日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「相続人」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:屋敷、見返り、燃える】


 その日、青年は決意していた。かの肥えに肥えた豚に自分が鉄槌を下すのだと決意した。
 これは“正しい”ことなんだ──彼はそう何度も躊躇う己の心に鞭を打った。躊躇う心が
未だ残っている己を弱いものとして強く強く詰った。
 奪ってやる。
 彼を突き動かしたのは貧困で、空腹で、そして怒りだった。
 これまで色んな仕事を点々としてきたが、どれも小さな汚れ仕事ばかりで、うだつも上が
らなければ収入だって微々たるものだ。なのに手持ちの金は、何かしら名目がついて矢継ぎ
早に払わされていく。
 先日、仕事をクビになり僅かな収入源も断たれた。金が無ければあばら屋な下宿すら追い
出される。殆ど着の身着のまま、鞄一つで寒空の街に放り出された。辛うじて持ち出す事の
できた私物の少なさが、改めて自分の惨めさを突きつけてくるようで悔しかった。
 ……何故だ。何故こんなにも上手くいかない?
 やはり自分が貧民街(ダウンタウン)の出だからか。元々金のない家に生まれたから、頭
も悪くて出来ることも少なく、仕事もしょっぱいものに限られる。その一方で金持ちに生ま
れた、ただそれだけで子供の頃から存分に与えられ、自分よりもずっと若いのにデカい仕事
をしている奴らを見る。理不尽だ。不平等だ。俺達は生まれる家なんて選べやしないのに。
 泥棒は良くない? まっとうに稼げ?
 五月蝿い。あいつらが持ち過ぎなんだ。本来俺達が使えていた筈の金までも奴らは根こそ
ぎぶん取って蓄えている。蓄えて、また自分の子供達にだけ恵まれた境遇を与え続ける。
 ……ずるいじゃないか。その癖、俺達には努力が足りないだの何だのと説教を垂れる。
 許せなかった。許しちゃいけなかった。黙っているままでは一生、このままだと思った。
いや、何とか食い繋ぐ事すらままならない。現に今、自分はこうして家を追い出され、空腹
と寒さで野垂れ死ぬ道を進んでいる。
 いいじゃないか。少しぐらい奪ったって。どうせお前らはこの先も俺達下々の人間から毟
り取ってその腹を肥やすのだろう? なら俺がお前らから奪い返して、世の中に戻してやる
のは寧ろ“正しい”ことじゃないか……。
 そう理屈を捏ねる。その間にも彼は、ギラついた眼で目的の場所を目指した。
 彼を突き動かしたのは貧困で、空腹で、そして怒りだった。燃えるように彼の中に激しく
点った憎しみの火は、この日彼を悪の道へと導いていた。
 目指すのは、この街きっての資産家・ユージーンの屋敷。
 以前から耳にしていた話では、この男は一代で莫大な財産を築きながらもそれを使うこと
を極端に惜しむという。いわゆるケチであった。欲望に目が眩み、誰にも心を許さない肥え
た豚。それがユージーンという男だと。
 まさに彼が憎むべき人物だった。自分に奪われても仕方ない、そんな男だと結論付けた。

 きんと寒い空の下、彼は猥雑な夜の街を駆け抜けた。
 男の屋敷は市民街(アップタウン)、この街の全てを一望できる高台の上に建っている。
 金を奪う。奪って、この地獄から脱出する。
 それしか考えていなかった。それ以外に思考を巡らせるのは無駄だと切り捨ててしまって
いた。怒りと憎しみに身を任せ、或いはそのまま破滅する事を望んでいたのかもしれない。
 なのに──。

「ああ。構わんよ。好きなだけ持って行くといい」
 なのに、当の本人はそう思いもかけない言葉を返した。
 屋敷へと忍び込み、その主の部屋へ押し入ったと同時に銃口を向ける。昔ゴロツキ仲間に
譲られた旧式の拳銃だ。まさかあの時はこんな風に使うとは思いもしなかったが。
 え……? 飛び込んできた返答に脳味噌が処理できず、彼はその場で固まっていた。視線
の先には今夜標的にした男が座っている。だがこれまで聞き及んでいた悪評や姿は、目の前
に映っている現実とは似ても似つかない。
 屋敷の主・ユージーンはベッドに下半身を潜らせて座っていた。シーツは何日も替えてい
ないのかくたびれているように見えるし、何より目の前の当人は今にもぽきりと折れてしま
いそうなほど痩せ細り、弱っていた。
 強欲でケチな大金持ち。
 だがいざ実際に飛び込んでみた先にいた当人は、どう見ても病に臥せった老人にしか見え
なかった。
「お前……ユージーン、だよな? この街一番の金持ちの」
「ああ。私の名前だ。同姓同名でもなければ、な……」
 驚きと動揺のあまり外しそうになった銃口を気持から持ち直して保持し、彼は念の為確認
してみる。少なくとも本人で間違いはなさそうだ。こちらが何の為にやって来たのかを即座
に悟ったのもあってか、フッと弱々しい苦笑すら浮かべている。
 これは、どういう事だ? 彼はにわかに高速回転し始める頭の中で考えた。
 資産家ユージーンは金を溜め込んで太っている。どうやらその情報は昔の事か、或いは尾
ひれの付いた話なのか。少なくとも目の前の当人は酷くやつれていた。それこそこの旧式銃
一発でも難なく始末できるくらいに。
「どうした? 持って行きなさい。そこのサイドボードに財布が入っている。一番上の引き
出しだ。暫く外に出れていないから、額は少ないかもしれないがな。もし足りないというの
なら金庫もある。そこの隅だ。番号は887359、だった筈だ。すまんな。歳のせいで物
覚えが悪くなってしまったよ」
 ほっほっほっ……。しかし笑いかけて、途中で咽て酷く咳き込む。
 彼はすぐには動けなかった。銃口を向けたまま、ぐらぐらと揺れてこの老人を見ている。
まるで意図が掴めなかった。もう抵抗できるような身体ではないからか。だとしてもこんな
にあっさりと金を、しかも金庫の中身まで差し出すなんてあり得ない……。
「……どういうつもりだ? そうか。俺が中を探っている間に呼び鈴を押す気だな」
「そんな物は仕込まれていないよ。確かめてみるかね? そもそも呼べる誰かがいるなら、
君一人ぐらいとうに捕まっていると思うが」
「うっ」
 そうなのだ。彼は弱々しいながらも向けられる微笑に気持ち仰け反り、顔を顰めた。
 正直ここまで屋敷内に忍び込めたのはおかしいとは思っていた。潜入前に一度ぐるっと周
りを調べてから忍び込んだものの、中には警備員どころか使用人の一人すら姿がない。お陰
でこの部屋──特に大きく重要そうな部屋と思しきここを見つけることができたのだが、そ
れを当の主人に指摘されてしまえばぐうの音も出ない。
 数秒の間、彼は逡巡した。しかし意を決して銃口を向けたままゆっくりと近付くと、先ず
はユージーンの枕元をざっと触って警報の類がないのを確認する。次いで銃を握る手は尚も
彼に向かって伸ばしたまま、サイドボードの中を検めた。白状された通り、手袋の中に革製
の使い込まれた財布が収まる。七万飛んで五百三十ガルク。少ない? 貧乏人には大金だ。
 ちらっと一度彼を見る。口で固定した財布のファスナーを再び閉めて尻ポケットに押し込
み、今度は部屋の向こう隅に置かれた金庫へ。尚も警戒して銃口は向けたままだ。ダイヤル
を掴み回して887359──本来重く堅く財産を守っていた筈の金庫は難なく開いた。
(……何なんだよ。一体……)
 開いた金庫の中には確かに幾つもの札束と株券、金や銀の延べ棒があった。しかし晴れて
強盗犯となった彼はそんな目の前の“お宝”よりも、それをあっさりと差し出してきたこの
老人の意図が気になって仕方ない。
 ちら、ちらっ。自分には分からないが、何か罠があるのではないか? 不可解が猜疑心を
生んでは明滅する。だが対するユージーンは静かに苦笑(わら)っていた。未だ銃口を向け
られているにも拘わらず、酷く落ち着いた様子ですらある。
「ああ、何でもと言ってしまったが延べ棒は止めておきなさい。どのみち換金しなければ使
えないし、シリアルが彫ってある。手続の為に身分証を出した時点でバレてしまうよ」
 とりあえず背負ってきた鞄に片っ端から詰め込むが、はたと思い出したように発せられた
アドバイスにぴくりと反応し、延べ棒に伸びる手が止まった。言われてみればそうだ。危う
く足がつく所だった……。諦めて札束だけにする。
「……のう、お前さん。詰めながらでもいいから儂の話を聞いてくれんか?」
 だからその作業の途中、ふと口を開いたユージーンの言葉に、彼は思わず手を止めて横目
を向けてしまっていた。この爺さん、だいぶボケてるのか……? しかし自分からこんな事
をする意図を話してくれるらしいと聞いて、銃口こそ保ったまま彼は暫くこの老資産家の話
に付き合ってやることにした。
「お前さんも知った上で忍び込んで来たんじゃろうが、儂は若い頃、運よく事業に成功して
莫大な資産を作ることができた。この屋敷もその頃建てた。……だがのう。今思えば金など
持っていても何も良い事などないんじゃよ」
「はん。爺さんになって悟ったってか? 所詮は金持ちの戯言じゃねーか」
 始めは吐き捨てた通り、ただの戯言だと思っていた。
「……そうじゃの。大抵の人間には多かれ少なかれそう思われておるのだろう。だが、今話
した言葉は儂の本心じゃよ。金を得た代わりに、儂はもっと多くのものを得られぬ身になっ
てしもうたのだと思う」
「……?」
 だがユージーンが語ったのは、自身の歩んできた後悔の半生だったのである。
「儂には娘と、二人の息子がおる。娘は他の資産家の所へ嫁いだ。上の息子は儂の背中を見
たからか自分で事業を興しては失敗を繰り返しておる。下の息子は自由な奴でな。ある時儂
と喧嘩したっきり一度も帰って来やせん。……儂が歳を取ってこんな身体になっても、誰も
見舞いになぞ来んのだよ」
 寂しさか、それとも諦めなのか。ユージーンは語りながらも少しずつまた少しずつと気を
落としているように見えた。金庫の中の札束も袋詰めし終わる。銃口を向けたまま、彼はじ
っとこの老人を見ていた。哀れなのか。だがそう思う自分も、思わせてくる彼も癪だった。
「要するに人恋しさってか。悪いが俺はあんたとお喋りしに来た訳じゃねえんだ。お似合い
の晩年じゃねえの? ぶくぶくと俺達から金を毟り取っては私腹を肥やしてきたんだ。精々
孤独のまま死ねばいいさ」
「ほほ。随分な憎まれようだ。……そうじゃの。結局儂は金を稼いでいるつもりで、金以外
には何もない男だった。お前さんも妙だとは思ったじゃろう? この屋敷には儂以外誰も人
の気配がいない。当然じゃな。儂が払うべき金を払うのを止めたからの」
「止めた……?」
 とっととずらかるか? それとも顔を見られている以上、始末するか?
 だがそんな思考の隙間に飛び込んでくる違和感があった。この老人はケチだから、金を溜
め込んでいたのではないのか?
「かつて、儂の周りには沢山の人々が集まっていた。部下達や取引先、屋敷の雑務をこなし
てくれる使用人や、家族も。だがどうじゃ。金を払うの止めていけばいくほど、彼らは儂か
ら離れていった。誰も儂自身を好いてくれとる訳ではなかった。ビジネスライクと言ってし
まえばそうかもしれんがの。一時資金繰りが厳しくなった時、儂は疑ってしまったんじゃ。
皆は儂を見ておるのではない。儂の周りに積み上げられた札束を見ているのでは? とな」
「……」
「少しずつ、羽振り──金払いを抑えてみた。そうすると一人また一人と繋がりのあった者
達は去って行った。末端から近しい者へ。部下、取引先、使用人まで。じゃが確信が増えれ
ば増えるほど、儂はそれを止める事もできなくなっていた」
 そっと吐き出す嘆息が、コヒューと痰混じりの息苦しさに変わる。
 彼はゆっくりと銃口を降ろし始めていた。話を聞いていたのだ。そもそも、自分が手を下
さずともこの男はもう“死んで”いる。繋がりという意味で。心のレベルで。
「じゃから、儂は徒に人を抱え込むことを止めた。必要最低限の人だけを残し、少しずつ少
しずつ自分の暮らしを小さくしていった。街では儂はドケチと言われておるようじゃな? 
まぁ事実彼らからすれば間違ってはいないのじゃろう。金を持っている癖に、それを使おう
としないのだから。利用価値など、ありゃせんものな」
「…………」
「だから儂は、数年前遺言状を作った。そこにはこう書いてある。『私の財産は、私の最期
を看取った者全員に等しく与えるものとする。もし該当者がいなかった場合は、全額指定の
慈善団体に寄付する』と」
「……それって、あんたの子供達には知らせてあるのか?」
「勿論、知らせておらん。何処の国に死ぬ前から遺言状の中身を話す者がおる?」
 それはそうだが……。ユージーンの平然とした理屈を聞き、彼はじっと眉を顰めていた。
つまりどういう事だ? 金ばかりで“自分”を見てくれなかった者達への意趣返しという奴
なのか。だが本人が話す限り、この屋敷の様子を見ている限り、日頃この老人を手厚く世話
しているような誰かは見当たらないが……。
「お前さん。名を何という?」
「? 何を──」
「何という?」
「……コルト」
「コルト。ふむ。苗字は?」
「い、いや。だから──」
「苗字は?」
「……あ、アーヴィン」
 だから次の瞬間、はたとそれまで見た事もなかった有無も言わさぬ声音に、彼──コルト
は思わず名乗ってしまっていた。名乗って、しまったと後悔した。自分はこの男の屋敷へ現
在進行形で強盗に入っているのだぞ? 顔も、名前もバラしてしまってどうする?
 拙い。
 コルトは、だらんと垂らしていた左手を上げ、再び銃口を向けようとし──。
「これでよし。コルト・アーヴィン。では君に儂の財産の全てを譲ろう」
「……は?」
 また思いもよらぬ言葉を投げ掛けられた。思わず名乗ってしまい、こちらが数秒の逡巡を
している内に、ユージーンは何やら一枚の書類を書き上げていたのだった。
 はたしてそれは手形である。彼の名前と捺印、おそらく正式なものと思われる書式に記さ
れたそこにはコルトの姓名が加筆されており、文面はこの人物への全財産の譲渡を当人が証
明する内容になっていた。
「うん? もしかして字が読めないクチかの? それでも心配ない。これをこっちのメモに
付いている弁護士事務所に持っていきなさい。数少ない儂の信頼できる者だ。あちらで保管
してある残りの財産を君に渡してくれるじゃろうて」
「へえ。そう──ってそうじゃない! 何言ってんだあんた!? 赤の他人でただでさえ盗
みに入った俺にこんなものを渡すなんて。そりゃあ金は欲しいけどよ。アシが付くから止め
ろって言ったのはそっちで……!」
「ほほほ。何じゃい。随分と臆病になったじゃないか。やると言っとるんだから素直に貰っ
ておけばいいものを。……今夜のお前さんとは巡り合わせだと思っておる。どうせ普通に遺
産が残っても子供らや昔の知り合い達で揉めるじゃろうからのう。ならばいっそ、何のしが
らみも無いお前さんに渡して、自由に使って貰う方が世の中の為にもなるじゃろうて」
 ほっほっほっ……。今までになく高笑いをして、しかしそのせいかユージーンはまた痰が
絡んで咳き込んでしまっていた。
 おいおい。無茶すんなよ、爺さん……。思わずコルトは近寄って背中を擦ってやり、やや
あって落ち着いたのを待ってからこの証明書を受け取った。所詮は紙一枚だが、これが莫大
な額に化けるのかと思うと迂闊に落とすのさえ憚れる。
「ったく。調子狂うぜ。どんな業突く張りが踏ん反り返ってると思えば、こんな死にかけの
爺さんだなんて……」
「そうじゃの。実際、あまり長くはない。この前の医者の見立てではもって二月と言われた
からのう」
「……そうか」
 やる事なす事無茶苦茶だったが、事実死は近付いていたのだ。
 だからこそこんなことを考えたのだろう。コルトはもう彼を撃つ必要性を感じなくなって
いた。狂っているが、彼は本気で自分に財産を与えて見逃すらしい。何よりその証文は今こ
の手の中にある。
「ああ、お前さん。すまんが煙草を取ってくれんか? 確かサイドボードの中に入っていた
筈じゃ」
「ん? ああ。煙草ってあんた、もう病人が吸うもんじゃねぇだろうに」
 だからふとユージーンがそうベッドの中から頼んできた時、コルトは気付くべきだったの
だ。苦笑いなど零さず、まだ“足りていない”ものの存在に思いを致すべきだった。
「──いや、吸いはせんよ。とうに肺をやられて止めておる」
「えっ?」
 次の瞬間、振り返ったコルトの目に映ったのは、ユージーンの手の中から落ちていく火の
点けられたままのライターだった。瞳に赤く細長く上へ向かう楕円が映り込む。ゆっくりと
時間が流れたかと思ったその後、シーツの上に落ちた火の手は一気にごうっと部屋の中を駆
け巡る。
「な、何やってんだ!? 爺さん!」
「何を? 決まっとるじゃろう。“儂の最期”の為じゃよ」
 孕み出す熱。だがその只中にいる筈のユージーンは酷く落ち着いていた。
 いきなりの事に呆然として、しかしようやくコルトは気付く。
 そうだった。『私の財産は、私の最期を看取った者全員に等しく与えるものとする』文言
通りの条件を満たす為には、他でもないユージーンがこの場で死ななければならない。
「……まさか。その為に煙草を……」
 気付いた時には遅かった。炎はみるみる内に燃え広がり、二人を隔て始めた。咄嗟に助け
出そうとしたが間に合わない。燃え盛る赤の向こうで、ふるふると静かにユージーンは首を
横に振っていた。
「正直、もう時間はないと思っておった。素直に子供達に病気のことを知らせようかとも考
えていた所じゃった。じゃが、今夜お前さんが来てくれた。誰でも良かったと言ってしまえ
ば些か無責任に感じるかもしれんがの。……逃げなさい。逃げて、その“儂だったもの”を
好きに使っておくれ。お前さんが、相続人じゃ」
 でも立ち去れなかった。すぐには立ち去れなかった。
 結局コルトを動かしたのは彼の言葉ではなく、物理的に攻めてくる炎の勢いだったのだ。
延焼を続ける炎と煙に巻かれて、とうとうこの青年は忍び込んだ屋敷から命辛々飛び出した
のである──。

「火事だー! 高台の屋敷が燃えてるぞー!」
「高台? それって……あの金持ちの爺さんの?」
「おいおいおい。やばいんじゃないのか……?」
 夜闇に紛れて斜面を転がり、市民街(アップタウン)に戻って来た頃には人々も上がる火
の手に気付き、大混乱していた。見張り塔で鐘を鳴らす者、水桶を担いだ自警団の列、家財
道具を搬出して避難しようとする市民。だが現場が高台という位置にあって、その消火には
かなり手間取っているらしいことはコルトにも観察する事ができた。

 おそらく、今夜の内にあの屋敷は消し炭になって焼け落ちるだろう。当然、その中に留ま
り続け、他ならぬ出火の原因と化したユージーンも。
 街一番の金持ちの死。それは火事の後、どうなるのだろう? 間違いなくその莫大な遺産
を巡って争いが起きる筈だ。突然の訃報を聞いて飛んできた子供らや親族は、そこでようや
く明かされる遺言の内容に発狂するだろう。誰も、彼の“最期”に立ち会ってはいないのだ
から。

「……」
 市民街(アップタウン)から貧民街(ダウンタウン)へそれこそ逃げるように、内心のざ
わめきを気取られないように、必死に平静を装ってコルトは街を下っていた。ホームの面々
は最初こそ遥か高い夜空を染める赤に顔を上げていたが、それがユージーンの屋敷だと知る
と途端に興味を失ったようだ。俺には関係ねぇや、ざまぁみろ、色んな感情が入り混じる。
 寒空の下、手入れもろくにされていない道路を一人歩きながらコルトは鬱々としていた。
上着のポケットの中には旧式の拳銃と、例の証文が入っている。
 だがコルトはそれを換金しに行こうとは思わなかった。タイミング的には親族らが動き出
すこの間がベストだと解っているのだが、それは“正しい”こととは思えなかったからだ。
(あの野郎。とんでもねぇモン遺していきやがって……)
 小心者と言われればそれまでだ。本人からお墨付きを貰ってこう正式な書面までしたため
てあるのだから、堂々と貰ってしまえばいいではないかと考えることもできる。
 だが、こうも考えられるのではないか?
 かつて彼が大金を持つが故に孤独やトラブルに苦しんだのなら、その“彼だったもの”を
市中に撒き散らすことは、彼のような被害者を自ら増やすことではないのか?
(……やっぱ、俺には多過ぎるよ)
 周りに他の人影がないことをちらと肩越しに確認して、コルトはポケットから四つ折りに
した証文を取り出して広げた。それを、彼は次の瞬間細かく千切ると、吹き抜ける夜風に乗
せて捨ててしまったのである。

 多くは要らない。
 この財布と、鞄の中身だけあればもう充分だ。

 サァァと、風に乗って莫大な財産に変わる筈のものが散り散りになってゆく。
 だがこれで良いと思った。コルトは行きよりも重くなった鞄をゆさっと何度か背負い直し
ながら、一人デコボコの石畳を歩いてゆく。

 ……さてどうしようか?
 自分(めし)にするか、他人(きふ)にするか、それが問題だ。
                                      (了)

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  1. 2016/08/14(日) 00:00:00|
  2. 週刊三題
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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