日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅶ〔84〕

 青年の胴を、炎槍の魔導が貫いた。
 身に纏った部分鎧と結晶のように鋭い剣、結晶のように均一に並んだ楯。それら全ての守
りを縫い、背後から突き刺された穂先が煌々と紅く燃えている。
 ……ごふっ! 腹の中からせり上がってきた大量の血が、彼の口元は勿論胸元までをも激
しく汚した。ゆっくりと後ろを振り返る。そこには肉薄する、今自分が止めを刺そうとした
相手──芥子色のフードの男の姿があった。
「爺さん!」
 風雪の中、ジークは叫ぶ。しかし直後、ジーヴァの繰り出す鋭い斬撃に打ち合わされ、彼
の下へと駆けつける隙もない。イセルナ以下仲間達も同様だった。仰々しく天を仰ぎ、呵々
と笑うヴァハロの《重》の力場に押し潰され、ろくに身動きが取れなかった。
「大爺様!! ……くっ!」
 加えてセイオンもまた、敵の背中越しに起こった惨劇を目の当たりにすれども、駆けつけ
ることが出来なかった。目の前には胴着羽織の──自分と同じ竜族(ドラグネス)の男が立
ち塞がっている。部下達もまた、彼の連れてきた他の使徒達の連携に遭い、少なからずが倒
れて苦戦を強いられていた。轟々と、巨大な龍型のオーラがこの男の手から伸び、さも一個
の生き物かのようにこちらを見下ろしている。
「何故だ……。何故貴方がこんな事を!」
 巨大なエネルギーの塊は、軽く掠っただけでも大きなダメージだ。叫ばれた応えの代わり
に三度この龍型のオーラが襲い掛かり、セイオン達を更に遠ざける。山頂に舞う風雪と彼ら
敵の妨害。それらが合わさって、すぐそこにある筈の命にさえ届かない。
 胴を刺し抜かれた青年は、そのまま手から剣を零し、どうっと崩れ落ちた。白く積もった
地面に赤の広がりがゆっくりと染みてゆく。
「……やれやれ。思いの外、手を掛けさせられたな」
 そんな彼をじっと見下ろし、フードの男は静かに嘆息する。
「それは貰って行くよ。黒星続きもこれまでだ」
 聞こえているかいないのか。しかし彼はそんなことも構わず、ゆっくりとこのかつての友
へと近付いてゆく。
「くそっ! くそぉッ!!」
 一部始終は見えていた。少し駆ければ追いつける筈だった。
 しかしジーク達は阻まれる。一見悠然と立つだけの、だが何処から剣撃を打とうとも即座
に的確に防いでみせるジーヴァの剣技と存在感に。重力の力場によって身体の自由を奪い続
けるヴァハロに。セイオンも鎧が抉れ、服が破け、荒く息をついていた。風雪の一陣二陣向
こうで、今まさに大切な人が奪われようとしている。
『──』
 倒れ伏したまま、青年がフードの男を目で追っていた。何か呟いている。しかし瞼は既に
出血し過ぎたことで重くなっていて、満足に動くことすらままならない。
 幾度目とかもしれぬ剣撃同士が、ジークとジーヴァの間で打ち鳴らされた。一旦大きく後
ろに飛び、瞳にその光景を映す。……出し惜しみなんてしてられない。ジークは再びぶんっ
と剣先で魔流(ストリーム)を自らの身体に挿し込み、右手の紅梅に力を込めた。刹那紅い
炎のような輝きが彼を包み、その姿を変質させる。髪に紅いメッシュと上衣を纏った、完全
開放の姿。加えてそこに自身の《爆》の力を加え、大量の燃え滾るオーラを身に纏う。
「だ、駄目だ、ジーク君!」
 ヴァハロの力場に押し潰されながら、ハロルドがハッとなって叫んでいた。
 しかし当のジークにはもう聞こえていない。目の前の敵に、ジーヴァを突き破って彼を助
けに行くことに、全神経が注がれてしまっている。
「おおおおおおおーッ!!」
 どけぇ! 咆哮し、白い地面を蹴るジーク。まるで紅く巨大な塊が突進してゆくかのよう
だった。それをギチッと剣を構えて見据え、ジーヴァは真正面から迎え撃つ。
 双方互いに滾るオーラ。
 そして振りかぶった、助走からトップスピードに乗って放たれるジークの一閃は、目の前
の光景をその輝きで染め上げて──。


▼第Ⅶ部『古記なる旅路(リプレイ・ザ・レコード)(後)』編 開始 
 
 Tale-84.そして彼らは火を焼(く)べる

 アトス・ヴァルドーの二国同時クーデター未遂から一週間ほどが経った。当初世界は事件
の大きさに方々で動揺をみせていたが、日数を重ねるにつれ各社の報道も足踏みを揃えたよ
うにフェードアウトしてゆく。ある意味で、一国の王子の命も一介の庶民の命も世の大半に
とっては等しく他人事なのだろう。只々水面下で、政治的な目論見だけが進んでゆく。
「あの、大丈夫ですか? 結構パンパンに詰めちゃったから……」
「平気。本が入っている箱はこれで全部だった筈」
 そんな一旦収まった、嵐の前の静けさの中、梟響の街(アウルベルツ)で動きがあった。
クラン・ブルートバードの旧ホームの宿舎から、街に戻って来たルフグラン号内に、次々と
荷物が積み込まれている。
 かねてより幹部や一部の団員達の間で温められていた、アルスの船内移住の準備だった。
旧宿舎内の自室から箱詰めされた彼の私物が、団員達の手によって運ばれる。当のアルスも
エトナと共に、これに交ざっていた。魔導書などを詰め込んだ箱一つをよろよろと抱えて進
むその傍を、三つ四つと軽々重ねたミアが歩いてゆく。船内から延ばされたタラップを団員
達が繰り返し往復していた。
「……すっかり、がらんとしちまったなあ」
「そうじゃのう。もうハロルドさんの酒と肴が味わえなくなると思うと……」
 かねてより機能を移してきたホーム内は、以前にも増して殺風景になってしまった。
 ホームの移転を聞き、中年男性や老人を中心とした食堂兼酒場の常連客だった街の住民達
も顔を出している。この二年で休業から閉店となり、生活の気配すら消えてしまった室内を
イセルナやハロルドは彼らと一緒に眺めていた。
「そもそも冒険者をやりながら開放してるってのが稀なんだよ。しんみりするな、とは言わ
ねえがな。これも時の流れってモンさ」
 加えて、今日この場にはバラク達もいた。
 クラン・サンドゴディマ──かつてはこの街でイセルナ達と競うように活動していた同じ
冒険者仲間。キリエやロスタム、ヒューイといった幹部達も、湿っぽさを嫌ってごちるこの
団長の胸中とは共通するものがあったようだ。
「仕方ないのかねえ。あの頃とは、状況はあまりにも変わり過ぎた」
「過去を懐かしむのは年寄りの性分とは言えな……。じゃが、儂は正直すまないと思ってお
るよ。結局イセルナさん達を追い出したのは、他ならぬ内心それを望んだこの街の人間達な
のじゃから」
「気にするこたぁねえ。あんたらは違うんだろ? 連中はただ、責任を擦り付けて楽をした
いだけだ」
「……」
 それでもしんみりとした心地にはならざるを得なかったのか、常連の老人は一人静かに目
頭を摘まんでいる。バラクは彼に振り向きもせずに言った。いつぞやと変わらない、端的で
容赦のない分析だった。ただ、当のイセルナは影のある微笑のまま応えずにじっと沈黙を守
っている。ハロルドも、傍らの彼女を推し量って余計な口は挟まないつもりのようだ。
 ……分かっている。いずれこうなると、ある時点で予感したまま突き進んできた結果だ。
 それに、少しでも惜しんでくれる者達がいれば、それだけで充分自分達は救われている。
「で、イセルナ。これからどうするんだ? いよいよ空き家になっちまうが、例の転移の基
点はここのままなんだろう?」
「ええ。これまで私達と一緒に過ごしてきた思い出の場所だし、当面は人を割り振りながら
維持するわ。将来的には街に還すつもりだけどね。ちょうど今は守備隊や、アトス国軍が詰
めてくれているし……」
 小さく息を吐き、ややあってイセルナは答えた。ちらと訊ねてきたバラクを見遣り、今後
の返還スケジュールを話す。基点自体は、レジーナ達に頼めばまた再設定と計算をしてくれ
る筈だが、それでも相応の時間を要してしまうという。
「それもアルスの卒業まで、か」
「……ええ」
 たっぷりと間を置いて、そんな彼女の言葉を咀嚼して。
 はたして彼の卒業が先か、一連の戦いが終わるのが先か。

 伸び散らかった草が、緩やかに風に撫でられている。
 しかし今は秋も折り返しを過ぎた頃。肌に触れて通り過ぎてゆくそれは、時折冷やっこさ
すら感じる。
「……」
 ジークは一人、街の郊外にある草っ原に寝転がっていた。ちょうど今いる位置はなだらか
な坂になっており、梟響の街(アウルベルツ)の全景が見下ろせる。街を区切る壁外の一角
には飛行艇が──ルフグラン号が停まっている。今頃はアルスの引越しで荷運びをしている
ことだろう。その間も何度も繰り返し風が肌を撫で、少しずつ瞼が重くなってくる。
「あ、こんな所にいた」
「ジークさ~ん、起きてますか~?」
 そんな時だった。ふと横の方から声がする。ステラとレナだ。自分を探しに来たらしい。
かさかさと草を踏み分ける足音が近付いて来て、ぼうっと眺めていた視界に二人の覗き込む
顔が映る。
「……何だ、お前らか」
「むう。何だ、じゃないよ。探したんだからね?」
「アルス君の引越しのお手伝い、行かないんですか?」
「っていうか、何でこんな所に……」
 すっかり素の気丈な面が目立つようになったステラと、あくまで優しく諭すように困った
表情(かお)をして語りかけてくるレナ。
 ジークは暫く黙っていた。ぱちくりと、重くなり始めていた目を瞬き、ぼうっと先刻まで
頭の中にあったことを呟く。
「ちょっと、考え事をしててさ」
「考え事?」
「ハーケン王子の一件で、ちょっとな。アルスの事だよ。大切にしているつもりで、実際俺
は何も解ってなかったんじゃねえかと思ってさ。正直、あいつがリュノーの文献を解読する
係を頼まれた時の喜びようを見てて、俺は間違ってたんだと思った」
『……』
 レナとステラは、はたと息を詰まされたように黙り込む。どちらからともなく、ちらりと
互いの顔を確かめるように見遣り合う。思い当たる節は彼女らにもあったのだろう。自分達
は聖浄器回収の旅をしながら“結社”と戦いつつも、彼にはあくまで自分の夢を──学生の
本分を全うして欲しい、平穏無事でいて欲しいと望んだ。そんな“思いやり”が結果として
当人を苦しめていた事実は、何より実の兄であるジークには一際深刻なものとして受け取ら
れていたのだろう。
「分かってたさ。今に始まった事じゃない。“結社”は人の心の隙間につけ込む。つけ込ん
で自分達の目的の為に利用する。それは勿論『悪』なんだが、だからと言ってイコール俺達
が『善』って訳じゃねえだろ?」
 ガチャリ。言って、ジークは傍らに置いていた六華を鞘ごと持ち上げた。
 聖浄器の一つ、護皇六華。そして聖浄器とは、魂を生贄に捧げて作られた武具……。
 以前本人(?)達に言われた。『お前達は正義ではない』と。今思えばこのことを言って
いたのだろう。過去の誰か、見知らぬ他人の魂を閉じ込めてまで、欲する力。ただでさえ今
でも完全開放を使えば、六華の中の彼らがいつ自分という魂を食い潰して乗っ取ってしまう
かもしれないというのに。
「この戦いは、いつまで続くんだろうな。続くってことは、まだこれ以上に不幸になる誰か
がいるってことだ。どうすりゃあいい? どうすれば止められる? 今まで俺は、がむしゃ
らに突き進んできたけど、本当にこのやり方で良かったのかなって……」
 明らかに吐露だった。しかし同時に、言葉の上だけでは明確に助けを求めるでもない。
 六華を持ち上げてぼうっと眺めるジークに、レナやステラは暫く言葉を失っていた。あま
り考えることが得意ではなく、弱音も他人の前では吐きたがらない彼には珍しい──だから
こそ、次の瞬間レナはそっとジークの手を取っていた。ステラが、少しばつが悪そうに逸ら
した視線のまま、ぽりぽりと銀髪を掻きながら言う。
「その、止める為に戦ってるんじゃない? そりゃあ始めは売られた喧嘩だったけどさ」
「大丈夫です。私達がいます。その為の団員(クラン)じゃないですか。頼って……いいん
ですよ?」
 心なしか頬を染めているレナ。ジークはその取られた行為と、漏らした弱音を恥じたのか
今度は自分が言葉に窮したようだった。きゅっと軽く唇を結び、かといって取られた手を振
り解くでもなくなすがままにされる。
「少なくとも“大盟約(コード)”が破壊されてしまえば、間違いなくもっと大勢の人達が
困る事になります。それだけは防がないと……。どれだけ彼らの理想が“正しい”ものだと
しても、ヒトが滅んでしまっては元も子もないんですから」
「そういうこと。実際、その理想とやらの為にあちこちで人を殺して回ってる時点で弁護の
余地もないしね。やるべきことは変わんないよ。大切な人達を守るんだ」
「……ああ」
 レナが、特にステラが言い切る強気に、ジークは思わず静かに苦笑いをした。そっと手を
離され、もそりと起き上がる。草の感触がまだ背中に残っていた。さわさわとまた冷やっこ
さを含む風が肌を撫でる。
 行こ? 二人に促されるようにして、ジークは立ち上がった。そうだよな。不貞腐れてい
る暇ははない。彼女達の厚意を無碍にする訳にはいかない。
「……」
 それにしても。
 結社(やつら)はそもそも、どうやって“大盟約(コード)”を……?


 それはヴァルドー領内辺境の、人も寄り付かないとある孤島の地下深くに在った。
 本当に辺境の大陸かと思うほどの厳重なボディチェックを受けた後、導力仕掛けの昇降機
を使って延々と地下を降りてゆく。
 ダグラスは終始険しい面持ちを崩さなかった。自分が正義の盾(イージス)の長である事
は先方も分かっている筈なのに、随伴する職員──いや、警備兵らは間違いなく王国正規軍
の装備を身に纏い、四方から銃口を遣ったまま無駄口一つ叩かない。やはりよほどの機密が
詰まっているのか。統務院関係者であろうと、挙動次第では五体満足では済むまい。
「ほっほっほっ。よく来なすった。儂はヘイデン・ウォーカー、この研究所を任されている
者じゃよ。正義の盾(イージス)長官、ダグラス・レヴェンガート殿じゃな? ああ、よい
よい。お主は知らんでも儂はお主を知っておる。陛下より連絡は受けておるでな。ささ、奥
へ奥へ」
 どれだけ階を潜っただろう。やがて長い沈黙と駆動音の後、チンと鳴って開いた扉の先で
は、白衣姿の研究者らしき一団がダグラスを待ち構えていた。
 その中心にいたのは、欠けた歯と度の厚い眼鏡、皺だらけの顔をした一人の老博士。
 ヘイデンと名乗った彼は、こちらが歩み寄って自己紹介するまでもなく矢継ぎ早に第一声
を向けて来、フロアの奥へとダグラスを誘う。
 思わず、ダグラスは内心怪訝に思う自分を否めなかった。
 人工のじの字も見受けられなかった島が、一歩踏み込めばコンクリと無数の機材で埋め尽
くされた秘密研究所に変わる。陛下──ファルケン王の肝いりとは聞いていたが、彼はこん
な施設を造っていたのか。改めてあの人物の底知れなさ、行動力には恐れすらある。
「……ヘイデン殿。ここは一体、どういう施設で?」
「うん? あまり詳しくは聞いておらんのか。そうさな。基本的には我がヴァルドー王国の
管轄ゆえ全ては話せんが、ここはかねてより様々な軍事技術の研究・開発を行ってきた施設
でのう。“結社”のような、王国や世界を揺るがす脅威に対する抑止力の確保を目的として
おる。とは言っても、本格的に稼動するようになったのはここ二年ほどの事じゃがな。その
意味では“結社”さまさまかもしれんのう」
 ほっほっほっ。
 普通ならば不謹慎としか取られないような台詞も、老研究者という肩書きに託けて飄々と
言う。ダグラスは密かに眉間に皺を寄せはしたものの、彼を窘めることはしなかった。まだ
会って間もない相手に、という心情は勿論、此処は“アウェイ”であることを重々承知して
いたからである。同じ統務院という括りの中にあっても、世界屈指の大国と望んで険悪にな
る下手は打てない。
(“結社”のおかげ、か……。いや、ここは所為だと表現しなければならないのだが……)
 事実ダグラス自身も認めてはいた。そもそも“結社”という世界共通の敵がいなければ、
統務院に加盟する各国は今よりももっと足並みが揃わずに自国の利益ばかりを追求していた
に違いない。皮肉なものだが、敵がいるからこそ、こうした技術は錬磨される。
 通されたのは、一際広い実験室のようだった。ダグラスのような素人には分からない無数
の化合物が色とりどりの極太試験管の中に浸され、ゆらゆらと揺れている。
 他の白衣の研究者達が一度こちらに向き直り、会釈してきた。
 ダグラスは暫くぐるりと室内を見渡していたが、やがて手に下げていたアタッシュケース
からある物を取り出すと、ヘイデンに差し出した。
「早速ですが、本題を。今回ここを訪ねたのは他でもありません。この物質の分析を貴方達
にお願いしたいのです。先日クリヴェイルで猛威を振るった、とある異形の破片です」
 汚さぬよう手袋を嵌め、厚めのナプキン越しに握ったのは、氷漬けにされた一個のどす黒
い破片だった。他ならぬハーケンを蝕んだ、その命を奪うことになったあの大蛇の異形から
千切れた欠片である。
 これを託してきたのは、イセルナだ。王子によるクーデター未遂の折、その朽ち果てゆく
間際に零れ落ちたこの破片の一つを、自身の冷気で密かに閉じ込め、回収していたのだ。
 ……抜け目の無い女だ。皆が王子が死んでゆくのをただ見守る事しかできなかった時に、
既に次の行動への布石を打っていたのだから。
 最初これを部下から提出され、報告を受けた時、自分の力不足を痛感した。事件当時現場
にいなかったとはいえ、ケヴィンやウゲツには申し訳ない事をした。お前達のせいではない
と繰り返し慰めておいたが、逆効果だったろうか。
「ほほう? これが……」
 差し出された破片を見て、ヘイデンが興味深そうに覗き込んだ。事件の情報──これが瘴
気に類するものの塊だと知っていたからか、金属製の防護用手袋を嵌めると、受け取ってた
めつすがめつ観察している。
「部下からの報告では、元は黒塗りの剣の形をしていたそうです。それがハーケン王子が力
を込めると黒い瘴気の触手となり、彼を呑み込んでしまったとか」
「ふむ……」
「この破片から、その剣の出所が分からないでしょうか? “結社”から追い出されたとい
う元使徒との関係も然り、裏で繋がっている勢力に辿り着く手掛かりになる筈です」
 暫くの間、ヘイデンは掌の中の氷漬けになった破片をあちこちから眺め続けていた。
 ダグラスが横でそう話すが、あまり聞いている感じではない。普段は飄々としてふざけた
感じの老人だが、専門家としてのスイッチが入るとこうも真剣になるのか。或いは単に知的
好奇心を刺激されてこちらの話が耳に入っていないのか。
「……ふむ。ほう? これは……。分かった、調べてみよう。詳しく分析に掛けなければは
っきりとした事は言えんが、どうやら伝導率の高い金属が使われておるようじゃの。そう巷
に出回っている素材とは思えん。お主の言うように、ある程度これを造った張本人とやらを
絞れるやもしれんぞ」
 お願いします。ダグラスは深く頭を下げ、後を託した。ここから先は専門家の仕事だ。槍
を振るうことくらいしかできない武人の自分は、さっさと退散するとしよう。本音を言って
しまえば、早くこの場所から逃げ出したかった。
(ファルケン王は、こんな施設を隠していたんだな)
 何というか……此処には陰湿な、害意のようなものが滞留している気がする。

 時を前後して。アトス連邦朝王都クリスヴェイル。
 この日、都内全域は沈痛な空気に包まれていた。他ならぬハーケン王子の国葬が執り行わ
れる予定だったからだ。
 まだ事件の傷跡が残る王宮を出発し、ハウゼンやミルヒ、ギュンター以下喪服に身を包ん
だ政権幹部達が、郊外にある国立墓苑へと向かう葬列を作る。後方にはその他臣下と、弔問
のため訪れた各国からの使者達が続く。
『……』
 表向き、王子の死は“結社”に唆された蜂起とその失敗の果ての戦死という形を取った。
 既に朽ちて塵に還ってしまった遺体は、食肉を詰めた偽物を用意してしっかりと白布に包
み、何とか人々の目を誤魔化す事にする。少なくとも形式上の儀式が終わってしまえば、後
は火葬されて証拠も残らない。
 真実を発表する訳にはいかなかった。それが結果、再び領民達を騙す事になるとしても。
 徒に不安を煽るだけだ──ハウゼンや臣下達による話し合いでもそう意見の一致をみた。
ただでさえ次期国王の謀反という不祥事なのに、それがヘイトによって死さえも与えられた
と知られれば、どれだけの不満が噴出することか。……いや、国内に限らず国外でも、統務
院全体への不信感を招きはしても、メリットなどは皆無だ。
 ゆっくりと葬列は進む。その道中には葬儀を見守り、王子の死に悲しみと悔しさを滲ませ
る多くの領民達が集まっていた。ぎゅっと唇を結び、或いは涙をハンカチで拭う。謀反など
企まなければ、いずれ彼は次のアトス王だった。王子という身分を無視しても、彼は優秀で
努力を惜しまぬ一人の政治家だった。
「──政府は委譲式の嘘と、混乱の責任を取れー!」
「──このまま事件をうやむやにする事を許すなー!」
 列に加わる人々は、沈痛な空気に包まれていた。だがその一方で、尚も怒りの声を収めよ
うとしない者達もいる。デモ隊だった。葬列が通り過ぎてゆく道の向かい側で、さも見せつ
けるように横断幕を掲げてハウゼンらを糾弾している一団があった。
(っ……。人が、実の弟が死んだのよ。何を考えてるの……!?)
(お、落ち着くんだ、ミルヒ。関わってはいけない。君が反応したら、彼らの思う壺だ)
 葬列の只中で、特にこの罵声に眉を顰める人物がいた。他ならぬミルヒ王女──ハーケン
の実姉である。良くも悪くも情動的な彼女は、キッとこの道向かいのデモ隊を睨み返そうと
した。そんな妻を慌てて、婿であるギュンターはひそひそと宥める。
(分かってるわ。でも、自分達こそ一因に加担したのを棚に上げて……!)
 ギリッと唇を噛み締めて耐えるミルヒ。その心中は、ギュンターを含め多くの臣下達が同
様の思いであったのだろう。誰かが、おそらく“結社”の手の者が漏洩と扇動を行ったのは
間違いない。だが一方で、そんな印象操作に乗っ掛かったのは、他でもない彼らのような怒
れる市民であった筈だ。
 少なくとも、彼らが領民全ての代弁者ではない。葬列を見に来ていた人々の多くが、この
デモ隊の言動に向かってあからさまに不快感を示している。
 お前達は、静かに弔う事もできないのか──。
 良くも悪くも、ヒトとは空気を読み、読むことを強いられている生き物である。
「……」
 そう娘や婿達が怒り、宥め、顰めているのを、当のハウゼンは終始前を見据えたまま黙っ
て聞いていた。しずしずと歩を進め、旗先の鈴が鳴る音を聞きながら、その後ろ姿は只々哀
しみに耐え続けているようにも見える。
 国立墓苑に到着し、一行は埋葬の儀式を執り行った。火葬され遺灰となった骨壷を神官が
献上し、受け取ったハウゼンとミルヒがそっと掘られた墓の中へと納める。その後、臣下や
各国の使者達が献花を行った。一人一人、急ぎ設えられた墓標の前に項垂れて祈り、王子の
冥福を願う。
「──今日は、我が愚息の弔いに足を運んでくれたこと、誠に感謝する。この場を借りて、
領民と世界中の人々にお詫び申し上げたい。愚息が謀反を企てたのは事実だ。そしてそれを
未然に防げなかったのは、ひとえに私の不徳と致す所である」
 たっぷりと長い時間をかけ、弔問が終わった後、父であり現国王であるハウゼンが皆を前
へスピーチに立った。その面持ちは終始沈痛で、強い悔恨を湛えているように見える。
 出席を許された世界各国の記者らは、ここぞと言わんばかりに写姿器のストロボを焚いて
いた。俯きがちなハウゼンの画を繰り返し繰り返し撮る。彼の語る謝罪に、次に紡がれるで
あろう言葉の全てに、じっと神経を集中させている。
 一体、どんな言及があるのか?
 王子は確かに「死んだ」が、その詳しい経緯には未だあやふやな部分がある。
 彼らのジャーナリズムが真実を求めさせる。既に報道にある通り、今回も“結社”が仕組
んだものなのか? それとも別の、何かしらの謀殺なのか……?
「……私は随分と長い間王位に就いてきた。それはひとえに子供達がまだ幼かったことと、
周囲に続投を望まれたからだ。それ自体は光栄に思っている。この不肖の老いぼれでも民の
為に出来ることがあるなら、心骨を捧げる覚悟だ。だがそうして政に没頭するが余り、すぐ
傍にいた筈の者の心すら、私は見落としていたのだ」
『……』
「知っている者も多かろう。我が愚息ハーケンには、マリーという妻がいた。しかし彼女は
まだ若い内に流産に遭って帰らぬ人となってしまった。……夫であるハーケンの哀しみと絶
望は尋常ではなかった筈だ。息子は、彼女を愛しておった。それが彼女だけでなく、腹にお
った我が子までも一緒に連れて逝かれてしまったのだ。思えば、あの時から息子は狂い始め
ていたのだろう。私は……その痛みに気付いてやれなかった。本当の意味で理解してやれて
いなかった」
 独白、いや吐露。出席者達がざわざわと、目が点になって動揺している。記者達がごくり
と息を飲みながら、手帳にペンを走らせていた。ミルヒやギュンター、臣下達も、その内情
を知っているが故に、胸を締め付ける痛みを隠せない。
「息子は、その心の隙間につけ入られた。“結社”の元使徒に吹き込まれ、私を引き摺り下
ろしてでも天国の妻に“偉大な王”としての姿を見せるのだと……」
『……』
「全ては、私の責任だ。故に私は王位を退こうと思う。後任はミルヒに頼むつもりだ。尤も
まだ幼いセネルの──孫が王に相応しい年齢と才覚を持つまでの代役として、だが」
 だからこそ次の瞬間、ハウゼンがさらりと口にしたその一言に、場のあらゆる者達が度肝
を抜かれた。言葉も出ないほど目を見開き、あんぐりと口が開き、全身が強張る。記者達も
数拍呆然としながらも慌ててストロボを焚き、一度じっとそんな皆を見渡しているハウゼン
の姿を激写する。
 何より驚いたのは、当のミルヒだ。出席していたセドもまた同じである。
 お父様……? 漏れ出たその声は戸惑いだった。自分でも、情動的な性格は政治家には不
向きだとの自覚がある。全くの初耳だった。息子の、セネルが成長するまでの“繋ぎ”だと
しても、いきなりそんな事を言われて務まるとは……。
「但し、この一連の戦い全てにけりをつけてからだ。“結社”を倒し、世に跋扈する暴力の
連鎖を断ち切ってからだ。それが息子の無念を晴らすことにも繋がろう。後継は決める。だ
がこの愚王、哀しみのままに手を付けた責務まで投げ出すことはせぬ」
 本当に辞めた……。葬列の人だかりの外に立っていたデモ隊の面々が、そうぽかんとした
表情で立ち尽くしていた。義憤(いかり)と共に願った筈なのに、いざあっさりと折れられ
てしまうと如何したらよいか分からない。ギロリと、幾人かの参列した領民達が、このデモ
隊の者達を強く詰るように睨みつけている。
「……結社(やつら)は周到で狡猾だ。不満、不和、野望──あらゆる心の隙間につけ入っ
ては利用してくる。これまでも、これからも」
 そして引き続きハウゼンは言った。いや、もうこのスピーチを観る事になるであろう世界
中の、誰とも知れぬ一人一人に向けるように。
「だから、各々が強くあって欲しい。互いに手を取り合い、力を合わせて困難に立ち向かっ
て欲しい。こんな結末を迎えるのは、私達だけでいい……」

「──まさか、ハウゼン王が」
 国葬の場で老練の王が放った一言は、瞬く間に世界中の人々に衝撃を与えた。
 中継を見て、或いは導信網(マギネット)上にアップされた速報を読んで。
 ある王はその悲痛な思いに同情し、ある王はこれも作戦の内かと舌を巻いた。それぞれの
国で、それぞれの場所で、各国の王や統務院議員らがこれから起こる情勢の推移を見量ろう
としている。さりとて、そう簡単に人々が団結するとは思えない──公にこそ口には出さな
かったが、ハウゼンの紡いだ願い通りに世の者達が転がってゆくというのは少々楽観的に過
ぎる。王や議員達、ないし有識者らの内心の見解は、大よそそんな向きであった。
(これは……嵐が来るぞ)
 少なくとも四大国の一角、その次期国王が謀殺されたとなれば、事実上の代弁者たる統務
院は黙ってはいないだろう。
 そう遠くない内に報復がある筈だ。相手は判っている。他ならぬ“結社”であり、その組
織から放逐されたという元使徒の存在。まだ公には周知されていないが、各国は密偵を介し
て断片的な情報を手に入れつつある。
 もしそうなれば、一連の戦いも大きく進むのだろうか?
 内心で歓迎する者達がいた。尤もそれは、泥沼化する“結社”との戦いに少しでも早く終
止符を打ちたいという内向きな願望からである。それ故、同時に一方でこれ以上の戦線拡大
に否定的な者達もいる。端的に言ってしまえば「傍迷惑」という印象だ。この二年、ただで
さえ“結社”との戦いに兵力を拠出させられているというのに、また余計にリスクを背負わ
されるとなると……。大国であればあるほど、聖浄器を王器として祀っている国であればあ
るほど、いつ自分達にも降りかかるとも知れない不安はあるが、王であれ庶民であれその脅
威が直接襲ってくる瞬間まで、ヒトとは多くの物事を「他人事」として捉えようとする。
『──』
 更には世界の何処かで、様々な場所で。
 これから起こりうる報復(じたい)に、苦虫を噛み潰すように押し黙る者達がいる。

「抜け目ないな。相変わらずあの人は」
 顕界(ミドガルド)東方北部、女傑族(アマゾネス)の国・トナン皇国王宮内。
 かつて激しい内乱を経験したこの島国にも、国葬の様子とハウゼン王のスピーチは中継さ
れていた。執務室のデスクやソファに腰を下ろしていたシノやコーダス──女皇・国王夫妻
以下数名の臣下らが、壁に掛けられた映像器が映し出すこの瞬間を目の当たりにして驚きを
隠せないでいる。
 目を細めて、ソファに座るコーダスが呟いていた。一度は魔人(メア)の身に落ちながら
も、かつての恩人が秘めた心情と意図にはしっかりと気付いている。
「陛下……」
 特に守られた当人である、シノの哀しみは深かった。自分達にとって深い恩義ある彼が受
けたショックは如何ほどのものであったか。解ろうとも解り切れまい。上辺の結果だけを見
れば実の息子を“結社”に謀り殺されたと言えるが、その過程は内なる狂気の末に自らに反
旗を翻した末の死。仇(てき)への怒りと、息子のそれに寄り添ってやれなかった自責の念
が綯い交ぜになり、本来なら公の場に立つ事すらままならぬ筈だ。
『本当に、強い方ですね』
「ええ。でもそれは、とても危うい強さよ」
 通信越しに、リンファとイヨが控えていた。ホログラム画面の向こうで同じくきゅっと唇
を結んで溢れる思いを抑え、静かに肯定するシノの言葉の重みを想う。
「それに、報告では、ハーケン王子を止めたのはうちの息子達だというじゃないか。あの子
達も辛いだろうね。結果的に彼を守れなかった訳か……」
「ええ……」
 加えて夫の嘆息に、沈む気持ちは深まる。
 ハウゼン王のことだ。死なせたと息子達を直接詰りはしなかっただろうが、それが故に自
分達も内心は複雑である。もっと早く気付いていれば、もっと違う手段があれば──時間に
もしもは無いとは分かっていても、子らに代わって悔やまずにはいられない。
『やはりというべきか、ヘイトの名前も、例の黒塗りの剣の話も出ませんでしたね』
『まだ不確定な部分多過ぎるからな。死の真相も含め、徒に不安を煽ってもメリットは無い
と判断しているのだろう』
 通信の向こうで、イヨとリンファが話していた。実際そうなのだろう。委譲式典の件も併
せれば、あまり隠蔽を繰り返すのも善くはないと解ってはいるのだが。
「結局、争いの火は消せないのね。弱める事すらできない。私達は……無力ね」
「……確かに、どうも結社(れんちゅう)は“火をつけ回っている”ような印象があるね。
前にアルスが言っていたように、まるで何かの意図があって悪役に徹しているような……」
 沈む気持ちのまま、シノが自分を責め始めた。
 そんな妻に、コーダスは苦笑しながらも優しい眼を向けた。そっと宥めながらも次の言葉
には疑問を深化・進展させる思考が込められる。以前、下の息子が導話で話してくれた内容
を思い出していた。確かに自分達には、何か彼らに対して根本的な無知がある。
「そういえば、ジークやアルスはどうしてるの?」
『先日から、イセルナ達と共に梟響の街(アウルベルツ)に戻って来ています。この前お話
しした、ルフグラン号への引越し準備をしている所ですよ』
 そう……。リンファからの返答に、シノは少しホッとしながらも、一方で漠然とした不安
を抱かずにはいられなかった。兄達の戦い、聖浄器回収の旅を知った上で、自分も何か力に
なりたいと強く訴えたのだという。親心としてはあまり無茶をして欲しくはないのだが、お
そらく止められないだろう。昔から──あの事件があってから、あの子達は本当に無茶をす
るようになってしまった。
「せめて、ご卒業までは学業に専念させて差し上げたかったのですが……」
「仕方ないさ。それこそ最初は、ここまで結社(やつら)との戦いが複雑化するとは思って
いなかっただろうからね」
 それまで傍らに控えていた側近──近衛隊長のサジが、皆の内心を代弁するようにぽつり
と呟いた。コーダスは努めて苦笑(わら)う。……そうだ。ここまで大事になるとは思って
いなかったし、知らなかった。もし分かっていたのなら、もっと別な道の取り方だってあっ
た筈だ。
「しかし妙ですねえ。何故“結社”は今更になってアトスとヴァルドーを? 敵の親玉を攻
めるというなら、もっと早い段階でもよかった筈さね」
 加えて王宮医務長を務める老医師・ナダは、映像器に映る国葬のスピーチを引き続き眺め
ながら、そんな疑問を口にする。
「そうですね……。御婆さまの言う通り、今回の一件はまだ何か裏があると思います。報告
ではヴァルドーは“結社”本隊が、アトスはその“結社”から追放された元使徒が関わって
いたらしいと聞いています」
『それって、同じじゃないんですか?』
「ううん。主体が違うのよ。詳しくはジークやクロムさんから聞くと確かだと思うけど、彼
を切った経緯から考えて、両者が共闘したとは考え難いわ」
 イヨが数拍目を瞬き、訊ねた。シノは小さく首を横に振ると、これまで収集した情報を元
に推測を重ねる。夫(コーダス)やサジ、ナダ達もその横顔を見ていた。同じく知らされて
いたそれらの情報から、導き出される可能性は……。
「“結社”に狙われた方と、狙われなかった方?」
「偶然と決め付けてしまうにはちと早計だねえ。おそらくヘイトは、予めアトスが攻撃対象
ではないと知った上で、ハーケン王子を陥れたと考えられる」
 うむ……。一同はそんなナダの言葉に、深く頷いた。映像器の向こうでは尚もハウゼンの
発言のショックから立ち直れておらず、記者達が質問をぶつけているが、それは今回の事件
の本質的部分ではない。
「……ヴァルドーに、一体何が」
 ぽつりと、サジが呟く。
 この時期にわざわざ国盗りを──それも四大国の一角に対して起こす必要があるほどに、
結社(かれら)が欲しがるものとは。


 ルフグラン号後方にある、設備棟の最奥。
 ある意味この飛行艇(ふね)の要とも言える転移装置が、そこには在る。大型の魔法陣を
中心とした各種機材がふとグゥゥンと駆動し始め、藍色に発光し始める。膨れ上がったその
光は、やがて弾けるように四散した。
『──』
 静寂が戻り、魔法陣の上に現れたのはアルスとエトナだった。他にもルイスやフィデロ、
シンシアやお付きコンビの二人がいる。加えて団員達からはアスレイとテンシン。ちょうど
皇国(トナン)本国と通信中のリンファらに代わり、彼らの護衛を務める為だ。
「おお……」
 ゆっくりと目を開け、そして広がる機械の空間に驚く。ルフグラン号の存在自体はかねて
より聞いていたが、こうして実際に足を踏み入れるのは初めてだ。
 ルイス達学友の面々の腕には、それぞれに転送リングが嵌められていた。アルスが今回、
レジーナら技師組に頼んで急遽作って貰った代物である。
「へえ。ここがブルートバードの船かあ」
「まだ転移設備の部屋なんだろうけど……。ここだけでこの広さという事は、船全体はかな
り大きいんだね」
「うん。確か大型船の括りだった筈だよ。それでも上には上があるらしいけど」
「まぁクラン一つが丸々住めるくらいですものね。それぐらいの規模はないと」
「造ってる時、遠巻きから見てた事はあったが……。改めて機巧技術ってのはとんでもない
モンなんだなあ」
「ははは。そう恐れることはない。少なくともこの船は我々にとっては味方のようなものだ
ろう?」
 フィデロやルイス、シンシアにキース、ゲド。お付きコンビ。
 各々が室内を見渡しつつ口にする言葉を聞きながら、アルスは静かに苦笑していた。じゃ
あ行くよ。ついて来て? そう皆に声を掛け、目的の場所へと案内を開始する。
 設備棟を出て渡り廊下を通り、数棟がコの字を描くように並ぶ宿舎へ。
 途中で待機している団員達と何度かすれ違った。その度にルイス達は会釈し、向こうも気
さくに応じてくれる。ロビーで雑談している者、菓子を食っている者、或いは走り込みや素
振りをして自主トレに励んでいる者──色んなクランの日常がそこにはあった。
「着いたよ。ここが僕達の部屋」
 そして船内を歩くこと暫し、一向は宿舎内にあるアルスの自室へと辿り着いた。
 隣り合ったジークの部屋と共に、同棟内でも奥まった、守りに都合の良い位置にありなが
らもいざという時には動き易く、四方に通路が繋がっている。
 アルスとエトナは振り返り、皆を中へと通す。室内は既に引越しを終えてびっしりと彼が
普段使っている私物や教材が棚に整理されており、更に奥にはもう一つ横長の部屋がある。
『……』
 移動して、思わずその膨大さに言葉を失う。
 そこには搬入された幾つもの本棚と、作業台の上に、大量の資料が置かれていた。
 言わずもがな、それらは全て翠風の町(セレナス)の地下書庫から運んできた、リュノー
の遺した文献の数々である。ルイス達は暫く呆然とこれらを眺めていた。だがアルスらの話
では、これはまだまだ全体のごく一部でしかないらしい。一行は更に言葉を失う。
「見ての通りだよ。リュカ先生から解読を引き受けたはいいものの、これだけの数を僕一人
で捌くのはどう考えても無理がある。だから皆にも力を貸して欲しいんだ。勿論、大書庫に
ある全てに僕達の知りたいことが書かれているとは限らないんだけど……」
「ええ。それは構いませんわ。寧ろ光栄なことですもの。でも」
「いいのかい? 一応、僕らは付き合いこそあっても、クランの正式なメンバーじゃない。
これが特務軍としての活動の一環なら、本来部外者になってしまう筈だけど……」
「あー、それは」
「問題ないんじゃないかねえ。皇子から頼んでるんだから」
「ええ。何も全く知らぬ間柄ではないんです。皆さんは皇子のご学友で……信頼に足る人物
だと思っていますから」
 今日ここに来たのは、リュノーの文献解読を手伝って貰う為だった。
 二国のクーデター未遂の後、アルスから直接その打診こそあったのだが、いざ実物を前に
してしまうとルイス達は慎重にならざるを得なくなってしまう。
 しかし当のアルスは、そんな事は気にしていない様子だった。
 ぱちくりと目を瞬いた本人に代わって、随伴するテンシンとアスレイが言う。一瞬不意を
突かれたような格好だったが、その言葉を受けて一行は破顔した。そんな風に思われている
からこそ協力を仰がれたとは分かっていたが、いざ正面から言われると照れ臭い。
 ──そして早速、ルイス達は一度用意された文献を手に取ってみることにした。白手袋を
嵌めて慎重に、一頁一頁を捲る。少なくとも相当の歳月が経っている筈だが、元々の保管が
しっかりしていたからか、思ったほど痛みは酷くない。紙面にびっしり、当時の黒インクで
達筆な文章が綴られている。
「ねえ。これ、もしかして全部ソーサリア語で書かれてません?」
「あ、うん。隠し部屋にあった日記もそうだったけど、どうも下手に読まれない為に敢えて
古い言葉で書かれてるみたい」
「やはりそうか。魔導開放以前の言語だからね。帝国時代を生きたリュノーが使うには不自
然だと思った」
「うん? つまりあれか?」
「そそ。訳すだけでもかなり骨が折れるってことだよ」
 アルスの返答に、ルイスやシンシアが思わず渋面を作った。キースが頭に疑問符を浮かべ
ている横で、フィデロもこの先の苦労を思って大きく嘆息をつく。
「……フィデロ。分かってるとは思うけど、ここにあるのはほぼ全てが間違いなく第一級の
史料だ。破損させたり、ましてや紛失したりするなよ? 一冊駄目にしただけでも、とんで
もない額の賠償をしなきゃいけなくなる。それこそ、僕達庶民じゃあ、一生かかっても返し
きれないぐらいの額がね」
「わ、分かってるって! ……つーか何で、俺一人に言うんだよ」
 あはははは。ぐぬぬと眉を顰めるフィデロに、一同は思わず笑った。如何せん真面目に重
苦しくなっていた空気が、少しだけ和んだ気がする。
「……」
 そんな学友達の姿を横目にしながら、アルスは密かに思案していた。頭上近くでふよふよ
と浮かぶ相棒(エトナ)の翠色の光を視界の端に、自身もぱらりと時折頁を捲る。
 自分の予測は、結果的に“半分”当たっていた。
 二国同時クーデター未遂事件。後々で兄達から話を聞くに、ヴァルドーには“結社”の本
隊が、アトスには以前“結社”から切り捨てられたヘイトがそれぞれ関わっていたらしい。
 少し──だが、捨て置けない違和感があった。
 今回の事件で統務院の事実上のトップを潰すつもりだったのなら、政治的なリーダーであ
るアトスを狙う筈だ。だが実際には“結社”の本隊はヴァルドーを狙った。わざわざ軍事の
雄、落とすには一番厄介な筈の大国を。
 これは偶々なのだろうか? それとも後で狙うつもりだったのか。
 しかし兄達から聞いていたヘイト離脱の経緯からして、彼が結社(ふるす)との共闘を取
ったとは考え難い。寧ろ予めヴァルドー攻略でこちらが手薄になると知り、その隙を横取り
するつもりだったと考えた方が辻褄が合う。
(どういう事だ? アトスよりもヴァルドーに、結社(やつら)にとって都合の悪いものが
あるのか? 今更過ぎる。そんなリスクを払ってでも攻撃に出る理由が、何処に……)
 分からなかった。これもまた彼らの大命──“大盟約(コード)”の消滅に関係している
のだろうか? 単にイデオロギーの問題ではないのか? そういえばと思い出す。確かダン
達が導都(ウィルホルム)で聞いた話によれば、“大盟約(コード)”とは契約などの概念
ではなく、れっきとした「モノ」だという。
(……知らなくちゃ。もっと、僕らは)
 ちらり。自身の手元にある文献と、学友(とも)らが紐解いている文献の山を見遣る。
 在るのだろうか?
 この中に、自分達の求める答えは。

 それはまだ、波乱が始まる前の出来事。
 ヴァルドー王国の地下牢奥深くに、グノアは囚われていた。
 暗く冷たい石室の床に描かれているのは封印の魔法陣。両手足には同様の呪文(ルーン)
が刻まれた枷が嵌められ、鉄杭で全身を背後の壁へと打ちつけられている。
「……」
 半人半機の使徒。しかし今やその姿は陰惨なものとなっていた。
 全身には服越しに無数の穴が空き、繰り返し飛び散った血飛沫が黒くこびり付いている。
顔面のおよそ半分や両腕を補う機械の義手。それらも今は徹底的に破壊され、内部が剥き出
しになって放置されている。常人ならとっくに絶命している筈だが、皮肉にも魔人(メア)
としての再生能力が彼を生かしていた。それが分かっていて、ギリギリまで痛めつけられ続
けていた。
 一刻が、さも無限に感じるかのような毎日を過ごした。任務の折に今こそ機だと自ら旗振
り役を買って出たが、このざまだ。結果、反ファルケン勢力は崩壊し、自身もこうして地下
深くに囚われの身となってしまっている。
 ちょうど、そんな時である。ただ暗闇の中で失意に埋もれるグノアの目に、はたとちらつ
く複数の火の玉が見えた。
 ……誰か来たのか。それが松明の明かりであるとは程なくして分かった。カツンカツンと
何人かの足音が重なって聞こえ、それが灯と共に段々と近付いて来る。
「よう。調子はどうだ?」
 ファルケンである。統務院を牛耳る四盟主の一角、此処ヴァルドー王国の現国王。
 傍らにはあの憎き“牙”達も控えている。十人の内三名ほどが松明を携え、じっとこちら
を感情のない眼で見つめている。
「……殺せ。貴様に話す事など何もない」
 圧倒的に不利な、獄に繋がれた状態。
 それでも尚、グノアの憎しみは衰えることはなかった。戦闘用の機人(キジン)達に見張
らせていた只中を通り過ぎ、ファルケンはこれを真正面から見据える。
「さっさと始末したらどうだ。この二年で貴様らが殺した同胞達のように」
「嫌だね。せっかくの情報源だ。そう簡単に殺っちまってたまるかよ」
 ボロボロになりながらも、剥き出しの敵意を放って返す罵倒。
 だが、対する当のファルケンは、そんなグノアの言葉など何処吹く風といった様子で聞き
流していた。すっくとその場にしゃがみ込んだかと思うと、そうニッと意地悪く嗤ってから
再び立ち上がる。
「腐ってもお前は使徒だ。信徒級の雑魚どもの見せしめとは訳が違う。絶対に口を割って貰
うぜ? その為にわざわざ国際犯(テロ)じゃなく国内犯(はんぎゃくざい)扱いにしたん
だからよ。アトスも今はややこしいからなあ、当面は時間が稼げる。お前ら魔人(メア)の
身体なら、多少無茶をしても死にやしねぇしな」
「……」
 ギロリ。内なる炎だけは絶やさぬように、黒く黒く燃える。
 わざと言っているのは分かっていたが、グノアはこの目の前の男を射殺さんばかりに睨ん
でいた。やはりこいつだ。このような王がいるから──抱き続けた不信感は拗れ、今や只々
敵として攻撃し続ける燃料としてのみ機能する。
 暫しの睨み合い。
 だが先に姿勢を崩したのは、他ならぬファルケンの方だった。
「しかし……。やっぱり分かんねえな。お前がそこまで“結社”に肩入れする理由。ただの
信仰(イデオロギー)にしちゃあ不十分だ。お前のそれからは、ある種の確信のようなもの
を感じる」
 四肢を鉄杭で打ちつけられているからというのもある。ファルケンが「ふむ」と口元に手
を当て、自身をぐるりとあちこち角度を変えながら観るのを、グノアは隠さない不快感でも
って睨んでいた。全身の感覚が弱い。何百何千と刺し貫かれたダメージもさる事ながら、床
と枷に刻まれた封印術式が何よりも身体の自由を奪っている。
「神ってのは所詮、天上のいち種族だ。それにお前の選民意識、アトスじゃなくこっちを狙
ってきた“結社”の連中……。てめぇらの大義ってのは、俺達が知らない、そっちが握って
る情報から来てるんじゃねえのか? 一体“大盟約(コード)”について何を知っている?
何故聖浄器を──魂の力を必要とする?」
「……」
 破天荒で知られる王ではあったが、それでも大国を統べる王である。
 ファルケンは確かめるように、そうついっと軽く顎を上げながら訊ねていた。しかし当然
グノアは答えない。それが結果的に、事実上の肯定になることを理解していても。
「まぁ、そうだろうな」
 数拍そんなグノアを見つめていたが、ファルケンは「ふう……」と、わざとらしくため息
をついてみせた。傍らでは“牙”達が微動だにせず控えている。上着のポケットに片手を突
っ込み、気だるそうにポリポリと後ろ髪を掻いた後、ファルケンは言う。
「まぁじっくりと訊き出してやるさ。その大義が何であれ、砕いてやる。てめぇはヒトだ。
ヒトである以上、ヒトを犠牲にして為す何物も“正しく”はない」
 俺も、お前もな……。
 そう冷たく暗闇に閉ざされた地下牢で、西方の破天王は不敵に笑う。

「──じゃあ、また長旅になるでしょうけど、気をつけて」
「ああ。お前らもな」
 アルスの引越しや再びの支度を入念に整え、クラン・ブルートバードは改めて聖浄器回収
の任に出発しようとしていた。
 イセルナやジーク、レナ、ハロルドを始めとした北回りチームは一路天上層へ。
 ダンやミア、クロム、ステラを始めとした南回りチームは一路地底層へ。
 ルフグラン号を前に互いの健闘を祈り、前者は最寄の導きの塔へ、後者はそのまま船に乗
り込んで霊海の深きへ潜る準備をする。
 見送るアルスやエトナ、リンファ・イヨ以下侍従と船上の団員達。操縦室からはレジーナ
ら技師組が親指を立て、努めて明るくジーク達を送り出してくれる。互いが見えなくなるま
で皆は後ろを振り向き続け、やがて外された視線の先が再開の始まりだった。

 舞台は、更なる世界へと移ってゆく。
 ジーク達北回りチームが目指すのは、古界(パンゲア)の中心地、古都ケルン・アーク。
ダン達南回りチームが目指すのは、かつて地底武闘会(マスコリーダ)で訪れた経験もある
魔都ラグナオーツだ。
 これで何度目の利用になるのだろう。導きの塔の転移陣を使い、ジーク達は魔導の光に包
まれて遥かな距離を移動する。
『……』
 そして大量の藍色の光が捌け、ゆっくりと目を開いた次の瞬間。
 そこには遠く向こう側に古めかしくも格調のある──見慣れぬが故に浮世離れした感のあ
る古い街並みが、城壁と共に広がっていたのだった。

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  1. 2017/06/13(火) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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