日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-〔4〕

 その夜も、大人達の酒場は静かな盛況をみせていた。
 適度に薄暗い店内。その中を点々と淡い茜の照明が照らしている。今日一日の、或いはそ
れ以上の労をねぎらいながら、客達は思い思いに飲み交わし、語らっている。
「お待ちどう」
 そんな客の中に、イセルナとバラクはいた。
 カウンター席の一角に隣り合って座り、バーテンダーから新しく酒を入れて貰っていた。
 静かにグラスを掲げて、互いにカチンと。小気味良い音で今夜何度目かの乾杯を。
 一口、そしてちびちびとグラスを傾けながら、先にバラクが口を開く。
「この前は、すまなかったな。まさか魔人殺しの依頼だったなんてよ」
「気にしないで。あの時あの依頼書を抜き取ったのは、他ならぬ私なんだから」
 今夜はバラクの誘い、奢りだった。
 そういう事か。イセルナはふっと微笑を浮かべながら言い、グラス越しの酒に目を落とし
ていた。
「レギオンだって完璧じゃないわ。審査を抜けてしまう虚偽報告もないわけじゃないし」
「……だが結局、依頼は蹴ったんだろう? 無駄な手間を掛けさせたのは変わらんさ」
「ううん。これでよかったのかもしれない。もし私達じゃなくて、金次第で彼らを殺しかね
ない連中があの依頼を受けていたと思うと……ね。私達はただ魔獣を殺すんじゃない。人を
守る為に、殺さなくてはいけない立場なのよ」
「……ああ。そうだな」
 考え込むように眉間に皺を寄せるバラク。だがその横顔を見て、イセルナは何故か面白そ
うに上品に微笑んでいる。
「前々から思っていた事だけど。貴方って結構義理堅いのね、顔に似合わず」
「顔は余計だ」
 眉間に皺を寄せてぼそっと呟く彼に、イセルナは益々可笑しそうに笑っていた。
 カランとグラスの中の氷が少しずつ溶け、音を立てる。バラクは数拍心外なという表情を
していたが、
「……ただでさえ、俺達冒険者は世間の連中からは“定職を持たない荒くれ者”って見方を
される。実際に魔獣討伐やら兵力供与、便利屋、欲望丸出しのトレジャーハント──個人差
はあると言い張ってみても、そう見られるのは仕方ない部分はあるだろうな」
 次の瞬間には眉間の皺はそのままに真面目な物思いに変わってゆく。
「でもよ。だからこそ俺達は“仁義”を通さないといけねぇって思うんだ。もしそうじゃな
きゃ、金や欲ばっかりに忠実になってりゃ、正真正銘俺達は荒くれ者だからよ」
「……ええ」
「大体、最近の若い連中はそういう事を考えてなさ過ぎる。冒険者の看板を持ってるだけで
万能感を持ったり、仁義もへったくれもなく一攫千金を狙ってみたり……堕ちたもんだぜ」
 酒が回ってきているのか、バラクは普段よりも少々饒舌なように思えた。
 だがその紡がれている言葉が偽りだとは、イセルナには思えなかった。自身も数度グラス
に口をつけて静かに相槌を打ちつつ、同じく昨今の世相を憂う。
 元々、レギオンは魔獣の脅威から人々を守る為の組織だった。
 しかし時代と共に、瘴気の浄化技術が進むにつれ、それだけでは組織を維持できなくなり
今では「便利屋畑」という新しいフィールドへの進出にも積極的になっている。
 それはある意味仕方のない事なのだろう。魔獣の脅威が(少なくとも浄化設備の整った都
市部を中心に)緩やかな減少にあるのなら歓迎すべきことだとも思う。
 だが……それは魔獣の絶滅とイコールではない。
 そもそもに、究極的に言えばこの世にマナが満ちている限り、ヒトが文明を営む限り魔獣
の出現はなくならない。
 加えて、飛行艇の発達した今日では“開拓派”の者達が日々未だ全容の掴めない世界の開
拓に勤しんでいる。既存の都市の防衛以上に、新しい大陸、都市が歳月を追うごとに増えて
いっている。
「実の所、恐ろしいのは魔獣じゃなく、ヒトの欲望なのかもしれんな。……実際“保守派”
の連中は開拓派を『世界を徒に掻き乱す』などと批判を繰り返している」
「そうね。……かといって、もう止められないのだろうけど」
 彼の言葉は、一理を突いている。
 革新へと邁進する者と、古き慣習に寄り掛かる者。
 この職業柄、そんな彼らの対立も自分達は少なからず見てきている。
「もどかしいがな。しかしよ、イセルナ。お前も気をつけておくに越した事はないぞ」
 イセルナのそんな思いを含めた呟きにバラクは同意を示していた。だが続いて付け加えら
れたその助言に、彼女はそっと顔を上げて彼を見返す。
「お前も知ってるだろう? 開拓だ保守だと、世の中はどうもきな臭い。この前だって西方
で例の連中の仕業らしきテロがあったばかりだろう?」
「ええ。新聞にも載っていたわね」
「……気を付けておけよ。ただでさえ、お前の所は訳ありな奴らが少なくないんだ」
「分かってるわ。……忠告、ありがとう」
 イセルナはフッと微笑んで応えていた。バラクはふんと鼻を鳴らしてグラスをあおる。
 そんな彼を横目で見ながら、イセルナは氷とグラス、そしてカウンターテーブルに映り込
む自身の姿をぼんやりと眺めていた。
 豊かさの裏で、諍いの絶えないこの時勢。
 その過激さの象徴としてしばしば挙げられる彼ら。イセルナはカランと残り少なくなって
きたグラスと傾けると、小さな声で一人呟く。
「……結社“楽園(エデン)の眼”」


 Tale-4.縁、想々として

「う~……。気持ち悪……」
 その日の朝。ジークは少々体調が思わしくなかった。
 何時もよりも遅めの起床。どよんとした表情(かお)で、重く感じる身体を引き摺りなが
らもふらりと酒場へと顔を出してくる。
「きゃっ!?」
 そうしてぼんやりと歩いていて注意力が欠けていたのだろう。
 中庭の廊下から酒場の敷居をくぐった次の瞬間、中から出てきたレナと危うく衝突しそう
になった。
「……あ、ジークさん。すみません」
「そんなすぐに謝るなよ。悪ぃな、ぼ~っとしてて」
 ふわっとした雰囲気を纏っているウィング・レイスの少女。
 羽毛のような白い耳と背中の翼の物理的なふわふわ感も相まって柔らかな印象が増してい
るかのようだ。
 本人の手前絶対に口には出せないが、よくもまぁこんな天使みたいな娘がこのむさ苦しい
連中の集まる集団の中にいるものだとジークは改めて思う。
「あの、どうかなさったんですか? 何だか具合が悪そうですけど……」
「ん? あぁ、昨夜の酔いがちょっとな。副団長に付き合わされてたからさ」
「あ~……」
 そんな思考から現実に呼び戻してくれる、レナの気遣い。
 ジークがその不調──まだ身体に残る酔いのダメージを抱えながら苦笑して応えてみせる
と、彼女もまた柔らかい苦笑いを返してくれる。ダンの酒豪ぶりは皆の知る所だ。
「大変でしたね。でしたら、お薬を」
「いや、いい。腹減ってるから先に飯を食うよ。お前も先に行く所があるんだろ?」
 言って踵を返そうとしたレナだったが、それはジークがすぐに止めた。内心の過分な気遣
いへの申し訳なさと共に、ついっと彼女が先程からずっと両手に持っているもの──食事を
載せたトレイを顎で指し示す。
「なんつーか、すまねぇな。いつもステラの面倒見て貰って」
「いいえ。ミアちゃんも含めて、ステラちゃんは私達の大事なお友達ですから」
 詫びたつもりなのに、レナはあくまで優しく微笑んでいた。
 これが、奉仕の精神とやらなのかね……。
 ジークは彼女のその笑顔を直視できず、若干目を逸らし気味にしてポリポリと頬を掻く。
「ありがとよ」
 あいつは、俺の持ち込んできた種なのにな……。
 短く言いながら、ジークは何だか居た堪れなくなって酒場の中へと歩いていってしまう。
「すんません、寝過ぎました。朝飯お願いします」
「了解。適当に座って待っていてくれ」
 カウンターに控えていたエプロン姿のハロルドにそう一声掛け、ざっと店内を見渡す。
 朝の支度時は過ぎていることもあり、団員らの姿はちらほらとしかなかった。
 それでも、そのテーブルの一角に見知った姿を認めると、ジークはそれが何時もの流れで
あるかのように歩いていく。
「おはよう。中々グロッキーな顔だね」
「……満面の笑みで言うなっての。まぁ実際、酔いが残ってるわけだが」
 そのテーブル席には、一人シフォンが食後の珈琲をすすりながらまったりとしていた。
 微笑で話しかけてくる友にちょっとだけの悪態を返し、ジークは彼の向かい側に座る。
「つーか、お前も昨夜は一緒に飲んでたじゃねぇかよ……」
「僕はダンとはジーク以上の付き合いの長さだよ? 慣れというか覚えた距離感というか。
あの酒豪のペースに合わせて飲んでいたら僕だって身体が持たないさ」
「……そりゃそうだ。俺も慣れてくれればいいんだがなぁ」
 微笑と苦笑と。友二人は互いに静かに笑い合う。
 そうしていると「はい、お待ちどう」とハロルドがジークの朝食を持って来てくれた。
 ゆったりと踵を返す彼に一礼を返すと、ジークは早速その献立を頬張り始める。
「そういえば、もう団長達は依頼に出たのか?」
「うん。ダンやミアちゃん達と一緒にね。確か街道整備工事の警護……だったかな。複合応
募式だったから他のクランやフリーの同業者もいるし、全員で出ることもない。今日の僕ら
は待機組さ」
「そっか……」
 そういえば、庭でリンさんが皆に稽古をつけていたっけ。だからか。
 パスタサラダを啜って咀嚼しながら、ジークは先刻渡り廊下から見かけた光景を思い出し
ていた。何だか、若干置いてけぼりにされている気分だった。
 酔いがまだ身体を重くしているものの、かといって食事を抜けば出る元気も出ない。
(後でハロルドさんにでも言って薬を貰っておけば大丈夫……だよな)
 そう思って、ジークはとりあえず若さの余力に任せて目の前の朝食を片付けてゆく。
「ねぇ、ジーク」
 暫くそうして食事に専念していると、シフォンがふとカップをテーブルにそっと置いてか
ら言った。はたと手を止め、ジークも何用と視線を向ける。
「今日は何か依頼を入れているかい?」
「いやまだ何も。そっちこそどうなんだ?」
「僕もだよ。だから食べ終わったらギルドに顔を出さないかいと思ってさ」
 勿論、その酔いを抜いてからだけどね。
 シフォンはそうフッと微笑んで付け加えつつ言った。くいとお冷を喉に流し込んでから、
ジークは気安い感じで応える。
「おぅ、いいぜ。俺も酔い潰れて一日寝てるなんて性に合わねぇしな」
「決まりだね。まぁ二人だから便利屋系の何かにならざるを得ないだろうけど」
 ニカッと笑ってジークは朝食の残りを掻き込んでいた。
 最後にテーブルの上のサーバーからお冷を注ぎ足し、一気にあおって〆とする。
 そして人心地をつけて、二人はカウンターのハロルドに食器をカップを返していた。同時
に一言言って、酔い覚ましの薬も出して貰う。
「……」
 そんなジークらの一連の様子を、レナは戸口に立ったままじっと眺めていた。
 食事の用意に加え、団員らの健康管理も担当するクランの支援隊のリーダーである父。
 そうしてシフォンを含めた団員らと語らい、やり取りを交わすジークを見遣ってから、彼
女は密かに微笑むと、そっと身を翻して宿舎に続く渡り廊下へと進んでいく。

 私は──両親の顔を知りません。
 捨て子だったそうです。ある日、教会の軒先に置き去りにされていたらしいのです。
 そんな赤ん坊の私を独断専行ながらも保護し、今日まで実の娘として育てくれたのがお父
さん……ハロルド・エルリッシュです。当時は“クリシェンヌ教”の神官でした。
 古代の英雄の一人「聖女クリシェンヌ」様を神々の御遣いとして信仰する。それが今日に
おいて世界最大の信者を抱えるクリシェンヌ教──またの名を聖道教。
 お父さんは、その教団に所属する司祭様だったのです。
 でも……私が物心つくかどうかの頃、お父さんは教団を脱会しました。そして聖魔導を得
意とする冒険者として放浪の旅を始めたのです。
 何故、それまでの安定した地位を捨てたのか? 確かな事は分かりません。
 ただ私も大きくなるにつれて少しは物事が分かるようになると、お父さんが内心で苦悩し
ていたらしい事には気付いていました。
『人々を救う為に私達は祈る。だけど、それだけでは何も変わらない。変わってくれない。
何より教団という組織自体がもう人々の為ではなく、自分達の為の組織に成り下がっている
のだから──』
 お父さんが優しく、だけど凄く辛そうな眼で私に答えてくれた一度きりの言葉。
 あの時はまだ幼くて全部を飲み込めなかった。神様はちゃんと私達を助けてくれる。そう
頑ななまでに信じていたから。
 でも、現実は悲しいけどそうじゃない。力を振るえる者が全てを奪い取っていく。
 これは推測だけど……お父さんはきっと、自分の力で皆を助けたかったのだと思います。
 だから冒険者という道を選んだ。たとえ人々に荒くれ者と呼ばれ、煙たがられようとも、
実際に誰かを助けることのできる道を選んだ。
 イセルナさん達クランの初期メンバーの皆さんと出会ったのは、そんな旅路の最中の事で
した。そして共に旅をし、戦い、やがてこのクラン・ブルートバードが生まれたのです。
 変わっていった私の周りの環境達。
 でも、逃げ出したいとは思いませんでした。
 お父さん以外に肉親がいなかった事もあるけれど、でもそれ以上に、たとえ荒っぽくても
私と仲良く、とても親切にしてくれるクランの皆が大好きで──。

「ほら、また脇が甘くなっているよ。型を崩さないこと。不要な動きは隙を作るだけだ」
『ういっス!』
 レナが渡り廊下を歩いていると、中庭ではリンファが木刀片手に団員らに剣の指導をして
いるのが見えた。
 ざっと見ても相手は十人以上。なのに彼女は息一つ切らさず、次々と向かってくる彼らの
攻撃を最低限の足運びでかわし、いなし、すれ違いざまに霞む速さで峰打ちを叩き込んで地
面に伏せさせていく。
 力量差は言わずもがな圧倒的だ。
 しかしそれでも団員らは挫けない。すぐに起き上がっては木刀を手に向かってゆく。
 それだけ彼女の力を信頼し、慕っているからなのだろう。何よりさっぱりと凛としたその
言動は、同じ女性から見てもカッコイイと思う。
(……私はやっぱり、冒険者(みんな)をずっと勘違いしていたんだよね)
 トレイの上の朝食が鎮座している。
 レナは父が仲間に、友に用意してくれたそれに目を落とすと静かにそう思った。
 今でも冒険者(じぶんたち)と関わりの少ない人達にとっては、この業界はやはり荒くれ
者の集まりだと思われているのだろう。……正直な所を言えば、自分も始めの内は父のこの
転職に疑問を抱いていたのだから。
「大丈夫かい? 部屋で休んでおく? 依頼を見繕うなら僕だけでも」
「……いや、俺も行く。薬も飲んだんだ。軽く動いてる内に効いてくるって」
 リンファとは違う中庭の一角、レナとは逆方向の渡り廊下を、ジークとシフォンが歩いて
いくのが見えた。
 大方、支度の為に一度部屋に戻るのだろう。
 ちなみに宿舎内は、男女で左右に分かれた部屋配分になっている(とはいっても、団長の
イセルナやリンファなどを除き、大半は男性なので実質は半々ではないのだが)。
(ジークさん……)
 冒険者に対するイメージ。
 それを大きく変えたのは父よりも、仲間達よりも、何よりも彼だった。
 しかし、実はレナの中での第一印象は「何だか怖い人」──つまり決して良いものではな
かった。元々は教会という温室の中で育っていたのだから、根っからの荒っぽさに対して何
だかんだといって耐性が薄かったということもあるのかもしれない。
 でも今は。レナは自信を持って言えた。
 ジークさんは、皆は、そんなのじゃない……。
「……」
 きゅっと。少しだけ、少しだけ苦しくなる胸にそっと片手を当てて。
 レナは中庭に吹いてくる微風に身を委ねながら、静かにあの日の事を想う。

 それは、ジークさんがブルートバードの一員になって一年が経とうとしていた頃でした。
 あの日も私達は、ギルドが仲介する魔獣退治の依頼を受け、準備を整えると早速現場へと
赴いたのですが……。
「──こいつは、ひでぇな」
 既に、その現場である村は廃墟と化していました。いえ魔獣によって滅んでいたのです。
「……遅かったみたいね」
 ダンさん、そしてイセルナさん達団員の皆は、村の入口からそんな光景を見つめて暫くの
間その場に立ち尽くしていました。
 知識としては、知っています。むしろこれが魔獣による本当の被害なのです。
 でも、やり切れなかった。何度見ても、こればかりは慣れる事ができなかった。
「……大丈夫、レナ?」
「うん……。ありがとう」
 静かに打ちひしがれていた私を、ミアちゃんはそっと慰めてくれました。
 私も零れそうな涙を堪えて、大切な親友の気遣いに感謝していました。
「ブルート、魔獣の気配は?」
「弱いがあるな。群れとしては去ったようだが、まだ点々と居残っている可能性がある」
「じゃあ、俺達のやるべき事は」
「……ええ」
 その中にあっても、イセルナさん達は冷静でした。
 悲劇な末路が目の前に広がっていても目を背ける事なく、ややあって私達団員に指示を飛
ばしてくれます。
「皆、生存者を探しましょう。ハロルド達は結界を、シフォン達は散開して先遣調査を」
「他の面子は俺とイセルナ、リンにそれぞれ分かれろ。村の中を分割して捜索するぞ」
「ブルートの言っていたようにまだ魔獣が居残っているかもしれない。くれぐれも単独行動
は取るな。必ず四・五人以上のグループで動いてくれ」
『了解!』
 経験を積んだリーダー達がいるからこそ、私達は迅速に動くことができました。
 様子見で最初にシフォンさん達の遊撃隊が先陣を切り、その後続をイセルナさん達が担当
していきます。
「じゃあ私達は結界を張るとしようか。封印より浄化の結界だね」
 そしてお父さんや私の所属する支援隊が、そんな皆の動き出す姿を横目に一斉に詠唱を始
めていきます。
『盟約の下、我に示せ──聖浄の鳥籠(セイクリッドフィールド)』
 普段は魔獣の動きを抑える為に展開している結界。
 でも今回は、むしろ村内の瘴気を薄める為に張り巡らせてゆくものでした。
 皆で放った金色の魔力の糸が瞬く間に村内を覆い、ドーム状になります。どんよりとした
空模様がその輝きで少し眩しいものにも見えてきます。
 これで、私達が瘴気にやられてしまう──ミイラ取りがミイラになる危険性は大きく減り
ます。術式を維持する支援隊の皆さんを横目で見ながら、私はその事に一安心して。
(……あ)
 ふと、散開してゆく皆の中にジークさんの佇む姿を見ていました。
 それまでの印象の通り、何処か近寄りにくいぶっきらぼうな不機嫌面。腰に差した三刀は
十六歳の男の子には少し大きく映ってしまいます。
 ジークさんは、俯き加減でじっと村の中を見渡していました。
 瘴気により、魔獣により、朽ちた木々や家々。そして人だったであろう亡骸が点々と。
 思わず私は吐き気を催しそうになります。
「…………」
 でも、そんな光景を確かに目に焼き付けている筈のに、ジークさんは不機嫌面をピクリと
もさせていませんでした。
 怖い人。感情を押し殺したような──外から見えないように閉じ込めてしまったような、
そんな暗い表情(かお)。それでも私はただ恐れと若干の好奇心で、そんな彼の横顔を遠巻
きに見遣る事しかできなくて。
「お~い、ジーク。何ぼやっとしてんだ?」
「置いてくぞ~?」
「……あぁ。今行く」
 やがて他の団員さん達に呼ばれて、上着を翻して背を向ける後ろ姿をぼうっと見つめる事
しかできなくて。
 それから暫くは、皆で生存者の捜索を続けました。
 時折、村の中に残っていた魔獣と出くわしたりもしましたが、そこは傭兵畑の冒険者達。
群れを成している訳でもないという事もあり、皆ですぐに退治してくれます。
「皆、ちょっと来てくれ!」
 シフォンさん達が私達にそう伝令を飛ばしてきたのは、ちょうどそんな最中でした。
 何事かと集まってゆく私達。
 するとシフォンさん達は何故か茂みに隠れていました。私達がやって来たのを確認すると
シフォンさんは「あれを見て」と真剣な面持ちで視線を移して促してきます。
「あれは……」
 その先に建っていたのは、一軒の家。瘴気や魔獣の被害を受けたのは他と同じらしく、そ
の外壁は所々が朽ち始めていました。
 そして何よりも私達の目に付いたのは、その周りに集っている魔獣達の姿。
 それはまるで、あの家に魔獣達が引き寄せられているかのような……。
「群れ、って感じじゃないわね」
「そうだね。さっきから観察しているけど、個々にやって来ているみたいだ」
 イセルナさん達は慎重に対応を話し合っているようでした。
 数はそう多くはありませんが、生存者探しにシフトしている今、散開している兵力を考え
ればできれば避けたい戦いだったのでしょう。
「だが、あそこだけ魔獣が集中してるのは妙だ」
「だよなぁ。もしかして誰かいるんじゃ──」
 でもダンさんがそう一抹の可能性を口にした次の瞬間、その様子見は破られていました。
 ガサリッと茂みを飛び出し魔獣達へと駆けていった人物。
「!? おいよせ、ジーク!」
 それは二刀を抜き放ったジークさんでした。
 ダンさんが思わず振り向いて制止しようとしましたが、ジークさんは聞いてすらいなかっ
たようでした。ただ駆け出した勢いと抜刀の速さを以って、虚を衝かれた形の魔獣達を斬り
伏せ始めたのです。
「チッ……あのバカ。仕方ねぇ、俺達も加勢するぞ!」
 小さく舌打ちをして、ダンさんはリンファさんと共に先頭に立ち、数拍遅れる形で皆と魔
獣の群れの中へ斬り込んでいきました。
 続いてシフォンさんの遊撃隊の皆の矢や銃弾、お父さんの支援隊の皆の魔導が援護射撃と
して魔獣に降り注ぎます。
 奇襲という形でした。結果的に、その場にいた魔獣達は追い払うことができました。
 ややあってその騒音を聞きつけてくれたのか、散開して捜索に当たっていた他の面々が合
流してきます。
「まったく。何勝手に特攻掛けてんだよ」
 一先ずは安堵。でもダンさんは強面の顔をしかめてジークさんを責めていました。
「……誰かいるかもって言ったのは、副団長だろ」
「む……。それはそうだが、あくまで推測だっての」
 それでもジークさんは悪びれる様子はありませんでした。
 むしろ咎められた事にすら若干の不服を漏らし、二刀をぶらんと両手に下げて言います。
「大体、お前はいつも独断で無茶をだな」
「……待て。ダン」
 言い合いになりそうな二人。でもそれを止めたのは、イセルナさんの肩に止まったブルー
トさんだったのです。
 シフォンさん、そしてお父さんも彼の制止の意味に感付いたのでしょうか。魔導の心得の
ある面々の何人かが、ふとその視線を目の前の家の全景に移していました。
「中から気配がする。誰かいるぞ」
「何っ!?」
「……ならば、確かめてみる価値はあるようだな」
 リンファさんがそう結論付け、皆は頷き合いました。
 もしかしたらまだ中に魔獣も潜んでいるかもしれない。今度は遊撃隊や支援隊のメンバー
を囲むように円形の布陣を採りながら、家の中に入って行きます。
 中は外以上に損傷の度合いが進んでいました。
 お父さんが改めて浄化用の術式を展開し、念には念を入れ、私達は半ば廃墟になりつつあ
る室内を一つずつ検めていきました。
「ッ!? 今音が……」
 そんな時でした。二階の方から突然僅かですが物音が聞こえてきたのです。
 静まり返っていた分、即座に反応した私達。
 何か……いる。
 そしてイセルナさんの無言の頷きの下、私達はその音のした方向──二階のとある一室の
前へと集まり、彼女の手合図を以って一気に突入を図ったのでした。
「──ひっ!?」
 でも、そこに居たのは魔獣ではなくて。
「……女、の子?」
「もしかして、生存者か?」
 血や埃で汚れた大きなタオルに包まり、酷く怯えていた一人の女の子でした。
 魔獣ではない。その事に驚き、いいえそれ以上に安堵し、皆はゆっくりと彼女に近付いて
いきます。
 だけど……それでも彼女は。
「こ、来ないでっ!!」
 タオルで覆った身体を震わせて、叫びました。
 そこから覗いたのは、ウィザードである事を示す白系の銀色の髪。
 そして何よりも……恐怖で昂ぶった感情により血のように真っ赤に染まった瞳。
「……まさか」
「君、魔人(メア)なのか……?」
 それが意味する事態。
 私を含め、皆は次の瞬間には近付きかけた足を止め、目を見開いて驚きの表情を浮かべて
いました。
「殺さ、ないで……。私を、殺さないで……」
 魔獣にか、それとも漂う瘴気にか。
 瘴気に中てられ魔人となってしまったその子は憔悴し、何より怯え切っていました。
 無理もなかったのです。魔人は、魔獣化の亜種。魔獣と同じく人にとって忌むべき存在。
クリシェンヌ教の教えですらそう示されていた“常識”だったのですから。
「ま……待ってくれ。俺達は君を殺しに来た訳じゃないんだ」
「この村を助けに来た冒険者だよ。ほら、ここにレギオンカードも……」
「ひぐっ!?」
「このバカ! 怖がらせてどうするんだよ。ざっくり言えば俺達は魔獣を狩る側だろ?」
「……や、やっぱり、私を殺しに……」
「え? いや違う。違うって!」
「だぁ~! お前らゴチャゴチャやってんじゃねぇ、嬢ちゃんがビビってるだろうが!」
 怯える女の子と、宥めようとして逆に墓穴を掘っている皆。
 そんな皆をダンさんは叱っていたけれど、むしろその絶叫の強面の方が迫力があり過ぎて
いましたね。
「……」
 だけど、そんな中で別な行動を取る人がいました。……ジークさんです。
 皆がそれぞれに狼狽え、イセルナさん達が呆れ顔をしている中、ジークさんはおもむろに
一歩を踏み出し、震えている彼女の前に屈み込んだのです。
「な、何……? 殺される、の……?」
 ジークさんは暫くじっと彼女を見ていました。
 相変わらずのちょっと怖い、感情を押し込めたような眼。彼女もそんなジークさんの顔を
見て、何をされるのかと心持ち後退ろうとさえしていました。
「……お前。名前は?」
「えっ?」
「名前だよ。魔人になって忘れでもしたか?」
 でも、ジークさんは気にする事もないかのように訊ねていました。
 驚いたのは私達だけではありませんでした。彼女もまた、思っていた仕打ちが来ずに少々
面食らったようでした。
「……ステラ。ステラ・マーシェル」
 そして数細刻(セークロ)の間、躊躇いを見せた後、その子ステラちゃんは答えました。
 少しだけ「おぉ」と状況の進歩に驚いた皆。でもジークさんは続けます。
「歳、いくつだ?」
「こ、今年で十三……」
「……そっか」
 短く、一見してそっけない感じで呟くと、ジークさんはのそりと立ち上がっていました。
 イセルナさんやダンさん、お父さん達は勿論、団員の皆が、そして私もその後ろ姿をじっ
と見守っていて……。
 そして暫くその場に立ったままガシガシと数度髪を掻いて、ジークさんは振り向いて私達
に言ったのでした。
「……団長。こいつ、俺達で保護できねぇかな」
「保護?」「え? こいつをか……?」
 当然の事ながらダンさんを始め皆は驚き、ざわついていました。
「……できなくはないわ。守備隊当局やギルドに報告を通しておけば、クランの保護預かり
扱いにできる筈よ。でも……どうして?」
 その中でもイセルナさんは冷静でした。
 一瞬間、記憶を呼び起こしてそう可能である旨を答えると、ジークさんに問い直します。
「……田舎に、同い年の弟がいるんだ。ほっとけねぇよ」
 ジークさんは、そう確かに視線を逸らし気味に言いました。
(──ッ!?)
 そしてその瞬間、私の中で大きな変化が起きていました。
 いつもぶっきらぼう。ちょっと怖い感じの人。
 でも……本当は。彼は、とても優しい人なんじゃないかって。
 同い年の肉親がいる故の情だったのかもしれません。
 でもこの時の私には、そんな単純な理由には思えなかった。そもそもいくら冒険者とはい
え、魔人を前にこんな“一人のヒトとして”その相手を扱うなど難しい筈なのです……。
「……そう」
 その言葉に、イセルナさんは数細刻(セークロ)目を丸くしていましたが、すぐにフッと
表情を穏やかに緩めていました。何だか良いものを見たような、穏やかな眼でした。
「分かったわ。じゃあ連れて帰りましょうか」
「お、おい。そんな簡単に決めていいのかよ?」
「まぁ、確かに捨て置くわけにもいかないけどね……」
 だからこそ、彼女の比較的あっさりとした返事に、ダンさんやシフォンさん以下、皆は驚
きを隠せませんでした。
 それでもイセルナさんは私達クランの団長。リーダーなのです。
 戸惑いこそありましたが、最終的には皆、イセルナさんの決定を──ジークさんのステラ
ちゃんを自分達の仲間に加える事に同意することとなりました。
「……殺さ、ないの?」
「ああ。別にお前を殺せなんて依頼、受けてないしな」
 ステラちゃんはまだタオルの中にいました。
 それでも自分を殺しに来たわけではないと分かった分、怯えはなりを潜めていたように見
えました。
「……嫌なら別にいいぞ。上手く逃げ暮らせばいい」
「えっ、あの」
 半身を返してジークさんは少しだけ、突き放すように試しているようでした。
 だけど、ステラちゃんはちょっと戸惑っても拒む事はなくて。
「そんな事、ないです」
「……そっか」
 代わりにそっと、ジークさんはその手をステラちゃんに差し出していて。
 少しの躊躇い。でもやがてステラちゃんは、次の瞬間にはほうっと頬を赤く染めてその手
を取りました。
 成立だな? そう言いたげな上から目線。でもそこに宿っているのは威圧では決してなく
て、きっと魔人であろうが誰であろうが一人のヒトの身を案ずる事のできる、不器用だけど
芯の通った優しさの筈で。
(……よかった)
 無闇に争わなくてもいい。殺さなくてもいい。
 私も、そして皆も、そうホッと安堵の息をついていたのでした──。

(そうだよね……。ジークさんも、クランの皆も、世間が思っているような荒くれ者なんか
じゃない。誰かを守りたいって、そう思って力を振るっているだけなんだよね……?)
 レナは歩を進め、宿舎の廊下を歩いていた。
 今だったら、分かるような気がする。
 ジークも父も何故このような仕事を選んだのか。
 救いたかったのだ。本当の意味での力が欲しかったのだ。たとえそれを粗暴と揶揄されて
も実際に人を守る盾になれるのなら、守れなかった過去の自分への贖罪となるのなら、構わ
なかったのだろう。
 少し前に、ミアからアルスが語ったというジークの過去も聞いた。
 過去の苦しみを背負っていた。だからこそ、優しくなろうと強くあろうとしている。
 でも……もう貴方は強いんですよ? レナは心の中で思った。
 ステラちゃんという、もしかしたら他の冒険者や軍隊に討たれていたかもしれない少女を
救ってくれた。襲い掛かった苦しみに絶望しても身動きを止める事なく、進み続けている。
 レナの眼にはもうそれだけで充分過ぎるほど「強さ」だと思えた。
「……」
 そうしていて、ほうっとレナは自分が身体の中から火照っているのを感じていた。
 そっと胸を手を当てると、ドキドキと鼓動が早まっているのが分かる。
 しかし、分かっていもレナにはその意味を口に出す勇気はなかった。
 それは単に彼女自身の遠慮がちな性格だけではない。この気持ちを本人に告げれば……狼
狽える友がいると分かっていたから。
 そして立つ、ステラの部屋の前。
 一旦静かに息を整えてから、レナは朝食を載せたトレイを片手に、何時ものようにドアを
ノックする。
「ステラちゃん、私~。ご飯持って来たよ~?」
「うん、ありがとう。入って」
 ジークさんは面倒を見させて済まないと言う。
 だけど、そんな事は気にしない。
 だって……ステラちゃんは貴方が助けた、貴方を理解する切欠をくれた子だから。
「は~い。お邪魔しま~す」
 まだ籠りがちだけど、少なくとも自分達クランの面々には心を開いてくれた友に。
 レナは今日も甲斐甲斐しく世話を焼く。


 時を前後して、場所はアウルベルツ郊外の街道。
 そこでは朝早くから多くの作業員達が汗水を垂らして動き回っていた。
 街道の整備、もとい新規の延長の為の工事。即ちそれまで未開だった自然を切り拓いて道
を整備し、従来の街道網と連絡させる土木作業である。
「掘るのはこっちか?」
「いや、もうちょっと右……ああ、そこ。そこを境界に……」
「おーい、こっちにも破砕機を頼む~!」
 草刈機やつるはしを手に生える草を引き抜き、土を掘り返して均し、街道の境目を示すよ
うに杭を打って他の作業員らの目印にする。
 それは地味ではあったが、間違いなく世界を「開拓」する行為に他ならなかった。
 飛行艇を駆る新大陸の開拓者のような派手さはないにせよ、人の手が入っていない自然を
征服し、人の領域を拡げてゆく行為。
「──ギギ。ヌギギギッ!」
 そんな営みが、自然の領域──魔獣との境目を侵食することは言うまでもない。
 気付くと、作業を続ける面々より少し離れた茂みの中から複数の魔獣達が躍り出ようとし
ていた。
 浅黒く小柄な身体に歪んだ容貌。魔獣の一種、ゴブリンだ。
 荒削りな小剣や棍棒を扱う程度の知能はあるが、一体一体の戦闘能力は高い方ではない。
しかし徒党を組んで人に襲い掛かる習性を持つため、一般人にはやはり危険な害獣だ。
「ぬんっ!」「……ふっ!」
 しかし魔獣達の襲撃はほんの数秒で終わった。
 出現に気付き逃げ出そうとする作業員らに飛び掛ろうとした次の瞬間、戦斧と拳によって
一薙ぎにされたからだ。
 小気味悪い、擬音のような悲鳴を上げて地面を転がるゴブリンの群れ。
 彼らと作業員ら工事現場の間に割って入るように、ダンやミアら冒険者達の集団が立ちは
だかっていた。
「悪ぃな。引っ込んでて貰うぜ?」
「……来るなら、倒すだけ」
 これが今回ダン達が受けた依頼だった。
 街道整備の護衛任務。工事中に姿を見せるであろう魔獣を追い払ってほしいというもの。
 ダンやミア、イセルナの他にも、警護に就いている他のクランやフリーランスの冒険者達
の姿が現場には散見できる。
 マーフィ父娘の言葉に、ゴブリン達は闘争心を刺激されたようだった。
 各々に荒削りな得物を引っ下げ、再び面々に襲い掛かってくる。
「……雑魚が」
 そんな群れを一閃したのは、同じくこの警護を請け負ったクラン・サンドゴティマの頭、
バラクだった。
 小さな舌打ちと共に振った右手。
 次の瞬間、手首に嵌めていた腕輪から深緑の魔法陣が出現し、その腕全体が巨大な爪を持
つ手甲で覆われていた。
 一閃を受けた魔獣達は地面に倒れ、醜い鳴き声と共にのたうち回っている。
 ザックリと裂かれた傷口には強い酸性の毒がシュウシュウと煙を上げていた。
 酸毒爪甲(ポイズンガトレット)。バラクが主力として用いている“魔導具”だ。
「おおっ! 出た、ボスの十八番!」
「ボス、やっちまって下さい!」
 本来、魔導の行使には呪文の詠唱が不可欠だ。
 しかしそのプロセスを「呪文の文字列を媒体に予め刻んでおく」事で簡略化したのが、こ
の魔導具の最大の特性である。
 魔導の行使を補助するツールから設備、ひいては日常のインフラに至るまで形態は様々だ
が、狭義にはこのような概して装飾品の姿を持つ“戦術魔導具”を指す場合が多い。
「……言われずともな。てめぇらも手を動かせよ」
 この技術のおかげで、最低限マナの制御術を扱えれば──自身のマナを注ぐ事ができれば
誰でも魔導を行使し、或いは魔導を用いた各種インフラの恩恵を受けられるようになった。
 但し、その一方で行使媒体がヒトではなくモノである以上、その出力は魔導具自体の品質
に依存する度合いが大きくなってしまうのがデメリットの一つと言える。
 巨大な手甲。その爪先からは酸毒が漂っていた。
 わらわらと向かってくる魔獣を次々と薙ぎ払って、バラクは叫ぶ。
「キリエ、ロスタム、ヒューイ!」
「はい」「了解、ボス」「おうよ!」
 次いで銀髪の犬系獣人の女性キリエ、昆虫系亜人インセクト・レイスの男性ロスタム、赤
髪褐色の肌なヴァリアーの青年ヒューイ。サンドゴディマの三幹部が駆けた。
 キリエは素早い身のこなしで、目にも留まらぬ蹴りの乱舞を。
 ロスタムは、六本腕を活かした六丁拳銃それぞれに錬氣を施しての銃撃を。
 ヒューイは巨大な大矛を振るって、しつこく工事現場を──自分達の縄張りを荒らす作業
員らを狙おうとする魔獣の群れを切り崩し、追い払う。
「ギギ……、ヌギャー!」
 するとこの冒険者達の守りに劣勢を察知したのか、魔獣の群れは今度は木々草むらの中へ
と退却しようとした。だが……。
「──あら。何処にいくつもり?」
 ゴブリン達がハッと見上げた中空には、イセルナが微笑んでいた。
 持ち霊ブルートと自身のマナで合体したその姿は、まるで空に浮かぶ、青い翼を広げた天
使のようでもあって。
「ごめんなさいね? 邪魔をしてきたからには……消えて貰うわ」
 その青いオーラを纏った翼が大きく羽ばたくと、辺りに強烈な冷気が迸った。
 次の瞬間、魔獣達はあっという間に空を仰いだ格好で凍り付いていた。
 一匹残らず。それをざっと見渡して確認すると、イセルナは飛行のすれ違いざまに手にし
た剣で一閃、あっという間に魔獣の群れにとどめを刺したのだった。
「お疲れさん」
「……また、最後を持っていかれたか」
 優雅に中空を飛び着地、ブルートとの合体状態を解除するイセルナに、ダンとバラクがそ
れぞれ別の反応で言葉を掛けていた。
 ブルートバード、サンドゴディマ、そして他の冒険者。
 三人の周りでは彼女の華麗な戦いに感嘆しつつも、まだ魔獣が来るかもしれないという適
度な緊張感で警護に戻っていく同業者達の姿があった。
「ありがと。まだこの辺りは街に近いから、魔獣もあまり凶暴な種類はいないみたいね」
「だな。まぁこうして街を、道を作る以前は普通の山野だったわけだから、先人の努力には
感謝しとかねぇと」
「……ふん。柄にも無い事を言うじゃねぇか」
「あん? お前に言われたかねーよ」
「ふふっ。まぁまぁ……」
 一段落をつき、束の間の労いを見せるイセルナ達。
「……」
 他の団員達と引き続き警戒に当たりながら、ミアはそんな父らを遠巻きに眺めていた。
 そしてゆっくりと視線を移し、少しずつ拡げられ連結されていく街道を見て思う。
 一見すると、豊かな自然の中に人の営みが溶け込んでいるように見える。だが、それはあ
くまで“遠くから見た場合”であって、実際は人が世界を開拓して回っている。
 なのに自分達は、領域を荒された害獣を、魔獣を「邪魔者」として排除している。
 確かに冒険者は人を助け、守る存在。そこに力点を置くべき業界だ。
 だけど……本当にこの“邁進”は正しいのだろうか? ミアは時々そんな事を思う。
「くそっ、コイツはでか過ぎる……!」
 そうしていると、背後から作業員達の声が聞こえた。
 ミアが振り返ってみると、その視線の先では彼らが立ち塞がる大きな岩に苦戦しているの
が見える。辺りの草木を取り払い、道を作る前に邪魔になるらしい。作業員らの何人かが相
次いでつるはしを叩き込んでみるが、岩はちっとも削れていない。
「参ったな。計画の路線のど真ん中にこんなのがあると……」
「お~い、こっちに破砕機持って来てくれ~!」
「すま~ん! こっちも堅い所があって手が離せないんだ!」
 作業員らが別の地点で作業している仲間達にそう呼び掛けていたが、既に用意されている
破砕機(先端に金属の棘ドリルが取り付けられた重機。機巧技術による土建機材の一つ)は
他の岩砕きに投入されているらしく、当てが外れていた。
 その返答を聞き、作業の手を止めて困り顔をした彼ら。
「……ちょっと、どいてて」
 すると見かねたかのように、次の瞬間ミアは彼らにそう言いながら歩み寄っていた。
「どいてって……。一体何をする気だい、お嬢ちゃん?」
「まさか、自分がこの岩壊しますだなんて言わないよな?」
「……そのつもり、ですけど」
 驚いたのは作業員達だった。
 何せ見た目はすらっとした猫系獣人の女の子だ。素人の見た目ではとてもじゃないが、力
仕事を任せられるようには見えない。
「おーい、あんたら~」
 そうしていると、背後からミア達に向かってダンが呼び掛けていた。どうやら先程からの
やり取りを見て娘が何をしようとしているのか気付いたらしい。
「どいてな。ミアが手伝ってくれるんだろ?」
「こいつの言う通りにしておけ。巻き込まれて怪我をしたくないならな」
 バラクも次いでそう忠告を放ち、益々作業員らは訝しげになった。
 少なくともこの猫耳少女の妄言ではないようだが……。
 彼らは疑心半々といった感じで、そろそろと大岩とミアから離れ始める。
「……ん」
 周りの皆が充分に距離を取ったのを確認して、ミアは小さく頷くとそっと拳を握り締めて
いた。ゆっくりと腰を落とし、静かに深呼吸をして息を整える。
 目の前には大岩。ミアの何十倍も大きな岩が工事の行く手を阻むように鎮座していた。
 作業員達、そしてダンら冒険者の面々がその様子を見守っている。
「──ふっ!!」
 それは数拍の出来事だった。
 コォッと拳にマナを込めてオーラを漂わせた次の瞬間、ミアは瞬発的に跳ね上がった拳の
威力を真っ直ぐ大岩に向けて叩き込んだ。
 ビリッと空気が震えた。次いで、打ち込んだ拳を中心にサーッと無数のヒビが入る。
 そしてそこから一挙に結合を失って、大岩が粉微塵に崩れ落ちた。
 上がる土煙と轟音、そして驚愕で目を丸くする作業員や若手の冒険者達。
「……。ふぅ」
 やがてその雑音が止んだ後には、大岩は跡形もなく無くなっていた。
「お、おぉぉぉ!」
「凄ぇ!? あの岩を本当に粉微塵にしちまいやがった!」
「やるなぁ、お嬢ちゃん!」
 ミアの背後で歓声が上がっていた。
 ちらりと肩越しに目を遣ってみると、ダンやイセルナ、団員達が「よくやった」と言わん
ばかりに笑みを浮かべて頷いている。
「いや~、驚いたな……」
「こりゃあ男も裸足で逃げ出すパワーだぜ」
「……」
 だがそんな歓声の中で、ミアは彼らから漏れたそんな言葉を聞いて、思わず内心ぴくっと
反応し、静かな動揺に襲われていた。
(女の子じゃ、ない……。怪力女……)
 脳裏に浮かぶそんなフレーズ。
 そして、戦友(ジーク)の弟の優しい笑顔。
「──ッ!?」
 ぶんぶんと。ミアは次の瞬間、必死で頭を横に振っていた。
 どうして彼の事が……。
「…………」
 顔が赤くなって火照ってゆくのが分かった。あの時、ステラやレナにからかわれたやり取
りが脳裏に蘇る。
「おーい、ミア~? どうした~?」
「……何でも、ない」
 いけない。今は仕事中……。
 父が遠巻きに声を掛けてくるのに顔を上げて、ミアは途切れ気味に応えていた。


 昼休み。アルスは学院内の食堂にいた。
 いつもは魔導の修得に勤しんでいる生徒達も、この時間においては年齢相応の青少年にな
っているように思える。会食と談笑が方々で弾む食堂内で、アルスは一人席に着いて静かに
昼食を摂っていた。
「ねぇねぇ、あの子だよね? 持ち霊も連れてるし」
「や~ん。やっぱり可愛いい~♪」
「だよねだよね? 何ていうか、守ってあげたくなる系だよね?」
「……」
 だが、周りの学院生らは中々それを許してくれない状況だった。
 先輩達(特にお姉さま方)による遠巻きな品定め。
 アルスはそんな聞こえてくる黄色い声にほうっと頬を赤らめ、俯き加減になっていた。
「……モテモテだねぇ、アルス?」
「か、からかわないでよ……」
 加えて、傍らで漂っているエトナも何だかご機嫌斜めで。
 アルスは苦笑のままため息を一つ。鮭のソテーをちみちみとフォークで掘り出しながら、
間を保つ代わりのように頬張っている。
 とはいえ、恥ずかしい事この上ないが、まだ遠巻きに見られているだけならいい方だ。
 ただでさえ入学式以来、ほぼ毎日のようにラボ勧誘に来る先輩達や物珍しさで接触を図っ
てくる(女子)生徒達に正直言って疲れている自分がいた。
 それが新入生代表でスピーチをした──いやどちらかというと、シンシアと入学早々私闘
を演じてしまった報いであるのかもしれなかったが。
(……僕はもっと、普通に静かに勉強したいんだけなんだけどなぁ)
 また一つ、静かに嘆息。
 アルスはもきゅもきゅと昼食を口に運びながら、今更ながらに自分の置かれている現状に
後悔の念を抱いていたのだった。
「よう。相席いいか?」
 突然そう声が振ってきたのは、ちょうどそんな折だった。
 アルスが顔を上げると、そこにはそれぞれ昼食を載せたトレイを手に、いかにも快活そう
なヒューネスの少年と知的な雰囲気の鷹系ウィング・レイスの少年が二人。
 また勧誘などの類だろうか……?
 アルスは思いながらも無碍にはできず、コクリと頷いて承諾をする。
 二人は笑顔と微笑を零すと、早速アルスと向かい合うようにして席に着いた。
「……そんなに身構えなくていいよ? 僕らはラボの勧誘に来た訳じゃない。そもそも君と
同じ一回生だから」
「ま、噂の主席クンとやらがどんな奴かってのは、興味あったんだけどな」
 そんなアルスの様子を、彼らは予め想定していたのだろう。
 知的な感じの方の彼がそう穏やかに補足する横で、快活な感じの方の彼は人好きのする明
るい笑みをみせる。
「先ずは自己紹介をしないとね。僕はルイス・ヴェルホーク。専攻予定は……魔導理学か、
解析学かな。まだラボは決めてない」
「俺はフィデロ・フィスター。専攻は魔導工学だ。一昨日ラボの希望届けも出したんだぜ」
「魔導工学……。じゃあ、やっぱり魔導具の?」
「おうよ。俺、実家が武器屋だからさ。親父の跡を継ぐつもりでいるから“魔導具を作れる
武器職人”ってのを目指してるんだ。今の世の中、魔導具が作れればそうそう食いっぱぐれ
しないだろう?」
「ええ。まぁ……」
 鳥系亜人のルイスと、ヒューネスのフィデロ。
 見た目で判断するとすれば失礼だが、そういう将来設計はフィデロではなくルイスが語る
方がそれっぽいようにも思える。
「というより、フィデロの場合は何か技術をモノにしておかないと日銭労働者になってそう
だもんねぇ……」
「う、うっせーな。お前はいいよ、付き添いで受験したくせに俺より成績いいし……」
「……という事は、お二人とも元々からの知り合いなんですか?」
「ああ。知り合いも何も幼馴染だよ」
「同じ故郷出身の腐れ縁、といった所かな」
「そうなんですか……」
 やり取りを暫し。
 その中でアルスはこの二人の関係を垣間見、何だかほっこりと嬉しさを感じていた。
 多分、それは絆なのだろう。故郷から逃げるように出て行った兄を持ち、自身もこの身一
つで見知らぬ街に来た分、そういう寄り添える誰かが欲しかったのかもしれない。
「お前は何処の出身なんだ?」
「えっと、サンフェルノっていう村です。ここからずっと北にあるんですけど」
「北か。僕らは南部出身だから、ちょうど学院を挟んで向き合ってやって来たわけだ」
「……そうですね」
 アルスは少しずつ硬い身構えを解き始めていた。
 多分だけど、言っている通りこの人達は僕を勧誘に来た訳じゃない……。
 エトナも同じことを思っているのか、ちらと目を向けてみると同じようににこりと笑って
小さく頷いてくれている。
「でも、ちょっと意外だったかな」
「え……?」
「今年の新入生主席。この若さで持ち霊付きで、耳にした限りでは成績もぶっちぎり。しか
も入学早々に同級生と私闘を繰り広げる大胆さ──勝手な予想だけど、もっと自信満々な感
じなのかなって思ってたんだけど」
「だよなぁ。だけどこうして話してる感じじゃあ、むしろ控えめじゃん?」
「あ、ははは……」
 随分と噂が誇張されているらしい。アルスは苦笑してごまかすしかなかった。
 そういったイメージ像はむしろ彼女(シンシア)に近いのだが……。でもわざわざ彼らを
前に訂正する事もないかなと思った。
「皆、買い被り過ぎなんですよ。自分で言うのも何ですけど、僕はお二人の期待に沿えるよ
うな豪胆な人間じゃないです」
「ふふ、謙遜だね。成績トップは事実だろうに」
「……つーかよぉ? お前、ちょっと畏まり過ぎだって。さっきもルイスが言ってたろ? 
俺達同級生なんだぜ。ため口でいいって」
「で、でも」
 アルスは指摘されて少しビクついた。
 基本的に丁寧な言動な自分にそう言われてもという思いがあった。そして何よりも、彼ら
は自分よりも少し年上に見える。
「……アルス君は、いくつ?」
「えと、十六です」
「俺達は十七だ。な? 大して変わんねぇって」
「そう、でしょうか……」
 少なくともこれで年上は確定した訳なのだが。
 勿論、生徒の学年と年齢は必ずしも一致しない。それでも年上というだけでアルスにとっ
ては充分過ぎる材料で。
「うん。少なくとも僕らには普通に接してくれていいよ。むしろそうして欲しいな」
「そうだよ~。友達に敬語なんて変だろ?」
「とも、だち……?」
 しかし何気なくさも当然のようにフィデロはそう言った。アルスは目を瞬かせて静かに驚
いていた。
 それは気安く友人扱いされた軽さにではない。この僅かな時間で、何かと変な噂で固めら
れつつある自分を、友達として迎えてくれるという彼らの意思表示に驚いたからだった。
「? どうかしたか?」
「……い、いいえ」
 嬉しかった。もしかしたら、このまま変に皆に距離を取られたまま学院生活を送ることに
なるんじゃないかという不安も抱えていたから。
 アルスはゆっくりと、思案で俯いた顔を上げていた。
 そこには謙虚や戸惑いの色は薄れ、代わりに喜びの色が染まり始めている。
「……ありがとう。じゃあそうするね。よろしく。ルイス君、フィデロ君……」
 アルスは切り替えるように言った。思いがけず友を得られた事に感謝して。
「うん……。よろしくね」
「ああ、こっちこそ」
 そんな謙虚で穏やかな小さき主席に、学友二人は笑顔で応えた。

 新しくできた学友二人と昼食を摂り、暫しの談笑に華を咲かせた後、アルスは二人と別れ
午後からの講義をこなしていった。
(う~ん……)
 そして時刻は夕方。この日の講義も大方が終わりつつあった頃。
 アルスは一人キャンパス内のベンチに座って、じっとシラバスと睨めっこをしていた。
 何枚も貼られた付箋。吟味の跡。それでもアルスはまだ足りないと言わんばかりに、何度
もそこに列挙された教員陣の紹介文やラボの写真などの情報を見比べている。
「……まだ決めらんない? ラボならいっぱい回ったのに」
「うん。そうなんだけど……」
 そんな齧りつくように集中している相棒を、エトナは中空に浮かんだまま少し心配そうに
見守っていた。
 アルスが返したのは、苦笑。
 それは彼がそれだけ迷っているという証でもあった。
 エトナも彼の“目指す夢”を知っているからこそ結論を急かすことはできず、ただ微笑を
返してじっと待つ他なかった。
「見つけましたわ。アルス・レノヴィン」
 そんな最中だった。
 アルスが再びシラバスに目を落としていると、シンシアが姿を見せたのだった。
 彼女はベンチに座っている彼を認めると、堂々とした──何処か力んだような足取りでそ
の前まで歩いてくると言う。
「聞きましたわよ。貴方、まだ所属ラボを決めていないそうね?」
(う~ん……。結界研究の先生の講義も、思っていたのと違ったしなぁ……)
 だが、アルスは聞いていなかった。いや……思案に没頭していて彼女が近寄ってきた事に
すら気付いていなかったと言うべきか。
 その一方でエトナは気付いており、既に彼女へと顔を上げていたが、
「そ、その……。もし当てが無いのなら、私が入る予定のラボに貴方もと、特別に招待して
あげても……よろしいですのよ?」
 当のシンシアの方も、何故か照れたように視線を逸らしながら語っている為、そんな齟齬
が起きているのに気付いていないらしかった。
(解析学も違うよね。一応実践系の分野だけど、基本は既存の術式を分析して対応するもの
みたいだから、僕の最終的な目標とはズレちゃうし……)
 エトナの目にも、シンシアがガチガチに緊張しながら話しているのが分かった。
 何があったのかは知らないが、どうやらこの女もまたアルスを勧誘に来たらしい。
 エトナはむぅと頬を膨らませたが、やはり横目で見た相棒はシラバスと睨めっこを続けて
いるままだ。
「わ、私は学年次席。決して目指す高みは貴方にも遅れを取りはしませんわ」
(……ん?)
 そんな時だった。
 ふと、アルスの足元にぱらりと一枚の紙切れが落ちた。
 拾い上げて見てると、どうやらそれは追記の教員紹介の頁だった。おそらくはシラバスの
巻末にでも挟まって今まで気付けなかったのだろう。アルスはその文面に目を通す。
(何々? 教員名ブレア・レイハウンド。専門は魔流(ストリーム)力学、魔獣学……)
「で、ですからこれからは好敵手(ライバル)同士、同じラボで切磋琢磨を──」
「これだ!!」
 そしてアルスは突然叫びながら立ち上がっていた。
 その眼は最良の選択に出会えたという喜び。そして──シンシアの存在にも気付かない程
の興奮度合い。
「やっと見つけたよ、僕の目標にぴったりだ! 行こう、エトナ!」
「え? う、うん……」
 そしてそのまま傍らに浮かぶエトナに声を掛けて走り出す。
 エトナは唖然としているシンシアと確かに目が合っていたが、結局彼の駆け出す後ろ姿を
追って共にその場を去っていってしまう。
「…………。何なんですの?」
 ぽつねんと一人残されて。
 シンシアは妙な疎外感と共にその場に立ち尽くす。

 魔導師ブレア・レイハウンドの研究室(ラボ)は教員陣の詰める研究棟、その一階の一番
奥まった場所にあった。もっと言えば何処か物寂しい位置に在った。
 周りに生徒や教員の姿はない。アルスは自身の足音が廊下に反響するのを聞いてから、目
的のこの部屋の扉に掛かっているプレートを確認する。
 表示は『在室中』──今なら訪ねられる。
「……よしっ」
 アルスはごくっと息を呑んでから、遠慮がちにドアをノックした。
 十秒二十秒三十秒……三分。しかし返事は無かった。アルスはエトナと互いに顔を見合わ
せる。念の為に今度はもう少し強めにノック。だが、それでも返事はなかった。
「うーん、いないのかな?」
「確かにプレートを換え忘れた可能性はない訳じゃないけど……。あ、開いてる……」
 だが戸惑っている中で何気なくドアノブに触れてみると、扉はあっさりと力押しに負けて
身を退いていた。キィと小さく音が鳴る。再び二人は顔を見合わせたが、
「……すみませ~ん。レイハウンド先生はいらっしゃいますか~?」
「開いてたんで入っちゃいますよ~?」
 結局そのまま室内へと足を踏み入れていく。
 ラボの中は、他の魔導師もそうであるように多くの文献が壁一面の本棚にひしめき合って
いた。ただそれでも、この室内のそれは通常よりもずっと多いように思えた。
「……なんか、村のアルスの部屋を思い出すね」
「奇遇だね。僕も同じこと思ってた」
 壁一面を覆う本棚だけではない。机の上にも、果ては床にも敷き詰められるように。
 大量の書籍が、室内にはぎゅうぎゅう詰めに収められていた。アルスはおもむろに腰を降
ろし、足元の本の山の一つから一冊手に取ってみる。
 表紙には『アカデミアレポーツ』の文字。魔導学司(アカデミア)発行の公式論文集だ。
 そんな時だった。
「んぁ……? 誰だ?」 
 突然、もそりと部屋の奥で何かが動いたかと思うと気だるげな声がした。
 きょろきょろと辺りを見渡すエトナ。アルスは反射的にビクつき、手にしていた論文集を
手早く元の本の山に戻す。
「あ、あの。僕アルス・レノヴィンといいます。レイハウンド先生の……ラボですよね?」
「ああ。そうだが?」
 一見して本の山の中──目を凝らしてみると、実際はその隙間に収まったソファ──から
むくりと起き上がってきたのは、一人のヒューネスの男性だった。
 年齢は三十台前半くらい。ぼさぼさの茶髪に、着崩したラフな普段着。典型的な“如何に
もな魔導師”とは少々かけ離れている外見だといえる。
「ラボの見学に来ました。お、お邪魔だったでしょうか?」
「いんや、いいよ。どうせ惰眠だし。にしてもレノヴィンねぇ……。まさか今年の主席クン
がうちに顔を出しに来るとは。噂はかねがね」
「は、はあ……」
 アルスは思わず苦笑で応じるしかなかった。
 最後の一言は間違いなく、例のシンシアとの私闘に端を発した誇張された話の事だろう。
「ま、シラバスを読んだから来たんだろうけど自己紹介しとこうか。俺がここのラボの教官
をやってるブレア・レイハウンドだ。苗字が長めだし、呼ぶのは名前の方でいい」
「は、はい。分かりました。ブレア先生」
 そう言わせておいて、この茶髪の魔導師・ブレアは何処か自嘲するかのように言葉なく口
元に孤を描いていた。ガシガシと髪を掻きもそりとソファから立ち上がると、気だるげに室
内を見渡している。
「とりあえず見学に来たんだ。とりあえず話を──っと、その前に片付けねぇと。座る場所
がねぇや……」
「あ、僕もお手伝いします」
「おう。悪ぃな」
 ゆたりと足元の本の山の置き場所を変え始めるブレアを見て、アルスも動いた。
 暫く二人は座談できるだけのスペースを作る為に、黙々と本の束という名のエントロピー
を移す作業に集中する事となった。……尤も、にわかの整理で片付く量ではなかったが。
「こんなもんでいいか。じゃあ適当に座ってくれ」
「はい」「お邪魔しま~す」
 そしてその一仕事を終えて、やっとアルスとエトナはラボ見学という本来の目的に取り掛
かることができた。多少だが荷物を除けたテーブルを挟み、二人とブレアが対面して椅子に
座る形になる。
「さてっと……。何から話せばいいかね。何か聞きたい事はあるか?」
「そうですね。では、もっと具体的な研究内容を挙げて頂けると」
「ん~……。最近のだと魔獣生態の種別分析論文に、北方一帯のストリームの十年変遷シュ
ミレート、あとは瘴気のハザードマップ作成チームに加わってたりとか……だな」
「ふむふむ。なるほど」
 椅子の背にもたれて相変わらず気だるい感じで語るブレア。
 その言葉を聞きながら、アルスは小さく頷きつつメモを取っていた。
「……なぁレノヴィン。いや、アルスでいいか」
「? はい」
「お前、何でうちに来た?」
 するとそんな様子を眺めていたブレアが、はたとアルスの顔を上げさせると、そんな質問
をぶつけてきた。
 すぐに返答ができず無言で目を瞬くアルスの表情。
 ブレアの凝視する眼は、それだけ真剣味を湛えているように見えた。
 暫し、エトナも目を瞬いて戸惑っている中で二人の視線が交わっていた。
 しかしそれも数十秒の事。先にフッと真剣な眼を解いて口を開いたのはブレアだった。
「そもそも、一昨年くらいから俺の紹介はシラバスに載ったり載らなかったりしてる。学院
にとっちゃ俺はその程度の扱いなんだ。……分からねぇか? 流行らねぇんだよ。俺の専門
領域はさ。魔流(ストリーム)──マナの流れなんてのは魔導師を志すような連中なら大抵
普段から目を凝らせば見えるし、魔獣学に至っては研究対象が対象だから単に学者風情な身
だとリスクが大き過ぎる。どっちにしろ“手っ取り早く金になる”分野じゃねぇんだ。今の
学生──魔導師を志す若造がそんな選択を採るってのは、ぶっちゃけレアケースだ」
「……それは」
 無理からぬ論理であり、事実だった。
 元々、魔導とは世界(と精霊)に繋がり、その意思を汲み取る術だった。
 しかしそれはあくまで大昔の話。今日では文明を支える技術の片輪として、もっと実利的
なニーズが増え続けている。もっと言ってしまえば「金になる魔導」だ。
 そうした傾向は何も魔導だけに留まらず、所謂“保守派”からは批判の的になっているが
それでも現実はカネが物を言う。ブレアの言うように優秀な稼ぎ口としての魔導師というの
は、今の時代はそう珍しい動機ではない。
「それにお前さんは今年の主席だ。他のラボからもラブコールは貰ってるんだろ? だった
ら俺ん所みたいなマイナーもマイナー、もう在籍生すら居やしない弱小ラボに構ってる暇は
ないんじゃないか?」
 だからこそ、アルスはブレアが自身を哂うようにそう話してみせても上手く反論できない
でいた。誰も他にいない閑古鳥。そんな自分になど構うな。そう言われているようだった。
「……駄目なんですか?」
「ん?」
 それでも、アルスの意思は固かった。
「魔導師が儲けなんて無視して研究に没頭しちゃ、駄目なんですか……ッ!?」
 膝の上でぎゅっと握った拳にギリリと力を込めて、潤みかけた両の瞳がブレアの自嘲の顔
を強く見つめ返す。
「……じゃあ聞かせろよ。お前ほどの優秀な卵が、何でそこまで俺みたいな儲からない分野
のラボを叩いたのか」
 その意思の強さを、ブレアは汲み取ったらしかった。
 自嘲する声色を落とし、すぅっと目を細めてそうアルスに訊ね返す。
「…………。はい」
 たっぷりの逡巡。
「僕は、ここから北にある小さな村で生まれ育ちました。この街のように発展もしていなけ
れば、インフラの整備も行き届いていない集落です。でも僕は自然が豊かで、精霊達が楽し
そうに飛び交って、皆が穏やかな時間を共有する……そんな村が大好きでした」
 だがアルスは、やがて同じく静かに目を細めて答え始めていた。
「でも僕がまだ幼い頃、村を魔獣の群れが襲いました。村の自警団の皆が必死に立ち向かっ
て守備隊が到着するまでしのごうとしました。でも……結果を言えば、間に合わなかった」
「……」
「沢山の仲間が、死にました。父さんを始め自警団の皆──今も行方知れずになったままの
人もいます。多分、魔獣に食べられちゃったんだと思います」
「親父さんが、か」
「……はい」
 当時を思い出したからなのだろう。アルスはくしゃっと表情をしかめていた。
 潤んだ瞳がより溢れ出んとし、それをアルスは袖でゴシゴシと拭う。傍らで浮かぶエトナ
も心苦しそうな表情で彼を見守っていた。
「でも、それだけじゃ済まなかった。……僕と兄さんの前で、よく知ったおじさんが瘴気に
中てられて魔獣になってしまったんです」
 ぽつりと。だがブレアの真剣さを帯びた眼は確かに一層鋭くなって。
「おじさんは、魔獣になり切ってしまう前に言いました。村の皆を手に掛けてしまう前に、
自分を殺してくれと」
「…………」
「頷ける訳がありませんでした。でも、僕らが拒んでいる内におじさんは魔獣の側にもって
いかれてしまって……。気付いたら、兄さんが剣をおじさんの首に……」
 砕けてしまうのではないかという程に、握り締めた拳が震えていた。
 もうアルスの目は涙を押し留めておく事ができなかった。
 ぼろぼろと零れ、テーブルの上に落ちてゆく哀しみの雫。それはあの日から今まで、ずっ
と彼の中で溜まり続けていた悔しさに他ならなかった。
 ブレアが押し黙ってじっと見つめる中、アルスの声が一際感極まって大きくなる。
「何も、できなかった……っ! ただ怯えて、父さんも母さんも、兄さんもおじさんも村の
皆も泣いていたのに、僕は何もできなかった! 僕は兄さんみたいに剣を振るえない。武芸
の才能はない。でも、でも魔導なら……勉強ならできる。だから必死に勉強した。もう二度
と、瘴気や魔獣で誰かが泣かなきゃいけないなんてことにならないように……もう二度と、
あんな悲しい思いをさせないように……ッ」
 そっとブレアが一度目を閉じる。エトナが我が事のように自身の胸をきゅっと抱く。
 一度溢れた感情を若干抑え直して、アルスは言う。
「救いたいんです……守りたいんです。瘴気や魔獣で、これ以上誰かが悲しまないように。
その為に僕は魔導を学んできました。僕にできることは勉強くらいだから……。僕は、魔導
師になって、瘴気や魔獣を可能な限りゼロにしていく方法を見つけたいんです……」
 それがアルスの理由だった。夢であり、あの日からずっと抱き続けた目標だった。
 だからこそ“金になる魔導”は眼中になく、たとえ儲けのない分野でも、リスクを負う事
になってもこの道を選ぶことしか考えていなかったのだ。
「……なるほどな」
 たっぷりと間を置いて、ブレアは小さく呟いていた。
 そして必死に涙を抑え堪えているアルスを見下ろすと、
「安直に訊いて、悪かった。辛かったろ」
 ポンと優しく彼の方に手を遣る。
 僅かにアルスは頷いていた。ブレアもその小さな挙動を見逃さない。
「確かにその目標なら俺の専門はど真ん中だ。……もしかして、うちが本命だったのか?」
「はい……。シラバスを見て、ここしかないって思いました」
「……そうか」
 立ち上がったままそっと視線を逸らし、ボリボリと髪を掻くブレア。
 アルスはようやく感極まった自分を静め終えかけていた。傍らではそっとエトナが彼の手
を取って見守っている。
 暫し、いやもしかしたらかなりの時間が流れていたかもしれない。
 じっと背を向けた格好で黙り込んでいたブレアだったが、やがてふと半身を返すと、肩越
しにアルス達に振り向いて言う。
「……いいぜ。俺がお前の指導教官になってやる」
「! 本当ですか!?」
「ああ」
 だが、その表情はまだ何かを仕込んでいるかのようだった。
 同情は消えていた。しかしそこには一人の先輩魔導師としての真剣さが宿っている。
「俺もいい加減、窓際な研究生活には飽きてた所だしな」
 顔を上げてその挙動を注視する二人に、ブレアはじっと目を細めると、
「但し……。一つ、条件がある」
 眼に力を込めてそう言ったのだった。

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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