日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブル〔4〕

 あの日はやがて風化していく、私達の記憶の一頁の筈でした。
 あの日あたし達は、ただ近所の裏山で遊んでいただけだったのに。
『グルル……ッ!』
 気付いた時にはその子がすぐ近くまで迫っていました。ガサリと背後の草むらから物音が
したかと思うと、そう私達を威嚇するように低い唸り声を上げていたのです。
 首輪もついてない。薄汚れていて気性の荒そうな一匹の犬。
 野犬だった。今なら犬一匹どうって事ないやって思うんだろうけど、何せあの頃のあたし
達はずっと小さかった。そこそこの大きさがあれば、自分と同じかそれ以上の体格として目
に映っていた訳で。
『ひっ……!』
『な、何よお。あっちいけ! しっ、しっ!』
 私はすっかり怯えて二人の陰に隠れていました。ソラちゃんは気丈にも立ち向かい、何と
かこの野犬を追い払おうとします。
『大丈夫だよ。海沙と宙は僕が守るから』
 あたしの横で、海沙の前に出て庇うように。
 そんな中でもあいつは変わらなかった。
 いつものように静かな声で、細めた笑みを貼り付けたまま、じっとこのよだれを垂らして
威嚇して──多分自分の縄張りに入って来たあたし達を敵と見なしていたんだろう野犬とじ
っと睨み合っていた。
 それでも野犬は一向に退いてくれませんでした。多分私達が怖がったり刺激したりして興
奮を煽ってしまっていたんだろうと思います。
『グルルルル……ッ!』
『──っ』
 そして一層激しく吠える野犬。
 するとこの子がいよいよ飛び掛かってくる、そう気取って思わず身を縮込めようとした次
の瞬間、むー君は半分咄嗟のように近くに落ちていた木の棒を拾っていたのです。
『ギャウンッ!?』
 一打。
 睦月は飛び掛っていたこの犬に、思いっきり横殴りの一発を打ち込んでいた。
 子供がそんな反撃をしてくるなんて思わなかったのか、その瞬間野犬の方は甲高くちょっ
と情けない悲鳴を上げていた。
 ……でも、その一瞬だけだったのです。
 私達(あいて)に攻撃の意思があると解った瞬間、この子の向けてくる敵意はあからさま
に尖ったのですから。
『ウゥゥ……。ガウッ、ガウガウガウッ!!』
『うひぃ!?』
『ちょ、ちょっと何で逃げないのよぉ……』
『──』
 だからなのかもしない。
 実力行使で追い払おうとしても尚、吠えてくるこの野犬にあたし達子供の気持ちが折れそ
うになったその時、ザリッと、一歩また一歩と睦月が棍棒を握ったまま一人こいつに向かっ
て歩き出していたのだ。
『……ふぇ?』
『ちょっと。睦──』
 ギャアンッ?! ちょうど、次の瞬間でした。私達が戸惑うのも聞かず、むー君はただ背
を向けたまま無言でその棍棒を振り下ろし始めたのです。
 私も、ソラちゃんも突然の事に唖然としていました。
 一発、二発、三発、四発、五発……むー君の反撃は止まりません。
 どうと、野犬がその度に悲鳴を上げて地面に叩きつけられる音がしていました。
 ビチャリ。むー君の左や右から、赤黒くてどろどろしたものが吐き出されていました。
『む……むー君、もういいよぉ!』
『ストップストップ! 睦月、やり過ぎだってば!』
 多分、あいつはあいつになりに必死にあたし達を守ろうとしたんだろうと思う。
 怖かった筈だ。なのにあいつはたった一人で身の丈が殆ど同じな野良犬と向き合い、血塗
れするまで殴り続けたんだ。
『……』
 慌ててあたしと海沙は駆け寄っていく。やはりというべきか、野犬はボロな茶色の体毛を
あちこち赤く染めてぐったりと動かなくなっていた。
 ぽたぽたと、握る棍棒から血が滴っていました。
 もうすっかり半泣きになっていた私の肩をソラちゃんが抱いてくれながら、ゆらりとむー
君は私達の方へと振り向いたのです。
『……大丈夫? 二人とも、ケガはない?』
 安堵より多分悪寒、だったんじゃないかな?
 そう返り血でべったりと赤くなってしまった姿のままで、むー君はだけど静かに何時もの
ように“微笑(わら)って”いたのでした。


 Episode-4.Girls/近くて遠い距離

 カタカタと、夜の自室で海沙は一人キーボードを叩いていた。
 しんと静かな一時。されど眼前のデスクトップPCに映るワープロソフトには、書きかけ
て止まった文面が音もなくその最後尾にカーソルの点滅を置き続けている。
「……う~ん」
 だがその日、これ以上文面が書き進められる事はなかった。彼女は暫くじっと画面に張り
ついて粘っていたが、密かに抱える悶々とした気持ちがそれをさせてくれない。
「駄目だぁ~、集中できないよぉ……」
 とすん。そのまま机に突っ伏して項垂れる。カチカチと、部屋の時計の針だけが変わる事
なく一定のリズムを刻んでいる。
 海沙は人知れずため息をつく他なかった。意識しまいとすればするほど、却って脳裏に蘇
ってしまい胸がわざつく。
「……」
 見てしまったのだ。
 今日の夕方、プリンタ用のインクを買い足しに西の電気街に出掛けた時、偶然にも道向か
いの人ごみの中に睦月(おさななじみ)の姿を見つけたのだ。
 それだけならまだいい。
 だが問題は……その連れに國子がいたという事。
 あそこで何をしていたのかは分からない。だが自分達以外の女の子と二人きりで──私服
に着替えて遊んでいたのだと知った時、自分はどうしようもない不安に駆られたのだ。
(気になる……気になるよぅ。あっちって繁華街だよね? 二人してナニをしようと……)
 うわぁぁぁ!? 思考だけなら何処まででも羽ばたいていける。
 海沙はついイケナイ想像を膨らませ、一人突っ伏した机の上でじたばたともがいていた。
 直接むー君か、陰山さんに訊く? だけど正直に答えてくれなかったどうしよう。
 だったら……ソラちゃん? 駄目だ。そんな相談(の)、殆どカミングアウトしているよ
うなものじゃないか。
 それに、多分だけど、ソラちゃんも──。
『如何されましたか、マスター』
 ちょうどそんな時だった。長らく操作の手が止まったままなのを感知して、机の上に置き
っ放しになっていた自身のデバイスから声がする。
 画面には、紫紺のローブを纏った賢者風の青年が、ふよふよと複数の古書に囲まれながら
浮かんでいる。
 ──ビブリオ・ノーリッジ。海沙のデバイスに宿るコンシェルだ。小説や詩を書くという
密かな趣味を持つ主の影響もあり、その性質は語彙や事物の検索能力に特化したものとなっ
ている。
『作業速度の著しい低下が観測されています。コンディションが悪いのならば、先ず充分な
休息を取る事を推奨します』
「あ、うん……。ごめんね。ちょっと考え事してて。──コマンド、検索の終了。今夜はも
う書けない感じかな? お風呂入って寝るね」
『了解しました。検索システムをシャットダウンします。尚リラックスを目的とする場合、
湯船の温度は38℃前後にした上で入浴される事を推奨します』
「うん……。ありがと」
 自分の使い方でこうなったのだけれど、何だか一々管理されてるような気がするなあ。
 海沙はそう応じながら苦笑していた。忘れずに小説のデータは保存して、粘っていた気力
もふいっと解きPCの電源を落とす。
 デバイスを、ビブリオを手に取り一旦その電源も消した。
「…………。はぁ」
 さぁ、お風呂に入って来よう。一晩も眠れば大分気持ちも楽になるだろうか?
 とにかくいつも通りに。いつも通りに。
 明日も、むー君達と一緒なんだから……。
 タオルに包んだ着替えを小脇に抱え、部屋を後にしながら、そんな事を想う。

『ちょっと睦月。あんた海沙に何をしたのよ? -宙-』
 ハウンド・アウターとの対面から一夜。
 睦月のデバイスにはそんなメッセージが届いていた。
『早く風邪治しなさいよ? 海沙も心配してるし。あとあんたのお弁当も食べられないし』
 加えてほぼ同時刻に届いたのはそんな文面。
 睦月はそっと苦笑いしながらデバイスの画面を見ていた。ふよふよと、メッセージボック
スの枠外からパンドラが暇そうに覗き込んできている。
 そして文面の端には、ガンマン風なカール髭おじさんのSDアイコンが。
 Mr.カノン。宙のコンシェルだ。
(やっぱり小言が来たかぁ。でも何をしたって……何だろ?)
 この日、睦月は学園を休んでいた。表向きは風邪をひいたという方便である。
 だがその実は言わずもがな、昨夜のアウターを今度こそ倒す為だ。
 同じく三条家(いえ)の用事と称して休みを取った皆人や國子と共に、睦月は飛鳥崎の地
下深くにあるここ“司令室(コンソール)”にて出撃の時を待っていたのだった。
「……何もお前まで休む事はなかったろう。二人に勘繰られてしまえば、元も子もないぞ」
「分かってるよ。でも、あんな事を聞いてじっとしていられる訳ないじゃないか」
 制御卓の前で職員らと膨大な情報と睨めっこしていた皆人が、ふと気付けばこちらにやっ
て来て後ろからデバイスに届いたその文面を見ていた。
 苦い微笑のまま振り返る。
 そんな表情(かお)ながら睦月の決心は揺るがなかった。
 やれやれ……。皆人がぽりぽりと軽く後ろ髪を掻き、心持ち視線を逸らしている。

『……そう、悠長な事は言っていられないかもしれないがな』

 昨日、ハウンドとその召喚主を取り逃がした夜、インカム越しに皆人が語ったこと。
 それは越境種(アウター)達にとって、自分を召喚した人間は所詮充分な実体を得るまで
の繋ぎ──“歩く電源”でしかないということ。
 基本的にアウター達は、召喚主の願いを(強引に)叶える事でこの現実(リアル)に影響
を及ぼし、その事実で以って自身をこの世界に固定化させしむ。
 従ってその目的が果たされれば、奴らはもう召喚主に改造リアナイザで逐一呼び出して貰
わなくていい訳だ。
 なので皆人ら対策チーム曰く、アウターが現実(リアル)に現れて日数が過ぎればその分
その個体が実体化(しんか)を果たしている可能性が高い。即ち召喚主が無用の存在となり
始末されてしまっている可能性も、また増す。
 特に今回は殺人という、最も現実(リアル)にインパクトを与える方法で召喚主の願いを
叶えている。あまり悠長にしていられないとは……そういう事なのだ。
「あの時のあいつは悪人だったけど、だからといってみすみす死なせる訳にはいかないよ」
 ぎゅっとデバイスを握り、睦月は皆人達を見据えると言った。
 勿論。職員らや片隅で待機していた國子、母・香月ら研究メンバーもその思いは同じだ。
「そうだがな。二人に怪しまれないかと心配していたのは他ならぬお前だったろうに……」
 ぶつぶつ。そうごちる親友(とも)は、苦言というよりは世話のかかるといった風な苦笑
を浮かべているかのようだった。
 制御卓の方へと戻っていく。睦月──。職員らに合図と確認を取り、彼は話題を切り替え
るようにして言った。
「とにかく。昨夜の一件で召喚主の身元が判明した。木場荒太(あらた)。飛鳥崎西高校の
元二年。半年前に中退している。現在は職を転々としながらフリーターのような事をやって
暮らしているようだ」
「ただこの彼、結構な不良君のようでしてね。在学時も素行不良で、度々喧嘩沙汰を起こし
ていたようです」
「一連の犠牲者の中には、その頃からの知り合い──というか、抗争相手が何人も混ざって
ます。環境が変わってもその性質が変わる事はなかったみたいですね」
「接触時の発言からも、とにかく“力”を求めていたようだったからな。繰り返す抗争の中
で、その凶暴性がエスカレートしていったのかもしれん」
「……」
 司令室(コンソール)の大画面上には、今回の召喚主──犯人の片割れ・木場の顔写真や
個人情報が次々と表示されていった。
 中には犠牲になった人々や、事件のあったポイント、監視カメラが捉えた殺害の一部始終
も含まれている。
 不憫と、それを軽く叩き出すほどの義憤が睦月を支配していた。
 皆人達はどうなのだろう? 自分よりもアウター関連については場数を踏んでいるからな
のか、総じて無感動な──感情を押し殺しているかのようにも見えるが……。
「そろそろ動こう。先ず優先すべきは木場の居場所だ。既に街に出ている隊員達にもこの分
析結果を伝える。睦月達は、彼らと連携しながら例の地区一帯を中心に洗ってくれ」
『了解!』
 ばたばた。残る者と動く者に別れていく。ふよふよと、デバイスの中で唇をきゅっと結ん
でいるパンドラを上着の内ポケットに押し込み、睦月は國子達と共に司令室(コンソール)
を後にして行った。
「……気を引き締めていけよ」
 間に合えば、いいのだが。


「いただきま~す!」
「……ます」
 いつもの時間、いつもの場所。でも今日という日だけはいつも通りじゃない。
 午前中の授業が済んでの昼休み。海沙はいつものように学園の中庭で弁当を広げていた。
 だがそこには、いつも一緒にいる筈の面々がいない。
 宙だけだ。睦月も皆人も、國子も今日は学園を休んでおり、普段わいわいと楽しい時間だ
とばかり思い込んでいたこの一時も、ただ二人であるだけでどうにも物寂しい。
 なので、今日のお弁当は睦月ではなく自家製だ。
 けれども宙(しんゆう)はいつものように美味しそうに、幸せそうに食べてくれている。
 その事が密かに自分を慰めてくれた。ちみちみと、箸で几帳面に詰めたおかずを摘まんで
は静かに口に運んでいく。
(むー君、大丈夫かな……? 三条君と陰山さん……も)
 五人ではない時などいつ以来だろう。
 中等部の頃に三条君・陰山さんと出会い、むー君が彼と親しくなった辺りから、自分達は
自然とこの面子で集まるようになっていた。
 そう。彼が来る時は、決まってその護衛役でもある陰山さんも一緒に。
 陰山さんも、一緒に……。
「しっかし珍しい事もあるもんだよねえ。睦月が風邪で、皆っち達も家の用事かあ。何だろ
ね? やっぱこの前の研究所(ラボ)の件かなぁ?」
「う~ん、どうなんだろ。あまりそういう難しいことは私達には分からないし……」
 だから思考はつい昨夜から悶々としているあの事に流れていき、ずずんと沈み込んでいき
そうになるその気持ちを、知ってや知らずかちょうど相対する宙がそう話を振ってきて引き
摺り上げてくれた。
 曖昧な返事。だけども特に思い当たる節が他にある訳でもない。
 何だろう。
 あの事だけじゃなくて、何だかもっと嫌なことが起こっているような気がする……。
「……海沙」
「えっ? な、何?」
「何? じゃないよ。元気ないじゃん。どうしたのさ?」
「そ、そんな事……」
「はあ。いい、いい。まぁ長い付き合いだからね~……。何となく分かるけど」
 だからその実、目の前の親友が自分の異変に勘付いていたらしい事に気付くのが遅れた。
不意にそう訊ねられ、遮られ、海沙は思わず返す言葉を失う。
「大方、睦月でしょ?」
「──っ!?」
 故に一発で言い当てられた時、彼女は頭が真っ白になるほどに慌てた。
 やっぱりね……。そんなある意味分かり易い反応に、対する宙はにんまりとした含み笑い
をみせながらにじり寄って来る。
「話してみ? 背負い込んでるよりは楽になると思うよ?」
「……。うん」
 暫く躊躇ったが、結局海沙は彼女に打ち明ける事にした。
 見破られている。その上で隠し通せるほど自分は器用ではないという自覚があったし、何
より睦月を含めても一番長い付き合いの親友(とも)を欺くなどしたくなかったからだ。
「……昨日ね。見ちゃったの」
 そして訥々とながら話した。
 昨日、睦月と國子が二人して出歩いているのを見かけたこと。
 その場所が西の繁華街──飛鳥崎の中でも物騒で、いわゆる“遊び”場がたくさんある地
域であったこと。そんな状況からしてまさか二人は……と思ったこと。
 更に翌の今日になって彼が風邪で休むと言い出し、彼女の方も皆人と一緒に家の用事だと
言って同じく公欠を取っている。その事実が自分の猜疑心に拍車を掛けていること。
 何より……そんな邪推ばかりで本人達に質す勇気もなく、疑って嫉妬している自分がどう
しようもなく許せないんだということ。
「……」
 暫く宙は黙っていた。口におかずを含んだまま食べる手も止め、じっとそんな遅速な海沙
の吐露に聞き入っていた。
 もきゅ。だけどもやがて、彼女は咀嚼を再開し始めた。
 喋り難いからなのだろう。一通り口の中の物を飲み込んでしまうと、彼女はたっぷりと間
を置いて、諭す。
「そりゃあ、やっぱ考え過ぎじゃない?」
「……だ、だよねぇ」
「そうだよお。確かめてもないのに“もしも”を掘り進んでたら泥沼になっちゃうよ。それ
に、あたしの見立てじゃあ、國っちはむしろ──」
「えっ?」
「……ま、それは置いといて。考え過ぎだと思うよ? 大体仮に二人がそういう関係になっ
たとしても、あたし達の仲で本当にだんまりを通せると思う? 実際、海沙がこうして怪し
んじゃってる訳だしさ」
「それは……私が現場を見ちゃったから。それにあの時むー君は“微笑(わら)って”たか
ら、飛び込んで邪魔をする訳にもいかなかったし……」
 突き放すような、慰めるような。
 だけどもそれが宙(かのじょ)らしいと思った。フッと重く塞がりつつあった胸奥が軽く
なり、彼女のひょうきんな様に思わず苦笑いを零してしまう。
「……。海沙、あんた……」
「? ソラ、ちゃん?」
 なのに、当の宙本人は逆にきょとんとその陽気さを潜めるかのようだった。
 数拍遅れて海沙もその変化に気付く。目を瞬き、今度はこちらが訊ねる番になる。
「……もしかして、海沙は気付いてない?」
「? 何の事?」
「……」
 何故かばつの悪そうな表情だった。
「海沙」
 だがそれも束の間の事。
「──あいつってさ。“感情に乏しい”じゃん?」
 宙はにわかに、何処か意を決するようにして、言う。

 先遣のリアナイザ隊員らと合流し、睦月達は昼休みを返上して木場の行方を捜し回った。
 溜まり場、カラオケ、ゲーセン。一連の事件が起こった西の繁華街を中心に、彼──不良
達が行きそうな場所を一つ一つ手分けして洗っていく。
 現在の職場に聞き込みをした所、今日木場は姿を見せていないらしい。
 やはり姿をくらましたようだ。自分達という対抗勢力が現れ、逃げ回っているのか。
『──木場、ね。確かにあいつは喧嘩っ早いけど、腕っ節はそれほど強かった訳でもねぇん
だよな』
『でも、TAをやり始めて暫くしてさ。急にあの野郎、他のチームから怖がられるようにな
ったんだよ』
『何でもバケモノを操り出したとか何とかで……。よくは知らねぇんだけど、この前三番街
のチームが潰されたのって、あいつの仕業なんだろ?』
 それでも潮目は確実に変わっているようだった。捜索に向かった方々で、不良達から木場
に関する噂(じょうほう)を幾つか聞く事ができたからである。
 大よそ真実半分・尾ひれ半分といった所か。
 あれだけの惨殺もあった。当然の反応だろう。彼らの多くは木場の暴走を恐れているよう
だった。
 武力(ちから)が足りないから、渇望した。
 皆人の分析の通り、やはり木場がアウターに願ったものとはそれなのだろう。
「……どっちが悪いのかな」
 人を殺めた。その時点で罪は償うべきだし、咎も正さなければならないと思う。
 だが睦月は正直、少しずつ悩み始めていた。
 アウターという存在が悪いのか、それとも力に溺れた木場(にんげん)が悪いのか……。
「両方ですよ」
 しかし横に並んで歩く國子の返答はにべもない。
 あくまで淡々と。それでも彼女のその普段の仏頂面には、心なし義憤に類する感情が押し
込められているようにも見える。
「共犯である以上、彼らを打倒する勢力に私達が属している以上、彼らは“敵”です」
「そう……だけど」
 嗚呼。間違ってはいない。
 だけど……。睦月は思わず口篭った。
 以前の金井という例もある。
 必ずしも全ての人間がアウターがもたらす力に溺れるとは、決め付けたくない。
「──ん?」
 ちょうど、そんな時だったのだ。
 ふと道行く睦月達の向こうで、人だかりが出来ていた。
 場所は繁華街から少し外れた所の、小さなどぶ川。その古びた石橋の下。
 ぐるりとブルーシートと非常線が巻かれ、周囲の道から近所の人々が野次馬よろしく覗き
込もうとしている中で、黙々とスーツ姿やジャケット姿の男達──警察関係者が出入りを繰
り返している。
「……陰山さん。あれってまさか」
「……ええ」

 遺体は川に捨てられていたため、水を吸ってかなり膨れてしまっていた。
 加えて場所が場所だけに汚い。臭い。筧達はそっと指で鼻を摘まみながら、それでもホト
ケになったこの青年に一度静かに手を合わせる。
「……間違いないですね。木場です」
「ああ」
 担架に乗せられた遺体、容疑者・木場荒太をシートを捲って確認し、隣で由良が吐き気を
ぐっと堪えるようにしながら言った。筧は頷き、係員らがそっと会釈しながらこれを再び運
び出していった。
「まさか、聞き込みで出てきたホシが仏さんになっちまうとはな。ざっくりと一突き、か」
「また振り出しに戻っちゃいましたね。やっぱり抗争の成れの果て、なんでしょうか?」
「うむ……」
 鑑識が少しでも手掛かりを見つけるべく、辺りの草っ原や泥の中を探っている。
 だが筧は、おそらく大したものは出てこないだろうと踏んでいた。木場が生前テリトリー
にしていた地域からは、此処は少し離れている。彼を殺した犯人が遺体を見つかり難くする
為に川に沈めたと考えるのが妥当だ。
(……嗚呼。胸糞悪ぃ)
 職業柄、そう一々感傷に浸っていては身がもたない事くらいよく知っている。
 だが筧はだからといって人一人の命に頭を垂れないなど、冒涜だと思っていた。
 由良は言う。抗争の成れの果てだと。
 結局そういう事なのか。白鳥が吐き捨てていた通り、不良は不良同士、潰し合ったのか。
(……馬鹿野郎)
 叱るように、防げなかった自分を悔いるように。
 筧は遺体(しゅやく)の退場したどぶ川の河原の上で、佇む。

「──どうでした?」
「ええ。間違いありません。木場でした」
 人目を避ける為に一旦路地裏へ。リアナイザを起動して朧丸を召喚した國子は、その五感
をこのコンシェルに託し、橋の下の現場へと透明化(ステルス)させた状態で向かわせてい
たのだ。
 暫くして彼女がゆっくりと目を開く。朧丸がステルスを解いて傍に現れ、彼女が引き金か
ら指を離すのに合わせてスゥっと消えていく。
「そう、ですか……」
 嫌な予感が的中してしまっていた。報告に、睦月らはぐっと唇を噛む。
 皆人の懸念が現実のものとなってしまっていた。何時何処でかは分からないが、どうやら
自分達が取り逃した後、ハウンドは実体化(もくてき)を果たしてしまったらしい。
「とにかく、司令室(コンソール)と他班にも連絡します」
「ああ。頼む」
「──睦月さん、隊長!」
 だが、ちょうどその最中だったのだ。
 同伴の隊員が木場死亡の報を伝えようとデバイスを取り出していた時、別な隊員がこちら
の物陰から少し息を切らしながら顔を出してきたのである。
「木場が……現れました」

「もう逃げられねぇぞ、木場ァ!」
 時を前後して。繁華街奥にある裏路地の一つ。
 昼でも周りの雑多なビルに囲まれて薄暗いそこに、如何にもと言わんばかりの不良達が大
挙して押し寄せていた。
 幅広のナイフや鉄パイプ、或いは拳銃すらも。
「……」
 だがそんな文字通り追い詰められた状況にも拘わらず、当の本人は微塵も怖気づいた様子
はなかった。むしろニィッと犬歯を見せながらほくそ笑み、獲物を見つけたかのような嬉々
とした表情さえしている。
「よくもうちのチームを殺ってくれたな!」
「俺達のチームもだ! 畜生ッ!」
「こんな派手にやらかして分かってんだろうな? ああ!?」
「ぶち殺してやるよ……。徹底的にだ!」
 見た目なら、間違いなく木場だった。
 背後にはコンクリートの壁。前方百八十度には怒り狂い、殺気を微塵も隠そうとしない繁
華街のワル達が彼を亡き者にしようと取り囲んでいる。
 なのに、これだけ彼らが罵倒して殺気を振り撒いているのに、木場は嗤っていた。
 ゆたりゆたりと、むしろこちらから不良達に歩み寄り始め、その一見無謀とも思えるさま
に彼らも一人また一人とこの青年の異常さに身を硬くし始める。
「お、おい。止まれ!」
「止まらないと撃つぞ!」
「今日は西極組がついてるんだぞ、分かってるのか!?」
 なのに、木場は止まらない。引き攣った表情(かお)で不慣れな銃口を向けてくる何人か
の不良達が脅すが、その静かな足取りは着実に彼らとやり合おうとする意思を表している。
「……クソがッ!!」
 故に、銃声。
 次の瞬間、いよいよ痺れと恐れを切らした不良達が一斉にその引き金をひいてしまった。
 これでお終いだ。
 鉛玉ぶっ込まれて、この馬鹿野郎の命運も──。
『……え?』
 しかし彼らが想像した末路は、来なかった。
 故に不良達は目の前に広がったその光景をにわかには信じられる事ができず、愕然とする
事になる。
「……効かねぇよ。てめぇら人間の攻撃なんざ」
 銃弾は木場の後ろ──背後のコンクリ壁に幾つかの穴を空けていたのだ。
 その一方で木場自身は傷一つ負っていない。いや……確かに銃弾が通り抜けていった筈の
身体の各部分が、いつの間にか半透明なデジタル記号の羅列に変貌していたのである。
「ちょうどいい。てめぇらでこの実体(からだ)の試し斬りってものをやらせて貰おう」
 そして、咆哮する。
 刹那、一同が木場だとばかり思っていた人間は怪物に──言わずもがな木場の姿を模して
いたハウンド・アウターへと変わった。
「ひっ……ひいッ!?」
「ばばっ、化け物ーッ?!」
 右手に鉤爪、左手に鎖分銅。
 その変貌に明かされた正体に思わず恐怖し、逃げ出す彼らに、猟犬(ハウンド)の怪物は
狂気を含んだ笑いを浮かべた。鉤爪を振りかざし、手当たり次第にこの裏路地の住人達を蹂
躙しようとする。
「──貫け、クルーエル・ブルー!」
 だがそんな時だった。路地裏から分岐する道向かいからそんな何者かの声がすると、瞬間
ギュンと、ハウンドに向けて一直線に鋭い刃先が伸びて来たのだ。
「ぬっ……!? だ、誰だ! 俺の邪魔をする奴は!」
『……』
 怒気。そしてその声に次いで現れたのは、調律リアナイザを手にした皆人。その傍らには
この刃先の元と思われる小剣を突き出す、藍のメタリックブルーで統一された甲兵のような
姿のコンシェルが身構えている。
 他にも数名、リアナイザ隊員らがこれに続いていた。突然の出来事に混乱している場の不
良達を、彼らの確保と口封じの為に次々と取り出したスタンガンで以って気絶させていく。
(……ギリギリ間に合ったか?)
 司令室(コンソール)に一足早く届いた木場死亡の報。
 故に皆人は駆けつけたのだった。事態がより深刻なレベルに達した。万が一の為にと残し
ていた兵力を連れ、加勢に訪れたのだった。
「しゃらくさい……ッ!」
 ガリガリッと伸縮自在の刃に押されつつも、しかし踏ん張って弾き返したハウンドが皆人
らを睨み付ける。
 数秒。両者は気絶した不良達の山を挟んで対峙していた。
 ふむ……? そしてやがて先に口を開いたのはハウンドだった。弾かれた刃先を元の小剣
サイズに戻し、再び構えるコンシェル──クルーエル・ブルーと皆人を確かめるように眺め
ると言う。
「……この前の奴らとは違うな。だが、俺に一発打ち込めたって事は……奴の仲間か。俺達
の“敵”の一味か」
「……さてな」
「はん、そうかよ。どっちにしろ邪魔するならぶっ潰すだけだ。だが本当にお前らが“敵”
だってんなら、ここで倒せば俺も“あの席”に着けるかもしれねえ。本当の本当に、もう誰
も、俺を邪魔する奴はいなくなる!」
「……?」
 何故か更に嬉々としたハウンド。皆人はその言葉に引っ掛かりを覚えながらも、しかし今
すべき事に集中すべきと意識を切り替えた。
 バッと片手を払って隊員らに指示を。皆が一斉にリアナイザを起動し、ハウンドを囲むよ
うにそれぞれのコンシェル達を召喚する。
「おっと」
「──っ!?」「しまっ……!」
 だが対するハウンドは、すぐさま隊員らの手元、リアナイザを左手の鎖分銅で叩き落す事
でこれを速やかに無力化させてみせた。
 召喚のエネルギーである隊員ら自身からリアナイザの引き金が離れれば、アウターでもな
いコンシェル達はその姿を維持できなくなる。
「ふん。話には聞いてるぜ? てめぇらの弱点なら把握済みだ!」
「……ちっ」
 殴打を受けた手を庇いながら隊員達が悔しげに膝をついている。皆人が小さく舌打ちをし
てクルーエル・ブルーをより自身の前面に陣取らせた。
 びしり。
 されどハウンドは余裕の嗤いで、左手に下がった鎖分銅を揺らして見せ付けてくる。
『TRACE』
『HEAT THE TIGER』
「うおおーッ!」
 だが次の瞬間だった。はたと一同の頭上からそう無理をした少年の雄叫びと流暢な機械音
が振って来たかと思うと、今にも襲い掛かろうとしていたハウンドにそのまま声の主が飛び
掛かっていったのである。
「睦月!」
「皆人、大丈夫? 話はっ、職員さん達から……聞いたよっ!」
 勢いに任せて鉤爪で二撃三撃。
 着地してそう構え直す、変身した睦月の姿は見慣れたパンドラの白亜ではなく、赤を基調
としたパワードスーツに変わっていた。
 何も装着(トレース)できるのは彼女だけではない。
 彼の銀のリアナイザにインストールされたコンシェル達、本来その全てが対象なのだ。
「ぐぅっ。またお前か……」
「皆人様!」「司令!」
 やや遅れて先程の道向かいから國子と他のリアナイザ隊員らも合流してきた。奇襲を受け
た格好故にハウンドはよろよろと立ち上がり、忌々しげな声色と眼光でもってそう睦月を睨
み付ける。
「皆はそこの人達を安全な所に。こいつは……僕が倒す!」
 これに物怖じせず──さものめり込むように睦月は身構える。
 背中越しに叫ばれ、皆人らは一瞬躊躇った。だがちらと目を遣った國子らがコクと小さく
頷いてくるのを見、他に最善手もなかろうと一同はすぐに指示通りに動く事にする。


「──むー君が、感情に……乏しい?」
 宙が発したその一言に、一瞬海沙は呼吸が止まったかのような錯覚に襲われた。
 弁当箱を持つ手が独りでに震える。だが相対する親友の眼は珍しく真面目だった。
「で、でも、むー君はいつもニコニコしているじゃない」
「だからだよ。あたし達ってさ……あいつが“笑っている所しか”見た事なくない?」
 続けさまに問い掛ける。指摘だった。
 その言葉に、海沙はようやくハッと彼女に言わんとする事に気付いて、絶句する。

「ナックル!」
『WEAPON CHANGE』
 故に二人は知る由もなかった。
 彼が密かに電脳の怪人達と戦う、正義のヒーローになろうとしている事を。
 球状の力場でもって鉤爪を、鎖を弾き返し、今まさにその戦いの最中にあるという事を。

「……あいつはさ、押し隠している気がする。自分のホントの感情って奴を」
 まだ残る弁当に一度ちらりと視線を移し、宙は気持ち俯き加減になった。
 フッと。だけども笑おうとする。声色は沈み込んでいるが、口元にいつもの陽気を縫いつ
けようとしている。
「これは推測だけどね。睦月はおばさんとずっと母一人子一人で頑張ってきたんだ。だから
いつの間にか“笑顔”でいる事が当たり前になっちゃったのかもね。周りに迷惑を掛けたく
ない、てさ?」
「……」
 そんな。自ら念じた訳でもないのに、苦しくて哀しくて、海沙はじわりと涙が溢れそうに
なっていた。
 迷惑? そんな事なんてない。
 私達はいつも一緒だったじゃない。今も昔も一緒に遊んで、笑って、ソラちゃんも含めて
家族同然に暮らしてきたじゃない。
 哀しかった。悔しかった。困った事があればお父さんとお母さんにも頼んでできる限りの
力を貸してきたつもりだ。ソラちゃんだってそう。とりわけおじさんは愛弟子が出来たみた
いにすごく嬉しそうに料理を教えていたじゃない。
 足りなかったのかな? 私達がどれだけ大切に想っていても、当のむー君は後から来た子
だからって、ずっと心の中で遠慮していたのかな……?
「まぁ、言ってあたしももしかしてって気付いたのは割と最近なんだけど。一応これでも申
し訳ないなぁって思ってるんだよ? 海沙共々ご飯作って貰ってばかりだしねえ。ただ一緒
に遊ぶだけじゃなくて、もっときちんと形のあるようなお返しができればなあってさ?」
「……」
 だけども同時に解ってもいる。今噴き出した感情は、自分本位だって。
 海沙は語る親友を見つめながらきゅっと唇を結んでいた。
 ショックだった。そして今自分はジェラシーを感じている。
 むー君の事をよく見ていたのは、ソラちゃんの方だったんだ。自分はもう毎日の動きに馴
染むくらい彼と一緒の時間を過ごしているけれど、その内に抱えている苦しみなんて全然解
ってあげられていなかった。
「あいつは──壊れてる」
 中庭にスゥッと風が吹く。より逸らし気味になった視線のまま、宙は言った。
 言わんとする事は解ってきたような気がする。
 つまり彼女曰く、押し込めて繕い続けた彼の微笑みが、他ならぬ彼自身を縛り続けてきた
のではないかということ。
「でもあたしはあいつを助けたい。思うがままに生かしてやりたい。どうせ笑うんなら、心
の底から笑っていて欲しい。海沙も……そう思うでしょ?」
「……うん。勿論」
 同じく唇を結んだ後、宙がすくっと視線をこちらに向け直した。その言葉に、海沙の返事
には澱みが無い。
「憶えてる? 昔あたし達、裏山で遊んでた時に野犬に襲われたじゃん? でもあの時、睦
月は自分の身を顧みずに野犬とやり合ったでしょ?」
「……。そんな事もあったね。やり過ぎというか、血塗れになってたけど……」
「そだね。でも多分、あれがあいつの本質なのかなぁって。自分にとって大切な──母一人
子一人の自分を埋めてくれる“家族”を守る為なら、あいつは無茶苦茶な力を出せるんじゃ
ないかって気がする」
「家族……」
 ぽつり。海沙はそっとそのフレーズを反復していた。
 そうなのかもしれない。あの時のように、彼は誰かを──大切なものを守りたいと思う気
持ちに関しては、それこそ尋常ではないのかもしれない。
 ふふ。そんな親友(とも)の表情(かお)を見て宙は笑っていた。よじよじと広げていた
芝生とランチマットの上で、彼女に近寄ると、不意にいつものお気楽な調子で言う。
「まぁあたしが言っても、結局不安なのは変わらないんだろうけどさ? あんたは大切にさ
れてるよ。間違いなく。そもそもどうでも良かったら、律儀に風邪ひいたからってメールな
んて寄越さないっしょ? それだけ、あいつの中で大きな存在って事じゃん?」
「……。~~ッ?!」
 ボフン。言われて海沙は時間差を置き一気に顔が赤くなった。
 にやにや。宙がそんな親友(とも)の反応を楽しむように呵々と笑い、ずいと肩を抱き寄
せて慰めてくれる。
「そ、そう……なのかな?」
「そうだよ~。もっと自信を持て~、清楚系美少女~?」
 だから気付かない。
 大切にされてるよ──。
 その言葉へ掛かる相手に、当の宙自身が含まれていない事に。

「うぉぉぉぉッ!!」
「ぬんッ!」
 激しく打ち合う。
 ハウンドと睦月は、日の当たらない路地裏で互いの拳をぶつけ合っていた。
 大きく鋭い右手の鉤爪。球形のエネルギーに包まれたリアナイザ。
 バリバリッ! もう何度目かも分からない互いの一撃が、ぶつかり合って碧く激しい火花
を撒き散らす。

『Aを守る為にBと戦うという事は、Bと敵対するだけでなく、Bにとって大切なCを損わ
せる事でもあります。その事実に対して臆さないこと。戦いに身を投じる以上、そこで彼ら
の存在に躊躇えば結果的にAすら失う事になる』
『少なくともアウター達は、自分の欲求に忠実でしょうね』

 國子曰く“強さ”とはそのような覚悟だという。それでも最初は戸惑いがあった。
 だが、ハウンド達に裏路地の住人達が殺され、木場までもが葬られた今、睦月の中ではあ
る感情が現れ──優勢になっていた。
 このアウターを逃せば、倒し損ねれば、また人が死ぬかもしれない。
 穏健な戸惑いなど打ち克ってしまうほどの……恐怖であった。切迫した恐れだった。
 頭の中でイメージが繰り返される。
 母や海沙、宙、おじさん・おばさん達、皆人や陰山さん、自分の周りにいてくれる人達が
突然ひび割れて崩れ去っていく。
(……嫌だ)
 確かに始めはなりゆきでこの役目を引き受けた。自分にしか出来ない事だと頼まれて。
 でも……そもそも自分は何の為に戦っている?
 正義の味方に憧れて? 自分の中の“空っぽ”を埋められるかもしれないと打算したので
はないのか?
 アウターが人々を惨殺した時。木場が殺されたと知った時、怖かった。
 自分に沸いたのはそんな正義感……だけじゃない。恐怖だったのだ。
 もしあの力が彼女達に向けられたら? そして失う事で今よりももっと自分の“空っぽ”
が暗く深くなると想像したら?
(……嫌だ!)
 酷く怖かった。
 哂われてもいい。子供じみた理由だと哂われてもいい。
 守れないで、身近(たいせつ)な人達すら守れないで、何が正義の味方だ──。
「おォォォォォッ!!」
「ぐぅっ?!」
 そして殴り続けた幾度目かのナックルが、遂にハウンドの鉤爪をひしゃげ壊した。
 一撃の重さに思わず弾き飛ばされ、驚きに顔を引き攣らせる。
 見ればその右手の鉤爪は刃の根本からごっそりと折れ、ジュウジュウと熱を帯びたように
湯気を上げていた。
「……馬鹿な」
 これと睦月を、二度見する。
 もうこれで最大の武器は使えなくなった。
『ふふん。当然です。レッドカテゴリは肉体強化に特化した子達ですからね』
 リアナイザのホログラム越しにパンドラがえへんと胸を張っていた。
 レッド、カテゴリ……? 確かに昨日とは違い、今回の奴は赤い装甲を纏っている。
「もう逃がさないぞ。覚悟しろ!」
「……。っ!」
 だがナックルを握ったままにじり寄る睦月に、ハウンドはあくまで抵抗の意思を示した。
 逃げたのである。ちらと周囲の壁を確認するように見遣り、距離を掴むと、一瞬の隙を突
いて跳び上がって繰り返しの壁蹴り。あっという間に雑多なビル群の頭上へと消えていって
しまう。
『ああ、もう! また逃げるしっ!』
「逃がさないって……言ったろ」
『ARMS』
『SPRINT THE CHEETAH』
 パンドラがぬぬと腕を振り上げて憤っている。
 だが睦月は寧ろ落ち着いていた。即座にホログラム画面から走力の武装を選択し、銃口か
ら吐き出された赤い光球が再びあの時のように彼の両脚に装着される。

 一度目の交戦の時と同じく、ハウンドは一時撤退を選んでいた。
 壁蹴りと飛び上がった高度と勢いのまま、ビルからビルへと次々に飛び移っていく。
『──?』
 だがそんな電脳の怪物を、睦月は追う。
 横縞の排気口から噴き出す蒸気。されど駆け抜け横切っていったことに通りの歩行者や運
転手が気付かないほど、やはりそのスピードは尋常ではなく速い。
(あの妙な走りか。だが……)
 それをちらと肩越しに見遣り、ハウンドはほくそ笑んだ。
 もうそいつの弱点は知っている。速過ぎて、急なカーブでは曲がれない……。
(何っ?!)
 しかしその目論見はすぐさま破られたのである。またあの時と同じように撒いてやろうと
考え、大きく左に方向転換した直後、ハウンドはそれでも加速したまま追いついてくる睦月
の姿を捉えていたのだった。
『コーナリング……オッケー!』
 事前に虎(タイガー)のコンシェルを装着していたのはこの為であった。睦月は折り畳み
式のこの両手の鉤爪をアンカーとして利用し、方向転換が効き難いこの脚部武装の弱点を補
っていたのだ。
「佐原睦月から司令室(コンソール)へ。ハウンドの移動ルートを教えてください」
『了解。そのまま真っ直ぐ、突き当たりのビルを迂回してください。こちらから観るに、何
とか睦月さんを引き離そうとしているようです』
 なるほど。インカム越しに司令室(コンソール)の職員に教えられ、しかし睦月はこの突
き当たりのビルを迂回する事なく真っ直ぐに進んでいた。
 え? 睦月さん……? 職員が戸惑ったような声をする。だが睦月はそのまま速度を落と
さずに疾走し、ダンッ踏み込み、何とそのままビルの壁を駆け上がり始めたのだ。
「ぬおおおおおおーッ!!」
 職員達が、昏倒した不良達を逃がしていた皆人達が、そして当のハウンドが驚愕で目を見
開いてこの姿を映していた。中空。ハウンドのすぐ側面へと、彼は大きく跳び上がっていた
のだから。
「ぎゃはッ?!」
 そして高熱を孕んだ睦月の蹴りが、ハウンドの横っ面を捉えた。空中ではかわす事もまま
ならず、ハウンドはそのままきりもみしながら落ちていく。
「……っ、畜生……!」
 落ちた先はまた別の路地裏だった。
 ビルとビルの間に挟まれた日の当たらない場所。そこに積まれていた雑多なゴミの山から
勢いよく這い出し、されど睨む眼以外はふらつく身体で、ハウンドは直後同じく着地してき
た睦月と向き合おうとする。
「……」
 腰の金属ホルダーから再びリアナイザを抜き取り、そっと睦月が追撃を行おうとする。
 それにハウンドはあくまで抵抗した。鉤爪がもう使い物にならないため、距離も取れてい
る状況も踏まえて左手の鎖分銅を投げつけてくる。
 だが睦月はその一撃を冷静に見極め、軽く横に飛びながらかわした。
 温い。國子との模擬戦に比べれば、奴の攻撃には前兆(めじるし)がちゃんとある。
『ARMS』
『EDGE THE LIZARD』
 そして自分のすぐ前を飛んでいく鎖分銅を見ながら、睦月は武装を呼び出した。リアナイ
ザの銃口から飛び出た紫の光球がすぐさまデジタル状のモザイクに変わり、その手に一本の
曲刀(シミター)を握らせる。
「……せいっ!」
 それを、睦月は逆手にすると勢いよく分銅の鎖部分へと突き刺した。
 ぬっ!? ハウンドが慌てる。ちょうどコンクリの地面に、この曲刀(シミター)で鎖が
打ち付けられた格好になるのだ。引っ張るが、深く刺さったそれは一向に外れない。
「……。チャージ」
『PUT ON THE HOLDER』
 睦月はスッと向き直り、そう頬傍でリアナイザに命じた。
 腰のホルダーに戻し、パワードスーツの胸の核(コア)からエネルギーの奔流が走る。そ
のままベルト部分を経由してリアナイザにそれらは伝わり、キィン……! と充填完了の時
が来る。
 正拳突きのように抜き放ち、同時に銃口から大きなエネルギー球が真っ直ぐハウンドの下
へと飛んでいった。
 逃げようとするハウンド。だが鎖を通して繋ぎ止められた間合いを変える事は出来ず、直
後彼の目の前には球体からまるで的のように広く円形に広がった“網”が迫っていた。
「っ、せいやーッ!!」
 そしてこれと同時に、睦月も地面を蹴った。軸足を一旦円を描くように後ろに回してから
一気に助走をつけ、パワードスーツに残留するエネルギーを纏いながら大きく跳び蹴りを的
の中心に向かって放つ。
「ギャバッ──?!」
 強烈な一発だった。蹴り脚一点に注ぎ込まれた破壊力はハウンドを、彼を繋ぎ止めていた
鎖すらもその勢いのままに千切り捨て、この電脳の怪人の身体を中空でびび割れからの木っ
端微塵にしてしまう。
 断末魔の叫びが響き渡った。
 だがそれは結局ほんの十数秒の事。四散した越境種(アウター)の身体はそのまま跡形も
なく消え去り、場には再び街に置き去りにされたかのような静寂が戻る。
「……。リセット」
 着地し、数十拍肩で息をしていた睦月は、そう頬傍で変身を解除した。
「──」
 デジタル記号の群れから解放され、元の人間に戻った睦月。
 そして彼は独り、暫くその場で立ちぼうけになって……。


 また一つ、戦いが終わった。
 無事ハウンドは倒された。これで繁華街の人々も、やがては元の日常を取り戻せるように
なると信じたい。
 だが……睦月は内心、本当に自分は“勝った”のだろうかと疑問だった。
 確かにアウターは倒した。しかし肝心の人々はどうだろう。
 発覚前だったとはいえ、何人もの人間が殺された。加えて共犯でもあった咎を受けるべき
木場すらももういない。
 自分は、守れたと言えるのか?
 結局徒に命が失われただけで、何もプラスになどなっていないんじゃないか……。
『──マスター、お電話ですよ~。青野さんからです』
 そうぼんやりと考え事をしながら湯船に浸かり、長風呂から上がって部屋に戻ってくると
机の上のデバイスが着信音を鳴らしていた。画面の中で、パンドラがそう相手の名を呼んで
ぴょこぴょこと跳ねている。
「海沙が?」
 塗れた頭にタオルを乗せた半袖半ズボン姿。
 今日休んだ事でかな……? 睦月は気持ち身構えてぱちくりと目を瞬いたが、あまり待た
せる訳にもいかないので早速出る事にする。
「……もしもし?」
『も、もしもし。むー君? 私だけど』
 電話の向こうの海沙は何処か緊張しているように聞こえた。デバイスを耳に当て、未だ部
屋着のままで、ちょこんとこの幼馴染はベッドの上に正座している。
『その……風邪、大丈夫? ちゃんと寝てた?』
「う、うん。お陰さまで。もうすっかり元気になったよ。ありがとう。急でごめんね」
『ううん。それはいいの。ただ……』
 案の定、電話の内容は嘘(かぜ)についての心配だった。
 内心はボロが出ないように注意して、だけどもいつものように要らぬ心配だけはさせない
ようにと。睦月はフッと苦笑いを零しながらも応じたのだが。
『ねぇ、むー君。訊きたい事があるの。昨日、陰山さんと一緒に何してたの?』
「えっ──」
 虚を突かれた格好だった。
 明らかに口篭り、しかし意を決したような海沙の問い。その一言に睦月の頭の中は一瞬に
してフル稼動状態になる。
「えと。昨日って、何の……?」
 まさか。睦月は内心で酷く狼狽する。
 見られていたというのか。何処だ? 周辺を洗っていた時か、それとも変身した時か?
『私ね? 見たの。昨日、西國町の辺りでむー君と陰山さんがビルの奥を覗いてる人ごみの
中から出てきた所を』
「……」
『突然でごめんね? でも珍しいから妙に気になっちゃって。……教えてくれないかな? 
三条君とならまだ分かるけど、むー君、陰山さんと遊んでたの?』
 本気だ。
 声色とタイミングと。長年の付き合いから、睦月は電話の向こうの幼馴染が本当に自分の
姿を目撃し、且つその控え目な性格を押してでも自分を問い質そうとしていると分かった。
 ごくり。密かに半ば無意識に唾を呑み込む。
 どうすればいい? どうすれば、彼女を巻き込まずに済む……?
「──陰山さんとって……。皆人もいたけど?」
『えっ?』
「ッ……!?」
 だがちょうどそんな時だったのだ。睦月は自分が喋っていないのに、電話の向こうの彼女
へとそう返答をする自身の声を聞いた。
『……三条君も、いたの?』
「そうだよ? あいつと一緒にブラついてたんだ。だから当然、護衛役の陰山さんもついて
来る訳で」
 思わずデバイスから耳を離す。見ればパンドラが、自分の声をそっくり真似(コピー)し
て海沙にそう話の辻褄を合わせてやっている所だった。
(ここは私に任せてください。マスター)
 画面の中でこちらにウィンクを。パンドラはそう目配せをしているかのようだった。
 ドキドキ……。緊張で高鳴っていた心臓の鼓動が少しずつ収まっていく。
「多分、皆人だけ見逃してたんじゃないかなあ? あの日は最後まで二人と一緒にいたし」
『そう……なんだ。あはは、そっか。そうなんだ……』
 息を呑む。
 まさかパンドラがこんな芸当も出来るとは知らなかったが、どうやら電話の向こうの海沙
はすっかり信じ込んでいるようだ。画面の中の彼女と頷き合い、再び発言を代わる。正直を
言うと罪悪感がチリチリとするが、事が進んでいる以上どうしようもない。
「……ごめんね、変な誤解を与えたみたいで。大丈夫だから。海沙も宙も、皆で遊びに行く
時にはちゃんと誘うから。──家族だもん」
『……。うん』
 気のせいか、電話の向こうの海沙は涙ぐんでいるように聞こえた。
 安堵したのだろう。睦月はそう思った。
 だが彼は知る由もない。そんな推測は実は半分で、彼女は電話の向こうで少しでも彼を疑
って嫉妬した自分を改めて責めていたのだという事に。
『ごめんね……。むー君はむー君だもんね。うん、スッキリした。じゃあ明日からまたお邪
魔するね? ……お休みなさい』
「うん。お休み」
 悟られぬよう、袖で涙を拭って笑う海沙。
 お隣同士。
 二人の夜の通話は、こうして切れる。

 朝日がそっと優しく差していた。新学期から半月が経とうとし、住宅街の方々に植えられ
た桜や梅の花も少しずつ風に揺られて散り始めている。
 小さな嘘。
 互いにそれと気付かない溝。
 それでも、再び朝はやって来る。
「──……」
 デバイスのアラームとパンドラに起こされ、弁当の仕上げ作業に入っていた睦月の家の玄
関先で、学園の制服に身を包んだ海沙はそっと深呼吸をしていた。
 一つ、二つ、三つ。疑ってごめん。むー君。
 四つ、五つ。それよりも私は、もっと貴方を信じて、観てあげるべきだったのに。
 大きく息を吐き出す。彼女は思う。願う。今からでも……間に合うのかな?
「……よしっ」
 早まる鼓動を落ち着けて、ちょこっと髪を整え直して。
 海沙は振り返ってインターホンのスイッチを押した。程なくして応答した睦月の声に、彼
女はその控え目な微笑みを浮かべて「おはよう。むー君」と口を開く。

(──うんうん。仲直り、できたみたいだね)
 そんな様子を、道向かいの宙はパジャマのまま二階の自室から見下ろしていた。
 ぎこちない・大人しいのは何も今に始まった事じゃないけれど、どうやら昨夜はちゃんと
二人で話を出来たようだ。
 少々、昨日はお節介が過ぎたかもしれないと後で思ったものだが……まぁ結果オーライな
ら全て良しという事にしよう。
「さてと……。あたしも、そろそろ起きますかね……」
 ぐぐっと伸び。
 そして踵を返すと、彼女はテクテクと部屋の奥へと消えていく。

 幼馴染三人。
 一人の少年と、二人の少女。
 それでも、再び今日も、新たな朝はやって来る。
                                  -Episode END-

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  1. 2015/06/17(水) 18:00:00|
  2. サハラ・セレクタブル
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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