日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅶ〔85〕

 二人にとって、これほどの長旅は初めてだった。
 カインとクラリス──レナの実の両親・セディナ夫妻は、この日遠路遥々ジークとアルス
の故郷・陽穏の村(サンフェルノ)を訪れていた。
 両手にはどっさりと旅の荷物。持ち切れない分は、後ろから小さめの馬車を連れた数名の
神官兵達──クリシェンヌ教団から派遣された護衛役が運んでくれている。
 聖都での騒動、娘(レナ)を巡る一件で、二人は散光の村(ランミュース)にいられなく
なった。中にはこれまでの事情を理解してくれ、庇ってくれる村人達もいたが、現実として
そうではない村人達との軋轢は今も尚続いている。そんな環境の中で、間違いなくその元凶
である自分達が暮らし続けるなど無理だった。引き留めてくれる者達もいたが、二人は身を
引くことに──村を出る決意をしたのだった。

『本当に、すみませんでした。あの時もっと周囲を警戒しておけば……』
『いえ。私達も、村の皆に嘘をつき続けていた非がありますし……』
 騒動が片付いた後、ハロルドやイセルナ、レナが訪ねてきた事もあった。その時に二人は
村を出る心積もりを打ち明けた。彼らはやはりというべきか、罪悪感に襲われていたが、こ
うなることは何処かで予感していた節もある。
『それで、行く当てなどはあるのですか?』
『いえ。それがまだ』
『私達の事も知られてしまいましたから、あまり近場では意味がないでしょうし……』
 故に、二人の相談を受けて「ふむ」とハロルドは思案顔をする。イセルナも横目で彼の様
子を見ていた。するとぼーっと何度か目を瞬いていたレナが、はっと弾かれたように顔を上
げる。
『だったら、陽穏の村(サンフェルノ)はどう? ジークさんとアルス君の故郷なの。ここ
からも充分遠いし、条件を満たせると思う』

 それから、話はトントン拍子で進んだ。場所はアトス領内の北東内陸。あのジーク皇子が
生まれ育った場所らしい。最初ハロルドは目を丸くし、本人不在のまま決めていいのかと眉
を顰めたが、後日本人達からも快諾があった。二人が村に居られなくなってしまったのも、
元を辿れば自分達が原因だという思いがあったのだろう。クランの面々と共に村に、トナン
本国にいる母(シノ)らにも連絡を取り、移住計画はクラン・ブルートバードとクリシェン
ヌ教団が全面的にバックアップする形となった。こと教団にすれば“聖女”の生みの親らを
心苦しい環境──寒村の中に縛り付けていると批判されるのは避けたかったのだろう。
「……」
 陽穏の村(サンフェルノ)は地理的にもずっと北にあり、現在の季節も合わさって少し肌
寒いくらいに感じる。
 しかしカインとクラリスは、それ以上に不安だった。事前に移住したいという旨と事情は
伝えて貰っている筈だが、馴染めるだろうか? ジーク皇子とアルス皇子、あのレノヴィン
兄弟出生の地というだけで既に名が知れ渡ってしまっているであろうに、これ以上村の人達
に負担を掛けてしまいはしないか……?
『ようこそ、陽穏の村(サンフェルノ)へ!』
 だが、二人がおずおずと村の門へと近付いて行った瞬間、そんな心配は文字通り吹き飛ん
でしまうことになる。それまで穏やかに、しんとしていた場にパァンと幾つものクラッカー
の紙吹雪が舞い、重なる歓迎の言葉が響いたのだ。
 え──。カインとクラリスは目を真ん丸にしたまま立ち止まる。そこには物陰から颯爽と
現れ、お手製の横断幕を掲げた村人達が大集合していたのだった。皆一様ににこにこと、紙
吹雪がゆっくり地面に落ちてゆく中でこちらを見つめている。
「あれ? 反応がない」
「おかしいなあ。この二人で間違いないよな?」
「ああ。写真も見せて貰ったし、荷物からしてそうだろ? えっと、カインさんとクラリス
さんで合ってるよな?」
「あ。はい」
「そ、そうですが……」
「やっぱり! いやいや、よかった。もしかして全然関係ない旅人さんだったりしたらどう
しようかと思ったよ」
「改めて、陽穏の村(サンフェルノ)へようこそ。話はイセルナさん達やハウゼン王の使い
の人達から聞いてるよ。レナちゃんのご両親だそうで」
「いやあ、まさか、あの時のお嬢ちゃんが“聖女”様だったなんてなあ。まぁ結構複雑な事
情だったみたいだし、もし俺達が訊いてても答えはしなかったんだろうけど」
「とりあえず、後ろの騎士さん達も含めて荷物を運ぼうか。急ごしらえだけど、二人の家も
もう建ってるよ。必要があればまた改築するから。あー、そんな縮こまらなくたっていいん
だって。土地なんか無駄に余ってるからさあ」
 正直言って、大分呆気に取られていた。その間にも村人達はやたらフレンドリーに話し掛
けてきてはカインとクラリスを囲み、手にしていた荷物を預かってゆく。まるでお祭りだ。
いや実際、小さな村にしてみれば、移住者がやって来るなどそれだけで充分ビッグイベント
なのかもしれないが。
「家はあそこの青い屋根の平屋だ。ベッヂん家とサムソン家の間だな。困った事があったら
何でも言ってくれ。ここは田舎で何かと不便っちゃ不便だが、住めば都ってな」
「それに、この村も色々あって、今じゃあ正規軍の詰め所がある。その辺の村よりはよっぽ
ど安心して暮らせる筈だぜ?」
 邪気はない。まるでなく、本当に心から自分達を歓迎してくれているようだった。
 カインとクラリスはちらりと互いに顔を見合わせ、破顔する。先程までの心配など無用だ
ったのだ。そもそも、嫌だとか面倒だと彼らが思っているなら、ここまでトントン拍子に移
住の話が進む筈もない。
「レナちゃんはジークとアルスの仲間。で、その家族となりゃあ、俺達にとっても家族みた
いなもんさ」
「散光の村(むこう)じゃ色々苦労したみたいだけど、もう大丈夫。私達は貴方達を歓迎す
るわ。一緒に、娘さんの活躍を見守りましょう?」
『……』
 じわり。半ば無意識に涙が出てきた。袖で拭うクラリスにそっとカインが寄り添う。そん
な二人を囲みながら歩き、笑みを向けながらあーだこーだと喋り続けている村人達の中で、
ふと別の質問を投げ掛けてくる者があった。
「……ジークは、元気そうだったか?」
 何だか気難しそうな竜族(ドラグネス)の男性だ。村人達曰く、クラウスさん。皇子が村
にいた頃の剣の師匠であり、今は彼らと共に旅をしている仲間の一人・リュカの父親だそう
だ。現在は別パーティーで行動中だという。
 二人は殆ど迷う事なく首肯していた。初めて会った時──聖都での一件が本格化する前は
流石に険しい面持ちだったけれど、それは全て娘の自由を勝ち取る為だったことは自分達に
も解っている。それだけ強く激しく、闘ってくれた。心が萎えていない証拠だ。
「……ハウゼン王も、ご自身が大変な時なのに配慮してくださって……」
「そうだね。でも、あまり私達が卑下してしまっては失礼だよ?」
 ずっと思いが溜まりに溜まっていたのだろう。クラリスは感涙に咽んでいた。カインはそ
っとそんな妻の背中を擦ってやりながら、静かに言う。幸運に、差し伸べられた手に色々と
理由をつけてしまうのは止めよう。これからはもっと幸せになるんだ。
「改めてよろしくのう。カインさん、クラリスさん」
「よーし、皆、さっさと荷物を運んじまうぞ。今夜は宴だー!」
『おおーっ!』
 杖を突いた老人──村長と名乗ってくれた村人が皺くちゃの顔に笑みを浮かべて言う。そ
の横でまだ若い、中年盛りの男達が、二人や神官兵から受け取った荷物を手に快哉の声を上
げている。気持ちのいい人達だ。

 卑下しなければ、ひっそりと生きなければならなかったこれまで。だがそれも、今日この
日から変わろうとしている。秘密が解かれ、咎められることがなくなり、やっと自分達の人
生にも温かな光が差し込んできたように思う。
『……』
 嬉しい(あたたかい)。
 カインとクラリスはそっと、どちらからともなく互いに肩を寄せ合って歩く。
 そうか。こういった理解者(ひとびと)が、娘を暫く見ぬ間に強くしてくれたのだろう。
守ってくれたのだろう。
 改めて。二人の胸奥にはもう、只々感謝の念しかなかった。


 Tale-85.天地を奔る出会い

 古都ケルン・アークは、古界(パンゲア)のほぼ中央に位置している。
 いや、厳密にはこちら側から見える世界樹(ユグドラシィル)から見て西側だ。尤も央域
の圏内にあるという点では間違ってはいないのだが。
 導きの塔を後にして、ジーク達北回りチームはこの天上層きっての都市の門を潜る。
 名の通り、古めかしい雰囲気を全体から感じる街並みだった。如何にも年季が入っていま
すと言わんばかりの石材が積み上げられた建物らは堅く、じっと何かに無言で耐えているか
のようにも見える。そこに暮らす人達の営みも活気とは無縁──実に静かだ。以前セイオン
に連れられてこちらに来た時もそうだったが、とてもゆっくりとした時間が流れているよう
に感じる。まるで遠い昔が、そのまま限りなく固体のまま閉じ込められたかのように。
『……』
 古びた麻布のローブ。頭に巻いたターバン。
 道行く人々が、ちらりちらりとこちらを見ていた。無理もない。フードなどを被って変装
しているとはいえ、自分達は旅人、余所者だ。それに何よりもオズ──機人(キジン)が珍
しいのだろう。時折視線を遣ってくる者の大半が、その機械の巨体を見上げて目を丸くし、
何やら物言いたげな様子で再びこちらを見つめ直してくるのだ。機巧技術イコール開拓派、
イコール“敵”といった連想(かんじ)なのだろう。
「申シ訳ゴザイマセン。私ノセイデ……」
「気にすんな。どのみち歓迎はされてねえみたいだし、さっさと用事を済ませちまおう」
 茜色のランプ眼を瞬くオズにふっと笑い、ジークは頭に巻いたターバンを気持ち握って下
げ直した。ローブの内側に隠れているが、腰の六華もカチカチと揺れている。
 聖浄器回収の旅を再開するにあたって、クレアには事前にとある人物に連絡を取って貰っ
ている。次の目的地──妖精族(エルフ)の里だ。向こうからの返事によれば、この街で迎
えの者が待っている筈なのだが。
「あ、いたいた。お~い!」
 土地勘のあるクレアやシフォンを先頭にし、やがて一行が辿り着いたのは街の中でも奥ま
って人気のない寺院跡。長い年月を経て風化の激しいそこで、一人の旅装のエルフがじっと
立っていた。
 遠巻きには誰かいる、ぐらいしか分からなかったが、クレアはそうではなかったようだ。
周りに気付かれはしないかハロルドやイセルナがそれとなく目を配るが、他に誰か聞き耳を
立てている様子はない。クレアに手を振って呼び掛けられた当のエルフも、コクと小さく丁
寧なお辞儀をしながらこちらに近付いて来る。
「初めまして、クラン・ブルートバードの皆様。私はミハエル。族長──クレア様のお父上
より名代として、皆様をお迎えに上がりました」
 線の細い、薄い青髪の妖精族(エルフ)男性だった。背丈はシフォンよりも少し低いくら
いだが、物腰からは年長者のそれを感じる。尤も彼らは長命な種族なので、見た目と実年齢
は基本的に一致しないのだが。
 久しぶりの再会とあって、クレアは嬉しそうだった。あれやこれやと、この二年であった
ことを早速手土産に話している。シフォンもその隣にいた。だが彼の場合は、故郷を出た経
緯が経緯ゆえ、少なからず遠慮して距離を取っている風にも見える。
「まぁまぁ、クレアちゃん。お話したい気持ちは山々だけど、後にしましょう? そういう
のは、向こうに着いてからの方がいいじゃない?」
「……あ、はい。そうですね。ごめんなさい」
「相変わらずお元気そうで何よりです。では、早速移動しましょう。長旅でお疲れであれば
一旦休憩しますが」
 結局軽く水分補給や汗を拭っただけで、ジーク達はすぐに出発した。今度はミハエルを先
頭にクレアとシフォン、残りの面々といった順で古都内をぐるりと通り抜けてゆく。
「皆様は、この都の事はどれくらいご存知で?」
「んー。出発前にざっとアルスから聞いたぐらいだなあ。前に“青龍公”に連れられた時は
最短ルートでこんな大きな街は避けてたし」
「北方の丘陵群から竜王峰に抜けるコースだったよ。だから僕ら以外、皆こっちは初めての
筈だ」
「なるほど」
 歩きがてら、ミハエルは教えてくれる。かつてこの街は、魔導師の聖地としてはそれはそ
れは繁栄していたそうだ。ある出来事が起こるまでは、ここには天上層中の知恵と物流が集
まっていたという。
 ある出来事。それは言わずもがな──魔導開放運動だ。それまで一部の許された者達によ
って独占されていた魔導の技術が、広く人々の知る所となった。件の“大盟約(コード)”
もこの頃に出来上がったとされている。結果、魔導を梃子に集中していた権力は世界各地へ
と分散し、この都は落ち目の一途となった。今でもこの地に根を張り続けているのは、当時
開放に反対していた魔導師達の末裔・古仰族(ドゥルイド)くらいだという。
「……なので、あまりここでは地上の人間だとか、開拓派だと知られない方がいいですよ。
下手をすれば暴力を振るわれる──まではなくとも、罵声や恨み節の一つや二つは飛んでき
ますから」
 声を潜めて、肩越しに。
 ミハエルはそうジーク達に忠告してくれた。こちらとしても無駄な争いを起こしたくはな
いし、そこまで極端に世界の開拓を支持するという訳ではないのだけれど。
 それでも天上の、古都(このまち)の人々には、自分達はその一味と見られるのだろう。
顕界(ちじょう)ですらそう決め付けて敵愾心を剥き出しにする者達はいた。真正面から向
き合って逐一説得するよりも、予めお互い避けられるに越した事はない。
「……シフォンみたいだな。あんた」
 じっと、そんな彼を見ていたジークが苦笑(わら)った。
 当のミハエルも最初は小さく頭に疑問符を浮かべていたが、すぐ後ろを歩くシフォンを一
瞥して、言わんとする所を理解したらしい。フッと同じく苦笑を返して、何処となく肩を竦
めてみせる。
「そういう一派ですので。……この世界の人々は、自ら停滞や衰退を選んでおいて、過去の
栄光に縋りつこうとしているんです。そんなの、我がままじゃないですか」
 妖精族(エルフ)他、古種族と総称される者達は基本的に、保守的だ。旧き良き伝統を重
んじ、自然のままを愛する。自分達の都合で世界を造り変えてゆく開拓派とはそもそもに相
容れない価値観なのだ。
 にも拘わらず、このエルフの青年も、シフォンもクレアも、或いはリュカだってそうだ。
こちらの知識にある古種族のテンプレートの斜め上を飛び越えた生き方をしている。
 ミハエルの返事にジークも苦笑(わら)うしかなかったが、奇妙なものだなと思う。何で
自分の知り合う妖精族(エルフ)やら竜族(ドラグネス)ってのは、こうもイレギュラーな
連中が多いのか。“結社”のヴァハロにヨーハン、後あのじゃじゃ馬娘の護衛にも妙に気さ
くな巨人族(おっさん)がいたっけ……。すっかり見慣れてしまって忘れがちだが、同族の
中では彼らは“異端”なんだよなあ。
「なので、クレア様にはお返事に書きましたが、今回我々が向かうのはそんな一派の者ばか
りが集まった里です。“霧の妖精國(ニブルヘイム)”──二年ほど前、族長らが中心とな
って元あった“光の妖精國(アルヴヘイム)”から独立した、我々の隠れ里です」
 そうして、ミハエルが言う。そこが今回の旅の最初の目的地だ。
 開明派のエルフらを集めた新しい里。その設立にハルトとサラ──クレアの両親、シフォ
ンからすれば伯父夫婦が関わっているのだそうだ。元々あった光の妖精國(アルヴヘイム)
は古老達の支配が強く、かねてより歳若いエルフらを中心に不満を抱いている者達が一定数
いたらしい。
「霧の妖精國(ニブルヘイム)は央域の東側──ちょうど世界樹(ユグドラシィル)を挟ん
でここから向かい側、光の妖精國(アルヴヘイム)は南方との境目付近にある森の中です。
位置関係的に大丈夫だとは思いますが、くれぐれもアルヴ側の関係者達には見つからないよ
うお願いします」
 それは勿論。ジーク達は誰からともなく即座に首肯していた。話を聞いているだけでも両
者があまり友好的でないことぐらいは想像できた。できれば無駄なトラブルは起こさずに終
わりたい。ミハエルやクレア、シフォンに続いて街の外周に差し掛かる。
『──』
 ちょうど、そんな時だった。はたっとジーク達が足を止めた。全身の感覚を研ぎ澄ましな
がら腰や背中の得物に手を伸ばし、やや遅れて振り返るミハエルの姿を確認しながら言う。
「おいおい……。初っ端から殺気丸出しかよ」
「誰だ!? こそこそ隠れてないで出て来い!」

 一方その頃、ダン達南回りチームは魔都(ラグナオーツ)に到着していた。
 地底層・魔界(パンデモニム)最大の都、文字通りの中心地である。以前にはリオによる
修行の総決算として訪れたこともあった。険しい岩山を切り拓いて造られた、縦に長い坂の
街である。
 その一角に整備された空港(ポート)にルフグラン号を泊め、ダン達は市中に出た。繰り
返し螺旋・勾配する坂を下って街の下層まで赴き、この都一帯を霊海に浮かべる大陸の端へ
と足を踏み入れる。
 高台からの景色もそうだったが、絶景だ。薄暗い空の下、無数の大陸が膨大なマナを湛え
る気流の中に浮かび、遥か水平線の向こうへと続いている。
 ダン達は、暫くこの下層の沿岸区でめいめいに眺めていた。今回目指す場所はずっとこの
先にあるのだから。
 魔界(パンデモニム)は、この街を中心として東西南北に大きく四分割される。
 東には“迎心街”──宿現族(イマジン)の各門閥(ファミリー)が居を構える港町が。
 西には“鬼ヶ領”──鬼族(オーグ)の首長が治める独自文化の列島が。
 南には“夢幻園”──幻界(アストラゥム)へと繋がる幻夢族(キュヴァス)の楽園が。
 そして北には“常夜殿”と呼ばれる、妖魔族(ディモート)の要塞都市が。
 今回ダン達が向かおうとしているのは此処だ。クロムの話によれば、その領主一族がかの
十二聖が一人“闇卿”エブラハムの末裔だという。……詳しい情報を調べて驚いた。その現
当主こそミザリー・ファントムベイン──二年前の統務院総会(サミット)で、自分達が助
けた四魔長の一人だったのだから。
 統務院を経由して、彼女らにはエブラハムの聖浄器について協力を要請してある。これか
ら現地へと赴き、交渉する予定だ。一度は共闘した仲、全く知らぬ相手ではないが、それを
いい事に礼を欠くべきでもないだろう。
「でもさあ。北の端に向かうんなら、ここに船を泊めなくてもよかったんじゃない? 待た
せてる間にレジーナさん達に何があったら困るしさ?」
 だからだろう。暫く景色を眺めた後、大きく深呼吸をして目を開いたステラが、ふいっと
こちらを振り向いて訊ねてきた。ダンやグノーシュ、クロムが一瞥を寄越してほんの少し口
元を歪める。
「まぁな。それが出来りゃあ泊めてねえさ」
「そういや、まだ全員には話してなかったんだったか」
 ちょうどいい。実に面倒臭そうにポリポリと髪を掻く相棒の横で、グノーシュが言った。
ステラにミア、マルタら少女達が頭に疑問符を浮かべる。二人と、リュカ・サフレが遣り直
した視線の先には、無表情のクロムが立っている。
「……地底(こちら)は、地上ほど機巧技術が浸透していない。そもそも空港(ポート)が
建てられている都市自体が限られているんだ。だから、向こうまで直接飛ぼうにも目立ち過
ぎる──“結社”に見つかり易い条件が揃っている。ルフグラン号にも多少の武装は積んで
あるが、できればそんな目には遭わないに越した事はないだろう?」
「それにな。ここはもう統務院じゃなくて、万魔連合(グリモワール)のシマなんだ。二年
前に総会(サミット)で顔見知りになったとはいえ、今の俺達は表向き統務院に雇われた格
好だろ? そんな連中の船が自分達の土地を飛んでていい気分にはならねぇよ。お前らも知
っての通り、ここは昔っから独立独歩な連中でうようよしてるからな」
「ミザリー氏は大丈夫だろうが、俺達が大手を振るってくることに好くない刺激を受けちま
う奴らが少ないんだとさ。まぁ地上と地底は、一昔前は実際に戦争にまでなったしなあ」
 ああ……。ダン達が代わる代わる喋ってやり、ステラ達はようやく納得したようだ。
 確かにここはもう統務院の権力の範囲外だ。ちょっとした不注意が外交問題に発展しかね
ない。上空からのマウント。戦いに巻き込まれたくない。独立独歩の気風──地上でさえ、
徹底的に自分達を嫌ってデモに勤しむ勢力はいた。こちらでもそんな不満を抱いている者達
が行動に出ないとも限らない。
「ま、早い話が、せめて同族達の機嫌だけでも悪くしてくれるなってことさ。こっちが頼み
に行くんだからそれぐらいの頼みは聞かないとな」
「そういう訳で、ここからは陸同士を渡って“常夜殿”に向かう。向こうにもそのルートは
話してある。案内役は──クロムに任せる。昔こっちに住んでたらしいしな」
「……」
 グノーシュがぽんと肩を叩いてバトンタッチ。皆がつられるようにクロムを見た。
 ただ当のクロムはやはり寡黙で、仲間達の中にもその情報は初耳だった者も少なくなかっ
たようだ。……元よりこの二年、彼はあまり過去を語りたがらなかった。組織を出奔して味
方になってくれたことは間違いないが、きちんとその本当の理由を聞いたのは、ジーク以下
ギルニロックでの一件で獄中の彼と面会したメンバーのみである。
 へえ、そうなんだ……。
 ステラやサフレ、リュカが素直に驚いたように小さく目を見開き、或いはあの時の事を思
い出したのか言葉少なく押し黙る。
「ここから先は“奇骨獣”に乗る」
「……キコツジュウ?」
「地底層にのみ生息する超大型の魚だ。生身で霊海を泳いでも分解されないほどに頑丈な肉
体を持っている。見た目こそ恐ろしいが、性格は穏やかで知能も高い。この地に生きる人々
は、古くから彼らを手懐けて頭部に船室を載せ、霊海を渡っていたらしい。今でこそ飛行艇
もあり、導きの塔も建てられたが、さっき話した通りこちらではどちらも地上ほど普及して
はいない。今でも主要な移動手段だ」
 ふむふむ。ステラやミアが何度も頷き、リュカが興味深そうにこっそりメモしている。名
前と見た目がゴツいと言われ、マルタは自身が頭の中で描いたイメージで若干緊張し始めて
いるようだった。だが構わずクロムは先頭に立って踵を返し、歩き出す。
「行くぞ。先ずは船頭達と交渉しなくては」

「──船が出せない!?」
 しかし、トラブルは思いもかけず、早速一行を襲ったのである。
 北方へと向かう便の船着場へとやって来たダン達は、小屋で待機していた船頭達からそう
聞かされて思わず声を上げた。船頭達も、困ったようにキセルを吹かしている。所在なげに
火鉢を囲んでいた内の一人が言った。
「ああ。ここん所、奇骨獣達の気が立っててなあ……。凶暴化? してるんだわ。あんたら
も知ってるかもしれんが、天敵らしい天敵もおらんし、元々大人しい奴らなんだけどなあ。
だがまぁ、たまーにあるんだよ。霊海(うみ)の荒れてる時には特にな。あんたらには悪い
が、運が悪かったと思って諦めてくれ」
「そ、そんなあ」
「何とか、大人しくなった者はいないんですか?」
「うん? ああ、違う違う。凶暴になってるのは野良の方だよ。俺達が飼ってる子らはそん
なにはなってねえ。ただな……霊海(うみ)が荒れてるのと、その気の立ってる野良達が襲
ってくるもんだから船は出せねえって話で。うちの子らもすっかり怯えちまっててな」
 ダン達は立ち尽くしていた。初っ端から予定が狂ってしまった。
 船頭達によると、ここ数日安全性が確保できないため、運休が続いているのだという。流
石に霊海のど真ん中で転覆してしまえば、誰も無事では済まない。
「凶暴化……。魔獣?」
「いや。奇骨獣は霊海に──濃いマナに適応した種だ。分類としては聖獣に近い。私も昔、
彼らが荒れたという話は聞いた事はあったが、あれはもっと地方の話だったからな……」
 ミアがじっと霊海の方を見遣って呟き、クロムがすぐさま否定する。だが少なくとも、何
か異変があるのは間違いなさそうだ。船頭達は偶にあることとは言うが、その偶然を偶然と
してすんなり受け入れるには、一行は色々な経験をし過ぎた。
「参ったなあ。どうしたもんか……」
 ダンがそうガシガシと、何処かわざとらしく後ろ髪を掻いている。
 おそらく彼も、場の仲間達も思っていたことだ。他ならぬクロムとて、いつの間にかその
寡黙な表情の眉間に、深い皺を寄せて思案顔をしている。
「すまんな。もっと穏やかな渡しか、導きの塔を使ってくれや」
「にしても最近多いよなあ。霊海(うみ)の荒れ。俺らがガキん頃は、もうちょっと頻度は
少なかったような気がするんだが……」
「だよなあ。ここ何年かぐらいか? こうも重なってるのは」
『……』
 古くから時々あったという、霊海の──世界の異常。
 何故だろう? それは本当に、偶然なのか。


 ハウゼン王の退位(予定)表明は、世界に少なからぬ衝撃を与えた。そしてその余韻は、
電撃発表のあった国葬から数日経った今も衰えずに響いている。
「王が自らの非を認めた!」
「時代は変わる! 市民の、歴史的勝利だ!」
「ハウゼン王は辞めろ! ファルケン王も辞めろ!」
 こと一連の報に沸いていてたのは、反戦団体や守旧派の活動家達だった。アトス領内で、
或いはヴァルドー領内で。ハウゼン退位の報が広まるのと同じように、彼らデモ隊の出没地
域も多方面に渡っていた。彼らの“敵”を引き摺り下ろさんとするシュプレヒコールがめい
めいの場に四散する。
(不謹慎な……)
(しっ。見ちゃ駄目だって。関わったって碌な事にならないんだから)
 だが行き交う領民らの反応は総じて冷ややかだ。中にはじろっと、王子の死を利用してま
で自己主張する彼らに嫌悪感を向ける者もいたが、連れの女性がひそひそ声でこれを諌める
と引っ張ってゆく。
 デモ隊が訴えているのは、戦争の悲惨さと開拓の推進が生む貧富の拡大。その不満の受け
皿として“結社”が力をつけてしまったのだという主張。
 ただ、彼ら自身はそれを「王達の自業自得」と決めつけども、当の“結社”自体を批判す
るような素振りはなかった。結局は眉を顰めた領民らのそれと何ら違っていないのである。
その目的はとにかく既存の権力を批判すること。正せと──自分達にとって心地の良い世界
が到来するのを望むだけのこと。
「我々はー、今こそ団結しなければならないッ!」
「非領民は出てゆけー!!」
「“結社”は世界の敵である! 彼らを打倒せずして、個々の幸せなどあり得ない!」
 加えて、この日は反体制派のデモ隊とかち合わせるように、開拓推進・体制擁護派のデモ
隊が街に繰り出していた。ハウゼンやファルケンを引き摺り下ろさんとする叫びを掻き消そ
うとするかのように、彼らもまた自分達のシュプレヒコールを上げて練り歩く。
 場が、にわかに緊張し始めていた。異様な、しかし決して相容れない二つの集団が通りを
挟んで幟(のぼり)や横断幕を掲げ、互いを牽制している。
 道行く領民達の多くが、眉を顰めていた。じっと関わらぬようにと身を硬く低くし、或い
はあからさまに迷惑そうな表情(かお)をしつつ通り過ぎてゆく。
「辞めろ! 辞めろ! 王は辞めろ!」
「出てゆけ! 出てゆけ! 非領民は出てゆけ!」
 やがて双方のデモ隊は、じりじりっと互いの距離を詰めていった。それにつれてシュプレ
ヒコールも音量を増し、集団の端にいる者達が悪意を持って身を乗り出し始める。
 ──はたして、どちらが最初に手を出したのか。
 実際の所は分からない。だが確かに、片方が片方を、双方が相手方にちょっかいを出し、
両陣営のデモ隊は遂に物理的な衝突にまで発展した。早い話が乱闘である。互いに罵声を浴
びせながら殴りかかり、或いは掲げていた幟で何度も何度も“敵”を叩く。
 すると見ていたのかいないのか、即座に多数の守備隊員らが駆けつけて来た。中には分厚
い軍服姿──正規兵も交じっている。彼らは鞘に収めたままの剣や、ベルトの付いた長銃の
腹でもって、この双方の衝突を止め始めた。引き剥がし、暴れる面々を次々に「違反」の名
目で拘束してゆく。「不当逮捕だッ!」どちらの陣営か、デモ隊のメンバーが叫んでいた。
しかし怒号を帯びた反抗も虚しく、彼らは一様に周りの冷めた眼に見送られながら連行され
ていった。それは間違いなく、ハウゼンの電撃発表が生んだ事件、その一端だ。

「──総員、準備はいいか?」
 所変わってとある国の、反分子勢力のアジトを臨む物陰。
 そこには完全武装した、王国正規軍の部隊があった。握り締める長銃には既に着剣が済ま
せてあり、隊長の合図一つですぐにでも突入ができる状態にある。
 統務院特務軍傘下の、討伐部隊だった。この日、かねてより周辺で過激な反体制活動を続
けていた勢力の、一斉検挙を予定していた。
「全く……。ハウゼン王も余計な事をしてくれたもんだぜ」
 ぽつりと、突入前の兵士が一人、そう面倒臭さたっぷりにごちた。ああ。思っていたのは
彼だけではなかったらしく、他の仲間の兵士達も短くダウナーに同意している。
 意図は何となく分かる。だが結局、彼の退任表明は彼らにとって“勝利”と解釈されてし
まっているようだ。浮き足立って、より過激なパフォーマンスに打って出ている。
 傍迷惑な話だ。自分達は“結社”を倒す為に、先ずは地道にその外堀(シンパ)から取り
締まっているというのに。
 スピーチの内容がイコール、心が折れたという訳ではなかろうに。
 それはハウゼン王が退任(予定)の表明をした際、続けてこの“結社”との戦いを終結さ
せてからと条件をつけた点にも現れている。
 自らの、子の失敗を晒すことで、人々に危機感を伝えたかった。或いはけじめ?
 自らの子が裏切ったショックで“負け”を認めた?
 実際は両方の側面があるのだろう。だが所詮人は、自分の“聞きたい言葉”しか聞かない
のだと思う。聞けなければ、無理やりにでも解釈を変更する。そんな生き物だ。
「おい、そこ! 私語は慎め! 作戦の前だぞ!」
 そうしていると隊長の怒声が飛んできた。この兵士や周りの仲間達は、ハッとなって身を
硬くし、小さくコクリと頷いて恭順の意思を示す。……余計なことは考えるな。自分達は、
与えられた任務をこなすだけ。
「……よし。では、作戦を開始する!」
 おおぉぉぉッ!! 隊長の合図で、アジトの四方を囲んでいた各員が一斉に飛び出した。
アジトに使われている廃屋の中から、銃弾が飛んでくる。一人二人と兵士らの肩や腕に当た
った。それでも他の残る兵士達が──数の力がそれに劣る反分子らを瞬く間に呑み込み、扉
をぶち破っては突入してゆく。銃弾を受けた兵はすぐさま支援組の魔導師らによって手当て
を受け、これをフォローするように横列をなして障壁が張られる。
 互いの銃声、怒号が響いていた。
 かくして今日もまた、まつろわぬ者達が狩り取られる。

「誰だ!? こそこそ隠れてないで出て来い!」
 古都(ケルン・アーク)の中心部から逸れて暫く。突如としてジークは叫んだ。
 場所は街の北門へと続く通用路。周囲には古びた建物こそ並ぶが、他の人影はない。
 静かだ。しかしこれまで何度となく戦いを切り抜けてきた一行には分かる。ビリビリと、
まるでそれと分かるように四方八方から殺気が向けられている。
「二人とも、こっちへ」
 ミハエルとレナをこちらに呼び寄せ、イセルナ以下仲間達も即座に動く。二人を庇うよう
に背中合わせの円陣を。腰の六華、冷気を纏わす剣、弓や銃に付与術(エンチャント)用の
ピン、頁を開いた究理偽典(セオロノミコン)。どこから攻撃が飛んできてもいいようにそ
れぞれが得物を抜いて身構える。
『……』
 はたして現れたのは、口元を覆った黒装束の一団だった。
 数は三十名強。あちこちの物陰から姿をみせ、既にこちらを包囲している。全身の黒衣を
見て“結社”かと思ったが、それに加え下に着込んだ鎖帷子や灰色に近い黒髪、深い青の瞳
が確認できる。……影士族(シーカー)か。
「ジーク・レノヴィンだな?」
「その命、頂戴する」
「やれるもんならな。俺達も、てめぇらには訊きたい事が山ほどある」
 出来れば街中で騒ぎを起こしたくはなかったが……。ざらりと抜いた紅梅と蒼桜をぶら下
げて、肩に担いで、ジークは言う。不敵な言葉こそ吐けど、その実油断はすべきでないとじ
っと相手の様子を注視している。
「……お前ら、自分達の親玉が何をしようとしてるか知ってるのか? 滅茶苦茶だろ。そん
な事をしたって、人が滅んじまったら元も子もねぇのに」
「答える義理はない。貴様らこそ、我らが大命を知っているのなら、何故そこまで守ろうと
する? こんな世界を!」
 もし知らずに加担しているのなら、教えてやるべきだ。甘さとかそういった話ではなく、
今この要らぬ戦いを避ける事ができるのであれば。
 だが相手──リーダー格らしき女影士族(シーカー)はにべもなかった。逆にこちらへ怒
りを宿して聞き返し、腰の小太刀を抜く。周りの部下達も一斉にそれに倣った。
(……やっぱ駄目か)
 密かにジークは深呼吸をする。やはり不毛なやり取りだった。
 おそらく敵は信徒級。こちらが出し惜しみさえしなければ、勝てない相手ではない筈だ。
「かかれっ!」
 リーダー格の女が叫ぶと同時に、黒装束達は一斉に地面を蹴った。四方八方から大きく跳
躍し、ジーク達に襲いかかる。
「忍ばないシノビに、負けるかよ!」
 コォッと刀身にオーラを込め、一閃。
 タイミングは完璧の筈だった。先ずは一人。目の前の刺客を斬り伏せた筈だった。
「──!?」
 なのに、相手は剣閃が届く寸前、突如として消えた。まるでずぶぶっと沼に沈むかのよう
に、宙を跳んだまま姿を消してしまったのだ。
「えっ?」
「消えた……?」
 他の仲間達も同様だ。円陣を組み、それぞれに迎え撃とうとした刺客達が、次々と空中で
姿を消していったのだ。
 剣が虚空を切る。引き金をひく寸前、矢を放つ寸前の手が止まった。オズが左手五指の銃
口を戸惑いながら戻し、ハロルドが究理偽典(セオロノミコン)を開いたままじっと辺りの
気配を探っている。
「……何だよ。あれだけ大見得切っておいて逃げ出したのか?」
 見氣で眼を強化し、辺りを探る。
 だが彼女らの気配はぷっつりと途切れてしまっていた。十秒二十秒と嫌な沈黙だけが円陣
を組んだままのジーク達に被さってゆく。
「!? ジークさん、危ない!」
 しかしその時である。円陣の中に守られたレナが、突如として叫んだ。
 “背後にいた”のだった。さっきのリーダー格の女が、急にジークの後ろからずぶぶっと
空間ごと沼を脱するように現れ、その刃を振り下ろしてきたのだ。
「なっ──?!」
 そこからは、ほぼ反射神経のみの回避。中空から叩き付けられてきた剣閃を、ジークは慌
てて避けようとした。半身を返して振り向き、そのまま片足を後ろに。一歩下がって。
 だが、そうして直撃こそ免れたものの、彼女の一閃はジークの肩を掠めた。ビッと袖越し
に血が飛び散り、ぐるんと前転をしながら突進する。
「ふっ……」
 にたり。リーダー格の女は確かに、そのすれ違いざま、哂っていた。更にその突進のまま
またしてもずぶぶっと何もない空間に沈み込み、一切の姿が見えなくなる。
「ジークさん!」「ジーク!」
「掠り傷だ。それよりも何なんだ、さっきのあれは?」
 慌てて駆け寄ろうとするレナを押し止め、目を見開いて辺りを見渡す。やはり彼女や他の
部下達の姿はない。また忽然と消えてしまった。面々が、気持ち緩んだ円陣のままで忙しな
く次の一手を警戒している。
「……通門の印(コネクトゲート)だな」
「コネクトゲート?」
「ああ。空間と空間の間に割り込める界魔導、転移系の一種だ。ただ本来の空間転移ほど長
距離は移動できない。おそらくは今も、この場の“裏側”で奇襲のタイミングを狙っている
筈だ」
 ややあって、リカルドが目を顰めながら言った。彼曰く、空間転移の亜種らしい。おそら
くは彼女達が握っていた剣──忍者刀に、魔導具として仕込まれているのだろうとのこと。
 ジーク以下仲間達は、思わず渋い表情(かお)をした。なるほど、だからこそシノビの民
でありながら正面を切って戦いを挑んできた訳か。確かにその魔導具の力を借りれば、こち
らに反撃のチャンスを殆ど与えずに攻撃できる。
「面倒だな……」
 ジークが手負いながらも二刀を構えて辺りを睨みつけていた。イセルナ達もそれぞれの方
向を見据えていたが、同じことだ。急いで円陣を少しずらし、内側のレナとミハエルにもす
ぐ対応できるよう何人かが半分内向きに構え直す。
「はあッ!」
「死ねぇぇぇッ!」
 そして次の瞬間、堰を切ったように現れる刺客達。
 彼らはそれぞれ、てんでバラバラの中空から忍者刀(コネクトゲート)を使い、襲い掛か
ってきた。当然ジーク以下仲間達は応戦するが、直前まで気配も途絶える空間の“裏側”か
らの奇襲に、面々は苦戦を強いられる。反撃・追撃はすんでの所で外れ、或いは別の面子が
現れては防ぎ、またずぶぶっと“裏側”に消えていった。致命傷こそ受けていないが、それ
でも少しずつ、仲間達の頬や肩にも浅く赤い傷が目立ち始める。
「……キリがないな」
「卑怯モンが。こそこそ突いてばかりきやがって」
「それが影士族(シーカー)──シノビだからね。彼ららしいと言えばらしい装備・戦法だ
とは思うけど……」
 ふぅ。大きくジーク達は息を整えた。相変わらず遠目には静かで人気のない、古めかしい
街並みだけが広がっている。
 いっそ何処かに誘き寄せて、火力の高い魔導で一掃──とも考えるが、騒ぎになってしま
っては拙い。できればこの場で、迅速にけりをつけてしまいたい。
「……仕方ねぇな」
 またしても、黒衣の刺客が一人、襲ってくる。
 ジークは斜め背後から切っ先を突き立てて来る彼にざっと振り向いて、蒼桜の飛ぶ斬撃を
放った。オーラはより強く光っている。《爆》の強化付きだ。しかしその一閃を、この刺客
はひょいっと、再び“裏側”に入ってやり過ごした。ゴウッと飛ぶ斬撃は、虚しく背後にあ
った石積みの平屋にぶち当たる。
「はっはー! ハズレぇ!」
「無駄だ無駄だ! 我々に攻撃は当たらぬ。先手は常にこちらにある!」
「……それはどうかな」
 にも拘わらず、ジークは嗤っていた。ニッと小さく口角を吊り上げて、蒼桜のオーラを尚
も刀身に纏わせて立っている。
 故に、刺客達が気付いた時にはもう遅かった。飛ぶ斬撃が当たった事で大量の土埃が辺り
に漂い始めたことを。その中でずぶん、ずぶんと、彼らが出たり入ったりしてゆくことを。
「っ!? まさか」
「外したのはわざとじゃなく……!」
「そういうこと」
 ジークが、仲間達がだんっと踏み出していた。辺りに舞い上がった大量の土埃。たとえ空
間の“裏側”に隠れ、その間は気配すら感じられなくとも、必ず攻撃の直前にはこちら側へ
出て来ざるを得ない。
 言うなれば、土埃はその目印だった。空間の“裏側”からずる抜け、現れれば、そこに不
自然な土埃の流れが起こる筈である。
「凍て付け!」
「調刻霊装(アクセリオ)──二重速(トワイスクロック)!」
「盟約の下、我に示せ──戒めの光鎖(パニッシュメント)」
「数を用意できるのは、君達だけじゃないよ?」
「今度ハ、コチラノ番デス!」
 イセルナによる氷霊剣(ハクア)の一閃。リカルドの加速と、ハロルドの拘束魔導。加え
てシフォンの《虹》の分身達によって、現れた刺客達は一斉にこの反撃を受けた。空間ごと
氷に捕まれ、倍速の前に叩き落され、或いは輝く光の鎖に囚われながら《虹》の分身達の矢
に次々と射抜かれる。逃げようとするその影を、オズの豪腕が沈めた。
「どっ……せいッ!!」
 そしてジークも、紅と蒼、二色のオーラを纏わせた二刀を振り下ろし、自分に向かって来
ていた黒装束を破った。があっ!? 敵は防具も関係なく切り裂かれ、血飛沫を上げ、その
ままどうっと土埃の舞う地面の上へと転がり落ちる。
「ぐぅっ……。そんな」
「我々の術が破られるなんて……」
「お前らのじゃねえだろ」
 全員は潰せなかった。先に出ていった仲間達の損害を見て、反撃の波が引いた瞬間に距離
を置いて立っていたのだ。ジークが、皆と一緒に彼らを見遣って言う。リカルドの予想した
通り、転がる忍者刀の柄先には魔導具本体とみられる小珠が取り付けられていた。
「ウラハ様……」
「ああ、分かってる。潮時だね。全員、退くよ!」
 何とか残った部下達が、このリーダー格の女影士族(シーカー)──ウラハに向かって呟
いていた。流石に彼女ももうアドバンテージは失ったと判断したのか、バッと片手を振るう
と彼らに撤退を命令する。
 一斉に刺客達が逃げていった。痛恨の一撃を負った者も、まだ比較的無事な者も、やはり
その忍者刀の力を使って次々に消えてゆく。ジーク達も追おうとしたが、自分達が起こした
土埃のせいでよく見えない。結局視界が元に戻った頃には、ウラハもその部下達も、一人残
らず逃げ去ってしまった後だったのである。
「……何だったんだよ」
 暫くの間、一行は憮然としていた。
 結果的に刺客達を追い払う事はできたが、残ったのは戦いの疲れと、あちこちの生傷だけ
だったのだから。

 現地の奇骨便が止まっていたことで、ダン達の予定は大幅に狂ってしまった。
 とはいえ、出せないもの出せない。まさか霊海(うみ)の藻屑になる訳にもいかず、ダン
達は一旦宿を取って収まるのを待つ事にした。
「このまま大人しくなってくれりゃあいいが……。多分そう上手くはいかねえだろうなあ」
「でしょうね。今の内に別の方法を考えておかないと」
 日を追って宿泊費も嵩むし、何よりただ漫然としてはいられない。
 取った部屋で、一行は今後の対策を話し合う事にした。奇骨便が出ていない以上、他の移
動手段を採るしかない。
 一つ目は、船頭達が話していたように導きの塔を使うプランだ。
 ただ、事前にそこまで調べていなかったことに加え、地底(こちら)にはそもそも塔の数
自体が少ない。常夜殿まで直接飛べるルートがあるのか、先ずはそこから確認しなければな
らないだろう。
 二つ目は、統務院に連絡して足を出し貰うプランだ。
 聖浄器回収の任は、そもそも彼らから委託されたもの。事情を話せば少なくとも何かしら
動いてはくれる筈だ。しかし地底(ここ)はもう統務院の管轄外であり、その動きが表沙汰
になれば、地底層への干渉とみなされて混乱が生じる可能性がある。
 三つ目は、無理を承知でルフグラン号で突っ切るプランだ。
 だがはっきり言って、これは最後の手段だ、地底(こちら)に住む人々を刺激しかねない
というリスクは勿論の事、飛行中に襲撃でも受けようものならそれこそ霊海(うみ)の藻屑
である。元々先方からそう指摘されたのだから、実質取れない選択肢と言っていいだろう。
 故に仕方なく、先ずは導きの塔を使う際のルート調べに取り掛かった。地図と携行端末を
使い、ダンとグノーシュ、リュカがなるべく早くて手間の少ない旅程を探す。
 一方でクロムは「霊海(うみ)が気になる」と言って出掛けてしまった。ステラもついて
行ったから大丈夫だとは思うが、奇骨獣が凶暴になった原因など分かるのだろうか。
 そして残ったミアとサフレ、マルタも、何だか手持ち無沙汰になって動く事にした。導き
の塔のルート選びはダン達に任せておくとして、自分達にも何かできないか──もう一度奇
骨便を出せる船頭がいないか探そうとしたのだが……。

「駄目駄目。今のこの状況で船を出す訳にはいかないよ」
「北の渡し場も止まってたんだろ? なのにこっちみたいなボロに頼まれてもなあ」
 最初に訪ねた船着場が駄目だという事で、魔都(ラグナオーツ)の他の船着場へと交渉に
出掛けた。しかしここではあそこが一番大きな所だったらしく、当たってみた先は何処も規
模や設備に劣っているようだった。当の船頭達もそれは自覚しているようで、危険な状態の
中、乗せる訳にはいかないと一様に口を揃える。
「……困りましたね」
「あまり期待はしていなかったけどな」
「やっぱり、お父さん達が調べ終わるのが先か、霊海(うみ)が落ち着くのが先か……」
 ことごとく失敗に終わり、項垂れる三人。
 船頭達も申し訳なさそうで、それが却って気持ちを凹ませた。
 三人が辿り着いた先は、最初足を運んだ北の船着場とは正反対、街の南側にひっそりと構
える小さな船着場だった。陸地から延びた橋が、目に見えるほど濃密なマナの波に揉まれて
は解放され、揉まれては解放されを繰り返している。
「悪いな、兄(あん)ちゃん達」
「船を出したいのは、俺達も山々なんだけどよ……」
 奇骨便はこの地底層において主要な航行手段。それ故に需要は大きいが、一方で運行に掛
かる経費も馬鹿にならないという。自然現象(しかたない)とはいえ、一度営業が止まって
しまえばたちまち赤字になってしまうそうだ。
「大変なんですねえ……」
 マルタがちょっと同情し始めていた。そうなんだよ。船頭達もうんうんと頷いている。橋
の向こうにある倉庫には、彼らの飼っている奇骨獣達が待機しているそうだ。今も荒れてい
る霊海(うみ)と同胞らのせいで怯えているとのこと。
「だが、こればかりはどうしようも──ん?」
 ちょうど、そんな時だった。サフレが嘆息をつき、もう成果はないと諦め掛けていたその
時、もう三本ほど向こうの橋の上で何やら話し込んでいる者達を見つけたのだ。
 船頭と、サングラスをかけた虎型獣人(ビースト・レイス)の男性。赤い太刀を腰に下げ
た、線目の女傑族(アマゾネス)の女性。
 ……冒険者かな? その身なりからサフレ達は思った。どうやら自分達以外にも、何とか
この状況を切り抜けようとしている者達がいるらしい。
「弱りましたね。全面的に運休ですか」
「ああ。よりにもよってこんな時に……。俺達はともかく、あいつらは足がねぇってのに」
 何となく、暫く三人は彼らの様子を見ていた。
 向こうも向こうで事情があるのだろう。本当に弱ったものだ。何とかしたい。だが解決し
ようにも、目の前に広がるそれはあまりにもヒトの手には余りある──。
『ッ!?』
 ザザァッと、霊海(うみ)が膨らんで弾けた。ちょうどこの旅の二人の側面から、何体も
の怪魚が現れたのだった。
 ……デカい。まさかこれが奇骨獣か。
 一般的な民家など軽く越してしまうほどの巨躯。加えてまるで金属の塊かと錯覚するよう
な鈍く黒光りする体表面に、無数の分厚い鱗が光っている。
 ワンテンポ遅れて、一緒にいた船頭が悲鳴を上げていた。「こ、こんな所までぇぇ!?」
無理もなかろう。血走った眼はぎろりと、一様にこの三人を見下ろしている。
「拙い……!」
 サフレ達は、傍らの船頭達を尻目にほぼ反射的に動き出していた。まさかこんな波打ち際
まで上って来るなんて。深刻さは想像を遥かに越えていた。危ない。二人が食われる──。
「ゴバッ?!」
 しかしである。サフレ達が駆けつけようとした次の瞬間、吹き飛ばされていたのは襲い掛
かった奇骨獣の方だった。ちょうど鼻先辺りがあり得ないほどに凹み、白目を剥いて中空を
舞いながら霊海に落ちる。殴られた……? サフレ達がそう理解したのは、この巨体が沈ん
で数拍後のことだった。
「……何だよ。こっちは急いでるってのに」
「魚の分際で生意気ですね。下ろしましょうか?」
 サングラスの獣人が、ポキッと拳を鳴らしながら面倒臭そうに言った。その隣で線目の女
剣士が太刀の柄に手を掛け、ニコニコと影のある笑みをみせている。
 残りの奇骨獣(暴走体)は、何が起こったのかすぐには理解できなかったようだ。しかし
仲間が一体倒されただけでは退き下がらない。寧ろ逆上して更に攻撃的になっている。
 五体六体──海中からまた数が増えた。戦いの気配を感じて引き寄せられたのか。今度は
複数でこの女剣士へと襲い掛かる。血走った眼で、鋭く巨大な歯を剥き出しにして噛み砕こ
うとする。
「──」
 だが彼女の前では、本当に彼らは下ろされる魚も同然だった。
 一部始終は見ていた筈だ。なのに、距離こそ離れていたとはいえ、その抜刀した瞬間が見
えない。霞むように数度の剣閃が翻った次の瞬間、襲いかかった奇骨獣達がバラバラに輪切
りにされた。向こう側と、こちら側の船頭達があんぐりと口を開けて驚愕している。サフレ
達も目を見開いていた。あの二人、相当できる……。
「ま、マスター」
「っ! あ、ああ。そうだったな。ミア」
「うん。多分、この辺りを荒らしてる奴らだと思う。倒せば、或いは……」
 とはいえ、海面から現れる奇骨獣の数はまた増え始めている。幾らあの二人が強いからと
言って、任せ切りという訳にもいかない。
「マルタは子守歌(ララバイ)を! あの二人を援護する!」
 了解です! 後ろでマルタが歌い始める。それを背中に聞きながらサフレとミアは再び走
り出した。左袖を捲くって三つ繋の環(トリニティフォース)に手持ちの魔導具を嵌め、変
化した槍を構える。両拳に《盾》の光球を纏わせ、強く強く地面を蹴る。
「一繋ぎの槍(パイルドランス)──」
「灼突(フランマ・スラスト)!」「双、衝ッ!」
 同時に飛び込んだ二人の、渾身の一撃が叩き込まれた。サングラスの獣人と線目の女剣士
を襲う奇骨獣らを、二人はそれぞれに燃え滾る槍の射出と粉砕する球状の拳で吹き飛ばした
のだった。焼けて、白目を剥いて、直撃した二体が海中に沈む。この援護に、拳を太刀を構
えていた彼らがスーッと振り返る。
「加勢します!」
「多分、こいつらが凶暴化してる奇骨獣」
 ほう……? サングラスの獣人が、二人を感心するように見ていた。線目の女剣士も再び
居合いの体勢に戻ったまま、彼の傍らで黙している。
 ぐらり。するとやや遅れて、他の奇骨獣達が一体また一体と、脱力したように崩れ落ち始
めた。どうやら強烈な眠気に襲われたらしい。後方で子守歌(ララバイ)を歌ってくれてい
るマルタのお陰だ。
「悪ぃな。助かる」
「いえ。それよりも……」
「早く全滅させるべき。船着場が滅茶苦茶になる」
「そうねえ。彼らも避難させた方がいいだろうし……」
 コクコクッ! ちらっとサフレ達が目を遣ると、この船頭もさっき話していた後ろ側の船
頭達も激しい勢いで頷いていた。わたわたと、大層慌てた様子で逃げてゆく。
「……それじゃあ」
「いっちょ、お掃除といきますか!」


 薄暗い部屋の中で、彼らは同じ仮面とローブを纏っている。
 反開拓・反体制の有志連合、リストン保守同盟の面々だ。この日彼らはいつも通り揃いの
格好で正体を隠し、通信のホログラム映像越しに集まっていた。
『……』
 いつも通りに。
 だが今回ばかりは様子が違った。皆が仮面の下で、暗澹と焦燥に揺れている。
 理由は他でもない──ハーケン王子の死の真相を知ったからだ。
 まさか、アトスの時期国王が同志だったなんて。
 そんな予想外の驚きは勿論、何より彼らを掻き乱してならなかったのは、王子がその最期
に怪物へと変じたという点。まだ公には──これから先もされないだろうが、少なくとも普
通ではない。一体、謀反の際に何があったというのか?
「おのれ、レノヴィンめ! いつもいつも我々の邪魔を!」
 仮面の下からくぐもった声で、メンバーの一人が言う。
 同志(おうじ)が死んだのは、現場に駆けつけたブルートバードのせいだと彼らは考えて
いた。それにもし自分達の関与が知れてしまえば、統務院は黙ってはいない筈だ。
「しかし……。何故王子はそんな事に? 本当なのか?」
「ああ、間違いない。同志より報告された情報だ。アトスは徹底して隠しているが」
「ま、拙いぞ……。実に拙い。王子が我々の同志だったと知れれば、統務院に格好の口実を
与えてしまう。正面からぶつかろうものなら我々はお終いだ……」
「誰か、誰か、詳しい情報を持っている者はいないのか!?」
「どうしてこんな事に……。こんな時に“マスター・ゼロ”は一体何処へ行ってしまわれて
いるのか……」
 嗚呼。少なからぬメンバー達が、身を震わせ頭を抱えていた。
 確かに、現在の世界秩序には不満がある。誰かがその抑止力とならなければならない。
 だが、考えもなしに戦えば、圧倒的な数で叩き潰されてしまうのは明白だ。それくらいの
道理は解っている。だからこそ、これまで自分達は、地道な妨害工作でその権威を削ぎ落と
してきたというのに……。
「……」
 仮面の下でめいめいに戦慄するメンバー。その中で、内心一際怯えている者がいた。
 そっと密かに頭を抱える。何を隠そう、彼は現役のアトス官僚だった。ハーケン王子によ
るクーデター勃発時も、その現場たる王宮内で表向き職務に当たっていた。事件の一部始終
を知っていたのだ。震えが止まらない。あの時の光景が脳裏に焼き付いて離れない。
 ……化け物になった。王子が、巨大な蛇のような化け物になった。
 直前に抜き放っていたのは、腰に下げていた黒塗りの剣。そんな彼に“マスター・ゼロ”
は囁きかけ、直後あんな事になった。
 魔獣? 又聞きの限りでは瘴気の塊に呑まれていたとかいないとか。文字通り人の道を外
れて暴走を始めた巨体。もしあの変貌が、あの剣に起因するのであれば……。
(まさか……)
 通信に映すレンズの陰、テーブルの下で彼はそっと自らの腰に手を当てていた。
 そこに下げてあったのは、黒塗りの短剣。刃渡りや細かい形状こそ違っているが、王子が
持っていた物と全く同質のものだ。
 そしてこれは、自分達メンバーが“マスター・ゼロ”より授かったもの。
 まさか。まさか今度は、自分が王子のように──。
「大丈夫だ。何も心配することはない」
 ちょうど、そんな時だったのである。
 さも一切の気配もなく、フッと彼の背後から声がした。トンと肩を叩かれ、恐る恐る振り
返った先には“マスター・ゼロ”──仮面を被ったヘイトの姿。
 おお。通信の向こうで他のメンバー達がざわめいた。安堵の感情が少なからず漏れた。
 そうなのである。マスター・ゼロこと元使徒ヘイトは、この二年で保守同盟(リストン)
に接近、その肩書きでもって彼らの崇拝を集めていた。縋るように寄せられる視線にヘイト
は仰々しく両手を広げる。くたっと、その横で先程の彼が項垂れ始めたことには、誰一人と
して気付かない。
「計画を黙っていたことは詫びよう。こちらも大きな賭けだったからな。……確かに王子の
協力によるアトス乗っ取りは、レノヴィン達によって阻まれた。だが皆も知っての通り、か
のハウゼン王は自ら王位を退くと宣言した。王の心を折るには足りたのだ。確かに失ったも
のは大きいが、同時に進歩でもある。世界が開拓に喰われてゆく、それを皆は止めたいと願
っているのだろう? ならば今ある王達を、国を作り変えるしかない」
 コク、コク。揃いの仮面を被ったメンバー達が頷いていた。そうだ……。我々はまだ負け
てはいない。現に各地の同志達は、行動を起こしているではないか。潮目は少しずつ自分達
に傾いてきている。志で退いてしまえば、おのずと全てが敗残となろう。
『……』
 くたり。そんな広がってゆく興奮の中で、一人二人とメンバーが沈黙していた。アトスの
内部にいた先の彼や、同じくハーケン王子を知る他の者達である。テーブルの下で、腰に下
がった黒塗りの剣が妖しく光っていた。光(オーラ)は伝い、まるで伝染するように密かに
メンバー達を侵食してゆく。
「マスター・ゼロの仰る通りだ。もう小さな行動だけでは、王達(かれら)は止められなく
なっている。真の正義が損われようとしている。戦おう。その為に、我々は今日まで世界中
に同志達を集めてきたのだから」
 ミスター・リストン──保守同盟の本来のリーダー格が言った。通信のホログラム映像群
の中にあって一番の上座に陣取り、そう仲間達と同じ仮面を被ったまま宣言する。
 おおっ!! メンバー達は一斉に鬨の声を上げていた。腕を突き上げ、つい先刻まで自身
を襲っていた弱きを打ちのめす。
 団結を。団結を。団結を。彼らは何度も繰り返した。ヘイトがフッと密かにほくそ笑む。
 その仮面の下で、自他がとろんと眼に光を失っていたことを、彼らは終ぞ知らない。

「──流石にごり押し過ぎねえか……?」
 暴走した奇骨獣達を倒したと聞いて、宿からダン達が駆けつけて来た。現場の船着場には
確かに霊海の浅瀬に突っ伏して、白目を剥いている幾つもの巨体がある。
 唖然としていたダン達だったが、少しホッとしたのも事実である。これだけ相手をノして
おけば、暫くは向こうも下手にヒトを襲おうとはしないだろう。実際既に守備隊が動き出し
て船頭達から話を聞き、運休の扱いについて上と連絡を取り始めている。
「で? 結局、凶暴化してた理由は判らずじまいか……」
「ああ。霊海の──付近の魔流(ストリーム)が不安定になっているのは確認したが」
 クロムとステラ、独自に調べに出ていた二人も合流していた。その話によれば、霊海の荒
れによって引き起こされたのは間違いないが、そもそも何故荒れているのかまでははっきり
した事は言えないのだという。
「……ま、いいや。とりあえず状況は改善したって事で。そういう訳で爺さん、俺達を乗せ
て行ってはくれねえか?」
「やれやれ……仕方ないのう。確かにこの分だと暫くは大人しくしとるじゃろうしの。利害
の一致という奴じゃ。出してやる」
 そして現場に残っていた老船頭と交渉したダン達は、ようやく船を出して貰えることにな
った。指示を受けた彼の部下達が、倉庫前でぷかぷかと浮かんでいる奇骨獣の頭に、専用の
機材(クレーン)で大型の金属ゴンドラを取り付けていく。
「……そう言えば。あの二人はどうしたんでしょう?」
「ん? ああ。確かに見当たらないな」
「うん。ボク達と一緒で、船の当てがついたのかもしれない」

 一方で古都(ケルン・アーク)のジーク達は、刺客達を追い払った後レナやハロルドに手
当てをして貰い、改めてミハエルの案内で霧の妖精國(ニブルヘイム)を目指した。街を出
てぐるりと世界樹(ユグドラシィル)を北に回って東進する。森の中、幾つかの谷を越えて
ゆき、やがて一行の前にそれは現れる。

「──聞きましたよ? 全く。貴方達が目立ってどうするんですか」
「はは。悪ぃ悪ぃ」
「でも結果オーライですよ。奇骨便、再開するそうです」
 地底層・魔界(パンデモニム)。岩山を切り拓いて造られた街の一角で、一人の小柄で色
白な人族(ヒューネス)少年が嘆息をついていた。彼と合流していたのは、あのサングラス
の獣人と線目の女剣士である。
「──ただいま戻りました。レノヴィン達は倒せませんでしたが……」
「構わんよ。それに“例の物”はちゃんと採って来たんだろう?」
 天上層・古界(パンゲア)。とある人気のない森の一角で、ウラハ率いる一隊が手負いに
なりながらも報告していた。それを聞いているのは皺くちゃの老魔導師と、ツンツン髪に袖
なし鎧の竜族(ドラグネス)、褐色の肌をした妖精族(エルフ)の女性。
「はい……。こちらに」
「うむ。ご苦労だったな」
「面倒臭ぇなあ。そんな回りくどい事しなくても、正面から潰せばいいだろ」
「駄目よ。彼らには先ず、例の物を見つけて貰わないと」
 血の気が多い竜族(ドラグネス)の男を、年上の貫禄で褐色の妖精族(エルフ)が諭して
いる。ウラハが老魔導師に差し出したのは──小瓶に入った、血に汚れた皮膚片だった。

「じゃあ、行きましょうか」
「準備は整った。儂らも出るとしよう」
 地底と天上、それぞれの三人組が動き出した。何処からともなく暗雲が風に吹かれて過ぎ
ってゆく。ぞろぞろと、物陰から中空から現れ転移してきたのは、黒衣のオートマタ兵達と
狂化霊装(ヴェルセーク)。軍勢はそれぞれの彼らに付き従うように合流してゆく。
 結社“楽園(エデン)の眼。その地底層と天上層に展開する者達。
 奴らがやって来たのなら望む所だ。地上の連中ばかりに、手柄はやらせない。
「……楽しみだ」
 サングラスの獣人が、にぃっと鋭い歯を見せながらその眼鏡を外す。
 線目の女剣士が、結わった髪と腰の太刀を揺らしながらゆっくりと目を開く。
 地底層・天上層方面の使徒達。
 二人の眼は、紛れもなく血のような紅に染まっていた。

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  1. 2017/07/05(水) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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