日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅶ〔89〕

 時は一旦、更に遡る。
 顕界(ミドガルド)西方、王都グランヴァールの地下深くに、人知れず広がる監獄。
 光さえ届かない冷たい石室の奥に、グノアは変わらず囚われていた。封印術式の魔法陣や
両手足の枷、そしてその身を縛り付ける全身の鉄杭。幾度となく血を流し、再生を繰り返し
た傷は薄汚れた痕となり、やつれて力なく項垂れたままな彼の姿を一層凄惨に見せている。
「……」
 それでも尚、息があるのは魔人(メア)の不死性故か、或いは結社(そしき)への忠誠心
なのか。
 グノアは、連日のようにヴァルドー軍からの取り調べ──もとい拷問を受けていた。
 国を裏切って“結社”につき、この二年その内情を知る人物となったが故に、ヴァルドー
側としては少しでもそういった情報を引き出したかったのだろう。
 しかし彼は、散々に痛めつけられても尚、決して口を割らなかった。それは頑なと言って
いいレベルの気迫であり、強烈な王国側への敵愾心であった。拷問は日に日にエスカレート
していったが、現場の兵士達はその実「これは駄目だ」と感じていたという。
 尤も……事実として口を割らなかったことと、心身が磨耗しないなどということは必ずし
も共存しない。グノアは殆ど“結社”への縋りつく信仰でもって踏み止まっていた。肉体は
勿論、その精神は内心、エスカレートする拷問と経過する日数と共に壊れてしまう寸前まで
追い詰められていたのだから。
(……あの時、彼らは誰も私を助けなかった。私は、やはり見捨てられたのか……?)
 鉄杭と枷に繋がれたまま、ぼうっとグノアは考えている。繰り返し、徐々に膨らんできた
自身の疑心と闘っている。
 この国へのクーデター作戦、ファルケン王打倒に動いた際、他の使徒らは王の伏兵達に形
勢をひっくり返された自分に一切手を差し伸べなかった。
 まるで、何処かで失敗する(こうなる)と予想していたかのような。かの王を亡き者にす
ることは即ち今回の目的に適うが、失敗したのならそれはそれで仕方ないとでも言わんばか
りに距離を取ったままで。
(何故だ……。何故私が、こんな目に遭わなければならない……?)
 奴らは思い知るべきなのだ。“正義”は我々の側にある。あの厖大な真実を前にすれば、
人一人国一つのエゴなど何とつまらないものか。奴らの拷問に耐えてきたのも、全てはあれ
が絶対の存在だと理解したからだ。ここで負ければ、自分はその為に捨ててきたものさえも
無駄にしてしまう。あれと出会うまでに通り過ぎてきた時間が、無意味になってしまう。
(何故だ……。私は“選ばれし者”ではなかったのか……?)
 身体の痛みはさして重要ではない。魔人(メア)の再生能力という意味ではなく、もっと
大事なことが在るという意味で。
 今、グノアの心を折りかけていたのは、頭をもたげてくる不信であった。自分がこんな目
に遭っているというのに、仲間達は一向に助けに来ない。任務を失敗した者に情けは掛けな
いということなのだろうか。……ならば、何故勧誘した? 半身半機の身体を与え、使徒の
一人に加えておきながら、何故使い捨てた? 忠義と疑心の間で揺れる。身体の痛みよりも
何よりそれが、彼の心と体をミシミシと引き裂かんとしていた。
「──?」
 ちょうど、そんな時である。ふとグノアの耳と視界の端に、ゆらりと一個の松明の灯りと
幾つかの足音が入った。
 見張りの交替のようだ。もうそんな時間か。ずっと時計もない暗がりの中で繋がれている
ものだから、時間の感覚すらあやふやになっている。もう何十回目だろう? 数える余裕も
意味も失った。また取り調べという名の拷問が始まるのだろうか? ……だが、そうじっと
気配を窺っていると、どうも様子がおかしい。交替した獄吏達がカツンカツンと、こちらへ
向かって歩いて来る。
「やあ。酷い目に遭ったな、使徒グノア」
 一見すると揃いの制服に身を包んだ獄吏達だ。リーダー格らしき男が他の者達を従えて牢
の前に立ち、悠然と何処か陰のある声色で呼び掛けてくる。
 何だ……? グノアはゆっくりと顔を上げた。相手の人相は、深めに被った軍帽と暗がり
のせいでよく見えない。
「誰だ。ここの人間では……ないのか」
 絞り出した誰何は、疑問と憤りが半々に混じっている。態度とわざわざ自分を“使徒”と
呼んでくることからして、どうやらヴァルドー側の者でもないらしい。まさか助けが来たの
か? だとしても、遅過ぎる。今更どんな面を下げて鷹揚としていやがる。
「まあ、そう睨むな。七人の一人“黒の盟友”と名乗れば分かるだろう?」
「──ッ?!」
 故に、相手の名乗ったその一言に、グノアは戦慄した。いや、畏怖した。
 組織の中枢にいた者でなければ知らないその異名、統べる者達。“教主”と並ぶ、自分達
が仰ぎ見るべき存在……。
「貴方が……」
「ああ。“武帝”よりも私の方が、こういう仕事には適しているからな」
 目を見開いてグノアが呟いている。獄吏の制服に身を包んだ──変装したこの黒髪の男は
何の気なしにそう答えている。
 驚いたのはそういう意味ではないのだが……。ともあれ、同志である事には間違いない。
 尤も、この時期このタイミングで現れたということは、必ずしも助けに来たという訳では
なさそうだが。
「話は他でもない。面倒な事になった。元使徒ヘイトは知っているな?」
「ええ。奴は愚か者です。大命よりも私心に走った……」
「そうだ。ギルニロックでの一件から二年、奴は今、保守同盟(リストン)を掌握して自ら
の勢力を作り上げようとしている」
 黒髪の男は語り始めた。かつてその資格なしとして切り捨てられ、処分の手を逃れて行方
を眩ませた元使徒のその後。彼が今や、統務院でも自分達でもない第三の勢力を形作ろうと
していること。それが自分達“結社”にとっても、都合が悪いということ──。
「アトス方面の主犯が奴だということは、既に聞いているな? 癪だが、お前達の作戦を利
用して北方を──ひいては統務院全体を掌握しようとしていたらしい」
 グノアは静かに眉根を寄せていた。その話は、拷問の途中で何度か断片的に聞かされた情
報だ。彼らが自分から情報を引き出そうと躍起になっていたのは、そんな事情も加味されて
のことだったのだろう。
「アトモスファイ・ハーケンは死んだ。統務院は、その面子にかけて奴を許さないだろう。
事実奴が使った魔導具から、背後にいる協力者達をあぶり出そうとしている」
 曰く、近い内に全面戦争が始まると。
 黒髪の男は言った。ごく淡々と順を追い、グノアに向かって前置きを並べるように。
「──使徒グノア。お前に、最後の使命を与えよう」


 Tale-89.永遠よりもこの一時(いま)を

「ミア、サフレ。お前らこいつらを知ってるのか?」
 “常夜殿”地下礼拝堂前。
 突如として現れたガウルら以下“結社”の軍勢を前に、ダン達南回りチームの面々は対峙
していた。異変を聞きつけディモート兵を率いて合流したミザリー達と共に、堂内へ消えた
ステラを守るようにして、一同は回廊の前に立ち塞がっている。
「うん。魔都(ラグナオーツ)で船を探していた時に」
「暴走した奇骨獣達をぶっ飛ばした、張本人です」
「……なるほどな。そりゃあ強ぇ訳だ」
 ちらっと妙な反応をした娘達に問いかけ、返って来た答えにダンは得心する。相手がそう
だと知っていたらこんな事にはならなかっただろうが、あの時別行動を取っていたのは自分
の判断だ。何よりもし、魔人(やつら)と街中で戦っていたらならば、周囲の被害はより甚
大になっていた可能性が高い。
「使徒、か。大都(バベルロート)の時に集まってた連中以外にもいたんだな」
「ああ。基本的に彼らは、日頃それぞれの任務の為に各地に散っている。それは地上や地底
といった世界層の区分も例外ではない」
 グノーシュにクロムが答えている。仲間達は一様に油断なくこの敵達を見据えていた。
 ダンもそう軽口を叩きながら、戦斧をゆっくりと持ち上げる。じりじりっと練り上げてゆ
くオーラは炎を纏い、いつでも一撃を入れられる体勢だ。
「封印解除、ご苦労さん。お前らは用済みだ。退きな」
「ここに在るのは魔性の聖浄器──あの方々のお手を煩わせるまでもない」
『……?』
 あの方々? 一瞬、ダン達は眉根を寄せていた。嫌な予感がする。
 だがそんな思考も、今は余計だった。次の瞬間にはもう、ガウルがその拳で地面を激しく
打ちつけ、生じた衝撃波でもって自分達を取り囲んでいたディモート兵らを吹き飛ばしたの
だから。
「邪魔する奴は全部殺せ! 秘葬典(ムスペル)を奪還する!」
「させるかよ!」
「マーフィ殿らを援護せよ! 奴らを礼拝堂に近づけるな!」
 おおおおおッ!! はたして両者は回廊のど真ん中で激突した。黒衣のオートマタ兵や頭
一つ二つも飛び抜けた狂化霊装(ヴェルセーク)達とディモート兵、ダンの炎やグノーシュ
の雷が加速度的に入り乱れる。
「気ぃ抜くなよ! ステラが戻って来るまで耐えるんだ!」
「マルタ、強化よりも妨害を! 数は相手の方が多い!」
「は、はいっ!」
 仲間を信じて、従者に指示を飛ばして。
 気迫ならば負けぬとオートマタ兵達に切り込んでいく面々の中で、サフレも叫んだ。すぐ
にマルタも応えて円舞曲(ワルツ)を奏で──敵の身動きを妨害する。
「どっ、せいッ!」
「私の刀の、錆にして差し上げましょう」
 同時にミアは前衛に出てきたガウルと、サフレはイブキとぶつかる。薄暗いオーラを纏っ
た彼の拳と彼女の《盾》が火花を散らして押し合い、イブキの太刀がサフレの《矛》の射出
を受け止める。
「あまり目の前の敵に拘る必要はありませんよ。後ろは僕らがフォローしますから」
 更に後衛には、もう一人の使徒・フォウ。
 彼は先行するふたりに呼びかけながら、バッと両腕を左右に広げた。
 するとどうだろう。彼の練ったオーラはずずずと背後からスライドし、巨大な樹のように
姿を変えたではないか。幾つにも分かれて伸びた枝。そこからむくむくと、無数の果実が生
り始め、落ちた中身──濃縮されたオーラは、人型の皮を被って一体また一体をとダン達に
向かって蠢き始める。
「っ!? 何だこりゃあ?」
「使い魔、のようね」
「これがあいつの能力か。チッ……面倒な」
 雑兵ごと、ダンやグノーシュ、リュカの一閃や魔導がこれらを薙ぎ払う。
 だがその速さよりも、生み出されるオーラ人形の数の方が多かった。こちらが十・二十を
引き裂く間に、向こうは数十体という人形を生み落としてゆく。
「そう。これが僕の《樹》の色装──無限の兵力だよ」
 加えて一度は真っ二つにした人形達も、次々にその切れっ端から再生を始めたのだ。或い
は一旦粉々になって見えなくなった所から、再び人型を作りつつリスポーンする。
 ぐねぐねと身をくねらせながら皮を被り、地面に転がった武器を手に取る。
 ダン達やディモート兵らが必死にこれに応戦していくが、どんどん数が増えていく。気付
けばその数は黒衣のオートマタ兵達よりも多くなっていた。最初は取り囲み、勢いで呑み込
もうとさえしていたこちら側が、あっという間に劣勢に追い込まれてゆく。
「くそっ……! キリがねぇぞ!」
「ええ。彼本人を倒さない限り、どんどん人形が作られるみたい……」
「……ならば」
 黒いオートマタと、白灰のオーラの人形兵達。
 じりじりと、ダン達は徐々に勢いを押し戻されていた。何度も何度も炎や雷、剣閃や銃弾
が飛び交うが、そののそりとした進撃は止まらない。裏拳で一体の顔面を砕き、迫って来る
このフォウの能力をクロムが見つめる。
「破戒装・躙(りん)!」
 一瞬で半身を硬化能力と《鋼》で強化し、クロムはこの人形兵の群れに突っ込んだ。
 クロムの、自身の色装を最大限に活かした得意技。どうっと、地面を抉る勢いで蹴った体
当たりがこの群れを切り崩しにかかる。
『──』
 だがしかし、その勢いは途中で止められてしまったのだ。
 次々に吹き飛ばされて粉砕されていった人形達。だがそれ以上に増え続ける数、物量の力
をもってして、彼の渾身の一撃は食い止められてしまったのである。
「嘘……だろ?」
「あれを、止めた……?」
「……くっ」
「危ない危ない。でも、お互い手の内は知ってるんだ。……させないよ?」
 それは両陣営が交わる中心の戦い。
 一方でガウルとミア、イブキとサフレはより前線──礼拝堂に近い位置で激しく打ち合っ
ていた。拳同士の鈍い衝撃音がこだまし、或いは鋭い槍と太刀の剣戟が響き渡る。
 互いに一歩も退かぬ攻防。
 状況は一見すると、防衛する側に利があるようにも思えた。
「──ったく。硬えなあ」
「……」
 再三の拳のぶつかり合い。ミアの《盾》の防御力を前に、ガウルは一旦少し距離を取り直
していた。どうやら拳闘では埒が明かないらしい。相手であるミアは変わらず無言で、じっ
と両拳に《盾》のオーラ球を纏わせていたが、ガウルは「ふぅ……」と大きくわざとらしく
嘆息をついてみせる。
「しゃーねえ。こいつはあんまり使いたくなかったんだが……」
 するとどうだろう。彼がゆっくりとそのオーラを全身に向け直して数拍、ミアにはその姿
が二重にダブって見えたように思えたのだ。驚いたミアは慌てて目を擦ってみたが、やはり
目の前に立っているのは二人のガウル。……いや、内一体はオーラで作り出した偽物か。
「分身……」
「そういうこと。現出型《双》の色装──こいつが俺の能力だ」
 言って、二人になったガウルが攻めてくる。
 咄嗟にミアは防御の体勢を取った。打ち込まれた拳は、確かにどちらも実体を伴った威力
を伝える。唇を噛んで反撃に出るミアだったが、一方を狙えばもう一方からカウンターを貰
ってしまう。それに対応しようとすれば、またもう一方が狙ってくる──そもそも本体がど
ちらなのかは目視では判断がつかない。見氣で注意深く観察すれば判るが、そんな悠長な暇
を相手が与えてくれる筈もない。
 だからこそ、ミアは肉を切らせて骨を断つ事にした。見氣で本物を見極め、分身側からの
ダメージをある程度無視しつつ、本体の方のガウルに渾身の一発を叩き込んだのである。
「っ、と……。そう来たか。思い切りがいいのは好きだぜ。だが──」
 しかし次の瞬間だった。《盾》を乗せた一発で大きく後退ったガウルは、分身の方にサッ
と手をかざしてオーラを送る。するとどうだろう。それまでミアとの打ち合いで受けていた
全身の殴打痕が、綺麗さっぱり消えてゆくではないか。それに比して、分身の方に傷痕が増
してゆく。何よりもガウル本体の方が、蓄積していた筈のダメージさえもものともしない余
裕を見せ始めて……。
「まさか」
「そう。そのまさかだよ。この分身は俺の受けたダメージを肩代わりする事もできる。まぁ
それにも限界があって、やり過ぎると消えちまうから、一々作り直さなきゃいけねぇんだけ
どよ」
 ミアの寡黙な表情(かお)に、絶望が走った。目の前にはボロボロになった分身のガウル
と、それとは対照的に綺麗さっぱりに治った本体のガウルが立っている。
 やれやれ……。ポンポンと上着の埃を払いつつ、彼は静かに嘆息をついている。オーラは
切らさない。伊達に魔人(メア)、その潜在量は尋常ではない。
「……厄介」
「だろ? 俺だってそう思うよ。卑怯だもんなあ、こんな能力……」
 静かに肩で息をしながら、ぽつりとミアは長い間を置いて呟く。
 だが意外にも、そんな不平不満(こえ)に、当のガウルまでもが賛同を示す。
「──はあっ、はあッ……!」
「ふふ……」
 そしてサフレは、繰り返される打ち合いの末に消耗していた。
 どれだけ槍を捌こうと、イブキはその太刀一本で巧みに受け流し、反撃を加える。今や頬
や服のあちこちには、無数の切り傷が出来上がっていた。
 肩で何度も息をしながら、サフレは考えている。これだけ押しているのに、決定打を狙っ
てこないのはどうにも不自然だ。何かを企んでいる。
「流石は女傑族(アマゾネス)だな……これでは分が悪い」
「あら。それだけだと思いますか?」
 だが時間稼ぎに紡いだ言葉、それがいけなかった。
 ゆらりと手に下げていた太刀を、イブキが軽く払う。同時に纏うのは、より強く練り込ま
れたオーラ。彼女の眼が、魔人(メア)である事を示す紅い両眼が静かに光ったような気が
した。サフレは咄嗟に唇を噛んでから駆け出した。仕掛けてくる──その前に、今度こそ魔
導具を併用しての一撃を叩き込んで……。
「ぐっ?!」
 その、次の瞬間だった。小さく笑ったイブキがぶんっと太刀で空を切った直後、襲い掛か
るサフレの肩口が突如として大きく引き裂かれたのだ。
 飛び散る血飛沫。ぐらりと目を見開いたサフレ。
「マスター!」
 後方で、兵達と共に守りを固めるマルタが悲鳴を上げた。思わずサフレもその場で片膝を
ついて立ち止まる。
(何……だ?)
 触れた左肩口には、確かにざっくりと刻まれた傷痕がある。じわりと、噴き出した血が上
着を赤く染め始めている。
 一体何が起きた? 奴とはまだ距離がある。カウンターで斬られる筈はない。
「信じられらない、という表情ですね。無理もありません。超覚型《痕》の色装──対象に
刻まれた傷を捕捉する能力です。これを応用すれば……」
「がっ!?」
「太刀を一振るいするだけで、その傷を強制的に抉じ開ける事もできる!」
 再び空を切るように振るった一閃が、合図となったかのようにサフレの腿を裂いた。
 思わず声を漏らし、もう片方の膝もつくサフレ。
 その目は驚愕と──焦りに満ちていた。想像以上だ。こんな能力があるなんて。軽い攻撃
ばかりを重ねていたのは、能力の発動条件を満たす為であり、加えて戦いが長引けば長引く
ほどに自分が有利になるから……。
「さて、そろそろ退いて貰いますよ? 貴方も、貴方の仲間達も」
 そしてイブキは、霞む速さで幾重にも剣閃を解き放った。すると、まるでそれを合図とす
るかのように、サフレや周りのディモート兵達が傷口から血を噴き出して吹き飛ぶ。中には
そのまま白目を剥いて、どうっと倒れ込んでしまう者も少なくなかった。
「サフレ!!」
「嫌ぁぁぁ、マスター! マスターぁ!」
 そんな後方の異変に、ダン達もまた気付く。気付かない訳がなかった。
 見ればガウルとイブキを引き受けた二人が苦戦している。イブキは出血だらけの中に悠然
と立っているし、ガウルに至っては何故かもう一人増えている。
「チッ……!」
 オートマタ兵を、狂化霊装(ヴェルセーク)を、人形兵をひたすら薙ぎ倒していたダンは
思わず肩越しに振り向いていた。……拙い。どんどん、数に押され始めている……。
「余所見をしている場合かい?」
 フォウが更に人形兵らをけし掛けた。その突こうとした隙を、グノーシュのジヴォルフと
リュカの騎士団(シュヴァリエル)達が割って入ってフォローする。
「おい、ぼさっとすんな!」
「こちらを押さえなければ、全員が呑み込まれてしまいます!」
「う……。そりゃあ、そうだがよ……」
 仲間達から飛ぶ叱咤。だがそれでもダンは後方の娘達が気掛かりだった。構わず襲い掛か
ってくる人形兵やオートマタ兵達に、舌打ちをしながら炎の一閃を、巨体を揺らして割り込
む狂化霊装(ヴェルセーク)に、大鉈を足場に跳び上がってからの雷の一撃を。
 現状はもう、互いに援護し合うのも難しい状態だった。押し寄せる“結社”の軍勢を、少
しでも後方に──礼拝堂に近付かせないように押し留めるのが精一杯だった。
「マルタ、強化を! とにかく数を減らさなきゃ終わらねえ!」
「は、はいっ!」
 ダンの叫びに涙目のマルタは思わずビクンと身体を震わせ、それでも気丈に援護の音色を
歌い始めた。戦歌(マーチ)と歌声に込めた治癒の祈り。後方のサフレやミア、ディモート
兵達も、傷付きながらも負けて堪るかと一人また一人と立ち上がる。
「先生さん、あんたの使い魔を半分でもいいからミア達に。こっちの魔人(メア)は一人、
あっちは二人だ。それぐらいしなきゃあ間に合わねえよ」
「分かりました。私も限界まで、騎士の数を増やして対応します」
「……解せませんね。クロム、貴方は何故そちら側についたのですか? 何が不満だったの
です? 貴方も“大盟約(あれ)”を見ているなら……答えは明らかでしょうに」
 余力を更にギリギリまで絞って使い魔達を量産、援護に向かわせるリュカ。
 その一方で、フォウは《樹》のオーラを介して人形兵達を操りながら、じっと怪訝な表情
を向けていた。わらわらと襲い掛かってくるこれらを徒手拳闘で的確に破壊しながら、対す
るクロムもまた、険しい表情のままで彼の前に立ち塞がっている。
『……』
 そんな問いに、共に戦うダンやグノーシュ、リュカ──あの夜、奇骨便の縁で彼の話を聞
いた大人勢も、ぎゅっと押し隠すように唇を結んでいた。
「あれが消え去れば、世界の歪みは正されます。そうなれば、もうこれ以上過分な瘴気が生
まれることはない。即ちそれらを抱え込む存在である魔人(メア)の数も、少しずつ減って
ゆくでしょう」
 敵襲の報せを受けて、“常夜殿”内では近隣各領への援軍要請が繰り返し行われていた。
 だがこの時既に、周辺の街や街道──地上にも“結社”の魔の手が伸び始めていたのだっ
た。礼拝堂への兵力増強を、マーフィ殿達への援護を──。地下の前線から何度となく助け
を求める連絡は来るものの、彼らの兵力にも限りがある。
「……まさか、お前」
「その為に“結社”に……?」
 クロムのやや後ろで、ダン達は意表を突かれたように驚いていた。ゆら、ゆらと、オーラ
と皮で造られた人形兵達が、武器を片手に緩慢な行進を繰り返している。
「……。安い憐れみなんて要りませんよ」
 そんな面々の眼差しに、当のフォウは静かに不快感を示した。ガウルとイブキが、劣勢に
追い遣られボロボロになったサフレやミアを視界の端に捉え続けながらも、ちらっと小さく
こちらへと静かな一瞥を寄越している。
「どうせ僕らは、元に戻ることはできないんですから」

 顕界(ミドガルド)東方に浮かぶ島々の一つ、ワーテル島。
 地理的に南方との境界に位置するこの島には、メイヴァン商会が所有する大規模な生産拠
点があった。そこには勿論、魔銀(ミスリル)──各種金属を精錬する為の設備も多数備わ
っている。
 ハーケン王子を死に追い遣った元凶の製造ルートが判った今、アトス以下統務院がこの地
を見逃す筈がなかった。この日、正式な手続きを経た正義の剣(カリバー)の精鋭部隊が、
その総力をもって島を包囲していた。
 戦が……始まる。事前の通告を受けた周辺の人々は、既に大挙して避難を終えた。尚も島
から出ずに残り続けているのは、先の会議にも姿を見せず、徹底抗戦の構えを取ると決めた
保守同盟(リストン)のメンバー達である。
 物々しさが、辺り一帯を支配していた。
 追い詰められた彼らは、この島に布陣して待ち構えているらしい。討伐軍側の包囲が完了
してから小一刻。両軍は島の中心部と外周を結ぶ河川を挟むようにして、牽制を兼ねたギリ
ギリの睨み合いを続けていた。
「──篭城か。どう考えても玉砕コースだろうに」
「どうかしらね? 相手は“痕の魔人(ヘイト)”でしょ? 何か企んでいるような気もす
るけど……」
 川辺のこちら側に陣取り、討伐軍を率いるヒュウガら三兄妹が、そう妙に呑気とも取れる
様子でもって敵本陣を眺めている。肝心の敵陣内は森の木々や緩やかな丘陵に囲まれて確認
できないが、まだこれといって目立った動きはない。
『警戒するに越した事はないだろうな。いつでも突入できるよう構えておけ。兵力ではこち
らが圧倒的に有利なんだ。一気に押し潰す』
 やれやれと嘆息をつくグレンに、思案顔のライナ。
 通信越しの王達の多くは、彼女の意見に同調する者が多かった。これまでも散々に逃げお
おせ、結果ハーケン王子の命をも奪った黒幕だ。そんな曲者がすんなりと自分達に討伐され
てくれるというのは流石に楽観的に過ぎるだろう。
「了解」
 そもそも、篭城戦というのは援軍が前提の戦法だ。もしかしたら未だ、こちらが把握して
いない敵部隊が挟撃のチャンスを窺っているのかもしれない。或いはそうやって揺さ振りを
掛けようとしているのかもしれない。
 王達の言葉に、グレンやライナ、ヒュウガは表向き従順に応えておいた。
 どのみちいざ戦闘になれば、実際の指揮権は自分達にある。存分に暴れる心積もりだ。
「……それにしても。これで良かったのかねえ? はっきり言って悪手だぜ? 敵に篭城さ
せる時間を与えるなんざ」
 ちらっと周囲に展開する兵や砲台を眺めながら、グレンはごちた。通信越しに王達がいる
とは分かっていても、やはりぼやかずにはいられなかったのだ。
「グレン兄」
「まあ、気持ちは分からなくもないけども。だが、俺達はあくまで軍人。政治のあれこれに
口出しする身分じゃない」
 王達(じょうし)が控えている手前、ライナは止めようとしたが、ヒュウガは相変わらず
飄々と微笑(わら)っていた。そう言葉を継いで、暗にこの弟の言わんとする非難を代弁す
るかのようだった。
 メイヴァン商会長・モーゼスへの尋問が不発に終わった後、彼こそミスター・リストンで
はないか? いよいよ両者の全面戦争──報復攻撃が始まるのではないかとの報道が各国で
為された。その時点で、敵は自分達と戦う用意を進めていたと考えられる。誰がそうだと明
確に判っていなかったという事情こそあれ、手続き的な正当性を大事にしたことで後手に回
った感は否めない。王達も、無言のままながらそれは理解しているようだった。
「まあな。でもよお、いずれ衝突する(こうなる)ってのは分かってたろうに。なのに何で
こうまでして“保守”に拘るのかねえ? 開拓を拒むんだか。少なくともモーゼスは商売人
だろう?」
「……いつも時代も、権力というものを毛嫌いする人間はいるものだからね。尤も、その手
の輩は“個人”を過信しがちだし、何より発展性がない」
 だからこそ、敢えてヒュウガは更に言葉を継いでいた。グレンの呆れ声に応えるようにし
て紡ぐ。それでも視線はずっと変わらず、敵が陣を敷いている島の中心部に向いている。
「思想、ねえ」
「何でもいいわよ。私達はただ、命令の通り戦って結果を残すだけ」
 まったく。“結社”だけでも面倒だっていうのに、余計な真似を……。
 基本的にヒュウガ達はドライであった。戦いとは概して、最悪の形でぶつかり合った末の
利害であり、自分たち兄弟もまたその一端に漏れない。
 ライナがぶつくさと呟く横顔を、通信越しの王達が苦々しい表情で見つめていた。それを
横目でちらりとヒュウガが一瞥する。
 私達が戦う理由はただ一つ。
 魔人(じぶん)達の、存在価値を証明する──。
 合言葉のようにライナが呟き、グレンが阿吽の呼吸で応える。パァンと、軽く互いの拳を
ぶつけ合ってから気を引き締める。
「……?」
 ちょうど、そんな時だった。それまで不気味な静寂を保っていた敵陣──森を隔てた島の
中心部に動きがあった。
 禍々しい力、突如として地の底から伝わるような地響きがする。何かが、両陣営を隔てる
木々を薙ぎ倒しながら迫って来る気配がある。
「報告します! 保守同盟(リストン)側に動きが! どす黒い巨人が数体、こちらに向か
って進行中! 散開し、各方位の部隊を狙っている模様!」
「……包囲網を破るつもりか」
「黒い、巨人? それって……」
「十中八九、例の黒塗りの剣でしょうね。あれ一本な訳がないとは思ってたけど……」
 転がり込むようにして報告に駆けつけた兵士に、ヒュウガ達は不穏を色濃くし始めた空を
仰いだ。地響きが続いている。そしてよく目を凝らせば、木々と丘陵の合間から黒い巨体が
一体また一体と現れるのが確認できる。
『まさか、ハーケン王子を殺った……?』
『量産型かっ!?』
『……篭城する気なんて無かったんだ。私達を、引きつけて……!』
 通信の向こうで、王達が動揺している。件の黒剣があそこで造られているのだろうとは理
解していても、直接その脅威を向けられるとは思いたくなかったのだろう。
「へへっ……。奴さん、やる気満々だな」
「ああ。応戦します、突撃の許可を」
『あ、ああ……』
『許可する。ヘイト及び保守同盟(リストン)を──討伐せよ』
 ざらりと大剣を、長剣を抜くヒュウガ達。許可を請われた王達は戸惑い、しかしながら他
ならぬハウゼン王の毅然とした声が、その意思を改めて示す。
『了解!』
 三人を筆頭に、展開していた兵達が一斉に動き出した。銃剣を握り締める歩兵は四方八方
から浅瀬を横切って島の中心部へと駆け出し、砲台を牽引した軍用鋼車達がその群れの中を
点々と埋めるように疾走する。
「さあ──任務開始だ」
 握り締めた長剣の刃に、自身の姿が映る。
 嬉々として飛び出す弟妹を左右に、ヒュウガは不敵に笑った。


「……拙い事になったね」
 ジークが目を覚ました後、イセルナ達北回りチームの面々は霧の妖精國(ニブルヘイム)
に戻って来ていた。ハルトやカイト、サラを介して里の皆にも現在陥った状況が説明され、
皆一様に沈んだ面持ちで唇を噛んでいる。
 かねてより光の妖精國(アルヴヘイム)とは溝が埋まらなかったが、今回の一件で彼らは
いよいよこの里を攻撃しようとするだろう。少なくとも大義名分を与えてしまった以上、そ
れを彼らが利用しないとは思えない。
「自業自得じゃない。下手に関わろうとするからよ」
 そう呟いて、ぶすっと視線を逸らしているのはミシェルだ。結局彼女以下“守人”達も、
ジーク達と一緒にこの里について来る羽目になった。というよりも、一行の『陣』敷設状況
を踏まえるに、此処に降ろして貰う以外の選択肢がなかったと言うべきなのだが。
「だけどよお、ミシェル。実際俺達はこうして巻き込まれてて、下手すればこいつらと運命
を共にする事になっちまうんだぜ?」
 当初の目的である“守人”達は見つかった。
 だがその当人らに詰られ、ピリッと険悪な空気が漂おうとするのを防ごうとしたのかしな
かったのか、彼女に向かって仲間の一人であるテオが諭す。更にもう一人のマギリも、コク
コクと唇を結んだまま頷いている。
「そりゃあ……そうなんだけど。ねえ、アルヴの奴らに此処って知られてないわよね?」
「ああ、その筈だよ。見つかっていたらもっと早い段階で潰されているしね」
 感情的な部分と、現実の状況と。
 ミシェルはやはりむすっとしたままで、里長たるハルトに問うた。彼も、改めて皆の不安
を軽減させる意味もあって深く首肯すると、はっきりそう言う。
 尤も、それは裏を返せば今の状況の危うさを証明していたとも言えるだろう。
 まだ大丈夫──だが一度この場所がバレれば、アルヴ側はその口実でもって報復の軍勢を
差し向けてくるに違いなかったからだ。
「……すみません。俺が、あんな事になっちまったせいで」
「ですから私達、里(ここ)を出ます」
 故に、ジーク達は言った。故に、ハルト達里の面々は「えっ?」と思わず目を丸くして彼
らに振り向く。
「そんな。君のせいじゃないだろう?」
「そうですよ。だって、下手に動けば結社(れんちゅう)の術が……」
「だから、だよ。事態を打開する為には、一刻も早くジークを陥れた術者を倒さなくっちゃ
ならない」
 明らかに、それはこの状況を招いてしまったことへの贖罪のように思えた。ハルト達はそ
れが解るからこそ、大事な盟友の子達であるからこそ、ただ里から放り出せば解決するもの
でもないと己に言い聞かせていたのだ。それを、おそらく汲んでくれても尚、彼らは去ろう
としている。アルヴと、まだ見えぬ“結社”。二つの敵が迫るその先へ向かって。
「大丈夫。地図探しは失敗したけれど、彼女らは見つかった。後は僕達でアゼルの聖浄器を
探すよ。……ありがとう」
 皆を代表して、そうシフォンは笑った。敢えて笑顔を見せて、安心させようとした。
 そもそも自分達が速やかに里を出たとしても、ここが攻撃されないという保証はない。な
らば少しでも、自分達が囮になろう。ニブルの場所が特定されるよりも前に、自分達が動き
出したと向こうが知れば、大義名分上こちらに向かわざるを得ない。正直賭けの部分は大き
かった。だが、もうこれぐらいしか里の皆を守る方法はない。
「ちょ、ちょっと! それって私達があんた達について行くっていう前提の話じゃない。嫌
よ。何で私達までアルヴの連中に殺されなくちゃいけないのよ!?」
「あー、ギャンギャン五月蝿えなあ。別に殺されに行く訳じゃねえよ」
「ああ。少なくともアルヴ側の集団とぶつかるつもりはないよ。今は拙い。張本人だからと
いうのも勿論だけど、まだジーク君に掛かった術が完全に解けてはいないんだ。出会ってし
まったら、間違いなく結社(やつら)は事件を再び繰り返させるだろう。そうなれば両者の
決裂は決定的だ」
「それによう。これはあんたらの為でもあるんだぜ? 俺達の目指してるのはアゼルの聖浄
器──要するにあんたらの故郷だ。帰りたくないのかよ?」
「別にこのまま此処にいて、いつ攻めて来るかも安全になるかも分からないまま待つってい
うのなら、止めないけど」
「ううっ……」
 サラリと進んでいく話に、三度ミシェルが噛み付いた。だが状況はそんな彼女の思いとは
裏腹に、選択の余地を無くしつつある。
 エンカウントのリスクは負うが、一刻も早く故郷に戻って、この両者のゴタゴタから距離
を置くか? それとも巻き込まれる可能性が高いと分かっていても、この一件が落ち着くま
で身を潜めるか……。
「ミシェル……」「ミシェルぅ」
「隊長……」
「……ああ、もう! 分かったわよ! 分かった。案内すればいいんでしょう? 案内すれ
ば!? 全く、選択肢を潰しておいてその言い草……実質脅しじゃない」
「あはは……」
 ガシガシと髪を掻き、ミシェルは半ば自棄糞のようになって言い放った。
 これで同意は取れた──と思う。流石に状況を逆手に取っての言質であるからか、レナな
どは如何にもばつが悪く、苦笑いを零していたが。
 里のエルフらが周辺の地図を持って来て、早速帰還ルートの相談が始まった。尤もこの辺
り一帯はひたすら森ばかりが広がっているため、土地鑑の無いジーク達にしてみれば同じ地
図記号一色にしか見えない。
「ここが現在地、霧の妖精國(ニブルヘイム)。私達の里は、ここ──ちょうどアルヴを挟
んで向こう側にあるわ」
「う……。やっぱりその辺かあ。最短距離で突っ切るのは無理そうだなあ」
「寧ろ迂回しても出くわさないという保証はないよね。地図上ではルートは取り放題に見え
るかもしれないけど、実際には使える道は限られてくる」
 ミシェルらが指し示してくれた目的地を頭に叩き込み、ジーク達は、ハルト以下里の面々
は地図を囲んで暫くあーだこーだと話し合った。
 目的の場所は、アルヴの支配領域を越えて更に南の森。南方へと続く地域。
 正面を突っ切るのはどう考えても自殺行為だった。先ずは世界樹(ユグドラシィル)をな
ぞるように南下し、その後アルヴ領の外周を迂回してから真南に戻る。アルヴ側は相当の兵
力を動かすことになるだろうから、主要な道は使えない。幅の狭い、実質獣道のような悪路
を選んでいくしかない。
「……時間が掛かっちまうな」
「こればかりは仕方ないだろうね。連中の思惑通り、動けないままでいるよりはずっとマシ
さ。少なくともこのまま手をこまねいていては、状況は悪化する一方だよ」
 ハロルド曰く、今回“結社”が刺客を寄越してまで自分達に接触を試みたのは、端的に表
現すれば「時間稼ぎ」ではないかという。
 一つはジーク達を遠隔操作の色装で操り、下手に動けないようにすること。もう一つはそ
の策をもってアルヴとニブル双方の里を対立させ、余力を失わせること。
「……つまり連中は、その間にアゼルの聖浄器を?」
「ああ。私の推測が正しければ、だけどね」
 要するに漁夫の利を狙っている訳だ。これまでも、守られていると分かっている中を襲撃
して失敗してきた。ならば強制的に手薄になった状態を作ってしまおうという訳だ。
「だったら、急がなきゃ……。先祖代々私達が守り続けてきたものだもの……」
 ミシェル達も、自分達の宝物が狙われていると知り、使命感に火が点いたようだ。既存の
ルートに修正を加え、彼女達しか知らない秘密の道を幾つか教えてくれる。
「……すみません、ハルトさん。本当なら俺が直接謝って、戦いを止めるべきなのに……」
「何、気に病む事はない。こっちはこっちで、何とかしてみるさ」
 ハルトさん……。ジークは潤み、自責の念に押し潰されそうになりながらも、そう任せて
と胸を張る彼らの笑みが並んでいるさまを見つめている。
「無理だけは、しないでください」
「ああ。そちらも、幸運を祈る」
 パシンと、強く確かに取り合わされた手。
「──」
 だが、そう静かに結び付く面々の中で、一人マギリだけが言葉もなくじっと俯いている。

 ワーテル島を舞台に始まった決戦は、端的に言ってしまえば“地獄絵図”の始まりであっ
たのだろう。
 保守同盟(リストン)が本陣を敷いていた島の中心部、ヒュウガら討伐軍が突入を開始す
る少し前、それは既に起こっていた。
「ひいっ……! ひいいーっ!!」
 木々を薙ぎ倒してめいめいに進撃を開始するのは、獣や蟲、鳥といった様々なモチーフを
したどす黒く巨大な異形。同じだった。ハーケン王子が黒塗りの剣の力で変貌したものと、
まるで同じ怪物達が一斉に動き始めていたのである。
 雑兵──元々島の警備などの名目で雇われていた傭兵達は、この異変を目の当たりにする
や否や逃げ始めていた。
 無理もないだろう。彼らはあくまで仕事でこの島に滞在していたのであって、望んで賊軍
に加わろうとした者達ではない。後ろめたさから、士気などはとうに失せていた。
「じょ、冗談じゃない!」
「あいつらと違って、俺達は命まで捨てるつもりは……」
「た、助け──」
 とにかく島の外へ。
 必死になって逃げ惑う彼らを、異形達の身体から伸びた触手が呑み込んだ。まるで粘性の
ある泥のように、ずぶずぶと絶叫する彼らを引き摺り込みながら取り込んでゆく。
「あっ……。あっ……」
「たた、かう。たた、かう……」
 どす黒い泥──異形達の外皮には、それぞれ虚ろな白目を剥く人々が埋まっていた。
 保守同盟(リストン)のメンバー達である。彼らは当初、この地に集まって統務院との決
戦に挑む筈だった。世界を掻き乱す徒な開拓を止める──大義は自分達にこそあると信じて
いた。付け入られ、操られていた。
 そして今や、その有志達に誰一人として正気は無い。また彼らも、その腰に差していた黒
剣より膨れ上がった瘴気の肉に少しずつ呑まれようとしている。異形の核として、取り込ま
れようとしている。
「ひいっ! ひゃあ、ひゃあ!」
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だぁぁッ!!」
 のしのしと四方八方へ歩いてゆく異形達。どす黒い外皮の中に錆色の赤や緑を時折混ぜ込
みながら、まるで息をするかのように周囲の傭兵達を、取り残された動物達などを触手を伸
ばしては呑み込んでゆく。
 彼らは、そのまま異形達の栄養になった。或いはじゅるりと滴って再び起き上がり、黒い
獣型の兵となってこれらの周りを行進し始める。

「──ふふふ。そうだ、その調子で増殖を続けろ。奴らを、統務院を食い尽くすまで膨れ上
がれ。呑み込み、破壊し、僕達の力を見せつけてやれ」
 全ては、この瞬間(とき)の為だった。
 ワーテル島の本陣内で、一人マスター・ゼロこと元使徒ヘイトは嗤う。
 切欠自体は、ギルニロックから逃れた自分を保護してくれたことまで遡るが、彼はその時
既に自分を祀り上げる彼らを“利用”することしか考えていなかった。
 本当はもっと時間を掛けてネットワークを築くつもりだったが、止むを得ない。運用試験
は既にアトモスファイ・ハーケンの一件で実行済みだ。
『“創世器”さえあれば、無敵だ』
 戦いの前、メンバー達にはそう、自分達に贈られた剣について暗示を掛けておいた。
 だがその本当の名前は“操精器”。ヘイトの能力を中継させることのできる魔器、支配の
ツールなのである。
 先日、ハーケンが死んだ事で動揺した彼らを、ヘイトは密かに洗脳し直していた。元使徒
という肩書きへの憧れで従わせるだけではもう足りない。もっと直接的に、自分にだけ忠実
な駒として調教し直した。
「あ。あアァァァ……ッ!」
 ボコボコと膨れ上がる瘴気の肉塊の上で、ヘイトは勝ち誇って座っていた。その横で、他
のメンバー達と同じく黒剣──操精器に呑まれながら正気を失ったモーゼスがいる。
「さあ、僕の力で全てを呑み込むんだ。奴らを、食い殺せ!」

 襲い掛かるどす黒い異形達に、ヒュウガの血の《雨》が突き刺さった。更に刺さった直後
には無数に分裂し、内部より破壊しながら飛び散ってゆく。
「どっ……せいッ!」
「いい加減に、しろォッ!!」
 グレンも振るった大剣から放つ爆風でこれらを吹き飛ばしていた。ライナも《磁》で掻き
集めた鉄屑の豪腕でもって、機動力を活かして襲い掛かる黒い獣兵をまとめて殴り飛ばして
粉微塵にする。
「デカブツは私達と隊長格で処理するわ。他はとにかく中心にいるヘイトを探して!」
『はいっ!』
「ったく……。キリがねえな」
「ああ。報告には聞いていたが、これは存外手こずりそうだ」
 勇猛果敢に兵士達は休む間もなく攻撃を仕掛けているが、大量の瘴気の肉塊はすぐに弾け
飛んだ傍から再生を始めてしまう。ヒュウガ達は、中々敵の本丸に辿り着けないでいた。
「一旦、一箇所に集めて火力で消し飛ばすか?」
「そう上手く誘導されてくれるといいけどねえ。それに、あの中には核にされた人間達がい
るんだろう? 先ずは彼らを引っ張り出さないと、無尽蔵に再生されてしまう」
 ふむ……。提案してくるグレンに、ヒュウガは暫し思案顔をしていた。その間にも瘴気の
異形達は味方を呑み込みながら前進し、少しずつこちら側を押し返し始めている。
「兄貴」
「……出し惜しむ必要はなさそうだな。反魔導(アンチスペル)隊、前へ!」
 だがヒュウガら討伐軍も、何の用意もしていない訳ではなかった。
 決断して小さく嘆息を。次の瞬間、彼の合図で後方に控えていた魔導師隊が駆けつける。
 彼らはそれぞれその手に、器械式の大型杖を握っていた。魔導の出力を最大限にまで引き
出す為の装備である。そんな者達がずらりと数百人、横並びになって一斉に詠唱を始めた。
 反魔導(アンチスペル)──術式に干渉して破壊し、無効化する為の魔導だ。
 それをヒュウガは、大人数での一斉発動により範囲攻撃として使わせたのだった。次々に
灰色の魔法陣が彼らの前に浮かび上がり、放射状に広がる同色の光が、この瘴気の化け物達
に向かってぶつかってゆく。
『──』
 ごっそりと、風穴が空いていた。今にも空を大地を埋め尽くさんばかりの瘴気の肉塊が、
反魔導(アンチスペル)を浴びた箇所からごっそり抉り取られていた。
 グレン達はそこへ駆けて行って目を凝らす。凝らして、そこからずるりと零れ落ちる人影
を見つけると、彼らを片っ端から引っ張り出して後ろへとぶん投げてゆく。
 どうどうっと。黒い泥塗れの男達が意識を失ったまま転がっていた。今は確認している暇
はないが、十中八九保守同盟(リストン)のメンバーだろう。
「……やはり、使い捨てにされていたみたいだな」
 対策が有効だと分かれば、後はその繰り返しだった。残りの反魔導(アンチスペル)隊を
投入して、全方位からこの瘴気の荒波を抉り取ってゆく。抉り取り、随時その中から元メン
バー達を引っ剥がす。核を失えばただのエネルギーの固まりだ。高威力の魔導や砲撃を撃ち
込んで吹き飛ばし、次々に道を拓いてゆく。
「よーし、上手くいってる上手くいってる」
「問題はこのやたらめったらな量ね。報酬上乗せして貰わなくちゃ……」
 だが、そんな時である。ザザザとヒュウガ達の携行する受信器にノイズが入った。通信の
向こうの王達からのSOSである。
『た、大変だ!』
『わわっ、我が国にどす黒い化け物が! あの化け物だ、ハーケン王子が呑み込まれたあの
化け物だ!』
 時を前後して、統務院各国の主要都市に、こちらと同じ瘴気塊の異形達が攻め上がって来
ていたのである。同じく人を核に、無尽蔵の再生能力と全てを呑み込む毒を持ち合わせたそ
の力に、並みの兵隊では太刀打ちすらできない。
『た、助けてくれ! 援軍を、援軍を頼む!』
「……悪いが俺達も手が離せない。そっちはそっちで何とかしろ」
『ええええーッ?!』
 全く。ヒュウガは内心嘆息を隠せなかった。ぶんと剣を振るい、押し寄せてくる黒い獣兵
達を串刺しにして吹き飛ばしながら答える。
 もしかしてとは思っていたが、他にも兵力を分散させていたか。大方いざこちらと衝突し
た際の揺さ振りが狙いだろう。元より手続きやら何やらで後手に回っていた分、奴らにそん
な仕込み──潜伏をさせる時間は十分にあったのだから。
「いいの? ヒュウ兄?」
「いいも何も、物理的に無理だろ。本部に要請はさせるが、別個に踏ん張って貰わなければ
どのみち間に合わない。反魔導(アンチスペル)隊でも用意してあれば話は別だがな」
 鉄屑の大鎌を担いで着地してきたライナに答えつつ、ヒュウガはそう言って部下に王達へ
の攻略法を含めた伝令を命じる。ビシリと拝命して走り去ってゆく彼を視界の端で見送りな
がら、一方で彼はこのようなことを考える。
 ネガティブに考えればピンチ。ポジティブに考えれば「踏み絵」。
 少なくともこれで、どの国のどんな地域に連中のシンパがいたかが分かる。全く土地鑑の
無い者を国攻めに宛がうというのも遠回しな話だ。単純に重要拠点のみを狙った可能性もな
くはないが、向こうも向こうで全ての国・地域を落としに掛かれるほど頭数はないだろう。
『──っ!? 何だ?』
 しかし、異変は更に続いたのである。
 通信の向こうで、各地の王達が慌てふためいていた。轟音が爆音が、通信越しにこちらに
も届いていた。
「どうしました?」
『……“結社”だ。結社の軍勢が、化け物達を焼き払いに来た!』


『君は絶対に──彼の“一番”にはなれない』
 無限の闇に、根っこを抉られる。
 一切の光を通さない暗闇の中、突如として脳内に響いてくる幾つもの声に、ステラは激昂
していた。しかしそんな重なり合い、矢継ぎ早に飛び込んでくる言葉の一つに、彼女はピシ
リと凍り付く。
 ジーク・レノヴィン。
 クランの仲間にして、かつて朽ちるのを待つだけだった自分を助けてくれた大恩人。
 そして……あの日以来ずっと、心の底で想いを寄せ続けている人。
『彼にとって、あれは人助け以上の意味などなかったんだよ』
 知っている。そんな事は解っている。
 代わる代わる語り掛けてくる声に、ステラは微かに口元をヒクつかせながら荒い呼吸をし
ていた。誰とも知らぬ青年のような声、見下し笑う女や男、淡々とした少年の声……。
『貴女も解っているんでしょう? 貴女の想いは実らない。貴女が根拠にしているその想い
は、所詮独り善がりなだけのもの』
『……知っている筈。君の他にも、彼に想いを寄せている者がいる……』
 知っている。そんな事とっくの昔に。
 ステラはゆっくりと、ギュッと唇を噛んだ。脳裏に思い描いたのは、いつも一生懸命で心
優しい、自分達の親友だ。
 レナ・エルリッシュ。ハロルドさんの養女で、実は“聖女”の生まれ変わりだった。その
事実を知った時には確かに驚いたけれど──言われてみれば「ああ、そうだな」って納得で
きてしまうくらい凄くいい子。ミアを含めた自分達三人は、ずっと一緒に同じ屋根の下で暮
らしてきた。ずっと一緒に戦い続けてきた。
 ……だって、同じ人を好きになったんだもの。こんなにお互い傍にいて、気が付かない訳
なんてない。まぁそうは言っても、レナの方は勘付いてても、まだ自覚まではしていない可
能性が高いのだけど。
 どう考えたって、あの子の方がジークとはお似合いだ。何たって本物の王子様と“聖女”
様なんだから。時々、あの二人を見ていると“光”を感じる。随分抽象的な表現だけど、そ
れくらいあの子が眩しく思えるんだ。得意な魔導だって聖と冥──文字通り光や闇な訳で。
そういう意味では、自分達は光と影みたいな存在なのかもしれない。
『大体、お前は魔人(メア)なんだぜ? あいつらとは絶対に死に別れる事になるんだ』
「……」
 嗚呼、そうなのだ。いつもその事実から逃げて逃げて、目を逸らして忘れてしまおうとす
るけれど、仮にジークが自分を選んでくれても、その結末は既に決まっている。
 魔人(メア)は不死身の存在。聖浄器のような特殊な力で傷つけられない限り、基本的に
寿命という概念は無い。七十三号論文だっけ……? それは自分達が、増え過ぎた世界中の
瘴気を肩代わりするべく宛がわれた存在だから。
 ……ジークだけじゃない。レナもミアも、イセルナさんにダンさん、クランの皆も、いつ
かは自分の前からいなくなってしまう。時だけが流れて、一人また一人と死んでいって、最
後には独りぼっちになってしまうんだ。誰一人として、自分を知る者がいなくなる。それが
私達魔人(メア)に背負わされた運命……。
『なのに、まだ愛そうっていうのかい?』
『諦めちまえよ』
『……その方が、互いに抱える痛みは減る』
 ずぶずぶと、全てがこの闇の中に沈んでいくようだった。ステラは沈黙した傍から、全身
の感覚が少しずつ溶けて無くなってゆくような心地に浸されていた。
 いや、その表現は厳密ではない気がした。寧ろ自分という存在が、一つまた一つと破れて
は切り離されてゆくような。そして切り離された身体は、こちらが知覚できないまま、何処
か闇の中へと消える。無の中へと還ってゆく。
 ……そうだ。私はいつか必ず独りになる。なのに自分はこの気持ちを、ジークに押し付け
ている。レナがあいつを好きだって、知っているのに。あの子を代わりに幸せにしてあげな
くちゃいけないのに。私じゃあ、最後には取り零すんだから……。
 脳裏に蘇るのは、かつての記憶。想い人(ジーク)と親友(レナ)が、二人で街を歩いて
いた時の後ろ姿。
 お似合いだったなあ。凄く、幸せそうだった。
 クランの皆と一緒になってこっそり後を尾けていって、ニヤニヤとしながら二人の未来を
あーだこーだと空想し合ったっけ。
 共有する一時。仲間達。
 だけど自分には届かないもの。いつか全て失うもの──。
「……違う!」
 だが、その時だった。無限の暗闇の中で、ステラはギリッと歯を噛み締めて耐えた。虚無
へと沈み込みそうな自分の意識を引っ張り起こし、叫んだ。
「私は、決めたんだ。それでもいいって決めた。魔人(メア)だろうがなかろうが、どんな
ものもいつかは滅びるんだから」
 すぐ近くで囁いていた声達が、にわかにざわつき始めていた──驚愕していた。
 心なしか暗闇の中なのに目が利いてきた気がする。今しかないと思った。ステラはぎゅっ
と自身の胸元を握り締め、叫ぶ。
「絶望は……魔人(メア)になってしまった日以来、何度もしてきた。でもね、そんな個人
的な感情は、私を信じてくれる仲間達を裏切っていい理由にはならない。こんな私でも待っ
てくれる人達がいるんだ。そんな皆がいる限り、私はこんな所でうじうじしている暇なんて
ないのよ!!」
 気迫。どうして今更なのだろう? 忘れてしまいそうになっていたのだろう?
 ステラはようやく理解し始めていた。これは、かつて自分が抱えていた日々。鬱々とした
過去そのもの。そしてこの闇と声は、他ならぬ自分自身が生み出したものなのだと。
「確かに、永遠に近いような命の中では、一瞬のことかもしれない。だけど、それさえあれ
ば、その日々の記憶さえあれば……私は生きてゆける。ううん、きっと私はその為に生まれ
てきたんだ。ジーク達と、レナやミアと、クロムとも……。このたくさんの出会いの為に、
生まれてきたんだ!」
『……後悔するぞ』
 それまで気圧されたように黙していた“闇”が、呟いた。
 しかし、もうステラは惑わされない。くっと宙を見上げて、胸を張った。大切に掻き抱く
ように胸元で拳を握って、嗤う。
「分かってる。でも、昔みたいに膝を抱えたままなんてのは嫌なの。あんた達はあれこれ言
うかもしれないけど……案外、ヒトだって捨てたもんじゃないわよ?」
 ニカッと笑う。
 その脳裏に蘇っているのは、かつて大恩人(ジーク)が自分に向けてくれた眼差し。あの
時のままに真っ直ぐに生きている、その後ろ姿。
 ……時々いるんだよね。あいつみたいな、底抜けのお人好しが……。
『合格だ』
 するとどうだろう。静まり返っていた“闇”からの声に、明るさが宿った。同時に目の前
の暗闇が急速に晴れてゆく。それこそまさしく眩い“光”が全てを照らし、破り捨てていく
かのように。
『私達は求めていた。己が闇に相対しても、呑み込まれぬ強さ』
『何よりも、ヒトを想う心』
『……僕達を扱うからには、それくらいの器がなきゃ務まらないよ?』
『久しいな。これほど強い光を灯した魂は……』
 ゆっくりと、ステラは手を伸ばした。引き千切られてゆく闇の残りかす、目の前にゆらり
と漂っている一つの塊。
 眩い光が徐々に、本来の姿を取り戻しつつある。
 今度は明る過ぎてまだ目が慣れないが、間違いない。ステラはニッと不敵に微笑みながら
改めて呼び掛けていた。
「力を貸しなさい、ムスペル!」
『ああ、いいぜ。持って行け。俺達を使いこなしてみせろ』
『くれぐれも、闇(わたしたち)に呑まれないようにね……?』
 ガシリと伸ばした手の中、感触を握り締める。
 光はより一層強く輝き始めていた。逆光の中に輪郭として映り込む本来の空間──おそら
くは礼拝堂の真の姿。
 任せといて。ステラは笑った。
 直後眩い光が、彼女とそのセカイの全てを運び去る。

「──何だ?」
 正直言って、ギリギリだった。ガウル・フォウ・イブキら“結社”の軍勢に押し切られよ
うとしていたその時、ふと背後の礼拝堂内に変化があったのだ。
 ズズッと、まるで何かに吸引されたかのように内部の“闇”が消えてゆく。代わりに見え
たのは、本来の空間相応の礼拝堂で、壁際に点々と備え付けられていた燭台が瞬く間に火を
灯してゆく。
「……」
 そして現れたのは、ステラだった。一体この一晩半夜の内に何があったのか、その表情は
何かに解放されたような、吹っ切れたような力強い笑みを湛えている。
 何よりも一同の目を惹いたのは……その手の中に収まった一冊の魔導書。
 小脇に抱えれたそれは闇を思わせる黒紺色で、表裏の表紙と背表紙にそれぞれ古びた文様
と文字があしらわれている。
「あれは……秘葬典(ムスペル)?」
「まさか。あのじゃじゃ馬を乗りこなしたってのか?」
「よーっし! やった、やったぞ! 流石は俺達のステラだ!」
 その意味を理解し、歓声を挙げる仲間達とディモート兵。予想外の結果に唖然とするガウ
ル以下“結社”の面々。
 防衛戦は、ダン達の勝利となったのだ。フォウの人形兵達と、分身したガウル、立ちはだ
かって見下ろすイブキと相対し、ダン達やミア、サフレにマルタらは、それぞれにボロボロ
になりながらもこの仲間の健闘に肩越しの眼を遣り、口角を吊り上げずにはいられない。
「ガウル!」
「ちっ……作戦変更だ! 全員、そのガキからを奪い取れ!」
 ヴォオオオオッ! ガウルの叫びに、黒衣のオートマタ兵や狂化霊装(ヴェルセーク)、
フォウの人形兵達もがダン達を置き去りにして跳び上がった。彼らはまるで黒い一個の群れ
となり、礼拝堂の入口に立ったステラへと襲い掛かる。
「──出番だよ。ムスペル」
 だがそれは、最早意味のない悪足掻きだった。
 彼らに襲われる寸前、ステラはその魔導書を開いた。呼び掛けるように捲られたその古び
たページは、まるでそんな彼女の声に応えるように闇色のオーラを吐き出し、直後猛烈な勢
いとなって周囲に現出する。
「……これ、は」
「秘葬典(ムスペル)の、本体?」
 それは巨大な闇色の狼だった。地下回廊を覆い、あわや突き破りかねないほどの膨張で、
その金色の眼光は迫り来る雑兵達を睨み付けた。地鳴りのするような唸り声と共に、その鋭
い無数の牙が開かれる。
「ガッ──!?」
「ギャアアアアアッ!!」
 それはまさに一瞬の出来事だった。大きく開かれた牙が“結社”の軍勢達を噛み砕き、長
大な尾が薙ぎ払われたその瞬間、彼らがまるでへしゃげるように押し潰されたのである。
 猛烈な風圧と闇色のオーラ。その凄まじい威力にガウルやイブキも吹き飛ばされ、フォウ
も背後に従えていた《樹》をごっそりと食い破られる。口から大量の血が吹き出ていた。能
力の本体がダメージを受けた反動だろう。
「ぐっ……」
「嘘、だろ……?」
 彼らは愕然としていた。ついさっきまで回廊を覆い尽くさんとしていた黒色の軍勢達が、
文字通り“消滅”していたのだから。
「すげえ……」
「なるほど。空間系の──消滅の魔導ね」
「あっぶねえなあ、おい。これ、下手したら敵味方関係なく消し飛ぶぞ」
 一方でダン達もまた、驚愕のまま立ち尽くしている。
 ステラがしっかり狙いを調節してくれたおかげで何ともないものの、もしあの巨狼の力に
触れてしまえば、たとえ味方であろうとも無事で済む保証は微塵も無い。
「……フォウ、平気?」
「大丈夫。制御器がやられただけです。それよりもこれは拙い。ある意味、一番渡っては厄
介な力が敵の手に渡ってしまった……」
「おいおい。何もう諦めたような口を利いてるんだよ」
「私達の任務はあれの回収です。多少の危険があろうとも、奪い返す──!」
 すると犬歯を立てるガウルの横で、イブキが立ち上がって太刀を一振るいした。両の目と
刀身にオーラが集中し、ゆっくりと刃が持ち上げられる。
「──させない!」
 だがそんな彼女の一撃は、他ならぬサフレによって防がれた。直前まで彼女とその能力に
翻弄され続けていた彼は逸早く、彼女が場の全ての“傷”を切り裂いて反撃を加えようとし
たのを察知したのである。
「がっ……?!」
 はたして、その判断は正しい。
 次の瞬間、ダメージを受けていたのはイブキ達だった。まるでサフレやミア、ステラ達に
向かって放たれた無数の斬撃が、見えない何かに押し返されて逆流したかのような。
「おお!」
「……それは、まさか」
「ああ。風霊槍(コウア)だよ。まだ慣れていないから、正直賭けだったけれど」
 いつの間にか彼の手に握られていたのは、金の長槍。造られてから数千年経った今も色褪
せないアトスの王器の片割れである。
 その能力は──空間排撃。敵だけでなく、空間そのものを突き飛ばし、弾き出す事のでき
る聖浄器だ。サフレは、イブキがこれまでの戦いで蓄積した空間の“傷”を切ってステラを
攻撃しようとしたのを、すんでの所で押し返したのである。
「畜、生……。俺達まで巻き込みやがって……」
「今更言えた台詞かい? どうする? これでもまだ、僕達と戦いを続ける気かい?」
 ヂャキリと地面に転がったガウルらに穂先を向けるサフレ。よろよろと口元や全身に叩き
込まれた傷・血を拭いながら、三人の魔人(メア)と残り幾許ともないオートマタ兵達は苦
虫を噛み潰したようにして立っている。
 状況は、圧倒的に不利になった。
 秘葬典(ムスペル)と風霊槍(コウア)。自分達魔人(メア)にとっても天敵と言うべき
特別な古代の武具が……。
「いや──三つだ」
 更にゴォンと、フォウとガウルの間に霞むような速さの刃が通り過ぎた。二人の間を縫っ
て伸び、突進した多節棍に繋がれた刃。その人の頭部さえ軽く越える大きさと破壊力を持っ
た一撃が、深々と背後の柱に突き刺さっている。
「……。鎧戦斧(ヴァシリコフ)」
「やっぱ出し惜しみすべきじゃなかったなあ。でもまだ“対話”も済んでないし、正直言う
とあんまり使いたくはなかったんだ」
 頬につうっと赤い筋が出来たフォウ。相対してそう呟くダンの両頬には、確かに発動の反
動らしきダメージが不自然に浮き上がる血管となって現れている。
 暫くの間、両者は下手に動けず睨み合っていた。ガウル達“結社”らは手勢の大半を失っ
て数の利を奪われているし、ダン達もサフレやステラ、聖浄器の使い手を中心に実はもう限
界寸前を迎えている。
「ミザリー様、マーフィ殿、ご無事ですかッ!?」
 しかしそんな状況を打破したのは、地上での処理を終え、加勢に駆けつけた“常夜殿”の
残る部隊の面々であった。ダン達の後方でディモート兵らと共に呆然としているミザリーら
主の姿と目の前の惨状を見、直後彼らもまた、大きく目を口を開いて立ち竦む。
「……退くぞ。これじゃあもう、チャンスがねえ」
 そしてガウルが、ややあって呟いた。それでも本心は屈辱と怒りで溢れているのだろう。
噛み締めた牙とこちらを睨み付ける表情は、まさに鬼気たる様相だった。少なからず手負い
となったフォウとイブキも、この仲間の判断に大きな異は唱えず、言葉少なげに悔しそうに
退いてゆく。
「……覚えとけ。次は絶対、ぶっ殺す」
 その呪詛が最後だった。直後ガウル達はどす黒い転移の光に包まれ、残る手勢ごと姿を消
してしまった。ダン達は、ミザリーら関係者達は大きく息をつく。
 安堵というには些か緊迫したままの、荒げた呼吸だった。
 だが水を打ったようにしんとした回廊、がらんとなった戦場は、彼らが聖浄器を守り抜い
たという何よりの証でもあった。


「お疲れ様。皆、何とか無事だったみたいね」
 外界の夜は益々更けてゆく。一方城内にあって、彼女達自身は寧ろ明るさを取り戻しつつ
あるようだった。
 ガウルら“結社”の襲撃から二大刻(ディクロ)ほど。館の医務班に手当てを受けたダン
達は、再びリビングでミザリーと面会していた。夜の帳に、ゆらゆらと揺れる燭台の蝋燭達
が静かなアクセント──明かりという名の温かさを加えてくれている。ダン達はあまり浮付
いた表情は見せられなかった。取り巻き達がそれとなく睨みを利かせているというのも勿論
あったが、何より事実として、ディモート兵らにも少なからず負傷者を出してしまった後ろ
めたさというものがある。
「ごめんなさいね。もっと早く兵力を集中させるべきだったんだけど……」
「いや、気にするな。あんたらはよく戦った。そもそも、これは俺達と結社(やつら)との
問題なんだからよ」
 ちらと横目に視界の端で確認する限り、向こうの廊下ではまだ治療を待つディモート兵ら
の列が続いている。あれだけの激戦だったのだ。被害を無しに済ませられたとは到底思わな
いが、これを切欠に彼らも自分達に良くない感情を持つ可能性は十分にある。
「そうも言ってられないわ。この“常夜殿”に結社(かれら)の侵入を許してしまった──
転移自在という点を考慮しても、重大な案件よ。でもまあ、労いくらいは受け取っておこう
かしら」
 それでもミザリーは、ふふっと微笑(わら)いながら一方で気を引き締めていた。自分達
を迎え入れた、彼女なりの責任感という奴なのだろう。ダンやグノーシュ、リュカは互いに
顔を見合わせて困ったような表情(かお)をしているが、クロムは先程からステラが胸元に
抱いている秘葬典(ムスペル)を微動だにせず見つめている。
「……妨害はいつ来てもおかしくないとは思っていた。だがガウル達はまるで、封印が解か
れるのを待っていたかのようだった」
「そうだね。あいつらも干渉するとかどうとか言っていたんだろう?」
「ああ。魔導云々は専門外だが、今までのケースを考えても、奴らでも封印を真正面から破
るのは難しいとみえる」
「ま、破れちまえるならとっくに盗られてる訳だしな」
「……それだけじゃない。聖浄器に、認められなきゃ駄目」
 そしてミアがぽつりと付け加えて遣る視線。ダンやミザリー以下面々が、ちらりと一斉に
ステラの方を見ていた。
 “闇卿”エブラハムの使った聖浄器・秘葬典ムスペル。
 かつては伝説でしか語られていなかった古代の魔導具が、今まさに自分達のすぐ目の前に
存在している。
「いやあ、まさかああも短い時間で使いこなしちまうとはなあ。ダンやイセルナさんの苦戦
ぶりを見ているもんだから、てっきりぶん取ってくるだけでも精一杯かと」
「そうだね。もしステラがあそこで反撃してくれなければ、正直危なかった」
「はい。ステラさんのお陰です」
「そうだな……。本当、お疲れさん!」
「ああ。よくやった」
「……偉い偉い」
 あの時の興奮が蘇って来たのだろうか。ダン以下仲間達は、改めてそう口々に褒め称える
と、皆で彼女を揉みくちゃにしていた。
 わしわしと親友に頭を撫でられたり、はっはっはっ! と豪快な笑い声と共にバシバシと
背中を叩かれたり。「や、止めてってば……」当の本人はそう若干、仲間達の手荒い祝福に
困惑していたが、その頬にはほんのりと温かい朱が差していた。きゅっと、胸の中の魔導書
を抱き締める。
「……色々トラブルはあったけれど、何とか丸く収まって良かったわ。秘葬典(ムスペル)
はそのまま持って行きなさい。彼らに対する有用さは、既に証明された訳だしね?」
 ちらりと一旦周りの取り巻き達と目配せ──確認を取り、ミザリーは言う。テーブルの上
で両手を組んだまま彼女は微笑(わら)っていた。襲撃騒ぎが一段落しての安堵なのか、大
都での恩を返せた安堵なのか、或いは“厄介払い”が出来たという安堵なのか……。
「悪いな。有効に、使わせて貰う」
「元よりその心算よ。それより、これからどうするの? 少なくともそんな怪我のまま旅立
たせる訳にはいかないのだけれど。落ち着くまで、もう少し休んでいく?」
「……そうもいかねぇよ。あまり悠長にしてちゃあ、仲間達(あいつら)が心配だ」
 言って、ダンは小脇に挟んでいた紙束をテーブルの上に放り投げた。今日の日暮れ前に配
達されていた夕刊だ。そこには各地のきな臭い動き──保守同盟(リストン)と統務院との
戦争や、天上で起こったとある事件についての速報が書かれている。
『光の妖精國(アルヴヘイム)でテロ。兵士ら負傷』
『犯人は分離派の妖精族(エルフ)』

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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