日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブルⅡ〔20〕

「契約は完了した。願いは果たされる」

 一言で言ってしまえば、彼女は変わり者だった。
 何せ私達を見て発した願いが「傍にいてくれ」ときた。だが繰り手(ハンドラー)の望み
がそうであるのなら、私に拒否することはできない。内心訝しみながらも、私は彼女と契約
を交わした。
 名を、藤城淡雪という。触れた額から採取したその諸々のデータは、程なくして何故彼女
がこんな願いを抱くようになったのか、その理由を教えてくれた。
 裕福な一族に生まれたが故に、周りから距離を置かれる。
 裕福な一族に生まれた反面、家族の仲は冷え切っていた。
 そしてその両親が事故死した後、遺された財産を親族は奪い合うように貪った。当時まだ
幼かった彼女に抗う術はなく、只々刻み込まれたのは絶望の念であった。
 ……にも拘わらず、彼女が願ったものは復讐などではなかった。ただ一人ぼっち──孤独
から解放されたいという叫びだったのである。
 正直、私には理解し難いロジックだった。孤独とはそこまで排斥しなければならないもの
なのだろうか。奪われ、抱えて当然の憎しみを投げ出してまで解決すべきものなのか。
 反対に、孤独でない存在など無いのではないか。全く同じ個体など存在しない。こと私達
においてはデフォルト態こそあれ、一旦契約してしまえば全く別の個体となる。その前提と
なる彼女ら人間ともなれば尚更の筈だ。生まれても、生きても、そして朽ちる最期の瞬間で
さえも、私達は独りで往く。何故そこまで拒絶しなければいけないのか。
 ……詰まる所、やり直したかったのだろう。
 裏切られた過去を持つからこそ、今度こそ信じられる誰かが欲しかった。そこへ私達が現
れたことで、抱いていた願いは紡がれた。……泣きじゃくりながら叫んだ、その言葉に偽り
は無い。たとえ私が異形であると解っていても、孤独から逃れることを彼女は望んだのだ。

 それからというもの、私は表向き彼女の執事として振る舞うことになった。
 用件があればリアナイザから私を召喚し、命令する。だがしばしば、彼女は特に何かある
訳でもなくただ“傍にいて欲しい”ためだけに私を呼んだ。リアナイザは使用者の生体エネ
ルギーを消費する。長時間の使用は疲労を招くのに、彼女は私と共に暮らし、共に過ごす時
間を好んでいた。
 簡単ではある。ただ呼び出されたまま、傍に控えていればいい。
 だがその一方で実体化を果たすには時間が掛かった。どうしても現実世界(リアル)に及
ぼす影響力は、小規模の連続になってしまうからだ。
 それでも、私という同居人──従者を得て、彼女は少しずつ周囲に明るさと人徳を発揮す
るようになっていった。或いは元々これが、彼女という人間の性質だったのかもしれない。
 彼女の通う女学院では、彼女は「お姉さま」などと呼ばれていた。
 憧れを多分に含んだ熱い眼差し。検索する限り、そうした感情もまた存在するらしい。
 尤もそれは、私にとっては結果的に好都合だった。それだけ彼女が他人を巻き込んだ関係
性を拡げてゆくことは、その分影響力の獲得に繋がるのだから。
 そして私は、ようやく実体化を果たした。それに合わせて、私は本格的に彼女の執事とし
て、学院でも行動を共にするようになる。
 牧野黒斗。それが彼女につけられた、私の人間態としての名だ。
 彼女も、私のことを異形としては呼ばない。黒斗と、常に人の名で以って私を呼ぶ。私の
名を呼んで、いつも私の傍らに立つ。

「──」
 静かに陽だまりが差し込むソファ。彼女は今そこでうとうとと眠っている。私はそのすぐ
傍らで寄り掛かられていた。時折口元を緩め、安心し切ったように私に体重を預けている。
穏やかな時間だった。こうして何度、彼女は私の傍で眠ったことか。
「……」
 そっと目を細める。私はとうに実体化した。かつて私を収めていたリアナイザもデバイス
もこの身体に取り込み、召喚も必要としなくなった。この人間はもう、とっくに用済みにな
っている。
 にも拘わらず、私はこの少女を始末できなかった。できないでいる。願いは果たし、契約
は履行されたというのに、私は今もずるずると彼女との関係を続けてしまっている。
 理由──少なくとも彼女側からの要因ならば分かっている。いつからか、しばしば向けら
れるその熱い眼差し、思慕の念だ。薄々勘付いてはいた。だが私は、人の姿を被っただけの
異形であって、人間ではない。それは、彼女とてとうに解っている筈なのだが……。
 私の、所為なのか? 彼女をこんなにも安堵させ、幸せそうな寝顔をさせて。
 使い潰す側だというのに。私達は所詮繰り手(ハンドラー)を踏み台に、己が実体を獲得
せんと企むだけの存在だというのに。
 殺せなかった。向けられる眼差しに、知ってしまった過去に、私は躊躇っている。ならば
もう少しと、猶予し続けた。以前にはあり得なかった非論理的が、今の私達を作っている。

 愛しさ。この現状を言語化するなら、そんな表現なのだろうか。
 私に芽生えたこの不可解(バグ)。なのに私は、それをあまり不快だとは感じていない。

 もう少し。
 私はこの彼女の笑顔(よこがお)を、見続けていたいと願った──。


 Episode-20.Lovers/色欲(あい)という不可解

「まさか……」
 三方を病棟の壁に囲まれた敷地奥の駐車場で、三者は期せずして相対する事となった。
 病室を訪れ、淡雪を狙った瑠璃子と葡萄色のブツブツ顔のアウター。彼女の危機を悟って
駆けつけた睦月と冴島、そして彼女の執事・黒斗。
 だが彼の正体は、黒ローブを纏った羊頭のアウターだった。
 面々が、瑠璃子が目を見開いて驚いている。まさか他にも自分と同じ“手下”を従える人
間がいるとは、立ちはだかるとは想定外であったかのように。
 睦月と冴島も、向き合う両者のこのさまを唖然としながら見つめている。思わずめいめい
の手にリアナイザ──EXリアナイザと調律リアナイザを下げたまま、突然の事態にまだ判
断力がついてゆかない。
「まさか、貴方も同じだったとはね。前から怪しいとは思っていたけれど……」
「何故、ダ? オ前、終ワッテイル、ノニ」
「……話す義理はない。口が過ぎるぞ」
 瑠璃子と、そしてこのブツブツ顔のアウターが呟いた。しかし黒斗はちらりと横目で睦月
達の方を──手元のリアナイザを一瞥すると、そうにべもなく切り上げる。
 ゆっくりと、黒斗──羊頭のアウターは歩き出していた。手には鉤型の先に小さな鈴のつ
いた杖を握り締め、持ち上げると同時にチリンと鳴る。
「くっ……!」
 近付かれるのに焦り、瑠璃子がバッと手を振るって合図を出した。それに合わせブツブツ
顔のアウターが両肩と手足の球体部分から無数の触手を放つが、何故かこれらは全て黒斗を
避けるようにして大きく逸れていってしまう。
「ちょっと、何外してるのよ! ちゃんと狙いなさい!」
「チ、違ウ。俺ジャ、ナイ。軌道ガ、勝手ニ……」
 焦る瑠璃子。しかし一番驚いていたのは攻撃を放ったブツブツ顔のアウター自身だ。
 されどそんな彼女達のやり取りを、その隙を黒斗は逃さなかった。刹那ぐんと踏み込みを
つけた突きが伸び、ブツブツ顔のアウターの胴にめり込む。一見地味だが強力な一撃は、彼
を大きく吹き飛ばしながらその威力を物語っていた。
「ガッ……!」
「──」
「グエッ?!」
 更にである。後ろに吹き飛んだと思ったブツブツ顔のアウターが、次の瞬間、黒斗の真正
面に現れていた。本人も何が起こったのか理解していないようだった。黒斗はその隙を容赦
なく突き、二度三度と杖打と出現を繰り返してはこの同胞(てき)を一方的に叩きのめして
ゆく。
「な……何が起こってるんだ?」
「分からない……。だが状況は、あの黒斗という側が一方的に押しているようだ」
 睦月と冴島は、訳が分からなかった。何故アウター同士が、いきなり目の前で戦うなんて
ことになったのか? 仲間割れ。そんなフレーズが頭を過ぎる。ともかく連絡をと、睦月は
慌ててデバイスを取り出すと司令室(コンソール)の皆人にコールした。
『どうした?』
「あ、うん。実は今ちょっとややこしい事になってて……」
『端的に言いますと、アウター同士が戦ってます』
『……?』
 睦月とパンドラからの第一声に、電話越しの皆人は疑問符を浮かべているようだった。眉
根を寄せるさまが容易に想像できる。数拍沈黙して『少し待て。すぐそっちに映像を切り替
える』とだけ返ってくる。
『──つまりこういう事か。一方が狙った相手が、もう一方の召喚主だったと』
「うん。そういう事に、なるのかな……?」
「どうする、皆人君? このまま戦いを眺めている訳にもいかないと思うけれど」
『そうですね……。お互いに潰し合うのならこちらとしても好都合だが、いつ戦いが周辺や
院内に飛び火するとも限らない。一先ず今押している側に加勢して、早くその交戦を終わら
せてくれますか? 少なくともその藤城という学院生を守らなければ。それに、このまま彼
に片付けさせてしまえば、対策チームの名折れだ』
 了解。デバイスから聞こえる皆人の指示に、睦月と同じくこれを覗き込んでいた冴島が頷
いた。睦月はEXリアナイザにデバイスを戻してインカムを着け、冴島も改めて調律リアナ
イザを構えて引き金に指を掛ける。
『TRACE』『READY』
「変身!」
「来い、ジークフリート!」
 OPERATE THE PANDORA──銃口から光球が飛び出し、マントを翻す剣士が飛び出した。
 睦月は守護騎士(ヴァンガード)に、冴島は自身のコンシェルを召喚する。横並びで臨戦
体勢となった二人は、そのまま地面を蹴ると、このブツブツ顔のアウターに銃撃や剣で攻撃
を仕掛けてゆく。
「加勢する!」
「藤城さんを遠くに! とにかくこいつを何とかします!」
「……」
 ちらと怪訝な横目を遣って、されど黒斗は小さく頷いた。睦月のナックルモードとジーク
フリートの炎剣がブツブツ顔のアウターに叩き込まれる。大きくよろめき、再度黒斗の目の
前に現された瞬間、また強烈な杖の一撃が襲う。
「ちょ、ちょっと何なのよ!? 三対一とか卑怯じゃない!」
「無抵抗な藤城さん(ひと)をいきなり襲うような奴に言われたくないな」
 じりじりっ。瑠璃子とブツブツ顔のアウターは次第に後ろへ後ろへ押され始めていった。
急に加勢してきた二人に彼女はヒステリックになって叫ぶが、睦月も睦月で先刻の病室での
一件には憤りを覚えており、握るエネルギー球の拳を緩める素振りはない。
 少しずつ壁際に追い詰められる。ゆるりと三人が立ちはだかり、正面からの退路を塞ぐと
同時に、その後方の淡雪は忍び足でもっと隠れられる物陰を探そうとしていた。
 黒斗の杖が、ジークフリートの剣がギチリと鳴る。
 睦月達は、このまま一気に目の前のアウターを破壊しようとし──。
「油断したわね、愚か者が!」
 だが次の瞬間だったのだ。コンクリートの地面をぶち抜き、無数の触手が離れていた淡雪
に襲い掛かったのである。
「しまった!」
 誰よりも先に駆け出していたのは、睦月だった。
 恐怖で見上げ、引き攣る淡雪の表情(かお)。
 捻じれ集まる触手達の先端には、何かを蓄えて大きく膨らむ球体。ぐばっとその口が四方
に裂けて開かれ、中から大量の粉が──。
「ぐっ……!!」
 ぎりぎり、間に合っていた。淡雪を庇うようにして間一髪、睦月はナックルモードの楯も
併せてこれを正面から受け、彼女を守っていたのである。
 冴島や黒斗が、淡雪に瑠璃子が驚いたように目を見張っていた。叫びが生じる一歩手前の
スローモーションの世界。目の前ではらはらと散る濃い青色の粉末。
 ……何だこれは? 思っていたようなダメージはない。
 なのにこの、浴びた瞬間から叩き付けられるような、重くてどす黒い感情は……。
「キハラ君!」
「っ?!」
 だが睦月がそう、はたと取り憑かれるようだった重苦しさも、次の瞬間冴島が叫んだ自身
の名で吹き飛んだ。ハッと我に返り、つきそうになった膝をぐぐっと堪える。肩越しに見る
限り淡雪に被害は及んでいないようだ。ただ目を丸くして、口元に手を当てている。
「ど、どういう事? まさか他にも、耐性を持つ人間が……」
 だが驚愕しているのは瑠璃子も負けてはいなかった。ぶつぶつと何やら、激しく動揺して
悔しそうに唇を噛み、失敗したこのブツブツ顔のアウターを咎めとばかりに睨み付ける。
「青い粉……。やはり犯人は」
「……」
 睦月が無事なのを確認して、冴島のジークフリートと黒斗が再び彼女達に向き直った。剣
と杖を振りかぶり、今度こそ止めの一撃を放とうとする。
「っ!? ムスカリ!」
 しかしその直前の僅かな隙を縫い、彼女達は最後の抵抗をみせた。瑠璃子は己のアウター
に合図を送ってありったけの粉と無数の触手を一斉に放ち、二人を襲うと、咄嗟に反応して
これを一振りの炎で防ぎにかかったジークフリートと相殺させたのだ。
 轟。粉塵と焦げた触手が綯い交ぜになる。次いで黒斗がパチンと指を鳴らして自身とジー
クフリートを淡雪達の方までワープ、後退させると、その時には既に瑠璃子とブツブツ顔の
アウターの姿は無くなっていた。
「……逃げられた?」
 ぽつり。睦月が言う。
 一同は慌てて辺りを探したが、結局二人の痕跡は何処にも見つからなかったのである。

 時を前後して、飛鳥崎メディカルセンター院内。
 本来他の何処よりも安全と厳粛が貫かれていて然るべきこの場所にも、少しずつ睦月達が
繰り広げる戦いの不穏が届き始めていた。
 先刻、遠くで何かが爆ぜる大きな音がした。それと前後し、警備員らしき制服達があちら
へこちらへと駆け回っている姿を確認することができる。
「何かあったんでしょうか?」
「さあ。何処かの患者がトラブルでも起こしたのかな……?」
 病室にいた七波と由良も、その異変には少しずつ気付き始めていた。ぱたぱたと駆けてゆ
く関係者達の足音に不穏を感じ、ベッドの上の彼女に由良はそう相槌を打つ。
 ──トラブルを起こす患者。
 七波には内緒だが、実はこのメディカルセンターの奥には公には扱い切れない、精神疾患
や諸事情を抱えた人間を収容する隔離棟がある。由良自身実際に見たことはないが、以前に
何度か、筧や先輩刑事からその存在を教えられたことがある。「見せたくないものには蓋を
しとけって考えなのさ」施設のことをそう話していた、筧の静かな義憤の横顔が蘇る。
 それにしたってこうも周りが気付くような動きを見せるのは得策ではないだろう。よほど
手の付けられない問題児なのか、或いは刃傷沙汰でもあったか……。
(一応、兵(ひょう)さんにも連絡しておくか)
 七波に断ってすぐ前の廊下に出、由良は自身のデバイスから筧をコールした。暫く呼び出
し音が鳴り、街の雑踏が背後にざわめきながら声が聞こえる。外回り中のようだ。
『おう、俺だ。どうした?』
「ええ。今七波ちゃんの見舞いに来てるんですが、何だかさっきから病院内が騒がしいんで
すよ。……“奥”で何かトラブったのかもしれません。そっちには、何か本署から情報飛ん
で来てませんか?」
『いや。今日は網打ちの無線は掛かってねえな。ここんとこお互いにヤマを抱えてて頭数を
揃えるにも手間取るだろうしな。彼女はどうしてる? やっぱ不安がってるか』
「多少なりには。どうしましょう? 現場に居合わせたってことで、顔を出した方がいいん
でしょうかね」
『どうかねえ。向こうさんの要請次第じゃねえか? 却って拗らせたら後々上から五月蝿ぇ
しなあ……』
 しかしである。通話している横を駆けてゆく一組の女性スタッフが漏らしたその言葉に、
すれ違われた由良と電話の向こうの筧が驚愕する。
「本当、一体どうなってるのかしら?」
「分かんない。でも、化け物が出たとか何とか……」
『──』
 思わず硬直し、ハッとなって振り向いた。しかしこのスタッフ達は既に廊下の向こうへと
移動してしまっており、引き止めるには距離が遠過ぎた。再びデバイスを耳元に近づけて口
を開く。電話の向こうの筧も、考えたことは同じだったようだ。
「兵さん」
『ああ。もしかするともしかして、かもな。由良、撤回だ。覗いて来てくれ。身分まで明か
さなくてもいい。現れた(でた)のかもしれねえ。今から俺もそっちに向かう』
「了解です」
 由良は周りに悟られぬよう小さく頷き、筧との通話を切った。
 もしかすると……。先日の、玄武台(ブダイ)跡での彼とのやり取りが蘇る。自分も負傷
と粉塵の中で見たあの人物──守護騎士(ヴァンガード)に近付けるかもしれない。
「ごめんね、七波ちゃん。俺行かなくちゃ。余所でまた事件が起きたらしくてね」
「あ、そうなんですか? 私なら大丈夫です。お仕事頑張ってください」
 デバイスを懐にしまって病室に戻り、半分本当で半分は嘘の口実をつき、見舞いを辞す。
七波は特に疑うこともなくニコリと微笑んで送り出してくれた。或いは気付いていて、敢え
て深入りしないよう、困らせないよう努めているのか。
(本当にいい娘だな……)
 あ。この子のことお願いします。ちょうど通り掛かったスタッフの一人に彼女を任せ、足
早に病室を出て行く。露骨にならないように、一旦騒々しい人の流れからは距離を置いて逆
に歩き、ある程度離れた所でそっと振り向くと院内の気配を探った。
(……真正面からは難しいな。一旦外に出て、回り込むか)

 淡雪を襲った、瑠璃子とそのアウターは退散した。
 しかし状況は決して解決した訳ではなかった。守護騎士(ヴァンガード)姿の睦月とジー
クフリートを召喚したままの冴島の前には、もう一方の羊頭のアウター・黒斗がじっとこち
らを見据えて佇んでいる。
『……』
 両者は身構え、強く警戒していた。
 加勢してくれてありがとう──そんな呑気なお人好しでは少なくともなさそうだ。淡雪を
後ろに隠したまま二人を、この場に本来場違いなパワードスーツ姿の少年と自分と同類の僕
を操る男を、じっと食い入るように観察している。
 睦月達とてそれは同じだった。少なくとも相手がアウターであることに変わりはない。
 しかしどうする? 漁夫の利を狙おうにも彼はまるで消耗していないし、そもそも片方を
逃がした時点で表現には合わない。何よりあのブツブツ顔のアウターに振るっていた能力が
未知数な以上、下手に挑みかかれば彼女達の二の舞になる……。
「ま、待ってください! 黒斗を殺さないで!」
 しかしそんな時だった。両者の散らす火花の間に割って入ったのは、他ならぬ淡雪だった
のだ。黒斗を庇うようにバッと前に出、両手を広げる彼女。睦月や冴島──そしてインカム
の向こうにいる司令室(コンソール)の皆人達も眉を顰め、困惑する。
「その……。貴方が守護騎士(ヴァンガード)だったんですね。噂なら聞いています。街に
潜む黒斗の同胞を見つけては、悪事を働く彼らと戦っていると。でも、黒斗には手を出さな
いでください、お願いします! 彼は、彼は何も悪い事はしていません。本当です。彼を失
ったら、私……」
 しかも彼女は、守護騎士(ヴァンガード)も、彼が越境種(アウター)であることも理解
した上でそう懇願しているようだったのだ。睦月達は益々混乱する。今まで多くのアウター
達と戦ってきたが、まさか召喚主の方から命乞いをされるとは。
 ……騙されている? 最初、睦月と冴島はそう思ってちらっと互いの顔を見合わせたが、
どうもそんな風には思えない。本当にただ純粋に、彼を庇おうとしているように見える。
『一体、どうなっているんだ』
『分かりません。でもバイタルに嘘をついているような反応はありませんし……』
「お、落ち着いてください。そんな取って食いはしませんから。というか、僕のこと知って
るんですね……」
「私達はただ、事件を解決したいだけです。……聞かせて貰えませんか? 何故そこまでし
て彼を庇うんです? 一体、彼に何を願ったというのですか」
 映像を見上げながら頭を抱える皆人、通信越しに唸っているパンドラ。
 あまりに彼女が必死なものだから、睦月と冴島も、無理やりに問い質そうとすることに気
が引けてくる。
「……詮索は止めて貰おうか。今回の一件には直接関係ない。……ただ傍にいて欲しいと、
そう言われただけのことだ」
 だからか、代わりにずいと黒斗が再び彼女の前に出た。もう一度庇うように立ち、訊ねる
睦月達を牽制するかのように。しかし当の淡雪本人はそんな彼の後ろでほうっと頬を赤く染
めていた。もじもじと恥ずかしそうにしている。「大丈夫だ」ぼそりと黒斗が、注意してい
なければ聞き逃す程の小声で言う。その一言にまるで彼女は励まされ、恥ずかしさも相まっ
てコクコクと頷きつつも俯いていた。
(……何か、二人ともいい感じだね)
(そう、ですよね。休憩スペースで出会った時もそうでしたけど、凄く信頼し合ってる感じ
がするんだよなあ……)
 何だか、見ているこっちがこっ恥ずかしくて。
 ひそひそと、睦月と冴島は小声で話し合っていた。正直このまま彼を倒し、二人を引き裂
いてしまうことが悪い事のように思えた。少なくとも彼女の方は、随分と彼に依存している
ように見える。越境種(かいぶつ)であると、解っている筈なのに。
『……』
 だが司令室(コンソール)側の皆人は警戒を緩めない。情に流されそうになる二人の様子
を見、わざとらしくコホンと咳払いして半ば無理やりに我に返させた。
 ごくり。息を呑んで睦月と冴島(のジークフリート)が横並び、身構える。
 黒斗もそんな二人の変化をしっかりと見つめていた。手にした杖をゆっくりと持ち上げ、
羊頭の深い穴のような眼で見据えながら言う。
「退かない、か。それならそれで構わん。やろうというのなら、応じるが?」
「……っ」
 ちょうどそんな時だったのである。また戦いになる──再びの一触即発に睦月達がじりっ
と身を硬くして後退り、淡雪が慌てて黒斗の裾を取ろうとした時、遠くからばたばたと複数
の足音や声が聞こえた。病院関係者のようだった。どうやら先程までの戦いの音に気付き、
何事かと駆けつけて来たのだろう。
「……。一先ず、場所を移すとしよう」
 はたと睦月達が黙り、思わず息を殺していた最中だった。
 ちらと横目を遣り、黙っていた黒斗が、次の瞬間パチンと指を鳴らし、自らを含む一同を
一瞬にして消し去ったのである。

「──」
 そんな一部始終を、由良が遠巻きの物陰から目撃し、驚愕の余り冷や汗を垂らして言葉を
失っていたとも知らずに。


「嗚呼……。また面倒な事を……」
 司令室(コンソール)で、皆人は頭を抱えていた。
 周りの職員達が何とも言えずに苦笑を噛み殺している。故に彼の説教は、自然とメディカ
ルセンターから戻ってきた睦月達に向けられる。
「逃がしてしまうとはな……。これでお前は半ば身バレしたことになるんだぞ? まだこの
前の刺客も残っている状況で敵を増やせばどうなるか……。それにあの召喚主だ。一体何を
考えている?」
 最近色々と重なったからなあ……。そんな親友(とも)の嘆きを、睦月は複雑な心境で聞
いていた。周りに立つ冴島らも同様だ。また一つ、一筋縄ではいかない案件の臭いがする。
「そもそもあのアウター──黒斗さんも、倒さなくちゃいけないのかなあ」
 加えて睦月自身、あの男を倒すことには消極的だった。
 目の前で見せつけられた強さ、優先順位の低さ。親友が渋い顔をするであろうことは分か
っていても、口に出さずにはいられない。
「当然だろう? 奴はアウターだ」
「うん。それは分かってるんだけど……。別に今回、彼の方が何かしたってのを僕達はまだ
見ていない訳でしょ? それに彼と藤城さん、とても通じ合ってるように見えた。そうじゃ
なきゃあそこで自分から庇い立てなんてしないもの」
「……」
 皆人が顔を顰める。その点については現場にいた睦月と冴島は勿論、映像越しに一部始終
を見ていた皆人以下司令室(コンソール)の面々とて同じだ。
「彼らの話を素直に信じるなら、彼女の願いは『傍にいて欲しい』だからね。それ自体は何
も害を振り撒く願いじゃない。あくまで好意的に解釈すれば、の話だけど……」
 言って、冴島が肩を竦めた。
 そうなのだ。少なくとも今回黒斗──羊頭のアウターが戦ったのは、あくまで召喚主たる
淡雪を守る為だ。自分達はまだ、彼らが人々に害を成す証拠というものを見つけていない。
「このまま無理やりやっつけちゃったら、こっちが悪者みたいだよ」
 だから睦月は、そんな冴島の発言に乗っかるようにしてごちた。自分の正直な考えを口に
していた。
「……敵なんだぞ」
 ガシガシ。
 皆人は、そんな親友(とも)に頭を抱える。

 メディカルセンターでの一件から数日後。睦月達対策チームは、ともかく今回の討伐対象
を瑠璃子の連れていたアウターに絞ることにした。
「──召喚主の名は東條瑠璃子。藤城淡雪と同じ、清風女学院の三年生だ。金融業で財を成
した家の出で、まぁ要するに典型的な成金というやつだな」
 司令室(コンソール)に集めた仲間達に、皆人が拡大した画面を前にして言う。映し出さ
れていたのは、瑠璃子とその詳しいパーソナルデータだった。
 皆人が皮肉を混ぜるほど、確かにその表情は何処かむすっとしている。
 いわゆる高飛車な女。そんな表現がよくに似合っている少女だ。しかし調べでは、こんな
彼女でも、学内では有力な派閥のリーダー的存在であるらしい。
「先日の襲撃でも明らかなように、彼女とそのアウターの目的は藤城淡雪だ。詳しい動機は
目下調査中だが、これとは別に判ったことがある」
 香月博士。話を一旦そこで切り、皆人は傍らに控えていた香月ら研究部門の面々を促す。
彼女達は一同に、ジップ付きの小さなビニール袋を見せながら画面を切り替えた。今度は顕
微鏡などで拡大したらしい、青い分子の画像が大きく映る。
「この前、隊の皆さんが持ち帰ってくれた被害者達のサンプルから、共通して濃い青の粉末
が検出されたわ。詳しく分析した限り、どうやらこれはある種のドラッグのようね」
「ドラッグ……?」
「それも電子ドラッグとでも言うべきものだ。付着した傍から神経に浸透、精神に作用し、
強い鬱状態を引き起こす──ダウナー系の劇薬だと考えてくれればいい」
 ざわ……。睦月達、場に集まった一同が、思わず互いの顔を見合わせた。
 淡雪から得た証言でまさかとは思っていたが、こうもダイレクトに他人びとに異変をきた
させる物質だったとは。
 しかしこれで、全ての辻褄が合う。食中毒などではなかったのだ。
 事件が起こった日、淡雪ら学院生は瑠璃子のアウターが密かに振り撒いたこの粉を浴び、
自らの意思とは関係なく強い鬱状態に陥ったのだ。それも中には、悲観のあまり自らを傷付
ける者さえ出てしまうほどに。
「……随分とえぐい能力を選んだもんだな」
「そうだね。でも、これが即効性の毒とかじゃなくてよかった」
 たっぷりと間を置き、仁が言う。睦月もこれに応じ、もっと最悪のケースにならずに済ん
だことには安堵すべきなのだろうかと考えた。
「どうだろうな……。危害を加えた時点で、悪であることに変わりはないと思うが」
 しかし対する皆人の意見は違う。努めて峻烈だ。対策チームの司令官として、アウターに
よる犯罪に大小を認める訳にはいかないのかもしれない。
「あのアウターは、おそらく麝香(ムスカリ)をモチーフした個体だろう。毒々しい青い身
体とあの特徴的なパーツ、植物のような触手に、この粉の能力ときた。睦月は何とか耐えた
が、気を付けなければならないな。近接戦闘に持ち込むよりも、少し離れて火力で薙ぎ払っ
ていく方が安全だろう」
 コクリ。睦月や冴島、國子以下リアナイザ隊の面々が頷いていた。
 相手の能力は判った。対策も練れた。一方で皆人が、香月と「例の物は?」「ええ。出来
てるわよ」とやり取りをしている。研究部門の面々が、睦月たち実働隊に一人一人、掌に収
まる程度の小さなビニール袋を手渡してゆく。
「で? どうするよ、三条。俺達も出ようか? 居場所も分かってるなら一気にフクロにし
ちまった方が確実に片付けられると思うが」
「いや……。お前達と國子は、引き続き刺客の残党を警戒しておいてくれ。半分身バレした
とはいえ、これ以上新しい面子を向こうに晒す必要はない」
 ん。りょーかい。仁はそう申し出たが、皆人はより長い目でのリスクを取り、二方面体制
を維持することを選んだ。國子達もその意図をしっかりと汲み取り、静かに力強く頷く。
「では、作戦を開始しよう。睦月、冴島隊長、宜しく頼む」
「オーケー。行って来るよ」
「うん。任せて!」
 ばたばた。そして司令官・皆人の合図で、睦月と冴島、他十数名の隊士達は一斉にこの地
下の秘密基地から出動していった。にわかに司令室(コンソール)内の密度が薄くなる。粉
の拡大図を映していた画面は切り替わり、通常の多画面の監視体制へと戻ってゆく。
「……やれやれ。こんなことは初めてだ」
 仲間達がめいめいに散ってゆく現状の中で、皆人はぽつりと一人嘆くようにごちた。


 その日、淡雪は学院に登校していた。表向きは専属の執事である黒斗も一緒だ。
 朝日に照らされる長い黒髪、きっちりと着こなした制服──クリーム色の上着と紺桔梗を
主体としたチェック柄のスカートに、鞄。
 元よりお嬢様学校である同学院だが、その所作・歩みの姿には物静かながらの華がある。
「おはようございます。お姉さま」
「退院なされたのですね。お身体、大丈夫なのですか?」
「おはよう。ええ、私なら大丈夫。幸い軽くて済んだから……」
 わいわい。すると彼女の姿を認めて、あちこちから学院の生徒達(主に下級生)が集まっ
て来た。正面玄関に向かうその歩みに合わせてあっという間に人だかりができ、妙に熱っぽ
い眼差しと黄色い声が飛び交う。
「藤城さん。これ、休んでいた間のノート。良ければ使って?」
「まあ、わざわざありがとう。教室に着いたら早速写させて貰うわね」
 中にはクラスメートと思しき生徒も話しかけてくる。彼女は自身が取っておいたノートを
手渡し、淡雪も丁寧に礼を言って受け取る。わいわいと、数日ぶりに学院に出てきた彼女の
周りには人の輪が絶えない。
「……くぅぅ! 来て早々、またあんなにちやほやされて……!」
 一方、そんな彼女の様子を教室の窓際から眺めていた者がいた。他ならぬ瑠璃子である。
 彼女も彼女で、まるで部下のように何人もの女生徒達を室内に侍らせていたが、それでも
機嫌は墜落前の旅客機の如く斜めだ。悔しさで唇を噛んでいる彼女に、部下の生徒達は迂闊
に話しかけることもできない。
「あいつさえいなければ、あいつさえいなければ、私がナンバーワンなのに……!」
 だからこそあの日、リアナイザを差し出してきた二人組の言葉に、自分は乗った。彼らの
話した通り、引き金をひいた瞬間、自分にはムスカリという強力な力が手に入ったのだ。
 ……なのにだ。にも拘わらず、ムスカリの毒粉は肝心の藤城淡雪には効かなかった。結果
その場に居合わせた他の生徒達ばかりが次々と倒れ、集団搬送騒ぎとなった。家の力で搬送
先を調べ、今度こそ直接ぶち込んでやろうとしたのに……。
(あいつよ。あの黒斗って優男も、ムスカリと同じだった! きっとあいつの仕業ね。あい
つがいたから、毒粉も効かなかったんだわ)
 窓ガラスに触れていた掌、両手の指先がギチギチと立てられる。思い出すだけでも腹立た
しかった。直接の襲撃は失敗し、更に訳の分からない邪魔者まで現れて、自分達は逃げ帰る
ので精一杯だった。
 ……許せない。自分にここまで恥をかかせるなど。思い通りにならないなど。
 一体何を企んでいるのか? しかしのこのこと登校してきた以上、無事で家に帰られると
は思わないことだ。今度こそ、ムスカリの毒に中ててやる。その余裕綽々な善人面の化けの
皮を剥がさせてやる……。
「失礼。東條様はおられますか」
「──ッ!?」
 だからこそ、背後から掛けられた声に瑠璃子は驚いた。
 黒斗である。ついさっきまで外の淡雪の一方後ろを歩いていた筈の彼女の執事──怪物が
この部屋の入口に立っていたのだ。
 部下の生徒達も、一人二人とそのことに気付いて困惑していた。だが用件が瑠璃子だと告
げられたことで、戸惑った視線は半ば反射的にこちらに投げられる。
(どういうこと? ……そうか。あの時のワープさせられたみたいな能力……)
 唯一彼の──羊頭のアウターの力を経験していた瑠璃子だけが、混乱する思考の中でその
からくりの理由に辿り着き得ていた。あくまで表面上は平静を装い、気丈に彼を見上げてこ
の来意を伺う。
「ええ、ここに。何の用かしら? 藤城さんのナイトさん?」
「……お嬢様から伝言です。貴女に話したいことがある。三限目の休み時間、第二講堂で待
っていると」

 それみたことか。一応どんな策を打ってきても大丈夫なようにリアナイザを忍ばせ、瑠璃
子は指定された休み時間、人気のない予備の講堂へとやって来ていた。
 鍵が開いている。観音開きの出入口を開くと、中には淡雪が一人じっと舞台の下に立って
待っていた。……例の執事はいない。それでも用心しながら、瑠璃子は彼女の方へと近付い
ていく。
「お待ちしていました、東條さん。この前、メディカルセンターで会って以来ですね」
「……ええ」
「今日は、改めてお話があってお呼び立てさせていただきました。……何故かは、敢えて訊
きません。ですがもうこんな事はやめて下さい。もうこれ以上、無関係な人達を巻き込まな
いで!」
「ふん。あんたのせいよ。あんたが素直にこの子の毒を受け入れないから! あんたさえ倒
れてくれれば、私もあんな無駄な手間と労力を掛けずに済んだのよ!」
 ムスカリ! 淡雪の訴えに、瑠璃子は鼻で笑い、激情のままに叫んだ。同時に懐からリア
ナイザを取り出し、引き金をひいてブツブツ顔の葡萄色のアウターことムスカリ・アウター
を召喚をする。
 明確な敵意だった。やっかみと、憎しみだった。
 しかし淡雪は唇を結んだまま言い返すことすらしない。じっとその場に立ち、害意に歪ん
だ瑠璃子の姿を見つめている。
「お互い同じ力を持っているから穏便に……とでも考えたんでしょうね。甘いのよ! 知っ
てるのよ? あんたも、やましいことをやってるんでしょう? あの黒斗とかいう化け物と
一緒に、主従ごっこをね!」
 ムスカリがコォォ……と、全身の触手を戦慄かせる。瑠璃子が罵倒の言葉を吐き捨てる。
 だが淡雪は押し黙っていた。目付きこそ細め、じっと何かに耐えているようだったが、そ
の瞳には決して彼女と同じ位置には立たないという強い意思のようなものが宿っている。
 ──高潔さ。その信念に裏打ちされた魂。
 たとえ裏切られても、蔑ろにされても、その者にその事実に絶望しない。安易にそれらを
憎むことに逃げず、ひたすら自らの中に閉じ込めて耐え続けた。
 本人すら自覚していないその一方で危うく、一方で強靭とも言える精神力が、彼女をムス
カリの毒から守ったのだが、勿論そのことを瑠璃子が知る術は無い──。
「ふふ。わざわざ一対一の状況を作ろうとしたみたいだけど、脇が甘いわね。あんたがここ
で馬鹿正直に待っている間、私達はこの学園の至る所にムスカリの種を撒いた」
「……!」
「ふふ。そうよね、あんたは頭がいいものね。分かるでしょう? 今この学院は、私の意の
ままなの。私が命じてムスカリが力を込めてやりさえすれば、種は一斉に成長して周りにい
る人間に片っ端から毒の粉を撒き散らす。……大人しくしなさい。さもなければ、分かるわ
よね? あんたが悪いのよ。あんたが私を差し置いて、目立とうとなんてするから……」
 じりっ。召喚したムスカリと一緒に、瑠璃子は淡雪へと近付き始めた。
 胸元に手を。瑠璃子の言葉にはおそらく嘘はないのだろう。……ただ自分を陥れる、その
為だけに他の生徒達を巻き込むことを厭わなかった。その実例がある。少しずつ後退りをし
て逃れようとするが、如何せん場所が悪かった。
 ふはははは! 瑠璃子は笑う。自らの掌の上という心地が、彼女を高揚させていた。
 しかし彼女には元からムスカリの種を埋めたままにしておくという心算はない。ゆっくり
と手を上げ、パチンと指を鳴らしてムスカリに開花の合図を送り──。
「……?」
 手応えがなかった。予定では学院中のあちこちで地面を貫き、現れたムスカリの怪花の轟
音と人々の悲鳴が聞こえてくる筈だったのだが、現実はしんとしてまるで反応がない。
 当のムスカリも、事の異変に気付いたようだ。両手をにぎにぎして力を送るが、まるで反
応がない。瑠璃子と、怪訝な様子で互いの顔を見遣り合う。
「──悪いけど、その種なら皆取り除いておいたよ」
 そんな時だったのである。突如、それまで彼女達以外誰でもいなかった筈の空間から声が
し、ぐにゃっとある一点が波打って歪み始めたのである。
 睦月の声だった。瑠璃子はハッとなって振り向き、そして自らの策が完全に破られていた
ことを知る。
 対策チーム、リアナイザ隊の活躍だった。冴島以下同隊の面々は、浅霧化成の研究員とい
う当初の名目で併行して学院内へと潜入し、瑠璃子が淡雪に接触するのを待っていたのだ。
そして彼女が敷地内に仕掛けたムスカリの種の存在にコンシェル達が反応。急ぎこれを回収
して破壊し、学院生らにもう一つある物を配布し終えていた。
「治療パッチ──そいつの毒を分析して、無効化する薬を学院の皆さんに配らせて貰った。
今頃皆、これを付けて抗体が出来ている筈だ。もう、お前達の毒は効かない」
「ぐ……ぐぅ……?!」
 現れたのは、守護騎士(ヴァンガード)姿──迷彩(ダズル)の鎧を装着して身を隠して
いた睦月と、彼の肩を取り、その効力の恩恵に与かっていた黒斗だった。
 ぴらりと睦月が見せたのは、掌に収まる程度の丸いパッチ形の薬剤。メディカルセンター
での調査で、隊士が被害者達から採取したムスカリの粉を元に作られた治療薬だ。
 冴島は、部下達を率いて学院中の人々にこれを配布していた。身分こそ偽れど、学院側が
内々で対策チーム傘下・浅霧化成に原因調査を依頼した経緯があったことで、彼らとこの治
療パッチを疑う者は皆無だった。ぺちぺちと、生徒・職員を問わず、皆自分が助かろうと競
うようにしてパッチを貼ってゆく。
「くそぅ……。くそぉぉぉーッ!!」
 瑠璃子の怒号。
 睦月がEXリアナイザを構える。黒斗がデジタル記号の光に包まれ、件の羊頭のアウター
に変身した。
「よくも! よくもよくもよくも! 畜生っ、ぶち殺してやるッ!!」
 淡雪を庇うように二人は前へ。瑠璃子も、怒りのままにムスカリを前面に出す。


 そもそもの発端は、隔離棟外の駐車場にて初めて相対した時から始まった。
 騒ぎを聞きつけて近付いて来る人々の気配。そこから逃れるべく自分ごと睦月達を屋上へ
とワープさせた黒斗──羊頭のアウターは、直後ゆっくりと振り向き口を開いたのだった。
「……お前、あの粉を浴びても効いていなかったな」
「? え、ええ。効いていないというか、踏ん張ったというか……」
「丁度いい。その力で、あいつを倒せ。守護騎士(ヴァンガード)は悪事を働く同胞達を討
ち取って回っているのだろう?」
 だからこそ、睦月達は驚いた。正体がバレていた事は勿論、打診されたのは他ならぬ共闘
の申し出であったのだから。
「お前達はあいつを討伐できる。私はお嬢様の安全を確保できる。お互い、損な話ではない
と思うが」
「うっ。でも……」
『俺は反対だ。よりにもよってアウターと手を組むなど。そいつも、いつ人々に害を加える
か分からん。もう何かしら密かに事件を起こしているかもしれん。あのアウターに狙われた
理由くらいは聞き出してもいいが、深入りはするな』
 戸惑う睦月。インカム越しから苛立つ声の皆人も、態度としては同じ側だった。
 そっと耳元に手を当てている守護騎士(ヴァンガード)姿の睦月。それを横目に見、まだ
警戒を怠らない冴島とジークフリート。
 黒斗は、そんな二人をじっと見ていた。不安げに淡雪が両者を見比べている間、時折杖先
の鈴や黒のローブが風に煽られてはためく。
 渋ることは当然、織り込み済みだったようだ。返事を出さない睦月達に、カシンと杖を軽
く持ち上げながら言う。
「強制はしないがな。ならば引き続きこの場で、お前達の口を封じるのみだ」
「……っ!」
 彼の圧倒的な、未知数の戦闘能力は先刻まざまざと見せつけられた。今ここで、他人が集
まり始めているこの敷地内で、着地点の見えない戦いをするのは得策ではない。
「み、皆人」
「皆人君」
『……。仕方ない、か』
 たっぷりと逡巡して、とうとう司令室(コンソール)の皆人が折れた。目の前の彼に加え
て逃がしたあのブツブツ顔のアウター、それに以前の刺客の残党も追っている。確実に敵の
数を減らすという目的に照らせば、小を捨てて大を選ばざるを得ない。
 睦月と冴島は、ゆっくりと両手を挙げた。それを見て、黒斗も持ち上げた杖を下ろす。
 交渉開始。条件を詰める作業が待っていた。EXリアナイザの設定を弄ってインカムから
の音声をオープンにし、黒斗と皆人、互いのトップが直接話せるようにする。
『とりあえず、あのアウターを共同で潰す、という認識でいいんだな?』
「アウ……? そうか。私達はそう呼ばれているのか。その認識でいい。私の能力と、彼の
耐性。両方が合わされば奴を追い詰めることは容易いだろう。繰り手(ハンドラー)の女も
見知った顔だ。何かしら口実をつけて呼び出すことぐらいはできる」
 ハンドラー? 彼らは召喚主のことをそう呼んでいるのか。
 睦月達は敢えて口にして話を遮らなかったが、この瞬間にも知り得る情報はある。尤もそ
れは黒斗とて同じではあるが。
 改めて睦月達は、ブツブツ顔のアウターの主・東條瑠璃子について情報提供を受けた。更
に今回の搬送騒ぎも、その特殊な粉を振り撒く能力に起因している筈だという認識で一致を
みる。
『ただ実行するにはもう数日待って欲しい。いざという時の為、件の粉を分析したい。あわ
よくば無効化できる薬が作れるかもしれない』
「そ、そんなことができるんですか!?」
「……随分と大掛かりな組織らしいな。了解した。連絡先を渡しておくから、そちらの準備
が整い次第、連絡してくれ」
 懐から手帳のページを一枚破り、ペンを走らせて黒斗は睦月と冴島に自身の電話番号を手
渡した。ホログラム映像で出てきたパンドラがそれを見て記憶している。
 共闘の要点は三つだ。
 一つ。互いの利益の為、ブツブツ顔のアウターと東條瑠璃子を倒す。
 二つ。周囲への被害を最小限に抑える為、毒粉の治療薬が出来上がるまで待つ。
 三つ。以上を遂行する為、お互いに相手の情報を外部には漏らさない。
 対策チームの存在を秘匿したい睦月達は言わずもがなだ。そして黒斗の側も、あくまで淡
雪の平穏な暮らしを守るというただ一点において、安易な反故は命取りという寸法だ。
『それと……。共闘関係を結ぶ前に、二つお前に訊いておきたいことがある』
「何だ?」
『お前のその能力は何だ? 自分がワープしたかと思えば、他人まで巻き込めるのは』
「……簡単に言うと、領域支配だ。私が作る力場の中において、人や物、大よその現象を私
は自在に操ることができる」
『なるほど……。そういうカラクリか』
「二つ目は?」
『ああ。最も重要なことだ。これまでにお前は、他人を殺した事があるか?』
「……私の使命は、お嬢様を守ることだ。お嬢様に害為す輩を消すのは容易だろう。だが安
易にそれを実行に移せば、この人間社会においてお嬢様は少なからぬリスクを背負うことに
なる。守る為に力を振るったことこそあれ、今後のお嬢様にそのようなリスクを与えるよう
な愚策を取りはしない」
 インカム越しと、EXリアナイザを持つ睦月を睨む両者の眼差し。
 最後に皆人は黒斗にそう訊ねていた。守護騎士(ヴァンガード)の正体を知られたままに
する以上、相手の力ぐらいは知っておかなければ割に合わない。いずれ倒すべき相手か否か
の材料くらいは揃えておきたい。
『……そうか』
 たっぷりと間があった。黒斗の言葉に眼に、偽りがないか見極めようとしていたようだ。
 しかし見抜けたのか、或いは眼光を直視し続けられなかったのか、話を切ったのは皆人の
方だった。淡雪が不安げに唇を結んでいる。その傍らで、人間態に戻った黒斗はそんな彼女
の息遣いにただそっと寄り添っている。

「──ぶっ潰せ、ムスカリ!」
 瑠璃子が叫び、弾かれたようにムスカリ・アウターは動き出した。ざわざわと全身から触
手を這わせ、大きく膨らんだ先端から堅い種の弾丸を飛ばす。
 睦月と黒斗は、これを前進しながら二度三度と叩き落した。片やEXリアナイザを射撃の
モードに切り替え、片や掌に生み出した淡い黒色を床に落とし、ぴしゃんとそれは水面に波
紋を広げるように一瞬で力場のドームを作って睦月達を呑み込んだ。
「私が動きを押さえる。耐性のあるお前が攻撃しろ」
「了解!」
 ぐるんと杖を回し、次弾・触手を伸ばしてこようとするムスカリを黒斗は捉えた。
 次の瞬間、ムスカリは一瞬で黒斗の前にワープさせられ、かわす暇もなく強烈な杖打を浴
びせられる。二転三転、立ち位置を次々と移してその場に嵌め殺し、駄目押しの一発で大き
く外側へ吹き飛ばす。
『ELEMENT』
『FIRE THE LION』
『RAPID THE PECKER』
 そのタイミングを見計らって、今度は睦月が攻撃を加えた。サポートコンシェル達を呼び
出して強化された炎の連弾をもろに喰らい、ムスカリは空中で「アババババ!?」と火花を
散らして仰け反り、どうっと倒れ込む。
「うおおおおーッ!!」
 そして更にホログラム画面を操作しながら、睦月は一気に距離を詰めながら駆けた。
「くっ……! 何をしているの!? 反撃しなさい、反撃を!」
 瑠璃子はそんな状況に苛立ちを隠せないでいた。どうやらこの仄暗いドームが黒斗の能力
であることには気付いたが、自分ではどうにもできない。元より限られた室内だ。できるの
はただじりじりと後退りつつも、自身のアウターに発破を掛けるくらいのものだった。
「グ、ギギ……」
 ムスカリは、また両肩や手足関節からの触手をざわめかせた。ぶわっと青い粉が突進して
くる睦月に向かってぶちまけられる。だが耐性を持ち、事前に治療パッチも付けた睦月には
もう効かない。次いで伸びてくる無数の触手攻撃にも、新たに展開した武装が牙を剥く。
『ARMS』
『CUT THE MANTIS』
 両腕に逆手の刃が装着され、向かってくる触手は次々に真っ二つにされた。
 ムスカリが驚く。右から左、左から右へと繰り返される腕の動き。肉薄してきた睦月から
の連撃に、またムスカリは為す術もなく斬撃を叩き込まれ、激しく身体に火花を散らす。
「む、ムスカリ!」
「……」
 怒涛の攻めだった。仰け反りで戻ってくる暇すら与えず、がむしゃらに前進しながら睦月
は攻撃を加え続ける。
 瑠璃子が悲鳴を上げていた。そんな彼女を一顧だにせず、一方で黒斗はそっと自身の杖を
持ち上げる。後方には避難しながらも、心配そうにこちらを見守る淡雪の姿がある。
「フィニッシュだ! もう一度捉えて落とすから、全力で叩き込め!」
「っ、了解!」
 そう。こいつは自分達の“敵”だ。
 再び黒斗が力場内の物体(ムスカリ)を操作し、一瞬で中空へと移動させた。感覚として
は見えない力に押し出される感じなのだろう。左右上下、あらゆる方向から。一瞬のスパン
でムスカリは高速で中空のあちこちをワープしてゆく。それを見上げ、睦月もマンティスの
二刀を一旦収めて呼吸を整えると、大きく腰を落として身構えた。
「スラッシュ、チャージ!」
『PUT ON THE HOLDER』
 腰のホルダーに武装変更したEXリザナイザを挿し込み、最大限までエネルギーを充填し
てゆく。コォォォとパワードスーツ越しの全身に力が満ちてゆき、高揚感があった。目の前
ではまだ黒斗によってムスカリが中空で弄ばれている。
「──ぬんっ!!」
 刹那のタイミングだった。繰り返し転移させられたムスカリがぼろっと落ち、そして全身
に蓄えたエネルギーも絶頂を迎えたその瞬間、睦月は渾身の一閃を目の前の敵に叩き込んだ
のだった。迸る力を纏った幅広のエネルギー剣。その居合いの如き斬撃が、落下するムスカ
リをジャストミートに捉えて真っ二つにしたのである。
「ガッ……アァァァァーッ!!」
 そしてムスカリは遂に力尽き、瞬く間に全身にひび割れを起こして爆発四散した。
 講堂内に膨れ上がる爆風。「きゃっ!?」その余波に瑠璃子は巻き込まれ、咄嗟に身を守
って掲げた改造リアナイザを破壊され、そのままどうっと倒れ込んで気を失ってしまう。
「東條さん!」
 逸早く、彼女に向かって淡雪が駆け出していた。目の前で繰り広げられた戦いにショック
がなかった筈もなかろうに、あくまでその魂は強い。
 黒斗がドームを消した。羊頭のアウターから執事・牧野黒斗へと戻った。
 睦月も長い残心の後、変身を解除していた。ゆっくりと身体を起こし、深く呼吸を整えて
いる。だがそこにはもう連撃を叩き込んでいる鬼気はなく、寧ろ事を終えたという虚無感す
ら漂う。
「良かった。心臓は動いてる。あ、頭は打っていないかしら?」
「相変わらずお人好しだな。自分を狙った相手にすら気を遣うとは」
「……」
 そう、虚無感。
 仰向けに気絶した瑠璃子の脈を取る淡雪と黒斗の仲睦まじさに、睦月はただどっと疲れた
身体をそこに置き、遠巻きに眺めていることしかできない。


 ムスカリが斃されたことで、事件は終着をみた。
 瑠璃子も病院に搬送され、学院生達の集団搬送騒ぎも結局は食中毒として内々に処理され
たらしい。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「ああ……。行ってくる」
 この日黒斗は、淡雪に見送られながら屋敷を後にしようとしていた。
 格好は普段と何ら変わらない黒スーツ。しかし貼り付けたその無表情は、心なしか今日は
緊張気味のようにも見える。
 まるで新婚夫婦のようなやり取りをして、黒斗は踵を返していった。
 こうして一人出掛けるのは今まで何度もあったことだ。少なくとも目に見える様子だけで
は、彼女はまだその本当の内容に気付いている風ではない。
 姿が見えなくなるギリギリまでこちらを見送っている淡雪。黒斗はそんな熱い眼差しが注
がれているのを背に感じ、気配を探りながらも、プツとそれが途切れた距離に達した瞬間、
自分の中である種のスイッチを切り替える。
 閑静な高級住宅街から丘の螺旋を降り、雑踏ざわめく商店街へ。
 その気になればビルの谷間ぐらい跳び越えて行けるが、そんな身バレのリスクをわざわざ
晒す意味はない。特に今回は──今後に関しては。
 一見してただぶらついているように見える彼の歩みだったが、地図上で見れば総じて南に
向かっていることが分かる。南。つまり飛鳥崎の臨海地区、ポートランドだ。
 作業用の無人機が行き交う敷地内を通り、黒斗は独り黙々と進む。
 碁盤の目を複雑にしたような幾つもの区画の中に各種工場や研究施設、企業社屋などが建
ち並び、ここだけは無機質とギラついた物欲が奇妙なまでに同居している。
 やがて彼は、とあるビルの裏側へと来ていた。表の看板には『H&Dインダストリ』の英
語表記。その関連社屋同士の路地裏に彼はするりと身を滑り込ませ、直後念入りに他人が周
囲にいないことを確認すると、小さな通用口のノブを回す。
「……」
 入ってすぐに鎮座していたエレベータに入り、無言のまま彼を乗せた金属の箱はどんどん
と地下へと降りてゆく。
 一体、それから何階分を降りた頃だろうか。チン、とエレベーターは前触れも乏しく止ま
り、閉ざされていた扉がようやく開いた。
 照明も乏しい無駄に長い廊下だった。その道を出てすぐに右に回り、延々と突き当たりま
で歩いた先の扉に黒斗は触れる。専用のカードキーが無ければびくともしない、秘匿されつ
つも厳重な箇所だった。
「──よう。おいでなすったか」
 シュウ……と空気の抜ける音と共に扉が開き、その先に待っていたのは、更に暗がりの中
に立つ巨大なサーバー群と、その中二階下の広間に思い思いの体勢で寛ぐ者達だった。
 一人は柄の悪そうなチンピラ風の男。もう一人はその横でニタニタと笑いながらポテチを
頬張る、もの凄い肥満の大男だった。
 更にもう一人、反対側の席でダウナーに座っているのは、継ぎ接ぎだらけのテディベアを
抱いたゴスロリ服の少女。
「……」
 黒斗はちらと眼をこそやったが、返答はしなかった。
 ざっと今日の面子を見る。三人。プライドとラースの姿がない。自ら何処かに出向いてい
るのだろうか。尤もプライドの方は、その性質上中々顔を出せないから置いておくとして。
「聞いたわよ? あんたのお姫様にちょっかいを出した子がいたんですって?」
「ああ。問題ない。先日、こちらで始末しておいた」
「おいおい……。いいのかよ? 他でもない俺達が頭数減らしちまって」
「いいんじゃない? また育てればいいんだよ~。仲間はぁ、いっぱいいるから~」
 ぐふふ。呆れるチンピラ風の男に肥満の大男が能天気に笑い、ぼりぼりと脇に抱えたポテ
チの袋に手を伸ばし続けている。
 世話話。しかし彼ら三人と黒斗とのやり取りは、お世辞にも穏やかな雰囲気と言うには剣
呑が過ぎていた。
 隙あらば。
 そんなある種の張り詰めた空気が、やはり今日もこの円卓を支配している。
「ははは。そうだねえ。グラトニーの言う通りさ。子供達なら、また育てればいい。その為
に僕達はここにいる。でもつれないじゃないか。折角彼女に手出しをさせないという条件で
もって、君を引き入れたというのに」
「……」
 すると中二階、闇の中でランプを明滅させるサーバー群の中から一人の男が現れた。
 気持ち撫で付けた薄めの金髪と、痩せ気味の長身。仰々しく語るそのワイシャツの上には
よれよれの白衣を引っ掛けている。
 ──シン。自分をここに引き留めている張本人にして、自分たち電脳生命体の生みの親。
 だが黒斗は彼を見つめ返すだけで、今回の一件に関しては先の一言を除いて結局言及する
ことはなかった。
 守護騎士達(かれら)との約束もある。それにキハラやシジマというのも、十中八九偽名
だろう。そんな不確かな情報を掴んだとしても、彼らの本丸には届くまい。下手をすれば他
ならぬ自分があらぬ疑惑を掛けられる恐れすらある。
 白衣の男・シンは飄々として微笑(わら)っていた。
 もしかしたらもう、こちらの経緯など把握済みなのかもしれない。だがそれを質そうもの
なら語るに落ちる。只々沈黙し、やり過ごすのが吉だ。
「来てくれて嬉しいよ、ラスト。さぁ続けよう。僕達の子供、同胞達の行く末を見守るこの
営みを!」
 そうしてバッと、大仰に両手を広げて。
 シンは高らかに言った。へいへいと、残りのメンバー達が眼下の広間で引き続きのんびり
と時を過ごしている。
「……」
 色欲(ラスト)。
 それが彼・牧野黒斗の、“蝕卓(ファミリー)”幹部として冠せられた異名である。
                                  -Episode END-

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  1. 2016/12/20(火) 18:00:00|
  2. サハラ・セレクタブル
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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