日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅶ〔87〕

 “弓姫”アゼルことアゼル・メルエットは、およそ千年前のゴルガニア戦役において解放
軍の一翼を担った妖精族(どうほう)の女性です。

 森に生まれ、森と共に生きる私たち妖精族(エルフ)の中でも、彼女の弓の腕は抜きん出
ていました。故郷で獲物を追って過ごした狩猟生活の経験は、戦場という環境に変わっても
遺憾なく発揮されたといいます。解放軍の遊撃大隊を任された彼女は、帝国兵の視認の外か
らの遠距離狙撃でもって多くの敵を討ったと伝えられています。
 ……しかし、その後彼女が辿った運命は、大よそ不遇と言ってしまってよいでしょう。
 故郷に戻った彼女は、地上の者達に与したという理由で追放されてしまいました。詳しい
やり取りまでは記録に残っていませんが、彼女は彼女なりに、故郷と天上世界の未来を憂い
て行動を起こした筈です。もし帝国があのまま滅びず、各地への版図拡大を続けていたなら
ば、ここ古界(パンゲア)にもその食指は伸びていたでしょう。事実当時既に、地底世界の
各地が徐々にその勢力下に呑まれつつありました。全ては故郷を守る為だったのです。
 ですがそんな彼女の想いは、結局理解されることはありませんでした。彼女を放逐したの
は、他ならぬ守りたかった故郷の古老達でした。当時から彼らは、じわじわと迫る外の世界
の悪意よりも、連綿と続けてきた“秩序”を守ることに拘泥していたようです。
 そして彼女は、二度と故郷の地を踏むことはありませんでした。
 守ろうとした人々に裏切られ、どれほど失意の旅だったのか。……いえ、或いは古老達が
そうした態度に出ることは、ある程度分かっていての志願だったのかもしれません。
 十数年に及ぶ、放浪の旅が続きました。帰るべき場所を失った彼女は、各地に点在する同
胞らの集落を訪ねて回りましたが、その殆どが彼女を歓迎しなかったといいます。古老達が
手を回していたのでしょうか。或いは風の噂で耳にし、保身に──要らぬトラブルの元を背
負い込みたくないと警戒したのでしょうか。
 しかし……救いはあったのです。長い旅路の末、彼女は一組の同胞夫妻と出会いました。
彼らは彼女の境遇を知り、大変親切に迎え入れてくれたといいます。まだ年若い夫婦だった
ため、それほどしがらみが多くなかったのかもしれません。
 二人の名は、コリン・ランバートとシーナ・ランバート。後に私達のご先祖様となる二人
です。かつての“弓姫”に手を差し伸べた彼らは、その後彼女の生涯の友となりました。長
い放浪の旅の末、彼女もまた、彼らの暮らすこの地を安住の地としたと伝えられています。
 ……唯一彼女が報われたのは、彼ら夫妻との出会いだったのかもしれません。地上ではそ
れこそ英雄的な扱いをされながらも、故郷に戻ってみれば放逐された身。
 一度は得た地位や名声を捨て、その後彼女は静かな余生を送ったといいます。生涯彼女に
は伴侶も、子もできませんでしたが、友であるランバート夫妻の子供達にはまるで実の親族
のように愛情を注ぎ込んだと伝えられています。
 記録によれば、それからおよそ三百年──私たち妖精族(エルフ)は長命なのです──の
後、彼女は亡くなりました。最期を友たるランバート一族に看取られ、そしてその今際にあ
る頼みを遺して。
『この弓を……エバーグリスを頼みます。この戦友(とも)の魂を解放してくれる者が現れ
る、その日まで……』
 これこそが、私達“守人の一族”誕生の瞬間です。
 夫妻は友の最期の願いを快く引き受け、代々守り続けてきました。遺された言葉の通り、
この翠に輝く聖なる弓が、真に解放されるその時まで……。

「──おーい、ミシェルー!」
 どうやら知らぬ間にうとうとと眠ってしまっていたようだった。大樹の枝の上に寝転がっ
ていたミシェルは、ふいっと、そう下から呼び掛けてくる声に起こされて目を覚ました。
 眼下には、妖精族(エルフ)の青年二人がこちらを見上げて手を振っている。大柄な方が
テオで、小柄な方がマギリ。共に彼女と同じ“守人”の一人だ。
 幹に預けていた背を、身体を起こしてミシェルは彼らに向き直って見下ろした。確か二人
には街の方へ買い出しに行って貰っていた筈だ。もうそんなに時間が経ったのか……。
「どうしたー? ぼうっとしてー?」
「……ううん。何でも。少し寝入っていただけよ」
 するりと樹から飛び降り、彼らの前に着地する。二人は両手や背中に買い物の布袋を提げ
ており、何処となく得意げだ。中身を確認したら長旅を労ってやらねば。
「おかえりなさい。一応聞くけど、尾けられたりは?」
「問題ない。その点に関しては最優先で気を付けてるよ」
 テオが苦笑いを零し、布袋を差し出した。ミシェルがそれを検めている横で、同じく仲間
のマギリがふと思い出したように言う。
「ああ、ミシェル。そういえばさ」
「? うん?」
 テオも彼を見遣っていた「ああ、あれな」と思い出したように小さく頷き、二人して彼女
に向かって報告してくる。
「実は情報収集がてら、酒場やギルドにも寄って来たんだがよ」
「そこで、面倒なものを見つけちゃってね……」


 Tale-87.圧されし記憶(ひび)の果て

 奇骨便を乗り継いで数日。ダン達南回りチームはようやく魔界(パンデモニム)の北方、
目的地たるファントムベイン領の入口へと到着していた。本来ならもう少し早く着いている
予定だったのだが、魔都(ラグナオーツ)での一件に加え、乗り継ぎの度に船頭との交渉に
難儀した点などが影響している。
「うーん……。やっと着いたあ」
 通算で何日もかかった船旅が故に、少なからず身体の節々が凝り固まる。
 ようやく奇骨獣のゴンドラから降りたステラやマルタ、ミアなどは誰からともなく横並び
になってぐぐっと伸びをし、身体を解している。
 後は陸路で“常夜殿”に入るだけだ。一両日中には向こう側の出迎えと合流する手筈にな
っている。
「……」
 だがそんな彼女らの一方で、ダンやグノーシュ、リュカの年長組は終始浮かない顔を隠せ
ないでいた。悟られないよう努めて表情を引き締めてはいるが、内心はどんよりとして到着
を素直に喜べる状態ではない。
 理由は言わずもがな、先日の夜長にクロムから明かされた証言である。

『留める為だ。あれは、魂をこちら側に留める為の──縛り付ける為の装置なのだと』

 曰く彼は、かつて“結社”に誘われる前、かの“大盟約(コード)”の本体を見たのだと
いう。“大盟約(コード)”とは単なる契約の類、概念ではない。れっきとしたモノだ──
魔導学司(アカデミア)でのやり取りで明らかにされた事実を裏付ける、その質問の根拠と
なった経験を彼は持っていたのだった。
『魔流(ストリーム)が、悲鳴……?』
『ああ。私にはそのように聞こえた。君も魔導師なら、あれの本質は知っているだろう?
魔力(マナ)とは突き詰めれば生まれてくる前の魂達だ。エネルギーとして存在している彼
らを取り込み、循環させることで、私達は命を繋いでいる』
『うーん? まぁその辺は専門家のお前らに任せるけどよお。留めるって何だ。その話が確
かだとすると、俺達はずっと異界(アンノウン)からエネルギーを引っ張ってきてるって事
になるのか?』
『そうだ。あの時、空には無数の穴が空いていて、そこから大量の魔流(ストリーム)が流
れ込んで来ていた。あの穴一つ一つが全て異界(アンノウン)──この世界以外の何処かと
繋がっているとすると……全ての辻褄が合う』
『辻褄?』
 夜長、ゴンドラの縁にてクロムがその後語ったこと。それはダン達にとって、この世界に
生きている者達にとって、にわかには信じられない内容だった。その証言は他ならぬ、今日
の世界の在り方を、根本から揺るがすものであったのだから。
『はっきりとそのメカニズムを説明された訳ではない。だがあの光景は今でも目に焼き付い
ている。あの時は私も、にわかには信じられなかったがな……』
 そう瞳の奥に残存したままの記憶を呼び起こすように、フッとクロムがやや俯き加減で目
を細めていた。ダンやグノーシュ、リュカは目を見開き、瞬いて次の言葉を待っている。暫
し彼は自分の中で言葉を整理するかのように黙り込み、そして続ける。
『知っての通り、魔導を行使する際には魔力(マナ)を消費する。では魔導開放によって増
大した術者人口を、どうやってカバーしていたと思う?』
『え? そりゃあこれだけ世界は広いんだから、何とでも……』
『……外の世界から、調達した』
『そうだ。何も魔力(マナ)は魔導にのみ使われるのではない。この世に生きる全ての生き
物達の生命維持──魂と精神、肉体、三存を繋ぎ止め、安定させる為に本来その多くが費や
されている』
『おいおい。ちょっと待てよ……。足りなかったっていうのか? この世界の魔力(マナ)
を全部使っても? 無茶苦茶だろ。そんな事が分かってたら、そもそも魔導開放だって中止
するなり何なりしなきゃ拙いだろうが。よく知らんが、ヤバいんじゃないのか?』
『ああ。最悪、魔力(マナ)自体が枯渇する。そうなれば今生きている生命は勿論、新たに
生まれて来ることすらできなくなる。魂を形作る大元が無くなる訳だからな』
 ダン達は、思わず絶句していた。そこまでの激しさで、魔力(マナ)が浪費されているな
ど考えもしなかったからだ。
『だから“大盟約(コード)”という装置が必要だった。人為的にエネルギーを供給し続け
る強力なシステムが必要だった』
『……ごり押し過ぎるだろ』
『というよりも、そんな技術を実現させた古代の魔導師達に驚きよね……』
『同感だ。だが無謀だよ。そんな無茶を続けて、もつ訳がない。魔流(ストリーム)を吸い
取られた外の世界は勿論、こちらの世界もな』
 そう呟くクロムの横顔は、何処か義憤(いかり)に包まれているようにも見えた。とうに
杯は傍らに置いて月と霊海を眺め、静かに眉間に皺を寄せている。
『本来ではあり得ない力の流れを強制しているんだ。ヒト一人の一生では途方もない時間で
あっても、確実にその軋みは蓄積する。いずれ限界を迎え、全てが弾け飛ぶ瞬間が来る』
 だから──だからこそ“結社”はその解放を大命に掲げたのだろうとクロムは言う。
 たとえ当のヒトを切り捨て、今の文明が大きく衰退・滅亡することになっても、世界が守
られるなら仕方のない犠牲だと思っていたと。他ならぬヒトが持ち込んだ因果だ。それで滅
びてしまうのなら、そこまでの命でしかないのだと切り捨てていた。
『……だが今は違う。結局私は、自身の個人的な恨みを──ヒトというものに対する絶望を
彼らの大命に重ねていただけなんだ。ジークとの出会いで気付かされたよ。彼は、私の絶望
を感じ取って、泣いてくれた。それだけで良かった。信仰の徒として、かつて私が救いたい
と願っていたのは他ならぬヒトだったのに。今を生きる彼らだったのに。世界という器だけ
を整えても、彼らが笑ってくれなければ意味はないのに』
『クロム……』
『クロムさん……』
『……この事、他には?』
『お前達が初めてだ。そう気軽に話せる内容でもないだろう? 尤も話した所で、全員が全
員信じてくれるかも怪しいが』
『……。まあな』
 より大きな正義の為に、それより小さなものを切り捨てる。
 だがクロムはその選択に迷いを感じた。突き通すことができなくなった。どれだけ想像を
絶する苦しみを味わい、魔人(メア)という常人を越えた存在に成り果てようと、彼は最後
まで一人のヒトであることを捨てられなかったのである。
 確かめるようにダンは訊ねた。静かにクロムは首を横に振る。
 実際、その判断は間違っていないように思えた。少なくとも誰彼構わずに話していい内容
ではない。文字通り世界の危機なのだ。一体自分達に、何が出来る……?
『ひとまず、この話は暫く黙っておこう。手の打ちようがない。少なくとも摂理宮に入り込
める状況にでもならなきゃ、大盟約(コード)本体に触れられもしねぇんだからよ』
 苦渋の表情とため息に、グノーシュとリュカも首肯せざるを得なかった。いずれ仲間達に
は話すとしても、現状自分達の手には届きさえしない。救うべきものが、二転三転する。

「──魔都も大概だったけど、こっちも随分と暗いねえ」
「妖魔族(ディモート)の領地だからな。彼らにとっては快適な環境なんだろ」
 町で馬車を借り、苔むした緩い丘陵地帯を往く。
 ステラが幌の隙間から空を覗き、サフレが中でのんびりと壁に背を預けている。
 常夜殿周辺は、殊更に暗い曇り空が広がっていた。強い日差しを苦手とし、逆に闇を得意
とする妖魔族(ディモート)達にとっては、これとない好物件なのだろう。ガラガラと二対
の木の車輪が回る中、一行はめいめいに常夜殿の城砦が目前になるまでの時間を過ごした。
(軋んで弾ける、か……)
 そしてダン達年長組の内心は、そんな空と同じように晴れない。
 御者台のマルタとリュカの背中を見ながら、ダンは半分不貞腐れたように幌の中で寝転が
っていた。切欠となった証言者たるクロムは、対角の隅っこで壁に背を預けたまま、じっと
微動だにせず瞑想を続けている。
 本来の形ではない、大きく歪められ、引き込まれた無数の魔流(ストリーム)。
 結社(かれら)が聖浄器を求めるのは、他でもないその現状を正す為だというのか。膨大
な魂のエネルギーに干渉する為に、選りすぐられた強力な魂でもって対処する──そう考え
れば聖浄器に拘る理由も、これまでの彼らの行動にも一応の説明はつく。
(……気に入らねえ)
 ごろん。ダンは寝返りを打ちながら内心、舌打ちをした。どうにもやり場のない胸糞悪さ
だけが自身を苛んでくる。
(これじゃあまるで……“結社(やつら)”の方が正しいみたいじゃねえか)

 古界(パンゲア)央域南部から南方へと広がる森の一角に、光の妖精國(アルヴヘイム)
は在る。
 大森林の中に突如開けた造成地。掘り下げられた谷の中、段々になった土地の上に木や石
造りの家屋が整然と建ち並び、淡く多彩な魔導の灯りが街全体を照らしている。幾つもの部
族──國が集まって出来た、妖精族(エルフ)達の一大勢力圏だ。
「思ってたよりも発展してるんだな。梟響の街(アウルベルツ)の一つや二つ、余裕で収ま
っちまいそうだ」
「僕たち妖精族(エルフ)最大の集落だからねえ。それよりも、準備はいい?」
「ああ。いつでもいいぜ。予定通りなら、兄貴達もそろそろ配置についてる頃だ」
 そんな森の中の煌びやかな街並みを遠巻きに眺めながら、ジークとシフォン、リカルドの
三人は草むらに潜んでいた。霧の妖精國(ニブルヘイム)での宴から三日。この日ジーク達
は二手に別れ、件の“守人”に関する情報収集の作戦に移ろうとしていた。
「じゃあ、いくぜ? いっせーの!」
 二人の用意が整ったのを見計らって、ジークが懐から白菊を抜いた。最低限のオーラを込
めて刃を白く光らせ、そのまますぐ目の前の空間に向かって突き立てる。
 バチッ! するとどうだろう。それまで何もなかった場所に、突如として刃を押し返す半
透明の壁がちらついたのだ。結界である。三人はちょうど、光の妖精國(アルヴヘイム)が
防衛線を張る結界の最外周ギリギリに潜んでいたのだった。
 更に最初こそ、刃に耐えていた結界だったが、すぐに白菊の反魔導(アンチスペル)の力
でもってその干渉を受けた部分がほつれた。ジーク達が刃を引いて茂みの奥へと撤退する。
 直後、里全体に鳴る警報──異常を知らせる激しい鐘の音。静かに繁栄を謳歌していた街
に、にわかに衝撃が走る。
「敵襲、敵襲ーッ!!」
「巡回中の守備兵は警戒体勢! 北西方向から反応……いや、南に……北も?」
「外に出ている住人達は避難を! 状況の把握を急げ!」
「まだ近くにいる筈だ、探せ! 絶対に捕らえろ!」
 そして打ち鳴らされる鐘の音と共に、弓と剣で武装した、革鎧姿のエルフ兵達がぞろぞろ
と里の中から駆け出てきた。同時に、森のあちこちから次々に異常発生が報告される。
 三人と同じく、予めアルヴ周辺に潜んでいたリカルド隊の面々が、ジークの一撃を合図に
一斉に結界へ攻撃を加えたのだ。エルフ兵達は色めき立っているが、今頃散開していた彼ら
は転送リングで早々にこの場を離脱している筈だ。先日の宴の後、しっかりとニブル内にも
『陣』を敷設してある。逃げ切るのはそう難しいことではないだろう。
「おうおう。出てきた出てきた……」
「思った以上に早いな……。かなり訓練されてる」
「ただの獣程度では、防御結界に引っ掛からないからね。神経質になるのも無理はないさ」
 そうしてエルフ兵らの反応を、ジーク達は茂みの中で暫し観察していた。異常を検知した
結界の方へ、つまり三人の周囲にも一隊また一隊とエルフ兵達が現れ始めている。だがここ
までは全て予定通りだ。
「それよりも。リカルドさん、お願いします」
「ああ、任せとけ。……盟約の下、我に示せ──時司の領(クロノスフィールド)!」
 シフォンに促されて、リカルドが小さく呟くように詠唱を完成させた。異相結界──周囲
の時間を遮断する刻魔導だ。
 直後広がった力場の中、モノクロになった世界で、三人以外の周囲のエルフ兵や動植物達
の動きが静止した。それを確認して、ジークとシフォンは、リカルドを先頭にこの場から離
脱する。

「ふむ……。ここまでは作戦通り、だね」
 一方その頃、ハロルドとオズは、光の妖精國(アルヴヘイム)全体を見渡せる崖の上に立
っていた。それまで静かな時間が流れていた里に、警戒の鐘の音が鳴り響き始める。わらわ
らと里の中から、方々に兵士達が散ってゆくのが見える。特に先行してジーク達が潜んでい
た北北東(里から見れば北西)の森辺りには、多くの兵が差し向けられている。
「さて、と。問題はこれからだ。オズ君、視界は良好かい?」
「ハイ。拡大倍率調整……里全体を視認完了デス」
 ついっと顔を向けた横では、望遠モードで光の妖精國(アルヴヘイム)の各所をチェック
しているオズが控えていた。橙色のランプ眼、次々とデータに変換される視界の中で、里の
中を移動する兵士や住民達の分布を即座に収集・分析する。
 ジーク達がいた方面を除き、今里では有事における配置が始まっている筈だ。つまり、現
在進行形で守りが固められている場所こそが、彼らにとっての重要施設という事になる。
 ──これこそが今日の作戦だった。ハルト達元アルヴ住人らの協力で大よその位置関係を
叩き込んだ上で、現在の施設分布を把握する。ジーク達やリカルド隊の面々を散開して潜ま
せ、結界を刺激させたのは、あくまで彼らに警戒体勢を取らせる為の囮に過ぎない。
 こちらの回収任務の事を知り、ハルト達がアルヴ側に史料を渡してくれるよう交渉、使者
を送ったことがある。
 しかし、折角志願してくれたその使者は……二度と戻って来る事はなかった。つまりはそ
ういうことだろう。自分達の“秩序”からはみ出て、尚且つ独立までした“裏切り者”達に
彼らは一切の協力を拒んだのだ。ある程度予想はしていたが、当のハルト達もここまで頑な
だとは思いたくなかったという。
 だからこそ、史料を探し出すにはもう力ずくしかない。かといって表立って武力を行使す
れば、それこそ彼らにニブルを攻撃する格好の口実を与えてしまう。
 なるべく穏便に済ませたかった。先ず今日は現在のアルヴ内の状況を調べ、後日里に出入
りする馬車にでも紛れて潜入する。食糧庫や議場、聖堂などの除いてゆけばある程度目星を
つけられる筈だとハルト達は言った。実際に荒事になるかどうかは……別行動中のイセルナ
らの首尾次第だ。
「リカルドサン、結構数ガ多イデスヨ?」
「ああ。なら中心部に絞ってくれ。ハルトさんの話だと、史料の類をそう頻繁に動かしたり
はしないそうだからね。元は中心部の隅にある書庫に収めてあったそうだ。その位置も確か
めてくれるといい」
「了解シマシタ」
 望遠モードを維持して、オズがアルヴ中心街を丹念にチェックしてゆく。歴史と伝統を重
んじる妖精族(エルフ)ではあるが、こと自分達にとっての“裏切り者”についての文献な
らば割と扱いはぞんざいだろうというのがハルトらの見方だ。尤も実際、それ故に既に破棄
されてしまっているのなら、元も子もないのだが……。
「あまり長居はしていられない。大よそログを保存したら、私達も退くよ?」

 異相結界を使って潜伏先を脱したジーク達は、急ぎその勢力圏内から遠ざかろうとした。
予定ではこのまま時を止めつつ逃げ切り、同じく作戦に臨んだリカルドらと合流する手筈に
なっている。
「おい、そこのお前達、何をしている!?」
『っ──?!』
 しかし、三人は見つかってしまったのだった。繰り返し異相結界を展開し、時間を止めて
エルフ兵の群れを撒いていたジーク達が草むらから出た瞬間に、不運にも二人組の若い兵達
と鉢合わせしてしまったのである。
 どくん。思わず心臓が跳ね上がった。ハッとなって視線を向けた先には、幾分切り拓かれ
た草道に、この二人組が驚いて身構え始めているさまが映っていた。
「やべっ!」
「リカルドさん、もう一度結界を──」
 だが、次の瞬間だった。慌てて逃げようとする二人の声もそこそこに、ジークの身に突如
として異変が襲ったのである。
 どくん。今度は心臓ではなく、意識全体が大きく揺れ動き、暗がりに落ちる錯覚がした。
まるで何者かに魂の真ん中を鷲掴みにされたような、そんな抗い難い感覚。
「ぎゃっ……!?」
「ぐわあっ!」
 そしてそれは起こってしまったのである。次の瞬間、シフォンとリカルドが制止する間も
なく、ジークは地面を蹴って一閃、この二人を切り捨ててしまっていたのだった。
「!? ジーク!」
「ばっ……! お前、何を……!?」
『──』
 舞う血飛沫、大きくグラついて宙を舞うこの若い二人のエルフ兵。
 抜き放った太刀が妖しく光っていた。前髪に隠れたジークの表情(かお)が、いつもとは
明らかに違った“闇”を纏っていた。


 時を前後して。
 イセルナとカイト、同伴のエルフ数名は霧の妖精國(ニブルヘイム)から遠出をし、遥々
光の妖精國(アルヴヘイム)に近い複数の街の冒険者ギルドを訪れていた。目的は明白だ。
“弓姫”アゼルの“守人”に関する情報提供を、依頼として発注する為である。
 餅は餅屋とでもいうべきか。移動を含めて今日で三日目、計五ヶ所の管轄区に依頼を出す
ことに成功した。この日もギルドの受付嬢らの低頭を背中に受け、イセルナ達はギルドの建
物を後にする。
 彼女は極々涼しい顔で町の中を歩いていた。しかしその後ろについて歩いているカイトや
同伴のエルフ達は、正直不安な面持ちを拭えない。
「……なあ、イセルナさんよ」
「? 何ですか?」
「本当にこれでいいのかねえ? こんな目立つ方法で調べようものなら、すぐにガセが食い
付いてくると思うんだが。それに結社(れんちゅう)がどう悪用してくるか……」
 堪らずに声を掛けて、肩越しに振り向いてくる彼女にカイトは言った。同伴のエルフ達も
コクコクと一様に頷いている。
 アゼルというビックネームと、良くも悪くも名の知れ渡るクラン・ブルートバード直々の
依頼。自らの箔をつけようと、一儲けしようと、何かしらの企みでもって近寄ってくる者達
が現れるであろうことは火を見るよりも明らかだった。大体アゼルのその後については、自
分達は勿論、多くの学者達が挑んでいるテーマだ。そう簡単に真実を握っている人物に出会
えるとは思わない。
「でしょうね。十中八九、これから私達にコンタクトを取って来る相手は、こちらが望むよ
うな情報を持っていないと思います」
「だったら……!」
「まぁ落ち着いて? 心配してくれるのは感謝します。でも私達は、そもそも先日ケルン・
アークで“結社”の刺客達に襲撃されているんです。あの時点でもう、私達の動きを把握さ
れていたのは間違いありません。ならば少しでも早く──彼らよりも先に、アゼルの聖浄器
に辿り着かなければ」
「……」
 故にカイトは返答に窮した。ポリポリと指先で頬を掻き、不安と心配で渋い表情(かお)
になる。リスクは承知の上か……。同伴のエルフ達も眉根をハの字にしているようだ。辺り
を見渡し、早速何か問題が飛んでこないかと心配になっている者もいる。
「だからってどうするんです? 端から期待してないのに依頼をポンポカ出すなんざ、それ
こそ時間を食うだけでしょうに」
「何もしないよりはマシですよ。それに……狙いはもっと別の所にありますから」
『……??』
 町の中を進みながら、そうイセルナはしーっと小さく人差し指を唇に当てて答えた。声色
も心なしか抑えられている。周りに聞こえないように。カイト達は目を瞬き、頭に疑問符を
浮かべながら互いの顔を見合わせている。
「カイトさん達は言ってましたよね? “守人”とはいえ、現在は一介の市民として暮らし
ている筈だって」
「ええ。そうじゃないと今まで存在が明らかになっていない説明がつきませんし。まさか自
分達がそうですって名札を下げてる訳じゃないでしょうからねえ」
「或いはもっと乱暴な……過去、見つけた者は全て始末されてるとか」
「ばっ、馬鹿! それじゃあ俺達、消されるってことじゃないか!」
 後ろで同伴のエルフ達の、まだ若い面子がそうはたと口に出してはどやされている。まだ
どんな面なのか、そもそも同胞のよしみが通じるのかさえあやふやなままでは、そう不安に
なってしまうのも仕方ない事だが。
「……少なくとも、向こうはあくまで正体を隠したがっている訳でしょう?」
「え、ええ。おそらくは」
 イセルナ達は町を往く。今日までに訪れた先々のギルドで、ここ古界の冒険者達が徐々に
彼女の出した依頼に気付き始めていた。「守人? お前知ってるか?」「いや……」「でも
情報を持っていったら、報酬が貰えるんだろ?」「あれだけ有名所だし、上手くやれば楽し
て大金が手に入るかも……?」案の定、企み始める者達もいた。流石に嘘八百では後が怖い
だろうと、めいめいが知っている限りの、聞き及んだ事がある程度の噂を持ち寄っている。
「ならこれで大丈夫です。あくまで存在を秘匿しようとするなら、こちらが探すよりも、向
こうから出て来て貰った方が早いですから」
 ぱちくりと、カイト達は何を言っているのだろうと目を瞬いていた。
 もう一度唇に人差し指を当ててふふっと笑い、イセルナは髪をマントを翻す。

 魔界(パンデモニム)北方、通称“常夜殿”は妖魔族(ディモート)の一大根拠地として
知られる城塞都市である。
 同界北方の中心地として、或いは交易の要衝として。故にこの地は古くから数多くの勢力
に狙われ、その度に争いの舞台となってきたが、かの十二聖が一人“闇卿”エブラハムの血
を引く一族が迎え入れられた事でようやく決着をみた。
 現在の当主の名は、ミザリー・ファントムベイン。
 万魔連合(グリモワール)を束ねる四魔長の一角であり、大都消失事件の際、ジーク達と
脱出の為に共闘した人物である……。

「よく来たわね。聞いたわよ? また奇骨便の調子が悪かったそうじゃない」
 常夜殿の城門──現状を取り巻く諸々の事情から敢えて裏手に近い箇所へと馬車を向けた
ダン達を出迎えくれたのは、この街の領主・ミザリーから寄越された従者達だった。
 お互いの立場もあり、目立たぬ内に懐に入れてしまいたかったのだろう。挨拶もそこそこ
に、一行は街の最奥に建つ彼女の館へと案内された。客間に通された一行を、あの時とは違
って貴族然とした黒いドレスを纏ったミザリー達が応対する。
「ごめんなさいね。ここ何年か、ずっとこんな調子なのよ。事前に知らせておけばよかった
かしら?」
「いや……構わんさ。多少時間は食っちまったが、こうして大きな騒ぎにならずに来れた。
あれはあれで、得るものもあったしな」
 周りには側近や使用人と思しき者達がずらりと。
 それでもダンは、初対面でもないやと皆を代表してややざっくばらんに謙遜しておいた。
当のミザリー達はその末尾に込められた意味などつゆ知らず、小さく頭に疑問符を浮かべて
いたが。
 外と同じく、室内は燭台の灯りだけでどうにも薄暗い。
 一行は促されて、傍にあった薄紫のソファに腰を下ろした。どうやら調度品自体は領主家
だけあって、どっしりと座り心地は充分である。使用人達が人数分の紅茶と菓子を出してく
る中、ダン達は暫し対座するこの四魔長の一角を見ていた。彼女もこちらを見遣ったまま、
慣れた所作で優雅に茶を味わっている。どうにも落ち着かないのは、相手が所詮知人程度の
間柄でしかないこと以上に、自分達の周りでいつでも“動ける”ように控えている側近達の
せいだろう。
「……改めまして。私はミザリー・ファントムベイン。この館の、街の主として貴方達を歓
迎するわ。遠い所よく来てくれてありがとう、そしてこちらからの要請を受け入れてくれて
感謝します。現状、こちらから直接迎えを出すのは、色々と拙くてね……」
 コトンとテーブルの上にカップを置き、ミザリーはそうやや苦笑いしながら言った。ダン
達もその点についてはとうに了承している。「いえ」やはり短く謙遜し、先ずは世間話から
様子を見始める。顕界(ちじょう)とは違い、此処はもう統務院の管轄ではないのだから。
「やっぱ、俺達はこっちでも嫌われてるのかねえ?」
「少なくともそのつもりでいた方が無難、といった所かしらね。食わず嫌いというか、地上
の人間というだけで良く思わない者達も多いから。特に貴方達は統務院直属──彼らに委託
を受けた一個の軍勢なんだもの」
「むう……。何だか理不尽です。私達はずっと“結社”と戦ってきたっていうのに」
「まぁそう言うな。纏めて背負い込んだのは僕達の意思だ。別に彼らから頼んできた訳でも
ない。それこそ本当に縁遠い人間にしてみれば、どちらも火の点いたまま向かってくる厄介
者に違いはないのさ」
 グノーシュにマルタ、そしてサフレが頬を膨らませ、苦笑(わら)う。
 それは半分は本心からだったが、もう半分は周りに立つ側近達を少しでも和らげられない
かと思ってのポーズだったのだろう。……尤も、当の彼らはクスリとも笑わなかったが。
「ああ、勘違いしないで。地上はどうか知らないけど、さっきも言ったように大半は国民性
の問題よ。万魔連合(グリモワール)は統務院ほどしっかりと秩序だってはいないから」
 そんな客人達を見かねてか、ミザリーはそう両手を組みながら苦笑(わら)った。クスリ
ともせず控えている部下達については仕方なく、もう諦めているのか、サフレ達をフォロー
するように言う。
「知っていると思うけど、この地底層は昔から独立独歩の気風が強いわ。それこそ地縁・血
縁でもって閥(ファミリー)を作り、常に縄張りを競い合っている。宿現族(イマジン)な
んかがその典型。下克上なんて茶飯事だもの。今の四魔長も、先代先々代ごとに大きな抗争
を経てやっと落ち着いているくらいだからね」
「……そうなんだ」
「だからこそ、俺達に肩入れしてる所を大っぴらにしたくない訳だ。まぁ応じてくれるだけ
万々歳だと思わなきゃな」
 地底層世界の発展は、資源の争奪と権力の座を巡る争いの歴史。
 そう言ってしまえばどの世界でも似たようなものだが、特に魔界(パンデモニム)を始め
とした此処では顕著だ。突き所があれば、誰が反旗を翻すかさえも不明瞭。そしてその矛先
は、たとえ表向き頂点に君臨する四魔長達であっても例外ではない。
 それ故に、ミザリーもまた内々に事を進めざるを得なかった。
 クラン・ブルートバードは現在特務軍の一員として活動している。そして特務軍は統務院
直属の新設軍であり、即ち地上の権力の狗である──そんなやや乱暴な方程式が、こちら側
の人々の中で少なからず成立している以上、露骨な肩入れは格好の攻撃材料となる。かつて
武力衝突にまで発展した過去もあり、未だに地上の者達と手を取り合うことを快く思わない
門閥(ファミリー)も一定数存在するのだという。
「でも、それはあくまで一般論。私個人は、貴方達に協力は惜しまないつもりよ。大都では
命を救われた恩もあるし、何より世界の危機となればね?」
 わざとらしくウィンクを。重苦しい話だと自らも感じていたのか、ミザリーはそう一旦皆
を和ませるように言った。しかしそれも束の間、話はいよいよ本題へと入ってゆく。
「そりゃありがたい。で? あんたらが十二聖ゆかりの聖浄器を持ってるって話は、本当な
んだよな?」
「ええ。持っているというか、持て余しているというか……。こうして来てくれたという事
は、もう気付いていると思うけど、私達が保管しているのは“闇卿”エブラハムが使ってい
た聖浄器よ。名前は──『秘葬典ムスペル』」
 語られた目的の物に、ダン達は思わず息を呑んだ。
 典、ということは魔導書の類か。確かレナが受け取った“聖女”のそれも教典の体をした
代物だったと記憶している。
「“闇卿”エブラハム──ミザリーさんのご先祖様ですね?」
「ええ。彼、エブラハム・ファントムベインは、元々水面下で解放軍に資金を提供していた
パトロンだったの。当時有力なファミリーの長をしていてね。支援をしていたのは何も気紛
れではなく、帝国の食指が天上・地底両層に伸びつつあったのを警戒していたから。実際、
その侵攻が大きく取り沙汰されるようになった頃、同調した複数のファミリーを率いて本格
的に参戦したわ。武よりも知略の人だったから、結局後世に伝わっているのは主にパトロン
としての側面ばかりだけど」
「ほお。流石は子孫、詳しいな。確かにそのムスペルって魔導書で敵を薙ぎ倒したみたいな
話はあまり聞かないもんな。それで、肝心の物は今何処に……?」
 しかしダン達が確認し、話を進めようとしてすぐ、ミザリーの表情が曇っていくのが分か
った。見れば周りの側近達も、浮かない顔をしている。
 いや……これは“恐れ”か? この館の誰もが、ムスペルの話になった途端、一様に怯え
るように口を重くしている。
「この館の、地下礼拝堂よ。特殊な封印を施された扉の向こうに収められているわ」
「特殊な封印……。志士の鍵か」
「そういう名前なのね。でも、正直言って私達はあまり勧めないわ。ただ回収するだけなら
ともかく、実戦に投入するかもしれないとなると……」
「……? どういう意味です?」
「皇国(トナン)の内乱を覚えてる? あの時“結社”が暗躍していたのは、王器として守
られていた聖浄器の剣を手に入れる為だったそうじゃない。しかもその剣は妖刀──聖なる
力ではなく、圧倒的な魔で魔を討つタイプの代物……」
「……要するに、ムスペルも同じタイプの魔導書ってことか」
「ええ」
 遠回しだったが、言いたいことはすぐに理解した。静かに眉間に皺を寄せ、やや黙ってか
らダンが確かめるように問う。
 仲間達が、思わず互いに顔を見合わせているのが分かった。
 皇国(トナン)の妖刀──告紫斬華は、結果として先皇アズサの命を奪った。持ち主の命
までも求め、癒えぬ傷を与える。そんな物騒な類の代物を、おいそれを渡してしまう訳には
いかないのだろう。
「常人が扱うにはあまりにも危険過ぎるわ。ご先祖様は、何故かあれを使いこなしていたよ
うだけど……。それに肝心の地下礼拝堂は、秘葬典(ムスペル)の影響か、一切の明かりを
許さない空間になってしまっている。これまでも噂を聞きつけたり、代々の領主達が手にし
ようと挑んで行ったけど、結局誰も帰って来なかった。だからもう何百年も、あそこは開か
ずの間になっているのよ。今日まで“結社”が攻めて来なかったのも、犠牲が出るのが分か
り切っていたからなんでしょうね」
『……』
 淡々と語るミザリーだったが、一同に恐怖を与えるには充分だった。
 特にマルタやリュカ、ミアなどは互いにぶるぶると震えて身を寄せ合い、或いはじっと眉
間に皺を寄せて足元の奥深くを見つめていた。グノーシュがガシガシとその赤髪を掻き、困
ったようにダンに一瞥を遣る。
「参ったなあ。どうするよ? 鍵自体は何とでもなるが……」
「ああ。まさか調査要員(いけにえ)なんざ出す訳にはいかねえしなあ」
 話を振られたダンも、困っている。
 一筋縄ではいかないとは思っていたが、まさかこうもいきなりハードモードとは。
「……だが、こうして立ち止まっている訳にもいかないだろう」
 すると、そんな中で先ず手を挙げたのは、それまでじっと黙っていたクロムだった。
 皆がふいっと気付いて顔を上げるのとほぼ同時、彼は一人先んじてソファから立ち上がっ
ている。
「私が行こう。魔で魔を討つ聖浄器なら、魔人(メア)である私が適任だ。これでも元修行
僧だからな。並のまやかしなど破ってみせるさ」
「……でもなあ」
「ううん。だったら私が行く。私だって魔人(メア)だもん。こういう時こそ、皆とは違う
力の持ち主が頑張らなくっちゃね」
 だがそんなクロムを、遮るように続いてステラが立ち上がった。ふんすと胸を張り、白い
銀髪のおさげがふぁさっと揺れる。
「ステラちゃん!?」
「だ、駄目だよ、話聞いてた? 今まで誰も帰って来てないって……」
「うん。危険。少なくとももっと情報が欲しい」
「ミアの言う通りだ。クロムも、ステラも、突っ走るな。確かに性質上、お前らのどちらか
に渡すことにはなるだろうが。だからって分からんだらけの空間に放り込む訳には……」
「では聞くが、ミザリー殿。礼拝堂内の地図などはあるか? どんな術式が組み込まれてい
るのかが判ればもっと良い」
「……ごめんなさい。図面は、探せばあるだろうけど、もう随分古い物よ。術式に関しては
それこそ全くの不明。秘葬典(ムスペル)の影響でああなったのは多分間違いないのだけれ
ど、具体的に何が起こっているかは……」
 仲間達が慌てて止めに入り、しかしこのまま待っていても埒が明かないとクロムが問う。
 ふるふると、ミザリーは静かに首を横に振った。死人に口なしという奴だ。大体、一人と
して生還していないのだから、その凶悪さは言わずもがなである。
「うーん。となると、マジでぶっつけ本番で調べてみるしかねぇって事か」
「使い魔などを送ってみればどうでしょう?」
「多分駄目ね。それが通じているならとっくに攻略されてる」
「ええ。どうやらあの部屋の中とこちら側とは、魔導的に完全に遮断されてしまっているよ
うだから……」
『……』
 ソファに大きく背を預けて珍しく思案顔をするダン。マルタがはたっと思いついたように
提案してみるが、すぐに専門家(リュカ)によって否定された。ミザリーも同じように、現
状判っている地下礼拝堂のあれこれを話してくれている。
「駄目だろう? なら、挑んでみるしかない。おそらくは秘葬典(ムスペル)の側も、そん
な悪意でもって自らを守っていると考えられる」
「うぅん……」
「行かせてくれ。ここは、私が」
「待った」
 だがそんなクロムを、やはりステラが遮った。彼の言い方に“人柱”的な意味合いを感じ
取ったのだろう。言われて目を遣ったクロムの瞳には、彼女は静かに怒っているように映っ
ていた。
「私が行く。あんたに何かあったら……ジークに顔向けができないよ」
「それは君も同じだろう? もし何かあったら、ジークだけでなくクランの皆が悲しむ」
「それはそうだけど……。あー、もう! これじゃあキリがない。大体さ? 相手は魔導書
なんでしょ? だったら同じ魔人(メア)でも、魔導が使える私の方が適任じゃん。そう簡
単に“犠牲になる”風に持って行っちゃ駄目。ジークの言葉、忘れたの?」
 二人が、何処となく口論のように互いに手を挙げたがっていた。
 片方は自らが元敵だったことを暗に理由にして。もう片方はそんな内心を見透かしていた
上で頬を膨らませ、なら自分がと。
 ダン達が、ミザリーらが暫くこの二人のやり取りを思わず目を瞬いて見守っていたが、や
がて折れたのはクロムの方だった。ぽりぽりと刈り込んだ短髪の後頭部を掻き、引き合いに
出されたジークの言葉──何度も死にたくなるまで後悔させて、最期の最期まで生かし続け
てやる──を思い出して押し黙った。人柱を買って出るのは、事実上の自殺(にげ)なのだ
と彼女は言いたかったのだろう。
「……仕方ないな」
「ステラちゃん……」
「おいおい。大丈夫か?」
「まぁどっちにせよ、一度ぶつかってみるしかねえしなあ。でも……」
 仲間達は迷っていた。だがそうして時間を浪費し、何より彼女の意思を捻じ曲げてしまう
訳にもいかない。
「大丈夫だって。いざとなれば、礼拝堂ごと吹き飛ばすからさ?」
「……それは流石に拙いんじゃないか。色々と」
 当のステラはそう敢えて冗談交じりに強がっていた。サフレや仲間達も、議題が議題だけ
に中々笑い飛ばしてお終いとする事もできない。
「本当に、彼女で?」
「うーん……まあ。聖浄器との相性的に一番なのは間違いないし、他でもない本人がやる気
を出しちまってるからなあ」
「そうね。なら、よく話し合ってちょうだい。あの部屋に挑むとなれば、こちらも相応の態
勢を整えないと……。暫く時間を貰うわ。それまでに、貴方達で納得のいくよう決めて?」
 言って、そうミザリーがすっくとドレスの裾を摘まみながら立ち上がった。
 館──常夜殿の中枢が、にわかに慌しくなる。

「そのお野菜は、二小往(スィリロ)(=約二センチ)の短冊切りで」
「了解~」
「お芋なら一度ぐるっと切り込みを入れて、一度お湯に通すと簡単に剥けるよ?」
『へえ~!』
 ジーク達が出掛けてしまった後の、霧の妖精國(ニブルヘイム)。
 留守番組となったレナとクレアは、サラやタニア、里の子供達と一緒に集会所に併設され
た台所に立っていた。そろそろお昼時だ。皆で協力して、食事の準備をする。
 レナの──地上の料理が食べられると聞いて、子供達は興味津々といった様子で集まって
きていた。慣れた様子で根菜や葉菜、鶏肉などを刻み、沸騰した鍋の中に入れてゆく。基本
菜食主義な彼らエルフ達の為に、今日作るメニューもヘルシーな物揃いだ。
「ごめんなさいね。手伝って貰っちゃって」
「いいえ、お構いなく。こういうの、クランでもよくやっていましたから」
 L字型になったキッチンで肩越しに顔を遣りながら、サラが苦笑(わら)っている。レナ
は優しく微笑み、横から後ろから覗き込んでいる子供達の頭をそっと撫でてやる。
「ちょっぴり懐かしいです。こうやって大人数で食べるのって、最近はあまりなかったです
から……」
 二手に別れて聖浄器回収の旅を続けている。だから仕方がない。
 それでも転送リングを使えばすぐにルフグラン号に戻れるし、皆とそうやって同じ食卓を
囲むくらいはできる。
 しかし、何処となく物寂しい──随分遠くまで来てしまったなあと思うのは事実だった。
まさか妖精族(エルフ)の集落で、そのような体験を補完できるとは思っていなかったが。
「ふふっ。そうねえ、私達も普段からこう毎日皆で集まってという訳じゃないのよ?」
「今は皆さんがおられますから」
「うん。お姉ちゃんのおかげー」
「おかげー」
 クリスやクララ、シェリーにタルト。クレアの弟妹達も他の子供らに混ざってニコニコと
上機嫌に唱和している。客人が居るからこそのちょっとした非日常──穏やかな時間。そう
言ってしまえば微笑ましくて、むず痒いのだけど、一方でそんなもてなしを促してしまう事
が少し申し訳なくも思う。
「……」
 和気藹々と、開放的。
 大よそ世間一般の妖精族(エルフ)のイメージとは真逆だ。尤もここがニブルで、同族の
中ではまだまだイレギュラーな者達の集落という点もあるのだが。
「あの。一つ訊いてもいいですか?」
「うん?」
「なぁに?」
「その、どうして妖精族(エルフ)は、一般的に保守的で閉鎖的と言われるようになったの
でしょうか? その手の話自体はよく聞くのですが、肝心の理由までは知らなくって……」
「ああ……」
 要らぬ話を掘り返してしまったかな? 最初レナはそう口に出した事を後悔した。
 だが当のクレア達は、見た限りそこまで神経質になってはいないようだ。多かれ少なかれ
彼女達自身がそういった傾向に対して否定的な一派である事も大きいのだろうが。
「うーん。実は私もよく知らないんだよねえ。昔っからお年寄り達にとっては当たり前で、
当然の伝統を守る為だから? 教科書通りに答えるなら、森の民としての誇り……とかなの
かなあ? 実際地上と地底(した)は開拓が進み過ぎて、妖精族(エルフ)的な暮らしを損
うーなんて言い方はよくされるよねえ」
 ママや叔母さんは知ってる? 短冊切りの手を一旦止め、クレアはそうサラやタニアの方
を見遣って話を振っていた。二人も同じく作業を止め、うーんと口元に手を当てる。先に口
を開いたのはサラだった。
「……そうね。一言で表すなら“敵意”ばかりが世代を越えて蓄積してきたから、とでも言
うべきなのかしら」
「敵意……?」
「少し難しい話になるわ。元々私達いわゆる古種族──天上層の人間は、歴史的に地上へ進
出していった者達に“乗り遅れた”過去があるの。加えて魔導解放後に盛んになった世界の
開拓と、神竜王朝の失敗」
「リュカさんも竜族(ドラグネス)の一人だから、聞いた事があるんじゃないかしら? 元
は混乱を収める為に皆から頼まれて王になったのに、結局はその力の大きさに怯えて見捨て
られた……彼女達にとっては種族全体のトラウマよ。でも当時の妖精族(ごせんぞさま)達
は“それみたことか”と思ったんでしょうね」
 レナはぱちくりと目を瞬いていた。よもや彼女達からそんな怨嗟の言葉を聞くとは思いも
しなかったからだ。
 尤もそれは、彼女達自身のものではない。一般的に保守的・閉鎖的と語られるエルフ全体
としての話だ。事実二人は何処か困ったように、哀しむように語っている。
「開拓の激しさは帝国時代にピークを迎えたわ。荒れ果ててゆく地上を見て、ご先祖様達は
思ったのでしょうね。やはり間違っていたのだと。……自分達を正当化しようとしたのよ。
時代に乗り遅れ、大切にしていたものを傍目に壊され続けた妬みと失望。それらが綯い交ぜ
になって、子から孫へと継承されていった。特に私達の寿命は長いから、その分憎しみの感
情も濃縮されていったんでしょうね」
「……? 長生きできるなら、寧ろ色々解るんじゃ……?」
「ふふ。そうかもね。でも大抵の場合はその逆なのよ。自らの履歴(ありしひび)が長く続
けば続くほど、新しいものについてゆけず、憎みさえするようになる。そうして新しいもの
達への、地上の人間や開拓派それ自体への敵意が蓄積されていった……」
『……』
 レナは勿論、まだ年若いクレアも一緒になって言葉を失っていた。
 彼女達が、開明派のエルフがそう自らの同胞達の醜態を暴露しなければ理解することさえ
難しくなっているというのは、何とも皮肉な事か。
「でもね? そんな蓄積も、新しい経験一つでちゃんと塗り替えられるのよ。私やハルトも
そう。二十年前、コーダスやセド君、シノさんにリン、アイナ達と出会えたから、私達は彼
らと共に生きることだって出来る筈だと信じられるようになった。長命だからこそ、新しく
生まれてくるもの達を受け入れなければならない義務があるのよ。過去は大事──過去があ
ったからこそ今があるのは事実だけど、自分達が生きるのは“今”なんだから。未来に向か
って生きなくっちゃ。そうでなければ、ゆっくりと滅ぶしかないわ。いずれ過去の重みに潰
される、その瞬間に怯えながら過ごさなくちゃいけないなんて嫌でしょ?」
「……サラさん」
「お義姉さん……」
 本当は、アルヴの皆とも分かり合いたかったんだけどね?
 そうサラは、何処か遠い日々を思い出すかのように、フッと残念そうに呟いた。レナが、
義弟嫁(いもうと)たるタニアも期せずして打ち明けられたそんな言葉達に、応じ掛け合う
に値する二の句を持ち得ない。
「──? 何だろ、妙に向こうが騒がしいな……」
 ちょうど、そんな時だった。
「大変だー! ジーク達がしくじった!」
「アルヴの兵士を斬っちまったって!」
 里の一角、ちょうど『陣』を敷設した辺りから団員達が駆け込んで来ていた。大層慌てた
様子で、そう場に居合わせた仲間や、里の者達に告げる。


「ジーク!」
「お前……何を……?」
 目の前で起こった光景に、シフォンとリカルドは我が目を疑っていた。ジークが突如とし
て、鉢合わせになった二人の若いエルフ兵を斬ってしまったのだ。
 どうっと草の地面に倒れ込むこの兵士二人。
 残心のまま、いつもとは違う何処か禍々しいオーラを漂わせるジーク。
 数拍の間、時間が止まってしまうかと思った。それだけ二人にとっては衝撃的で、にわか
には信じられなくて、何が起こったのか理解が追いつかない。
「ジーク、一体どうしたんだ!?」
「何も斬っちまうことなかったろ! アルヴ側に口実を与えちまうんだぞ!?」
 それでも、慌てて駆け寄ろうとするシフォンとリカルド。
 だが次の瞬間、ジークはくるりとこちらを振り返ってきたのだ。抜き放った紅梅を片手に
握ったまま、まるで自分ではない何かに抗うように、苦悶と動揺の表情を浮かべて。
「来る……な! 急に、身体の……自由が……っ!」
 異変に気付き、二人が駆け寄る足を止めたのとほぼ同時だった。ジークは再び雄叫びを上
げると、今度はこちらに向かって斬り掛かってくる。すんでの所でシフォンは飛び退き、リ
カルドは身を屈めて転がりながらこれをかわした。
「あっぶねえ!」
「身体の自由? まさか、操られて……?」
 冷や汗を流して転がり起きたリカルドを視界の端で捉えながら、シフォンは思わず眉間に
皺を寄せた。こんな時に冗談をやるような友ではない。ましてや通りがかりのエルフ兵を巻
き添えにするなどあり得ない。ニブルを出る前に、彼らに直接的な危害を加える事のリスク
は再三確認し合った筈だ。
 剣を構え直そうとするジーク。そんな我を失いそうな彼の姿を、シフォンは見氣の眼を凝
らして見つめてみる。
(……不自然な魔流(ストリーム)は視えない。だが、このどす黒いオーラは……)
 最初、ジークの訴えにシフォンは“結社”の使徒、ヘイトの仕業を考えた。あの少年は相
手に魔流(ストリーム)を刺し込み、洗脳する能力の持ち主だった。
 しかし今、ジークにそのような兆候は視えない。しかし代わりに、どす黒く不穏なオーラ
が彼の全身に絡み付いているのが分かる。
『──』
 ニッと、何処か遠い場所で、暗がりに隠れた老人が静かに口角を吊り上げている。
 操られたジークは再び襲い掛からんと地面を蹴った。「逃げ、ろ!」半分は自身で、半分
は自分ではない何か。互いに引き離されたリカルドとシフォンが、この術に陥らされた仲間
を迎え撃つ。

「……何だ、この気配は?」
 一方で崖の上のハロルドも、程なくして森の中で起こった異変に気付き始めていた。仲間
達とは違う、禍々しいオーラを感じ、オズに命じてその一角をズームする。
「見エマシタ。!? マスターガ、シフォンサント、リカルドサンヲ襲ッテイマス!」
「何だって?」
 その報告に、ハロルドは思わず眉間に深い皺を刻んだ。一体何が起こっている? 自分も
眼を凝らしてみるが、オズのように三人のいる位置も姿も肉眼では捉えられない。
「傍ニハ……エルフノ兵が二人、倒レテイマス。斬ラレタヨウデスネ」
 どうやら状況は、かなり拙い事になっているらしい。オズが望遠モードで遂次伝えてくれ
る内容から察するに、第三者が何らかの形で介入してきたと思われる。
「十中八九、操作型の能力だね。術者の姿はあるかい?」
「……イイエ。先程カラ探シテイマスガ、ソレラシイ人影ハ。何分広過ギテココカラデハ捉
エ切レナイカト」
 眼鏡の奥の険しい眼を静かに光らせ、ハロルドは眼鏡のブリッジを押さえていた。森とい
う遮蔽物の多い立地で視認できないのか、或いはもっと遠くから操作しているのか。少なく
とも早々に事を収めなければならない。他のメンバーはもうルフグラン号に戻って行ったと
いうのに。
「とにかく、シフォンとリカルドに連絡を取ろう。急いでジークを回収して戻って来いと」
 自分達が助けに行くには遠過ぎるし、何よりも余計にややこしくなる。
 ハロルドはそうオズに言って一足早い撤退を指示し、自分はコウッと掌に光球──精霊伝
言を呼び出すと、急ぎ二人に報せようとする。

「見つけたぞ!」
「侵入者め、観念しろ──って、あれ?」
 騒ぎを聞きつけて他のエルフ兵達が集まって来た。矢を番え、剣を抜いてこの狼藉者達を
包囲しようとするが、どうも様子がおかしい。同胞が二人、地面に倒れているのはすぐに分
かったが、それ以上に彼らの内一人の女傑族(アマゾネス)が、残り二人に剣を向けて襲い
掛かっているではないか。
「……何だ? 何がどうなってる?」
「仲間割れか?」
「ええい、構うものか! 同胞を手に掛けている事実は変わらない。纏めて捕らえろ!」
 しかし年長のエルフ兵の一声で、すぐにその戸惑いも消し飛んだ。弓と剣、二手に別れて
射撃と迂回しながらの白兵戦に持ち込み、この三人──ジーク達を取り押さえようとする。
「だわっ! 止めろ、目を覚ませジーク!」
「拙いな……。アルヴ側にも気付かれ始めた……」
 操られたジークの攻撃を避けながら、飛んでくる矢を身を前後させながらかわす二人。
 シフォンがぐっと歯を噛み締めて、静かに焦った。このままでは三人とも逃げられなくな
ってしまう。
「……仕方ない。リカルドさん、結界を!」
「お、おう!」
 故に、次の瞬間だった。剣を振りかぶり襲い掛かってくるエルフ兵達を寸前に、シフォン
がリカルドに合図する。同時に指を鳴らし、背中の調刻霊装(アクセリオ)を介しての短縮
詠唱。
 三度、異相結界が発動した。
 爆発的に広まった力場は一瞬で周囲をモノクロの世界に変え、襲い掛かるエルフ兵達や草
木、風の動きさえも静止させる。
『……』
 その対象にはジークも含まれていた。二人に斬り掛かる前の体勢で停止している。
「借りるよ、ジーク」
 するとシフォンは、取り急ぎその懐から二本の脇差を抜いた。白菊と金菫である。時間が
停止して抜き取ることさえ重く、難儀したが、それでもシフォンは拝借した白菊にオーラを
込めると、同じく彼に纏わり付き静止しているどす黒いオーラに向かって一閃を叩き込む。
「──ッ、はあっ!」
 そして直後、結界が解けた。先刻から連発していたせいでリカルドもかなり疲労している
ようだ。よもや時間を止められていたとは気付かず、しかし妙にリズムを崩して周りのエル
フ兵達が少なからずよろめきかける。操られていたジークも同様だ。すぐに抜き取られた懐
の二本に気付き、そして……。
「ぐうっ……!!」
 白目を剥いて、倒れた。どす黒いオーラが弾かれるように霧散した直後だった。
「な、何だ?」
「急に倒れたぞ……?」
「いや、今がチャンスだ! 残り二人も纏めて捕らえろ!」
 おおッ! エルフ兵達は最初こそ戸惑ったが、しかし敵対する向きまでは変わらない。そ
の場で崩れ落ち、意識を失ったジークを抱きかかえるリカルドとシフォンへと、その刃を振
り下ろそうとする。
「ちっ……!」
 辛うじてその一撃は、リカルドの仕込みナイフと足蹴りで防ぎ切った。その間にシフォン
は金菫を握り、先程斬られてしまった若いエルフ兵達の下へと駆け寄ってゆく。
「っ、貴様!」
「何をする?!」
「五月蝿え、死なせたくなきゃ黙ってろ!」
 先んじてこの仲間のやらんとする所を理解し、エルフ兵達に向かって怒鳴るリカルド。
 その隙を縫って、シフォンは金菫にオーラを込めた。輝く房がゆらゆらと揺れ、刃を突き
立てたこの二人の傷を、波紋を漂わせながら拭い去ってゆく。
「……傷が」
「消えた……?」
 暫くオーラを注いでから立ち上がり、シフォンは両手に握った金菫と白菊を見る。知らず
知らずの内に肩で息をし始めている。
(やはり負荷が大きいな。ジークほど上手くは使いこなせないか……)
 遠巻きにもこの若いエルフ兵二人の傷が見えなくなったのが分かる。最初斬られた際の血
飛沫や血痕はどうしても残っているが、心なしか二人とも穏やかな表情にも見える。
 唖然としている彼らの前に、ふよふよと光球が飛んで来た。精霊伝令だ。シフォンとリカ
ルドはすぐにそれがハロルドからのものだと知り、内容を聞いて頷いた。光球は消え、倒れ
たままのジークをリカルドが担ぎ上げて、その肩を取ったシフォンが自身の転送リングを発
動する。
「消えた……」
「まさか、空間転移? あいつらは一体……」
 何だったんだ?
 かくして取り残されたエルフ兵達は、何故か手当てされたらしい若い同胞二人の寝顔を戸
惑いのまま、見つめ見下ろす。

 “守人”探しはにわかに風雲急を告げ、前哨作戦は中断に追い込まれた。
 ハロルド達は光の妖精國(アルヴヘイム)から離脱し、ルフグラン号に戻って来ていた。
里に知らせに走っていた団員達から話を聞いたレナやクレア、ハルト達も既に合流済みだ。
「……してやられたな」
 改めてシフォン・リカルドから、一体何があったのかの詳しい説明があり、大きく嘆息を
ついたハロルドの一言が皆の思いを代表した。
 暫くぶりの集合だというのに、一同の表情は重く険しい。それはひとえにジークの突然の
暴走であり、結果引き起こされた事態の深刻さである。
 曰く、若いエルフ兵達に見つかってしまった瞬間、ジークがまるで人が変わったかのよう
に彼らを斬り捨ててしまったこと。自身も戸惑い、抗い難いほど身体の自由が利かなくなっ
てしまったということ。
 シフォンの機転で昏倒させられたジークは、今も眠っている。用心の為に封印術式の枷を
嵌めた上で、遮音壁の付けられた別室に隔離している。
「何で、そんな事になってしまったんでしょう?」
「偶然にしては悪意があり過ぎるからね……」
 ここからは見えない隔離部屋の方を、ちらちらっと気にしながら眉を伏せるレナ。ハルト
も口元に手を当てて呟いていた。一見して落ち着き払っているようだが、その実ニブルの長
として、現在進行形で様々な思考が渦巻いている筈だ。
「これは間違いなく“結社”が仕掛けてきたと考えるべきだろう」
 そしてハロルドは皆に向かって言った。シフォンやリカルド、レナにクレア、オズにハル
ト以下、ニブル側から出席した面々や団員達がにわかに身を硬くする。
「どうやら私達はまんまと嵌められたようだ。おそらくは操作型──オーラを介して他人に
干渉するタイプの色装(のうりょく)だと思われる」
「それって……ヘイトみたいな?」
「でも、シフォンさんの話だと、それらしい魔流(ストリーム)は視えなかったって」
「より遠隔操作に秀でた能力の可能性が高い。或いは姿を隠すような能力を持つ仲間があの
場に同伴していたか」
 眼鏡の奥で光っていた眼が、ゆっくりと皆を見る。流石に《識》の眼を持つハロルドも、
肝心の相手の姿を見ていない以上断定はできないらしい。少なくともこちら側の動きを把握
し、且つ悪意をもって立ちはだかろうとする者達の仕業だ。
「遠隔……私ノ望遠(ズーム)機能ノヨウナモノデショウカ。シカシ、モシ本当ニソノヨウ
ナ能力ガアルトナルト……」
「ああ。下手に動けなくなるぞ。向こうはともかく、こっちには知りようがない」
「そうでもないさ。基本的に色装の能力は、特異であればあるほど、特化していれば特化し
いるほど、その為に代償となったものが存在する。ジーク君の《爆》のピーキーさ、アルス
君の《花》の限界量。イセルナやダン、グノーシュのような変化型なら、相反する属性との
打ち合いとなれば途端に威力が半減する。私の《識》も、色装に関する知識を伴わなければ
何の役にも立たないからね」
 トントンとこめかみを指先で叩き、ハロルドは言った。つい漠然と敵を過大評価して不安
になってしまわないように、皆を励ましながら。
「シフォンとリカルドの話では、ジーク君の身体にはどす黒いオーラが纏わり付いていたら
しい。それを白菊で切り離すと効力が消えた点から考えても、おそらくそれが能力の、遠隔
操作のキーだろう。何かしらの条件を満たす事で相手に取り憑き、操る。事実道中“結社”
ともやり合った。その辺りを踏まえれば、大よその目星はつくが……」
 やや視線を俯き加減、ここではない何処かへ。記憶の頁を捲り直すように。
 道中やり合ったというのは、十中八九ウラハと呼ばれていたあの信徒級達のことだろう。
刺客にしては色々と不自然な点があったが、そもそもハロルドの言う“条件”を満たす為の
接触だったのならば辻褄が合う。
「こりゃあ、悠長に地図探しなんてしてる暇はなさそうだな」
「ええ。先ほどイセルナさんに──彼女と一緒にいる筈のカイトに精霊伝令を送りました。
至急戻って来るように添えています。ただ、今どの街にいるのか分からないので、少々時間
が掛かってしまうと思いますが……」
 ガシガシと髪を掻き、リカルドが嘆息する。ハルトも頷き、表向き平静を装いながら気を
揉んでいた。団長不在の中で起こったこのトラブル。最大のネックは時間だ。
「こちらからも、レジーナさん達にイセルナの端末に導話させています。私達が船に戻って
来ていると聞けば、すぐにでも転送リングで合流してくれる筈ですが……」
 実に拙い。
 確実なことは、この失敗でアルヴ側に格好の──攻撃の口実を与えてしまったこと。
 元より彼らを率いる古老達が、ハルトらニブル側の存在を快く思っていないのなら、この
機を逃すとは思えない。
(……これは、戦争になるぞ)

 ジークはまだ深い眠りに就いていた。沈み込んだ意識を蝕むのは、自らの意思とは関係な
く仲間を斬ろうとしたあの時の記憶。
 魘され、操作から解放されもて尚、残る傷。
 彼はまだ知らない。自らが陥らされた罠が、どんな結果を生もうとしているのかを。

「退け、退け! 道を空けろ!」
「仲間がやられた! 医務室へ早く! すぐに処置の準備を!」
 光の妖精國(アルヴヘイム)では、負傷した二人の若いエルフ兵が同胞達の手によって担
ぎ込まれていた。ただでさえ突然の警報に不安になっていた里の者達にとり、こちら側に被
害が出たことで彼らはショックを隠せない。
「……許せない!」
「でも、一体誰が……?」
「女傑族(アマゾネス)だ。女傑族(アマゾネス)の剣士と、同胞の裏切り者、あと僧服の
人族(ヒューネス)の三人組だそうだ」

「あら? レジーナさんからだわ」
「というと、例の飛行艇の。何でしょうね? まだ大きく動くには早いですが……」
 イセルナとカイト、同伴のエルフ達は、ちょうど街を出てニブルに帰る所だった。
 すると懐で携行端末が着信を告げ、画面にレジーナの名前が出ている。予定外のタイミン
グと人物からの連絡に、彼女達が小首を傾げている。
『……』
 そんな一行の姿を、近くの樹上から見下ろす複数の影に気付いている素振りもなく。

「──本当にいいのね?」
 ちょうどその頃、ダン達南回りチームはミザリーの案内で館の地下礼拝堂に来ていた。
 部屋前の回廊に点々と灯された蝋燭達が、心許なく揺らめいている。今やすっかり見慣れ
た十二聖の封印扉の前へ、先頭に立つのは、志士の鍵とナイフを手にしたミザリーだ。
 肩越しに振り向くその視線の先には、ステラがいた。結局仲間達の話し合いでも彼女が適
任であることは動かし難く、何より本人の意思を尊重して送り出す事にしたのだ。
 だからと言って、不安がない訳ではない。マルタやリュカ、ミアら同じ女性陣は特に心配
そうに眉を寄せている。
「うん。いつでも大丈夫。晩餐(ごはん)も済ませて元気いっぱいだしね」
 数拍の間、ミザリーもダン達も黙っていた。彼女を見つめていた。
 この先、挑むのは開かずの間。闇の聖浄器がそのテリトリを張り、自らを手にしようとし
た者達をことごとく亡き者にしてきた曰くつきの場所。
 静かにため息を吐き出し、ミザリーは扉の前に向き直った。封印のレリーフに宝珠を嵌め
込み、ナイフを当てた指先の血を、その中央に走る溝へと垂らす。
『……っ』
 ゴゴゴゴッと、堅く閉ざされていた扉が開き始めた。数百年分の埃を舞わせ、文字通り果
ての見えない暗闇がその奥に口を開いている。
「図面によれば、中はさほど広くはない筈よ。礼拝堂というだけあって、物は色々そのまま
になっていると思うけど」
 改めて確認するように、ミザリーが振り向き言った。出来れば留まって欲しいのだろう。
恩人の一人が消えてしまうのは、妖魔族(ディモート)だとしても忍びない。
「もし、一晩経っても戻って来なければ、その時は……」
 皆までは言えなかった。ダン達も、ステラ自身も只々黙って頷いている。仲間達に見送ら
れて、ステラは歩き出した。ミザリーの横を通り過ぎて、この果ての見えない闇の中へ飛び
込もうとする。
「……気を付けてな」
「絶対に無理はしないでくださいね?」
 別れ際、ダン達は言った。きっと無事に戻って来るとせめて信じて。
 ステラは振り向いて、ニッと皆に笑った。左手でサムズアップをしてみせ、最後まで皆を
心配させまいと振る舞う。
 ──風が吹いた。
 新たな挑戦者を呑み込むように、礼拝堂の闇から吹き抜けた風圧が、辺り一帯の蝋燭の火
を掻き消した。

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Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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