日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅵ〔79〕

 明け方のひんやりとした空間が、不意にぐにゃりと歪む。
 地面に展開する藍色の魔法陣。光の束は角柱の輪郭を作りながら上下明滅し、その中から
とある一団を出現させる。
『──』
 ダン達だった。聖都(クロスティア)での危機を聞き、現地へ飛んでいた南回りチームの
面々が、騒動も無事収まりをみて帰って来たのだった。
 導都(ウィルホルム)市内の一角、ハーヴェンス家の庭。
 ダン達が戻ってくる為の陣は、ここに仮設されていた。出発前、事情を聞いたロイドがな
らば是非使ってくれと申し出たのだ。
 尤も、一行の責任者であるダンは遠慮がちだったが……。それでも状況が状況だけに断り
切れなかったと言ってもいい。
 魔導の光と、風圧。
 明け方とはいえ、流石に空間転移している最中を街の只中で隠すのは難しく、いつもとは
違う外の変化に気付いたのか、寝惚け眼で窓を開けてくる隣人達も少なからずいた。当然な
がら、数拍置いて頭が目の前の光景を理解し、見開きこちらを凝視してくる。
「あっ。おじちゃーん」
 そうしていると、ぱたぱたと家のテラスを開けてサーシャが姿をみせた。後ろからロイド
とアリアもついて来る。店の準備が早いのか、或いは自分達を待ってくれていたのか。
「お、おう。まだ陽も昇らねぇ内から元気だな」
「事情が事情でしたからね。私達も、おちおち寝入ってはいられませんよ」
 朗らかに微笑(わら)うロイド。娘の頭をポンと撫でてやりながら、確かにその目元は少
し眠そうだ。悪ぃな……。ただダンはそう小さくごちることしかできない。
「……じゃあ早速悪いが、陣の撤去を。なるべくご近所さんに迷惑のないようにな。併せて
もう閉じていいって知らせを魔導学司(アカデミア)に」
 だがあまりのんびりもしていられない。ダンはすぐに肩越しに振り向き、船から連れて来
た技師達に指示してこの仮設の陣を取り外させる。ガチャガチャと、明け方の庭に気持ち息
を殺した工具の音が鳴り始める。それを眺めながら、ロイドとアリアは苦笑していた。
「別に、このまま置いてくれても構わないんですよ?」
「そうよ。ロイドもいいって言ってくれてるんだから、甘えておけば?」
「いい訳あるかよ。魔導学司(せんぽう)とも仮の物ってことで話をつけたんだ。今更なし
崩しに置きっ放しにはできねぇよ」
 元妻の言葉に、ダンはやや視線を逸らし、嘆息混じりで言う。
 返答内容は確かに事実だった。だがその実、何よりも、この先彼女達夫婦への隣人達の眼
が心配だったのだ。ちらと肩越しに気配を読む。実際今もひそひそと、塀越しにこちらを観
ている住民達がいる。ただでさえブルートバードは、一部の人々にとって“疫病神”扱いさ
れている節がある。それが分かっていて、彼女達を巻き込む愚策など採れない。
「まあまあ。実際、ロイドさんが今回場所を提供してくれたからこそ、私達も迅速に向こう
へ加勢に行けたのですし……」
「ま、併行して魔導学司(アカデミア)にも協力を頼んでなきゃ、どのみちこの街の結界に
ゴッツンコだったけどな」
 仲間達も、そんな彼の思いやり──苦手意識が解っていたのだろう。リュカやグノーシュ
が宥め、或いは軽くし、この妙に弱腰になるリーダーを支えようとする。
「……」
 ロイドとアリア、二人の申し出は十中八九本心なのだろう。でも、だからこそ余計に周囲
の悪意、人々の白い眼が彼女達の環境をややこしくする。跳ね除けることを困難にする。
 ダンは思う。アリアには幸せになって欲しい。そもそも離婚という形を取ったのは、冒険
者と一般人という両者の差を埋められなかったからだ。当時は自分ももっと荒っぽくて、辛
い思いをさせてしまった。苦々しい記憶だ。
 一方でサーシャはまたミアに構って貰っていた。また会えたのが嬉しそうで、キャッキャ
と笑いながら手遊びをして貰っている。
 娘達の横顔。普段あまり感情を表に出さない子だが、眺めていて微笑ましい。
「……とにかく、おかえりなさい。無事で良かった」
 そしてたっぷりと間を置いて、アリアが言う。それは帰って来た一同全員に向けた言葉の
ようにも聞こえたが、見据えるその眼は真っ直ぐダンを見ているようにも思えた。
「……ああ。ただいま」
 魔導の光も風圧も止んだ。
 夜明け前の導都(ウィルホルム)。ダン達とハーヴェンス一家は、また出会う。


 Tale-79.古巣より、原初へと

 “学聖”シゼルとの戦いから十日。イセルナ・ジークら北回りチームの面々は諸々の事後
処理を済ませ、ようやく次の目的地へと旅立とうとしていた。
 即ち、教団との具体的な和解内容。その為の条件交渉である。
 各種メディアが既に世界中に向けて報じたように、両者の対立自体はもう存続し続ける意
味を失った。これからは対“結社”という大きな目的の為に、より表向きに手を取り合う格
好となる。
 当面、先ず教団から求められたのは、先の市中での交戦による物損補償だった。
 東ルアークの古塔・通称『聖女の塔』周辺の店舗と、エルマ=ニシュ大聖堂に空いた穴。
特に二度目の残党ら蜂起に際した家屋の修復が聖都にとっては急務であった。
『ええ。元はと言えばこちらにも非があります。弁償させて頂きましょう。……予算なら、
特務軍就任に当たって統務院から降りていますしね』
 少し茶目っ気ぽく快諾する会談の場のイセルナ。大都(バベルロート)で悲鳴を上げる王
や議員達の姿が目に浮かぶようだ。
 ジーク達としても、このまま戦い散らかしたままで街を去ってしまうのでは人々の心証は
決して良くはないと考えた。当然の、せめてもの誠意である。
 もう一つは何より、両者の連携。この二年で一層世界に攻勢を強める“結社”と彼らが狙
う聖浄器についての密な情報交換である。
 既に彼ら最大の目的──“大盟約(コード)”の破壊については勿論、当初首謀者と目さ
れていた“教主”以外、彼以上の存在が組織内にあるらしいことも、ジーク達は臭わせる。
 十中八九、シゼルもその一人なのだろう。
 かつて時の人となりながら、志半ばで亡くなった筈の人物……。

「──本当に、取り消さなくていいのですね?」
「そうだぞ? 今の内に謝っておきなさい」
「ま、まだ、今なら間に合うから……」
 会談の場。そこにはハロルドとリカルド、エルリッシュ兄弟の両親が同席していた。
 少なからぬ心労があったのだろう。二人ともその髪は随分と白く、やつれていた。片方は
十数年も前に出奔し、今度はまた急遽跡継ぎにと設えた次男までもが自分達の下から去ろう
としている。
 教皇エイテルも玉座の上から改めて問い直し、返事を待っている。
 しかし問われた当のリカルドは、曇りなく答えていた。ニッと少し口元に弧を描いてすら
おり、その後ろには彼に従うと誓った元部下達が顔を揃える。
「ええ。俺達は今回の一件をもって、史の騎士団及びクリシェンヌ教団を抜けます。もう貴
方達の下で働く必要はなくなった。本当に守りたかったものが、はっきりしましたから」
「でもご安心を。こちらでの戦いやら何やらの情報は、随時報告しますので」
「正式に協力することになったんですし、もうスパイみたいなコソコソした真似をする意味
もなくなりましたしね」
 リカルドとその元隊士達の、クラン・ブルートバードへの正式加入。めいめいの服装も史
の騎士団指定の黒衣ではなく、黒を基調とした傭兵姿に変わっている。
 屈託のない返事に、両親は眩暈するように絶望していた。どれだけ円満な所属換えだと言
っても、二人にとっては組織からの離反という認識に変わりはないのだから。
「……教皇。二人の処遇ですが」
「ええ、約束しましょう。不利益がないよう善処します」
 そして、それまで言葉少なかったハロルドからの発言に、エイテルは勿論と言った風に小
さく頷いて答えた。取り巻きの枢機卿達も少々苦々しい表情(かお)ながら、露骨なそれが
あればまた突かれる元になることぐらいは解っている。
(善処、か……。まあリカルドはともかく、私にとってはもう縁の切れた相手だ)
 すっかり老いた両親を、さりとてハロルドは今更庇い立てする気も起きなかった。一度は
弟も含め全て切り捨ててでも養娘(むすめ)を守ろうとした身だ。寧ろ、この程度の軟着陸
で終わったことにこそ感謝すべきであると考える。
 息子達が遠くに行ってしまった。今更になって、二人の涙の意味が変わり始める。
 リカルドは晴れ晴れとしていた。ずっと騙し続けていた自分の気持ちが解放され、これで
ようやく本当の意味で生きることができる。戦うことができる。
 ハロルドも、弟ほどではないが安堵したようにみえた。相変わらず眼鏡の奥は気難しい複
雑な気色を宿しているが、或いは単純に照れ臭いだけとも取れる。「~~♪」そんな父達を
見て、レナも嬉しそうだった。他ならぬ自身が遠因であった故に、彼女もまた解放された気
分になっていたのだろう。
「……それで? これから次は何処へ向かう予定なのですか?」
「……北上を。クリスヴェイルに向かおうと思っています。元より私達はダン達と二手に分
かれて聖浄器を回収するつもりでした。現在所在のはっきりしている物は四つです」
「聖教典(エルヴィレーナ)と連邦朝(アトス)の王器。ダン達には南のマルセイユ侯を訪
ねて貰っているし、その後には王国(ヴァルドー)……かな?」
「ハウゼン王に、今回の事件についても詳しく奏上するつもりです。一応大まかな報告は統
務院には送っていますが、何分書面だけのことだったので」
「……。そうですか」
 イセルナとシフォン、再び彼女が次の目的地を話したことで、エイテルや枢機卿達は少し
ホッとしたようだ。また彼女達が手元から離れ、分からなくなってしまうことを恐れたのか
もしれない。
「で、それも終わってアトスの聖浄器も預かれば、その後は古界(パンゲア)かな? 前々
から話にあったシフォンの伯父さん──クレアの親父さん達にも会ってみたいし」
「……そうだね。僕自身は、入れて貰えないかもしれないけど」
 更にジークが椅子の上で両手を後ろに回したまま口にしたが、その話題はデリケードだっ
たと反省する。数席隣のシフォンがフッと少し横顔に影を差した。イセルナ達経由で、何か
昔、年寄らに故郷を追い出されたという話を以前に聞いた事がある。
「とにかく今は、できる限り多くの場所を巡ってみる方がよいでしょう。十二聖ゆかりの聖
浄器は、その所在全てが明らかになっている訳ではありません。足で稼ぐしかないですね」
「もし困った事があれば、連絡せよ。我々の力で出来ることならば協力しよう」
「その代わり……」
「ああ。分かっているさ。聖浄器や結社(やつら)の情報が出てくれば、随時そちらとも共
有する」

「──聖女様とジーク皇子、クラン・ブルートバードの旅路に幸あれ!」
『幸あれ!』
 そして詰めの会談を済ませ、署名も交わし、ジーク達北回りチームはいよいよ聖都を出発
する時を迎えた。街の正門前には多くの関係者や市民が集まり、一行へと、そう誰からとも
ない見送りの諸手上げや掛け声が唱和される。
(……来た時とはまるで違う対応だな。ま、しょうがないか)
 何ともあからさまな掌返し。
 しかしジークは小さく哂いながらも、決してその顔を彼らに見せはしなかった。各々に旅
荷を担いで歩いてゆく仲間達に交ざりながらも、その苦笑いは必ずしも不快感とイコールで
はなかったのだから。


 クラン・ブルートバードとクリシェンヌ教団との間で起きた諍い、及びその隙を縫って現
れた“結社”による擾乱。
 直接的に手を下した訳ではないとはいえ、ブルートバードを仲立ちにした教団との対立回
避という結末には、各国の王や議員達は内心少なからず安堵さえしていた。
 大都(バベルロート)内、王貴統務院本部。
 例の如く、彼らは中空に浮かぶ映像越しに出席し、或いはこの議事堂の場に臨席して事の
次第を精査する。全体としての態度は安堵、やれやれといったものだが、それぞれの国ごと
の利害はまた異なってくる筈だ。
 神託御座(オラクル)──異例とも言える神王ゼクセム直々の宣旨。そんなレアケースが
今回起こったことへの違和感。
 それに、事件全体には直接関わっていないが、件の徒党の中に保守同盟(リストン)の手
の者が混ざっていたという報告もある。……何か大きな力が、事件の裏で働いていたように
思えてならない。
『大方、地底武闘会(マスコリーダ)での失点を埋める為だったのだろうが……それにして
も、彼らにとっては随分とリスクの大きい一手だったろうに』
『さてな、内情までは分からんよ。大の為に小を切る覚悟を、とでも進言した者がいた可能
性もあるが……』
『それよりもブルートバードだ! 何だこの額?! 自分達が暴れた後始末を、よりにもよ
って私達に尻拭いさせるつもりかっ!?』
 やいのやいの。互いに他勢力の出方に推測を重ねる王もいれば、先刻ブルートバードから
請求されてきた金額に豆鉄砲を食らっている王もいた。
 どうやらこれからも、何かと話題や頭痛の種には事欠かないようである。会議の場は議論
というよりは、各々の鬱憤を表明する舞台のような様相を帯び始めていた。
『はははははっ! やりやがった! それでこそ俺達の選んだ、時代の旗振り役だ!』
『笑っておる場合か? 今回の決着で教団──宗教関連の銘柄が大きく下がっている。商品
の卸し比率も、一度考え直さねば……』
『全くです。冷や冷やしっ放しでしたよ。ですが今回教団が丸め込まれたことで、強硬派の
者達が更に頑なにはならないでしょうか?』
『可能性はなきにしもあらず、だな。今後も情勢を注視しよう。神託御座(オラクル)から
の直接の声もある。手前勝手な解釈で暴走することも、抑制されればよいのだが……』
 そしてファルケン、ウォルター、ロゼにハウゼン。四大盟主国の王達も喝采し、或いは懸
念するという点では同じだった。
 呵々と笑うファルケンに、傘下の商売に影響が出ることを懸念するウォルター。四盟主で
も一番の常識人であるロゼにとってはやはり頭痛の種だ。そんな彼女に、ハウゼンも玉座の
上から、既に縦横無尽の熟考を始めている。
(おそらく、ロゼ殿の言う通りになるだろう。世界は穏健に揺り戻ってゆく層と、より振れ
幅を激しくして止められぬ層に分化していく筈。一つが終わったように見えても、何らそこ
で途切れることはない。これまでのように、一つのうねりは二つ三つと、また新たな波乱を
呼び寄せる……)
 今回事件が収束したのも、神威の上の、薄氷のバランスであった。
 故にいつまた崩れるか分からない。もう教団本体がブルートバート──自分達と直接的に
対峙する手札(カード)を持ち得なくなったとはいえ、より末端の勢力・個人までが同様で
ある訳ではないのだ。
 そもそも神格種達(かれら)の中に“結社”と内通・同調する勢力が存在するのはほぼ間
違いない。それは今し方話にも出たように、地底武闘会(マスコリーダ)での一件──天使
ユリシズと神レダリウスの介入でも明らかだ。ならば今回も、何かしらその一派が手を回し
たと考えればその異例さと迅速さにも説明がつく。……尤も宣旨を下させることで得るメリ
ットに関しては、不可解な部分が多過ぎるが。
「ともあれ、状況は一歩前進といった所でしょうか」
 議論もとい喧騒は、尚も継続していた。
 苦笑いと嘆息を零し、臨席していた議員の一人が言った。うむ、と映像越しの王や同席の
議員達が頷いている。
『これで、ブルートバード──我々の確保した十二聖ゆかりの聖浄器は一つ』
『まだまだ先は長そうですな』
「案の定、結社(やつら)が邪魔をしてきましたからね。一体、あのアーティファクトの何
が、奴らをそこまで駆り立てるのか……」
『……』
 やはり解らない所はそこだ。ジーク達が元使徒クロムから聞いたように、“結社”の目的
は“大盟約(コード)”の破壊。だがそもそも精霊族との約束事を破壊しなければならない
理由とは何だ? 物理的にどうこうするものなのか? 何より聖浄器が、それに何故必要で
関わってくるのか……?
 ファルケンは小さく口角を吊り上げて笑っていた。ロゼも努めて表情を作らず、黙してい
たが、その実はそれらを知る為にも「ダン・マーフィ達が“賢者”リュノーの書庫に向かっ
ている」という情報を握るが故の孤独に耐えているだけのことである。
『彼女達が回収に当たっている間、我々もやるべきことをやらねばなりませんな』
『うむ。引き続き“結社”及び、同調する反分子の取り締まりを強化しよう。相手にとって
もこれは持久戦の様相を呈している。いつか奴らが大きく動き出すその時までに、出来る限
り戦力を減らしておく事は、間違いなくこちらの利となる筈だ』
 然り──。ハウゼンの言葉に、出席した王や議員達は皆一様に頷いた。戦いの手を止めれ
ばつけ込まれる。兵力の大半を強国が占めている現実もあり、そうした危機感においては、
大よそ彼らの見解は一致していた。
『しかし気になるのは、今回聖都(クロスティア)を襲った刺客達の子細だな。基本的には
“結社”の構成員だと聞いているが……』
「あ、はい」
「ちょうど正義の盾(イージス)の隊が、現地へと引き受けに向かっている最中の筈です」

 ジーク達とちょうど入れ違い。一行が出発してから、三日目のこと。
 まだ擾乱の傷跡残る聖都に、とある軍隊がやって来た。事前に風の噂で聞き及び、動かな
い筈はなかろうと思考はしていても、いざ痛んだ心のまま目の当たりにすると人々の眼差し
は強張ったものになってしまう。
『──』
 王貴統務院直属警護軍・正義の盾(イージス)の一部隊だった。
 盾と剣、秤と冠の画を組み合わせた文様の肩章を巻き、揃いの軍服に身を包んだ彼らは、
同副長官エレンツァ・ピューネに率いられ、街のメインストリートを通過。切り崩した山中
に嵌め込まれた形の教団本部正面入口にてずらりと整列する。
「お待ちしておりました。史の騎士団団長、リザ・マクスウェルです」
「同じく一番隊隊長、ミュゼ・オルトーです」
 出迎えたのは、数名の枢機卿達と、やはり彼らを守るように整列するリザ・ミュゼ以下史
の騎士団の神官騎士達だった。
 気丈に振る舞う受け答え。だが二人とも、その頭や腕には包帯が巻かれ、先の戦いでの傷
がまだ癒えていないことを物語る。
 しかしエレンツァは一瞥こそせど、そこに切り込む事はなかった。ただ淡々と、与えられ
た任務が全てであるとでも言うように敬礼に敬礼を返し、早速本題に入る。
「正義の盾(イージス)『四陣』次席、エレンツァ・ピューネ……。ご苦労様です。先の騒
動に関わった容疑者達を移送しに参りました」
 彼女の目的は、今回の擾乱に関わった“結社”達の身柄を拘束・連行すること。
 手早く事務手続きを済ませ、引渡しは速やかに行われた。統務院と教団、お互い腹に思う
ことこそあれど、今このタイミングでまたトラブルでも起きようものならその収拾には更な
る労苦を強いられることになるだろう。
(信徒級が十七名と、信者級が五百七十五名。破壊されたオートマタ兵八百九十体に加え、
狂化霊装(ヴェルセーク)が六体。核にされた人間は……全員死亡。流石に使徒級が混じっ
ている筈はありませんか。予め用意された兵力とみえる……)
 封印術式を刻んだ錠を一人一人手足に嵌めさせ、配下の兵達が強化装甲の大型鋼車にこの
“結社”達を次々に車内へ放り込んでいく。エレンツァは事前に教団側から作成して貰って
いたリストに目を通しながら、今回起こった事件──“結社”の作戦とやらを頭の中で想像
してみる。
(……少なくとも衝動的に集まった訳ではありませんね。奇襲とはいえ、ここまで正規軍を
苦戦させるほどの立ち回りをした。間違いなく作戦の全体を立案・扇動した何者かがいる。
使徒級の者でしょうか? それとも長官が危惧していた、更に上の……?)
 暫く引渡しが進むのを監視しながら、エレンツァはふと同じく立ち会うリザとミュゼを見
遣った。二人はまだ残る怪我を押して教皇の名代に立ったようだ。こちらがトップを直々に
出すのを見送ったように、向こうも様子を窺いながらの。
「一つお聞きしたいのですが、報告では“聖女”の墓所にて“結社”の新手が立ち塞がった
と聞いています。その者は、一体……?」
「……それは、総隊長がお詳しいでしょう。現場にいましたから」
「その話は、皇子達からでしょうか。ええ、確かに聖教典(エルヴィレーナ)を目の前にし
て突如現れ、一度は私を魔導で貫きました。……シゼル・ライルフェルド。本人はそう名乗
っています」
 隠すつもりはないが、訊かれなければべらべらとは答えない。
 問われて、エレンツァに負けず劣らず仏頂面のミュゼがそう傍らの上司を仰いだ。小さく
嘆息をつきつつ、リザが仕方ないといった様子で答える。
「ライル、フェルド……」
 思わずエレンツァは深く眉間に皺を寄せていた。一瞬何の冗談かと思ったが、当然この場
はそんな雰囲気ではない。
 自称? しかし本物……?
 シゼル・ライルフェルド。かの七十三号論文事件で非業の死を遂げた女性研究者だ。その
筈だ。彼女が、生きている? もう二百年も前の話なのに。
「しかも頭を撃ち抜かれても、すぐに再生していました。ですが魔人(メア)でないことは
あの場にいた私達が確認済みです。“蒼鳥”の持ち霊も口にしていましたが、彼女からは抱
え込んだ瘴気塊は視えなかった。もしかしたら何かしらの手段で見えなくしてあったのかも
しれませんが……」
 そしてそんな思考を先回りするように、更にリザは言う。
 少なくとも魔人(メア)ではなかった。本人は戦闘は本分ではないと語っていたが、身に
秘めたその力は彼らすら遥かに凌駕する。リザの補足と推測に、エレンツァはじっと黙って
耳を傾けていた。
 出発前、ダグラスが密かに懸念していたこと。
 どうやらあの人の予感は、当たってしまったらしい。
「ただ“結社”の者であることは確かです。これは私の予想ですが、“教主”の側近か何か
ではないかと」
「……」
 三人目だ。そう、エレンツァは思った。
 教主、フードの男、そしてライルフェルド。かの統務院総会(サミット)では、その裏で
暗躍し、部下達の命を奪ったフードの男が名乗った名に戦慄した。それが今回も、二年後に
また現れた。全く別の名を以って。
 “結社”は、やはり当初思っていた以上に巨大な組織であるようだ。魔人(メア)達を幹
部に据えて何百年と暗躍していた事実も然り、首謀者は“教主”ではないのかもしれない。
 そしてフードの男も、今回現れた刺客も、かつての偉人の名を名乗っているという共通点
がある。本当に当人なのか、何故今になって現れ、我々と敵対するのかは依然不明だが、こ
れではまるで“過去”に攻撃されているようではないか。
(……長官)
 迷う。本当に自分達は、このまま突き進むべきなのか?
 気弱だともう一人の自分が詰った。だがエレンツァは、この時ようやく、ダグラスがしば
しば己が任務に思い悩むその理由を解った気がした。

 ──それは大きく、時を遡ること十日。
 その日はレナのお披露目があった翌日だった。対外的にも一仕事終わり、すっかり日が落
ちたルフグラン号船内では、クラン一同による酒盛りが始まろうとしていた。
「こちらですね。他の多くと同様、現状は使い所を見つけられない、空き部屋のような状態
になってしまっていますが……」
 そんな中、同じく船内にはアルスが訪れていた。イヨとリンファ、頭上でふよふよと浮か
ぶエトナを従え、航行時自身に宛がわれる予定の部屋を見学していたのだ。
 少なくとも、今いるホームの自室よりはずっと広い。
 何より一人部屋だ。隣は兄の部屋で、こちらには奥にスライドする大きな収納スペースと
本棚群がある。魔導書などの保管場所が欲しいというアルスのリクエストを受けて設けられ
たものだ。
「……」
 しかし当のアルスは、終始感情を抑え込んだかのように厳しい表情をしていた。
 仕上がりに不満がある訳ではない。寧ろこっち方面に関しては想像以上に広々としていて
驚いたくらいだ。……そちらではない。建造が始まった頃には自身も抱いてもいなかった、
もっと別のことである。
 移住。現在のホームの宿舎から、この飛行艇へと住処を移すこと。
 この船の概要が所々判ってきた時、アルスは理解した。これは自分達兄弟を、疫病神扱い
する街の人間から逃す為の箱舟なのだと。
 尤も、現状兄もイセルナ達もその意図については触れてこない。特務軍としての任務は始
まったばかりだし、おそらくは自分達が居られなくなるギリギリまで、彼女達は自分を学生
として存続させてあげたいと思っているのだろう。……解ってしまうからこそ、辛いのだ。
「お? アルスじゃねえか」
 そうして一通り部屋を見、転移装置のある設備棟に戻ろうとしていた時だった。
 宿舎内の多目的リビング。そこにジークやイセルナ、ダン、旅に出ていった仲間達の殆ど
が集まっていた。奥には対面式のシステムキッチンが備え付けてあり、一段下がった敷居の
先には食堂の席が広がっている。
「よう。そっちも来てたんだな」
「お前らも一緒に飲まねぇか? 聖都でのゴタゴタも片付いたし、今夜は祝い酒だ」
 つまみを広げ、ジークやダン、グノーシュといった面子はもう既に飲み食いを始めてしま
っている。兄に続き、ニカッと笑ってダンが手招きをしてきた。奥の厨房では料理するハロ
ルドをリュカやクレアが手伝い、ステラやマルタ、ミアが出来たずつから向こうないしこち
ら側の席へと皿を運んでゆく。
「……ダン、今夜は控えなよ? 明日、魔導学司(アカデミア)のお偉いさん方と会う予定
なんだろう?」
「あー、分かってる分かってる。瓶一本ぐらいに収めとくよ。流石にそこは弁えてるって。
一回は手を貸してさえ貰ってるのに、顔を赤くして出向くのはなあ」
「瓶一本でも、充分飲んでると思うけど……」
 シフォンが羽目を外しそうなダンにそう釘を刺し、通りすがりにミアもぼそっと突っ込み
を入れて嘆息をついていた。アルスは苦笑(わら)う。ちらと視線を移せば、リビングの壁
に背を預けてリカルドが座っていた。戦いの傷なのかしんどそうだ。時折レナが話し掛け、
水やタオルを持ってきてあげている。
「僕は、遠慮しておきます。あまり飲めないし……」
「それもそうか。ならホームの皆にも声を掛けてやっておいてくれや。こういうのはパーッ
とやるのが一番いい」
「……はい」
 通り過ぎてしまう心算だったものの、結局アルス達は廊下から覗いた姿を認められ、仲間
達と話し込んでいた。リンファもイセルナと、イヨも料理を運ぶステラやマルタと時折談笑
を交わしながら朗らかに笑っている。
「その……兄さん。ニュース読んだよ。大変だったね。皆何とか無事そうでよかった」
「ああ。悪ぃな。あの後ゴタゴタしてて、きちんと話す暇も持てなくてよ」
「ううん、それは別にいいんだけど……。聞いたよ? “結社”の新しい敵が現れたって」
 故にアルスがジークに話し掛け、問うた時、嬉々とざわめく一同が静かになった。明らか
に場の空気が変わっている。それをアルス自身も理解しながら、それでも訊ねた瞬間、ばつ
が悪そうに視線を逸らした兄の表情(かお)を見逃さない。
「その敵って、誰だったの?」
「……」
 アルスは再度訊ねていた。ジークが困ったように眉根を寄せて黙っている。
 ちらり。イセルナと、場にいる皆へとジークは視線を向けていた。どうしたもんだろう?
まるでそう窺いを立てているような眼だ。暫し仲間達は逡巡するようだったが、そんな皆を
代表して、料理の手を止めたハロルドが口を開く。
「シゼルだよ。シゼル・ライルフェルド──彼女は自らをそう名乗った」
 ぽりぽりと頬を掻き、視線を合わそうにも合わせられずにジーク達は黙っている。ちらと
眼を遣って、イセルナの首肯を受けたハロルドは事の詳細を話し始めた。
 聖都探索中に出会った旅の学者・シゼル。彼女の提案で実行した教団本部潜入計画。
 だが全ては彼女の罠だったのだ。“学聖”シゼル。そう自らを名乗った彼女は、始祖霊廟
にてジーク達と対峙する。一時は劣勢の中、聖浄器を奪われる寸前までいったが、他ならぬ
レナが聖教典(エルヴィレーナ)を奪取。僅かな隙を縫って逆転を果たした顛末までを。
「その後のことは、メディアで色んな映像が流れているから知っていると思う。ともあれ、
事件は解決した。もう心配は要らない」
「……」
 しかしそう言われて、はいそうですかと頷けるアルスではなかった。
 ライルフェルド──その名を小さく呟き、目を細める。暗澹とした感情が、込み上げる。
「やっぱり……」
「うん? アルス、お前、知ってたのか?」
「知ってたというか、女の学者さんでシゼルって聞いて、同じ名前だなって思ったんだよ。
二百年も前の人だから、まさか本人だとまでは思わなかったけど……」
 兄の衝いて出た言葉に応えるアルス。
 場の一同は、少なからず重苦しく黙りこくっていた。皆とて、何も全く省みなかったこと
ではない。
「ま、まあいいじゃねえか。もう終わったことなんだし」
「そうそう。実際、肝心の聖教典(エルヴィレーナ)はレナちゃんの手の中。めでたしめで
たしってね」
「アルスがそう思うのも無理ねぇよ。そんな顔するなって」
「ほらほら、こっち来いよ。飲もうぜ? 酒が苦手なら茶やジュースでもいいんだしさ」
 明らかに、仲間達が気を遣ってくれていることが分かった。慰め、無理からぬことだった
と過去の事にし、とにかく今は“勝利”を祝おうと席を勧めてくる。
「そうだな。そんなシケた顔すんなって。俺達はこうして無事なんだから。な?」
「……」
 しかしアルスは動かない。兄もまた努めて笑顔を向けてくれるが、そのさまが余計に辛か
った。気を取り直してと言わんばかりに始まる宴に、アルスだけは独り取り残されたような
心地だった。
「アルス……?」
 皆は敢えて口には出さないが、兄は騙されたのだ。そして自分もシゼルという名を聞きな
がら、最悪の事態を予想しなかった。信じようとした、疑わなかった兄を気遣って、あの導
話越しに二の句を継げなかったのだ。
 ……許せない。相棒(エトナ)が逸早くこちらの異変に勘付いて訝しむも、アルスは何も
応えずただその場に立っていた。……許せない。自分が一言放っていれば、シゼルの策略も
防げたかもしれない。始祖霊廟での戦いも、避けられたかもしれないのに。
 皆を、大切な人達を守りたい。
 その為にずっと頑張ってきたのに、自分はそれを“しなかった”。
 にも拘わらず、他の団員達は兄を責めてもいない。怒りはなかったのか? ……いや、そ
んな彼の甘さも全て含めて、共に歩もうと決めている。
 温度差を感じた。自分の小ささを、届かないこの手の無力さを感じた。
 考えの甘かった自分が許せない。良くも悪くもその人の良さ──ある種の甘さが兄だとす
るなら、自分ができることは? ……兄の分まで、自らが「鬼」になることか?
 目の前では、兄や仲間達が宴の口火を切っていた。或いは差し向かい、杯を片手に今後の
探索ルートなどの対応を検討している。
「どうした、アルス。そんな怖い顔して」
「……何でもないよ」
 結局皆の宴席に加わることはなかった。騙されたと知った後も尚、笑っていられる兄のお
人好しさ──底知れぬ強さを想い、今度はアルスがまともに目を合わせられなくなった。
 不安げな相棒(エトナ)を余所に、アルスは一人踵を返してゆく。イヨとリンファが、そ
の挙動に気付き、心苦しいといった様子でこの後を追う。

 アルスの表情(かお)には、影が差していた。
 自分の未熟さが、憎らしくて堪らない。


 夜も明けて日が昇り、導都(ウィルホルム)の市内は日中の姿を取り戻しつつあった。
 会談当日。ダン達南回りチームは身支度を整えて合流し、一路魔導学司(アカデミア)本
部へと向かう。
 街の中心部へ近付けば近付くほどに大きくなる、六角形に延びる建造物。
 魔導学司(アカデミア)──ここ顕界(ミドガルド)だけに留まらず、全世界における魔
導の聖地、その最高学府だ。
 少しずつ足元の段が坂でもって上がってゆき、それにつれてすれ違う人々もその大部分が
学士風の者達ばかりになる。
 ちらり。案の定、訝しげな眼を投げられた。
 それでもすぐに通報されなかっただけ、マシだったのかもしれない。或いは先方が既に話
を通してあるのか。……昨日の今日だ。学士と喧嘩になるのは御免被る。
 するとややあって、石畳からして敷地が変わったと思った頃、六角形の建物の正門らしき
場所に行き着いた。そこには既に、守衛に加えて数名の魔導師達が待ち構えている。
「……クラン・ブルートバードの皆様ですね?」
 その大半が白み掛かった銀髪と円錐帽。眞法族(ウィザード)だ。
 確認するように訊ねられ、ダン達は頷いた。念の為レギオンカードを提示し、嘘偽りがな
いことを証明してみる。
 警戒と緊張。ロゼッタの言っていた、サムトリア領内であって自治区──異国のような街
だという言葉を思い出す。
「ようこそ、魔導学司(アカデミア)へ」
「お待ちしておりました。では早速、ご案内致します」
 なのに。
 次の瞬間、彼らはフッと相好を崩すと一行を促す。

 本部内は、まるで蜂の巣のように部屋だらけであった。
 とにかく長く真っ直ぐ延びる廊下の左右に、びっしり研究室(ラボ)らしき部屋と、時折
資料室や給湯室が点在し、途中で別の棟に接続する為の大きくカーブした横道が視界の左右
に現れる。
「……何か、殺風景だね」
「しっ。ステラちゃん、あまりそういう事は……」
「元々見世物な場所じゃないからね。基本、研究施設なんだろう」
 何度か階段を上り、棟の端へは行かずに中央を。
 道中、この内部を奥に手前に眺めていたステラが思わず呟いていたが、先を行く案内役の
魔導師らは特に反応しているようではなかった。
 寧ろ、気にしているのは彼女と、一行の中に交じるクロム──魔人(メア)が二人もいる
というこの状況に対してであろう。
 時々、肩越しにちらと窺うように視線を向けられている。こと元使徒のクロムに関しては
既にクランの一員となった経緯は知られていることと思うが、やはりなまじ魔力(マナ)が
視える分、その尋常なさが気になってしまうようだ。
「心配すんな。どっちも、俺達の仲間だ」
 故にダンも、そんな彼らの不安に気付いていた。肩越しの眼にわざと映るように自ら声を
投げ、二人が危害を加えることはないと保証する。
 文句あるか──? 或いは、そんな風に少し凄みを利かせて。
 いえ……。そう小さく呟きが返ってきて、以降様子を窺う視線は途絶えた。尤も心から恐
れなくなった訳ではあるまい。エリートであればあるほど、彼らは“常識”に囚われる。
「着きました。こちらです。議長以下皆様方がお待ちかねです」
 そして中央棟のやや上階、六方に延びる棟の根本にそれは在った。
 扉横に下げられたプレートには『賢老会議議場』と書かれている。リュカやサフレに視線
を向けるとコクリと首肯が返ってきた。確か、魔導学司(アカデミア)における最高意思決
定機関だった筈だ。
「失礼します。ダン・マーフィ殿以下、クラン・ブルートバードの皆様をお連れしました」
 立ちぼうけになるより前に、案内役の魔導師の一人がそう扉をノックし、声を張った。
 うむ。入りなさい──中から声がする。彼らはその応答にスッと半身を返し、扉を開いて
一行を中へと促す。
『…………』
 部屋の中、議場には既にずらりと、同学府の有力者達が揃い踏みしていた。
 特に印象的なのは、その中央最上段に座する眞法族(ウィザード)の老人だ。
 ヨハン・オーニール議長。現在の魔導学司(アカデミア)におけるトップ、即ち全魔導師
の頂点に君臨する人物である。
 ダン達は、暫くその圧迫感と存在感に気圧され、立ち尽くしていた。
 じいっと彼らの品定めするような眼が四方から向けられる。ゴクリと、マルタやステラが
緊張のあまり喉を鳴らした。
「……ふぉふぉ。そうあまり緊張せんでいい。よくぞ参られた。儂はオーニール、この学府
の長を任されておる者じゃ」
「……ブルートバード副団長、ダン・マーフィだ。今回は会談に応じてくれて感謝する」
 先ずはそれぞれの代表が挨拶を。正門の時もそうだったが、一見厳しそうなオーニール以
下幹部達も、いざ話し始めるとふっと相好を崩す。ダンはそんなさまに内心違和感を覚えて
いた。或いは元から意地悪い人間達ではないのか……?
「話はロゼッタ大統領から聞いておる。特務軍の一員として、十二聖ゆかりの聖浄器を確保
する旅をしておるそうだな? その上で、ディノグラード公より“賢者”リュノーの書庫を
訪ねよと」
「ええ」
 あの女首長、結構色々喋ったんだな……。ダンは少し疑心を持ったが、ちらと横目に肩を
竦めるグノーシュ(あいぼう)を見て、顰めるのは止めにする。どのみちこちらの大よそは
話さないと前には進めないのだ。予め把握して貰っていると考えればいい。
「第三者たる儂らが言う台詞ではないかもしれぬが、大儀よの。ジーク・アルス両皇子の護
衛に加え、かの“結社”との戦いの矢面にも立たされるとは……。大師(マギウス)ヴァレ
ンティノを始め、よくぞ今日まで守り続けられた」
「──っ!?」
『?』
 だから次の瞬間、急にリュカが身を硬くしたのを見て、ダンやグノーシュ、ミアといった
仲間達は頭に疑問符を浮かべた。
「い、いえ、そんな。私は何も……」
 妙に畏まっているというか、緊張しているというか。何せ急に様子が変わったのである。
「……先生さん、いきなりどうしたんだ? つーかさっき」
「大師(マギウス)──魔導師への最大級の尊称ですよ。それを魔導学司(アカデミア)の
トップから掛けられた。リュカさんにとってはこの上ない光栄の筈です」
「ふ~ん……?」
 だがその理由は、程なくして視線を投げられたサフレが答えてくれる。
 恐縮していたのだ。本来ずっと目上の大魔導師に尊称で呼ばれ、さしもの彼女も驚いてし
まったらしい。
(ああ、そういう事か。アルスっていう逸材を、師匠の方から丸め込んで唾をつけとこうっ
て魂胆か。それならさっきからの、俺達への妙に丁寧な態度も頷ける……)
 サフレから教えて貰った知識はさておき。ようやくダンは合点がいった。別にロゼッタの
評が間違っていた訳ではない。既に駆け引きは始まっていたのだ。
「私は……ただあの子の興味を伸ばしてあげただけです。確かに彼は天才ですが、それ以上
に努力の天才ですので」
「ふぉふぉふぉ。中々謙遜するのう」
「……悪いが議長、先生さんとの話はまた後にしてくれ。それよりも俺達は、あんた達に訊
きたいことがある」
「ここ導都(ウィルホルム)は、その昔“精霊王”ユヴァンが聖浄器を手に入れた街だと聞
きました。何か詳しい話は伝わっていませんか? 少しでも自分達は、手掛かりが欲しいん
です」
 一見穏やかなリュカとオーニールの会話。そこへダンは仕方なしと割って入った。グノー
シュもぼちぼち本題をと、ロゼッタから聞き及んだ話を持ち出して訊ねてみる。
 案の定というべきか、オーニールや周りの上級魔導師達が仏頂面になった。ダンの目測は
正しいようだ。たっぷりと蓄えた白い顎鬚を擦り、この魔導師達のトップは答える。
「……確かに、かつてこの魔導学司(アカデミア)にはとある聖浄器が保管されていた。名
を『執理典スコアラム』──記録によれば因果を操る魔導書という。お主らが言うユヴァン
ゆかりの聖浄器とは、十中八九それじゃろう」
「スコアラム……」
「ん? でも今“されていた”って……」
「然様。わざわざ足を運んで貰って申し訳ないが、現在スコアラムは存在しない。何せかの
男は解放戦争時に我らが至宝を借り受けたまま、帰らぬ人となってしまったからの……」
 あ……。神妙そうに呟くオーニールに、思わずダン達は言葉を詰まらせた。
 そうだった。確か歴史では、ユヴァンは皇帝オディウスとの最終決戦の際に刺し違え、命
を落としたとされている。つまり彼の使っていた聖浄器・スコアラムも──。
「返却されなかったんですね?」
「うむ。当人戦死のままうやむやとなり、今となってはその所在すら定かではない。代々の
議長が過去何度か捜索を命じたが、見つかっておらん。何処ぞ人知れぬ場所に埋もれておる
か、或いはとうに戦火で燃えてしもうたか……」
『……』
 故に、ダン達はすぐに二の句を継ぐことはできなかった。貴重な当てが一つ外れてしまっ
たのだから。そうだよな……ダン達は思う。もう千年も前の代物なのだ。必ずしも現存して
いるとは限らない。
「力になれなくてすまない。ロゼッタ大統領には悪いが、件のディノグラード公の助言に従
った方がまだ残されたものがあると儂は思うがの」
「そう、ですね」
「……」
 落胆。だからこそ最初、ダン達は気付けなかった。オーニール達に相対して並ぶ仲間達の
中で、一人クロムはじっと別の意図をもってこの上級魔導師達を見つめていたのを。
「大師(マギウス)オーニール」
 はたと、両者の発言が立ち消えた隙を縫うようにして、クロムが口を開いた。彼らがダン
達が、何だろうとその視線を一斉に向けている。
「“大盟約(コード)”とは何なのですか?」
「? クロム、何を──」
「“結社”の最終目的は、“大盟約(コード)”の完全消滅です」
 ダン達が止める暇もなかった。クロムが実質独断で、そう事の核心に迫ろうとする。
『──ッ! ……?!』
 少なくとも、オーニール達は酷く驚愕し、戦慄していた。正真正銘魔導の専門家である。
その意味、もし失われた際にこの世界が受けるダメージの甚大さは、他の誰よりもよく理解
している筈なのだから。
「知っているのですね。彼らはその為に、世界各地の聖浄器を欲している」
『……』
 オーニール以下、上級魔導師達はおしなべて黙り込んでしまっていた。下手に喋ればボロ
が出ると解り切っているような表情(かお)だ。
 それでもクロムは問う眼差しを止めなかった。ダン達も彼らの返事が気になり、振り返っ
てじっと待っている。
 長い、間があった。大きく嘆息をつき、やがてオーニールがその重い口を開く。
「……お主は、元使徒級の魔人(メア)だったな。お主が“結社”内で何処まで見てきたの
かは知らんが、確かにそうだ。“大盟約(コード)”はただのぼんやりとした概念、約束事
ではなく、れっきとした“モノ”じゃよ」
『えっ──?』
「それは世界樹(ユグドラシィル)の奥深く、設置されていると云われている。尤も成立以
来数千年、実際に確かめた者は誰もいないが……」
 ダン達は目を丸くして暫し固まり、そして後ろのクロムをまじまじと見つめる。
 彼は黙っていた。白状したオーニールらを見つめ、じっと何か読み取れない思考を、自身
の中で繰り返しているかのようだった。
「……聖浄器が作られ始めた時期は、魔導開放の頃と一致します。それは魔導の普及によっ
て増大するであろう瘴気──魔獣の脅威に対抗する為だったとの見方が自然だ」
「ああ。しかし逆にその“消滅”というニュアンスが解せぬな。何故その為に聖浄器が必要
になる? モノであれば他の兵器などでも破壊することは可能な筈だが……。少なくとも何
かしらの関係が在る筈じゃ」
 もしゃもしゃと顎鬚を触り、オーニールは苦悶していた。彼ほどの頭脳、知り得る立場に
あっても分からないというのか。
「……驚いたの。“結社”とはそこまで事実を把握しているというのか。やはりただのテロ
集団と括るには無理がある……。儂らからも勧めよう、急ぎマルセイユ領へ向かうがよい。
賢者(リュノー)の残した膨大な資料、その中にこれの答えもあるやもしれぬ……」
 大きく嘆息、呼吸を整え、やがてオーニールは言う。実際ここに執理典(スコアラム)が
無い以上、得られる情報には限界があった。
「重要な話を聞かせて貰った。目的が目的じゃ、いざという時は協力を惜しまんよ。統務院
にもそう伝えてくれ」
「……ええ。ありがとうございました」
 ダン以下、一行は深く頭を下げる。当初崩した相好は逆転し、もうどちらが上か下かも分
からなくなった。そもそも、そこに拘る意味すらなく、些末だった。
 収穫あり。
 一応の礼は欠かさず、かくしてダン達は魔導学司(かれら)との会談を後にする。


 その夜のこと。ダンとミアはハーヴェンス家に泊まっていた。すっかり夜は更け、二階の
寝室ではアリアとミアが布団の中で寝息を立てるサーシャをゆっくりトントンと撫でながら
寝かしつけている。
「──そうですか。会談は上手くいったんですね」
「ああ。腹に抱えてるモンさえ分かれば何とでもなる」
 一方のダンは、ロイドと庭先のテラスで酒を酌み交わしていた。秋の朧月はやんわりと庭
と照らし、程よい明るみを与えてくれる。尤もこんな景色も、季節の移ろいと共にあまり長
くは続かないのだろうが。
 流石に任務の詳しい中身までは話せない。だが、魔導学司(アカデミア)との会談は収穫
のあるものだったと、結果だけは酒の肴にしがてら打ち明ける。
「オーニールの爺さんにも勧められたよ。だから、明日にでも俺達はここを発つ。聖都の方
はイセルナが後始末をしてくれてるし、早いとこ翠風の町(セレナス)での用事に掛かった
方がいい」
「急ですね。もう少しゆっくりしてたって……」
「悪ぃな。ただでさえ世話になってんだ。あんまり長居はしてらんねぇよ」
「……そうですか。大事なお仕事、ですものね」
 木製テーブルの上。グラスに注いだ酒はちびちびと減っていた。
 カランと、机上に置く度に原液(なかだち)を失った氷が鳴る。ロイドが穏やかに慰留し
てはくれたが、ダンが漏らした言葉は二重の意味で本心だ。
「……」
 くい。残りの酒を飲み干す。飲み干して、手酌でまたもう一杯入れる。
 ダンは軽く片眉を上げて、この元妻の今の夫を見ていた。そうだ、自分は前の夫だ。普通
に考えて本来こう穏やかに飲み合える仲じゃない。
「なあ」
「? はい」
「何であんたは……その、俺に優しくするんだ。嫌わないのか?」
「その話は最初にしたじゃないですか。ファンなんですよ、貴方達の。それに当時のアリア
を守ってくれた、恩人でもあります」
「いや、それはそうなんだがよ。何つーか……」
 ボリボリと髪を掻く。
 確かに理屈はそうなのだろう。だがそれだけで人は生きられないし、往々にしてもう片方
の為にそれを捻じ込んでしまうことはよくある。
「嫌だろ、普通。元とはいえ、自分の女の前の男だぞ? 一度は別れたってのに今になって
ノコノコ訪ねて来た。まぁ、そうさせたのは俺じゃなくてグノだけど……」
「らしいですね。ですが何度も言うように、私は貴方を嫌いません。理由もない」
 もう慣れただろうと、一人そそくさ道連れから宿に帰っていった相棒を思い、ダンは改め
て口にしていた。いや、気にしていたと言った方が正しいか。なのに対するロイドはやはり
同じ返事ばかりを寄越す。にっこりと、酔いが回ってきたのか少し顔が赤い。
「以前、アリアからも断片的にですが聞いていました。お二人が別れることになったのは特
段の不仲ではなかったと。冒険者と一般人、その違いがどうしようもなく、それぞれの幸せ
の為に身を引いただけだと」
「……あいつ、そこまで話してたのか」
「それだけ行く末を心配していたってことですよ。それに、サーシャもあんなに懐いてしま
いましたしね。ミアちゃんにとっても、アリアは実の母なんだから」
「……むう」
 どうにもばつが悪い。気恥ずかしい。
 ロイドのそれに倣い、ダンも二階にいるであろうアリアとミア、サーシャの母子三人の姿
を想った。サーシャ自身、まだ幼くて理解すらしていないのだろうが、それでも半分同じ血
を受け継いでいるという共通点を何処かで感じ取っているのかもしれない。
「だから、ちょっと意外でした」
「うん?」
「冒険者と聞いていたから、もっと荒っぽい──不器用な方なのかなと思っていたけれど、
こうして実際に会ってみるとずっとお優しい方だったから」
「なっ!? そ、そういうのじゃ……」
「やはり娘さんが出来たことで丸くなられたんですかね?」
「……さてな。確かに色々ありはしたが……」
 尤もそれら外堀を差し引いても、やはりダンはこの手の人間は苦手だなと思った。自身の
みてくれにも動じず、真っ直ぐに中身をくり抜いてくるような心根。決して悪い人間ではな
いとは解っているものの、どうもやり辛い。
(ま、アリアにはいい旦那なんだろう。そう考えりゃあ、離婚したのも、やっぱり互いにと
っていい選択だったんだろうぜ……)
 ダンは思う。彼は、いい人過ぎる。しかしナヨっとこそしているが、こうして他人の本質
を見抜くことができるのだ。それをして良い距離と良くない距離を解っているのだ。
 ……こいつなら大丈夫だ。任せられる。
「アリアを、宜しく頼む」
「はい。勿論です」
 照れ臭さがいっぱいで、それでも今ここで口に出さなければ駄目だと思って。
 なのに、対するロイドは一切の澱みなく答えた。にっこりと朧月の下で笑い、言葉少ない
中に込められた想いをしっかりと受け取る。
「私だって貴方と同じくらい、彼女を愛していますので」
「ふん。言うじゃねぇか」
 カチン。付け加えて、笑い合って、二人は互いのグラスを打ち合わせた。小気味良い音が
鳴って酒と氷が揺れる。そんな二人のやり取りを、物陰で聞いていたグノーシュがフッと小
さく笑ってから立ち去る。

「──いってらっしゃ~い! おじちゃーん、お姉ちゃーん、また来てね~!」
 そして翌朝、ダン達南回りチームは、街の入口でハーヴェンス親子に見送られながら旅立
った。向かうは一路、賢者遁世の地・翠風の町(セレナス)である。
 時を前後して、ジーク達北回りチームも、擾乱の事後処理を終えると聖都を後にして北上
を続けていた。向かうは一路、北方最大の都市・王都クリスヴェイルである。

「……お? あれか……?」
 北と南、二手に分かれたクラン・ブルートバード──対結社特務軍・聖浄器回収チームは
それぞれ次なる目的地へと進む。
 実にそれは、導都(ウィルホルム)を出発してから八日目のことだった。
 紅葉の森や枯れ草の丘を抜け、ダン達はようやくその眼下に、広がる集落とのどかな田園
風景を見た。

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  1. 2016/11/05(土) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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