日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「湯気の向こう」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:桃、コーヒーカップ、時流】


 いつものように、いつもの席で、いつものブレンドを頼む。
 津村はこの日も朝から馴染みの喫茶店に来ていた。
 サラリーマン時代から足繁く通い続けてきた、古めかしくも優しい黒木の店内。もしかし
たら自宅で、妻や子らといるよりも、多くの時間をここで過ごしてきたのではないかとさえ
錯覚する。
「はい、お待ちどお」
 マスターが、カウンター越しにコーヒーを出してくる。自分よりも一回り以上年上の老紳
士だ。きっちりと着こなした服装といい、落ち着いた佇まいといい、この店の雰囲気と見事
に溶け合っている。
 カタン。津村はカップを引き寄せた。濃い焦げ色からいい匂いが漂ってくる。やや濃い味
で淹れて貰うのが彼のお気に入りだ。一度目を瞑って充分に香りを楽しんでから、ゆっくり
とこの一杯を喉に通す。
「ん……美味い。やっぱりマスターのコーヒーは最高だな」
「恐縮です。私も、津村さんのようなお客様がいるから、この店を続けられるんです」
「……恐縮です」
 澱みのない所作と微笑。
 やはりこの人には敵わないなと思った。返し、漏れるのは苦笑いだ。カップから上る湯気
に視線を落とし、目に映るセカイがじわりじわりとぼやけてゆく。

 そもそもの切欠は、まだ自分が新人だった頃、会社の先輩に「この店はいいぞ」と勧めら
れて連れて来られたのが始まりだった。
 まだまだ社会に出て間もなく、右も左も分からなかったひよっ子な時分。
 そんな、無力と理不尽に打ちのめされるばかりの日々にあって、実はというと津村は最初
このマスターに苦手意識さえあった。
 当時はまだ、互いに若かりし頃。
 年上であるには違いないが、同じ若い部類でありながら既に店一つを持ち、そのコーヒー
を淹れる技術は勿論、客への細やかな心配りや笑顔も忘れない彼の姿を見て津村は正直衝撃
を受けたものだ。何もかもが違い過ぎると、自己嫌悪に陥ったものだ。
 だが、そんな自身の劣等感をも、マスターはじっくり時間を掛けて癒してくれた。
 特に何か“説教”をした訳ではない。落ち込んだ時は店を訪れ、先ずは一杯温かなそれを
淹れて貰って気持ちを落ち着ける。ただこちらが漏らす言葉を、じっと聞いている。
 下手に自己主張しない。それが何だか心地良くって。
 気付けば津村は、何かにつけこの店に通うようになった。ややもすれば毎日の仕事に忙殺
されてしまう日々の中にあって、ここに来ればそんな激しい時の流れがゆっくりに宥められ
てゆく心地がした。それがどうしようもなく安心して、癖になって、何より抜群の味を誇る
マスターのコーヒーのファンになって、気付けばすっかり常連になっていた。
 それは今も変わらない。一年ほど前に定年を迎え、髪もすっかり薄く白くなってしまった
今でも。

「……」
 右手から左手へ。熱を持つカップを自身の手の中でゆっくりと弄ぶ。
 早々に飲み切るようなことはしなかった。するつもりなど毛頭なかった。もう何十年も、
自分はこの一時を味わう為に生きていると言ってもいい。
 持ち手を替えたことで、湯気が視界の半分から退く格好になった。カウンター越しには空
のコップを丁寧に拭いている、静かなマスターの姿がある。
 それにしても……マスターも随分と歳を取った。撫で付けてお洒落な印象は保ち続けては
いるが、あの頃に比べると白髪の侵食が著しい。自分が言えた立場ではないが、最早髪全体
と言ってもよく、頬なども昔に比べると少し痩せ細った気がする。
 津村はそうぼやっと考えながら、またカップを持ち替えて軽く一口。ちらと横目で入口の
扉を基点として店内の気配を探った。
 正直言って、閑古鳥である。今いるのは自分とマスターの一人だけだ。繁盛という言葉と
は真逆に近い状態である。
 だが、このような光景は何も今に始まった事じゃない。店を訪れた時は大抵自分だけか、
近所の年配者がぱらぱらと座っている程度である。
 尤も、津村自身はこの環境をとても気に入っていた。静かだからだ。誰にも邪魔されず、
ゆっくりとマスターの淹れてくれたコーヒーを片手に安らぎの中に沈むことができる。
 経営的なことを考えれば、面と向かって言うべきじゃないんだろうけどな──。少しだけ
思って、口元に苦笑いが浮かぶ。
 そもそも、今日び一体どれだけの人間が喫茶店でコーヒーを飲むという習慣を持っている
のだろう? 何せ不景気だ不景気だと散々言われ続けてきたこの十数年だ。今や自宅でイン
スタントで済ますという若者も多いだろう。コスパを考えて外で飲み食いすること控えてい
るなんて話もよく聞く。……いや、それ以前にコーヒーすら口にしないのかもしれない。
 その一方で、チェーン店などは今でも駅前などを中心によくある。喫茶店に限らずファミ
レスや各種ファーストフード店などが、今の時代は人々がふらりと一息つく場所になってい
るのかもしれない。
 ただ……自分がそこへ混じろうとはどうも思えないでいる。静かではないからだ。或いは
落ち着く、という概念自体と相反する場所であると認識しているためか。
 一杯淹れて貰ったのに、中々手を付けない。味わうこともなく冷ましてしまうし、去り際
に流し込むなんて者もいる。誰も彼もがノートPCを持ち込み、こんな場所でさえ仕事に追
われて忙しなくしている。或いはもっと若い、学生のような子達が、ひたすら品性のない雑
談を繰り広げている。
 そんな環境がどうしても好きにはなれなかった。結局ああいう場所は“普段”の延長線上
でしかない。忙しない時の激しさが変わらず自分達を支配する。なのにわざわざ金を払って
まで滞在したいなどとは思えなかった。
 尤も、そんな考えでいるから、時代に取り残されてゆくのだろうが……。
 肩越しの向こう、店内から覗く路地を足早に行き交う人々を見て、津村は思わず眉を顰め
てしまう。もう一度、カップから上がる湯気と見つめ合う。
「……」
 あの頃はよかった、なんてのは所詮年寄の妄言で。
 でもやはり自分はそう思わずには、口に出しそうにならずにはいられない。大好きだった
この空間が、当たり前の光景が、気付けばどんどん目の前から失われてゆくのを見てきたの
だから。
 最初この店を教えてくれた先輩は、その後この世を去った。いずれ迎える瞬間(とき)で
はあるにしても、急な病には内心驚かされたし、哀しんだ。結局この店と引き合わせてくれ
たお礼だってちゃんとしていなかったような気がする。
 この店で出会い、或いは苦労して仲良くなって連れて来た同僚──常連仲間達も、次第に
いなくなっていった。それこそ本当に無理が祟って早死にしてしまった者もいるし、寄る年
波に勝てず、何より時と共に疎遠になってしまった者も少なくない。
 ……時は残酷なものだ。津村は思った。あの頃、キラキラと輝いていたこの店での束の間
の日々ももうその殆どが戻って来ない。贅沢な願いなのだろう、それくらいは解っている。
店には内心秘境であってくれと言っておきながら、無くなるなとも言う。こちら側のエゴな
んだろうということはずっと前から。
 湯気でぼやけた向こう側に、かつての在りし日々が覗く。そんな気がした。
 若くがむしゃらに働き、折に触れてここへ癒されに来た日々。仲間達と笑い合い、語り合
った日々。結婚し、増えた家族の為に一層頑張って働いてきた日々。今や美しい部分だけが
おぼろげに融け残った、妻との蜜月や子供達の成長の記憶──。
「どうしました? 随分と、難しい表情(かお)をしていますが」
「ん? ああ。ちょっと、ね。何分暇になったものだから、これからどうしようかと迷って
しまって……」
 どれだけ互いに沈黙していたのだろう。
 たっぷりと間を置き、カップを拭き終わったマスターが声を掛けてくる。津村は内心ハッ
となったが、表向き努めてゆったりと小さく苦笑いを浮かべながらそう応える。
「奥さんに恩返しでもなさってみれば?」
「考えはしたんですがね。あれはもうそういう玉じゃないです。旅行でも行こうかと言って
も面倒臭がられるし、贈り物でもしようかとしても気味悪がられるしで。もうずっと前から
ママ友っていうんですか。友人達と暇を見つけてはそういうことはしてきたようで。気付い
た頃には私の出番はなくなってしまってましたよ」
「はは。男なんてのはそんなもの、ではありますがねえ。寂しいものですね」
 マスターが穏やかな苦笑を浮かべる。だが津村は、直後あまり話題にすべきことではなか
ったかなと後悔する。
 年上なのだ。既に彼は自分よりも一回りは先にそういった境地を経験している訳で。だか
らこそ顔は笑っていても、その実思い出して哀しくなっているのではなかろうか? 時が変
えてしまったものを、嘆く心地が湧いてくるのではなかろうか?
「……お互い、時代に乗り遅れてしまいましたねえ」
 布巾で手を拭きながら、マスターがややトーンを落としてごちた。
 津村は何も言えなかった。それはおそらく店のこと、自分達の老いのこと。
 何処かで客を引き留める手は打てた筈だ。だがそれでも彼も、常連の一人として津村も、
ただかつての日々を惜しんで手放す選択肢を採らなかった。年寄特有の頑固さがあった。
 店内は今日もがらんとしている。もうずっと長い間、津村ら常連が時折顔を出しに来る程
度だ。しかしその面子もまた、この先歳月が重なる度に減ってゆくことだろう。
「じい──マスター。今戻りました」
 ちょうど、そんな時である。入口のカウベルが小気味良く鳴り響き、店に珍しい人の入り
があった。
 尤も、それは客ではない。マスターと同じ無地に小さく店名を印刷しただけのエプロンを
着けた青年が一人、買い物袋を下げて帰って来たのだった。
「頼まれてた分の書い足し、終わった……終わりました。置いときますんで、また確認して
ください」
 津村が来ているのに気付いたのか、彼は入って来て早々口にしかけた口調を慌てて訂正し
ていた。慣れないのか時折言葉に詰まりながらも、動線自体は流れるようにカウンター内の
出入口を潜り、マスターにそう声を掛けながら奥の部屋へと買い物袋を置きにゆく。
「ああ、確かめておくよ。助かった」
 後ろを通ってゆく彼にちらっと振り返りながら、マスターは言った。彼の向ける視線も、
青年の返す視線も、傍目からして厳しくも優しい。
「そうだ。桃也。ちょうど津村さん一人だし、試しにお前が次の一杯、淹れてみないか?」
「っ!? 本当!? ……あ、いや。本当ですか?」
 そうしてマスターが次の瞬間、思い出したように彼にそう提案した。青年はぱあっと弾か
れたように喜色を浮かべたが、やはり客の手前だと訂正し直す。
「ああ。私なら構わんよ。ちょうどおかわりを貰おうかと思っていた所だ」
 いいですかね? マスターがこちらに視線で訊ねてきたため、津村も快諾した。ちびちび
と飲んでいた手元のカップは、言葉通りほぼ空になっている。
 コクとマスターが頷き、青年がやはり嬉しさを隠せないようにしてカウンター内を動き回
り、準備を始めた。豆選びからサイフォンの点火までを懸命に復習するように行う。
「し、暫くお待ちください。すぐに出来ますので」
「ああ」
 時は残酷だと思う。大切だった日々は今や幻の向こうに在って、戻っては来ない。
 だがそれは即ち一切が失われるという意味ではない。僅かではあるが、時を越えて受け継
がれてゆくもの達もまた、この世界には存在する。

 桃也君。
 一度は定職に就きながらも、幼少の頃から見てきた祖父の姿に憧れ、遂には彼と同じ道を
志すようになったマスターの孫である。
                                      (了)

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  1. 2017/02/01(水) 00:00:00|
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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