日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)何を憶えて、何を忘れる

暖かくなるかな~? と思ったら、また寒くなった件について(^o^三^o^)

一週間も経たぬ内に雑記です。そして一週間も経たぬ内に気候がふいっと春から遠退いたか
のような昨日今日。先の陽気につられて芽を出し始めた作業場近くの梅の木たちが、冷たい
風にじっと吹かれておりました。……何かこっちまで芯が冷えてきそうになります。
どうやらまだもう一回、二回、寒暖の波が必要みたいですね。一度はインフルまで拗らせて
痛い目をみた者としては、いい加減まっすぐ季節が変わって欲しいもんですけど……。

今週は、例の如く長編な方の執筆はお休みし、充電期間のような生活を送っていました。
しかしまぁ……お仕事で平日の多くを過ごすようになったこともあって、一週間があっとい
う間に過ぎるのなんの\(^o^)/ 幸い肝心の作業もこなれて久しく、新しい人やお客さんも
増えてきてしばしば活気ある。人によってはそれが煩いくらいに感じられるかもしれません
が、自分としては割とよかったなぁと思う方です。不思議なもので、物書きをする時とは違
って他人の声(喋ってる気配・姿)があると適度に肩の力を抜けるんですよね。本当、何で
こうTPOによって違うものなのか……。嫌ではないのだけど。

カレンダー上の週毎の短さ(日数)にもよりますが、ざっくり自分は一週目と三周目にそれ
ぞれ長編系二作の執筆スケジュールを入れるようにしています。体力的にも立て続けはしん
どいというのは経験で分かってますし、やはり余裕は作っておきたいので。
このリズムの通り、来週からはサハラ~の次章(十三章・7エピソード目前編)の執筆に掛
かろうと思っています。いよいよ書き溜めたプロットもこれで最後のエピソードとなって参
りました。詳しい事は来月、後編を更新してからまとめるものとしますが、故にサハラ~は
次編──シーズン2のプロット作成の為に暫くお休みになるでしょう。
……ただ、ジャンル分類をSF(変身ヒーロー物)として投稿しているのもあって、次編以降
も読みたいと思っている方がおられるのかどうか……;正直まだ、他の構想と併行していく
のかいっそ切って入れ替えてしまうのか、迷っている節があるんですよねぇ。
(尤も後続はプロットすら出来ていないので実際問題すぐには難しいが)

そんな事をぼやっと考えながら、趣味と仕事を往復する。

ほっこり良い方向にむかっていく案件が出てくる一方、はたと懸念材料も出てくる。それら
は確かに今すぐではないけれど、折角前に進んでいこう・笑って生きていける人の、まだ安
定しない足場から、ややもすれば乱暴に梯子を外そうとするのは如何なものか。確かに全員
が全員『社会はお前の母親』ではなくて、逐一リソースを振っている余裕がある訳ではない
のは理屈では分かるのだけど、何だかなあ……。

……失礼。私事過ぎたかしらん。
でもここ最近、仕事柄もあって改めて考えるようになっている。

本当の「優しさ」とは──何だ?


既に各種マスコミが報じて否応でも耳にしていることでしょうが、昨日で東日本大震災から
丸五年が経ちました。
3.11、未曾有の津波と原発事故。多くの人々の命が失われ、絆が断たれ、今も様々な理由で
もって苦しんでいる人達が東北に日本中に今この瞬間も生きている。
五年前のあの日、僕はちょうどトイレに入っていました。
文字通り、出てきた時には世界が一変していた。居間の父が「大変なことになってるぞ」と
テレビを指差し、画面越しに映った遠い──そう遠い──地を中心に起こった大災とその続
報らに暫し身が強張る思いでした。
なまじ自分は、震源地からは離れていたものの、阪神淡路大震災を幼い頃に経験した身。
二度目。もしかしたら自分は死んでいたかもしれない……。そんな想像をすると。

そしてまた節目の年になり、案の定テレビや新聞などでは震災を振り返る特集がどこもかし
こもで組まれていました。
「忘れない」「語り継ぐ」大よそ何処もがそんな文言を取り入れている。
……でも僕は思うんですよ。
本当にその言葉は紡がれるべきなのか? 貴方達が代弁していいものなのか?
本当に“憶え続ける”ことが正しいのか……。

不謹慎だというのはよく解っています。これがSNSで迂闊に喋ろうものなら、所謂クソリプ
がぺいっと投げ付けられてくるんだろうなあという予想も。何より解っていながら、それで
もこうして文章にして言葉にしたがる己を押さえなかった自分というものも、ある意味では
これから語ろうとするマスコミ──いわゆる世間様と同質なのかもしれないとさえ思う。

……何よりも先に、胡散臭さと得てしまった不信感なのですよね。
あれから五年が経ちました。確かに今も仮設住宅に暮らし、避難先で暮らし、或いは避難す
ることすら諸々の事情で出来ずに、さも取り残されている人々がいる。
でもですね? それはあくまで「ご本人」達が困っていると声を上げるのが筋でしょう? 
困っていると知って手を差し伸べた人達が準主体となって動くものでしょう? なのにマス
コミは毎度「ほら、困窮してる!」と伝えるだけで、その現場に行ったのに、自分達は何も
していないんじゃないかと思うのです。見方を変えれば、節目の歳だとかつての現場に赴き、
まだ傷を抱えている人達の傷を掘り起こし、画面の向こうにいる僕達に見せ付けてドヤ顔を
することで商品にしている──それがジャーナリズムというものなのかもしれませんが、僕
はどうにもそういう偽善な「様式美」が好かない。
加えてあの震災、原発事故以降、世の中には反原発勢力と、それに反発する勢力ばかりが悪
目立ちするようになった(別にこのファクターだけに限らずではあるが)
こんな甚大な被害が出るのなら、確かに原発はなくしていくに越したことはないのだろう。
でも今日びの反原発勢力というのは「今すぐなくせ!」と言う。造った後に言われても実際
には廃炉作業や放射性廃棄物の処理の問題、代替可能な電力の技術を実用化するなど様々な
課題があるのに、往々にして造ったから悪いんだと“遡及効”のように責め立てる。各地に
建っている、その現実を踏まえれば『技術を開発しながらちょっとずつ減らしていく』のが
おそらくベストな回答な筈なのに、そんな(彼らからすれば)中立な言い方すら許さないと
いうような空気がある。そしてそんなラディカルさも手伝って、反発するように、現状原発
が無くては困る&ただ権力を批判したいだけの奴らというように現れてきた対抗勢力もまた
ラディカルになる(ならざるを得ない)一方だ。そんな、すっかり肝心の「芯」の所にいる
筈の被災者らを置き去りにしたまま広がる闘争が大嫌いだというのも、またこの気持ちに拍
車をかけているように思える。

要するに「忘れない」「語り継ぐ」と定期的に騒ぎ立てる“外野”は、単に自分の嫌いな敵
を腐す材料が欲しいだけではないのか? その為に「弱きひと」として被災者らが目をつけ
られ、利用され、今も闘争ばかりが繰り広げられているのではないか……?

確かに時を経れば、記憶は風化する。刻んだ史料も、朽ちていく。
だから「忘れてはいけない」と口にされ、後世に「語り継がなければならない」と繰り返し
責任を背負い込んでいく。
……でも、運動が大きくなる余り、闘争に体よく利用されるが余り、それ自体が目的化して
しまってはいないだろうか? 未来へ明日へ繋ぐ為に憶えているのならまだしも、未来へ明
日へ“進ませない”為の愚として使われるのなら、それははっきり言って万人にとって害悪
でしかないのではなかろうか?
繰り返す。失った本人が失った人達のことを胸に抱き、苦しみ、後世を生きるのならばまだ
いい。できることならいつまでも過去に囚われず、自分の明日に生きて欲しい──その方が
(もし天国というものがあるのなら)先に逝った人達の安寧にもなると思うが、流石にその
個々の速さまでは僕ら外側の人間達がとやかく言って急かすものではない。必要ならばより
具体的な支援もあろうし、ただベタベタ「辛いね辛いね」と囁き纏わりつくのが“優しさ”
だとは……僕自身、何年も臥せっていた経験もあって、どうしても思えないのだ。

勿論、個人的な病と災害で負った傷はスケールもケースも違うし、一概に括れないものだろ
うとは理解している。
でも、少なくとも「弱き人」という立場(身分)であることを彼らに強い続け、己が闘争の
ダシにしているような輩を、僕は優しい人だとは認めない。偽善者だ。文字通り自分の利益
の為に、一見すると善であることを行っているような人間だ。いつだったか、被災地のイン
タビューで、必死に我々は被害者である・辛い苦しいの言動を撮ろうとしたが、頑なに笑顔
で『また建て直しましょう』と応えていたお爺さんがいた。……マスコミざまぁという溜飲
が下がるという面もやはりあったのだろうが、僕はああいう姿もまた傷んだ人達の「真実」
だと思う。立ち直れない人もいれば、ゆっくりと、それぞれ速さの違いはあっても前に進も
うと懸命な人達だって──「強い人」達だってきっといる筈だ。それをまるで存在しないか
のように無視し、全て同じような集合体として見せようとするメディアの、何と信用できな
いことか。すべきでないものか。

優しい人達がいる。そして本当は優しくない(利用したいだけの)人達もいる。

それは僕自身、見て聞いて体験して、改めて強く思っていることだ。本当の意味で優しさを
発揮するというのは、実はとても“しんどい”ことなのである。
少なくとも、言い方は悪いが、多くの場合義務ではない面倒を自ら背負うことである。故に
途中で耐え切れずに投げ出すくらいなら……もっと早い内から「発揮しない」という態度を
取るべきだった。
その意味でそれでも尚手を差し伸べ続けようとする人は、とても強いと思う。尊敬に値すると思う。
自身がかつて同じように「弱き人」であったのかもしれない。或いは「弱き人」を間近で見
ていて、多くのことを学んだ人であるのかもしれない。
だから安易に、己が利益の為にダシにする為に近付く自称善人を、僕は酷く警戒する。
『善は微に入り細にわたって行われなければならない』
今は亡きとある心理学者の言葉だ(言い回しの原典は海外のようですが)

非情だというかもしれませんけどね。忘れたっていいじゃないですか。
何時、必ずというものではない。だけどもずっと過去の中に生きていたって、自分を責め続
けたって……貴方はきっと幸せになんかならないもの。
失くしたものの上に立って、彼らの分まで、彼らがいたことを糧にして進められればいい。
丸っきりなくすでもなく、ちょっとずつ呑み込んで、今と明日を生きられればと思う。
そうればその哀しみも憎しみも、言い寄ってくる偽善者達にいいように利用される危険性だ
って減る筈だ。不幸の連鎖も歯止めが効くかもしれない。そう僕は信じたい。

たとえそんな悪循環が、引き摺り囚われることが、どうしようもない人間の性だとしても。

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  1. 2016/03/12(土) 21:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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