日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)空いてばかりの毎日を

書いたッ!第Ⅵ部完!

結局十日後とはなりませんでしたが、こんにちは。暦も変わり三月となりました。早いもの
ですね。ただ季節はまだ、一時の暖かさの後に冷えが戻ってくるを繰り返すばかりで、春と
呼ぶには早そうです。流石にもう年明け中頃にあった豪雪などはなさそうですが……。

例の如くコンスタントに連載更新。先日、ユー録の八十三章をUPしました。
(今に始まった事ではないけれども)終始ふわっと──滾って万全なコンディションだった
とは言えないままの執筆でしたが、今回で第Ⅵ部の〆という区切りもあってか、結果的には
もっさり分量となりました。量ではなく質が問題なんですけどねえ。
うーん……ちくはぐ感。気合いを入れて向かった時に限って空回りするわ、コンディション
に不安があったり気持ち急いている時に限って膨れるわ。安定しない……というより、自分
の筆力を自分で制御し切れないというのは不安材料というか、どうしてももどかしいものだ
なと思います。

ともあれ、大きな区切りをまた一つ通過。一先ずは安堵すべきなのでしょうか。
以前にも言及していますように、これから暫くは、資料集の加筆作業の後、次編──第Ⅶ部
のプロット作成に入っていきたいと思います(尤も↑を含め、すぐに掛かるのは難しい?)
直近の例を引っ張り出すのなら、大体二~三ヶ月ぐらいでしょうか。ただ前回よりももっと
内容を詰められるように、文章を起こしやすいように、何より面白い物語にしたいと欲張っ
てしまうものですから、これらは前後すると思われます。予めご了承ください。ユー録の方
は暫く休載という形となりますが、三題やサハラ~などは(気力体力)プロットがある限り
これまで通り更新を続けてゆきますので、気長にお待ちくだればと存じますm(_ _)m

……にしても、疲れた。頭の中が一日ぐらいガス欠でしたよ。まぁいつもの事か。

今更過ぎますが、色々と手を伸ばし過ぎてるんですよねえ。小説だって現状三企画同時進行
にも拘わらず隙あらば「新作を」と唸るのは勿論、去年一昨年ぐらいからようやく形になり
始めてきたツクール。短歌もコンスタントになって久しいし……ああ、絵もまた新しいの描
かないとなあ。ただでさえ変に手癖が固まってるもんだから。
加えて最近では積み本だけではなく、積みゲーも増えてきた。色んな作者さんがどんどん面
白そうな作品を出してくるものだから、ついそっちにもリソースを割こうとしてしまう。で
もって早速影響されて、それまでの創作思案に割り込んでまたうわあああ(>△<)ってなる。
創りたいこと、吸収したいことはややもすると次々に出てくるのに、決定的にそれらを消化
するだけの時間が足りない。いや、体力気力の持続力が足りない……。

嬉しい悲鳴、と言ってしまえばまぁそうなのでしょうけど、一方でそうした悲鳴が“不全”
に変色してしまうと自身を凹ます。病ます。我ながら面倒臭い。

何かこのまま、消化し足りず創り終えず、ある一点まで来てぱたっとこの人生が終わってし
まうんじゃないか? と思えてくる今日この頃。

実際中々難しいんでしょうけどね。創作人であろうとなかろうと、未練の無い最期なんて。


──例の如く、半分は筆力の衰えを防いだり回復し(押し戻し)たりするリハビリ的な。

今日は一日お休みで病院に行ったり、家人からの頼まれ事を済ませたり、家でぼ~っと寝て
いたのですが、こういう(導入部の)創っては一時は落ち着き、間が空いてはまた疼いて創
ろうとして“悲鳴”が“不全”になってという心理は、やはり僕自身の過去十年以上の療養
ニート生活の反動であるのだろうなあと。

経験値が足りない。
(迫った人生の節目から逃げた)自業自得ではあるにせよ、間違いなく僕はずっと自分の事
を足りぬ者と定義してきたのだろうと思います。職歴は勿論、職能やコミュニケーション、
人脈や年相応の成熟、達成していて然るべきステイタスなど。
それらが、僕には決定的に足りない。お仕事は今の作業場通いでやっととば口に入ったと言
った所だし、ここでの手仕事がはたしてこの先どう活きるのやら。大きな括りで同じ物仕事
ならまだしも、他人と付き合うことありきの内容だったらどうする? 多少電話応対や事務
も齧って一頃よりはマシにはなったけれど、如何せん未だそういった行為だけでMPが削れ
る始末(尤もこれは慣れ以前にその人それぞれのタイプだ、という見方もありますが。他人
と関わる事でエネルギーを得て元気になるタイプと、逆に関わる事にエネルギーを消費する
タイプ。僕は十中八九後者の部類ですね……)

別に、今のお仕事が嫌って訳じゃない。寧ろ臥せるばかりの日々の風穴を空けてくれた恩人
ですらあります。
ただ、もうじき二年が経とうとしていますが、一周回ってまたここ最近は前者タイプの仲間
達の語らいが聞こえてくるのが少ししんどくなっている自分を自覚しています。だから距離
を置いてこっちは黙々とやっているし、向こうも多少その辺は悟って深く踏み込んで来ない
んだろうと(勝手に)解釈しておりますが、ややもすると『創作作業までの助走の場所』に
僕にとってはなっているのかもしれません。創作中毒は今に始まった事ではないにせよ、こ
の時期にまた改めて、内側に内側に、強迫観念的なループに逃げているのかなぁ?という気
がするのです。

言い換えるならば、代償行為。
今の環境に慣れて染まってしまっている所為もありましょうが、今すぐにさぁ“普通”のサ
ラリーマンになれ、社会復帰しろと言われても実際無理です。心も、何より身体がついて来
ません。そもそも臥せっていた十年を取り戻すことはもう出来ないのですから、レールから
落ちなかった人達のそれと比べて、自身のキャリアを追いつけ追い越せできるのは相当難し
いんだからという諦めも正直あります。だからこそ──切欠は療養中の治癒の取っ掛かりで
あったにせよ──その未だどうしようもない“空き”をこの創作活動というもので必死に埋
めようとしてきた(いる)のかもしれません。強く埋め合わせようとするが故に、一旦その
注力が緩むと一気に自分の無力感が露わになる。……あまり好ましい状況ではないと自分で
も思うのですけどね。ライフワーク(と化した)と言えど、何事も程度物です。薬も過ぎれ
ば毒と云うように、創ることが時として呪縛になってしまう。何よりも創ることを見て貰う
ことを楽しむよりも、創ること生み出すこと、その過程の思考に重きを置くような利己的な
動機づけ──求道者たろうとするのは元より“苦しい”ことな訳で。

……少し自分の観測範囲から引用させて貰うと、それは他ならぬ『病める人』の一人である
僕自身が、自分のことを(社会にとり)価値のない人間だと思い込んでいる節がある(から
もっとこの“空き”を埋めなければと強迫観念を抱きがちだ)からなのだろう。
今僕らのようなタイプの人間が「弱い」者とされ、それを救済するのもあくまで“労働力と
して再生させる為”というロジックが少なくない状況では彼らを救わない、生産性のみで人
間を語るな! そんな世の中を変えていかなきゃいけないんだ! と訴えてくれる他人達が
いても、僕自身何処かでそれを『いやいや。でも他の尺度ではふわっとし過ぎるんだって』
とか『どうせそういう再評価も金銭価値の換算に戻っていくんだし』とか、そもそも『僕は
そこまで重篤な方じゃないから……(もっと頑張らなきゃ)』とやんわり遠慮して苦笑して
卑下してしまう。ざっくり大きく括れば病める人の一人ではあるんだろうけど、多分そこを
掘り下げて症状の軽重でもって“同胞”らを差別しているんではないかと思う……。

理想的ではあるんですけどもね。誰もががむしゃらに働かなければ生きていけないような、
近しい人達が皆疲れている、そんな世の中のシステムをいずれ根っこから作り変える。
ただ……それは二つの意味で、どだい幻想でしかない。一つは、真面目に働いてきた人達に
してみれば「ずるい」と思われる訳で、時にはそもこういう理想像自体が敵意の対象になり
うるのだという現実。もう一つは、目指すものは確かに綺麗だけど、それって結局“革命”
じゃない? 徒党を組む“運動”じゃない? そういうきな臭いものに乗るのはちょっと。
いわゆる活動家的な、イデオロギー的な集団に与するのは僕個人の信条に反するので……。

『人は、誰かに生きていていいよと言われなきゃ生きていけないんだ』

多分この国において、長らくその多くが労働であり、生産性に貢献していることであったの
だろうと思う。たくさんの人達に「いいよ」を言えてきた。周りが皆、同じような形で貰え
ていることもまた、安心感の一助になってきたんだろう。
……でもそうやって、その一つの基準に乗っ掛かった「いいよ」がマジョリティを占めれば
占めるほど、反動のようにそこから何かしらの理由で零れ落ちてしまった人達は本当に途方
に暮れるんだと思う。金銭的という以上に、魂の部分で。
だから、今はその反動に乗っ掛かって他の「いいよ」を探そう、それで「いいんだ」よと言
ってくれる人が増えた。そういう分野の支援者が一昔よりも増えたのは素直に喜ばしいこと
だと思う(まぁ一方で名ばかりの搾取業者とか利権屋も蔓延る結果にはなってるけど)

ただその支援と、手を伸ばされた一人一人の根本的な救済とは必ずしもイコールではないの
だなと感じてならないのが今日この頃なのです。同胞達を観ていても、自分を観ていても。
経済的な自立までいければ御の字。それが「無理」だとなれば、挑み出てゆくことよりもこ
ちら側のコミュニティでのんびりとすることをややもすれば至上とする。……勿論、その人
の意思と性質と、何より段階(ステージ)によりけりなのだけど、はたしてそれでいいのか
な?というのが僕の正直な感想です。本当に既存を代替できる「いいよ」なんて在るのか。
誰もがアーティスト的には、生き切れない。
免罪符にしてしまうのも、少なくとも僕自身は許するべきではない、宜しくないことではな
いかと思う──。

こっちで埋めても寄せては返す。あっちで埋めようも届かない。

本当、誰か教えて欲しい。一体どうすれば正解なんだ……。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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