日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)信仰という名の魔力

今月も気付けばもう折り返しを迎えようとしていますね。こんにちは、長月です。
嗚呼、創作したい。けど生計とかキャパとか時間とかが足りない……分身したい(何

以前から思うほどに創作の実務に掛かれていないんじゃないかとぼやいている自分ですが、
そんな感触と同じくらいに疑ってしまう事があります。
それは──自身の小説に対するマンネリ感。
読み返す思い返す度に、どうにも「現代社会+(ラノベ的)属性」という型の中で捏ね繰り
回しているだけなんじゃないかという矮小さへの危惧です。
似た毛色でもそこを上手く自分なりに味付けし直すのが物書きの本領発揮……。確かにその
側面はあります。ですが、では実際具体的にどうすればオリジナリティになるのか? そこ
を問われると答えに窮するのが実情だと思うのです。引き出しが、足りない。

しかし、先日友人知人との語らいでそんな思考に喝が入れられたように思えました。
創作と言っても様々な畑の方がいます。そして彼らが手掛ける物語世界の豊かさ、多様さに
自分はハッとさせられたのでした。
引き出しが無いと嘆いていても、現実にはこんなに多種多様な(デーィプな)属性が方々に
群れているじゃないか。なのに自分は何て狭い属性の中で唸っていたのだろう……と。
(直接そう言われたのではありませんが)改めて精進の必要性・継続性を内心で噛み締めた
一コマだったと思います。
この場を借りてではありますが、皆さん、良い刺激をありがとう(^o^)ゞ


そして……。ハッとさせられた思考の過程で思ったことがあります。
それは僕も含め、人間というのは往々にして意識無意識を問わず、何処かで己の認識という
点での“セカイ”を閉じてしまうものなのかなぁ?ということ。
確かに、思索とは続けても続けても終わりというものが無いものだと思います。
(むしろ一人の頭の中で完結するような類の性質ではないのでしょう。何人にも渡り、過去
から未来へとバトンタッチしながら練り続け、最善解を模索する事自体が存在価値なのかも
しれません)
ですが、それでも僕はやはり考えることを諦めてしまっては、放棄してしまうべきではない
と思うのです。……尤もこんな事をのたまっている僕自身、既にそうした思考の「中毒」に
陥っていると指摘されると、正直否めない所ではありますが;
──思考とは、辛い。
繰り返しますが思索というのは究極的にこれという答えの出ない営みです。
だからこそ多くの人にとって、これらは徒労であったり不毛だと感じ、或いはそれ自体に不
快感を覚えるのかもしれません。
──何故?
思考の出発点は殆どがそこにあります。でも人間一人にとり、世の中(少なくとも自分が接
する)全ての事象に対して一々意味や価値を問い掛け解決していくのは非常にエネルギーを
使うことでもあります。
だからこそ……人は『宗教』という精神衛生上の制度(システム)を作り出したのではない
でしょうか? 少なくともその教えを信仰していれば、多くの「答え」をシステムの側が用
意してくれるからです。
即ち人々にとっての救い──押し寄せる疑問への防波堤だったのではないか、と。

ですが、近代になってそうした前時代的「魔術的」信仰は科学の発展と共に否定されてきた
部分があります。無理もありませんね。アプローチが違うとはいえ、科学はある意味より強
烈な論理性を以って多くの疑問に「答え」を出し、僕らに示してきたのですから。
欧米など──というより所謂宗教家の方々はそうでもないのかもしれませんが、今の時代は
もうそうした昔ながらの宗教というのは随分“胡散臭いもの”にされてきているような気が
します。幻想的な信仰の中に身を隠すことが許されなくなっているのかもしれません。

しかし……だからといって広い意味での「信仰」は決して消えてはいない。むしろ激化して
いる節さえある。
ネット上などでもしばしば耳にすると思いますが、何か特定の何か(例えばアイドルなど)
にのめり込んでいる人を揶揄して『信者』と呼ぶような形態が散見されるのは周知の通りか
と思います。
そしてそれらの「信仰」の如何(有無)は時に人同士を大きな諍いに落とし込んでしまう事
も珍しくはないのが今日ではないでしょうか。
偶像(アイドル)を信奉し、彼ら彼女らへの否定的発言を“狩る”人々。
特定の利益利権にすがりつき、他者の批判があっても突っ撥ね続け押し切ろうとする人々。
そんな彼らを高慢だ偏向だと批難し、その打破を訴え立ち上がる人々。
彼らは皆、自身の「信仰」を「正義」だと“信じて”主張しています。
ですがその“狭められた眼”──それ以外を排除する姿勢こそが争いとなる事を、何故彼ら
は理解しようとしないのか……。
遠く海の向こうで宗教の違いから長年いがみ合う文化圏、国、民族。
僕らは時にディスプレイ越しにそれらを哂います。
ですが果たして、僕らは彼らを嘲笑する資格などあるのでしょうか?
形は違っても、僕らもまた「信仰」という罠の中に生きているのではないでしょうか。

正義の対義語は悪ではない。正義(思想)Aも、正義(思想)Bも、CもDもEも対立する
のではなく並立しているのであり、そうあるべきで。
殲滅し合うのではなく、許し合えるように。
そうした心持ちが、きっとセカイの多様さを担保してくれる筈で。
「信仰」はそれ自体を目的にしてしまうと認識の眼を狭めてしまう──そんな悪癖を持って
いるのではないか。僕はそんなことを思ってしまいます。
何よりも、一介の物書きとして「信仰」などに囚われて言葉が人を豊かにするのではなく、
他の異なる信仰者を攻撃する為に専ら用いられる傾向に、僕は悲しさや虚しさ、悔しさを覚
えてならないのです……。

「どちらかではない。少なくとも貴方達には与しない」
人によってはそれすらも一種の(気に食わない)別の信仰と映るのかもしれません。
それでもやはり、僕はできうる限り認識の眼を広く広く持ちたいなと思います。
折角の、短くそして一度きりな人生なのです。
できる事なら、よりたくさんのセカイを見ていたい、知りたいじゃありませんか。
(でもここで押し付けがましいと、それこそ“信仰の勧誘”になるのだろうなぁ……^^;)

スポンサーサイト
  1. 2011/10/14(金) 21:45:00|
  2. 【雑記帳】
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-〔9〕 | ホーム | (雑記)限られたセカイで僕らは>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://higurasisouann.blog27.fc2.com/tb.php/78-952ae837
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

訪問者累計

最新記事

最新発言

検索窓

月別履歴

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

分類/索引

【案内板】 (2)
【小説:短編】 (20)
本の蟲 (1)
硝子野不動産店 (1)
夏の日の幻影 (1)
四番線の彼女 (1)
夢視の宿 (1)
線を曳く町 (1)
炬燵の神様 (1)
三者三盗噺 (1)
色眼鏡 (1)
奴らは攻城戦師 (1)
詰め替える (1)
同じ籠の狢 (1)
二十年後の遺言 (1)
轍の先 (1)
水に流せば (1)
真夜中の御二柱 (1)
いつか見た夢 (1)
神様達の初詣 (1)
白い花束 (1)
丸の代償 (1)
【小説:長編】 (144)
Amethyst League (6)
アンティーク・ノート (3)
ユウキのヒカリ (5)
NIGHT GUNNERS (5)
レディ・ルーン-Bonds of RU'MEL- (6)
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- (84)
死に損いのデッドレス (5)
Dear SORCERY (4)
サハラ・セレクタブル (26)
【企画処】 (324)
週刊三題 (314)
その他参加物 (10)
【資料庫】 (15)
【落書帳】 (6)
【詩歌帳】 (6)
【雑記帳】 (309)
【読書棚】 (30)
【遊戯倉】 (23)
path. (4)
decide: (3)
ユー録FW (15)

記事録

交友関係

このブログをリンクに追加する

(RSSリンク)

(QRコード)

QR

@long_month からのツイート