日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅴ〔66〕

 天上層の一つ、古界(パンゲア)某所。
 七星の一人“青龍公”ことディノグラード・F(フランシェス)・セイオンは、とある人
物からの呼び出しを受け、此処ディノグラード公爵家本邸へと帰って来ていた。
 正真正銘、貴族の最上位。
 しかしこの一族は、竜族(ドラグネス)という事もあり、家名の大きさの割には質素倹約
を旨としている。今彼が歩く、長々と続く廊下は昼の陽だけを利用して少し薄暗いくらいで
あり、調度品も時折花瓶に生けられた花や絵画がぽつんぽつんと現れるだけである。
「セイオンです。呼び出しに応じ、参上致しました」
『ああ。待っていたよ。入ってくれ』
 世間では黄色い声も含めて賞賛を掛けられ、仰がれる事の多いセイオン。
 だがそんな彼は、今この時、その生真面目な表情(かお)に一層の緊張を貼り付けて足を
止めていた。突き当たりの大きめな扉をノックし、中から老人らしき声が返って来る。
「……失礼します」
 緊張を態度には出さず、しかし纏う雰囲気には否めず。
 セイオンは意を決してドアノブに手を掛けた。ギィッと年季の入った軋む音がし、彼は中
で自分を待っていたこの人物と対面する。
「──」
 ゆったりとした広間。そこにはロッキングチェアに座る、一人の竜族(どうぞく)男性が
微笑んでいた。
 長い歳月を生きてきたと分かる、顔や手にびっしりと刻まれた皺。
 白地に藍や黒のギザギザ文様を裾に襟にあしらった、竜族伝統の着物。
 ディノグラード・ヨーハン。世間的には“勇者ヨーハン”と呼べば分かり易いだろう。
 そう、彼こそセイオンの母方の高祖父であり、かの志士十二聖の一人、その本人である。
 今年でおよそ千二百歳。平均千年の寿命である竜族(ドラグネス)の中にあっても彼はか
なり長寿な部類だ。千年前のゴルガニア戦役(解放戦争)を戦い、今日のディノグラード家
の礎を築いた彼は一族から“大爺様”と呼ばれ、今も強い影響力を持っている。
「よく来てくれた、セイオン。どうだい? そっちの仕事は順調か?」
「……はい、お陰様で。それで大爺様。緊急の用というのは、一体……?」
 それでも彼の生来の性格は穏やかで、先ずは久しぶりに顔を合わせた玄孫との雑談と洒落
込もうとする向きさえあった。
 うむ……。そんな年寄り心をいざ知らず、早速本題に入ろうとするセイオンに、ヨーハン
は一度軽く目を瞑ると、傍に控えていた付き人達を退出させた。
「これを見てくれ」
 リモコンを操作し、彼は壁に取り付けてある大型の映像器の電源を入れた。
 どうやらこれは録画した映像のようだ。画面にはちょうど、闘技場のような場所でジーク
が大歓声に迎えられながら、他の選手達と共に入場していく姿が見て取れる。
「地底武闘会(マスコリーダ)ですね。どうやら剣聖(リオ)がこの二年、彼らを鍛えた総
決算を兼ねて出場させていると聞きました」
「らしいの。だがセイオン。今日お前を呼んだのはこの──レノヴィンではないのだ。少し
ばかり、早送りするぞ」
 セイオンの淡々とした受け答え。するとヨーハンは苦笑(わら)い、またリモコンを操作
する。試合開始前、緊迫して互いに身構える選手達の姿が映し出されている。加えて今か今
かとその瞬間(とき)を待ち、ボルテージが上がる観客席の人々も──。
「ここじゃ」
 はたと。ヨーハンはそんなとある一シーンで映像を止めた。
 ぐるり観客席を映していたフォーカス。そこにはリオとイヨら侍従関係者、そして金髪と
銀髪の少女──レナとステラがそれぞれ息を呑む様子で眼下に目を凝らしている様子が映り
込んでいる。
「……セイオン。お主はクラン・ブルートバードと縁があるそうじゃな?」
「はい。直接会ったのは皇国(トナン)擾乱の際くらいですが……」
「ならば聞きたいんじゃ。ここに映っておる、この鳥翼族(ウィング・レイス)の女子は何
者なんじゃ?」
「鳥翼(ウィング)……この金髪の少女ですね。確か、レナ・エルリッシュという名です。
クラン幹部の一人の養女だと、記憶していますが」
 セイオンは内心訝しまざるを得なかった。実際、答えるその目は静かに細められ、言葉尻
にも「それがどうした」がじわりと滲んでいる。
 何故レノヴィンではなく、この娘(こ)なのだ?
 大爺様は何故わざわざ自分を急ぎ呼び出してまで、そんな事を……?
「……そうか。それ以上の事は知らんのじゃな?」
「はい。この話も半分は又聞きですので」
「そうか……。ならばセイオン、至急この娘について詳しく調べて来てはくれんだろうか?
もし当人が承諾すれば、一度直接会いたい」
「……構いませんが。しかし大爺様、何だというのです? 確かに彼女はブルートバードの
一員ですが、貴方様がそこまで彼女に拘る理由は──」
「うむ……そうだの。まぁよい。元よりお前には話すつもりで呼んだのじゃ」
 近こう。促されて、セイオンは椅子に座ったままのヨーハンのすぐ前まで進み出た。
 先刻の人払いも然り、やはりあまり大っぴらには出来ない事情か……。
 それでもセイオンはこの時まだ分からなかった。想像もしなかった。解放戦争を戦い抜い
た程の英雄が、これほどまで拘り、焦る理由など。
「実はな……」
 若干ひそひそ声になり、ヨーハンが話し始める。
 セイオンは、それをあくまで真面目に傾聴しようとする。
「──ッ!?」
 紡がれた理由(ことば)。
 故に次の瞬間、彼は予想外の事に言葉を失い、目を見開いたのである。


 Tale-66.御遣い達の輪舞曲(ロンド)

 魔都(ラグナオーツ)内に取った宿に一泊し、翌日ジーク達は再び丘の上のコロセウムへ
とやって来ていた。大会二日目。今日からはいよいよ本選が行われる事になっている。
「今日も賑わってるな」
 本棟ロビーには既に多くの人々がチケットを買い求め、試合開始の時を待っていた。
 天井から下がった複数の映像器には、先日決まった本選の組み合わせが表示されている。
詳細は次の通りだ。

 本選第一試合:アドバール・キャメル対イセルナ・カートン
 本選第二試合:ミア・マーフィ対ユリシズ
 本選第三試合:ヘルバルト・エイカー対アルス・レノヴィン
 本選第四試合:ディアモント・フーバー対ジーク・レノヴィン

「……一先ず、いきなり同士討ちって事にはならずに済みそうですね」
 ホッと、じっと映像器を見上げてからレナが心底安心したようにはにかんだ。
 だがジークやダン、アルスといった面々は言葉なく苦笑う。それでも勝ち残ればいずれ当
たる事になるのだから。尤も、昨日のような数ばかりの予選とは違い、今日からの戦いは各
ブロックを勝ち残った猛者揃いだ。実際何人が決勝へと駒を進められるかは悲観──少なく
見積もっていた方が良いだろう。
「優勝まであと三勝、か」
「午前に四試合、午後に二試合だったよね。勝ち残れば勝ち残るほど、連戦になっちゃうの
かぁ……」
 ジークが呟く後ろで、うーんとステラが口元に手を当てて誰にともなく思案している。
 その通りだ。この先はただ勝てばいいだけでは終わらない。優勝という目標がある以上、
如何に余力を残し、より強敵になる筈の後半戦に備えるか──もっと言えばどれだけ手の内
を温存したまま戦えるかが一つの鍵となる。
「ま、勝たなきゃ始まらねぇよ。出し惜しみして負けたら見極めも何もねぇしな」
「……そうね。私達はこのまま控え室に行くけど、皆はリオさんやクロムと一緒にいてね?
応援宜しく」
「はい。勿論」
「イセルナさん達の戦い方、しっかりと見せて貰いますよ」
 ちょうど、そんな時だった。
 マルタとサフレが、笑顔で微笑で応じた次の瞬間「うん? イセルナ?」と周りの人ごみ
の中から確かに男性の声が聞こえたのだ。ジーク達もそれに気付き、何だろうと声の方を見
遣る。
「お? おお。やっぱりブルートバードか! やっと来たか!」
 呵々。そう笑って人ごみを押し除けて出てきたのは、胴着風の衣装の上に胸当てなどの軽
い防具を纏う、隆々とした竜族(ドラグネス)の男性だった。
 ハッとなってジーク達が思わず身構える。思い出す。
 間違いない。彼は本選の相手、予選第一ブロックの勝者“金剛石”のディアモントだ。
「んだよ? そんな警戒するなって。俺達は試合に来たんだ。場外でやり合おうなんざ無粋
な真似はしねぇよ」
 呵々。なのに当のディアモント本人はこちらの態度を意に介す事もなく、ほうほう? と
一同を──特にジークとアルスを上から下まで眺めていた。
『……』
 試合前の挨拶、といった心算なのだろうか。
 見ればその後方ではじっと、ツンツン頭の魔導師風の青年と、一人の老人を伴ったハーフ
ヘルムの少女がこちらを睨み付けるように立っている。
 昨日チェックした各試合の映像、その記憶が正しければ、彼らもまた自分達と同じ本選出
場者のあった筈だ。
 第三ブロック勝者、魔導師“狩人”のエイカー。
 第五ブロック勝者、ダンとグノーシュを出し抜いた少女戦士・キャメル。横に立って顎髭
を擦っているあの老人は、身内か何かか。
(……マスター。あの女の子、被造人(わたしとおなじ)です)
(何? そうなのか?)
(はい。同族の気配を感じます。多分向こうも気付いてると思いますよ? でも……何だか
凄く張り詰めてる感じです。場所が場所だけに、かもしれませんけど)
 ジークとアルスがさもディアモントに見定められている間、ひそひそとマルタがサフレに
そう耳打ちをしていた。
 イセルナがリオが、それを横目にちらと見遣って聞き拾っている。
 されど自身がそうであると登録の際に申告し、大会規定に対して不備がない以上、ここで
咎めても詮無い事だ。何より露骨なライバル潰しと見なされ、不利に働く可能性もある。
「いやぁ。昨夜の試合の映像、見たぜ? 凄かったなあ。見てみれば組み合わせ、お前と当
たるみてぇじゃねえか。楽しみにしてるぜ?」
「……おう。精々覚悟しとけ」
 ははは! バシバシと笑いながら肩を叩かれ、ジークは無愛想なジト目でこれを受けるし
か出来なかった。隣のアルスも引き攣った苦笑いで助け舟も出せずにいる。
 別に心底嫌という訳ではない。確かに鬱陶しいのは鬱陶しいのだが。
 それでもこのディアモントという男の人徳なのだろう。彼に悪意がない事は何となく解っ
ていた。ただ正直に試合を楽しみ、互いの武を競いたいと願っている。
(……ったく。ヴァハロといい、こいつといい、何でこう俺の知り合う竜族(ドラグネス)
はアクの強い奴ばっかりなんだ……)
 そんな時だった。
 仲間達も苦笑いし、はて戦いというのはこうも娯楽だったかとジークが内心悶々としてい
る所へ、カツカツと靴音を鳴らしてウルとその取り巻き、係員達がやって来たのだ。
「よう。大方揃い踏みのようだな」
「あ。おっ、おはようございますっ!」
「みたいですね。? その人は──」
「ああ。その為に顔を出したんだよ。ほれ」
 レナやイヨがぺこりと頭を下げる。その横でイセルナが目敏く見知らぬ者の存在を問う。
 咥え煙草を挟んだまま、ウルが言って促した。カツンと、取り巻きの中に控えていたその
人物が、サッとジーク達の前に進み出てくる。
「お久しぶりです、ジーク皇子。ブルートバードの皆さん」
「ウゲツさん!?」
「おお、あんたか! 軍服着てねぇから一瞬分からなかったぞ」
 そこに立っていたのは、十人程の部下らしき面々を連れた元ギルニロック副署長・ウゲツ
だった。ジークがダンが、あの時地下の監獄で出会った記憶と共に目を見開き、喜ぶ。
 ぺこりと改めて彼はジーク達に頭を下げて礼をした。再びウルが横に並び、事の経緯を話
してくれる。
「昨日、ひょいっと手下を連れて現れやがってな。大方、槍聖(レヴェンガート)の差し金
だろう。統務院が地底層(こっち)に手を出せないと分かっていて、それでいてあくまで私
人としてこいつらを遣って来やがった」
「……否定はしませんが。でも、個人的に心配だったのは事実ですよ。長官と主席からお話
を聞いた時、すぐに招集に応じようと思ったんです」
 曰く正義の盾(イージス)も、ジーク達の地底武闘会(マスコリーダ)出場に少なからず
焦りを覚えたらしい。
 何かあったら──“結社”の刺客がいたらどうするんだ? 特務軍というワードはウゲツ
からも出なかったが、そちらの編入に対する懸念もあったのだろう。
「ラポーネ殿と協議し、私達もコロセウム内の警備に加わらせていただく事になりました。
ですので皆さん、安心して修行の総決算を飾ってください」
「……ああ」
 もう当然ではあるのだろうが、やはりリオが自分達を出場させた意図は各勢力が大よそ把
握しているらしい。
 ジークはダンを始めとした仲間達と、互いに顔を見合わせてから頷いた。元より目標は優
勝だ。一層、刺客相手も含め全力を尽くすのみである。
「ほう……『四陣』の一角がお出ましか。やっぱ大物なんだなあ」
「……周りが騒ぎ立ててるだけだ。俺は何処までいったって俺だよ」
 つっけんどん。ディアモントの嗤いにジークは振り向かずに言う。
 じ、ジーク様……。イヨが立場上、あまり宜しくないという風な表情(かお)をしていた
が、構う事はない。血筋だろうが何だろうが、実際後から判って付いてきたものだ。正直そ
んなもの、自分にとっては枷でしかない。
「ふん。それを聞く耳持たぬのが身分って奴よ。……まぁいい。ついでだ、本選に出る連中
はついて来い。控え室に案内させる」
「どうぞ。こちらへ」
 解るが賛同する訳にはいかない。ウルは小さく嗤い、話題を変えるように言った。取り巻
きの中にいた係員達が、ジークとアルス・エトナ、ミアとイセルナを誘導してくる。
「おう。それじゃ、行くか……」
「うん」「お~っ!」
「き、気を付けてくださいね?」
「頑張れ~! 他の奴らなんかぶっ飛ばしちゃえ!」
「……うん。頑張る」
「それではリオさん、クロムさん。ダン」
「ああ。行って来い」「おう。こっちは任せとけ」「……気を抜くな」
「ディアモント選手、エイカー選手、キャメル選手。お三方もこちらへ」
「ん? おう。今行く」
「ああ。わーってるよ」
「……」
 ユリシズを除く、本選出場者七名(エトナを含めて八名)。
 いよいよジーク達は係員らに案内され、仲間達と人ごみに見送られながら、その場を後に
したのだった。

『──皆さん長らくお待たせしました! 地底武闘会(マスコリーダ)二日目、本選の始ま
りですっ!』
 予選とは打って変わって、本選は一戦ずつ北棟・第一リングで行われる。
 あくまでふるいだった昨日とは違い、有力選手が出揃うからに他ならないのだろう。高台
の実況席にて集音器(マイク)を握る女性アナウンサーの声にも、自ずと熱が入っている。
『先日、各ブロックを勝ち抜いてきた八人の猛者達。本選では彼らによる一対一のトーナメ
ント方式で戦って貰います。さぁ、一筋縄ではいかないライバル達を破り、明日の決勝戦に
進むのは一体誰なのか? 早速第一試合の選手に入場して貰いましょう!』
 オォォ……ッ! 沸き立つ観客達と共にこの彼女が合図をすると、派手な白煙の演出で以
って本棟方面の地下通路から二人が現れた。イセルナと、その対戦相手のキャメルである。
二人は互いに相手を見遣る事もなくゆっくりと石畳の道を歩き、リングの上に上がると、控
えていた審判によって規定の位置に間を取って立たされ、それを確認した彼がすたっと場を
去っていくのを黙して見送る。
(被造人(オートマタ)、ね……。こういう場に出てくるって事は、ほぼ間違いなく戦闘用
の子なのでしょうけど)
 腰のサーベルに片手を乗せたまま、イセルナは先ずじっとこの対戦相手を観察していた。
 本棟ロビーでマルタが耳打ちしていた話。同族としての勘、共鳴(シンパシー)とでもい
うのか。おそらくその見立ては間違ってはいないのだろう。実際こうして、対峙してみて分
かる。
 彼女は、ヒトにしては、どうにも溌剌とした感情に欠けているように思うのだ。
「よいか? キャメル。お前の全てを出し切り“蒼鳥”を倒せ。“紅猫”と“狼軍”を破っ
た時のようにな」
「……了解。マスター」
 だから次の瞬間、彼女に向けられた言葉と人物を見、なるほどと思った。
 見れば彼女の後ろ側──リングに最も近い位置の観客席、縁際の辺りに一人の老人が立っ
てそんな指示を送っている。イセルナは思い出していた。あの時、彼女の隣にいた人物だ。
(ただの付き添い、ではなかったみたいね……)
 ザラリ。長方形の盾の裏から抜いた剣を握り、キャメルがじっと構えを取り始めている。
イセルナはそっと目を細めた。
 今回武器はさほど重要ではない。問題はあの頭、ハーフヘルム。
 ダンとグノーシュをリングアウトにしたあの技は、おそらくこの兜の片目、宝玉部分に魔
導具としての本体があると思われる。
(クロムさんの目星では、転座の法(リプレイス)の魔導だと言っていたけれど……)
 さて、先に厄介なあれを破壊しようにも出来るものか。その性質上、狙うには一苦労しそ
うではあるが……。
「頑張れ~! イセルナさ~ん!」
「俺やグノの仇、討ってくれよな!」
『それでは両選手、準備は宜しいでしょうか?』
 分かってるわよ……。観客席から聞こえてくる仲間達の声に苦笑(わら)い、されどすぐ
に実況役の声を聞いて真剣な表情に戻り、彼女は抜刀の構えを取った。
 観客達がごくりと息を呑み込んでいる。キャメルが微動だにしない構えで相対している。
 人々にとり、間違いなく大一番だ。早速ブルートバードの長が登場。決勝進出に向け、予
選で大番狂わせを成したこの少女戦士と相見える格好となった。
『それでは本選第一試合、アドバール・キャメル対イセルナ・カートン、開始ッ!』
 轟。開戦のドラが鳴らされた瞬間、目にも留まらぬ速さで両者がぶつかった。
 轟。会場が震える、目には見えない寒さが人々の間を駆け抜けていく。《冬》の色装だ。
 だが当のキャメルはまるで物怖じしていない。開始直後のタイミングに地面を蹴り、抜刀
したイセルナのサーベルと激しく剣を交じらせている。
「……。ふっ!」
 刀身の大きさで勝る彼女の剣の縁をなぞるようにしながら、イセルナが動いた。相手の力
を巧みにいなし、鋭い一閃を叩き込むのだ。
 しかし相手も相手である。キャメルはこれを恐れもせず半身を捻りながら更に攻撃し、或
いは盾で受け止め且つイセルナの視界を塞ぐ。互いに入れ替わり立ち代わりしながら、二人
は激しく剣戟を散らせていく。

「……妙だな。あいつピンピンしてるぞ? ぼちぼちイセルナの雪が、身体に回り始める頃
合だと思うんだが」
「おそらく彼女には効果が薄い筈ですよ。彼女は被造人(オートマタ)だ。それも、十中八
九戦闘用の」
「何っ?」
 繰り広げられるその打ち合い。それを見ていてふと疑問を口にしたダンに、サフレがぽつ
りと言った。驚く彼やグノーシュに、マルタが思わず申し訳無さそうに苦笑いをする。
「その……ロビーで見かけた時に感じたんです。あ、私と同じだって。でもあまりあげつら
うのも悪いですし、マスターにはこっそり伝えたんですけど……」
「多分、イセルナさんの《冬》の侵食速度よりも、彼女のオートマタとしての自己修復能力
が勝っているのでしょう。戦闘用となれば、その辺りも当然強化してある筈だ」
「……なるほどな。ではあの老人が、彼女の創造主といった所か」
「ちょ……。それって卑怯じゃない? 再生能力とか、先ずヒトだと無理じゃん。ていうか
オートマタって大会に出ていいの?」
「問題ない。被造人(オートマタ)は大会規定でも一種族としてカウントされていた筈だ。
私も以前、此処で機人(キジン)の選手と戦った事がある」
 クロムの呟き。ステラの焦りと抗議の入り交ざり。
 だがリオは変わらず、席に座ったままじっとイセルナとこのオートマタの戦士との剣戟を
見守っていた。マジかよ……。ダンの静かに突っ込みに、伊達に当代最強と呼ばれるこの剣
豪は微動だにしない。
「そういうルールなら、仕方ないですね」
「いいのかなぁ……? 持ち霊もそうだけど、ぶっちゃけあった者勝ちみたくならない?」
「戦いとは常に平等な条件ではないさ。その意味では確かに、この剣闘大会はレベルが高い
と言える」
「尤もその創造主から力の供給を受けているなどとなれば、選手以外の助力となりルール違
反にはなるがな。だが見た所あのオートマタにそのような回路(パス)は診えん。そもそも
あの興行主(ウル・ラポーネ)がそんな抜け道を見逃すとも思えんしな」
「う~ん……」
「それよりも心配なのは、ダンとグノーシュさんを場外にしたあの技だよ。界魔導だっけ?
あの手のものは、使い方次第じゃかなりやり難くなるからね」

「ふふふ……無駄じゃ無駄じゃ。既にお前さんの能力は把握済みじゃよ。遅効性の毒程度で
キャメルを、儂の最高傑作を止める事など出来ん」
 事実、シフォンが口にしていた懸念は遠からず当たっていた。剣戟が続いている。だが相
手は魔力(マナ)さえあれば疲れ知らずで、凡庸に在る恐怖心も持っていない。イセルナは
少しずつ、だが確実に押し返されていた。
 老人──キャメルの創造主(マスター)・アシモフはそう語りかけ、ほくそ笑んでいた。
 無論、こちらの《冬》が効いている様子がないのはとうに解っている。イセルナは次々に
打ち込まれるキャメルの剣撃を黙々と捌いていた。じっと、反撃の機会を窺う。
「──はぁッ!!」
 瞬間、彼女の懐に飛び込む。振るわれた剣をかわし、盾の裏と身体の間に入り込み、その
切っ先が首筋寸前まで届こうとする。
「……!?」
 だがその一閃は空を切っていた。次の瞬間イセルナの前からキャメルの姿が消え、同時に
背後から彼女が振り向きざまに斬り掛かってきていたのだ。
「っ──!」
 間一髪、イセルナはこれを姿勢を低くしてかわす。同時に下段からの切り上げをもう一度
打ち込みつつ、相手との距離を取り直す。
「ほう? 中々。流石は女だてらに団長を任されている訳ではないか。まだそれほどの動き
が出来るとはな」
「……」
 キャメルがざざっと両脚を踏ん張って顔を上げ、じっとこちらを見据えていた。イセルナ
もそっと、サーベルを正眼に構えて応じる。
(これが転座の法(リプレイス)ね。理解したわ。互いの場所を入れ替える……厄介な魔導
を仕込んでくれたじゃない。下手に攻め入っても、全てカウンターを取られる訳か……)
 ダンやグノーシュはこれにやられたのだ。場外に飛び込んだ直後、発動して場所を入れ替
えてやれば、相手のリングアウトの出来上がりとなる。それだけではない。本来の正当な使
い方を考えれば、あれはカウンターに特化した戦法を組み立てるのにとても適している。
(とにかく一旦攻め方を変えないと。この潮目、彼女は迎撃にシフトしてくる筈……)
 だがキャメルは、彼女のそんな冷静な判断の裏を突いてきた。
 いや、駆け引きを思考するだけの性質ではなかったのか。次の瞬間彼女は、再び距離を詰
めようと剣と盾を引っ下げて地面を蹴ってきたのである。
「……っ!? 拙い……」
「ふはははっ! そうだ、倒せ! “蒼鳥”を討ち取り、お前の力を世に知らしめるのだ!
お前の勝利は儂の物、叡智の証明。我が魔導の優越性を、広く世界に焼き付けてやる!」
 転座の法(リプレイス)を織り交ぜた攻撃にシフトしながら、キャメルがイセルナに猛攻
を開始する。そのさまを、アシモフは高笑いをして悦びとしていた。
 自身の魔導を誇示する為。
 そんな動機が周囲に明るみになり、同じオートマタ故にその情報を逸早く耳に届けていた
マルタは、自身の主とのあまり差に暗澹とした思いになる。
(このまま押されて端に遣られれば、ダン達と同じだわ。距離を……アルス君ほどではない
にせよ、彼女の魔導領域の外へ)
 ブルート! 矢継ぎ早に立ち位置を入れ替えられ、何度も受ける強襲を捌きながら、イセ
ルナはそう相棒の名を叫んだ。刹那ぶわっと吹き付ける冷気がキャメルを阻むと同時に、彼
女らは飛翔態となって空高くに舞い上がる。
『おおっと? ここでイセルナ選手、空中に逃げた! キャメル選手の消えるような技から
逃れる心算かー!?』
 実況役のアナウンサー、観客達。
 全てを眼下に置き去りにして、イセルナは高く高く跳んだ。
 分かっている。地上、リング上では回避距離にどうしても限界がある。再接近される事を
考えても、相手の魔導領域が予想を超える可能性を考えても、これがベストの選択の筈だと
思ったのだ。
「盟約の下、我に示せ──冷氷の剣雨(フリーズランサー)!」
 そして素早く詠唱を整え、彼女はじっと地上でこちらを見上げるキャメルに向かって魔導
を撃った。空中に現れた青い魔法陣から、無数の氷の刃が降り注ぐ。
「……」
 だが対するキャメルは、それでも臆する事なく平静と次の手を打ってきた。
 最初の着弾十数発。彼女は一つこれを剣で氷雨の外側に弾き、盾を身代わりにすると、次
の瞬間イセルナの見下ろす視界から消え去ったのである。
「!? 何処に──」
 言い切る、その前にイセルナへの剣閃が飛んで来た。咄嗟に彼女はこれをサーベルで受け
止め何が起こったのかを理解する。
 利用されたのだ。最初に高く弾き飛ばした氷の刃と自身を入れ替え、そこから次々にこち
らへ届くように転座の法(リプレイス)を連発して移動してきたのである。
「逃がさ、ない」
「……っ!」
 再び、激しい剣戟が二人の間で繰り広げられた。
 今度は空中。しかしキャメルはブルートと合体し浮遊しているイセルナと自身を何度も何
度も入れ替える事で高さをキープし、且つ身を捻って剣を振るってくる。
「ははは! 無駄だよ。標的を見定めたキャメルからは逃げられない!」
 アシモフが高笑いしている。イセルナはすぐにこの彼女のハーフヘルム──魔導具の本来
を破壊しようかと思ったが、諦めた。
 そんな手、既に織り込み済みだろう。
 ならばここは、やはり……。
「何て野郎だ。今度はイセルナと空中でドンパチやり始めやがったぞ」
「だ、大丈夫でしょうか? このままじゃあ、イセルナさん──」
「落ち着け、ミフネ。私が育てた者が、そう呆気なく終わりはしない」
「え? は……はい」
 仲間達の心配と、信頼。
 だがイセルナは既に思考の中に組み込んでいたのだ。空中でキャメルと打ち合いを続ける
中で、いつそれがベストなタイミングかを考えていたのだ。
「転座の法(リプレイス)。確かに厄介だけど……中身が分かれば如何とでもなるわ」
「……強情を」
 ぶんっ、再三のイセルナの剣撃がキャメルを襲った。だがそれを、やはり彼女は位置を入
れ替える事で回避。即座にカウンターとして回し斬りを浴びせようとする。
「ッ!?」
「確かに雪状態の《冬》じゃ効かなかったけど……これならどうかしらね?」
 だがそうして視線をぐるりと反転させたその瞬間、イセルナは既にサーベルを投げていた
のである。遅効性の雪として降らせていた《冬》の力を、一挙に刀身に集めたその剣を。
「ガッ──?!」
 かわせなかった。即ちイセルナは入れ替えをされた瞬間、ほぼノーウェイトでこの剣を投
擲していた事になる。
 キャメルの身体にサーベルが突き刺さった。濛々と《冬》の冷気を一纏めにした力が、傷
口から急速に彼女の体内を侵していく。
「キャメルっ!?」
「……何も《冬》は雪を降らせるだけじゃないのよ。振り撒く方が常套というだけ」
 どうっ。身体の中から凍て付いたキャメルは、そのままリング上に落下した。
 動けない。体内のあちこちから行き場を失った氷が身体を突き破り、色彩を失った彼女の
頬に全身にその侵食を広げ続けている。
『おお……! こ、これは瞬く間の逆転劇ーっ! 本選第一試合、勝者は“蒼鳥”ことイセ
ルナ・カートン選手だー!』
 実況役のアナウンサーが盛り上がって叫び、観客達が理解に追いついて一際大きな歓声を
上げる。ストン……。遅れて当のイセルナが冷気の翼を動かしながら着地し、そっと相棒と
の融合を解いた。
「……」
 にこり。
 観客や仲間達が見守る中で一人、彼女はその穏やかな微笑を漏らし、振り撒く。


「よぅしっ! 逆転大勝利~♪」
「うん。流石はイセルナさんだね」
 本棟地下の選手控え室。試合の様子を映す映像器から彼女の勝利を観、エトナやアルスは
それぞれに喜びと安堵の表情を浮かべていた。
 外からは、観客達の沸き立つ声がここからでも遠巻きに響いてくる。
 四人は地上の北棟リングへと続く上り坂──出口を見遣った。ややあってそこからは、鞘
にキャメルの身体から回収した得物(サーベル)を収めてゆったりと歩いて来る、件のイセ
ルナ本人が姿をみせる。
「お疲れさんッス、団長」
「……お疲れ様です」
「ありがと。ふぅ、何とか勝てたわねぇ……。貴方達も気を付けなさい? 今日の戦い、予
選とはまるでレベルが違うわよ」
 ジーク達に出迎えられて、そこで彼女はようやく本当の安堵を得たらしかった。室内に疎
らに置かれた椅子とテーブルにどさっと腰を下ろし、四人に囲まれながら、彼女は静かに汗
を拭い始める。
「次は、ミアちゃんね」
「はい」
「相手はユリシズ、だっけ? こっちも分かんねぇ事の多い奴だな」
「そうだねえ……。何ていうか、絶対に正体隠すぞーって感じで不気味だもん」
 呟き、そうジーク達は一斉にちらとその次の対戦相手の方を見る。
「……」
 仮面で素顔を隠した全身騎士鎧の人物、ユリシズはじっと部屋の片隅で微動だにせず自身
の試合の時を待っているようだった。無関心。こちらが視線を向けたのに、向こうは気付い
ているのかいないのか、まるで彫刻のようにそこから動こうとはしない。
「大丈夫かねぇ?」
「……関係ない。実戦だって、相手がよく分からないで戦うもの。ボクはボクの全力をぶつ
ければいい」
 尤も当のミアは、既に余分な思考を排して臨戦モードだったが。
 ディアモントにエイカー。残る室内の対戦相手(ライバル)達も、ちらとこちらの様子を
窺っては黙してそれぞれのゴングの時を待っている。カツンと。そうしていると、ややあっ
て係員の女性が誘導の為に姿を現した。
「マーフィ選手、ユリシズ選手。もう暫くで第二試合が始まります。お二人とも通用ゲート
に控えておいてください」

『お待たせしました! 本選第二試合、選手両名の入場がこれにて完了です!』
 半刻ほどのリング整備を終えて、会場は再び張り詰めた緊張と興奮に包まれていた。地下
通路より上って来たミアとユリシズ。その双方がリングの上に間合いを取って立ち、実況役
のアナウンサーが場を盛り上げるが如くマイク越しに叫ぶ。
『私(わたくし)より右手に見えますのが、クラン・ブルートバードより出場のミア・マー
フィ選手。予選第二ブロックにて常連選手らを、更に同じクランの仲間をもその拳で一騎打
ちの末破り、ここまで登り詰めてきた今大会注目のルーキーです!』
「……」
『そして左手に見えますのが、仮面と鎧で全身を覆った謎多き戦士・ユリシズ選手。予選第
七ブロックでは他のライバル達を寄せ付けぬ圧倒的な剣技で以って勝ち残った、こちらも今
大会が初出場の選手です!』
「……」
 煽られるがまま、ボルテージの上がっていく観客達。だがその一方で当の本人達はむしろ
酷く冷静で、且つ無言のままじっと相手の様子を窺っていた。
 ユリシズ──全身を騎士鎧で覆い、更に仮面も付けて徹底的に素性を隠した対戦相手。
 それほどに正体を隠さなければならない理由などあるのだろうか? ミアが長く細く深呼
吸をし、握り拳を持ち上げたまま思う。
 実は何処かの貴族? いや、ジークとアルスという王族(れい)がある。
 ならば“結社”の刺客か? 可能性はありそうだが、だからと言ってここまで包み隠すと
却って怪しまれそうなものだが。
(……落ち着け、ボク。誰であれ、勝ち進むのが今やるべき事……)
 だが彼女はじっと、一度目を瞑って開くと、そんな思考を自身の内側から取り払った。
 少なくとも、今はまだ益体のないものだ。
 少なくとも……並々ならぬ強敵である事は、間違いない。
『準備は宜しいでしょうか? それでは第二試合、ミア・マーフィ対ユリシズ、開始っ!』
 故にミアは、開戦のドラが鳴った瞬間、逸早く地面を蹴っていた。
 速攻。石畳の上を駆け抜ける両拳には瞬発的に練った《盾》を。
 先ずは反応を見る。或いはこのまま短期決戦。
 ミアはそう思い、渾身の初撃を放ったのだが──。
「……」
 かわされた。両拳を連動させた飛び込みながらの掌底を、ユリシズはほんの僅かな動きだ
けで回避してみせたのだ。
「っ……!」
 目を見開き、ミアは空を切ったその先に着地する。左に、この騎士鎧の戦士がまだ腰に結
んだ大剣を抜く事もせずに立っている。
 ざわっ。にわかに感情がいきり立った。仮面で表情(かお)こそ見えないが、相手は十中
八九余裕のままにこちらの動きを観察しているようだった。
 歯を食い縛る。猫耳少女の、自尊心と闘争心が刺激される。
 ダンッ! 即座に石畳を踏んで半身を返し、猛烈な勢いで次々と打ち込まれる拳。
 しかしユリシズはその全てを一瞬の判断でかわし、極限まで最小限の動きでこれを捌き続
けていた。唖然と。観客達やアナウンサー、仲間達もがこれを目を点にして見つめている。
「……ミアちゃんの攻撃が、当たらない」
「ああ。強敵だなとは感じていたが、よもやここまでとは……」
「それだけじゃねえ」
 リンファの呟きをダンが引き継ぐ。
「……あの野郎。ミアの《盾》を完全に見切った上で、自分にも“盾”を張ってやがる」
 一見してみれば、ミアがひたすらに連打で以ってユリシズを押しているようにも見えた。
 だが当の二人の様子をよく見れば、それは完全な思い違いである事が分かる。相手がみせ
る圧倒的な見切り故に、彼女はそこからの反撃を恐れて攻撃し続けるしかなくなっていたの
だから。
「くぅ……っ! あぁぁぁーッ!!」
「……」
 雄叫びのまま。しかしユリシズは変わらずミアの霞むような拳の雨霰を全て紙一重の域で
かわし、じっと素顔の窺えぬ仮面越しに彼女を見ていた。
 ゆっくり、そっと垂れ下がった右手が腰に括り付けられた大剣の鞘と柄に伸びる。
 こんの……ッ! 何百回目とも分からぬ左の打ち払いの直後、ミアはさも痺れを切らした
ように霞む速さで目の前から消える。
『──ッ!?』
 人々は驚いた。だがそれは単にミアの目にも留まらぬ速さと身体能力だけではない。
 残像。たちまち背後に回って繰り出した彼女の、脳天を狙った蹴りが、確かにヒットした
と思った次の瞬間、ユリシズのこめかみ僅か数ミリの所で食い止められていたからだ。
「……。障壁」
 ミアの絶望した表情(かお)が映った。空中から放った自身の蹴りをユリシズは掌で受け
止める事もなく、ただ薄く身体の周りに張った障壁だけで防いでみせたのだ。
(何て錬度。後ろから攻めても、まるで判断力を失わな──いッ?!)
 だがそう戦慄する余裕も多くはなく、遂に次の瞬間ユリシズは剣を抜いていた。
 太刀筋は見えなかった。ただ何か恐ろしく鋭い一撃が来る。ミアはそれだけを殆ど直感的
に察知し、この障壁を足場代わりに蹴り返して大きく後ろに跳んだのだ。
 ユリシズの大剣。それが人々に認識された頃には、この彼の得物を大きく弧を描くように
持ち上げられ、そっと柄が両手の中へと握られていた。
 ……かわした筈だ。
 なのにミアは着地したその瞬間、身を守るように交差させた腕ごとざっくりと身体から血
が噴き出した事に目を丸くする。
「!? ミアちゃん!」
「ミアっ!」
「……」
 仲間達が、親友が父が呼んでいる。
 だがミアはそんな声に応えている余裕など無かった。斬られた。ただその結果だけが、遅
れて激痛となって身体を奔るさまだけを身に抱き、じっと苦悶の表情を浮かべる。
(……かわせなかった。あの真後ろの大勢から、ノーモンションで反撃。やっぱりこいつ、
只者じゃない……!)
 半ば癖のようにオーラを全身に纏っていなければ、とうにこの身体は真っ二つになってい
ただろう。言い方を換えれば、それだけ攻守に気を配っていても、防ぎ切れなかった。
「──」
 しかしそうようやく荒ぶる血の気が鎮まってきたというのに、一度剣を抜いたユリシズの
攻撃は止まらなかった。次の瞬間、彼(?)は剣を振り上げたまま、猛烈な速さで地面を蹴
り迫ってくる。
 ミアは即座にこれをかわす事を諦めた。咄嗟に組んだ両手により大きな《盾》のオーラ球
を練り、防御しようとする。
「ガッ……?!」
 だが叶わなかったのである。霞む速さで打ち込まれた斬撃はズルリと彼女の《盾》へとめ
り込み、殆ど弾き返される抵抗を甘受する事なく、これを粉砕する。
「ァ……ッ」
 破片となって散っていく自身の力の象徴を視界に映しながら、ミアはそのまま続けざまに
放たれた横薙ぎを浅く受けた。されどその勢いを殺し切れ、ず大きく大きく後方に吹き飛ば
されて観客席の壁に叩き付けられた。
 場外失格──リングアウトだった。
『……あ、圧倒的ーッ!! ミア選手の開始直後からの猛攻かと思われた瞬間、あっという
間にユリシズ選手、ミア選手を一挙に逆転。叩き伏せたーッ! 勝負あり! 本選第二試合
の勝者は──』
 だが、まさにそんな時だったのだ。
 誰から見ても明らかなミアの敗北。実況役のアナウンサーもそれまでと言わんばかりに勝
者を宣言する言葉を紡ごうとしたのだが、次の瞬間、ユリシズはガチャリと鎧を鳴らしなが
らリング外に倒れるこの彼女の下へ歩いて行ったのである。
『あ、あのぅ……。ユリシズ選手?』
「……」
 故に、最初この場の誰もが怪訝こそせどその行動を思い描きもしなかった。
 ミア自身も、刻み込まれたダメージで朦朧となる意識の中、ぼうっと地べたから見下ろす
この仮面の騎士の姿を屈辱と折れつつある心のままで仰ぐしかない。
「……ミア・マーフィ、ブルートバード……。レノヴィンッ!!」
「っ!?」
 直後だった。ミアは確かにそう初めてユリシズが言葉を──どす黒い害意の声を聞き、彼
の背中に巨大な魔力(マナ)の翼が顕れ羽ばたくのを見た。
 ざわっ……。周囲の観客達が何だと身を強張らせる。
 だがそんな中で、この時ほぼ唯一、この事態と彼の正体に気付いた人物がいたのだ。
「あれは……“天使(エンゼル)”?! 馬鹿な。何故奴がこんな場所にいる!?」
「え? えっ? クロム……?」
「天使(エンゼル)だと? あれが、そうなのか」
「ああ。あの形而上の翼がその証だ」
「ケイジジョウ? ツバサ? 何だそれ?」
「神々──神格種(ヘヴンズ)直属の尖兵の事です。主神に絶対の忠誠を誓い、過去・現在
・未来の全てを捧げ、その配下となった人達です。でもそんな人、滅多な事では人前になん
て出て来ない筈で……」
「ああ、そうだ。本来奴らは神格種(ヘヴンズ)の僕。単独でこんな、それも見世物の戦い
になど参加する筈がない」
 レナがあたふたと慌て、クロムが再びそう言葉を継いだ。
 即ち、明らかな異常事態である。ダン以下観客席の面々らがハッとなって再びリング外へ
と視線を向けた。ザラリ……。ユリシズは、今まさにその剣をミアに振り下ろそうと持ち上
げている所だった。
「……っ、あんにゃろう! ミアを殺すつもりか!?」
「逃げろミア! 今のお前が敵う相手ではない!」
 身を乗り出す仲間達。叫ぶ仲間達。遅れて上がる観客らの悲鳴。
 だがそのミアはもう満足に動く事すら出来ないでいた。滲む悔恨。ただ仰いだ視線の先に
はギラリとユリシズの刀身が輝く。
「おい、何やってる!? ここ開けろ!」
「このままじゃ、ミアさんが死んじゃう!」
「し、しかし……」
 地下の控え室で試合映像を見ていたジーク達も、通用ゲートに飛び出し詰め寄っていた。
しかし突然の事態が事態に、場の係員らもどうしたらいいのか分からないでいる。
「くそっ、この距離じゃ間に合わねぇ……。ミア、ミアっ、逃げろーッ!!」
「まさか神格種(ヘヴンズ)の刺客が? くっ……!」
 父の半ば悲鳴。剣聖が駆け出し、抜き放とうとする剣。
『──』
 しかし……助けはそんな時に現れたのだ。
 地下控え室に続く出入口、ジーク達の間を猛烈な速さで駆け抜けていった冷気の塊。
 ユリシズの大剣がミアの首に振り落とされようとしたその寸前、イセルナが鬼神の形相で
これを受け止めていた。完全武装の飛翔態で足元に大きな地割れを作りながら、そんな彼女
の冷気の剣が、この天使の一撃から団員の少女を庇っている。
「イセ、ルナ……」
『団長!』
「……決着後の追撃は規定(ルール)違反よ。うちの団員(かぞく)に、何をしようとして
るのかしら?」

「──陛下、これは……」
「うむ。何故“神”までが彼らを……?」
「──おいおいおい……。一体何がどうなってるんだよ? とにかくお前ら、至急統務院に
繋げ。じきにハウゼンの爺さん達も連絡を取ってくる筈だ」
「はっ!」「直ちに!」
 天使ユリシズによるルール無視の殺害未遂。
 その一部始終は勿論、地底武闘会(マスコリーダ)の一幕として確と世界中に配信されて
しまっていた。
 恐怖と悲鳴、戸惑い。或いは事態を呑み込めぬが故の苛立ちから来る怒号。
 それはさながら散在するパンデミックのようだった。
「……ったく。神託御座(オラクル)の奴らは何考えてんだ……?」
 顕界(ミドガルド)四大国の王やシノ、レノヴィンの盟友達。
 クラン・ブルートバードに縁ある人々を始め、各地で人々は大いに混乱し、奔走する。

「団長!」「イセルナさん!」
 ユリシズの凶刃を辛うじてイセルナが止めた事により、ミアは首皮一枚ながら何とか命を
長らえる事ができた。
 彼女の飛翔・突撃によって破壊された通用ゲートを抜け、やや遅れてジークとアルス、エ
トナが地下の控え室から追いついて来た。ギリギリ……。その間も飛翔態のイセルナはユリ
シズの大剣を止め、一進一退の鍔迫り合いを続けている。
「ミアちゃん、を早くっ! こいつは……私が食い止めるッ!」
 三人と、痛みと無念で倒れたままのミアを背にイセルナは叫んだ。ジーク達は殆ど反射的
にコクと頷き、出血でかなり汚れ始めているこの友を救助しに掛かる。
「……ごめん。ボクは……」
「愚痴なら血ぃ止めてから幾らでも聞いてやる。だから、今は喋んな」
「とにかくここはイセルナさんに任せて! すぐに控え室へ連れて行きます!」
 朦朧とした意識。だがそれでも詫びが真っ先に出るのは、生真面目な彼女だからこそか。
 だが敢えてジークはそんな言葉を遮るように彼女の両肩に手を回した。アルスも、兄ほど
ではないにせよ消耗を諌め、彼女の両脚を持ち上げる。
「ジーク……。アル、ス……」
 そこでミアの意識は途絶えた。兄弟が、それとほぼ同時に彼女を担ぎ上げて一目散に来た
道を駆け出していく。

「──天使(エンゼル)だと? そんな情報、選手登録の際には何も載っていなかった」
「は、はい。種族は人族(ヒューネス)、出身は器界(マルクトゥム)のコートルーフ。神
の尖兵だのという申告は一切書かれていません」
「おそらくは神の中にレノヴィン一派を狙う者が──“結社”と関係を持っている者がいる
のではないかと。ただの邪推だと、信じたいのですが……」
 映像越しに見る甚大なアクシデント。本棟上階より見下ろすコロセウムの全景。
 ウルは現在進行形のその映像と、部下達から寄せられる報告を受け、深く深く眉間に皺を
刻み込んでいた。
 強烈な威圧感だ。そのあまりの不機嫌さ・怒り様に、さしもの部下達もとばっちりを恐れ
てビクビクとしている。
「……先ずは何よりも観客達の避難誘導だ。現場の人員総出で本棟へ逃がせ。地下の非常用
シェルターに取りあえず収容するぞ。今日の試合は中止だ。奴は失格だ。そもそもに身分を
偽り、場外での殺害を企てた。このコロセウムの秩序(ルール)に真っ向から喧嘩を売って
来やがったんだ」
 全く、年に一度の興行が台無しだ……。
 言いながら、彼は一度深く葉巻に火を点け、吹かした。部下達が立ち止まっている。それ
をぎろりとウルは睨み、彼らを慌てて動かさせる。
「それと、奴の主を探せ。基本、天使(エンゼル)は戦闘に特化しているが、その他の能力
はどんどん磨耗していくからな。指示を出している神格種(ヘヴンズ)がいる筈だ。躊躇う
な、捕まえろ。奴を止めてイセルナ・カートンを救う」
『……』
「何をしている、行け!」
『は、はい~っ!』

「皇子! 此処に居ましたか」
「ウゲツさん。それに……ディアモント?」
「ああ。嬢ちゃんは大丈夫か? 血ぃ、だばだば出てんぞ?」
「は、はい。すぐに医務官さん達に手当を頼もうと。多分ダンさん──ミアさんのお父さん
達もあれを見てこっちに向かって来てると思いますけど……」
 ミアを抱え控え室に舞い戻ったジークとアルス、エトナは、ちょうど同じく上階から降り
て来ていたウゲツ隊や彼らと話し込んでいたディアモントに声を掛けられた。
 じろり。一方でエイカーは我関せずと言わんばかりに、しかし五月蝿いぞとも言わんばか
りに椅子に持たれかかって暇を持て余している。ジーク達はムッとした。だが今は彼に説教
をしている場合ではない。互いに情報を交換して、とにかくミアとイセルナ、そして暴走し
始めたユリシズを止めなければ。
「それなんだがな。嬢ちゃんと別件でウル・ラポーネがあの天使野郎のご主人様を捕まえて
くれって言ってきてるんだ。まだこのコロセウムの何処かに、あいつに指示を出してる神が
いる筈なんだとよ」
「そこで、皇子達にも助力を願おうと。マーフィ殿らには先ほど部下達を伝令に走らせまし
た。手分けしてこの混乱を収拾したいと思います」
「嗚呼そうか、親玉がいるのか……。なら是非もねえ、俺で良ければ手を貸すぜ。アルス、
エトナ。悪いがミアを……」
「うん、分かった。レナさんやリュカ先生が合流して来れば傷を塞ぐ事は出来ると思う」
「ああ……。頼む」
 そしてウゲツ達──ウルからの要請で、ジークは別行動中の仲間達と共にユリシズの主神
を捜す事になった。ミアの事はアルスや駆けつけた医務官達に任せ、彼は早速同隊と、協力
を申し出てきたディアモントと共に階段を駆け上がっていく。

「──連中の神、か。余計な真似を……」
 故に、彼らは知る由もない。
 そんなコロセウムを覆いだしたにわかの混乱の中、密かにフードの男が小さく舌打ちをし
ながら踵を返し、歩き出して行ったことを。

(……ジーク達は、行ったわね)
 場所を戻り、第一リング場外。
 ブルートの氷と冷気を纏うイセルナは、天使ユリシズの両手掴みの剣圧に徐々に押され始
めていた。それでも当面の目的は果たせたろう。ミアは何とか離脱させる事ができた。
 問題は──自分自身(ここから)だ。
「イセルナ・カートン、ブルートバード……。レノヴィンッ!!」
 一層ユリシズの力押しが強まった。仮面の下からは、先ほどからうわ言のようにそんな台
詞と狂気じみた害意を感じる。
『イセルナ。この者、天使(エンゼル)だ。圧縮魔力(ストリーム)の翼がその証拠だ」
「神格種(ヘヴンズ)の下僕ね。以前ハロルドから、聞いた事が……あるわっ!」
 ガキンッ!! 長く或いはさほど長い時間ではなく、両者の剣が弾き合い、互いの距離を
大きく取り直させた。ユリシズは土の上、イセルナは途中空中で観客席の壁を蹴って方向転
換し、一旦リングの上へと着地する。
「皆さん逃げてください! これはもう試合ではありません!」
「緊急事態です、緊急事態です! 係員の指示に従い、至急避難を!」
 どうやら周囲の観客席では既に避難が始まっているようだ。ウルも興行主として人として
然るべき判断力は持ち合わせているようだ。尤も、目の前で天使の顕現(こんなこうけい)
を見せられて腰を抜かさない市民がいるとも思えないが。
(これで奴の標的はほぼ確実に私へ向いた筈。殆ど乱入だけど……仕方ないわよね)
 ジャキリ。再び氷迸るサーベルを構える。
 こちらの目論見通り、ユリシズは大剣を払いながら真っ直ぐこちらへ上がって来た。相変
わらず仮面で素性は窺えず、只々こちらへの──レノヴィン関係者へのまるで刷り込まれた
かのような殺意ばかりを感じる。
(……あのうわ言、やはり始めから私達を狙っていたとみるべきね。という事は“結社”の
刺客? でもそうだとしたら、敵に“神”がいる事になるけど……)
 だがそう眉を潜めて思案するイセルナに、当のユリシズは悠長ではなかった。
 ブンッと霞むように地面を蹴る。次の呼吸の時には既に、こちらのすぐ目前まで剣を振り
上げて迫って来ていた。
「くっ……!」
 左右上下、また斜め左右左右。一繋ぎ同然に見える怒涛の剣撃に、さしものイセルナも防
戦一方にならざるを得なかった。何時ものように巧み美麗には捌き切れない。次々と斬撃を
打ち込まれるにつれ、ビシリビシリッと彼女のあちこちから裂傷が走る。
「イセルナ! 翼を狙え! 奴ら天使(エンゼル)にとってあれは唯一無二の力の源だ!」
 そんな時、観客席からクロムが叫んでくるのが聞こえた。
 必死に攻撃を防ぎながら後退する中、ちらと見遣れば、リオが今にも剣を抜こうと構えて
いる後ろで、他の仲間達が急ぎその場を立ち去ろうとしているのが見える。
「そう言われてもね……。この暴れん坊からどう羽を毟れっていうのよ……」
 理屈は分かる、知っている。
 だがイセルナは到底、今の状態でその弱点を突けるとは思えなかった。そうしている間に
もユリシズからの猛攻で服は裂け、皮膚が抉られ、痛みと出血が氷の澄青を塗り替える。
 そもそも、初撃の時点で《冬》と共に突っ込んでいるのだ。なのに奴が衰えていく様子は
まるで見られない。
 おそらくこれもその天使の翼のせいなのだろう。キャメルの時と同じく、治癒速度がこち
らの《冬》の冷気よりも勝っている。或いはこうしているだけで感じる膨大なエネルギー量
が、氷すら吹き飛ばす熱量として篭もっているのか。
『イセルナ!』
 まだまだ未熟だなと思った。しかしその時、他ならぬ相棒(ブルート)が叱咤するように
内側から呼び掛けてくる。
「……そうね。此処で止められなければ、奴はまたミアちゃんやジーク達を狙うのよね」
 だからリオやクロム、避難途中の観客がそれを見た時、一体何のつもりだと思った。
 怪訝に見つめる。ユリシズも思わず足を止め、じっと姿勢を気持ち低めにする。イセルナ
とブルートが、一旦その融合を解いたのだ。
『──』
 だがそれも束の間、深く深呼吸をした直後、二人はまた融合する。
 されど変化したその姿は、これまで見てきた飛翔態とは明らかに異なっていた。
 象徴的な冷気の翼が、粒子と化して周りに漂っていく。翼はそれにつれ小さくなり、代わ
りにイセルナの身体をより分厚く堅固で刺々しい氷の鎧が覆う。
「……そうよね。あの頃からいつだって、神様は残酷だった」
 轟。一閃。
 そう呟き、斧のように半月状の氷刃を纏った得物とより堅固になった霊装を振り払うと、
彼女は自身の周りにズンと大きな亀裂を、陥没(クレーター)を作り出したのだった。


「ジーク!」
 本棟のロビーに上がって来た時、そこには既に頼みを受け駆けつけたシフォンとサフレ、
マルタ、オズやクロムの姿があった。
 ジークとディアモント、ウゲツ隊及びウルの部下達はこの五人と合流する。
 ざわざわ……。辺りは避難誘導の列に並ぶ、不安で一杯の観客達でごった返していた。
「ああ、お前らか。……リオ達は?」
「今さっき控え室の方へ。ちょうど入れ違いだ。急いでミアちゃんの治療に加わる筈だよ」
「それでジーク。ユリシズの主の事だが……」
「ああ。ウゲツさんから話は聞いた。まだこの中にいるんだろ?」
 受け答えするシフォンと、早速本題に入るサフレ。ジークは皆を引き連れる格好で以って
頷いた。誰からともなく、ざっと四方八方でごった返す観客達という人ごみを見遣る。
「……拙いな。この混乱に乗じて外に出られれば、見つけるのは難しくなるぞ」
「ええ。ですが今は係員達の処理能力に賭けましょう。ラポーネ殿が一先ず全員を地下の避
難壕に移すよう指示しています。取りこぼしさえなければ、追い込んでいる筈ですが……」
 とにかく足取りを追って行くしかない。
 ジーク達は人ごみを掻き分け、先ずは受付──選手登録を担っていた窓口へと足を運ぶ事
にした。尤も今は状況が状況だけに、窓口内の職員らも不安と恐れでおろおろとしていたの
だが。
「──ユリシズ選手、ですか?」
「はい。確かにお一人ではなく、一人付き添いの方がいらっしゃいましたが……」
 不幸中の幸いであった。ジーク達が急ぎユリシズについて情報提供を呼びかけると、この
女性職員らはぱちくりと目を瞬いて記憶を手繰りながら、確かにそう言ったのだ。
「付き添い……」
「うむ。おそらくその者がユリシズの主神か、或いは配下の者だろう。それでお主よ。その
者の特徴などは覚えておらんか? 名乗ってはいたか?」
「いえ……。名乗りは、しませんでしたね。ただ比較的小柄で、眼鏡を掛けた大人しそうな
方だったような──」
 互いに顔を見合わせ、クロムが代表してより突っ込んで問うと、彼女は酷く緊張した様子
で視線をあちこちに移ろわせ、答えていた。
 同時にジーク達は一斉に周囲の人ごみへと視線を這わす。その人物は、一体何処だ?
 だがこちらが二十人強の人数いるにしても、探す対象はその何千倍何万倍である。到底目
だけで、そんな曖昧な情報だけで目的の男を特定できる筈もない。
『──』
 しかし奇しくも、そこで或る仲間のこれまでの経歴が状況を一転させたのだった。
 ウゲツである。ジーク達と共々、大量の人波の中からその主神とやらを必死に探していた
彼だったが、その中ではたと、明らかにこちらに警戒を配りながら気配を殺そうとしている
人物の姿を認めたのである。
「いました、あそこです! Bゲートのすぐ前、黒眼鏡の書生!」
「なっ……。本当か!?」
「おい、そこの兄(あん)ちゃん。待てやゴラァ!」
 正解だったのか、それともディアモントのそんな荒々しい呼び掛けに怯えたのか。
 直後、この男──書生風の青年は突如として逃げ出した。何だ? と戸惑い、立ち止まる
人々を無理くりに押しのけ、大慌てで本棟の外へと逃げようとする。
「させるかッ!」
 故にシフォンが弓を取った。
 コォォと魔力(マナ)の矢を番えると、照準はやや中空。いわゆる曲射の軌道で撃ち放つ
と、その矢は精密無比、まるで吸い込まれるかのようにこの青年の進行方向すぐ直前へと落
下する。
「ひゃっ!?」
「ナイスだ、シフォン!」
「どっ……せいッ!」
 そしてその僅かな隙を縫い、ジークとディアモントがこの青年に飛び掛った。どうっと頭
上から顔面を鷲掴みにし、手足を取り、二人掛かりでがっちりと押さえ込む。
「むぐっ……! は、離せ……」
「お前がご主人様じゃなかったらな。でなきゃ、いきなり逃げる道理はねぇだろ」
 改めて騒然とする人ごみを掻き分け、クロム以下残りの仲間達も追いついて来た。確認の
為、先の女性職員もサフレが連れてきている。
「こ、この方です! ユリシズ……選手と一緒にお見えになって、実際に登録手続きをなさ
ったのは」
 確定だった。ふるふると震えながら証言する彼女に、青年の瞳が絶望に変わる。
 ディアモントとジーク、取り押さえる二人の眼力と込める腕力が更に強くなった。
 じたばた。それでもこの青年は、何とか逃げ出そうと必死だった。
「おいお前、一体何モンだ? ユリシズの親玉なんだよな? 今すぐ奴を止めろ!」
「な、何の事かな? わ、私はただの観光客だ。そんな奴など知ら──痛ででででっ!?」
「しらばっくれるなよ。悪いが俺は名乗りもしない野郎より、真面目に仕事してる姉ちゃん
の方が信用できる性質でね」
 それでも、あくまで口を割ろうとはしない青年。ディアモントが後頭部を握り込む手に力
を込め、ミシミシと本当に彼の頭を潰してしまおうかという程に痛めつける。
「無駄だ。神格種(ヘヴンズ)だとすれば、だからこそ、そいつは自らを名乗りはしない。
移ろう通常の肉体を捨て、信仰によって存在を維持する彼らにとり、真名とは信仰と直結す
る拠り所だからな」
 そんな中でクロムは言った。元僧侶の、具体的且つ冷静な分析だった。
 でもよぉ……。ジーク達が困った表情(かお)をする。実際そんな彼の指摘が図星だった
のか、青年の瞳は動揺でぐらぐらと揺らいでいる。
 ウゲツの元獄吏の観察眼に狂いはなかった。
 しかし当の本人が要求に応じなければ、結局イセルナのピンチを救う事も出来ない。
『──全世界の信仰者の皆さん。ご覧になられていますでしょうか? そこに取り押さえら
れているのが、書と追憶の神・レダリウスその人であります』
 だが……そんな時だったのだ。突如ロビー、いやコロセウム全域に館内放送が流れ始め、
何処か聞き覚えのある少年の声がジーク達は勿論、この場に居合わせた全ての人々の耳に確
と届く。
『信仰者の皆さん。どうやらレダリウス神は“結社”と結び、レノヴィン一派を亡き者にし
ようとしているようです。こんな暴挙が許されるのでしょうか? ただ神の都合というだけ
で、もしかすれば明日は貴方達すらその主神に始末されるのかもしれないのですよ?』
 思わず見上げる。天井に点々と備え付けられているスピーカーに加え、どうやら今この場
の様子を、誰かが監視用の映像機で中継でもしているらしい。
「──おい。これは一体何だ? 儂はこんな指示、出しておらんぞ」
「は、はい。それなのですが……」
「今確認に向かわせていますが、どうやら放送ブースに部外者が侵入したようで……」
 戸惑うウルと部下達。
 しかし現場のジーク達もまた、その思いは同じだった。
 これは、どういう事だ? 自分達の一部始終が映し出されている?
 一体、何の為に……?
『レノヴィン一派は現状、彼ら“結社”に対する大きな抑止力です。それを安易に奪い、再
び彼らにこの世界を牛耳られるような事があれば、もう穏やかに書にまみれることすら満足
に叶わないのではありませんか?』
 混迷する地底武闘会(マスコリーダ)の一部始終に、そんなまた新たな一幕が全世界に向
けて発信されていた。
 映像はジーク達がレダリウスを取り押さえ、尋問する様子。
 音声はこの謎の少年が訴える、同神の信者へのメッセージ。
 何だぁ……? ぽかんとジークやディアモント達が怪訝に頭上からのこの音声を見上げて
いる中で、ややあってその当の青年──書と追憶の神・レダリウスが突如として発狂し始め
たのだった。
「ま、待ってくれ! 私の所為ではない、ただ代役を頼まれただけだ! 信徒達よ、違うの
だ。私は、私はただ──!」
 しかしどういう事だろう。次の瞬間、彼の身体はフゥっと少しずつ光の粒子になりながら
透け始めたのである。
 ひっ……?! さもそれを、彼は酷く恐れたようだった。
 ジーク達が目の前のその光景に思わず言葉も出ず、眉を顰める。その間にもレダリウスの
身体はどんどん透けていき、粒子となって散っていき、とうとうその姿形が維持できない程
に崩壊していってしまう。
「違う……違うんだ。私は……私は、消滅し(しに)たくない……ッ!」
 最期の一言。
 だがその願いは叶わず、とうとうレダリウスの身体は肉片一つ残らず消えてしまった。残
ったのは、ただその黒の薄眼鏡と、纏っていた書生風の着物だけである。
「……何だ、これ?」
「消えちまったぞ?」
「ああ、消滅した(きえた)んだ。言ったろう? 神格種(ヘヴンズ)は不死でこそあるが
それは人々の“信仰”によって維持されている。おそらくあの放送が全世界に配信された事
で、充分なそれを失ってしまったのだろう」
「……」
 もう取り押さえる必要もなくなったという事か。衣と眼鏡だけになったレダリウスをそっ
と持ち上げ、ジーク達は暫しじっと目を細めている。

「──やらせないよ。楽園(エデン)の眼」
 ざわめく人々、コロセウム。
 その一角、館内の放送管制室にて、彼はぐったりと気を失って倒れる職員らを余所に一人
制御卓のマイクに手を這わせて呟いていた。
「レノヴィン達は……僕の獲物だ」
 そっとフードを捲る。
 そこには胸から首、左頬に掛けて火傷のような傷跡を残し、二年前よりも一層邪悪にほく
そ笑む元使徒・ヘイトの素顔があったのだった。

「ブルートバード……レノヴィン……。抹殺スルッ!!」
 改めて臨戦体勢を整え、剣先を向けたイセルナに、そう咆えたユリシズは凄まじい速さで
地面を蹴った。
 鈍足化する周囲(セカイ)、ただ眼前に収斂していく感覚。
 一刹那の振り抜かれる剣撃に、イセルナは更にありったけの《冬》を氷剣に纏わせ、打ち
合う。
「……っ!」
「グヌゥ……?」
 だが最初の剣戟とは違い、一方的にイセルナが打ち続けられる事はなかった。ミシリと石
畳にめり込む両脚。それでも彼女は、天使の翼を広げるユリシズの一撃をガッチリと受け止
めている。
 これこそが彼女の、二年間の修行で得た《冬》の色装に並ぶもう一つ成果だった。
 ブルートとの精霊融合に、より多彩なバリエーションを。これは差し詰め“蒼鎧態”とで
も呼べるだろうか。冷気の翼による機動力を犠牲にし、鎧部分に力のリソースの殆どを割い
た事で、従来では比較にならない程のパワーと防御力を備える事ができる。
「はぁァァァッ!!」
 押し返す。
 ギリッと歯を食い縛り、イセルナは半月状の刃で斬り返す。

「──無事か、ミア!?」
 そんな頃だった。彼女がぶち抜いた通用ゲート・地下の控え室へ、リオたち観客席にいた
仲間達が息を切らせながら階段を降りて来た。室内のベッドに横たえられ、医務官らと共に
ミアの傷口に治癒魔導をかけていたアルスとエトナがハッと顔を上げる。
「リオおじさん。皆……」
「アルス、エトナ。ミアは? ミアは無事なのか!?」
「うん。気は失ってるけど、ちょうど止血したとこ。ジークはウゲツ達と一緒にあいつを操
ってるって奴をぶっ飛ばしに行ったけど……」
「……すみません、ダンさん。僕らがついていながら……」
「いい。お前が気に病む事じゃない。無事なら、いいんだ」
 アルスがくしゃっと表情を歪めたが、当の父親である所のダンは何も咎めなかった。
 そんな暇など無いからだろう。リオやイヨ、リンファ、レナ、ステラやリュカら他の仲間
達を引き連れて彼はこちらへ駆け寄って来る。じわじわと血で染まって食い止められている
ミアの傷口の包帯とその苦しげな表情を見、早速ダンは促す。
「レナ、先生さん。頼む!」
「はい」「が、頑張りますっ」
 アルスや医務官らに加え、そうしてリュカとレナが治癒魔導の使い手に加わった。人数分
の魔導の光がミアの大小あちこちの傷口に当てられ、コウッと輝く。
「ミアちゃん……」
 特にレナの操る聖魔導は彼女自身をも大きく包み、一際強く澄んだ金色を放っていた。
 さも祈るように、擁き込むように、傷口を静かに優しい光が覆っていく。
(お父さんからは人前で使っちゃ駄目だって言われてるけど……そんな場合じゃない。ミア
ちゃんの──親友のピンチなんだもん)

 実況役のアナウンサーらも逃げ出し、観客達が空っぽになり痕跡だけが点々と残るリング
の上で、イセルナとユリシズは猛烈な剣戟を戦わせていた。一撃一撃。その度に轟と石片が
飛び散り、大量の土埃が巻き上がる。
「ヌンッ! ヌァッ!」
「……っ、ッ……!」
 しかし──仕方なかったとはいえ、機動力を犠牲にしたのは決してローリスクではなかっ
たらしい。じわじわと、剣戟が続くにつれイセルナは徐々にユリシズに押され始めていた。
「イセルナ!」
 そんな時だった。背後、地下の控え室に続く出入口にリオが黒の衣を揺らしながら立ち、
叫んでいた。
 ざらりと太刀を抜くリンファ、娘を傷付けられ静かに怒りを燃やしているダン、全身に雷
のオーラを奔らせるグノーシュに、掌の砲門を開いてユリシズに狙いを定めるオズ。
 仲間達が、駆けつけて来ている。
「一旦下がれ! 俺達も加勢する!」
「……」
 だがイセルナはそんな師・仲間達の声を聞きながらも、振り返る事はなかった。
 静かにフッと、口元に小さな弧を描く。
 ……出来る訳ないじゃない。何の為に、こいつを引き受けたの?
「はぁぁぁッ!!」
 故に代わりに放ったのは、その掛けられた声に反応して一瞬視線が逸れた、ユリシズを狙
う鋭い《冬》の剣閃だった。
 直撃、ではない。だが一瞬の虚を突かれたには変わらず、咄嗟に身を引いてかわすも右肩
の防具が凍て付く氷と共に斬り削がれる。
「イセルナ……?」
「……強情な奴め。もうこれは試合ではないのだぞ」
 リオの呟き。でもだからこそだと、イセルナは前を向いたまま内心で反論していた。
 ユリシズが初めてよろめき、斬られた肩を押さえていた。
 そうだ、もうこれは実戦だ。特務軍への編入も待ってはくれない“結社”からの襲撃に、
巻き込まれた人々や仲間達を守る為に、今こそ自分は彼らの剣に盾になろう。
「抹殺……スル!」
 だがその直後だった。ユリシズは突如として魔力(マナ)の翼を羽ばたかせて上空へと急
上昇すると、見上げる眼下のイセルナ達を睥睨。両翼から生まれる無数の魔導弾を一斉に撃
ち込んでくる。
「だわっ!」「ぬおっ!?」
「皆サン下ガッテ! 物理障壁、展開……!」
 濛々と地上が蜂の巣にされた。土煙が上がり、咄嗟にオズに守れたダン達の眼前には只々
破壊された土の地面と石畳だった残骸だけが残る。
「イセルナ!」
「まさか……。そんな──」
 しかしその時だったのである。ゴウッと風を切る音を残して、思わず絶望しそうになった
仲間達を置き去りにして、イセルナがその霊装の翼を引っ下げて上空のユリシズに突撃して
いったのである。
「ガッ……?!」
 天使は見た。一度特攻を仕掛け、旋回して距離を取るイセルナを。
 その姿はまたしても変貌していた。今度は鎧部分が要所のみを守る最低限となり、代わり
に三対六枚の氷の翼が彼女を浮遊させていたのだ。
 言うなれば“蒼翼態”。蒼鎧態とは反対に耐久力を削り、代わりに機動力にリソースを注
いだ新たな精霊融合の姿である。
「──っ!」
 そして再び、両者は激突し始めた。
 今度は空中戦だ。入れ替わり立ち代わり、切り結びながら旋回し、そしてほぼ同時にまた
相手へと一直線に向かっていく。
 蒼と白金。双方の魔力(マナ)の輝きが辛うじて衝突の残滓を点々と残している。
「おお……。イセルナさん、あんな技も隠し持ってたのか」
「しかし参ったな。これでは援護に回れないぞ」
「そういう事なんじゃねえの? あいつ……一人で全部片付ける気だ」
 副団長(ダン)の険しい表情。それははたして正解だった。
 だが繰り返す切り結びに、またもや少しずつ綻びが生まれ始める。
 少しずつ速度が遅れかけていく蒼い軌跡。イセルナは、空中戦でも徐々にユリシズの猛攻
に押され始めていたのだ。
『……イセルナ。拙いぞ』
「ええ、分かってる。本当、化け物じみてるわね……」
 速さを犠牲にしたパワーと同じく、防御を犠牲にしたスピードがまたも相手に突け入る隙
を与えてしまっていた。
 少しずつ、掠るように、イセルナの鎧に赤い軌跡が飛ぶ。
 どだい最初の内からダメージを負っていたのだ。正直ここまで捌けているのが本人でも不
思議なくらい。そもそも彼女は一刻近く前、既にキャメルという難敵と一戦を交え、消耗し
ていたのだから。
「イセルナ、もういい! 降りろ!」
「そんな化け物、あんた一人じゃ無理だ!」
 しかし──そんな時だったのである。
 必死に引き戻そうと叫ぶ仲間達。無言で眉を顰め、上空に向けて抜刀を構えるリオ。
 その時だったのだ。ぐわんと数拍、たった数拍だがユリシズの動きが止まったのだ。
「……?! ッ……」
 まるでぷつと大きな糸が途切れたよう。
 ちょうどそれは、本棟ロビーにてジーク達が神格種(ヘヴンズ)レダリウスを消滅させた
のと期を同じくする。
『今だ、イセルナ!』
「はぁァァァァッ!!」
 渾身の一閃。そこで遂に、イセルナの剣がユリシズの片翼を切り落とした。
 ぐらりと体勢を崩し、ユリシズは仮面の下に動揺を漏らしながら地面に落下する。
「……よしっ!」
「やったか……?」
 轟音が響いた、土埃が上がった。遅れてイセルナも滑るように降り立ち、しかしそれでも
尚、警戒したまま剣を構えて様子を窺う。
「……殺、スル」
 だが生きていた。ユリシズのそのうわ言のような呟きが、まだ残る土埃の中から聞こえて
きたのだ。
 ま、まだ……? ダン達が驚き、そして武器を構える。ゆらりとユリシズのシルエットと
仮面の下の金色の眼光が光り、ずずっとその身体が潰えぬ殺意で飛び出してくる。
「抹殺スル! レノヴィン、ブルートバードォ!!」
「──食い尽くせ。ルナっち!」
 その時だった。片翼を失ったユリシズがイセルナに迫るその寸前、一同の背後からそう少
女の声が聞こえたのだった。
 オーラを伝えた掌。ぼうっと浮かび上がるエネルギーの球体。
 それは瞬く間に彼女の頭上で膨張し、目を口を見開き、巨大な人面の惑星となってリング
跡のユリシズとイセルナに覆い被さる。
「ッ!?」
「これは……ステラちゃんの……」
 吹き荒れ始めた吸い込まれるような風。ユリシズは身じろぎ、そしてイセルナは対照的に
何処か安堵したかのような苦笑を浮かべたのだった。
 振り向く。そこにはこの巨大人面惑星──自身の能力を発動したステラと、その横でドヤ
顔をみせるクレアの姿があった。
「……? ナ、何ダ? 力ガ、抜ケ……ル……」
「そりゃそうだよ。今全力であんたの魔力(マナ)を吸い取ってるからね」
 がくりとユリシズが膝をついた。動揺する彼に、ふふんとステラはオーラを纏いながら言
葉を続ける。
 《月》の色装。太陽の光を受けて輝くそれのように、他者の魔力(マナ)を吸収する性質
を持つ擬似衛星を作り出す現出型の一種──それがステラの、覚醒した色装だった。
 直接的な攻撃能力はない。だが使い方次第では、妨害や補助に広く転用できる。
 とりわけ強く大きな魔力(マナ)を持つ者であればあるほど、その効果は高くなる。必然
そういった相手は自己の保有導力に依存しているからだ。たとえ神の尖兵と言えど、力の源
をもぎ取られてしまえば弱らざるを得ない。
「じゃあ、次は私がいっくよー!」
 そしてトンと、今度はクレアがその手を地面につけた。刹那ウゥン……と、周囲の世界が
まるで電脳の海に潜ったかのような暗さと無数の網目で満たされる。
「イセルナさん達は蒼属性だから……仮面さんは、焔!」
 ひゅん。そしてその手から付与術(エンチャント)のピンが投げ付けられた。先にステラ
の色装で力を奪われたユリシズはこれをかわす事も出来ない。
 バチン。額に当たった瞬間、彼の全身がその暗がりのセカイの中で赤く染まった。即ち焔
属性を示す色である。
 超感型《彩》の色装。辺り一体が帯びる属性を事細かに知ることができる能力。嘘偽りの
通じぬ天真爛漫なる者の心性。
 これでユリシズは全身、蒼属性に弱くなった。数拍遅れてそれを理解し、ユリシズの仮面
の下で“恐れ”の感情が湧き起こる。
「イセルナさん、今です! 全力全開で氷の技を!」
「ウ……オ、オォォォォォーッ!!」
 されどそうクレアが叫んだのと、ユリシズが残る力を振り絞って飛び上がったのはほぼ同
時の事だった。ぐんと。あたかも残る命を削るかのように、この神の尖兵は猛烈なスピード
でイセルナの周りを飛び回り、彼女からの反撃を撹乱する。
「……」
 だが、仲間達が慌て始めたその中で、イセルナは落ち着いてた。そっと深呼吸をし、ゆっ
くりと背筋を伸ばし、再びブルートとの精霊融合に新しい姿をみせる。
 それは鎧と呼ぶにはあまりに脆弱だった。衣のような、籠手と具足部分、胸当てだけが辛
うじてそれらしい形態だった。
 しかし代わりに、明らかな変化が一つ。
 張り巡らされていた。彼女とブルートの周りに無数の蒼い線が、不規則にうねって周囲の
空間を網羅していた。
 “蒼紋態”。直接戦闘の為の前者二つとは違い、これは完全な補助用の姿である。
 索敵に特化した形態だった。
 この全身に繋がった魔力(マナ)のケーブルは周囲をつぶさに把握し、通り過ぎていった
者の存在を確実に読み取り、記憶する。
『──』
 だから必然の結果だったのだ。自棄のように猛攻を貫いた手負いの天使と、精霊を友とす
るヒト。はたしてその激突の結果は──肉を切らせて骨を絶つ。
「ガ、ア……ッ?!」
「……」
 左側面、やや後ろから斬りかかって来たユリシズ。
 だがそれを素早く察知し、周囲の蒼いケーブル群はぐるりと主(イセルナ)を守るように
これを絡み取っていたのだ。そしてイセルナも、大剣の切っ先迫る寸前で、渾身の《冬》を
纏わせたサーベルを彼の兜と首筋の隙間に刺し込み……突き崩す。
 鈍き音。首を脳髄を貫いた刃先が氷が、兜の内側から飛び出て真っ赤に染まっていた。手
からガランと零れ落ちる大剣。背中のもう片方の翼もまさに力尽きて霧散し、とうとうユリ
シズはどうっとその場に倒れ伏して──動かなくなった。
「や……」「やったぁ!」
「凄いよ、凄いよイセルナさん! 本当に天使(エンゼル)さんを倒しちゃった!」
 わぁぁ! 尚も明るいクレアを先頭に、勝負がついたと安堵し興奮した仲間達が一斉にこ
ちらへと駆け寄ってくる。
「……」
 イセルナも、静かにブルートと融合を解き、血汚れであちこちがボロボロになったまま、
フッと言葉なく微笑を湛えて立っている。

 ──そんな、遥か地底で起こった重大なアクシデント。
 だが通常なら、他ならぬ仲間達が出場していたその大会の一部始終を観ていた筈の留守番
組の団員達は、その頃それ所ではなかったのだ。
 酒場『蒼染の鳥』(バー・ブルートバード)店内。そこではイセルナ達から留守を託され
ていた団員達と、共闘関係にある筈の史の騎士団の騎士達が互いに取っ組み合いの喧嘩を始
めていたのである。
「しらばっくれるな! お前らの所の隊長が何か仕掛けたとしか考えられねぇだろうが!」
「それはこっちの台詞だ! 荒くれどもが! 隊長を一体何処にやった!?」
 喧々諤々。怒号飛び交う掴み合い。
 そこには確かにリカルドと──ハロルドの姿がなかったのだ。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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