日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)限られたセカイで僕らは

連休が終わってしまいました<(^o^)> 休息ばかりで何やってたんだろう……。いやむしろ何
かにつけて寝過ぎなんですよね。どれだけカラダが疲れているんだと。睡眠欲や食欲は人間
の根本の欲望とはいいますが、まさか物欲を肯定し始めたからこっちも強くなってきたなん
てことはないのかしら……。
そっちはいいです、引っ込んでて下さい(切実)こんにちは、長月です。

創作も日々の営みも、どっちも抱えてこなしてみせる(キリッ
そう意を決して色々すべき事を順位づけて手を伸ばしてみている今日この頃なのですが、如
何せん狭く深くで生きてきた身だからなのか、中々「二束の草鞋」的な状態にはなっている
とは言い難い状況で……。自身のキャパシティの不足、物事に対する経験値の足りなさを痛
感している最中であります。


勿論、キャパはすぐには増えませんから、日々コツコツと物事を積み上げて経験としていく
他ないのでしょうか、正直言って焦りはありますね。
それは単に短期的に「劣っている自分」という客観視だけではなく、もっと長い目で見た場
合の自身の創作人としての位置、これから先の自分を思うが故であるのでしょう。

当然といえば当然の事なのですが、人の一生──時間は有限です。
俗に“人生は三万日しかない”という表現もあります(それを元にしたツイッタなどと連携
できる自己管理ツールなどもあるようで^^;)
それなのに、案外僕ら人というのは、今の自分がこれからも変わりなく続くと思ってしまう
節がある。安寧がずっと続くものだと思ってしまいがちであると言って差し支えないのでは
ないでしょうか。

しかし、現実に目を向けてみるとそうではありません。
外──権力やら何やら、他者からの影響を想起すれば世界は日々移り変わっている。ややも
すれば、というよりこのご時世だからというべきか、見渡せば金融危機やら政治不信、挙句
は国民そっちのけで利権の奪い合いを行っている始末(巡り回ってそのツケは僕らや未来を
生きるもっと若い世代、これから生まれてくる者達に降りかかるというのに……)
内──個人的な事情ともなれば、もっと逼迫することでしょう。
外からの影響で生活が苦しくなるなどといった事は勿論、それ以上に窮屈なのが、自分の思
うように心穏やかに生きることすらままならないというもどかしさなのでしょうね。

自分のキャパシティ、それ以上に限りある生、時間というものの有限さ。
そんなものを考えると、僕個人、一介の創作人としてつい思いを馳せてしまいます。
果たして僕は、創作人としてどれだけのものを残す事ができるのだろう……?と。
「そんなことよりも生計を立てなきゃだろ」という突っ込みは勿論です。ですが、僕がまだ
青いからなのか、そういうリアル“だけ”で生を磨耗していく人生というのは、本当に意味
のあるものなのだろうかと疑ってしまうのですよね。
だからといって創作活動をし、何か意味が残せるという保障などある筈もないのですけど;
(プロになれば多少は違うのかもしれませんが)
そう思うと、一体自分達は何のためにこうして日々を営んでいるのだろう?
そんな余計な──現実主義的な営みにおいて“余計”な──思考が脳裏を掠めるのです。
残せるものに、果たしてどんな意味があるのか。いや……そんなものなど無いのか。
その有無を問う時、僕は怪しく、そして虚しさを覚えてしまいます。

だけど──そこで全部投げ捨てちゃ駄目なんだろうなと、何とか自分なりに理性と前向きな
心持ちを保とうとしながら、思うのです。
確かに、僕らにできる事は限られている(一見何でもかんでもできるマルチな方もいない訳
ではないのでしょうけど)個人の器・技量、そして時間という大きな摩耗性の器は有限で。
それでも。それでも……自分の成す何かは、誰かを支えることに繋がる筈です。
逆に何処かの誰かの成した何かが、自分を支える糧となる事もありうる筈です。
人は単なる烏合の衆じゃない。あってはならない。僅かな力でも、それらを集めてお互いを
助け、慰み、次へと繋いでいける。その為の社会じゃないか。
連綿としたリレーとでもいうべきもの。
一時は──いや、今でも「そんな終わりのない過程に、自分が押し込められるなんて嫌だ」
と思ったりもしました。もっと自分という個人を強く大きい者として見ていたかった。
ですが……意味というものは、自分一人で形成できるものなのでしょうか?
物語でもそうです。ただ書き記し発表するだけでは何処かに消える。でも、それを受け取っ
て残しておいてくれる、また何処かで誰かの糧になってくれる、その可能性があるからこそ
物語というものがそこでやっと「意味」を持つのではないかと。
凄く遠い遠いプロセスには違いなんだろうけど──今日の即金銭になるという事に価値が置
かれる考えとは随分隔たりがあるけれど──名作とされるものは、大概そういった歴史の末
に認められてきたものだとも言える訳で。
(そんな列席に名を連ねられるほどに自分が優れているとは思えませんがね^p^)

だからこそ、僕らは蓄積したものを閉じ込めちゃいけないんだと思うのです。
もっと自分の内から外へと。誰かに伝える為に。
勿論それを必要としない他者が大半かもしれないけれど、それでも閉じ込めちゃいけない。
人一人では埋まりきらない巨大な器という世界を、より良い知恵と経験と、何よりも沢山の
良き思いで満たす為に。
それらがきっと、僕らやその未来(さき)の誰かの糧になる筈だから。そう信じたいから。

知識や経験は確かにその個人の心身に宿るものだけど。
それらを朽ちていく前に、文章として残すことはできる。
物語も、そういう意味では遠回りだけど……セカイを記した案内書なのかもしれませんね。

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  1. 2011/10/11(火) 00:25:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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