日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)五つ巡りの時節に添えて

(前回の雑記からまだ一週間も経っていませんが)

ですがまぁこんにちは、長月です。早いもので四月もあと三・四日で終わってしまいます。
桜はすっかり咲き頃を過ぎて散りゆき、代わりに田舎の山々は桃色から新緑の色に装いを変
えて広がっています。こっちもまた乙なものですね。道端のタンポポや、山吹の色が目に映
る視覚を差してくるほどに明るい。そして今のこの色彩も、もう半月一月もすれば一層濃い
ものになるでしょうし、更には梅雨時の雨でだばだばと滴っていくのです。先日はさも初夏
のような軽く汗ばむ暑さでしたが、あれがデフォルトになるのはもう少し先の事。

さて、何でまた雑記をしたためているかといえば、他でもありません。
本日四月二十八日は当庵の開設日です。そして今日でもって、その開設から丸五年を迎える
運びとなりました\(^o^)/
という訳で、今回は記念的な雑記となります。またいつか、過去の自分を振り返る為にも。

単発短編→20本(+1)
三題→245本(+60)
ユー録は第Ⅵ部序盤、昨年三月からUPし始めたサハラ~も先日とりあえずシーズン1終了まで
漕ぎ付けました。他にも絵やらツクールやら、こさえたいものは色々あれど、中々その全て
が円滑に動いていないというのが実情です。
あと、お仕事(作業場)に通い始めてちょうど一年ほどが経ちました。良縁というのはああ
いうのを言うのだろうなあと思っています。すっかり仕事や環境にも慣れ、もしかしなくて
も日がなPCと睨めっこしているより、お仕事という物理的に縛りのある時間に身を置いた方
が寧ろ脳内イメージをより練られて執筆の効率は増したんではないかと感じます。……まぁ
肝心のクオリティも同じくそうかというと、正直怪しいのですけど;

……長かったなあと思いつつも、いざ過ぎてしまえばあっという間で。

相変わらず硬い・長い・臭いの三拍子が揃いーの、他人に読んで貰おう・楽しんで貰おうと
いうより自分の愉しみ(思考)の為に書いている節がありーの、中々頑としてエンタメ精神
をその身に宿せないままここまで来てしまいました。それでも宜しければ、今後とも気長に
生温かく拙作らにお付き合いくださるとm(_ _)m

本当、精進に果ては無いですね。限界や妥協という形で切ってしまう事は可能だけども。

ただ願わくばこの“極振り”した能力やリソースが無駄にならないことを祈るばかりです。
五年・六年と創作活動をしつつの療養──からの一応ながらお仕事ができるまでに回復して
くれたこの歳月を、全くの無駄な日々だったという結末にはしたくない。なってしまったら
本当に怖い。まだ全然彼らに「返して」もいないのに、そもそもまだまだ途上なのに。

……今夜は改めて、少々ネガティブなくらいにここ暫くを振り返ってみたく。


大よそ、この一年は僕にとり、大きな進歩の年となりました。
それは言わずもがな、作業所通いを始めたことです。一般的なサラリーマンという形態とは
だいぶ違っていますが、仮にもお仕事をして給料を受け取るという形に自分をもっていけた
ことは、それまでの罪悪感──何もせずにただ毎日を「療養」に託けて無為に過ごすという
後ろめたさを大きく和らげてくれました。肩の荷が降りたというか、何というか。今も月に
一度ほど掛かっている通院代や一部公共料金も(各種福祉系の免除があってですが)自前で
払えるようになり、少しずつ貯金も続けています。一頃は無資力の自分に罵声や憤りを浴び
せてきた家族も、現在はホッとされたようで、それぞれの日々の生活に集中して貰えるよう
になりました。以前はあれだけ嫌に思っていたカネモウケに救われるとは、何ともはや。

先月末で、今の作業所に勤め始めてちょうど一年が経過しました。
人は慣れの生き物だと云うのはなるほどそうだなと。環境にも、肝心の仕事内容にも慣れ、
気付けば今や自分が面子の中では古参の部類。職人仕事のような性質が自身の性分と合って
いるのか、軽い雑務と共に色々と任されるようにもなりました。……いいもんですね。連日
ただ日がなPCと睨めっこしていた頃より、お仕事という物理的な「間」を経てさて、と席に
着いた方が結局執筆効率も大分良くなっていますし。
お仕事と、自宅(家事や創作、風呂飯睡眠)を往復する日々。
時折こんな平坦なままでいいのか? と思って眉を顰めることもありますが、それでも母に
は『毎日に忙殺されているってことは、充実しているってことよ』と笑われました。
(……本当にそれでいいのか? 自分の小市民さと、社畜的な内向きの収斂を、さも領分を
弁えているかのような諦観で以って認めてしまうばかりで。確かに皆が皆「何者かになる」
ことは出来ないのかもしれないけど、僕はちょっと哀しかったぞ)

惚気はいい。とにかく何時来るかも判らぬ“それ”に備えなければ。

ざっくり言うのなら揺り戻しという奴でしょうか。外からの不意のアクシデント、不運だけ
ではなく、勿論自分自身、内からのカウンターがもう二度と無いなんていう保証はない。
不安、なのでしょうね。或いは埋没することが怖いのか。

──半ば引き篭もっていた日々に比べれば随分とマシになったけれど、この一歩は相対的に
見れば健常(タフ)な人達がとうに通っていった道でもあるのです。
就職、社会経験、ひいては結婚して子供をもうけ、当たり前に老いてゆく。
その当たり前すら、僕にはまるで準備が、必要な経験値が足りない。そもそも今更届くのか
という疑問すらある(ある程度は諦めているが)この程度の一歩で満足するなと、自分を哂
っていたり自分を尚もスパルタに責め立てる自分がいる。
──今のお仕事に携わるようになった。一年が経ってすっかり慣れ、ちょっとしたベテラン
気取りである。実際にそう期待を向けられているのをいい事に。
でもそこで慢心するなと、自分の中の自分がじっと眼を光らせている。
「天狗になるな」を自分に課し続けてきたのは最早卑屈な予防線を通り越してこの身に染み
付いた悪癖だが、はたして最初の頃に比べて、横柄になっていないか? 後から来た子達を
竦ませるような態度で接してはいまいか? 段々と調子に乗り、勝手知りたる云々、相手を
結果遠ざけてお終いとなるような馴れ馴れしさが発揮されてはいまいか?
──何より、忘れていくのが怖いのです。
かつて僕も一度はそれまでにない程に病み、何度も消えてしまいたい、こんな自分に意味は
無いと日がな鬱々とする毎日が少なからず続いていました。
でも、今ではすっかりそんな症状は無くなった。まぁ時折気分の落ち込みが多少現れてくる
ことはあるけど、あの頃みたいに自分という存在を殺したくて堪らないくらいに暗がりのセ
カイに墜ちたままではなくなった。本当に感謝している。運が良かった。
……だからこそ、自分が「助かった」のをいい事に、今もこれから先も生まれるであろう出
会うであろう痛んだ人達に、はたして僕はずっと優しいままでいられるだろうか? と思う。
本当の意味で理解し、寄り添うことができるだろうか? 己が「助かった」経験だけで相手
を断じ、語って嘯くような嫌な奴になってはいないだろうか?
ぶっちゃけてしまうと、やはり巡り巡って彼・彼女が病んだのは彼らが「タフではなかった」
ことにその一因はあるのだろうと思う。もっと厳密な言い方をすれば、そんな特定ベクトル
のタフさを強要する(歪んだ)この現実世界に対し、戦うなり上手く回避するなりといった
“立ち回り方”を取らなかった自己責任の部分は……問い詰められれば僕らの側にだってな
かったかと訊かれれば無いとは言い切れなくて。
(こと僕個人のケースに限れば、就職という大転換期にまごついていた所為である)

『“犯人探し”はしなくていい。しない方がいい』
『レールは何も一本じゃない。色んな方向に延びてる。存分に回り道すればいいんだ』
『とりあえずは自分の好きな事で、エネルギーを溜めるといいよ』
『大丈夫。そうやって君が“心配”できるなら、君がそうなる恐れは先ずない』

結局は、今も何処かで自分を責めていないと落ち着かないのかもしれません。卑下癖という
奴か、ここに居ていいんだという差し込んだ《光》すら、僕は丸っきり完全の素直に取り込
めないでいるのかもしれない。

解っているのです。過去に囚われていたって、自分が生きているのは今なんだから。
だけども、かといって現在進行形の成功(と呼ぶべきなのかは微妙だが)体験をこのまま大
事に抱え続けていても、きっとそれらはいずれ「過去」になる。一旦手放して、新しく進む
方を採らなければいけないのに、その良かった頃に囚われてしまう。

悩んでも仕方ない。起きてしまったことはもう巻き戻せない。次、どうするか?
ポジティブ教徒というか何というか。ぐるぐると益体の無い思考をしていたって何も解決し
ないのは事実だけども、そこに都合のよい取捨選択が混ざっていやしまいか? 過去の痛み
はさっさと忘れて、気持ちいい事だけはホクホクと抱えて覚えておく。……これが僕のクズ
度合いなのかもしれないけど、そんな手前勝手な解釈で記憶が風化していくなんて誠実じゃ
ないと思う。喉元過ぎれば何とやら。覚え続けること、忘れないこと。絶対最低限のマナー
としてその『過去を他人に押し付けないこと』さえ守れれば、受けた痛みだって憎しみ以外
の何かを自分の中に耕してくれる筈だから。
……究極、誰かの傷に優しいというのは、大なり小なり同じような傷を負った経験があるか
らこそ出来るのだと思うのです。負って、それでも乗り越えて来れた人だからこそ出来うる
し、真に担うべき人材だと思うのです。

覚え続ける──過去の辛みに囚われたさま。
忘れること──現在の幸福に囚われる未来。

人生も、創作とて同じような気がします。
過去の辛みをエネルギーに、カタルシスの為に書いた物語には限界があり、されどとにかく
赦す物語でも小奇麗に過ぎる。痛みに操られるのではなく我が物にし、今に埋没するのでは
なく先があることを知っている。進んでは振り返り、振り返っては進み、そうして誰かの歩
幅に合わさった時、その人の物語は誰かにとっても救いの一助になるのかもしれません。

そういう物語を書きたいですね。ただ憎しみを撒き散らすでも、清廉を布教するでもなく。

藝にしたいですね。もっともっと、自分の為と誰かの為が交わる一点を見つけたいのです。

スポンサーサイト
  1. 2016/04/28(木) 21:00:00|
  2. 【雑記帳】
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(企画)週刊三題「レトログレス」 | ホーム | (遊戯)制作記録 その11 【ユー録】>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://higurasisouann.blog27.fc2.com/tb.php/722-02fe4256
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

訪問者累計

最新記事

最新発言

検索窓

月別履歴

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

分類/索引

【案内板】 (2)
【小説:短編】 (20)
本の蟲 (1)
硝子野不動産店 (1)
夏の日の幻影 (1)
四番線の彼女 (1)
夢視の宿 (1)
線を曳く町 (1)
炬燵の神様 (1)
三者三盗噺 (1)
色眼鏡 (1)
奴らは攻城戦師 (1)
詰め替える (1)
同じ籠の狢 (1)
二十年後の遺言 (1)
轍の先 (1)
水に流せば (1)
真夜中の御二柱 (1)
いつか見た夢 (1)
神様達の初詣 (1)
白い花束 (1)
丸の代償 (1)
【小説:長編】 (150)
Amethyst League (6)
アンティーク・ノート (3)
ユウキのヒカリ (5)
NIGHT GUNNERS (5)
レディ・ルーン-Bonds of RU'MEL- (6)
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- (88)
死に損いのデッドレス (5)
Dear SORCERY (4)
サハラ・セレクタブル (28)
【企画処】 (343)
週刊三題 (333)
その他参加物 (10)
【資料庫】 (15)
【落書帳】 (6)
【詩歌帳】 (6)
【雑記帳】 (322)
【読書棚】 (30)
【遊戯倉】 (24)
path. (4)
decide: (3)
ユー録FW (16)

記事録

交友関係

このブログをリンクに追加する

(RSSリンク)

(QRコード)

QR

@long_month からのツイート