日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)スーサイド・ロジックス

十一月になりました。早いもので今年もあと二ヶ月となくなってしまったのですね。そして
このページを開設してから半年弱の月日が流れた事も意味します。……早いものですね。
皆さん如何お過ごしでしょうか? こんにちは、長月です。
先日、連載の十章が書き上がりました。近日中にもUPすると思います。
物語も大きな節目へと加速の度を深めていく、その佳境に向かっており、書き手である自分
もまた楽しませて貰っている所です(見方を変えれば「俺得」になってないかと疑心を抱い
てしまいがちということでもあるのですけど)

ホクホクと創作をしたり、或いは日々の営みに悶々としたり。
ですが、自分がそうしている間にも世の中は確実に変化し続けています。
先日のニュースで世界の人口が70億人を突破したそうです。
(ちなみに日本の人口はこの雑記現在で約1億2000万ほどなので、ざっとその約七十倍)
国内では少子高齢化がしばしば大きな懸案の一つとして挙げられ、実際に人口自体も減少に
転じているというのに世界全体でみれば増加の一途。
何だか、妙な感じがします。チグハグ感とでもいうべきような……。
(※今回は少し陰鬱な話題になります。続きを読もうとする方はご注意を↓)


おそらくそんな感覚は「生が溢れているのに、多くの死もまた併行している」ことに起因し
ているのではないかと僕は思います。
ご存知の通り、この国は自殺大国とさえ言われている世の中です。
その人数はここ十数年だけでも年間3万人超前後を推移しています。
3万人……小規模の街が丸々空になるだけの人間が、毎年自ら生を断っている状況です。
(参考までに。太平洋戦争において全世界で亡くなったとされる人の数は約6000万人、アフ
ガン・イラク戦争では現在の時点で米国側だけでも約22万人。これらを参照しても、国内の
年間の自殺者数が累積すればどれだけ早くこれらに肉薄してゆくかが分かると思います)

それでも、自殺の報道がなされる度に訳知り顔で「命を大切にしましょう」とテンプレート
な言葉で締めくくったり、或いは「ふざけんな。迷惑なんだよ」と撥ね付けるような反応が
飛んで来たり。
……僕自身もある疎遠な肉親の葬儀に立ち会ったことがあるのですが、その時僕は、悲しさ
を感じることができませんでした(いくら彼の者と仲が悪かったからとはいえ)
少なくとも人の死に対して、今日の僕らはどうにも冷淡になり過ぎなように思えるのです。

宗教的な理由で説けば『自殺は罪(地獄に落ちるぞ的な)』だと云います。
社会的な理由で説けば『自殺は(社会のコマを欠くなどの)損失』だと云います。
感情的な理由で説けば『自殺は(自分達の日常に対して)迷惑』だと云います。

にも関わらず、人は自分で望むわけでもなく生まれ、そして死ぬ。その過程が自然発生的な
ものなのか、或いは自らの行動によりものなのかといった違いはあっても。
むしろ僕は思うのです。
──そこまでして、何故周りの人達は誰かの自殺を忌み嫌わなければならないのか?
もしかしなくても、その本音は「彼らへの哀悼」ではなく「先を越されたことへの怨嗟」で
はないのか? そんな事すら考えてしてしまう自分がいます。
批難を承知で言いますが、僕個人は“自殺は止めなければならない”という知らぬ間にある
そんな前提には少々懐疑的な立場です。
確かに無為に命を散らすのは惜しいのでしょう。少し古臭い言い回しを取れば、代々受け継
いできた血筋のリレーを自分が断ってしまうことは悪いかなと思ったりもします。
しかし、個人主義的な気風が強くなっているであろう今日の人々に、そうした『血筋』やら
『家柄』というステイタスは意味を成さなくなって来ているのではないか。引き止めるだけ
の倫理として働かなくなっているのではないか。そう僕自身は己も含めて解釈しています。

死んだって「無」になるだけだぞ。
ただのタンパク質諸々の塊になるだけだぞ。
自殺だろうが他殺だろうが自然死だろうが、きっとそれは同じだ。
所謂「死後の世界」とやらがあるかは分かりませんし、あったとしても僕は行きたくない。
(それこそ自殺しても苦悩は断たれないのだから無駄になる訳で。……嗚呼、だからそれが
宗教的な云い口での歯止めだということか……)
だからこそ、僕は安易な死が必ずしも「解決」にならない故にそれらを全肯定する気にはな
れないのですが、かといって“死んではいけないという価値を押し付ける”ことに対しては
強い抵抗感を覚えます。
……それは結局、彼らの為の言葉じゃない。所詮死なれる側の論理でしかないのだから。

勿論、人が自ら死ぬことを選ぶ理由は単一ではあり得ない。
経済的、身体的、精神的。色んな条件が重なってフッと、もしかしたら確信的に向こう側へ
と渡っていってしまうのではないでしょうか? 少なくとも自身の中に確かな「生の意味」
を返答できない僕らの説教が、死へ赴こうとする人々を止められるとは思えない。
だから単に「死ぬのは悪だ」というアプリオリな押し付けは意味がないと思うのです。
むしろそんな圧力が却って“窮屈さ”を生み、こんな事態を招いているのかもしれません。
精神論ではなく、もっとロジカルに。現実的に。
現実を生きさせたいと(押し付けがましくも)願うなら、僕らはもっと具体的に問題を抽出
して一つ一つ解決していかなければ。
哲学的に『人は生きるに値するのか』という大命題にたとえ根源的な答えが出せないのだと
しても、少なくとも僕らはそんな足掻きぐらいはできる筈だから。

この地上には70億もの人が生きている。そしてやがてはその全てが死に、また新たな命が彼
らの代わりのように現れてくれる(僕らが子孫を残すことをやめない限りは)
せめて……これからの未来を生きる者達には、より良い生とセカイが待っていますように。

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  1. 2011/11/01(火) 00:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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