日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)どだい沼の上の細道に

一転して、春の嵐。

地域によって違うと思いますが、こちらでは週明けになってから二度三度、嵐と形容しても
いいくらいの激しい雨風に日がな曝される日が続いています。
なもので、折角満開近くまで咲き誇っていた近辺の桜達も、どんどん散ってはくすんだ色ば
かりを残すようになってしまいました。昨日もどしゃ降りに降ったし、多分枝ごと落ちてし
まってるんだろうなあ……と思いきや、まだ生きてました。散る姿も美しい。

ともあれ、こんにちは長月です。四月もあっという間に折り返しを過ぎて、個人的にはぼち
ぼち次の執筆スケジュールに備えてコンディションをもっていかねばならぬ所。
あれだ……心身ってのは自覚以上に疲れているんですね。お仕事がオフだという頭があるか
ら余計の事なのか、いざたっぷり休んでも大丈夫ってなると時間が勿体無いくらいに日がな
寝てしまいます。それだけ一頃に比べて活力を取り戻した証なのでしょうが、何もしないと
いう状態がこうも辛く感じるとは。社畜乙
(まぁ休日に休まないでいつ休むんだ?ってツッコミは実際家人よりありましたけども)

平穏無事も、基本は良きことかなではある筈なんですが、これも言い換えれば単調な日々だ
とも言える訳でさてどうしたものか。かといってもっとエキセントリックというか、刺激の
強い毎日をとのたまってもどだい振れ幅の大きい生活なんて疲れるだけですし、ぐってりと
するのは目に見えてますし……。
どうもここ暫く、高望みし過ぎているのかな? なまじ身体が動くぶん自分が「できる」と
思い過ぎている? いざガクンと体調が落ちれば(割と普段から?)瞬く間にままならぬの
に「創(ツク)らなきゃ」と前のめりになり過ぎている? ……結局は極端になっちゃうん
でしょうかね。不可能から空回りに、結果からすれば一周回って同じく“不発”であること
には違わないようで……(´・ω・`)

ただ、別にこういうのは今に始まった事ではなく、要は振れ幅の有無に一喜一憂するべきで
はないのだろうなぁとも思っています。基本的に有るものとして構え、如何に受け流しつつ
適度に受け止めつつ過ごすのか? そういうものの見方で暮らしていかないと、治る気力も
治らないような気がしますね。

幸いにして、自分の場合は療養生活の末の邂逅で今に至ります。一応ながらもお仕事を得、
それまで背負ってきた十字架がだいぶ薄く軽くなってくれたような気がします。
だから──ポジティブ教徒ではないのですが──「0か1か」ではないのでしょう。
こんな感じで世の中には(自分にとり)良い人がいて出会い得るし、一方で多分同じくらい
悪い人間というのも確かにいて、遭い得る。ただインパクトの問題なんだと思います。仮に
一の善人に救われても、二・三の悪に触れれば九割九部は打ち消されてしまう──いわゆる
結果“悪目立ち”したそっちの記憶ばかりが残ってしまう。故に世界はクソだと言う。
でも、少なくとも知っている筈です。
一度でも良縁が自分にも掴み得る(巡り得る)と経験していれば、また悪縁・悪人に苛まれ
てしまって「クソッタレ!」となっても、己を救われた側の心意気へと繋ぎ止めるという選
択肢が自ずと増えていると思うのです。……またいつかは、フッとこの僅かな幸が再び世と
人の澱みの中へと引き摺り戻されかねないにしても。

どうせ“沼”の上の細道を歩くしかないなら、せめて前を向いて歩きたいものです。

何も四六時中その底を覗き込まなくたっていいんだから。
時々、休み休み足元に気を付ける程度で目を遣るくらいの方が、絶対健康的ですよ?


……しかしまぁ、話題(ネタ)が無い。

いや、無い事はないんですが、やっぱり巷の時事を殊更取り上げて自分がものを語るダシに
しようっていう行為を僕はどうにも「正しい」とは思えないというか……。一時はアンテナ
が鈍ってしまった・鈍ってしまって困ると嘆いたものですが、今までを振り返るにそれは厳
密ではなくて、半分は頭の中で候補に残したファクター数の問題だし、もう半分はそもそも
時事を語ること関わることそのものに厭気を覚えていたからというのが大きいのでしょう。

それでも、少し取っ掛かりに引き出してみましょうかね。ご存知の方は既に方々で御仁がこ
こぞとばかりに語っているのを見聞きしていると思いますが、先日とある保育園の建設計画
に対し「子供がうるさい」といった理由で断念させられたというニュースがありました。
……分からなくはない。僕も子供のキンキン声はあまり好きじゃないですし、今の時代夜勤
の方も少なくないので仮に近所に出来てしまうとろくに休めないかもしれません。
ですが巷、良識人ぶった人々からはけしからんという批判が多いようです。子供の声くらい
我慢しなさいとか、個人のエゴだとか、そんな事だから少子化が進むんだとか……。
ただ、どうもぼやっと観測範囲を観ていると、少なくとも今回の件に関しては必ずしも子供
がうるさいという意見で以って建設計画が頓挫したようではないみたいなんです。
その報道によると、確かに子供がうるさいから嫌だという意見は一人二人あったようですが、
当該の地域住民から反対された最大の理由は「道が狭い(確実に辺りが混雑して不便になる)」
というものだったそうです。建てるならせめて先にそこをどうにかしてくれと。
……切り取りというか、偏向報道ですよね。
何処が第一報を出したのかまでは知りませんが、その方がウケる──人々の食い付きがいい
と考えたんだろうなぁといった想像は、容易につくのですよ……。

僕が諍いやら「声の大きい」ムーブメントが大嫌いだというのもありますが、やっぱり多く
の場合、義憤とは悪だと思います。事情もよく知らないで、パッと脊髄反射で弱者と悪者を
区分して外野から騒ぎ立てる──これほど愚かで、且つ世にありふれてしまった悪性は他に
類を見ないのではないかとさえ感じている今日この頃です。
ですからそんな人々の(要らぬ)義憤を煽るようなメディアも、基本話半分で聞くぐらいの
スタンスじゃないとやってらんないのです。一々憤っていてはキリがないし、人間個々人や
社会のリソースの無駄遣いです。
(尤も一つの報道が切欠で大きな議論が巻き起こり、不遇だった何かが変わるという事例は
ありましょう。寧ろそれがジャーナリズムの本懐なのでありましょうが……結局外野が入っ
ていって事を荒立てるという意味では、やっぱり僕個人は好かんですね)

報じる側も、解っていると思うんですよね。
今日び僕らは往々にして己の楽しみ、我欲を優先します。その一つが義憤──個人的な鬱憤
を大義名分に乗せて叩き倒すことであり、だからこそ騒ぎが下火になれば皆サッと離れてい
ってまた新たな生贄に群がる──別に本気でその不義を正そうなんて思っちゃいないんです。
本当に本気なら、もっと意欲的で組織的で、専門的なノウハウを持つ人材(たにん)を待つ
べきなんです。僕らは僕らが自負するほど、何でも出来やしない。それなのに、奴らは焚き
付けるだけ焚き付けて、目の前の銭を稼いでいやがる……。

──ちと脱線。とにかく、今日び僕らは(精神衛生的な意味でも)その我欲を肯定します。
でも、はたしてどうなんでしょうね? 取っかかりに挙げた保育園反対の声にしろ、理由は
どうみたってエゴ(子供がうるさい=俺が寝れない、道が狭い=私の往来に邪魔)でしかな
い訳で、やっぱりこうやってああやって、自分のことばかりに生きる世界を集約すればする
ほど(主にインフラ的な意味での)社会全体や地域コミュニティは先細っていく一方なんだ
なぁと僕は観ます。実際、個人が個人の営みに汲々としてリスクばかりが悪目立ちするよう
になって久しいからこそ、諸々の根本である少子高齢化なんてのも進む一方であって……。

個人主義の蔓延? 件の反対への批判のように僕らは何処かで「我」を殺し、「全」の為に
耐えて許さねばならないのか。
でも正直な話、難しいでしょうね。少なくとも昔ほど今の人達は旧時代的な共同体に意義を
見出していないし、寧ろ煩わしさばかり挙げる。だからこそどんどん若い人達はそういった
システムが慣習(ぎみ)ではない都会へと出ていく。先細る。その隙間を埋めようとして、
そうなった原因を鑑みずに認めないから、どんどん全はそこに残る個を圧迫していく……。

もっと昔厨二病全開の頃は「じゃあ滅べばいい」と割と本気で思っていた。実際、今だって
うちの田舎でも旧態依然のコミュニティのトラブルを見聞きしていて、そんな諍いの気配に
内心苛々して「じゃあ一回リセットしちまえよ」と叫びたくなる。
でもそれは、大半の人間にとっては思っていても言ってはいけない台詞なんだろうなあ。
此処に残っている人達は、残ろうと思って残っている以上に、残るしか選択肢がないから残
って此処にいる。「他」が無いのだ。べったりと寄り付いてこびり付いているから、それ自
体をぶっ壊しちまえなんてのは暴論以外の何物でもないと思う筈。……だとすれば、やはり
僕は昔のまま、集団という枷と個の汲々さに圧され、引き裂かれてゆくさまを観ているしか
ないんだろうか? もう末期なんだよと言われればまぁそうなんだけど、どうしてこうなっ
た……という思いはある。

「何とかしなくっちゃ」
欠片でも、観ていて思ってしまう時がままあるのが可笑しい限りで。
繰り返すが、僕らは僕らが自負するほど何でも出来る訳じゃない。僕に、人間一人に出来る
ことなんて結構限られていて、そのキャパシティを増やすには相当の努力と熱量がないと難
しいと思う。こう言えばじゃあできるじゃないか、と言われるかもしれないけど、それは詰
まるところ結果論であって決して万人に適用されるものじゃない。

それこそ、自ら“沼”に手を出し足を踏み入れるようなものであって。

何も僕らの個々の生を走る細道、その両脇に黒く澱むそれは人々の怨憎だけじゃない。集団
を集団たらしめようとして頑張ったことで、結果その一部となってしまった成れの果てだっ
て少なからずいるんだ。

細道を歩いている。

それは何とも頼りなくて、ひょろひょろと行く先知れずに分岐していて、気を抜けばすぐに
足を踏み外してしまう。
その先には歓喜するもの達が待っている筈だ。憎しみなり、コンナ筈ジャナカッタと叫びな
がらぐらぐらと溶け合って且つ一つにも成り切れず、結局できる事は新しい“犠牲者”を増
やすことだけ。誰も救えないし、彼ら自身も救われることはない。
思うに昨今──いや古今東西人の世とは、どだいそんな“沼”の群生地なのかもしれない。

細道を歩いている。

どうしようもないのか。
ただ当たり前のように多くを切り捨てて、危なげにやり過ごすしか道はないのか。

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  1. 2016/04/14(木) 18:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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