日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブルⅡ〔21〕

「あがっ!」
 そこは飛鳥崎の中心部から遠く離れた、とある廃教会だった。
 這う這うの体で、そんな所へ逃げ込んできたのは、逆さ帽子の生意気そうな少年だった。
以前守護騎士(ヴァンガード)への刺客として召集された三体のアウターの内の生き残りで
ある。
 屋根も大きく穴が空いている堂内へと足をもたつかせながら転がり込み、このアウターは
激しく息を切らせながら怯えていた。震えながら振り返ったその先に、薄眼鏡をかけた神父
風の男──ラースが一人、こちらに向かって歩いてくるのが見える。
「……やれやれ。こんな所にいましたか」
 朽ちた長椅子を後ろ手で掻き分けながらズザッ、ズザッと、ガタガタンと逆さ帽子の少年
はその歩みに押されるように後退る。ラースは言葉遣いこそ丁寧だったが、そこに込められ
た気色は間違いなく“怒り”であっただろう。
「ひっ──!」
 忌々しい。まるでそう言わんばかりに眼前に迫り、見下ろしてきたラース。
 逆さ帽子の少年はその眼光に一ミリとて逆らうこともできず、次の瞬間彼がサッと向けて
きた掌に、飛び出してきた半透明の壁にあっという間に圧し潰される。
「ぐべっ!? つ、つぶ、れる……ッ」
「説明して貰いましょうか、トレード。私は貴方達に、守護騎士(ヴァンガード)の正体を
明らかにし、これを討伐せよと命じた筈です。にも拘わらず貴方達はろくに連携も取らずに
敗れた。そして貴方はそれだけに留まらず、一人逃げおおせようとした」
 言うなれば障壁(バリア)である。ラースの掌から放たれたそれは、尻餅をついていたこ
の逆さ帽子の少年──トレード・アウターを床と共にサンドイッチにし、ミシミシと容赦な
く圧す。淡々と口にされるのは断罪。この、任務を放棄した同胞に対して。
「し……仕方なかったんだ! 兄貴や、ストームまでやられちまって……。あんたも知って
るだろ? おいらは誰かをサポートしてこそ、真価を発揮するタイプだって。直接攻撃する
能力がそうある訳じゃないおいら一人で、どうやって奴らを倒せってんだよ!」
 しかし、当のトレードも必死だった。最早半分そのプライドをかなぐり捨てて、自分一人
だけであることの不利を説く。
 彼の能力は、確かにサポート向けだ。タフネスのある前衛とコンビを組むことで始めてそ
の力が活かされる。だがその相手であり、兄貴分でもあったジャンキーが斃されてしまった
今、ストームまで独断の末にいなくなってしまった今、彼に確実な勝算はなかった。
「……ならば貴方のコアを回収し、せめて守護騎士(ヴァンガード)との交戦データだけで
も確保させて貰うだけですが」
「ッ!? そ、それだけは止めてくれ! 嫌だ、まだ死にたくない!!」
 ミシミシ。障壁(バリア)に圧し潰されながら、それでもトレードは弾かれように叫ぶ。
 ラースからの一言。それは彼ら越境種(アウター)達にとって、事実上の死──廃棄処分
を意味した。なまじ実体を得終わり、一個の個体として完成しているからこそ、そんな宣告
にトレードは激しく抵抗する。
 じたばた。するとラースは、あくまで足掻こうとする彼をじっと見下ろしたまま、不意に
張っていた障壁(バリア)を解いた。
「……では、もう一度だけチャンスを与えましょう。守護騎士(ヴァンガード)を倒してみ
せなさい。力が足りないというのなら、使うといい」
 そしてようやく解放されて大きく息を荒げるトレードの傍に、カシャンと何かが落ちた。
ゆらりと顔を向けると、そこには一枚の黒光りするチップが転がっていた。
「次はありませんよ」
 その間に、ラースは衣を翻して立ち去っていった。
 その言葉に、トレードはまるで雷に撃たれたかのように唖然として震えていたが、やがて
重い身体に鞭打って起き上がると、このチップを手に取り、ごくりと一人静かに息を呑むの
だった。


 Episode-21.Wrath/或る信仰者の破綻

「この辺でいいー?」
「んー……。いや、もうちょっと右かな?」
「ジュースにお菓子に……。あと紙コップも要るな」
 その日、学園の部室棟に睦月達は集まっていた。新しく一角に宛がわれた室内で飾り付け
をし、買い出しのリストを書き出し、今日発足する部活の船出を祝おうとしている。
 電脳技術同好会──新生電脳研。
 一度はカメレオン・アウターの一件で責任を感じ、会長たる仁が自ら解散を決めた同会。
だがそれを他ならぬ被害者だった海沙が不憫に思い、再設立を申し出たのだった。尤も臨海
学校前の忙しさと、中途半端な時期での申請だったために手続きは遅れていたのだが。
「オーライ、オーライ! おっけー、そこで留めてくれ」
「PC、全て設置し終わりました。流石に人数分はありませんが」
 新生電脳研の名前を書いた横断幕を仁が指示し、上座の頭上へとぴったり中央に寄せる。
國子達も前部からの機材を引き継ぎ、くっつけ合わせたテーブルの上にセッティングを完了
させたようだ。
「おお。様になってきたねえ」
『はいっ、楽しみです』
「……」
 宙やパンドラが、わくわくとパーティーが始まるその時を待っていた。
 睦月も、そんな仲間達の中にあり、そっと一角に座ったまま微笑ましくこれを見ている。

『やれやれ……。これで、マークすべき対象が増えてしまった』
 ムスカリ・アウターの一件が解決をみた後のこと。
 いつも通り司令室(コンソール)に集まった対策チームの面々を前に、皆人はそう嘆息を
つかずにはいられなかった。舞台が清風女学院──お嬢様学校という今までにない例ではあ
ったが、対策チームの組織力と思わぬ助っ人により、アウターは撃破。召喚主である東條瑠
璃子も今は病院送りとなって眠っている筈だ。
『ご、ごめん』
『何もお前が謝ることじゃないだろう。最終的に共闘を許可したのは俺だ』
 思わぬ助っ人。それはもう一人のアウター・黒斗だった。
 瑠璃子に狙われた自らの召喚主を救う為、居合わせた睦月──守護騎士(ヴァンガード)
との共闘を持ちかけてきた、空間操作の能力を持つ羊頭のアウター。互いにその情報を漏ら
さぬことを条件に手を組んだ二人は、無事ムスカリを倒すことができたのだが……。
 遠回しに非難されていると思ったのだろう。睦月は眉を下げながら言った。
 だがそんな親友(とも)に、皆人はあくまで冷静だ。戦う力は彼に預けているが、それ以
外の責任は全て司令官である所の自分たち親子が負うのだと。
『……今の所、二体と一人になるのか。冴島さんから逃げた奴と、瀬古勇、そんでもってあ
の黒斗っていう執事』
『ああ。姿を見せない所をみると、もう戦う気はないのか、或いは態勢を整え直しているの
か。引き続き警戒が必要だ。瀬古勇の方は更に手掛かりがないし、基本はもう警察の仕事だ
ろう。仮に捕まればアウター絡みの情報工作には動くがな。黒斗──あの羊頭のアウターも
油断ならない。今回こそ味方になったが、今後に関しては未知数だ。アウターと判っている
のに手を出せないというのは、どうしても不安材料にはなる』
 悩ましげに眉間に皺を寄せるその姿からは、やはり黒斗──アウターという存在を信用し
切ってはいないさまが読み取れる。
 椅子の背もたれに体重を預け、仁が言葉を向けると、皆人はそう頷いて答えた。そんな友
の警戒のさまに、内心睦月は暗澹とした気持ちになる。
『……いつかは、戦わなきゃいけないのかな』
『その為の対策チームだろう? ただ、今の所奴が過去に何か事件を起こしたかというと、
確認できてはいない。そもそも嗅ぎ回り過ぎて向こうに気付かれてしまえば、反故にされた
と考えて俺達のことを吐く危険性もあるが……』
 だから、そう損だとか得だとか、敵だとか味方だとかじゃないのに。
 口元に手を当て、再び考え込んでしまった皆人を眺めて、睦月は密かにきゅっと唇を結ん
でいた。……例外的なのだろうとは分かっている。だけどあんなに信頼し合っているような
二人がいるんだ。僕達と彼らは、もしかしたら解り合えるのかもしれない……。
『睦月君? どうしたんだい、大丈夫かい?』
『えっ。あ、いえ。はい。大丈夫です……』
 どうやら暫くぼーっとしてしまっていたようだ。冴島や隊士の一部に気付かれ、頭に疑問
符を浮かべられながら声を掛けられる。
 そんな親友(とも)の横顔を、皆人はいつの間にかじっと見ていた。何も言い出しこそは
しなかったが、その貼り付けた表情は何処か手厳しい。
『ともかく、今後は奴もそれとなく見張る人員を割いた方がいい。たがあくまで監視するだ
けだ。決して手を出すな。状況的にも、能力的にも、拙くなる公算が大きい』
 そして改めて全員に伝えるように、皆人は言った。
 あと──。更に直後少し考えるようにしてから、付け加える。
『奴の正体、モチーフだが、能力の内容や藤城淡雪との契約内容を考えるに、仮ではあるが
こう名付けておこうと思う』
 面々がざっと彼を見た。数拍間を置き、皆人が言う。
『“理想郷(ユートピア)”のアウター』

「──それで、買い出しはどうする? 量からして二・三人くらいは要るんだけど……」
「あ、じゃあ僕が行くよ」
「なら俺も。恩人一人に任せてはおけねえさ」
 同好会誕生を祝うパーティー。準備が着々と進んでいく中、リストを書いていたメンバー
の一人が言ってくる声に、正直手持ち無沙汰にしていた睦月が手を挙げた。それを見て仁も
同じく手を挙げる。図体はでかいが、その配慮は割と細かいのである。リストと渡され、早
速二人は部室を後にして行った。残るメンバー達が「気を付けてな~」と二人を見送る。
「……」
「ん? どったの、海沙?」
「あ。うん……。その、ちょっともどかしくって」
「? もどかしいって?」
 一方でそんな中、今回の発起人である所の海沙は何処かアンニュイな様子でこの睦月達の
出掛けてゆくさまを眺めていた。近くにいた宙が、その様子に気付いて声を掛ける。海沙は
少し躊躇っているようだったが、皆がわいわいと賑やかにしているのを邪魔しないように声
を抑え気味にすると、言う。
「その……。ここ暫く、またむー君達との距離が出来ちゃったなあって感じちゃって。こう
して一緒の時間を過ごせばまた元に戻るかなって思ったけど、いざ居合わせてみると逆に空
いてる感じがはっきりしちゃったみたいで……」
「あ~、そうかもねえ。確かに準備は皆でワイワイやってるけど、言っちゃえば突っ込んで
話をするって訳でもないから」
「うん……」
「まぁ分からなくもないかな? 今までのこともあるし、実際あいつらが何を考えているの
か、何をやっているのか、読めないってのはあると思う」
 とすんと隣に座り、真っ直ぐ皆人や國子らを見つめて。
 宙は不安がる親友(とも)を敢えて安易に慰めることもせず、肯定していた。それは彼女
自身も何処かで、睦月達への不審──翻せば自分達自身が彼らを疑っていることを否定でき
ないためでもあった。
「でもさ? そりゃあ気にはなるけど、話してくれないってことは、そういうことでしょ?
何も意地悪したくて隠してるんじゃないんだろうし。そこまで疑り始めたらどんどん落ち込
むだけだよ」
「……」
 胸の片隅に抱えた不安。だが宙は、それを自覚していても何処かで止めなければならない
と考えていた。
「だからさ? せめて今日ぐらいは笑っていてあげようよ?」
「……。うん……」
 海沙(とも)に投げ掛け、彼女も頷く。
 それが最低限の、仲間としての務めだと思った。

 時は更に遡る。
 ムスカリと瑠璃子、黒斗や淡雪、そして睦月達が初めて相対した場所。飛鳥崎メディカル
センター。その奥まった一角での戦いが鎮まって一しきりした頃、由良は院内で同センター
に駆けつけた筧と合流していた。
「……思ってたより物々しさはねえな。ホシの姿がねぇからか、病院側が逸早く隠蔽する方
向に動いたか」
「ええ……」
 途中で関係者を掴まえ、訊き出そうとはしたのだろう。だがその中の誰も、刑事だとは知
らぬこの筧へ安易に口を開く者はいなかったようだ。先刻までここで一体何が起こっていた
のか、誰が渦中にいたのかさえ教えてくれない。下手に大事になるのを警戒し、身分を明か
さなかったことが裏目に出た。ただ少なくとも、清風からの隠蔽圧力が存在していたのは間
違いないだろう。
 ひそひそ。周囲の人通りを気にし、筧は声色を抑えて呟いていた。迎えた由良も小さく頷
きながら、じっと遠ざかってゆく異変の波に耳を傾けている。

『退かない、か。それならそれで構わん。やろうというのなら、応じるが?』
『……。一先ず、場所を移すとしよう』

 由良は思い出していた。つい先刻、敷地奥の駐車場で繰り広げられていた非日常を。
 自分が駆けつけた時、彼らは既に戦っていた。毒々しい青色に触手を備えた怪物とこれを
従えた少女、痩せぎすの羊のような頭をした怪物とこれに守られた少女。
 何より──そこに交じっていた。白亜の鎧を身に纏った戦士、守護騎士(ヴァンガード)
でおそらく間違いないその者が、この羊頭の方に加勢するように戦っていたのだ。
 他にも一人、見覚えのない怪人と操っているらしい男がいたが……目に焼き付けたのはそ
れよりも彼が握っていたリアナイザだった。突然物陰の向こうに現れた光景に、由良の頭の
中は思わず大混乱に陥った。
 あの時はつい、反射的に隠れてしまったが……あれは一体どういうことなのだろう? 巷
の噂では守護騎士(ヴァンガード)は人々を怪物の脅威から守るヒーローだった筈だ。なの
にあそこで戦っていた本人は、まるでその片方に味方しているようだった。どうなっている
んだ? 敵じゃないのか? まさか両者は、元は同じ存在なのか……?
「──リアナイザを持った男に、学園(コクガク)生?」
「ああ。確かにそう言ってた。以前にも証言してくれたらしいんだが、どうも記憶になくっ
てなあ……」
 加えて筧がこの日持ち帰ってきた情報が、由良の疑念に火を点けた。
 彼によると、井道の事件の時、彼はリアナイザを片手に現場近くを見下ろしていたのだと
いう。そしてこの事件を追うようにして、この話の主──入院中の林の下に、学園生と思し
き少年が訪ねて来たということも。
 益々疑念は確信に程近く変わっていった。当の筧も同じだろう。やはり一連の異常事件の
鍵は、守護騎士(ヴァンガード)が握っている……。
「おそらく、一度俺達は知らず知らずに奴に近付いていたんだろう。だから邪魔をされた。
以前俺達が変な所で目を覚まして、手帳のメモがごっそり破られていたことがあったろう?
あれは関わりのある誰かが、俺達を遠ざけようとしてやったことなんじゃねぇかと思う」
「……」
 だからこそ、由良は話せなかった。
 自分がこの病院で見たこと、知ったこと。それらを全て正直に話してしまったら、この人
はまた、その悪意ある妨害に巻き込まれるかもしれない。今度こそ命も一緒に破り取られて
しまうかもしれない。何より、目撃した自分自身がまだあの光景をよく理解できていない。
 怪物がいた──そう形容する以外他にないとしても、不明なことが多過ぎる。
(兵(ひょう)さんに話すにはまだ早い。先ずは、俺が調べるんだ……)

 ──その男の名は、来栖信彦という。
 彼は飛鳥崎の郊外にある小さな教会で、住み込みの神父を務めていた。その立地上、終ぞ
賑わいというものには縁はなかったが、近隣の住民達にとっては祈りに没頭できる静かな好
物件であった。
 そんな閑静な環境で、まだ若い来栖は人々から慕われていた。薄眼鏡から覗く理知的な姿
と穏やかな物腰は、まさに敬虔な信徒として映っていたのだろう。
 ……だが、そんな彼にも密かな悩みがあった。それは恋。疎らながらも祈りを捧げにやっ
てくる常連達の中で、彼はとある一組の母子(おやこ)に想いを寄せてしまったのだ。
 幼い娘を連れて、彼女はしばしばこの教会にやって来た。見様見真似でポーズを取る娘を
傍らに、彼女はいつも熱心に祈っていた。
 切欠は、その敬虔ぶりに心打たれたから。芯の強さに惹かれたから。
 来栖はある時この母子に声を掛け、彼女達の抱える事情を知ることになる。
 未亡人だった。彼女は早くに夫を亡くし、それ以来、女手一つでこの愛娘を育ててきたの
だという。それ故、心が折れそうなこともあった。だがこうして教会に来て祈りを捧げてい
るとささくれ立った心は癒され、励まされるという。夫を喪ったことは確かに不幸だったか
もしれないが、それでも自分は生きなければならないのだと。天国の夫の為にも、何より娘
の為にも善く生き、育て上げることが自分の使命なのだと。
 何度か相談に乗る内、来栖はいつしかこの母子──女性に強く惹かれている自分に気付い
てしまった。決して裕福ではない懐事情、苦難を多く強いる世間の荒波。だが彼女達はそん
な現実を前にしても、必死に生きようとしていた。希望を失わなかった。
 しかし聖職者である以上、個人としての共鳴と思慕は切り離さなければならない。何より
もそうでなければ、自分を信頼して話してくれる彼女への裏切りとなってしまう。
(私もまだまだ、修行が足りませんね……)
 自ら罰し、哂い、来栖は努めてそんな感情を追い払おうとした。煩悩は己の中から克服せ
ねばならない。自分は神父だ。この身はただ一人ではなく、万人にとっての橋渡し役でなけ
ればならなかった。邪まな欲求のままに関係を深めることは、彼が奉ずる信仰の道とは相反
する行為であるのだから。
 ……ただ、代わりに彼女達の幸福を祈ろう。この街の人々の幸福を祈ろう。
 雑念を振り払うように、来栖は以前にも増して祈りを重ねた。毎日のように祭壇の前に膝
をつき、じっと万人の幸福を願った。
 ……なのにどうしてだろう? 祈れば祈るほど、集中すればするほど、彼の脳裏にはあの
母子の笑顔が映った。
 邪まではない、そう訴えたい。
 だが来栖は、それすら御心を欺かんとするように思えてならなかった。その度にぎゅっと
唇を噛み、きつく瞼を閉じたまま、更なる祈りで自分を染め上げようとした。

 静かな闘いだった。人知れず、彼は血眼になって克己を果たそうとしていた。
 そんな日々の最中だった。
 彼という人間を根底から覆すことになる、あの事件が起きたのは。


 季節は初夏に入ったとはいえ、夕刻に差し掛かれば茜も顔を出す。
 睦月と仁は、創部パーティーの買い出しを終え、学園へ戻る道の途中だった、両手にお茶
やジュースのペットボトル、お菓子に紙コップなどを詰め込んだビニール袋をぶら下げ、他
愛のない会話をしながら、夕陽が覗く商店街の中を二人並んで歩く。
「その……ありがとな」
「うん?」
 ちょうどそんな道中でのことだった。ふと、会話の合間を見計らうようにして仁が口を開
いたのは。
「本当ならもう電脳研はあの時で終わった筈だった。海沙さんやお前らにも迷惑を掛けちま
ったし、まだ償い切れてもいねえ。なのにまた創り直してくれるなんて……」
「ううん、気にしないでよ。それにお礼なら僕じゃなくて海沙に言って? 海沙が言い出さ
なきゃ僕達も動くことはなかったと思うから。気負わなくていいよ。冴島さんがチームに復
帰したし、普段の警戒はあっちがやってくれてる。皆人も、今日ぐらいはゆっくりしろって
言ってたし」
「……そっか」
 少なからず神妙な面持ちで声を向けてくる仁。だが睦月は、一瞬きょとんとしながらもこ
の友にフッと微笑(わら)って応えていた。
 後ろめたさを覚えることはない。カメレオンの事件は終わったのだから。何よりその被害
に遭った海沙自身が彼らを赦している。なのに何故自分が尚も責められようか。
「本当、お前らはお人好しだよなあ」
 一方で仁は苦笑していた。赦されたことが歯痒くて、だけど安堵した様子だ。
 睦月は思う。一度は自分を狙い、危害を加えた者──その仲間だった仁達を赦し、尚且つ
失われた居場所を作り直そうと奔走した海沙。その深い優しさを観ていると、同時にこれま
での自分の守護騎士(ヴァンガード)としての日々を重ねてしまう。
 アウター達との戦い。倒さねばならない悪。分かってはいる。
 だが時に黒斗と淡雪、タウロスと瀬古勇、ストームのように種族を超えた“絆”のような
ものを持った者達さえも、自分は壊し、引き裂いてきた。皆人が聞けばまた眉を顰めるのだ
ろうが、はたして自分はこれでいいのだろうか? こんな十把一絡げな切り捨て方は、彼女
とはまるで正反対ではないだろうか?
 仁は思う。海沙さんのこれはやはり“温情”なのだろうか? 自分は知っている。彼女が
実はサブカルを齧っている──こっそり変装してまでライトノベルの新刊を買い求めるよう
な人、自分達の同胞だということを。
 だがそんな目撃(じじつ)を、自分は決して自らは告ぐまい。彼女がまだ周りには知られ
たくないというのは明らかだった。恩人であり、憧れの人であり。ならば自分は堅く口を閉
じるのみだ。それがいわゆる領分を守るということなのだと思う。
「本当、夢みたいだ。以前は海沙さんと一緒に部活ができるなんて考えもしなかったのに」
 だからこそ、仁は感慨深げに言う。遠回しに礼を言う。
 睦月は隣を歩きながらこの新しい友を見ていた。そういえばファンクラブでもあったんだ
よな。本人は随分驚いてたみたいだけど……。
「そうしてみると、全部お前らのお陰だな。踏み台にしたようで、八代には悪いけどさ」
「……」
 だからこそ、同時にチクリと思い出し、後ろめたさもある。
 カメレオン・アウターの事件。その首謀者であり召喚主でもあった八代直也の事である。
まるで緩んだ自身の頬を戒めるように、仁は呟く。睦月もまたキュッと唇を結び、おずおず
と彼に訊いてみる。
「そういえば、その八代君って今、どうしてるの?」
「ん? ああ。三条から聞いてはないのか。あの後、起訴猶予になって釈放されたよ。まぁ
無理もないよな。法律じゃあアウターは裁けない。それに海沙さんも大事にはしたくないっ
て希望を出してたらしい。居辛くなったんだろうな。今は飛鳥崎の外に越しちまって、俺達
も何やってるか分からねぇんだ」
「……そうなんだ」
 初めて聞いた。そういえばこれまで関わったアウターの事件も、その後のことは殆ど皆人
経由でしか知らされていない。尤もそれは、一つ一つを背負い過ぎて潰れないようにと、彼
らがそれとなく配慮してくれている結果でもあるのだろうが……。
「海沙も、宙も、守らなきゃね」
「ああ。その為の新しい電脳研でもある」
 二人はどちらからともなく呟き、頷き合った。
 最初に兼ねようと思いついたのは皆人だが、この新生電脳研は海沙や宙を、同じ部活とい
う一つの場所に確保することで、より効率的に彼女達を守る砦になるという側面もある。仁
や自分だけじゃない。皆人や國子、そして元電脳研の面々──対策チームの仲間達。身内で
彼女達を押さえることで、今までよりも憂いを減らすことができる筈だ。
(でも、それもいつまでもつか……)
 ただ必ずしも、創部できたからといって万全という訳ではない。
 他でもない彼女達自身からの不審だ。タウロスとの一件で入院した際、一度は自分達の秘
密裏の戦いについて詰め寄られてしまった。その時はパンドラのことを明かしつつ、辻褄合
わせをしたことで、一旦収まりはしたが……。
「心配か?」
 そう、懐からパンドラ──の入っているデバイスを取り出して目を落としているのを見て
勘付いたからなのだろう。仁はじっと横目にこちらを見、そうただ短く言ってきた。睦月の
方もその言葉の中に含まれているものは解っていて、少し悩んだが、正直にコクリと頷き返
すことにする。
「戦いが続けば、激しくなれば、どんな影響があるか分からない。そんな時、海沙や宙がま
た僕達のことを疑わないなんて保証はないから」
「……ならいっそ、話しちまうか?」
「駄目だ!! それだけは、絶対ッ!!」
 故に何気なく口にした仁だったが、対する睦月の反応は予想以上に苛烈だった。
 くわっ。一瞬、鬼気迫る眼でこちらを振り向いてきた姿。叫んだ声は平素の穏やかな気性
とは打って変わって、道行く周囲の人々も何事かとちらちらと視線を遣ってきている。
「……駄目だ。巻き込む訳にはいかないんだ」
 仁に、睦月自身もこれ気付き、一度露わにした激情は鎮められる。再び周囲は平穏のまま
夕刻に入らんとする商店街に戻り、二人は思わず立ち止まったままでそこにいる。
 万が一もあってはいけなかった。睦月にとって、海沙や宙は大切な幼馴染──かけがえの
ない存在であるのだから。
 普段は深く意識の底に沈んでいる。だが睦月にとり理由とは、守護騎士(ヴァンガード)
というリスクを背負ってまで戦う理由とは、他でもない「ここにいていい」許しを得る為の
ものだった。幼い頃から一緒だった二人は、睦月にとってまさに“歩く許し”だった。
 失う訳にはいかない。
 恐れ。ただ失われてしまうことと、許されなくなってしまうこと。しかし当の睦月にその
明確な区別はついていないのかもしれない。
「……まぁ、そう気ィ張りなさんな」
 ぽむ。しかし、彼のそんな深い闇(なにか)を見たのか、仁はたっぷりと間を置いて睦月
を見つめると、やがて軽く肩に手を乗せて宥めた。睦月自身も気持ち息が荒くなり、そんな
自分に気付いて静かに両の瞳を揺らしている。
「そうならない為の俺達だろ? まぁ実際、力不足かもしれねぇがな」
「……うん」
 とぼとぼ。自身の言動を反省するように。
 先に仁がそっと踵を返し、歩き出す。睦月もやや遅れて、彼に続いて歩き出した。差し込
み始めた茜の光が、足元に広がるタイルの色を塗り替えようとしている。

 ──その事件とは、この母子が何者かに殺害されたというものだった。アパートの隣人が
料理のお裾分けを持って訪ねた際、二人が中で血塗れになって倒れているのが発見されたの
だという。
 報せを聞いて、来栖は愕然とした。そういえばここ何日か来なかったなと思っていたが、
まさか殺されているなんて……。
 元より閑静な郊外だ。事件の噂はあっという間に広まる。
 人々は、強い不安に駆られるようになっていた。彼が管理する教会には、以前にも増して
この不安を鎮めるべく、祈りを捧げに来る人々が現れるようになった。
 ……だが内心、来栖は居ても立ってもいられなかった。
 よくも、あんな善良な母子(おやこ)を。一体、何処の誰が?
 しかしその後の警察の捜査は遅々として進まない。死因はナイフなどで刺されたことによ
る出血死だと断定されたが、凶器もそれを用いたであろう肝心の犯人の痕跡も、現場からは
中々発見されなかったのである。
 人々は散発的に載せられる報道に怯え、益々来栖へ──信仰の御旗へと縋った。それ故求
められる以上、来栖には彼らの祈りに応えなければならない義務がある。
 ……引き裂かれるような思いだった。只々もどかしかった。
 心は彼女達の無念を想い、時に“怒り”すら感じていたのに、現実は縋ってくる住民達を
捨て置けない。この小さな教会の神父として、ただ終わりもなく務めを全うしなければなら
なかった。
 ……或いは、彼女達に執着するこの心自体が悪しきものだというのか? 彼女に想いさえ
寄せなければ、こんな苦しみを味わうこともなかったのか? 主からの罰だというのか。
 おお、神よ! 私は貴方を恨む!
 そんな自分自身や、縋ってくる人々全てが腹立たしかった。人一人が、幼い少女までが殺
められたというのに、自分には“怒る”ことさえ許されない……。
 苛立ちは消えることがなかった。
 祈り、ひたすら祈り、塗り潰すように哀しみに浸ろうとしても、その胸の奥にはまだ見ぬ
犯人への言いようのない“怒り”が沸々と煮え続けていた。
 後日、母子の葬儀にも参列した。頼るべき身内も少なく、物寂しい光景だった。
 人々は泣いていたが、果たしてこの中の誰が彼女達を救えただろう? 誰が日頃、真に救
おうと手を差し伸べようとしたのだろう?
 あまりにも報われない。あんまりな最期。
 誰なんだ? 一体誰が、こんな惨い事を……。

「──」
 そんな悶々と、内なる苛立ちと必死に闘っていたある曇天、下り坂な日のことだった。
 来栖が詰めるこの教会に、ふらりと一人、痩せぎすの男がやって来たのは。

 すっかり日が沈んだ後の司令室(コンソール)。その地下基地に隣接した訓練用スペース
で、冴島と部下のリアナイザ隊士達は実戦訓練で汗を流していた。
 本来ならばトレースが現れるまで待機する予定だったのだが、現状行方に繋がるような情
報が出てこないこともあり、なら組み手でもしていようということになった次第だ。
「……っ!」
「でやああーッ!!」
 それぞれの調律リアナイザからコンシェルを呼び出し、同期した上で戦う。隊士達は冴島
のジークフリートを狙って次々に、四方八方から襲い掛かる。
「っと、ほっ……」
 だがそんな不規則に思える攻撃を、冴島は流れるような動きでかわしていた。
 虎型コンシェルの鉤爪を長剣の腹でいなしたかと思えば、犀型コンシェルの側面からの大
槌をサッと、半身を捻ってかわす。この両者はそれで同士討ちになった。同時に切っ先は円
を描くように動き、直後襲ってくる巻貝型・梟型のコンシェルを一度に切り捨てる。ステッ
プはあくまでも軽く、更に続く隊士達の攻撃を剣でいなし、後ろ手に打った柄で背後からの
攻撃も難なく返り討ちにする。蟹型コンシェルの大鋏もひょいっと身を屈めてかわし、その
まま身体のバネを使って居合いの要領で斬り抜ける。
「くそっ、当たらない!」
「順番に掛かっていっても駄目だ! 全員で一気に仕留めるんだ!」
 すると隊士達も不利を痛感したのか、今度はザザッとジークフリートを取り囲むように陣
形を作り始めた。冴島と同期したマントの剣士がちらっとこれを見、佇む。隊士達がリアナ
イザを握って目を瞑ったままごくりと息を飲み込み、誰からともなくピンと張り詰めた空気
を破るように地面を蹴る。
『──』
 ドススッ! 一瞬、ジークフリートは、この一斉に仕掛けてきた隊士達の刃に四方八方か
ら貫かれてしまったかのように見えた。
 だが、当の本人は特に痛みを漏らすことなくけろっとしている。そこで隊士達は、この攻
撃が寸前で無力化されたのだと知った。
「手応えが……」
「しまった。この能力──」
「甘いよ! そんな真っ直ぐな攻撃じゃあ!」
 轟。気付き、焦ったのも時既に遅く、次の瞬間ジークフリートのマントの下からは激しい
火炎が吹きすさいだ。ジークフリートの、身体を自在に流動化させる能力である。
 冴島が叫び、隊士達のコンシェルが吹っ飛んだ。訓練ということで威力もフィードバック
も抑えてあるとはいえ、この衝撃が痛くない筈もなく。
 訓練スペースの壁に強かに叩き付けられ、隊士達とそのコンシェルらは、完全に戦闘不能
になってしまった。
「いたた……」
「やっぱり強いなあ。隊長は」
「本当。俺達じゃあ敵わないや」
「数の利を活かす──悪くはないんだけどね。でも僕達が使い、戦うのは、常識の通用しな
いコンシェルなんだ。相手がどんな能力を持っているか? 自分達がどんな能力を持ってい
るか? それらをしっかり把握した上で、常に最適な戦法を採れるようにするのが僕達の仕
事だろうね」
 伊達に元・守護騎士(ヴァンガード)の装着予定者ではない。コンシェルの制御能力に関
しては、他のどの隊士達よりも群を抜いている。
 模擬戦は冴島の圧勝に終わった。同期でぐでっと疲れた部下達にそうエールとアドバイス
を送り、苦笑いする彼らと一人一人言葉を交わす。ではこれまで! 掛け声と共に解散した
面々はコンシェルの召喚を解き、或いは地べたで暫し仰向けになって休み、冴島もそんな皆
の様子を肩越しに見ながら、一人訓練スペースを後にする。
 自分が実際に動いた訳ではないが、疲れた身体を労わる意味でも軽くシャワーを浴びる。
 時折手足指先にぎゅっぎゅっと力を込め、異常がないかも確認する。替えのワイシャツと
ズボンに袖を通し、改めて正装へ。他の部下達もめいめいに似たようなもので、ちらほらと
シャワールームから出てくるのが見える。
 通路を戻り、司令室(コンソール)の本丸に入った。そこでは今もトレースの行方を追う
べく、職員達が二十四時間体制で、飛鳥崎各地の監視カメラから情報を集めている。
「……」
 その一角には香月もいた。いつものように白衣に袖を通し、PCを前に幾つも表示されて
いるデータ群と睨めっこしている。どうやら守護騎士(ヴァンガード)の戦闘データを整理
しているようだ。
「お疲れ様です。すみません。本来なら僕も、ここに加わるべきなのでしょうが……」
「いいのよ。気にしないで。貴方はもう、リアナイザ隊の隊長という大役があるんだから」
 少し間を置いて冴島が掛けた声に、香月はふいっと肩越しに振り向いて応えた。椅子を回
してこちらに半身向き直り、あくまで平気を装おうとする。
 近くまで寄って、分かった。
 画面には過去の戦闘データだけではなく、幾つかのコンシェル達のプログラム図面も参照
されている。追加のサポートコンシェル達の最終調整のようだ。実際の睦月の戦い方に合わ
せて、微妙にその出力などを変えているらしい。
「……私達こそごめんなさいね。一度は貴方に押し付けた役目を剥ぎ取ってしまって」
「いえ……。肝心なのは誰がやるかではなく、どれだけできるかどうかでしょう?」
 だから次の瞬間、ふいっと苦笑(わら)った香月の詫びに、冴島はあくまで微笑で応えよ
うと努めた。
 今更気にするようなことでもない。
 本当、この母子(ひとたち)は同じような事を言う……。
「それにね。僕は思うんです。母親でもある香月さんには悪いですけど、あれが運命だった
んじゃないかって。僕の限界だったんじゃないかって」
「……」
 冴島の発言に悪意などない。それはよく解っている。
 だがやはり実の息子を戦いの矢面に立たせるのは心苦しいのか、香月は自虐を含んだ冴島
の言葉にも反応は鈍く、ただ静かに苦笑を漏らすだけだった。運命。もしそうだったとすれ
ば、何故それはこうも奇怪で、数奇な存在ばかりを生み出すのだろう……。
「……そうね。これからもあの子を、支えてあげて」
「ええ。勿論です」
 この命に代えても。
 冴島は一も二にもなく快諾していた。そっと胸元に手を当てて、誓う。
 彼女へ言葉にこそしなかったが、それは自分自身にとっての贖罪でもある。もし自分があ
のまま装着に成功していたら、睦月(かれ)が戦うことはなかった。母子共にこの“運命”
に翻弄されることはなかったかもしれない。尤も、それはただの結果論に過ぎないが。
 ……それにしても、と思う。
 何故、自分では結局装着できず、彼はすんなりと成功したのだろう?
 適合値が三倍もの差を弾き出したからか? いや、ここで問題にしているのはそもそも何
故そのような人並み外れた値が出たのか、だ。
 何もヴァンガードシステムはオカルティックなものじゃない。きちんと科学的な技術を積
み重ねて完成された。その理論がただ、今の世の中には性急過ぎるだけだ。
 何か理由がある筈だ。ちゃんとした原因がある筈だ。
 しかしそれを彼女に訊くことは、遠回しな難癖になるかもしれない。そもそも彼女自身、
まだよく分かっていないのかもしれないし、判った上で口にしないのかもしれない。
 できれば彼女達──この母子(おやこ)に背負わせたくなかった。できる事なら全て自分
が代わってやりたかった。
 一体何が必要なのだろう? 次元を超える(ふかのうをかのうにする)為には、何が。
 いや……。もしもああだったら、という、益体のない考えはよそう。
 今はただ、自分のできる事に全力を注ぐのみだ。改めて考え直さなければなるまい。
 もう一度彼女の為に、飛鳥崎に生きる全ての人々の為に──。
「ッ!? 大変です、出ました! アウターの反応を確認!」
「北部万世通り方面! 何者かの襲撃あり!」
 ちょうど、そんな時だったのだ。突如司令室(コンソール)全体に警報が鳴り響き、監視
映像の中からアウター出現のデータがピックアップされる。香月と冴島、そして待機してい
た隊士達が一斉に顔を上げた。緊張した面持ちで、互いの顔を見合わせる。
「冴島君」
「ええ。出動します。睦月君達にも、すぐに連絡を」


 ──訪ねて来たその男は、酷くやつれているように見えた。
 服装は草臥れて色褪せた紺の上下。フードを目深に被り、人相を隠している。
 最初、男は俯き加減のまま、ぼうっと抜け殻のように入口に立っていた。その日、彼以外
の礼拝者はいなかった。詰め所の窓から男がやって来たのに気付いた来栖は、この薄汚く得
体の知れない人物に内心、訝しげな眼を遣っていたのだった。
「……誰か、いませんか? 話を、させてください……」
 酷く弱々しい声だった。とても衰弱して──いや、何かに怯えているかのようだった。
 どうやら懺悔の希望者らしい。来栖はその言葉を聞き、椅子から立ち上がった。男の顔は
相変わらずフードに隠れてよく見えなかったが、堂内に一歩二歩と進み入るにつれ、見上げ
た頭上に並ぶステンドグラスや祭壇の神像を眺めている内に、少し安堵したとみえる。
「“ご相談”の希望者ですね? どうぞこちらへ」
 本来、告解は洗礼を受けた信者にのみ許されている儀式だ。
 だが霊的なアドバイザーとして相談に乗ることはできる。そもそも神父とは人々の声を聞
き、神の教えとの橋渡しをする存在である。もう少し規模のある所なら事前の予約を受けて
なるべく本人と直接対面しないように配慮すべきなのだが……ここでは仕方がない。
 不審には思ったが、結局来栖は求められるままに男を懺悔室に案内し、仕切りの向こうか
ら彼に語らせた。手元には付箋をした聖書と、小振りの神像が置かれている。事件以来、来
栖の心の中には未だ強い苦しみと怒りが棲んでいたが、人前では努めて微笑を作った。
「……神父さん。俺は……人を殺しました」
 故に、たっぷりと躊躇いの間を置いて紡がれた第一声に、来栖は静かに眉を顰める。
 心が揺れた。だが神父として、いつか巡り合うだろう告白だとは思っていた。いきなり遮
断して説き伏せることはしない。ただじっと耐えて、男自身の口からその全容を聞き出すま
で待つ。
「こ、殺すつもりなんてなかったんだ。運が悪かったんだ! 仕事をクビになって、金が底
をついて、このままじゃ死ぬって思って通り掛かったアパートに忍び込んで金目の物を漁っ
てたら……帰って来たんだよ! あの女とガキが帰って来たんだ!」
「──ッ?!」
 おい。今何て言った? 女と、子供? まさか……。
「逃げる暇なんてなかった。鉢合わせになって、頭ん中が真っ白になった。拙い、顔を見ら
れた。もうお終いだ。このままじゃ間違いなく通報される……。なのにあの女、俺を見た瞬
間、デカい声で叫んだんだ。黙ってりゃあ、まだ逃げるだけで済んだかもしれないに……。
気付いたら俺は……ポケットに入れてたナイフを取り出してた。暴れるそいつと、そいつが
連れてた女の子に、突き立ててた……」
 男は悲鳴を上げんばかりに頭を抱え、叫び、低く唸っていた。脳裏に焼き付いてしまった
その犯行当時の映像(きおく)からどうしても逃れられず、苦しんでいた。
「……」
 だがもっと叫びたかったのは、来栖の方だった。嫌な予感は的中してしまったのだ。
 犯人。あの母子(おやこ)を殺した憎き犯人が、今自分の目の前にいる。
「どうしようもなかったんだ……。あの時騒がれて、俺の中で何かスイッチみたいなものが
入っちまってた。気付いたら二人は血を流して床に倒れてて、ぴくりとも動かねえ。俺はす
っかり怖くなって血だまりを避けて、あの部屋を飛び出してた。……その次の日くらいだっ
たと思う。あの二人が死んだって皆が噂してて、やっちまったんだと思った。警察も動き始
めてた。今はまだ俺だと分かってねえみたいだけど、近い内にきっとやって来る。そりゃあ
最初は盗みの為に手袋をして、足跡にも注意してたけど、俺程度の頭なんかじゃ絶対何処か
でボロが出る。俺は、殺されるんだ……!」
 にも拘わらず。男は悔いるどころか、怯えていた。ただ自分が犯した罪から逃げ、二人へ
の謝罪の言葉よりも先ず己の保身ばかりを心配している。
「こんな筈じゃなかった! 俺は悪くない! あの時、帰って来なきゃ! 馬鹿みたいに悲
鳴を上げなきゃ、お互いこんな事にはならなかったんだ! ……なあ、神父さん。俺はどう
すればいい? このままじゃ人殺しだ。自首すればいいのかな? そうすりゃあ、少しは軽
くなるのかな?」
「…………」
 感極まった、進退窮まった男の告白。だがそれは懺悔という行為には程遠い。
 来栖は黙っていた。何も言わなかった。ただ俯き加減に陰った顔、視界に映ったある物に
目がいき、まるで吸い込まれるようにそれに手を伸ばすと立ち上がる。
「……神父さん?」
 その異変に、男もようやく気付いたようだった。
 しかしもう遅い。業と罪を背負った両者は出会ってしまい、既に引き金はひかれた。
 キィ。懺悔室の奥の扉が開く。カツ、カツと来栖の靴音が響き、中を回ってこの男の下へ
と現れる。男はゆっくりと目を瞬いて見上げていた。深い深い陰の差した、静かに燃えるよ
うな瞳が印象的な青年だった。
 神父さん? もう一度、男は肩越しに怪訝な声色で問い掛ける。だが返事はない。
 次の瞬間、来栖は手に握り締めた神像を大きく振り上げて──。

 日没後の飛鳥崎市内に、突如として爆音が響いた。すっかり夜闇に溶け、ネオンの光と共
に残り半分の時間を過ごす筈だった街が、悲鳴に変わる。
 轟。爆発に次ぐ爆発。その正体は何処からか放たれ、着弾する攻撃だった。日が沈んで目
が利き難くなっていることも加わり、只々その場に居合わせた人々は叫び、逃げ惑う。
「ひゃはははは! そうだそうだ。泣き叫べ! 逃げ惑え! おいらが全部、ぶっ壊してや
るからよお!」
 怪人態──本来の姿に戻ったトレードだった。彼はとある高層ビルの屋上に陣取り、夜の
飛鳥崎を見下ろしながら、両手五指から放つエネルギー弾を無差別に乱射していた。一度は
闇色に落ち着いていた街の風景が、今や次々に爆風の赤に染め上げられている。
「出て来い、守護騎士(ヴァンガード)ぉ! お前のせいだ。全部お前らのせいだ。お前ら
が素直に兄貴やストームにやられねぇから、こんな事になったんじゃねえかよぉ!」
 その実、自棄糞である。
 刺客達の中で一人生き残ってしまったトレードは、ラースからの詰問と罰に遭い、加えて
最後通牒を突きつけられてしまった。
 守護騎士(ヴァンガード)を倒す、或いは正体だけでも突き止めねば自分は処分される。
 だが基本、サポート向けの自分の能力だけでは、到底敵う気がしない。少なくともジャン
キーを倒したあのコンシェル使いにすら及ばないのではないか?
 トレードは焦っていた。逃げて逃げて、その末にどうにもならなくなった。再び自分と組
んでくれる同胞を探すことも考えたが、ラースがそんな暇を与えてくれるとは思えない。何
より普段遠方で活動していた自分に、そんな伝手はない。
 詰んでいた。実体を手に入れてからというもの、好き放題に過ごしてきたツケがこんな所
で回ってくるとは。こんな事なら、召集に応じるんじゃなかった……。尤もそうすればそう
したで、蝕卓(ファミリー)からの制裁が待っているのだが。
「くそう! くそっ、くそっ、くそっ!」
 五指からのエネルギー弾だけではなく、両掌のレンズに映した物同士を入れ替える能力も
使って、建設中のビルからぶら下がっていた鉄骨を転送。無差別に地上へと放り投げる。
 鉄骨は重力に従って落下し、数台の停まっていた車をまとめて押し潰した。人々がまた更
なる攻撃に悲鳴を上げ、逃げ惑う。あまりの事態に警察や消防が動き始めていたが、犯人の
姿も確認できないままでは打つ手がない。
「出て来い、守護騎士(ヴァンガード)! てめぇが面を出すまで暴れ続けるぞーッ!!」

 遂に現れた最後の一人。司令室(コンソール)では警報が鳴り続き、冴島以下リアナイザ
隊が直ちに出動しようとしていた。
 一方で、新生電脳研の創部パーティーもハイテンションの中自然とお開きとなり、睦月達
は外泊許可を取った部室の中でいつの間にかめいめいに寝入っていた。
 そんな中で、デバイスに届く緊急コール。睦月や皆人、國子や仁以下メンバー達は、地下
の秘密基地から伝えられたその報せに思わず表情を引き締め、顔を見合わせる。

 暴発する越境種(アウター)。
 飛鳥崎の街に、睦月達にとり、これまでで最も長い夜が始まろうとしていた。

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  1. 2017/01/17(火) 18:00:00|
  2. サハラ・セレクタブル
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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