日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)幸福だとのたまうと死ぬ病

なのだとすれば、何とも難儀というか、面倒臭い性分よな……。

雑記では暫くぶりです。大体一週間~十日をスパンとして綴っている感じかな? 気付けば
七月も終わって八月ですよ。夏も本番真っ盛りといった所ですね。一昔は盆も過ぎれば暑さ
も和らぐなんて云ったけれど、どうせ今年も粗々九月中も残暑なんだろうな……(´A`)
ただでさえドライヤーに炙られたかのような熱波が続いていますから、決して過度に我慢は
しないでください。水分補給や冷房を惜しまないでください。室内であっても熱中症は起こ
ります。下手をすると死にます。マジで。
うちの両親もそんな(電気代が勿体無いだの何だのと言って使用をケチる)口なので、いい
加減歳なので正直心配です。先日もう駄目だ~!と家中を走り回り、閉め回って点けてくれ
た時には内心ホッとしたものです。自身暑くてもう敵わんとなってた事もあるが。
そんな感じで皆さん大丈夫ですか? 生きてますか? 長月です。

前回の雑記では暑さと執筆の反動にやられてぐったりとしていましたが、昨日一昨日くらい
からはようやっとエネルギーもプラス基調になり、また創作意欲が湧いています。
(まぁ創ってばかり=自分の世界に篭もってばかりじゃなく、他人様の物語にもたくさん触
れて見識を枯渇・偏狭させないようにも併せてしていくべきではあるんですが)

既になろうさんの活報やツイッタ(小日記)では言及してありますが、先月一杯で週刊三題
が通算200本目を達成しました\(^o^)/また一つ区切りです。久しぶりに単発短編も一つUP
しました。
されどこれで打ち止めという訳でもなく、明日の日付を跨ぐ頃には201本目──八月第一週目
の三題がUPされている筈です。分量も合計130万字を突破。他の拙作らとも併せ、これまでも
これからも、宜しければ気長に生温かくお付き合いくださいませm(_ _)m

次はユー録の六十六章ですか。近日中に執筆するつもりです。
既になろうさん等で部区分を併記してある通り、第Ⅴ部もあと三章更新で終わります。

あれこれ書きたい、書けるかな?って構想はぽつぽつとある。
だけどもより手近で現実に既に形が在るものを優先させるべきなのだろうなぁと思う。

……第Ⅵ部以降はまだプロットが無いので、その頃にはまた例の如く一月・二月とこさえる
暇という名の休止をお知らせする事になると思います。ご容赦をφ(・_・;)


病気というか鬱になって心身がボロボロになった数年前に、僕ははたして今のような生活が
想像出来ただろうか?

間違いなく否だ。そもそも相談できる(福祉関係の機関という意味で)ちゃんとした相手や
加えてお仕事までするなんて自分を、あの頃の僕は欠片もイメージ出来なかったろう。
それだけ僕は──相対的に見れば、常識・普通であれば何とも馬鹿馬鹿しくさえあるのに、
どんどん真っ暗で複雑な袋小路の中に迷い込んでしまっていたのだと思う。
嫌儲やネガティブを衒学的に嘯いて身ばかり守って……繕う事に今以上に必死だった。

馬鹿馬鹿しく。そう、馬鹿馬鹿しく。

今でこそ(作業所ゆえ一般企業と同等など望むべくもないにせよ)給料を貰い、あそこでの
労働というものにやりがいを見出し、それほど絶対的なネガティブイメージを持たなくなっ
たり。何より思わぬ旧知の再会で暗がりばかりだった自身の見通しに多少なりとも明かりが
灯ったり。
……だけども、今もはたと折につけ思う。
僕のこれは“幸運”であって、結局は“限定的”な出会いである筈なのだと。
だからあまり僕は声を大にして「幸せだ」とは言えない。言うべきではないと思ってしまう。
確かに以前に比べればずっと自分という個人は満たされて安堵したかもしれないが、決して
この先の全てが安全に照らされた訳じゃない。何より対比されるかのように、変化した自分
の一方で、尚もインターネッツの観測上を始めとした世の中は諍いや不幸感に満ちている。
マクロ──政治的なものならば今はまさに安保法制へのデモだし、TPP交渉に伴う経済や文化
への破壊に対する懸念だし、右派に左派、統一的な秩序か猥雑すらも礼賛するかという諸々
の対立構造である。
ミクロ──身近で酷く個々、私情に絡むものであれば、まさにやれ誰それが気に食わない。
その為にはどんな嫌がらせも罪悪感を覚えない罫線──所謂「毒人間」達と我ら一般市民は
どう向き合うべきか(あくまで共存しようとするか、被る被害と自己保全の為にそういった
者を集団から放逐して当然とするのか)というきっと永遠無尽の問題が今日も明日も横たわ
っている。

……思うに、先ず「平和」な時代なんてものは無かったのだと思う。仮にあると主張するの
なら、それは結局の所比較論かつ局所的な事象をみて言い張る類なのではないだろうか?
マクロな闘争──国同士の利害、果ては戦争。
だがここで素朴な疑問として思うのは、何故武器による争いだけを争いと社会は定義しよう
とするのだろう? 消えぬミクロな諍いという存在群に社会が蓋をしたいからか? だけど
も古今東西ヒトは戦ってきたし、闘ってきた。諍いとは常に世に満ちている。だから僕から
言わせてみれば、センセイ達が「平和」について論“戦”を繰り広げるのもまた「争い」で
あって同じく空しいものなのだと思う。
(勿論、現実的建設的に策を講じなければ、悪化はしても勝手に良くなるなんてケースは稀
或いは皆無なのだけど……)

──奴は持っている。私は持っていない。
──奴はこう言った。故に私は奴を憎む。
──奴はAと信じる。だが私はBと信じる。

なのに相手の揚げ足を取り、理性的で磨り合わせである「議論」ではなく「論破」ばかりを
狙ってそれが成されれば嬉々として徒党同士悦んでいるだなんて……どうにもアホくさい。
繰り返します。アホくさい。
個々人の幸不幸の多寡は違うけれど、救い無き「戦い」ならば、こうも巷には満ちていると
いうのに……。

時々思うのですよ。この世界の“幸福”の総量っていうものは、もしかしたら増やすことも
減らすことも出来ずに、全ての人々に不均等に配分され続けているのではないか? などと。
勿論、詮無く証拠もない思考です。だけどもそう考えずにはいられない。
僕は今、割と幸福だと思う。創作活動も許され、完全独立には遠いけどお仕事もして給料も
貰っているし、かつてあったタダ飯食らいの十字架は降ろせつつあるんではないか。
だけども……その一方で尚も苦しんでいる人達がいる。

自分のように病気や怪我などをし、満足に活動できずに精神的に金銭的に不幸な人々がいる
かもしれない。
ひょんな事から不幸が重なり、いわゆる「普通」の枠の中で生きられず、ただ在る事自体も
が困難な人々だっているかもしれない。
或いは只々、経済的に追い詰められている、環境(こと対人)的に逃げ場がないなどといっ
た理由で苦しみ、ひいては憎悪を沸々と溜め込んでいる人々がいるかもしれない。

過去に何度も僕はそういう人々の「憎しみ」がこの世の中というものを読み解くキーワード
になっているのではないかと言及してきました。そして現在、それはあながち間違ってはお
らず、同時にその説“だけ”に拠りかかる事の危険さ(巻き添え的な意味で)もじわじわと
感じている次第なのです。

落ちた、落とされた人々は、足るを知らない、認められない人々は、羨む。妬む。憎む。
「あいつも落ちてしまえばいいのに……」口にしようともしなくとも、彼らの集合した憎念
は多分この世界を純白のままではいられなくしている。詮無い事だ、不毛だ。多くの彼らだ
って解っているだろうけれど、それでも足を引っ張らないでは斜に構えて哂ってみせないで
はいられない……。

詮無い、不毛。
それは他ならぬ「諍い」を生み出すばかりか、世の中を回す総量としてのエネルギーを無駄
な方面に割いているから、というだけではないと思うのです。
……だって、結局ヒト全体として誰かを引き摺り下ろしただけでは「プラス」になった人間
はいないでしょう? 10と5がいたとして、5が10を嫉んで同じ5に削り落としたとしても、その
合計は本来の15から10になっている訳じゃないですか。それこそエネルギーの無駄遣いだし、
争いばかりが生じて誰も幸せになっていない。確かに引き摺り下ろした側の溜飲は下がるか
もしれませんが、所詮一時であって上っ面です。肝心要の内面の不全感を解消できない限り、
彼らはまた何処かで同じように嫉み、憎み、誰かを引き摺り下ろす事を繰り返すでしょう。

『不幸さとは結局感じ方の問題だ』そんな云いがしばしばあったりします。
まぁ、大よそは間違っていないのでしょう。幸福感はどだい相対的なようで絶対的(個々人)
の尺度ですから、どう捉えるかで見える世界は全く違ってくる訳です。
(禅の例えで言う「半分水が入ったコップ」を「半分しか入っていない」と取るか「半分も
入っている」と取るか。尤も原典では更に「半分は水、半分は空気。だから満杯」という見方
を正答としているらしいですけれど)

だけどもね……少なくとも感じ方の問題として、だからといって他人個人の不全感を詮無い
もの、顧みる価値の無いものと切り捨ててしまう事だけはやるべきじゃない。
尤もそれはどれにも絶対に価値があるんだ! という話ではなく、最低限の礼節というか、
あるべき態度だろうという意味で。

幸福を感じられる人がいる。時がある。
不幸ばかり感じる人がいる。時がある。

もし意図しなくても、自分が“幸福の総量”を彼らから奪ってその幸福感を享受しているの
かもしれないなら、そんな「後ろめたさ」くらいは常に小脇に挟んでおくべきだと僕は思う
のです。

その幸福を精一杯生きて後に渡すのか? それとも身を粉にしても今誰かに資するのか?
或いはそれらの按配すら含めて。

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  1. 2015/08/01(土) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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