日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)蓋は隔てぬ表裏一体

《九月がログアウトしました》
《十月がログインしました》
《今年も残す所あと三ヶ月です》

遂に月数が二桁になりましたね。秋から冬へのどっと加速する移ろい。夏の暑さにひいひい
いっていたのが何だかすっかり大昔のような錯覚がします。こんにちは、長月です。
どうにも時の流れとは淡々としているというか、非情というか。
さてはて、果たして自分はそんな時の経過に比例して成長できているのでしょうか……?
そんな事を、最近は特にせっつくように考えてしまいます。元々がインドアな性分なため、
アクティブな人達に比べると経験値が足りないように思うのですよね……。
実際はできる事を地道にコツコツ積み上げていく他ないのですけれど。
そう何でもかんでも出来るカラダではない事は、嫌というほど実感がありますから^p^


でもだからといって、僕は「だって無理だし」というテンプレートであっさり物事を切り捨
ててしまうのもどうなのかな?と思うのですよね。
可能性があるのなら、挑んでみる。それくらいの気概を持ちたいなぁと思うから。
尤もそれらがロジカルな思考の結果、そういう判断に至ったのなら別にいいのでしょうが、
やはり人の心は弱い部分というのは必ずあるもので、いつも何処かで“逃げ道”を作りたが
る。安易な手で安寧を確保しようとしてしまう。……時に、ボウリョク的なまでに。
それはある意味人の性であり、どうしようもない事なのかもしれません。
ですが、僕自身も含め、もっと人はロジカルに冷静になれないものなのか──。
非力ながら、そんな事を訥々と嘆息してならないのです。

なのに、世の中のニュース諸々を見渡してみると「向き合う」よりも「封じ込める」という
選択が成されている事例が何と多い事か。
漫画アニメへの(偏見に近い)表現規制やら、不祥事を起こした際の当事者の対応やそれら
を知った人々の鬱憤晴らし的な、ロジカルとは言い難い袋叩きの構図やら。枚挙しようとす
れば暇などなくなる程です。
よくもまぁ、飽きないものだなと僕は思ってしまいます。
そうしたどわっと時々の流れに乗って誰かを指弾する事で日頃のストレスを発散している向
きもあるのでしょうが……正直、僕の眼からすれば、スマートじゃない。決して。
何よりもそうした格好の美以上に、不都合な事があったら、不愉快な事があったら、安易に
弾き叩き潰ししていいんだという風潮が蔓延る事は危険だと僕は思うのです。
何故ならそれは──突き詰めれば“可能性を殺すこと”にもなるから。
もし何かを口に、言葉にしてそれをすぐに封じ込められてしまう事が当然という社会の空気
が固定化してしまえば、僕らは本当の意味で自由に表現することは叶わなくなる。表現する
のもそれを批判するのも自由だけど、ものには程度というものがある。

──ヒトもモノも変わらなくっちゃいけない、だけど変えてはならないこともある。
それは否定しません。ですがそれは真に大切だから守るべきものなのでしょうか? ただ不
愉快だからとか、不都合だからとか、そんな感情論やら保身やら狭苦しい正義感を押し付け
たいが為の口実にはなっていないでしょうか? その為に「蓋」をすることに躍起になって
誰かを苦しめてはいないでしょうか?
そうした気色が強い時、やはり僕は抵抗感が拭えないのです。
そんな“私的”な──ロジカルとは言えない、私利的喧伝が公に罷り通ってしまう世の中と
いうのは、やはりおかしいと思うのです。闘争の方向性が何だか違うんじゃないのかなと、
その掲げる大義が矮小に思えてしまうのです(当人達にとっては「皆そう思っている筈だ」
という妄信的前提が纏わり付いているのでしょうが……)

それら個々のイデオロギーのせめぎ合いに対するげんなりさに加えて、何よりも僕が懸念し
てならないのは、そうして「言葉」すらもが“暴力的”になっていくことにあります。
誰かがとある主張をしたとしましょう。
ですが、それは社会の多くからは認められない価値であったとします。
すると今日の私達の反応は、往々にしてヒステリックになりがちです。要するに一気に反発
の声を扇動して(その自覚は各々に無いのかもしれませんが)叩き潰しに掛かる。
もしかしたら、僕の曲解が混ざっているかもしれません。
もしかしたら、もっとロジカルな人達だって沢山いるのかもしれません。
ですが……ざっと見てみる限り、どうにも今日の何かのレスポンスというのは白黒はっきり
とつけてお互いを潰し合おうとする“暴力性”にどんどん染まっているように、僕には思え
るのですよね(或いは無知・無関心であるか)

ネットなどのツールで発言する人口というのは今日でもイコール総体ではありませんし、何
よりも顔の見えなさが言葉を辛辣にしているのかもしれません。
ですが、そうした擁護的な見方を加えたとしても、懸念が消える訳ではないのです。
言葉すらも“暴力的”──ロジカルでない要素に支配されるとなれば、一体僕らはどうやっ
て穏便に冷静に、ロジカルに、物事を論じたり可変させていくことができるのでしょう?
持論ですが、理性とはそういったラディカルな力を抑えバランスを取る為にも存在している
のだと考えています。
なのにそこから紡がれる筈の言葉が一様にその役目を果たさなくなってしまえば、それらは
もはや罵詈雑言になってしまう。物理的なそれと双璧を成す“暴力”になってしまう。
一介の物書きとしても、言葉の力がその本来力を失くしてしまうというのは、やるせないを
通り越して悔しいのです……。

不愉快だ、不謹慎だ、不都合だと貴方は彼らを封じ込める。蓋をする。
でもそうした反応をする貴方自身、そんな発想自体が実は悪しき徳だとは思いませんか?
確かに物事というのは善悪綯い交ぜになって存在するものです。
ですが、だからといって私情や集団の空気に流されて指弾するべきではないと思うのです。
どうか言葉すらも暴力に染め上げないで下さい。安易に多様さを切り捨てないで下さい。

蓋をされる者が放つ“異端”と
蓋をする者の唱える“正義”と。
そこに明確な善悪の境界線など無いと、互いは表裏一体だと、僕は思うのですが……。

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  1. 2011/10/03(月) 20:00:00|
  2. 【雑記帳】
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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