日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅴ〔67〕

 それはジーク達が魔都(ラグナオーツ)へ発って数日後──地底武闘会(マスコリーダ)
の予選が行われたその日の夜の出来事だった。
 ホームの酒場。とっぷりと夜も更け、店の扉に「CLOSED」の看板がぶら下がって数
刻が経った頃。明かりも殆ど点さないまま、ハロルドはカウンターの一角で一人静かに酒の
入ったグラスを傾けていた。
「……」
 眼鏡の奥が限られた光を反射して光る。黙したままの彼は、どうやら平素以上に人知れぬ
思案の中に沈んでいるようだった。

『お父さん。私も、皆と一緒に色装を学びたいの』
『……どうして? 私もクランの一員だよ? これから先、ジークさん達が本当に死んじゃ
うかもしれないのに……。私なら、聖魔導師(わたしたち)なら助けられる。その為の支援
部門じゃないの?』
『もういいよ! お父さんが何て言っても私は教えて貰いに行く! 理由を聞いてもちゃん
と答えてくれないのに納得なんてできない! 私だって……守りたい!』

 脳裏に蘇るのは二年前の記憶。“剣聖”の圧倒的な力の一端を垣間見、ジーク君達がその
秘密に迫ろうとしていた頃だ。
 その場には自分も、養女(むすめ)もいた。そして翌日、彼女は自分に彼らの二年の修行
に加わらせて欲しいと頼んできた。
 ……認める訳にはいかなかった。首を縦に振ってしまえば、きっとこの子は自分の秘密に
近付いてしまうだろう。いや、既に剣聖(リオ)やクロムは勘付いていたのかもしれない。
彼が防衛後もこの街に留まっていた時点で、自分達がサミットから持ち帰ってきた宿題が公
になった時点で、何となく予想はついていたのだ。その心算で、この街に来たのだと。
 レナは私の態度に酷く動揺し、そして遂には涙ながらに飛び出してしまった。
 私の頑ななそれに怒りを覚えたのだろうということは重々承知している。だが、ではどう
すればよかったのだ? あの子に色装に近付かれては、この十数年の逃亡が全くの水の泡に
なってしまうのに。
 だからあの子が頼んでくるよりも前、私は先立ってリオと秘密裏に面会した。何とかあの
子には、色装を教えないで欲しい……。
 しかし彼は私の申し出を断った。資格がある者ならば差別はしない。少しでもお前達の中
で高次に辿り着く者が増えれば、巡り巡って自分自身を守れることになる。

『……それに、隠し事をしたまま頼み事をしようという男を俺は信用しない。お前の言う娘
の為とは、本当に彼女の為なのか?』

 正直、あの場で聖魔導の錆にしてやろうかとさえ思った。
 やはり勘付かれている。持つ者だからこそ、私があの子に、イセルナ達に隠し通してきた
ものの存在を既に嗅ぎ取っているのだと思った。唇を噛み、帰るしかなかった。何事もなか
ったように皆と合流し、それまで変わらぬ──しかし変わっていかざるを得ない日常の中で
息を潜めるしなかった。
 結局レナはジーク君達と共に、リオとクロムの指導の下、色装の修行を始めてしまった。
普段は大人しくて争い事を嫌うような子なのに、いざという時は絶対に譲らない芯の強さを
持っている。改めて思った。あの子は私の実娘(むすめ)ではない。私の娘というよりは、
このクラン全体の娘であるのだなと思う。
 ……可笑しくなる。自らが惨めであるという思いに比例して。
 私はあまりに早い内に“諦め”という感情を学び過ぎた。だからこそ、旅の最中で出会っ
たイセルナ達の強い不屈の心に惹かれたというのに、今ここでその精神を娘が受け継いだ事
を呪おうとすらしている。
 話せなかった。話す訳には、いかなかった。
 少しでも綻びをみせれば、魔手は動き出すだろう。願いと誓いはあの日から変わらない。
あの子には、あの子自身の背負った“魂”など知らずに育って貰いたい。……親心であり、
彼らに対する復讐でもあった。目の前の平穏と、置き去りにしてきた過去が互い違いに私の
前に現れ、幾度となく身を引き裂かんばかりの闇を与えた。
 ……まだ、話すまい。口を開いていいのは、本当に気付かれて問い詰められ、切羽詰った
時だ。あの子とこのクランの闘いとは本来直接的な関係はない。私の落ち度で、貫けなかっ
た誓約で、その結束を掻き乱す事はしたくない。
 でも。
 それでも少なくとも、今の内に何とかしておかなければならない者はいる──。

「ここに居たのか、兄貴」
 ちょうど、そんな時だった。独りじっとグラスを傾けながら思考に沈んでいたハロルドの
横から、憎々しく聞き覚えのある声が聞こえた。
 リカルドだった。すっかり寝静まった宿舎の方から酒場(こちら)の裏口を通ってカツン
と靴音を。その服装は非番時のラフな私服ではなく、三柱円架を胸元にあしらった神官騎士
の正装。黒い衣が、深く更けた夜の闇色に音もなく溶けている。
「……」
 ハロルドはちらと目を遣り、じっとこの弟の姿を見ていた。
 とうに団員達(みな)は寝入ってしまった筈だ。なのに自分がここにいると気付き、皆に
気付かれぬよう起き抜け、この場に現れている……。
「そんなに睨むなよ。まるで人でも殺しそうな表情(かお)してるぜ? 兄貴」
 フッ。弟はそう気取ったように苦笑いをしていた。
 仕事ではない場、親しい者にしか見せない地の性格の姿、語り口。兄貴、というその声が
妙に癇に障った。このクランで再会して以来、こいつがそうフランクに自分に話し掛けてく
る時というのは、大抵寧ろ重大な心積もりを抱えていると経験が告げている。
『……』
 暫く、二人はその場で黙り合っていた。
 数小刻(スィクロ)か、一大刻(ディクロ)か。
 体感的には一瞬にも永劫にも思えるようなそんなピリピリとした沈黙の末に、リカルドは
やがてスッとその気安い表情(かお)を顰め、目を細めると言ったのである。
「……来いよ。あんたに、話がある」


 Tale-67.独りじゃない、一人じゃない

 天使(エンゼル)・ユリシズの出現により、地底武闘会(マスコリーダ)は一時中断に追
い込まれざるを得なかった。
 だが肝心のユリシズと、その使役者と思われる神・レダリウスは、仕方なかったとはいえ
共に激戦と逃亡の末に死亡。彼らの動機や犯行ルートなど詳しい事は何一つ判らず、捜査は
急遽招集された万魔連合(グリモワール)と、彼らに激しい非難を以って身内の不祥事を明
らかにするよう求められた天上の神々──神託御座(オラクル)に委ねられた。
 当初これだけの事件が起こり、観客の安全確保の面からも、今年の大会はこのまま中止に
しようという声が少なくなかったという。
 だがそれを寸前で食い止めたのは、他ならぬ大会の興行主たるラポーネ閥(ファミリー)
であった。
 ウル曰く、このまま余所者の武力に屈してしまえば大会そのもの存続に関わってしまう。
狙われたのがミア──クラン・ブルートバード、ひいてはレノヴィン兄弟であり、昨今の現
状から考えて“結社”に関わりのある者達の犯行である事は明らかである以上、尚のこと今
ここで屈するのは世界全体の損失だと訴えたのだ。加えて、本選出場者であるディアモント
とエイカーが、大会の続行を請願してきたのもこれを後押しした。
 故に、繰り返された関係者らの議論と調整の末、大会は中断から翌三日後、無事に再開さ
れることと相成ったのである。

「──ってな訳でな。残りの試合、何とか消化されそうだぜ」
 魔都(ラグナオーツ)の一角にある総合病院。
 それぞれに深手を負ったイセルナとミアは、此処に搬送され入院していた。そんな二人の
養生する病室へ、ここ四日で起きた出来事を教えにダンがやって来ている。
「そう……。良かった。ボクの所為で大会が無くなっちゃったらどうしようかと思った」
「別にミアちゃんが悪い訳じゃないわよ。でも、ラポーネさんも思い切ったわね。周りを説
得するのは骨が折れたでしょうに」
「大方自分の興行を潰されるのが許せなかったんだろ。聞いた話じゃ“結社”への断固とし
た姿勢とか云々言ってやがったが、お偉いさんの理由ってのは案外馬鹿みたいな意地で出来
てるもんさ」
 頭に、胴に、腕に。ミアもイセルナも入院着の上から痛々しい包帯の白さが覗いていた。
自責と安堵。それぞれに見せた反応は違っていたが、少なくとも彼女達の奮闘が無駄になる
事はなさそうだ。
「そう言えばジーク達は? ダン一人?」
「ああ。あいつもアルスも試合だからな。皆先に行かせたよ。見舞いなら俺一人でも充分事
足りるだろ? どうせ一日二日で治る怪我じゃねぇんだ。大会が終わった後にでも改めて来
させりゃいいさ」
 ダンが口元に弧を描いて気丈を見せる。そうね……。包帯だらけのイセルナはそうフッと
弱々しい微笑を浮かべた。魔界(パンデモニム)の空は相変わらず昼間でも薄暗い。窓から
差し込む光量はそれほど不足しているとは思わなかったが、それでも地上での暮らしが当た
り前になっている身だと、されど明るさ一つだけでも気を付けていなければ踏ん張り留まる
心すら萎んでいってしまうかもしれない。
「それで……。肝心の試合はどうなの?」
「ああ」
 ぱちくり。何度か瞬きをし、ミアが訊ねた。ダンもこの我が子に向き直り、言う。
「ただでさえ無理を押して再開してるから、日程やら何やらも変わってるぜ。先ず午前中に
残りの組み合わせ──アルスとエイカー、ジークとディアモントの試合がある。午後からは
決勝だ。あの羽野郎は正式に失格扱いになったそうだ。でも実際問題ミアはあいつにボコら
れてこんなだし、イセルナも食い止める為に戦ってボロボロだ。二人にゃ悪いが……」
「ええ。飛び出した時、覚悟はしてたわ」
「……仕方ない。ボクの力が足りなかった。それだけ」
 結局ダン達の申し出と大会本部の判断により、二人は負傷による棄権扱いとなった。故に
残った選手は四人。本選は、この残る面々から優勝者を選ぶ事になる。
 落ち着き払った様子でイセルナが言う。ミアも、ぎゅっと包帯塗れの拳を握りながらも、
そう自らに言い聞かせるように応じていた。
「そう自分を責めるな。あんなの、あの場で討ち取れた方がおかしかったんだって。正直俺
がイセルナの立ち位置だったら危なかったぞ? 頼みもしてねぇのに一人で背負い込むのは
お前の悪い癖だ。その為の、クランだろ?」
「……」
 全く、誰に似たんだか……。
 ダンにボフッと頭を撫で回されて、ミアはされるがままにじっと黙っていた。
 視線はそんな父を見上げている。表情は相変わらず中々表に出て来ないが、気持ちその瞳
には、信頼という言葉に類するであろう揺らめきが垣間見えていた。
「試合、私達も応援してるわね。皆にも大丈夫だから気に病まないでって伝えて?」
「映像器で観てる。ボクらの分も頑張ってって」
「ああ。もう後はあいつらだけだ。しっかり背中押してやんねぇとな」
 笑って、ダンはひらひらと手を振りながら踵を返した。あれだけの大事件だったが、幸い
二人とも命に別状は無くて安堵した。手を振り返し、じっと視線で見送ってくれる二人を背
に、ダンはそっと扉から出てその引き戸を後ろ手に閉めた。
(その為のクラン、か……)
 背中に扉のひんやりとした感触が伝わってくる。ダンはそう、自身の言葉を心の中で反芻
すると、スッと静かにその目を細めた。
(……イセルナ。お前の言う“家族”は、失敗したかもしれねぇぞ)

 間違いなく事件の影響なのだろう。先日とは違って、観客席にはぽつぽつと虫を食うよう
に空きが見られる。
 コロセウムの北棟・第一リング。三日ぶりに再開された大会は、引き継いだ興奮と先日の
事件の不安、その双方を孕んだ中で始まろうとしていた。控え室のジークや、見舞いに行っ
ているダンを除いた仲間達もこの人々の中に交じり、今か今かと試合の時を待っている。
『皆さん、お待たせしました! 先日は思わぬアクシデントに見舞われましたが……皆様の
ご愛顧により、こうして大会を再開できる運びとなりました。高い所からではありますが、
大会本部を代表してお詫びとお礼を申し上げます』
 実況席の男性アナウンサーが、そう集音器(マイク)越しにぺこりと頭を下げた。
 観客たちの何割かが、そんな彼の方を何となしに見遣っている。いいから速く始めてくれ
と言わんばかりの表情だ。
『……え~、先日からのアナウンスの通り、残り試合に関して多少の変更がございます。先
ずユリシズ選手は身分詐称・規定違反の殺害未遂行為のため失格となります。ミア選手及び
イセルナ選手は負傷により棄権が申請、受理されています。よって本日は、組み合わせにあ
った第三試合と第四試合の勝者から決勝進出者を選び、本年度の優勝者を決定したいと思い
ます。詳しくは入場時にスタッフが配布した書面をご確認ください』
 促されて、観客達もまた手にしたり、荷物に突っ込んでいたそのパンフレットを見遣る。
 そんな彼らを守るように、神妙な面持ちのスタッフらが点々と階段状の通路に配置され、
立っている。加えてそこには剣を下げ、銃を担いだ傭兵も少なからず交じっており、再開に
際してのウル達の警戒具合が窺える。
『では、選手に入場して貰いましょう! 第三試合、エイカー選手とアルス選手です!』
 おぉぉぉ!! 人々の歓声の中、噴き出す白煙の演出を潜って二人が姿を現した。
 一方は小さく舌を舐めずり、ばさついた茶髪を揺らめかせている青年・エイカー。その這
うような視線に晒されているのは、隣で心持ち距離を取りながら併行しているアルスだ。
 二人はリングに上がり、審判の指示に従って規定の間合いを取った上で位置に着いた。ぐ
ぐっと片掌を閉じたり開いたりしているエイカーを、アルスは相棒(エトナ)を伴ったまま
じっと身構える事もなく観察している。
「アルス君……大丈夫かな?」
「何か相手、性格悪そうな顔してるしねえ。あいつも一応魔導師らしいけど」
「“狩人”エイカー、地底層(こちら)では中々名の知れた賞金稼ぎだ。東の──迎心街を
拠点にしている男だったか」
「魔導師同士の戦いか……。ちっとアルスにゃ不利かもしれんな。あいつがどれだけ頭が回
っても、経験の多さって意味じゃ相手の方が一回りも二回りも上だろうしな」
 観客席の仲間達も、思わず心配せずにはいられない。
 レナの呟き、ステラの顰めっ面。リオやブレアが淡々とそんな彼女らの言葉に続き、例の
如く彼の二年間の成果を見極めようとしている。
 それでも、迫るその時は避けて通ってくれる訳ではなかった。やがて審判が二人が位置に
着いたのを確認してリングから離れていき、実況席の方へ合図が送られると、この男性アナ
ウンサーがいよいよ開戦の合図を叫ぶ。
『……準備は宜しいですね? それでは本選第三試合、ヘルバルト・エイカー対アルス・レ
ノヴィン、開始っ!』
 打ち鳴らされたゴングの音と共に、二人の魔導師は早速詠唱体勢に入った。共に魔導を主
軸として戦うタイプの為、それは傍目の観客達でも充分予想はしていたのだが……。
「食い殺せ、我が眷属達よ!」
 先手を取ったのは、エイカーだった。彼は詠唱ではなく宙にササッと呪文(ルーン)を書
きつけ、その割れ目から複数の魔力の狼を呼び出したのだ。
 使い魔……。だがアルスは落ち着いている。この先制攻撃への対処を相棒に任せ、彼は先
ずはともかく、予定通り最初の詠唱を完成させる。
「盟約の下、我に示せ──時の車輪(クロックアップ)!」
 紺色の魔法陣がその身体を通り抜け、瞬間アルスは文字通り“加速”した。エトナが植物
の触手らを操って狼型の使い魔達と相殺するのと同時、彼は一旦大きく跳んで回避。そのま
ま駆け出してぐるりとエイカーの方へと旋回していく。
「なるほどな……。だが想定内だ。お前の色装は既に視聴(チェック)済みだ。あの能力は
厄介だが、そんな精度、数で乱してやる……」
 指揮するように右手を、左手を振るい、狼達が次から次へとアルスに襲い掛かった。
 牙を突き立てる度に、爆ぜる。
 大きく避けなければ無傷ではいられなかった。刻魔導で加速したアルスは、ぶつぶつと次
の詠唱を始めながら、この爆風の合間を縫うように走っていく。
「盟約の下、我に示せ──岩砲の台(ロックカノン)!」
 駆けて行く自分を守るようにして、次々とその足元から岩石で出来た砲台がせり上がって
きた。《花》の一つ連撃強化(プラス)である。牙を剥き、涎を垂らして襲い掛かってくる
エイカーの使い魔達を、この砲台は同じく岩石の砲弾で迎撃し、幾つもの爆発・相殺で以っ
て押さえてみせる。
「ふん。無駄だ無駄だ。そっちの詠唱よりも、俺の召喚の方がずっと速くて多いぞ?」
 しかし当のエイカーはまだ余裕をみせていた。追加で宙に呪文(ルーン)を書き、減らさ
れた分の使い魔達を矢継ぎ早に補充・追加してくる。
『これは開始早々から激しい攻防! アルス選手、エイカー選手からの猛攻に何処まで耐え
られるかー!?』
「……」
 良くも悪くも煽ってくる実況役のアナウンサー。だがアルスは、そんな言葉さえ何処か遠
く余所のものとし、ただ注意深くエイカーからの攻撃を見つめていた。
 事前に予選の録画映像をチェックしたが、想定以上に攻撃の手が速い。魔導には違いない
のだから中和結界(オペレーション)で無力化できるかと考えたが、これだけ素早く、且つ
矢継ぎ早に数を増やせるとなればあまり有効打にはならないだろう。ここはやはり対魔導師
の定石(セオリー)通り、如何に相手に直接的な攻撃を打ち込めるかに考えをシフトさせた
方がいいかもしれない。
(……思った以上に粘りやがる。流石だな。このまま時の車輪(クロックアップ)の効果が
切れるのを待ってもいいが、あの天才児のことだ、下手に時間を与えれば何をしてくるか分
からん)
 故に、そう内心の両者の思考は一致していた。
 エトナの援護を受けつつ、アルスが詠唱を始めている。エイカーもやや遅れてそれに続い
ている。橙色の魔法陣と紫色の魔法陣、二つの魔導が互いの相手を直接撃つべく迫った。
「盟約の下、我に示せ──大樹の腕(ガイアブランチ)!」
「強化(コーディング)!」
「盟約の下、我に示せ──悪魔の顕手(デモンズグラップ)!」
 より太く強く強化され、より合わさった植物の鞭と、禍々しい闇色をした鋭い爪を持つ手
が二人の間に割って入るようにぶつかった。アルスがその腕の指揮でこの植物の鞭を操るよ
うに、エイカーもこの闇の豪腕を、魔法陣の展開された右手とリンクさせて振るう。
 リングが震え、観客達が息を呑んだ。激しく取っ組み合う鞭と手。だがそれも数拍の間、
やがて力押しでエイカーが勝ち、闇の手がそのままガイアブランチを握り潰しながら引き千
切る。
「……っ」
「はは、魄魔導の攻撃力(そのていど)で勝てる訳ないだろうが! 喰らえッ!」
 そして、続けざまに左手をぶんっと振るった。狼型の使い魔達が再び襲い掛かり、エトナ
が先程と同じように操る植物でこれを相殺しようと試みる。
「ぐっ──!」
 ……だが、出来なかったのだ。エトナの援護は確かにこの狼型の使い魔達を捉えていたの
だが、彼らは先と同じように衝撃で誘爆することはなく、ただ弾かれてその内の一匹がすれ
違いざまにアルスの左腕を噛んだのである。
『アルス!』
 仲間達も思わず観客席で叫ぶ。
 しかし、ふらつきながらも立ち直した当の彼を見て、一同も観客達も程なくしてその様子
がおかしい事に気付く。
 ……血が出ていなかったのだ。あれだけ鋭い牙で噛み付かれたと思われたのに、左腕は殆
ど無傷で、だけども心なしかだらんと力なく垂れ下がっているようにみえる。
「アルス」
「……うん」
「ククク。そうだろう、そうだろう。喰らったお前が一番解っている筈だ。俺の《猟》は直
接ダメージを与える訳じゃない。だがその代わりに、噛み付かれた部分を中心としてその感
覚を奪う」
 ざわっ……。エイカーの発言に観客達の少なからずが戦慄した。
 感覚が無くなる。それはこと戦闘において致命的なロストだ。攻撃を避けられなくなる。
それにもしあれが喉にもやられてしまったら、呪文の詠唱すら出来なくなるのではないか?
「理解したようだな。流石は天才魔導師クンだ。そうだ。俺の《猟》は現出型、元からこの
狼の姿なんだよ。だから使い魔も同じ姿で、且つ攻撃用のものにした。《猟》の一撃を確実
なものとする為に、こいつらでたっぷり注意を逸らさせてな」
 そっとアルスがだらりと下がった左腕を触り、エイカーが水を得た魚のように嬉々として
好戦的な笑い声を上げていた。
 フェイク。爆発する狼と、感覚を喰う狼。一見しただけでは見分けのつかないこの二種類
の使い魔達によって対峙した者はじわじわと全身の感覚を奪われ、そして恐怖しながら爆発
する狼の餌食となる。
 故に《猟》。標的を追い詰め、捕食する者の性質……。
「さぁ、存分に逃げ惑え! そして死ね!」
 咆哮。四方八方から狼達がアルスとエトナに向かって襲い掛かった。
 囲まれた。逃げ切れない。必死にアルスは身を捻って駆け出すが、それでも今度は後ろか
ら右脚を噛まれ、正面から爆発に吹き飛ばされる。
「ははは、ちょろいちょろい! アルス・レノヴィン。その首、貰ったァ!」

『──君にちょっと、話があるんだ』
 まだ予選が行われていた頃、エイカーは一人本棟に戻る通路の途中で、見知らぬ男に声を
掛けられた。目深にフードを被った小柄な男。誰何したこちらの問いにも答える事なく、彼
は自分が賞金稼ぎ“狩人”だと知った上で、そう話し始めたのだ。
『レノヴィン兄弟を試合の中で始末して欲しい。おそらく彼らは本選に進むだろう。そこで
彼らを君が仕留めるんだ』
『一方的かよ……。そりゃあ此処は試合で死んでも文句なしってルールだが……いきなり言
われてもはいそうですかとは言えないね。何処の誰とも知らねぇ相手に、そんなリスクを犯
そうとは思わねぇよ』
『……。君は冒険者──賞金稼ぎなんだろう? 報酬なら出す。これは前金だ。受け取って
くれ』
 胡散臭い。だがフードの男はそんなこちらの反応も既に織り込み済みだったようで、そう
言うとひょいと懐から札束を一つ、放り投げて寄越してきた。検めてみる。そしてエイカー
はそこに纏められていた金額の多さに、思わず目を見張ったのだった。
『ご、五十万ガルド……!?』
『これは前金だ。もし成功すれば、更に百倍の上積み──合計五千万の報酬を払おう。どう
だい? 報酬としては、もう少し交渉の余地は残しているけれど』
 唖然とした。見ず知らずのいち賞金稼ぎに、こんな大金を寄越してくるなんて。
 参考までに、大体一億から二億ガルドあれば、国情にも拠るが、小さな国なら一年回せる
金額となる。寄越され、提示されたのはそのおよそ半分だ。よほど上玉の賞金首を獲らない
限り、こんな大金手に入りはしない。
『……本気か?』
『冗談で言う事じゃないと思うけどね。君だって“裏”に接している人間なら知っているだ
ろう? あの兄弟が持て囃される一方、どれだけの人間に疎まれているか』
『……』
 確かに。奴らは既存権力に気に入られ、結社を含めて保守強硬派と正面からぶち当たって
いる急先鋒だ。奴ら一派が居なくなれば、これまで大きく改革・開拓派に傾いてきた世界の
パワーバランスを揺り戻す事ができる。そんな政治的な殴り合いには興味はないが、その対
立軸で儲けが得られるのなら悪い話ではないだろう。
『分かった。奴らと当たれば、再起不能にしてやればいいんだな? 任せておけ。そういう
のなら俺の得意分野だ。食い殺してやるよ』
『そうか。話の分かる相手で嬉しいよ。では本選が始まる前、コロセウム南棟の裏で落ち合
おう。彼らの色装や戦い方について、色々と情報を持ってくる』
『それは有り難い。じゃあそういう事で。約束の金……きっちり用意して貰うぜ?』
 だから結局、彼はこのフードの男の誘いを受ける事にした。
 レノヴィン一派に生きていられては困る者──“結社”のシンパか? まぁこっちが深み
に踏み入りさえしなければどうだっていい。今までも、そうやって稼いできた。
 フッと口元に笑みを浮かべて男が立ち去っていく。此処には単に名を売りに来ただけだっ
たのだが、思わぬ収入が手に入った。
 さて、これから忙しくなるぞ……。
 ちろっと舌を舐めずり、早速彼は今後の金勘定をする。

 ──だが、とどめのつもりで放った四方八方からの爆発狼たちを、次の瞬間、何とアルス
は軽快にステップを踏んでかわしたのだ。這寄の岩槍(アースグレイブ)! 《花》の色装
によって複数、四方八方から走った多数の岩槍は、下から刺し貫いてこの使い魔達をことご
とく爆砕していってしまう。
「なっ……!?」
 エイカーは驚いていた。かわした? 馬鹿な。確かに自分の《猟》はあいつを捉えた。少
なくとも片足をやられてもう満足には逃げられない筈だ。
 なのに、なのに何故立っている?
 何故何ともなく平然と、こちらを向いて見つめている……?
「ふふっ。残念だったねー、狩人さん?」
「使い魔は何も、貴方だけの事じゃないんですよ。貴方の色装が奪ったのは、僕ではなくこ
の子達です」
 言って、アルスは得意げに笑うエトナを背景にそっと左の袖口を捲った。
 するとどうだろう。そこから目を回して転がり落ちたのは──小人だった。手乗りサイズ
の、綺麗な翠色をした三角帽子と服を着た小さな小人達が、ぽろぽろと彼の袖や裾の中から
次々に現れる。
『おおっと!? これは……? アルス選手の服の中から、何やら小さな生き物がたくさん
出てきたぞーっ!?』
「……まさか」
「はい。試合が始まった直後から、ずっと仕込んでいました」
 エイカーの引き攣る顔。それを淡々と一瞥してから、アルスは目を回しているこの小人を
そっと優しく撫でて魔流(ストリーム)へと送還してやった。すっく。起き上がり、彼はゆ
っくりと歩き出しながら言う。
「おかしいなと思ってたんです。起爆して攻撃する、消耗型の使い魔なら、狼型などという
動物の姿ではなくもっと機能的で効率的な姿にした方がもっと対応の幅が広い筈ですから」
 最初からアルスは勘付いていたのだ。尤もそれが兄達から聞いた、大都(バベルロート)
の外壁を守っていた信徒の使い魔(それ)に基づいているとはエイカーも知らない。小人達
がぴょこぴょこと後をついてくる。ある程度気持ち距離を詰めると、アルスは続ける。
「単に個人の好みという可能性も考えましたが、戦略を犠牲にしてまで得られるメリットは
限られています。となれば発想を変えなければと思いました。つまり狼型に“しなければな
らない”理由が貴方にはあるのだろうと考えたんです」
 実際、その読みは見事に当たっていたのである。彼の色装が狼型であって任意に変更出来
ないものだからこそ、その正体を隠す為に使い魔も同じ姿にしてカモフラージュする道を選
んだのだ。少なくとも直接的な攻撃力もなく、その効果がすぐに気取られてしまう性質であ
る以上、回避に専念されてしまえばこの色装を前面に出すような戦法は一定以上のレベルを
相手にするとなれば途端に限定的となる。
「……だから、先ずは様子を探る事にしました。僕の使い魔達を仲立ちに貴方の使い魔とか
ち合わせ、どのような変化を起こすのかを確認しました。問題は、気付かれずにどうやって
その準備をするかだったのですけど」
「……そうか。最初の岩砲の台(ロックカノン)は煙幕かっ!」
 ギリギリ。エイカーは思わず強く歯を噛み締めた。
 ようやく自分が出し抜かれていた事を知ったのである。彼はあの一見迎撃に見えた岩砲弾
とそれらが粉砕された後の土埃の中で、迅速に服の中に小人達を仕込んでいた事になる。
「能力の概要は大よそ掴めました。貴方が直後に朗々と喋ってくれたお陰です」
「ふふん。油断したよねー。お喋りが過ぎたってことだよ、おにーさん?」
「ッ……!」
 断言するアルス、煽るエトナ。
 形勢逆転をみえた展開に、観客達がアナウンサーが驚き、そして仲間達は彼の優れた機転
に安堵と賛辞のエールを送っていた。
「ほっ……。良かったぁ……」
「はは。あいつも中々芸達者になったじゃねぇか」
「いっけー! アルスー!」
 怒りに叫ぶエイカーの猛攻を、アルスは尚も落ち着き払って見極めていた。
 一斉に襲い掛かる爆発と《猟》の狼。だがタネさえ分かってしまえばこちらのものだ。数
が多くて一見すると慌てふためくだろうが、落ち着いて見氣を駆使すればどれがどちらに由
来するものか──内部に構造式を宿しているか、オーラで紐付けされているか判別できる。
《猟》で感覚を奪ってから爆発で攻撃というパターンがあるのだから、先ずは後者の噛み付
きを回避する事に意識を傾ければよい。
「さぁ、手筈通りに。──“隣人たち(スピリッツ)”!」
 そして対するアルスは、従えた無数の小人達をエイカーにけしかけた。
 ワ~ッ!! 豆粒の洪水のような群れが迫って来る。エイカーは鬱陶しいとそのまま踏み
潰してしまえと思ったが、次の瞬間一斉に飛び掛かってきた「小さな小人」により、あっと
いう間に全身に登られてしまう。
「あだっ!? 痛ででででっ!! こ、こいつら、見た目以上に力が……」
「小さくても侮らないでくださいよ。僕の隣人達(ともだち)は優しくて力持ちです。数も
質も、貴方のそれには負けていない」
 小さな小人は、エイカーを跳び付いた身体のあちこちから見かけによらぬ力で殴り、ぶつ
かっていった。
 中位の小人は、ジャキンと何処からともなく身の丈の武器を取り出し、統率の乱れた彼の
狼達を討ち取っていく。
 そして大きめの小人は、詠唱するアルスを守るようにして並び、文字通りその身で以って
討ち漏れた狼達を喰い止める。
「くぅっ……!」
 油断した。この天才少年が使い魔を作れない訳がなかったのだ。
 それにしても。エイカーは思う。
 五十や六十では足りないほどの数を一度に使役し、尚且つこれほど細かい役割分担を、個
性を持たせている。
 ──こいつは一体、どれだけ複雑な構築式を使ってやがる……?
「アルスの代わりに言ったげる。人は一人じゃ生きていけないんだ。自分の使い魔を、仮に
も命を与えた子を只々遣い潰すだけのようなあんたに、私達は負けられない!」
 構想は、二年よりもっと前からあった。
 清峰の町(エバンス)での静養、それまでに必死で乗り越えてきた数々の戦い。
 何度も自分の力不足を思い知った。どれだけ学んでも、技を磨いたと思っても、願った結
果の半分も引き寄せられてはいない。それが悔しくて、何度も自分は駄目だと責め立てた。
 でもあの夏、友人達と一度ゆっくりと自然の中で休息する中で、少しずつ考えが変わり始
めた。サァッと、開けていくような感触があった。
 僕は、僕一人のことしかできない。一人では充分に戦えない。
 でも、だから“皆”がいる。“皆”がいるから、強くなれる……。
「盟約の下、我に示せ──剛伸の樹手(ギノラジア・ジュロム)!」
 全身全霊の。アルスが詠唱を完成させ、螺旋する巨大な樹木の触手がエイカーに襲い掛か
った。やられる──! だが小さな“隣人”達に散々ボコボコにされていた彼は、それでも
食い下がり、寸前の所でこの一撃を回避。指先にオーラを走らせてほくそ笑む。
(ははっ、勝ちを焦ったな! こんな発動直後では満足に回避もできまい。勝つのは俺だ。
このまま使い魔どもを散々に撃ち込んで、欠片も残さず──)
 うん……? だが次の瞬間、彼の視界の端に映る変化があったのだ。
 むくむくむくっと、樹手の先端が大きく腫れ上がり始めている。まさか……。エイカーは
半ば直感的にその正体を察し、だが避ける事など出来なかった。
 ──飛び散った無数の硬い種。
 怪樹の種弾(シードバレット)。高速で種を撃ち出して攻撃する、魄魔導の一つだ。それ
をアルスはこの樹手の中に仕込んで(プラスして)いたのである。無数の種弾がエイカーの
全身を徹底的に叩き、白目を剥いた彼をどうっとリングの上に吹き飛ばさせる。
「……。エイカー選手失神! 勝者、アルス選手です!」
 審判がリング上に駆けて来て彼がもう動かないのを確認し、そう試合終了を宣言する。
 おぉぉぉっ!! 観客達が一斉に歓声を上げ、実況役のアナウンサーも『決まったーッ!
変幻自在の魔導の前に、エイカー選手撃沈! 本選第三試合勝者はアルス・レノヴィン選手
です!』と高らかにアナウンスする。
 観客席で、ステラとクレアが大喜びで互いにパチンと両手を叩き合せていた。リンファや
イヨ、リュカにブレア。ほか仲間達もそれぞれが安堵や喜び、見極めの終了に一息をつく。
「……。ほっ」
 多分に黄色い声が交じる歓声の中、アルスは相棒(エトナ)と手を鳴らし合った。
 ぽんぽんと少々交戦で汚れたローブを叩き、そっと胸元に手を当て安堵の息を漏らして。

「……やられたか。まぁ期待はしてなかったけど」
 そんなリング上の決した勝敗を見下ろして、フードの男──もといヘイトが人知れず観客
席の出入口から踵を返して消えてゆく。


 時を前後して、まだアルスが試合を続けていた頃。
 病院へイセルナとミアの見舞いに行っていたダンは、コロセウムに戻って来てこそいたが
まだ観客席の仲間達と合流していなかった。
 本棟ロビー壁際の導話用ブース。その一角で、彼は気持ちひそひそ抑え気味の声で以って
梟響の街(アウツベルツ)のホームと連絡を取り合っていた。
「……で? あれから二人の様子はどうだ?」
『駄目ッスね。ハロルドさんは相変わらず頑として口を割らないですし、リカルドさんもか
なりの重症です。話を聞くのは難しいかと。ダンさん、こっそり帰って来るとか、無理です
かね……?』
「いくら何でもバレるだろ、そりゃあ。とにかく街の連中や、特にマスコミには知られない
ようにしろ。こっちはこっちで大詰めなんだ。あいつらの邪魔はしたくないし、何よりこれ
をイセルナが聞いたら間違いなく傷に障る。肉体的にじゃなく、精神的にな」
 はい……。導話の向こうで、助けを求めてきていた団員がか細く言った。
 ダンも最初、その情報を聞かされた時は大層驚いたものだ。

“ハロルドとリカルドが、本気で殺し合おうとしたらしい”

 ホームから右往左往の末にイヨの端末へ。事態を重く受け止めた彼女が、現状自分達一行
の、クランの最高責任者──副団長として自分に。
 信じられなかった。だがホームの仲間達や彼女が、そんな性質の悪い冗談を言う理由など
思いつかない。
 五日前、即ちこちらの大会初日が終わった夜から明け方にかけて、突然二人の姿が見えな
くなってしまったらしい。
 留守番の団員達はかねてよりハロルドとただならぬ因縁があるらしい実弟・リカルドの仕
業ではないかと問い質したが、逆に彼の部下である神官騎士達も、いやそちらこそ隊長に何
かしたのでないかと反発したのだ。
 普段は団長イセルナの鶴の一声で一つの集団となっていたものの、元は違う組織・気風に
属していた者達だ。やがて両者は二人が街の何処を探しても見つからなかったのを切欠に、
遂に物理的な衝突を引き起こしてしまったのである。
 取っ組み合いの喧嘩。ハロルドさんを何処にやった? お前らこそ、隊長に何をした?
 不毛だと、最善ではないと何処かで解っていても、一度火の点いてしまった攻撃性は簡単
には収まらない。
 ……いよいよもって、ブルートバードと史の騎士団の決裂か。
 だがそんな時、待ち人は現れたのである。
 どうっ。瀕死の重傷を負って倒れた血塗れのリカルドと、同じくボロボロに打ちのめされ
たハロルド。二人が夜闇の中から酒場の裏口を潜り、帰って来たのだった。
『いいんですかね……? 本当に何も知らせなくて……』
 導話の向こう。ぴりぴり、そわそわとしたクランの宿舎内ではそう受話筒を取る団員とそ
の周りでじっとしていられない仲間達が集まっていた。
 緊急事態の報せを聞いた副団長(ダン)が彼らに下したのは、一時的な隠蔽。
 最初に連絡を受けたイヨは勿論、彼らにこの情報が漏れぬよう緘口令(かんこうれい)を
敷き、事実確認を急がせた。当のハロルドは沈黙を保ったまま宿舎の一室にて幽閉、重症を
負ったリカルドは一命は取り留めたものの、未だ目を覚まさない。
「今知らせて、何か事が進展するか? 事態がややこしくなるだけだろうが。余所の誰かを
巻き込んじまってたら流石に隠す訳にもいかねぇが、話じゃそうじゃねぇんだろ?」
『え、ええ……』
「なら引き続きハロルドから事情を聞き出せ。お前らじゃ荷が重いかもしれねぇがな。俺達
の中で、あいつはある意味一番理知的な人間なんだよ。それがこんな無茶苦茶な手段に打っ
て出るだなんて、よっぽどの理由がなきゃあり得ねぇよ……」
 ダンは言う。だがその一方で、はたして自分達は一体彼のどれだけを知っていただろうか
と思い返していた。
 クランの知恵袋で、御意見番。少々斜に構えているきらいはあるが、決して悪人という訳
ではない。……どうしてこうなった?
 一体何故、そこまでしなければならなかったんだ? そんなにリカルドが憎かったのか?
 内心、後悔していた。二人が再会した時にあったあのギスギスした様子を見ていながら、
知っていながら自分達は彼らが同じ屋根の下に暮らす事を認めてしまった。浅かったのでは
ないか? あいつが教団を抜けた身であるのは知っていたが、そこまでして古巣にいる人間
を傍に置きたくなかったということなのか……?
「……とにかく、大会(こっち)が終わるまでは踏ん張ってくれないか。責任は俺が持つ。
それまでに片が付かない、ハロルドが口を割らないようだったら俺が飛んで帰って一発ぶん
殴ってでも吐かせるよ。……とんだダメージだぜ、こりゃあ」
 状況からして、十中八九、自分達他のクランメンバーが留守の時を狙ったのだろう。その
時をあいつかリカルドか、どちらかが待っていたと考えるのが自然だ。本当に滅茶苦茶な事
をしてくれやがる。たとえ形だけでも、これからは“結束”がなきゃ何も前に進まないって
いうのに……。
『はい。お願いします。それで、例のもう一人の事なんですが』
「うん?」
『どうしましょう? 一応外に漏れないようにってことで滞在して貰っていますが、このま
まずっと引き留める訳にもいかないでしょうし……』
「ああ、そうだな……」
 長い長い嘆息をつく。
 ダンはちらと、天井から下がる試合中継の映像器を一瞥すると、思い出すようにしてまた
一つその懸案について頭を悩ませた。
「“青龍公”ねぇ……」
 七星が一人、竜族(ドラグネス)ら空戦騎士団の団長。
 何故あんたが? 何故梟響の街(こっち)へ?
 彼に対する疑問もまた同じく尽きないが、それでも今暫くはボロボロの二人を連れ帰って
来てくれた彼のことも、当面は監視下に置かなければならないのだろうなとダンは思った。


『大変お待たせしました! 第四試合、ディアモント選手対ジーク選手、準備完了です!』
 リング整備と暫くの休憩を挟んで。コロセウム北棟は再び活気付いていた。
 実況役のアナウンサーと観客達が相互にボルテージを上げていくその眼下。そこには既に
例の如く噴き出す白煙の演出で登場し、リングの上に上がったジークとディアモントが互い
に距離を保って立っている。
 頑張れ~! 観客席からステラが、控え目にはにかんでレナが、仲間達と共にエールを送
っていた。ジークは耳だけでそれを聞いている。
 ザラリ……。紅梅と蒼桜、いつもの二刀を抜いて構えた。対してディアモントは変わらず
悠然と仁王立ちし、何が嬉しいのかニヤニヤと満面の笑みで口角を吊り上げている。
「……先ずは礼を言っとくよ。この前はありがとよ。お陰で、団長を助ける事が出来た」
「何、礼には及ばんさ。俺はあくまで此処に武を競いに来たのであって、場外で争うつもり
はない。お前と拳を交えられること──光栄に思う」
 スッ。素早く複雑な手の動きを経て、ディアモントはゆっくりと両手を構えた。ジークは
じっとそれを観察する。お互い、準備は万端だ。
(拳。武器を隠し持ってる様子もなくてこの構え……。やっぱりミアやクロムと同じ、格闘
タイプか)
「ジーク選手、ディアモント選手、宜しいですか?」
 僅かな間にも相手の特徴を推測する。するとそれまでリング上に立っていた審判がそう確
認をして来て、二人は殆ど同時に頷いた。
 コクリと頷き返され、彼が一旦リングの外へと離れていく。
 合図が伝達され、実況席のアナウンサーが近くの係員に指示を出す。
『では始めましょう! 本選第四試合、ディアモント・フーバー対ジーク・レノヴィン……
開始(スタート)!』
 ゴゥンッ。
 係員らが大きなドラを鳴らした瞬間、二人は地面を蹴った。全身に錬氣を、オーラを纏っ
て力に変え、剣を拳を突き出さんとする。
「っ!?」
 だが一瞬、ジークは相手のそれを見て目を見開いた。ディアモントを覆う彼のオーラが瞬
く間にガチガチと固形化していき、その拳を鱗のような装甲に強化したのだ。
 オーラを込めた二刀と彼の拳がぶつかる。ミシミシと、両者の力が静かな押し合い圧し合
いを繰り返す。
「……それがお前の色装か」
「ご名答。変化型《晶》の色装。自身のオーラを自在に結晶化する能力だ。並大抵の攻撃で
は、俺に傷一つ付けることは出来ないぞ?」
 弾き、再び切り結ぶ。
 観客達がわざめく中で、二人は直後激しい打ち合いに変じた。硬く硬く強化した拳、或い
は視界の外からぐるっと落ちてくる蹴り。ジークはそれを刀身でガリガリと必死に受け止め
ていなしながら、何とか攻撃の糸口がないかを探っていく。
(厄介だな。要するにクロムと似たような能力か。全身を固められる前に、片をつけないと
いけねぇか……)
 相手の突きを受け止め、その衝撃を利用して後ろに跳びながら、ジークは決めた。
 やっぱり小細工は自分の性に合わない。相手も、そういう戦い方は望んじゃいない。
 距離を取ろうとしたジークに、ディアモントが嗤いながら追い縋った。だがジークはその
挙動をしっかりと瞳に宿した上で、左腕を大きく振りかぶり、放つ。
「蒼桜……一分咲!」
「!?」
 瞬間、文字通り爆発的な威力を孕んで膨らんだエネルギーが、一挙にディアモントに向か
って飛ばされた。
 ジークの《爆》の色装。その強化を受けた飛ぶ斬撃である。
 結果、前のめりになっていたディアモントはこれに真正面から位置する事になった。大き
く目を見開き、しかし咄嗟の判断で身体の前面大部分に《晶》を這わせ、この蒼い一撃を受
け止める。
『出たァーッ! ジーク選手の必殺技~!! ディアモント選手、真正面から受けて吹き飛
ばされるゥ!』
 実況役のアナウンサーが叫ぶ。事実、一直線にリングを抉る蒼桜の威力は、これを防御し
たディアモントの身体をどんどんリングの外へと持っていこうとしていた。
「ぐっ……、ぬ、おぉぉぉぉぉぉーッ!!」
 だが皆が次の瞬間、目を見張ったのだ。場外にされるギリギリの所で、何と彼はこの一撃
を耐え切ったのだった。
 ボロ、ボロ。身体を覆った《晶》は大分剥がれてしまっていたが、それでもディアモント
自身に目立ったダメージは無い。
『……た、耐えたーっ!? 何とディアモント選手、ジーク選手渾身の一発を身体一つで耐
え切ったーッ!!』
 おぉぉぉぉ……っ! 観客達から驚愕と賛辞の声が上がる。だが当の本人達は尚も真剣そ
のものだった。ジークはスッと目を細めたもののすぐに残心を解き、ディアモントもニッと
笑みを浮かべて立っている。
「……やっぱ耐えたか。でもあんまデカくすると此処自体吹っ飛んじまうしな……」
「そうだな。だが、中々にいい一撃だった」
 笑っている。しかしディアモントの内心は、その実少なからぬ驚きでざわついていた。
 事前に予選の映像は観たが、恐ろしい少年だ。一分咲──おそらく最小限の出力。それで
すらこうして防御にオーラを集中させなければ危うかった。
 これが“英雄”か。あまり高を括っていては掬われる。
 しかし大よそは理解した。全力で、挑もう……。
「──!」
 そして次の瞬間、ディアモントが更に強力にオーラを練り込んで地面を蹴った。ジークも
これを迎え撃つ。一打、二打、三打、四打。どれだけ堅牢であろうと、剣と拳ではその間合
いに必然の差が出る。
「ぐっ……!?」
 だが、それが落とし穴だったのだ。流れるように繰り出されるディアモントの突きを二刀
を使ってかわし、いなしていく中、はたと彼が返した片方の手を手刀に変えると、そこに纏
っていたオーラがその伸びに呼応するように結晶化。短刀のようになってジークの胸元を切
り裂いたのだ。
「ジーク!?」「ジークさんっ!」
「マ、マスター!」
 どばっと、鮮血が噴き出した。尚もこの機に乗じて迫って来るディアモントに、ジークは
咄嗟に目を見開き、右腕の紅梅にオーラを込め、紅く膨らんだ《爆》を叩き付ける。目の前
の石畳に大きな陥没ができ、濛々と土埃が上がり、二人は距離を取り直す。
「……はぁ、はぁ。なるほどな。そういう使い方も出来るのか。こりゃ厄介だ」
「お互い様さ。さて……次はどんな技を見せてくれるのかな?」

「──だ、大丈夫かなぁ? ジーク、一発貰っちゃったけど……」
「嗚呼、あんなに血が……。傷はどれくらいでしょうか……」
「生体反応(バイタル)、グリーンカライエローヘ。ダメージ、確認……」
 観客席で、仲間達はそんな戦いの一部始終をしかと見ていた。ステラやレナ、オズが心配
や不安でおろおろし、眉を顰めるサフレやグノーシュ達、リオやクロムなどを見遣る。
 ちょうどそんな頃に、ダンが皆に合流した。
 アルスの試合、もう終わっちゃいましたよ──? 振り向いて自席から声を掛けるクレア
に、ダンは「すまん。遅くなった」と苦笑いをしている。イヨが、密かにそれを横目で見遣
って、眼鏡の奥の瞳を揺らめかせている。
「……傷一つで倒れるほど、彼はか弱くはないさ」
「ああ。だがあのディアモントという男……既に気付いているな。クオーツパーティの団長
だったか。ここまで勝ち上がってくるだけの事はある」
 クロムのやや宥めるような言葉に対し、リオは半分誰にともなくといった様子でそう呟い
ていた。眼下のリングでは紅梅の一撃で陥没し、岩埃の上がった場でお互いに何やら語り掛
け、すぐにまたぶつかっていくジークとディアモントの姿がある。
「気付いている? 何がです?」
「能力の性質だ。ジークの《爆》は確かに凄まじい威力を引き出せるが、その反面マナを消
耗する事が前提の能力でもある。だがそれに対してディアモントの方はオーラを結晶化する
能力だろう? 言い換えれば使えば消えていくオーラを、ある程度その場で“保存”できる
んだ」
 あっ……。マルタ以下、観客席の仲間達が彼の言わんとする事に気付き、思わず深刻に眉
を顰めた。つまりジークとディアモントでは、その能力の方向性がまるで逆であるという事
である。
「オーラの消費を前提とするジークと、保存を前提とするディアモント。二人の能力はその
性質を全く異にする。加えて奴の方が冒険者としての経験が多い。……この戦い、長期戦に
なればなるほどジークの不利だ。ディアモントも、それを理解した上で攻撃の威力よりも手
数を優先させている」
「そんな……」
 リオのそんな分析に、レナが口元を押さえ絶句していた。
 眼下のリングでは引き続きジークとディアモントが打ち合いを続け、しかし手刀やオーラ
を飛ばしながら結晶化させて放つ散弾など、刻々と間合いを切り替えていく彼の攻勢に、基
本刀の間合い以上でも以下でもないジークは次第に苦戦していった。
 《爆》を使えば実質の間合いを伸ばす事も可能だ。だが、何よりジーク本人がその乱発が
却って自分を追い詰めるものだと自覚している。
(──しくじった。俺は、とんでもない読み違えをしてたんだ)
 ジークはつい先刻までの自分を悔やむ。一見すればそうだが、彼とクロムではその能力の
本質は全く別のものだったのだ。
 クロムはオーラに重量を付与するだけ。ディアモントはオーラそのものを固めてしまう。
 前者は防御力が故に攻撃力があった。だが奴は、それとは逆に、攻撃力を追求してこその
この硬さなのだと思い知る。
 飛んでくる結晶弾の雨霰を二刀で叩き落し、幾つかを打ち漏らして身体を掠めてもジーク
は再び距離を詰めて駆け出していた。それを見て、ディアモントも射撃を止めながら尚且つ
オーラを両手に蓄え、拳でも短刀でもすぐに取り出せるような体勢を取る。
「……接続開始(コネクト)!」
 駆けながら手首のスナップで紅梅に魔流(ストリーム)を引っ掛け、ジークはその大量の
マナを自分の身体に注ぎ込んだ。
 ドクンッ! 変わらず瞬間身体に走る負荷は大きいが、それでも二年間の修行で自分の導
力も大分上がった。十回から十五回くらいまでなら、耐えられる。
「ぬっ──?」
 突然跳ね上がったこのオーラ量にディアモントは目を見開いたが、それでも歴戦の戦士で
あるからか、すぐに彼は目の前の攻撃に立ち向かう冷静さを発揮した。オーラが瞬く間に結
晶化し、ジークの鋭い一撃も何層にも覆い被さったそれで防いでみせる。
「……ああ、部下達から聞い肉体強化の技だな。だが、その本質がオーラの強化であるなら
ば、同じ事っ!」
 大柄とは思えない身体の柔らかさで、ディアモントは刃状に結晶化した片足を蹴り上げ、
一度ジークを引き離した。
 頬を刃が掠め、ずざざっと石畳の上を踏ん張るジーク。再び地面を蹴った。およそ常人に
は捉え切れない速度。だがそれを、ディアモントは冷静に確実に気配で追い、四方八方から
数度のフェイントを挟んできた彼の一閃を──受け止める。
「っ……!?」
 竜の手だった。竜人態。ディアモントの両手が、次の瞬間竜族(ドラグネス)本来の姿を
顕していた。
 ビクともしない力に防がれながら、ジークは歯を食い縛って顰める。はは。ディアモント
は笑い、もう片方の竜の手で薙ぎ払う。
 ジークは避けた。再び大きく飛び退いて距離を取った。息を切らす。小さな細かい傷が互
いのあちこちに走っている。ディアモントは実に嬉しそうだった。スゥゥ……と、両の竜の
手を封じ直し、彼はジークに語りかける。
「やはり末恐ろしい才能だ。統務院が目を付けるだけの事はある。余計な横槍など要らん。
部下達はことごとく敗退してしまったが、お前と戦えただけで、今年この大会に出た意味は
大いにあった!」
「……そりゃどうも。って、部下? お前も団体で出場して(でて)たのか」
「うん? 何だ、知らなかったのか。各ブロックでお前達に随分と可愛がって貰った筈なん
だがな」
「……。あ~……」
 そういう事か。一々顔など覚えてはいないが、どうやら本選に勝ち上がってくるまでに彼
の仲間達もばっさばっさと倒していたらしい。……特に自分の場合、最後は《爆》で一人残
らず薙ぎ払ってしまったため、そりゃ覚えてないわなぁと思う。
「……ふぅ」
 大きく息をつく。何だか、ジークは急に馬鹿馬鹿しくなった。
 悪い癖だ。つい熱くなってしまう。一旦呼吸を整えて落ち着き、彼はそっと右手の紅梅を
鞘にしまい込んだ。
「? どうした。降参か? お前は二刀流なんだろう?」
「ああ。でも流石に二本同時はキツいんだよ。色々持ってかれるモンが多いからさ」
 何を……? 観客席の人々と仲間達を含め、ディアモントは眉根を寄せて頭に疑問符を浮
かべていた。しかし当のジークはといえば大真面目で、ゆっくりと残った左手の蒼桜を水平
に持ち上げ右手をそっとこの腕に添えると、言う。
「……正直、こいつまで使うつもりは無かったんだがなあ。仕方ねぇか。あんた、バラバラ
になっても恨んでくれるなよ?」

 目を覚ました時には、その風景が広がっていた。
 少し気味が悪いくらい静かで殺風景な灰色の世界。足元は浅い湖面で、同じ灰色に溶けて
いく空の向こうには点々と、無機質で中小様々な塔らしきものが建っている。
 ふぅ……。ジークは静かに呼吸を整えた。服装は先程までのものだが、戦いで傷付いた血
汚れなどは一切なく、何よりいつも腰に差している六華の姿がない。
 当然だ。
 此処はその六華たちの深層世界なのだから。
「おい、俺だ! いるんだろう? 出て来てくれ!」
 まるでそれまで何度も繰り返してきたかのように、ジークは中空を向いて呼び掛けた。
 しぃんと声が反響もあまりせずに掻き消えていく。だが、それから程なくしてコウッと、
彼の周りに六つの──それぞれぼやけて違った色をした光が現れる。
「……あらあら。また来られたんですか?」
 紅い光。それはやがて人型を取り、線目のほわほわとした赤髪の女性へと変化する。
「まぁ、ぼちぼち呼ばれるかなとは思ってたよ。ひひ、残念だったな。紅」
 蒼い光。それはやがて人型を取り、勝気でボーイッシュな青髪の女性へと変化する。
「あまり嬉しそうにするんじゃないよ。僕達は、本来彼らのような人間とは相対するべき者
なんだ」
「う~ん、でもぉ。もう何回も来てるんだし、今更よねー」
「……ヤナギには賛成だけど、厳然たる事実」
「ぬぅっ」
 そして緑の光、金の光、白の光。それらはやがて人型を取り、見るからに生真面目そうな
緑髪の青年に、ふわふわと毛先のロールした妖艶な金髪の年上女性に、朴訥で感情に乏しい
白いぼさぼさ髪の少女にそれぞれ変化した。
 ちゃぷちゃぷ。彼らは湖面を渡り、それぞれの方向からかくして現れた。更にこの五人を
統率するように遠く正面から黒い光が──線目な黒髪の偉丈夫が歩いて来て、言う。
「仕方あるまい。今の我々の持ち主は、この少年なのだ。我々を知り、失うものを知っても
尚、その力を欲するというのなら……もう私は彼を止めぬ」
「……」
 六人。六華の本数と同じ。
 彼らの前に、ジークは神妙な面持ちで立っていた。再び、その絶大な力を借り受ける為に
立っていた。
 ──二年前、リオは自分に言った。色装を習得するのに併せ、六華と語らえと。
 最初は何の事かよく分からなかった。剣と話すと言ったって、どうすれば……?
 だがすぐに糸口ならば思い出す。そうだ。そもそも自分が六華を、護皇六華という聖浄器
を使うようになったのは、サフレとの戦いでリンさんが傷付いて気が動転し、訳も分からぬ
内に此処に迷い込んだからだった。
 つまり語らえとは、この六華の精たちともっと仲良くなれという事ではないか?
 ……いや。
 結論から言えば、彼らは六華の“精”などではない。正真正銘、六華にされた“人”なの
だから。学院のマグダレン教員やリュカ姉、アルスなどに何度も教えを請い、読み慣れない
文献に片っ端からぶつかっていく中で、自分はようやくその真実に気付いたのだ──。
「力を貸してくれ。今、勝たなきゃいけない相手がいる」
 真っ直ぐに彼らを見据えてジークは言った。青年と少女──緑柳と白菊がまだ露骨に嫌そ
うな表情(かお)をみせたが、代わりにひょいっと、青髪の女性・蒼桜がジークの前に跳ん
で立った。
「オッケー、待ってましたよっと……。でもいいのかい? あんまりあたし達を頼り過ぎる
と、あんた……死ぬよ?」
「……知ってる。それでも力が欲しいんだ。もう二度と負けちゃいけない。負けられない」
 繰り返された問答。だがジークは飽きる事なく答え返す。
 そもそもこうして剣を取ったのも、自分に力が無かったからだ。どれだけ平穏な人々の中
に生きていても、その理想に耽溺していても、力が無ければそんなものは簡単に壊される。
悪意があろうとなかろうと、いつだって蹂躙されるのは弱き者だ。
 それに……ここでディアモントに負ければ、この後の決勝戦はアルスとあいつになる。
 兄として、それだけは防いでやりたかった。弟の力を信じていない訳ではないが、やはり
魔導師と戦士では直接戦闘における向き不向きが大き過ぎる。
 あの竜族(おとこ)には、自分が打ち克ちたかった。
 “結社”のヴァハロ、まだ使徒だった頃のクロム。彼らと共通した部分を持つ彼に勝つ事
は、きっと今後の戦いの予行演習にもなるだろう。
「ふふっ。相変わらず変なとこで真面目だなぁ」
 なのに知ってか知らずか、当の蒼桜はけらけらと笑っていた。始めからからかう心算で訊
いたらしい。だがジークはこうしたやり取りはもう慣れっこなのか、ピクリとも表情を変え
ず、ただじっと彼女の顔を見返している。
「オーケー、オーケー。じゃ、あたしが出るよ。他に立候補はいないね?」
 一応他の五人にも確認してみるが、誰も手を挙げる者はいなかった。嬉々。しかしその瞳
の奥には飲み込まれそうな闇を宿し、彼女はスッとこちらに手を差し出す。
「行こうか、少年。……しっかり背負いな」
「ああ」
 がしり。
 そんな彼女の手を、ジークはしっかりと握り返して──。

「……。何だ、あれは……?」
 ディアモントがごちる。それははたしてこの場にいる大よそ全員の総意だった。
 水平に太刀を掲げ、静かに目を瞑ってしまったジーク。だがそれも束の間、彼が目を開い
た瞬間、突然轟と蒼い奔流が辺りに渦巻き、場にいる者達は一斉に戦慄したのだった。
「……」
 ジークが立っていた。
 しかしその姿は先刻までのそれとは明らかに違う。握った蒼桜は異様なまでに強い輝きを
内包し、何より左肩に現れた蒼いモフ、瞳と髪に入った同色のメッシュが彼の印象をガラリ
と変貌させている。
 観客達が、リオやクロム、リュカを除く、仲間達が唖然としていた。
 薄らと開けた目がスッとリング上のディアモントを見据える。ビリビリと、その間近に相
対している彼には、今この青年が恐ろしく濃く巨大なオーラを纏っているのが診える。
「……行くぜ、ディアモント。あんま加減できねぇから必死で守れよ」
 刹那、消えた。いや、消えたように見えた。
 ディアモントが目を見開く。気付いた時には、彼は既に自分のすぐ懐まで入り込んで来て
いたのだ。咄嗟に《晶》を腕や胴に這わせる。彼の色装は、天井を上げれば上げるほど未知
数だが、ディアモントにはまだ何とか防げるという考えがあったのだ。
「──かッ!? ……?!」
 しかし砕かれる。
 文字通り、そんなディアモントの結晶装甲を、ジークの蒼く輝く剣閃は易々と斬り伏せて
いた。引き裂かれて粉々になった自身の結晶が宙を舞う。ディアモントはもろに入った痛み
すら感じる事も忘れて、只々丸く大きく、目を見開いてこの事実に驚愕する他ない。
「ぼうっとしてんなよ」
 それでもジークの攻撃は続いた。軽々と、しかし恐ろしいほどに速く鋭く霞むような蒼い
斬撃が、このディアモントの防御を片っ端から切り裂いていく。

「……な、何? 何なの、あれ!?」
「何か……。ジークさん、人が変わってません?」
「だ、だよね? 何だかジークなのに、ジークじゃないような……」
『……』
 ステラが、レナが、クレアがそれぞれ観客席で狼狽していた。
 あんなジークの姿、見た事ない。それはこの場にいる殆どの仲間達とて同じだった。
 それでも、密かに違う反応をしている者がいる。ぎゅっと唇を結んで不安そうに彼を見つ
めているリュカだ。魔導の専門家として必死に目を凝らしているブレアだ。或いはじっと黙
して微動だにしないクロムであり、両手を組んでスッと目を細めているリオだった。
(どうやらこちらも問題なさそうだな。六華の──聖浄器の完全解放、ものにしたか)
 サンフェルノ襲撃からの帰還後、リュカがシノからの情報を元に六華に施したのは、言う
なれば“部分解放”だった。
 即ち六華という聖浄器の、膨大なエネルギーだけを漏れさせ、一方的に利用するもの。
 だがこの“完全解放”は違う。聖浄器の力の源、退魔の御旗の下に“生贄にされた魂”と
対話することで、聖浄器本来の力を百パーセント引き出すというもの。
 尤もそれは聖浄器という束縛から逃れたい核たる魂らにとって自由への好機であり、復讐
の好機であり、従ってその正式な使用者とは多くの場合短命となるか、戦いの連鎖の末に非
業の死を遂げる。
 ……姉が執着する六華について、聖浄器について文献を読み漁っていた頃、この事実に気
付いて自分はどれだけ戦慄したことか。だがそうした秘密を知っても、ジークはあまり悩ま
なかった。寧ろ知らずに使っていた事を六華たちに詫び、その上でこれからも力を貸して欲
しいと懇願したのだ。
 強いなと思った。同時にそれは、酷く危うい悪路を自ら進む選択でもある。自分が六華の
本来力を引き出せと促したとはいえ、はたしてこれで良かったのだろうかと思う。望むまま
に力を得て、あの子は一体どんな未来に行き着くのだろう。
「……」
 せめてその結末が、彼にとって納得できる世界でありますように。

「こっ……のおぉぉぉぉッ!!」
 吹き飛ばされかける意識の中で、それでもディアモントは戦意を失わなかった。
 勢いに押されては駄目だ。冷静になり、反撃せよ。再び《晶》の装甲を身に纏い、殆ど直
感で捉えたこの無数の斬撃と拳で打ち合う。
 何が起こった? 普段、二刀流で使っていた六華を一本にしたかと思えば突然オーラの絶
対量が増えた。一体何処にそんな余力が? さっきまでは只々マナを消耗するしかない劣勢
であった筈なのに。
 六華。そうか……聖浄器。
 詳しくは分からないが、おそらくその力を更に引き出したのだろう。これだけ見た目をも
変質させるという事は、更に自身にリスクを負った上での強化か。全く、この世界とはまだ
見ぬものが多すぎて嬉しい(こまる)。
「お前が諦めないのと同じように、俺も全力でぶつかる! これが、俺の戦いだぁ!」
 更に両手と頬、背中と竜の手や翼を現し、再度竜人態へ。押されっ放しだった状況が少し
ずつ変化する。
『…………。はっ!? し、失礼。み、皆さんご覧になられますでしょうか? その、何と
いいますか、もう私には解らない状況になっております。ただ一つ、両選手が凄まじい力の
応酬を繰り広げている──それだけが、今の状況です!』
 実況役のアナウンサーがやっと我に返り、こちらを向いた。脂汗を掻いたカメラマン達が
ずいっと一度映像機のフォーカスを彼に向け、そして再びリング上のジークとディアモント
を映した。
 恐ろしく激しい打ち合いが続いている。
 それでも遠巻きながら、必死なのはディアモントの方で、寧ろジークの方は感情を表に出
さないかの如く沈着冷静にこの拳撃を受け返しているように見えた。
「おぉぉぉぉぉぉッ!!」
「……っ」
 ぐるん。そしてはたと、幾発目の拳が空を切った。寸前ジークが半身を返して跳び、彼の
真上に滑り込んだのである。
 ギラリ。蒼い刃がディアモントを襲った。殆ど直感だけで彼はこれに反応し、全力の結晶
装甲でこれを防御、自身を中心にリングを割るほどの巨大な亀裂を走らせる。
「ぬぅ……!!」
 全身が今にも潰されると悲鳴を上げた。竜族(ドラグネス)の本来力を以ってしても、変
貌した彼のオーラはいなすには大き過ぎる。
 ここまでとは……。ディアモントは終始驚かされっ放しだった。これだけ本気を出してい
れば、大抵の相手ならとうに返り討ちに遭っている。なのに実際は寧ろこちら側が押され、
全身にダメージが押し迫る。
 ダメージ。そう、ダメージだ。
 まるでこの心と体、全ての黒い部分を抉り出すように執拗で強烈な、魂にまで染み込むほ
どの破壊力。これが聖浄器の本来の力だというのか? なるほど。あの“結社”が世界を敵
に回してでも欲しがるのも分かる気がする。
「……だが!」
 受け止めるのを諦め、ディアモントはぐいっと重心を気持ち後ろに逸らした。
 轟。振り下ろされていたジークの蒼桜がリングを叩き、遂にひび割れていたそれは完全に
多数のパーツに分かれる。
 だけどもジークは上を見ていた。空を仰ぎ、竜の翼で高く舞い上がったディアモントの姿
を見ていた。
「……お互い、長くは持たんようだな。これで、決着をつけるっ!!」
 轟。全身にオーラを練り上げ、ディアモントが吼えた。両腕・両肩・顔面。およそ上半身
の全てに硬く刃を生やした《晶》の装甲を纏わせ、彼はこの身体を抱いたまま一気にジーク
へと向かって滑降する。
「──」
 しかしジークは、これを待ち構えた。ゆっくりと蒼桜を水平に振りかぶり、膨大なオーラ
を孕んで真っ直ぐに彼に向かって振り放つ。
 それは……あたかも光線のようだった。蒼く輝く巨大な飛ぶ斬撃。それが真っ直ぐに急降
下してくるディアモントを捉え、その姿をあっという間に上空高くへと押し戻したのだ。
「……カァッ!?」
 白目を剥いて仰け反り、ディアモントの纏う《晶》は粉々に吹き飛ばされていた。
 皆が呆然として、目を見開いてその行方を追う。彼はそのまま空を駆けていく蒼桜の剣閃
に叩き付けられ、観客席前面に施されていた防護用の障壁にぶち当たる。
 それでも、その障壁さえも激しくひび割れ、砕けた。悲鳴を上げる人々。どうっと高く上
空から落ちて来た、白目を剥いたディアモント。
 コンクリ固めの通路の一角に、彼は落下した。周囲の観客達が恐る恐る近寄るが、もう彼
はピクリとも動く様子はない。
『…………。な、な、何という事でしょう! まさかまさかの防御障壁すら撃ち抜く強烈な
一撃ィィ! ……はい、はい。え~、現場に駆けつけた係員から連絡がありました。ディア
モント選手、完全にダウンとのことです。故に、最後はとんでもない結末となりましたが、
第四試合勝者はジーク・レノヴィン選手! 弟に続き決勝進出だー!!』
 お、オォォォォォッ!! そしてそんな実況役のアナウンサーの宣言に、じわじわと遅れ
伝染するように観客達が轟くような歓声を上げた。ディアモントに落下された地点の彼らは
ぽつねんと取り残されたように戸惑っていたが、「やった~っ!」と、レナほか仲間達の女
性陣は、混乱と安堵と嬉し涙で互いに手を叩き合って飛び跳ねている。
「あ~……。すっげぇ疲れた……」
 どうっ。
 そんな中で当のジークは、蒼く変貌したその姿を解き、一人リングの上で大の字になった
のだった。


 時を前後して。万魔連合(グリモワール)の会合。
 高く円筒状に延びる天井の中空に、同大集団の長である四魔長を始め、傘下ファミリーの
幹部クラス達がずらりと映像(ビジョン)越しに顔を揃える。
 その中でウルは、現在も試合続行中のコロセウム本部の一室でこの会議を仕切っていた。
周りに政務の部下達を控えさせ、リング上で戦うジークとディアモントの映像を横目にしな
がら、正式に提出された文書に目を通している。
「神託御座(オラクル)からは……やはり目立った回答は無しか」
 呟く。とはいえ、こうなる事は何となく分かっていた。
 外交ルートを通じて抗議し、真偽を問うたが、天上の神格種(ヘヴンズ)達からの回答は
知らず存ぜず。少なくとも神託御座(オラクル)としてこのような襲撃を命じたという事実
は、当然だが無いという。
 それでも……映像越しに見る各ファミリーの代表達は、明らかに不満そうな表情(かお)
をしていた。たとえそうでも、彼らの眷属である天使(エンゼル)が実際に自分達の興行を
妨害したのだから当然の反応であろう。
『やっぱだんまりか……。相変わらず連中は“下々”と関わるのが嫌いだねぇ』
『最早病気のレベルよね。下手に関与して力の源(しんこう)を失うのを避けるとは言って
も、結局あの場で一人消滅した(しんだ)のに』
『レノヴィン君お手柄だったね~。……あれ? でももしかして、逆に恨まれる?』
 セキエイにミザリー、リリザベート。残りの四魔長も彼に続いた。終始ピリピリとした雰
囲気の中にあって、彼女だけは相変わらずのおっとりマイペースだ。
「いや。あの者達の行動は寧ろ後の禍根を最小限に抑えてくれたと儂は思う。あの時あの場
でユリシズと神レダリウス、どちらかでも取り逃がしていれば神託御座(むこう)は今以上
に態度を硬化させ、保身に走っていただろう」
 ウルは言う。
 そうだ。全てが解決した訳ではないとはいえ、少なくとも彼らに向けられた──その巻き
添えを食った自分達に襲い掛かった“刺客”は、速やかに排除されなければならない。それ
で仮に神託御座(オラクル)との関係が悪化しようとも、内心ウル自身は構わないとさえ考
えていた。
 非があるのは──麻痺しているのはあっちだ。
 向こうも今頃は大いに混乱しているのだろうと予想するが、こと武力による威圧に関して
は、先に折れた方が全て持っていかれる(まけ)なのである。
『にしたってよぉ、爺さん。大会を続けるってーのはちぃとゴリ押しなんじゃねぇか?』
『そ、そうです。首領(ドン)』
『先日から我々の下にも、不安や中止を訴える声が続々……』
 神々は当てにならない──。その点では四魔長も傘下の幹部達も概ね一致していた。
 だからこそ、話題は現在再開されている地底武闘会(マスコリーダ)に移る。セキエイは
半ば揺さ振りを掛けるように、気遣うように言葉を向けていたのだが、他の者はそれをウル
の強権に対する非難の切欠としたいらしい。
「……では屈するか? それで得られるものと失われるものを計れ。ユリシズが暴走を始め
たタイミングと、そこから推測される潜入した目的。十中八九、奴らは“結社”の手の者か
或いはそれに与する第三極といった所だろう。それは即ち“結社”は神の力すらもその末席
に加えているということ。大方今回の一件は自分達からそれを暗に臭わせ、件の特務軍に対
する牽制とでもしたいのだろうな。ついでに一人や二人、レノヴィン一派も始末できていれ
ば上々といった所か」
『……』
 ふんと鼻で哂い、口に出したウル。傘下の幹部達は皆、ぐうの音も出ずに押し黙った。
 その読みはやはり間違っていないのだろう。だからこそ彼は大会の再開を決行した。もし
自分達が結社(やつら)の起こす事件に萎縮すれば、地底層だけに限らず世界中にその判断
に流れていく先例を作ってしまうことになる。
 ……それに、既に事は起きてしまったのだ。今頃この一件件は正義の盾(イージス)の長
が一人、セラ・ウゲツが統務院にも持ち帰って地上各国に伝わっているだろう。尤もウルは
そこまで公言する必要性も、メリットも感じなかったため、その情報に関しては結局何一つ
言及しなかったのだが。
『まぁ……そうだがよぉ』
『進んでも地獄、退いても地獄、か……』
『くそっ、レノヴィンめ。こっちにまで厄介事を持ち込んで来やがって』
『う~ん……。どっちにしても“結社”は色々してくるって事だよねぇ。嫌だなぁ』
『……』
 ガシガシとその赤髪を掻き、セキエイがごちる。各ファミリーの幹部達も今更ながら、自
分達がこの世界が置かれた状況に歯痒さを禁じ得ず、或いはジーク達への呪詛を吐く。
 そうした面々のざわつきの中で、ミザリーは思った。思い出す。
 一国の王すら影で操ってしまうほどの組織力と狡猾さ。義妹(いもうと)の国は大丈夫だ
ろうか。
(神格種(ヘヴンズ)までも……。“楽園(エデン)の眼”。一体どれだけ根深い組織だと
いうの……?)

『──さぁさぁ皆さん、大変長らくお待たせしました! 地底武闘会(マスコリーダ)、決
勝戦ですっ! 今年は奇しくも兄弟対決──皆さまご存知、レノヴィン兄弟による戦いと相
成りました。さぁ、本年度の優勝者となるのは、一体どちらなのかっ!?』
 たっぷりと昼休みを挟み、コロセウムの北棟・第一リングは再び満員御礼となっていた。
 実況役の男性アナウンサーは既にハイテンション。集音器(マイク)を通して叫ばれ煽ら
れるその言葉に、観客席を埋め尽くす人々は既に興奮状態だ。
「二人とも~、頑張れ~!」
「が、頑張って。で、でも、無茶はしないで……」
「マスター、アルス殿。後武運ヲ」
「いよいよ決勝かあ。さぁて、一体どちらが勝つのやら……」
 同じく仲間達も、その一角で試合開始の時を待っていた。
 声援、不安、期待。或いはそれぞれの思惑による沈黙など。この数日の間に起こったあら
ゆるものが、きっとこの戦いの後には大きく表面化するのだろう。
 ジークとアルス。兄弟二人はじっと向き合いリングの上に立っている。
「……その、兄さん。身体の方は大丈夫なの?」
「そうだよ~。ディアモントとの試合、かなり暴れ回ったらしいじゃない」
「ああ。平気平気。一回寝たし、たらふく食ったし、霊石も何個か使って体調ならばっちり
だ。……まぁ、レナには泣かれながら治療されたけどな」
「あはは……」
 午前中の激戦を心配した弟達に、ジークは努めて笑っていた。両腕を組んで余裕といった
風にその場に立っている。アルスは苦笑いを零した。安堵せども、その激戦となった理由の
一端が予想できてしまっているからこそ、心からは笑えない。
「お前こそ……いいのか? 今なら降りてもいいんだぞ? もうリオから出された優勝って
いう課題はクリアしたようなもんだしな」
「兄さんは優しいね。でも降りない。僕は兄さんと戦ってみたい。最後まで、自分の全力を
尽くしたいんだ」
 ……そっか。小さく嘆息をつくジーク、微笑むアルス。気遣いは無用らしかった。この弟
の向けてくる笑みと決意は本物である。
「なら、俺も本気でヤるぜ? 簡単に折れてくれるなよ?」
 ザラリ。懐と腰から、それぞれ白菊と蒼桜を抜いた。普段とは違う、左手の短刀と右手の
太刀の二刀流だ。
 アルスがエトナが身構えた。軽く握った拳を口元の前に出して隠すようにする。二人の間
に立っていた審判がこれらを見て、リングから下がる。合図が伝達され、実況役のアナウン
サーががしりと集音器(マイク)を握り直すと訊ねた。
『どうやら準備が整ったようです。両選手、宜しいですね?』
 二人は向き直らずに身構え、黙っている。身体全体で示すイエスだ。ごくり……。観客席
の人々が、仲間達が固唾を呑んで見守った。あちこちから撮られる映像機越しに、戦いの始
まりは世界各地に配信されている。
 アナウンサーが大きく息を吸った。係員らが吊り下げられたドラに向かって撥を振るう。
ジークとアルスはぐっと両脚に力を込め、その瞬間から同時に動いた。
『それでは決勝戦、アルス・レノヴィン対ジーク・レノヴィン。開戦の……ゴングっ!!』

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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