日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブル〔9〕

 季節は移ろう。ゆっくりと、満開の春から初夏へと。
 高等部に上がってすぐの頃はまだ全身を優しく包み込んでくれるような温かさだったが、
ふと気付けば今は少し汗ばむくらいの暑さへと徐々に変わろうとしている。
「~~♪」
 だが、だからこそこの時期のプールは気持ちいい。
 放課後の部活動。宙はこの日も所属する水泳部に顔を出し、ひんやりと適度に身体を慰め
てくれる水の質量に只々身を任せていた。仰向けに浮かんで見遣る空はすっきりと青く、水
音の背後からは様々な物音や他の部員達の息遣いが聞こえてくる。
 くる、くる。慣れた動作でゆっくりと背泳ぎで進み、身体が覚えた半ば感覚だけでターン
する間合いを嗅ぎ取り、直前で沈む。途端に溢れる泡(あぶく)の中を突っ切りながら浮上
し、今度はクロールで。水に逆らわず、味方につけ、まるで一体化したかのような滑らかな
泳ぎを繰り返す。
 ──水泳は中等部、この学園に入った頃から始めた。
 元々身体を動かす事が好きで、幼い頃から色んなスポーツ・遊びを男の子達とも混ざりな
がら経験してきた。だけど今のマイブームは、この水中での解放感である。泳ぎ終わった後
の程よい疲労感である。
 気付けばそんな感触に病み付きになっていた。ゲームを含め、こんなに興味が長続きして
いるものというのは彼女にとっては珍しい。
 すいすい。周りの事など考えず、ただ何度も水を掻いていた。あくまでゆっくりと、限界
それ以上に腕が身体が伸びていく高揚感を味わいながら、何度も何度も片道五十メートルの
プールを往復し、くるりと水中で方向転換をして水と一体になる。
 ……さて、どれだけ泳いだだろうか。
 疲労が高揚感に追いつき始めた頃、彼女はようやく泳ぎを止めてコースの飛び込み台下に
浮かび、横目に周囲の風景を一瞥してから梯子の方へと向かった。プールサイドに上がり、
ゴーグルとキャップを外す。ぷはっと吐息が漏れ、たっぷりと水の滴るミドルショートの髪
がばさつきながら開放される。
 小脇のそれらを挟み、軽く手足を労わってやりながら、彼女は一人プールサイドの一角に
設けられた休憩スペースに移動していた。マネージャーの娘(こ)の一人がこちらに近付い
て来てタオルを渡してくれる。「ありがと」宙は小さく微笑んでこれを受け取り、早速髪を
拭いながら近場の椅子に腰掛けた。
『──! ──!!』
 ぼうっと休憩を。
 何となく視線を遣ったプールの中では、まだ他の部員達の一団がキリキリと水の中を泳い
でいた。部のレギュラーメンバー達である。どうやら今日も部長に率いられ、厳しい練習に
身を置いているようだ。
(……何でそんなに必死になるかねぇ?)
 部即ち競技チームだという事は理解している。
 しかし宙は、あくまで水の中の解放感が好きであって、自身を苛めてまで誰かよりも早く
泳ごう強くなろうという気概を持たなかった。進級の段階で違う部活を選ぶことも出来たの
だが、結局彼女はそのまま中等部からの繰り上がりで以って、現在に至る。
(中等部(まえのころ)は、ここまでがむしゃらじゃなかった筈なんだけど……)
 だがそれも、学年が大きく一つの壁を越えたが故の必然なのだろう。
 スタイルが違う、抱く意識が違っていることくらいは宙も気付いていはいたが、さりとて
そこに直接不平不満を吐き出すほどではない。
 自分は好きで泳いでいる。あの解放感を楽しめればそれでいいや。
 だからレギュラーメンバーに選ばれる事はなかったし、その心算もなかった。
 尤も他の仲間達曰く、そんなに才能に恵まれてるんだから、もっと真剣になればいいのに
と何度か言われたことはあったが……。
(……贅沢、なのかなぁ?)
 んぅっ! されど小さく声を漏らしながら大きく伸びをし、ややあって椅子から立ち上が
ると、宙はそう意識的に気分を切り替えた。
 ああ、駄目だ。つい陰気になってしまった。
 そんなのは自分のキャラじゃない。青春は今この時しかないんだから、好きな事を好きな
だけやって楽しまないと。
 キャップを被り直し、ゴーグルを付け、宙は再びプールの中へと入って行った。
 あ、休憩終わり? 他の、同じように中等部上がりを中心とした控えメンバー達がこちら
に気付き、笑みを浮かべて一緒に泳ごうよと誘ってくる。勿論。コースに並び、タイムを計
る女子が二・三プールサイドに立って「よーい、ドン!」の掛け声を放つ。
 初っ端から宙は速かった。休憩していたのもあるが、先程と同じくさも水と一体化するよ
うにプール内の質量を掻き分けてぐんぐんこの水泳仲間達を引き離していく。
「……」
 きゃあきゃあ。少なからず黄色い声が混じり合う一時。
 だがそんな彼女達──宙をじっと、プール内の一角から憎々しげに見つめる女子がいた事
を、この時彼女らは未だ気付かずにいたのである。


 Episode-9.Gaps/潔癖症の怪物

 一見して何時もの登校風景。
 何時ものように三人分の弁当を作り、何時ものように幼馴染の一人と朝食を摂り、何時も
のようにもう一人の幼馴染を起こし、三人連れ立って学園への道を歩く。道端を見ればつい
最近まで咲き誇っていた花々もやや首を垂らし、そのピークも今や越えつつあるようだ。
 移り変わる季節。
 幼馴染二人の後ろ姿を眺めながら、睦月はこの良くも悪くもマイペースを貫き通す時の流
れというものに対して静かな苦笑いを想う。
「もう春も終わりかぁ……早かったな……」
「ふふ。もう、って。流石に気が早過ぎない? 新年度は始まったばかりだよ? これから
が高等部の生活じゃない」
「同感。睦月は妙に枯れてるからねぇ。でもまぁ、気持ちは分からないでもないけど。色々
あったからね。特に睦月に関しては」
「……あ~」
 振り向いた苦笑いと、嗤い。引き継いだ宙が言わんとする所を、程なくして海沙は察し、
フッと笑みに幾許かの影を差して得心していた。
「色々、あったもんね」
 分かっている。言わずもがな第七研究所(ラボ)の火災騒動だろう。
 だが彼女達は知らない。あれが実は越境種(アウター)と呼ばれる電脳の怪物が起こした
襲撃事件で、その時睦月は彼らに対抗する為の戦士となったことを。以降今日まで、彼とそ
の仲間達が秘密裏にこの街に巣食う彼らと戦い続けていることを。
「一年の初っ端に入院だもんね。そりゃテンションも下がるよ。でもこうして、今は元気に
無事でやっている訳だし」
「そうだね。むー君も、おばさま達も無事で本当によかった」
「……」
 口が滑ったか。少し場の空気がしんみりとしてしまった。
 宙が、海沙がそれぞれに呟いている。
 だが睦月はすぐにフォロー出来る言葉を見つけられない。下手に口を滑らせてしまえば要
らぬ心配や疑惑を、この大切な人達に持たれてしまうかもしれない。

『じゃあ睦月、始めるぞ』
 先日の司令室(コンソール)での事だった。重傷を負った自分を助けてくれた恩人の正体
を探るべく、睦月は皆人以下職員らが見守る中、大型ディスプレイに映し出される膨大な数
の個人データに意識を集中させていたのである。
 あの時彼は、自らをカケイヒョウゴと名乗っていた。
 偽名を使った可能性も否定できないが、一先ずはその名で司令室(コンソール)のデータ
ベースを検索してみる。皆人は念の為、聞き間違いを含めた近い発音の姓名も候補に入れて
くれているそうだ。
 睦月はお礼が言いたかった。そして自分の事がバレていないかも知りたかった。
 しかし親友(とも)は身バレの有無では同じなものの、既にこの人物を如何にして口封じ
するかを考えて──警戒しているようだった。
 数秒おきにディスプレイに映る者達が切り替わる。
 細かい部分は後回し。とにかく名前と、その顔写真に見覚えがあるかないかを確かめる。
『!? 止めて! この人だ、間違いない!』
 はたして、求める人物は見つかった。記憶の像が目の前の像と一致した時、睦月は半ば反
射的にそう叫んでいた。
 制御卓を操作する職員がはたと手を止め、こちらを振り返る。
 皆人ら場の面々が一斉に画面を見つめ、そして……静かに眉を顰める。
『──筧兵悟、五十二歳。飛鳥崎中央署捜査一課警部補。離婚歴一回、現在独身……』
『け、刑事ぃ!?」
『よりによって……。これ、拙いんじゃないですか?』
『……ああ、少なくともこれで楽観は出来なくなった。本職(プロ)だからな。怪しまれて
しまえば、色々と面倒な事になる』
 画面に映し出されたまま止まったその人物──筧の顔写真を前に、司令室(コンソール)
の職員一同が思わず頭を抱えた。
 刑事(デカ)。それはある意味、最も敵に回しては厄介な人種──。
『睦月。念の為確認するけど、本当に……?』
『う、うん。この人だよ。名前も顔も一致してる。……そっか。他人のトラブルに割って入
る仕事っていうのは、刑事さんだったのか』
『感心してる場合ですかぁ? どど、どうするんです? もし此処がバレでもしたら……』
『その前に何とかするしかないだろう。幸い、睦月が助け出された時点でお前はロック状態
になっていた。核心に──俺達の存在までは分かるまい。尤も、十中八九EXリアナイザや
インカムは見られてしまっているだろうが……』
 香月(はは)に改めて訊ねられ、胸ポケットのデバイスの中ではパンドラがその白銀の頭
を抱えて慌てふためいていた。
 流石に嘆息をつく皆人。口でこそ平静を装っているが、それでもぶつぶつと呟く後半の弁
には、筧に一体どれだけが看破されたのだろうという思考が現在進行形で走っている。
『ど……どうしよう?』
『とにかく当人を見つけ出すのが先決だな。それから内々でどれだけ知られたのかを量り、
その上で口封じの策を講じる。金で黙ってくれれば、いいんだが』
『うーん。そんな感じの人には見えなかったけどなぁ……』
 互いが互いに相手の顔を見る。困った表情(かお)をした睦月に皆人は言い、されど睦月
はそんな親友(とも)の希望的観測はおそらく実を結ばないだろうと考える。
 だろうな……。
 皆人はもう一度このディスプレイ上に映る筧の顔写真を見つめ、とんとんと数度自身の額
を軽く指で叩きながら思案した。
 応じて貰えなければ困る。しかし相手の身分が身分なだけに、下手な脅しは却って自分達
の首を絞める事になるだろう。
 その後も何度か、嘆息が漏れた。しかしややあってこの司令室(コンソール)室長はぎゅ
っと唇を結び、睦月達に振り返ると言う。
『とにかく彼についてはこちらで何とかする。だから睦月、お前は引き続きアウター退治に
専念してくれ』

 ──記憶はまたそうしてふっと蘇っては立ち消え、胸奥に一抹の不安ばかりを残す。
 気付けば海沙と宙はわいわいと、自分を余所に女の子同士のお喋りに興じていた。
 何時もの光景、何時もの堤防道。
 だから睦月はフッと、少しだけ疲弊したその内心が慰められるような心地になった。
「そういえばソラちゃん。水泳部、そろそろ大会あるよね? 練習とか大丈夫なの?」
「ん? ああ、だいじょぶだいじょぶ。あたし選手じゃないし。まぁ応援には出るけどね」
 ふと出た話題。されど振られた当の宙はそうけたけたと笑っている。
 曰く彼女が水泳部をやっているのはただ泳ぐのが好きなだけで、身体を動かしていると気
持ちいいからで、血眼になって誰かと競い合う為ではないのだという。
 実際、自分のような中等部からの繰り上がり組の中にはそういった緩いスタンスで泳ぎを
楽しんでいる子も少なくはなく、文字通りエンジョイ勢とスポーツ勢との棲み分けは弁えて
いる心算だとのこと。
「大体、あたしより速い子なんてゴロゴロいるよ? 練習量とかだって段違いだしね」
「うーん……でも勿体無いなあ。ただでさえソラちゃんは運動神経いいのに」
「まぁ、そういう大らかな所が宙のいい所じゃない? ……でもそう言えばさ、何で水泳な
訳? 昔は走ってた記憶があるんだけど……」
「うん? ああ、それね」
 何の気になしに話に乗っかり、ついでに話題を繋げてみただけだった。
 睦月の問いに宙が笑う。ぽんと胸元に手を当て、ちらと一度膨らんだ自身のそれを揉む。
「どっちも気持ちいい疲れはあるんだけど、陸だと邪魔になってきてさあ。その点、水の中
では浮かしとけばいいし」
「う、うん……」
「……」
「? 海沙?」
「──せ、──ですよ」
「へっ?」
「どうせ、ぺったんこですよぉ!」
 笑う幼馴染(かのじょ)に泣く幼馴染(かのじょ)。その胸は緩やかに平坦だった。
 故にこの日の朝、彼女の密かなコンプレックスを刺激してしまった睦月と宙は、この泣い
ていじけ始めた幼馴染を学園に着くまでひたすら宥め続ける羽目になったのだった。

 時を前後して、飛鳥崎の一角にある病院。
 先日の進坊で破壊騒ぎに居合わせ、駆けつけていた由良と筧は、この同じ病室のベッドで
隣り合っていた。あの時前線で奮闘してくれた地域の警官達も、今はそれぞれ別だった部屋
で眠っている筈だ。
「……。暇ッスね」
「ああ」
「結局後の処理、どうなったんでしょう?」
「さぁな」
 二人してベッドに下半身を埋めて座り、ぼうっと小奇麗に白い天井や壁を眺めている。
 もどかしかった。無力感がじんわりと漂っていた。気持ち的にはすぐにでも飛び出して事
の顛末を把握したかったが、如何せんあの時に負った傷と身体中に巻かれている包帯・ギブ
スのおかげでそれもままならない。
 由良が時折そうぽつっと口を開くが、筧は言葉少なかった。話半分で、やはりぼうっとあ
の時の事を考えているらしかった。
「見間違いじゃあ、ありませんよね……? 自分達が見たあれは……」
「……」
 押し黙る。そう、自分達はあの現場で確かに目撃した(みた)のだ。
 拳銃もまるで通じない化け物。腕が伸びたり、腕が巨大な鎌のようになっていたり。
 あれは何だったのだ? 彼らがいなくなった後、ようやく合流してきた課の同僚達にその
一部始終を話したのだが、当然というべきか誰も信じてくれなかった。中には日頃の毛嫌い
も混じり、あからさまに鼻で哂う奴もいたっけ。
 結局、あの怪物達を見たのは偶然現場にいた由良と、彼に助けを求められて駆けつけた自
分くらいなものだ。回復してからでなければ分からないが、同じく現場で立ち向かった警官
達の何人が、あれを“現実”として受け止めるのだろう。
(……それよりも)
 筧は思う。まさに絶体絶命だったあの時、自分達を助けに来てくれた者がいた。
 身体の傷と、意識が朦朧としていたせいで記憶は曖昧にしか残っていない。だがぼんやり
としたその中で確かに見たのは、白亜の鎧──のようなものに身を包んだ何者かの後ろ姿だ
ったのだ。
 彼(?)は全く歯の立たない自分達に代わり、あの化け物を倒してしまった。黒煙と咽る
ような火の中、やがて自分の意識はそこで途切れて真っ暗になる。
(もしかして、あれが“守護騎士(ヴァンガード)”なのか? 由良が言ってた、巷で噂に
なってるっていう……)
 分からない。だが、繋がるようで繋がらないファクター同士の糸がぼんやりと脳裏に浮か
び上がってくるような心地はする。
 何故かは分からない。少なくとも、彼も化け物も、全くの偶然であるとは思えないのだ。
「そういえば兵さん」
「うん?」
「結局あの子、何者だったんでしょうね?」
「……。ああ」
 すると押し黙っていたのが気まずかったのか、ふと由良がそうこちらを見遣って話題を切
り替えてきた。すぐに彼の言わんとしている事を理解する。事件のあった前日、偶然ポート
ランドで見つけ、介抱したあの少年についてだ。
 一課の同僚に頼んでアパートを確認して貰ったが、既に彼の姿はなかった。鍵はポストの
中に放り込まれ、テーブルの上には短くお礼を述べたメモが書き置きされていたという。
「結局、名前すら聞けなかったな」
「ですねえ。何かトラブルでも起こしたんでしょうけど……心配です」
 そうだ。彼の少々頑な過ぎる黙秘は、筧自身も怪しむには充分な材料だった。自分の見て
くれで怖がられているのかと思い、先に自分から名乗ってはみたが、結局それも報われる事
なく逃げられてしまった。しかし少なくともきちんと施錠し、礼の一つも残してくれた。根
っからの不良という訳ではなさそうである。
 確認に行って貰った同僚を始め、一課の面々はこの件もあまり真面目に取り合ってくれな
かった。むしろ独断で少年を保護し、知らせなかった事をくどくどと説教されたりもした。
 ……そこじゃあないだろ。守るべきは市民であって、手前らの面子や縄張りなどでは無い
というのに。
 大体、今回だって署の反応は鈍過ぎる。まだ報道にも大きく出ていない、ローカルな一件
だという現状にかこつけ、事件の究明よりも失態の尻拭いに奔走しているそうじゃないか。
 もやもやする。こんなにも不明瞭なことが多く、こんなにも街のあちこちがきな臭いのに
まるで深刻さが足りない。
 エネルギーを注ぎ過ぎないという処世術か? ド阿呆。ある意味一番人と人とのトラブル
の最前線に立つ自分達がそんな体たらくでどうする。ただ事件を一件として淡々と捌きはい
お終い、じゃないだろう。その一件一件には全て、血の通った市民達の悲喜こもごもが宿っ
ているんだ。
(厭(ヤ)なもんだな……)
 とはいえ、先ずはこの怪我を治さねば何も出来ないだろう。
 由良もぶつぶつと、大よそ自分と同じように課の対応について愚痴を述べている。
 筧はちらと窓の外を見た。日の位置から、およそ今は昼下がりだろうか。

 学園は、大よそ午後の授業も終わり、ホームルームを済ませている。
 生徒達はお喋りに興じ、或いはそれぞれの部活に向かい、或いは輪を作ってTAを含めた
デバイスゲームを遊んでもいる。鞄と水着袋を片手に、一人ゆったり中庭を突っ切って歩い
ていく少女の姿もあった。

「由良」
 はたとそう名を呼ばれ、この後輩にして相棒は隣の筧を見た。共に包帯・ギブスで身体を
巻かれていながら、しかし彼の眼は既に“刑事(ほんき)”のそれになっている。
「退院したらあの子について洗うぞ。少なくとも、まだ写真(とっかかり)は残ってる」


 国立飛鳥崎学園の校舎は、南から順に初等部・中等部・高等部の各学年用の棟が横長に配
置されている。その東側には職員室や特別教室が収まった通称「ゼロ棟」が一つずつ、及び
全生徒共用の大グラウンド、西側には主に文化部用の部室棟が並ぶ。
 更に初等部と中等部のと間、高等部の北面にはそれぞれプールと小グランドが併設されて
おり、その立地上、水泳部へは校舎裏と文化部棟の間を通り抜けるのが近道となる。
「~♪」
 宙もまた、その例に漏れなかった。鞄と水着袋を片手に一人、この学園の表側から隠れた
空間を通り過ぎようとしている。
「──?」
 だがちょうどそんな時だったのだ。ふと校舎の物陰から、数人の男子生徒達が彼女の行く
手を塞ぐように現れた。しかし当の宙本人は怪しむ訳でもなく、すぐにその面々がよく知っ
ている仲──自分のゲーム仲間達である事に気付く。
「よう。待ってたぜ」
「お、藤崎じゃん。どったの? 今日ってオンの予定あったっけ……?」
「いや、そうじゃない。今日はお前にリベンジを申し込もうと思ってな」
 藤崎と呼ばれた、柄はあまり良くはないにせよ気心の知れた男子達。
 人数は六人。宙がうーんと、と彼らとのゲームの予定を思い返していると、藤崎は妙に得
意げな様子で切り出した。
「TAだ。今日こそ、お前のカノンに勝つ!」
「ほほう? あたしとカノンに? いいよ、相手になってあげる。でも手加減なんてしてあ
げないからね、また泣きを見ても知らないよ?」
「抜かせ。もう今までの俺達とは違う。この日の為に特訓してきたんだ」
 少々急な申し出だったが、宙は快く受け入れていた。遊びの誘いなら大歓迎だ。お互いに
鞄からリアナイザを取り出し、自身のデバイスをセットする。
 次いでヘッドホンを装着。部活が始まってしまうが……まぁ自分はレギュラーでもなし、
さっさと済ませて合流すればいいだろう。
「こっちは六人。お前もCPUで頭数を合わせろ。フィールドも選ばせてやる」
「オッケー。にしたって随分な自信じゃない。あたしの戦闘スタイルはよく知ってるでしょ
うに」
 だから妙に強気なこの友人達に、宙は内心警戒し始めていた。
 選んだのは廃墟フィールド。風で土煙が舞い、多くの遮蔽物で仕切られた舞台だ。
 上蓋のレンズから映し出されるホログラム画面を一通り操作し終わると、ずらっと目の前
にVRで作られた廃墟街の風景が広がっていった。
 ヘッドホン越しに乾いた風の音と、次々にログインしてくる藤崎達のコンシェル。
 敵は彼の大型個体一体と盾持ちが二体、残りは鉤爪付き手甲を装備した機動重視型の個体
のようだ。普段の対戦とは違い、既に役割分担を決めてあると見える。
(ふむ、なるほど。やっぱり何か企んでるね……)
 味方となるCPUのコンシェルが五体、こちら側に現れ、臨戦体勢を取った。
 宙はぺろりと舌先で唇を舐め、ざっと見当をつける。頭数は同じだが、こちらはシステム
から調達されたCPUで、生身の人間同士のような連携は望めない。実質彼らと彼らの策と
やらに対して一対六だ。
 それでも……。宙は嗤っていた。これだから面白い。ちょうど技量の差が開いてきて退屈
し始めていた頃だったのだ。互いに技を磨き、策を戦わせる。対戦はこうでなくっちゃ。
「おいで、カノン」
 リアナイザの引き金をひき、自身のコンシェルをフィールドにイン。
 Mr.カノン。カール鬚のガンマン風紳士。銃撃戦に特化した性能に育て上げた宙愛用の
コンシェルだ。
 腰に拳銃を二丁、背に長銃を一丁。
 カノンはくいっと頭のテンガロンハットを指先で持ち上げ、召喚されたこのフィールドを
不敵な笑みで見つめている。藤崎達のコンシェルがガチャリと一斉に武器を構えた。
「……さぁて。じゃ、いっちょ始めますか!」

「じゅ、十三」
「ダウト!」
 それはその日の放課後。ホームルームも済み、解放感に包まれていた睦月達のクラス教室
で起こった。
 何時ものようにクラスメート達は帰宅し、部活に向かい、或いは未だだるだると教室に残
って雑談やゲームなどに興じている。
 睦月もそうだった。海沙、皆人に國子、他何名かのクラスメート達と机を囲んでトランプ
をしていた最中、はたと数名の女子生徒が教室の扉を開け放ったのである。
 手に札を握ったまま、場の一同が何の気なしに彼女らを見る。
 どうやら別のクラスの女子達らしかった。何だろうと眺めていると、彼女らはきょろきょ
ろと室内を見渡し、そしてこちらを──海沙を認めたかと思うと近付いて来る。
「青野さん。ちょっといい?」
「? はい。何でしょう?」
「私達ソラりん──天ヶ洲さんを捜してるんだけど、何処に行ったか知らない? 親友でク
ラスメートなら心当たりがあると思って」
「ソラちゃんを……? 何処にって何も、部活に行った筈ですけど……」
「あの。宙、また何かやらかしたんですか?」
「うーん……」
「やらかしたっていうか、何というか……」
 きょとんした海沙に続き睦月が問い、この女子生徒達は困った表情(かお)をしていた。
 一同は互いに顔を見合わせる。海沙の言う通り、宙がホームルーム後部活に向かった姿は
皆が確かに見ている。
「私達、ソラと同じ水泳部員なんだけど、あの子まだ来てないんだ。多分何処かで道草を食
ってるんだと思うんだけど、急ぎの用で……」
「部員か。なら水泳部のグループチャットなどがあるだろう? 呼び掛けてはみたか?」
「は、はい」
「一応最初に『ちょっとTAヤってから行く』って返事は来たんですけど、それから発言が
なくて。電話しても全然出ないんです」
「それに、あまり部のグルチャは使わない方がいいから……」
「? それってどういう……」
 あくまで平静とした皆人の助言に、彼女達水泳部員らは一度はコクと小さく頷いた。
 しかしそれだけである。曰く連絡は途絶え、更にそんな含んだ呟きが漏れる。睦月が小首
を傾げて訊ねると、彼女達は互いに顔を見合わせ少々躊躇っていたようだが、一方で誰かに
相談したかったようでぽつりぽつりとその口を開き始めたのだった。
「最近、うちの部がおかしいんです。皆、急に真面目になって……」
「? それってむしろいい事なんじゃ?」
「その原因がよく分からないからおかしいんですよ。何ていうか、誰も部長に逆らえなくな
って来てて。私達みたいな、中等部からの繰り上がり組は──競技とかそういうのをあまり
熱心にやってこなかった子達は、どんどん居辛くなってしまって……」
 曰く、そんな部内の急変に、彼女達は一抹の不気味さを拭えないのだという。
 スタンスの違い。水泳一筋ではなく、恋にお洒落に、色々な青春を楽しみたい──。
 最初の内は睦月達も、話半分で聞いていた。本人達も途中ごちていたように、それは進級
した事で部というものの位置付けが変わったためかもしれないからだ。
「……それで、ソラもそんな“ゆるい”方の子なんですけど、まだプールに来てなくて」
「今部長がカンカンなんですよ。だから一刻も早く捜し出して、機嫌を直さないと」
「うぅ。もう嫌だあ。何でこんなに睨まれなきゃいけないの……??」
『……』
 トランプをしていた手は、完全に止まっていた。
 睦月達は机の上に札の山を置いたままにし、そして片付けながら仕方ないと、互いに顔を
見合わせて立ち上がる。
「仕方ないな。睦月」
「うん。じゃあ僕達も捜してみるよ。何かあったら連絡して?」

「──ぶっ放せ! カノンと天ヶ洲を追い詰めろ!」
 VRの廃墟街フィールド。対戦開始直後から、藤崎達はその作戦を実行に移していた。
 陣形は三つ。藤崎の大型コンシェルが放つ大砲と、その周りで守りを固める盾持ち二人。
更に機動タイプの三人が入り組んだ街中に手分けして進入し、三方から宙の操作するMr.
カノンを追い詰める。
 轟。次々と、藤崎の砲撃がフィールドの家屋を破壊していた。
 宙はじっと廃墟の一角に隠れ、二丁拳銃を握り締めている。時折こちらにまで伝わってく
る振動が辺りにパラパラと小さな粉塵を舞わせる。
(なるほど。始めっからそういう狙いだった訳か……)
 狙いはカノンではなく、この遮蔽物の多いフィールドそのものだったのである。
 妙だとは思っていた。始めからこちらに選ばせず、何もない平原を舞台にしていれば銃撃
戦に持ち込めない筈なのに、藤崎達は敢えて自分にフィールドを選ばせた。その油断で開始
直後、カノンの早撃ちで自分達が全滅してしまう過去のパターンを回避したのだ。
 加えて、こうして虱潰しに逃げ場を無くしていけば、より確実に自分を包囲できる。後は
数の力で一気に叩くつもりだ。
 考えたじゃない。爆音響くフィールドの中で宙は尚も嗤っていた。
 そっと目を瞑る。砲撃と砲撃の間、そのタイムラグと破壊された方向の推移を、大よそつ
けて物陰から飛び出す。
「いたぞ、あそこだ!」
 そして程なくしてこちらを捉え、向かってくる機動タイプ三体の内一体。生身の人間同士
だからこそ、常時情報を伝達し合って柔軟に包囲網を形作る事ができる。
 自軍のCPUには──特段カスタマイズされた訳でもない数合わせの味方では、中々ああ
いう真似はできないだろう。故に始めから、あの五体は時間稼ぎの駒だ。プログラム通り自
分をフォローするように立ちはだかり、彼らと交戦して一体一体と散っていく。カノンはこ
まめに物陰に入り、近付いて来る彼らに銃撃を加えると、そこで出来た隙を最大限に活かし
ながら何度となく迫る包囲網を縫うように抜けていく。
「ぬりゃあ!」
「おっと……!」
 鉤爪の殴打がカノンの頬を掠め、しかし宙はこれを回避する。
 だがその近接を逆手に、ゼロ距離からの射撃を行おうとした直後、この機動タイプの個体
はこれまでに見せた事のなかった反応速度で両手甲をかざし、これを防ぎ切ったのである。
「チッ」
「っと! ……ふぅん。あんた達も“同期”使いこなせるようになったんだ?」
「ああ。やっと気付いたか。もうお前に一方的にやられるだけのプレイヤーじゃねぇぜ」
「みたいだね。でも、それであたしに勝てるとは限らないよ」
 手甲を前面に引っ下げて突撃してくるこのコンシェルとその主に、されど宙はまだ余裕を
もって応じていた。
 放つ銃撃が弾かれる。だがその彼の突進がこちらの間合いに入り、鉤爪が一閃されるその
タイミングを見計らって、カノンは跳んだ。彼の腕を手甲を踏み台にして高く跳び上がり、
廃屋の壁を蹴って更に部屋へ、そこから裏手へと流れるように移動したのだ。
「ふふ。これだからTAも止められないんだよね。このリアリティがさ……」
 彼らと同じく、いやずっと以前から見出し、身につけた“同期”でカノンと意識を一体化
させ、廃墟の路地を駆ける。
 公式にはこの同期の技は明言されていない。だが巷の知る人ぞ知るプレイヤーには今や常
識であり、上位プレイヤーとなるには必須の技術だとされている。
 しかし宙自身は、そういう御託云々にはあまり拘っていない。ただこの技術、ゲームが演
出してくれる強烈な臨場感を心から楽しんでいるだけだ。
 ただ画面に張り付いてボタンを弄るばかりのFPSとは訳が違う。よりリアルで、ハード
な刺激がそこにはある。
 宙は嗤っていた。カノンも鬚の下の口元に弧を描いていた。
 機動タイプ三体がそれぞれの方向から走って来る。宙はちらと周囲を、システム内のマッ
ピングを見、再び大きく跳躍した。
「逃げたぞ!」
「追──んぎゃあァァ!?」
 直後、宙を追うように放たれた藤崎の砲撃が、この三体らを爆風に巻き込んだのだ。
 中空を跳び、嗤いながら着地するカノンを遠隔で目視しながら藤崎は唖然とする。
 硝煙くすぶる大砲。
 まさか、こっちの追い込みを逆手に取って……?
「おい藤崎! 俺達を巻き込むな!」
「くっそ、ライフ大分削られたぞ。ちゃんと仕事しろ!」
「あ、ああ。分かってる。引き続き作戦を続けるぞ!」
 だがこの時、既に藤崎達のプランは崩れ始めていたのだ。
 宙は看破していた。自分に向かう射線上に、原則相手のコンシェル達は移動しない点を。
 先程のように同士討ちになってしまうからだ。砲撃の爆風と破壊で道を塞ぎ、動けなくな
ったそこを別方向からの三体が狙う。ならばその壁を、彼らの側へと誘導してやればよい。
 相変わらず砲撃はフィールドの遮蔽物を破壊し続けていた。
 正直、時間との勝負である。宙とカノンは残された廃墟街の中を走り、追って来る三体を
少しずつバラして誘き寄せ、各個撃破する事にした。彼らの動線をマップ上で把握、その向
きをぐるりと隠れながら迂回して横に入り、隙を突いて一体を蜂の巣にしたらまた物陰へと
隠れてヒットアンドアウェイ。
 一人、また一人と機動タイプのコンシェル達は減っていった。物陰から突然現れての奇襲
から狙撃まで、銃撃のプロフェッショナルたるMr.カノンなら何でもござれ。
「ぎゃあッ!!」
「拙いぞ、藤崎。横田もやられた!」
「前衛が……全滅した? くそっ、どれだけすばしっこいんだ!」
 三人目、機動タイプのコンシェルのライフが尽きてフィールドからアウトする。無数の光
の粒になって消えていくそれを見送り、カノンはまた踵を返して駆け出した。先に倒されて
応援(サポート)に回った仲間達にせっつかれ、藤崎は再度その大砲を大きく構える。
「だ、だが壁は確実に減ってるんだ。次の一撃でオブジェクトごと吹っ飛ばしてやる!」
 しかしそんな焦りと思考は、宙という熟練ゲーマーにはとうに看破されていた。
 藤崎が構えたその時、彼女もまた、既に狙撃ライフルを装備させたカノンで彼らに照準を
定めていたのである。
 大砲の引き金がひかれたその直後だった。真っ直ぐに飛んでいき、残りの廃墟街もろとも
カノンを消し飛ばす筈だった砲弾は、射出されたそのほぼ至近距離で撃ち抜かれ、藤崎と盾
役の残り二人を逆に爆風に巻き込んだのである。
『んぎゃぁァァァァーッ?!』
 目の前が真っ赤に、爆ぜる茜色になる。
 藤崎達はその時何をされたのかすぐには理解出来なかった。ただ爆風に揉まれ、盾や分厚
い装甲もあまり意味を成さずにそれぞれのライフがごりごりと削れていったのをシステム画
面の左上に見ただけである。
「……。う、ぁぁ……」
 はたして盾役の仲間二人はそのまま消滅。藤崎のコンシェル自身も、大砲や装甲などの主
だった装備はことごとく破壊判定を受け、その身が大型だった事が辛うじてライフをゼロ寸
前にまで押し留めていた。
 ざり、ざり。そうしてぐったり地面に転がっていると、やがて宙と同期したカノンがこち
らに歩いて来た。手には拳銃。向けられたその銃口はぴったりと藤崎の眉間に合わせられて
いる。
「残念だったね。これで、チェックメイト」

「──うあぁぁ……。また負けた……」
 VR空間も綺麗さっぱり消え去り、かくして対戦は終了して。
 そこには学園の校舎裏で、リアナイザを片手にがっくりと膝を折って項垂れる藤崎達の姿
があった。
 呵々。勝者たる宙は嗤いながら、それでも接戦を演じた相手を無碍にはしない。
「な~に、ナイスファイト。作戦は割と良かったよ? これであと倍人数がいたらあたしも
危なかったかなぁ?」
 それはもう、いや今回の時点で、数の暴力でしかないんですが……。
 ははは。藤崎達は苦笑いをしていた。負け越しなリベンジは果たせなかったが、それでも
こうしてゲーム仲間を続けているのは、彼女のこうしたさっぱりとした性格に起因する部分
が大きい。
「よく言うぜ。ま、俺達もまだまだ修行が足りないって事だな」
「つーか天ヶ洲。それ、水着だよな? 良かったのか? もしかして部活に行く途中じゃな
かったのかよ」
「うん? まぁそうなんだけど……。いいのいいの、気にしないで。大会が近いから基本的
にレギュラー優先だし、あたしらなんかは後回しだしねぇ」
 それに……。藤崎達にふと気付かれ、問われ、宙はフッと何か小さく自嘲(わら)うよう
にごちた。
「最近はどーにも、居心地悪いし」
「? 今なんて──」
「ああ、何でもないよ。ありがとね。久しぶりに楽しかった。今度もまた面白い作戦、立て
て来てよ」
 無茶振りするなぁ……。
 藤崎達は思わず苦笑(わら)っていた。宙はそうしてややあって彼らと別れ、軽く手を挙
げて帰っていくこの友人達を独り見送る。
「──ここに居たのね。天ヶ洲さん」
 ちょうど、そんな時だったのだ。
 まるで彼女が一人になるのを待っていたかのように、ざりっと背後から近付く者がいた。
 宙は半ば反射的に振り返る。そこには上下のジャージを着、深く深く眉間に皺を寄せたま
まこちらを睨んでいる女子生徒が一人。
「あ……。ぶ、部長。どうしたんです? こんな所で」
「貴女を捜していたのよ。プールに来ないからどうしたのかと思って来てみれば、遊んでい
たのね」
「え、いえ。まぁ。はは……。で、でも今回は藤崎達──向こうからヤろうぜって言ってき
た訳で……。別にサボろうというつもりでは……」
 部長。そう呼ばれた女子生徒は無言のまま一層眉間の皺を深くし、彼女を睨み付けた。
 うぅっ! 宙は繕った苦笑(えみ)を強張らせ、たらたらと脂汗を流している。
「……知っているのよ。貴女は優れた運動能力を持っている。それだけの素質があれば、う
ちのレギュラーになる事だって不可能じゃない。……そうやってふいにする。貴女のような
部員が、チームとしての団結を乱すのよ」
 しかし既に、彼女の意識・怒りは別のベクトルへと向いていた。
 ぶつぶつ。そう呟き始め、声音は重低の説教へと変わろうとしている。宙は逃げ出したく
なったが、そうした所で事態が好転するでもない。ただしくじったなと頭の片隅に過ぎり、
とにかく彼女の機嫌が直るまでやり過ごす事ばかりを考える。
 するとどうだろう。次の瞬間、はたと彼女は懐から意外なものを──リアナイザを取り出
した。宙は小さく目を見開き、ちらと一瞬、肩の鞄にしまい直した自身のそれを一瞥する。
「ぶ、部長もTAやってたんですね。ちょっと意外だなぁ」
「……これは遊びではないわ。貴女の、その性根を叩き直す為の……力よ!」
 だから直後、宙は驚愕する事になる。
『──』
 デバイスを挿入され、ひかれたその引き金。
 そこから現れたのはVRではなく、間違いなく現実(リアル)に現れた──全身が青白く
輝く彼女のコンシェルだったのだから。


 手分けをして、学園中を捜す。
 クラスにやって来た水泳部員の女子らに頼まれる格好で、睦月達は既に部活に向かった筈
の宙の姿を求めて走り回っていた。
 しかし、学園は広い。
 何せ国が積極的に関与し、支配する集積都市の一つ、その国立の学校だ。小中高一貫教育
を謳っている事もあり、その敷地面積はとても数人程度の足でカバーできるものではない。
 部に顔を出していないという事は、帰ってしまったのだろうか?
 でも大会が近いと聞いたし、レギュラーではないにしてもフケるというのは……。
 皆と別れ、睦月は一人ぐるりと大グラウンドから小グラウンドへ、敷地の北端をなぞるよ
うにルートを辿っていた。行き違いになっているのかもしれないと思い、念のため柵越しに
プールを覗いてもみたが、それらしい姿はない。
「うーん……。やっぱり電話にも出ないなあ。何処に行ったんだろ?」
『やはりサボったんじゃないですか? あの部員さん達も、部長に逆らえなくなったとか仰
ってましたし……』
 半ば途方に暮れて、睦月は軽く息を荒げながらデバイスを片手に突っ立っていた。応答の
ない電話のコールはやがて切れ、代わりに画面の中でパンドラがついっと唇を立てて両腕を
組んでいる。
「そう、なのかなあ? そりゃあ宙は自由気ままだけど、泳ぐのは好きだったみたいだし」
『宙さんも、ギクシャクしてるんですかね? 例の部長さんと』
 気持ちぎゅっとデバイスを握る手に力が篭もる。
 だとしても……。進級してから、彼女がそんな素振りを自分達に見せたことはなかった。
 気を遣って我慢していたのだろうか? 好きだからと競技なんだぞとの狭間で、彼女なり
に悩んでいたのだろうか?
 そうならば悔しい。幼馴染として、友人として、全然気付いてあげられなかった……。
「……待てよ。そういえば部員さん達、宙からTAの対戦をしてから行くってメッセージを
貰ったって言ってたよね?」
『はい。確かに言ってましたね』
「ねぇパンドラ。だったらそこから宙の居場所を辿れないかな? もう終わってるかもしれ
ないけど、起動してるリアナイザが近くにあれば分かるんでしょ?」
『ああ! そうですね。私とした事がすっかり忘れていました』
 だから纏いつく陰気を払い、とにかく手を考えようと睦月が思いついた一言に、パンドラ
も思い出したようにはたと手を打った。では早速……。彼女は背中の三対の金属翼を目一杯
広げ、あたかも感覚を周囲に延長するかのように目を瞑り始める。
 だが──異変はそんな最中で起こったのだ。
 ピクンと不意に身体を強張らせたパンドラ。すると彼女は慌てた様子で目を開き、言う。
『マ、マスター、大変です! 南南西約三百メートルに反応あり。ですがこの出力規模、正
規のものじゃありません。間違いなくアウターです!』
「何だって!? ……急ごう。何だか、嫌な予感がする」

「──」
 現場は先刻、宙が藤崎達とTAの対戦を楽しんでいた場所だった。
 校舎裏と文化部棟を結ぶ裏道の途中。そこで宙は、部長の呼び出した電脳の怪物によって
ぐったりと気を失っていた。
 青白く輝く装甲を全身に持つ、騎士のような怪物。
 アウターだった。その身体は水晶のように放課後の光を弾いており、昏倒した宙の腰に手
を回してやや粗雑にこれを支えている。
 差し詰め、クリスタル・アウターとでも呼ぶべきか。
 そしてそのもう片方の手には、同じく青白く輝く結晶が一つ。
 やりなさい。冷淡に放たれた部長の声が、このアウターの全身に力を与える。
「宙!」
 しかしそんな時だったのである。その場へと、異変に気付いた睦月が駆けつけて来た。
 彼女の名を叫び、こちらに向かって走って来る睦月。
 ぐったりと気を失った宙と、怪物。
 そして引き金がひかれた、このリアナイザを握る女子生徒。
 故に、その表情は瞬く間に線目の、鬼の形相に変わっていった。大切な幼馴染に手を掛け
られ、彼の頭の中は一瞬にして沸騰した感情で一杯になる。
『ちょっ!? マ、マス──』
「お前ら……宙に一体何をしたッ?!」
 驚いてこちらを見てくるアウターと彼女。しかし睦月はその変貌に慌てたパンドラの制止
も聞かず、駆けながらEXリアナイザを取り出していた。
『TRACE』『READY』
「変身ッ!!」
『OPERATE THE PANDORA』
 パンドラをデバイスごとその中に放り込み、流れるようなスターターの操作。銃口は真っ
直ぐ前方に向き、次の瞬間放たれた白い光球は彼の周囲をぐるりと旋回、身体をスキャンす
るように通り過ぎていくデジタル記号の輪はこの光球がぶつかると同時に溶け消えた。
「ぬっ……!?」
「ま、眩し──」
「うぉォォォーッ!!」
 そしてこの眩さは、対する二人にとっての目くらましにもなった。
 ナックル! EXリアナイザを握る右手に向かって叫んだ睦月の一言は、即座に彼の──
守護騎士(ヴァンガード)の武装を機能させ、銃口を中心に広がったエネルギー球の拳が反
応の遅れたこのクリスタル・アウターの顔面へとめり込む。
 ぐがっ──!? そのまま為す術もなく殴り飛ばされ、クリスタルは激しく地面に叩き付
けられながら跳ねながら後方へと転がっていった。そんな突然の敵と猛攻に、主たる部長は
パクパクと口を開けて後退り、瞳に薄い白煙を立ち上させる睦月の拳を映すしかない。
「……」
 ゆらり。しかし当の睦月はそんな彼女の存在など一顧だにしないように、クリスタルが遠
くに吹き飛んだのを確認するとすぐ足元に振り返った。
 宙である。
 まだぐったりと気を失っている彼女を、彼は屈んで触れ、その呼吸が途切れていない事を
目立った外傷がない事を確認する。
「良かった……。ちゃんと、生きてる」
 そして彼女をひょいと担ぎ上げ、そのまま数歩。睦月は気を失ったままの宙を校舎傍の木
の下に移し、安全を確保した。数拍横顔を見つめた後、再びすっくと立ち上がって、殴り飛
ばしたクリスタルがよろよろと起き上がってくるさまに相対する。
「ぬぅ……。くぅ……」
「ちょ、ちょっと! 何なのよこいつ!? 貴女に対抗できる人間がいるだなんて聞いてな
いわよ?!」
「私だって初めてだ。分からない。だが、もしかして、まさか……」
「……」
 慌てふためく部長が、そうひび割れた頬の水晶を押さえながら立ち上がるクリスタルの傍
へと駆けつけ、抗議する。クリスタルはこちらを見つめながらごちた。睦月は何も応えず、
ただじっと敵意の視線でもってこれを見つめている。
『あわわわ……! い、いきなりこの状況で変身はマズイですよぉ。で、でも、もうやっち
ゃったものは仕方ないですね。このまま学園に出たアウターを野放しにしておく訳にもいき
ませんし……。た、倒しますよ? いいですね?』
「……勿論、その心算だよ」
 じりっ。地面を踏み締め、またしても睦月が先に飛び出した。すると今度は慌てて、クリ
スタルの方も左手をかざして応戦してくる。
 弾丸だった。
 無数の、水晶の弾。鋭利な切っ先を持つそれは一斉に睦月に襲い掛かり、しかし既にナッ
クルモードを発動しているエネルギー球の拳に弾かれていった。
 ザクッ、ザクッ。それでも弾かれたもの、当たらずに飛んでいったものは次々に辺りの地
面に突き刺さり、無数の穴ぼこを作った。
「……」
 最初は突撃しようと駆けていた睦月だったが、肩越しに見たそれらが遠く宙が寝かされて
いる方向まで届きかけているのをみると即座に停止。横っ飛びをしながら流れ弾を弾き、呼
び出したホログラム画面から新たな武装を召喚する。
『ARMS』
『SHIELD THE TURTLE』
 放たれた紫色の光球。
 それは彼の左腕に収まり、大きな楕円形の盾になった。
 クリスタルが放つ水晶弾を次々に弾く。微動だにせず傷一つ付かない。
 目を見開いた彼に、睦月は膝をついていた身体を起こし、再び強く地面を蹴り出す。
『ELEMENT』
『BRUTE THE GORILLA』
 更に追撃だった。盾を前面に出して自分と、後方を防御し、睦月は再びホログラム画面か
らサポートコンシェルを装備したのだ。
 黒い光球がその右腕に宿り、蒸気が噴き出すようなそのエネルギー球の拳。
 腕力強化の属性付与(エレメント)だった。
 クリスタルは自身の攻撃が通じず、焦る。だがそれを睦月は真正面から突っ切って懐に飛
び込み、初撃を盾による払いで、次を左右による連続殴打でこの青白く輝く装甲ごと彼を文
字通りコテンパンにしたのである。
「ぬ、おォォォーッ!!」
「ぎゃはァッ!?」
 とどめのアッパー。膨張するほど強化された拳は、容易にクリスタルの身体を倉庫の上階
へと殴り飛ばした。
 轟。激しい衝撃音と共にコンクリ壁にぶち当たり、クリスタルが大きく仰け反ってその場
に陥没を作る。部長が悲鳴を上げていた。頭を抱えて、心底度肝を抜かれたようにあんぐり
と口を開けている。
『マスター!』
「ああ。これで──」
 しかしである。次の瞬間、意識が飛んでいきそうな程に打ちのめされたクリスタルの抵抗
が降り注いだのだった。
 顔面に胸元にひび割れを来たした全身に鞭打ち、彼は再び渾身の結晶弾を放った。
 それは頭上という位置取りを活かし、雨霰のように周囲に降り注いだ。慌てて睦月は盾を
構えてその場から動けなくなり、轟々と暫し相手の成すがままになる。
「……ッ、逃げられた……」
 だからだった。
 そんな猛反撃が止んだ後、そこにはもうこのアウターも、召喚主と思しきの少女の姿もな
くなっていたのである。

「──何故一人で突っ走った!? どうして俺達が来るまで待たなかったんだ!」
 結局、このアウターを追跡する事は出来なかった。騒ぎに気付き、周辺の生徒や教師達の
声や足音が近付いて来たためである。
 睦月はまだ興奮気味だった。敵を逃がした事と、宙がまだ向こうで倒れている事。その所
為で判断に迷いが生じていたが、そこはパンドラが急いで離脱するよう強く促したことで難
を逃れた。
 程なくして現場はちょっとした騒ぎになる。何せ突然轟音が聞こえて来たかと思えば、辺
り一面が無数の穴ぼこだらけになっていたのだから。
 放課後の高等部は一時騒然となった。そしてその現場でぐったりと倒れていた宙は、当然
成り行きのままの駆けつけた彼ら・彼女らによって救助される事となる。
「外ならまだしも、此処は学園だぞ? 下手をしたらこんなものじゃ済まなかった」
 一方そんな人気から切り離された校舎裏で、皆人は睦月に強い口調で責め立てている。
 背後の壁に親友(とも)を追い詰め、ダンッと手をついて一喝。実際に交戦した彼とはま
た別の意味で激しく感情を昂ぶらせている。
「だからって見過ごせる訳ないだろ!? 宙が……宙が襲われたんだぞ!」
 しかし対する睦月も負けてない。
 珍しく彼もまた、未だ昂ぶった心身が収まらぬままにこの親友(とも)に反論していた。
 事実、そうではある。あのまま慌てて身を隠して成り行きを見守っていても、宙に更なる
異変が起きていただろうことは容易に想像出来た。
 ……だが皆人は、思わず口を噤めど、ふるふると何度も首を横に振って苦渋の表情を浮か
べていた。
 分かってる。でも今は、そういう事を言っているんじゃない。
 もどかしかった。そして一方で皆人は、この激昂した親友(とも)が恐ろしかった。
(……こいつは時々、鬼神のような時がある)
 下手をすれば。それは単なる人的・物的損害以上に、学園内での変身や戦闘は色々と素性
がバレる危険性が高いという意図である。バレてはいけない。それはこの戦いが、自分たち
アウター対策チームが発足してからというもの繰り返し言い聞かせてきたものである。
 なのに……この親友(とも)は自らの首をも絞めかねないリスクよりも、瞬間の激情を取
った。大切な人の為に文字通り死力を尽くすという、ある意味とても人間的な感情を選び、
一人突っ走ったのだ。
 正直言えば、羨望と畏れが入り混じっていた。
 自分は彼のように直情に正直にはなれない。立場云々を含め、とかく理知的であろうとし
がち、リスクを重くみがちな所があると自覚しているからだ。
 その点で羨ましいと思う。だが今は、それ以上にこの親友(とも)の危うさを想う。
 普段は仏のように穏やかな人となりをしているくせに、いざ大切なもの(テリトリ)を侵
されると途端、羅刹が如き力を発揮する……。しかしそれは、人間的な感情であるが故に、
もし敵に知られてしまえば致命的な弱点となりうる。
「……分かっている。分かっているさ。だが知られてしまったら? それであの凄まじい力
のアウター達にお前の正体が知られてしまったら? H&D社(やつら)はお前の事を徹底
的に調べるぞ。そうなれば天ヶ洲だけじゃない、青野や香月博士達──皆の身が危うくなる
可能性が高いんだ。……怒る気持ちは分かる。だが抑えろ。戦いは、何も今回だけじゃない
んだぞ?」
 大きく息を吸い込み、ゆっくりと諭すような皆人の言葉。
 その正論に、睦月はようやくぐうの音も出ずに黙り込んだ。幼馴染や母、親友を含めた皆
の名前を出され、ようやく理性と理解が激情を抑え込み始めたように見えた。
「……。それなら、全部……倒せばいい……」
 しかし唇を結んで俯いた、その直後に漏らした言葉。皆人は静かに戦慄した。
 やはりこの友は、鬼を飼っている。
 陰のあるその横顔を見て、彼は暫く彼に戦わせるべきではないかもしれないと考え始めて
いた。
「……とにかくそのアウターに逃げられたのが痛いな。変身する一部始終を見られたままな
訳だろう? なるべく早く確保しなければならないが──」
「む、むー君? 三条君?」
 そんな最中だったのである。はたと聞き慣れた声がしたかと思えば、通りの向こうから海
沙がこちらをちょこんと覗いて来ていた。
 思わず二人して身体が強張る。ぱちくり。そんな彼らの体勢を彼女は妙に熱の籠もった視
線で見つめている。
「ど……どうしたの?」
「う、うん。何か聞こえてくるなーと思って。むー君達こそどうしたの?」
「……。ちょっと叱ってやっていただけだ。こいつが、熱くなり過ぎてたからな」
「そっか……」
 あくまで冷静に、皆人が取り繕う。海沙は小さく呟き、眉を下げながらそっと胸元に手を
添えていた。
「ソラちゃん、まだ目を覚まさないの。今、先生や部の女の子達が集まって看病してくれて
いるけど……」
 どうやら保健室の彼女はまだ気を失ったままらしい。睦月と皆人はどちらからともなく、
互いに顔を見合わせた。幸い命の別状は無かったそうだが、全く何もないとは考え難い。
「俺達も後で顔を出すことにするよ。目を覚ましたら一緒に家まで付き添ってやってくれ。
國子を遣っておく。用心に越した事はないからな」
「うん……。ありがとう」
 もう一人の幼馴染は元気に乏しく微笑(わら)っていた。
 奴らのやったこと、自分のやったこと。
 何週も遅れて、睦月はやっと己の軽率さを呪い始めた。

 その後、宙が目を覚ましたのはすっかり日が落ちてしまってからの事であった。
 心配していた件の部員達や海沙、睦月らは酷く安堵し、女子は女子同士暫しかしかましく
互いに泣きつき合い、或いは当の本人はきょとんと頭に疑問符を浮かべていた。
『う~ん……。そう言われてもよく覚えていないんだよねぇ』
 曰く、宙の記憶は途切れている。
 彼女に話を聞くに、どうやらあの現場でゲーム仲間とTAの対戦をした所までは覚えてい
るのだが、それから目覚めるまでがすっぽりと抜け落ちたように思い出せないらしい。
 おそらく今回のアウターの能力だろう。皆人は海沙達が帰った後にそう睦月に話した。
 先ず考えられるのは襲撃された事実を隠蔽する為。
 しかしそうなると、何故宙が襲われたのかという根本の所まではまだ分からない。
「──ごめんね~。何か色々迷惑掛けちゃったみたいで……」
「ううん。ソラちゃんが無事ならそれでいいんだよ。あんなに蜂の巣みたいになってた場所
で特に怪我をするでもなかったんだもの。もし、ソラちゃんにまで何かあったら、私……」
 日没後の街中を、宙と海沙、そして護衛として付き添う國子が並んで歩いている。
 あくまであっけらかんと、記憶がない事もあって軽いノリで済まそうとする親友に、海沙
はそう今にも泣きそうになって声を震わせていた。
 ソラちゃんにまで。
 おそらくそれは睦月の──第七研究所(ラボ)の事件の時のことを含んでいるのだろう。
 一時はどうなったかと思った、幼馴染の巻き込まれた施設火災。
 あれから二ヶ月近くが経ち、ようやく彼も平穏無事な暮らしを取り戻した。なのに今度は
親友(かのじょ)まで……。心配し、不安がるその気持ちも無理はない。
「……ごめんね。心配掛けて」
 よしよし。思わず涙が零れた海沙(しんゆう)に、宙はフッと苦笑いを零してこの頭を撫
でてやっていた。
 楚々としたサラサラの長髪。
 宙は心の底からしんみりと、かけがえのない友を仲間を持ったものだなと思う。
「……しっかし参ったなあ。明日学校行くの面倒臭いや」
「え? 駄目だよ。クラスの皆だって話は聞いてるだろうし、顔を見せてあげなきゃ」
 そして気分を切り替えるように発した台詞に、案の定この親友は真面目な弁を返す。
 あはは……。宙は苦笑した。
 ぽりぽりと軽く頬を掻きながら、一度ちらっと横を歩く國子を見遣り、ごちる。
「だってさぁ。絶対今日よりもずっと根掘り葉掘り訊かれるんだよ? あたしは全然覚えて
ないってのにさ~」

「──少しは落ち着いたか?」
「うん……」
 その一方、時を前後して睦月と皆人は飛鳥崎の地下深くを歩いていた。
 司令室(コンソール)へと続く道。今まで聞かされてこなかったが、どうやら学園内にも
地下へと延びる隠し通路が存在しているらしい。
 そんな抜け道の一つである寂れた倉庫の一角から、二人は梯子を降り、暫くの間こうして
黙々と薄暗い地下の道のりを歩いていた。
「……ねぇ皆人。もしかしてあれって、H&Dの報復だったりするのかな?」
「どうだろう。俺はその可能性は低いと考えているが。それなら何故直接お前を狙わなかっ
た? あの時はお前の顔は割れていない筈だろう? 誘い出す事もせず、何故宙が近しい人
物だと把握できる?」
「あ、そっか。う~ん……」
 先刻の昂ぶりも、親友(とも)の怒声と不安で涙する幼馴染の姿ですっかり立ち消えにな
っていた。睦月は開口早速、悶々と抱いていた懸念をぶつけたが、皆人はあくまでも冷静で
あり、この友にそう理路整然とした回答を返す。
「おそらく、今回は以前の潜入の一件とは別のアウターの仕業だろう。だが地上(うえ)で
も話したように、相手にお前の顔が割れてしまった以上悠長にはしていられない。一刻も早
くそのアウターと、召喚主を探し出さなければいけないな」
 加えて言う。親友(とも)の言う通りである。
 睦月は素直に頷き、きゅっと唇を結んだ。皆人曰く、今回激情に駆られたことで見せてし
まった顔バレが、廻り回ってあの強力なアウター達の耳に届かないとも言えないからだ。
「どんな奴だった? 覚えてるだけ特徴を挙げてみろ」
「う~ん……。あの時は頭に血が上っちゃってたからなぁ。えーと、女子だったよ。こう首
筋くらいの短い髪をしてて……そうそう、制服のリボンが赤かった」
「赤か。そうなると二年だな。制服は高等部(おれたちとおなじ)で間違いないか?」
「うん」
 皆人は睦月の証言一つ一つを注意深く聞き、口元に手を当てていた。
 因みに飛鳥崎学園は小中高ごとに少しずつ違った制服があり、加えてその胸元に付くネク
タイやリボンの色は年々によって別──順繰りになっている。
 確認し、皆人は懐から自身のデバイスを取り出した。
 コールした先は司令室(コンソール)。電話に出た制御卓の職員に対し、彼はとある指示
を飛ばす。
「俺だ。アウター絡みで一つ至急の調達を頼む。学園の高等部二年女子の一覧だ。顔写真も
込みで送ってくれ」
「……。今更だけど、あそこで分からない事って無いよね」
「そうでもないさ。データ化されてないものは結局足で稼ぐしかない。それに、一応コンプ
ライアンスは守ってるぞ?」
 割とそう真面目に、真顔で。
 デバイスをしまいつつ、皆人は言った。睦月は苦笑し、何とも言えずにぽりぽりと頬を軽
く掻いている。
 それから数分、二人は司令室(コンソール)に向かって地下を歩き続けた。
 自分の記憶が間違っていなければ、彼らの調査能力を以ってすればじきに召喚主の正体は
割れるだろう。
 ……しかしここで疑問は残る。
 そうなると、何故そもそもあのアウターは自分ではなく、宙を狙ったのか?
「ああ。可能性なら、一つある」
 すると皆人は、改めて訊いてみた睦月に向かってそう事も無げに言った。
 えっ? 小さく目を開く。もう何か繋がりのある情報を見つけたのだろうか。
「そもそも何故、あの時俺達は天ヶ洲を捜していた?」
「それは水泳部の人達に頼まれて──あっ」
「気付いたか。彼女らは言っていたろう? ここ最近部長に逆らえなくなったと。不自然に
それまで不真面目だった部員らが彼女に従うようになったと」
 ちょうどそんな時、再び皆人のデバイスが鳴った。司令室(コンソール)からだ。
 文面には早くも先の一覧を取り寄せたとの旨。睦月も覗き込む中、早速皆人は開いたファ
イルからざざっと女子らの顔写真を切り替えてみせる。
「……ストップ! 間違いない。この人だよ」
 はたして渦中の人物はそこにいた。睦月がハッと気付いて止め、皆人がそっと手を止めて
眉根を寄せる。
「法川晶(のりかわあきら)──現在(いま)の女子水泳部部長だ」
 それは紛れもなく、あの時現場で睦月と対峙した、クリスタルの召喚主その人だった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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