日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)おひとりさまの行く末は

春春夏夏夏夏夏秋冬冬(※感じ方には個人差があります)

という訳で、秋終了のお知らせ。……もう暦的には冬の走りですからね、仕方ないね。
最早例年のことになるつつある秋の穏やかな時間の短さ。日を跨げばあっという間に冷えが
先行し、自分も面倒ながら衣替え(半袖と長袖をごそっと入れ替える作業)をする為に重い
腰を上げざるを得なくなりました。
早いよ。いや、そもそもこんなものだったんだっけ……? どうにも季節の移ろいが早過ぎ
る気がする。というより春を熱っぽく、秋の期間を押し退けて夏が幅を利かせ過ぎてるんだ
と思うんですが……。嗚呼、忌々しい(^ω^#)

そんな訳で、今月も最後(四回目)の雑記です。こんにちは、長月です。
カレンダーの関係上、今月は連載二本を上げ終わってからの空き時間は少し多めに取れるよ
うになっています。先日からツイッタ(小日記)でも呟いていますが、三題の準備などを除
けば基本的に件の習作のtktk作業に集中している状態です。
尤も、月が変わればまた例の如く自らの執筆スケジュールで忙しくなって一旦止まらざるを
得なくなるんですがね……。長いものでユー録も次回の更新で七十九章。第Ⅵ部もいよいよ
終盤に差し掛かります。どうか気長にお待ちいただければm(_ _)m プロットの残弾……。

ここの所、久しぶりにtktkが形になりそうなのもあり、珍しく創作熱が密度をもって滾
っています。よく情熱というエネルギーは一つの何かに対してのみ発揮されるし、そもそも
発生する理由自体がその何か一つとは云われるものの、熱くなるのは自分のキャラではない
というか、変なブレーキが片方では働く癖がついているのか、何だか馬鹿みたいですが。

欲を言えば、もっと可処分所得ならぬ可処分自由時間が欲しい。でもほぼ間違いなく暇だけ
がポンとたくさん出来ても、正比例で能率が上がるものでもないんだろうなあと……。執筆
モードの時だってそうですもの。たとえ一日休みがあったって、その全部を作業に費やせる
ような集中力・耐久力はしていない。可処分な時間を消費しても、休みを挟まねば寧ろ効量
は下がっていく一方……。物書きに限らず、同じことだと思います。

そういう意味では、作業場へお仕事に出ている時間も無駄ではない筈(給料とはまた別の)
以前からもごちているように、脳内イメージを捏ね回す暇だったり、或いは昼休みにもっと
物理的に寝ているような回復用時間をそれとなく確保していることだったり。急がば回れ、
とは言ったもので、如何せんもう若さの最盛期は過ぎているのですから、素直に休み休みが
結局最適解ではあるんだろうだなあと。つい口癖のように出てしまいますが「もっと」も過
ぎれば二兎を追う者(ry にもなりかねない。

はてさて、積み上げ続けて何と成るのやら。何処へ届くのやら……φ(=_=;)-3


『テレビも観ないし、雑談(はなし)もしない。あんたそれじゃあ結婚もできないよ?』

先日の事です。夕食時、母が友人とランチに言っていた話をし始め、それに比べて父(旦那)
がそういうのに連れていってくれることがないと愚痴るのを聞いていた時です。
「行ったとして、何を話すんだ?」と渋面で答えたことがあるという父。同じ男だからか親
子だからか、その意見に至極ご尤もだと頷いたのですが、それがどうやらいけなかったよう
です。自分に味方しなかった母の不満は、今度は上記のように僕自身に向けられました。

小さい頃ならいざ知らず、確かに僕はテレビを観なくなりました。家人が点ける際に居合わ
せてというパターンこそあれ、もう基本的に僕は自分からテレビを観ようと点けることは皆
無になって久しいです。例外があるとすれば気象情報や知識系の番組でしょうか。
過去の雑記でも言及しているように、創作(執筆)活動を営む僕にとってテレビの音は今や
“雑音”以外の何物でもなくなりました。
こちらの都合などお構いなしにぎゃあぎゃあと騒々しい大人数の声、勝手に向こうから入っ
てくる品性なき笑いの合いの手、こちらの思考・脳内イメージを邪魔して自己主張してくる
諸々のCMの喧伝──。そもそもニュースなどは早さも含め、殆どネットで事足りますし、
これだけ各種既存メディアごとのイデオロギーの偏り(フィルター)の存在が叫ばれている
以上、それらを鵜呑みにして無思考に嬉々とする訳にもいきません。
なので、確かに「話題」という意味では、僕は世の人々とあまり話が合わないのでしょう。
メディアや世間が騒ぐファクターを出汁に益体のない言葉を交わすより、そこから離れてで
も自分の興味・関心を掘り下げていた方が楽しいという感覚です。……母の口撃というか、
懸念は分からなくもないんですけどね。こうした「話題」は他人とのコミュニケーションを
橋渡しするツールとしても機能しています。それを意図的に絞ることは、必然自身を孤独に
する結果にもなるのですから。
(今後、社会復帰した際の孤立が心配? いや、そもそもこういう頑なな性分だからこそ、
普通のレールに馴染めなかったとも言えるが……)

もっと拗らせていた最盛期──作業場にも繋がらず、療養ニートを続けていた頃なら、今回
のような一言は寧ろ鼻で哂っていたんでしょうね。そんな“程度の低い”会話、自分の時間
を割いて加わる価値もない、とか何とか。まぁ実際、雑談自体に高尚な「意味」を求めても
無理ではあるんでしょうけども。究極「意味」らしい意味などなく、自分と他人、或いは場
を繋ぐものな訳で。高い知識・見聞として吸収するに値するもの──ではない場合が大半で
すね。だからこそ余計に僕ら思考の徒はこういう営みに価値を見出し難いのですし、人間と
いうものをネガティブに捉え続けているなら、きっとこれらとこれらを肯定する周りの他人
びとを“凡俗”と切り捨てて厭わなかったのでしょう。

ですが、多少なりとも厨二病険の取れた現在は、そこまで極端には考えなくなりました。
要らぬ優しさ──優柔不断になったとも言えなくもないですが、そう見下して哂う“凡俗”
に自分がならないなんていう絶対の自信、持ちようがないですからね。志はともかくとして
基本的に僕らは皆凡人止まりなのです。仮にどれだけ卓越した技能を持てたとしても、世が
認めなければ“天才”とは認知されないのが現実です。少なくとも磨き続けること、磨いた
何か一つ二つの技能が身を助けることを自分一人で背負い、信じてやることぐらいしか現実
にはできないのですから。
……何より、老い始めた両親の言葉というのが大きいのでしょうね。僕自身が福祉系の職場
に勤め、大なり小なり介護のお話を耳にするようになった点もあるでしょう。これから十年
二十年と先、この家はどうなるのか? その時、僕は両親を看れるのか?

僕は長男です。そんなの関係ないと言えばそうかもしれませんが、基本的に年老いた両親の
世話はこの自分に回ってくることになるでしょう。兄妹はいますが、あっちは街に出てしま
っているのでまず期待はできません。しっかり者なんですけどね……。考えるだけでも絶望しかあり
ませんが、そもそも僕自身、未だ独立した生計すら立てられていないのです。なのに結婚だ
なんて無理もいい所です。年齢的にも性分的にも、他人と──しかも異性と毎日同じ空間の
中に居続けるだなんて、考えただけでも耐えられません。ギブミープライベート。自分すら
背負い切れず、他人(親)にフォローして貰っている人間が嫁や子供を背負える訳がない。
まぁ根本的に相手がいないし、願望自体ないってのが一番のネックだけれど……。

一昔とは違って、今はもう絶対何がなんでも結婚しなければいけない、という時代ではなく
なりました。ただこうして歳を重ねていく親を観ていると、結婚だの家庭だのという仕組み
は世が厭う点と同じくらい、昔からセイフティーネットとしての側面を担ってきたのだなあ
と思います。
結婚し、子供を産むのは何の為? 子孫を残す。そういう生物学的な意味ではなく。
こと人間のコミュニティにおいて、それは「自分の老いと死をカバーしてくれる他者を確保
する為」ではないかと思うのです(勿論他にも理由は色々とあるんでしょうが)衰えてゆく
自分を支える為に、成る丈若い内から後継者を育てておく。それもその若い内の大半を費や
してでも。そしてその子もまた、子(孫)を為して衰えゆく自身を、孫もまた曾孫を為して
衰えゆく自身の……(以下略
勿論、同族だけでこれを賄うなんてのは現実的に不可能です。だからこそ一昔は地域コミュ
ニティ全体の共助があり、今日では介護事業──老いをカバーする代行業が広く林立してい
るのでありまして……。『老人に金を掛けても明日はない』なんて昨今保守層の御仁は言っ
たりもしますが、実際誰しも老人と化すのだから全部切り捨てるのは無理があるでしょう。
切り捨てられると分かっていたら、益々“現役”にしがみ付いて無茶をしかねない──別の
今ある現象で言えば『年寄りが色気づく』のを推奨するような風潮など……。

割と絶望しかない。
でもそこを乗り越えて、親の面倒も看れるぐらいに独立してやっと一人前、なのかもですが。

それでも、昔ほど捻くれなくはなった(と自分では思っている)心算でも、やはりこういう
ことを考えているとこの一念に行き着きます。

“そこまでして生きる意味って何だ? そんな事の為に僕らは生まれてきたのか?”

あくまでいち手段としての子孫だとは理解しても、それでも根本的な問いは止められない。
でも生を繋ぐこと自体に疑問を差し挟むのは、生物としてのタブーでもある。そこに意味を
問うてはいけない。答えなんて出せないからだ。出せなければ、じゃあ繋がなくてもいいや、
俺は俺を生きると考えて老いた同胞を極端に省みなくなってもおかしくはない──実際人間
の社会ではそれが個人主義という名称の下、既に広く起こっている。

僕の人生は、僕だけのものだ。
だけどそこに他人びとの言動が影響しているように、僕のそれが誰かの人生に影を落とす可
能性だって充分にある。自分の興味・関心だけに没頭して生きている心算でも、その実他の
誰か無数がインフラを支えている。その恩恵を受けている。それを無視して、一人で生きて
いるなんてのたまうな馬鹿者──どうしようもなく、お互いを縛り合うしかない僕達……。

さあ、助け合おうよ(同調圧力)

皆さんのお陰ですと言えば美化され、自分の力だと言えば傲慢と詰られる。

生の連続性。連綿として続いてきたもの。

だけど僕にはしばしば、そういったものがどうしようもなく暗く重苦しい、枷や檻のように
思えてならない時がある。

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  1. 2016/10/26(水) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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