日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)Amethyst League〔3〕

 ……これは、どういう事だろう。
 父さんと母さんの喧嘩が止んだ。僕が二人に触れた瞬間。あれほど激昂していた二人が何
事もなかったかのようにその場から離れていった。
 また別の場所で喧嘩を再開するのかも知れない。だけど、やっぱり奇妙だ。
 この珍事は今日だけじゃない。前にも起きた。どういうことなんだ?
 原因は皆目見当もつかないが、これじゃあまるで二人の怒りや憎しみが、その場で綺麗さ
っぱり抜け落ちてしまったかのような。そう言えばあの瞬間の二人にはまるで生気の様なも
のが見えなかった。感情が抜け落ちたようだった。
 つまりは、僕は二人の激昂を止めたのか?
 でもどうして? これじゃあまるで……。神の奇蹟か? それとも悪魔との契約?
 でも、これはいいかもしれない。どちらにしてもあの二人を止められる。あの地獄の喧騒
を止められる。僕には、その力がある? そうだ、そうなんだ。僕は選ばれたんだ。
 何故? 理由は分からない。だけどもしそうならば、これは好機だ。この地獄から抜け出
す事のできる絶好の好機となる筈だ。
 今は大人しくなったけど、あの二人はまたいずれ喧嘩を始めるだろう。どうやら感情を消
すことができるのは一時期だけみたいだから。
 その時だ。確認してやろうじゃないか。これが本物なのかを。
 この奇妙な僕への贈り物の正体を、明らかにするんだ。


 Chapter-3.氷との遭遇

 あの夜の翌朝、地元紙は玉殿市周辺を慄かせた通り魔の逮捕を伝えた。新聞やテレビなど
で映されたその姿はあの鉤爪男に間違いなかった。捕り物の途中で一悶着あったのか、少々
顔などに怪我の痕跡が見えたが。
 ともあれ、世間は凶悪犯という名の「異分子」を排除できる前提に立ったと言える。そし
て再び時間が経っていく程、人々は彼自身の事も記憶の奥底に葬ってしまうのだろう。
 五人の犠牲者の遺族がこれから先、悲しみや苦しみの時を過ごす事すらも忘れて。
 そして胡太郎達も、別の意味で忘れ難いしこりを残したままその後数日を過ごしていた。
「ふぁ……」
 朝、胡太郎は小さく欠伸をしつつ、学校への道を歩いていた。環と陽菜子、そして朝練が
休みな晴市の三人と一緒に。数日前の事件が嘘のように、辺りは平穏な静けさだった。鳥の
囀りと時折聞こえてくる生活音、他の生徒の登校する姿とお喋りの声。
 いつもの日常が、未だ記憶にちりちりと燻るあの光景とその後、篤司と沙夜から聞かされ
た話への戸惑いをそっと鎮めてくれるような感覚。新鮮な朝の空気を吸いながら、ぐぐっと
身体を伸ばして凝りを解した。
 隣を歩く環と陽菜子は、女の子らしいかしましいお喋りに興じている。こうして見ている
と本当の姉妹のように仲が良い。その後ろでは晴市が胡太郎よりも大きな欠伸をして、コキ
コキと首を鳴らしては周りの風景に目をやっている。彼もまた日常という名の鎮静剤の効能
を静かに噛み締めているのだろうか。
「平和だね……」
「うん? そうだな……」
 胡太郎の独りごちたような呟きに、晴市はやや遅れてこれも曖昧に返事。
「まぁ、俺はどっちかいうと刺激があった方が好きだけどよ……それも、な」
 適度でいい。ないしは暫くは遠慮したいと思う。そういうつもりだろうか。胡太郎はまぁ
分からないでもないよなと黙って、こくと彼に頷いてみせた。
 晴市は確かに少し風変わりだ。しかしそれもあくまで「常識」から手足を出してみる、と
いういわば子供心の好奇心を大事にしているというだけであり、本気で「非常識」の世界に
埋没してしまいたい、という程に現実を拒んでいる類の人間ではないのは胡太郎もよく分か
っているつもりだった。あくまで好奇の眼差しで周囲の世界を楽しむ、そういった事に他人
よりもエネルギーを費やしている。ただそれだけの事なのだと。
 ざっと頭の中をそんな分析で駆け巡らせていると、すすっと晴市が胡太郎に近寄り、
「……それによ。陽菜子の事を考えると、できるだけ『安静』にしておいてやりたいんだ」
「……そっか」
 通り魔との遭遇という経験だけでもショックだろうに、更に一番拠り掛かっている仲間達
にも不思議な力があると見せ付けられては、衝撃は二倍増し所では済まないかもしれない。
元より内気で兄に比べればずっと穏やかな世界に浸ってきただろう陽菜子にとっては特に。
 彼女本人に気付かれないようになのか、心持ち小さな声で、少々恥ずかしそうに呟く晴市
に、胡太郎は笑みを浮かべて同意を示した。彼女の平穏は、僕らも望む所だよと。
「……?」
 ちょうどその時だった。それまで環とお喋りをしていた陽菜子が不意に後ろを振り返って
きた。さっきのやり取りを聞かれたか? 胡太郎と晴市は内心ドキリとして彼女の視線と向
き合った。だが、どうもおかしい。どうやら視線は二人を見ている訳ではないようだ。
「? どうしたの、ヒナ?」
「え? あ、うん……」
 環もはたと途切れた会話に、少しだけ怪訝な様子を見せて陽菜子を見る。
 一瞬、彼女の声に曖昧に応答を寄越すも、陽菜子の視線はまた彼女達二人の後ろへと注が
れたように見える。胡太郎と晴市も、自然と彼女の視線を──後方の少し離れた路地の角、
物陰の方を向いていた。
「……」
「何かあったのか?」
「ど、どうなのかな……誰かいたような気がしたんだけど」
「そうなの? 誰も、いないみたいけど」 
「う、うん……」
今度は兄と問われたが、陽菜子は困り顔を見せた。直感的な反応だったのかもしれない。
あまり自信なさげにもそもそと呟くと、小さく頭を横に振る。ふわっと髪が揺れた。
「ご、ごめんね。た、多分気のせいだよ、きっと」
 彼女はバツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。

 授業中。数学教師の、殆ど暗号にしか聞こえない念仏に似た単調な声色での説明と、黒板
にカツカツとこれまた暗号のような数式が書き込まれていく音が教室に響き渡っている。
 真面目に聞いているクラスメートもいるはいるが、多くの者は意識が既に別の何処かへと
飛んでいっているようだ。もしくは机の陰で熱心に携帯電話を弄ったり、机に突っ伏して眠
っていたりする(ちなみにその筆頭は、胡太郎の斜め前方の席の晴市であったりする)。
 胡太郎は少し遅れ気味に授業のノートを取りながら、それでも意識はあまり集中している
とは言えない状態にあった。
 その理由は今朝と同じと言っていい。鉤爪男、篤司と沙夜。能力者。『同じ、あの水晶を
触ったクチ』……。ここ数日の非常識を説明するキーワード達が脳内を駆け足で駆け巡る。
 ちらと、クラスの中列、窓際の篤司の席に目を遣った。
 いつもの事だが、あまり授業に耳を貸しているようには見えなかった。シャープペンを握
ったまま、鋭い眼でじっと外を眺めている。
 気に病むな。あの時篤司はそう言っていた。それは自分達に不必要に心配をかけさせまい
と思って発した言葉なのだろうと理解している。尤もそれでもこうして気になって頭から離
れない状態にあるわけだから、むしろ逆効果になっている感もないわけはないが。
 では、それは置いておいても、篤司自身はどうなのか。沙夜も同様に。
 二人は鉤爪男と能力者の存在、それに加え自身もその能力者の一人であるという非常識の
三重奏にみまわれた──否、みまわれているのである。いくら二人とも能力者になってから
日が経過しているらしいとしても、内心は仲間達以上に揺れているのではないだろうか。
 そうは思っても、実際に中々口にはできなかった。強要されたわけではないが、どうにも
あれ以来、能力者云々の話題は皆が避けているような節がある。思い出したくないという事
なのだろうか。だが、少なくともそれぞれが内心ではえもいわれぬ不穏に惑っている筈であ
ろうというのに。
 表面上、一番深刻と思える二人に目に見えた動揺はない。否、二人とも根っこは真面目な
性格である。むしろ黙して表に出さないように努めていると考えるのが今までの付き合いか
ら考えても可能性が高い、そう思う。
(もどかしいな……)
 お互いを気遣う。長年の仲間故にそれは尚更に強いのかもしれない。だが、今回において
それはお互いを何処か遠くに置いてしまっているような、そんなもの寂しさを思わせてなら
ない。能力自体で傷付くような真似ではなく、それ以前の段階でなど……。
 教師の声は相変わらず単調に続いている。胡太郎は顎に手を当てじっと考え込んでいた。
 目を背けていては、いけないのかもしれない。
「それじゃあ、この問題を……瀬尾、解いてみろ」
「え? あ、はい」
 ぐわんと押し戻されるようにして、飛んできた教師の指名で思惟がもっと近くの日常へと
着陸させられた。胡太郎は心持ち訝しげにこちらを見てくる教師を見遣ると、黒板に視線を
移してから、よろよろと立ち上がって教壇に上がりチョークを握った。
(もう少し、時間は掛かるかもしれないな……)
 黒板に書かれた数式が、先程まで頭の中を駆け巡っていた思案の足跡のように混然と並ん
でいるようにも見える。胡太郎はその整理をするかのように、ふぅと小さく息をついたあと
指示された問題を解き始めた。

「じゃあ、手を合わせて……いただきます」
『いただきます』
 恒例の、仲間達と集まっての屋上での昼食タイム。
 陽菜子の合図で各々が弁当に手をつけていく。今日も食べ盛りらしい晴市の弁当箱は一際
大きい。いつもの、穏やかな昼休みだった。この時ばかりは遠くなってしまったような錯覚
自体が遠くに追い払われている、そう思えた。
「ん? どうした、胡太郎。ぼ~っとして」
「……ううん。何でもないよ」
 そうか。と再び晴市は弁当にがっつき始める。と、喉に来たのか、むぐむぐと陽菜子に身
振り手振りで合図。彼女はすぐに「もう……落ち着いて食べなきゃ」と茶を注いだ紙コップ
を手渡し、くいっと飲み干す兄を微笑ましく見守っている。
「……」
 どちらが、今の本当の僕達なのだろう。胡太郎に、はたとそんな疑問が浮かぶ。
 自分としては今の状況をそれだと思いたい。だが、あの非日常は消えて訳では決してない
のだ。そう。その生き証人がこの場にだって……。
「…………」
 弁当を咀嚼しながら、視線を向けると同じ様にこちらを見ている篤司と目が合った。
 交錯、沈黙数秒。まるで自分の思考が読み取られいるのではないかと思われるほどに彼の
瞳は胡太郎の心の奥までを眺めてきているかに思えた。……否、単に眼付きの鋭さだけなの
だろうか。そうだと思いたかった。
「ヒナちゃん、私にもお茶を頂戴」
「あ、はい。どうぞ」
「うん。ありがと」
 その様子を、ちらと横目に見、沙夜が陽菜子から紙コップを受け取っていた。
 上品に、凛と。沙夜はほっとしたように色々な何かと共に飲み込んだ茶の味を静かに反芻
するように目を瞑った後、空を見上げていた。今日も多少の雲はあるが、晴れている。
「……今日も、いい天気だな」
 ぽつりと沙夜が呟いた。ふわりと春と初夏の過渡期の風が屋上に吹き流れてくる。六人は
何ともなく、視線と遠くの景色に向けていた沙夜と同様に周囲に広がる街の風景を暫くぼう
っと眺めていた。
 眼下のグラウンドから始まり、胡太郎・新條姉妹・環が住む住宅街の方向、篤司の家があ
るアーケード街とその周辺の昔からの商店や家屋が林立する駅前周辺、そして両者を南北に
結び、沙夜の自宅など旧市街の本丸ともいえる北部の木々とグラデーションのように所々で
結合部のように広がる緑地公園。広い敷地も、ここからの景色では遠くの、少々大きいなと
いう程度の緑の塊に見える程度だ。
 緑地公園──即ちあの事件の現場。
 ちらと胡太郎が目をやると、他の皆も心持ち緑地公園を見てそれぞれに思うところがある
のだろう、神妙だったり複雑だったりと苦い感情をじわりと滲ませているように見えた。
 遠くなっていく。お互いに気遣いという壁ができている。そう思えた。
「……ねえ」
 ぽつりと、今度は弱々しく恐る恐る、陽菜子の声。
 五人の視線が集まった。彼女は少したじろいたようにも見えたが、口に出してしまった以
上は引っ込みがつかなくなったのだろう。まるでじりじりと焼かれる辛さを漏らすように、
「鉤爪の人やアツシ君達以外にも、能力者っているのかな……」
 皆の顔色を窺いながらそう言った。
 しんと、静まり返った。タブーという程ではないが、お互いに話題に上る事を避けてきた
類の話をまさか彼女からしてくるとは。顔を見合わせるお互いの表情で、五人は同じ想いで
あった事を知った。そして皆、一番か弱い彼女を守りたいと思っていた内心も。
 だからこそ胡太郎達は、彼女の問いにはすぐには返事ができなかったのである。
「……多分、いるだろうね。あの水晶はあちこちに降り注いでいたみたいだから」
「だが、かといって触れた全員が能力者とは限らない。お前達のようにな。むしろ、何も知
らず力にも目覚めずといった者がその大半ではないかと思う」
 沙夜と篤司、能力者二人が代表して答えた。少し考えた間もあり、声色はそこはかとなく
硬い。敢えて頭ごなしに否定はせず、玉虫色。しかしそれは事実ではあるだろう。陽菜子も
ある程度予想はしていたらしく、か細く「うん……」と呟くだけだ。
 場の空気が、重くなった。
「ま、まぁそんなに気に病む事じゃないって。例の鉤爪男も捕まったんだしさ。もう、私達
があんな目に遭うような謂れなんてないんだから」
「そうだぜ。陽菜子、何も能力者だからってあんなイカれた野郎ばかりって訳でもないだろ
うしさ。なぁ? アツシ、サーヤ」
 それを環と晴市が少し焦り気味に、場の重い空気を解そうと口を開く。
 しかし言っている事は確かではあるが、その慌てた様子はどうにも説得力と欠かせるよう
でならない。頷く篤司と沙夜を見遣り、陽菜子も引っ込んだようだが、後味は悪い。
「ご、ごめんね……」
 だから気にするなって、と陽菜子をなだめつつ、胡太郎達は昼休みの残り時間を確認しな
がら昼食の残りを片付ける。いつもはとても美味しい彼女の手料理が、この時ばかりは酷く
淡くて薄い味になってしまっているような気がした。


 夕陽混じりの光が廊下に差し込んでくる。
 胡太郎は鞄を片手に教室のある棟とは別棟の廊下を歩いていた。放課後の喧騒はこちらで
は比較的少ない。その反面、遠くから集音されてきたように物音が聞こえてくる。この辺り
は基本的に文化系の部活が集まる、通称・文化棟と呼ばれる第二校舎だ。
 漫研のペンの走る音、コンピ研のキーボードを叩く音、軽音部のギターやドラムの音など
様々な文化活動の音色が胡太郎の耳に届く。青春、そしてこれが日常なんだよな。胡太郎は
改めて感慨を込めてそうした雑音に意識を委ねていた。
「あ、コー君……」
「? あぁ、ヒナちゃん」
 渡り廊下を渡り、本校舎一階へ。そして靴置き場の前までやって来ると、教室へ続く廊下
の方から鞄を持った陽菜子が歩いてきた。胡太郎は彼女の声に応じて立ち止まる。
「……えっと。文化棟に行っていたの?」
「うん、図書委員の仕事でね」
「そ、そう……」 
 少し、戸惑いのような様子で胡太郎を見た後、そう問う彼女に胡太郎は頷いた。この学校
の図書館は文化棟の一階奥に位置している。
「ヒナちゃんは、今帰り?」
「うん……。私はさっきまで保健委員の集まりがあったから……」
「そっか。どう、また一緒に?」
「……う、うん。コー君がそう言うなら」
 こくと頷き、もそもそと小声で答える。時間帯が時間帯なので、この場には他にも生徒達
が帰宅の路についたり部活に出て行ったりと人数が多い。彼女はそんな彼らが時折向けてく
る視線を恥ずかしそうに受け止めては、胡太郎を見る。
「?」
「か、帰るんだよね? ほら、行こう?」
「? うん……」
 俯き加減になった彼女に促されて、胡太郎は彼女と二人して校舎の外へと出た。それに応
じるかのように運動部の活気がより大きく聞こえてくる。差し込む夕陽も直に注がれる。
 グラウンドの端、野球部のダイヤモンドには野球部の面々が揃ってランニングをしている
所だった。陸上部はそれぞれが準備運動を、テニスコートの方面では球の弾かれる音と共に
部員達がコート内で動き回り、後ろの方で後輩達がボール拾いに勤しむ姿。
 そんなそれぞれの青春模様を横目に、二人は正門を出た。
(……また、会話に困らないといいけど)
 数日前の事を思い出し、胡太郎は内心そんな思案した。それに今回は、能力者の事という
記憶がどしりと乗り掛かっている。また気まずい沈黙が続きはしまいか。
 散りかけた桜並木を歩く。予想通りなのか、陽菜子は俯き加減で少し頬を赤く染めて歩い
ている。内気なのか昼間の時の気まずさの延長なのか、もう分かったものではなかった。
「……こ、コー君」
 そんな参ったなと思っていた矢先だった。陽菜子がゆっくりと胡太郎を見上げて何やらを
切り出そうとしてきた。何かなとその視線に追従する。助かったか?
「えっとね……遠回り、してもいい?」

 彼女の誘いに乗ってはみたが、やはり道中はあまり会話には恵まれなかった。
 最初は参ったなと思っていたが、見ている内にそれが気恥ずかしさからくるものではと結
論付けるに至ったの……だが、やはり仲間相手でも一対一は緊張するのか。胡太郎は少しば
かり残念に思ったが、それでも何とか雑談してこようとする彼女には丹念に応じた。
 彼女の、そんな一生懸命さが何だか可愛かった。……それは恥ずかしくて口が裂けても言
えなかったけれども。
 当初彼女が言ったように、ぐるりと回り道を取った。
 住宅街を最短距離で結ぶのではなく、一旦そこから出て、玉殿大川沿いの道に出る。コン
クリート舗装から、砂利道の混じった視界の開けた近隣住民の散歩コースも兼ねた道へと。
途中、自転車通学の生徒達が通り過ぎるのを何度か見送りながら、二人は玉殿大川の流れを
ぼうと眺めながら歩いた。
「……もしかして」
 そして、胡太郎は気付いた。
 この堤防道は、確か中流の河川敷に続いている。河川敷──七年前のあの日、流星群もと
い隕石、紫色の水晶体が次々に落ちていくのを仲間達と共に目撃した現場。
「……うん」
 陽菜子はこくりと小さな肯定を示した。
 申し訳ないけど。避けてきた話題に触れる事、それに対しての罪悪感のような申し訳なさ
も一緒に示されたように思った。だが、気に病む事はない。胡太郎は苦笑を隠した微笑で彼
女に無言の意図を送った。彼女も、ぎこちなく笑ってみせた。
 河川敷は、もう七年前の痕跡を留めてはいなかった。ボコボコに開いたクレーターもとう
に埋められており、遠くでは子供たちがボールを蹴り合って遊んでいる。橋桁にぶつかって
軌道修正する水流がすぐさま他の流れの筋と合流し、遠い海へめがけて流れていく。水面は
夕陽が混じり始めた光を反射して光り、チカチカと瞳に差し込んでくる。
「どうして、ここに?」
 胡太郎は片手で眩しそうに顔を西日から隠しながら、陽菜子に問いかけた。
「……う~ん。正直、あまり深い考えはないんだけど。ずっと、アツシ君やサーヤさんから
あの話を聞いた時からもう一度ここに来てみたくなって……」
 風でなびく髪を抑えつつ、陽菜子はそう答えながら河川敷をぼうと眺めていた。
 一見、河川敷の人々を見ているのかと思ったが、すぐに違うなと分かった。彼女はあの夜
自分達に起きた出来事を瞳の奥に再生しているのではないか、そう思えたから。
 胡太郎は、そんな彼女を暫くの間少し後ろの位置から眺めていた。
「あれ? ヒナにコタロー?」
 そうして二人ともぼうっとしていたからだろう。突然の背後からの環の声に、二人は共に
結構間抜けな顔で振り返っていた。
 環はやっほ、と気安げに笑いながら二人に近づいた。
「二人も来てたんだね」
「うん。その、ヒナちゃんが来たいって言って」
「……そっか」
 そのまま、環は陽菜子の隣に並んだ。その時わぁっと子供達の声が一際大きく聞こえた。
橋の上を車が走り去っていく。夕暮れに入りかけた少し冷たい風が三人を駆け抜け、脇道に
群生する丈の長い雑草達をわさわさと揺らしていた。
「私もね、昼間にこの街には他にも能力者がいるかもしれないって話を聞いて、気になって
ね……。ここであの水晶に触ったのは、多分私達だけだと思うんだけど、実際あちこちに落
ちたって話だし。……何ていうのかな。思い出に浸りたくなったってとこ?」
 そうかと胡太郎は思った。上手く説明できなかったようだが、陽菜子も大方急に昔の思い
出と再会したくなったのかもしれない。もう当時の面影はあまり残されてはいないが、自分
達の記憶は今も強く印象付けられている。
「……サーヤさんは分からないって言っていたけど」
 ぽつりと、陽菜子が呟く。環と胡太郎が彼女を見た。
「もし、もしもだよ? コー君やタマちゃんが、アツシ君やサーヤさんみたいに不思議な力
を使えるようになったら……どんなのがいい?」
「僕達が?」
「う~ん、そうだなぁ……」
 申し訳なさそうに彼女は訊ねたが、二人はさして気にしていないよと笑いながら、その問
いかけに向き合ってみる。環がう~んと目を瞑って何やら想像すると、
「……眼からビームとか」
 ひゅうっと、風が吹いた。
 沈黙。陽菜子を笑わせようとでもしたのか、少し高めのテンションのまま、両目の下に指
を向けたままの格好で、ポカンとした二人を見たまま固まっていた。
「……ぷっ」
「なぁっ! 笑った、笑ったなぁ!? あぁ、悪ぅござんしたね。どうせ私の想像力は幼児
レベルですよ……」
「くふ……。いや、別にそんな事までは言ってないし……」
「た、タマちゃんそんな事ないよ。小学生レベルはあるよ?」
「……ヒナちゃん。それフォローになってないから」
「え?」
 それでも、場を和ませる事には成功したと言ってよかった。環も陽菜子も、笑っている。
胡太郎は内心ほっとしていた。やっぱり、二人とも笑っている方がずっといい。
「……じゃあさ、ヒナちゃんはどうなの? もし、何か力が使えたら」
「私? 私は……」
 そして胡太郎が陽菜子に問うた。あまり環を弄り過ぎるにも可哀想だなというのもあった
が、陽菜子が望む力とは何だろうという事にも内心興味があった。彼女は暫く考えているよ
うだった。もっと人付き合いがよくなる力、などか? そんな予想を立ててみる。
「……。具体的にはよく分からないけど、皆の役に立つ力がいいな」
 恥ずかしそうに、両手を前に重ねて呟くように答える。
 胡太郎と環は共に「あぁ……」と小さく唸った。彼女らしい。心根の優しい答えだ。それ
は上手く(仲間以外の)他人と打ち解けられないと思っている彼女のコンプレックスの裏返
しとも言えるのかもしれないが。
「……そっか。でも、今でだってヒナは充分に役立ってると思うよ」
「そうそう。例えばお弁当とかね」
 だけど、何より役に立つ、立たないで人の価値を決めちゃいけない。それはちらと視線を
見合わせた胡太郎と環が共通して確認しあった事だった。二人のそんな温かみの眼差しに勘
付いたのか、陽菜子もはにかみながら、ニコリと笑う。
 河川敷の夕陽が、穏やかに道行く人々を通り抜けていった。
 
「それじゃあね、二人とも」
「う、うん」
「うん。また明日」
 それからぐるっと川沿いを回り道して再び住宅街へ。いつもの道を迂回して戻ってきた為
に、陽菜子と環の家が先に間近に迫った。胡太郎は曲がり角で二人に別れを告げるとその足
で独り自宅の方へと向かって歩き出す。
 それから、一分と経たない内だった。
「……?」
 不意に背後からの気配。それをややあって察知した胡太郎が振り向くのと、その誰かに肩
をポンと叩かれるのはほぼ同時の事だった。
「……あれ? ヒナちゃん?」
 誰かと振り向いて胡太郎は思わず口に出していた。
 そこには恥ずかしそうに佇む陽菜子が立っていた。ゆっくりと胡太郎に載せていた手を離
すと「うん……」と小さな返事をして応える。
「どうしたの? タマちゃんと帰ったんじゃ……」
 胡太郎は疑問のままを口にしていた。それでも陽菜子ははにかんで少し戸惑っているよう
な、いいあぐねているような風に見えた。
「あのね……今日の六時に、ひょうたん池の前に来て欲しいの」
「ひょうたん池? でも、何で?」
「……話が、あるの」
 それなら帰り道に幾らでも話せたんじゃないの? そう胡太郎は言おうとしたが、結局口
に出す事はできなかった。先ほどからずっと恥ずかしそうに俯いている彼女を、それでは何
だか追い詰めてしまいそうな気がした。
 もしかしたら、途中で環が来たから言い出せなかった、とでもいうのだろうか。
 そんな理由も可能性として考え付いた。しかし何故、そこまでして。分からない。胡太郎
はそれ以上何も言い出す事ができず、
「じゃ、じゃあ私はこれで……」
「あっ……。うん」
 そのまま、小走りで曲がり角を曲がって姿を消した彼女を見送ることしかできなかった。

 夕陽が相応に濃くなってきたグラウンドの片隅で、晴市は軽いメニューで今日の練習の締
めに入っていた。キャッチボール。但し肩をぐると回しつつ腕だけで、距離を詰めた相方と
ボールを受け渡しするというものだ。ふわっとボールが二人の間を浮き、ポスッと相手のグ
ローブに収まる。そして今度はこちらが……という繰り返し。
 周りの部活生も徐々に本日は終了といった雰囲気に包まれて、打ち込むような活気も緩慢
に薄れていくように思えた。これも、いつもの風景ではある。
「……なぁ、新條」
「うん?」
 と、普段バッテリーも組む相方・高遠がボールをこっちに寄越しながら話し掛けてきた。
 気のせいか、その表情は真剣だ。晴市は内心ではしっかりとした捕球の構えで応じる。
「お前、何か悩みでもあるのか?」
 受け取ったボールを投げようとした動きが、一瞬止まってしまった。
「悩み? ねぇよ、そんなの」
 まさかこいつ能力者の事を? 否、そんな訳はない。ドクンと大きく波打った鼓動を抑え
つけるように整えて平静を装い、ボールを投げ返す。それでも高遠はうーんと唸りつつ、
「そうなのか? でもなぁ、なんていうのかなぁ……お前の球さ、ここ数日どうも迷いみた
いなのが混ざっているような気がするんだよ」
「おいおい。何、悟り開いたみたいな人間の台詞だよ……」
 しかし内心は相当焦っていた。普段から無闇に肩の力を入れない自然体を貫く彼から、ま
さかそんな的確に過ぎる分析がされるとは思ってもみなかったのである。
(……俺も、まだまだ鍛錬が足りねぇのかなぁ)
 能力者の存在を話されたあの時の衝撃は、もう引き摺らないようにしよう。そう思ってい
たというのに、まだまだだな。晴市は内心小さく己を笑っていた。
「うーん。まぁ、俺の思い違いならいいんだけどさ。それにお前、自粛が解けた後は結構真
面目に練習に出てきているじゃん? だから何か思うところでもあったのかなって……」
「……別に、何でもねぇさ」
「……そっか」
 高遠はそれ以上の追求をしてくる事はなかった。これは幸いというべきなのか。しかし、
一度こんな話題を吹っ掛けられてしまった動揺はすぐには収まってはくれず、
「おぅ?」
 つい、こことは違う方向へ向いてしまった意識の隙を縫うようにボールがグローブに弾か
れて後ろへ転がっていく事を許してしまったのである。
「……本当、大丈夫かよ?」
「だ、大丈夫だって……。悪ぃな、取ってくるわ」
 また少し思案顔になった高遠から逃げるように、晴市は片手を上げてその場を早足で立ち
去ると辺りを見渡してみる。ボールはグラウンドの端っこ、正門へ続く道との境目に設けら
れている石材で囲まれた植木の傍に転がっていた。
 晴市がそれを見つけ、拾おうと駆け寄ったその時、
「これ?」
 手を伸ばすよりも前に、ボールは別の誰かの手に拾われた。地面を向いていた晴市の上か
らその人影がにゅっと重なる。
「ん? あぁ、タマか。今帰りか?」
「そんなとこ。ほい」
「サンキュ」
 見上げるとそこには環が立っていた。軽く彼女に話し掛けながら、晴市は彼女からボール
を受け取った。時間にしてほんの僅かではあったが、互いの指先が触れたようだ。
 環は終了モードに入りつつある野球部の様子を眺めて、
「練習……もう終わるの?」
「あぁ。もう今日のメニューは消化しているしな。後はグラウンド整備ぐらいだぞ」
 晴市が答えると、彼女は「そう……」と呟いてから、ぼうっとグラウンドの方を眺めてい
るようだった。
 その様子に、ふと晴市は妙な違和感を覚えた。どうも妙にしおらしいというか。彼女に間
違いはない筈なのだが。しかしそんな吹けば消えしまいそうな感覚も、
「じゃあ、練習の後は時間空いてるわよね?」
「ああ。着替えて帰るだけだし」
 続く彼女の言葉ですっかり彼本人からも霞んでしまう。
 何の気なしと答えた彼に、環は小さくこくと頷くと、少し戸惑いを見せたが、まるで意を
決したように口を開いた。
「あのさ、ハル──」

 
 緑地公園は、その全景を形容するのであれば縦の楕円形という事になるだろう。楕円形を
形作る輪郭線は遊歩道、さらにその楕円形の囲むようにさらに同形の外周の遊歩道がある。
 内円に当たる区域は南北に分かれており、正面入口がある南側は芝生や木々が一面に植え
られ、いくつものスペースに小分けされている芝地エリア、北側は公園内に時間を報せる鐘
が取り付けられている時計塔を中心とするエリアの二つ。そしてこの二つのエリアの境界線
を自負するように、内円の楕円の中央を東西に横断する直線状の遊歩道が設けられている。
 この遊歩道の両端には遊具が多く設置された、小さな子供向けの遊び場がそれぞれある。
 ひょうたん池は、そんな二重の円周の更に外側、公園の最奥に位置する比較的大きなため
池である。休日などにご近所の釣り人がちらほらとやって来る他は、決して人気の多い場所
であるとは言い難い。
 自宅に帰った後、私服に着替えて、胡太郎は陽菜子の指定通り緑地公園を突っ切ってこの
ひょうたん池へと向かっていた。途中の時計塔を見れば約束の十五分前。これならば少し余
裕を持って到着できるだろう。
(でも、大事な話って何だろう?)
 内周から外周へ、遊歩道も突っ切って進みながら胡太郎は疑問を反芻していた。ここまで
して話さないといけない用件とは何か。少なくとも他の仲間には気安く話す事ができないよ
うな内容という事になるが……。
(まさか、ヒナちゃんも……)
 それは、能力に彼女も目覚めたのではないかという可能性。彼女の性格からして、もしそ
うであるなら相当に不安になっている事だろう。それなら辻褄が合いそうではある。
 だが、そうなるとまた別の疑問が頭をもたげる。では、何故自分になのか?という点だ。
楽観的に見ればそれだけ信頼されていると見れるかもしれない。しかし、それはそれで複雑
な心境である。これは仮説であるとしても、何だか他の仲間達には出し抜いたようで申し訳
ないような気分になるからだ。個人的には、彼女は兄や環の方にもっと懐いているものだと
ばかり思っていたのだから尚の事だ。
 そんな事を悶々と考えていると、自分は思っているよりも皆を知っていないのかもしれな
いなと少々自嘲めいて思う。勿論、いくら長年の付き合いとはいえ他人である。お互いに見
せていない部分などいくらでもあろうものだが……。
(……まぁ、行ってみれば分かる事なんだけど)
 あまり余計な事を考えないようにしよう。その時になれば分かるんだから。
 胡太郎はふるふると頭を振って思考を緩めると、夕空の下を歩いていく。
(……あれ?)
 ややあって、ひょうたん池に辿り着いた。
 人気の少ない池の水面は夕陽を受けて茜色を反射し、空の色と同化してようとしているか
のようだ。夕暮れ時の風が吹き抜け沢に生える無数の長い丈の草木を揺らしている。
 しかしそこで胡太郎が見たのは、いつもの見慣れた面々の姿。
 自分を呼び出した陽菜子だけではない。晴市と環、篤司と沙夜。皆一度自宅から帰ってか
らここに来たのであろう。胡太郎と同じく私服姿だった。だが近づいていくにつれて彼らが
どうやら困惑の表情を浮かべている事に気付いた。
「あ、コー君……」
「皆どうしたの? これって結局皆で集まるつもりだったって事なんじゃないの?」
 最初はそう思った。それならお互いの連絡の不備で混乱しているという事もあり得るかと
思ったのだ。しかしその可能性はすぐに消さざるをえなかった。そもそも連絡を取り合うの
であれば携帯電話があるではないか。なのに、
「え? そうなのか? 俺はタマに呼ばれて来たんだが」
「へ? 私、呼んでないわよ。ていうか、呼んだのはハルの方じゃない」
「いや? 俺はお前を呼び出した覚えなんてないぞ」
「……お前達もなのか? 俺も沙夜に呼ばれて来たんだが……」
「私はそんな事をした覚えはないよ。私はアツシ君に呼ばれて来たんだけど……」
「……ヒナちゃんも、もしかして」
「う、うん。コー君に呼ばれたんだよ? 話があるからって」
「…………」
 お互いの証言の矛盾が三組。お互いが相手に呼ばれたという奇妙な状況。
 胡太郎は陽菜子にも確認してますます怪訝を深くした。勿論、自分が彼女を呼んだような
覚えは一切ない。自分もまた彼女に呼ばれたとばかり思っていたのだから。
「どういう事だよ、こりゃあ……」
 六人はお互いに顔を見合わせていた。立ち往生といってもいいかもしれない。
 何度か確認してみるが、矛盾状態は一筋も消えない。困惑と疑問の大量発生。
 これではまるで──。
 その時だった。ふと胡太郎の背後でかすかに足音が聞こえた。その方向へ、残り五人の視
線が無意識に近い状態で集まり、
『…………』
 その全員が目を見開いて硬直した。
 ただ一人胡太郎だけが、頭に疑問符を浮かべて仲間達の突然の顔芸を見遣っていた。
「どうしたの、皆? まるでお化けでもみたような目で──」
 くいくいと指先を背後に向ける仲間達。胡太郎は更に疑問符と、そして苦笑を浮かべてそ
う言いつつゆっくりと振り向いて、
「…………え?」
 彼もまた、驚きのまま硬直した。
 六人が驚くのも無理はなかった。何故なら彼らの背後から近づいていてきたのは見も知ら
ないようなただの人ではなく、
「やぁ、こんにちは」
 胡太郎と瓜二つの姿をした人物であったからだ。
 胡太郎(?)は、鏡を見ているのかと錯覚する自分自身の姿に驚く胡太郎、そしてその後
ろで同じ人間がその場に居合わせているという状況に目を丸くする五人に向かって、にこり
と微笑んで挨拶をしてきた。実に胡太郎らしい、同じ穏やかな声色で。
「ちょ、ちょっと、コタロー。あんたって双子の兄弟とかいたっけ?」
「い、いないよ。僕は一人っ子の筈だし……」
 自分のあずかり知らない所で離れて暮らしていた、という事でもなければ。
「じゃあ何で、お前と瓜二つの人間が二人もいるんだよ?」
「わ、分からないよ。僕だって……」
「…………まさか」
 混乱して互いに問い掛ける胡太郎達の中で、篤司は静かに平静さを取り戻しているようだ
った。眉根を寄せて胡太郎(?)を睨みながら小さく呟いている。
「ふふっ」
 その様子に気付いたのか、胡太郎(?)が動いた。
 いや、正確には掌で顔の半分を覆って薄気味悪く笑ったのだ。するとどうだろう、突然彼
の輪郭がザザザッと霞み始めたのである。まるでテレビのモザイク処理のように。
 その変化に更に驚く六人を尻目に、そのモザイクはより強くなっていき、遂には、
「そう」
「君の」
「思っている」
「通りだよ」
「……ご名答」
 次々に別の人間の──陽菜子、春市、環、沙夜、篤司の姿へと順繰りに変化していく。声
色もそのオリジナル、本人と寸分違わぬもの。勿論皆が全員双子だという事ではないのはも
う明白だった。驚きのあまりに声も出ないままの六人を眺めながら、まるで百面相を体現し
たかのようなその人物は、最後に一人の女性の姿となってその場に佇んだ。
 驚きのまま、暫く静寂の中で硬直したままの胡太郎達。
 ──カシャッ!
 その硬直を解いたのは、何処からともなく聞こえてきた僅かばかりのフラッシュ音。その
方向に振り向くと、いつの間にか池の前の柵に青年が一人、寄り掛かっていた。携帯電話を
向けながらにやにやとこちらを見ている。先程の様子を撮影されたようだ。
「ははは、いやいや、面白いなぁ。こんなに見事に引っ掛かってくれるなんて。あぁ、智、
もういいよ。ご苦労さん」
 携帯電話のディスプレイに映った胡太郎達の驚愕の様子を再度一瞥し、一人爆笑。青年は
静かなひょうたん池を背景に子供みたいにけらけらと笑い、携帯電話を閉じてポケットにし
まい込んだ。そして彼に智と呼ばれた先程の女性はこくりと小さく頷き、ゆっくりとした足
どりで彼の傍らに近づき、立った。
 一方で、胡太郎達の表情は驚きから不機嫌、警戒心に満ちたものとなっていた。距離をお
いて佇んでいる青年と女性に向き直り、じっと睨みを利かせている。
「何なのよ、あんた達」
 あからさまに警戒心を発しながら環がむすっとした表情で問うた。だが、そんな表情すら
も面白いのか、青年はにやにやと笑っていた。
 青年は目鼻立ちも悪くない。いわゆるイケメンの部類といってもいいだろう。だが、その
笑顔は相手を和ませる為のものとは言い難かった。胡太郎達は初対面だが、ややあって悟っ
た。この笑顔は悪意だ。相手を、いや自身を取り巻く周囲を見下し、気の向くままに蹂躙し
ても何の罪悪感もない。奥底にそんな悪意を閉じ込めて、表面上では相手の気が緩む瞬間を
じっと待ち構えている、そんな上っ面。
「……お前達、能力者だな」
 彼らではなく、篤司が確認するように環の発言を上書きした。
「うん、そう。君達と同じだよ」
 青年は貼り付けたような笑顔のまま、さも軽い話題に答えるかのように返した。その返答
を受けて、胡太郎達は更に身構える。青年はその様子すらも笑って見遣り、傍らの女性は微
動だにせずに虚ろに見つめている。
「チッ……やっぱり他にもいたのか。で? 何の用だよ。こんな手の込んだ性質の悪い悪戯
なんてしやがって」
 先程の女性によって、自分達がどうやらはめられたらしい事はもう分かっていた。
 晴市が苛立つようにして二人を睨みながら、そう拳を握って突き出した。青年はふふっと
笑い、数歩前に出た。
「何、ちょっと君達と遊びたいなって思ってね。こうして呼び出して貰ったんだよ」
「遊びだぁ?」
「……舐められてますね、完全に」
「…………」
 それに呼応して、篤司と沙夜が前に出た。
 薄ら笑いと敵意。両者の視線が暫し交錯し、ぶつかる。胡太郎はごくと息を飲んだ。ちら
と横に目を遣ると、神妙な面持ちの環と彼女の腕にしがみついて不安そうにしている陽菜子
の姿、そして更にその後ろで眉根を寄せて黙り込んでいる晴市の姿が見えた。
「で? 誰から遊んでくれる? 何なら全員一緒でもいいよ」
 青年のその言葉が切欠となった。
「……心配するな。すぐに、終わらせてやる」
 ダンッと篤司が地面を蹴った。鋭い素早さと躍動。一気に青年との距離を詰め、脇を締め
て力を込めた右ストレートが彼に向かって伸びる。
「あ~……そういえば、言い忘れてたなぁ」
 しかし、その霞むような速さの拳を青年ははしっと軽く掌を翳すようにして軽々と受け止
めた。むっと眉根を寄せる篤司に、にこにこと笑いながら、
「あんまり僕の近くに近寄るとさぁ」
 ひゅううと風が吹いた。冷たい。始めは僅かな違和感だけだった。だが、その違和感は急
速に冷気として渦巻き始める風の筋を目の当たりにする事で確信へと変わる。
 最も青年の至近距離に詰めた篤司も例外ではなかった。
「……凍っちゃうよ?」
「ッ!?」
 それは、自らの右腕が急速に凍っていくという異常事態を目の当たりにして瞬時に解され
ることとなったのだから。
「う、嘘……」
「まさか、あれが、あいつの能力か」
 ぐぉっという短い篤司の悲鳴。青年はそれに耳を貸す事もなく、左足をぶらんと反動をつ
けるとそのまま彼の脇腹へと蹴り込もうとする。しかし、すんでのところで篤司が無理やり
腕を振り払ってゴロゴロと地面を転がりながら受身を取って後退した為に、その一撃は空振
りとなる。青年の左足から、冷気が迸っていた。
「くぅ……」
 地面を転がり、篤司がよろよろと立ち上がる。しかし、その右腕の肘から先は完全に凍り
付け状態と化してしまい、彼が力を込めようにも指一本動かない。
 ぎろっと、薄ら笑いを浮かべてゆっくりと歩いてくる青年を篤司は睨みつけた後、
「逃げろ! 近づかれたら、やられるっ!」
 必死の形相の叫びだった。
 ひょうたん池周辺の空気が一瞬張り詰める。そしてややあって、その叫び声が染み込むよ
うに、仲間達はめいめいに駆け出した。逃げろ、自分達では手に負えない。篤司がそう言っ
ているように聞こえた。
「近づかれたら……か」
 それでも青年は冷静、いや冷酷だった。
 四散して逃げる六人を眺めながらぽつりと呟くと、そっと掌を地面に翳した。ひゅううと
冷たい風がたちまち集まって渦を作り、青白い蠢く球体が形成される。
「そうでもないよ」
 つん、と青年が指先で冷気の球体を押し出す。
ゆっくりと地面に向けて動き出した球体。その緩慢な動きはそれでいて、爆発前の時限爆
弾から逃げる人々のスローモーションを思わせた。
 そして地面に球体が触れた瞬間、寄り集まった冷気は拡散し、青年を中心に、前方へと扇
状に広がりながら地面を猛スピードで凍らせ始めた。雑草も、砂利もあっと言う間に氷の中
へと包まれていく。
 胡太郎達は全速力で逃げながら、その追いかけてくる冷気の波を見て目を見開いていた。
 これではまるで、雪崩に巻き込まれたスキーヤーではないか。
 地面を凍らせるだけでは飽き足らず、冷気の波は所々に小さな氷柱をも形成しながら胡太
郎達へと迫る。六人は必死に逃げたが、その速さには勝てず、一人また一人と足を取られて
凍りついた両足を抱えて転倒してしまう。そこへ身体全体を冷気が包んで完全に身動きを封
じていく。それそれの悲鳴が飛んだ。ばたりと倒れる音が凍りついた地面に吸い取られた。
 僅か数秒の逃避行。六人は、凍りついた地面に張り付けられてしまったのである。
「くっ、う、動けない……」
「こ、こんなの反則よぉ……」
「さ、寒い……」
 もがくものの、身体のあちこちに纏わり付いた凍りはそれで剥がれる事もなく、胡太郎達
をしっかりと地面に固定していた。青年がふふっと笑いながらゆっくりと歩いてくる。
「別に近づかなくても凍らせちゃえるんだけどね」
 掌には再び冷気の渦が集まり始めていた。青白い悪魔を見るような光景。
「……さて、もう少し凍ってみるかい? 急速冷凍ってのはさ、殺さないんだ。素早く瞬間
的に凍らせちゃえば人間だって保存が利くんだよ」
 それ以上に、青年自体が悪魔に見えた。いや、既にこの力をこうまで躊躇なく人間に向け
ている事自体が既に尋常ではなかった。胡太郎達は何も言えず、悔しさと恐怖感がない交ぜ
になった自分の心と必死に格闘する。絶体絶命、そう思った。
「──やれやれ。しゃあねぇなぁ……」
 その時だった。
 ポツリと諦めか、決意か、入り混じった声がしたかと思うと突如、ごうっと凍りついた地
面の一角に大きな火柱が上がったのだ。動けない体勢のままで、胡太郎達はその方向に目を
遣ろうとする。
 ジュゥゥゥ……という熱と融解の音。火柱の上がった痕には凍りついた地面はなく、他の
場所とは明らかな違い、雪融けがあった。凍り付こうとする波を遮るように、大きな熱を帯
びた輪郭がその人物を囲むようにして広がっている。
 青年が、笑顔のまま、その人物に始めて警戒の眼差しを向ける。
「……喰らい、やがれっ!」
 その視線が交錯するかしないか、そのタイミングで、握られた拳が反動をつけられて青年
に向けて突き出された。その腕は青白くではなく、赤い、熱のような黄を内包した炎に包ま
れており、その声に呼応するかのように渦を巻いて集まり蠢き、巨大な炎の鞭のようにしな
って真っ直ぐ青年へと襲い掛かる。
「くっ!?」
 青年もすぐさま掌の冷気を解放、瞬時に分厚い氷の盾を作って前方に展開する。
 それとほぼ同時に大きな炎のうねりは氷の盾に直撃し、その勢いを殆ど殺す事もできない
まま盾ごと青年を猛スピードで後方へと押し戻していく。じりじりと分厚い氷の盾が解かさ
れていく。その熱の侵食が青年の目前まで迫った時、彼はひょうたん池の柵にぶち当たって
尚、勢いに押されて跳ね上がり、八割方溶けた氷の盾と炎のうねりと共に豪快に池の中へと
叩き落とされたのだった。
 サブンッという重い音が周囲に響き渡り、消えていく。
 先刻の女性が、柵に身を寄せて青年が落ちた池を覗き込む。
 暫く呆然としていた胡太郎達ははっと我に返ってその炎を打ち出した張本人を見遣った。
「……どうして」
 環の驚き。それは皆も同じだっただろう。
「どうして、あんたが」
「…………」
 それは、突然腕先から巨大な炎を打ち出し、まだ指先にその火種が燻っているという非常
識な姿──まるで能力者のような真似をしてみせた仲間に向けた言葉。
「アツシ、なんで……」
 身動きが取れぬ中、唯一その呪縛から解き放たれ、熱が作る赤い輪郭の中に佇むように、
口数少なく、そして申し訳なさげに晴市が仲間達を見遣っていたのだから。

 意識の遠くで氷が熱で溶かされていく音が聞こえる。
 胡太郎達五人は、唯一人立っている晴市を見上げいていた。
「待ってろ、すぐにお前らの氷も溶かしてやるから」
 何故という疑問を傍らに置いて、晴市は歩き出した。先ずは一番近くにいた陽菜子の前に
屈み込むと、凍った部分にそっと掌を当ててじっと意識を集中させる、すると彼の掌が高温
を帯びたように赤くなり、同時に凍った部分をどんどん溶かしていく。
「お兄ちゃん……」
「……怪我はないか?」
「う、うん。転んだ時に少し擦り剥いただけ、かな」
「そっか。家帰ったら手当てしないとな」
 皆の視線が集まっている。晴市は陽菜子を氷から解き放つと再び歩き出し、環や胡太郎、
沙夜、篤司と他全員の氷をあっという間にその熱の腕で溶かし、仲間達を解放していく。
 よろよろと、自分達の動きを封じていた氷がなくなったのを確認しつつ立ち上がると、胡
太郎達は、今度は凍った地面を溶かして回る晴市に問い掛けた。
「……ハルも、能力者だったんだね」
「……あぁ」
 こちらには振り返らずに晴市は答えた。時折、パチンと指を弾くとごうと大きめの炎が広
がって、まとめて凍りついた地面を溶かしていく。
「な、なんで今まで黙ってたのよ。そ、そりゃあ言い難かったかもしれないけどさ」
「……それは悪かったって思ってるよ。でも、あの時に『実は俺もなんだよなー』なんて、
言い出せる訳ないだろう? 場の空気的にさ」
 一通り凍った地面を元に、水気を多少含んだ地面に戻し終えると、晴市はぽりぽりと頬を
掻きながら照れくさそうに言った。
「……そ、それはそうかもしれないけど」
 妙に真面目に申し訳なく静かな、いつもとは大分違う晴市の姿に、環はあまり強い態度に
は出られなかった。確かにあの日、クスノキ亭で彼も能力者である事を告白していたらどう
なっていだろうか。少なくとも余分なショックだけが増したのは間違いないだろう。
「実際に見せてやるわけにもいかなかったし。何せ、俺の場合こんな能力だろ? 加減を間
違えれば家一つくらい丸焦げになっちまうよ」
 確かに。彼の──炎を操る能力というのは諸刃の刃であるのは事実だろう。それは使い手
である彼自身もよく分かっているらしい。
「実際、これだけ加減できるようになるまで、結構苦労したからなぁ……」
 そう少し遠くを見て苦笑を浮かべる。
 なるべく軽い印象で済ませようとしていたようだが、先程のうねるような炎も然り、その
潜在能力の大きさは相当のものだろう。だからこそあの青年を押しやれたとも言える。
「……いつだ?」
「え?」
「いつから、使えるようになった?」
 押し黙っていた篤司が口を開いた。しかし、何故か晴市の様子がおかしい。いや、別にそ
んな事はいいじゃねぇの、とどうやら誤魔化したいような……。
「お兄ちゃん……」
 陽菜子がぐっと手を組んで兄を見上げた。心なしか表情は今にも泣きそうだった。突然、
まで能力者だと分かって動揺が隠せないのだろうか。妹の懇願に、晴市は暫く逡巡していた
が、やがて吹っ切ったようにため息をつき、
「……は、春休み前だよ」
 まるで罪を認めるような重苦しい声色で答えた。
「ん? 春休み前……?」
 そこで環も気付いたらしい。彼が返答を渋った意味。春休み前、「炎」の能力、晴市=野
球部員。ポツポツと引き出すキーワードがゆっくりと一本の線に繋がっていく。
「あっ……」
「もしかして……例の野球部のボヤ騒ぎって」
「……あぁ。俺の所為なんだよ。半分はな」
「半分?」
「ま、話すと長くなるんだけどよ……」
 罪を咎められたと思っているのだろう、晴市は何処となく元気がなかった。それともその
時の記憶が思い出されて苦しいのか。彼はぽつぽつと当時の事を語り始めた。
 事件が起きたのは一年生だった頃、春休みを間近に控えていた頃だった。その日、久しぶ
りに野球部に顔を出した晴市は煙たい空気を感じ、ふと部室裏へと行ってみたのだそうだ。
「で、そこで先輩らが煙草を吸っていたってわけ」
 晴市その時の事を思い出しながら、肩を竦めて続けた。
 見つかったという焦りがあったのかもしれない。先輩部員達は、たちまちその場を立ち去
ろうとした彼を取り囲んだ。口止めの為に。
「それでさ、俺ってそれまでは熱心に練習に出てるわけでもない、先輩らからすればあまり
気に食わない奴って評価だったみたいでさ……」
 いつの間にか、暴力が始まっていた。
「俺は篤司みたいな正義の味方、ってのは柄じゃないし、二度としないってなら目を瞑って
もいいって言ったんだ。俺も野球は好きだったし、先輩らを追いやってしまおうなんてのも
思ってなかったんだけどさ、それでも気に入らなかったみたいでよ。もう、煙草とかは関係
なくなったんじゃねぇかなぁ。その後は殴る蹴るだった」
 理不尽だった。悔しかった。
 彼らからの評価が悪かったのは、一所に中々落ち着けない自分の落ち度だったのかもしれ
ない。それでも素行不良を棚上げにして、指摘されただけで暴力を振るうなんて。
 感情が、火をあげるように燻るような気がした。
 握り締めた自身の拳に、突如ゴウッと炎が現れたのはその時だったという。
 その光景に彼自身驚いたが、その場にいた先輩部員達も大いに驚いたらしい。そしてボヤ
の元凶となった事態が起きた。
 先輩部員が持っていた煙草に、その火が引火してしまったのだ。
 更にいけなかったのはその先輩が驚いて、その煙草を思わず放り投げてしまった事。火を
纏った煙草はそのまま部室裏に積み上げられていたゴミに燃え移り、ますます火の手を強く
していったという。
「それからが大変だった。手の炎はそのどさくさで集中が途切たからか消えたけど、引火し
た方の火は煙を上げて燃えるもんだから……。先輩らは気付いたら一目散に逃げちまって。
それで仕方ないから、俺、水撒き用のホース延ばして来て必死に消そうとしたんだよ。様子
に気付いて顧問が駆けつけて来たのはそのちょい後だな」
 暫くの消火活動によってその火の手は鎮火したが、またその後が大変だったという。
 現場に煙草が落ちていたままだったので、部内での犯人探しが始まった為だ。幸い、消火
活動に顧問と共に尽力した晴市はあまり咎められる事もなく、その内、喫煙をしていた先輩
部員達が自首してきた事で一応の決着をみたという。
「……と、まぁこんな所だ」
 一通り話し終えると、肩の荷が下りたのだろう、晴市は大きな息をついていた。
「あのボヤ騒ぎにそんな裏があったなんてね……」
「お兄ちゃん、ずっと黙ってたんだね……」
「まぁ、黙るも何も『俺が火、出しました』なんて言えねぇし。結局煙草の不始末って話で
まとまって行ったから結局何も言えなくてよ」
「……能力絡みとなれば致し方ない、か」
 正義感の強い篤司は少し不服そうだったが、自身で強引に納得させたようだ。
「それにしても、春休み前となれば俺よりも早い事になるな。通りでこなれている筈だ」
「ん~……まぁ、お前ほどでなくても、あのまま不安定なままにしとくのは怖かったしな」
 活動自粛が解けた後、まめに練習に出るようになったのも、本当の事を黙っておかざるを
得なかった彼なりの贖罪の意識の一端なのかもしれない。 
 晴市が能力者だった事には驚いたが、彼の経緯を聞いて胡太郎達は不思議と安堵の念を覚
えていた。炎を出せる、という力があっても彼は彼らしかった。それが再確認できたから。
「──やれやれ」
 そう、安堵が六人を包もうとした時だった。
 ゆっくりと吐き出すような嘆息と共に、背後からバキィィとつんざくような轟音が響く。
 胡太郎達は振り向き目を見張った。ひょうたん池が凍り付いている。水面からは無数の荊
のように枝分かれした巨大な氷の触手が幾本も伸び、高く高く首をもたげている。
 その一本の上から、すとんと、青年が飛び降りてきた。
「服がずぶ濡れだ。結構高かったんだよ? これ」
 全身に雪山の遭難者のような凍り付いた痕がこびり付いている。しかし、それで身動きが
取れなくなっているという訳ではない。背後の巨大な氷の触手群を生み出した痕跡と見た方
がよさそうだった。
 仲間達を庇うようにして、篤司と沙夜、そして再び掌に炎を生じさせた晴市の三人が前に
立つ。青年は大丈夫ですか、と視線を寄越してくる先刻の女性に軽く手で制するポーズを取
るとふぅと少し長めに息をつく。
「やれやれ。予想はしていたけど、他にも能力者(カテゴリー3)がいたなんて」
「……すみません」
「あぁ、いいのいいの。報告してくれって僕も言ってなかったしさ」
 それよりも、と青年は軽く頭を垂れる女性をたしなめ、胡太郎達をじっと見つめていた。
 否、胡太郎達というよりも晴市を、という方が正しかった。青年の張り付けたような笑顔
がすぅっと不気味さを増す。
「……よりにもよって、炎の能力者かぁ。相性悪いなぁ」
「……心配すんな。能力云々以前にお前とは相性悪ぃよ」
「ふ。そうかい?」
 晴市の嫌味も、彼には通用していないようだった。相変わらず不気味なまでに笑顔でじっ
と晴市とその生み出す炎を観察している。
「しかし参ったな。脅し程度でいいって言われてるんだけど、君がいると後々面倒になりそ
うだしなぁ……」
 そして淡々と呟き、一度視線を外すと、
「──やっぱり、君一人くらいは殺ってしまおうか」
 突如、悪寒が全身を駆け巡るほどの強烈な殺気の眼差しでもう一度晴市を見た。
 同時に、背後の氷の触手達もバキバキと唸りをあげて動き出し、青年の頭上でぐぐっと身
構えるようにして静止、攻撃態勢を整える。
 こいつ本気だ……。胡太郎達に冷や汗が伝った。狙われた晴市も退くか否か、迷っている
ようにも見えた。いくら自分が標的になったとしても仲間達を逃がすかは分からない。そん
な思案が駆け巡っている。
 そして青年が、ゆっくりと片手を挙げ、氷の触手達を動かそうとした、その時だった。
「君達、そこで何をしているっ!」
 胡太郎達の背後からの、威圧感が込められた叫び声。
 振り返ると、向こうからコート姿の男性が走ってくるのが見えた。晴市は咄嗟に慌てて、
胸元で隠すようにして掌に灯した炎を消す。青年と女性も彼の姿を認めると、
「……涼介」
「仕方ない、か……。退こう」
 そのまま背後に振り返り、その場を足早に立ち去っていってしまう。環がそれを見咎めて
声を出そうとしたが、その時には既に二人は緑地公園の多重の緑のカーテンの向こう側へと
消えた後だった。
「……大丈夫か、君達?」
 コート姿の男性は駆け寄り、先ず胡太郎達に訊ねた。変化する状況に正直言ってついてい
きかねていた感はあったが、
「はい。大丈夫です」
 沙夜がぐっと背筋を張り、六人を代表して答えてくれた。
 そしてその段階で、胡太郎はその男性の顔に覚えがある事に気付いたのだった。
「……三枝、刑事?」
「ふぇ? あ、本当だ」
 胡太郎の呟きに、陽菜子も彼をじっと見、記憶を呼び起こしていた。
「? 確かに私は三枝だが、何故私の名を?」
「あ~……その、前に芦田さんに会ったんです。あなたの部下の。その時にちょろっと」
「芦田に? そうか」
 環が少し顔を引き攣らせながら補足する。三枝の放つ威圧感からか、それとも芦田と会っ
た時の状況を呼び起こしてまた後ろめたくなっているからか。
 三枝は彼女の言葉に、小さく何か言ったようだがそれ以上言及する事はなかった。
 そして、胡太郎達の無事を確認すると視線を移し、ひょうたん池──今や氷の触手群とい
う少々趣味の悪い氷のオブジェに目を遣る。
「……何だこれは。ここだけ氷河期でも来たのか」
「う、あ、えっとそれは……」
 まずい。胡太郎達は焦った。流石にこれだけの異様な光景を簡単にはごまかし切れない。
何とか話題を変えないと、そう思ったのだろう。環が青年達二人の逃げ去った方向を指差
して、少し大袈裟めに訴えかける。
「あ、あの、私達知らない人達に襲われそうになったんです。あっちに逃げました!」
 中身はだいぶ省略しているが、大筋は間違ってはいない。胡太郎達もそうですと頷いて、
神妙な面持ちの三枝を促した。
「……そうか、分かった。これから追い掛けよう」
 そして三枝はその場から走り出そうとし、
「君達はもう家に帰りなさい、いいね?」
 そう胡太郎達に言葉を残すと、青年達二人の逃げ去った方向へと走り去っていった。
やがてしんとなったひょうたん池(奇怪な氷のオブジェ付き)の周辺に、暫くの間、胡太
郎達は立ち尽くす。
「……何とかごまかせたかな?」
「多分な。さて……お前ら離れていろ。このデカブツを溶かす」
 再確認するように彼らが立ち去った方向を覗き込む環の横を、晴市が通り過ぎった。水面
が凍り付き、何本もの氷の触手のようなものが林立するその光景を、先刻までの恐怖の記憶
を消し去ろうとするかのように、その両腕に火力を高めた炎が燃え滾る。
「……一体、あの人達はなんだったのかな?」
「分からないよ。僕にだって……」
 瞳に、燃え盛り青年の残した氷を包み込みながら溶かしていく炎の色が映る。
晴市の作業を遠くに見ながら、胡太郎達は夕暮れの公園で戸惑い、佇むのだった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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