日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-〔12〕

 息子達が、帰って来た。
 特に上の息子は成人の儀を済ませるとすぐに家を出て行ってしまったから……正直、心配
でならなかった。
 理由は、分かっていた。マーロウさんやあの人の事なのだろう。
 いつもツンとして強がってはいても、根はあの人と同じく真っ直ぐで優しいから。力が及
ばず救えなかったことをずっと悔やんでいたのだろう。だからこそあの子達はクラウスさん
とリュカちゃん、それぞれに剣の、魔導の教えを請うたのだと。
 あの父娘(おやこ)にならば安心して任せられる。
 そう思ってあの子達の修行に対しては静かに見守っていたのだけど……。
(まさかこんな事になるなんてね……)
 折に触れて息子を任せていた彼女からの連絡。その中に、事態の急転が含まれていた。
 驚いた。しかしやはりかとも思った。
 それは驚愕というよりも、一種の長く待ち構えていたかのような諦観と嘆息で。
 結局、何処へ逃げようとも私の“血”は変えられないのだと──。

「──夜分失礼します。まだ起きておられますか?」
 コンコンと、部屋の外からドアをノックする音が聞こえた。
 時刻は深夜。すっかり村全体が寝静まっていた。
 一人じっと居間のテーブルに着いていたシノブはハッと意識を現実に揺り戻されるように
顔を上げる。
 警戒する理由などなかった。その声はずっと信頼を寄せてきた相手の声だったから。
「ええ。入って」
 フッと微笑んで静かに応えると、そっと極力物音を立てないようにして一人のアマゾネス
の女性──リンファが神妙な面持ち入ってきた。
 他の部屋は既に消灯されている。開いて閉められる、その数十秒間だけ居間の灯りが外の
廊下に一条の白となって漏れていた。
「……申し訳ありません。このような時間になってしまい」
「いいのよ。遅れるって話は聞いていたのだし」
「そういう意味では、ないのですが……」
 改めてスッと頭を垂れて言うと、シノブはくすと笑って寛大に微笑んでいる。
 だがそうではないのだ。単に到着が遅れただけではなく、今日の道中で“結社”の刺客が
自分達の乗った列車を丸ごと襲ってきたこと。
 そして何より“彼らが核心に迫ろうと帰ってきた”──それを止められなかったことが。
 黙して眉根を寄せたリンファ。だが対するシノブは何も責めはしなかった。もしかしたら
自分が考えていることすら勘付いているのかもしれない。
 すると低頭のままのそんな彼女を、シノブはやんわりと許した。
「とりあえず頭を上げて、ね?」
「……。はい」
「念の為に確認しておくけど、まだ息子達には?」
「大丈夫です。まだ知られてはいません。……今はお二人ともお部屋に?」
「ええ。長旅で疲れたのねぇ、二人寄り添ってぐっすり」
 ふふっと、とても微笑ましく嬉しそうに。
 上品に口元に手を当てて笑っているシノブだったが、対するリンファはそれにつられる事
はなく言葉少なげだった。
「……ねぇリン。貴女の言いたい事は分かってるわ。あの子達が気付いてしまいつつある、
それが私達には都合が悪い。それは確かよ。でも……せめてあの子達自身が問い質してくる
までは、久しぶりの再会を喜ぶべきだと思うの」
「……」
「勿論、リンにもね」
 付け加えてウインクしてみせる彼女に、リンファはハッとなった。
 驚きというよりは気恥ずかしさとでも言うべきなのだろう。しかしほっこりと緩もうとし
た自身の表情を改めて引き締め直すと、彼女は小さく一度わざとらしく咳払いをする。
「そう、ですね。私もこうして直接お会いできたのは暫くぶりになりますから」
 部屋を照らすのは天井から下がった導力灯のみ。
 周りは夜の闇に沈殿していても、二人の相対するその場だけは何処か神々しく、凛とさえ
しているかのような錯覚。
 するとリンファは、
「……では、改めて」
 片膝をつき胸元に手を当て、最上級の臣下の礼で以って。
「──お久しぶりでございます。殿下」
 深く恭しく、彼女はその低頭を目の前の『主』に捧げていた。


 Tale-12.レノヴィンの系譜

(…………んっ)
 閉じた瞼の裏を陽の光が刺激する。気だるい眠りの中にあったジークの意識はその静かな
揺らぎと共に目覚めを迎えた。
 ぱちくりと瞬き、ごしごしと目を顔を掻く。
 最初に目に映った天井は宿舎の部屋の模様ではなく、いつか記憶の向こうに消えかかって
いた実家の部屋の、木板のそれで。
 そうだ……。昨夜自分達は村(サンフェルノ)に帰ってきたのだ。
 到着したのがたっぷり日が暮れた頃であった為か、迎えの後は結構なドタバタであった。
 久しぶりの再会に快く皆が声を掛けて──もとい一通り弄られ、団長らが挨拶を済ませた
後は、とりあえず歓迎諸々の行事は明日に回そうという事になり、こうしてぐたりと就寝。
ちなみに他の面々は村の皆が分担して泊めてくれる手筈となっている。
「お~い。アルス、エトナ、朝だぞ~……そろそろ起きろ~」
「うぅん……むにゃ」
「あはは。もう~仕方ないなぁ、アルスは……Zzz」
 まだ眠気の残る身体をベッドから引っ張り出し、隣のベッドで眠っているアルスとエトナ
を軽く揺さ振ってみた。
 だが弟は実に無防備というか可愛らしい寝顔で気持ち良さそうで、エトナはエトナで空中
に浮かんでいる丸まっているといういつもの体勢で何やら意味深な寝言を呟いている。
(……ま、その内起きるだろ)
 ポリポリと髪を掻いて、ジークは一先ず自分の着替えを優先させた。
 母が用意してくれた寝間着を枕元に積んで、いつもの服装に着替える。同じくいつものよ
うに六本の愛刀らを腰に差す。長年の、慣れ親しんだ感覚だ。
「……」
 しかしその感覚も、実は危ういリスクの中にあったとここ二月余りの中で否が応でも知ら
されることになったのもまた事実だった。
 マルタという人質を取られていたとはいえ、刺客(サフレ)から狙われたこと。その最中
にリンファを負傷させてしまったこと。それらの首謀者が“楽園(エデン)の眼”であるら
しいと分かり、友(シフォン)すらもその危険に巻き込んでしまったこと。
 そしてその全ての理由は……マグダレンにセージョーキと呼ばれたこの刀達に在る。
 母に問い質す。その為に久しぶりの帰省をしたとはいえ、果たして彼女は自分達の求める
答えを知っているのだろうか?
 アルスは僕も一緒に背負うと言ってくれた。
 だが、あいつは何も悪くない。今も解決すべきは自分自身なのだと言い聞かせている。
 正直な所を言うと恐かった。いや今も恐いのだろう。
 母が何も知らなかったら、ルーツを探す旅は空振りになる。
 だとすれば道中で似非神父──バシリスクが列車を襲ってきたあの一件もまた“無意味”
になってしまうのではないか。だとすれば、奴自身も無駄に命を……。
「……ッ」
 そこまで思考してぶんぶんと首を横に振った。
 いや、元より奴は“結社”側の人間だったのだ。友を仲間達を手に掛けようとしたのだか
ら今更情けをかける必要など……ない。
 そう思うとやはり、と“責任”が自分の下にループしてくる気がしてならなかった。
 知らなかったとはいえ、自分が──自分が愛刀(こいつ)らを持っているからこそ一連の
事件は起きたのは否定できない訳で。なのに皆はそれでも自分に味方し、付き添ってくれて
さえいる。
 ──俺は、本当に皆と来てよかったのだろうか……?
 何度も魘されるように胸の内で繰り返されてきた自責の念とでもいうべきもの。
 だが、ジークはまたぶんぶんと首を横に振った。先程よりも、強く。パンパンと気付けの
ように自身の頬を数度叩く。
(……しっかりしろ、俺。やらなきゃいけねぇことは待ってくれねぇんだぞ……)
 疼くような後悔を奥底に押し込めるようにギリッと奥歯を噛み締めて。
 ジークは気合を入れ直すと、ばさりと身を翻した。

 四度目の揺さ振りでやっと起きた弟とその持ち霊と共に洗面所で洗顔を済ませ歯を磨いた
後、ジークはキッチンへと足を運んでいた。
 そのテーブルの上には既に用意されていた人数分の朝食。
 懐かしい匂い。我が家の、母の温もりの気配がふわっと色彩を増したような感覚がする。
「おはよう。昨夜はよく眠れた? 朝ご飯できてるわよ」
 三人の近付いて来る気配を感じ取って、流しに立っていたシノブが振り向いた。
 その姿は、普段着の上に何故か引っ掛けた白衣。
 何を隠そう彼女は村唯一の医者──魔導医なのだ。自宅を増築する形で隣の棟には診療所
も構えており、それまで遠くの町まで出掛けるしかなかった(病気持ちな)村の人々には大
層ありがたがられている。
 そんな母はジークとアルスにとって、密かな自慢でもあった。
「お、おう……」「うん。いただきま~す」
 早速、兄弟揃ってテーブルに着く。
 献立はふっくらした自家製のパンに分厚いベーコンエッグ、温かなコーンポタージュ、も
さりと盛られたサラダパスタ、それと(甘党な彼女好みの)ミルク多めなホットコーヒー及
び取り分け自由に置いてあるフルーツ各種。
 結構しっかりとした内容だった。
 大方、久しぶりに息子達が帰って来たことで気合いが入っているからなのだろうが……。
「……?」
 パンとベーコンエッグを適度に千切って口に放り込みながら、ジークはちらと自分達の向
かいに座ってにこにこと微笑んでいる母を見た。
 手元にコーヒーの湯気が上っているが、彼女には息子の投げきた視線に対し僅かに小首を
傾げているだけでこれといった変化は見られない。
(どうするかね……。今なら他にも誰もいねぇし、刀の事も訊けるが)
 そっと眉根を細めて思案する。
 元よりその為に帰省してきたのだ。本音を言えばあまりのんびりと飯を食っている精神的
な余裕すら実は覚束なかったりしている。
 今度はちらと視線をアルスへ。
 すると彼も似たことを考えていたのか、気付かれぬようにと僅かに頷いてくれる。
 ──確かにチャンスではあるよね。
 ──じゃあ、どっちが母さんに訊く?
 何度かアイコンタクトでのやり取りを交わしての作戦会議を。
 結局、当事者ということでジークが訊く手筈になった。色々と頭が回るのでアルスにはそ
の都度フォローに回って貰おうとする。
「ねぇ。二人とも、梟響の街(アウルベルツ)での暮らしはどう?」
 だが……ジークがごくりと息を呑み口を開こうとした次の瞬間、先に飛んできたのはそん
なシノブからの問い掛けだった。
「えっ。向こう、での……?」
 先手を打たれたようで、思わず即座の返答に詰まるジーク。
「うん、楽しいよ。学院の勉強は凄く面白いし、友達もできたし。……まぁ、ちょっぴり変
わった知り合いもできちゃったけど」
「……。まぁ何時も通りだよ。ギルドに行って依頼の目星をつけて契約して、その仕事をこ
なして稼いでくる。その繰り返し」
 だからか、アルスはフォローしてくれるように微笑みを作って答えてくれていた。
 実際、その言葉の内容は間違っていない(弟の後半は十中八九、シンシアの事だろう)。
 そのフォローに合わせるように、ジークも一度コクンと頷くと自身の近況もオブラートに
話した。
「そう……。元気そうで良かったわ。でもジーク、お仕事ばかりで根を詰めちゃ駄目よ?
これは医者としても言ってるのだからね?」
「へいへい……。気分転換くらいはしてるさ。シフォンやリンさん、副団長とかとはよく一
緒に酒を飲んでるし、空きの時にはトレーニングしてるし」
「……それって息抜きなの? やってる事がもうおっさん──」
「うるせーな。余計なお世話だっての」
 エトナが呆れ顔で突っ込んでくるのをぶっきらぼうに制しながら、ジークはもしゃっと皿
の上のサラダを口に運んだ。
 ちらと目を遣っているのは、くすくすと笑っている母の顔。
 偶然だろうか? 何だか訊きそびれてしまったような気がする……。
 もう一度目を遣ってみるとアルスも同感だったらしく、コーヒーを啜りながら小さく頷き
返してきていた。
「で、シノブ。朝から白衣着てるけど、急患でもあったの?」
「ううん。そうじゃなくって。ほら、昨夜ジークとアルスと、クランの皆さんが着いた後、
皆が色々騒いでいたでしょう? ザックさんとかトマおじいちゃんとか、昨夜、二人の帰省
祝いだとかいってお酒を煽っていたみたいだから……。肝が悪くなっていないか診に行こう
と思ってね」
 今度はその間を持たせるようにエトナがちょいっと白衣のシノブに向けて訊ねる。
 すると彼女は苦笑し、そう往診に出向くつもりだと言った。
「ああ……。つーかまだ懲りてねぇのかよ、一回死にかけたんじゃなかったか?」
「そうね。でも昨日今日くらいは許してあげて? それだけ二人が村に帰ってきたのが嬉し
かったのよ。まぁだからと言って肝臓に悪いのは変わらないんだけども」
 ジト目になって、記憶の中からやたら口実を作りたがるのん兵衛な村の中年・老年連中の
顔を思い出すジーク。
 だが主治医である筈のシノブも、今日だけはそんな彼らに同情的な言葉を漏らしていた。
 無言のまま、ついとジークは視線を背ける。
 寛大というか何というか。俺は、村の仲間を殺した人間なのに……それなのに……。
「あ、そうそう三人とも」
 するとポンと思い出したように両手を叩き、シノブは続いて口を開いた。ジークら三人は
それまでバラけていた視線を自然と彼女に集中させる。
「昨夜は遅かったから延期になったけど、今夜は開くからね? お帰りなさいパーティー」
「ああ……」「そういえばそうだったねぇ」
「もう。皆、そんなに気を遣ってくれなくてもいいんだけどなぁ……」
「ふふっ。皆、嬉しいのよ。あと口実が欲しいのよ。飲んで騒いでできるっていうね。もう
集会所の方でも準備が始まっていると思うけど……」
 遠い目での嘆息と、苦笑が四人分。
 シノブもその内の一人だったが、それでも当の兄弟よりはずっと嬉しさが勝っているよう
に見えた。優しく懐かしい柔和な微笑み。だからこそ、ジークもアルスも表立ってそんな村
の皆のお節介に露骨な苦言を呈する気にはなれなかった。
(……でもなぁ。皆が集まったら余計に刀のこと、訊き難くなっちまうじゃねぇかよ……)
 それでも、心の中でそっと拙いなと不満を吐きつつ。
 ジークはもきゅっとふっくら柔らかな食感のパンを頬張る。

 朝食を済ませて暫く一息をついてから、ジーク達は久々の我が家を出てとある場所へと向
かっていた。
 そこは村の敷地の外れ、少し小高い丘にある村の共同墓地だった。
 丸みを帯びた刺又のような柱部分に支えられるように合わさった丸い木製の球。
 クリシェンヌ教徒の墓であればもっと厳密な様式を求められるのだが、一般的に墓標とい
うと、石にしろ木にしろこのような形を人々は連想し、用いている。
 何でもこれらの形はヒトと“世界樹(ユグドラシィル)”とを表しているのだそうだが、
あまり詳しい事をジークは知らないし、別段興味があるわけでもない。
(……ん? 誰かいる……)
 途中で献花用の花束を調達──といっても近くの山野に入れば摘めることもあり、村には
花屋といった洒落た店はないのだが──して墓地内に足を踏み入れると、ジーク達はすぐに
そこに既に先客らしき影があるのに気付く。
「リンファさんに、イセルナさん……?」
 その人影二人はクランの団長と切り込み隊長の女性二人組だった。
 ジークよりも先にアルスがぽつと呟き、三人が近付いて来る足音を聞くと彼女達はフッと
墓標の群れに落としていた視線をこちらに向けてくる。
「ん? ああ……。お前達か」
「どうしたの? 貴方達もお祈りに……みたいね」
「ええ。まぁそうなりますか」
 ちらとアルスが胸元に抱えている即席の花束を一瞥して、イセルナが呟いていた。
 ジークは静かに頷くとアルスらと伴い、彼女達がぼんやりと見ていた敷地──他の墓標に
比べて人の手がよく入っているように見える墓標の群れの前に移動し始める。
「……ジークです。訳あって、久しぶりに村に帰ってきました」
 ぽつりと先ずはジークがそう墓前に報告を。次いでアルスが花束をそこへと供え、ゆっく
りと腰を降ろして屈み込む。
 イセルナとリンファもそっと後を歩んできてその墓標らに刻まれた名を読んだ。
 マーロウ・リビトン、コーダス・レノヴィン──ざっと数えても三十人近くはある。
「これは、まさか」
「……ええ。父さん達の墓です」
「まぁ、半分近くが亡骸すら見つからなかったんですけどね。おそらくは……」
「魔獣に喰われた、のか」
 リンファが喉を詰まらせたように苦悶の声で問うていた。アルスは言葉でこそ答えはしな
かったが、無言の僅かな頷きがその返事だった。
 暫く黙り込んだ後、イセルナ達は語った。
 泊めて貰っている村のご夫妻から“ジークはやはり今も悔やんでいるのか?”というニュ
アンスの質問を投げかけられたこと。そこでのやり取りから、レノヴィン兄弟がそれぞれ剣
と魔導を習い始めた切欠となった村への魔獣襲撃の一件を聞いたこと。
 そして、ならば自分達も弔いの祈りを捧げようとこうして墓地に赴いたこと。
「そうッスか……」
 余計なこと喋りやがって──。
 丘に時折吹く風に混じって、ジークがそうぼそっと付け加えているのが聞こえた。
 イセルナがそんな彼の背中に落とした視線を隣のアルスに向けると、対して彼は複雑な表
情、苦笑を肩越しに返してくるのが見えた。
「……」
 暫くイセルナは静かにそんな兄弟の背中を見つめていた。
 実はリンファが、アルスの下宿が始まって少し経った頃に彼自身の口で語れたその話を又
聞きしていて初耳ではなかったのだが、ジークの機嫌を余計に損ねそうだったのでここは大
人しく黙っておくことにする。
「……お父さん、コーダスさんでいいのかしら。貴方達のお父さんって、どんな人なの?」
 その代わりというのも何だが、イセルナは少し間を置くとそう繕うように訊ねていた。
 リンファが隣で黙したまま眉根を寄せ、肩越しからこちらを振り返るアルスが少し驚いた
ように顔をつっと上げてくる。
「何でまた……。訊いたっていない人間を」
 そんな中でもジークはじっと背中を向けて墓前に屈み込んだまま、淡々と答えていた。
「……ま、一言でいうとお人好しみたいでしたよ。俺達がガキの頃もちょくちょく路頭に迷
ったとか言ってる連中を連れて帰っては母さんが診てましたし」
「そうだねぇ。で、実はそいつが盗賊で、朝になったら家からお金が抜き取られてた~! 
なんて事もあったけ」
「ああ。流石にあの時は母さんも怒ってたな。……表情(かお)は笑ってたけど」
 イセルナが敢えて“どんな人”と「過去形」を使わずに訊いたにも拘わらず、当の実子で
あるジークはあっさりと「でした」とその言い回しを使っていた。
 懐かしさよりも何処か苦痛のような。
 それを感じ取ってかエトナがそれとなくサバサバとした口調で相槌を打っていたが、それ
でも彼の声はやはり重苦しく思える。
「……だったかな? 僕はあまり覚えてないや……」
 そしてアルスも、こちらは年少故の自身の記憶の風化を感じて少々感傷的になっていた。
 穏やかだが内心はきっと辛い、そんな苦笑い。
 そんな弟の様子に、流石にジークもちらと心配な眼を向けたのだが、
「でも、これだけははっきり覚えてる。母さんは、父さんと一緒で凄く幸せそうだった」
「……そうだな」
 それでもすぐに自身で繕うように言い、兄の同意を得る。
 無言で苦笑し合う二人に、エトナが静かに胸を撫で下ろしていた。イセルナはそんな姿を
見遣りながら、リンファは何処か遠くに目を遣って風に身を任せながら互いに黙り込む。
 それから、お互いにどれだけの沈黙が場を支配していただろうか。
 じっと墓前の前に座ったままでいた兄弟とエトナに、リンファがそっと声を掛けていた。
「……。私達も、手を合わせていいだろうか。生憎献花する花束は持ち合わせていないが」
「ええ……」「勿論です」
 承諾を得てイセルナとちらりと顔を見合わせると、彼女達もまた墓前に屈み込んだ。
 はっきりとは分からないが、その状態から見て立てられてから十年弱といった所か。
 名と共に歳月を刻んだ木製の墓は、アルスが供えた即席の花束をそっと抱いているように
静かに並び立っている。
 残されたもの、喪ったもの。
(……父さん。俺の刀(こいつら)は一体何なんだ? 父さんは、知ってたのか……?)
(コーダス。あんたの息子達はちょっと危なっかしいけど、ちゃんといい子に育ってるよ)
(ごめんなさい……父さん、マーロウさん、皆……。必ず償うから……。だから……)
 言葉にする分にはたった数文字で済んでしまうその事実も、間違いなく当事者らには重く
付き纏い続けるであろう過去で。
(やっぱり慣れないものね。魔獣(いのち)を殺すことが仕事でもある筈なのに……)
(……コーダス。君の妻子は私がこの身命を賭して守る。だから、どうぞ安らかに……)
 遺された者とその仲間達と。
 間を置きつつ風の吹き抜ける墓群の丘で、五人は暫くその場で祈りを捧げ続けていた。


 サンフェルノ村は地理的に少々寒冷な気候に分類されるとはいえ、周辺を豊かな緑の山野
に囲まれている。
 街には無い、ゆったりとした時の流れと自然が醸し出す匂い。
 静かな木漏れ日を浴び、小動物らの息遣いを聴覚に届けながら、サフレとマルタはじっと
そんな森の中に佇んでいた。
「……いい所だな」
「はい。精霊さん達もたくさんいますし、それだけ生命(いのち)が豊富なのでしょうね。
私の導力回路もすこぶる良好です」
 従者たるオートマタの少女とその主たる青年。
 普段はそれ以上でもそれ以下でもない(とサフレ自身は言動に含めている)が、この場の
二人は何処かその言葉通りにしては少々齟齬を感じさせた。
 言うなれば、主従を越えた親愛し合う様であるような。
 心持ち視線を顔を上げて緑の枝葉が覆う空を眺めているサフレの手に、マルタがもじっと
数拍の躊躇の後、自身の手を伸ばそうとして──。
「マルタ」
「は、はいっ!?」
「……。彼らのこれまでの一件、どう思う?」
「えっ? ええと、ジークさん達……ですか?」
 視線を変えないまま、サフレが不意に質問を投げかけてきた所為で、その動きは打ち止め
になった。一瞬ビクリとし、次の瞬間にはそろ~っと。マルタは伸ばしかけた手を引っ込め
ると数秒ぱちくりと思案顔になる。
「そうですね……。正直私には何が何だか。ジークさんの剣がアーティファクト級の魔導具
だとしても、それを“結社”が狙う肝心の理由はハッキリしませんし」
「だからこそこうして彼の故郷まで足を運んでいるんじゃないか」
「え、ええ……。でも気の毒ですよね。ジークさん、何度も“結社”の手の者に狙われ、仲
間も巻き込んでしまって……きっと凄く不安だと思います」
「……。かもしれないな」
 随分とのんびりとした感想だな。僕らも一度は奴らに掴まったクチであるのに……。
 ちらりと。そんなお人好しというか、もしかすると人間以上に優しい性格なのかもしれな
いこの従者をサフレは横目で見遣りながら思った。
 外から見ている限りは無愛想にも取れる彼だったが、いざクランの一員となって行動を共
にしてみると本質はむしろ熱い滾りを秘めている人物であることはサフレ自身も薄々気が付
いてはいる。
 一体、そんな彼の剣──いや魔導具にどんな理由があるというのだろう?
(こんな事なら、マグダレン氏の鑑定に僕らも同席すべきだったな……)
 付け焼刃ながらもクランの一員として依頼をこなしていなければならなかったとはいえ、
サフレはどうにも悪い巡り合せに密かにため息をついていた。
「だけど、帰省して良かったのかもしれませんね。これだけ豊かな場所に滞在してれば少し
は心も落ち着くんじゃないでしょうか」
「…………」
 そんな思考の隣で、マルタはぽつぽつと言う。
 するとサフレは、何故かそれまでよりもはっきりと、意図的に睨むような眼で彼女の顔を
見遣っていた。
 その視線の意図に、彼女はすぐに思い当たるような節を知っていたのだろう。
 ややあって彼女はハッと「い、いけない……」とバツの悪そうな顔を浮かべる。
 ごくりと息を呑んで仕切り直し、彼女はおずおずと、再確認するように言った。
「……あの。マスターはやはりご実家に戻るつもりはないのですか? ジークさんとアルス
さんのようには」
「その話はするなと言っている筈だぞ。あまりしつこいとたとえお前が相手でも──」
 キッと向けられた眼は本気だった。完全に憎悪の眼だった。
 流石にそれを実行することはせずとも、マルタは「す、すみません……っ」と半ば反射的
に平謝りするしかない。
 瞳を潤ませた、一見しただけでは普通の少女と変わらないオートマタの少女。
 その姿にチクリと罪悪感を刺激されたのか、サフレはふんと小さく息をつくと軽く身動ぎ
をし、再び枝葉が点々と遮る空を見上げていた。
「……僕の事はいい。それよりも今は彼らの事だ。迂遠ではあるが、この旅は僕らのけじめ
の為にもなる。このまま“結社(やつら)”にやられたままというのは僕のプライドが許さ
ないんだ」
 時折間を置いて整理しながら呟く彼に、マルタは「はい」と小さな追随を示していた。
 しかし同時に、内心ではホコホコと嬉しさを感じずにはいられなかった。
 彼自身が“結社”に手駒にされたことへの当てつけもあるだろう。だが同時に、そこには
十中八九“自分が人質に取られたことへの憤り”があるとも思えたから。
 それだけ私は──マスターに大切に想われている。
 ちょっぴりの依存的な心理。だけどやっぱりこの気持ちは、作り物の生命でしかない筈の
自分の胸の内を温かく包んでくれるものでもあって……。
「……僕はまだ戻るつもりはない。暫くは彼らと行動を共にしよう」
「……はい。マスターの仰せのままに」
 森の微風にスカーフを靡かせて呟いたこの主の言葉に、彼女は微笑と共に是として従う。

 結局、午前中は肝心の母への問い質し(もくてき)は果たせずじまいだった。
 墓前への報告を済ませて家に帰って来て間もなく、顔見せに入れ代わり立ち代わりで村の
皆がやって来ていたからだ。
 そうしている内に、朝食の折に言っていたようにシノブは往診へと出掛けてしまい、彼女
がそれらを済ませて帰宅した頃には時刻は正午を少し回っていた。
『あらあら。お客さんがいっぱいね~。ついでだから皆、お昼食べていく?』
 しかし問われるべきシノブ自身はそう至ってマイペースで。
 ジークやアルス、訪れていた数人の村人──特にその中に混じっていたシフォンや、往診
の途中で合流したらしいリンファも加わって、昼食はちょっとした食事会の様相となった。
 彼女の厚意に甘んじた会食の一時。
 やがて村人らは「じゃあ、また今夜にな」と帰っていったが、シフォンとリンファはまだ
その場に居残っていた。二人は元よりジークとアルスが予定していた午後の外出の話を聞く
と、同行することを申し出てくる。そしてそれを拒む理由も特にない。
 ──かくして、予定より多く四人(エトナも含めて五人)の小集団となって、ジーク達は
暫しの食後の休憩を挟んだ後、再び外出をするのだった。
「そうか。じゃあ、まだシノブさんには」
「ああ……。どうにもタイミングが合わなくてな。正直、もしかしなくても本当に知らない
んじゃねぇかとも思ってたりするんだよな……」
 家を出て先ずは村の中央へ向けて歩く。
 昨夜からの成果を訊ねられ、ジークは正直にそう詰まり気味であることを白状していた。
 もし訊いて何かが壊れるのではないか? そういったおそれが内心あるのも否定はできな
かった。そんな胸の内の揺らぎを知ってか知らずか、シフォンはふむと口元に手を当てて少
しばかり思案顔になる。
「可能性はない訳じゃないな。彼女はジークのように剣を扱える人ではないのだよね?」
「ああ。父さんは冒険者だったらしいけど、母さんは見ての通り医者だからな」
「でも母さんは魔導医──魔導の心得があるんだよ? 本当に何も知らないのかなぁ……」
「さぁねぇ。だけどさ、大体私やイセルナ達だってごく最近まで気付けなかったんだよ? 
ジークの刀が実は魔導具だってこと自体、気付いていないかもしれないじゃない?」
「そうだけど……。うぅん……」
 わしゃっと頭を掻いて、アルスは言いかけていた言葉を引っ込めていた。
 兄弟とその友と、持ち霊。四人の“あくまで可能性”の話が方々に右往左往する。
「……」
 その様子静かに見守るように、リンファは一歩下がって歩いている。
「どのみち、一度きちんと膝を詰めて訊かないことには始まらないよ。こう推測で議論して
もどうにもならないしね。そう焦らなくてもいいんじゃないか? ここに来てまだ昨日の今
日なんだ。機会はいくらでもあるさ」
「……まぁ、そうなんだけどなあ」
 暫しあーだこーだと意見を交わすも、結局はぶつかってみる。その一点に向かう他ない。
 ジークとアルス、そしてエトナは苦笑を漏らしつつ互いの顔を見合わせる。
 やがて、五人は村の中心に位置する集会場(広場)に差し掛かった。
 シノブの言っていた通り、既に集会場一帯は今夜の宴に備えての準備が着々と進められて
いた。集会場の小屋の中だけでは収まらず、その外周りにもテーブルが運び込まれ、茣蓙が
敷かれている。
 その周りでは準備に当たっている村人らがトタトタと動き回っており、小屋の中、その奥
には『お帰りなさい!』の文字が書かれた即席の看板が、村人らによって取り付けられ始め
ているのも窺える。
「……ったく、一々大袈裟なんだよ。団長達を迎えるのも兼ねてるにしても、アルスはまだ
下宿を始めて三ヶ月だぞ?」
「はは……。それだけ喜んでくれてるんだよ。兄さんの帰省を、ね」
「どうだかな。ただ飲んで騒いでしたいだけじゃねぇのかね……」
 ぶっきらぼうに悪態をついてみせる兄に、アルスはくすっと笑っていた。
 実弟だからか、或いは自身が浮かれている部分があるからか、そんな兄の言葉はどうにも
素直じゃないように気がして逆に微笑ましかったのだ。
「……?」
 そうしていると、ふとジークの視線がそれまでとは違う方向に向いた。
 見遣ってみるとそこ──皆が準備に走り回っている集会所の裏手を覗き込むように、黒い
フード姿の少女が一人立っているのが見える。
「……。何やってんだよ、ステラ」
「ふわっ!? あ……。な、なんだ、ジークか。それに皆も」
「何だじゃねぇよ。何してんだ、こんな所でこそこそと。レナやミアはどうしたよ?」
 ビクッと一瞬驚いた顔をみせたのは他ならぬ魔人(メア)の少女・ステラだった。
 アルスらを伴い、近付いて声を掛けたジークが少々訝しげに問うと、彼女はその視線を再
び集会所の裏手──ちょっとした空き地になっている──へと遣る。
「あわわっ……。は、羽は取っちゃ駄目ぇ~!」
「……耳、触るな。しっ、尻尾も……」
 その視線の向こうでは、レナとミアが村の子供たちのオモチャになっていた。
 背中の白い翼を撫で回されたり、猫耳や尻尾をもふもふされたり。
 涙目と諦観の顔と。なまじ相手が幼い子供たちということもあって、二人とも安易に手を
出せず、なすがままになっているようだ。一応保護者役として傍にハロルドが立っていたが
彼自身そんな様をニコニコと眺めているだけで、すぐに止める気はなさそうだった。
「……遊ばれてるな」
「うん……。遊ばれてるね」
 ジークとアルスは呆れ顔と苦笑でそんな呟きをシンクロ、
「いいのか、ステラ? ダチがガキどもに弄られまくってるが」
 そして横目でジークが問うと、ステラは心持ち一歩後退りしたように見えた。
「だ、だって私……。メアだから……」
「……」
 返答はたどたどしかったが、それだけで彼女が何を言わんとしているのかは分かった。
 ──自分が魔人(メア)だとバレたら、どうなるか分からない。
 大方、そんな心配が、躊躇いが彼女を先刻からずっと物陰に潜ませ続けていたのだろう。
「あのな。ステラ」
 呆れ顔だったジークの表情が、サッと真剣なそれに変わっていた。
 数拍の沈黙の直後、はたとその手がステラが被っていたフードに伸び、彼女の白系の銀髪
が顕わになる。少々ビクリと肩を震わせた彼女の目線に合わせ、ジークは言った。
「今までも散々言ってきたろ? お前が皆に何かしたのか? 違うだろ? お前はただ瘴気
に巻き込まれた、だけど生き残った。それだけだろ」
 それは、彼女を孤独の中から引きずり出したあの日以来、何度となく掛けてきた筈の言葉
に他ならなくて。
 分からない訳ではない筈だ。だがそれだけ、この少女の心の傷が深いのだろうとも思う。
「……お前が縮こまらなきゃいけない理由なんざねぇんだ。もっと胸張ってろ。仮に誤解を
受けたら全力で俺達がそれを解いてやる。お前は、生きていい。……瘴気に中てられたら生
きてちゃいけないなんて理屈、俺は絶対に認めねぇ。全部……ぶっ壊してやんよ」
 だったらその傷が疼く度に慰めよう。その度に共に闘おう。
 ジークは言い放っていた。それは同時に自分自身がずっと胸の内に点している誓いの火で
もあって……。
「……うん。ありがと……」
 俯き加減で胸元に手を、頬をほうっと赤く染めて。
 ステラはこくんと頷いていた。その密かに熱っぽい瞳の意味は実はもう少し別の所にある
のだが、ジークは今も昔もそれに気付くことはなく、
「気にすんな。ほら、行って来いって。ハロルドさんもいるし、フォローもあるだろ」
 フッと苦笑に口角を上げてポンと彼女の背を押してやると、視線の向こうの彼女の友人ら
の方へと促す。
 ステラはもう一度頷き、ゆっくりと友人らの下に歩いていった。
 左右の耳元で結わった銀髪が揺れる。子供たちが「銀色のおねーちゃんだ~」と三人目の
オモチャを見つけたと言わんばかりに群がり始める。レナやミアは多少解放された事にホッ
としたのも束の間、やはり変わらず弄られ続け出すことに苦笑を禁じえない。
 ──ここは大丈夫だよ。私に任せておいてくれ。
 ジーク達に向けて、ハロルドがそう言ってくるかのようにそっと片手を上げてみせた。
 レナやミアもまたその動作に気付き、こちらを見て同じようにジェスチャーで「大丈夫」
を伝えてくれる。
 レナ、ミア、ステラの三人娘と彼女達に群がる無邪気な村の子供たち。そしてハロルド。
「おーいガキども~。あんまりねーちゃん達を泣かせるような真似はすんなよ~! 特にそ
の猫のねーちゃんはキレると恐」
「…………」
「あ、いや。何でもないです、ハイ……」
 子供たちにちょっと余計な事を付け加えようとして、ミアから物凄く睨まれた。
 ジークは乾いた苦笑いを浮かべてひらひらと手を振ると、
「……じゃ、俺達もそろそろ行こうか」
 半ば逃げるように踵を返しアルス達を促しながら歩き出す。

 ジークを先頭に足を運んだ先は、一軒の小さな家──庵とでも言うべき家屋だった。
 建てられた場所は村の外れの一角。しかし小さな石囲いの庭を挟んで、ぐるりと村の敷地
全体を見渡すことができる立地でもあるらしい。
 板状の石を敷いた土の上を渡り、ジーク達は硝子と木枠の表戸越しに来訪を告げる。
「あら? いらっしゃい」
 応対してきたのは、セミロングの紺髪をサラリと肩に流した一人の竜族(ドラグネス)の
女性──リュカ・ヴァレンティノだった。
「こんにちは。お久しぶりです、先生」
「よぅ……リュカ姉。師匠(せんせい)居るか?」
「ええ。ちょうどいい所に来たわね。ささ、上がって頂戴」
 言って彼女はジーク達を家の中へと促した。
 どういう意味だろう。少なからず頭に疑問符を浮かべつつも、一同は早速ヴァレンティノ
家の敷居をくぐらせて貰うことにする。
「あら……?」
「おう。なんだお前らか」
 その意味、先客──イセルナとダンは客間にいた。
 リュカと共に部屋に入ってきたジーク達が少し驚いた顔をしていると、二人とテーブルを
挟んで座っていた壮年の男性が静かにこちらを見上げて口を開く。
「……久しぶりだな、ジーク。アルスにエトナも」
「ええ……。久しぶりです、師匠」
「こんにちは、クラウスさん」
「うん、元気そうで何よりだね。その無骨な感じも前のまま」
「……言葉が一々浅はかなのはお前も変わらんな、エトナ」
 老練。その一言がしっくりとくるがっしりとした体躯と顔立ち。歳相応に短めの髪は白く
なりつつあるが、左眼から頬にかけての傷跡という目立つものもあってか、その威厳の類は
普通に話しているだけでも相当なものがある。
 クラウス・ヴァレンティノ。
 リュカの父にしてジークの剣の師でもある、物静かな村のご意見番だ。
 言葉こそ少なかったが、師らもまた大事には至っていないようだ。
 ジークとアルス、エトナは密かに胸を撫で下ろし、互いの顔をを見合わせる。
「お前らもクラウスさんに挨拶か?」
「ええ。午前中は父さん達に報告をしてたので。副団長たちも?」
「おうよ。聞いたぜ? 何でも村のリーダー格で、お前らの師匠らしいじゃねぇか」
「だから私達もクランの代表としてご挨拶をしておこうと思ってね」
「……そうッスか」
 思わぬ先客だったが、思いの外、皆先手に村の面々と交流をしてくれているようだ。
 ジークは色々と間に回らずに済んだとホッとしたような、しかし下手に皆と関わりが深く
なってしまって大丈夫なのだろうかという、漠然とした自分でも分からない不安もまた顔を
出してくるようで複雑な表情(かお)で応えるに留まっていた。
(……そうだ。師匠なら)
 そこでふと思いつく。自身の愛刀達についてだ。
 ヴァレンティノ父娘は母や父とも交友が長いと又聞きだが記憶している。元冒険者と魔導
師。もしかしたら何か情報が得られるかもしれない。
「あのさ、師──」
「ねぇ。ジーク、アルス、エトナ」
 だがその言葉は不意に掛けられたリュカの声に上塗りされるように止められてしまった。
 振り向いてみると、彼女はいつの間にか四人分(エトナは精霊なので別に要らない筈のだ
が、彼女はしっかり“一人分”と数えているらしい)の茶を淹れた湯のみを盆に乗せて再び
部屋に足を踏み入れて来ている。
「立ち話もなんだし、向こうでお茶にしない? アウルベルツでの生活とかも色々聞きたい
しね。お父さん、団長さん達は任せていい?」
「……ああ」
「はーい。じゃあ行こっか。居間でいいわよね」
 タイミングを奪われたように突っ立っていた間も、リュカはクラウスにそう一言掛けて返
事を受け取り、ややあって今度は了承の矛先をジークとアルスに向けてくる。
「あ、あぁ……」
 ジークは少々急な勢いに押されてこくと頷くしかできなかった。
 間が悪い。だが教え子(元教練場の、という意味では自分も含め)との再会に機嫌が良さ
そうなリュカの様子を見てしまっている以上、そんなことは中々言えたものではない。
 ちらと横目で見遣ってみると、アルスも小さく頷いてくる。
 考えることは同じであったらしい。
 そして、まぁ仕方ないかと、ジークとアルス、そしてエトナは彼女の後について行くと廊
下の奥を曲がって姿を消してしまう。
『…………』
 客間にはクラウスと、四人の経験豊富な戦士らが残された。
 ジーク達の後ろ姿が見えなくなったのを見届けてから引き戸を閉め、リンファもシフォン
もそっとイセルナ達の座る席の左右へと腰掛ける。
 暫く、誰も言葉を発さなかった。
 それはクラウス自身の無言の威圧感に起因していた部分もあったのだろうが、それ以上に
レノヴィン兄弟が退席したこの場で、ダンを中心としたクランの代表らが何かを計るように
してこの壮年の竜族(ドラグネス)の様子を窺っていたからという点も大きかった。
「さて……」
 長い沈黙の後、口を開いたのはダンだった。
 隣でそっと眉を細めているイセルナと薄らとその肩に顕現し様子を窺っているブルート。
反対側の隣ではシフォンが何かが引っ掛かり始めたかのようにクラウスの顔をしげしげと見
つめ、心持ち間を置いて正座するリンファはじっと黙ったまま事態を静観している。
「世話話はこれくらいにしておこうか。あんたも分かってるんだろう? ただ俺達が挨拶に
来ただけじゃないって事くらい」
 心持ちずいっと。
「聞かせて貰いたんだがね。俺達はともかく、あんた程の手練なら気付いていてもおかしく
はない。話はジークやアルスからも小耳に挟んでる。あいつらとはガキの頃以前からの付き
合いだそうだしな。何も気付いていないとは思えねぇ」
 ダンはテーブルの上に片肘をついて身を乗り出してクラウスに問うた。
「……だろう? “竜帝”クラウス」


 村はその夜、予定よりも一日遅れの宴の始まりを待っていた。
 会場となる村の集会場に集まった村人、そしてジーク達。今宵の主役としてレノヴィン兄
弟を上座に据え、その脇にシノブ及びイセルナらが着いている。
「あれ? クラウスさんとリュカ先生は?」
「ああ……。あの二人なら出て来ないってよ。挨拶はジークや団長さん達が昼の間に済ませ
てるって聞いてるし、今頃父娘(おやこ)水入らずで晩酌でもしてるんじゃね?」
「そっか。まぁ竜族(ドラグネス)って基本的に隠居人だもんなぁ……」
「言ってやるなよ。村の為に色々手を貸してくれている分、あの二人はまだ付き合いはいい
方だって」
「……。そうだな」
 こそこそと。幹事役の青年らは話していたが、こういった事例は今に始まった事でもない
らしい。彼らはヴァレンティノ父娘の話はそこで中断すると、ざわざわと宴の時を今か今か
と待つ皆へと呼び掛けた。
「コホン……。皆さん、お待たせしましたっ!」
「それではこれよりジークとアルス、そしてクラン・ブルートバードの皆さんへのお帰りな
さいアンド歓迎パーティーを開会しようと思います!」
「さぁさぁ、もう待ち切れないって感じだねぇ。硬い前振りなんざ無しだ。では早速皆さん
杯を拝借──」
「じゃあ、ジーク達の帰還を祝して……乾杯ッ!」
『乾杯~ッ!!』
 次の瞬間、待ってましたと言わんばかりに皆が掲げた杯がカチンと何度も打ち合う音を重
ねて、夜空の下に宴の始まりを告げる。
 わっと場が一層騒がしく、陽気になった。
 のんべりとした空気を弾き飛ばすかのように、皆が一気に羽目を外し始める様がジーク達
の着く上座からありありと窺える。
「ほらほら、ボサッとしてないでお前も飲めよ。今夜の主役なんだからさ」
「お、おぅ……」
「ハハハッ! ほれほれくいっと。今夜は飲むぞ~!」
 そうしていると実に自然に、同年代を中心にわらわらと村人達がジークの下に集まり出し
てくる。乾杯の際に飲み干した杯に新しく二杯目が注がれた。
 本当は“帰還”ではなく“帰省”なのだが……。
 ジークはそんな本音から複雑な想いを抱きつつも、喜色で楽しんでいる皆の水を差す真似
をする訳にはいかず、促されるままくいと手にしたその杯を煽る。
「いやぁ、それにしても正直驚いたぜ。まさかお前が帰ってくるなんてな」
「……色々忙しかっただけだ。皆、帰省くらいで大袈裟なんだよ」
「まぁこれくらい大目に見てやってくれよ。お前らもそうだけどさ、俺達くらいの世代──
若い連中ってのは大抵街の方に出ちまってるからさ……」
「嬉しいんだろうよ。住み心地はいい、悠々自適と言ってみても寂れてるのは否定しようが
ないからな。だからおっさんから上の世代はそれだけで十二分に酒の肴になるんだろうよ」
「……。かもしれねぇな」
 初っ端からややハイペースで飲みながら語る、同年代の村の青年達。
 それはきっと間違っていないのだろう。少なくとも逃げるように村を飛び出していった自
分に地方集落の衰亡を語る資格があるとは思えない。
 くいっと杯を傾け、呟くように応えながらジークは静かに目を細める。
「……で? アカデミーでの勉強はどうなんだ?」
「魔導師にはなれたのか?」
 一方で、アルスは刻一刻と出来上がりつつある年配の村人らに囲まれて質問攻めに遭って
いた。兄と違ってあまり飲めないと皆知っているので酒を強要してくることはなかったが、
それでも酒臭さは否が応にも全身の感覚が伝えてくる。
「ええ。順調、ですよ。入学してよかったです。講義も興味深いものが多いですし、友達に
も指導教官の先生にも恵まれて……」
「おうおう。そうかそうか。ハッハッハッ!」
「あ、あと。入学してすぐですし、正式に魔導師を名乗れるのはまだまだ先ですよ?」
「んぅ……? アカデミーに入ったら魔導師じゃねぇのか?」
 酔いで思考力が削がれている部分もあるのだろうが、やはり一般人には魔導師へのプロセ
スについての知識はそう豊富ではないらしい。
 ほくほくと肉厚のソーセージを咀嚼し飲み込んでから、アルスはゆっくりと説明する。
「……ええ。そもそも学院自体にそういう機能はないんですよ。正式に魔導師を名乗って仕
事も受けられるようになるには、魔導師の資格が必要なんです」
「資格? そんなのがあるのか」
「はい。一つは“汎用免許(ベースライセンス)”。これは魔導師としての技能全般を持っ
ているという証。要は共通の免許です。もう一つは“専門免許(スキルドライセンス)”と
いって、こっちはそれぞれ自分の専門分野を示すものです。……ええと、例えば母さんなら
魔導医なので『医薬師(ドクター)』の免許を持っている筈ですし、リュカ先生なら教練場
の先生もしているので『学師(スカラー)』の免許があります」
「あと、リュカは『星詠師(ディヴィナー)』も持ってたんじゃなかったっけ?」
「あ、うん。そうそう。スキルドライセンスは自分が扱う分野ごとに色々持てるんですよ」
「要するに魔導師の免許ってのは二階建てなんだよね。皆共通の一階部分がベースライセン
スで、二階のスキルドライセンスは自分の好みで色々付け足すって感じ」
「ほぅ……。なるほどなぁ」
 エトナが補足的に噛み砕いて説明してくれたお陰か、皆もようやく理解が追いついてきた
ようだった。アルスは「ありがとね」と彼女に微笑むとお茶で軽く喉を潤す。
「少なくとも、先ずはベースライセンスを取得しない事には始まりません。大きく捉えても
そこを通過できなくっちゃ魔導師は名乗れませんし……。人によりますけど、その為の勉強
は──基礎過程の二年から三年くらいは確実だと思います」
「試験自体が半年のスパンだからね~。一度落とすと色々痛いもん」
「うん。だから受ける前の準備をしっかりしなくっちゃってこと。……まぁ、その受験への
ゴーサイン自体は指導教官の先生の裁量なんだけど」
「大丈夫だよ、アルスなら。何せ学年主席なんだから」
 そして、はたとエトナが口をついてしまった言葉。
 アルスは咄嗟に「そ、それは……!」と慌てて彼女の口を押さえたが、もう遅かった。
「何だって……?」
「それ、本当なのか!?」
「……え、えぇ。僕も知ったのは向こうへ下宿を始めてからのことなんですけど……」
 今まで以上にずいっと迫ってくる(酒臭い)村人達。
 その人数的な質量に気圧されるように、アルスは仕方なく苦笑いで頷く。
『おぉぉぉ……っ!?』
「ハハッ! こいつはめでたいじゃないか! シノブさんとリュカ先生に続いてこの村から
また優秀な魔導師が誕生するってことだろう?」
「祝杯だ、祝杯っ。お~い、こっちにもっと酒持って来てくれ~!」
 どうやら彼らの酒の肴がまた一つ増えてしまったらしい。
 アルスが目をぱちくりと瞬かせている内に、またテーブルの上へ酒や料理が積み上げられ
るかのように追加されていく。
「……皆、流石に気が早すぎるよ……」
 時間を追うごとに、宴は益々盛り上がっていた。
 集会場の一角ではサフレとマルタが横笛とハープでリズムを奏で、それに合わせて村人ら
が輪になって躍ってさえいる。
「ほぅ。ではハロルドさんは教団本部にいたんですか」
「ええ……。今は辞めてこうして野に下っている身ですが」
「教団本部っていうと“聖都(クロスティア)”ですよね? いいなあ……」
「だよなぁ。クロスティアって言えば『地上で最も美しい街』って言われるもんな。死ぬま
でに一度でいいから行ってみたいねぇ」
「……。そうですね、是非訪ねてみて下さい。景観の美しさ“だけ”は保障しますよ」
 徐々に野放図な集団も、見てみれば幾つかのグループに分かれつつあるように見えた。
 ジークやアルスの主役の座る上座は勿論、シノブと静かに飲むイセルナやリンファ、教団
関係者だったハロルドの周りに集まっている年配中心の集団、それらの周りを取り巻く中小
のどんちゃん騒ぎなグループ群。
「よう。楽しんでるか?」
 一通り村人らの質問攻めも波が済み、ジークがちびちびと飲んでいるとふと酒瓶を片手に
したダンとシフォンが近付いて来た。
 まぁ、一杯飲めよ。
 そう言わんばかりに瓶先を傾けてくる彼に応え、杯を差し出して注いで貰うと、ジークは
くいとそれを飲み干して、どっかりとその場に座る二人に相対する。
「やっぱ宴席ってのはいいねぇ。生き返る」
「否定はしませんけど。でもあんまり飲み過ぎて迷惑掛けないで下さいよ? 俺やシフォン
と違って、村の皆はごくごく普通の一般人なんスから。副団長がバシバシ叩いてたら冗談抜
きに怪我人が出かねないですし」
「大丈夫。そうならないように僕が見てるから」
「……言いたい放題だなおめぇら。……まぁいいや」
 にっこり笑顔で隣のシフォンが言うのをジト目で見つつも、ダンは別段怒る素振りはない
ように見えた。代わりに残っていた酒を煽り、ふうと大きく一息をつく。
「……で、どうだ? お袋さんに肝心の質問(もくてき)は果たせたのか?」
「いえ……。何だか上手くタイミングが掴めなくて」
 言ってジークは背後のアルスを見遣った。
 気疲れもあったのだろう。彼は既にテーブルの上に突っ伏して穏やかな寝息を立て始めて
いた。そっと薄手の毛布を掛けてあげつつ、エトナが「こっちは大丈夫」と頷いている。
「そうか。実は俺達も、それなりに探りは入れてみてるんだがな」
「えっ」
「そんな顔すんなって。探りって言っただろ。遠回しにお前の剣の事を話題に噛ませてみて
るだけだ。だがこれといって収穫はねぇな。皆、頭にはてなマークだ」
「やっぱり、シノブさんに直接訊いてみないといけないかな」
「……ああ」
 心持ち気弱に頷く。それは分かっている。そのつもりで久々に帰省をしたのだから。
 だが、正直恐くもあった。母は……どんな事を知っているのだろう。或いは知っていない
のか。どちらにせよ、この目的を知ったことで純粋な帰省でないとがっかりさせてしまうか
もしれない。そうもやもやとする胸の内で思った。
「まぁそれが元々の目的だしな。しかしなぁ、俺にはどうもきな臭──」
 だが次の瞬間だった。
 にわかにザワッと宴の集団が騒ぎ出す。
 それまでの半ばな嬉々のBGMではない、短い悲鳴のような重なる声色。
 ジーク達が反射的に立ち上がりかけ、その方向を見遣る。
「ステラ、ちゃん?」「……ステラ?」
「お……お嬢ちゃん?」
 それはステラらが混ざっていた女性陣の集まる一角だった。
 不意の事だったのか、驚いているレナやミア、そして村の奥様方な面々。
 当のステラは何かを見たかのように一人ついっと森の奥へと目を凝らしていたのだが。
「その、目が……赤い……」
「ッ!?」
 震え出して指摘されて、ようやく彼女自身は気付いたようだった。
 弾かれたように引き攣った表情(かお)で、バッと両手で顔を覆う。
「まさか」
 だが、既に周囲の村人らはその事実に気付いてしまっていた。
「お嬢ちゃん……。あんたまさか、メアなのかい?」
 ステラの振り返って咄嗟に隠した顔。その両眼が血色の赤に染まっていたことに。
 弾かれたように村人らがざわざわと動揺で騒ぎ始めた。
 魔人(メア)──瘴気に中てられても尚、ヒトの姿を持って生き残った者達の総称。それ
はかつて魔獣の襲撃によって大きな被害を被ったサンフェルノ村の皆にはとっては充分過ぎ
るほどに恐れ、忌むであろう存在でもある筈で……。
「ち、違うんです!」
 逸早く動いたのはレナだった。
 バレた。その事実にガタガタと震え出すステラを庇うように割って立ち、村人らを説得す
るように力説する。
「た、確かにステラちゃんはメアです。でも彼女はただ巻き込まれただけで……」
「うん。そう。ステラは、何も悪い事はしていない」
 だが一般的に魔獣や魔人への忌避意識は強い。
 レナとミアが友人として仲間としてそう断言したが、村人達は戸惑いを隠せないでいる。
「……大丈夫だ。こいつは俺がクランに連れて帰ってきたんだ」
 するとザッと足音がした。
 近付いて来たのは夜風に結んだ後ろ髪を揺らし、ポケットに両手を突っ込んだジーク。
 彼は左右のダンとシフォンと共に言った。
「昔、魔獣に滅ぼされた村に仕事で行ったことがあってな。こいつはその中で唯一生き残っ
てたんだ。……だから団長達に頼んで保護した。年格好もアルスと一緒だ。見捨てられねぇ
と思ったんだ。嫌だってんなら、俺も一緒にこいつとホームに帰る」
 一同が驚きの眼をジークに注いでいた。
 村人達も、クランの仲間達も、何より掌の隙間からそんな様を窺っていたステラも。
 沈黙が宴だった筈の場に降りて──。
「あらあら、そうなの。ビックリしたわあ」
「それならいいや。すまねぇな、嬢ちゃん。ビビらせちまって」
 だがしかし、それらはあっという間に四散していた。
 まるでジークのその言葉が合図だったかのように、皆はそれまでの宴の陽気さを取り戻す
とステラに軽い謝罪の弁を掛けて、すぐにまた宴の一時を愉しみ始めたのである。
「……え? え?」
 ステラは驚いていた。いや呆気に取られていたというべきか。
 変わり身の早い、瞬時の理解。その未経験の光景に唖然としていると、そっとその傍らに
ジークが「よっと」と腰掛けてきて呟く。
「な? 何ともなかったろ? お前が縮こまらなきゃいけねぇ理由なんてねぇんだよ」
 傍にあった酒瓶を引っ手繰り、くいっと持ってきた杯で喉を潤す。
 見渡せば、ダンやシフォンも皆に混じっている。ミアはこくと静かに頷き、レナも同様に
微笑を──ちょっぴり羨ましそうに──返してくれている。
「……うん」
 ほうっと頬を染めて。
 ステラは恩人であり想い人でもある彼の傍で、ちびちびと茶を啜る。

 歓迎の宴は大盛況の内にお開きとなった。
 長く飲めや歌えやと騒いでいたのもあってか、すっかり辺りは暗くなっている。今頃は皆
はしゃいだ疲れの中で深い眠りについていることだろう。
「アルス、まだぁ?」
「……うん。もうちょっと」
 ばしゃばしゃと手を洗う水音がする。
 ふよふよと漂って待っているエトナの前のドアを開けて、寝間着に身を包んだアルスが姿
を見せた。要するに、お手洗いに来ていたのだ。
「ごめんね。起こしちゃって」
「いいって。私もまだちょっと興奮気味だったから」
 二、三やり取りを交わして二人は夜更けの廊下を行く。
 灯りは全て消え去っており、照らすのは雲の合間から漏れ注ぐ月明かりくらい。
 その筈、だったのだが──。
「……?」
 アルスはふとその例外があることに気付いた。
 廊下の向こうが、控えめだが灯りが点っているらしい。ほんのりと夜闇の黒を薄める程度
の光が息を殺しているようになっているのが見える。
(……まだ、誰か起きてる?)
 ちょこんとアルスは首を傾げた。
 兄は先程部屋を出てくる時も眠っていた。エトナがトイレの外で待ってくれていたので彼
が通り過ぎたとも考え難い。
「診療所の方、みたいだね」
「急患じゃない? 何せあれだけ飲み食いしてたんだもの。誰かがお腹壊して薬でも貰いに
来てるんじゃないかな」
「うーん……」
 だとすれば、あんな半端な灯りで迎えるものだろうか。
 アルスは少し考えたが、結局一抹の好奇心が勝っていた。
「ちょっと見に行ってみようか。もしかして泥棒だったりするかもしれない」
「まさか。ま、でも念のために……ね?」
 そろりそろりと、廊下を進んで増築してある診療所の方へ。
 灯りの白は心なし強くなっていった。そしてその距離が数メートルまで迫った所で、二人
ははたとその足を止めざるを得なくなる。
「──それ、本当なのかよ……」
 ダンの声だった。
 しかしその声色は普段の豪放磊落としたそれとは打って変わり、明らかな、それも今まで
アルスが彼に対し耳にしたことのないような戸惑いの色を濃く備えているように思えた。
(……エトナ、気配を消して)
(う、うん。分かった……)
 囁くような小声でエトナにそう言い、彼女は一時的に顕現を解いて姿を消した。
 アルスもまた、身体から外に流れていくマナを深呼吸の下に押し留める。
 マナの一時的な遮断“断氣”。
 錬氣法と同様、マナの制御法の一つであり、主に相手から気配を悟らせない目的で使う。
 謂わば「息止めのマナ版」とでもいうべきか。
 何処なく、いや先程よりも確実に存在感を薄めたアルスは、静かにドアを僅かに開けると
そっと聞き耳を立てる。
「ああ……本当だ。偽りは一切ない。この話の為に皆をわざわざ密かに呼んだのだから」
 中には母(シノブ)とイセルナらクランの幹部メンバーが揃っていた。
 しかし妙だ。母の傍らにリンファとイセルナ、彼女達に向き合うようにダン、シフォン、
ハロルドの三人が──表情はそれそれだが何れも驚きや戸惑いの様子で佇んでいる。
 一体、こんな時間に何を?
 だがアルスのそんな落ち着いた思考は。
「シノブとはコーダスがつけた仮の名。真名はシノ・スメラギ。我々女傑族(アマゾネス)
の国“トナン皇国”先皇の一人娘にして、正統なる皇位継承者であらせられる」
 次の瞬間、紙くずのように吹き飛んでいた。

(…………母さんが、皇女さま?)
 たっぷりと唖然とした間が過ぎ、アルスはごくりと息を呑んでじっとドアの隙間から見え
るそのやり取りに目を見開いた。
 頭の理解はそう整理してくれたのだが、まだカラダがその事実に追いついていない感触が
ある。それは部屋の中のダンら三人も似たようなものであるしく、僅かな灯りの下、強烈な
衝撃に打ちひしがれて咄嗟の応答に窮しているようだった。
「これは、随分と予想の斜め上を行ってくれたね……」
「ああ……。だがよイセルナ、お前もそっち側に立ってるって事は……知ってたのか」
「……ごめんなさいね。リンから極力この事は内密にしておいてくれと頼まれていたから」
 フッと苦笑と共に小首を傾げてみせたのが彼女の答えだった。
 欺いてたのか? そんなダンの、失望とは言わないまでもショックな気持ちをちゃんと理
解してからこその返答だったのだろう。
「……ま、黙ってたことは今更責める気はねぇ。起きねぇよ。こうして白状したんだしな」
「そうだね。むしろ、僕達が問うべきは……」
「何故このタイミングで? という点だね」
 三人が顔を見合わせてから投げ掛ける言葉。それは話の続きを促すのと同義で。
「……そうだな。順を追って話そうか」
 コクと頷き、リンファ達は告白を続ける。
「そもそもの始まりは二十年前──まだ先皇・皇妃両陛下が御存命で、私も近衛隊の一員と
して殿下の御側役を務めていた頃に遡る」
「二十年前の皇国(トナン)っつーと……」
「……クーデター、ですか」
 ハロルドが意図を悟り始めたのか苦々しく呟いた言葉に、リンファは無言で頷いた。
 今から二十年前、トナン皇国で勃発した大規模なクーデター。
 旧態依然なしがらみを打破し、同国をかつての強国に復活させしめんと掲げられたその武
装蜂起は王宮を制圧し、当時の国皇・皇妃夫妻を殺害。結果、クーデター側の長である皇妃
の実姉・アズサがその後の実権を握ることとなった。
 当時は随分と騒がれたものだが、結局各国は静観を貫いた。
 理由は内政不干渉──もとい、アマゾネスという良質の傭兵集団でもある彼女らとの関係
を干渉により壊す事が国益を損なうと判断した、時の権力者らの“保身”に他ならない。
「だが、当時の国王側は粛清されたって話じゃあ……?」
「それは半分は事実だが、半分はアズサ殿サイドの広報だ。現に先皇御夫妻の一人娘であら
れるシノ様は、殿下はこうしてこの場におられる」
 つまりは、亡命に近い歳月を過ごしたというのか。
 ダン達、そしてドアの隙間からその告白をじっと目を見張って聞いていたアルスはそれぞ
れに息を呑んで黙り込む。
「……謀反の軍勢は王宮を一挙に攻め立てた。火をかけられたその中で、両陛下は私たち近
衛戦士団に殿下を逃がすように、最期の命令を下された。多くの同胞らが討たれていった。
私は必死になって殿下を御守りしながら皇都を脱出し、ひたすら逃げた……」
 言葉で話せばほんの数フレーズ。
 だがその過酷さは如何ほどのものだったか。ダン達は過去の辛酸を思い顔をしかめている
彼女を、シノブ──いや皇女シノ・スメラギを只々見遣ることしかできない。
「……だが救いもあった。逃亡の旅の中、私達に手を差し伸べてくれた者達がいたんだ」
「それがあの人達──コーダス・レノヴィンとその仲間の皆だったんです」
 繋がる経緯。
 リンファから言葉を継いだシノブの表情はふっと優しく緩み、ほんのりと思慕の気色で赤
く染まっているのが分かる。
「あの人達は、私達の身の上を知っても差し伸べた手を引っ込めることをしませんでした。
むしろ伯母様からの追っ手とも必死に戦い、反乱軍から『皇女誘拐犯』と謗られても私達を
守り続けてくれました」
「そういやそんなニュースもあったな。だが確かあれは……」
「ああ。程なくして誤報だとコーダス達が世に証明してくれたんだ。汚名を濯いだんだよ」
「……なるほど」
 ダンが呟いたのは、何もリンファの補足の言葉に対してだけではなかったのだろう。
 その後、現にシノブと名を変え、コーダス──後にレノヴィン兄弟の父となるその守り人
と恋に落ちたという旅の果ても、その全てを含めての。
「クーデターのごたごたが一通り済んだ後、私はコーダスと共にこの村にやって来ました。
それからはジークとアルスを産んで、旅の途中で得ていた魔導師の資格を使って村で医者を
始めたんです。……クラウスさんとリュカちゃんには、その時から色々手を回して貰ってい
たんですよ」
 ダンは片眉を上げてイセルナを見た。フッと肩をすくめた苦笑が返ってくる。
(……なるほどね。道理で突っ込んで訊いてみてもうんともすんとも言わなかった訳だ)
 頭をガシガシと掻き、はぁと大きく嘆息。
 要は自分達はこいつらの掌の上でジタバタしていただけってことじゃねぇか……。
「話は、分かりました。まだ驚きで心臓はバクバクいっていますけど」
 そんな彼を横目に、今度はシフォンとハロルドが質問役に代わる。
「ですがそれは、今回ジークと共にこの村に来た理由とは違うように思うのですが……」
「いや。そんな事はないんだ。……これまでの話はあくまで前振りだよ」
 一度シノブを見遣り、その首肯を得てからリンファは言った。
「結論から言おう。ジーク──いやジーク様の持っているあの六本の刀はただの刀ではない
し、単なる魔導具でもない」
 自分達の過去を打ち明け、少し楽になっていた気を引き締めるように次なる告白をする。
「あれらの名は“護皇六華(ごこうりっか)”──六振り一組の聖浄器にして、我が国の正
統な皇位継承者が代々受け継ぐ“王器(おうき)”だ」
 その言葉に、ダン達は先程以上の衝撃を受けたようだった。
 バッと顔を上げて。或いは目を見開き、眼鏡の奥の瞳を静かに光らせて。
「おまっ、知ってたのかよ……!?」
「聖浄器だったのか。しかも王器だなんて……」
「ふむ。別に珍しくはないですよ。各国とも詳細を公表していないだけで、聖浄器といった
アーティファクトを王器──国家の象徴としているケースはよくあることですから」
「ああ。そうだ。護皇六華もその一つになる」
「……皆さんをこうして呼んだのは、このことも含めて全てをお話しする為なんです」
 そう少し申し訳なさそうに言い、両手を行儀よくお腹の前で組むシノブ。
 少なからず動揺していた面々だったが、そんな彼女の静かな声色に宥められたのか、やや
あって居住いを正すと「じゃあ……」と話題を核心へと向け始める。
「ジークにそのゴコーリッカを与えたのは、あんただと聞いてるんだが」
「はい。村を出るあの子を護ってくれるように。以前はコーダスに預かって貰っていたので
すけどもう今はいませんし、私が持っていてもろくに使えませんから……」
「だから正直焦ったよ。サフレと戦った時に、一時的とはいえその封印が解けたのだから。
あれはおそらく、ジーク様自身の身の危険に護皇六華が反応したからなのだろう」
「そっか。知ってたんだな……。でもうっかり話しちまうと色々バレちまう、と……」
「そういう事だ。だが、もうここまで来ては隠し通せない。そう殿下は判断した」
「ですからリンと相談して、先ずは皆さんにだけにでもお話を通しておこうと思いまして。
黙っていて、すみませんでした」
 恥も外聞もない。ただシノブは、リンファは深く頭を下げていた。
 今まで黙っていた一種の裏切りに対して。そして今まで息子達を守ってくれていた感謝も
同時に込めて。
「あ、いや……。そんな、頭を上げてくださいよ。一国のお姫さんにそんなことされちゃあ
敵わねぇッスから」
 ダンは慌てて応えていた。いくら肝が据わっているとはいえ、流石に畏れ多いのだろう。
「……で、イセルナ。お前はいつからこの事を?」
 だからか、彼は話の矛先を変えるようにそう静かにシノブ側に立っていた盟友に問う。
「五年前、ちょうどジークがうちのクランに身を寄せるようになった頃よ。リンがこっそり
打ち明けてくれたの。自身の正体も含めて、色々とね」
「……驚いたよ。殿下にご子息がおられるとは聞き及んでいたが、まさか私が世俗に身を隠
しているその懐に現れてくるとは。皆にはすまないと思ったが、少なくともクランの長であ
るイセルナには話を通しておかないと色々裏で手が回し辛いだろうと思ったんだ」
 眼を見る。二人とも嘘は言っていない。少なくとも彼女達の密かな協定はその頃から始ま
っていたことになるのだろう。
「……水臭ぇじゃねぇか。言ってくれりゃあ俺達だって協力は惜しまなかったぜ?」
「そうだね。でも、始めから聞かされていたら、僕はジークと友人(いまのような)関係を
築けていなかったかもしれないなぁ」
「すみません。できる限り、あの子達には普通の人生を送って貰いたかったから……」
 そうシノブが再び頭を下げようとしたので、ダンらは慌ててそれを止めていた。
 気持ちは分からなくもない。いくら皇族といっても一人の母親には変わりないのだ。自分
が出自故に苦労した分、子供たちには幸せになって欲しい。それくらい願ってもバチは当た
らない筈だ。
 そう……信じたかった。
「……。念の為ですが、このことを当の本人達には?」
「いいえ。今の段階で知ってるのはこの場にいる皆さんとクラウスさん、リュカちゃんだけ
です。息子達が訊いてくるのは……もう、時間の問題なのでしょうけど」
 ハロルドが確認の為にそう問う。シノブは小さく首を振りつつも、覚悟を決めているよう
だった。だからこそ、先ずは“外堀”から埋めようと考えたのだろう。
 しんと、一同が黙り込む。
(────……そん、な)
 胸の動悸が止まらなかった。アルスはぎゅっと胸元を片手で押さえながら、そのやり取り
の全容を確かに記憶に焼き付けていた。
 母さんがトナンの皇女さま。という事は、僕と兄さんは──皇子さま?
 兄の刀についての真相も驚いたが、アルス自身はそれよりも自分達兄弟の出自に大きな衝
撃を隠せないでいた。
(ど、どどど、どうしょう!? こんなこと、兄さんにどうやって──)
「何やってんだ、アルス?」
「ひゃああァっ!?」
 このまま居たらマズい。
 だがそう思って動揺で震える身体を引き摺ってその場を去ろうとしたその瞬間、不意にぽ
すんと肩を叩かれ、アルスは思わず情けない悲鳴を上げてしまう。
「お、おい。大丈夫か? 俺だよ、俺」
「あ……。に、兄さん……? どうして」
「? 別になんてこたぁねぇよ。変に目が覚めちまったから、一回外の風にでも当たりに行
こうかと思ってさ。そしたらお前らがふらふら歩いていくのが見えたからよ。……つーか、
何だかお前“薄く”なってねぇか?」
 怪訝に眉根を寄せて、ジークは寝間着の上にいつもの上着を羽織った格好で二刀を腰に差
していた(おそらくは一介の剣士としての習慣でそうしていたのだろう)。
 だが、今はそれ所ではない。
「……その声、ジークにアルスか?」
 やはりバレていた。リンファがドアの向こうから緊迫した声で問い掛ける声が聞こえる。
「リンさん? 何でこんな時間に……」
「あ。に、兄さん! ちょ、ちょっと待っ」
 兄が頭に疑問符を浮かべてそのままドアを開けて入って行こうとする。
 アルスは慌ててそれを止めようとしたのだが、
『…………』
 目を見開いて一斉に自分達を見てくる面々の姿に晒され、時既に遅く。

「……」
 ジークは皆に囲まれるようにして、暫く難しそうに黙り込んでいた。
 無理もない。何の気なしに夜中に起きてきて、突然自分達兄弟の出生諸々の秘密を聞かさ
れたのだ。
(兄さんはどんな反応をするんだろう……)
 見咎められてしまい断氣を解いたアルスは、同じく顕現し直して傍らで漂っているエトナ
と共にそうじっとそんな兄の横顔をおずおずと窺っている。
「ん~……。そっか」
(割とあっさりだー!?)
 しかし当のジークは一見すると淡々とした言葉を漏らしていた。
 弟の内心のツッコミなど露知らず、彼はポリポリと寝癖のついた髪を掻きながら腰に下げ
た刀を一瞥して言う。
「俺やアルスが皇子で、国宝の刀なゴコーリッカねぇ……。すまん、正直いきなり過ぎて頭
が追いついてねぇや。……もしかしたら目的が果たせてホッとしてるのかもしれねぇけど」
「ジーク……」
「ったく、リンさんも団長も水臭ぇよ。知ってるなら言ってくれればいいのにさ」
「す、すみません。ですがこれはお二人の事を考えての──」
「だからさ。今更になってリンさんも敬語使わなくってもいいですって。そりゃあ血筋はそ
うでも、いきなり皇子だとか言われても自覚ねぇし。……それ以前に俺は俺だし、アルスは
アルスだし、母さんは母さんだ。必要以上に硬くなることなんてないでしょう?」
 リンファが、シノブが、アルスが、皆が唖然としていた。
 一番今回の一連の謎について悩んでいていただろうジークのその言葉に、思わず返す言の
葉を失う面々。
(……でも、兄さんらしいと言えば兄さんらしいのかな……)
 それでもと。アルスはふっと何だか可笑しくなった。
 良い意味でも悪い意味でも、彼は自然体なのだ。自分は皇族だと言われて狼狽してしまっ
たけれど、兄はそんな事実を告げられても「肩書き」には興味がないのだろう。
 だからむしろここに至るまでの懸案が解決した、その安堵感の方が強いのだと思われる。
 尤も、この真実に緊張した皆を解すという意図があったのかもしれないが……。
「そうか……」
 リンファはふっと苦笑してシノブ──忠誠を誓う主と顔を見合わせていた。
 そして向き直りつつ零れる「ありがとう」の言葉。
 しかし、その視線はふとジークの腰へと向かって……。
「ところで。ジーク、護皇六華の残りは……?」
「え? ああ、何となく起きて来ただけだからこの二本だけだけど──」
 そんな時だった。急に村全体にけたたましい鐘の音が鳴り響き始めたのは。
 ジーク達はハッとなってその音の方向、外へと一斉に視線を向ける。
「これって……」
「村の警報だよ。一体、何があったんだ……?」
 にわかに夜闇の中の村が騒ぎ始めていた。
 ジーク達も、何事かとその場を移動しようとする。
「──ッ!? 待て、ジーク」
 だが、その時リンファが何かに気付いた。眉を顰め、慌てて声を張り上げる。
「結社(やつら)だ! 部屋に戻れ! 六華が危ない!」


「私達は二人の部屋へ行くわ。ダン達は村の皆さんをお願い!」
「分かった! 気を付けろよ!」
 廊下を駆け出し、ジーク達は二手に分かれた。
 イセルナ、そしてシノブに寄り添うリンファと共に、部屋の残り四本の護皇六華の下へ。
 一方ダンとハロルド、シフォンの三人は、今頃警鐘で慌てふためているであろう村人らの
避難誘導へと向かっていく。
(くそっ、しくじった……!)
 走りながら、ジークは奥歯を噛み締めながらそう内心で後悔していた。
 帰郷を果たして何処かホッとしていた、列車への襲撃で一区切りという油断があったのか
もしれない。いくら愛刀達──護皇六華の正体を知らなかったとはいえ、お粗末だ。
 程なくして弾くようにジークが部屋のドアを開け放った。
 するとそこには、リンファが半ば勘付いたように抱いた懸念をそっくり再現したかのよう
に黒衣の一団──“結社”のオートマタ兵らが蠢いていた。ギョロッと。夜の暗がりの中で
真っ赤な複数の眼がこちらを見ていた。
 丸く切り抜かれ、そこから鍵を開けたと見られる分解された窓ガラス。
 捜索かはたまた犯行の顕示の為か、念入りに荒らされた室内。
 そして彼らの手には、三本の脇差と黒の太刀、残り四本の護皇六華。 
「こん、のぉッ!!」
 お互いの視線があったとほぼ同時に、ジークはだんと地面を蹴っていた。
 腰に下げていた刀を一本抜き放ちながら、ジークはその力任せの一閃を一群として固まっ
ていた傀儡兵らに叩き込む。
 夜闇の中で、生々しい斬撃のめり込む音がした。
 倒される何人かの傀儡兵。その中の一体、脇差の一本を持っていた手が斬り飛ばされ、宙
に舞うのをジークは見逃さなかった。
「先ずは……一本!」
 空中でもぎ取るようにそれを回収して腰に差すと、返した刃で二撃目を。
 だが傀儡兵らは既に退却の体勢に移っていた。一瞬暗がりの黒色を衝くような銀閃が走る
その寸前に、彼らは背後の窓を突き破って外へと逃げてゆく。
「ちぃっ! 待ちやがれ!」
 考える暇もなくジークはその後を追った。
 砕けたガラス片にも構うことなく同じく窓を乗り越え飛び出し──。
「ッ!?」
 迎えたのは、先程よりも遥かに多い傀儡兵の眼。ぐるりと注がれる気配。
「しまっ……!」
 こう来るだろうと待ち伏せられていたのだ。
 地面に着地すると同時に、ジークは顔を引き攣らせて刃を盾にしようとする。
 だが、待ち伏せの一斉攻撃は現実にはならなかった。次の瞬間、周囲の草木が無数の鞭の
ようになってしなり、傀儡兵らの一部を薙ぎ倒したからだ。
「兄さん、大丈夫!?」「もうっ、カッとなり過ぎ!」
「……すまん。助かった」
 アルスとエトナのフォロー。
 二人がよいしょと窓枠を乗り越えて隣に立つのを横目に見ながらジークは呟き、血が上り
掛けた頭の中をクールダウンする。
 次いでイセルナとリンファ、シノブがその後に続いてくる。
「リンさん。母さんを頼みます」
「ああ。分かっている」
 母が長太刀を抜いた彼女に護られているのを肩越しに確認してから、ジーク達は構えた。
 奪った三本を手に駆けていく突入班だったらしき先程の傀儡兵。その追跡を阻むようにし
て待ち伏せていた他の傀儡兵らの隊伍がジーク達の前に立ちはだかる。
「時間稼ぎのつもりね。ジーク、ここは私が引き受けるから急ぎなさい」
「うッス」
 言って隣に立ったイセルナが剣を抜いて片手を水平にかざすと、ブルートが蒼い輝きと共
に彼女のマナと同化する。飛翔態。始めから全力で叩く意思表示だ。
 二人は殆ど同時に地面を蹴っていた。わらわらと飛び掛ってくる傀儡兵らを冷気を纏う剣
撃と錬氣で揺らめく銀閃が薙ぎ払っていく。
 だが相手の数の上でジーク達には分が悪かった。加えて多少の傷ではひるみすらしない戦
う人形とくる。
 懸命に剣を振るものの、次から次へと湧く傀儡兵らを前に中々道が開けない。
「くそっ! このままじゃ逃げられるっ……!」
「ジーク、イセルナ、伏せて!」
「盟約の下、我に示せ──大樹の腕(ガイアブランチ)!」
 するとその状況を見てアルスが援護をくれた。
 エトナが叫んだその声に半ば反射的に応じ、身を低くする。すると次の瞬間、周囲の草木
を編み込んだ巨大な緑の鞭が目前の傀儡兵(にくへき)を吹き飛ばす。
「兄さん早く!」
「おうっ、サンキュー!」
 殲滅こそはしてないが、しっかりと隙が、道ができた。
 そんな、母を庇いつつも自分を促しアシストしてくれた弟に、ジークは返礼を投げながら
駆け出そうとする。だが……。
「させるかよォ!!」
「──ッ!?」
 突如として頭上から荒々しい声が響いた。
 そしてぞわっと全身が伝えたのは、警告のそれで。
 ジークは反射的に駆け出そうとした脚に急ブレーキを掛けて身を捩って横へと飛ぶ。
 すると直後、その場所をどす黒い靄(オーラ)を纏った大きな何がその地面へと激突し、
激しい爆音を上げた。
 地面は勿論、場の傀儡兵すら巻き込んで爆ぜ飛ぶ地面。
「っう……。な、何だよ一体? それに、この靄って……」
「ええ。瘴気ね……」
 濛々と上がる土埃を前にジーク達は手で口を覆い、思わず立ち尽くす。
「──やれやれ。君はいつも荒っぽいね。もう少し洗練された戦い方をしなよ」
「あ~も~! バトちゃん駄目だよ~。お人形さん達が壊れちゃうじゃな~い!」
 すると、そんな土埃の向こう側から声が聞こえてきた。
 ジーク達がハッと我に返って目を凝らす。やがて先程の衝突体──巨躯のそれを合わせて
三人分の人影が、ゆたりと揃い踏みとなって姿を現す。
「うっせぇな。大体こんなまどろっこしい真似なんぞせずとも俺らが早々にぶっ潰しとけば
こんな手間にならずに済んだっての」
 一人は隆々とした体格をした、現在進行中で荒っぽい口調を吐いている大男。
「スマートじゃないじゃないか。事を万全に運ぶ為の配下(コマ)達だろう?」
「あ~あ。お人形さん壊れてる……」
 対するのは、青紫のマントを纏ったいかにも気障な感じの青年と継ぎ接ぎだらけのパペッ
トを抱えた幼い少女だった。
 大男と青年がそれぞれに言い争っている(?)その場で、少女は先の衝突で大きく損傷し
て動かなくなった傀儡兵らをちょんちょんと突付きしょぼくれている。
「……てめぇらは」
 もう一本、残った腰の太刀を抜いて構え、ジークが口を開いた。
 するとやり取りをしていた青年がその声に振り向き、フッと口元に無駄に爽やかで気障な
微笑みを返してくる。
「やあ。お母様との対面は終わったかな? 中々感動的な話じゃないか。うん」
「……かもな。でも最悪だぜ。どこぞのキザ野郎どものおかげで台無しになったんでな」
 言動こそ丁寧なように見えた。
 だがジークは、そんな彼に殆ど直感に近い判断でその皮肉に言い返して睨み付ける。
 村を襲ったこともある。だがそんな事云々以前に──こいつらは、敵だ。
 フッと、また青年は大仰にすくめてみせながら哂っていた。青紫のマント、腰に下がった
長剣がガサッと揺れる。
「おやおや。さて、誰の所為かなぁ? 君が素直にその剣を──護皇六華をこちらに渡して
さえくれれば僕らもこんなに色々と手を打たなくともよかったんだよ? 全部君の所為だ。
金髪と桃髪の二人連れも、オートマタ兵達も、魔獣の身になってまで君達を討とうとした信
徒ダニエルも。全て君が拒んだから……巻き込まれ、死んだ」
「ッ……!」
 正直ガツンと腸を打ちのめす一言だった。
 思わずジークは悪寒と共に顔を引き攣らせ、言葉を詰まらせる。
「違う! 兄さんの所為じゃない!」
 だがそんな兄の動揺を逸早く察した救いの言葉が、アルスから放たれていた。
「元凶はお前達じゃないか、楽園(エデン)の眼! 兄さんの所為なんかじゃ断じてない。
兄さんは、兄さんは……ッ!」
 ぐらりと揺らいだ瞳で見返してくる兄の姿すら顧みることなく、ただ強い意志──誰より
も優しく悔やみ続けた身だからこその反論をぶつけている。
「アルス……」
 普段大人しい筈のアルスが、こうも激しく憤っているなんて……。
 その様に当のジークはむしろ冷静さを取り戻せていた。
 確かに事の元凶は目の前の──傀儡兵を率いている事からも十中八九“結社”の連中であ
るのだろう。
 でもな? それでもお前の言うほど“俺が何も悪くない”ってことも、ないんだぜ……。
 既に飛翔態の冷気の翼を展開しているイセルナの横で、ジークは再び二刀を構える。
「ふむ? では、この期に及んで要求を呑むつもりはない……と」
「当たり前だ。こいつらのルーツを知った手前、おいそれと渡せるかよ。てめぇらこそ残り
三本を返しやがれ。それは……母さん達の刀だ!」
 シノブはハッと目を見開き、そして瞳を潤ませて胸を掻き抱いていた。
 さもなくば。それはジーク達の拒絶であり、臨戦の意思表示。
「……やれやれ」
 だが、青年はむしろその意思を軽々と一笑に付していた。
 一歩前へ。マントをばさりと翻し、
「仕方ないね。エクリレーヌ」
「は~い」
 ぴっと立てた人差し指と共に、傍らの少女・エクリレーヌに一見軽々しい指示を与える。
「やっちゃえ! ポチ、ミケ!」
 しかしその実行は、彼らのやり取りの軽さとはまるで反比例していたものと言わざるを得
なかった。彼女がまるでペットに語り掛けるようなそんなノリで言葉を発したかと思うと、
その左右からどす黒い魔法陣を伴って現れたのは巨大な狼と虎型の魔獣が一体ずつ。
「どっか~ん!」
 開かれ、膨大なエネルギーが魔獣らの口に収束したかと思うと、次の瞬間、二体の口から
青と赤の巨大なエネルギー弾がジーク達の頭上を掠めて飛んでいったのだ。
 直後、爆音を上げて村の家屋が吹き飛ぶ光景が現実になる。
 そのいきなりの、あまりにも──バシリスクの時とは桁違いの破壊力に、ジーク達は思わ
ず目を丸くして硬直する他なかった。
「安心していいよ。これはまだ軽く試し撃ちをさせただけだから」
「……ッ。てめぇ……!」
 そんな夜闇に点った火の手を、青年は実に爽やかな笑顔のままで眺めていた。
「でも次はないよ? いいのかなぁ? 拒んだら……消すよ? こんな村くらい、簡単に」
 振り返り直し睨み付けてくるジーク達にすら、そんな笑顔を崩さない。
 エクリレーヌが、呼び出した魔獣を従えて次弾に備えている。
 何処からともなく新しく傀儡兵らが夜闇に紛れて現れ、再び青年ら三人の前に隊伍を形成
し始める。
 悪意。全身に嫌な鳥肌が立つほどの悪意だった。
 下手に応えることも、飛び掛っていくこともできず、ジーク達は得物を構えたままじっと
睨み付け、押し黙る。
 そんな時だった。
「──這寄の岩槍(アースグレイブ)!」
 そんな声がしたかと思うと、突然ジーク達の足元を縫うようにボコボコと地面が隆起し、
勢いよく突き出した無数の槍型が傀儡兵らを貫き刺したのである。
 一瞬の、スローモーション。
 貫かれ弾き飛ばされる傀儡兵らが宙に舞う、青年らの立つそこへ今度はマナを帯びた矢と
手斧が飛んでくる。
「はんッ!」
 だが青年らは、まるでこの奇襲に動じた様子はなかった。
 それまで退屈そうに木の幹に背を預けていた大男が、その体躯に見合わぬ俊敏な動きで反
応したかと思うと回転して飛んでくる手斧、刃を。
「ぬるいッ!!」
 隆々とした筋肉の腕、拳の一撃だけで粉微塵に、確実に捉えて粉砕する。
「だねぇ……」
 そして、青年もゆたりと一歩を踏み込むと。
「閃光矢(おなじて)は、通じないよ?」
 大男とほぼ同時に近いタイミングで飛んできた強化された矢の紙一重の位置を歩き過ぎ、
そっとかざした手でその矢を丸ごと一瞬にして凍らせてしまったのだ。
 バラバラと木屑のように散っていく金属の手斧と、ゴトンと鈍い音を立てて地面に落ちる
分厚い氷に包まれてしまった矢。
「くそっ……。仕留め損ねたか」
「……ま、そう簡単にはいかねぇわな」
「だね。皆、大丈夫かい!?」
「あ、あぁ……。何とかな」
 振り返ると、背後から槍を弓を斧を、得物を構えたサフレらあの場にいなかった面子を含
めたダン達が駆けつけて来ていた。
 ジークは一瞬ホッとして声色を上げつつも、すぐに状況を思い直して尻すぼみになる。
「見てみろよ、フェイアン。結局こーなったろ? だから端っから俺らで殺っときゃよかっ
たんだってのに……」
「それは結果論だよ。戦いも、美しくなければ」
「はん。相変わらずのナルシストが」
 村の向こうで火の手が上がり続ける中。
 ダン達を加えて、ジーク達は改めて青年ら──いや“結社”の軍勢と対峙した。
「……。ねえ、どうして?」
 そんな中、最初に口を開いたのはレナの横でぎゅっとその袖を握っていたステラだった。
 怯えによる震えか、或いはもっと別の何かか。
 自身もまた、魔人(メア)の証である高揚時の血の赤の眼を隠すことなく訊ねる。
「あんた達だってメアなのに、どうしてこんな酷い事するの? もしかして、恨み……?」
 すると対する彼らは、同様に自ら目を赤くすると、その嘲笑を隠す事なく答えた。
「恨みだぁ? お前バカか。何で今更そんな小せぇ事で暴れなきゃいけねぇんだよ」
「私はただ、魔獣(みんな)をお外でもっと自由に遊ばせてあげたいだけだよ……?」
「ふむ? 一言で言えば信仰の為、ですかねぇ」
「……信仰。貴方がた楽園(エデン)の眼の言う『世界を在るべき姿に戻す』、ですか」
 眼鏡のブリッジを押さえ、レンズ越しの眼を静かに光らせながらハロルドが呟いた。
 ぴくとその言葉に反応している、矢を番え、構えていたシフォン。
 それでも気障な青年、フェイアンはあくまで飄々とした態度を崩さない。
「正直答える義理はないんだけど……。まぁ全体の大願はそうだよ? 僕ら個々人の理由は
ともかくね」
「ハロルド、対話なんざやってる場合じゃねぇだろ。そんな次元の『敵』かよ」
「好戦的……と言いたい所だけど、今回ばかりは同意ね。……ジーク達は下がっていてね。 
相手が魔人(メア)なら、生半可な力じゃ太刀打ちできないわ」
「でもっ!」
「目的が違っているわよ? 冷静になりなさい。今貴方がすべきことは、六華の奪還よ」
 ジークは食い下がろうとしたが、背中で静かに語るイセルナの言葉に二の句を継げること
はできなかった。
 その左右を、冷気の翼を纏った飛翔態のイセルナと戦斧を担いだダンが通り過ぎてゆく。
「バトナス。君はあっちの獣人を。レディのお相手は僕の役目だ」
「だろうと思ったよ。おいエク、お前は手ぇ出すなよ?」
「おっけ~♪」
 イセルナと青年・フェイアン、ダンと大男・バトナスがそれぞれ向き合う格好となった。
 ジーク達が、エクリレーヌや傀儡兵らがじっと見守る中、
『──……!』
 はたと、両者が同時に地面を蹴って初撃を放つ。
 瞬間、力の奔流が周囲を揺るがした。ビリビリと感じられる闘気。
 確かにそれはジーク達が安易に踏み入れては即、死に繋がるようなレベルに思えて──。
「ほほう?」「ふん……」
 だが様子のおかしさに、ジーク達はすぐに気付いてしまった。
 イセルナの飛翔態を以っての全力攻撃も、ダンの錬氣を滾らせた渾身の一閃も、このメア
の二人はあっさりと受け止めていたのだから。
「おいおい。その程度かよ? 本当に本気出してるかぁ?」
「ふふ。気高く、美しい……。ですが、僕には効きませんね」
 ダンの斧を素手で受け止めていたバトナスの腕からどす黒いオーラが。
 イセルナの剣を、冷気の渦を平然と受け止めているフェイアンの背中から。
「ぬるいんだよッ!!」「ほら」
 次の瞬間、ジーク達は、そして当のイセルナとダンも勿論、驚きに目を見開いていた。
 バトナスの片腕は禍々しい異形のそれに変貌し、フェイアンの背からは八体の巨大な冷気
の蛇が現れ、一挙に二人を押し始める。
「ダン! イセルナ!」
「拙いぞ。退けっ!」
 ハロルドやシフォン、そして融合していたブルートらが口を揃えて叫んでいた。
 そしてそれとほぼ同時、ダンは戦斧ごとその禍々しい──いや魔獣そのものな剛腕の拳を
受け、イセルナは逆にフェイアンの冷気の八頭蛇(オロチ)に侵食されかけ、共に大きく吹
き飛ばされ、後退する。
「がっ……ぁ!?」「ぐぅ……!」
 悲鳴に近い。
 ジーク達が口々に叫んでいた。特にダンの実娘たるミアと長く彼女と秘密を共にしてきた
リンファはより悲痛な叫びを上げている。
「嘘、だろ……?」
 ほんの一度の切り結びであったのに。
「団長と副団長が、押し負けた……?」
 その力量差は誰もが見ても明らかとしてしまっていて。
 ダンもイセルナも、お互いに仲間達に駆け寄られ介抱されつつも、大きなダメージを負い
肩で息を荒げて只々その事実に愕然とすることしかできない。
「何だよ。弱ぇなあ」
「ま、元から負けるつもりなんてないんだけどね」
 バトナスとフェイアンはそう呟くと、やれやれと言わんばかりに悪態をつき、肩をすくめ
てジーク達を哂っていた。
「……まさか、魔獣人(キメラ)もいるなんてな」
 そんな彼らを眉根を寄せながら、ダンがそう小さく呟いている。
 魔人(メア)の中でも特に魔獣に近しい性質を持つ者。それが魔獣人(キメラ)だ。
 彼らはバトナスのように魔獣そのものに変じる、圧倒的なパワーを持つが……その力の大
きさの反面“狂気”に蝕まれ易い。
「おうよ。だが結社(ここ)のお蔭で存分殺れる。そういう意味じゃ、復讐なのかもなあ」
「……ッ!」
 その顔は血を見るのが好きで好きで仕方ないといった、戦うことへの狂気に他ならず。
 原理的には“同じ”である筈のステラは、思わず戦慄の表情で震え出す。
「さて……と。これで状況は分かって貰えたかな? 君に、拒否権はないんだよ?」
 そしてフェイアンはそう言い、今一度問うてきた。
 それは間違いなくジークに、彼のその残り三本を寄越せという趣旨で。
「……」
 ジークは二刀を握ったまま黙した。
 譲るつもりは、ない。だがこのままでは間違いなく村が奴らに焼き尽くされるだろう。
(どうする? 団長達でも勝てない相手を、どうやって……)
 答えが決まっている筈の、迷い。
 つぅっとその頬に冷や汗が伝って落ちようとした。
 ──その時だった。
「盟約の下、我に示せ──伏さす風威(ダウンバースト)」
 明瞭な声と共に紡がれたのは、一つの詠唱。
 すると次の瞬間、ドンッとジーク達の目の前の空気が咆えた。
 まるで目に見えぬ巨大な誰かが空間ごとその場を押し潰したような、そんな吹き下ろされ
た猛烈な風圧。その一撃に、傀儡兵らが一人残らず巻き込まれるのが見える。
 更に、第二撃が間髪を入れず“飛んできた”。
 風が咆えたと形容するなら、これもまた、咆える衝撃だと言ってもいいのかもしれない。
 そんな衝撃波が続いて傀儡兵らを、フェイアンらを巻き込んで辺りの地面を丸ごと削ぎ取
るように蹂躙していったのだ。
「…………。ぇっ?」
 目の前で起きた突然の光景に、そんな少々間の抜けた声しか絞り出せなかったジークとそ
の仲間達。
「大丈夫ですか、皆さん?」
 しかし次の瞬間、土煙の向こう側から聞こえ、現れた姿にジーク達は心底安堵する思いに
駆られることになる。
「リュカ先生!」
「せ、師匠(せんせい)……!?」
 突然の攻撃が放たれたその線上の基点。
 そこから歩いてきたのは、他ならぬクラウスとリュカの父娘(おやこ)だった。
 クラウスは軽い武具に身を包み、身の丈はあろう大剣を片手に。リュカはいつもの村の女
性といった趣から、高潔な魔導師といった白と空色のローブをまとって。
 驚きの声で、ジーク達はそんな援軍な二人を迎える。
 そして面々はそこでようやく、先程の攻撃がこの二人の魔導と剣圧だと悟ったのだった。
「……やれやれ」
 しかし、肝心の敵は生きていた。
 ジーク達が振り返ると、そこには分厚いガラスのような球体──いや、これも間違いなく
障壁なのだろう。それもとんでもなく練り込んだ──の中に守られるように包まれ、平然と
しているフェイアンら三人(と先の大型魔獣二体)の姿があった。
「驚きました。なるほど、斥候役の人形達が帰って来なかったのは貴方の仕業だったという
わけですか……。元・七星(しちせい)、竜帝クラウス」
 静かに消えていく障壁から足を踏み出しつつ、フェイアンがそっと目を細めて言う。
 バトナスはポキポキと両拳を鳴らし、エクリレーヌは使役する魔獣二体に無邪気な笑顔を
向けてさえいる。
「し、七星!? 師匠が? そんなの初めて聞──」
「……昔の話だ。今はただの隠居老人に過ぎん」
「ご冗談を。軽々と大剣を振り回せるようなご隠居なんていないでしょうに」
 ジークやアルスが驚愕の表情であたふたとしている中でも、フェイアンとクラウスは淡々
とやり取りを交わしていた。
 それでも心なしか、フェイアンの表情は先程よりもほんの少しばかり焦りや思案といった
感情が出てきているようにも思える。
 だがそんな悠長な会話など要らないと言わんばかりに、クラウスは剣の切っ先を向けた。
「……即刻この村から去れ。そして二度と立ち入るな。さもなくば、問答無用で斬る」
「はんっ。隠居爺がヒーロー面か? いいぜ、その顔の傷、倍にして」
「待つんだ、バトナス」
 それを挑発と受け取ったのか、ずいっと戦おうと前に出るバトナスを、フェイアンは即座
に制していた。
 隠すつもりもなく不満げに苛立ちの表情を見せるバトナス。だが当のフェイアンはあくま
で冷静さを失わず、彼を窘めるが如く言う。
「今回は退くとしよう。“竜帝”と戦うのが僕らの目的じゃないだろう?」
「そりゃあそうだが……。でもよぉ」
「まぁ後の障害になるなら消してもいいけど、その労力に見合う成果かなとね。何せ相手は
引退している身とはいえ“七星”クラス。そう易々と倒れる相手じゃない」
 それに……と、フェイアンは続けた。
 ちらと横目の視線を寄越した先では傀儡兵がものの見事に全滅し、そんな粉微塵になって
再生も不可能になった彼らをつんつんと突付いているエクリレーヌの姿がある。
「連れて来た人形達もすっかりこの通りだ。いくら何度でも替えが効くとはいえ、無駄に浪
費しながら戦うというのは割に合わないし僕のポリシーに反する」
「けっ。またその手の話かよ。ま、倒すに多少骨の折れる相手なのは認めるがな……」
 クラウスはまだ剣の切っ先を向けて静かに睨みを利かせ続けている。ジーク達も揃って身
構え、徹底的に抗う意思を曲げていない。
「……チッ。どいつもこいつも」
 バトナスは眉を顰めて悪態よろしく舌打ちをした。
「でもいいのかよ? 三本まだ残ってるぞ?」
「仕方ないさ。ここでまた0本にさせられるよりはマシだろう? それに、残りはまた機会
を作れてしまばいいだけの事……」
 言って、フェイアンが舐めるようにジークを見遣った。
 勿論ジークも皆も渡すつもりなどなかった。握り締めた二刀を、辛うじて取り戻した脇差
をもう二度と離さないようにぎゅっと力強く握り締める。
「……今日の所は退散致しましょう。でも僕らはまた訪れます。ジーク・レノヴィン。全て
は君の英断に掛かっている。……その剣は、本来君達が持つべきものではないのだから」
 バサリとマントと翻してそう言い残すフェイアン達。その言動と直後の行動に、ジーク達
やクラウスが追い縋ろうとした。
 だが次の瞬間、フェイアン達をどす黒いオーラが包み込む。
 瘴気だった。反射的にジーク達は駆け出そうとした足を止め、それらを吸い込まないよう
に口元を押さえて飛び退かざるを得ない。
「──それではごきげんよう。愚かなる邁進者の諸君」
 そして、集束する瘴気の渦と共に瞬く間に消えたフェイアン──“結社”らの痕跡。
 辺りは急にしんとなった。ただ村の奥で上がっている火の手の音だけが聞こえてくる。
 目の前には交戦でことごとく抉り取られた地面が広がっている。
「……った」
「? 兄、さん……?」
「盗られちまった。母さん達の、刀が……」
『…………』
 ぐらりとその場に崩れ落ちて悔しさに声を漏らす兄と、そんな吐露に返す言葉さえ見つけ
られない弟や仲間達と。
 蹂躙と、嘲笑の跡。
 告白の夜は、そんな圧倒的な闖入者らによってズタズタにされてしまっていて。

「──本当に行くのね?」
 それから数日、ジーク達は滞在予定を延長し村の修復の手伝いに奔走した。
 家屋の損害は決して少なくなかったが、犠牲者が一人も出なかったのは何よりもクラウス
とリュカが逸早く“結社”の軍勢に気付いて村の皆を避難させていたお蔭に他ならない。
 そして事件の大きさ故に、村人達に真実を隠す事はできなかった。
 意を決してシノブ──シノ・スメラギらによって告白される彼女達の出自や、それが故に
息子達が“結社”に狙われていることを諸々と。
 だが……村人達はそれを理由に彼女らを爪弾きにすることはしなかった。
 当然だったのかもしれない。ずっと秘密を隠されていたショックも、他ならぬ彼女自身の
口から打ち明けられ、且つ自分達を必死になって助け出してさえくれた。
 何よりも、二十年近く村唯一の医師として自分達の身も心も癒し続けてくれた彼女に、今
更倦厭の念を抱く者は誰一人としていなかったのである。
「ああ……。皆と話し合って決めたことだからな」
 一通り村の修復が済んだ、その翌朝。
 ジーク達はアウツベルツへの帰途に就こうとしていた。
 村の入口に立つ一行を、シノブを始めとした村の面々が見送りに来てくれている。
「……奴らから、六華を取り戻す。あれは母さん達が守ってきたものだ。それに俺が油断し
ていた所為でもあるしな。このままやられっ放しで済ませる気は毛頭ねぇよ」
 六本から三本になってしまった愛刀らをそっと撫でつつ、ジークは言った。
 仲間達と共に決めたこと。それは護皇六華の奪還──即ち“結社”との全面対決。
 その意思までを否定するつもりはないし、できないだろう。
 それでもやはり。母は心配そうな様子で息子達を見遣っている。
「でも、一体どうやって……」
「簡単なこった。皇国(トナン)に行く。元々はあそこの国宝だったんだろ? 連中が六華
を狙う理由がイマイチ分からない以上、一番六華に近い場所の筈だ」
「それに……僕達にとっては血筋の故郷(ふるさと)でもあるからね」
 でも。そう呟くかのようにシノブはぱくと口を開けて閉じ、一度静かに目を瞑った。
 決意は昨夜までの内に聞かされた。それでも今も躊躇いは残る。元はと言えば、自分があ
の日々から逃げ続けてきた所為だというのに……。
「……分かったわ。でも、絶対無茶はしないで」
 そっと瞼を開いて、シノブは言った。
 頷く息子達。二人を護るように囲むクランの面々。彼らに彼女は深々と頭を下げる。
「リン、イセルナさん、クランの皆さん。どうか息子達を……よろしくお願いします」
「勿論ですわ。責任を以って、お預かりします」
「ま、皇子云々以前にジークもアルスも俺達の仲間だからよ。言われずともって奴でさぁ」
「……頭を上げてください。御安心を。私もこの一命を賭して御守り致します」
 そして兄弟を爪弾きにしないと決めたのは、何も村人達だけではなくて。
 慈愛、同朋意識、友情、或いは思慕や忠誠のそれ。
 仲間達のそれぞれの快諾に、ジークとアルスは言葉少なく気恥ずかしそうにしている。
「……。そろそろ行こうぜ? このままじゃあ、頭を下げ合い続けるみたいで敵わねぇや」
 わざとらしく視線を逸らしつつのそんな一言。
 それが、一行の出立の合図となった。
「気を付けてね~!」
「……常に冷静でいろ。お前達の命は、もうお前達だけのものではない」
 シノブやクラウス、村の皆が見送る中、ジーク達は一歩また一歩と村の敷地の外へと踏み
出し、来た道を戻っていく。時折振り返って皆に振り返りつつ、久方ぶりの、しかし非常に
濃い帰省──その故郷の全てに惜別の手を振る。
(待ってろよ……。絶対に、取り戻してやるからな……)
 半分を奪われ、その物足りなさや寂しさを奮起に変えながらジークは決意を新たにする。
 横目で見遣ってみた弟とその持ち霊も、同伴する仲間達も想いは同じ。皆コクリと小さく
頷き返しくれる。

 一つの旅が終わりを告げ、一つの旅が始まろうとしている。
 道をゆくジーク達を、静かな朝の光が照らしていた。

                        《梟響の街(アウルベルツ) 編:了》

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  1. 2011/11/22(火) 20:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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