日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブルⅢ〔31〕

 チクタクと、時計の針が動く音ばかりがする。
 その夜、彼は一人自室に篭もって試験勉強を続けていた。カリカリと、シャープペンを走
らせる音が耳に重なる。日付もとうに越し、この夜が明ければいよいよ期末試験本番だ。
「……駄目だ」
 しかしこの眼鏡の少年は、はたっとペンをノートの上に投げ出した。口を衝いて漏れたの
は、差し迫った嘆き──焦燥感だった。
 口の中がカラカラになる。時間が……足りない。
 彼は学園内では、基本優等生として通っていた。それは他ならぬ本人も自負している所だ
ったのだが、成績はここ暫く下降状態が続いている。いや、失速しつつあると言っていい。
 強い焦りの原因は、まさにそこだった。次こそ結果を出さなければ、このまま“落ちて”
ゆく予感さえあった。
 ──空高く飛んでいた姿から、真っ逆さまに墜ちるイメージ。思春期特有の、ゼロサムの
極端な飛躍。
 事実このまま落第などすれば、卒業後に選べる進路は狭まるだろう。そうなれば将来の、
自分の人生そのものが大きくグレードダウンすることは避けられない。……怖かった。社会
のレールから外れることは、彼にとって限りなく絶望に近い。現実のゼロサムも、飛躍した
イメージも、油断すればすぐにでも自分を奈落の底へと叩き落す。
 “新時代”以降、いわゆる弱肉強食や競争原理が肯定され、社会は自己責任の気風を強く
帯びるようになった。彼のような、物心ついた頃にはそれが当たり前となっていた──重圧
の中で生きてきた人間が、怖気づくのも無理はないのかもしれない。少なくとも現実という
ものは、早く動いてきた者がより多くを総取りしてゆく構図なのである。
 少年の両親は、共に手堅い公務員だ。彼の家系は代々、そうした地位に収まって安定した
暮らしを勝ち取ってきた。
 だからこそ、彼に掛かる期待、プレッシャーは目に見える以上のものだった筈だ。なまじ
両親がエリート街道を通ってきたタイプの人間であるが故、泣き言一つ伝えるのも何処か躊
躇われる環境だったからだ。
 彼は今、国立の一貫校・飛鳥崎学園に在籍している。つまりは……そういう事だ。
 彼は独り頭を抱えていた。机を照らす明かり以外はすっかり暗くなってしまった室内で、
髪をガシガシと掻き毟っては焦る気持ちにばかり苛まれている。時間が、足りない。
(せめてもう一日。もう一日あれば……)
 ちょうど、そんな時だった。頭を抱えていた彼は、ふと思い出したかのように机の引き出
しを開けていた。
 一番下の、最も深くてたくさん入る所。そこには短銃型のツール──リアナイザがしまわ
れていたのだった。参考書や教材、整理されたファイルが几帳面に並ぶ中にあって、それは
とても奇異に目立って映る。
「……」
 焦りでやつれた表情(かお)。
 彼はその険しい顔色のまま、この押し黙るリアナイザに手を伸ばして──。


 Episode-31.Tomorrow/最も長い前日譚

 半ば叩き付けるように、黒板にチョークの数列が書き込まれてゆく。
 飛鳥崎学園高等部。睦月達のクラスはちょうど、数学の授業中だった。如何にも生真面目
そうな眼光の数学教師が、黒板に記したそれらを前に、熱の篭もった解説を展開している。
「このように、先ほどの数式を当て嵌めれば、ここまで式を分解することができる。後は各
項毎に解を出して証明完了だ。……ここ、今回の範囲だぞ? 重要単元の一つだから、落と
すと痛いからな?」
 少なからぬクラスの面々が、弾かれたようにノートを取っている。その表情は真剣で、尚
且つ苦しそうだ。十中八九、期末試験が近いせいだろう。それ故に生徒達もだが、彼ら教師
側も、良くも悪くも熱が入っている。生徒達の結果如何は、自身の査定にも大きく関わって
くるからだ。
(……期末テストかあ)
 ぼうっと睦月は、後方の席の一角でそんなさまを眺めていた。ノートこそ広げているが、
握ったペンは指先でくるくると回し、いまいち身が入らない。勉強自体はそこまで苦という
訳ではないのだが、毎度こういった時期の皆を見ていると、どうにも心苦しくなる。
 自分達などは「近いから」通っているが、本来ここは国立校──飛鳥崎を始めとした集積
都市や、国の未来を担う人材育成に力を入れている進学校だ。故に、採用されている教職員
達も、そういった意識が総じて高い。尤もそれが現在、この国の当たり前であり、推奨され
ている姿勢でもあるのだが。
『……』
 しかし。そっと横目で海沙や宙、仁といった仲間達の様子を見てみると、少なくとも彼女
らの内心は自分と同じくそれ所ではないような気がする。
 この試験が終われば、夏休みだ。一転解放される。
 だが自分達──アウター対策チーム一同にとっては、そんな学生生活よりももっと大変な
状況が、今も現在進行形で続いている訳で……。

『失敗? それってどういう……』
 それは数日前の事。ライアーから筧を守った冴島から通信があり、司令室(コンソール)
の皆人らと共に、バイオを倒した後の睦月達は、そのやり取りの一部始終に加わっていた。
変身を解いた右耳のインカム越しから、開口一番不穏なフレーズが飛び出す。
『新しいアウターが現れたんだ。奴は間違いなく筧刑事を狙っていた。それに……由良刑事
のことも』
 現場に居合わせた冴島隊から受けた報告は、睦月達を思わず深刻な面持ちにさせた。
 曰く、由良のアパートを訪ねた筧を襲ったアウターは、自分達に「こいつ“も”消した方
が都合がいいだろうが!」と叫んだそうだ。彼の行方が掴めない状況を踏まえるに、この発
言から既に、彼はもう殺害されてしまった可能性が高いのではないかと。
『……遅かったか』
 皆人が、そう静かに呟いて唇を噛む。しかし何故? 二人が自分達やアウターの存在につ
いて嗅ぎ回っていたのは前々からなのに、何故今になって?
 しかし筧にその辺りを訊こうにも、睦月達は逆に彼から質問されてしまったのだった。
『それより答えろ。お前達が……知られちゃあ“都合の悪い誰か”なのか?』
 通信の向こうで沈黙する司令室(コンソール)と、冴島隊に睦月ら、二つの現場の面々。
 苦渋の決断ではあったが、皆人は仕方なく、彼に大よその事情を話すと決めた。飛鳥崎に
潜む電脳の怪人・越境種(アウター)と改造リアナイザ、蝕卓(ファミリー)、それら悪し
き勢力と戦う自分達対策チームの存在と、睦月こと守護騎士(ヴァンガード)の正体……。
 最大の理由は、もう彼の記憶への干渉に限界が来ていたことだった。何より由良が殺害さ
れてしまったのなら、死という現実までは覆せない。彼にとって近しい人間がいなくなった
以上、このまま隠し通すのは無理だと判断したためだ。
『……舐め腐りやがって。刑事(デカ)を何だと思ってる』
 皆人の口から──実質改めて告げられた真実。
 だが当の筧は、突拍子のない驚きよりも、静かな怒りを覚えていたようだった。一度記憶
を奪われたらしいことも含め、彼にしてみれば睦月達“素人”の存在と、その秘密裏の活動
に後れを取ってきた当局という構図が腹持ちならなかったらしい。
『……ですが、貴方のそのプライドが、彼を殺したんですよ』
 にも拘わらず、次の瞬間、皆人は通信越しに言い放ったのだ。「ちょっ、皆人!?」睦月
らはその明らかに挑発的な言葉に戸惑ったが、彼の──司令室(コンソール)司令官の口撃
は止まらない。
『何を……!』
『あの時、一度目の接触で貴方達と協力関係を結べていれば、そもそも由良刑事がアウター
に深入りすることはなかった。殺されるなどという最悪の結果は防げた筈です。その刑事の
誇りとやらよりも実利で動き、決断していれば、守りえた命ではないのですか?』
 場は、一瞬にして険悪なものになっていた。通信越しとはいえ、筧の噴火寸前の怒気さえ
もが伝わってくるようだった。パンドラや、海沙がビクビクと震えてこの両者を何度も見比
べていた。筧と一緒の現場にいた冴島達も、皆人のその真意を量り切れずに困惑している。
『それはお前らが、俺達の記憶を消したからだろうが!』
『必要な処置です。仮に野放しにしたとして、私達に何かメリットがあったとでも? 組織
の磐石さは、貴方達当局の方がずっと上だ。私達のそれは貴方の言う通り、非公式な有志の
集まりに過ぎない。もし蝕卓(ファミリー)にこちらの詳細が明らかになれば、間違いなく
仲間達は狙われるでしょう。最悪、命を落とすかもしれない。それとも貴方の部下一人の命
は、私達何十人のそれよりも勝るとでも仰るのですか?』
『……っ』
 ギチギチ。筧はぐうの音も出ずにその場に立ち尽くし、激しく歯噛みをしていた。通信の
向こう、司令室(コンソール)で皆人がじっと冷淡な眼でこれを見つめている。テーブルの
上で両手を組んで、反撃がないかを待っている。
 筧からの返答はなかった。思惑通り、彼の“正義感”が彼自身にこれ以上の感情的な反論
を否定させたのだ。マウンィングに他ならなかったからだ。当局、公権力に属する刑事とし
てこちら側を肯定し、睦月らを否定し続ければ、一体何が正しいのか正しかったのかも分か
らなくなる……。
『ふざけんな。てめぇらを追って由良が死んだのは、変わらねえじゃねえか……』
 故に、やがて筧は先についっと視線を逸らして踵を返した。それでも口から衝いて出るの
は、皆人及び対策チームという存在に向けた恨みだ。冴島らが止める間も──確保すべきと
動くまでもなく、彼は一人倉庫群を後にしてゆく。
『……その最初の時に、お前らを拒んでいたのは正解だったよ』
 それははたして負け惜しみのようにも聞こえた。相棒を、刑事としての誇りを侮辱された
ことへの怒りでもあったし、何より守護騎士(ヴァンガード)──人知れず飛鳥崎の街を守
ってきたという都市伝説への失望であり、不信の表れでもあった。
『やっと一連の不可解の正体が判った、その点だけは礼を言っておく。だがそれとこれとは
話は別だ。けじめは……自分でつける』
 言い捨てて、立ち去ってしまった筧。
 冴島や睦月達は、暫くその場で通信越しで、その後ろ姿を見送る事しかできなくて……。

「──ねぇ皆人。やっぱりあの時、あんな言い方しなくても良かったんじゃない?」
 授業の終了を告げるチャイムが鳴り、数学教師が手早く足早に、試験の準備を怠るなと念
を押してから教室を後にする。
「あんなの、売り言葉に買い言葉じゃない。僕らの秘密、知ったままなんだよ?」
 にわかに、クラス内は弛緩した空気になった。ざわめいて束の間の休息に入る。
 だがそんな中で睦月は、ちょちょいっと前の席に座る皆人に呼び掛けていた。一瞬、要領
を得ない友の切り出しに小さく眉を寄せた皆人だったが、すぐに先日の一件のことだと理解
してくれたらしい。肩越しに振り向くと言う。
「その点なら大丈夫だ。誰かに話した所で、あんな荒唐無稽、信じては貰えないさ」
「それは……。そうかもしれないけど……」
 睦月は思わず不安そうに顔を顰めた。皆人曰く、当局内部に敵が潜り込んでいると思われ
る現状でもし筧が何かしらのアクションを起こしても、揉み消されるのがオチだろうと。何
より由良が殺された──口封じに消されたらしい事実が、彼に安易に口を割らせなくする筈
だとも。
「……まさか、筧刑事を怒らせたのって、わざと?」
「ああ」
 つまりは自分達対策チームにとって不利な状況を、逆にあの場で利用したのだ。ようやく
そのことに気付いて、睦月は思わず目を瞬く。この目の前の友は何でもないという風に答え
るだけだったが、やはりとんでもない奴だなと思う。
「掻い摘んでとはいえ、彼に大よその事実を話したのは俺だ。どのみち知られるのは避けら
れなかったろうさ。それに、彼だってプロだ。何もあの時のままほど情動の人じゃない」
「? それって……?」
 教室内のクラスメート達の視線がこちらに向いていない、てんでばらばらであるのを確認
しながら、皆人は言った。例外なのは海沙や宙、仁に、そっとこちらを窺って近付いて来よ
うとしていた國子──対策チームの仲間達だけである。
「本人も言っていただろう? 由良信介の行方を追うのなら、相棒だった彼が最も適任だ。
暫くは彼を泳がせてみる。勿論監視はつけるつもりだが……その過程できっと真相も、背後
に潜む者達を炙り出すことだってできる」
 それが、皆人の方針らしかった。事実ここ暫くは、次から次へと新たなアウターが現れて
自分達対策チームを悩ませている以上、間接的にでも手伝ってくれる者がいるならそれに越
した事はない。
「……やり手だなあ、相変わらず」
 頼もしいやら哀しいやら。
 そう思わず苦笑いを零して、睦月は笑う。当の本人は笑い返すでもなく、複雑な横顔をち
らつかせながら再び前に向き直り、國子はそのままスッと自分の席に戻った。海沙や宙、仁
達もそれぞれの席で、話しかけてくるクラスメート達に応じる形で、聞き耳からの了解を送
りながら周りに気取られぬよう努める他ない。
『……』
 そんな、皆のやり取りが交わされていた最中だった。
 机の上に置かれた睦月のデバイス、画面の中にふよふよと浮かんでいたパンドラが、何処
か難しい表情(かお)をしてこの主達を見上げていたのだった。
 内心の──違和感。
 一言で表すのならば、そうどうにもままならぬ感覚が、この機械仕掛けの彼女の心には渦
巻き始めていて……。


「退院だって? そりゃあ本当か?」
「はい。経過が良好だからって先生が。早ければ、夏休み前には出られそうなんです」
 時を前後して、飛鳥崎メディカルセンター。
 筧は一人七波の病室を訪れ、そして彼女から嬉しい報告を聞いた。ベッドの上でちょこん
と座る当人も、ぱあっと表情を明らめて話してくれる。
「そうか……よかったな。一時はどうなる事かと思ったが」
 つられて、小さく笑みを零した筧。
 その言葉に偽りはない。本当に助かって良かったと思っている。
 貴重な証言から始まった不思議な縁。気が付けば、彼女とはもう季節を一回り以上越した
付き合いとなった。特に玄武台(ブダイ)襲撃事件以降、由良は自分以上に彼女のことを気
に掛けていたように思う。
 情……のようなものだろうか。自分からすれば親子ほど、由良にすれば歳の離れた妹ほど
の年齢差がある。あいつの生来の正義感と若さは、よりそんな彼女の境遇に寄り添わんとさ
せていたのかもしれない。証言者という以上に、一人の守るべき人間として。
「それにしても、今日もお一人なんですね。由良さん、お忙しいんですか?」
「……ああ。ちょっと、ヤマが難しい所でな……」
 だからこそ、言える筈もなかった。つい嘘をついてしまった。何の邪気もなく微笑みかけ
てくる彼女に対し、筧はそう小さく苦笑いを堪えながら取り繕う。少なくともヤマ云々は間
違いではない。間違いではない。
「それって……。やっぱり、瀬古先輩の件ですか?」
 しかし、それでも彼女は彼女なりに察したようで、そうややおっかなびっくりといった様
子で訊ね返してくる。
 ああ。苦々しい感情を相変わらず口の中に、喉の奥に押し込み、筧は首肯した。由良の死
を誤魔化せるなら、まだ話を合わせて喋っておいた方が得策かもしれない。
 瀬古勇はやはり生きていた。そして今彼は、怪物達の元締めたる“蝕卓(ファミリー)”
の一員になっているそうだ。先日の皆人とのやり取りの際、その辺りの現状についても聞き
及んでいる。奴は敵の手に落ちた。黒い守護騎士(ヴァンガード)として、彼ら対策チーム
の前に立ちはだかったらしい。
(……由良は、その辺りにも近付いてたんだろうか……?)
 あの唇の化け物──アウターの言葉が真実なら、由良は奴らに口封じの為に殺された可能
性が高い。調べよう、知ろうとしていたことが全て先回りされていたような気分だ。あいつ
もそこへ突っ込み過ぎて、消されたのか? いや、無事であって欲しい。この目で確認する
までは、他ならぬ自分が信じてやらなくてどうする?

『──まったく、なっとならん。街の平和を先頭に立って守る俺達が倒れてどうするんだ』
 つい昨日は、一課のオフィスにて、再び由良の上司として部長に詰られた。
 由良はあの日以来ずっと休んだままだ。一応律儀に、体調を崩したとのメールは届いてい
るようだが……最悪の可能性について知ってしまった今、やはりあれは全て犯人による偽装
工作なのではないかと思う。自分の知っている由良は、あの程度の酔いで連日欠勤するほど
軟弱ではない。
 部長やキャリア組の面々は、今回の一件についてあまり深くは考えていないようだった。
 単純に署内が年中忙しいというのもある。上層部にとっては、精々末端の人手が一人減っ
たらしいというぐらいの認識でしかないだろうし、組織として表立って捜索に掛かろうもの
なら、自分達の面子にも関わる。筧自身、そういう意味であまり期待はしていなかった。
『また休みか……』
『一体どうしちまったんだよ? 確かにあいつは多少なよっとはしてるが、見た目ほどやわ
じゃない。そうだろ? 兵(ひょう)さん』
『……ああ。寧ろ俺が知りたいぐらいだよ』
 その一方で一部の同期、ノンキャリ叩き上げ組の同僚達は、いよいよ由良の不在がおかし
過ぎると疑惑を深めていた。その日もその前の日も、彼らはひそひそと上層部の隙をみては
こちらに訊ねてくる。だがまさか殺されたかも、などとは口が裂けても言えない。此処は組
織のど真ん中だ。これまで怪物絡みの事件が“揉み消されて”きたことを考えると、まだ自
分が気付いたと知られるのは拙い。
『飲んで帰った後、何かトラブルでもあったのかもしれねえな……。まぁここん所ハードな
ヤマが続いてたから、こっちの方が悲鳴を上げちまったのかもしれん』
 そうぽんぽんと胸元を叩き、なるべく彼らに気付かれないように、深入りして来ないよう
にそれとなくぼやかして応えておく。
『……とりあえず、見つけたら引っ張ってくるさ』
 少なくとも首を突っ込まれては、また第二第三の由良が生まれてしまうだろう。
 それだけは何としてでも避けなければならなかった。筧は努めて苦笑いを取り繕い、そう
怪訝を強くする同僚らを、やんわりと遠ざけるしかなかったのである。

(──とはいえ、じっとしてる訳にもいかねぇんだよなあ……)
 皆人らによって長らくの「謎」が明かされ、どうにも手持ち無沙汰になってしまった。
 その間も七波と雑談や情報交換を行い、筧は次の一手を考えていた。最初は突き付けられ
ら内容にショックを受け、鈍くなっていたが、先ずやるべきことは決まっている。
「じゃあ……そろそろ戻るよ。また退院するくらいまでには顔を出す。困った事があったら
遠慮なく俺に相談してくれりゃあいい」
「はい。ありがとうございます」
 お気をつけて。控え目に手を振ってくる七波に、筧も背を向けたまま小さく片手を上げて
応じた。コートを翻してやや俯きがちに、一人病室を後にしてゆく。
(先ずは……由良の足跡を探す)
 どちらにしろ部下の、相棒の仕事だけは、済ませておかねばなるまい。


 それはその日の放課後の事だった。頂点を過ぎて下り始める陽と飛鳥崎の街並みを背に、
海沙と宙、数名の隊士達がビルとビルの間を跳んでいる。
「海沙、反応はどう?」
「うーん……こっちは無いみたい。そっちは?」
「うんにゃ。騒ぎみたいなものも見えないねえ。もしかしたら、人間の姿自体を変えちゃっ
てる可能性もあるけどさあ」
 彼女達は、海沙のコンシェル・ビブリオの検索能力をフルに活かして、未だ街の中に潜ん
でいるであろうバイオ達の残り二人──ヘッジホックとトーテムの行方を捜していた。海沙
とビブリオは周辺のデータをスキャン、宙とMr.カノンはスコープ越しの目視で一人一人
怪しい人物がいないかを確認している。同行する隊士達は、主に二人の護衛だ。
 しかし学校が終わって一旦司令室(コンソール)に集まり、捜索を行うようになって数日
が経つが、未だ肝心の彼らの姿は見つけられない。なまじ広大な飛鳥崎の敷地の中から特定
の人間(厳密には人ではないが)を捜し出すのは困難を極めるのだ。
「……筧刑事を襲った犯人は、捜さなくていいのかな?」
「それは本人に任せるって皆っちが言ってたじゃん。あたし達はこっちに集中集中」
「うん……」
 ざっと射程範囲内を調べ終わると、次の区画に向かって跳躍を。海沙と宙、隊士らはそれ
ぞれの召喚したコンシェルに掴まりながら、昼下がりの飛鳥崎を移動して回った。ストンと
また別のビルの屋上に着地し、再び検索を始めながら海沙が言う。
 あの時、皆人が筧に向かって辛辣な言葉を吐いたのには正直驚いたし、冷や冷やしたもの
だが、どうやら話を聞くにあの態度も彼の作戦の内だったらしい。
 どうせあの手の男は、自分のプライドを譲らずに専行する──だからこそ敢えてその刑事
としての誇りを逆撫でして刺激し、由良を追わせるように仕向けたというのだが、それでも
海沙達は、一方で半分は本当に怒っていたのではないかと思っている。
「……由良さん、本当に死んじゃったのかな?」
「多分、ね。冴島さんも例のアウターがそれっぽい事言ってたのを聞いてるし、状況的にも
間違いないんじゃないかなあ」
 重苦しい空気になってしまうことは解っている。
 だが海沙は、どうしても問わずには──確認せずにはいられなかった。対する宙も一度ぐ
っと押し黙り、されど予め自分の中で用意していたらしい言葉を振り向きもせずに返す。
 彼と知り合った経緯が経緯だけに、二人は内心罪悪感を抱いていたのだった。そもそも彼
にパンドラや睦月、三条電機──対策チーム本丸の存在を漏らしていなければ、彼は殺され
ずに済んだのかもしれないのだから。
 かもしれない、というのは、皆人から彼への電話やメールを禁止されたからだ。もし彼が
殺害されたのなら、犯人は真っ先に彼に繋がる連絡手段たるデバイスを回収していると考え
て先ず間違いはない。そこへ下手にコンタクトを取れば、最悪こちらの素性やアジトがバレ
る危険性がある。筧の話──行方不明後も、上司宛てに欠勤を申し出るメールが届いている
ことからしても、そのような接触は事態を悪化させる一手となるだろう。
『……』
 ホログラムの検索ウィンドウを開きながら、カノンのスコープから景色を覗いたまま。
 海沙と宙は、暫くの間どちらからともなく黙り込んでいた。隊士達も、彼女達の会話から
当人らが今回の一件に責任を感じているらしいことは容易に読み取れていた。年頃の少女達
というのもあるが、掛ける言葉が見つからず、彼らもまた互いにおずおずと顔を見合わせな
がらどうしたものかと突っ立っている。
「……海沙、反応は?」
「ううん。一致するものは無いみたい。何処かに、紛れてはいると思うんだけど」
 さりとて、重苦しいまま口を噤んでいる訳にもいかず、二人は改めてヘッジホックとトー
テムの姿を捜し続けた。だが反応はない。自分達のコンシェルはアウター、元を辿れば同じ
データの集合体こそ検知し易いが、特定の生身の人間一人となると難しい。どのみち、自分
達にできることは限られている。
 海沙は、密かに哀しげにため息をついた。その傍らには実体化こそせど、眼下の街を機械
的にスキャンしながら浮かぶビブリオの姿がある。
(本当にいいのかな? こっちも、パンドラちゃんくらい融通が利けばいいんだけど……)

 日が暮れる。飛鳥崎に、夜がやって来る。

 街の一角、入り組んだ下町の路地では、そのアスファルトの地面に必死に齧り付いている
筧の姿があった。あの夜、由良と別れた後、彼が帰宅の為に通った筈のルートだ。
 そんな彼の後ろ姿を、やや遠巻きに冴島と睦月が見ていた。手出しもできず、元を辿れば
自分達にも非があるため、下手に声も掛けられない。只々監視要員という体でもって、彼の
一挙手一投足を見つめているだけだ。

 廃工場のアジト内で、バイオ一派の残党らが息を潜めるように押し黙っていた。
 ヘッジホック──灰色フードの青年だった。彼は自分達のリーダーが、相棒が目の前で殺
されてしまったショックから呆然とし、もう何日もこうして座り込んでしまっている。トー
テムやアジトの部下達がその姿にこれといった言葉も掛けられず、見つけられず、只々暗が
りに隠れてゆく工場の中で顔を見合わせ、佇んでいる。

 明かりだけが頼りの勉強机に、一人の眼鏡の少年が向かっていた。
 黙々とノートや問題集と格闘しているのかと思いきや、そのペンを握る手は途中からぷら
ぷらと上の空のように止まっている。
 ちらちらっと、見遣った壁の時計は日付が変わってから暫くの時刻を指していた。
 夜更けの入り。チクタクと静かに鳴る針の音。そうして彼がまるで何かを待っていたかの
ように肩越しに振り向くと……。
『──』
 怪物が立っていた。砂時計の顔をしたアウターが、じっとこちらを見つめて立っていた。
 ごくりと少年が息を呑んでこれを見返している。その表情は期待と、残る戸惑いが半々の
ように見えた。相手は喋らない。ただある一瞬に向かってゆっくりと、その顔と一体化した
砂時計がぐるりと一八〇度回転させる。
 ちょうど、その時だったのだ。この砂時計のアウターの顔がぐるんと回され、中身の砂粒
が上下逆転するのに合わせて、周囲の空間がぐにゃりと大きく「渦」を描くように歪み始め
たのだった。
 いや……この部屋だけじゃない。
 部屋が、自宅が、夜の飛鳥崎全体が、この「渦」に呑まれるように吸い込まれて──。


「ん、う……?」
 カーテン越しに届く朝の光に、睦月はゆっくりと目を覚ました。耳には断続的なアラーム
音が鳴り響き、いつの間にか沈んでいた意識を揺さ振ってくる。
 もぞもぞと何度か布団の中で身を捩りながら、睦月は枕元に置いていたこのデバイスに手
を伸ばした。タップして確認した画面には『07.03 AM6:30』の文字。その同じ
片隅からは、パンドラがまだ夢見心地で寝返りを打ってくるのが見える。
「ふあ……」
 寝惚け目を擦りながら起き上がると、睦月はもうすっかりルーティン化した動線でもって
身支度を始めた。寝間着から制服に着替え、パンドラごとデバイスと鞄を引っ掛けて一階へ
と降りてゆく。
 荷物を一旦台所の椅子に置いて、顔を洗ってきてから、睦月はいつものように三人分の弁
当作りに取り掛かった。尤も作業自体は昨夜の内に炊いておいたご飯とおかずの取り置きを
詰めるだけ──なるべく手っ取り早く済ませられるように準備してあるため、そう難しい作
業という訳ではない。
『おはよう。むー君』
 そして、やはりいつもの如く頃合になると、インターホンから海沙の声が聞こえる。返事
をして合鍵で入って貰うと、彼女は早速朝食の用意を始めてくれる。
 トーストと目玉焼き、あとはその日余っている食材でサラダなどを添えて。
 自分と幼馴染達の分の弁当、朝食の用意がそれぞれ終わると、睦月と海沙はテーブルに向
かい合って座り、束の間の食事を摂り始めた。
 それはいつもの光景。互いに「いただきます」と、ポンと手を合わせて微笑む姿。
 他愛のない雑談だった。今日もやっぱり、ソラちゃんは寝ぼすけさんなのかな……? 静
かに差し込む朝日の中で、二人はそう慣れ切ったようにこの一時を過ごす。ごちそうさまで
した──その後は手分けしてサッと皿洗いをする一方、海沙がまだ寝ているであろう宙へと
電話を掛けて知らせてあげている。
『……?』
 唯一テーブルの上に置かれていたパンドラが、何だか難しい表情(かお)をして辺りを見
回していた点を除いては。

 戸締りをし、二人して家を出て、向かいの宙の家へ。
 いつものように、起きてきた彼女にも今日の分の弁当を渡し、三人揃って学園へ。住宅街
から堤防道、正門へと続く並木の表通りへと場所が変わっていっても、特にこれといって大
きな変化がある訳でもなく、他の生徒達が歩いてゆく。自転車に乗って通り過ぎてゆく姿ば
かりが視界に映る。
 昇降口からクラスの教室へ入り、皆人や國子、仁とも合流を果たす。
 これらが一連の朝の流れであった。睦月達全員が同じクラスになって以降、もうすっかり
この面子が揃わなければ違和感があるというくらいに、その光景は当たり前となり過ぎて。
「──このように、先ほどの数式を当て嵌めれば、ここまで式を分解することができる。後
は各項毎に解を出して証明完了だ。……ここ、今回の範囲だぞ? 重要単元の一つだから、
落とすと痛いからな?」
 そして朝のホームルームも割合あっさりと終われば、後は授業に次ぐ授業の連続だ。
 半ば叩き付けるように、黒板にチョークの数式が書き込まれてゆく。如何にも生真面目そ
うな眼光の数学教師が、いつも以上に熱の篭もった解説を続けている。
 その理由は、十中八九期末テストが近いからだろう。集積都市の──国立の一貫校でもあ
る飛鳥崎学園は、この国の未来を担う人材の育成に力を入れている進学校の一つだ。競争・
上昇志向を肯定する今日の社会の気風が合わさり、必然と此処にはそれに馴染む教職員や生
徒達が集まる。
「……」
 尤も、その中には勿論例外──そのがっついた意識についてゆけない者もいて……。
 睦月などはまさしくそんな層の一人だった。国立校という区分の意味自体は理解している
つもりだが、彼にとっては「近かったから」がその一番の理由だったりする。現状、そうい
った面々といわゆる意識の高い面々とは半々といった所か。されど学校全体の空気自体が後
者に味方しているのもあって、外部からはやはりその肩書きに恥じない学校であると認識さ
れている。
 この数学教師の念押しに、少なからぬ生徒達が必死にノートを取っていた。その意図する
しないに拘わらず、学校とはそういうものなのだと。総じてピリピリとする空気の中、授業
は進み、そしてやがて終了を告げるチャイムが鳴り始める。
「──ねぇ皆人。やっぱり──あんな」
「──売り言葉に──。僕ら──ままなんだよ?」
 教師が手早く教材をまとめて教室を出てゆくのとほぼ同時に、睦月は前の席に座る皆人に
何やら話し掛けていた。休み時間に入ったが故のざわめきと、単純に距離が離れているせい
か、その全容までは聞き取れはしなかったが。
「……」
 そう、こちらからでは離れている。
 この時睦月達は気付いていなかったが、同じクラスの中に、そのひそひそ声のやり取りを
眺めていた人物がいたのだった。
 名前は、二宮馨。銀縁の眼鏡をかけ、如何にも秀才といった風貌をした、睦月達のクラス
メートだ。直接交友こそなかったが、彼はこの日睦月が何処か上の空で考え事をし、授業が
終わるや否や、すぐ前の席の皆人に声を掛けているのを見た。ちらりとその最中に、確か幼
馴染だと記憶している女子二人がこれを遠巻きに見ているらしいさまも確認していた。
(……やっぱりだ)
 ゆっくりと、静かに見開いた目。
 そんな彼が表情に貼り付けていたのは、驚きと戸惑い、そして何よりも限りなく“確信”
に近い、とある感触だったのである。

(……やっぱり同じだ。繰り返してる)
 切欠は成績が落ちて悩んでいた頃、家に帰り辛くて道草を食っていたあの時だ。
 分かってる。そうやって遠回りをしてみた所で、結局は時間の無駄遣いでしかない。本来
ならば真っ直ぐ家に帰るべきだった。帰って、勉強するべきだったんだけど……。
「──よう。随分と辛気臭い顔してるじゃねえか」
 そんな時だ。偶然通り掛かった路地の裏手から、あいつが声を掛けてきたのは。
 逆立てた髪にいわゆるパンクファッションの、チンピラ風の男。少なくとも僕の記憶には
ない人物だ。関わっちゃいけない。そう反射的に思って、急いでその場から立ち去ろうとし
たのだけど……。
「まぁそう構えるなって。お前みたいな奴ほど、叶え甲斐があるってモンだ」
 何を……? 僕が怪訝に眉を顰めた間に、奴はこちらへ歩いて来た。距離を詰めて来た。
 逃げられない。助けを呼ぶか? いや、この暮れなずみでも雑多な人通りの中で、見ず知
らずの僕を助けてくれる人間なんているのか? 何より下手に抵抗して大事になったら、父
さんや母さんの耳に入るかもしれない──そんな思考がぐるぐると僕の中で駆け巡る。
 すると男は、ポンと僕の手の中に何かを掴ませてきた。
 おずおずと見てみると、それは堅い金属で出来た短銃……のようなものだった。目を瞬き
ながら記憶を引っ張り出す。
 これは……リアナイザか。確かTA(テイムアタック)というゲームに使われる、持ち運
びのできるハード機だったと記憶している。僕に遊べ、とでもいうのだろうか?
「困ったら引き金をひいてみるといい。お前の望みを叶えてくれる」
「えっ?」
 だから結局、僕は最初何も分からないままで。
 混乱している間に、男は僕にこのリアナイザを押し付けたまま、くるっと踵を返して帰っ
て行ってしまった。追おうにも行き交う人の波と薄暗い路地裏の陰に隠れて、男の姿はすぐ
に見えなくなってしまう。
(……どうすんだよ、これ)
 手の中には、さっきのリアナイザが残っていた。文字通り無理やり押し付けられた形にな
ってしまったんだ。
 だから最初は、下手にその辺に捨てるのも後ろめたくて、何となく気味が悪くてとりあえ
ず部屋の引き出しの中にしまい込んでいたのだけど……。
「──駄目だ」
 試験の直前、というより当日の深夜、僕は追い詰められていた。あの時男に会ったことも
あの妙なリアナイザを押し付けられたことも忘れて、只々手応えを感じられない試験勉強に
集中しようとしていたんだ。
 でも……何処かで解ってはいたのかもしれない。もう昔みたいな成績は取れないんじゃな
いかって。学年も進んで、もうそのレベルに段々ついてゆけなくなっていたんだって。
 それでも、縋ろうとした。焦っていた。
 次こそ結果を出せなければ、僕は“落ちる”──これまで維持してきた高さを失い、描い
ていた将来は手に届かなくなるだろう。いや、それは本当に僕の望んだ未来だったのか?
 ……だからそんな時、ふとあの日出会った男の言葉を思い出した。
 引き金をひけば、願いが叶う。まさかという頭はあったが、それだけ追い詰められていた
のだろうと思う。僕は机の引き出しから、あの時押し付けられたままのリアナイザを取り出
して、部屋の空きに向かって引き金をひいて……。
『──』
「ひっ?!」
 現れたのは、デジタルの光から弾け出てきた怪物だった。鉄仮面と蛇腹の配管が繋がった
化け物が僕の目の前に現れ、じっとこちらを見てくる。思わず腰を抜かして椅子から転がり
落ちた僕に、そいつは尋ねてきたんだ。
『願イヲ言エ。ドンナ願イデモ叶エヨウ』
「えっ……?」
 引き金をひけば、願いが叶う。
 正直訳が分からなかったけど、どうやらあの男の言葉は嘘ではなかったらしい。僕は目の
前の怪物の姿に怯えつつも、一方で思考がぐるぐると回っているのを自覚していた。
 僕の願い。今、僕が一番望んでいるもの……。
「じ、時間が欲しい。もう一日、時間が欲しい」
 するとどうだろう。この鉄仮面の怪物は少し考えるようにしてから僕の額に指先を当てる
と、みるみる内に全く別の姿に変化してゆくではないか。
 砂時計顔──端的に表現するならそれが相応しいように思えた。フォルムがすっかり変わ
ってしまったその全身で、一際目立つのがその顔面と同化した大きな砂時計だったから。
 ……以来、僕の不思議な日常が始まった。
 この砂時計の怪物は、時間を一日だけ巻き戻す能力を持っていた。本人曰く「契約」に基
づいて得た力なのだそうだけど、僕にはよく分からない。とにかく僕は、期末試験の前日を
何度もやり直せるようになったんだ。
 そりゃあ、最初の内は随分と戸惑った。何せ僕の目の前で、こいつがぐるんと砂時計ごと
頭を一八〇度回転させたのだから。
 だけどそれが、能力発動の動作だった。僕の周りの世界は巻き戻され、七月三日が再び繰
り返される。他の皆は全くそのことに気付いていないようだった。僕だけがこの一日を有効
活用し、試験当日に充分に備えられる。最初はおっかなびっくりでひいた引き金も、今では
自分で率先してひくようになった。日付を跨ぐ頃にこの相棒は僕によって呼び出され、再び
一日を巻き戻してくれる。僕だけの世界を創ってくれる。
 ……流石に、ちょっとずるいかな? いや、でも使える物は何でも使えばいい。いつも勝
者とは、他人ができなかった事をやってのけ、それ故に皆の先頭に立つ。そこで怯えてしま
えば、そいつはまた凡百の中に戻ってゆかざるを得ない。
 ……嗚呼、そうだ。
 きっと僕は、選ばれたんだ──。

 七月三日、午後。入り組んだ路地裏の一角。
 筧は一人必死の形相になって、古びたアスファルトの地面に齧り付いていた。四つん這い
になりながら、薄暗く街の喧騒から切り離されたそこを、一つ一つ探して回っている。
 時刻は夕方に差し掛かり、陽も少しずつ落ち始めていた。にも拘わらず、筧は全くその手
を止める様子はない。一日でも早く、由良の手掛かりを見つけようと必死だったのだ。
『……』
 そんな彼の後ろ姿を、睦月や冴島、数名の隊士達がやや遠巻きの物陰から見ている。
 案の定、相棒の行方を自ら捜し始めた彼を監視・警護する為、交代で睦月達はこうして足
を運んで来ていたのだが……正直、その姿を見て心を痛めない訳がない。プライドをかなぐ
り捨てるが如きその様子も然る事ながら、元を辿れば自分達にもその非がない訳ではないの
だから。
「……じろじろ見てんじゃねえよ。帰れ」
 だからか当の筧も、途中でぎろりと肩越しにこちらを睨み、牽制してきた。物陰で息を殺
していた睦月達は、思わずごくりと息を呑んで、そろっと彼の方に顔を出してみる。
「気付いて、らしたんですか」
「舐めた口利くんじゃねえよ。こっちはプロだぞ? あんな印象に残る会い方をしたら、気
配の一つや二つ、嫌でも覚える」
 あはは……。苦笑いを零して取り繕う睦月と冴島に、筧は「ふん……」と小さく不機嫌に
なりながらも再び作業に戻った。それでも直接、力ずくで追い出してまでは来ない所をみる
に、彼もただ尾けられている──自分を護衛する為について来ているという意図くらいは理
解しているらしい。
「その……。由良刑事はこの辺りに住んでいたんですか?」
「ああ。そっちの兄ちゃんは知ってるだろうが、あいつのアパートはここから暫く進んだ先
の裏町にあってな。俺と飲んだ日の夜、襲われたんだとしたら、帰り道になるこの辺りに何
かしらの痕跡が残ってる筈なんだよ」
 邪魔すんじゃねえぞ……? それでも相変わらず心は許さず、牽制は怠らないながらも、
筧は背中で語りつつ路地裏の隅から隅を丹念に調べて回っていた。睦月や冴島らも物陰から
出てきて辺り一帯を見渡してみるが、それらしいものは見当たらない。
 筧曰く、同じアパートの隣人の証言では、自分と飲んだ夜以降、由良は部屋にも戻って来
ていないらしい。つまりは帰ってくるまでのこの夜道で一人、実行犯の襲撃に遭った──何
かしらのトラブルに巻き込まれたと考えられる。
 日の暮れ出した路地裏に齧り付く筧の姿は、まさに真剣そのものだった。唇のアウターの
発言や、状況から由良の生存は絶望的なのに、それでも歩みを止めようとはしない。
 それが彼の、刑事(デカ)としての強さなのだろうかと睦月は思った。或いはもう進むし
かないという、半ば破れかぶれな態度だったのか。
 嘆く暇があるのなら、今は雑念を振り払おう。上司として相棒として、一刻も早くこの部
下の安否を確かめてやらなければ──。それが彼があの時言っていた「けじめ」の一歩なの
かもしれない。
「……」
 だが自分達は知っている。その思い、衝き動かされるエネルギーすら、自分達は利用しよ
うとしていることを。由良の行方を捜し出す為に、後手に回った尻拭いをさせる為に、皆人
は他ならぬ彼の自尊心にそう働きかけた。焚きつけてそう動くように仕向けたのは、他なら
ぬ自分達なのだから……。
「っ!? これは──」
 ちょうど、そんな時である。そう睦月が内心、友立案の作戦とはいえ後ろめたさに悶えて
いた最中、筧が突然何かを見つけて思わず声を上げた。ハッと我に返り、睦月と冴島、隊士
達もわらわらとその後ろに集まってくる。筧はじろっと、入ってくるなとジト目で睨み返し
ていたが、今はそれ所ではないといった風に再びその足元に視線を落とす。
「血の文字……。まさか」
「AS……うーん? 短いな。L?」
 おそらくは筧が地面に齧り付き、ひっぺ返し回っていなければ見つからなかっただろう。
 それほど普通に通っていては気付かない所に、崩れた鉄パイプの下に、その明らかに不自
然な痕跡はあった。何者かの血で書かれた文字が残っていた。
 冴島がダイニングメッセージ──言いかけて、その表現を避けるように飲み込んだ。睦月
もその場に屈んで目を凝らし、じっとこの残された文字を読み取ろうと試みる。
 書かれていたのはアルファベットのAとS、そしてやけに横棒の短いLらしき三文字であ
った。外野であれこれと言われるのを余所に、筧もまたじっとこれを見下ろして、暫く口元
に手を当てたまま思案顔をしている。
「一応訊いておくが……お前らの仕込みじゃねえだろうな?」
「ふえっ!?」
「だとしたら、わざわざアウター達のことを教えたメリットなんて無いでしょう?」
 苦笑する冴島。当の筧も、そこまで本気で疑っていたようでもなかった。あくまで可能性
として潰しておきたかったという程度だろう。向けていた視線はすぐに戻した。
 ともかく、由良の足跡に繋がるかもしれない。筧はすぐさま血文字の写真を撮り、持って
来ていた綿棒とシャーレでそのサンプルを採った。「……渡さねえからな?」ジロリとやは
りこちらを警戒して睨んでくるが、睦月達は苦笑いで応じる。どちらにしても、この場で取
り合いになっても何一つメリットはない。
『……やっぱりです』
 だが、予想外の出来事は更に続いたのだった。それまで一同の様子を睦月の懐から覗いて
いたデバイスの中のパンドラが、ぽつっとそう絞りだすように口にしたのである。
「? どうかした?」
「まさか、今ここで誰の血かスキャンできるとか?」
『い、いえ。そういう訳ではないんですけど……』
 隊士達も何だろうと、頭に疑問符を浮かべ、食いつく。
 しかしパンドラはおずおずと、一旦躊躇うように視線を泳がせると、言ったのだった。
『このやり取り……見た事があります。というより、今日一日あったこと全部……』


 パンドラが訴えてきたのは、既視感(デジャヴ)だった。
 これがまた別の“人間”だったならば、気のせいで済んだのかもしれない。しかし彼女は
コンシェル──高度なAIを備えた先端技術の結晶だ。
 筧と別れた後、睦月と冴島、隊士達は司令室(コンソール)に戻った。同じくバイオ一派
の残党探しから帰って来ていた海沙や宙、仁、國子などとも合流し、香月ら研究部門の面々
に経緯を話すと、彼女達は一瞬目を丸くしながらもすぐに動いてくれた。一旦デバイスごと
パンドラを預かり、その各種ログを詳しく検め始める。
「……間違いないわ。確かに、同じ日付が繰り返されてる。ちょうど今で……八回目ね」
 生身の人間とは異なり、コンシェルである彼女が既視感(デジャヴ)に襲われたとなると
事情は違ってくる。少なくとも、その現象はデータ上の、何かしらの理由で記録された事実
であるのだから。
「八回!?」
 ざわっ。主たる睦月は勿論、司令室(コンソール)に集まった面々が一様に驚愕の表情を
浮かべていた。信じられないといった様子で互いの顔を見合わせている。
 つまりは、七月三日という“今日”が、何度も繰り返されていたということ。
 そんな馬鹿な……。睦月達は皆、誰一人として、そんな状況になっているとは気付いてい
なかった。そもそも繰り返しという発想自体なかった。
 頭を抱え、驚きのまま固まっている仁や宙。そわそわと、いつもの風景に異変はないかと
辺り見渡している海沙。皆人は自らの椅子に深く腰掛けたまま、じっと眉根に皺を寄せて思
案顔をしており、國子も若干険しい表情をしてその場に立っている。母・香月の、デスクの
PCに繋がれたデバイスと画面を覗き込みながら、睦月は動揺した様子でパンドラに訊ねて
みた。
「なっ、何でそんな大変なこと、言わなかったのさ!?」
『す、すみません。でも皆さんには何も変わった所はありませんでしたし、もしかしたら私
の方がおかしくなってしまったんじゃないかと思って……』
 しょぼんと、画面の中で機械の六翼を畳んでいるパンドラ。
 曰く、最初は先ず自らのエラーを疑っていたのだそうだ。だがあまりにも同じ光景が繰り
返されるため、遂に不安になって打ち明けたのだと。
「……つーことは、あれか? いわゆるループ物の能力?」
「気付いていたのがパンドラちゃんだけだって事は、やっぱり……」
「アウターの仕業、だろうな」
 たっぷりと沈黙を含んで、おずおずと仲間達が確認し合うように語り出す。
 仁や海沙の言葉を継ぐようにして、上座モニター画面の前に座る皆人がそう言い切った。
面々が信じられないといった様子で頭を抱える。パンドラのログを分析する画面が、その間
も延々と、彼女の中のデータを数字の羅列として出力し続けている。
「唯一知覚していたのがパンドラのみだった点からも、コンシェル絡みの力であると考えて
間違いはないだろう。大体、時間を巻き戻すなんてデタラメな力、他にあって堪るか」
「そ、そりゃあ、そうだけどよお……」
「あはは……」
 仁が困ったようにポリポリと頭を掻き、睦月が実は誰よりも頭を抱え始めたとみえるこの
友につい同情して苦笑(わら)う。
 一通り分析も終わったようだ。訴えていた既視感(デジャヴ)が原因も判った事もあり、
香月は立ち上げていたプログラムを終了させると、自身のPCから繋いでいた配線を抜いて
パンドラを解放──睦月の下へ返してやる。
「……また、とんでもない個体が現れてしまったな」
 はたして、司令官・皆人の憂鬱めいた呟きは一層の切迫感をもって。
 今はただでさえバイオ一派の残り──ヘッジホックとトーテムの追討、筧が追う由良殺害
犯の特定という懸案が残っているというのに。はあ、と流石に大きく嘆息をつき、皆人は掌
でぐしゃりと自身の髪を掴んでいた。敵もそう律儀に待ってくれる訳もないのだが、さてこ
れからどう動き、捌いてゆけばいいものか……。
「少なくとも、筧刑事の方は進展があったんだろう? ASLの血文字だったか」
「はい。でも何の意味なのか分からないですし、そもそも由良刑事の件に関係があるのかど
うかも……」
 萬波の、それとなく皆人を慰めるような問い掛けに、睦月は答えた。その見解は冴島も同
じく首肯する所だ。少なくとも筧があの時持ち帰ったサンプルを調べ、結果が出ない内は、
全て推測の域を出ないだろう。
「……なら一旦、その巻き戻すアウターの召喚主を探すとしよう。このまま今日という日を
繰り返されてしまっては、進む捜査(もの)も進まないからな」
「ああ」
「うん。そうだね」
『私がいますから、繰り返しはもう大丈夫です。明日──九回目の今日になっても、皆さん
にこの事をお話しすればいい訳ですからね!」

 かくして飛鳥崎の夜は、再三「渦」の中へと呑み込まれる。
 日付を跨ぎ、夜更けを迎えたその時、馨はその改造リアナイザの引き金をひき、砂時計顔
のアウターを召喚する。ぐるんと砂時計ごと一八〇度に回転した顔は、そのまま周囲の空間
を渦を巻くように歪曲させ、再び同じ時を──七月三日を呼び戻す。
「はははは! そうだ、それでいい。この世界は、僕だけのものだ!」
 最初こそこのアウターの能力に戸惑っていた馨だったが、巻き戻しを繰り返すにつれ、今
やすっかりその力に魅せられてしまっていた。
 繰り返される時間、同じ一日。その事を知っているのは自分ただ一人。
 もし同じならば、結果を知っているのならば、自分はそれらを踏まえてもっとベターに立
ち回れる。失敗は遠退いてゆく。確実な未来がこの手にある。……いや、もう落第の不安に
怯えなくてもいい。あの苦しみから、自分は遂に解放されたのだ。
「あははははははは! 最高だ、最高だよ! やっと僕は……自由になれたんだ!」

 そう街の片隅で、狂ったように笑う少年の声など聞こえる筈もないのに、彼はじっと暗闇
の中に潜んでいた。いや、厳密には機材の光以外の明かりが無い地下の巨大サーバー室で、
目の前で流れてゆくプログラム画面の羅列を見つめながら、そっと眼鏡を光らせている。
「──用って何? っていうか、真っ暗にして画面見る癖、止めた方がいいわよ?」
 すると暗闇の向こうから、一人の少女が進み出てきた。
 継ぎ接ぎだらけのテディベアを抱えた、ゴスロリ服の少女──スロースである。
 そこは“蝕卓(ファミリー)”のアジトだった。夜も更け、ただでさえ点したがらない照
明が落ちた暗がりの中で、この眼鏡の男性──白衣の男・シンはにぃっと白い歯を見せなが
ら嗤う。
「どうやらまた一人、新しい個体が生まれたみたいなんだ。それにとても面白い能力──君
と同系統のもののようでね」
 キュッと座っていた椅子を回転させ、シンは呼び出しに応じてやって来たスロースに向き
直ると言った。当の彼女はあまり面白くなさそうだった。「ふぅん?」と、いつものように
気だるく刺々しい物言いと態度で、カツカツとこちらに近付いて来る。
「用件は他でもない。君には、この新しい同胞について調べて来て貰いたいんだ。接触して
来て欲しい。この子なら、君に預けてある例の研究にも、一役買うかもしれないしね?」
 ついっと手元のディスプレイをずらし、先程まで見ていた画面を覗きやすいように見せて
くる。スロースはそれをジト目のまま一瞥して確認すると、気だるくも結局は従順の体でも
ってこの要請に応えた。
「……ま、いいけど」
 飛鳥崎の夜は深まってゆく。闇に紛れたまま、殆どの者は気付かなかった。繰り返されて
いるという事自体、考えもしなかった。
 だが知り得る者達は確かに潜んでいた。其々の思惑を胸に、潜んでいたのだった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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