日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅵ〔71〕

 それは史の騎士団と正義の剣(カリバー)、セイオンの三つ巴の睨み合いが収束し、よう
やくクランが一先ずの安堵に包まれた夜のことだった。
 宿舎の自室で、ジークは二段ベッドの下へともぞもぞ潜り込む。アルスも日課となって久
しい夜長の勉強を切り上げて魔導書やノートをしまい、同じく寝間着になって二段ベッドの
上へと上っていく。
「あ~……。今日はすっげー疲れた……」
「だねえ。でも何とか丸く収まってよかったよ。一時はどうなる事かと思ったもんね」
 自身を包み込み、受け止めてくれる布団の感触に背中を預け、ジークは思わず身体の底か
ら声を絞り出していた。上段のアルスも薄手の毛布を被りつつ苦笑する。エトナが机の上の
照明具をオフにして室内はパチリと暗くなり、二人の目が闇に慣れるには暫しの秒数を必要
とする。
「それって、史の騎士団? それともレナが“聖女”だったってこと?」
「うーん……どっちもかなあ。でもレナがってのは正直あんまり驚きはねぇな。そうだと言
われても何となくしっくり来るっつーか……」
 ふよふよ。エトナが気持ち自身の翠光を抑えながら、天井近くへと浮き上がりつつ問う。
 ジークは頭の後ろで両手を組み、ぼうっと意識と身体を手放しながら答えた。脳裏に己の
秘密を知らされた時のレナの横顔が映る。
 ……酷く動揺していたっけ。自分があのマッチョな神官騎士にぶん殴られていた時、今ま
でに見たことがないくらいに泣き叫んでいたっけ。連中が守備隊に連れて行かれた後も、赤
く泣き腫らしていたのに、それでも真っ先に自分の手当に駆け寄って来たっけ。
「あ、それは皆も言ってたね。“俺達の天使だし”とか何とか」
「天使(エンゼル)と聖女はまた別物だと思うんだけど……」
「それだけ皆の支えになってるって事だろ? 俺だってそう思うぜ? あいつは気立てもい
いし、大人しそうに見えて案外肝も据わってるしな」
 これだから男は……。エトナがジト目になりながら呟いている。
 しかしジークはそんな弟の言葉を継ぎ、微笑(わら)っていた。胸元から下に毛布を被せ
て暗闇に身を委ねながら、仲間達と同じ思いであることに何処か誇らしさすら覚える。
 すると今度はふわっと、エトナが逆さまになってこちらに顔を出してきて言った。先程と
は打って変わり、妙にニヤニヤとしていて悪戯っぽい。
「ほうほう……? じゃあジークはやっぱり、レナのことが好きなんだ?」
「はっ?! な、何でそういう話になるんだよ? 信頼できる奴だって話だろ? そういう
のじゃねぇよ……。大事な仲間、だよ」
 折角ゆっくりと眠気に委ねようとしていたのに、不意にそう意識を叩き起こされた。
 がばっと毛布をはだけつつ、ジークはベッドの外でほくそ笑むエトナに反論していた。自
覚はしていないが少し頬が赤い。ニヤニヤと、彼女はそれを心底面白そうに見返している。
「もう、エトナ。あんまり兄さんをからかっちゃ駄目だよ? もう今日は遅いんだし、お喋
りは程々にね」
「あ、ああ。そうだぞ、エトナ。お前は時々斜め上なとこからぶっ込んでくるからなぁ」
「は~い。……はあ。こりゃレナ達も苦労する筈だわ」
 うん? 兄弟の疑問符が綺麗に重なった。だがエトナは「何でもなーい」とわざとらしく
視線を逸らし、再びふわっと天井へと飛び上がると顕現を解いて(きえて)しまった。
 夜更けの静けさが、はたと距離を縮めてそこに在るように思えた。
 暫くジークとアルスは、上下それぞれのベッドの中で黙した。毛布の柔らかさに包まり、
うつらうつらと少しずつ瞼が重くなり始める。
「……兄さん、まだ起きてる?」
 そんな沈黙の中、小さく声を出したのはアルスだった。
 もぞっ。ジークは瞑りかけていた目を軽く開け「ああ」と短く答えた。また少しの間が横
たわる。静かになると、またさっきエトナが言った言葉が思い出されてくるかのようだ。
「その……またレナさん達と出掛けるんでしょ? ヨーハン様に会いに」
「ああ。それが“青龍公”の用件だしな。荷物を整理したら、また近い内に出るんじゃねぇ
か? もしかしてお前も行きたいのか? そりゃあマジモンの英雄様だからなあ」
「きょ、興味はあるけど、講義が……。それに今日のゴタゴタでフィデロ君達、随分と先生
に絞られちゃったみたいだしね。昨日の今日でサボる訳にはいかないよ」
「真面目だなあ。まぁ実際、あいつらが割って入ってくれたお陰で助かったんだが」
 夕食時に話し合った結果、古界(むこう)へ行くメンバーはレナとハロルド、代表として
ダンにジーク、ステラ、リュカ、サフレ及びマルタの八名となった。兄弟ともに手負いでは
あったが、今回はより重症だったリカルドは引き続きこちらで養生して貰うことにする。
「さて、どうなる事やら。伝説の勇者様が一体レナに何の用なんだか」
「……」
 おそらくは“聖女”と“勇者”──同じ十二聖繋がりだとは思う。
 だが片方は正真正銘の生き証人で、もう片方は生まれ変わりである。相手の肩書きの大き
さに、レナがまた萎縮しなければいいのだが。
「……。ねえ、兄さん」
 だから少しばかり、ジークはいつの間にかアルスが押し黙ってしまっていたことに気付け
なかった。代わりにちらと視線を上段の底板に向けた時、彼は暗闇の中で自分に何かを伝え
ようとしていた。
 沈黙。しかしまだ語るべき内容がはっきりとしていないのか、底板越しの弟はたっぷりと
逡巡しているようにもみえた。
「アルス?」
「……あ、うん。その、まだ色々僕の中で詰め切れていないんだけど。まだ皆に話すには早
計だとは思うんだけど」
 目を瞬き、ジークは問う。
 するとアルスはついっと文字通りを背中を押されたように促され、訥々とながらに話し始
めたのだった。
「向こうへ発つ前に、聞いて欲しいことがあるんだ」


 Tale-71.英雄になる者、だった者

 全身を包む浮遊感がフッと止み、地面に足がついた感触でもってジーク達はゆっくりと瞑
っていた目を開いた。
 空間転移が完了したらしい。古びた石畳と大掛かりな魔法陣の設備は相変わらずだが、先
程までいた場所とは似て非なるものだとすぐに分かる。
 導きの塔。その、天上層にある一つの内部。
 一行が現れたのを見て、周囲に控えていた衛門族(ガディア)達が静かに低頭した。尤も
それは十中八九ジーク達に向けられたものではなく、同じく自分達を案内するディノグラー
ド・F・セイオンへのそれであるのだろうが。
「こっちだ」
 ジーク達が目を開いて塔内を見渡し始めたのを肩越しに、セイオンは小さく促しながら先
へと進み始めた。
 彼を先頭に、石畳の塔深部からエントランス──祭壇・礼拝堂を抜けて外に出る。
 天上層・古界(パンゲア)。普段ジーク達が暮らしている世界層とは明らかに違う空気と
色彩がそこには広がっていた。
 事前の知識を辿れば、目的地は古界(パンゲア)の中でも北方に位置している筈だ。即ち
黄の支樹(エギル・ストリーム)の影響が強く、複雑な風に大気は冷やされる。
 魔界(パンデモニム)──地底層とは違って、見上げた空は全体的にぼやっと白ばんでい
るようにみえた。地上も、何処か全体として淡白な色彩な気がする。こちらもまた、地上層
とは違った雰囲気を持っており、慣れるには中々難儀しそうだ。
「……何つーか、こざっぱりとしてるな」
「少し、寒いです」
「支樹(ストリーム)の影響だろうな。相対的な位置からすれば、基本同じな筈なんだが」
「ま、その内慣れるだろ。それで? 青龍公、お前の爺様とやらは何処にいるんだ?」
「ああ。その前に」
 針葉樹の木々から覗く空と、大地を眺めジーク達がぽつぽつと口を開く。そんな中でダン
は楽観的で、ただ目的にのみ気を配り、自分達を案内するところのセイオンに問う。
 答えて、彼は持ってきていた鞄の中から人数分の旅装──簡素なフード付きのマントを取
り出し、差し出してきた。変装用ということか。後は武器の類さえ目につかぬようしまって
おきさえすれば、遠目からは商隊の一つくらいにしか見えないと思われる。
「今の内に着ておけ。道中、素性がバレれれば何かと面倒だからな」

 導きの塔から最寄の町へ。
 セイオンの案内の下、ジーク達は一路ディノグラード本邸へ向けて旅程を進めた。
 ──天上層。始まりの世界たる霊界(エデン)から分化した最初の世界群であり、大きく
神界(アスガルド)と古界(パンゲア)、及び仙界(レムリア)の三つから成る。
 それぞれに歴史や種族の割合は違っているが、俗に古種族と総称される者達が多く暮らし
ている。魔導開放を契機として開明派が次々に下界へ進出していく中、それでも留まる選択
をした人々の末裔だ。
 故に……それが理由であった。道中セイオン曰く、ジーク達の素性がこちらの人々にバレ
るのを避けようとしたのも、彼らの少なからずが地上ないし地底層の争いを──“結社”と
のいざこざを持ち込んで欲しくないと考えているからだ。巻き込むなと、しばしば統務院の
進める“結社”との戦いにさえ反対するグループも存在するからだ。
 正直、ジークはむっとした。火の粉を被りたくないのは分からなくもないが、他の誰かが
被っていると知っていて尚、我関せずを通して憚らない態度だというのには流石に「義憤」
が湧いた。皆がそうだとは言わないまでも、こちらの人間はやはり保守的なのか……。
『否定はしない。だが少なくともお前達は、自分で思っている以上に他人びとに変化を迫る
象徴となっているということだ。それがこちらではより好まれないというだけの話だろう』
 くすりともせず、振り向きもせず淡々とセイオンはこの件について言及していた。
 同じ天上層に長く居を構えてきた一人として、彼らの性質というものにはある種の諦観に
も似た態度が形成されて久しいらしい。
 ……そんな古種族の筆頭とも言えるのが、セイオンら竜族(ドラグネス)である。
 普段はヒトの姿の中にその絶大な力と本性を封じ、霊海をその身一つで渡っていけるほど
の空の王者。かつては混乱した世界の統治を懇願され、一心に善政を敷いたが、それも彼ら
が持つ力の強大さを恐れる人々によって挫折──失意の中、長く歴史に埋もれる事になる。
 そんな彼らの本拠地が、竜王峰だ。
 ここ古界(パンゲア)北方にずらりと横たわりそびえる大山脈地帯。今回の目的地はその
只中に位置している。

「しっかし何処もかしこも物寂しいな。地底層(した)とはまた別の意味で陰気だぜ」
「昔懐かしい、とも言えますよ? でもこっちは基本的にこんな感じなんでしょうか?」
「えっ? うーん……どうなのかしら。私は地上育ちだから、ちょっと……」
 何ヶ所目かの町を通り過ぎつつ、ぽつりとダンがごちる。
 一方でレナはそんな一連の風景をノスタルジーと捉えていたようだ。そして彼女にリュカ
が、同じ竜族(ドラグネス)──古種族の一人として振られたが、当の本人は苦笑いを返す
だけで何だかばつが悪そうになっている。
「どちらも正しいのだろうな。地上や地底に比べて、こちらは先端技術などを積極的に取り
入れようという気風がない。昔ながらの、伝統的な風景が多く残るんだ。都市部はまだそう
でもないが、庶民は大体がこんなものだぞ。お前達からみれば驚くかもしれんがな」
 助け舟か、ぽつっとセイオンが語る。
 自虐のようにも取れるし、しかし誇っている訳ではない。ただ淡々と事実として語り、理
解してくれるとありがたいというニュアンスを含んでいる。
「……」
 ジークは歩きながら、じっと黙っていた。
 遠くそびえる竜王峰の山々には、ここからも分かるぐらい降雪の白が被さっている。
 そぞろ寒い。それは単に気候だけではなく、今目の前で現在進行形に映っている天上層の
人々の姿、セイオンの語る彼らの生き方が影響していると言ってよかった。
 守旧──良くも悪くも伝統を守り、過去の続きの中にひっそりと生きている人々。
 ダンは物寂しいと言ったが、自分にははたと彼らがとても穏やかであるように見える瞬間
があった。
 戸惑っていた。
 もしかして人はある程度“閉じた”世界の中で生き、死んでいく方が、本当は幸せなので
はないか……?
「お待ちしておりました。若様、エルリッシュ様にお連れの皆様」
 すると暫くして、山道への入口前に出た。そこには既に迎えの者と思われる竜族達がオフ
ロード仕様の鋼車を用意し、深々とこちらに頭を下げてきていた。「ああ」セイオンが応え
る一方でレナは恐縮し、会釈を返していた。促されて、ジーク達は早速これらに乗り込む。

 白咆の街(グラーダ=マハル)。竜王峰の山間に広がる、堅牢な城壁都市である。
 山道を鋼車でぐいぐいと登り、一行はようやくこの目的地に到着した。寒さが一層増した
感がある中、早速ジーク達はこの街の執政館──ディノグラード本邸へと向かう。
 重厚な外観。屋敷よりも城と言ってもいい規模。
 流石は生きた伝説の住居だ。ジーク達は思いつつ、厳重な門戸をセイオンという顔パスで
潜っていくが、その内装は存外質素で且つ静かな気品が漂っていた。
 それでも、外の気候も手伝って、何だか物寂しい雰囲気。どんどん屋敷の奥へと案内され
ていく一行の前に、やがて一際大きな扉が現れた。
 先ずセイオンが入る。「レナ・エルリッシュ及び随伴の一行をお連れしました」と簡潔に
用件を述べ、穏やかな老人の声で「ああ、入ってくれ」と中へ促される。
(こいつが……“勇者”ヨーハン……)
 点々とロウソクが点る、赤茶の絨毯が一面に敷かれた部屋。
 その一角にサイドテーブルを置き、ロッキングチェアに腰掛ける竜族(ドラグネス)の老
人がいた。髪はすっかり白髪──灰色に占拠されており、もし事前の肩書きとこの只ならぬ
秘められた存在感がなければ、ただの隠居爺くらいにしか思えなかっただろう。
 先客か家人か。中には既に何人かの礼装姿──貴族らしき者達が彼にあれこれと話し掛け
ており、おべっかを使っているように見える。
 だがそんな彼らをこなれたようにあしらい、この老人はジーク達を認めると、そっと目を
細めて付き人らに人払いをするよう命じた。先客達が渋々と出ていき、且つジーク達の正体
に気付くと彼らは総じて驚いたような表情をする。だが一々反応をしても仕方ないので一行
は促されるまま、この老人──ディノグラード・ヨーハンの前へと進んだ。
「おお……おお……。本当にアイリスに瓜二つじゃ。いやいや、よく来てくれた。セイオン
も、ご苦労だったの」
 そしてレナを一目見て、その表情には明らかに喜色が浮かんでいた。
 まるで久方ぶりの友と再会したかのような、そんな気色(いろ)。それとなく労われセイ
オンが静かに片手を胸に当てつつ低頭し、一方で当のレナはこの初対面な筈の老人に酷く喜
ばれたことにわたわたと動揺・緊張している。
「ああ、自己紹介が遅れたの。儂の名はディノグラード・ヨーハン。巷では“勇者”などと
呼ばれておるよ」
 解けるほど嬉しそうに、穏やかに微笑(わら)い、彼は名乗った。

 先日、友人を助ける為だったとはいえ、講義をサボった上に史の騎士団と交戦──騒ぎを
起こしたとしてフィデロやルイス、シンシアは担当のエマやバウロにこってりと絞られた。
 雷が落ちるのは分かっていた。だから後悔はしていない。
 結局さんざ説教は受けたものの、クラン(せんぽう)から皇子二人のピンチを救う一助と
なったと礼があった事もあり、一先ずは学院長・ミレーユが当日の講義欠席と厳重注意のみ
で収めてくれたのだが……。
「──で、この前のは結局大丈夫だったのか?」
「うん、お陰さまで。ありがとう。でも……ごめんね? 聞いたよ。色々無茶してユーディ
先生やマグダレン先生に随分大目玉喰らったそうじゃない」
「なぁに。大した事じゃねぇさ。ダチの為だったんだ、悔いはない」
「こいつと同じ思考というのもアレだけど……僕も同じさ。少なくとも誰かが介入しなけれ
ば、あの事態はもっと拗れ続けていた筈だよ」
 学院構内。例の三つ巴騒動も人々の肌感覚から薄れ始めていたその日、ようやく普段の学
生生活を送っていたアルスに、フィデロとルイス、傍らの学友コンビが問いかけていた。
 一方は意気揚々と、一方はあくまで今は落ち着き払って。
 私だって頑張りましたのに……。この二人に左右を取られ、後ろでぶつくさと小さく頬を
膨らませているシンシアに、宙に浮かぶエトナがニヤニヤと煽るように笑っている。
 一見して平穏に見えた。少なくともこの学び舎の中は、いつも通りを取り戻している。
「それにしても、何であんな事に?」
「……。実を言うと、キースさんから軽くだが聞いてるんだ。ハロルドさんとリカルドさん
がどうやら“大喧嘩”したらしいってね。まだそっちが込み入っているのなら、無理には聞
かないけれど」
『……』
 だからそんな風景の中でふいっと、やはり当然気になるであろう質問を、そのまま何とな
しにフィデロが訊ね、その不躾をフォローするようにルイスが継ぐ。
 アルスとエトナは思わず押し黙ってしまった。あの後詳しい情報を聞いたのだろう。後ろ
のシンシアも同じく唇を結び、じっと目を細めて気持ち自身の気配を殺している。
「どうする? アルス」
「そうだね。二人になら話してもいいとは、思うんだけど……」
 互いに顔を見合わせ、ちらと遠巻きを維持してこちらを警備してくれているリンファの顔
色を窺う。その向かいには同じくゲドとキース、シンシアの目付け役コンビもいる。
 彼女達もまた、互いに目配せをし、そしてコクと小さく頷き合っていた。ややあってその
仕草を同様にこちらに返し、構わないという合図とする。
「……その、一応まだ他言無用ってことで」
 そしてアルスは、身を寄せ合った友らに、ひそひそとこれまでの経緯を大まかに話して聞
かせた。
 二年の修行期間の中でレナが発現した《慈》の色装。その能力と彼女自身のオーラの波長
が、かの“聖女”クリシェンヌと同じ──即ち生まれ変わりであると判明したこと。
 養父であるハロルドはかねてよりその事実を知っていて、教団の権謀術数に巻き込まれぬ
よう実の両親から預かって守り続けていたこと。
 故に《慈》と“聖女”との繋がりに気付き、詳細を質そうとしたリカルドを、実弟であり
ながらも一時は本当に口封じに殺そうとさえしたこと。
「……そんな事が」
「そ、それってヤバくないか? 生きてるん、だよな?」
「うん。一時はどうなる事かと思ったけど、二人の対立はもう収まったよ。イセルナさんか
らも託されてたし、事情もはっきりしたからダンさんや兄さん達が──何よりレナさん自身
がハロルドさんを許したからね。これからも、一緒に戦ってくれる」
「そう……。でもこれで全部安心という訳にはいきませんわよ? 実際、私達も含めてその
ゴタゴタであの史の騎士団と──教団と刃を交えた。何もお咎め無しで済むとは思えません
もの」
「そうだね。今回は色んな人が味方してくれて追い返せたけれど、今後どうなるかはまだ不
明瞭な部分が多いかな……」
 ルイスが静かに呑み込んでいる。フィデロが今更ながらに、スケールの大きさに少し後悔
し始めている。
 問題は教団だった。向こうにも面子があろう。まさかこのまますんなり引き下がってくれ
るとは、アルスも正直思っていなかった。あの場は当のレナの懇願、教皇との面会の約束を
結んだことで手打ちとなり、兄達がディノグラード邸から帰ってくれば、彼女は三度出掛け
てゆく事になる。
『──』
 ちらり。アルスは僅か、本当に僅かだけ構内の往来に注意を向けた。
 昼間の学生達が多くを占めて行き交う石畳、植木。その陰にそっと溶けるようにしてリザ
が残していったミュゼら監視役の神官騎士が数名、じっとこちらを見つめている。リンファ
やゲド、キース。こっそり付いている者がいるのはこちらとて同じだが、事実上の人質だと
思う。もし兄達が外出中、彼らや或いはこちらが下手な敵対行動を取れば、彼らはすぐさま
自分達を排除しに掛かるだろう。そうなれば事態はあの乱戦の二の舞となってしまう。
 同じく警戒しているのだろう。リンファもゲドとキースも、それぞれの主の為に彼らの動
きを注意深く見遣っているようだった。
 だが気掛かりなのはもう一つある。周囲の眼だ。時折自分を腫れ物のように見つめては逸
らすといった者がちらほらと視覚の中に映る。やはりこの前の三つ巴騒動によって、自分達
兄弟とクランへの心証はまた一段と悪くなったようだ。
「……うん?」
 そんな時である。はたとアルス達の耳に、何やら物々しい声の群れが届いてきた。
 最初にルイスが気付き、続いて面々が何だろうと声のする方向──学院の正門を見遣る。
するとそこにはプラカードや旗を掲げ、何かに抗議している一団があった。デモ隊だ。
「戦争反対ー!」
「レノヴィン兄弟と、クラン・ブルートバードはすぐに出て行け!」
「もう次は無い! 今度この街に戦火が及べば、我々の生活は立ち行かなくなる!」
 大よそ、そんな主張。アルス達を排斥せよという旨のデモ行進だった。
 アルスが登校していることを知ったのだろう。デモ隊は学院内に突入しようとしていた。
それを守衛や、駆けつけた守備隊が必死になって止めている。その騒ぎにつれて何処からと
もなく野次馬も集まり、正門前の怒声は更に大きなものへと変わっていった。
「五月蝿ぇよ!」
「昼間っから何やってんだ! 迷惑なんだよ!」
「無責任な……。それが犠牲になってくれてる相手に対する態度かよ」
 加えてデモ隊に反対する集団──市民達が方々から現れ始め、事態は更にややこしさを増
していった。喧々諤々。罵声も飛び交う。中にはそのまま殴り合いを始める者達も出始め、
守備隊らがその度に彼らを引っ張り出し、現行犯として詰め所へと連れ去っていく。
「……」
「まぁ、あんまり気にすんな。言わせておきゃあいい」
「そうだよ。アルス達が今までどれだけ苦労してきたかも知らないで……」
 どうしたって、遠くからそのさまを見つめるアルスの表情は曇る一方だった。それをフィ
デロが、エトナがポンと肩に手を遣って代わりに憤ってみせて慰め、この不愉快な争いから
彼を遠退けようとする。
 小走りでリンファがやって来て、言った。ルイスも同調する。
「アルス様、こちらへ」
「今の内に離れよう。見つかったら色々と厄介だ」


「……そう。レナちゃんが……」
 時を前後して地底層・魔都(ラグナオーツ)市内の病院。
 イセルナとミアは、病院から許可を取った上で携行端末を持ち込み、一足先にホームに戻
った仲間達から事の経過について報告を受けていた。ユリシズの一件で負った怪我も、今で
は退院間近まで治癒している。随分と皆に大事を任せてしまった。声色は努めて落ち着いて
いたが、その内心は申し訳なさと焦りでじりじりと焼き付けられている。
『ああ。ダン達が戻って来たら、今度は聖都(クロスティア)へ出掛けないといけないね。
その時こそ、正念場だ』
 掌の中の画面越しにはシフォンとグノーシュ、クロム、及びその後ろでこちらを覗き込む
団員達の姿が映っている。
 幹部の大よそがまた不在になっている中、彼らが今の代理だった。イセルナは一度は緊迫
した三つ巴の事態が解消し、エルリッシュ父娘(おやこ)と兄弟が和解した事に、ほっと胸
を撫で下ろす。
「その頃には私達も帰って来ていると思うわ。何とか、修復しなくちゃね」
「レナ、大丈夫かな。急にそんな肩書きを付けられて押し潰されないといいけど……」
 自身の不在を狙った史の騎士団の来訪。それを防いだヒュウガら正義の剣(カリバー)と
七星セイオン。団員達(みな)が奔走してくれたのも勿論大きいが、彼らを結果的に追い返
せたのは、偶然にも居合わせた強きもの達のお陰と言わざるを得ない。
 イセルナは画面に視線を落としながら呟いていた。ミアもにわかに親友が背負うことにな
った重責を思い、入院服姿のままで気持ちしゅんと頭の獣耳が垂れ下がっている。
『ああ。その辺りは皆気を配ってくれているよ。あんな辛い思いをさせてしまって、ただ成
り行きのままに“聖女”をやってくれなんて虫が良過ぎる』
『まだ検討中だが、教団の聖浄器を代価にある程度教団の要求を呑もうって話もある。まぁ
レナちゃんを向こうに渡すってのはノーだがよ。できれば敵に回したくはねえ。ただでさえ
俺達は厄介極まりない相手と戦ってるんだしな』
「……そうね。その案、私も考えておくわ。向こうがすんなり呑んでくれるとは思えないけ
れど、特務軍としての任務も進めなくちゃいけないし……」
 気掛かりは尚幾つもあった。だが不安を理由に、足を止めてはいられない。グノーシュか
ら告げられたその選択肢も視野に入れ、イセルナは言った。
 とにかく自分達が退院・合流するまでは、特務軍への正式編入も遅れる──延ばして貰う
他ない。その点はヒュウガ・サーディスが王や議員達に直訴してくれるらしいので任せてお
こう。一つずつ、自分達は降りかかる火の粉(かだい)を解いていくしかないのだ。
「とにかく、何時でもクランとして動けるように各隊の準備は整えておいて? またいつ不
測の事態が襲ってくるかもしれないわ。最悪、隊毎に判断して動いてちょうだい」

「スメラギ様。お時間、宜しいですか?」
 リオが、イセルナ達の病室の前でじっと壁に背を預けて目を瞑っている最中だった。ふと
こちらに近付いてくる気配がしたかと思うと、一人のナースが自分に向かってそう話しかけ
てきたのだ。
 胸元に何枚かの書類を挟んだクリップボードを抱えている。二人の状態について何か具合
の悪いことでもあったのだろうか? リオは頷く。ではと前を横切っていく彼女の後に続き
つつ、去り際にちらと端末越しに通信をしているイセルナ達の姿を確認する。
「……それで? わざわざこんな所にまで呼び出して何の用だ?」
 すると連れて行かれたのは屋上。上って来た階段の建屋の他、空調機材や何列にも干され
た洗濯物がどだい薄暗い魔界(パンデモニム)の風に吹かれてなびいている。
「ええ。少し」
 ナースは屋上に進んだリオの後ろ、階段建屋の扉の前に立っていた。
 微笑。だがリオはじっと油断なくこの彼女を見ていた。とうに気付いていながら、それで
も少しでも分散させてやれば二人も楽だろうかと思いながら。
「……止めておいた方がいいと思うがな。頭数を揃えた所でどうにかなると本気で思ってい
る訳でもあるまい。……そんな殺気を押し殺した看護婦など、いないぞ」
『──』
 看破の弁を放つ。すると次の瞬間、このナースと周囲の物陰から、ざわっと明確な敵意が
溢れてきた。クリップボードの隙間からナイフを取り出す。物陰から続々と現れた者達は看
護婦から車椅子の患者風まで──その全てがそれぞれに得物を持った刺客として、彼の四方
を囲んでいく。
 リオはそれでも尚落ち着き払っていた。深黒のヤクランを揺らして佇んでいる。
 何処からの差し金か。まぁそれは後でいい。少なくとも自分を知らぬまま飛び込んでくる
ほど馬鹿どもではなかろう。……となると、捨石か。おそらく本命は病室の二人。少々読み
が裏目に出てしまったか。
「流石はかの“剣聖”だな。こうも簡単に見破られるとは……」
「だがもう暫く、お前にはここに居て貰うぞ」
「ここは病院。武器の携帯はご法度だ。刀を差していないお前なら、或いは……」
「手合わせ願おう! 全ては、世界を在るべき姿に正す為に!」
 おぉぉぉッ!! そして一斉に襲い掛かってくる病院関係者──に変装した刺客達。
 だがリオは突っ立っていた。寧ろやれやれと、小さく静かに嘆息をつく余裕さえ持ちなが
ら思う。スッと、オーラを這わせた右手を持ち上げる。
 その熱量を、何故他に活かせない?
 間違っている。多分そう言うのが常道なのだろうが、自分には少々そんなお前達が羨まし
くもある。
「──」
 はたして刹那だった。刺客達が間合いに迫ったその直後、リオは目にも留まらぬ速さで己
が手をぐるりと一閃した。
 一瞬間、まるで世界が止まったかのような静けさが降りる。
 しかしまた次の瞬間、この屋上は轟音と共に真っ二つにされたのだ。
 中空で鮮血を噴き出してぐらりと舞う刺客達。その背後で微塵の狂いもなく横一文字に切
り裂かれる建屋、機材、干されていたシーツや棹。
 彼の《剣》の色装であった。ゆらりとオーラが、再び垂れ下がった右手に宿っている。
「……」
 彼は一人立っていた。僅かな嘆息を残し、あっという間に地面に転がった刺客達の仰向け
やうつ伏せを見下ろして。

 そうして軽く刺客を斬り伏せ、病室に戻ってくると、室内は随分と物騒な散らかり具合に
なっていた。
 案の定、こちらにも刺客がなだれ込んで来たのだろう。窓は壊され、ベッドはずたずたに
されている。しかしその肝心の刺客と思しき者達は無数の氷刃に貫かれ、或いは手酷くぶん
殴られたのか、顔面やら腹を陥没させてぐったりとあちこちに倒れていた。
『あ、リオさん』
『……もしかして、そっちも何かあった?』
 にも拘わらず、部屋の主であるイセルナとミアはけろっとしていた。リオが一人戻って来
たのを見ると穏やかに視線を向け、逆にこちらを気遣ってくる余裕すらある。
 とはいえ、これは一騒動だ。当然ながら激しい物音を聞きつけ医師やナース、警備の傭兵
などが押しかけ、場はちょっとしたパニックになっていた。
 迎え撃つにしたってもうちょっと加減してくださいよ──!? 刺客の侵入を許してしま
った落ち度もあってそう強くは出られなかったものの、彼らはぐちゃぐちゃに壊れた室内を
目の当たりにして悲鳴を上げていた。やはり二人が刺客達を返り討ちにした跡らしい。まだ
入院中という体ではあるが、この程度で寝首を掻かれていては修行のやり直しだ。
『と、とにかく一旦別室を用意しますのでそちらへ。その、色々と後始末し(やら)なけれ
ばならないことがありますので……』

 ──故に今、リオとイセルナ、ミア及び数名の警備兵は一般病棟から離れたこの空き会議
室にいる。
 彼らが見下ろす足元には数名、ボロボロになりながらも意識を取り戻した刺客達が縛られ
た状態で一纏めにされていた。警備兵達は少なからずおっかなびっくりで後ろに、リオ達三
人はこれらの前に立ち、自らの手で尋問を行おうとしている。
「ねぇ。いい加減、答えてくれないかしら? 貴方達は何処の誰から指示を受けたの?」
『……』
「黙っていても何も変わらないわよ? ただもっとプロな人達に引き渡されるだけ」
「ふ、ふん」
「敵に破れて更に、仲間を売るなどできるか」
「わ、我々は崇高な理想の下に集まっ──がらハッ?!」
 最初の内は、やはり相手もプロなのか中々口を割らなかったが、結局業を煮やしたミアが
掌に込めた《盾》のオーラ球を押し付けた事により、力ずくで割らせる方向となった。
 ミシミシ……。項垂れていた横顔に強烈な排斥の力が加わり、刺客の一人が面白いくらい
に上半身をへしゃげて床に突っ伏している。
「五月蝿い。さっさと喋る」
「は、はィィ!! じ、自分達は……ぐふっ、リ、リストン同盟の者だ……」
 ミアがそっと目を細め、イセルナとリオが互いに顔を見合わせた。
 正式にはリストン保守同盟。互いの素性を隠し、保守というイデオロギーにおいてのみ手
を結んだ諸勢力の集まりである。即ち反開拓派の諸連合──“結社”に共鳴するような過激
派も少なからず潜在すると云われている。皇国(トナン)内乱の少し前、同国行きの飛行艇
を爆破した“結社”の犯行を、当時急激な改革を進めていた前皇アズサへの制裁として歓迎
したのがその例だ。
 白状はした。だがミアはまだ《盾》を解いていない。どんどん床との間で“圧縮”されて
いく仲間を見て、他の刺客達は震え上がっていた。それで? 無言で促す彼女に、彼らは最
早半ばやけくそになる。
「リストン……。じゃあ“結社”ではない? 支持者(シンパ)?」
「そ、そうだ」
「我々は統務院が進める誤った方向を、何とか正そうと立ち上がっているのだ」
 それでも立場というか、主義主張を止めない所は筋金入りなのだろう。だからこそ過激な
革命思想──彼らから言わせれば秩序の保守だそうだが──にも傾倒し、テロ活動にまで加
担するのであるが。
「その為には、お前達クラン・ブルートバードは邪魔なのだ」
「お前達がいるから、世界が余計に掻き乱される……」
「もう止めろ。これ以上ヒトを巻き込むな! 折角結社(かれら)がこの歪んだ世界を正そ
うと、在るべき姿に戻そうとしているのに、何故邪魔ばかりする……!?」
 正直、イセルナ達はイラッときた。本当の事など何も知らない癖に。
 自分達はクロムから聞いて知っている。その“結社”は、お前達末端の人間など幾らでも
切り捨てて、それこそヒトの世が滅んでもしまってもいいとさえのたまっている。本末転倒
な話だ。テロという手段に訴える事は勿論、ヒトが為す以上、そのヒトが滅んでしまっては
意味などないだろうに……。
「五月蝿い」
「ぐべぇッ?!」
 改めて、刺客達が《盾》に潰されていた。本当にかつてのクロムと同じ陣営の者なのだろ
うか。少しは話ができるかと思ったが、これでは。文字通りまさに狂信というものである。
 同時に、自分達が彼らにきちんとした反論が出来なかったのももどかしかった。
 いや、おそらくこちらの論理は彼らには通じないのだろう。前提が違う。仮にお前達が所
詮は使い捨てられるんだと罵っても、彼らはとうに織り込み済みなのだろう。
「……それで? これからどうする?」
「そうですね……。此処は魔界(パンデモニム)ですし、やはり彼らはこのまま当局へ──
万魔連合(グリモワール)の担当者に引き渡すのが妥当かと」
「だろうな。もっと引き出せる情報(もの)は引き出したかったが」
 リオに問われ、イセルナが小さく肩を竦めて答えていた。ミアがそれを横目で見遣り、そ
っと拳の《盾》を解除。ぐったりとそれまで押し潰されていた刺客達が床に倒れ込む。
「……殺せ」
「馬鹿言わないで。もう倒した相手なのに……。命を、粗末にするな」
「粗末、か……」
「ふふ。だからお前達は分からないんだ。俺達は使命の為なら幾らでも、この身を捧げる覚
悟がある」
『……』
 疲弊していた。だがその眼はギラつき、尚もその信条に固執していた。
 暫くして、警備兵の連絡で万魔連合(グリモワール)所属の当局者らがやって来る。刺客
達はそのまま次々と手錠を掛けられ、ぐったりとしたまま外へと連行されて行った。
「無駄だ。我々はセカイ、セカイは我々……」
「生けとし生ける者は、常に偉大なる歯車なのだ……」
 三人は無言のまま顔を顰める。
 連行されるその最後の瞬間まで、彼らは己が主義主張(イデオロギー)を曲げなかった。
 まごう事なき狂信。
 壊れた玩具のように、彼らの笑い声が部屋に廊下に響いていく。

「──な、何という事だ……!」
 一方、聖都(クロスティア)を臨むクリシェンヌ教団本部。
 史の騎士団団長リザ・マクスウェルは、教皇エイテル臨席の下、教団上層部に事の顛末を
報告していた。中央の玉座に佇むエイテルはじっと落ち着き払って一連の話を聞いている。
だがその周囲に取り巻く枢機卿達は、その少なからずが大いに焦り、驚き、そして怒りすら
も露わにしてリザへと向けてくる。
「聖女様の確保に失敗した挙句、正義の剣(カリバー)と交戦……!?」
「拙いぞ……拙いではないか。またしても統務院(やつら)にカードを与えてしまう」
「いや、それよりも“青龍公”だ。何故こんな時に? 統務院はともかく、ディノグラード
公までを敵に回してしまえば失ってばかりだぞ?」
「ええい! マクスウェル、お前の失態だぞ! 我々はお主らの力量を買ってこの特命を授
けたというのに……!」
 だが当のリザは、片膝をついて低頭したまま、じっと黙っていた。
 分かっていた事だ。梟響の街(アウルベルツ)での任務に邪魔者が入って完遂できなかっ
た時点で、彼らが怒り狂うことは目に見えていた。
 ……やはり教皇様にはまるで及びませんね。リザは内心思う。
 枢機卿達は焦っているのだ。この二年というもの、統務院は“結社”との対決姿勢を鮮明
にし、彼らに関する情報を一手に握るようになった。
 聖浄器も然り。その少なからずが王器として各国に祀られている以上、その保全に足並み
が揃わない状況こそ続いているが、自分たち教団が“結社”と距離を付けられてしまってい
るのは否めない。勿論、彼らに同調するなどという事ではなく、彼らが想定・既知であろう
世界の「災い」についてという意味で。
 尤も、そこへ危機感の軸足を置いている枢機卿達はその実どれだけいるか。多くはただ単
純に教団と統務院、信仰と政治、両者が人々に及ぼす影響力(ちから)の相対的低下を恐れ
ている。要するに己が威光が揺るがされるのを恐れている。
「……その点に関しては、誠に申し訳なく。ですが聖女様より、直々に近く教皇様以下皆様
への謁見が提案されました。僭越ながら既にこちらで承諾し、先約のディノグラード公との
面会が終わればこちらへ足を運ぶとの言質を取ってきました」
「ぬぅ。それは、そうなのだがな」
「ブルートバードとて、もう我々を警戒してしまっているのだぞ? こちらへ来るとしても
聖女様を如何にして我々の下にお迎えする?」
 密偵達による事前の調査と、現地での接触を経て、レナ・エルリッシュが“聖女”と同じ
魂を持つ生まれ変わりであることは確定した。加えてその養父ハロルドが実弟でもある尖兵
リカルドを手に掛けようとし、しかし和解して当のリカルドがブルートバード側に感化され
てしまったことも。
 リザは答えた。枢機卿達はレナ本人の表明である事もあって辛うじて渋面だけで収まって
いるが、やはり警戒心──彼女を存分に利用できない現状には不満であるようだった。
「聖女様直々のお約束が信頼できませんか? 現在部下達をあちらに残し、クラン・ブルー
トバードを監視させております。もし向こうに不審な動きがあれば、聖女様の安全を守ると
名目を打ち、こちらへお連れしましょう」
 正直、枢機卿達の権力がどうなる云々はあまり興味はない。自分は騎士で、教団とその教
えに忠誠を誓った身だ。ただ帰依し、祈り、そして祈るだけでは届かないものを人々に代わ
って掴み取る存在だ。
「しかしその不審な動きとやら、本当にあると思うか?」
「そ、それよりも先に統務院や、ディノグラード家から圧力が掛かって来たら──」
「……何を仰りますやら。賢明な皆様におかれましては、今回の既成事実化(さく)が孕む
リスクなど充分ご理解なされていたでしょう。その上で先の任、お受けした心算です。よも
や万が一となった際の責任の在り方を、考えなかった訳はないものかと」
 ぬぅっ……。あくまで膝をついたまま低頭。丁寧に応じたリザの言葉に、枢機卿達は思わ
ず苦虫を噛み潰したような表情(かお)をするしかなかった。
 そう言われてしまえば、詰れない。
 見透かされた上での発言、皮肉だとは流石に彼らも理解したが、これへの反論も徒に積み
重なった分厚いそのプライドの所為でままならない。暫く両者は、静かな低頭と必死の睥睨
をぶつけて押し黙っていた。リザはただ待つ。我が主の言葉を。
「その辺りにしておきなさい。起こってしまった以上、もう状況を元に戻す事などできない
のですから。正義の剣(カリバー)もセイオン公も、我々の予想外でした」
 はたして、エイテルがようやく口を開く。尤も正義の剣(カリバー)に関してはこちらの
動きを知った上で、敢えてぶつかるように自ら乗り込んできたらしかったが。
「次へ向かって動こうではありませんか。もし今彼らの不遜を詰り、一挙に衝突に繋げてし
まえば、これまで神官騎士リカルドを通じて維持してきたブルートバードとのパイプを失う
事になります。そうなれば肝心の来たる災いについて、私達は一層真実から遠退いてしまう
でしょう。それだけは、避けなければなりません」
 本末転倒である──エイテルは静かに、力強くそう言った。
 リザは勿論、周囲の枢機卿達も仰々しく畏まる。ただそれは単に教皇の言葉だというだけ
でなく、各々の野心をそこはかとなく咎められたように感じられたからだったのだろう。
 清廉であった。それこそ、俗人には眩し過ぎるくらいに。
「神官騎士リカルドとハロルド元司祭が兄弟であることも、それが故に彼の側へと靡く可能
性があったことも元より承知の上での人選です。橋渡し役として機能しなくなるかもしれず
とも、その血縁がブルートバードとのパイプを作り易くする可能性を、私達は選びました」
 気持ち静かに深呼吸をして、スッとリザ達を見据えて。
 エイテルは語って整理する。なるべく論理的に、合目的的に。
「元使徒クロム曰く、かの“結社”の最終目的は“大盟約(コード)”の破壊です。そして
何故か、彼らはその目的の為に各地で暗躍し、聖浄器を集めてきた……」
「はい……」
「それが、未だ腑に落ちぬ所でありますな」
「おそらく我々が知るべき真実とは、その辺りに在ると思われます。もう少しなのです。力
を蓄えることも重要ですが、それを振るう為の知がなければただの暴力でしかない」
『……』
 再び耳の痛いお言葉──さもそう言いたげに顔を顰め、気持ち俯き、枢機卿達は一様に押
し黙った。ちらりと互いの顔を見、されど水面下で誰かが一番非があるのか、既に責任の被
せ合いが始まっているようでもある。
「とはいえ、聖女様の御身が心配なのは私とて同じです。折角マクスウェル団長が約束を取
り付けて来てくれたことですし、より確実に守っていただけるよう“環境を整える”必要が
あるでしょうね……」


(……何だか案外、気さくな感じ?)
(そうですねえ。もっと怖い人なのかと思ってました)
 生ける伝説、存命する最後の十二聖──“勇者”ヨーハンことディノグラード・ヨーハン
は、レナと共に目通りしてきたジーク達を見て穏やかに表情を綻ばせていた。
 赤茶の絨毯広がる部屋の中、ロッキングチェアに腰を下ろす竜族(ドラグネス)の老人。
 これはどういう事なのだろう? この目の前の人物は、老いて尚強い存在感を醸し出して
いるにも拘わらず、その向けてくる眼差しはとても好意的だ。それは他ならぬ、レナという
かつての戦友(とも)に瓜二つだという少女の存在が故なのだろうが、ジーク達は只々圧倒
され戸惑う他ない。
 ひそひそと、ステラとマルタもそう小声で互いの顔を見遣っていた。想像していた人物像
と随分違ってしまったのは、やはり子孫(セイオン)のそれが影響しているのだろうか。
「えっと……。その、アイリスって何だ? レナ──クリシェンヌじゃねぇのか?」
「アイリス・ラ=フォン・クリシェンヌ──彼女のフルネームだよ。死後、教団が作られた
際に姓の方が有名になってしまったけどね」
 一方でジークがふと頭に浮かべた疑問符に、ハロルドが補足してくれた。へえ……。無知
というか、今まで縁のなかった話題だから知らなかったが、やはり十二聖というのは後世の
自分達にも多大な影響を残しているらしい。
「あ、あの。初めまして、ですよね? レナ・エルリッシュと申します。こ、この度は私な
どを招待いただき、恐悦至極で──」
「ふふっ。そう緊張しなくていい。別に取って喰いなどせんよ。ただ……友の魂を継いだ子
に直接一目会ってみたかった。それだけじゃ」
 レナが、主賓として代表として、慣れぬ所作で挨拶を試みようとする。
 だがヨーハンは、これを微笑ましく見つめながら言った。曰く一行を招いた理由はそれを
除いて他意などないという。
「ああ……。まさかもう一度会えるとはな。魂だけでなく、姿顔立ちまで若い頃のアイリス
そっくりとは。ふふ、これは良い冥土の土産ができた。向こうにいる皆もきっと喜んでくれ
るじゃろうて」
「……大爺様、滅多な事を言わないでください。貴方様なしにどうしてこのディノグラード
家がありましょうか」
「ははは、冗談じゃよ。何も本当にポックリ逝きはせんわい。相変わらず真面目な奴じゃの
う、お前さんは」
 それほど嬉しい対面だという事なのだろう。つい口から出たフレーズに、それまでジーク
達の傍らで控えていたセイオンがヨーハンを窘めた。哄笑。だが当のヨーハンはこの玄孫を
逆にからかうように笑い、白灰の顎鬚を触った。……そしてフッと次の瞬間、それまでの穏
やかな好々爺といった面持ちがにわかに神妙になり、両手をそっと前に組んで言う。
「さて……残りの喜びは後に取っておくとしよう。改めて白咆の街(グラーダ=マハル)へ
ようこそ。代表領主として我々は君達を歓迎する。よく来てくれた、クリシェンヌの魂を継
ぐ者よ。そして冒険者クラン・ブルートバードとジーク・レノヴィン君──シキの血、その
妹の末裔よ。これまでの活躍はかねがね耳にしている。本来ならば一国の皇子として、もっ
ときちんとした礼を尽くすべきだとは思うのだが……」
「あ~いや、別に気にしないでくれ。俺もそういうの、あまり慣れてなくってさ。爺さんも
多分、さっきの方が地だろ?」
 お前──?! なのに割とざっくばらんに遮り、気遣い無用と応えたジークに、セイオン
は頬を引き攣らせて動こうとした。はは、よいよい……。だが当のヨーハンはそんな臆せぬ
姿勢が気に入ったのか、特に咎める訳でもなくまた人好きのする笑いを浮かべていた。
「大物だな……お前。まぁ実際皇族(そう)なんだけども……」
「? 本人がそれでいいって言ってくれてるんだからいいんじゃねぇの?」
「あ、ははは……」
「うーん。レナも苦笑(わら)ってる場合? あーもう、緊張して損した……」
 そしてダンら仲間達も、ここに来てようやく英雄に相見えるという緊張が解れてきたよう
だった。苦笑したり、ガス抜きされて地が出てきたり。ヨーハンはそんな一同を静かに目を
細めて見守っていた。キュ、キュッと椅子を揺らし、再び語りだす。
「しかしすまなかったの。セイオンから報告は受けとる。どうやらあちらでは大変な事にな
っておったようで。余計な迷惑を掛けてしまった」
「あ、いえ……」
「その点はご心配なく。ヨーハン様がセイオン殿を派遣してくれたことで、僕達の仲間を誰
も失わずに済んだんです」
 十中八九、それは先の三つ巴騒動に関してだろう。期せずして正義の剣(カリバー)と共
に史の騎士団と相対した一人なのだから。
 だがジーク達はすぐに頭を振った。サフレの言う通り、もし梟響の街(アウルベルツ)に
セイオンがやって来なければ、先ずハロルドは実の弟を殺してしまっていただろう。そうな
れば史の騎士団からの攻勢もあの程度では済まなかった筈である。今回の招待を伝えるとい
う目的があったにせよ、二人を諭し、守ってくれた。こちらこそ感謝してもし切れない。
「……そうかの? なら良かった。ただ儂は、地底武闘会(マスコリーダ)の中継に彼女が
映っているのを見て、どうしても確かめられずにはいられなかったんじゃ。そこでセイオン
に頼み、可能であれば連れて来て欲しいと」
「……そうだったんですね」
 という事は、本当に偶然が重なったという訳か。
 千年以上の時を生き、今やかつての戦友(とも)もいなくなってしまったヨーハン。その
彼が擬似的とはいえ再会できるかもしれないと思った時、どれだけ心躍ったか──レナは胸
元に手を当てちょっぴり、いやかなりジーンと貰い泣きされかけている。
「だが、あまり儂の個人的な都合で長く留めておく訳にもいかんのう。またすぐに特務軍へ
参加するのじゃろう? 二年間の修行も、先の大会で終止符を打ったと聞いておるが」
「ええ。これから厳しい戦いになると思います。俺達も、できる事は何でもやって“結社”
の暴走を止めてみせるつもりです」
「ただその前に、今度は聖都(クロスティア)へ出向く事になりそうですが。あんなことが
ありましたし、教団との関係修復も急務ですので……」
 やや余所行きの風にダンが、先の不安を思いリュカがそれぞれ言葉を返した。
 ヨーハンが「そうじゃの……」と小さく眉を伏せる。あまり一から十までを話す義務もな
いのだが、おそらくセイオン経由で大方の状況は把握されている筈だ。
「アイリ──いや、レナ。念の為に訊きたいんじゃが、お主はアイリスだった頃の記憶は持
っているのかの?」
「えっ? いえ……すみませんが全く。つい最近まで私が聖女様だなんて気付きもしません
でしたから。まさか私の色装が、そんなに大事になるなんて……」
 言って、じっと掌の目を落とす。
 レナは言葉通り戸惑い、しかしヨーハンという魂の上での旧友と会ったからか何処か冷静
になり始めていた。
 掌からくゆるオーラの揺らぎ。
 もし一旦彼女が念じれば、それらは瞬く間に差し伸べた相手のオーラと同化するだろう。
 操作型、万能のマナ輸血能力。これほど治癒系の魔導と相性の良い色装は他にない。
「戸惑うのも無理はない。だが君が、アイリスの魂が再び今この時代に戻って来たというの
は、儂にはただの偶然には思えなくてな……」
『……』
 憂いを帯びた横顔。ヨーハンの呟きにレナを含め、ジーク達は黙り込んでしまった。
 そうなのだ。何処かで考えてはいたこと。
 自分達はこの新しい変化を、いや秘められていた力を、如何使えばいいのだろう……。
「アイリスの魂が今の時代を憂い、戻って来たというのはあまり考えたくはないのだがの。
彼女を死後も縛り、呼び戻してしまうほど、世界は相も変わらず争いを繰り返しておると自
ら認めるようなものじゃて」
「……それって、やっぱ“結社”のこと、だよな?」
「ああ」
「なら一つ訊かせてくれ。何で結社(やつら)は聖浄器を狙う? あいつらにとって聖浄器
って何なんだ? 俺達は特務軍として、その回収を頼まれてる」
 いいよな、訊いても……? ジークが目配せで求めてきた許可に、ダンやリュカが小さく
頷いて応じた。
 十二聖──聖浄器を実際に使い、解放戦争を生き抜いた本人だ。“結社”がそこまでして
狙う理由とやらに、何かしら心当たりがあるかもしれない。
 ジーク達は代わる代わる、これまでの戦いと旅、出会いの中で知った多くをヨーハン達に
話して聞かせた。クロムが明かした“結社”の目的──“大盟約(コード)”の消滅、それ
を数多の犠牲を出してまで遂行することに一体何の意味があるのか。
「……。その一端はもう、君には分かっているのではないかな? その護皇六華もまごう事
なき聖浄器の一つじゃ。本来の使い方を……しているのじゃろう?」
 しかし肝心のヨーハンはたっぷりと押し黙り、逆にジークに向けてそう投げ返してきた。
 気のせいだろうか。“大盟約(コード)”の話で一瞬強く目を細めたように見えた。名指
しされ、仲間達が「えっ?」と突っ立つジークの姿を見る。
「……かもしれねえ。でもはっきりとはしねぇよ。あんまし学もねぇからな」
 ジークは肯定はしたが、確かな事はまだ何も言えなかった。ぼんやりとしか、自身の経験
でしか測りかねない。
 それはおそらく、六華との「対話」の事だと、思うのだが……。
「あの……。ヨーハン様」
「うん? ああ、お前さんは確かクラウスの娘じゃったの。随分と前に隠居してしもうたっ
きりじゃが……。どうした?」
「はい。僭越ながら。先程お話したように、私達は特務軍の一員として各地の聖浄器を回収
する任に就くことになっています。そしてその対象は、ヨーハン様たち十二聖が使っていた
ものも含まれておりまして……」
 ジークがそれ以上特に応答を広げるでもなく、ただ難しい表情(かお)で立ち尽くしてい
るのを見かねたのだろう。やがてリュカが意を決して、ヨーハンにそう切り出していた。
 十二聖ゆかりの聖浄器。その回収は本来正式に特務軍に編入されてからの仕事だが、折角
こうしてその本人が一人の前に立っているのだから、先に所在を確認しておいても文句は言
われまい。
「ああ、そういう事か。確かに我が一族が保管しておる。『絶晶剣カレドボルフ』と『絶晶
楯カレドマルフ』の二つじゃ」
「っ! じゃあ……」
「じゃがお主らに渡す事はできん。今はまだ、の」
「? どういう事です?」
「……大爺様の聖浄器は、普段はこの竜王峰上層にある宝物殿にて封印されている。道中お
前達も見てきたように、この山は冬山だ。季節もそろそろ本降りに入る。今山に入れば宝物
殿に辿り着く所か、遭難して絶命するのがオチだろうな」
 若干嘆息を含んでいるようにも見えた。ヨーハンが言う。だがその含んだ言い方にダンら
が小首を傾げると、そうセイオンが彼の言葉を継いで淡々と応答した。
「えぇ!? じゃあ来たついでにっていうのは無理ってことですか?」
「うむ。そうなるのう」
「そうですか……なら仕方ないですね」
「豪雪地帯の中に封印か……。なるほど、つまり天然の盗難対策でもある訳か」
「ああ。そういう事だ」
 残念だが、今ここでごり押しても無駄だろう。ジーク達は先んじての聖浄器回収は早々に
諦める事にした。ヨーハンはまた、気持ち俯き加減になって陰を作っている。
「……それに、あれはもう使われるべきではないからの」
「? 一体それはどういう……?」
 意味深な呟き。だがジークが訊ねるも、彼はその問いに答える事はなかった。
「……それでも、今この時代にアイリスが、友が現れたことに意味があるのなら……」
 代わりに重い腰を持ち上げるように、暫し思案してからセイオンを呼び、懐からとある物
を大事そうに取り出すと渡してくる。
「これは……?」
「鍵、じゃよ。名付けるなら“志士の鍵”とでも言うべきかのう。戦争が終わった後、皆の
聖浄器を封印する際に使った代物じゃ。儂ら十二聖の『血』とこの鍵を併せて用いることで
施された封を解く事ができる」
 そんな大事なものを……!? ジーク達は驚き、思わず掌から零しそうになった。
 代表してレナが受け取る。はたしてそれは一見すると小さな琥珀色の珠だった。だがよく
よく目を凝らせば、その内部には無数の導力の回路が走り、常人には計り知れないほどの緻
密な力が秘められているのだと知る。
「よく聞いてくれ。君達はもっと、世界を知る必要がある。もし儂らの、各地の聖浄器を集
めようというのなら、先ずはサムトリアの翠風の町(セレナス)という町を訪ねるといい。
あそこは我が親友(とも)、リュノーが賜った領地じゃ。その書庫を見せて貰え。あやつが
その生涯をかけて集めた様々な書物がある。きっとお主らの役に立つじゃろうて」
「賢者、リュノー……」
「十二聖の頭脳と言われた名軍師ですね」
 故に、ジーク達は互いの顔を見遣ってパァッと表情を明らめた。彼の聖浄器はお預けにな
ってしまったが、有力な情報とその為の“鍵”を得られたのだから。
 ありがとうございます。一同は深く頭を下げて礼を述べた。何、構わんよ。ヨーハンは変
わらずロッキングチェアの上で穏やかに微笑(わら)っている。
「老いぼれの、せめてもの助力──お節介じゃ。この時代の混沌を払う一助になるのなら皆
も文句は言わんじゃろう。ともあれ、遠路遥々ご苦労じゃった。せめて今夜くらいは泊まっ
ていってくれ。地上に比べれば地味かもしれんが、ご馳走するぞい」
「本当ですか? やったー!」
「よ、ヨーハン様からのお呼ばれ……。流石に緊張するわね……」
「まぁいいんじゃねえの? ホームに連絡だけ入れといて、一旦長旅の疲れを癒させて貰お
うぜ?」
 ワイワイ。緩急忙しない会談がはたとして終わりを迎え、一行はにわかに安堵の息を漏ら
し始めた。各々に胸を撫で下ろし、笑い、或いは改めて緊張しかけている。
「…………。なあ、爺さん」
 だがそんな時だったのである。気分が緩む仲間達の中で、ただ一人ジークだけは尚も神妙
な面持ちのまま、この生ける伝説・ヨーハンを真っ直ぐに見据えて口を開いたのだった。
「アルス──うちの弟から一つ、あんたに伝言を預かってる」
 そしてそれはあまりにも衝撃的で、当のヨーハンやセイオン、仲間達が思わずぐらりと目
を見開くほどの内容だったのである。
「十二聖はもう、本当に“あんたしかいない”のか?」

 それは梟響の街(アウルベルツ)を発つ前、ホームの自室で薄闇の中眠ろうとしていた最
中、不意に弟(アルス)から切り出された会話だった。
『向こうへ発つ前に、聞いて欲しいことがあるんだ』
 照明も落とし、何より二段ベッドの底板を挟んでいて相手の顔を見えない。だがジークは
その声色から、彼が何か真剣な話をしようとしているのは分かった。
『……何だよ? 改まって』
『兄さん。クロムさんの話だと“結社”の目的は“大盟約(コード)”をこの世から消し去
ることだよね?』
『ああ、そうらしいが。奴らの言う世界を在るべき姿にってのはそういう意味なんだろ?』
 そしてその為に、彼らは世界各地の聖浄器を集めている。何故かは分からないが。
『そうなんだけど……。でも、それだと妙なんだ。考えれば考えるほど、僕にはどうしても
奴らが“不自然”に思えてならない』
『……? 何が変なんだよ? 一般には見せてくれない代物だから、無理やりでもぶん取ろ
うって事じゃねえのか?』
『だから変なんだよ。もし奴らが“大盟約(コード)”消滅という目的の為に聖浄器を手に
入れようとしているなら“もっと上手くやる”ことは出来た筈なんだ。目的に絞って考えれ
ば、あちこちでテロや内乱を起こす必然性が無い』
 寝入り前という事もあって、ジークは内心頭の中が混乱していた。
 上手くやれた筈? テロを起こさなくてもよかった?
 眉間に皺を寄せて、ジークはごそっと気持ち毛布から身を迫り出させながら上段のアルス
を見つめた。これまでの連中の悪行(じっせき)と弟の思考、聞く限りはまるで噛み合って
いないそれを、ジークは何とか咀嚼しようとする。
『……そりゃあテロ組織だからじゃねぇの? 頭数を揃えるにはでっかいことをして注目を
集めなきゃいけないんだろうし。“大盟約(コード)”にしろ何にしろ、人手が足りないと
色々困るんだろ』
『だから、それだと手段と目的が逆なんだよ。いい? 奴らの目的は“大盟約(コード)”
の消滅。どうやって実行するかまでは分からないけど、少なくともその為に──手段として
奴らは聖浄器を集めている。……秘密裏でもよかった筈なんだ。僕らが知りもしなかった高
度な転移技術、強大な兵力──密かにそれらを駆使すれば、何も世界にテロリズムの種を撒
かずとも目的に近付いていくことは可能だったんじゃないかな? なのに奴らはそうはして
いない。だとすれば、合理的に考えて本来の目的とはもっと別の目的──理由があるからと
仮定した方が綺麗に説明できる。……時々思うんだ。奴らは、“結社”を率いてるボスは、
まるで自ら悪役を演じているような気がして……』
『……』
 神妙であるのは変わらない。だがそう語る弟の声色は、次第にやる方ない哀しみを少なか
らず孕んでいくように感じられた。奴らは“敵”なのに……。彼に、自分に言い聞かせるよ
うにして、されどジークもまたそんな板挟みの念を覚えずにはいられない。
『だがなあ。だからといって奴らのやってることを正当化できる訳でもねぇんだぜ? 奴ら
が何を考えてようが、実際問題数え切れないくらい怪我人・死人が出てる。ファルケンの奴
じゃねぇけど、今更釣り合いが取れるとは思えねえ』
『そうだね……。でも、ただ“敵”だからってやっつけても、僕らは本当に平穏無事でいら
れるのかな? 次から次へ、また嫌なことが繋がっていくだけな気がする』
 ジークは黙っていた。弟の漏らす懸念はおそらく間違ってはいないのだろう。それはこれ
までの旅、戦いの中で何度となく経験してきた。悔しいが、一度分かたれてしまった人と人
との溝を埋め直すには、自分達人間の一生はあまりにも短過ぎる。
『……結局、分からないことが多過ぎるんだよな。何で聖浄器を狙うのかってのもそうだけ
ど、奴らの親玉──“教主”が何処の誰かも分からずじまいだし、大都(バベルロート)の
騒ぎに至ってはダグラスのおっさんが言ってた“フードの男”まで出てきた。……正直、俺
には訳が分かんねぇよ。もしかしたら同じ人間なのかもしれねぇし、全くの別人なのかもし
れねぇし……』
『そうだね。あの話ではフードの男は“精霊王(ユヴァン)”の名を騙っていたけど、史料
だと当の彼は皇帝オディウスと相打ちになって死んだとされている』
 ジークは大きく嘆息をついた。半身を毛布で被せたまま、吐息と共に胸が一旦凹んでから
また息を吸い込んで膨れる。アルスも声音を落としていた。持ち前の学で、そう兄を援ける
ように補足してくれながらごちる。
 フードの男イコールユヴァンという話。大都消失事件の直後、聞かされた証言だ。
 あの時はダグラスらに強く口止めをされたというのもあり、これまであまり活発に言葉に
することは少なかった。だが今、改めて他ならぬアルスによってその不可解が横たわる。彼
が兄達から話を又聞きした直後、推測したのは勘違いと詐称、或いは本当に本人──現在語
られている歴史とは違い、実は魔人(メア)や神格種(ヘヴンズ)となって生き延びている
可能性である。だがどちらにしても、この第三の推測は荒唐無稽過ぎた。だからこそ、あれ
以来アルス自身、これら“結社”に関する思考はずっと頭の中でのみ繰り返されてきたこと
だったのだが──。
『ねぇ、兄さん』
『うん?』
『今度ヨーハン様に会ったら一つ、訊いてみて欲しい事があるんだ』
『ああ。言伝か? いいぜ。何だよ?』
 そして夜闇の自室の中、ジークは底板越しにアルスに頼まれる。
『──“志士十二聖は、本当にもう貴方一人だけなのですか?”って』

「……」
 ヨーハンは黙していた。じっとこちらを見据えて答えを待っているジークの眼を見つめ返
し、ただ次の言葉を慎重に選んでいるかのように見えた。
 仲間達も、セイオンも目を見開いて驚いたり、眉を顰めてこれを見ている。
 だが暫くして、他ならぬヨーハンがようやく口を開いた。しかしその口調は、最初ジーク
達にみせた好々爺な面である。
「ほっほっほっ。随分と面白いことを訊くのう。儂らがあの戦争を戦ったのはもう千年も前
の事じゃ、普通に考えて大抵の人間は死んどるわい」
 若干の苦笑い。だがそれは暗に、その質問は受け付けぬという意思表明であったのかもし
れない。或いは本当に面白い──真面目に答えるに足らぬものだと言ったのかもしれない。
「アゼルやエブラハム卿辺りは、二百年ほど前まで生きていたのう。だが二人が亡くなった
と報せを受けて以来、かつての仲間達の話はとんと聞かなくなってしもうた。もう儂以外に
十二聖と呼ばれた者達はおらぬ筈じゃよ」
「……。そうッスか」
 改めて返答。そこまで言われればジークも矛を収める以外にない。
 仲間達は戸惑い、或いは窘めようかどうか迷っているようだった。セイオンの眼光という
のも大きいが、にわかに場の空気がキリキリと居た堪れぬ捻じれを帯び始めたように感じら
れる。
「セイオン。彼らを屋敷の者に話して客室へ通してやってくれ。よければお前も泊まってい
くといい。今夜は久々に楽しい宴となりそうじゃ」
 ……仰せのままに。言われて頷き、セイオンに促される形でジーク達はそのまま部屋を後
にしていった。広大ながら何処か物寂しい屋敷の奥へ、閉じる扉がヨーハンを覆い隠す。

 ──だが事件は、そんな滞在の最中に起こった。
 “勇者”ヨーハンとの対面から一夜、歓迎の宴もたけなわとなって更けゆき、屋敷に一泊
したその翌日、ジークは宛がわれていた部屋へ突如して駆け込んできたサフレとマルタに叩
き起こされたのだった。
「何だよ……まだ昨夜の酔いが残ってるってのに……」
「しっかりしろ。今はそれ所じゃないんだ」
「ここ、これを見てください!」
 顰めっ面の眠気眼で身体を起こしたジーク。そんな二人にすぐさまある物を突き出され、
その眠気は一挙にして吹き飛ぶことになる。

『速報! 聖女再誕!』
『混迷の時代に現れた生まれ変わりの少女──レナ・エルリッシュ』

「……何だよ、これ」
 それは大きく号外と記された新聞だった。そこには一面にレナが“聖女”クリシェンヌの
生まれ変わりと判明した旨、体内魔力(オド)が完全に一致しているとの情報が細かな字面
の中に書き込まれていた。
「レナの出自がバレたんだ。何処の誰かは分からないが、おそらくリークされたんだろう。
さっきリュカさんも端末で調べていたが、界隈ではかなりの騒ぎになっている」
「それにさっきから、エイテル教皇がこの件に関して会見を開くって情報が流れてきて、皆
が映像器の前に集まってるんです。ジークさんも、早く!」
 ぶすっと不快を顔に浮かべたサフレ、わたわたと慌てているマルタ。
 ジークは飛び起き、急いで着替えると二人と共に屋敷のリビングへと向かった。ただでさ
え大きな室内で、故に壁に掛かっている映像器もかなりの大型だが、既に集まっていた仲間
達やセイオン、使用人らやヨーハンといった面々が場に揃っていることもあり、一見した認
識では実際よりも寧ろ手狭にすら感じられる。
「来たか。ジーク」
「ちょうど会見が始まる所よ。さあ、こっちに」
「……」
 使用人達やヨーハン・セイオンの間、前を抜けて皆の下へ。
 その時ちらと当のレナの横顔を確かめてみたが、やはり心ここに在らずといった様子だっ
た。ステラやリュカがそっと肩に触れて宥めているものの、彼女は胸に手を当ててぼうっと
突っ立ったまま画面を見つめ続けている。
『ではこれより会見を始めます。教皇様、どうぞ』
『……皆様、本日は急な会見にも拘わらず足を運んでくださり有難うございました。皆様に
集まっていただいたのは他でもありません。既に一部報道に出回っている、聖女様の生まれ
変わりが現れたという件に関して──』
『教皇! それは本当なのですか!?』
『速報が出た事で、各地の信者や市民に少なからぬ動揺が生じているようですが……!』
 画面の向こう、設えられた白布のテーブルに座るエイテルら教団幹部に向かって、早速会
見に出席していた記者達の質問が飛んだ。
 ……お静かに。エイテルの傍に控えていた男が、キッとそんな彼らの不躾を睨むようにし
て制する。だが当の彼女はこれらに目に見えて動じることもなく、ただ静謐なほどに落ち着
き払って答えたのだった。
『結論から申せば──事実です。内々にではありますが、件の少女が記録に残っている我ら
が開祖・クリシェンヌと同一波長の体内魔力(オド)──その源泉たる魂の持ち主であると
いう結果は、調査し明らかになったことであります』
 ざわ、ざわっ……。すんなりと教団のトップ、教皇エイテルが認めたことで会場は隠し切
れぬ動揺を受けてざわめき始めた。大慌てで広げたメモ帳にペンを走らせる記者達、肯定さ
れた瞬間に写姿器のストロボを焚く光と音。尚も静かに佇んでいる彼女とは対照的に、その
全てが忙しない。
『冒険者クラン・ブルートバード所属、レナ・エルリッシュさんは間違いなく、我らが開祖
“聖女”クリシェンヌの生まれ変わりであります』
 画面の前でジーク達が、唇を奥歯を噛んで立ち尽くす。
 報道各社が集まった記者会見の場で、教皇エイテルはそう確かに全世界に向けてその事実
を明らかにしたのだった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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