日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-〔8〕

 世界規模の商業ギルド・全陸財友会(ぜんりくざいゆうかい)。
 各地に設けられた支店は通称「財友館」と呼ばれ、金品の倉庫業や投資窓口、導話などの
インフラの代行サービスといった様々な業務を提供している。
「じゃあ、イセルナ」
「ええ。見張ってるからごゆるりと」
 そして此処アウルベルツにも、勿論財友館は設けられている。
 イセルナはリンファを病院へ連れて行ったその帰り道、通りの一角にある同支店へと立ち
寄ると、導話を掛けたいという彼女に付き添っていた。
 ずらっと壁際に設置され、防音の個室式となっているブース。
 その中にリンファが入ったのを確認し、イセルナはドアを閉めてその前に背を預ける。
「……」
 一度ちらりと遮音壁で囲まれた周囲を見渡して。
 リンファは目の前の導話に手を掛けた。
 指先が覚えた番号──少なくとも今までに何度も掛けた事のあるその向こう側の人物へと
発信を始める。
『は~い、もしもし? レノヴィンです』
 やがて導話の向こうから応対したのは、一人の女性の声だった。
「……お久しぶりです。リンファです」
『あら、久しぶり。どうかした? 定期の連絡はまだ日があった筈だけど……?」
 優しい穏やかな声色。
 その声にフッとと頬を緩ませかけたリンファだったが、すぐにそれを自戒するように引き
締めると、真剣な表情を──相手への“最大級の敬意を込めた態度”を保っていた。
 リンファの名を聞いて、向こう側の彼女も一抹の硬さをすぐに解いていた。
 だが当のリンファ本人は、そんな彼女の優しい声色に対して、あくまで冷静に振る舞いな
がら告げる。
「──“護皇六華(ごこうりっか)”の封印が解けました」
 衝撃が導話越しに伝わってくるようだった。
 それまでにこやかだった向こうの彼女が、その言葉を聞いた瞬間凍り付く。
 ガタンと物音がするのが聞こえた。ややあって、己を宥めさせながらの声が返ってきた。
『それは、本当……なの?』
「はい。間違い御座いません。私もこの目で、間近で目撃しました。ただ解放は一時的なも
のだったようです。その場が収まった後は再び元の状態に戻っています」
『そうなの……。六華が……』
「……申し訳御座いません。切欠は私自身でした。私の、所為で」
『? どういう事?』
 問い返す声に、リンファは先日の襲撃事件の詳細を話した。
 ジークの刀を狙う者達が刺客を差し向けてきたこと。その交戦の最中に自身の負傷が切欠
で封印が一時的に解ける事態を招いたこと。そして、その刺客だった者──サフレとマルタ
をイセルナの提案により自分達の懐(クラン)で抱える事になったこと。
 導話の向こうで、彼女は暫く黙り頷いていたようだった。
 淡々と報告をしながらも、その苦悩は察するに余りある。リンファもまた、内心でこれか
らの彼らに降りかかるであろう受難を思うと胸が痛んだ。
『息子達は、どうしてるの?』
「ジーク様はシフォンと共に、サフレとマルタをクランメンバーに申請するべくギルドに向
かったそうです。アルス様はいつも通り学院に登校されたかと」
『そう……』
 ため息が聞こえた。
 何を思っているのだろう。自身故の禍根への後悔か、それとも息子達への憂慮か。
 証拠がある訳ではないがおそらくは後者だろう。
 リンファは思いもかけない再会を経てから今までに至るまでのやり取りの中で、彼女が今
や家族というささやかな幸せに寄り添って生きているのだと強く感じていた。
『ねぇ、リン。この事は』
「分かっております。最大限、私どもで事態を大きくしないよう努めるつもりです。それは
同時に私達の望みでもありますから。……ですが、お二人自身が気付き、追求を始めてしま
えばそれも何時まで続くかは」
『……そうね』
 再び、今度はか細くため息が漏れる。
『仕方ないのかもしれない。どれだけ逃げても、私は私なんだもの……』
 そして誰ともなく呟いたその言葉に、リンファは無言のまま居た堪れなくなる。
 暫く二人は導話越しに黙っていた。もしかしたらこの場でこうして話している事自体が、
状況をより望まない方向に進めていってしまうのではないかと錯覚するようだったから。
 それでも、向こう側の彼女──レノヴィン兄弟の母・シノブは気丈を装おうとしていた。
 穏やかな声色を少し真剣なそれに軌道修正するようにして、ゆっくりと言う。
『お願いね、リン。どうかあの子達を……守ってあげて』
 するとリンファは胸元に手を当てると、
「勿論です。……この命に代えてでも」
 最敬礼で以ってその懇願に応えたのだった。


 Tale-8.錆びた筈の歯車は

 その日、ジークはマーフィ父娘とサフレ・マルタ、そして数名の団員ら仲間と共に荷馬車
に揺られて道を行っていた。
 今回ジーク達が受け持ったのは、商人らから成る荷馬車の一団の護衛だ。
 基本的に旅人の類は既に整備された街道ルートを選ぶのだが、それでも魔獣、或いは盗賊
の類が出ないという保証はない。とりわけ彼らのように物資を多く携える商人らは、襲撃に
に対するリターンが大きいとして他の旅人達よりも狙われ易い傾向にある。
 故に、彼らがこうして冒険者を護衛として雇うことは決して珍しい事ではないのである。
「……」
 ガラガラと、車輪が土や石畳の上で滑ってゆく。
 そんな奏でられる振動に身を任せ、時折腰に差した愛刀らを撫でながら、ジークはぼんや
りと分乗した荷馬車の中で待機をしていた。
「何つーか、暇っすね……」
「いいんだよ。何も無いに越したことはねぇんだし。だが気は抜くなよ?」
「分かってますって」
 ジークが沈黙の中でそう呟くと、ダンが少し釘を差すように言った。
 彼の大柄な体躯では荷馬車の中というスペースは狭苦しいらしい。ダンは時折もぞもぞと
座っている位置を微調整していた。
「……それにしても、荷物がいっぱいですよねぇ」
 そんなスペースの多くを占めているのが、分厚い麻布を被せられた物資の山だった。
 箱詰めにされている事もあり中身までは逐一知る由もないが、
「当然。商人の荷馬車だから」
「う、うん。そうなんですけど。でも……」
 荷積みの際に立ち会った時に見ていた限りでは、生活物資以外にも武器も少なからずあっ
たように思う。
 マルタはそっと麻布を捲ると木箱の蓋を少しずらし、そこにゴロゴロと詰められている剣
や銃器などの武器を暫し見遣ると呟いていた。
「私には、違和感があります。盗賊さん達に襲われたら怖いからマスター達を雇っている筈
なのに、運んでいる物資にこうして武器が混じっているなんて」
「……マルタらしいな」
「そんなもんだろ? 誰だって武器やら暴力が要らなかったり無い方がいいと思ってるさ。
だけど実際は魔獣も出るし、ヒトですらいい奴ばっかりじゃねぇからな。お前のマスターも
ジャラジャラと魔導具をぶら下げてるだろ?」
「そう言う君だって、何本も剣を差しているだろうに……」
 ふっと微笑ましく彼女を見守るサフレに対し、ジークはより現実的──シニカルな反応を
見せていた。
 悪ぶった言い口。その言葉尻にサフレは手こそ上げなかったものの、あまりいい表情はし
なかった。荷馬車内の壁に背を預けて座ったまま、指輪や腕輪──自身が使っている魔導具
らが揺らめいているのに目を落とす。
(確かに現実はこう、だがな……)
 今の時代は、それ以前に比べれば随分と豊かになっているという。
 それは魔導開放、そして何より帝国時代に大成された機巧技術が大きいのだろう。それま
ではマナの雲海というヒトの歩では渡ること叶わなかった大陸同士が、今では無数の飛行艇
の定期航路によって綿密に結びつき、人も物も活発に行き来をしている。
 だが……その発展は、本当に“正しい”ものなのだろうか?
 この瞬間も、そして今の当てのない旅に出てからもずっと、サフレはそう何度も自身に問
い掛け続けていた。
 武力がなければ守れないものがあるから、人は武器を取る。
 だがそうした個々の選択が拡がれば拡がるほど、末路として人は諍いの中にその武力を落
とし込んでしまいかねない。
 今よりもっと豊かな暮らしを望むから、魔導も機巧技術もそんな“実利”に特化する。
 だがそうした欲求が人々の食指をどんどん未開の大陸へと伸ばし、利権を生み、新たな対
立を生み出し続けているのも否めない。
 いわば今この時代の、この瞬間の豊かさは……そうした薄氷の上にあるとも言える。
 しかしセカイの開拓を続け、多くの軋轢を生み出しながらもそこから得られる利益の味を
知ってしまった以上、もうヒトは“古き良き時代”には戻れないのかもしれない……。
(冒険者になってみても、現実をどうこうできる訳じゃ……ないんだな)
 そこまで思考を回していたのではないのかもしれないが、きっとマルタはそうした危うい
バランスを漠然とした不安として感じ取ったのだろう。
 サフレは細かに揺らぐ魔導具の金属音をそんな思いと共に閉じ込めるようにして、そっと
手首にぶら下げたこの「力」や「実利」の結晶達を握り締める。
「そういや、ジーク」
 するとそんなやり取りで思い出したらしく、引き戸近くに腰掛けていたダンがふとそう呼
び掛けてきた。
「剣で思い出したんだが、お前ら学院に剣調べに行ってたんだってな?」
「ええ。魔導具らしいって事は分かってたんで、じゃあ一度魔導師(せんもんか)に視て貰
おうって話になりまして」
「なるほどな。で、どうだった? 何か分かったのか?」
「うーん、分かったようなそうでもないような……」
「学院側からは協力を得られませんでしたが、魔導工学を専攻しているアルスの友人には会
えました。彼の見立てでは古式詠唱を使った魔導具のようで」
「……コシキ? 何だそりゃ?」
「ええっと。要するに古い型の魔導具らしいんです。なのでその場ではそれ以上詳しい事は
分からなくって。でも彼が自分の担任の先生を紹介してくれるって言ってくれて」
「で、今はそいつ──フィデロからの連絡待ちって所です」
「あぁ……。そういやハロルドやイセルナが言ってたな、そんな事」
「……お父さん、魔導だから分からないやって言ってすぐに飲んでたから」
 ジーク達の代わる代わるの言葉を聞き、ダンはようやく記憶を辿れていたようだった。
 ミアがその背中からひょこっと顔を出すようにすると、そう呟く。
 頬を掻いて、乾いた苦笑。
 ダンは表向きは苦笑いのままだったが、
(やっぱ、まだ終わっちゃいねぇんだよなぁ。シフォンも最近単独行動してるみたいだし、
イセルナやリンも何かコソコソしてやがる。……厄介な事にならねぇといいんだが)
 内心ではそう、歳相応の経験と副団長としての眼を光らせていた。
 だがそんな思案を吹き飛ばす変化が起きたのは、ちょうどそんな時だった。
 ガクンと荷馬車全体が大きく揺れ、停止した。
 他の馬車も同じく動きを止められたらしい。左右から馬の嘶きが聞こえてくる。
「た、大変です。野盗です!」
 即座に反応し身構えたジーク達の下に、仕切り幕を捲って商人の一人が駆け込んできた。
 確かに耳を済ませてみれば、粗野な脅しの怒号が飛んでいるのが聞こえる。
 ダンが皆に頷き合図する。
 ジーク達は同じく無言で頷き返すと、一気に左右の荷馬車の引き戸に手を掛ける。
「おらぁ、大人しくしろ!」
「死にたくないなら金目の物を出──ぎゃふっ!?」
 次の瞬間、表で小剣などをちらつかせていた野盗達のその得物が、荷馬車から伸びきた棍
の一撃によってあっという間に弾き飛ばされていた。勿論サフレの槍である。
 次いで、ジークとミアの二人がぐんと彼らの懐に飛び込み、二刀と拳を振るってその集団
の隊伍を崩してゆく。
「な、何だぁ!?」
「まさか……傭兵か!?」
「ご名答だ」
 そんな先手によろめき、集団をバラされた野盗ら。その数およそ三十名。
 そこに対峙したのは、戦斧を肩に担いで姿を見せたダンを始めとした団員ら十数名程。
 それでも個々の戦闘能力ははっきり言ってジーク達の方が上だった。二刀と拳、ジークと
ミアがよろめくその隙に間合いを取り直すと、ダンらに交ざる。
「さてと……。お前らも運が悪かったな。こっちも仕事なんだ……シメさせてもらうぜ?」
 ダンがぶんと戦斧を一振るいし、野盗らに口上を。
「──やっちまいな!」
 そして次の瞬間、そうダンがくわっと獣の眼を見開いて叫んだのを合図に、ジーク達は気
合の声を上げながら一斉に彼らへと飛び掛っていく。

「いやぁ、助かりました」
「お陰で商品も無事。ありがとうございました」
「いやいや。これぐらいどうって事ないっスよ」
 手早く野盗らを退け、捕らえたのち、ジーク達は目的の隣町へと到着していた。
 荷降ろしを始めている小間使いらの傍で、荷馬車の一団を率いていた商人らがダンらに礼
を述べている。
「……お父さん」
 そうしていると、街に着いてから別行動を取っていたミアと数名の団員らが戻ってきた。
 振り返る父らに彼女は淡々と言う。
「野盗たち、守備隊に引き渡してきた」
「おう。ご苦労さん」
 ダンら本隊と合流して、ミアは心なし一息をついていたようだった。ぴくんと猫な獣耳が
揺れるのが見えた。
 元々あまり感情を表に出さない娘だ。
 だからこそ、普段から──特に仕事の時はその疲れを見極めてやらないと。
 内心、ダンはそう父親らしい子煩悩を刺激される。
「お嬢ちゃんもありがとうな。強いんだねぇ」
「いえ……。とんでもないです」
「……」
 商人達に小さく会釈しているその横顔を見遣りつつ、そこにダンは何度目とも知れぬ、今
は別れてしまった妻の面影を見る。
 あなたが冒険者として“暴れている”ことが私には辛かった──。
 離婚を切り出された時に、彼女の口から出た言葉だ。
 一般人な妻には自分の存在が合わなかったのかもしれない。無理をして籍を入れてくれて
いたのかもしれない。
 だからこそ、いざ彼女が自分の下を去ってしまうとなった時、娘が妻にではなく自分につ
いてくると言ってくれた時は正直驚いたものだった。
(一体何を思って、こいつは俺についてきてくれたんだろうかね……)
 年頃というのもあるのだろうが、正直言って分からない事だらけだ。実の娘なのに。
 それでも……と、ダンは密かに頬を緩ませていた。
 少なくとも昔に比べれば、随分その無表情も改善されてきたように思う。
 クランの皆、いやレナやステラという親友達の存在が大きいのだろう。
 それに加えて、最近は妙に色付いて──。
(だ、駄目だぞ? 確かにアルスは悪い奴じゃねぇが。で、でも……)
 ダンはぶるるっと小刻みに首を横に振っていた。
 俺だって、ミアに料理作って貰った事なんてないのに……。
「……何してるの」
「おぁ!?」
 完全に不意打ちになっていた。
 思わず情けない声を漏らした父に、ミアは相変わらずの感情に乏しいジト目のまま僅かに
小首を傾げていた。
「ジークやマルタの姿が見えないけれど」
「ん? ああ……」
 だが、そんな疑問も束の間。辺りを静かに見渡して訊ねてくる娘の言葉。
 ダンは低頭にして去っていく商人らや、それを見送る団員らが見遣りながら、
「ギルドだよ。先に報告に行って貰ってるんだ」 
 気を取り直すように、苦笑混じりに笑ってそう答える。

「はい、確認致しました。クラン・ブルートバードですね。では今回の依頼書と依頼主から
のサインを提出下さい」
「ういッス」
 七星連合(レギオン)のギルドは何もアウルベルツにだけではない。ある程度の規模の街
には大抵置かれている。
 ジークはサフレ、マルタを連れて現地のギルドに顔を出していた。
 窓口の男性職員に自身のレギオンカードやダンから預かってきた今回の依頼書類を渡し、
手続きを済ませる。
 浮かび上がるディスプレイとそこに流れるデータ、そして手馴れた感じで職員とやり取り
をしているその姿を、サフレとマルタはやや後ろから見守っていた。
「……ジークさん、こなれてますね」
「それはそうだろう。僕らとは違って長くクラン所属でやってきたようだしね」
「な~に他人事みたいなこと言ってんだよ。お前らも早いとこ慣れて、クラン単位の手続き
を覚えて貰わねぇと。副団長が俺らに行って来いって言ったのはそういう意味なんだぜ?」
「そ、そうなんですか……?」
「分かっているさ。僕らもずっとフリーランスの頃のままで通すつもりはない」
 ややあってジークは依頼の達成報告を終えて二人に振り返った。
 その手には返却された自身のレギオンカードと、今回の依頼の領収書。
 これでレギオンの事務局を通し、後日クランへと送金が行われる運びとなる筈だ。
「その意気だ。せいぜい戦力になって貰わねぇとな」
 あくまで冷静に受け答えするサフレに、ジークはにっと荒削りな笑みを見せていた。
 ガチャリと。腰に下げた六刀もそんな動きに合わせて触れ合う金属音を鳴らしている。
(……もしかすればとは思っていたんだが、並の野盗程度が相手ではどうやらあの時の再現
にはならないみたいだな……)
 サフレは、そんな彼の愛刀に密かに視線を落として。
 あの時自分が体験した彼の──いやこの刀型の魔導具の豹変ぶりを再び思い起こす。
「よう。終わったか」
 だがそんな彼の思考も束の間。
 そうしていると、ギルドにダンら仲間達が合流してきた。
「ええ、ちょうど今さっき。これ、領収書ッス」
「おう。ご苦労さん」
 ジークは歩み寄って来た彼に領収書を手渡すと、周りの団員らと労をねぎらう。
 ダンは受け取ったそれをざっと捲って確認すると、
「よし。じゃあ一旦ホームに戻るか。帰り支度始めろ~」
『ういッ~ス』
 そう一同に撤収の指示を飛ばそうとする。
 ちょうど、そんな時だった。
 ふとラウンジ内に鳴ったのは、導話の着信音。
 ジーク達を始め、周りの冒険者らの何割かがその音に反応して窓口の方へと目を遣り出す
中で、一人の職員がその応対に手を伸ばしていた。
「……はい。では暫くお待ち下さい。……すみません、この中にジーク・レノヴィンさんは
いらっしゃいませんか?」
「えっ? あ、はい。自分ッスけど」
 そして数秒のやり取りの後、彼がラウンジの面々に呼びかけたのは、紛れもなくジークの
名だった。
 当のジーク本人も驚いていたが、特に無視しないといけない理由もない。
 周りが何事かと見遣ってくる視線をくぐり抜けて、ジークは名乗りを上げると窓口へと舞
い戻り、職員から受話筒を手渡される。
「もしもし?」
『もしもし、ジーク君かい? 私だけれども』
「ああ……ハロルドさん」
 だが、少々怪訝気味だった第一声も、導話の向こうから聞こえてきた声で安堵していた。
 紳士然とした物腰穏やかな声。それは間違いなくハロルドのそれで……。
「どうしたんですか、わざわざこっちに掛けてくるなんて」
「うん。別にホームに戻ってきてからでもよかったんだけどね。少しでも早く伝えておいた
た方がいいだろうと思って」
 そっと眉根を細めたジーク。
 そんな導話の向こう側の彼の表情が見えているかのように、ハロルドは酒場のカウンター
の中でフッと静かに受話筒越しに微笑むと言った。
「例の面会(アポ)の件、返事が来たよ」


「……その話、本当ですの?」
 場所は昼下がりのユーディ研究室(ラボ)。
 シンシアはゼミが始まるまでの時間を待つ中で聞かされたその話に、思わず眉根を寄せる
と、ずいっと身を乗り出して問い返していた。
「うん。何せアルス君本人から聞いた話だし」
 にこにことした表情そう答えたのはルイスだった。二人は同じラボの所属なのだ。
「そうですの……」
 他のゼミメンバーらが、少々びくつきながらテーブル越しにこちらを見遣っている。
 シンシアはじっと彼らに無言の睨みを投げてから、ゆっくりと座り直した。
(私の誘いを無視して、一体何様のつもりですの……? アルス・レノヴィン)
 アルスが所属ラボを決めたらしい。
 今日ゼミの為にラボへとやって来たシンシアの耳に飛び込んできたのは、そんなニュース
だった。その輪の中心にいたルイスに詰め寄るとあっさり肯定。彼がアルスと仲良くしてい
る事は前々から聞き及んでいたので、嘘ではないのだろう。
 正直言って、驚きだった。いやショックだったと言うべきか。
 決着がつかなかったもやもやを、勝負けしかけたのに何一つ咎めてこない能天気ぶりにど
うにも拍子抜けしながらも、自分の中では意地を捨てて好敵手(ライバル)として切磋琢磨
しようと同じラボにと呼び掛けたのに……。
 彼はあろう事か、無視した。別の場所へとそっぽを向いた。
「……」
 ぎゅっと、テーブルに置いた拳を強く握る。
 怒りのような悔しさのような──寂しさのような。綯い交ぜになったこの感情。
 だからこそ何だか許せなかった。こんな気持ちにする彼を、なってしまう自分自身を。
「では彼は一体どのラボへ入ったんですの? ここ以上のランクはこの学院にはないと思う
のですけれど」
「……それは人それぞれだと思うけどね。確か、レイハウンド研究室(ラボ)だそうだよ」
「レイ、ハウンド……?」
 若干心持ち窘める声色になったルイスのその返答に、シンシアは勿論他のメンバーもが首
を傾げた。
 一様に見せたその反応は「何処そこ?」という不知。
 ルイスが一丁前に反抗的な意見を述べてきたらしい以上に、シンシアはその聞き覚えのな
い教官の名に眉を顰めていた。
 此処ユーディ研究室(ラボ)の主、エマ・ユーディ女史は学院長補佐も勤める学院きって
の切れ者として知られている。その専門は魔導解析学。魔導の構築式を分析し、より効果的
な術式を追求する分野だ。いわば全ての領域の魔導を底上げすることのできる指揮官的なポ
ジション──花形分野の最たるものなのである。
 魔導の有爵位家の家柄から考えれば、これほど自分に相応しい専攻はないと思っていた。
 なのに、アルス・レノヴィンは一体何故そんな知名度のないラボを……?
「ブレア・レイハウンド先生。専門は魔流(ストリーム)力学、魔獣学です」
 するとそんな彼女達のやり取りを聞いていたのか、背後の入口のドアを開けるとエマ当人
が姿を見せて言った。
 ハッと振り返ったシンシア達。
 だがその集まった視線にも動じることなく、彼女は眼鏡のレンズ越しに怜悧な眼差しを教
え子達に返す。
「ストリーム力学? 何でそんなマイナーな分野を……?」
「私に訊かれても困ります。確かに彼のラボはあまり人がいないのは事実ですが」
 あくまで事務的に、淡々と。
 エマは魔導書数冊を小脇に抱えたままシンシアらの傍を通ると、自身のデスクに着いた。
 キュッと背もたれ付きの黒革椅子を回して振り返ると、机上にそれら書物を置いて言う。
「エイルフィードさん。当アカデミーは、生徒がどのラボに所属するかについても個々人の
意思を最大限尊重しています。私のゼミこそが至高という考えは、少々高慢に思えますね」
「うっ……。し、失礼しましたわ……」
 以前の私闘の件もあり、正直シンシアは未だに内心エマを苦手としていた。
 シラバスで見た時には悩んだが、そんな事でへこたれている場合ではないと自身を鼓舞さ
せて所属すると決めた。だが、この鋭さを伴った怜悧な眼はそう簡単には慣れそうにない。
 しょんぼりと小さくなるシンシア。そして安堵のような、少々複雑な感情を垣間見せてい
るルイス。
 エマはそんな教え子らを見遣りながら、
「……これは私の憶測ですが、レノヴィン君がレイハウンド先生のラボを選んだのは冒険者
をしている彼のお兄さんの影響があるのかもしれませんね。先生の専門は、冒険者──魔獣
退治と組み合わせれば大きな効果となりますから」
 今度は半ば独り言のような言い方でそう呟き出す。
「兄? ああ、あの野蛮剣士ですわね」
「……エイルフィードさん?」
「な、何ですの? ヴェルホーク」
「……」
「わ、分かりましたわよ。い、言い方が悪ぅございましたわ……」
「うん。分かってくれればいいんだ。……前に僕も会ったのだけど、弟想いのいい人だった
よ? 確かにちょっと荒っぽい感じではあったけど、それは冒険者自体にそういう部分があ
るからなんじゃないかな?」
「……そうかも、しれませんわね」
 顔は笑っている癖に、侮れませんわ──。
 シンシアは笑顔の威圧を向けてくるルイスに気圧され、折れていた。
 友人の兄を悪く言ったのがそんなに癪に障ったのか。何だかこの学院に来てから、自分の
調子を崩される事が多くなったような気がする。
(……いいえ。今はそれ所ではありませんわよね)
 本人は推測と言っていたが、あの日アルス・レノヴィンが兄に見せていた満面の笑みを思
えば、ユーディ先生の見当はあながち間違っていないかもしれないとシンシアは思った。
 兄の助けになりたいのだろうか? つまり自分ではなく、他の誰かの為……。
「……」
 そんな思考が脳裏を過ぎり、何だかまた一つもどかしい思いに、悔しい思いに駆られた。
 自分は魔導の有爵位家の跡取りとして──いや、自身のプライドの為に魔導師を目指して
いる節がある。なのに、彼はそんなものとはまるで無縁のように思えて。
(……おもしろくありませんわ。これじゃあ、私だけが必死なようではありませんの……)
 熱持った歯痒さが、レールを切り替えたような気がした。
 いいですわ。だったら、私はとことん高みを目指して貴方を──。
 そんな時だった。
 学び舎全体にチャイムの音が響いていた。昼休みの終わりを告げる合図だった。
 その音にシンシアも、ルイスら他のメンバーらも頭を切り替えて鞄から教材などを取り出
して準備を整える。
「ではゼミを始めましょうか。テキストの六十五頁を開いて下さい」
 そしてエマも椅子から立ち上がると、テキストの魔導書を片手に、きびきびとした歩みで
シンシアらのテーブルの上座に着き、そう静かに仕切り直した。

 一方レイハウンド研究室(ラボ)では、紙を捲る音とペンが走る音が繰り返されていた。
 テーブルを挟んで向き合っている格好のブレアとアルス(及びエトナ)。
 二人が唇を結んでじっと見守っている中、ブレアはびっしりと解答の埋まった用紙の採点
を続けていた。
「……ふむ」
 それがどれだけ続いた頃だったろうか。
 ペン先が最後の丸印を描いたのとほぼ同時に、ブレアは小さく呟きを漏らした。
「あ、あの。どうでしたか?」
 ごくりと唾を呑んで。アルスは恐る恐るとそんな自身の教官に訊ねてみる。
「そんなにビビるなって。流石は主席クンって所か。ほぼ満点だ」
「……ほぼ?」
「ここと、それにここ。誤字が二箇所ある。なんで、九十八点だな」
「あっ。しまった……」
「何、そう気にするな。構築式も解答の意図も俺には分かったし間違っちゃいねぇ。実質は
満点みたいなもんだろうよ」
 ぴらりと解答用紙を掲げて見せてそんな事を言われ、アルスは「恐縮です」と苦笑いを混
じらせたはにかみを見せた。ブレアはそんな教え子の謙虚さに自身も小さく口元に孤を描く
と、片眉を上げて呟く。
「にしてもこの問題、ちょっと意地悪して二回生修了レベルとか三回生前期レベルとかも混
ぜてみたんだぜ? なのにお前、普通に解いてやがる。正直驚いた」
「えっ」「むぅ……。意地悪なんてしてたんだ」
「まぁまぁ、そんなにむくれるなっての。これでも褒めてるんだぜ? 試しにどれだけ理解
があるのかを診てみるつもりだったんだが……こいつは予想以上だよ。どうやってここまで
勉強したんだ?」
「えと。故郷の教練場の先生が元魔導師でして。その人に基礎基本から教わっていました。
あとは魔導書を取り寄せて自分なりに読み解いて、先生に合わせて貰ったり……」
「ほう……。いい師匠を持ったんだな」
 アルスは小さく頷くと、ほんのりと照れたように頬を染めて頷いていた。エトナもその傍
らに浮かんで、我が事のように「でしょでしょ?」と胸を張っている。
「まぁこれで大体のお前の力量は診れたと思う。少なくとも今の学年にしちゃ、座学に関し
ては申し分ない」
 もう一度、アルスが解答したほぼ満点の用紙にざっと目を落として。
 ブレアは時折思考の間を挟みながら言った。
「アルス。お前にこれから必要になってくるのは、実践だ」
「実践……ですか」
「ああ。それにお前はもっと“悪意”を知るべきだ。この俺らの分野を志そうってならな」
 アルスはその言葉に目を瞬かせ、頭に小さな疑問符を浮かべていた。
 悪意──それはどういう事なのだろう? つまりは魔獣や瘴気に対する人々の忌避感情を
言っているのだろうか。しかし彼の言葉は、もっと大きなことを言ってるような気がする。
「……今までのやり取りで思うんだが、お前は“優等生タイプ”だろ? 言っちまえば綺麗
なセカイの中で生きてきた訳だ。だが魔獣や瘴気ってのは──そういうものに対する世間の
連中ってのは、ある意味そういう綺麗さとは真逆のベクトルにあるんだよ」
「は、はい……」
「あ~、いや今すぐ理解しろってのも無理か。まぁ俺個人の呟きとして聞いててくれりゃそ
れでいい。お前はまだ若いんだ。これから自分なりに手探りしてけばいいさ」
「……はい」
 ブレアは気安い感じでそう言っていたが、当のアルスは引っ掛かっていた。
 全てを知っていると思うような高慢さが自分にあるつもりはないが、遠回しに自分の未熟
さを指摘されているらしい、そう思えたから。
 そんな複雑な表情を見遣ると、ブレアはふっと頬を緩めて笑っていた。
 そのまますっくと席から立ち上がると、おもむろに文献の詰まった本棚をぐるりと物色し
始める。アルスが、エトナが何となくそんな様子に視線を向けるのを背に受けながら、ブレ
アは言った。
「さっきも言ったが、お前には実践が必要なんだよ。演習場(アリーナ)を借りられればそ
れでもいいんだが、一番効果的なのは冒険者に交じって実際に魔獣やら瘴気やらと向き合う
事なんだよな。まぁ学院の生徒を見学よろしく受け入れてくれるお人好しがどれだけいるか
は、正直言って怪しい所なんだが」
「……冒険者、ですか」
 アルスはそのフレーズに、思わずエトナと顔を見合わせた。
 幸い、自分達は冒険者クラン(ブルートバード)に下宿している身だ。環境だけを考えれ
ば、事情を話せば協力してくれるかもしれない。
(でも、兄さんは反対するだろうな……)
 しかし、一見ぶっきらぼうだが、根っこは優しい兄がそれを許すようには思えなかった。
 何よりも……何故自分が魔導師を目指しているのか、その本当の理由を自分は未だに兄ら
に話せてすらいないのだから。
「よっと……」
 だがそんな思考は、不意に目の前に置かれた魔導書の山によって遮られていた。
 内心驚いてアルスらが顔を上げる。
 そこにはその魔導書の山を撫で、再確認をしているブレアの姿があった。
「ま、その辺は俺が何とかする。事務方に許可申請しねぇといけねぇんだろうけど、何なら
俺が外に実習としてお前らを連れ出すってのもアリだ。……ただ、それと併行してお前にも
やってもらわねぇといけねぇものもあるわな」
「それがこの魔導書、ですか?」
「ああ。浄化系魔導関連の文献を幾つかリストアップしてみた。先ずはこいつらを精読する
事から始めようか。ま、ここでのゼミ用テキストだな」
「……はい。分かりました」
 ざっと数えて二十冊近い。
 アルスはこくと真面目に頷くと、その山から一冊を抜き取り試しにページを捲ってみる。
 後ろからエトナがそれを覗き込んでいる中、次いでブレアは席に着き直しながら言った。
「あ~それと。お前、今受けてる講義はどんなもんだ?」
「え? あ、はい。えっと……こんな状況です」
 訊かれてアルスは鞄の中から手帳を取り出すと、現在の講義スケジュールを示した。
 暫く、ブレアは顎に手を当てそれらにざっと目を通してから言う。
「……ふむ。お前なりに浄化系魔導に関係する講義を選んでるみたいだな。あとは個人的に
興味のあるものが幾つか、か」
「……いけませんでしたでしょうか?」
「いや。そこまで縛る気はねぇよ。ただお前だって関係性の薄いのを取るのは徒労だろ? 
だから俺の眼で見直してみようかと思ってさ」
「そう、ですね……。宜しくお願いします」
 座ったままこくりと頭を下げるアルス。
 その教え子の姿に、ブレアはふっと笑った。受け取った手帳にもう一度目を落としてから
自身も彼に寄り添うように、心持ち身を乗り出す。
「おう。じゃ、早速カリキュラム編成といきますか」


 ハロルドからの連絡を受け、ジークは仲間達と足早にアウルベルツへと帰って来ていた。
 一旦ホームに戻り、軽い身支度と愛刀らの手入れを済ませると、サフレ・マルタの両名を
伴って学院へと向かう。
「お兄さん達~。こっちッス~」
 正門をくぐると、すぐ傍の広場(休憩スペース)の一角で自分達に手を振って呼びかけて
くるフィデロの姿があった。どうやら迎えに待ってくれていたらしい。
 ジーク達は彼と合流し、学院の敷地内を進む。
「すみません、急な連絡になっちまいまして。どうやら先生、先に出張の予定が入っていた
らしくて……。その調整をしていたらこんなタイミングに」
「そっか。まぁ気にすんな。無理を言ってたのはこっちなんだしな」
「念のため確認しておくが、博士は?」
「研究室(ラボ)ッスよ。待ってるんで迎えに行ってやれって言われて」
 暫く構内を進み、四人はラボが収まっている教員棟の玄関をくぐった。
 入ってすぐのホール横にはマナを導力に動く昇降機があった。物珍しそうに見遣っている
ジークを横目にフィデロは慣れた手付きでボタンを操作し、エスコートしながら乗り込む。
「へぇ……。こんなのもあるんだな」
「珍しいッスか? でも西方や南方はもっと凄いらしいッスよ? 何せそれぞれ機巧技術と
魔導の聖地がありますからね」
「機巧師協会(マスターズ)と、魔導学司(アカデミア)ですね」
「これも、魔導と機巧技術の融合の例という訳か……」
 ゆっくりとグラデーションするマナの光を受けながら上昇する機械の籠の中に暫し身を委
ね、ジーク達は目的の階へと到着した。
 チンとねじ巻きが弾け戻る音と共に扉が開いた。左右には等間隔にラボらしき部屋のドア
が点在し、それらの中央、真正面に円形にくり抜かれたラウンジが見える。
「こっちッス」
 その廊下を左折し、ジーク達はフィデロの案内のまま進んだ。
 目的の場所はその中ほどに在った。確かにドアの傍に掲げられたプレートには「在室中」
の表示とマグダレンの名が確認できる。
「先生、フィデロです。連れてきました~」
「ご苦労。通してやってくれ」
 軽いノックの後、ドア越しにフィデロが声を張ると、中から男性の返事がした。
 それを確認してから彼は「どうぞッス」とドアノブを捻り、ジーク達をラボの中へと通し
てくれる。
「……君がアルス・レノヴィンの兄か。それと……後ろにいるのは魔導具使いにオートマタ
だな。ようこそと言っておこうか。既にフィスターから聞いているだろうが、私がバウロ・
マグダレンだ。魔導工学を専門にしておる」
 ラボの窓際で階下を眺めていた当人、バウロはジーク達の足音を耳聡く聞いて振り返ると
そう悠然として自らを名乗った。
 長身で隆々としたガタイのよい体躯。加えて頭はスキンヘッド。短く剃り揃えられた顎鬚
がただでさえ威圧感のあるその外見に拍車を掛けているようにも思える。
「は、初めまして。ジーク・レノヴィンです。アルスの兄です」
「サフレ・ウィルハートです。ジークと同じ冒険者クランに所属しています」
「その従者をしておりますマルタです。本日は時間を割いて頂いてありがとうございます」
 ジークは驚き混じりの緊張気味に、サフレとマルタはこういう社交に慣れているのか落ち
着いた対応を見せていた。
(本当にこのオッサン、魔導師か? 見た目だけじゃ冒険者でも通用するぞ……)
 内心でそんな事を思っていても、流石に口にはできない。
 ジーク達は次の瞬間にはバウロに席に促され、目の前のテーブルに着いていた。
 左からマルタ、サフレ、ジークの順。
 その真正面に向き合う形でバウロ、そして少し距離を置いてちょこんとフィデロが座る。
 バウロは小振りのアタッシュケースを別の卓上から手繰り寄せながら言った。
「それで。頼みというのは君の魔導具について調査して欲しいというものらしいが」
「はい。自分の刀なんですけど、どうもこいつらが魔導具らしくて。それで今回専門家に診
て貰おうと」
「……ふむ。では早速拝見しようか」
 ジークが腰から六刀を抜き、刀身を晒した状態でテーブルの上に並べると、バウロはその
アタッシュケースの中から部品毎に分けられた機器を組み立て始めた。先日フィデロが使っ
ていた走査用のゴーグルだ。しかもこちらの方がずっと高級そうである。
 バウロは組み立てたゴーグルを頭に巻くと、一本一本を検め始めた。
 至極真剣そのものな──というよりむしろ強面が増している目を細めた表情。
 ジーク達が固唾を呑んで見守る中、彼はそっと刀身の表面をなぞるようにして呟く。
「……確かに、これらに刻まれているルーンは古式詠唱だ。フィスターや生徒連中には確か
に手に余る代物だろうな。おい、フィスター」
「は、はい。何でしょう?」
「左奥の本棚に『古詠録』という文献がある。赤い表紙に金の刺繍がしてある本だ。こっち
に持ってこい」
「了解ッス」
 ゴーグル越しの眼を向ける事なく言われ、フィスターがすっくと立ち上がった。
 そのまま身を返してラボのずらりと並ぶ本棚の一角へ。視線を上下へと移して指示された
文献を探し始める。
「あの~、見つけましたけど、十巻とか二十巻とかあるんですが……」
「ああ。とりあえず全部こっちに持ってこい」
「う、ういッス」
 あっさりと重労働が決定し、フィデロは分厚い図鑑サイズのその文献らを本棚と往復しな
がらバウロの傍らに積み上げ始めた。途中でメイド気質が刺激されたのか、マルタもその作
業に加わる。サフレは最初やんわりと止めようと口を開きかけたが、結局ジークと顔を見合
わせた後、二人して同じく作業に加勢することとなった。
「ふぅむ……」
 その間も、バウロは刀身のルーンを見比べながら、多数の付箋が貼り付けられたその図鑑
を片っ端から手に取り、照合作業を進めているようだった。
 フィデロはともかくジーク達は専門外だ。
 只々、三人は暫くその様子を見守るしかなかった。
「……これは。いや、まさか。そんな──」
 そうしてそんな沈黙がどれだけ続いた頃だったろうか。
 やがてバウロの眉間に深い深い皺が刻まれていた。ゴーグルをずらしては巻き直し、何度
も文献の内容を指でなぞっては確認している。
「あ、あの。どうかしたんですか?」
 その動揺が尋常ではなかった。ジークは何か拙い事でも起きたのかと、おっかなびっくり
に声を掛けて訊ねてみる。
「……。少年、これはただの魔導具ではないぞ」
「はぁ……。というと?」
「私の見立てが間違っていなければ、これは……“聖浄器(せいじょうき)”だ」
 ゴーグルを外し、ぐっと眼力を込めたバウロの一言。
 その瞬間、場の空気が──ジークを除いて凍り付いていた。
「セージョーキ? 何です、それ?」
「せ、せせせ先生っ、それ本当なんスか!?」
「ああ、間違いないだろう。封印が施されていた理由も……これで頷ける」
「? フィデロまで……。何なんだよ。そんなにヤバいのか、俺の刀?」
「危険という意味ではないがな。……フィスター、説明してやれ」
「う、ういッス」
 ごくりと息を呑み、居住いを正したフィデロがゆっくりと口を開き始めた。
 それでもジークだけは頭に疑問符を浮かべたまま。サフレとマルタ、そしてバウロ。三人
それぞれの驚愕な視線が左右・正面から向けられている。
「聖浄器というのは、対瘴気用に開発された浄化促進器ッス。その起源は大盟約成立期まで
遡ることができるもので、魔導開放によってそれまで以上に魔導の行使者が増え、結果的に
マナの消費量──論理上発生しうる瘴気の増加とその種々の変化に対応する為に」
「あ~……すまん。頭痛くなってきた……。悪ぃけどざっくり説明してくれねぇか?」
「えぇっと。要は瘴気に対して効果の高い、特殊な魔導具なんスよ」
「かの“志士十二聖(ししじゅうにせい)”も利用したとされる武具だ。……驚いたな。ま
さかそんなアーティファクト級の代物だったとは」
「志士十二聖って、あれか? 帝国をぶっ倒したっていう英雄だろ? でもそれっておとぎ
話なんじゃねぇのかよ」
「確かに後世人々によって脚色された部分も多いな。だが、ゴルガニア帝国の存在はれっき
とした史実だぞ? 結局は強権政治の末に彼ら解放軍によって滅ぼされたが、機巧技術が現
在ほどの進歩を遂げたのは、当時から帝国によって研究と実践が積み重ねられていたからと
いう側面も大きいんだからな」
「……ぬ、うぅぅ」
 フィデロからサフレから講釈を受けて、ジークは頭が煙を上げてオーバーヒートしそうに
なっていた。何とも言えないもどかしさを呟きながら、ガシガシと自身の髪を掻き乱す。
「難しい話はいいや。俺の頭じゃ分かんねぇし。……要はすげー珍しい魔導具なんだな?」
「……そうッスね。ぶっちゃけるとそれで済みます」
 フィデロは答えながら苦笑していた。
 弟とは違って勉強は苦手らしい。それが分かったのだろう。
 だが、バウロだけは眉間に皺を寄せた真剣な面持ちのまま、クスリともしていなかった。
「仕事の合間にと軽く受けたつもりだったが、とんでもない物を持ち込んでくれたものだ。
少年よ、一体これらを何処で手に入れた? 何故君ような者が聖浄器を持っている?」
「何でって……俺もよく分かんないんですってば。母さんから受け取ったとか、昔父さんが
使っていたとか、それぐらいしか知りませんし……」
「……そうか」
 バウロは大きく息を吐くとがっしりと両腕を組んで考え込み始めていた。
 落とした視線の先には、ジークの六本の愛刀──いや、聖浄器。
 暫く、その沈黙に身構えていたジーク達だったが、
「ならば私が君に勧めるべき提案は一つだ。これらの出自、君の母上に今一度訊くべきだ。
場合によっては更に遡らなければならぬかもしれんが、正体が判明した以上、このまま君の
手の中に収めておく訳にはいかなくなるだろう」
 キッと顔を上げたバウロはそう確かに、命令のような懇願のような言葉を投げていた。

「あ、兄さん。おかえり」
「おっかえり~」
 日は沈み、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
 学院からホームに帰り、宿舎の部屋に戻ると、机に向かっていたアルスとその傍らで漂っ
ていたエトナが振り向いて迎えてくれる。
「ああ……。ただいま」
 ジークは色んな意味での疲労をひた隠しにしながらも、笑みを返すように努めていた。
 少し前までは何だか辛そうだったのに、今は何だか嬉しそうで。
 そんな勉学に励む弟を見ていると、暗い表情(かお)を見せるわけにはいかなかった。
「ちっと横になってるわ。飯時になったら起こしてくれ」
「うん……。分かった」
 ゆらりとした歩みで掛台に六刀を安置すると、その足でどうっと投げるようにベッドへと
身を任せて腕を枕に仰向けになる。
 色々、疲れた……。
 勉強机の照明を中心とした明暗のグラデーションの中で、ジークはぼんやりと身体を休め
始める。
(ジーク、どうしたんだろ?)
(さぁ……。お仕事が大変だったのかな)
 エトナがひそひそ声でそんな事を問い掛けてくるが、アルスには心当たりはなかった。
 机の上に積まれているのは、ブレアから借りてきたこれからのゼミで使うテキストの魔導
書たち。ゼミの時限のあと特に予定のなかったアルスは、早めに帰宅し早速その精読と予習
に勤しんでいたのだった。
(あんな様子じゃあ、尚更言えないよね……)
 テキストに目を通しながらも、正直アルスは心配半分安堵半分の気持ちだった。
 ブレアから言われた、自分に必要なのは実践という言葉。その一番の手が冒険者に交じり
魔獣や瘴気への対処を実行することだという言葉。
 幸い、伝手がないわけではない。
 兄やイセルナ達クランの中心メンバーに、自分にも冒険者の仕事──魔獣討伐を手伝わせ
て欲しいと頼んでみればいい。
 だが兄はきっと……反対するだろう、心配するだろうと思った。
 だから今すぐに相談しなくてもいいのかなと思えると、正直ホッとしていた。それが一時
しのぎなものであると分かっていても。
(……今は、もっと知識を積もう)
 だからアルスは改めてテキストに視線を落として集中し始めた。
 自分の身を案じて立ちはだかってくるであろう、頭の中の兄の姿から距離を取るように。
(……セージョーキ、か)
 一方でジークもまた目を瞑ったまま考えていた。
 門外漢な自分には結局よく分からないままだったが、愛刀らはとんでもないレア物である
らしい。サフレとマルタも帰宅中、しきりに驚いていた。そしてまだ安易に今回の結果を誰
かに報せない方がいいと釘も刺されていた。
 愛刀らの正体がレア物だというのは、正直自分にはさほど驚きはない。
 だがそれ以上に気掛かりなのは、バウロが自分に告げた警鐘のようなあの言葉。
 ──君の母上に今一度訊くべきだ。
 それは導話越しで、という意味ではないのだろう。
 彼が言っていたように、もっと遡ること──母すら知らない可能性もある。真に問い質す
のならば、故郷(サンフェルノ)に戻る必要がある。
(村に戻れ、か……)
 ごろりと寝返りを打ち、弟に背を向けた状態でうっすらと細めた目を開く。
(今更戻れるのか? 殆ど、勝手に飛び出していった俺が……)
 それだけが、何よりも気掛かりだったのだ。
「──うん?」
 ちょうど、そんな時だった。
 不意にドタドタと遠くから複数の慌しい足音が聞こえてきた。
 エトナは逸早くその外の様子に気付いたようで、
「ねえ。何だか外、騒がしくない?」
 部屋の外へと視線を向けながらそうジーク達に投げ掛けてくる。
「お前もか、エトナ」
「何だろう? ご飯の時間はまだ先だし……急な依頼でも入ったのかな?」
 互いに顔を見合わせて頭に疑問符。
 だがそんな足音はどんどん近くなり、次の瞬間、バンッとサフレ・マルタと数名の団員ら
がいきなりジーク達の部屋に飛び込んで来たのである。
「チィ……。ここにもいねぇのか」
「おいおい何だよ、ノックもせずに。俺はいいが、こっちにゃ学生がいるんだぜ?」
 ベッドからむくりと身体を起こし、ジークが窘める。
 だが仲間達はそんな気だるい反応すら惜しいと言わんばかりに口々に叫び出していた。
「それどころじゃねぇんだよ。なぁ、お前シフォンさん見てねぇか?」
「シフォン? いや。今日は朝から副団長達と出てたし、帰って来てからは学院に顔出して
たし……。あいつがどうかしたのか?」
「ああ。僕らも、さっき皆に聞かされて知ったんだがな」
 そして場の団員らを代表するように、サフレが代弁して告げたのは。
「シフォンさんが帰って来ていないんだ。ここ何日もずっと。誰も行方を知らないんだ」
 そんな、ジーク達が思わず目を見開くような緊急事態で。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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