日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)外に在る悪、内に抱く善

……創りたいものが多過ぎるφ(=△=;)-3

時節はちょうど入学式のシーズンですね。新しい環境を前に、満開の桜に迎えられて……と
いうテンプレなシチュとなるには、如何せんここの数日曇天や寒の戻りかと思われる冷たい
風によって少なからず散らされてしまっている様子です。花弁の絨毯は綺麗なんですがね
自分にも学生の──もっと若い頃があったんだなぁと振り返りつつ、ぼちぼちお仕事(仮)
のある生活も気付けば始まっておよそ半月ほどになろうとしています。

此方での言及が遅れましたが、先日(先週末)ユー録の六十二章をUPしました。
今回の更新で第Ⅴ部も(前・中・後編の内の)中編までが終了しました。
また、本編で念入りに描写した心算ですが、作中の時間が次章よりおよそ二年後に移ります。
ここまで長いことこさえてきたこの物語もだいぶ来ました。プロットの残弾も半分以上消化
しましたし、そろそろ次部の構想も練り固めないといかんですね……φ_(¦3 」∠)_

これまで通してみている限り、ざっと中休みを含め二週間で1作のスケジューリングで執筆
をしていけば三作(ユー録とサハラ~、三題)を回せるかな?という感じです。尤も月によ
っては、そのカレンダーの並び的に更新日は多少前後すると思いますが……。
週頭から書き始めていくとどうしても(三題との兼ね合いで)週末にUP頻度が重なりますが、
アクセスの推移を見ている限り、やはりと言うべきかこっちの方が良さげな気もしますので
結果オーライという打算方向で。

(趣味なんだし)しんどければ止めればいい、ペースを落とせばいい──。創作仲間さんに
はそう言われ、多分苦笑いされているのですが、何というか良くも悪くも自分を追い込んで
おかないと妙に落ち着かないというか。
実際、これ以上定期連載を入れ込むとキャパが溢れてしまうだろうし、何より一度休んで横
になった時の眠りの泥具合が結構深そうなので現状はこのペースに慣れてゆたり維持する事
を指針としているのですが、その一方で新規の各種創作の構想自体はそれでも折につけて浮
かんでくる訳で……。無論大半はうやむやの内に没になるネタには鮮度があります。出来る
事なら可能な限り妄想の水底からすくい上げて形にしてあげたいものですが、それはきっと
この先もずっと付きまとう難題で、何よりも贅沢な悩みなのでしょう。

……とりま、来週辺りにサハラ~の次章執筆を始めようと思っています。
何はともあれ、先ずは今月からのスケジューリングが如何ほどのものか? それを実際に確
かめつつ過ごしていくばかりですね。
ツイッタ(小日記)でも、その際は進捗状況としてツイートしていますので、宜しければ併
せて参照していただけるとm(_ _)m


気付けばもう長らく療養生活をしてきた僕ですが、ここ一・二ヶ月というのはそんな中にあ
っても屈指の満たされた時間が過ぎているように思います。

その理由は十中八九、作業所でのとはいえ「働く」生活が送れているからなんでしょうね。
小説の方も先月九作目の長編(サハラ・セレクタブル)を書き始め、ただ毎日ひたすら創作
だけに一日を注いでいた従来よりも気持ち能率が増している……ような気がします。
(時間は確かに減っていても、物理的に遮断される事で却ってむずむずし、脳内イメージが
濃くなり易くなる。実際の執筆作業の前に妄想の爆発力?をぐぐっと溜めている、的な状態)
まぁそれだけお仕事ありきでの創作スケジュールなので、当然疲労の密度はこれまでよりも
同じく増している筈なのですが、そもそれで結構気持ちの良い疲労感であったりもします。

……ぼうっとだけど、幸せ。
そりゃあ一般ピープルな、所謂普通の勤め人さん達がそう感じる部分とは違う部分でだし、
彼らとは労働の強度も難度も違うし、何よりもう僕自身(年齢的にもキャリア的にもそして
精神的にも)彼らと同じ場所には立てないんだという自覚はあれど、それでも紆余曲折を経
て僕は僕なりに進んで往けているのかなぁ?と思う今日この頃で。

……ですが一方で、そんな静かな充足感に丸っきり素直になってはいけない、という感慨も
また、同時に自分の中には依然として根を張っているのを感じています。
何と言い換えればいいのだろう……ぼやっとした全方位的な不安とでも言うのか。
以前の雑記でも言及したと思いますが、あの作業場はあくまで1ステップなんですよね。
だからあそこに「定住」する訳じゃない。大体もう結構に歳なのに、これから十年二十年先
はどうするのか? どうなるのか? 少なくとも作業所というのはそういう零れ落ちた人々
の階段を少しずつこさえていく場所であって、今のこの思いがけぬ良縁にどっぷりと浸った
ままでいるのを許す為の制度じゃない。腰を下ろし過ぎやしないかという、それが一つ。
加えてこれに連動する形で、この静かな充足感は、同時に僕を“ポジティブ教徒”に変質さ
せしむ優しいプレッシャーにもなりうる。
「考え」難くなるんですよ。
社会人なんてそんなものだと言われればそれまでなんですが、朝起きて支度して、仕事行っ
て帰って来て飯風呂済ませて寝て……という生活を繰り返していると、自他の諸々について
思考する暇がなくなる。いや、自分の中での切迫性が薄れていってしまう。多くの人々にと
っては惰性でそうなっていくもので、寧ろそこに疑問を差し挟むような真似は無粋だの無益
だのと云われる。でも──少なくとも現状──僕個人はまだこの薄れていくさまが忙殺され
る中での惰性故ではなく自分なりに働けている新生活への恍惚に因るものだから、尚のこと
性質が悪い訳で……。
ぼや~っと、ここ暫くの静かな充足感の一方でこれまでの思考力(の性質)が霧散していく
恐れのような感触。この良縁によって、これまで人間や世界へのネガティブな前提でもって
創ってきた物語セカイや自分自身が揺るがされることへの拒否反応。僕はもっと苛まれなけ
ればならない(続けなければならない)んだというような……。
ま、解ってはいるんですけどもね。
それは『思考の為の思考』『悩む為に悩むこと』であって、手段と目的が入れ替わっている
じゃないか、何も生み出さない堂々巡りじゃないかという事ぐらいは。

……だけども、やっぱりそう簡単に抜け出す──ポジティブ教的な世界観をすんなり受け入
れる訳にはいかないよなぁと思ってしまうのです。
だってそうでしょう? 一つの良縁でこれまで鬱々と寝暮らしていた過去が吹っ飛ぶ。あた
かも自分を造ってきた筈の過去が“馬鹿”みたいで。
何よりこの良縁で以って、その喜びからずぼりと入り込んだポジティブ教──性善説的な世
界観でこれから先の人生を生きようとすれば……“未だ苦しみ続けている他人達(ひとびと)”
を、僕はまるで見捨てて、置き去りにして、哂い見下す事になるんじゃないか……??

理由は言わずもがな様々です。
性格的な相性で、そもそもこの社会と相容れる事が出来なかった人々。
(対人的に)恵まれなかった家庭環境──所謂「毒親」やクズな大人達に囲まれて育った事
でこの世界そのものに先ず信頼を置けないような人々。
或いは性的、信仰的な面などにおいてマイノリティーで、生来ずっとそれらを、しかし紛れ
もない自分自身である「核」を抑え隠れながら生きる事を余儀なくされてきた人々。
……はっきり言って、僕は彼らの何を知っている訳でもない。ただ主にネット上で彼らの姿
を見つけ、頼まれてもいないのに折につけ観察していただけの傍観者だ。寧ろ同性愛など、
セクシャルマイノリティーなどに関しては、個人として未だそれを広く保障すべきと考える
までには至っていないなど保守的な部分もある。
でも……彼らは日夜苦しんでいる。ネット上での嘆きの言葉などそのごくごく氷山の一角で
しかないのだろうけど、その息苦しさと、吐き出される濃縮された怨嗟を、僕は画面越しに
何度も何度も観続けてきた。
だから、もし僕がこのままこのごく個人的な静かな充足感に呑まれ、彼らの辿る苦しみにそ
っと共感できなくなるのが怖い。何処かで「大丈夫!ポジティブでいればきっと報われる!」
なんて無責任な感慨を以ってそのメッセージに接するようになるのかもしれない。

全然、彼らとはそのバックボーンは違う。
だけど僕は、かつてそんな苦しみや陰鬱の中で生きてきた。
原初を辿れば田舎コミュニティの陰湿さ、そこに生きる人々の悪い意味での凡庸さ。
諍いが大嫌いだった。表っ面ではニコニコしている癖に、相手がいなければ散々罵って哂っ
て、そんな話を出汁に笑い合うなんていう悪魔の所業をさも挨拶のようにやってのける。
僕は憎まれていた。癇癪持ちだったのに急に勉強が出来るようになったから。気付いた時に
は大きな溝がそこには掘られていた。
だから僕も相応の態度であることにした。人間なんて……そういうものだ。嘆いて、諦めた。
彼らそれぞれのバックボーンとは違う。でもある一点では似ている筈だ。
それは『一度歪められた魂は元には戻らない』ということ。
先述の社会の性質と己の性質が相容れなかった人々然り、家庭や地域に恵まれなかった人々
然り、或いは性的なり信仰・信条的な面で認められずにい続けた人々然り。
彼らはセカイによってぐしゃりと歪められてしまったのだ。それを世は「不適応」と言う。
でも彼らからすれば悪いのはその世界であって、自分達は被害者だと強く思っている。或い
は“敵愾心”を通り越して“諦観”や“虚脱”に心身を支配されてしまっている。
僕は……そんな彼らに共鳴していた。そして同時に、居た堪れなかった。

──そんなに斜に構え続けて、どうなるんだ?

今だって思う。
確かに貴方は過去、酷い目に遭った。その傷が今も貴方を棘のある人に、或いは世の様々な
ものに対して無価値を呟く人にしている。
僕もそうだった。少なからずそうして生きてきた。
でも……それでどうなる? 貴方を傷付けた当人にその敵意や諦観を向けるならまだしも、
これから先出会うであろう人々にまでその世界観で接し過ぎたら──繰り返すばかりじゃな
いか。不意に棘ある言動に刺されて傷付き、無価値の嘆きに晒されて暗澹とし、その誰かが
第二第三の貴方になるかもしれないじゃないか。そんなとばっちり、負の連鎖は結局、この
世界をより一層、かつて貴方を苦しめた“悪人”達のような性質に満ちたそれにしてしまう
だけじゃないのか?
貴方達を傷付けた者らを「許せ」とまでは言わない。
だけど貴方達の痛みを、誰かに擦り付けるような言霊は、態度は、抑え込むべきだ──。

巡り回ってそれは(僕の大嫌いな)諍いの種になる。種を撒くひとを育てる事になる。
これまでですら、僕はそんな「説教」を沸々と、彼らの苦しみに共感しつつも一方内心で用
意し続けてきました。
なのにそれらに個人的な良縁を期にポジティブ教的な文句(貴方もいい人に出会えればきっ
といい人になれる=これまでの出会いが悪い、という地雷な上に時既に遅しに過ぎるお説教)
も加えてもみてください──“布教”もとい性善説な価値観の押し売りの誕生ですよ。手前
だって自分なりに苦心して悶々としてきた筈なのに、おい。何様だ……??

……怖いんでしょうね。聖人君子はどだい無理でも、偽善者の誹りを受けるのが怖いんだ。
それは彼らへの優しさなどではなく、本質的には保険(にげ)でしかない。
ただでさえ人は些細なことでも嫉妬や怨嗟を紡げる生き物です。たとえば所謂「クソリプ」
なんかかがその典型例ですね。『○○食べた。美味しかった』みたいな些細な“幸せ”にすら、
時にこの世界の何処かから『私は○○が嫌いです』『○○を食べられない人もいるんですよ!』
『○○を食べるお前は××主義者だ』等と口撃をぶん投げられる。それを知っているから、
僕は予防線を張っているだけなのかもしれません。誰かの幸・不幸に一言を乗せるという事
は即ち、そんなハイリスク・ローリターン(=得てして不毛)の土俵に自分から乗っかって
いくスタイルである訳で……。

厨二病を拗らせて、そうしてたら本当に病気を拗らせて。
人生の重要な期間を棒に振り、鬱々として、はたとこの半年ほどで光が差す。

これはそうした僕の経験からなのですが、性悪説は「半々」で纏うのがよりベターなのかな
と感じています。
世の中は確かにクソッタレだ。事実古今東西、種々クソッタレな事象が満ちている。
だけども人「全て」に一律にそれを適用すべきでもない。確かに世の中には世の中をクソッ
タレにせしむ“悪人”は存在するが、同時にその被害に遭う“悪人”とは言い切れない人間
もまた存在するからだ。
寧ろ彼らが第二第三の“悪人”になる可能性がある。先輩な“悪人”達に歪められた過去と
魂を引き摺り、怨嗟を叫び撒き散らし続けることがこれの更なる感染を生むのではと思う。
諦観や虚脱で何もしないならまだいいのかもしれない。
問題はこの歪められた被害意識を強く強く抱き続け、自身もまた別の誰かを傷つけ、その誰
かにこの世界がクソッタレだと「信じ」させる“悪人”に変じてしまうことだ。
その為には、おそらく二つしかない。
即ち過去を『許す』こと、怒りを『律する』こと。
(許すというよりは「諦める」「手放す」と表現した方が正確かもしれないけど)
……因みに既存の“悪人”を片っ端から潰すというのも一案にはある。世で言う所の義賊的
な、独断的な正義の遂行という奴だ。だけどその正しさを決める自身を保証するものは存在
していないし、何より寛容と対極にある排除だけを只管続けた先にあるものは……コミュニ
ティ自体の共食い──緩やかな自滅という虚しさだけだと、僕は思う。

結局は社会という「外」が先ず悪だったのか、構成員たる個人という「内」が先ず悪だった
のかという鶏卵論争になってしまうけれど……少なくとも僕ら個々が先ず善(倫理)を意識
し、それに基づいて生きるべきであるように思う。月並みだけど、地道だけど、きっとそう
していかないと世界を憎む人間達と憎まれる世界というこの構図は永遠に解消されないのだ
と思うから。

ぼうっと今、この静かな充足感の中に居る。
だけどそれをひけらかさず、浮付かず、押し付けないように只々平静であれ。精美であれ。

そう自分を律したい。律し続けなければならない。

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  1. 2015/04/08(水) 23:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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