付いてすらいない。
「妙な動きはするな。別に、取って食おうって訳じゃない」
「そうよ。結構捜したんだから」
 死んだような目の男子が、ぽつりとそんな僕を牽制し、ゴスロリ服の女の子の方がそう音
もなく距離を詰めて来ながら言った。見た目の割には随分と尊大な──年季の入った口調。
もしかしたら実際の年齢はもっと上なのかもしれない。軽く小首を傾げ、フッと小さく口元
に気だるくも不敵な笑みを見せながら、彼女は告げる。
「……初めまして。《昨日(イエスタデイ)》の、繰り手(ハンドラー)君?」


 冴島から差し出されたデバイスに、筧は最初警戒心と戸惑いとで渋面を作った。日の暮れ
始めた路地裏の一角で、彼は何もアイコンもなく、ただ『司令』と表示された着信画面をじ
っと見つめて押し黙っている。
 今日に限ってやって来て早々、手持ちのデバイスを渡してきた冴島と数名の隊士達。
 ここ暫く彼らが尾けてきている──勝手に自分を護衛していることは筧もとうに気付いて
はいたが、かといって追い返す訳でもない。その為の労力と時間さえ惜しかった。それより
一刻も早く、由良の行方の手掛かりを見つけたかった。見つけなければならなかった。
「……もしもし」
 それでも、冴島達にじっと眼で促され、筧は渋々ながら着信に応じた。
 すると電話の向こうから聞こえてきたのは、先日言い争ったあの少年の声だったのだ。
『こんにちは、筧刑事。どうです? 捜査は進んでいますか?』
「お前か……。そう言うんなら、回りくどい事させるんじゃねえよ。相変わらず舐め腐りや
がって」
 相手が少年だからと遠慮するつもりはない。筧は返答一番、そう憎まれ口を叩いた。
 俺は忙しいんだ。用が無いなら切るぞ──そう言うや否やデバイスを頬から話そうとした
が、次の瞬間電話の向こうから少年の、皆人のフッと真面目になった声音が聞こえてくる。
『何も無くて連絡はしませんよ。今日は貴方に、伝えておかなければならないことが幾つか
ありまして』
「……?」
 聞こえた言葉に、再びデバイスを耳元へ。
 皆人曰く、自分を襲った例の“唇のアウター”以外に、新たな個体が現れたのだという。
 その姿や召喚主は現在の所不明。だが何よりも厄介なのは、そのアウターが“時間を巻き
戻す”能力を持っているらしいということ。
『気付いてはいないと思いますが、もう既に九回、この七月三日という今日は繰り返されて
いるんですよ。……そちらも、同じ捜査に何度も汗を掻くのは無駄な労力でしょう?』
 何? 筧は思わず眉間に眉根を寄せた。そんな話、にわかには信じられなかった。
 ただ、自分はとっくにその“常識”を越えた現象や存在を何度も目撃している。一体どう
いうカラクリなのかは知ったこっちゃないが、あり得ないなんてことはあり得ない。
 何よりも、その後皆人が電話越しに話して聞かせてきた内容が、その証拠だった。
 今日一日飛鳥崎内外で起こること、未だ一般にはプレリリースされていない事件の発生な
どについても、彼は一つ一つ事細かに列挙してみせたのだ。筧は静かに目を見開く。それら
の中には、自分のような当局関係者でなければ知りえないような情報も含まれていた。
「──鉄パイプの下に、血文字?」
 いや、それ以上に。
 彼は今の筧にとって核心的な情報を提供してきた。ちょうど自分が文字通り、地べたを這
いつくばって探している由良の痕跡が、この路地裏の物陰に隠れているというのだ。
 半信半疑のまま、筧はデバイスを冴島に突き返すと、言われた通り辺りを見渡してみた。
路地裏の一角で崩れたままになっている鉄パイプの山へと歩いていき、これをひっぺ返し始
める。するとどうだろう。そこには、灰色に褪せた地面の上に不自然に付いた赤い痕──三
つの血文字が残っていたのだった。
「まさか、本当に……。AS、L……?」
 冴島達も後ろから覗き込むようにこれを見守り、その場に屈んだ筧はごくりと息を飲み込
んでいた。その三文字目はやけに横棒が短い気がするが、明らかに何者かが描き残したアル
ファベットだ。数拍たっぷりと釘付けになり、渋面を濃くし、筧はついっと肩越しに冴島達
を見遣って言う。
「一応訊いておくが……。お前らの仕込みじゃねえだろうな?」
『まさか。違いますよ』
「だったとしても、わざわざ教えるメリットなんて無いでしょう?」
 皆人達曰く、自分は“過去の七月三日”にこれを見つけていたのだという。言われても筧
はまるで覚えがなかったが、実際こうして目の前に、由良のダイイング──彼に繋がるかも
しれないメッセージが残されていたのだ。どうやら時間を巻き戻す怪人とやらは存在するら
しい。確かに“結果”を知る彼らからすれば、自分の毎度の必死さは滑稽に映るのだろう。
「……言っとくが、渡さねえからな?」
 とにかく、由良に繋がるかもしれない手掛かりは見つかった。筧はジロリと冴島達を睨ん
で牽制しつつ、この血文字を自分のデバイスで撮り、予め持参していた綿棒とシャーレを使
ってサンプルを採る。冴島達は後ろで見てこそはいたが、それ以上何か邪魔をしてこようと
はしなかった。本当に、あくまで繰り返す発見がじれったかったのか。何だか高みから見透
かされているようで、気分のいいものじゃない。

 日も暮れたことで筧は一旦冴島達と別れ、署に戻った。
 忙しなくも、すっかり暗くなった署内を一人こっそり歩き、彼はこの血文字のサンプルを
鑑識課の知人に持ち込んだ。予め内々に連絡を取り、残業で一人になっている所へひょいっ
と顔を出す。尤も当のこの壮年の鑑識官は、断り切れずともあまり関わり合いになりたくな
いといった様子だったが。
「へえ……これが桜田町の裏路地にねえ。で、誰の血か調べて欲しい、と」
「いや。誰かというよりも、由良の血かどうかを調べて欲しい。もしあいつの血なら、当日
あいつがあそこにいたっていう証明になる」
 そして何者かに、血を流すほどの攻撃を受けた証明になる──。
 筧は、その最後のワンフレーズは、きゅっと唇を結んで口にはしなかった。脳裏に浮かぶ
のはあの唇のアウターだ。まさか目の前の知人に奴らの存在を口外する訳にはいかないし、
まだ……由良のものだと決まった訳じゃない。
「こいつを比較材料に使ってくれ。由良の私物だ。アパートの大家に頼んで、幾つか部屋か
ら持って来た」
 そうして代わりに鞄の中から取り出したのは、ビニール袋に包んだ歯ブラシや箸、コップ
といった由良の日用品だった。つまりは彼の唾液──DNAが付着している可能性が大きい
代物である。
「ええ、調べてみましょう。他ならぬ兵(ひょう)さんの頼みですからね。……噂には聞い
てますよ。本当に、行方不明になっちまったんですか?」
「……それも含めて、明らかにする為に頼んでる」
 筧は決して明言はせず、しかしぎゅっと渋面を作らざるを得なかった。それが何よりの返
答であって、この壮年の鑑識官も神妙な面持ちになる。

 明らかに危険な香りのするヤマ。密室の中でのやり取り。
『……』
 そんな鑑識課の部屋、外の壁にじっと背を預けていた角野と円谷が、次の瞬間音もなく身
を起こすと立ち去って行き──。

 立ち読みにゲーセン、カラオケなど。
 馨はおっかなびっくりながらも、この日も「同じ」道草を食っていた。放課後の学業から
解放された一時を“遊び”に費やしていた。
 だが……彼はもう、最初の頃のようにその“自由”を楽しめないでいた。もう今となって
は、自ら望んだ「同じ」ではなくなってしまったのだから。
 それは変わり始めた周囲──増してきた不安からか、或いはこの世界(ループ)を知って
いるのが、結局自分一人だからなのか。

『──なっ、何なんだ? お前達、何で僕の名前を……?』
 猥雑な繁華街の音が不意に遠退き、脳裏に蘇ったのは、まだ日暮れ前、先刻の下校途中の
出来事。突如として自分の前に現れたゴスロリ服の少女と死んだ目の少年に、馨は往来の眼
を気にしながらも酷く狼狽していた。
『一々驚くな。捜していたと言っただろ』
『貴方、グリード──柄の悪そうな男から受け取ったんでしょう? 安心しなさい。私達は
彼の仲間よ』
 ぴしゃりと制される声と、そっと背中の鞄を指差してくる少女。
 馨はそこでようやく状況が飲み込めてきた。この鞄の中には、あの時のチンピラ男が渡し
てきたリアナイザが入っている。あの男の関係者だというか? ならば少なくとも、自分に
とっては敵ではないのだろうか? 砂時計顔の相棒(あいつ)について、何か知っているか
もしれない。
『そうだけど……。なあ、こいつは何なんだ? 確かに僕の“願い”は叶ったけど、こんな
こと、普通じゃない。一体、あんた達は──』
『その質問については、今後の貴方の振る舞い次第ね。とにかく今回私達は、貴方に協力す
る為に来たの。イエスタデイ──貴方の生み出した個体は特異だから、私達としても保護し
たいのよ』
 こちらの問いに、ゴスロリ服の彼女は明確には答えてくれなかった。ただ一方でそう自ら
の目的を告げ、くいっと横柄に小首を傾げておどけてみせる。
 協力……? どうやら敵でないのは間違いなさそうだ。二人が周りの眼を気にして、つい
っと近くの路地裏に誘ってきたので、馨はそのままなし崩し的に彼らに従った。物陰に身を
潜めて、往来の視線が切れたのを確認してから、彼女は続ける。
『その……。特異ってのは、やっぱりあいつが今日をループさせてるってことだよな?』
『ええ。それがイエスタデイが獲得した能力よ。貴方が呼び出し、命じれば、あの個体は今
日という一日を何度でも巻き戻す。貴方には引き続き、その能力を使わせ続けて欲しいの。
そうしていればイエスタデイも、いずれ“進化”を完了させるわ』
『し、進化?』
 彼女曰く、自分達は繰り手(ハンドラー)と呼ばれる人間達によって召喚され、その願い
を叶える代わりにこの世界に定着──進化体となる事を第一の目的としているのだという。
その為には繰り返し、自身の能力でこの世界に“影響”を与える必要があるのだそうだ。
『なあ、スロース。そもそも何でこいつらは未だなんだ? お前と同じ時間を操る系統の能
力だっていうんなら、もう実体を得ていてもおかしくはないだろ』
『そうね……。これは私の推測だけど、時を“止める”と時を“戻す”では、些かそのメカ
ニズムに違いがあるからなんじゃないかしら』
 ピッと人差し指を立て、彼女は更に説明を──この死んだ目の少年からの問い掛けに答え
始めた。目の前の宙に、図を描くような仕草をする。
『時間を止めるのは、点的だと考えられるわ。特定の時間の一点に“留まる”能力。留まっ
ている間は、周りの他人に干渉できる。厳密には干渉を蓄積するのだけど。それが結果的に
彼らに──世界に影響を与える力を大きくしている。これに対して、時間を巻き戻すのは面
的なの。時間の一点に“移動する”能力ね。これは移動することに重きを置くのであって、
直接他人にどうこうする能力という訳ではないわ。だから私のそれ以上に周りには気付かれ
ないし、結果世界に与える影響力も小さくなってしまう。その辺りの差なんでしょうね』
『……うーむ』
 分かったような、分からないような。
 馨は、彼女の空中に描いた図を頭の中にイメージし、思わずその場で唸っていた。どうや
ら彼女は時間を“止める”能力を持つらしい。自分の、砂時計顔の相棒とは大分見た目が違
うのだが、やはりこの二人も怪物の類なのだろうか?
『まあ、こうして私達が接触している時点で、最初の七月三日とは違っているのだけど』
 そんな彼の疑問と消化不良を余所に、彼女は次いで小さく肩を竦めた。ちらっとこちらを
見て、改めて上から命じるように言ってくる。
『とにかくそういう訳だから、貴方達の場合は、質より数をこなして積み上げてゆくしかな
いのよ。私達もサポートするから、どんどん繰り返しなさい。いいわね?』
 そう念を押すように、ゴスロリ服の彼女は、こちらにびしっと指を差した。横でじっと睨
みを利かせている少年の眼光もあって、コクコクと頷いた馨に、二人は一応満足したかのよ
うにやがてその場から立ち去って行ってしまう。

「──はあ」
 自宅に戻って来た後は、延々と一人自室でゲームをして時間を潰す。例の如く多忙な両親
は帰って来る様子がない。今回の“今日”も、戻って来るのはすっかり寝静まった頃か。
 クリア画面のままのゲームを、コントローラーを放り出す。最初は積んでいたゲームも、
同じ繰り返しを続けていればすぐに飽きなどくるものだ。かといって新しいソフトを買いに
外出を、最初とは「違う」行動を取ってしまえば、それだけでこのループする世界にどんな
悪影響が出るかも分からない。
「……」
 正直言って、退屈だった。何より窮屈だった。
 束の間でもいいと“自由”を求めたのに、繰り返す“今日”はどんどん自分を縛り上げて
いくような気がする。加えて今回はあの時のチンピラ男の仲間だと名乗る者達が現れ、現在
の状態を維持するよう念を押してきた。また一つ“自由”に干渉された。
 何でこうなってしまったんだろう? 邪魔する者ばかり現れるのだろう?
 これじゃあ願いが叶ったなんて言えない。詐欺じゃないか。
(そろそろ、か……)
 ちらっと壁の時計を見て、馨は床に放り出していた鞄を引き寄せると改造リアナイザを取
り出し、スッと引き金をひいた。現れたのは砂時計顔の怪人──イエスタデイ・アウター。
召喚された彼は、例の如くその奇妙な姿を微動だにさせず、じっとその時を待つようにして
佇んでいる。馨は正直、もうこの一連の流れさえ憂鬱だった。
 あの二人には、これからもこいつを使い続けろと言われたが……。いっそもう止めてしま
ったらいいんじゃないか?
 だが繰り返された“今日”に慣れ切った身体は、意に反してそれを許してくれない。
 第一、本当に今日が終わってしまえば、明日は期末テスト本番だ。正直試験勉強の内容な
ど、もうすっかり頭から抜け落ちてしまっている。
(……うん?)
 ちょうど、そんな時だった。ふと玄関の方から、呼び鈴の鳴る音が聞こえたのだ。
 こんな時間に誰が? 父さんか母さんが帰って来たのか? でも二人は普段、帰って来て
も呼び鈴を鳴らすことはないし、宅配か何かだろうか。
 リアナイザを握った右手を背中に隠し、馨はそっと自室を出て階段を降りた。
 玄関は夜の更けと共にしんとしている。或いは暫く反応を待っているのか。ゆっくりと扉
の覗き窓に目を当てて確かめてみるが──人の姿は映っていない。気のせいか? それとも
こんな時間に悪戯か?
 念の為、馨は少しドアを開けて外を確かめてみることにした。何も無いなら無いでいい。
だが、もし今このタイミングで誰か入って来ようものなら、相棒ことイエスタデイの存在が
バレてしまうかもしれな──。
「っ?!」
 ガンッ。次の瞬間、何者かの足がドアの隙間に挿し込まれた。それまでやけに静かだった
場がにわかに緊張する。しまった、死角に隠れていたのか……。ハッとなって振り向いた馨
の視線の先には、見知った二人──同じクラスの佐原と大江、すなわち睦月と仁が立ち塞が
っていたのである。
「見つけたっ!」
「まさかお前だったとはな……。もう逃がさねえぜ? 二宮ァ!」


 ひいっ!? 浴びせられた怒声に、馨は殆ど弾かれるようにして逃げ出していた。
 慌てて二人に背を向け、再び階段を駆け上る。転がり込むように自室へ戻って来て、もた
つく手で鍵を閉めた。中では変わらずにイエスタデイが佇んでいる。
(な、何で……? 何で僕だと分かったんだ!?)
 その実を明かすなら、彼の問い方は間違っている。
 睦月達は直接、馨を捜していた訳ではない。これまでのループが総じて日替わり後に起こ
っていることをパンドラの記憶(ログ)から把握し、それを待って当のアウターが出現する
瞬間に備えていたのだ。反応が現れる瞬間まで、探知を走らせ続けていたのだ。

『──俺が疑問に思ったのは、そもそも何故パンドラがループを感知できたか? という点
なんだ』
 切欠は、そんな皆人の突き詰めようとした思考の中にあった。
 司令室(コンソール)で作戦会議と市中の観測を続けている最中、彼は言う。曰くもし時
を遡りたければ、その召喚主とアウター“だけ”が戻ればいい筈だと。
『うん……? そりゃあ、時間が戻れば丸々……』
『いや。アウターはあくまでコンシェルを元にした存在、つまりはデータの塊だ。どれだけ
人間には突拍子もない能力に見えても、そこには必ずリソース上の限界がある。特異であれ
ばあるほど、その分他の、直接的な戦闘能力などには劣る傾向がある。クリスタルやミラー
ジュなどが良い例だな』
『ああ……』
 テーブルを囲んで、ぱりぽりとスナック菓子を摘まみつつ。
 皆人の説明に、仁や睦月達も、思わずコクコクとつられるように頷くしかなかった。法川
晶や額賀二見、かつて戦い、関わり合いになった召喚主達の顔が浮かぶ。
『大江。だからお前が言うように、世界を丸々巻き戻しているとは考え難いんだ。それこそ
まさに神の領域だよ。アウターの、突き詰めれば人間のいち技術で成し得るものじゃない』
『神、ねえ。お前からそういう言い回しが出るなんざ意外だが』
『……裏付けになる事実はある。他でもないパンドラが、他人がループの記憶を得ていると
いう点だ。これは世界丸々ではなく、奴が“本人達とその周り”の時間のみを巻き戻してい
る証拠だと考える』
『? どういうこと?』
『それって、大江っちの言う丸々とは違う訳?』
『勿論だ。つまりその実は局所的──召喚主は睦月の家の近くに毎夜潜んでいるということ
になるだろう? もしそうならば、俺達の取れうる対処は大分絞られてくる筈だ。問答無用
で世界を丸々巻き戻されているのなら、俺達は奴と同じ土俵、同じ能力を手に入れない限り
相対することさえ不可能なんだからな』
 故に、対策チームの面々は夜、睦月宅の周囲にスタンバイしていたのだ。当のアウターが
現れて反応を捉えれば、すぐにそこへ駆けつけられるように。
 馨が見ていた「ループ説」のスレッドも、大江ら元電脳研による工作の一環である。こち
らが待ち伏せ作戦を採る以上、相手には“いつも通り”の行動を取って貰わなければ困る。
だからこそ、敢えて自分以外にループに気付いた者がいるかもしれないというプレッシャー
を与えることで、その行動を制約させようとしたのだ。

「──おらァ! 出て来い、二宮ァ!」
「お、大江君。落ち着いて……。二宮君、ここを開けて! 僕達の話を聞いて!」
 ガンガンと、自室のドアが乱暴に叩かれる。二人が家の中まで追い掛けてきたのだ。馨は
じりじりっと窓際に後退させられながら、引き攣った表情で怯えていた。ここぞとばかりに
追い詰めようとする仁とは逆に、睦月はまだ話し合いが通じると考えているらしい。
「そんなちんたらしてたら、また巻き戻されちまうだろ? ええい、構わねえ。ぶち壊せ、
デューク!」
 ドアの向こうで仁が自身のコンシェル、グレートデュークを召喚し、これを力ずくでぶち
破ったのとほぼ同時の事だった。馨は堪らず、イエスタデイに抱えられながら、開け放った
窓から地上へと飛び降りたのである。
『そこまでだ!』
 しかし飛び降りた先、夜闇の住宅街で待っていたのは、皆人や冴島、國子、海沙に宙、隊
士達といった残りのメンバーだった。既に一同はそれぞれのコンシェル達を召喚し、馨を確
保すべく円形に陣取っている。慌ててこれを見渡す彼の後ろ──自宅の二階から、デューク
に抱えられた睦月と仁が跳んで来て、追いついて来る。
「どうやら、まだ進化体ではないようだな」
「はい。道理で昼間には見つからなかった筈です」
「まさか同じクラスの人だったなんて……」
「まあねえ。でも思い返してみれば、不審っちゃあ不審だったかもだけど」
「お願いだ、二宮君。そのリアナイザをこちらに渡してくれ。それは危険な物なんだ。使い
続ければ、君も周りの人達も無事じゃあ済まない」
「……っ!」
 片手を差し出しゆっくり近付こうとする睦月に、馨は反射的に身を縮めて自身の改造リア
ナイザを抱え込んだ。それを砂時計顔のアウターこと、イエスタデイが無言のままに庇う。
 じりっと、両者の睨み合いが続いていた。最大のチャンスであり、ピンチだった。
「やれやれ……。もう嗅ぎ付けて来たのね」
「悪いが、お前らの相手はそいつじゃない。俺達だ」
 しかしそんな時である。夜闇の向こうから、見知った顔が悠然と近付いて来たのだった。
 継ぎ接ぎだらけのパペットを抱えたゴスロリ服の少女──“蝕卓(ファミリー)”の幹部
が一人、スロースと、同じく勇だった。二人は馨とイエスタデイを庇うように現れ、勇は真
っ直ぐに睦月を睨みながら黒いリアナイザを取り出し、スロースはパチンと指を鳴らすと暗
闇のあちこちからサーヴァント達を呼び出す。
「くっ。こいつらも一枚噛んでいたか」
「迎撃する! こいつらを押さえて、二宮を!」
 うおおおおッ!! サーヴァント達とスロース、皆人や冴島、クルーエル・ブルーとジー
クフリート、國子や他の隊士達のコンシェルらが一斉に激突した。馨を囲むべく組んでいた
円陣に、サーヴァント達の群れが食らいつく。
「皆!」
「雑魚の方は任せとけ! それよりお前は、瀬古達を!」
 仁や海沙、宙もこれに負けじと加わっていった。叫ぶ睦月に、デュークへ命令を飛ばしな
がら、肩越しに仁が言い放つ。
 弾かれるように向き直って、睦月は馨とその横に立つイエスタデイへ駆け出そうとした。
だがその進路を遮るように、勇が立つ。黒いリアナイザ背面のリアサイト下部の数字キーか
ら『666』を入力し、一旦水平に掲げた腕を捻り、地獄へ堕ちろというジャスチャーよろ
しく、その銃口をもう片方の掌へと押し付ける。
「変身」
『EXTENSION』
 彼を中心として、バブルボールのようなどす黒いフィールドが展開された。その中で、勇
は全身を、黒を基調に統一されたパワードスーツに包んでゆく。ゆっくりと明滅した両目の
光は錆鉄の緑。蝕卓(ファミリー)第七席、エンヴィーこと龍咆騎士(ヴァハムート)だ。
「……」
 睦月も、ぎゅっと唇を結んだままこれに応じた。馨のアウターにまた時間を巻き戻されて
しまっては元も子もない。第一相手が相手だ、出し惜しみはしない。
 取り出した白い、EXリアナイザのホログラム画面から、ブルーカテゴリのサポートコン
シェル達を選択する。ぎゅっと銃口を掌に押し付け、高くそれを暗闇の空へと掲げる。
『WOLF』『DOG』『FOX』
『RACCOON』『LYCAON』『JACKAL』『COYOTE』
『ACTIVATED』
『FENRIR』
 大量の冷気を孕んだ、青の強化換装。フェンリルフォーム。
 以前河川敷の戦いで復讐に燃える勇を破った、睦月の守護騎士(ヴァンガード)としての
力の一つである。
 ダスターと、やや湾曲した片手剣が激しくぶつかった。空を切って打ち込まれ、かわし、
或いは斬り付けては受け流され、十数手の攻防を繰り返す。
「おおおおおっ!」
 睦月は全身にエネルギーを込めながら、剣を地面に突き刺した。衝撃と共に、大量の冷気
が辺りに広がり、それは相対する勇にも一斉に襲い掛かる。
「……ふん」
 だが当の本人は哂っていたのだった。自身に浴びせられ凍て始めるボディをそのままに、
彼はその黒いリアナイザの銃底をキュッと、軽く回したのである。
『STEAM』
 轟。するとどうだろう、彼のパワードスーツのあちこちが軽くスライドして開き、大量の
蒸気を噴き出したではないか。
 いや……これは熱だ。凄まじいエネルギーを帯びた熱気が、瞬く間に睦月の凍結攻撃を溶
かして掻き消してしまったのである。
「なっ!?」
「二度も同じ手が通用すると思うな。今度は、俺からいくぞ?」
『ELECTRIC』
 更にもう一度銃底を回転させ、また違う電子音が鳴る。
 今度は電撃だった。パワードスーツ全身の排熱口から噴き出していたエネルギーが次々に
迸る電気のエネルギーに換わり、勇の身体中に、掌に集まる。睦月は咄嗟に剣と盾で防御し
ようとしたが間に合わず、その掌から放たれた電撃をもろに受けてしまう。
「……がぁっ!?」
「っ!? 睦月!」
「睦月!」
「むー君!」
 皆人以下仲間達も、押し寄せるサーヴァント達の数の力に苦戦していた。突き、斬り、或
いは弾丸や光線の射出。個々の戦闘能力はこちらが勝っていたが、如何せんスロースが止め
処なくサーヴァント達を補充してくるため減る気配がない。こと海沙と宙はまだ対策チーム
のメンバーとなって日が浅い。彼女達のコンシェルが直接戦闘向けではないことも手伝い、
皆人達はそのフォローにも回らざるを得なかった。じりじりっと、一同は馨を守りに現れた
スロースと勇からの攻勢に押されてゆく。
「こん、のぉッ!!」
 何とか両足を踏ん張って、片手剣に冷気のエネルギーを溜め、斬撃と共に放つ。
 犬や狸を模した多数の冷気弾が勇を襲う。前者は追尾弾、後者は凍結弾だ。
「……」
『ACCEL』
 しかし三度目の銃底の回転と同時に、彼は霞むように姿を消した。迫った冷気弾は虚しく
空を切ってあちこちにぶち当たり、無関係な家屋に凍て付いて纏わりつく。
「がっ──?!」
 そして目を見張った睦月の次の瞬間を狙って、勇は懐に肉薄しながらの一撃をその腹に叩
き込んだ。パワードスーツの下で、睦月が苦悶の表情を浮かべる。肺の中の空気が無理やり
に押し出される。駆動するように小刻みに振動する彼の拳を離れ、睦月はドンッと弾かれる
ように吹き飛んだ。大きな塀にぶち当たり、丸い陥没を作り、ぐたっとその場に崩れる。
「……かはっ! い、一体、何が……?」
「新装備だよ。龍咆騎士・改(ヴァハムート・ツヴァイ)──だそうだ。この前のお前との
戦いを踏まえて、元々有り余っていたスーツ内の熱量を有効活用する為の機能なんだとさ。
言っただろ? 同じ手は、二度も通じねえって」
 ニッと、面貌の下で勇が哂っているような気がした。ただ淡々と、その新しい力に驕って
いる訳ではない静かな声だ。荒く肩で息をする睦月の方へとゆっくり近付いて行き、じっと
見下ろしてから続ける。
「立てよ。お前はこんなモンじゃないだろう? 全力のお前とやらなくちゃ、意味がない」
「……」
 厄介な事になった。相手もしっかり対策を練ってきた訳か。
 睦月は息を整えながら思う。今はそれ所じゃないのに。ぐぐっと痛む身体を支えながら起
き上がり、この自分への復讐に燃える少年に向き直って構える。
 どうしてこんな。
 事件が起きる度に、敵ばかりが増える──。
「ほら、今の内よ!」
 ちょうどその時である。足止めを食らう皆人達を横目にしながら、スロースが言った。そ
れまで事態の急変ぶりに呆然としていた馨だったが、彼女の言葉が自分に向けられたものだ
と理解すると、コクコクと慌てて頷くと改造リアナイザを握り締めた。イエスタデイの砂時
計顔が、ギギギッと少しずつ回転し始める。
「っ、止めろォ!!」
 皆人や仁、冴島に國子、海沙や宙達、睦月もが血相を変えてこれを止めようとした。だが
駆け出そうとしてサーヴァント達に、或いはスッと立ち塞がった勇に阻まれる。高みの見物
といった様子でスロースが不敵に笑っている。ギギッと、イエスタデイの砂時計が九十度、
百八十度と回転してその上下の砂粒がひっくり返る。
「止め──」
 ぐにゃり。周囲の空間が渦を巻くように歪曲してゆく。馨とイエスタデイを中心に、周り
にある人・物の全てがその中へと呑み込まれてゆく。
 かくして時は戻される。七月三日は、またしても繰り返される……。

 あれからもう、何度“今日”という日を繰り返したのだろう?
 放課後日も暮れた頃、睦月達対策チームの面々は司令室(コンソール)に集まっていた。
だがその表情は一様にして暗い。というよりも、すっかり疲労の色が濃くなっている。
「さて……どうしたもんかな」
 乾いた笑いでもって、先ず仁が呟いた。当人も勿論ながら、睦月ら他の面々も正直手をこ
まねいている状態である。
 召喚主の身元自体は判明した。二宮馨、自分達と同じクラスメートだ。犯人は身近過ぎる
所にいた。いわゆる灯台下暗しという奴か。もう逃がさない。
 彼に対する睦月達のイメージは、自己主張の少ない優等生といった程度だった。
 一体何故、彼は改造リアナイザに手を出したのだろう? グリードやグラトニーといった
売人に押し付けられて成り行きのままに、といった所か。或いは期末テスト前日という巻き
戻しのタイミングにも理由が──時間稼ぎ的な動機があるとも考えられる。真実は本人から
直接訊き出せば明らかになるだろうが、如何せんそれも難しい状況だ。
 何せあの一件以降、彼はすっかりこちらを警戒するようになってしまったからだ。学園内
でこちらが少しでも接触を図ろうとすると、その度にすぐにアウターを呼び出して時間を巻
き戻してしまうし、明らかに避けるように避けるように行動している。一旦学外に出れば彼
は勿論の事、スロースや勇の妨害もある。そんな失敗を繰り返し、未だ睦月達は彼を確保す
るには至っていなかったのだ。
「もう力押しで、どうこうなる状態じゃないもんねえ」
「うん。何とか説得できればいいんだけど……」
「難しいな。二宮は完全に俺達を警戒、敵視している。改造リアナイザの中毒作用も影響し
ているのだろうが、逆に手放すことに恐れを感じてしまっている節さえあるからな」
 宙の嘆くような意見には、睦月も皆人も、チーム全員が同意する所だった。あの最初の夜
に確保できなかったことが、かなり響いている。
 加えて当の馨は、自宅に篭もるより、学園や市中繁華街などに身を置くようになってしま
った。十中八九“蝕卓(ファミリー)”の差し金だろう。人目が多い場所ではこちらも無闇
に戦う訳にはいかない。相手もそれは同様で、よく理解している筈だ。何より馨自身、自分
達や“蝕卓(ファミリー)”といったループの存在を知る第三者の登場によって、それまで
自分を縛っていた「いつも」の枷がすっかり外れてしまったようにみえる。
「だけど、あまり時間を掛けてもいられないよ。このままでは彼のアウターも進化を完了さ
せてしまう。まぁ、蝕卓(ファミリー)の目的はそこなんだろうけど……」
「能力が向上してしまったら、余計に手が付けられなくなってしまいますからね」
『ですよねえ。それに、いい加減決着をつけないと、こっちが先におかしくなっちゃいそう
ですし……』
 堂々巡りする議論。
 ことループを当初から“記録”していたパンドラにおいては、その疲弊度合いはひとしお
だった。テーブルの上に置かれたデバイスの中で「うへえ」と、既に気だるく萎んだ様子で
ふよふよと浮かんでいる。
「……ごめんね、パンドラ。僕が瀬古さんに押されてしまったばっかりに……」
「過ぎたことを自責(せめ)ても仕方ない。話し合うべきは、如何に二宮を確実に確保でき
る状況を作るかだ」
 そんなパンドラの様子にしゅんとした睦月に、皆人は言った。司令室(コンソール)の内
部では今も現在進行形で馨の自宅がモニタリングされているが、何度も接触を図ろうとして
失敗してきたせいで、画面の向こうは以前にも増してしんと静まり返っている。
「……ねえ」
 一体どうすれば……? そう睦月達が、万策尽きたと言わんばかりに押し黙っていた最中
のことだった。それまでずっと、これまでのトライアンドエラーを自身のPCで検めていた
香月が、ふいっと顔を上げるとこちらを見てきたのである。
「ちょっと、いいかしら?」

 その日も馨は、放課後「いつも」のように、昇降口からグラウンドを横切って帰宅の途に
就こうとしていた。一旦街中に出てしまえば、彼らも下手には手出しできないのだから。
(──むっ?)
 だが、この日今回に限って、その目論見は外れた。学園の正門へ向かっていた自分の行く
手を遮るように、睦月や皆人、國子といった例の面々が姿を見せてきたのだった。
 周りは勿論ながら、気付いてはいない。馨と彼ら、この七月三日のループを知っている者
同士だけが、ある種の緊張を帯びた気配と共に立っている。
(いよいよ向こうも、なりふり構わなくなってきたか……)
 内心で小さく舌打ちをし、対抗心を燃やし、馨は鞄の中に手を伸ばした。いつこうなって
もいいように、例のリアナイザは常に持ち歩くようにしている。
 そうはいかない。彼はザッとこれを取り出して握り、その銃口を向けた。
 先手必勝。やられる前にやる。もう一度、時間を巻き戻す。
 射出された光球と共に、一瞬で現れた砂時計顔のアウター・イエスタデイが、その顔面を
ギギギと回転させ始める。まるでスローモーションのように感じる世界。直前までの恐れと
緊張が、嘘のように抜けてゆく万能感。向こうはまだ動いてすらいない。……勝った。これ
で“今日”も、自分は無事にこのセカイを守れ──。
「っ?!」
 だが、まさに次の瞬間だったのである。ニッと勝利を確信した手元が、にわかに弾かれる
ような感触を受け、軽くなった。反射的に遣った目には、信じられない光景が映っていた。
リアナイザが……砕け散ってゆく……。
『──』
 屋上の海沙と宙、念の為その護衛役として同席した仁らの仕業だった。Mr.カノンの長
銃から放たれた弾丸が、ピンポイントに馨の改造リアナイザを撃ち抜いたのだった。
「なっ……。なあっ!?」
 全ては、これまでのトライアンドエラーを検証し直していた、香月達からの助言だった。
 彼女曰く、イエスタデイの能力は、今自分達がいる時間の“面”と他の時間の“面”を交
差、スライドさせることに在るのではないかと。いわば並行世界のようなものだ。以前皆人
が推測したように、巻き戻しの能力はイエスタデイを中心とした一定範囲内に限られる。別
に世界が丸々戻っている訳ではないのだ。ただその渦に巻き込まれた今の“面”が、今とは
別に在る過去の“面”と合体することで、時間の巻き戻しを実現しているに過ぎない。
 ならば、それを止める方法はただ一つだ。能力が発動し切る前に、その力の大元たる改造
リアナイザを破壊すればよい。これまで収集したデータから、能力の効果範囲などはとうに
把握済みだ。後は狙撃位置からそこまでの距離を逆算し、馨を誘き出し、改造リアナイザを
取り出して構えるその瞬間を狙って弾丸を撃ち込めばいい。仮に巻き戻しを止められなくて
も、弾丸自体は確実にその合体する“面”の中へと呑み込まれてゆく。攻撃は当たり得る。
 尤もこれはまだ、イエスタデイが進化前──召喚主とリアナイザを必要とする状態だから
こそ可能な作戦であって、おそらくは一発勝負だ。二度と同じ手は使えない……。
「やったぁ!」
「……どうやら上手くいったみたいな。正直冷や冷やしたが」
 粉々に砕けた改造リアナイザが地面に散り、馨はがくりと大きく両膝と手をついた。呆然
としてその場に崩れ落ちる。急いで睦月と國子が彼の確保に走り出し、皆人はちらっと屋上
に立つ宙と仁のサムズアップ、照れながら微笑(わら)う海沙の姿を静かに仰ぐ。
『──』
 だが次の瞬間、時は止まっていたのだ。まるでパチンと切り替えたように、周囲のセカイ
が若干モノクロに褪せて動きを止める。睦月達も、項垂れる馨も、ポーズを掛けられたかの
ように動かない。
 スロースと勇だった。二人はゆっくりと、何処からともなくこの現場に現れた。ゆっくり
と睦月達の前を通り過ぎ、馨の前に立つと、その手元に散らばる改造リアナイザの破片を見
つめて小さく嘆息をつく。
「やられたみたいだな。どうする? シンの話じゃあ、珍しい個体だったんだろう?」
「そうね。でも、進化前に壊されちゃったらどうしようもないわ。とりあえず、リアナイザ
だけは回収しておきましょう。多少のデータなら復元できるかもしれない」
 馨の手元に散らばる改造──真造リアナイザだった物を回収し、二人は再びその場を後に
していった。途中、スロースが動きを止めたままの睦月に手を出そうとしたが、勇がその腕
をガシリと掴んで睨み付ける。「……分かってるわよ」面倒臭そうに応えて振り払い、二人
はそのまま停止したセカイの向こう側へと消えてゆく。
「……。今度こそは、サシで倒す」
 その去り際、勇は聞こえている筈もないと分かっている睦月を、一度じろっと肩越しに睨
み付けると、そう吐き捨てるように言い残して。
「──あれ?」
 故に、睦月達の意識には、馨のリアナイザが突然消え失せたように見えた。
 辺りを見渡してみるが、破片が風に煽られて飛んでいったという風でもない。戸惑う二人
の後ろから、皆人がやや遅れて合流し、静かに眉を顰めている。
「……あいつらが来たみたいだな」
 何事かと周りの生徒達がちらほらと、少しずつこちらに視線を向け始めている。
 彼らの目がある。目立つ長居は無用だった。一瞬睦月達はキュッと緊張で引き絞られたよ
うな心地に襲われたが、すぐに予め決めておいたフォローの演技に移ることにした。あくま
で“偶然”に馨の異変に居合わせたとの体を採り、合法的に彼に駆け寄って確保する。他の
生徒達にはそれとなく濁し、彼を担ぐと、睦月達はそそくさとこの場を後にし、校舎内へと
向かうのだった。


 飛鳥崎の街にようやく翌日が──七月四日がやって来た。一見すれば、それまでと大して
変わらず朝日が昇り、暮れてゆくが、そもそも時とはそんな淡々連綿とした瞬間瞬間の積み
重ねでもある。
 尤も殆どの人間は、その前日が何度も繰り返されていたという事実を知らない。仮に馨に
よってその巻き戻しの現場に巻き込まれていても、知覚すらできなかった筈だ。
 かくして時は、再び前へと向かって動き出す。刻々と、明日へと向かって動いてゆく。
『……』
 同日、飛鳥崎学園高等部では、予定通り期末試験が始まっていた。教室内にずらりと生徒
達が席に着き、限られた時間の中、黙々と問題と格闘している。
 そんな中で、こと睦月達は、これまでのループと戦ってきた疲れもあってか、その多くが
苦戦を強いられていた。ずっと戦っていて、準備不足だったと主張するには、些か言い訳に
過ぎない気もするが。例に漏れてスムーズなのは、皆人と國子、ないし海沙くらい──元々
勉強が苦にならない側の面子のみである。
「……」
 ちらりと、睦月がそんなクラスメート達を不意に眺めた。仁と宙が、他の皆と同じかそれ
以上に苦戦し、ひいい~っ! と声ならぬ悲鳴を上げている。そんな様子が何だか可笑しく
って、睦月は自分のそれを棚に上げながら密かに苦笑(わら)った。
 そうして、次いでそっと見遣ったのは、馨の方だ。
 こちらはまだ比較的落ち着いた様子で問題を解いている。流石は優等生だ。そこにはつい
先日まで、ループする七月三日の中にいたような気色はない。やはりリアナイザを壊された
影響で、あの間の記憶を失くしてしまっているのか。確かめる術はないが、少なくとも今は
ただ真剣に問題と格闘しているように見える。
 ……だが却って、それで良かったのではないかと睦月は思った。なまじ普段の彼を、いち
同級生として見聞きしていたからこそ、彼には平穏無事に過ごして欲しかった。巻き戻され
た時間達がその後、どう収拾をつけたのかは分からないが、アウターによって壊された日常
が何であれ元に戻るのなら、それに越した事はない。……ふっと、そう睦月も密かに小さく
微笑(わら)って、自身の答案に向き直る。

 七月某日。筧は知人の鑑識官から結果が出たとの連絡を受け、鑑識課を訪れていた。忙し
ない人々の合間を縫って物陰で二人きりになり、ひそひそ声で囁いて書類を受け渡しする。
「あの。私が調べたってことは、上には内緒にしておいてくださいよ?」
「分かってるよ。俺個人の頼みだからな。それで? 結果はどうだったんだ?」
 あくまで個人的な捜査であることと、筧自身の現在置かれている立ち位置もあって。
 筧は手早く書類を受け取って折り畳み、懐に忍ばせると、一先ず端的な情報だけをこの知
人に訊ねることにする。
「ええ……。一致しました。兵さんが持ち込んできた由良君の私物が、確実に彼の物である
のなら、あの血はほぼ間違いなく同一のDNA型です」
「……そうか」
 ちらっと折り畳んだ先の書類を見る。
 やはりそうなのか。じゃあ由良は、あの日あの場所で、奴に──。

 七月某日。ようやく“明日”が続いてゆく。
 何時限分かの試験が終わり、クラスでは生徒たちがめいめいにぐったりと突っ伏し、或い
は互いに「どうだったー?」と苦笑(わら)い合って束の間の休憩を取っていた。一息をつ
く者がいるかと思えば、引き続き黙々と直前までノートと睨めっこしている者もいる。睦月
はそんな教室の片隅で、皆人ら仲間達とのんびり次の時間を待っていた。
(……ふう)
 これで今回の事件は一件落着、一安心? まだ由良の安否やバイオ残党など、懸案は残っ
てはいるけれど。それでも一つは片付いた。今はそれでいい。つい自分達は己の無力さに打
ちひしがれてしまうけれど、こうして一つずつ脅威を除いてゆくことによって、いつの日に
か皆が安心して暮らせる時が来ると信じたいから。自分の手が届く、目に入る人達には、笑
っていて欲しいから。
「──」
 ちらっと、横目に馨を見る。やはりと言うべきか、真面目そうに自分の席で、大量の付箋
がついた参考書をじっと捲っている。眼鏡越しの瞳は、静謐のような緊迫のような、どちら
とも判じ切れない不思議な強さを湛えていた。

 元イエスタデイの召喚主、二宮馨。
 彼がある日突然吹っ切れて、両親の反対を押し切り、此処とは違うもっと自由で緩やかな
気風の学校に転校していった──それまでのプレッシャーから解放されるのは、もう少し先
のお話。
                                  -Episode END-

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  1. 2018/03/20(火) 18:00:00|
  2. サハラ・セレクタブル
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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