日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブル〔7〕

「起立、礼!」
『ありがとうございました~』
 学級委員の号令と共に、皆がのそりと席から立つ。とうに形式的なものとなった挨拶も、
それはそれでこの学園生活の習慣になって久しい。
「は~い。それじゃあ、また明日」
 担任の豊川先生が何時ものようにほんわかとした笑みを浮かべ、出席簿を胸元に抱えなが
ら教室を後にしていく。さぁ放課後だ。割とギリギリの所で繋ぎ止められていたクラスメー
ト達の緊張がぷつんと切れ、教室内はにわかに気安く快活とした空気に包まれていった。
「……」
 そんな中で、睦月もまたのんびりと、自分の席で鞄の中に持って来た教科書などを詰めて
いる。自身授業が嫌いという訳ではないのだが、それでもやはり、こうして周りが楽しそう
にしているのを眺める方が好きだった。
「ねぇねぇ、更新されてる?」
「されてるけど……まだ目新しい情報は無いっぽいねー」
「うーん。あれ以来出てきてないもんねぇ」
「守護騎士(ヴァンガード)かあ。一体誰なんだろう……?」
「……」
 がやがや。そうしている中、教室の一角でデバイスを開いている仲間を囲む、女子グルー
プのやり取りが耳に入ってきた。専らその話題は、先日ネット上で口火を切った、とある謎
のヒーローについてのものである。
(本当、大丈夫なんだろうか……)
 突如飛鳥崎を襲った怪物から人々を守るべく、何処からともなく現れた正義のヒーロー。
白いパワードスーツを身に纏い、常人を越える力で怪物と戦ったその人物を、誰が名付けた
のか人々は“守護騎士(ヴァンガード)”と呼ぶようになった。
 しかし彼女達は知らない。その正体、対越境種(アウター)用システムの装着者が自分達
のすぐ近くにいるのだという事を。
 明かせる筈もなく。だから睦月は、ここ数日その話題が出ているのを知る度、内心ハラハ
ラしながら息を潜め続けている。
「また現れないかなぁ?」
「そうだねえ。……でもそれって、つまりはまた何か事件が起きるってことじゃない?」
 全くもってその通りであります。
 睦月は彼女らの視界に映らないように気配を殺しつつ、静かに苦笑していた。一部の人々
にとっては新たな“祭り”の燃料になるのかもしれないが、そもそもアウターが出没しない
に越した事はないのだから。
(……。アウター……)
 この前の爆破事件から、数日が経とうとしていた。その間に報道では、犯人と思われる男
性が死亡したと大々的に発表されている。
 皆人に確認した所、井道で間違いないらしい。だが詳しい情報を調べる内に、どうやら彼
は少なくとも警察との追跡戦で射殺された──という訳ではないそうだ。表に出ていない情
報だが、何でも彼らが井道を発見した時、既に彼は事切れていた。何者かに殺害されていた
のである。
 爆破事件自体は、収まった。だがこれでは何も解決していないようなものではないか。
 当局は犯人死亡のまま、この一件に幕引きを図ろうとしている。多くの市民らも報道の後
追加の情報がなければ徐々に忘れていき、街の被害がブルーシートで隠されるのも相まって
当初ほどの批判の声・関心はなくなってきたように思える。
 ただ一つ、新たな都市伝説と、井道を殺した第三者──皆人曰く改造リアナイザに関わっ
ている何者かが増え、暗示されただけである。世間の少なからずは自分、立ち上る炎や煙の
中で戦う守護騎士(ヴァンガード)の画像であれやこれやの憶測を並べ立てるが、肝心要な
警戒と責任論は上も下も置き去り……もう終わったのだからと二の次になっている印象だ。
「……」
 そっと、静かに己の掌を見る。
 皆人曰く初期形だというサーヴァント・アウター三体。スカラベ・アウター、ハウンド・
アウター、そしてボマー・アウター。彼らの電源(ぬし)となっていたそれぞれの人間。
 仕方なかった。仕方ないんだ。
 奴らはいとも簡単に人を殺してしまう、人の安寧を奪ってしまう。願い。たとえそれが奴
らという、怪物の力に手を出してでも叶えたいものだとしても、自分達はその進撃を許す訳
にはいかない。止めなくちゃいけない。自分は、そうして奴らを殺(たお)してきた……。
『──』
 ちょうどそんな時だった。何処かに行っていたのか、皆人が何時ものように國子を引き連
れて教室に戻って来た。睦月もふいっと手を止めて顔を上げる。
「おかえり。そっちもこれから?」
「ああ。……天ヶ洲と青野は?」
「宙は部活に行ったよ。海沙はほら、あそこで友達に勉強を教えてる」
「……そうか」
 言いながら、彼らはこちらに近付いて来ていた。
 机の横にぶら下げてあった鞄を拾い上げ、ささっと同じく荷物を詰め直すと、この親友に
してアウター討伐の同志はそっとすれ違いざまに耳打ちをする。
「睦月。明日の司令室(コンソール)なんだが」
「? うん。稽古だよね、陰山さんと」
「ああ。そうなんだが……今回は中止だ」
 え……? 小さな驚きで、睦月は思わずこの友の顔を見た。しかし案の定何時もの通り、
彼の表情(かお)は無愛想に近いほど大真面目だ。
 何か家の方で予定でも入ったのだろうか? 或いはまたアウターが……?
 スッと目を細めて、睦月は次の言葉を待つ。
「代わりに、スーツかそれに替わるような着替えを持って来てくれ」
「……? う、うん……」
 だが、待ち構えていた彼からの返答は、存外違っていたもので。
 そして鞄を肩に引っ掛けて出て行く皆人と國子の後ろ姿を、睦月は少々虚を突かれたかの
ようにして見送ったのだった。


 Episode-7.Seven/元凶を求めて

 翌日の司令室(コンソール)。
 皆人に言われた通り、しかしこの歳でちゃんととしたスーツを持ってはいないため、睦月
は深い黒のジャケットとズボンの上下を持ち込んで来ていた。彼を始め、対策チームの面々
が同じように黒や紺のスーツに身を包んでいる。支度をするからお前も着替えてくれ──。
言われるがままに、睦月も金属製の立て板の向こうに移動し、それら格好に倣う。
「ねぇ皆人。一体何だっていうの?」
「ああ。お前に会わせたい人達がいるんだ。じきに分かる」
 親友は、家柄もあって慣れたものなのか、びしりと高そうな黒スーツに身を包んでいた。
紫紺と横縞のネクタイをきゅっと締め、立て板越しの友にちらっと目を遣る。
「……」
『あのぅ、博士? 今調整する必要ってあるんですか……?』
 その一方で、パンドラは香月らによってそのデバイスごとPCに繋がれ、新たなサポート
コンシェル達をインストールされていた。
 ふよふよと画面上を漂いながら、パンドラが少々怪訝に小首を傾けている。今日は出動で
も訓練でもないらしい。なら、今急いで調整作業をする必要性はない筈なのだが。
「今は、ね。でもじきに必要になるかもしれない。戦力は多い方がいいでしょ? ……それ
に、本人が知らない内に仕込んでおいた方がいいから……」
 だからそう、こなれて素早くキーボードを叩き、画面上の無数のプログラム列が流れてい
くのを瞳に映しながら呟く彼女のしようとしている事に、はたとパンドラは気付いた。
 目を見開いて白銀の髪が気持ち逆立つ。カタン。最後に決定キーが押され、彼女の中に在
ったとある回路が開かれた。その意味を知っているからこそ、パンドラは機械の向こう側に
いる香月ら自身の生みの親達に不安な面持ちを隠せない。
『博士……。これは……』
「ええ。“例のロック”を解除したわ。正直気は進まないけど、これからの戦いでは必要に
なる力かもしれない」
 香月のキーボードを叩く手が止まった。ヴヴヴと、静かな電子音だけが鳴っている。彼女
以下研究部門の面々が苦渋といった様子の結んだ唇でこちらを見ており、時折ちらちらと、
向こうで黒ジャケットに着替えている睦月や話をしている皆人を窺っていた。
「……本当の本当にどうしようもなくなった時に、あの子に知らせて。アウターと対峙して
いる時、一番近くにいる貴方が、あの子を守って……導いてあげて」

 地上に出たメンバーは睦月と皆人、國子、そして香月と研究部門の班長の五人だ。
 一行は司令室(コンソール)から出て周りの人気に気付かれぬよう、ややあって迎えに来
た黒塗りの高級車に乗り込んで一路今回の目的地へと向かった。
 じきに分かる。
 睦月は親友(とも)の言葉に押されたまま、半ば流されるように車内にいた。彼や母など
は家柄や仕事柄、もう慣れっこなのかもしれないが、やはりいち庶民である自分にはこの高
級車という時点でどうにも落ち着かない。
 辿り着いた先は、飛鳥崎の南西にある、ポートランドを臨むオフィス街だった。そこから
とある大きなビルの裏手に回って車は横付けされ、一行は静かにアスファルトに降りる。
「……。ここって……」
 見上げつつ、言葉が少なく。
 間違いなかった。三条電機──皆人の一族が経営する大手企業の本社ビルである。
 行くぞ? 皆人が先頭に立ち、面々がさっさと、さも周りに勘付かれないように足早に中
へと入っていく。画面内で同じくこのビルの果てを見上げていたパンドラを片手に、睦月は
慌ててその後を追う。
「いやまぁ、皆人の家がそうだってのは知ってるけどさ。……改めて、凄いんだね」
「……別に俺が偉い訳じゃない。グループを興して、ここまで大きくしたのは曾祖父さんと
祖父さん、親父だからな。俺じゃない」
 歩きながら、入口の警備員らに敬礼され顔パスで通りながら。
 この親友はそう、何度か聞いてきた口癖で以って何でもない風に言った。そしてふと、だ
からこそ司令室(コンソール)の室長の任を受けたのだとも呟いた。睦月は別の意味でふっ
と苦笑(わら)い、静かに心の中にしまっておいた。
 負い目……とでもいうのだろうか。
 己がただ既に在った財で裕福であることに対する無力感。
 だからこそ、そんな真面目な男だからこそ、自分は彼が大好きなんだと。
「……ここだ。親父達が待ってくれている」
 幾つかの警備をパスし、上層直通の専用エレベーターに乗り込み、着いた先のとある扉の
前でようやく皆人は睦月達に振り返った。高価な木材と思しき大きな扉。そこには見間違え
る筈もなく『社長室』の文言が掛かっている。
 ごくり……。睦月や、香月らが少なからず緊張していた。それをちらと横目で一瞥し、さ
れど特に慰めの言葉を贈る訳でもなく、皆人は次の瞬間扉をノックする。
「親父、俺だ。皆を連れて来た」
『ああ。予定通りだな。入ってくれ。こちらも全員、スタンバイ完了している』
 ドアを開け、睦月ら一行は社長室へと入った。そこには真っ直ぐ正面に、これまた艶出し
が丹念に塗られた高級そうなデスクの上で腕を組んだ、ダンディな顎鬚の男性が座してこち
らを見ている。
 ──三条皆継。
 皆人の父で、この国屈指の総合ITメーカー・三条電機グループの頂点に立つ人物だ。
 周りには左右に席を並べた重役と思しき者達、更にはVR技術をふんだんに使った中空の
映像(ホログラム)越しから、他にも見知らぬ幾人もの者達がずらりと並んで一斉にこちら
に視線を向けてきている。
「ようこそ。初めまして、だね? 佐原博士のご子息──佐原睦月君。先ずは挨拶といこう
か。私は三条皆継。知っていると思うがここの社長で、皆人の父だ。話はかねがね聞いてい
るよ。息子と親しくしてくれてありがとう」
「あっ、はっ、いえ! ここ、こちらこそお世話になって……! なって、ます……」
 緊張するなという方が無理だろう。相手は息子の親友という事もあり、とても穏やかに接
してくれていたが、当の睦月はガチガチになって言葉を詰まらせていた。
 香月(はは)が心配そうに、ちょっと恥ずかしそうにしている。まぁとにかく掛けてくれ
と言われた。皆継と相対して用意されていた黒革のソファに座り、息を呑む。
「ふふ。そう緊張しなくてもいい。寧ろ頭を下げなければならないのはこちらなのだから。
礼を言わせて貰うよ。そして詫びたい。成り行きとはいえ、君を越境種(アウター)との戦
いに巻き込み、あまつさえ装着者の任を押し付けてしまった」
「い、いえ……」
 その言葉通り、皆継はデスクの上からではあるが一度深く頭を下げた。曰く今日は改めて
これまでの経過に対する御礼と謝罪を、直接会ってしたかったのが一つにあるのだそうだ。
皆人達からは聞いていたが、このアウター対策チームの総責任者として。
「予定では第七研究所(ラボ)の冴島君が装着者となる筈だった。しかし肝心の調整は難航
し、実際の運用も危うくなっていた。そんな時に現れた群を抜いた適合者に、私達も藁にも
縋る思いだったのかもしれん」
「……。でも、受けると決めたのは僕です。ご自分を責めないでください。えっと、その。
あの後何度か僕も行ってるんですが、冴島さんの具合はどうですか?」
「ああ。今は少しずつリハビリを始めているそうだよ。今日も向こうに設備を用意させて参
加して貰っている。ほら」
『やあ、睦月君。暫くぶり』
 直々に謝罪されたが、睦月はその必要はないと考えた。代わりに皆継に問い、中空のホロ
グラム映像の中から病室より参加している冴島の顔がピックアップされた。入院服でこそあ
れ、包帯などは既に取れている。映像の向こうでフッと優しく手を振ってくれる彼に、睦月
は正直酷く安堵したものだ。
「……さて。そろそろ本題に入ろう」
 皆継や皆人曰く、今日ここに集まっているのは全てアウター対策チームに参加している業
界関係者ばかりなのだそうだ。チームリーダーを務める三条電機を始め、国内大よその主要
IT企業の社長や幹部クラスがずらりと今回顔を揃えている。
 知らされて、睦月は改めて緊張で身体が強張るのを感じた。それでも何とか受け答えする
事ができた、展開される話を自分なりに噛み砕く事ができたのは、他ならぬ皆継の醸し出す
友好的な──ただ問題の尻拭いをさせる駒ではない、対等な“仲間”として接してくれる気
配りがあってこそだった。
「佐原博士のご子息を、息子の友を巻き込むのは正直心苦しいのだが……改めて、これから
も私達と一緒に戦ってはくれまいか? 今まで以上に、全力で君をサポートする」
「はい。勿論です。僕にしかできない事なら、皆が危ない目に遭うなら、守らなきゃ」
 これまで倒してきたアウターの散りざま、召喚主の末路。
 それでも、そうした心苦しさを握り払っても、睦月は守りたかった。彼らの為してきた実
害と、母や海沙・宙、友らがもし巻き込まれたらという最悪を想い、言い聞かせるように。
「……ありがとう」
 フッと皆継が微笑(わら)った。香月(はは)や班長らがそっと目を伏せている。
 周りの重役達や、映像越しで参加している各社幹部クラス達はこのやり取りに不満──腰
が低過ぎるとでも思って心なし冷ややかだったが、彼はまるで気にしていなかった。一度静
かに息を吐き、気持ちを整え、そして続ける。
「睦月君は“H&D社”を知っているかね?」
「はい。名前くらいは……。外国のおっきなIT企業ですよね?」
「そうだ。正式名称はHappiness and Development Industry──“新時代”黎明期にその原
型が米国で誕生した、今や世界有数のマンモスグループだ。特にVR技術の世界シェアは群
を抜いている。……TA(テイムアタック)の製造・販売元だと言えば分かり易いかな?」
「──ッ!?」
「これまで私達は、君の協力もあり、幾らかのアウターを討伐してきた。だが奴らについて
調べれば調べるほど、それだけではこの戦いは決して終わらない事は明らかだ。皆人からも
聞いてる通り、人々に改造リアナイザを与えている存在がある。彼らと、その者達が属する
勢力を討たなければアウターは間違いなくこの先も無尽蔵に現れるだろう。睦月君。その時
君はどれだけ戦い、消耗してしまっているだろうか」
「……」
「今日君を呼んだのは他でもない。今回、私達は敵に対して打って出る。本来の流通元を考
えても、H&D社がこの問題を知らない筈はないんだ。だがあそこは相当な秘密主義でね、
グループの巨大さも相まって物証の一つも未だ掴めない。以前私達が連名で質問状を送った
のだが、その半月後、例の第七研究所(ラボ)襲撃があった」
「っ……」
「現状は限りなく黒。しかしこちらは完全に手詰まりだ。そこで君とリアナイザ隊に、今回
あるミッションを遂行して貰いたいと思う」
「僕達に……ですか?」
 ごくり。睦月が息を呑んだ。背後左右に立つ國子や香月らも、既に内容は聞き及んでいる
のか、険しい表情を漏らす。
「対アウター装甲の能力を駆使してH&D社に潜入し、彼らがアウター出現に関わっている
証拠を見つけ出して確保して来て欲しい。もし改造リアナイザを作っている現場や、その証
拠を押さえることが出来れば我々の勝ちだ。知らないかもしれないが、彼らの東アジア支社
とその製造工場はこの飛鳥崎のポートランドにある。……もっと早く気付いて、警戒すべき
だったんだがな」
「……」
 そう語る皆継の表情(かお)は、本当に悔しそうで哀しそうだった。
 あからさまに感情を露わにする人ではない──その意味では皆人と同じでやっぱり親子な
んだなと思うと同時、睦月は彼の奥底にある情熱、正義感のようなものを感じた。
 力になりたいと思えた。これが所謂、カリスマというものか。
「そもそもこれは不法侵入だし、ほぼ敵陣の真っ只中に飛び込むようなものだから、かなり
の危険を伴う筈だ。勿論私達としても全力でサポートさせて貰うつもりだが、君が賛成して
くれない場合はもっと他の方法を模索する用意がある。……どうだろうか?」
 そっと頭を下げてくる皆継。遅れてどうにも渋々という感じのその他大勢。
 睦月はすぐには声が出なかった。だがふいっと小さく頷く國子と視線を合わせ、再び彼の
方を向いた。快諾して、ぽんと胸を張る。
「分かりました。その作戦、やりましょう。それで戦いが終わるなら願ってもない事です」
 よろしくお願いします──。今度は睦月からも、頭を垂れて懇願した。皆人や國子はじっ
とその横顔を見つめて押し黙り、香月や班長は苦渋といった表情でそっと唇を噛み、或いは
慰め励ましている。
 皆継らは、そんな快諾に少々面を食らったらしかった。
 予め危険が伴う事を知らされながらも、それでも立ち向かう勇気──或いは蛮勇。山積ば
かりの脅威を掃うには好都合だが、同時にこの少年は何故そこまでという疑問が彼らの少な
からずに湧き起こったのだろう。ただ一人に背負わせるという後ろめたさもあった筈だ。
「……ありがとう。ならば私達も、覚悟を決めさせて貰うよ」
 戸惑い、しかし強張る中でも何処か安堵したような皆継の一言。そして幾つかの打ち合わ
せを済ませ、この日はこれで解散となった。
 作戦決行は今週末。すぐに潜入しないのかと訊ねたら、皆人にそう何度も学園を抜けるべ
きではないだろう? と言われた。ただでさえこれまでの事件の為に公欠や入院欠席をして
いるのだから、あまり連発すれば自分達の周囲に怪しまれる。それにH&D社の工場はほぼ
年中無休で動いているのだそうだ。決行にかかる準備をするにしても、ならば念には念を入
れておくに、一度心身を休められるに越した事はない。
 映像越しの各社幹部クラス達が、次々に回線を切っては消える。皆継や同社の重役達が、
その後もまた一つ二つと、香月や班長と何やら話し込んでいた。
「……もういいの? 母さん」
「ええ。ちょっと技術的な説明をね。準備は前々からしてきたけど、いよいよなのね……」
「香月博士」
 ちょうどそんな時だったのだ。会議も一段落し、さて司令室(コンソール)に戻ろうかと
睦月達が踵を返した所で、ふと皆人が香月と、隣で歩く睦月に対し、言ったのである。
「どうです? まだ少し日がありますし、一度自宅に帰られては」


 井道渡の死により、飛鳥崎を襲った連続爆破テロ事件の捜査は打ち切りとなった。
 だがそんな上層部の判断に、またも反発した刑事がいた。
 飛鳥崎中央署捜査一課・筧兵悟その人である。
『納得できません! 事件は何も解決しちゃいない!』
 打ち切りが宣言された会議室で、筧はそう強く机を叩いて立ち上がりながら抗議した。
 確かに井道は死んだ。最大の容疑者の死亡、以降の再発の気配がみられない事からの判断
だったが、筧はそれはあくまで表面的な現象に過ぎないと考えていた。
『自分は井道の住んでいた集落まで行って、確かめて来ました。報告にも上げたでしょう?
今回の動機はテロリズムじゃない、個人の復讐だ。あいつは文字通り命を張って集積都市の
外の不満を伝えたんです!』
『だから彼の言い分を聞けと? 馬鹿かね君は。破壊活動に手を染めた者の意見をまともに
取り合っていれば、秩序などあって無いようなものだ。悪しき先例を作るだけだ。手段を履
き違えた者には、相応の罰(たいど)で報いないとな』
『……そりゃあそうですがね。でもあんた達のやっている事は、結局火の手に蓋をしている
だけに見えるんですよ。それで本当に、自分達の言う悪ってのは無くせるものですかね?』
 むすっ。筧のあくまで反抗的な態度に、さしもの上層部面々は不快感を隠さなかった。
 手垢のついた批判だ。だがそんな筧の理想論は、彼らにとっては只々気に食わない、温い
主張にしか聞こえない。
『筧君。立場を弁え──』
『そもそも! あれだけの事件、爆破行為を一介の農夫が思い立っただけで出来るものなん
でしょうか。爆弾の入手経路もまだ特定できてなかったんでしょう? ネットじゃあ連れが
いたとか何とか書かれてますが、少なくとも彼一人じゃ無理だ。第三者が、井道に手を貸し
た何者かがいる筈なんです。市庁舎での一件の後、彼が殺されたのも、その黒幕が半端な爆
破になったのを見て、自分達に尻尾を掴まれたのに気付いて、口封じをしたからじゃないん
ですか?』
 幹部が口を挟もうとする。だがそれを筧は分かっていて遮りながら訴え続けた。
 席の隣で由良がまたもやといった様子でハラハラしている。他の同席する刑事達も、筧が
叫ぶ真っ当(しゅちょう)に、真正面から食ってかかれるほどの胆力を持てない。
『捕まえるべき悪は……まだいる筈だ!』
 だがそんな中で、唯一筧を尚も突き放す者がいた。会議室上座、上層部の席の左端に陣取
る白鳥である。フッと彼は哂った。そんな事、重要ではないと言わんばかりに。
『筧警部補。ではその第三者とやらの目星はあるのかな? 捜査の終了は決定事項だ。せめ
てその有力な候補ぐらいなければ決定は覆せないよ』
『……ねぇよ。でも後ろに誰かいるのは間違いない。てめぇだってそれくらいは頭回ってる
筈だろう?』
『貴様! 警視に何という口を!』
『構わん。こいつは昔からこうなんだから』
 取り巻きの警部が数人、ガタッと立ち上がろうとした。だが当の白鳥はお互いに憎まれ口
を叩き合うなど慣れたもので、サッと彼らを片手で制すと、言う。
『……いいかな、筧? 私達は警察という組織だ。君がどれだけこれまで幾つもの実績を上
げてきた刑事でも、組織の決定には従って貰う。一先ず事件は収まったんだ。私達は井道渡
以外にも多くの悪と対峙しなければならない。可及的速やかな案件から外れた以上、今すぐ
限りある人員を割くなどできんよ。私達は組織だ。嫌なら──出て行って貰う』
『……。てめぇ』
 火花を散らすが、それでも権力は圧倒的に白鳥に分があった。
 階級も、味方につけている組織も。筧もまたその組織の一員である以上、その一員である
からこそ罪を暴き、悪を捕らえることを許されている以上、白鳥が最後に付け加えた一言は
彼にとっていわば伝家の宝刀に近い。
 ギリギリッと歯を食い縛り、筧はゆっくりと席に着き直った。由良が心配そうに、他の大
よその刑事達が冷たい視線を送っている。
『……筧。君は些か勘違いをしている。私達の仕事は悪を駆逐することだ。善良な人々を奴
らから守る為だ。真実を解き明かすことはあくまで十分条件であって、必要条件ではないの
だよ。よーく街の、人々の声を聞いてみるがいい。彼らは悪の一個一個を詳らかにすること
を望んでいるのか? それを排し、滅することの方だろう?』

「──」
 あの最後の爆破事件から、一週間近くが経とうとしている。
 昼下がり。筧は一人、今はすっかり平静を取り戻した飛鳥崎の市庁舎前広場にいた。
 一時は行き交っていた人々を黒煙と飛び散った瓦礫に巻き込み、大混乱に陥った現場だっ
たが、今はもうあちこちでブルーシートが被せられたり、仕事が入ったと言わんばかりに機
材を投入して地均しをし直している業者らの姿を見ると正直悶々とする。
 同じだ。千家谷駅前の時と同じく、悲惨な記憶はかくも迅速に覆い隠されてしまう。
 それだけこの集積都市が効率的で機能的で、多くの人々がその維持に縁の下で汗を掻いて
いる証なのだろうが、果たしてそんな見知らぬ者達の苦労を、この街の人間はどれだけ知っ
ているのだろうか。尚且つ感謝しているのだろうか。
 テロリストが──実際は復讐鬼がここで散った。傷付ける側、傷ついた側。どちらにせよ
生命が一つここで失われたのだ。間違いなくこの街で一人、また一人と生命が失われている
というのに、上はまるで事件そのものに蓋をしてやり過ごそうとしているように思える。下
だって──街の住民達だってそうだ。自分も由良からちらっと見せて貰っただけで詳しくは
知らないが、あれだけ街を恐怖と不安に陥れた事件があったというのに、早くも巷では謎の
ヒーロー・守護騎士(ヴァンガード)とやらの噂で持ちきりらしい。
(……何がどうなってやがるんだ)
 甲斐が無い。いけない事だと自戒はするのだが、はたして自分は誰の為にこの仕事を続け
ているのだろうとしばしば思う。
 新しい、というか聞き慣れないものが浮かび過ぎる。大体守護騎士(ヴァンガード)って
何だ。一部には警察の秘密兵器でないかという声もあるそうだが、少なくともそんなもの、
自分は知らない。ただでさえ最近はVRだのTA(テイムアタック)だの覚えなければなら
ない言葉が増えているというのに。
(TA(テイムアタック)……。リアナイザ……)
 そういえば、と思う。確か千家谷で聞き込みをしていた時、目撃者(しりあい)の入院先
という事で西区の市民病院でもそういう話を聞いたっけ。
 リアナイザを持ったおっさん──。確かにあの青年はそう話した。
 考える。もしその人物が仮に井道だったとしたら、そのリアナイザは何処にいった?
 少なくとも彼が遺体で発見された時、そんな所持品は無かったという。犯人が持ち去った
のだろうか? 何の為に? にわかには信じ難いが、それは逆説的にリアナイザが、TAが
今回の事件に何らかの形で関わっているという証左ではないのか?
「……調べてみるか」
 ただの偶然? 或いはもっと別の第三者が盗んだから?
 どちらにせよ、もうそれらしい取っ掛かりの無い筧には、手を伸ばす以外の選択肢はなか
った。踵を返してコートを翻す。喰らい付いてみよう。あっち方面はどうにも疎いが、それ
はそれでこの街ならではなのかもしれない。

「──おばさま?」
 海沙が自宅の合鍵を挿そうとした時、彼女は隣家の向かい角から見覚えのある顔が出てく
るのに気付いた。
 何か、嵩張るようなものを入れた紙袋を手に提げた睦月と……その母・香月である。
 二人は並んで、時折会話をしながらこちらに折れてくるようだった。思わず手を止めて立
ち止まり、海沙が口を開くと、ややあって二人も彼女に気付いたようだった。
「あ。海沙……」
「……こんにちは、海沙ちゃん。今帰り?」
「はい、ちょうどさっき。お仕事、暇が空いたんですか?」
「そんな所よ。急だったから定之さん達にも輝さん達にも知らせる暇はなかったけど……」
 まさか三条電機本社に行っていたとは思うまい。先刻までの緊張を引き摺り、睦月は思わ
ず身を硬くしてしまっていたが、そんな息子をフォローするように香月はふっと微笑み、暫
くぶりの息子の幼馴染との再会の挨拶とする。
 そうですか~……。
 ニコニコ。何が嬉しいのか、海沙は同じようにほんわかとした微笑みで自宅の玄関先に突
っ立っていた。それでもややあって思い出したように鍵を開け、家の中に入ろうとする。
「ちょっと待っててくださいね? すぐお父さんとお母さんにも連絡します」
「ええ。お構いなくよ。ふふ、元気そうね……。良かったわ」
 ぱたぱた、ぺこり。行って戻って会釈して。海沙は早速慌てだしたが、香月はそれをやん
わりと止めてやっていた。改めて帰宅──家の中に引っ込んでいく彼女を見送って、香月と
睦月は早速とその隣家、自宅のドアを開けようとする。
「おや……? ああ、誰かと思えば香月さんじゃないか。帰って来たんだね」
 そしてちょうどそんな時だった。今度は道向かいの天ヶ洲家──定食屋『ばーりとぅ堂』
の軒先へ掃除に出てきた翔子が、こちらに気付いて歓声を上げた。
 お父さん、お父さん! 笑って手を振ってきたかと思えば小走りで店の中へと戻り、おそ
らく厨房にいたのであろう輝を呼んで来る。案の定、程なくしてその輝が彼女と一緒に店か
ら出て来た。彼は妻に負けないくらい元気で、人懐っこく、呵々と笑ってこちらへ道を跨い
でくる。
「何だい何だい。帰って来るなら帰って来るって言ってくれりゃあいいのに。睦月も迎えに
行ってたんだな? ご苦労さん」
「あ、はい……」
「ごめんなさいね。ちょっと、急に出来た暇だったから……」
 二度手間の説明やら、押しの強い厚意やら。
 睦月は敢えて多くは語らなかった。この人達には、ただ帰って来ただけという事にしてお
いてやり過ごそう。当の香月もくすくすと苦笑いをし、そう相手の解釈に身を委ねる心算の
ようだった。
 実際、直後補足した説明は間違いではなかった。
 以前の第七研究所(ラボ)でのゴタゴタとその後の移転が落ち着き、その間に溜まってい
た仕事も粗方片付いた。対アウター用システム、通称・守護騎士(ヴァンガード)の運用は
実の息子である睦月という高適合者の出現によって軌道に乗り、数日中には敵本陣と思われ
るH&D社への潜入調査という名の大一番へと向かう。
「ははは、そうかそうか。よ~し、こうしちゃいられねえ。今日はパーッと宴会だ! 中々
全員が揃う機会がねぇんだ。な? いいだろ?」
「え……?」
「ふふっ。相変わらずねぇ」
 急に振られてすぐに応えられない睦月。苦笑いを零し、だけど嬉しそうな香月。
 ばたばたと、かくして急ごしらえの宴が用意される。

「──それじゃまあ。香月さんお帰りなさいって事で。乾杯~!」
『乾杯~!』
 どのみち夜は営業していない事もあり、ばーりとぅ堂は実質睦月たち母子(おやこ)の貸
切状態となっていた。ずらりと木のテーブルに並んだ料理を前に輝が缶ビール片手に音頭を
取り、睦月以下八人がこれに倣う。未成年、幼馴染三人組は、勿論代わりにジュースだ。
 グラスを互いに打ち合わせて、幕開けとする。
 ささやかな、しかし温かい住宅街の一角でのパーティーは序盤から、和気藹々と盛り上が
る良い宴となっていた。
「おかずもご飯も、たっぷりおかわりあるからね~」
「足りなくなったら言ってね?」
 普段、輝や翔子に料理の教えを受けていた事もあって、誰に言われるでもなく睦月は翔子
と共に給仕役をやっていた。輝や宙には半分主役みたいなものなんだから遠慮するなと言わ
れたものの、実際ただ自分が食べているよりも誰かが美味しく食べてくれているのを見る方
が好きだったりするので、やはり自分は主夫なんだろうなと睦月は思う。
「ど、どうぞ」
「おう。悪いねえ。ほら、サダも飲んだ飲んだ」
「ん……」
 給仕する翔子、盛り上げる輝。ここぞとばかりに舌鼓を打つ、部活帰りの宙。
 そんな天ヶ洲家の面々に加えて、彼の隣で酌を受けているもう一人の男性がいた。
 青野定之。基本寡黙でやや深めの彫りをした顔の、海沙の父である。普段は妻・亜里沙と
共に飛鳥崎に市役所に勤めている公務員であり、天ヶ洲家とは違って昼間は家を空けている
事が多い。
「……」
 くい。酒を入れても大人しいのは変わらず、定之は輝とは対照的に飲んでいた。一方で妻
の亜里沙は香月と、時折皆の間を行ったり来たりする翔子に声を掛けながら、夫人勢年少の
綺麗な顔立ちでくすくすと楽しげに微笑んでいる。
「うん。美味し……。でもいいのかしら? わざわざお店まで早く閉めて貰って」
「なぁに、遠慮するな。お互い付き合いの長い仲だろう? 偶にはいいじゃねぇか。今夜は
たーんと楽しんでくれよ? 春先にあんな事があったんだ。ちょっとくらい羽目を外したっ
てバチは当たんねーよ」
「そうね。でも、せめて収益を計算した上でやって欲しいけど……」
 香月の笑みと気遣いに、輝は呵々と笑った。嫌なことなんてぶっ飛ばせ──言いたい事は
分かるけれどと、翔子は通り過ぎざまに言うが、その瞬間にはもうこの夫は再び定之や香月
に酒を注いでころころと笑っている。
「おばさん。休みはいつまであるの?」
「……今週いっぱいまで、かしら。週明けになったらまた司令室(ラボ)に戻る事になると
思うから……」
 もきゅもきゅ。並べられた両親と睦月手作りの料理の数々を頬張り、飲み込んでから宙は
そう訊ねた。香月は少し考えるように間を置いて目を細め、何処か遠くを想うようにして答
えている。
「……」
 睦月はそんな母や幼馴染の横顔を、空いた皿を運んで流しに移しながら眺めていた。
 三つの家。小さい頃から家族ぐるみの、仲良しな三家。
 母は週末の作戦決行を思い出して一瞬気を重くしていたようだが、それでもこの束の間の
安らぎに心癒されているように見えた。いや、そうであって欲しい。何もアウターと戦って
いるのは自分だけではないのだ。寧ろ今までずっと、自分があの日あの場所に居合わせるよ
りも前から、母達は人知れず底知れぬ敵と遅々として進まぬ対抗策に悶々としていた筈で。
 守らなければ。そう、睦月は強く思った。
 自分にしか出来ないこと。そう、自分に言い聞かせるようにぐっと握ったその手を静かに
見下ろした。
 願いを糧に飛鳥崎の闇を跋扈する怪物。その脅威から大切な人達を守る。
 それだって、願いじゃないか。僕の、僕にしかできないと言われた願いじゃないか。
 ……やってやる。戦いを、終わらせてやる。
 しっかりと、今この場の幸せを焼き付けておこう。再びまた此処に戻って来れるように。
「ふふふ……。ねぇ、海沙ちゃん、宙ちゃん。それで睦月とは、その後どうなの?」
「えっ?」
「ど、どうって……」
 だがその一方で、何本と酒の入った香月は、やがてガシリと両脇の海沙と宙に覆い被さり
そう小さな声で訊ねていた。一瞬にして顔を真っ赤にする海沙と、頬を紅くするが平静を装
うとする宙。しかしそんな反応を見て悟ったのか、酒で赤く火照った様子の香月は、ハァと
何故かわざとらしくため息をつきながらごちる。
「そっかあ。あの子、手、出してないのかあ。その辺はあの人と一緒だねぇ……」
「うぅ。いえ、その……」
「あの……おばさん? もしかして酔ってます?」
「う~ん? 酔ってないよー? 酔ってませんよ~? 見ての通り、ダイジョーブ。ふふ、
ふふふ……」
 駄目だこりゃ。宙と海沙は互いに顔を見合わせ、そして互いにおそらく同じ意味で頬が顔
が赤くなっているのを見、ふいっと視線を逸らして苦笑いを零す。
 もう一方の当人である睦月は翔子を手伝い、時折おかずを摘まみながら、それでも遠巻き
に一度こちらを向いて頭に疑問符を浮かべていた。香月は笑っていた。普段の知的な様子か
らは少し外れて上機嫌だったが、しかしはたと突然、そんな二人を反らした顔の端から見定
めると、ずいと再び彼女達を抱き寄せて言う。
「……睦月と、仲良くしてあげてね」
 急に素面に戻ったかのようだった。しかしこうも直截的に懇願するのは、やはり酔いが潜
在意識にある想いを引き出しているからなのだろう。
「私の所為で、あの子にはいっぱい辛い思いをさせちゃってるから……」

 そうして、どれくらい時間が経っただろう。
 夜もたっぷりと更け、宴(香月お帰りパーティー)はお開きとなった。一ヶ所に集ってい
た三つの家族はそれぞれの自宅に戻り、明日に備えて緩やかに沈んでいく一時を過ごす。
 海沙は少し緩めのお風呂に浸かってまったりうとうと。宙は既に寝間着になり、自室で雑
誌やテレビを観てごろごろしている。その階下では輝・翔子が宴の後片付けも終わりかけ、
定之と亜里沙は明日の勤務に備えていそいそと布団を敷き始めている。
「母さん。お風呂空いたよ」
「ええ、ありがと。蓋だけしておいて。まだ掛かるから」
 佐原家。久しぶりの母子(おやこ)一緒の夜。
 バスタオルを被りながら、睦月はそうホクホクとした身体で風呂場から出て来たが、香月
は尚もここに来てキッチンのテーブルでノートPCと幾つもの外付けHDDを繋ぎ、忙しな
く画面上を流れる無数の数列と格闘している。
 睦月はやれやれと思った。折角帰って来たんだから、今日くらい休んでもいいのに……。
 だがそれは無理な相談なのだとも知っているからこそ、彼は黙って苦笑いを零すだけで二
の句を引っ込めていた。彼女は十中八九、今度の作戦に備えて今動かせるコンシェル達を弄
っているのだろう。準備に少し日が要る、その間は休みだとはいっても、その作業の少なか
らずは母ら研究部門の仕事であるのだから。
「……おやすみ、母さん。あまり無理はしないでね」
「大丈夫よ。おやすみ、睦月。明日は私が朝ご飯作るから、そっちこそゆっくり休んでおき
なさい?」
 息子が階段を上っていく足音を聞く。その振り返りざま、表情が密かに曇っていたことを
香月は見逃さなかった。
 そっちこそ。
 親子なのに、どうにもお互い気を遣い過ぎる……。

 ──“彼”と付き合い始めて三年。自分が妊娠していると判った時、私は彼の下を離れて
この子を自分一人で育てると決めた。
 彼は狼狽していた。デキた事もそうだったけど、私が自分から別れようと言ってきた事に
二重のショックを受けたらしい。
 そうは言ってもね……。実際貴方と私じゃあ、夫婦として同じ舞台に立てないじゃない。
 彼には既に、親が決めた女性(あいて)がいた。それは付き合い始めて程なくしてから知
った事だけれど、当の彼はそんな敷かれたレールにはかねてより否定的だった。
 でも、私は彼に諭した。こうなる事は何となく分かっていたんじゃないか?
 だって貴方は名実ともにいずれこの国を背負って立つ一族。だけど私はそういう小難しい
パワーゲームなんて何処吹く風の、研究(すきなこと)に没頭してばかりのぐうたら者。
 務まる筈ないじゃない。
 似合う訳ないじゃない。政治家の妻なんて。
 自分でもそんな柄じゃないことはよーく知ってる。弁えてる。ただ私達は、お互いその志
と知性に惹かれ合って……恋に落ちた。だからこそ貴方が叶えたい理想を、他ならぬ私自身
の存在によって阻んでしまうことは絶対に避けたかった。
 いや、大丈夫だ。もうこの国には、た、多婚がある……!
 彼は言った。でも動揺で震えているのは私から見ても明らかだった。確かに貴方の家柄、
富ならばその相手(フィアンセ)の次に収まる事も可能かもしれないけれど、どのみちいざ
こざの種になってしまうだろうというのは目に見えている。
 だから私は言ってやった。言ってしまった。じゃあ貴方はその許婚(ひと)と私、両方を
嫁にして二人とも愛せる? ──いや、もう一人の彼女を優先できる……?
 彼は答えられなかった。変な所は鈍感で、でも頭は良いから、私の言わんとしていること
はすぐに理解出来たようだ。
 だけど……。食い下がろうとした彼を、私は止めた。
 分かってる。愛されてる(わかってる)からこそ、ここで区切らなきゃと思った。
 貴方は貴方が全力を出せる場所(フィールド)で頑張って。私も私が、全力を出せるそこ
で頑張るから。この国を、豊かで幸せで、不幸の無い国にしたいから。その志(おもい)は
今も貴方と同じだから。
 ……でも、その決断は結局私の我がままだったんだなって思う。
 だって生まれてきた子が、睦月が、あんなに深い苦しみを背負ってしまったのだもの。
 大人しくて手の掛からない子。だけどそれは本当表面的で、実際はずっと自分自身の存在
価値に疑問を持ち続けている、暗い闇を抱えてしまった子なんだ。
 罰なのかな、と思う。どれだけ私が彼から離れても、その罪は着実にその息子に蓄積され
ていったようなものなのだから。
 何時もニコニコして、母親(わたし)の事を気遣ってくれる。
 でもそうしてずっと笑い続けているっていうのは、本来異常なこと。何重にも何重にも、
一番奥の本音(かんじょう)を押し殺して生きているんだと理解した。
 母親だから何でも分かる、っていう訳じゃない。
 だけど……少なくともあの子は何処か“壊れて”いるように感じる。昔、海沙ちゃんと宙
ちゃんを野犬から守った時のように、あの子は時々誰かを守る為に自分の事なんて無意味な
くらいに余所に放り出すんだ。
 翔子さんから連絡を受け、慌てて当時の研究所(ラボ)を飛び出した時、あの子は血塗れ
になってこちらを見ていた。お母さん。にっこり笑って、自分のしたことを褒めて欲しいと
言わんばかりに駆け寄って来た。……そうだ。裏を返せば、そんな無茶でもしないと自分が
ここに生きている事を認めて貰えないとでも信じているのだろう。
 悲しいし、叱りたくなる。
 そんなに自分を責めないで。そこまでして他人が傷付くのを止めようとしないで。
 独善的なのではとすら思った。だけどそこまで考えて、同時に私にはこの子をその生き方
において叱責する資格なんて無いんだと戒めた。
 彼と出会い、恋のままに肌を重ねたことも。
 彼を知り、自分側の理論でその下を去ったことも。
 この子の為だと思い、ずっと父親について知らせなかったことも。
 私こそが、偽善だ。これを独り善がりと言わずして何と言う。あの子を内側から狂わせた
のは、他ならぬ私ではないか。
 でも……もう事態は私にすら止められなくなっていた。研究の日々に忙殺され、益々一緒
にいてやれない時間ばかりが増える中で、よりにもよって睦月が対アウター用システムの装
着者になってしまったんだから。
 何故、こうなった? 何故この子の適合値が、こうも尋常じゃなく高いの……?
 まだ班長にも、皆人君や皆継社長にも話していない。何か理由がある筈だ。冴島君では不
十分で、睦月では十分過ぎるという事実に対する科学的根拠。
 おそらくはEXリアナイザ開発の原典となった改造リアナイザ──越境種(アウター)達
の中に。あの子の、私の所為で抱え込んでしまった“闇”とリンクする何かを。
 見つけなければならない。
 あの子を守りながら、あの子を解き放つ為の道標を──。

「……」
 作業が大きく一区切りしたのを幸いとし、香月は一度手を止めて休む事にした。ぐぐっと
椅子の上で背筋を伸ばし、そろりそろりと階段を上っていく。
「……Zzz」
 自室(へや)では、既に息子は安らかな寝息を立てていた。僅かにドアを開け、その昔と
変わらぬ優しい寝顔にホッとする。
 だけども、あれは表面的なのだと、香月は思い直す。
 本人に直接質したことは無いけれど、ずっとこの子を観てきて、観られて気を遣われて、
他の子とちょっと──大分違うことは否応なく嗅ぎ取ってきたのだから。
 ただでさえ周りと隔たってしまった我が子。
 それに加え、今や息子は密かにこの飛鳥崎を、ひいては世界中に蔓延る電脳の怪物達と戦
う宿命を背負わされてしまったのだ。
 自ら望んだこと。そう言われてしまえば無碍に止めさせることも難しい。だがそもそも彼
がそんな無茶にのめり込んでいく理由は、もしかしなくても他に高適合者がいない──自分
にしか出来ないことだからではないのか? それが自分の、生きていてよいという証になる
とでも考えたんじゃないか?
 無茶苦茶だよ。歪んだ、自己犠牲だよ……。
 だけど自分にはきっとその心象を批判する資格はない。そんな心象を育ててしまったのは
きっと自分自身だ。どれだけ詫びても、もう完全には取り戻せない。償い切れない。
(私は……母親失格ね)
 ハの字になった眉。廊下から漏れる僅かな明かりの下、香月はドアの隙間から一見安らか
に眠る息子の横顔を眺めている。想い、心の中でかつて愛し合った人の名を呼んでいた。

 ねぇ、健臣(たけおみ)。
 貴方は今、どんな想いで其処にいるの……?


 世間は週末になっていた。多くの学生は束の間の休日を謳歌するが、それでも巷の大半は
変わらず人も物も駆動し続けている。
 表向きは暫くぶりの母子(おやこ)水入らず。休日のお出掛け。
 睦月と香月は海沙や宙、青野・天ヶ洲両家の面々に見送られ、自宅を後にしていた。その
実は言わずもながな、H&D社への潜入調査決行の時である。
「──では皆さん。準備はいいですか?」
 司令室(コンソール)に一旦集合してから睦月と、國子率いるリアナイザ隊が出動。残っ
て映像越しに推移を見守る皆人や香月ら研究部門のメンバー、更に皆継ら対策チームの要人
達も加わり、一同はいざH&D東アジア支社のある飛鳥崎の南部ポートランドへと赴いた。
 待機したのは同社の製造プラントを視認できる倉庫群の一角。地図的に姿を隠しておける
ギリギリの地点。そこでずらりと並んだ睦月及び隊員達に向かって、國子は囁く。
「打ち合わせの通りここからは全員、迷彩(ダズル)装備のコンシェル達をそれぞれ使役し
た上で工場内に潜入します。とはいえ、姿は見えなくなりますが、物音などは隠せません。
くれぐれも気付かれないようお願いします」
『司令室側(こちら)からこうして回線を使って話せるのは此処までだ。工場内は既に敵の
本陣、のうのうと同じように通信していれば間違いなく察知される。後はコンシェル達が記
憶したログを回収してチェックするしかない。とにかく無事に帰還することを最優先に考え
るんだ。敵の本拠地か、いち拠点か。どちらにせよ、その内情を暴こうとした中で連中に見
つかればほぼ詰みだと思え。不要な戦いは極力避けて、少しでも情報を持ち帰れるよう行動
しろ。いいな?』
 了解──。面々が頷き、調律リアナイザを構えた。ホログラム画面を操作して彼女達が引
き金をひく中、睦月もパンドラと共にEXリアナイザを取り出して掌で認証し、早速変身を
開始する。
『TRACE』『READY』
「……変身」
『DAZZLE THE CHAMELEON』
 正面に撃った銃口から、紫色の光球が飛び出した。それは彼を周回し始めるデジタル記号
の輪と共にぐるりと中空を旋回し、一瞬眩い光となって睦月を包む。
 守護騎士(ヴァンガード)──変身は完了した。本来なら白亜と茜色のパワードスーツに
身を包む所だが、今回はカメレオン・コンシェル、爬虫類系・パープルカテゴリのそれを纏
うため全身のカラーリングは薄紫で統一されている。
「えっと。胸元のコアに手をかざして、っと……」
 そして睦月が事前に教わった通りの挙動を取った次の瞬間、その姿は瞬く間に周囲の景色
に溶けて見えなくなった。
 これがカメレオン・コンシェルの能力である。
 高性能の光学迷彩。國子のコンシェル・朧丸のそれと同系統だ。故に彼女の召喚したこの
般若武者のコンシェルも続いてその姿を景色に溶かして透明化、更に本来そうした能力を持
っていない他のメンバーのコンシェル達も次々と同様に光学迷彩を発動し、透明になる。
「とりあえず、第一段階は成功ですね」
「ええ。香月博士達が必死になって頑張ってくれたんだもの」
 睦月と國子以外のメンバーのコンシェル達に同様の機能──カメレオン・コンシェルの能
力を移植したのは、他ならぬ香月ら研究部門の面々だった。皆継らが決行当日の警備状況な
どを調べてくれている間、彼女達は必死になってこの作戦遂行能力の強化を実装せんと奮闘
していた訳である。
『では行こう。作戦開始だ。……無事を祈る』
 睦月及びリアナイザ隊のコンシェル達一行は、このポートランドを出入りするトラックの
陰に隠れながらH&D社の工場へと潜入を開始した。事前に皆継・皆人らが調べてくれた物
資の搬入時刻とタイミングに合わせて沿い、駆け、内部へと突入する。國子以下リアナイザ
隊の面々は、先の倉庫群に引き続き身を隠したまま、自身のコンシェルに意識を伝達させて
より精密な遠隔操作をするTAの高等テク──“同期”で以って睦月をサポートする。
 進入自体は、思いの外上手くいった。
 元よりこの港湾地区は機械化・オートメーション化が顕著であり、徒に他の人間が行き来
していない特徴がこちらに味方した格好だ。とはいえ、それは同時に一度敵に見つかってし
まえば救援が望み薄という事でもある。
 H&D社東アジア支社併設、製造プラント内部。睦月達はかなり警戒しながら進んだが、
想像以上にその中は殺風景だった。
 とにかく大型の機材や統一規格にずらりと並べられた部屋ばかりが目立つ。そこを何台も
の監視カメラが、じぃっと緩慢な動きでレンズを這わせている。
 余程の事がなければそれで見つかりはしないだろうが、全てを検めている余裕は無い。向
かうは一路、実際にリアナイザの製造が行われているラインだ。しかしよほど目的のそれは
奥にあるのか、進めど進めど一行の前に現れるのは人気のひの字すらない部屋──仮眠部屋
や倉庫ばかりだった。睦月達の心の中には、じわりじわりと焦りばかりが蓄積する。
(……本当に改造リアナイザ、此処で作ってるのかなぁ?)
(分かりません。ですが可能性は高いです。もっと、隠された場所なのかもしれませんね)
 カツ、カツ。タンタンタン……。
 時折一列を留め、周囲の安全を確かめる朧丸もとい國子を先頭に、睦月達一行は更に工場
内の奥へ奥へと進んでいく。

「──」
 時を前後して、彼らは暗闇の中でそっと目を開けていた。
 部屋の奥でゴゥンゴゥンと巨大なサーバー機がライトを点して駆動している中、それまで
じっと暗がりの中で微動だにしなかった寡黙な黒スーツ青年が動いた。円卓の斜め向かいに
座り、携帯ゲーム機で遊んでいたゴスロリ服の少女がふいっと顔を上げる。スチャ……。静
かに本を読んでいた黒衣の眼鏡男性がブリッジを触って頁を閉じ、ゆったりとデスクチェア
に座っていた白衣の金髪男性ものそっと、テーブルに置いていたノートPCが映す数列の群
れで出来た女性の顔から視線を逸らし、同じく青年の方を見た。
「シン」
「うん? 何かあったかい?」
 コゥ……。伝わるイメージは広範で、且つ正確。
 暗がりに点在する、広大な敷地内に潜ませた金色の小球(コア)達が一斉に戦慄き始め、
主たる彼に事態の急変を知らせる。
「ああ。……侵入者だ」

 前へ前へ。
 一見すれば整然と区分けされた、しかし似た金属質の色彩や光景ばかりが続き、その実意
図せず分け入った者を大いに迷わせる構造。
 だがそれでも必死にそんな迷路を進み、睦月達は遂に目的が達せられると思しき場所へと
出た。フッと通路が途切れ、視界が開けたかと思うと、前方鉄柵の眼下には辺り一面に広が
る製造ラインがあったのである。
「これは……」
(しっ。大きな声を立てないでください。見つけましたね。おそらく、ここが本丸です)
 今度も念入りに辺りを確認し、睦月と國子以下リアナイザ隊のコンシェル達は慎重に下へ
降りる順路へと忍び足を取った。
 だが妙な事に、警備員らしき姿の人間はまるで見当たらない。ただ各ラインには、黙々と
コンベアに流れてくる完成直前のリアナイザを、部品を嵌めてじゅっと溶接して送り出す従
業員らしき制服姿の人々がずらり並んでいるだけだ。
(……ちょっと、殺風景過ぎやしませんかね?)
(秘密主義の企業だとはいっても、何か怪しいですね……)
(パンドラ。あの作りかけのリアナイザ、改造なのか正規のものか分かる?)
『う~ん、ちょっと難しいですねぇ。もっと近くでじっくり内部構造を確かめるか、或いは
一度起動させてくれればすぐに分かるんですけど……』
 ひそひそ。それぞれのコンシェル越しに、睦月はパワードスーツ越しにパンドラに、そう
呟いたり訊ねたりしていた。同じく声量を抑えて目を凝らすパンドラ。しかし彼女曰く、も
っと近付いてみないと確かな判断はできないらしい。
 流石にリスクが高いが……。
 それでも睦月達は、降りた物陰から更に飛び出し、製造ラインのすぐ傍へと迫った。
 透明化能力はしっかりと効いている。作業しているすぐ傍まで近付いても、目深に作業帽
を被った彼らには一切気付かれていない。
(……?)
 だがふと、睦月はそんな反応に違和感を──ある種の悪寒のような感触を覚えた。
 何だか妙だ。見えないから気付かないというよりも、まるでこの作業員達は、そもそも自
分の意思というものが削ぎ落とされてしまっているような……?
「あ~……疲れた。だりぃ」
「お腹空いたなァ……。ねぇ、晩ご飯まだ?」
「小一時間前に喰ったばかりだろうが……。さっさと新しいの受け取って、休むぞ」
『──ッ!?』
 まさにそんな時だったのである。次の瞬間、はたと別の方向からこの製造ラインへと、明
らかにこの場にはそぐわないであろう二人組が姿を見せたのだ。
 一人はパンクファッションの、如何にも不良ですといった感じの荒々しい男。
 もう一人はそんな彼に従う、丸々と太った巨漢の大男。
 その場違いと、一目見たその只ならぬ威圧感。そして何よりも以前、スカラベの事件の際
に召喚主が話していたというある一節が、睦月の脳裏でにわかに反響する。

『そうしたら一週間くらい前に凄いデブを連れた、柄の悪そうな兄(あん)ちゃんが現れて
そいつを──リアナイザをくれたんだ。』

 ごくり。睦月は思わず唾を呑んだ。コンシェル故にそうした行動は取れないが、彼ら越し
に國子らもおそらく、自分と同じことを思い出している。
 まさか……やっぱり此処は本当に?
 その疑念は殆ど確信に近かった。現在進行形の目の前の光景に、睦月達はやはり此処が奴
らの拠点であるのだと知る。
 全く動じていなかったのである。明らかに部外者のようなラフな格好でラインの只中を通
っているこの二人に、従業員達は注意して摘まみ出しもせねば、気付きすらしない。まるで
彼らがそこに居ることがごく当たり前のように──いや、やはりそういう認識すら持つ事が
出来ていないようなさまだったのだ。
(睦月さん、退きましょう。物証はまだですが、状況はおそらく。今ならまだ……)
 真っ先にそう判断するのは國子。だがそれよりも早く、この二人組は動いたのだ。
「……う~ん?」
「どうした? グラトニー」
「うん。何かね、さっきから覚えのない匂いがするんだァ」
「ほう……? ってことは侵入者か。俺には見えねぇ、けど……」
『ッ!? ……?!』
 立ち止まり、すんすんと鼻を鳴らす肥満の大男。睦月達はその告白にぎゅっと喉元を締め
付けられるような心地に陥って焦った。加えてもう一人の荒くれっぽい男がこの相棒(?)
の向いた方向、睦月達がちょうどラインに迫ろうとしていた方向を見、にぃっと口角を吊り
上げる。
「ねぇねぇ、グリードぉ。悪い奴なら食べてもいいよね?」
「ああ。構わねぇぞ。ただ誰だったか確かめてからな」
「ワーイ!」
 そうして、彼はこの巨漢の相棒に「許可」を出す。
 肥満の大男はだらぁと涎を垂らしながら間違いなく確実にこちらを振り向いていた。睦月
達が半ば本能的にその危険を悟る。刹那、大男の全身が金色の奔流とデジタル記号の羅列か
らなるモザイクに包まれ、その姿が変貌──明らかな異形へと変化する。
 巨大で分厚い顎を持った、大樽のような巨体の怪物。
 それははたして、間違いなくアウターだった。迷彩を纏ったまま、しかしもう半ばその体
を為さなくなった事態の急変で、睦月達は逃げ出そうにもすぐには身体が言う事を聞いてく
れない。のしっと迫る巨体のアウター。その大きく開けた口は、人すら容易く呑み込んでし
まえそうなほど奥底が見えず、恐ろしく分厚く頑丈そうな歯が並んでいた。
「くっ……! こんな……」
「フヒヒッ。いっただっきま~すっ!」

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  1. 2015/09/15(火) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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