日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅵ〔81〕

 時を前後して、西の大国・ヴァルドー王国の王都グランヴァール。
 その中枢たる王宮内玉座の間では、ファルケンが勢揃いした臣下達を眼下に、次から次へ
と奏上(あげ)られる案件を捌いていた。
「藍寥の街(ラヴィリズ)の北……? まだ黙らせてなかったのか」
「も、申し訳ございません。どうやら夜闇に紛れて友軍と合流していたらしく、現地の兵力
では対処し切れないと……」
「しゃーねぇな。なら周りの手の空いてる部隊を投入しろ。急いで一箇所に集まらなくても
いい、それぞれの方向から退路を塞いで食い潰せ。くれぐれも短期決戦でな。連中が自棄に
なる前に片をつけろ。いいな?」
「はっ!」
 特に気を揉まざるを得なかったのは、この二年で急増した反分子の動向である。“結社”
と直接繋がりを持つような大型の組織は、特務軍という枠の中で各国と連携し、潰してきた
ものの、一度点いた暴力という名の火は今も各地で燃え続けている。
 寧ろ、初期の戦いの方がまだやり易かった。
 国境を跨いで現れる“共通の敵”を前に、自分達は危機感を共有することができた。だが
それが次第に縮小し、散発的になればなるほど、足並みは揃わなくなる。……どんな王でも
一番に優先するのは自国だ。戦いで消耗し、燻る国内の反発に、各国はめいめいに対応せざ
るを得ない。それは此処ヴァルドーでも──いや、四大盟主(このくに)だからこそ、変わ
らない。
 戦いは第二・第三フェイズに入っている。聖浄器を持つ内その所在が明らかになっている
国は大方“結社”の軍勢に攻められたし、中にはそのまま陥落してしまった国もある。
 そんな初期の攻勢を凌いだ残る国々は、今度はじわじわと領内からのゲリラ戦法に苦しめ
られていた。断続的に戦わせることで国力を疲弊させ、付け入る隙を作り出そうという魂胆
なのだろう。
 この日も臣下の一人から、西部内陸戦線への増派を要請された。まるで付け火だ。奴らは
何処からともなく現れては、闘争を掻き立てる。
(小回りじゃあ圧倒的に不利──いや、組織力が尋常じゃねぇんだよなあ。流石は何百年も
暗躍してきた連中だ。困ったもんだぜ……)
 かといって、国中の人間を片っ端から身体検査して牢屋にぶち込むといった荒療治は避け
たかった。長い眼で見れば反分子予備軍を摘む以上に、無数の憎悪の芽を育てる結果となる
だろう。何より手段と目的が逆転してしまう。
 すぐ両脇に置いた長机に官吏が座し、こちらが裁定を下す度に王の金印を公書に押す。
 口にこそ出さなかったが、ファルケンは内心この“結社”との全面戦争(たたかい)を長
引かせてはならないと、強く考えるようになっていた。
「──申し上げます!」
 ちょうどそんな時だった。玉座の間に将校の一人が現れ、低頭した。
 左右に臨席する臣下達が一斉に彼をちらっと見遣り、互いに正面に向き直る。ファルケン
も頭の隅にあった思考を一旦追い払うと、肘をついていた体勢を正してこれに耳を傾けた。
「クラン・ブルートバードの動向ですが、南北二手に分かれて引き続き聖浄器回収の旅を続
けているようです。イセルナ・カートンとジーク皇子、レナ・エルリッシュらは現在アトス
連邦朝王都クリスヴェイルに、ダン・マーフィと元使徒クロム、フォンテイン公子サフレら
はサムトリア共和国翠風の町(セレナス)にそれぞれ滞在している模様です」
「翠風の町(セレナス)、というと……」
「確か“賢者”リュノーの末裔が治めている領地ですね。ということは“紅猫”達は、彼の
聖浄器を目標に?」
「だろうな。それに聖都(クロスティア)でのゴタゴタの前、連中はディグラード公に面会
してる。その時に何か知恵をつけられたのかもしれねえ」
 寄せられたのはこの戦いにおける台風の目──聖浄器回収班ことブルートバードに関する
定期報告だった。彼から発せられたその地名に臣下達が互いに顔を見合わせ、ファルケンも
ふむと口元に手を当てる。
「まぁ、その辺は追々探らせるとして……。ジーク・レノヴィン達はクリスヴェイルか。や
っぱ聖都(クロスティア)での顛末を報告ってことなのかねえ?」
「そのようです。先日ハウゼン王やミルヒ王女、ハーケン王子との会談も行われましたし、
こちらはこちらでアトスの聖浄器も視野に入っているのではないかと」
「ああ、その点におきましては私から。これはまだ確認中の情報なのですが、どうやらハウ
ゼン王は近々その聖浄器を彼らに委譲する式典を開くとか。日程調整の為にも、正式な文書
はすぐにでも届くとは思いますが……」
 ほう? ファルケンは小さく片眉を上げた。
 定かではないからとはいえ、臣下がこの重要な情報を自らの時点で握ったままだったこと
に対して──ではない。彼の言葉をそのまま聞いた上で深く興味思ったからである。
 悪戯小僧のような不敵な笑みであった。ニッと漏れる、この破天荒な王の印であった。
「式典、ねえ。なるほど……。相変わらず食えねぇ爺さんだ」
 ははは! ファルケンは上機嫌に笑う。だが臣下達の多くは、まだそんな彼の思考速度に
追いつけてはいない。
 要するに、厄介払いな訳だ。持っていれば“結社”に狙われるだけとなった代物を、さも
合法的に手放すことが出来る絶好のチャンス。更に式典──公開されることで領民にもその
様子・事実は耳にも目にも明らかとなり、国内で燻る不安や不満の回復にも寄与する。まさ
に一石二鳥という奴だ。……尤も、統務院の実質的リーダーである以上、全く“結社”に狙
われなくなるなんてことはないのだろうが。
「陛下……?」
「メリットを考えりゃ解る。あの人は本当、巧いこと立ち回ってるよ。それに何だかんだで
あいつらを信頼してるってことだしな。……俺には、難しい選択だ。ま、俺達は俺達の政治
をするまでさ」
 疑問符を浮かべる臣下達。しかし、こめかみをトントンと叩いてみせるファルケンに、彼
らもその言わんとすることが解り始めてきたようだ。
 そしてフッと過ぎった、一瞬の陰。元に戻った不敵な笑み。
 一体どれだけの臣下達がその変化に気付けただろう。或いは目を向ける心の余裕すら持ち
合わせていなかったのか。
(爺さんが範を示すことで他の国が続いてくれりゃあいいが……。多分無理だろうなあ)
 だからファルケンは笑っていた。覗く犬歯をそのままに、楽観的な影響を描くも自らそれ
をくしゃっと丸めて捨てる。博愛だとか友愛だからじゃない。自分達が、生き残る為だ。
「ありがとよ。また次の定期報告、宜しく」
 はっ──! 王のざっくばらんな言い方にも拘わらず、この将校は結局最後まで片膝をつ
いた低頭を崩さぬまま立ち去った。少しざわついていた場内も、ややあって再び厳粛に静ま
り直す。皆がこちらを見ていた。ファルケンが鷹揚に頷き「続きを」と促す。
「では、次の案件ですが──」
 国王の御前に跪き、臣下達がまた順繰りに奏上を始める。時折手元の資料や領内の地図を
確認しながら、ファルケンは一つまた一つとこの日の政務を執り行っていく。
『……』
 知ってや知らずか。
 そんな中、自らへ向けられる眼差しに、一抹の陰を宿したもの達が混ざっていることを。


 Tale-81.賢者の遺したもの(後編)

「……書斎?」
 金山羊と銀山羊の守護者(ガーディアン)を破った先にあったのは、予想の反して窓一つ
ないこじんまりとした部屋だった。
 一体何が待ち構えているのか? 目一杯に警戒しながら扉を開けたダン達は、ついガクッ
と力が抜けたようになった。それでもそれぞれが室内を見渡しながら、ゆっくりと足を踏み
入れていく。
「ここって、やっぱり……」
「ああ。リュノーの隠し部屋ってとこだろうな」
 内部は緩やかな曲線を描いた楕円形で、その両壁にはびっしりと書物の詰まった本棚が並
べられている。どうやら換気は天井から複数覗くパイプ穴を経由しているようだ。そして中
央には年季の入った書き物机と、サイドテーブルの上に置かれ、分厚い鎖で固定された小さ
めの宝箱がある。
「これ見よがしだな」
「気を付けろ。前の部屋がああだったんだ。どんな罠が仕込んであるか分かりゃしねえ」
「でも、開けない訳にはいかないんじゃない? 他に行けそうな所も見当たらないし……」
 故に一行は、自然とこの宝箱の周りに集まっていた。ただ、手を伸ばせばすぐに届くとは
いえ、先の戦闘もあって迂闊には触れない。
「この鍵穴……まさか……」
 だがそんな中、最初に動いたのはアルノーだった。じっと矯めつすがめつ宝箱を観ていた
彼は、はたと何かに気付くと、懐からじゃらりと大きな鍵束を一つ取り出した。そしてその
中からこの鍵穴と同じ装飾が施された鍵を選ぶと、ゆっくりと差し込み始める。
「若さん。それはまさか」
「ええ。この屋敷と、領内にある主だった設備の鍵です。代々領主が受け継ぎ、管理してき
ました。幾つか使ったことのない鍵もあるので、もしかしてと思い……」
 ダン達が気付き、問う。アルノーはやや緊張気味に、真剣な面持ちのままちらとこちらを
見遣ると頷き、言った。鍵は彼が予測した通り、するりと鍵穴に入ってく。そしてカチリと
小気味良い音がした瞬間、一同は呑んでいた息をほっと吐き出す。
「……開きました」
「お、おう」
「一体、何が入っているんでしょう?」
「大方予想はつくけどな。リュノーの書斎ということは、多分……」
 そうして蓋に手を掛け、用心深く箱を開ける。そこには厚手の赤布をクッションにして、
一個の宝珠が納められていた。
 大きさは掌に収まるほど。それでも志士の鍵よりは大きく、一回りほどといった所か。
 何より目を惹いたのは、その球内で満ちる白い靄のような色彩だった。じっと見つめてい
ればいるほど、その靄は静かに蠢いているらしく、不思議と気持ちを深く深く引き摺り込ん
でくるかのようだ。
「これは……」
「はい。間違いありません。天瞳珠ゼクスフィア──ご先祖様の使った聖浄器です」
 思わずじっと目を見張るダン達。そんな中で、アルノーは唇を結んで深く首肯した。
 これが“賢者”の……。最初、一同は誰が手に取るか迷っていた。誰からともなく互いに
顔を見合わせ、窺う。ジークの六華然り、聖教典(エルヴィレーナ)然り。下手に触れては
ならぬ畏れ多さというものが知らずの内に定着していたのかもしれない。
「……ここは、魔導に造詣深い者が手にすべきだろう。私やステラは触らぬ方がいい。ある
意味天敵なのだから」
「そ、そうだね。触った瞬間発動してバーンってなっちゃったら怖いし」
『……』
 それでもクロムが助け舟を出したことで、この遠慮合戦も程なくして終わった。聖浄器と
いう名の対魔獣用武器は、魔人(メア)たる二人にとって毒薬だ。改めてそんな事を口にさ
れ、ステラが顔を引き攣らせている。
 魔導──。誰からともなく皆の視線はリュカに向いた。彼女もまた、意を決したように皆
に頷き返して進み出ると、ゼクスフィアを手に取る。
「これが、天瞳珠(ゼクスフィア)。何だか、不思議な感じ……」
 掌に収まった白靄の小珠。リュカは暫しこれにしげしげと目を落としていた。
「ねえ。この蓋の内側、何か彫ってある」
「うん? ああ、本当だ」
「これって……うわあ。爆発の術式だね。多分、無理やり開けようとすると発動するように
なってたんだと思う」
「マジかよ。じゃあアルノーさんが鍵を使ってくれたのは、何気に正規ルートだった訳か」
 そして、知らぬ間に仕掛けられていたトラップも回避し。
 ミアがふと気付いた指摘にステラやグノーシュ、面々がぞっとする中、興味関心・探し物
の視線はもう一つのものへと向き始めた。言わずもがな、以前ヨーハンが示唆した「知るべ
きこと」である。聖浄器は無事回収できた。後はこの部屋や大書庫内から、彼が言わんとし
ていたものを見つけ出すのみだ。
「途中の書庫に比べりゃ可愛いもんだが、それでも大分多いなあ」
「そうですね。わざわざこうして別の部屋に置かれているということは、何か明確な意図が
ある筈ですけど……」
 くれぐれも気を付けて。一同は改めて室内を探索してみることにした。それほど広くない
筈なのに、妙に謎が詰まってるような気がして落ち着かない。
「……これは」
「? どうかしましたか、先生さん?」
 だが変化は程なくして訪れた。アトランダムに本棚へ手を伸ばしていたリュカが、その文
面を流し読みする中であることに気付いたのだ。
「ええ。どうやらここにある書物は、全てソーサリア語で書かれているようなんです」
「ソーサリア語?」
「古代、魔導師達を中心に使われていた言語だ。精霊族の言葉に近い、古式詠唱の原型でも
ある。だが」
「この言語体系はとうに廃れているんです。主に使われていたのは魔導開放より前、長くて
その後の暗黒時代。神竜王朝の頃には“共通言語(コモン・センテス)”が取って代わりま
したし、そこから更に先、帝国時代末期に生きた“賢者”リュノーが使うというのは不自然
なんです。少なくとも、意図的に用いない限り」
「……。要するに、下手に読まれない為に敢えて大昔の言葉で書いたってことか」
「その可能性が高いと思います。先程の守護者(ガーディアン)といい、ゼクスフィアを納
めていた宝箱といい、彼が盗掘を警戒していたのは明らかですし」
 ふーむ……。リュカ、そして様子を目にして補足してくれたクロムを見遣りつつ、ダンは
口元に手をやって考え込んだ。他の仲間達もこの書物の言葉が分からず苦戦していたり、他
に何か仕掛けがないかとローラー作戦を敢行している。
 益々怪しくなってきた。
 このリュノーという賢者様は、よっぽどの人間不信か、構ってちゃんだったらしい。
「ダンさーん、皆さーん!」
「ちょっと、来てくれますか?」
 そんな時だった。屈み込み、部屋の一角を調べていたマルタとサフレがダン達を呼んだ。
二人が覗き込んでいるのは本棚と本棚の間、ちょうど人一人がやや余裕をもって収まれるく
らいの隙間だ。そこにちょこんと、色彩を失った円陣の痕が刻まれている。
「ここを見てください。未起動の魔法陣があります」
「本当だ……。埃のせいで気付かなかったんだな」
「おいおい。また何かの罠じゃねえだろうな? 下手に弄って部屋ごと吹き飛ばしたら洒落
になんねぇぞ」
「……罠なら、そもそも起動させてあるものだと思うけど」
「うっ。それもそうだが……」
「まぁまぁ。このままじゃ何もないんだし、試しに動かしてみりゃどうだ? それにさっき
の宝箱とは違って、前もって術式も読めるだろ?」
「うん。えっと……これは、空間転移だね。何処に飛ぶかはちょっと分からないけど」
「鬼が出るか、蛇が出るか……。仕方ねぇな。サフレ、頼む」
「はい」
 警戒はしたが、調べないことには新しいことは分からない。
 ダン達は少し悩んだが、結局動かしてみることにした。サフレが頷いて掌をかざし、魔法
陣に魔力(マナ)を注ぎ込む。コゥッと光が再び色彩を失った円陣に満ち、静かに藍く明滅
し始めた。
「……特に変わった所はないな」
「空間転移だからね。何処かと繋がったんだとは思うけど……」
「渡った瞬間、また魔獣ってことはないですよね……?」
「可能性は否定できないわね。そうやった上で閉じ込める罠とか。使い魔を使いましょう。
先行させて、向こうに何があるのか確かめるわ」
 手の中のゼクスフィアを懐にしまい、リュカが動いた。魔力(マナ)を纏わせた指先で宙
に術式を書き、そこから数体の白い中身のない甲冑兵──騎士団(シュヴァリエル)達を呼
び出す。
 彼らは命令のままに、次々と魔法陣の光に吸い込まれていった。暫し一同はごくりと息を
呑んで結果を待つ。
 一体どんな魔境が……? だが送り込まれた騎士団(シュヴァリエル)達がその先で目に
したのは、年季の入った木目の調度品に絨毯、デスクなどが置かれたクラシックな小部屋だ
った。振り向けば大きな古時計が立っており、その前に先程と同じ魔法陣が明滅している。
 ギチチッと、騎士団(シュヴァリエル)達が互いの顔を見合わせた。その上で再びこれを
潜ってリュカ達の下に戻り、この光景があったことを報告する。
「大きな古時計の……仕事部屋?」
「あ。それって、私の執務室ではないでしょうか? 曽祖父が若い頃に買った物が今も置か
れているんです」
 彼らの鳴き声(ことば)を聞き、リュカが目を瞬いていた。そして傍らでこれを耳にした
アルノーがはたっと気付き、手を挙げる。
 どうやら罠の類ではなかったようだ。念の為ダンとグノーシュが同行し、アルノーを魔法
陣の向こうへと連れて行き──程なくして戻ってきた。そこは間違いなく彼の執務室、即ち
屋敷の地上階へと繋がっていたのだった。
「流石に用心し過ぎたか……。要するにショートカットが繋がったってことだな」
「という事は、やはりこの部屋でどん詰まりだな。ディノグラード公の言っていた場所とい
うのも」
「ああ。此処で間違いないだろう」
 もう一度この地下書斎に戻って来、ダン達は改めて壁一面に建て付けられた本棚を、本棚
いっぱいの書物を見上げる。
「この中に爺さんの言ってた答えがあるのか……。先生さん、負担を押し付けて悪いが」
「ええ。解読してみましょう。時間はどうしても掛かってしまうけれど……」
 当面の、自分たち南回りチームの方針が固まったようだ。天井に届くほどの本棚の群れを
見上げたまま、ダンはリュカにこれを託すことにする。
「そういう訳で若さん。暫く俺達をここに置いてはくれねえか? もし必要なことがあれば
こっちも人手を出すからよ」
「ええ、構いませんよ。可能な限りご協力すると約束しましたし、何よりヨーハン様からの
指示とあれば無視などできません。……ようやく、この大書庫も役目を果たす時が来たのか
もしれない」
「……」
 アルノーからも、滞在の許可を取り付けた。元より協力は惜しまないとの回答を貰ってい
る。彼は何処か安堵しているようだった。ただ漠然と受け継いできた財物と歳月が、やっと
意味を持ち始めるのだと思えて。
「一人では大変だろう。私も手伝おう。尤も貴女ほど、学がある訳ではないが……」
「いえいえ。そう言ってくれるだけでも嬉しいわ。ありがとう」
「そうと決まれば、暫くは先生さんにボディガードが要るな。交代で番をしよう。もうぶっ
倒したとはいえ、またいつあんなデカブツが出てくるかも分からねえ」
 そうしてダン達は今後の態勢について、詰めの話し合いを進める。もう最深部まで到達し
てしまった以上、大丈夫だとは思うが、用心するに越したことはないだろう。
「アルノーさん、それともう一つ。この屋敷に俺達の『陣』を敷きたいと思うんだが──」
 加えて調査が長期化することを考え、転移用のベースをここにも設けようと考えた。最初
アルノーはそんな技術をダン達が持ち合わせていることに驚いたが、これもまた快く許可し
てくれる。「町の中よりは混乱も少ないでしょうしね」意図したのか否か、その向けてくる
微笑みに、ダン達はただ苦笑いを零すことしかできない。
「……よーし。じゃあ、早速始めるか。船の技師連中を呼んで来てくれ」
「うん」
「あいあいさー!」
 コクリと頷いてミアが、元気に片手を挙げてステラが応じる。
 かくしてダン達南回りチーム一同は、“賢者”リュノーの残したメッセージを解き明かす
べく動き出した。


 アトス連邦朝王都クリスヴェイル。
 ジーク達北回りチームは、ハウゼン王の要請もあり、式典が始まるまでの間、同王宮内に
滞在することになった。つい先日まで教団とのギスギスした争いの中にあった一行にとって
は、束の間の休息が与えられたとも言える。
(……落ち着かねえ)
 尤も、根っからの貴族育ちではないジークにとっては、この整い過ぎた環境は中々慣れな
いようではあったが。
 とはいえ、これが旅の小休止であることには変わりない。中庭に面したテラスで、ジーク
は白い椅子に腰掛けて両手を後ろに組み、ぼうっと背もたれに体重を預けている。
 この数日でハウゼンから許可も貰い、敷地内の一角に陣も設けた。それが兵の詰め所近く
であったことで反発もあったが、いざという時は自分達が駆けつけられるとの名目で諭し、
何とか納得して貰えた。
「ここをこうして……こう。はい、出来上がり」
「わあ。上手だね、クレアちゃん」
「ふふん♪ まぁね~? ほい。オズちゃんにあげる」
「……? ハイ、アリガトウゴザイマス」
 少し遠巻きでは、中庭の緑に座り込んでクレアとレナ、そしてオズが何やら遊んでいる。
どうやら花の冠を作ったようだ。一応客として来た自分達が他人の家の草木を毟っていいの
かと自問すると風情がないが、彼女達は意味がよく分かっていないままのオズの頭にこれを
乗せてやっていた。
 ぱちくり。一旦低くした姿勢を持ち上げ、茜色のランプ眼が瞬かれる。
 流石は天上層(うえ)の大自然育ちといった所か。クレアはきゃっきゃと無邪気に笑い、
レナも上品に口元を押さえて微笑んでいる。一方で対するオズは、やはり装飾品という概念
にまだ馴染みがなかったが、それでも二人が楽しそうにしていることだけは解った。
「……」
 そんな三人の姿に、遠巻きに眺めていたジークも思わず頬を緩める。
 自分はともかく、皆にはいい休息になっているようだ。“結社”との交戦は勿論、この先
何かと厄介事にぶつかるであろうことを考えれば、少しでも心身共に回復しておいて欲しい
と思う──。
(うん?)
 ちょうど、そんな時だった。ふとジークは視線を感じ、背後を仰ぎ見た。
 ミルヒ王女だった。彼女が城内の上階からこちらを見つめ、じっと唇を結んでいる姿が垣
間見えたのだ。ジークもそれとなく視線を合わせ、この妙に不機嫌そうな面構えを観る。
(そういや、此処の聖浄器を渡すことにも反対してたっけ。まぁ王器だしなあ。歓迎されな
いのはもう慣れたが……)
 しかし、物理的に隔たれた見つめ合いはそう長くは続かなかった。ジークがそうしていた
直後、ざくざくとこちらへ近付いてくる足音が聞こえたからだ。
「こちらにおられましたか」
「お久しぶりです。皇子」
「おおっ! ウゲツさんにケヴィンさん、久しぶり。地底武闘会(マスコリーダ)以来か」
「ええ。お変わりなさそうで、良かったです」
「ふふっ。相変わらず揉め事に巻き込まれておられるようで……。その節はどうも。お互い
大役を仰せつかったものですな」
 女傑族(アマゾネス)の青年剣士セラ・ウゲツと、猛牛(バッファロー)系獣人の偉丈夫
ケヴィン・イーズナーだった。かつては『監獄島』の一つ・ギルニロックで正副署長を務め
ていたが、ジーク達との出会いを切欠に、現在では正義の盾(イージス)『四陣』へと抜擢
された二人である。
 ウゲツとは天使ユリシズの一件以来、ケヴィンとはギルニロックでの共闘以来。
 そんな懐かしい顔触れに、ジークは思わずぱぁっと表情(かお)を明るくして叫んだ。庭
の方で草花を編んでいたレナ達も、この来客達に気付いてこちらを見遣る。
「全くな。でも、何でここに? 忙しいんじゃねぇのか?」
「その仕事で、ですよ。統務院から応援として派遣されたんです」
「今回の式典はメディアを通じて世界中に発信されますからな。良く悪くも人々の注目を集
めてしまうのですよ。ですから用心の為、我々が警護に加勢するという訳です」
「……そっか」
 再会は嬉しいし、心強い。だが彼らが動いているということは、正義の盾(イージス)が
動いているということだ。先日セドにも言われたが、やはり自分達はもう何をするにつけて
も“政治”に巻き込まれてしまうのだろうか。正直言って、うんざりする。
 見知った顔がやって来たのを認めて、レナ達がこちらに戻って来ようとしていた。ウゲツ
がそれを見て、笑みを浮かべながら小さく手を振り、オズの肩に乗ったクレアやレナがそれ
ぞれに、元気よく或いは丁寧に挨拶・会釈する。
「……」
「どうかなされましたか?」
「あ、いや。さっきまで王女さんがこっちを見てたんだけども」
 その一方でジークは思い出したように上階の窓に振り返り、そこにいた筈のミルヒの姿を
探していた。
 だが飽きられたのか、ウゲツ達が来たからか、この時には既に彼女は立ち去った後のよう
だった。視線をあさってにした様子にケヴィンが疑問符を浮かべて訊ねてきたが、ジークは
努めて何でもないという風に振る舞う。
「何というか、歓迎されてねぇなあと思って。そりゃあ自分の国の王器を持って行こうって
奴が訪ねて来て、いい気はしねえだろうけどさ」
『……』
 ウゲツとケヴィンは何度か目を瞬き、互いの顔を見合わせていた。何か話題をズラさない
といけないとでも思ったのだろう。苦笑いを作り、ウゲツが補足するように教えてくれる。
「別に、皇子と皆さんが来たからというだけではないと思いますよ? 私も王女とは直接お
会いしたことはありませんが、人伝に少々ナイーブな方だというのは聞いています」
「ナイーブ?」
「ええ。現在アトス王家──アトモスファイ一族は、長く賢君として慕われてきたハウゼン
王を中心として磐石な体制を敷いています。そして王には、長女ミルヒ王女と長男ハーケン
王子、二人のご子女がいる」
「ああ」
「ただ、先ほど磐石な体制と言いましたが……実は危ういバランスの上に立っているとも囁
かれているのですよ。何せハウゼン王は長く周りに望まれたことで、在位が長い。通常二十
年は前に片付いている筈の王位継承問題が、今も水面下で続いているらしいのです。ミルヒ
王女には婿ギュンター卿との間に生まれたセネル王子がいますが、まだ王に据えるには幼い
ですし、かといってハーケン王子は夫人を流産で亡くされている。共に決め手に乏しい状況
なのですよね。それでも直系男子なのは王子であって、現在も政治家としての手腕は派手さ
こそないものの堅実だと概ね好評です。なので、おそらくは彼が跡継ぎに指名されることに
なるとは思うのですが……」
 正義の盾(イージス)に引き抜かれた事でその方面に詳しくなったのか、ウゲツはジーク
が知らない王家の事情まで話してくれた。頭の中でハウゼンとミルヒ、ハーケンとそのまた
子という図をぽんぽんと描き、バツ印を書き、ジークは「むぅ……」と眉間に皺を寄せて話
を聞いている。
「王女は内心面白くないのでしょうね。一説には焦りがあると言われています。もし弟が次
の王になってしまえば、何十年も在位される可能性がある。その頃には再婚して世継ぎが生
まれているかもしれませんし、そうなれば我が子が権力の座につくのはどんどん遠退いてし
まいますからね。実際、王女は中々気難しい性格のようですし」
「ふーん……」
「……ウゲツ。あまり巷の話を鵜呑みにするなよ?」
「あはは。分かってますよ。でも、何もただ皇子だけが邪険にされている訳ではないと申し
上げたくて……」
 それまで傍らで耳を傾けていたケヴィンが、そう彼を窘める。だが一方で本気で止めよう
という訳でもないのだろう。彼もウゲツも、片眉をこそ上げど苦笑すれど、それでピリピリ
とした雰囲気になりはしなかった。あくまで、よく云われている話だというレベルだ。
「でも、別に王女さんでもいいんじゃねえの? 姉ちゃんなんだろ?」
『へっ?』
 だから、次の瞬間ジークが何気なく言ったその一言にウゲツやケヴィン、合流したレナ達
までもが一瞬きょとんとしていた。
 だが落ち着いて考えてみれば当然の反応だ。彼は女傑族(アマゾネス)なのだから。
「まぁ……そうですね。性別に拘らなければ長子な訳ですし」
「それは、ジークが皇国(トナン)で王族ってのを見てきたからだよう。大抵の国は男が家
督を継ぐものだよ?」
「ん? そうなのか?」
「あはは。あそこもあそこで、特殊な国ですからねえ……」
 仲間達は、苦笑(わら)っていた。ジークが素っ頓狂なことを言ったというよりも、自分
達が“常識”に縛られていたことに気付かされたがために。
 尤も当のジーク本人は、あまりそのことも解っておらず、また興味も薄そうだった。ボリ
ボリと後頭部を掻きながら静かに眉根を寄せ、彼らの様子を見てぼやっとしている。
「……そもそも王様ってのは、本当に要るもんなのかなあ」
「難しい問題、ですね。確かに統治の良し悪しと、王政か否かは必ずしもイコールではあり
ませんが」
 弟と姪の違いはあれ、かつての皇国(そこく)を思い出していたのだろうか?
 それからは互いにばつが悪く、ガス欠し、暫くジーク達は積もる思い出話へとシフトして
花を咲かせていた。宮殿の庭にひんやりとした風がそっと流れては去ってゆく。そして何度
か笑い声が漏れ、場が温まった頃、ケヴィンがちらりと辺りを見渡しながら訊ねてきた。
「そういえば皇子。イセルナ殿やハロルド殿の姿が見えませんが、どちらに? ここに来る
途中、式典の打ち合わせをしたいと官吏が言っていましたよ?」
「ん? ああ。団長達なら今──船(うえ)に行ってる」

 ジークがついっと指差した空。
 その頃、南方上空に浮かぶルフグラン号では、イセルナや船内で合流したダン以下クラン
の幹部メンバーが集まっていた。宿舎棟内の一室を閉め切り、とある会議が開かれていたの
である。
「──そう。アルス君がそんな事を」
「ああ。頭のいい方だからな、前々から気を揉んでおられたようだ。それが今回、始祖霊廟
での一件で爆発してしまったのだと思う」
 イセルナやハロルド、シフォンと向かい合って座るのは、リンファとイヨ──侍従衆を束
ねる二人だ。そんな両者を斜向かいにして眺め、腕を組み難しい顔をしているのは、ダンや
グノーシュ、そしてリカルドである。
「私達の不手際です。私達が、もっとアルス様のご意思を汲んでいれば……」
「いえ、イヨさんは悪くありませんよ。そもそも私が団長として、彼の感情の行き先を封じ
込めるような立ち回りをしたのだから」
 話題はこの場にいない、他ならぬアルスについてだった。先日リンファとイヨから至急の
連絡が届き、彼が学友達の前でその鬱積した心情を吐露した一部始終を報告してきたのだ。
 責任を感じて俯くイヨに、イセルナはそう淡々と、自らその架を背負おうとした。
 元を辿れば、このルフグラン号──将来のホームを造って欲しいとレジーナ達に依頼した
のは他ならぬ自分だ。激しさを増す“結社”との戦いに備え、より高い機動力の確保と人質
的に取られうる被害の抑止を考えての判断だったが、それが一方でアルスという学院生を置
き去りにする可能性は当時から認識していたのだから。
「……」
 そして、今回それが噴出した。
 リンファ達の話では兄(ジーク)がシゼルに謀られたことよりも、それを結果的に見過ご
してしまった“自分が許せない”と語ったという。
 正直彼の、この兄弟の十字架(トラウマ)を甘く見過ぎていたのかもしれない。彼らはい
つも自分をかなぐり捨ててでも、誰かを助けようとする。そうしなければ今ここに生きては
いけないのだと言わんばかりに。
 そんなことはない。共に歩みたいと願うから、自分達がいる──。
 だがこちらのそんなメッセージも、深く絡みついた心の傷には十分に届いていなかったよ
うだ。勿論それを「我が儘」と責めるつもりはない。誰だって、いつの時代も、何かしらの
痛みを背負って生きている。押し付けがましかったのだろうかと、振り返る。
「これは、予定よりも早くアルス君をこっちに移さないといけなくなるかもしれないね」
「移すたって……。学院はどうすんだよ? せめてきちんと卒業するまで支えようって話だ
ったじゃねえか」
「でも、当のアルス君自身がそれほどまでに後ろめたさを感じていて、はたして学業に専念
できるものかな? ここでまた僕らの事情で押し込めたとして、それは彼の将来を潰すこと
にはならないだろうか?」
「それにアルス様自身、ご自身の意思が均衡を破るものだと自覚しておられるようだった。
だからこそ、今までずっと本心を打ち明けられずに溜め込んでいたのだろう」
「うーん……。やっぱあれだな、兄も兄なら弟も弟だ。他人に尽くさなきゃ駄目だっていう
強迫観念があらあ。そんなこと、ねぇのによ」
 だって、仲間だろ──?
 嘆息をつきながら語るダンは、はたしてイセルナの思うそれと限りなく同じ眼だった。解
っているからこそ、難しい。解っているからこそ、もどかしい。彼らと自分達、どちらかの
“一方的”がもう少し和らげばこの状況も改善するのだろうが、おそらくそんな日がやって
来るのはもっと遠い未来だ。想えば想うほど空回るのだとしても、自分達はあの兄弟を見捨
てることなんてできない。
「でも、気負わせてしまったことは確かよ。私達は少し、大人の事情をあの子に強制し過ぎ
たのかもしれないわね」
『……』
 悶々とし、誰からともなく押し黙る場。それでもイセルナは、団長として仲間として、自
らが招いた軋みを正面から受け止める覚悟でいた。
「ま、何とか宥めておいてくれや。兄貴でもなし、あいつもそう感情一辺倒で突っ走るタマ
じゃねえだろう? 少し時間を置いてやれば自分から頭を冷やすさ。俺達も、な」
「……そうだな。もう暫く、様子を見守ることにするよ」
 一方で副団長(ダン)は、時が解決してくれることを願った。激情に任せた末に失うとい
った経験は、いつ遭っても胸が痛い。リンファも深く息をついて頷き、侍従としてアルスの
経過を注視することを約束した。ぽつりと、イセルナが誰にとでもなく言う。
「一度、クラン全員で話し合う場が必要かもしれないわね。例えば顕界(ミドガルド)での
回収が済んだ辺りにでも」


 丘を吹き抜けてゆく風は、昼下がりにも拘わらず、妙に冷たさを孕む。
 この日午前中に集中していた講義を消化し、アルスは独り梟響の街(まち)の外れにある
原っぱに寝転がっていた。ぼうっと、物思いに耽っていた。
「……」
 草の柔らかさよりも、枯れ具合が伝わる地面。
 両手を頭の後ろに組んで枕にし、仰向けになって眺める空。
 アルスの脳裏には、先刻から同じ記憶が再生され続けていた。それは言わずもがな、先日
友人達やリンファにぶちまけてしまった、自身の感情的な言葉である。

『……僕は、自分が許せない』
『戦いは防げたんだ。奴の介入を阻止することができた。教団や聖都の人達を、不必要に傷
付けなくて済んだんだ!』
『でもっ! ……怖いんだよ。兄さん達は必死に戦っているのに、僕だけはずっと学生をや
っている。皆が夢を応援してくれることは嬉しいけど、それが叶った時に皆がいなくなって
いたら意味がないんだ』
『今回は運が良かっただけなんじゃないかって。もしまた同じようなことがあったら、今度
こそ“取り返しのつかない”ことになるかもしれない……』

 友だから話せた。信頼している仲間だからこそ話せた。
 しかし、はたしてその選択が正しかったのかと自問する度に、アルスはどうしようもなく
後悔する。そしてそんな激情に任せた行動を取ってしまった自分を、改めて許せない。
 解っていた筈だ。自分がこの思いを吐き出した所で、皆が困ってしまうことなど始めから
明らかだった筈だ。皆、取るべきものと捨てるものを悩みながら選んで、自分や兄にとって
最善の道を模索してくれている筈なのだ。
 だから──これは“我が儘”なのだと思う。
 なのに、さも自分の思いだけを立場を利用して通そうとすれば、そんな彼らの努力を踏み
躙ることなる。
「アルス……」
 思わずギチッと歯を食い縛る。頭上から漏れ聞こえてきた相棒(エトナ)の声に、アルス
はやっと、自分が半ば無意識に鬼気迫る表情をしていたのだと気付いた。
 ふよふよとただ一人、この場に居合わせる彼女が心配そうに中空からこちらを見下ろして
いる。以前は対等だった筈の関係が、今はどうにもぎくしゃくしてしまって苦しい。
(……一体、どうしちゃったんだろう……?)
 只々、戸惑いがあった。激情に身を任せてしまった後悔もありながら、その一方でアルス
はこんな言動を自分が取ってしまったこと、それ自体に対し大きく揺らいでもいたのだ。
 悔しかった? 兄がシゼルに騙されたこと、そこから端を発した多くの犠牲を防げなかっ
たことがそれほど悔しかったのか?
 いや……違う。その言い方は厳密ではない。正直、犠牲云々は付け足しの理由だと認めざ
るを得ない。本当の理由は、何より兄が謀られたことにこそあったのだと思う。
 どうにも、感情が突き動かされる瞬間というものが多くなった気がする。
 地底武闘会(マスコリーダ)の時もそうだ。兄との決勝で自分は柄もなく戦いに興奮し、
力を尽くした。そして今回、それは言葉になって出た。促されたこともあるが、それでも本
来はぐっと自分の中に収めておくべきものだった筈……。
(僕は、本当に……?)
 戸惑いはやがて恐れへと変わってゆく。御し切れない自分自身など、未知の領域だった。
 これまで体力に劣るアルスは、その頭脳でもって生きてきた。それが今、これまで二の次
として封じてきたもの達によって揺るがされようとしている。
「……アルスぅ、元気出しなよ。そう言われても難しいのは分かってるけどさ? アルスは
悪くないよ。フィデロも言ってたけど、元をただせばあのシゼルって女のせいじゃん? 何
も全部一人で背負い込むことなんてないんだって」
「……」
 分かっている。相棒(エトナ)からの呼び掛けに、アルスはフッと弱々しい微笑で軽く顔
を上げるしかなかった。……そうなのだ。論理的な解は、何度やってもそこに行き着く。
 だが自分は、この揺らぎの止まらない自分は、今回の事もこれまでのことも全て“結社”
のせいだ周りのせいだと断じることを良しとしてくれない。
「ここに居ましたのね」
 そんな時だった。ガサッと、次の瞬間エトナではないもう一人の足音と気配がし、何処か
不機嫌そうにこちらを覗き込んで来る。
 シンシアだった。だが、いつものお目付役コンビの姿はない。彼女は仰向けなアルスの視
界に、エトナに加えて映り込み、何故かむすっと頬を膨らませつつ妙に赤らめてもいる。
「? どうしたんですか? わざわざこんな──」
「いいから! ……ちょっと、付き合いなさい」

 半ば無理やり叩き起こされたアルス(とエトナ)は、それからシンシアにむんずと手を取
られ、梟響の街(アウルベルツ)の市内に舞い戻っていた。
 昼下がりからまた少し経った、されど相応に活気ある市場の只中。
 アルスはシンシアに手を引かれたまま、何故かあちこちの店をたらい回しにさせられた。
「あ、あの。シンシアさ」
「ほら。前言ってた専門誌の新刊。うんうん、お金ならいいわよ。私が予約しておいたもの
なんだから」
「あ、あの……」
「そもそも、貴方は王族だっていうのに服装がなってないのよねえ。いつも似たようなだぼ
だぼローブだし、髪もぼさぼさだし。いい機会だから、私がコーディネートしてあげる」
「し、シンシアさん。一体何を」
「んふー!? これ美味しい! ねえ、貴方もどう? たまにはがっつり肉も摂って大きく
ならなきゃ」
 ……一体、何が目的なのか分からない。
 アルスは次々と、連れ回される通りの店が変わる度に訊ねようとしたが、シンシアはまる
でその言葉を阻むように声を掛けてくる。書店や服屋、屋台など回った種類は多岐に渡る。
結局彼女の強引さに押されたまま、アルスは専門誌を脇に抱え、着慣れない高級ガウンを羽
織り、手には紙コップに差し込まれた肉厚の唐揚げを持たされるという格好になっていた。
 もきゅもきゅ。
 何となく勢いに呑まれてしまったが、うん、確かにこれは美味しい。
(ねぇエトナ。シンシアさんは、一体何をしたいんだろう?)
(わ、私に訊かないでよお。でもこれって、やっぱり……)
(……?)

「うっわー……。いくら何でも強引過ぎだろ。お嬢、完全にテンパってるし」
「顔、真っ赤ですもんね。まぁアルス君は例の如く気付いてないみたいですけど」
「いいんですかね? このまま見ているだけで……」
 そんな二人の後ろ姿に、物陰からコソコソとついて回っている者達がいた。
 ゲドとキースのお目付役コンビ。フィデロとルイスの親友コンビ。そしてリンファとイヨ
がルフグラン号での会議に出ていて不在の中、代理としてアルスの護衛に陰ながら当たって
いたアスレイ隊の面々である。
 市場の人ごみに紛れて──いや、流石に紛れ切れず、道ゆく人々に訝しげに横目を遣られ
ながら、一行はアルスとシンシアの様子を先刻からずっと覗いていた。一方でエトナは途中
からこちらに気付き、苦笑いを零しながらふよふよと宙に浮かんでいたが、意を汲んでくれ
ているのかまだネタばらしはしないでくれているらしい。
『アルス皇子を励ましながら、ついでに二人の距離も近づけちゃおう大作戦!』
 そもそも事の発端は、先日の吐露からすっかり自己嫌悪に陥ってしまったアルスに元気に
なって貰おうと、フィデロやゲドが持ち込んできた計画である。
 尤も如何せん、そこには要らぬお節介も含まれているようであったが……。それでも二人
や、反応が面白そうだと加わったルイスの口車に乗せられ、シンシアは今日こうしてアルス
を気分転換──デートに誘ったのだった。
 だからこそ、彼女の頬は初っ端から真っ赤になっている。ただ哀しいかな、強引なのも相
まって、鈍感なアルスにはまるで伝わっていないようだったが。
「事情は分かりました。皇子が笑顔を取り戻してくれるなら協力は惜しみませんが、はたし
て悩みの渦中にあるままで効果はあるんでしょうか?」
「ああ。平気平気。大概のことは気持ちの問題なんだ。一旦スパッと離れちまえば何とかな
るって」
「然様。アルス殿は今、思考の袋小路におる筈だ。なまじ頭の良い方だからこそ、ネガティ
ブな言葉ばかりを自身の中で繰り返してしまう。それでは身に毒を溜めるばかりだ。多少無
理やりでも構わん。何か他のことに身を浸し、身体を動かしていればその狭窄も緩んでくる
だろう」
「……そんなものですかね?」
「まぁ、全く間違ってるって訳じゃねえけど……」
 遠巻きの物陰から二人(と一人)の様子を窺い、そうひそひそと言い合う面々。
 経験豊富なのか無駄にポジティブなのか、フィデロやゲドはそう言い切り、妙に自信あり
と言った様子で答えていた。訊ねたアスレイもぽりぽりと頬を掻き、ルイスやキースもそれ
ぞれに呆れながらも、これといった反論材料を持たない。
 そうしていた最中だった。流石にメディアを躍らせた一国の皇子と貴族の令嬢が二人で歩
いているさまは人々の目を惹き、ご婦人などが「あらあら」「まあまあ」と生温かい眼差し
を送り始めていた。アルスとシンシアも次第にそんな向けられる視線に気付き──特にシン
シアは一層顔を真っ赤にし、何やらアルスに捲くし立てたかと思うと、ずんずん彼を引っ張
って人ごみの中から抜け出してゆく。
「あっ……。二人が行っちまうぜ?」
「うむ。では追おう」
「……はあ。こりゃもう、実質羞恥プレイだな……」

 街外れから中心部へと場所を移し、今度はその中心部からまた人気の少ない公園に出た。
 少し急いて歩いた為、喉が渇いてしまった。シンシアはアルス(とエトナ)を近くのベン
チに待たせると、一人また駆け足で飲み物を買ってくる。
「──はい。お待たせ」
「あ、ありがとうございます」
「いやー、参った参った。やっぱり街中じゃあ人の眼が多過ぎるねえ」
 最寄の露店から調達してきたアイスコーヒーを二つ。シンシアは自分と、アルスにそれぞ
れ渡し、一先ず喉を潤した。流石に息の荒くなった二人に、宙に浮かぶエトナがそうあから
さまにニヤニヤとして話を振る。
「仕方ないじゃありませんの。昨日の今日で言われて、プランを練る時間だって……」
「? プラン?」
「っ! な、何でもありません!」
 カァァッと頬の赤みが濃くなり、シンシアは撥ね退けるように叫ぶと、ストローからちゅ
うちゅうとコーヒーを飲んだ。アルスはきょとんとし、エトナはすっかり面白い玩具を見つ
けたと言わんばかりに嗤っている。
「……それで。その、落ち着きました?」
「えっ?」
「えっ、じゃありませんわよ。この前の相談から、貴方ずっとため息ばかりついて悩んでま
したでしょう?」
「……まさか、その為に?」
「他に何があるというんです? 本当、私達がどれだけ心配したかと……」
「……」
 ぶつぶつと、照れ臭く呟くシンシア。
 だが当のアルスにはその心遣い・友愛はしっかり伝わっていたようだ。陽だまりに交じっ
て僅かに白ばむ息をゆっくりと吐きながら、彼はそっと静かにコーヒーを口にしている。
「すみません。ありがとうございました。そう、ですよね。まだ僕には、見守ってくれる人
がいるんだ」
「……」
 しかし、この日の怒涛はまだこれで終わらなかったのである。一人フッと目を細めて呟い
ているアルスを見つめながら、シンシアは黙して眉間に皺を寄せていた。それは明らかに彼
に対する安堵というよりは、苛立ちに近い感情であった。
「何故、なんです?」
「え?」
「何故なんです? その、上手くは言えませんけど、何故そういつも自分のせいだ自分のせ
いだとばかり思うんですの? 他人を操るなんて無理なのですよ? 彼らの悪意に一々反応
していては身が持ちません。捨て置きなさいな」
「……。でも……」
 故にそれが引き金となった。突っ込んだ問いにも尚“自罰”に縋る彼を見て、今度はシン
シアがその感情を大きく吐き出したのである。
「昔、ある魔導師の卵がおりましたわ」
「……?」
「その人物は代々魔導師を輩出している家柄で、自身も立派な魔導師にならねばならないん
だと長らく気負っていましたの。そのせいで、魔導学司校(アカデミー)に入学を果たした
頃にはとてもピリピリしていましたわ。……視野が、狭くなっていたのです」
 誰だとは明確には言わない。だがそれは間違いなく彼女自身の過去だった。
 アルスが、そしてエトナが目を丸くし、瞬いて不意に始まったこの物語を聞いている。当
の本人はそんな二人の顔を見ることもせず、ただ眉間に皺を寄せ、やや俯き加減で話し続け
ていた。
「だから最初、彼女は許せなかった。必死になって辿り着いたスタート地点、そのトップに
自分ではない誰かが立っていた。プライドが傷付けられた以上に、自身が目指す道のりに邪
魔者が立っている。その事実自体が許せなかったのですわ」
「……」
「でもそれは、彼女の大きな間違いでした。その彼も、大きな大きな目標を胸に抱いて努力
してきたのですから。……皆を守る魔導師になりたい。その為に自分は生きてきた。何度も
理不尽な嫉妬に遭い、要らぬ争いに巻き込まれながらも、彼はただ真っ直ぐにその願いを打
ち明けたのですわ。そしてこの彼女は気付きましたの──目が覚めたのですわ。今まで自分
は家の為、自分の為ばかりに魔導を修めてきたけれど、誰かの為という意識は大きく欠けて
いましたの。大事なのは魔導師であることではなく、その技術で何をするか、でしたのに。
だからいつしか、彼女はこの人物に憧れるようになりましたわ。自分の目を覚まさせてくれ
た、真に進むべき道を指し示してくれた彼と肩を並べたいと願うようになりましたの。そし
てそれからの日々はとても充実したものとなりました。学びの全てが、彼と、この先の無数
の人々の未来に繋がっていると感じられたから」
「……。シンシアさん……」
 でもっ。しかし朗々と語るその姿に、アルスが思わず声を掛けようとしたその時、他なら
ぬシンシア本人が強い口調でこれを阻んだ。キッと咎めるような眼差しで彼を見つめ直し、
一呼吸を置いてから言う。
「……今の貴方は、寧ろその“志(ことば)に絞め殺されている”ようにすら見えますわ。
皆を守らなければいけない、皆の為に生きなければいけない──同じですのよ。以前の私と
全く。エイルフィード家の跡継ぎとして恥じぬ魔導師になる。その一点にばかり目が行って
他のことが見えなくなってしまっていた、あの頃の私のように」
 アルスはハッとなった。ぐらりと大きく瞳の奥が揺らいでいた。
 エトナもきゅっと唇を結んで押し黙った。だがそこには、彼女へ対する敵意の類はない。
ぐうの音も出ないと、ただ真っ直ぐ耳を傾けるように。
「目を覚ましなさい! 他人の為という“自分の為の言葉”に囚われていては駄目。他人を
守りたいのなら、想いたいのなら、先ずは他ならぬ自分自身を大切にしなさい。自分をかな
ぐり捨ててグチャグチャになって、そのことで心配する人達のことを想いなさい! ……確
かに人は楽に逃げたがる生き物ですわ。一度作った言葉に、安住してしまうことだってそう
珍しくはないのかもしれない。でも、そんな安易に逃げないで。そんな有り様で、この私の
ライバルが務まるだなんて思わないで!」
「……。シンシアさ──」
「ほら。レディにここまで言わせておいて、まだしがみ付こうっていうの? 貴方に昔何が
あったかまでは知りませんわ。でもそれは、今の貴方を決める全てじゃないことぐらい、覚
えておいて」
 思わず、今度は別の意味で感情が暴れようとしていた。アルスはぐっとそれを抑え、今目
の前で必死に訴えかけてくれた盟友(とも)に一歩近付こうとする。
 だが対する彼女はついっと視線を逸らし、しかしながらスッと手を差し出していた。握手
という事だろう。その横顔は先刻街中をたらい回しにしていた頃よりもずっと赤く、今にも
燃え上がりそうだった。
「……ありがとう、ございます」
 ぽむっと、アルスはその手を取った。優しく柔らかく、もう険は剥ぎ取られていた。
 そうだ。何を一人で堂々巡りしていたんだ。自分には彼女達がいるじゃないか、支えてく
れる他人(ひと)がいるじゃないか。……学んだ筈だ。清峰の町(エバンス)でも、自分一
人で出来ることは限られているのだと、手を取り合うから無限なのだと。
 そうだ。すっかり狭くなっていた。過去──あの日、マーロウさん達を助けられなかった
記憶。自分のせいで彼らを亡くしてしまった罪。それを自分は、贖わなければならないと思
い続けてきた。その為に、誰かを助けなければと思い続けてきた。
 ……でも、それは結局は“自分の為”なんだね。救われたくて、誰かに十字架を下ろして
貰いたかったんだ。でも、そもそもそんな必要はなかった。生きることとはそうしたものを
背負ってゆくこと。だけど苦しいばかりじゃない。皆が皆で、それぞれの荷物を支え合う。
それが仲間というものなんだから。
「~~ッ?! ~~!? ~~!?」
 はらりと涙を零してはにかんだ、アルスの笑顔。
 内心、シンシアは彼のそんな表情(かお)を直視することなんてできなかった。今度は自
分からぶちまけたとはいえ、まさかこんなにも晴れ晴れとして救われたような笑顔を見せて
くれるとは思わなかったから。
『──』
 ニヤニヤ。
 二人について来ていたフィデロ達も、公園内の物陰からこの一部始終をしっかりと目撃し
ていた。予想以上にいい雰囲気になったこの場とアルスの回復に、友人達はそっと、心から
安堵の笑みを零すのだった。


 ダン達南回りチームが封印区画の最奥に辿り着いてから、一週間が経とうとしていた。
 門外漢な仲間達に代わり、この書斎に眠る文献の解読に挑んでいたリュカ(とクロム)の
奮闘も、大よそ消化され一定の成果を出そうとしている。
 結論から言えば、ここにあるのは全て“賢者”リュノーの手記だった。そしてこれらを読
み解く中で、いくつか明らかになったことがある。
『──私のような異界からの迷い人を、この世界の住人達は“異界人(ヴィジター)”と呼
ぶらしい。彼らが私の正体に勘付いた時、敵意よりも驚きや歓待の素振りすらみせたこと、
ある程度の規模の都市へ行けば専用の支援制度が設けられていることなどを総合して考える
限り、どうやら私達のような存在は、この世界においては必ずしも珍しくはないようだ』
 一つは、リュノーが実は“異界人(ヴィジター)”の一人であったということ。
 人々の常識を越えた数々の奇策で解放軍を勝利に導いた彼については、古くよりその正体
をこの世界外の存在に求める仮説が、巷には広く散在していた。そもそも住んでいた世界が
違っていたからこそ、予想斜め上の発想ができたのだと云うのである。
 奇しくもそんな人々の予想は、今回の解読によってまさに本人が認めた形となるだろう。
 そして記述によれば、元いた世界から迷い込み、当てもなく放浪の旅を続けていた最中に
当時小さな傭兵団を率いていた若き日のヨーハンと出会い、後にゴルカニア戦役に加わる事
となったのだそうだ。
『──結局、ユヴァン殿の遺体は見つからなかった。あれほど激しい、王宮が崩壊するほど
の力同士がぶつかり合ったのだから仕方ないと言う者達も多かったが……私個人はもっと別
の意見を持っていた』
『──さりとて彼の死を曖昧にする訳にはいかない。私は皆と相談し、表向きは同じく行方
の知れぬオディウスと相討ちになったと偽ることにした。彼の死も、かの皇帝の死も、私達
は入念に影武者を用いて宣伝する。……許せ、友よ』
『──はたして人々にこの真実を知らせて、誰が得をするのだろう? これまで夥しい数の
犠牲を払ってきたこの戦いの終着が黒幕の不在とは。そんな幕引きでは、間違いなく人々は
納得しない。下手すれば彼らの不満の矛先が今度は私達に向く恐れすらある。何より、この
戦争の大義が、繰り広げられた意味が失われてしまう……』
 加えて解読する中で、目を見張る記述が多数見つかった。何とかの“精霊王”ユヴァンは
最後の戦いで行方知れずになりながら、最後までのリュノーら仲間達によってその死を確認
されなかったというのだ。
 リュカとクロム、その時場に居合わせていた仲間達は思わず顔を見合わせたものだ。
 ……ユヴァンが、死んでいない?
 その時間違いなく皆の脳裏に過ぎったのは、大都消失事件の際に現れたというフードの男
であろう。もし彼の名乗っていた「ユヴァン・オースティン」の名が、紛れもない本人その
ものだとしたら……。
 更に古の賢者の覚え書きは、過去遥か昔の、この世界の歴史にも及ぶ。
『──聖浄器。今からおよそ七千年前、魔導を広く人々に使えるようにする魔導開放運動が
その実現に現実味を帯びてきた際、将来増加するであろう瘴気──魔獣の脅威に備える為に
造られた、いわば開放が認められる交換条件として誕生した切り札だ』
『──だが、現代の人々は忘れ去ってしまったのか、或いは故意に封印されたのか。これほ
どの強い力を持つ武具を生み出す為には、相応の対価が必要だった。結論から言うなら、こ
れらの核に用いられたのは、強い魔質を備える“人間の魂”だ』
 またしてもガタンと、思わず立ち上がってしまったリュカ達。
 そう、これこそがパズルのピースだったのだ。
 何故“結社”達が聖浄器を執拗に狙うのか? 何故、ヨーハンが自分達に知らなければな
らないと示唆したのか? その答えがこの記述に凝縮されていたのだ。
 ……即ち、生贄。
 リュカ達はその真実(こたえ)を得て、合点がいった。これまで不自然に空いていた数多
の謎に、次々とピースが嵌っていく音が聞こえた気がした。
『──それ故に、聖浄器はそれぞれに意思を持つ。ただ強大な力の一部となってしまった者
もいれば、使命を感じて協力してくれる者、或いは自らが人柱にされたことを恨み、自分達
を手に取った人間に“対価”を要求してくる者もいるだろう』
『──私達がこの事実を知った時、戦争は既に引き返せない所まで来ていた。リスクは低く
ない。だがあの頃の私達には、力が必要だった。しかしと今なら思う。もしこれらの真実を
もっと早く知っていれば、将軍やシキ殿の最期は避けられたのではないか……?』
 六華は生きているとジークは言った。
 ヨーハンはもうあれは使われるべきではないと呟いた。
 そういう事だったのである。だからこそ並の武器とは一線を画すし、それ故に不確定な危
険も伴う。何より込められた核の正体を知れば、人の道に背くことを知っていたからだった
のだ。
『──私は、もう元の世界には戻れそうにない』
 結局リュノーは、その半生を迷い込んだこの世界で全うすることになった。
 手記の終盤には自らを振り返り、戦役とはまた別の雑感が綴られる頁が増えた。かつての
恩人や故郷のこと、新しく出会った仲間(とも)達のこと。しかし彼は、結びに近いとある
一節でこんな呟きを書き留めている。
『──“楽園(エデン)の眼”は、調べる限り暗黒乱世の頃には既に誕生していたようだ。
その目的・理念は「世界を在るべき姿に戻す」こと。この意味を解き明かすにはまだ私には
手持ちの情報が足りないが、将来的にも彼らがこの世界の不満の受け皿になるであろうこと
は容易に予測できる』
『──在るべき姿。明確に繋がりがあるとは言えないが、私にはそのフレーズを繰り返して
いる内に、とある感慨が重なる。……違和感だ。ずっと前から感じていて、しかし私の周囲
の誰一人として気付いていないことからいつの間にか意識の奥に追いやっていたものだが、
今もそれは消えていないのだと確信する』
『──ずっと、誰かに見られているような。やはり確信ではない。だが、私がこの世界に迷
い込んでからというもの(或いは元の世界にも在ったのか?)ずっとこのどうしようもない
気配・眼差しは注がれ続けている。それが特に私に何をするという訳でもないのだが、正直
意識すればするほど、不気味で不気味で仕方がない』
 かつて解放軍を勝利に導き、ゴルカニア帝国を崩壊させた英雄が一人。
 しかし等身大の彼は、その実内心で常に迷い、悩み続けた人であったらしい。無数の決断
の裏側を誰に見せるとも言わず赤裸々に書き残し、地下深くに封じ、古の賢者は逝った。
『──あの戦いは、本当に正しかったのだろうか?』
『──そもそも私達にはもっと、根源的な誤解があるように思う──』

 ルフグラン号から戻って来たイセルナらと合流し、ジーク達北回りチームは王宮関係者と
式典についての打ち合わせに臨んだ。
「ええっ!? 偽物!?」
「しーっ……! あまり大きな声を出さない下さい。極秘なんですから……」
 その中で、一同は式典本番で自分達に渡される聖浄器が、本物そっくりのレプリカになる
との報せを受けた。セドが治める打金の街(エイルヴァロ)など、国内屈指の職人達による
力作になる予定だという。警備上の用心の為で領民を騙すつもりはなく、本物はきちんと式
典後に内々で委譲されるとは説明されたが、正直ジーク達の心情は複雑だ。

「つ、ついに、翻訳が終わったんですね」
「ええ……。正直、あまり外部に出すべきではない内容でしたけど……」
 翠風の町(セレナス)の執政館・マルセイユ邸に滞在していたダン達南回りチームも、い
よいよ解読結果が出揃い、アルノーら屋敷の面々が顔を揃える中、報告の場に立っていた。
しかしその内容に逸早く触れ、知ってしまったリュカや仲間達の気分は優れない。

『──』
 南北、それぞれの旅路。
 そんな中、その一方で蠢く多数の影があった。
 ギシリ、じろり。
 不穏なその軍勢は、人知れず高台から、山間に佇む翠風の町(セレナス)の町並みを無言
に見つめていたのである。

スポンサーサイト
  1. 2017/01/09(月) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(歌帳)とある物書の気紛短歌 2017 | ホーム | (企画)週刊三題「イデアの為に」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://higurasisouann.blog27.fc2.com/tb.php/825-270908f4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

訪問者累計

最新記事

最新発言

検索窓

月別履歴

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

分類/索引

【案内板】 (2)
【小説:短編】 (20)
本の蟲 (1)
硝子野不動産店 (1)
夏の日の幻影 (1)
四番線の彼女 (1)
夢視の宿 (1)
線を曳く町 (1)
炬燵の神様 (1)
三者三盗噺 (1)
色眼鏡 (1)
奴らは攻城戦師 (1)
詰め替える (1)
同じ籠の狢 (1)
二十年後の遺言 (1)
轍の先 (1)
水に流せば (1)
真夜中の御二柱 (1)
いつか見た夢 (1)
神様達の初詣 (1)
白い花束 (1)
丸の代償 (1)
【小説:長編】 (146)
Amethyst League (6)
アンティーク・ノート (3)
ユウキのヒカリ (5)
NIGHT GUNNERS (5)
レディ・ルーン-Bonds of RU'MEL- (6)
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- (85)
死に損いのデッドレス (5)
Dear SORCERY (4)
サハラ・セレクタブル (27)
【企画処】 (329)
週刊三題 (319)
その他参加物 (10)
【資料庫】 (15)
【落書帳】 (6)
【詩歌帳】 (6)
【雑記帳】 (312)
【読書棚】 (30)
【遊戯倉】 (24)
path. (4)
decide: (3)
ユー録FW (16)

記事録

交友関係

このブログをリンクに追加する

(RSSリンク)

(QRコード)

QR

@long_month からのツイート