日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)セカイを殺す病

一見穏やかなようで(内々は割と)忙しなく、かと言ってインプットをばと刺激になるもの
を探そうとマクロな方の世界を眺めてしまえば、往々にして精神衛生がマッハ(´・ω・`)

暫くぶりです。九月も終盤に突入し、今年も残りおよそ四半期。
一時は喧しく幅を利かせていた蝉の音も、今では移ろう季節に縋りつくようにして消えそう
で消えない。作業場近辺の植木の中はもう薄らと紅く染まり始めているものもあり、畦道や
土手をゆけば知らぬ間にヒガンバナが──というか、少し前にも生えてて、いつの間にか見
なくなった気がするのだけど……。二度目? 確かに「彼岸」に咲く花ではあるけど、この
違和感は何だろう? それだけここ数年“秋”が短かった(咲き直す暇がなかった?)証、
異常であったのだろうけど、如何せんその正常よりもこちらに慣れてしまった。じっと考え
ると空恐ろしいものですね……。

サハラ~のプロット作り、ちまちまと進めています。
およそ一章毎、区切りの良い時点でツイッタ(小日記)にも進捗は呟かせて貰っています。
ある程度書き溜まったら、なろうさんの活報の方にも何度か生存報告的な形で記事を追加し
ようかなぁとは思っております。
如何せん他のコンテンツ──ユー録や三題の執筆モードを始め、他の企画構想やらネトゲや
らtktkやらでこのプロット作りにリソース(具体的には可処分時間と熱量)を注げてい
ない状況ですが、まぁ気長にお待ちください。大よそ三ヶ月=年末か年明け辺りには再開で
きればいいなあというぐらいに考えております。なろうさんの方で「放置」表記が出てしま
うのは致し方ありませんが、長編を書きながらこさえるなんて器用な真似は中々できそうに
はありませんのでφ(=_=;)

あと私事ですが、先日誕生日を迎えました。17+n歳です(だがオッサンである)
ざっくりとした計算ですが、これでもう人生の1/3ほどは消費してしまったんだなあ。そも
そも人並みに生き長らえられるか分からないし、迷惑を掛けてまで長生きしようとも思いま
せんが。……ただ、身体が動く限り創作は続けたいなあと思います。いつか創ることさえで
きなくなる。それが自分にとり、ほぼ唯一最大の老いへの恐怖かもしれない。これだけこの
営みにどっぷり寄り掛かって久しい以上、それがプツリと途切れた時が冗談無しに生きる力
の切れ目になってしまうかもしれない。今の段階でもう、無茶──夜更かしや徹夜での作業
なんて出来なく(突入しても能率が上がんない)なっていますからねえ。そのエックスデー
が訪れる時までに、はたしてどれだけの物語を創れるのか……。

尤も、それより先に解決すべきは、自活力というか資力ですけども。

先の事を考え過ぎてもどうしようもない。刹那的な面を含むのは否めないけれど、精神衛生
を考えれば、何処かの段階で線引き──ぱーんと手放して「なるようになる」の心持でいた
方がまだ幸せなのかもしれません。そもそも“具体的でない”不安のために、今すべきこと
やしたいことを後回しにしても、人生中々真っ直ぐにリカバリーなんて利きませんし……。


マクロな世界を眺める。

僕個人の日常、作業場と自宅の往復──ミクロなレベルでの日々に、忙しなくも割と充実し
ているからこそ敢えてここ暫くは見ぬよう見ぬようにしてきた感がありましたが、どうやら
世の中というのはそんなこちらの「配慮」などお構いなしに突き進んでいるようです。

最近の時事問題を捲れば、北のミサイル発射に政治家・芸能人のスキャンダル(不祥事)、
加えてどうやら近々衆議院が解散されるらしいとの話も。……大変ですねえ。それでもって
案の定、僕ら庶民などまともに見てもいない癖に、これもまた「批判」のダシになるだけで
頼んでもいないのに正義の代弁者気取りをする……。

「批判」もとい炎上芸。

身分の上も下も問わず、どうにも昨今の世の中は、様々な物事に対して噛み付き過ぎている
と感じてなりません。放っておけばいいのに。関わらなければ、口を出さなければ、反応し
なければ少なからずのものがスルーされて日々の埋没の中に消えてゆくものを、わざと相手
して徒に大事にしているような……。まぁいわゆるブン屋というのは、それが仕事と言えば
仕事なんですけども。でもやっぱり(僕個人の感情から言って)大方は本来不必要なんでは
と思うのです。確かに“存在”はしているのだけど、そこまでしてがなり立てて他人を呼び
込むこともないような。結局“問題にする”ばかりで、僕ら現代人に要らぬエネルギーを使
わせているだけではないか……?

(論理的で、正当性があるのならいい。でもそれらを担保するものって何だろう……?)

厭世的だと詰られれば反論もできないし、する心算もないけど、とかく今日びの物事・界隈
に対しての「批判」勢力があまりにも目に余る。マクロの代表格“アベ政治を許さない”の
皆さんは勿論、昨年から密かに楽しませて貰っているネトゲにすら、フォーラムにほぼ常駐
する形で文句を垂れるスレが立っている。

──誰かが何かをしようとすれば、クオリティが足りないと炎上する。
──誰かが何かをしないでいれば、配慮が足りないと炎上する。

確かに、個人として「諍い」を見るのが嫌だ、というのも感ずる原因として大きい。だけど
こうやってただ只管“アンチ”が現れるのを防げない──寧ろ賛同や反論という形でいきり
立ち、結果として誰一人まともに具体的に現実的に「解決」し得ない、有象無象な外野達に
よる火のくべ合いが展開されるさまは、毎度ながら本当にうんざりするのですよ……。
何というか、今日の僕らって、要求するレベルばかり高いんですよね。
実務に携われば色んなしがらみも生みの苦しみもあって、そんなすんなりいかない──のは
前提として、それでも結果を出すことを求められているとしても──のに、とにかく粗一つ
で十倍にも百倍にもなって悪意が返ってくる。“とりあえずディスっとけば賢い”みたいな
風潮がすっかり醸成されてしまっている。『褒めたら死ぬ病』とでも言うべきか。

……これ、間違いなく自分達の首を絞めている行為なんだけど、解らないのかなあ。
何か(困難な)業績を挙げること。コンテンツを生み出し、維持すること。それこそあらゆ
る物事について言えるのだけど、挑み生み出すことのメリット(実益やら遣り甲斐)よりも
「批判」され「炎上」させられるリスク──デメリットの方が現実として大きければ、誰も
そりゃあその舞台に好き好んで登りたがらないでしょう? ただ膨れ上がる一方のオーディ
エンス、無数の“批評家”達の人波に紛れながら、そっと身を潜めて自身は口を噤む。その
方がずっと安牌な選択だと理解し切ってしまうのですから。
そうすると、益々その界隈はギスギスと疲弊しがちになります。きちんと精査する労力以上
に衝動的に散発的に、個々別々の鬱憤を乗せた否定語ばかりが飛び交い、舞台に上がってい
る者達に無力感──ないしこのオーディエンスらへの憎悪を与えてゆく。すると演者たる彼
らはこう思う筈だ。『どうせ理解されない』『だったら好きにやってしまえ』『どうせ此処
には長く居られないだろうから』……。

毒ですよ。じわじわと、しかし確実に苛烈にヒトの世界を殺す毒薬以外の何物でもない。

演者とオーディエンスとの間の、絶望的なまでの溝。不一致。担う側とそれを受け取る側で
あるのに、そのパワーバランスが酷く歪になっている状態。
まだ担って──演じてくれている間は、演者がいるのならまだいい。でもその実、精神的な
水面下ではもう「閉じる」ことを選んだ多くの者達が個々の独りに沈んでいっている。語る
ことをリスクだと理解している。……死ですよ。その蔓延は、こと言葉の力に依るセカイを
絞め殺す。語られないことで全体はアンチや悪意の跋扈によって濃縮され、益々その場から
逃げ去る者達を増やす。そうして面々が気付いた時には、もうどうしようもなくそのセカイ
は破綻してしまっている。壊すしかなくなる。結果的に批判者(アンチ)達が“望んだ”通
りの結末になるのです。でもきっと、彼らはまた別のセカイに現れる。まるでイナゴの群れ
のように何処からともなくやって来て、舞台に立った者の志を、そのコンテンツを斜に構え
た否定ありきの「言罵」で食い潰す──そんな事を繰り返して、嗚呼何もかもクソだと厚か
ましくも被害者面をする……。

僕自身、ポジティブ教徒(アンチ止めろ褒めろ)って程ではないんですがね。
でも、斜に構えて何かを分かったふりをするっていうのは、自分を守りながら周りを掻き乱
しては損っていく三流の態度なんですよ。専門的な、本質的な部分を突かれても、のらりく
らりと屁理屈を捏ね回して「自分には関係ない」と受け流す。取り付く島もない──相手に
その“問題”について高いクオリティを要求しておきながら、自分は責任を持たないし、向
き合わない。そもそも批判することマウントを取ることが半ば目的なのだから、その要求の
ゴール自体、恣意的な場合が少なくない──これ、全部僕自身の黒歴史からの経験則です。

……ただ実際、語ることがリスクになっているという現実は如何ともし難いのですよねえ。

よく政治と宗教、野球の話はするなって云いますけど、そういったある種の信仰・イデオロ
ギーの世界になってしまっている事象は、既にこの「毒」に侵され分断されて久しい界隈な
のだと考えます。最たるものじゃないですか。よほど明確に右だ左だ○○派だみたいな立ち
位置の中で生きている人でなければ、話題が出た瞬間に『あっ(察し)』となり、無関係を
装うこと・相手方と距離を取ることに必死になる。結局この「毒」に(良くも悪くも)順応
した──してしまった人種ばかりが生き残り、そのセカイで喧々諤々の闘争を繰り広げる。
僕らはそれらを、ブリッジ接続したような環境で垣間見ることしかできない……。

だからその意味で、創作という手段は有意義に働きうる、と僕は考えます。

哲学者の方だったかな? 作家などクリエイターで食っている人というのは『世間に復讐し
ながら、且つ尊敬される方法』を掴んだ人だと。勿論全員が全員、憎悪を源泉にものを創っ
たり言葉を紡いだりしている訳ではないと思うのだけど、一方で僕もいち書き手としてその
云いには大いに頷く部分がある。全てではないにせよ、憎悪──世の中やヒトのあれこれに
対して思うことを、作品という箱庭の中に表現して(オブラートに包んで)皮肉る。一面で
表現とはそういった性質を持つし、逃れ難い性ではないかなあと思うからです。

確かに、創作とは表現とは「必需品」ではなくて「嗜好品」だ。誰も彼もが好き好んで足を
踏み入れて喜びに変えられるセカイじゃない。

でもだからこそ、その沼にどっぷり嵌った者の一人だからこそ、自分だけではなく誰かの思
う所も形にすることが出来るのではないでしょうか? 代わりに担えるのではないでしょう
か? 決してただ斜に構えただけの批評家ではなく、ヒトが噤むことで生まれる世の「毒」
に抗する“アンチ”として。

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  1. 2017/09/21(木) 23:00:00|
  2. 【雑記帳】
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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