日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)Amethyst League〔2〕

 ……まただ。また始まった。
 部屋の向こう側、階下から聞こえるのは父さんと母さんの怒号。距離とドア越しでその内
容自体までは聞き取れない。だが、そこから溢れ出す感情の胸糞悪さだけははっきりと僕の
直感が教えてくれる。
 これで何度になるのだろう。
 かつては愛し合って僕を生むまでに至った筈なのに。どうして。そんな疑問ばかりが頭の
中に次々と湧いては駆け抜けていく。どす黒く渦巻いて僕自身の闇の中に。その中に放り込
まれた思考はゴウッと真っ赤な火となって燃え、静かに燻り続けるもが分かる。
 それは、苛立ちや憎しみといったものだろう。
 本来は自分ではない別の人間のものだったのに、気付けばそんな溢れ出す感情は僕自身に
伝播している。気にしないように、気にしないように努めても、気付けば奴らは僕の中でじ
りじりと燻り、僕を苦しめようと侵略の手を緩めようとはしない。
 仮に僕が怒鳴り込めば、二人は怒号を止めるだろうか。
 否、多分そんな事はないだろう。きっと僕がいない場所でまた同じ事を繰り返すだけだ。
もしくはそもそも、そんな配慮をする余裕すらも、もうあの二人には無くなっているので
はないかとも思ったりする。
 結局の所、僕も二人も、生き地獄にいるんだ。自分の、相手の感情という名の火に焼かれ
続ける生き地獄に。
 どうすれば、どうすれば抜け出せる?
 怒りや憎しみなんか……消えてしまえばいいのに。


  Chapter-2.切り裂く者

 住宅街の一角で発見された斬殺死体は、手口の類似性から、以前より発生していた件の通
り魔の犯行である可能性が高いと警察によって発表された。
 翌日にはそのニュースは地元紙を賑わし、人々は姿の見えぬ犯人に慄く事となった。
 しかし、既にこれで四人が亡くなった事件となったが、やはり人はよほどの至近距離にま
で危険が迫らないと、凄惨な事実であっても所詮は他人事でしかないらしい。
 数日の間はニュースを始め、人々の間で話題にのぼる事はあったが、日を追うごとにその
頻度は降下の一途を辿っていく。誰しも間合いにあるのは危機よりも平和の方が良いという
事を示すものだろう。
 それは、図らずも発見現場に出くわしてしまった胡太郎と陽菜子も例外ではなかった。
 全く記憶から排除されたという訳ではなかったが、どちらかというと平穏な日常の方へと
その身が寄り掛かっていたのは間違いない。
 だからこそ、大きな所では世間──周囲の人々とその点では大差はなかった。
「ハル、コタロー、アツシ、居る?」
 そうした、ある種のほとぼりが冷めてきた頃の日の休み時間。胡太郎達のクラスの扉を環
が開いた。ちょうどハルの席に集まって取りとめもなく雑談していた三人はおもむろに彼女
の方を向く。環もその様子を認めて近づいてきた。
「どうしたの、タマちゃん?」
「ん? 飯ならもう一時限先だぞ。……弁当は陽菜子が持ってるままだからなぁ。あいつっ
たら『お弁当はちゃんと皆で食べないとダメだよ』って……。早弁もできやしない」
「……アンタみたいな腹ペコキャラと一緒にしないでよ。って、そうじゃなくて」
 晴市にテンポを崩されつつも、ツッコミだけはしっかりと忘れずに環は続ける。
「ちょいと相談事があってね」
「……相談?」
「何さ?」
「……」
 あまり大きな声では言えない事らしい。ぐっと机に身を寄せて、そう切り出してくる。胡
太郎達もそれを感じ取って同様に前屈みになり、四人の人の輪ができる。
「その、サーヤの事なんだけどね」
「サーヤの?」
 そう言われてみれば環と同じクラスである筈の彼女の姿はない。仲が良い二人なのにその
片割れが居ないというのはそういう事か。胡太郎らは先を促す。
「クラスの子から聞いた話なんだけどね、どうもここ暫くサーヤが夜に出歩いているみたい
なのよ」
「出歩いてる……? でも、それぐらい──」
 それだけなら、最近の女子生徒にしては珍しくないだろう。だが、彼女の事をよく知って
いる彼らだからこそ、その奇妙さに逸早く気付いた。
「あれ? でもアイツの家って門限厳しくなかったか?」
「あ。そうだよね……。昔からの地主さんのお家で、おじいちゃん? おばあちゃん?かが
躾に厳しいって……」
「うん。お婆ちゃんの方ね。確かお爺ちゃんは以前に亡くなってる筈よ」
 二人の反応が予想通りだったらしく、環は何処となく満足げに頷く。
 望月家──沙夜の生家はこの街の旧市街を中心に多くの土地を持つ、いわゆる資産家の家
系である。そういった家柄もあってか彼女の祖父母は古風で躾などには五月蝿く、幼少の頃
も皆で遊んでいても彼女だけが一足早く先に帰らないといけないといった場面が度々あった
ほどだ。
 ただ、孫に懇意にしてくれている胡太郎達には少し寛容だった気もするが。
 そんな彼女も年頃になり、必然その門限は当時に比べて緩和されていったのは想像に難く
ないのだが、それでも環によると決して無くなったという訳ではないらしい。
「厳しいなぁ。俺だったら窮屈で仕方ないぜ」
「……慣れの問題だな。沙夜はお前よりもずっと真面目だからな」
「そう。生真面目なのよね、サーヤは。言葉遣いも何処となく男っぽいし」
 まぁそれも凛としたサーヤなりの魅力でもあるんだけど、などと一言付け加えつつ、環は
話題の軌道修正を図る。
「その真面目なサーヤが、夜な夜な門限を過ぎた時間に街をぶらついているってのが個人的
に気になってね。あんまり干渉するのもどうかとは思うんだけど、それで悪い奴に捕まった
りしてたら心配じゃない?」
「でもまぁ、あいつ普通に強いだろ? ガキの頃から剣道やってるしよ」
「……街を歩くのに竹刀を持ち歩くとは思えんが」
「……まぁ、それもそうだけどよ」
「だけど心配なのは心配かな。強くたって女の子だし。最近は物騒な事件もある事だしね。
でもさ……その話って本当なの?」
「間違いないわ。何人も目撃者がいるんだから。ちゃんと裏は取ってる」
 苦笑しながらも要点を聞き返してくる胡太郎に、環は真剣な表情で答えた。
 そこに好奇心が全く無いとはいえないが、それ以上に親友への心配が色濃く出ているのが
分かる。晴市ほどではないが、肩の力を抜き楽しむタイプの彼女の見せるその真剣な表情が
事を深刻だと捉えている内面を伝えていた。
「で? どうするんだよ。本人に訊きゃいいんじゃねえのか?」
「それができればしてるわよ、とっくに。でも、サーヤの性格からして追求されても簡単に
は認めないでしょうね。私達が告げ口するとはまでは思わなくても、自分がそういう事をし
ているって事をバラしたくないと思うの」
 真面目さは往々にして完璧主義者になる、という事だろうか。
 胡太郎は沙夜の性格を思い出しつつ、妙に納得していた。
「じゃあ、どうするの?」
 となれば当然の疑問である。
 その問いに、環は一度大きく頷き、一度周りを確認してから、
「勿論、現場を押さえるのよ。で、もし噂通りだったら偶然出くわしたフリして出て行く。
サーヤにできるだけ圧迫感を与えないように真偽を確かめるには、これくらいしか方法はな
いと思うんだけど」
 ふんふんと頷いていた三人だったが、彼女の語尾にやや遅れて反応する。
「ん? 待てよ、それって」
「僕らもその、尾行を手伝って事?」
「話が早くて助かるわ。そうよ。私一人じゃ、サーヤはまだ隠す方に力を入れちゃうかもし
れないし。それに、レディ一人に尾行させろっていうの?」
「何だよその理屈……。第一お前、レディって柄じゃ──あだっ!」
 笑顔のまま、環が机の下から晴市の脛に蹴りを入れていた。一瞬、数名のクラスメートが
こちらを向くが、胡太郎が何でもないよと苦笑を向けてごまかしておく。
「とにかく協力して? ね?」
「……ま、いいけどよ。気にはなるしな」
「そう、だね。ちょっと後ろめたくはあるけど。ねぇ、アツシも」
「断る」
 順調そうな雰囲気に、篤司は冷や水を浴びせるように短く答えた。一見、普段と変わらな
いクールな様子にも見えたが、眉根が少し上がっていた。
「……ま、お前らだけで充分だろ」
 そう言って篤司はゆたりと背を向けて自分の席へと戻っていってしまう。その背中を眺め
ながら、晴市は怒る訳でもなく、あちゃーと頭に掌を当てていた。
「そういえばもう一人いたな。真面目なのが。正義漢がよ」
 ちらと胡太郎と環を見た。つまり、篤司曰く「尾行なんて真似、俺の正義に反する」とい
う類の事らしい。二人もその意図に気付いて僅かに顔を見合わせる。
 胡太郎は困り顔で篤司の背中を見ていた。明らかに黒であるならともかく、今はあくまで
噂の域を出ない。やり過ぎという指摘は尤もの事だろう。
「まぁ、仕方ないかな……」
「……そうだね。実際、やましい事ではあるし」 
 会話のようで、何処となく繕って言い聞かせるように。
 環はコホンとわざとらしく軽く咳払いをして、胡太郎と晴市に向き直って言った。
「じゃあ、放課後、夜のちょい前に一度私の家に集合って事で。いい?」
「あいよ」「うん」
 そうして話がまとまったとほぼ同時、四時限目を告げるチャイムが鳴ったのだった。

 放課後。胡太郎は一度家に帰って私服に着替えてから、念の為に軽食を取った後、環の自
宅へと向かった。
「お待たせ」
「やほ。これで全員揃ったね」
 歩く事数分。環の自宅の前には既に環達三人が揃っていた。
「……あれ? ヒナちゃんも?」
「う、うん。お兄ちゃんがタマちゃんと出掛けるみたいだから、何かなって聞いてみたら、
サーヤさんの事を聞いて……私も心配だから」
 環と晴市・陽菜子兄妹、飛鳥部家と新條家は、自宅が隣同士の幼馴染だ。むしろ晴市と環
という、興味のある者には物怖じしないというある種の似た者同士が中核にいたからこそ、
現在の胡太郎達六人の仲間が存在しているといってもいい。
「ま、そういうこった。これはこれで穴埋めにはなるしな」
 穴埋めとは言わずとも篤司の事だろう。仮に沙夜が危ない輩に遭遇した時に追い払うとい
う期待は消えたが、環共々に彼女が可愛がっている陽菜子がいれば、いざ彼女の前に出た時
の、彼女に与える圧迫感の軽減には貢献するだろう。そんな算段といった所か。
 見上げた空が示すのは既に黄昏時を過ぎた頃。茜色から夜闇色に変色を始めようとしてい
た空にはぽつんと一番星が浮かんでいた。
 環はよし、と周りを見渡して気合を入れ直す。
「じゃあ、出発しましょう」
 そこから四人は沙夜の自宅に向けて歩き出した。
 ここ玉殿市は北を山に、南が川を経て海へと繋がっている。彼女の自宅、望月家は市の旧
市街区に相当する北方面にある。そこへ向かって歩いていく内に、コンクリートに囲まれた
比較的新しい住宅街は徐々に規模を小さく変えていく。
(……この前はここで男の人が)
 その路中は、数日前に例の遺体が発見されたあの小川の傍を通るルートも含まれていた。
 非常線などは既に撤去されているようで、水草に半ば占領された緩慢な水量の音がごぼご
ぼと胡太郎の耳に届く。
「…………」
 ちらりと陽菜子を見てみると、彼女もあの時の事を思い出していただろうか、川の方に目
を向けながら芳しくない表情を浮かべている。ややあって胡太郎の視線に気付くと、無理を
してニコッと笑った。ほんの一瞬、互いの視線が交差し固定したが、すぐに前を行く環と晴
市の方を向く。お互い、あまり考えないようにしたい。そういう事だったのだろう。
(……大丈夫かな)
 それでも、胡太郎はふと不穏な結び付きを脳裏に描いてしまい、軽く頭を横に振りながら
頭の中から追い出した。
「さて……」
 それから十数分後。四人は目的地の目と鼻の先に到着した。
 辺りはすっかり暗くなり、夕暮れの気配はすっかり消えていた。街並みもコンクリートと
いうよりも木造の昔ながらの家並みが圧倒的多数となり、家々同士の境や庭らしき部分から
は植木が伸び、夜を迎えた空間の闇にじわじわと溶けていくかのように佇んでいる。
 望月家は、そんな辺り一体の中に溶け込み、且つそれらの上位に立つような面構えをして
いた。要するに古風な豪邸である。
「……やっぱりいつ見てもでけぇな、サーヤの家は」
「じ、地主さんだもんね」
 新條兄妹が改めて口に出すほど、豪邸だった。
 時間が時間なので暗くあまり全容を見る事はできないが、図太い木材で作られた厳めしい
面構えの門を正面に、周囲を塀が覆う。家屋部分は塀の向こうに広がっていると見られる庭
の、隆々と伸びた松などの木々の更に奥にあるらしいのが、所々灯った照明の光で何とか確
認できる。
 四人はその望月家の正面から少し離れた電柱の陰に隠れていた。
 思いっきり不審者だが、尾行という訳で(そして望月家の大きさに圧倒されて)そんな場
所に陣取る形で様子を窺う事になったのである。
「出てくるかな、サーヤ」
「どうだろうね……。毎日夜出掛けているって訳ではないんでしょ?」
「多分ね。でもいつ出てくるかなんて分からないし……」
「じゃあ、今日出て来なかったらどうするの?」
「ま、その時はその時だ。また日を改めればいいだろ」
「……そうね。とりあえず暫く様子を見てみましょう」
 その後、四人はじっとその場に留まった。幸い、周りは所々に電柱に電灯がついている為
に全く見えないという訳ではない。しかし、その一部だけ照らされているという静寂さは決
して安堵を呼ぶような印象は呼ばない。時折夜風が吹き、冷たさが肌を刺激する。
「少し着込んできて正解だったな」
「そうだね。春といっても夜はやっぱり寒いや」
 無言のままでは間が持たず、時折呟くように誰かが言葉を発し、また別の誰かがそれに応
える。よく刑事ドラマなどで張り込みをしている光景があるが、これは思った以上に重労働
なんだな。胡太郎はふとそんな事を思った。
 そんな、慣れない沈黙と立ち仕事を続けてどれぐらいが経っただろうか。
「あ。あれってサーヤさんじゃない?」
「んん? どれどれ……」
 視線を巡らせていた陽菜子が、ふと望月家の側方を指差した。それを聞いて環がバッグか
らおもむろに双眼鏡(何と用意がいい)を取り出すと、その方向にじっと目を凝らす。
 双眼鏡のレンズに移ったのは、タンクトップのセーター生地の服の上に焦茶色のコートを
羽織った、さらりと長い黒髪のポニーテールの少女。
「……間違いない。サーヤだ」
 その言葉に一同に緊張が走る。
(う~ん……ずっと見ていたのに、出てきた瞬間を見逃すなんて。まぁ、真正面から出てく
るとも限らない、か……。裏口でも使ったのね)
 沙夜は自宅の方を一度見遣ると、そっと足音を立てないようにしながら四人からは死角に
なっている位置の路地の方へと歩いていく。
「よ、よし……追うわよ」
 ごくりと鳴る、環の唾を飲む込む音。素人である分だけ緊張が押し寄せてきたのが見るか
らに分かる。胡太郎達も黙って重く頷く。
 彼女を先頭に、四人は尾行を開始した。

 
 沙夜は夜の路地を独り歩いていた。
 彼女から距離を取りつつ、四人は電柱や曲がり角など、物陰に隠れて様子を窺いながらそ
の足取りを追っていく。彼女の自宅からは距離が出てきた事もあり、彼女の足取りも先ほど
よりは不自然に忍び足ではない。夜闇を所々で照らす外灯のコントラスト。一歩一歩の足音
が、コツコツと静かに響いては夜の暗さと混ざり合うようにして、やや反響してはフェード
アウトをするように消えていく。
 ともすれば闇に紛れて見失いそうになる。それでも響いてくる靴音を道標のように聴覚も
総動員して彼女を静かに追う。気付かれまいと無言を保とうとすればする程に、心臓の脈動
する音、僅かに耳に入ってくる周囲の家庭の生活雑音、遠くから聞こえる犬の鳴き声などが
拡声器で拡張されたように大きくなって聞こえ、響いてくるような錯覚を覚える。
 緊張からか、或いは仲間を尾行しているという後ろめたさからか。
 昼間、教室で眉根を上げて同行を拒否した篤司の側に、今更ながら同調したいなと、そん
な感慨を胡太郎は覚えた。
 尤も、彼の場合は後ろめたさからの逃避ではなく、不義な行為自体への彼なりの反対表明
であったのだろうが。
「こっちの方向は……駅前だな」
 晴市が気付かれないように、小さな声で誰ともなく呟いた。
 沙夜は何度か路地に入ったり出たりしているが、皆この町で育った身だ。彼女の進んでい
く方向と頭の中の地図を重ね合わせられるだけの土地鑑は持っている。
「目撃情報も駅前でのものが殆どよ。……どうやら今夜は当たりっぽいわね」
「う、うん……」
 玉殿市には、北部・中部・南部と街を分割するように南北にそれぞれ駅がある。南、新市
街方面に比べれば規模は劣るものの、沙夜が向かっていると思われる北部と中部の分岐点辺
りに位置する駅周辺も、日頃相応の賑わいを見せている。夜も夜で遅くまで人の流れが残る
場所だ。彼女が夜出歩く先としては充分に考えられる。
 環は晴市の言葉に頷き、口元に手を当ててじっと何かを考え込んでいる。その傍らで、陽
菜子は不安そうに沙夜の後姿を見ている。
 胡太郎は念の為に訊ねてみた。
「どうする? どうやら噂は本当だったっぽいけど」
「……もう少し粘ってみましょう。駅前方向なのは間違いないけど、そこに行くかはまだ分
からないしね」
 だが、環の希望的観測は外れた。
 地図上の予想の通り、沙夜の脚は駅前のアーケード街に向けられたのである。それまで点
々としかなかった街灯の代わりに、店からやアーケードから吊るされた照明が当たりを夜の
暗さから切り取ろうと競い合うように人工の光を供給し続けている。
 昼間、駅の利用者や買い物客で賑わう此処も、夜にはその趣を大きく変え、そこに行き交
う人々の多くは遊びに来たと見える若者、若しくは帰宅の路にあるサラリーマン達によって
占められていた。
「…………」
 今までのように物陰に隠れて移動すればかえって不自然なので、四人は人混みに紛れなが
ら、かつ前方を行く沙夜の後を追う。
 だが、環を始め心持ち言葉が少ない。噂の真偽がこうして目の前にあるのだからか。
 不良……とまで言うほどではないにせよ、それまでの彼女へのイメージが心持ち揺らぐよ
うな。それが四人の漠と抱いた感慨だった。
「タマ、どうすんだ? 一応真偽を確かめはできたっぽいが」
「……出て行ってみる?」
「ちょ、ちょっと待って……。そ、その、もう暫く様子を見ようよ? ね?」
 言葉を詰まらせながら環はふるふると手を振る。気持ちがまだ落ち着いていないらしい。
躊躇の色が読み取れる。
「まぁ、お前がそういうならいいけどよ」
「……サーヤさんの事、気掛かりなのは私もだから。もうちょっと見ていこう?」
「……。うん、ありがと」
 会議終了。作戦続行。
 引き続き人混みに紛れつつ、沙夜の様子を観察する事にする。
「おや? 君達は」
 その時だった。
 背後からする男性の声。雑踏ではなく明らかに自分達に向けられた声と足音。
 四人はつい反射的にビクッと身体を震わせ、ゆっくりと背後を振り返った。
「あぁ、やっぱり君達だったか。後ろの二人はお友達かな」
 そこに立っていたのは、少し草臥れたスーツにコートを羽織った男性だった。
 歳は三十代そこそこといった所だろうか。温厚そうな顔立ちが服装の草臥れ具合でより際
立っているようにも見えなくない。
 環と晴市は頭に疑問符を浮かべていたが、ややあって胡太郎と陽菜子が思い出したように、
ポンと手を打った。
「あ……あの時の刑事さん?」
「小川の現場にいた……」
 そうだ。以前迷い犬を追いかけて辿り着いた小川の事件現場。そこにやってきていた二人
の刑事、その内の若い方の人だと。
「ああ、そうだよ。覚えていてくれたか」
 まだ事情が飲み込めていない背後の二人に、陽菜子が大まかな説明をする。そこでやっと
彼が刑事であると知り、更に心持ち萎縮する。無理もない。四人は今まさにやましい事の真
っ最中なのだから。
 だがそれを悟られないように、自分達の自己紹介をする事で胡太郎達はその場をやり過ご
す事にした。
「……ふむふむ。同じ学校の友人同士か。おっと、こちらも自己紹介しないといけないか。
俺は芦田。芦田誠。さっきも言われたように刑事をやっている。まだまだ未熟だけどね」
 そういって芦田刑事はハハ、と笑った。割と気さくな人らしい。
「……それで、芦田さんはどうしてこんな所に?」
「ん? あぁ……パトロールだよ。物騒だしね、最近は」
 そう少し間を置いて答える芦田に、胡太郎は内心少し怪訝を抱く。そういった仕事は刑事
ではなく、どちらかというと巡査などの領分ではないのか。では何故……。
「……おっと、あまりお喋りばかりもしていられないな。そろそろ行かないと。三枝さんに
怒られちまう」
 その意識は、芦田の声で呼び戻さされた。彼は腕時計に目と落としていた。
「三枝さん?」
「ん? あ~……あの時、俺以外にもう一人刑事がいたろ? あの人だよ」
「……あ、はい。あの、ちょっと怖い感じの」
 当時の険しい(殺人現場なのだから当たり前だが)顔つきの中年刑事を思い出したのだろ
う、陽菜子が少しビクついて呟く。それに芦田は少し苦笑気味に、
「まぁ、確かに内にも外にも厳しい人ではあるけどね。でも、俺にとっては色々と教えてく
れる、いい先輩さ」
 そう一応、この場に居ぬ先輩の市民からの評価を繕いつつ、踵を返そうとする。
「それじゃあね。夜遊びも程々にするんだよ?」
 そして、彼はそのまま雑踏の中に消えて見なくなった。
 暫くの沈黙。大方、ひやりとしたといった感慨か。
「……サーヤは?」
「大丈夫だ。見失ってない」
 沙夜は独りアーケード街を歩きながら、両脇にある店にふらふらと立ち寄ってはまた出て
くるという事を繰り返していた。服屋、アクセサリーショップ、ゲーセン……年頃の少女に
しては特におかしいようなチョイスでもない。
 むしろ、遠目からではあったが、生真面目な彼女の表情がいつもより笑っているようにす
ら四人には見えた。
「……別に、やましい事をしてはないわね」
「む、むしろ私達の方だよね、それは」
「陽菜子、皆まで言うな……」
「あはは……」
 ほっとしたような、それでも複雑な表情で環は呟く。胡太郎も彼女と、遠くで静かに笑み
を溢している沙夜の両方を見比べる。先程よりも心が軽くなったと思う。
「あ。誰か来た」
 と、環がそう言って心持ち隠れる。胡太郎達も慌てて反射的にそれに従った。
 見てみると、沙夜の方に数名の少女が近寄って話しかけているのが確認できた。胡太郎に
は面識はないが、彼女が割りと気さくに応じている事から知り合い──学校での同級生など
だろうかと予想する。
「あ~……多分、あれサーヤのファンの子だわ」
「ファン?」
 環が少し観察してからそう言う。そして反復した胡太郎に、
「ほら、サーヤって見た目、背も高めで凛としてるじゃない? で、言葉遣いとかも男っぽ
い所があるしさ。そういうのが女の子達にウケてるのよ。同級生の子から先輩、後輩までそ
れはそれは幅広くね。まぁ、本人はそういう扱いが内心コンプレックスぽいけど」
 と少し自慢げに、そして最後は苦笑気味に答える。
 そういえばそんな事を聞いたことがあるような。胡太郎もふいと記憶を辿ってみる。確か
に環のいうように、ファンらしき女子達とその場で話し込んでいる沙夜は表情こそにこやか
だが心持ち自身への苦笑が滲んでいると見えなくもない。
「…………」
 ふと、視線を沙夜から環に戻してみる。
 その横顔は親友についての噂への不安から、親友への信頼がそれらを打ち負かした後の一
種の清々しさに満たされていく最中であるように、胡太郎には見えた。
 やがて沙夜と会話をしていたファンの少女達の集団は、彼女に手を振って別れを告げると
再び傍の人混みの流れの中に舞い戻っていく。沙夜も少しの間、彼女らに手を降り返して見
送っているようだった。
 そこには如何わしさなどない。誠実で真摯な一人の少女の姿があるだけだった。
「……ふぅ」
 切り替えるように、環が息をついた。そしてニカッと笑顔を浮かべると、胡太郎達の方へ
と向き直る。
「いやいや、付き合ってくれてありがとう。もう大丈夫」
 それは尾行の終了を告げる合図。胡太郎達も満足げに頷き返す。
「じゃあ、最後にサーヤのとこに行こうか。流石に尾行の事は話せないけどさ、代わりに何
か奢ってあげて……」
 そう環が言っていた時だった。
 胡太郎、晴市、陽菜子三人の視線が同時にくいっと横に逸れる。
「ん? どしたの?」
「いや……。まさかな」
「だから何よ?」
「あ、あのね。タマちゃん……」
 視線は先ほど動かしたまま固定して、陽菜子が目だけを向ける。
「……サーヤさん、裏路地に入っていったみたいだよ?」

 四人はすぐさま、沙夜が身を翻して入っていたアーケード街の横道となる路地裏へと身を
潜らせた。表の人工の光の強さと反比例して、裏路地に灯る光は居酒屋の看板や提灯といっ
たものが中心となり、夜闇の暗さと心許なさが蘇ってくるかのようだ。
 所々、無造作に荷物が置かれている、光溢れるアーケードの影のような場所を四人は駆け
抜けていく。やがてそれも続かず、路地裏の一角で立ち止まった。
「……いない。何処に行ったんだろう」
 環の声が再び不安に呼び戻されつつあるようだった。少し震えている。
「さぁな。でも、こっちに来たから如何わしいとは限らないだろ。あんま気に病むな」
「そ、それはそうだけど」
 ちょっと口調が荒いが、晴市の意図にすぐに気付き、環はこくと頷いた。
「……うーんと。お酒を飲みに?」
「いやいや、沙夜だって僕らだって未成年でしょ、どう見ても」
「……もしかしたら裏路地経由で帰ったんじゃねぇのか? 表通りを回っていくよりも近道
になるからな」
「そっか……。その可能性だってあるわよね、うん」
 環は自身に納得させるように何度か頷いていた。胡太郎と陽菜子はその間もちらちらと周
りを窺ってみる。しかし、夜の営業を始めた居酒屋や時折通る通行人以外、これといって何
か変わったような様子も、当の沙夜の姿も見当たらない。
 果たして、言うように彼女はここを通って帰宅の路についたのだろうか。
 遠くで犬の遠吠えが聞こえた。背後、アーケード街からの照明が薄れて届いてくる。
「まぁ、とりあえず……」
 晴市はふぅと大きく息をついて胡太郎達を見た。
「どっかで休もうぜ?」

 
 それから歩く事数分、着いたのは夜の緑地公園だった。
 表通りではなく路地裏を抜けてきた事もあり、割合所要時間は短くて済んだ。公園自体は
結構広く、アーケード街の側方から北に延び、住宅街の端に重なるように広がっている。
「お待たせ。買ってきたぜ」
 その公園の一角でゆたりベンチに腰掛けていた胡太郎達は、缶飲料を抱えて戻ってきた晴
市を迎えた。
「俺とコタローは缶コーヒー、タマはスポーツ飲料、陽菜子はオレンジジュースと……」
「ありがと」「サンキュ」「うん」
 抱えた飲料をひょいひょいと三人に手渡す。
 缶に触れた瞬間、冷たさがひしと肌に伝わる。夜という時間帯だから余計にそう感じるの
だろうか。プルタブを開き、ちびちびと飲みながら公園内をざっと見渡してみる。当然なが
ら昼間、そこそこ人の多いこの緑地公園も、こんな時間になってしまえば人の姿など皆無と
言っていい状態。遠くの街灯の光が少し届いてくるだけで、辺りも全体的に暗い。緑地公園
という名だけあって木が多く、それが園内外の照明の効果を軽減させてしまっているという
点があるのかもしれない。
 四人は暫くの間、それぞれ缶飲料を口に運びながら少々動揺していた内心を落ち着かせて
やる事に集中することにした。
「さて、タマ。今日は流石にもう終わりか?」
「そうだね。当のサーヤを見失っちゃった訳だし。ハルの言うようにあのまま家に帰ってい
ったのならもう後をつける意味もないし……」
 環は、飲み終えた缶を分別式のプラスチックな芥箱の穴の中に放り込んで再びベンチの席
に腰掛けると、そこまで言っておもむろに星空を見上げる。
「それに、もうサーヤを疑うのに疲れたわ。別にやましい事なんて、ないもの。ね?」
「……だな。夜出歩く事がどこまでオーケーかは別としても」
 彼女の視線と同じく、胡太郎達もいつの間にか夜の空を見上げていた。
 多少の雲は出ているが、黒いのキャンバスには点々と星と言う名の点状の描画が広がって
いる。四人は暫くの間、その遠い遠い自然の営みを眺めていた。
「そういえば、昔こうして皆で星を見たっけ」
 ポツリ、と環が紡ぎ出すように呟いた。
 視線はまだ夜空の星に注がれ、表情を直接見るのは難しい。
「あ~、そういえばそんな事もあったな。随分ガキの頃だった気がするが」
「えっと、流星群だったよね。それで皆で集まって……」
 見上げたまま、それぞれが記憶を手繰り寄せて当時に思いを馳せようとする。そうだ、そ
の時も僕らは六人だった。以前から仲良く、仲間として共に過ごした……。
(……ん?)
 そして、胡太郎がその途中で何かに、何か大きな事に気付いた、その瞬間だった。
「!?」
 突然、陽菜子がピクッと何かに反応して、見上げていた視線を下ろす。向けた先は緑地公
園の奥。ここからでは照明が届かずより暗さが濃くなっている方向だ。
 まるで物音に反応する兎だな。口にこそ出さないものの、胡太郎はこの時呑気にそんな感
想を持って彼女を見遣っていた。
「どうしたの?」
「あ、うん……」
 四人の視線は既に空から公園の奥へ向いていた。胡太郎に尋ねられた陽菜子が、心持ちお
っかなびっくりした様子で一度、再び奥の方を見遣り、
「さっき、あっちから物音がしたような気がして……」
「物音? 誰かいるのか?」
「わ、分かんない。本当、ちょっと耳に過ぎったぐらいで」
 口を一文字に結び、彼女は瞳に不安を浮かべていた。
 夜の公園だ。何か妙な想像が働いても不思議ではないだろう。そう胡太郎が思っていると
晴市が残りの缶コーヒーを口に含み飲み干し、数歩進んで先程の芥箱に捨てた。
「もしかして、沙夜かもな」
 妹とは違った、落ち着き払った声。
 一言そう言うと、ちらりと胡太郎達を見遣る。どうする?という事だろう。
「サーヤも此処で休憩してるって事?」
「その可能性もあるかもしれん」
「じゃあ……行ってみる?」
「ああ。一度気になっちまったし。ま、サーヤでなくとも精々野良犬とかだろうけどよ」
 そう言って更に奥へと進んでいく晴市。環が、その後を慌てて缶コーヒーを飲み干して芥
箱に捨てると胡太郎が、更に少し逡巡するが一人残されるのは寂しいとジュースの缶を握り
締めたままの陽菜子がそれぞれ続く。
 奥はより木が生い茂っていて、折角の照明の効果がより薄くなっていた。尤も誰しもが好
き好んで夜の公園に行こうとは設置者も考えが及んでいなかったろうとも言えないのだが。
 だが、そこに隙があった。
 近づく者が少ないという事は、人気が少ないという事である。そこに、胡太郎達は一抹の
好奇心を免罪符に踏み入れたのだ。
『……!』
 気付いた時には、遅かった。
 舗装道に覆い被さらんとする木々の下を潜り、再び広いスペースに出ようとした時、その
光景を目の当たりにしてしまったのだから。
 そこには二人の人影があった。
 一人は、こちらに向けて背を向けて経っている、やや長髪の男。服装でそれと分かる。
 そしてもう一人は、地面に倒れていた──胸に深い傷を刻んだまま。
(お、おい……これって)
 咄嗟に、もう半分以上本能的に、四人は木々の陰に隠れていた。
 聞こえないように小さな、それでいて動揺がしっかり伝わる震えた声で晴市がじっと視線
の先の光景を見て呟く。
(もしかして……例の、通り魔?)
 胡太郎と陽菜子が数日前に目撃した斬殺死体。その話は既に後日、昼休みに晴市達ほかの
仲間達も聞き及んでいる。そして、その通りの光景が今視線の先に広がっている。
 四人は居合わせてしまった。それだけは確実に瞬時に理解したのである。
 しかし頭が分かっても、身体が理解を拒もうとした。ガチガチと震えてくるのが分かる。
四人とも目を見開いたまま、その場から中々立ち去れない。身体が思うように動いてくれな
かった。つまり……。
「……ッ!?」
 陽菜子が緊張から、手の中の缶ジュースを落としてしまったのも、無理はなかったのかも
しれない。
 地面にオレンジジュースが染み込んでいく。
 その余韻と共にゆっくりと背を向けていた男が振り返る。叫びそうになった陽菜子の口を
慌てて晴市が抑えたが、四人の姿はしっかりと男の視界に映っていた。
 刺すような視線に耐える事、数秒。
「おいおい、勘弁してくれよ……」
 男がハァと大きなため息、いや何処か嬉しそうな吐息を吐きながら歩み出した。ざりっざ
りっと地面を擦る音がいやに大きく響いた。
「残念。観客は募集してねぇんだよ。これは俺個人の楽しみなんだからさ」
 一歩また一歩近づいてくる男。その歩みと共に口元が、表情全体が狂気に満たされた類の
ものへと変わっていく。ポケットに突っ込んでいた片手を出し、
「ま、見られたんなら仕方ねぇよなぁ……?」
『!?』
 瞬間、その五指から鋭利な鉤爪が飛び出していた。
 殺人現場に居合わせた恐怖、そして突然の常識外の凶器の出現。胡太郎達の思考は二重の
意味でパニック状態に陥る。
「お前らもぶった斬ってやるよぉっ!」
「に、逃げろぉぉっ!」
 夜闇の中に、男と晴市の声が重なった。
 だんっと踏み込んだ男は鉤爪のように鋭く伸びた五指を腕ごと振るう。そのほんの少し前
のタイミングに、晴市と胡太郎、陽菜子と環がそれぞれ二手に別れる形で駆け抜ける。
 その直後、四人の隠れていた木が、途中から真っ二つに横薙ぎに切り倒されていた。
「ちょっ……!?」
「木が、斬れた……」
 バクバクとなる胸元を押さえながら、その明らかに常人ではない仕業に目を見張る。
 音を立てて倒れた木は綺麗に横薙ぎされ、周囲の木を巻き込んで土煙をあげている。
「ひぅいっ……」
「な、何なのよそれ! な、何で、何で指が刃物みたいになってるのよ!?」
 ガチガチと震えて声も出せずに環にしがみ付いている陽菜子。その彼女をぐっと抱きかか
えながら、恐怖と戦うように震える指を男に向かって指し、声を絞り出す。
「へへっ、スゲェだろ?」
 男、もとい鉤爪男は不気味と狂気で塗り固められた表情で言った。
 本来は肉体、細胞の集まりである五指が、夜光に照らされ金属のそれと同じように注ぐ光
を反射した。見間違いない。彼の五指は今や切り裂く凶器なのであると。
 鉤爪男はふーっと息を吐きながらゆっくりと体勢を整えると、値踏みするようにして四人
を順繰りに見渡した。
「……決めた。そっちからヤろう。女の方が柔らかくて切り心地がいいからなぁ」
「ひぐぅっ!?」
「ちょ、こ、来ないでよ!」
「お、おいっ! やめろ!」
「ヒナちゃん、タマちゃん!」
 ゆたり、ゆたりと鉤爪男が陽菜子と環の方に向かって歩き出す。晴市と胡太郎が叫ぶが、
かといって自分達も恐怖で思うように身体を動かせない。
「ひひひっ!」
 再び夜光に照らされて、男の鉤爪が鈍く光った。ゆっくりと、予備動作としての腕の振り
上げ。その姿を見て目を見開く四人。身体、動け……。
「ひひゃ──ぶぎゃぉっ!」
 その瞬間だった。
 ガサッという音、地面を強く蹴り出す音。鉤爪男がそれらに反応する隙すら与える事も許
さずに黒い影が飛び出し、同時に鉤爪男が間抜けな叫びと共に吹き飛んだ。ゴロゴロと胡太
郎と晴市の前を転がり、更に向こうの茂みにダイブしていった。
 何が起こったのか。胡太郎達は男が吹き飛んで倒れた方をぼやっと見遣った。
「……怪我はないか」
 その声に四人はハッと我に返った。
 何故なら、そのぶっきらぼうな声はとても聞きなれているもので……。
「……アツシ?」
 そこに立っていたのは、他ならぬ胡太郎達の仲間、篤司だった。
 
「お前、何でここに……?」
 呆然として彼を見る胡太郎達。だが彼自身はその場で真剣な表情を崩さず、じっと鉤爪男
が転がり込んでいった茂みの方を見ている。
「沙夜。胡太郎と晴市を」 
 そして、彼が数歩鉤爪男の方へ歩き始めながらそう言った瞬間だった。
「二人とも、こっちだ」
 はしと、襟の後ろを掴まれる感触。二人が振り返るとそこには、
「サーヤ?」
「え? 何で?」
 その問いに、凛としたポニーテールの少女・沙夜はふっと笑みだけを返して、そのまま二
人を、斬殺死体を避けるようにやや大回りしながら、陽菜子と環の方へと連れて行く。
 それが四人を篤司の後ろに避難させようというある事を二人はややあって察知した。
「わっ!」
「ん? どうした、いきなり驚いて」
 そこで奇妙な反応が帰ってきた。普通に沙夜に連れられ、てくてくと歩いてきたとばかり
思っていた二人に環と陽菜子は驚きの表情を見せたのだ。
「いや、だって……ねぇ?」
「う、うん……。お兄ちゃん達、急に後ろから出きたサーヤさんに掴まれたかと思ったら、
突然三人一緒に消えて、今度はいきなり目の前に出て来て……」
「…………は?」
「いや、僕ら普通に歩いてきただけど? 確かにサーヤには摘まれてたけどさ」
 双方に、頭上に疑問符が浮かんでいた。
 陽菜子の言葉の意味が分からず小首を傾げる晴市と胡太郎。互いに顔を見合わせて信じら
れないといった表情をする環と陽菜子。その様を、沙夜が少し苦笑しながら見ていた。
「……サーヤ、一体何なの? あれってまるで──」
「仕方ないな。まぁ話は追々するよ。それより」
 環の問いに沙夜は応じるという訳でもなくやんわりと遮ると、ポニーテールをふわっと揺
らして背後、少し離れた位置の篤司に視線を向ける。
「アツシ君、加勢は?」
「……大丈夫だ」
 背を向けたまま、ぼそりと篤司が言う。ちょうど茂みから先ほどの鉤爪男が頭を振りなが
ら出てくる所だった。篤司がぎゅっと拳を握り、構える。戦うつもりなのだろうか。
「ちょ、ちょっとアツシ、危ないわよ!」
 環はその様子を見て、思わず叫んだ。
 先ほどまでの一連の様子から先ほど鉤爪男に突っ込んだのが彼である事も、鉤爪男が彼の
拳か何か一撃を受けて吹き飛ばされたのは理解したが、
「あいつ、変な凶器を持っているのよ。それもとにかく尋常じゃないのを!」
 いくら喧嘩に慣れていて腕っ節の強い彼でも、木すらも真っ二つにしたあの斬撃を受けれ
ば無事で済むわけがない。だが、
「……大丈夫だ。俺達も、尋常じゃない」
「??」
 顔を僅かに向けて返してきた言葉に、環は更なる疑問と共に押し黙った。
「……こんにゃろう、効いたぜ」
 鉤爪男は殴られた顔面を摩りながら立ち上がり、茂みから出てきた。怒りからなのか、ダ
メージからなのか遠目には分からないが、少し息もあがっていた。
 狂気により苛烈な攻撃性を加えた瞳で、鉤爪男はぎろりと篤司を睨み付ける。しかし、当
の本人は何事もなくじっとその場で拳を握ったまま彼を見返すだけだ。
「今日は本当、邪魔が多い日だ……」
「…………」
 鉤爪男はペッと、口から血の混じった唾を吐く。
 最初はやや猫背で俯き加減だったが、不意にスイッチが切り替わったように、ふふふと小
気味悪い笑い声を公園に響かせた。
「まぁ、いいや……」
 鉤爪男はざっと両手を広げた。すると、先ほどまで伸びていた鉤爪がもう片方の五指にも
瞬時に現れた。それでも篤司は無反応だったが、男は再び笑っていた。
「……アツシ」
 静寂。一方は通り魔、そして両手の五指が鉤爪になっている尋常じゃない男。もう一方は
胡太郎達の仲間の一人。寡黙で口下手だけど、正義漢。鉤爪などは勿論持っている訳もなく、
対抗できそうなのは喧嘩慣れがもたらした腕っ節の強さくらい。
 安易に手を出せる状況じゃない。胡太郎達はその場で見守るしかなかった。
 冷たい風が吹いた。男の口元が何かを想像し、後の快感で満たされたかのように、にやり
と不気味に弧を描いた。
「今日はいっぱいヤれる日だと思えばな!」
 ぐぐっと込めた脚力を一気に解放し、鉤爪男が動いた。両脇を締めて、両鉤爪の切っ先を
真っ直ぐに篤司の方に向けて駆け出す。勢いと共に突き殺すつもりなのだ。
「…………」
 だが、まだ篤司は動かない。じっと、その様子を見ているのか。
 胡太郎は思わず前に出ようと動こうとした。だがその肩を沙夜が止める。見上げる彼に、
彼女は「大丈夫だよ」と一言短く言った。
「アツシ!」
 代わりに叫んだ言葉。それが鉤爪男と篤司が交差する瞬間と重なった。
 胡太郎の脳裏に強烈に浮かんだイメージは、男の鉤爪が篤司の身体をズブリッと貫く最悪
の光景。肉を、骨を貫き引き裂くミシミシとした死の音。
 だがしかし。
 実際に胡太郎達が聞いたのは……全く別の音だった。
 一言でいうならば金属音。堅い金属質のもの同士がぶつかる音。夜闇を切り裂くような鋭
い、つんざくような音が夜の緑地公園に響き渡った。
「なん……だと?」
 鉤爪男は目を見開いて驚いていた。
 胡太郎と同様に、目の前の少年の惨状を(胡太郎とは違い快楽と共に)想像して疑わなか
った彼の目の前で、それを根っこから覆す現実が突き付けられていたのだから。
 肉を、骨を貫いた筈の鉤爪は何処にもなく、その渾身の突刺は彼の腹部の表面で軽々と受
け止められていたのだ。冷や汗が男の頬を伝った。
「え? 何で?」
 驚いたのは胡太郎達も同じだ。予想外の音に思わず瞑った目を開け、その不可思議な光景
を目の当たりにしている。位置的に背後なのでよく分からない。沙夜がこくりと頷いてくれ
たので、四人はそそっと斜め後方の位置に移動してみる。
「あっ……」
 男の攻撃は一ミリも刺さっていなかった。それ以上に、遠目ながら四人は篤司の身に起き
ていたある変化に気が付き、思わず息を飲み込んだ。
「アツシ君、何か真っ黒になってない?」
「うん……。なんだろう、鉄みたいな色?」
 篤司の全身、肌という肌、瞳に至るまで全てが鈍く光る黒色になっていたのだ。その様子
は、あたかも『篤司自身が鋼鉄の塊になっている』ような姿だった。
 目を見開いたまま、鉤爪男は一歩また一歩と後ずさった。
「てめぇ……まさか」
 篤司の頭の先から脚の先まで、男は食い入るように観察すると何かを悟ったように、歯を
ぎりぎりと噛み締めてから呟く。
「そうか。お前も、後ろの女も同じか! 俺と同じ、あの紫の水晶に触ったクチだな!」
「…………」
 男の、これまでにない動揺を隠し切れない叫び。
(……紫の、水晶?)
 胡太郎は心の中でその言葉を反復しながら、傍の沙夜を見た。しかし沙夜も篤司の方も、
じっと鉤爪男を見つめたまま何も答えない。だが、男の方は確信を持ったように震える指先
を篤司に向けたまま、何度か二人を見渡した。
「畜生、ついてねぇ。やっぱ他にもいたんだな……能力者が。くそう」
 男はその場で逡巡しながら叫んでいた。
 それは焦りのようだったが、それ以外の複雑な感情や思考が彼の中を駆け巡っているさま
を、キョロキョロと動かすその視線が物語っていた。
「……こうなったら」
 やがて、鉤爪男は意を決したように構えた。篤司も全身を鋼鉄のように黒く染めたままゆ
っくりと拳を握って構えを作る。弓を引き絞るように、じりじりと緊張の糸が伸びていくよ
うな空気。胡太郎達も固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
「逃げるっ!」
 が、そんな緊張の糸を男は自分から切った。ばっと後に飛び退くとそのまま身体を反転さ
せ一目散に走り出した。
 戦う気満々だったのだろう。篤司はその反応にガクリと片方の肩を落とす。
「チッ……!」
「待って、アツシ君!」
 すぐさま追おうとした篤司だったが、背後からの沙夜の声に立ち留まった。
「……アツシ」
 そこには彼女と、胡太郎・晴市・環・陽菜子のそれぞれの視線。どういう事なんだよ、説
明してくれ。瞳は強くそう語っている。篤司は少しその場で皆を見つめていたが、ふっと肩
の力を抜き、こちらへ歩き出した。同時に全身の鋼鉄色が元の肌の色に戻っていく。
 その様に四人は再び驚いて目を瞬かせた。
「……説明、してくれるんだよね?」
 環の少し不満のたまった声色。沙夜が篤司に首を横に振って肩を竦めてみせた。もう仕方
ないよ、とでも言いだけ気に。
 篤司はパンパンと服の埃を払うと、再び大きく息をついてから再び顔を上げた。その表情
は至って厳しい。普段から無愛想な彼だが、真剣かどうかといった判断は別だ。
 沙夜と、四人の背後で街の灯が点々と光っていた。心持ちちらとそれを見遣った後、
「…………場所を変えよう。ここはまずい」
 そう告げると、背後の斬殺死体を背中越しに一瞥し、歩き始めたのだった。

「はぁ、はぁ、はぁっ……」
 緑地公園の闇。そこを鉤爪男は全速力で走っていた。原因は不測の事態の連続。いや、最
後のそれが一番の痛手だと言っても良かった。
「ふぅ、ふぅ……。追って来ねぇか……」
 さっきの仏頂面が追撃してくるかと思ったがそうでもないらしい。それを振り向き確認す
ると、男は立ち止まって大きく肩で息をしながら、暫し呼吸を整えた。
「…………」
 それにしても。あのガキは何者なのか。どうやらあの連中の知り合いであったようだが、
まさか自分と同じ力を持っているとまでは……否、
(違う、それ以上だ。俺の爪(エモノ)が全く通用しなかった……)
 既に仕舞い、普通になった自身の両手、五指を見ながら男は先刻の記憶を反芻する。
 同じ能力者がいる可能性は頭にはあったが、まさか自分の力が通用しないほどに相性の悪
い相手までが対峙してくるとは予想していなかったのである。
「……くそっ!」
 拳を握って、屈んだ姿勢になった自身の太ももを叩いて悪態を一つ。
 せっかく今まで気持ちよく斬り続けてこれたのに、気分が台無しじゃないかよ……。
(……ん?)
 その時だった。
 ガサガサと物音が聞こえたので視線を向けると、やや離れた向こう側の草むらから数人の
人影が出てくるのが見えたのだ。ただ、月明かりが逆光になって顔まではよく見えない。
(……へへへ、丁度いい。運が悪かったな、てめぇら)
 この鬱憤、発散させて貰うぜ?
 男は両手を背中に回すと、ゆっくりと彼らのいる方へ歩き出した……。

 
 篤司を先頭に、六人は夜の街を歩いていた。
 緑地公園を抜け、向かっているのは再びアーケード──商店街方面。先程まで闇が多くを
占めていた視界に再び人工の光の群れが返り咲いたかのようだ。
 途中、篤司は道端の公衆電話のボックスに入り、公園内で倒れている人がいると警察に短
い通報をしていた。晴市の携帯電話で済ませればいいじゃないかという言葉に、
『アシがついて探られるのは面倒だ』
 との返事。最低限の文言だったのもそれ故だろう。少なくとも自分達は目撃者、不運な犠
牲未遂者なのだから。
 やがて、商店街の一角の前で篤司が立ち止まった。
「着いたぞ」
 そこは、こぢんまりとした一軒の店だった。軒先に掛けられた木製の看板には、濃い墨字
で『定食処・クスノキ亭』と書かれている。
「なんだ。お前ん家かよ」
「……腹、減ってないのか?」
「いや……。正直減ってます、はい」
 事も無げにそれだけ言うと、篤司は店の入口──自宅へと入っていく。胡太郎達もぞろぞ
ろとその後について行った。
「らっしゃい! ん? あら篤司、お帰り」
「ああ」
 店内に入るとふくよかな、威勢の良さそうなおばさんが迎えてくれた。胡太郎達もよく知
っている。篤司の母親だ。
「あらあら、今日はお友達も? まぁどうぞどうぞ」
「あ、はい……」
「ども。お邪魔します」
 胡太郎達がクスノキ亭に来るのは初めてではなく、休日などに集まる際には集合場所とす
る事も多い為、割と常連であると言える。篤司の母は、息子の友人達の姿を認めると気さく
に応じてくれた。
「奥の席、使うぞ」
「あいよ。篤司、あんたはこっち来て手伝いな」
 母がそう言って厨房の方に引っ込んでいく。篤司は少しその場で立ち止まったが、ちらと
視線をこちらにやる。自分達で座っておいてくれというサインだろう。代表して胡太郎が頷
くと篤司はそのまま、彼女の後を追って歩いていく。胡太郎達は厨房の方からこっちを見て
いる、いかにも寡黙そうな着古した紺色のエプロン姿の男性──篤司の父にも軽く会釈を向
けた後、店の最奥の席へと移動した。
 店内は、ちらほらと客はいるものの、満員というには少なかった。
 L字型の店内の奥、そこの四角いテーブル席に五人は座った。夜の闇に時折車のヘッドラ
イトの光が映る窓側に新條兄妹が、その斜めに環と沙夜が、そして彼女達の向かい側に胡太
郎が座する。
 決してクッション性が良いとは言えないが、ボフンと木椅子のクッションに身体が沈んで
いく感触に、緑地公園での先程までの緊張感がすーっと遠のく気がした。
「さて……。何処から説明すればいいか」
 人心地ついた所で、沙夜が口に手を当てて思案しながら呟く。
「そうよ、うっかり忘れ掛けてた。一体何なの? さっきの鉤爪男の鉤爪みたいな指とか、
サーヤのまるで……瞬間移動みたいなのとか、アツシの鉄みたいな身体とか」
 それに逸早く反応してずいと詰め寄ったのは環だった。やや矢継ぎ早に疑問を浴びせ、
「……まるでみんな、超能力みたいじゃない」
「そうだな。基本的にそういうものと考えていいだろう」
 たっぷり含みを持たせた沙夜の言葉に、環も胡太郎達もしんとなった。
 まぁ仕方ないかという反応と共に彼女は苦笑する。うーんと少し視線を天井に向けて、思
案をすると再び向き直る。
「あと、さっき瞬間移動といったが、それは違う。私の能力はステルスのようなものだ」
「すてるす?」
 陽菜子が頭に疑問符。
「えっと、戦闘機とかの、レーダーに映らないとかそういう機能の……」
「そうだ。あれはあくまでレーダー上、いないように見えるだけだが……私の能力の場合は
それ以上だと思う。これは経験的に分かったことなんだが、私がこの力を使っている間は、
私と私の触れているもの全てが、相手からは一切見えず、聞こえず、臭いもしない。家で飼
っている犬でも試したから嗅覚も間違いなく遮断されていると考えていい」
「……何か、凄いな」
 半信半疑といった感じで晴市が呟いた。
 しかし、胡太郎と彼はその力とやらを実際に体験している。もし彼女の話が本当だとする
とあの時、環と陽菜子が見せた反応は……。
「じゃあ、僕とハルを連れた時にもその力を使ったって事なんだね」
「え? そうなのか」
「うん。もしそうなら、あの瞬間僕もハルも、サーヤの力で周りから見えなくなっていた事
になるから。タマちゃんとヒナちゃんが驚いていた理由も説明できる」
 それも、その超能力のような力を彼女が持っているという前提での話だが。
「……あ~。なるほどな」
「その通りだ。理解が早くて助かるよ」
 と、その時、人数分のお冷を盆に載せて篤司がやって来た。その後からは彼の母親がペン
とメモを片手にしている。注文を聞くつもりだろう。五人は一旦、そこで話を中断して、彼
女に注文をした。腹が減っていたという晴市はボリューム多めに、既に軽く食べてきた胡太
郎と沙夜、元々小食な陽菜子は少なめで、環はその中間量をそれぞれ頼む。
 暫く待っててねと厨房の方に引っ込んでいく篤司の母。その後ろ姿を横目にして、篤司が
胡太郎の横に座る。六人が揃った。
「……何処まで話した?」
「私の能力について、少し」
 沙夜に短く確認して、篤司は一口お冷を飲む。
「えっと……。アツシがあの時、鉤爪男から身を守ったのは?」
 今度は胡太郎が訊ねた。すると、篤司は周囲の席に見えないようにちらりと注意を向けて
から、袖を捲ると、
『!?』
 肌を晒した腕が一瞬にして黒くなった。あの時と同じく、鋼鉄のように。
 沙夜を除く四人の驚きを一瞥すると、その鋼鉄のような肌は再び普通の肌に戻った。
「……俺は、体表面を堅くできる。腕だろうが腹だろうが全身何処でも」
 鉤爪男の時も、この言うなれば硬質化能力で攻撃を防いだのだという。
「何ていうか、もう特撮とか漫画の世界じゃないのよ……あ~」
 環が髪をガシガシと掻きながらぶつくさと呟いている。しかし、実際そうした場面を目の
当たりにしているだけあって否定し、頭から排除する事まではできないようだ。
「……タマの気持ちは分からなくもないよ。私だって最初は驚きっぱなしだったから」
 そういう沙夜の表情は割り切ったものだ。しかし、その言葉の裏では当時、相当本人は混
乱していたのは想像に難くない。
「……あ、あの。でも、そもそも何でそんな力が身についたの?」
 能力の存在そのものはもう文句を言っても仕方ないと踏んだのだろう。環とは違って、大
人しく話を聞いていた陽菜子が控えめにそう訊ねてきた。
「俺の場合は、いつものように不良連中に絡まれた時だったな」
「……いつものように、ねえ」
 絡まれている事には自覚はあるらしい。篤司は晴市の小声のツッコミには耳を貸さずに話
を続ける。
「適当にあしらって済ませようと思ったんだが、その時は連中の一部がナイフをちらつかせ
てきてな。刺される、と思った時には身体中が硬質化していた。ナイフも折れた」
 それが、能力が発現したらしい瞬間だという。
 その時の不良連中はさぞかし腰を抜かしただろうな、と胡太郎は話の内容を想像して苦笑
を浮かべていた。いきなり目の前の人間が鋼鉄の塊になったら普通は驚くだろう。
「……じゃあ、サーヤは?」
「え?」
「サーヤはどうやって、その、ステルスみたいな力が使えるようになったわけ?」
「……そ、それは」
 環にすれば当然の会話の流れだった。周りの面々も同じ感想だっただろう。だが、何故か
当の沙夜本人はその問いにもごもごとしている。恥ずかしそうに視線を泳がせていた。
 暫くの逡巡の後、
「あ、遊びたかった」
「……へ?」
「遊びたかったんだ。私も皆みたいに夜の街に出てワイワイと……でも家は、特にお婆様が
厳しいだろう? だから中々皆みたいに自由気ままという訳にはいかなくて……」
 そんな時、このステルスのような能力が使えると気付いたのだそうだ。
 凛とした様子が、悶死しそうなほど頬を染めて俯く一人の少女になった。
 ちょっと拍子抜けしたように、環らはお互いに顔を見合わせる。篤司も初耳だったようで
視線を店内の方を向け、眉根を寄せて黙していた。
「ま、まぁいいんじゃない? たまには息抜きだって必要でしょう」
「そ、そうだよ。別に恥ずかしがる事はないと思うよ?」
 それに生真面目な沙夜もやっぱり女の子なんだなぁと思うと一層親近感が湧くし、という
言葉は流石に、胡太郎は喉の奥に仕舞い込んだ。沙夜は小さくこくこくと頷きながら、
「そう、だな。うん。で、でもいつもこの力を使っている訳じゃないんだ。たまに、本当に
時々家を抜け出すのに使っているだけで……」
「あ~はいはい。そこまで自己弁護しなくていいって。別にあたし達、その事を責めるつも
りなんてないしさ」
「そ、そうか……」
 暫く、焦りのような羞恥心のような動揺を見せていた彼女をなだめる。それでやっと平素
の凛々しさに立ち直った沙夜が話の続きを始める。
「ともあれ、そうやって私はこの力を自覚したんだが……最初はどうすればいいのか全く見
当もつかなくてね。内心困っていた。それで、意を決してアツシ君に相談してみた」
「……何でまた、アツシ?」
 問う環に、沙夜は少し戸惑いながら、
「……ア、アツシ君なら、あまり周りに喋らないかなと思って。……タマにも、皆にもでき
る限り迷惑を掛けたくなかったから」
「サーヤ……」
「…………」
 何とも言えない表情で環が沙夜を見遣る。気付いてあげられなくてごめんね、そう瞳が語
っているかのようにも見えた。二人を無言で見ていた篤司が沙夜の言葉を引き継ぐ。
「時期的には俺の方が先だったらしい。その頃には俺も、俺なりにこの力の使い方にもこな
れていたからな」
「だから、私はまた驚く事になったわけだ。私以外、それもすぐ身近に似たような境遇の人
間がいたんだからね」
「……とりあえず、俺も無闇に周りに広めないようには言っておいた。それと同時に何故こ
んな事になったのか、俺達なりに探りを入れてみようという事になった」
 そこで篤司はざっと胡太郎達を眺めた。
「そんな折、胡太郎と陽菜子から通り魔の被害者の事を聞いてピンと来た。そんな普通の凶
器ではつけ難いような傷を負わせる事ができる……もしかしたら、その犯人は俺達のように
奇妙な力を身に付けているんじゃないかってな」
 胡太郎と陽菜子が例の小川の現場に出くわした件は、翌日に昼食時に皆が集まった時に、
確かに話題にあげたっけ。胡太郎は思い出す。あまり食事時にいい話題ではなかったと後で
反省していたが、まさかそんな風な事を考えさせる元になっていたとは……。
「で、時間を見つけてはあちこちを探して回ってみていたんだ」
「そ、そんな……。危ないよぉ」
 想像して怖くなったのだろうか。陽菜子が瞳を潤ませて二人を見る。その純過ぎる反応に
流石の篤司も少し押し黙った。
「…………うぅ。我慢できん!」
「うひゃぁ?」
 それを破ったのは、次第にうずうずとした環の、陽菜子へのハグ。互いに斜め隣の位置関
係にある故にできる真似だ。慌てる陽菜子に環は「かわゆいのう」とぎゅうぎゅうと抱き寄
せを強くする。見ていて恥ずかしい。
「……タマ、気持ちは分かる……凄く分かる。が、今はそれどころじゃない」
「はっ! う、うん……いやぁ、ごめんごめんつい……」
「……はぅ」
 自分も堪えているのか、拳をぷるぷると震わせて握っていた沙夜の言葉により、ようやく
陽菜子は環に解放された。その様をやや呆れ顔で横目に、晴市が話を軌道修正する。
「……じゃあ、サーヤが夜な夜な街を出歩いていたっていう噂は?」
「ん? そんな噂があったのか? 多分、それはその途中を学校の生徒に見られていた、と
いう事だろう。まぁ、私個人、アーケードにいたのは待ち合わせ前の時間潰しも兼ねていた
んだがな……そうか、それでか」
 と、何やら納得したように頷く沙夜。環らは少し怪訝顔。
「何?」
「いや、実は今日も緑地公園で待ち合わせでね。時間を潰していたんだが、アツシ君から到
着したという旨の連絡のメールに『環達がお前の動きを嗅ぎ回っているぞ』って追伸がつい
ていたんだよ……。そうか。やっと、ずっとつけられていた理由が分かった」
「うぇっ!? 気付いていたの、サーヤ?」
「ああ。結構目立っていたよ。でも一向に声を掛けて来ないし、妙だなとは思っていたな。
でもアツシ君からメールを受けてその後は路地裏に移動して、能力で皆が通り過ぎるのをや
り過ごしてから緑地公園の待ち合わせ場所に向かった……というわけ」
「そ、そう……」
「というか、アツシお前、リークしてやがったのか……」
「……やましい事を止めさせる措置だ。あまり意味を成さなかったようだがな」
 じゃあ、あの緊張しまくりの時間は何だったんだろう。環も、胡太郎達も急にどっと疲れ
が襲ってきたような感覚に襲われた。それでも沙夜は特に怒るわけでもなく、笑みを向けて
くれていた。噂を心配して尾行したという事に察しがついていたのだろう。
「しかし、その待ち合わせ場所で当の通り魔が出たというのは、俺も迂闊だった。結果的に
お前らを巻き込む形になってしまって……」
 表情は無愛想なままだったが、こくりと頭を垂れる彼の謝意は十二分に伝わってきた。
 胡太郎達はとんでもない、と手を振りながらそれを返す。
「謝らないでよ。もしあの時、アツシ達がいなかったら僕達間違いなく死んでたんだし」
「……うぅ。でも、そもそも私が缶ジュースを落とさなかったら……」
「陽菜子、それはもういい。済んだ事だろ?」
 謝意を謙虚に受け止める構図。兄弟の慰めあう構図。篤司は少し黙って頭を上げると、何
処か言い迷っているように表情を歪めた。
「……言うべきかどうか。早計かもしれんが」
「うん?」
 だが、篤司はこの際話してしまおう。そう決めたらしい。
「何も悪い事ばかりではなかった。今回の一件で、この妙な力を持っている者──能力者に
ついて共通点が見えた」
「共通点?」
「あぁ。……覚えているか? あの鉤爪の男が俺と沙夜に言った言葉だ」
 どうだ?と篤司が胡太郎達に促すように言った。それぞれにあの時の記憶を引っ張り出そ
うと試みた。
「アツシ達に? 何か言っていたっけ……?」
「えっと……確か『同じ水晶を触ったクチか?』みたいな」
「そうだ。概ねそういう内容だな」
 陽菜子の記憶力に頷き、篤司がふぅと大きく深呼吸。再び場の面々を見た。胡太郎は特に
その意図に気付き始めていた。紫色の水晶……。
「七年前、この街に流星群がやって来た──正確には隕石。そして、その降り注ぐ現場に俺
達六人は遭遇している。覚えているか?」
 その台詞に一同が目を見開いていた。
 誰もその瞬間には言葉に出さなかったが、それぞれの脳裏には当時の、七年前の流星群観
測に集まった思い出が蘇っている事だろう。そして、その直後に起きた惨事と自分達がした
事もはっきりと。
「奴は言った。あの紫の水晶に触ったクチだな、と。確かに俺達はあの夜、隕石の落ちたあ
の場所で紫……青紫色の水晶を手に取った。あの時、溶けて消えた水晶があいつや俺達の力
の源となっているとしたら?」
 それは確かに推測だっただろう。だが、今の常識破りの状況を説明するには充分な説得力
を持った「非常識」である事は確かなのである。
 暫し、皆が黙り込んだ。あの日、河川敷で佇んだ時と同じように。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 バタンと環がテーブルを叩いて進み出る。周囲の客の視線が注がれると、少し我に返った
ようにゆっくりと座り直しながら彼女は問うた。
「……それってまるで、アツシやサーヤだけじゃなくて、私達全員がその、能力者ってのに
なるかもしれないって事なんじゃないの?」
「……可能性は、ある」
 押し黙る胡太郎、口元に手を当てて目を見開く陽菜子、眉根を寄せる晴市。
 篤司は心持ち遠慮がちに、しかし一切フォローを入れるつもりもなく答えた。険悪ではな
く更なる衝撃。周囲の雑音が急に遠くへと遠のいたような錯覚。
「だ、だけど、どうしたらそうなるのかまでは私達も分からないんだ。事実可能性があると
しても……どうしようもない」
「ああ。だからあまり気に病むなとだけ言っておく。俺達もこの力を手に入れてから今の所
特に何処かがおかしくなったといった事もない。……強いて言えば、あの鉤爪男のように力
に溺れる様なことになるなよ、という事だ」
「し、しないわよ。そんな事……」
 胡太郎達もこくこくと頷いていた。誰もが好んで通り魔になるわけでもあるまい。
「なら、いい。……力自体にじゃない、人の心の中に善悪があるんだ」
 以上だと言わんばかりにふぅと息をついて、篤司が目を瞑った。もしかしたら普段寡黙な
分、これほど饒舌な会話は疲れたのかもしれない。沙夜も何とも言わず、未だに困惑気味な
四人を眺めているままだった。
「はいはい、お待ちどうさん」
 ちょうどそんな沈黙を破るようにして、篤司の母が料理を運んできた。テーブルの上に並
べられる料理。彼女が数度厨房とテーブルを往復して、食欲をそそってやまない料理達がず
らっと鎮座した。
「……とりあえず、食おうぜ。アツシの言うように別にどうこうできるもんじゃねぇなら俺
らは今まで通りに生活する他ねぇだろ」
「そうだね……」
 晴市の言葉に各々頷き、箸やフォークなどを手に取った。
 そうだ。今は一先ず危機を乗り越えた喜びを食事という形で味わおう。不穏な気持ちも、
一緒に腹の底で消化してしまってもいい。
『いただきます!』
 そして六人は、目の前の料理に手をつけ始めたのだった。

 夜の闇に、どさっと倒れる音が染み込んだ。
 緑地公園の遊歩道。周囲は昼間の緑色を闇に溶かし、視界を遮るだけとなった木々に囲ま
れていた。そこから距離をおいた遊歩道部分さえも、月明かりがなければ暗くて見えたもの
ではない。その闇に、男が倒れ込んでいた。
 服装はいささかボロ雑巾のようにあちこちが痛んでおり、何故かそこかしこがずぶ濡れ状
態になっている。何かに怯えていたのか、全身を硬直させたような姿勢。そして表情は気を
失ったらしく白目を向いていた。
 男は、先刻の鉤爪男、その人であった。
 既に気を失い反応を見せない彼を、数人の人影が取り囲む。
「……ちょいとてこずったな。ジタバタしやがって」
「ククク……でもまぁ、じわじわと弄っていくのも、また一興」
 夜風が吹いていた。遊歩道の木々がざわざわと揺れる。それはあたかもそこに立つ彼らへ
の警戒の音にも聞こえる。
「これで一段落……ですかね」
 人影の一人が、彼らの中央に立つ人影に呼び掛けた。
 問われた人物は黙ったまま、鉤爪男を見下ろしていた視線をゆっくりと上げる。その視線
の先には、先刻、鉤爪男が走ってきた方向。
「いや……まだだ」
 その方向を向いたまま、その者は重く答えた。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止します。

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