日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅴ〔62〕

 梟響の街(アウルベルツ)の一角に、逆コの字型をした元クラブハウスがある。
 そこは現在、街の有力冒険者クラン・サンドゴディマの拠点(ホーム)になっている。
「ニュースッス! ニュースッスよ、ボス!」
 そのロビーで団長バラクと、キリエ・ロスタム以下団員達が確保してきた依頼書を整理し
ている所へ、遅れて戻って来たヒューイら数名が何やら興奮した様子で騒ぎ立ててくる。
「……騒々しい。何だ?」
「ええ、それなんですけどね? 何でも東通りの外れで、あの“剣聖”がブルートバードの
連中に直接指導してるそうなんッスよ。支部(ギルド)の周りでも持ち切りでしたよ。滅多
にないチャンスだって、他の冒険者(どうぎょうしゃ)やら市民も集まってるそうで」
「……ほう?」
 赤毛に褐色の肌。クランの斬り込み隊長も務める、若き蛮牙族(ヴァリアー)青年の屈託
のない笑み。
 しかし対するバラクは少し片眉を吊り上げてみせただけで、特にそれ以上の興味は示さな
かった。秘書──副団長キリエが随時整理して差し出す依頼書を、団長として一件一件目を
通していく。
「あ、あれ? それだけッスか? “蒼鳥”絡みの情報だから、ボスなら喰いつくだろうと
思ったんスけど……」
「お前は俺をどう見てるんだよ……。まぁそう身を乗り出さずに座れ。そっちも依頼、確保
しては来たんだろう?」
 ええ……。ヒューイ達は持っていた幾つかの依頼書をキリエに手渡し、めいめいに適当な
席に着いていった。
 肩透かしを喰らったような。
 彼の表情は不快感こそないが、そうきょとんとした気色をしていた。何となしポリポリと
頬を掻くこの三幹部の一人に、バラクはやや間を置いてから一瞥すると言う。
「合点がいった、それだけだ。何で消失事件絡みの襲撃が終わった後もこの街にいたのか。
元々腹づもりがあったんだろう。特務軍の事もある。レノヴィン達を、自らが鍛えてやる事
で助けようとしているのか……」
 ヒューイや団員達が目を瞬き、方々で「そうなの?」と言わんばかりに互いの顔を見合わ
せている。キリエはその間も黙々と依頼書を纏めて軽く机の端で叩き、ロスタムは愛銃達を
じっくり磨いてこのやり取りに耳を傾けている。
「大都(バベルロート)の時は上手くいったからいいものの、次また“結社”と戦う時にも
同じようにいくとは限らないでしょうからね」
「ああ。雑兵どもはともかく、奴らの魔人(メア)連中はぶち当たると七星級(クラス)に
匹敵するだの何だのと聞くしな。少なくとも今のままじゃ……いつ死んでもおかしくない」
 ならば先ず、特務軍に加わる事自体を止めさせようものだが……。おそらくレノヴィン達
を説得するのが無理だと判断したのだろう。
 バラクはロスタムの言葉に頷きながら、そうぼうっと頭の片隅で思考を過ぎらせていた。
 兄の公務──フォーザリア慰霊式とその後の監獄島での一件。
 弟の静養──清峰の町(エバンス)での休暇が終わったこのタイミング。
 曲がりにも身内の情という奴か、剣聖は二人があの戦いから一段落を経るのを待っていた
のだと思われる。尤も兄弟共々、そういう星の下に生まれたのか現地でもトラブルには事欠
かなかったようだが。
 何より先日、彼らは人々の不安を押し切ってまで魔人(メア)クロムを自分達の仲間にす
ると宣言したばかりだ。自身もああは言ってやったが、十中八九あれは残る“結社”達への
挑戦として受け取られているだろう。
 ……全く、次から次へと試練を背負い込む奴らだ。
 ざわざわ。団員達が複雑な表情をしていた。
 対岸の火事──とは思うまい。実際自分達も、過去三度連中と戦ったのだ。四度目がある
かもしれないという恐れ、ブルートバードばかりが台頭していくという不安・嫉妬。その意
味でも自分達の戦いはもうその内側から始まっている。
「ボス。俺達も……見に行かないんですか?」
 するとヒューイが、気持ち及び腰になる団員(なかま)達に気付かないままで言った。
 言うまでもなく剣聖(リオ)直々の稽古、その恩恵に与からないのか? だ。彼やまだ血
の気の多い団員達が、めいめいに反応を待っている。
「……行ってどうする? さっきも言ったが、おそらくその集まりとやらは特務軍の面子を
鍛える為のものだ。参加してない奴らは追い出されるだろうよ。そもそも、俺達はイセルナ
の傘下じゃねぇだろ。お前らはお前らの仕事に集中しろ」
「そ、それはそうッスけど……」
「でも。なあ?」「ああ……」
 バラクの答えならとうに決まっていた。
 だがそんな団長としての態度に、ヒューイら面々からはそこはかとなく不満が漏れる。
 臆病風に吹かれて──。大方そんな評を受けかねないとでも思っているのだろう。実際他
のクランの中には、レノヴィン達と“結社”との戦いに巻き込まれる事を良しとせず、彼ら
から距離を取る者達が街の人々と同じように存在する。
「……なら、今からでも参加表明すれば──」
「女々しいぞ。その話は、もうクラン全体として決定した事だろう?」
 団員の一人が言い掛けたその言葉を、バラクはぴしゃりと防いで黙らせた。
 そうだよな。だけど……。団員達の中でもその抱く印象・意見は、今もまだ双方に燻って
いるようだ。キリエが検め終わった依頼書を纏めて封筒に収めている。ロスタムも銃の手入
れを終えると唾広帽子を深く被り直し、ギシッと転寝と洒落込み始めている。
 血の気が滾るのは解るさ。
 だけども俺だって、てめぇら団員を預かる身として、考えなきゃならねぇ事はごまんとあ
るんだよ……。
「……だがまあ、かと言って大人しく引っ込んでますってほど、俺達は礼儀正しく出来ては
ねぇわな」
 だからこそ、彼は呟いた。
 バランスを取る、と言ってしまえば身も蓋もないが、それでも全くの「守り」に徹するの
が個人的に癪である事もまた事実だった。
「一応、何人か偵察役を遣れ。俺達と七星級、二つの力量を埋める為の何かを“剣聖”は知
ってる筈だ。そこぐらいは盗むぞ」
『へい!』
 ヒューイら若手の団員を中心に、にわかに面々が嬉々として動き始めた。実際に聞き及ん
だ稽古の話を皆で共有し、ばたばたと何人かが早速偵察に向かうべく出ていく。
(……まぁ、相手が相手だ。すぐに見つかっちまうのがオチだろうが……)
 期待半分諦め半分。バラクは椅子に腰掛けたままじっとその場を動かなかった。
 テーブルの上には一通り確認し終わった団員達の依頼書。とりあえず今日はこれらの仕事
を片付ける事に集中しよう。
 ざわざわ。少しずつ、ホーム内が何時もの空気に戻っていこうとしていた。
 キリエに依頼書を返されてそれぞれの現場に向かっていく団員達。不安や嫉妬に思い煩う
くらいなら、今出来ることを着実にこなして紛らわす方が良い。
(随分と遠い所に行っちまったもんだよなあ……。イセルナ)
 その横顔はあくまで厳かでも。
 冒険者“毒蛇”の内心は同じく、時の流れの無常さを想っていた。


 Tale-62.君の闘うべきこの世界(後編)

「き、斬った……」
「今剣使って、なかったよな……?」
 真っ二つになり崩れ落ちた、不服三人組と背後の廃屋。
 それらに横立ちするリオの姿に釘付けになり、一同は暫し呆然と立ち尽くしていた。
「……リ、リオ?」
「大丈夫だ。急所は外してある。すぐに治療を始めれば命に別状はない筈だ」
 それでも何とか、もたつきながらもジークが声を掛けようとする。対するリオはゆっくり
と手刀を解きながら、そう未だ聞いてもない事を答えると半身を返して向き直った。
「さて……。他に不服がある者がいれば聞くが」
 ひぃっ!? そして投げ掛けるが、当然もう彼らの二の轍を踏みたがる者はなく。
 不合格者を言い渡された者や野次馬達は、軒並み青褪めて後退ると慌ててこの空き地から
退散していった。白目を剥いたままの不服三人組を、知人と思しき数名が急ぎ担いで逃げ去
っていく。
 結果、場にはクラン・ブルート及びその傘下の冒険者達のみが残った。
「……さ、流石にやり過ぎじゃないかなあ?」
「いいんじゃない? 単に頭数だけ揃えればいいって話でもないんだしさ?」
「そうだな……。寧ろ人数は絞れるだけ絞った方がいい」
『??』
 面々の頭に疑問符が浮かぶ。レナとステラのひそひそ声に小さく首肯を見せたリオがそう
言い、ジークに預けていた自身の太刀を受け取って再び腰に差し直す。
「……さて。では本題に入ろう。お前達、錬氣の基本系を覚えているか」
「え? あぁっと──」
「錬氣、集氣、見氣、断氣の四つですね」
「そうだ。基本中の基本、体中の魔力(マナ)を凝縮する錬氣。より多くのオーラを練る為
に意識的に魔力(マナ)を取り込む集氣。魔力(マナ)や魔流(ストリーム)を眼や肌など
で知覚する見氣。そして主に気配を絶つ為に使う断氣……」
 兄が思い出すよりも早く、淀みなく答えたアルス。
 するとリオは然りと頷くと、その基本を一つ一つ指を立てながら復唱し始めたかと思うと
告げたのだった。
「だがこれらだけでは不十分だ。お前達は、まだ錬氣法の半分も知ってはいない」
『──』
 まさに金槌で殴られたかのような衝撃と言っていいだろう。あまりにあっさりと言い切っ
たリオの言葉に、ジーク達は唖然としていた。
 皆を代表して答えたアルスや、エトナまでもが目を丸くしている。
 だが……それでも一同は理解していた。それがきっと、彼の言っていた自分達に足りない
ものとやらの正体なのだろう。ごくりと息を呑み、次の言葉を待つ。
「そもそも錬氣法とは、魔導解放によってその立場を危ぶんだ我々の先祖らが、生き残りを
懸けて編み出した魔力(マナ)を利用した戦闘技術だ。そして現在、この術は魔導師側にも
逆輸入され、上位の戦士・術師にとって切っても切り離せないものとなっている」
 そんな中にあって、既にその何かを知っている・得ていると思われるハロルド・リカルド
兄弟やクロム、ダンは比較的冷静であるようだ。皆がざわつき、互いの顔を見合わせている
中でもリオは語り続ける。
「──“錬氣法は、大きく分けて二種類ある”」
『えっ』
「二種類……? 四種類じゃなくて?」
「まだ半分と言ったろう。錬氣、集氣、見氣、断氣。これらは錬氣法の“気装(けそう)”
と呼ばれる。或いは“量配変化”と呼ばれる事もあるな。一般的に人々が錬氣と聞いて思い
浮かべるのはこちらだな」
「……じゃあ、もう一つは」
「“色装(しきそう)”──或いは“形質変化”という。気装がオーラの『量』を操る技で
あるのに対し、色装はオーラの『質』を操る技だ。今のお前達に足りないのはこの色装──
お前達それぞれが本来持っているオーラの特性を戦いに組み込む事に他ならない」
 色装。それぞれの、特性……。
 ジークが、団員達が誰からともなく口々にそのフレーズを呟いていた。
 半分とはそういう事か。本来錬氣法とは、気装と色装の二つが合わさって初めて完成する
ものだったのだ。
「……でも待てよ。何でそんな大事なこと、皆が知らないんだよ? 俺も師匠(せんせい)
から錬氣──気装を教わった時は、そんな言葉、しの字も聞かなかったぜ?」
「当然だ。原則、錬氣法を学ぶ者は先ず“気装だけ”を教わるのだからな」
 そうなると自然と過ぎってくる疑問。
 されどリオはジークや皆が向けてくるその眼差しに、あくまで淡々としている。
「気装とは違い、色装は個人の素質によってその内容が大きく違う。気装は『量』だが色装
は『質』だ。即ちオーラの、魂そのものの性質だと言っていい。故に同系統の者同士はいて
も、波長から何まで、二つとして同じ者はいない」
「有りうるとすれば……生まれ変わりだな。或いは強い外因によって魂までもが変質してし
まい、色装自体が変化してしまうケースだ。セシルやヘイトなどがその例だな」
「そっか……」
 途中でそれまでじっと傍観していたクロムが補足を加えてくれた。ジークが眉を顰める。
 瘴気のオーラを纏っていたセシルとヒルダ。
 彼らにより、自分達の目の前で粛清されかけたヘイトの憎しみに満ちた眼……。
「色装は大きく六つの系統に分かれる。強化型、付与型、変化型、現出型、操作型、超覚型
の六つだ。俺はこの内の付与型の一つ──《剣》の色装を持っている。オーラに斬撃を加え
る事が出来る性質だ」
「……斬撃を」
「加える……?」
 故に思わず、ジーク達は彼の背後を再び見遣った。
 そこにはスッパリと、真横に両断されて瓦礫となった廃屋が転がっている。
 だからあんな真似が出来たのか。実際に剣を用いずとも、オーラさえ練れば彼はその全身
が刃になるという事か。
「……解るな? 色装は、その使い方次第で人一人の命などいとも容易く奪える」
 黙り込んだ。リオが先程の自分を示すように言い、ジーク達は息を呑むしかなかった。
 魔力(マナ)を用いる戦闘技能。その真価は、まごう事なき──。
「先祖らの判断は妥当だったと思う。個人差はあれ、これだけの力をみだりに周知のものと
すれば間違いなくそれを悪用する者が出てくるだろう。だからこそ、錬氣法は今日までその
全容を秘匿しながら伝えられてきた。先ずは気装を。その上で色装を修めるに値するかどう
か、力に溺れぬ“強さ”を持つかどうか──師になる者達は慎重に見極めてきたんだ」
 人数は絞った方がいいと言っていたのはそのためか。
 だがリオ自身も痛いほど解っている筈だ。そんな先人達の敷いてきた予防線も、今日では
“結社”を始めとした暴徒によってとうに破られている事を。
「色装の会得者──通称・色持ちたる事は、上位の戦士・術師としての最大不可欠の壁だと
覚えておけ。“結社”の幹部や統務院、各国の将校クラスの殆どはこの会得を以って自身の
錬氣法を完成させている。それを知らず、知覚もできなければ、お前達は決して彼らと同じ
レベルに立つ事は出来ないだろう」
『……』
 ごくり。再び静かに一同が息を呑む。
 原因は分かった。では、具体的にどうすれば其処に辿り着けるのか?
「何はともあれ、自身がどの系統で何という銘であるかを知る必要がある。その為には基本
覚醒するしかない。尤も知るだけなら検出系の能力や、今なら専用の走査装置を使うという
手もあるにはあるが……」
「その覚醒ってのに行き着かないと知っているだけで使えないって事だろ? 分かったよ。
それだけで大分進展した。色装を使えるようになれば、“結社”の魔人(メア)達とも渡り
合えて、リオみたいな事も出来るんだろ?」
「……そこまで万能ではないな。これはあくまで俺の色装だから出来た事であって、お前の
色装が出来る事はまた違ってくる筈だ。大事なのは、発現した自身の特性をどのように使う
かだ。己の創意工夫と錬度、何より相手との相性にもよる」
「とにかく、ここのいる皆が己の色装を知る事だ。自身の魔力(マナ)と対話し、その本質
に気付き、受け入れる」
「まぁ中には、そうした段階をすっ飛ばして色装を使えてしまっている者も存在するがな。
それでも、よほど戦闘センスの高い者でなければ難しいが……」
 リオが、クロムが、そう言いながらちらとジーク達の中の一角を見た。
 その視線の先にはダン、或いは近くに立っていたリンファ。彼らの後ろで、じっと薄眼鏡
のブリッジを押さえて押し黙っているハロルド。
 彼はともかく、この色装の先達コンビからの眼差しに、前者二人は頭に疑問符を浮かべて
いた。だからなのかややあってリオは小さく息を吐きながら視線を戻し、ばさりと黒の上衣
を揺らすと、ジーク達一同に向かって改めて活を入れる。
「──二年だ。二年の内に全てマスターしろ。統務院には先日、それまでお前達の特務軍へ
の編入を猶予するよう約束を取り付けておいた。色装だけじゃない。気装も──基礎からみ
っちり鍛え直してやる。はっきり言って期間はギリギリだ。目覚められない者、ついてゆけ
ない者は容赦なく捨て置いて進む。いいな?」
 轟……。にわかに自分達の前に立つ彼の威圧感が増したように感じられた。
 厳しいが、言葉の通りそれが“結社”との攻防を考えたギリギリの猶予期間なのだろう。
『──押忍ッ!!』
 斉唱。
 改めてぎゅっと唇を結び、拳を握り締めると、ジーク達はそう一斉に頭を下げた。


 人の世はこんなにも狂おしいほど忙しないのに、注ぐ日差しは決してブレる事なくじわり
と汗ばむほどだ。
 トナン皇国王宮。帰国してからのコーダスは、医務長ナダらの指導の下、日々衰えた身体
を鍛え直す為のリハビリに勤しんでいた。
「……っ、はぁ……!」
「はい。では、一旦大きく息を吸って。焦らないでくださいな? 時間ならたっぷりとあり
ますからね」
「……。そうですね」
 車椅子から平行棒のような器具に掴まって立ち、よろよろと歩く訓練。
 尤もそのさまは歩くというより、平行棒に脇を預けてぶら下がっていると表現した方が正
しかろう。コーダスは玉のように汗をかいていた。結局十歩ほど進んだ所で限界が来、すか
さずナダによってストップが掛けられる。
「そうよ。ゆっくりでいいから……。はい、タオル」
「……うん。ありがとう」
 そしてこの一部始終をサジと少し離れて見ていたシノが、そっと清潔なタオルを片手に彼
の下へと歩み寄る。
「黒騎士(ヴェルセーク)とやらがどういう仕組みだったのかは知らないし、そもそも専門
外だけどね……。陛下の状態から推測するに、本来生体として維持されるべきエネルギーが
ごっそりその入れ物の方へ流れていたと考えられる。要するに今の陛下は、ある種の衰弱状
態なのさね。だからしっかり食べて、適度に運動して……健康的な生活を送っていれば自ず
とその状態は回復していく筈だよ。強度の高いリハビリはその後に組んでいった方がいいだ
ろうねえ」
「そうですか……。よかった。ちゃんと治るんだって、コーダス」
「みたいだね。早く元気になって、皆さんの負担を減らさないと……」
 夫婦が睦まじく微笑み合っていた。
 その気負いが駄目なのよ。妻は苦笑して車椅子に座り直す夫の背を擦ってあげていたが、
当の彼は同じく苦笑の表情のままそれ以上は言わない。
 サジとナダも、互いに視線を交わらせて綻んでいた。
 彼が魔人(メア)である事を除けば、ごくごく普通の夫婦であるのだが……。
「女皇陛下、国王陛下。失礼致します」
 そんな時だった。ふと家臣団の一人と官吏が数名、シノ達のいるこの療法室の扉を開けて
一礼をしてきたのである。
「えっと、何ですか? また書類が?」
「いえ。先日から市中に放っておいた密偵達からの報告が纏まりましたので、お耳にと」
「ああ……。そうですか、わざわざご苦労さまです」
 いいえ。ちょび髭の家臣は見た目丁寧に受け答えはせど、向き直って優しく労うシノの言
葉には意識半々といった感じだった。言うとすぐに傍らの官吏達に合図し、手にしていた資
料を捲りながら続ける。
「結果は……祝福が半分、不安が半分といった所でしょうか。おそらく前者は陛下の身の上
を想っての安堵、後者は魔人(メア)への忌避感情──というよりは、内乱の折の記憶が蘇
っての感慨と考えられます」
「そうですね。建物は大分元通りにはなってきても、心の方は、まだでしょうから……」
 コーダスの車椅子のハンドルに手を乗せ、シノは心苦しそうな微笑を浮かべていた。
 半数が夫の帰還を歓迎しないということへのそれではない。寧ろ彼らの本心を探る為に、
城下や各地に密偵を忍ばせる──騙し、盗み聞きするような真似を取らざるを得なかった事
への後ろめたさである。
 ……仕方なかったのだ。先日夫を、長らく“結社”の魔人(メア)として操られていた経
緯をメディアを通じて打ち明ける会見実現の為に、臣下達から示された条件がこの世論調査
の併行だったのだから。
 心配(きもち)は分からなくはない。たとえその意思とは無関係に操られてしまっていた
とはいえ、皇が魔人(メア)──“結社”に関わっていたとなれば領民らの不安は少なから
ず起こるだろう。何より、もう二度とあのような内乱(こと)は御免だと思っている筈だ。
「気に病むことはありませんさね。何をしようと賛成反対はあります。あたし達は……何と
言われようとお二人の味方ですから」
「御婆さま……」
「……。ありがとうございます」
「いえいえ。とにかく今はお身体の事に集中してくださいな」
 加えてそんな最中だった。ぱたぱたと、軽鎧を鳴らして警備の兵がこちらに駆けて来る物
音が聞こえる。
「失礼します! 両陛下にお客様です。フォンティン侯サウル様と、七星“海皇”シャルロ
ット様です」
 びしりと敬礼をして告げる彼に、シノ達は振り向いた。すると程なくして、他の兵や臣下
らに連れられてサウルとシャルロットの両名がその姿をみせる。
「やあ。コーダス君のリハビリ、始まったみたいだね」
「お邪魔致します。両陛下ともお元気そうで」
「サウルさん! 七星の……」
「お久しぶりです。まだ、体力が戻っていませんけどね」
「内乱の時も、保釈金の件も。その節は本当にありがとうございました。お二人には何とお
礼を言ったらいいか……」
「はは。そう畏まらないでくれ。私達の仲じゃないか」
 車椅子を気持ち押し、シノ・コーダス夫妻とサジら臣下達は一堂に会して向かい合った。
二人にとってはかつての仲間と、内乱の際に世話になった人物との再会だ。自然とその表情
は優しく解けたものになる。
「それで、今日は一体?」
「見舞い……かな。これはセド君と、ハルトとサラから。後はここ何日かの案件について、
色々と」
 サウルから仲間達からの見舞いの品を受け取りつつ、シノとコーダスはそっと神妙な面持
ちになっていた。
 それだけを口にするなら、言わずもがな。十中八九ギルニロック以降の息子達の行動と、
それに合わせた自分達のあの会見の事であろう。
「……ご迷惑を掛けます。その、そちらにも風評被害などは及んでいませんか?」
「気にしなくていい。確かに会見をすると聞いた時は驚いたが、個人的にはこれも一つの切
欠になるのではと思っているよ。どうにも、今の世界は安易に“敵”を作り過ぎる。君達の
会見が、その流れへ一石を投じるものになればと願うばかりさ」
「……そうですね」
 シノからの懸念。だがサウルは一見何ともないといった風に答えていた。
 加えてそれらは“切欠”だと言う。
 夫と共に、彼女は言葉少ない微笑でもって互いの顔を見合わせていた。
(やっぱりサウルさんは、アイナちゃんの事を)
(皆が穏やかで、笑っていられる世界、か……)
 二人は今は亡きかつての仲間──彼の妻となった優しき魔導師のことを思い出していた。
 はたして自分達は彼女の願いを叶えられているだろうか? 勿論結社(やつら)を、テロ
を肯定するつもりはないが。
 だがこうして切れ目を見出せず続く戦いは、むしろそんな仲間(とも)の願いとは真逆の
方向へとひた走っているようにすら思えて……。
「リオも言っていましたわ。自分達は、あまりにも彼らを知らな過ぎると。ですからジーク
皇子が元使徒を引き入れたことは、きっと長い目でみればプラスになる筈です。奴らの内情
を知る意味でも、憎しみの連鎖を断ち切る意味でも」
『……』
 誰からともない首肯。元よりあの子達の決断に水を差すつもりはない。
 だがどちらにせよ──戦うにも知るにも、多難の道である事だけは確かだ。
「……急いだ方がいいかな。あの子達ばかりに負担を掛けない為にも、償いの為にも、早く
満足に動けるようにならないと」
「コーダス……」「陛下……」
「ああ、その皇子達の件でもう一つ」
 すると思い出した、さも本題であるかのようにシャルロットがぽんと手を叩いて一言。
「彼(リオ)が、本格的に動き出したみたいです」

 鋼都(ロレイラン)は相変わらず、人々の熱気と鉄の匂いで満ちている。
 その大通りから外れた裏路地の先、ルフグラン・カンパニーの社屋前では、レジーナ以下
社員達が慌しく動き回っていた。
「ほらほら、へばってないでもっと手を動かす!」
「図面のチェックに登録手続、予算やら資材の確保まで。やらなきゃならない事は山のよう
にあるんだからね!」
 そのさまはまるで大規模な引越しのようだった。
 社員達に交じり、レジーナとエリウッドは屋内から小分けに分解した種々の機材や、ダン
ボールに詰め込んだ備品などを次から次へと軒につけてある大型鋼車に運び込んでいく。
「……ようやく戻って来たと思えば。相変わらず落ち着きのない連中だ」
 そんな折、道向かいから現れる人影があった。
 機巧師協会(マスターズ)の現会長・ドゥーモイである。
 彼はいつものように刈り込んだ頭と厳つい顰めっ面のまま、同じく威圧感ある黒服の取り
巻きらを連れ、荷造りをしているレジーナ達の方へとやって来る。
「なーに? 冷やかしなら間に合ってるわよ。今忙しいんだから」
「……話は聞いたぞ。ブルートバードに造船の注文を受けたんだってな」
「ふふん。羨ましい? 言っとくけど、あんたらには分けてあげないからね? それに今回
の仕事はイセルナさん直々よ。あたしの“夢の船”を、造らせてくれるってんだから……」

 ──話はまだ、レジーナとエリウッドが成り行きのまま梟響の街(アウルベルツ)に滞在
していた頃に遡る。
 実は折り入って、お二人に相談があるのですが……。
 ようやく帰還を果たし、ジークがその想像以上の反発に塞ぎ込んでいた頃だった。クラン
の一員でもないのに彼らのホームに居る。その気まずさにどうしたものかと皆を傍観してい
た最中、はたと団長イセルナが思いもよらぬ話を持ち掛けてきたのだ。
『私達に──クラン・ブルートバードに、飛行艇(ふね)を造ってくれませんか?』
 正直驚いた。全くの初対面ではなかったとはいえ、いきなり商談を持ち掛けられるとは予
想だにしていなかったからだ。
『皆さんの事は、ジーク達から色々と聞いています。オズ君をああも直してしまった技術力
も、貴女がずっと温めている“夢の船”の事も』
『えっ……?』
 そこから二人は、イセルナからクランの抱える課題を聞かされた。
 数奇な巡り合わせによって“結社”との戦いに身を投じ、その為に多くの新団員らを加え
たこと。その結果、ただでさえ手狭な現在のホームでは近い将来、その収容能力はパンクし
てしまうだろうと。
 加えてこっそりと、なるべく他言しないようにと付け加えられた上で聞いた。
 いずれ、自分達はこの街から出て行くつもりだと。過去二度も実際に“結社”の襲撃を受
けた上、これから先も特務軍として彼らとの戦いは激しさを増す。……これ以上、この街を
拠点にし続けて皆を巻き込む訳にはいかない。
『ジークにその船の事、話してくれたんでしょう? 聞いています。もしその船が実現すれ
ば、私達のものになれば、今抱えているこの問題も一挙に解決できる』
『……』
 だからレジーナは目を瞬き、戸惑った。隣のエリウッドもじっと黙したまま互いのやり取
りを見守っている。
 確かに可能だ。自分が描いてきた“夢の船”の図面が形になれば……彼女達の憂いは間違
いなく解消に向かうだろう。
 レジーナの描く夢の船。
 その最大のコンセプトは「船を丸々一つの街にする」というものだったのだ。
 何処までも飛んで行ける夢の船、冒険心の塊。その実現に必要なものは安定した拠点作り
だと考えている。ならば一々地上の街に降りずとも、ある程度船上で地上のそれと大差ない
自活を行えればいい。その為には、飛行艇自体が一つの街として機能すればいいと考えたの
である。
 しかしこれまで、それはあくまで理論上だけのものだった。
 図面は長年の計算と試行錯誤を重ねてほぼ出来上がっている。しかしいざ実現しようとな
れば船体が大型化するのは避けられず、何より人員や資金の面がどうしてもネックとなる。
 それを、イセルナは全面協力したいと申し出てきたのだ。
 幸か不幸か自分達にはこれまでの皇子──レノヴィン兄弟護衛で得た資金もある。特務軍
の事実上の切り込み役として相応の予算も下りる。造船自体も“結社”との戦いのため各地
を飛び回るのに必要とでも主張すれば問題なかろうとの事だった。
『必要とあらば、全力でサポート致します。ただ、その船を私達の新たな拠点(ホーム)と
して使わせてください。私達は団員の収容問題を解決できる。貴女は“夢の船”を造る事が
できる。お互いにメリットは、あると思いますが』
『──』
 だから唖然と、しかしやがてレジーナの表情はぱぁっと、これまでにないくらい咲いた。
 相棒(エリウッド)を見遣る。彼はゆっくりと頷いていた。内心、湧き上がる興奮を隠し
切れずにずいっとイセルナに迫り寄って言う。
『はい! 是非造らせてください! 私の、私達の船を……!』

「だから、これから暫くは向こうでの造船一本になるわ。うちの社員総出プラス寄越して貰
える人足で二・三年ぐらいの工期。だから引越し準備をしてるのよ。エリや皆とも話して、
受け入れてくれたわ。社長がそう決めたんなら、自分達はついていくだけですって」
「……」
 後ろの方でエリウッドが、社員達がニカッと笑い、中には腕まくりもしながら然りと意思
が示されていた。えっせらほっせら。その間にも社内の設備・備品は次々と大型鋼車に積み
込まれていく。
「だから行くよ。あたし達は──ブルートバードの仲間になる」
「会社はどうする? 先祖から受け継いできたものだろう?」
「うん……。畳もうかなって思ってる。今すぐって訳じゃないけどさ。どのみち片手間な覚
悟じゃ絶対成功しない仕事だもん」
 ドゥーモイが、あくまで淡々とした声色を貫いて問うた。
 しかし対するレジーナの答えはあっけらかんとしたものだ。笑ったり真剣な職人の表情に
なったり、その決意は一見した印象(もの)以上に強固である事が窺える。
「皆には悪いけど、大体うちはとっくに落ちぶれてるからねぇ……。新しい土地でやり直す
には、いい機会かもしれないと思ってさ」
「……身勝手な。お前達にだって顧客の一人や二人はいるだろうに」
 だがそんな自嘲(ことば)を聞いて、次の瞬間ドゥーモイは苛立ちや不快感を露わにして
いた。ギリッと白い歯を噛み締め、吐き捨てる。そんな彼に、されどあくまでレジーナ自身
は飄々たるさまだ。
「ん? 何? あんたが庇い立て? 珍しい事もあるのねぇ。明日辺り、雪でも降るんじゃ
ないかしら」
 けらけらと笑う。それでもドゥーモイの表情は険しいままだ。
「何時もそうだ。何時もお前はそうやって、頑なに“普通”に馴染もうとしない……」
 彼の呟き。そこでようやくレジーナの哂いが止まった。
 真っ直ぐ怪訝に、彼を探るような眼差しをしている。しかしそれでも最後まで、この二人
の思いが交わる事はない。
「あたし達を追い出した張本人が言っても世話ないでしょうに……。あんたこそその石頭か
ら卒業しなさいな。これまでの繁栄も、これからの繁栄も、あたし達を保証してくれるもの
なんて何処にも無いんだから」
「……ふん」
 緊迫する空気。だがドゥーモイはそれ以上無駄な口論をする気はなく、ザリッと踵を返し
て彼女達に背を向けると、再び取り巻きらを連れて歩き出した。
 べーっ。死角からレジーナが舌を出して威嚇している。これにエリウッドは苦笑し、既に
諦観してさえすらいる慣れっこさでそんな彼女を宥め、移転作業に戻らせようとしている。
「……確かに、お前みたいな奴は大嫌いさ」
 ぽつり。立ち去りながら呟く声。
「だがお前達の技術力まで、俺は否定してきた覚えはないぞ」
 ドゥーモイはそう彼女達に聞こえぬまま、言う。

『──彼らの編入を延ばせ?』
『ライネルト! 貴様、傭兵の分際で統務院の決定に楯突く気か!?』
 導信網(マギネット)を利用し、大きな議事堂に議員らが、中空の映像(ビジョン)群に
各国の王や高官達が、それぞれ陣取って険しい表情をしている。
 彼らの視線の先には一人の人物がいた。
 七星連合(レギオン)事務総長、ヨゼフ・ライネルト。その老練の元傭兵が今、映像越し
に出席者達から轟々の非難を浴びている。
『私とてこんな役目など不本意じゃよ。だが珍しく剣聖(リオ)からの強い頼みでな。身内
という点を差し引いてもあ奴の見立てじゃ。今のまま戦場に遣るべきではないと判断しての
請いなのじゃろう』
 ぶすりとした気難しい面。ヨゼフはそんな反応など十二分に想定内だったと言わんばかり
に応えていた。
 嘆息。言葉通り、あくまで彼からの伝言を頼まれただけ。
 それでも出席した王や議員達は動揺──内心の焦りを隠せない。
 ヨゼフ翁及び“剣聖”曰く、レノヴィン達を対結社特務軍の主軸として編入するにはまだ
力不足だとの主張だった。
 故に要求された。期間は二年。それまでに梟響の街(アウルベルツ)に滞在中の“剣聖”
が直々に彼らを鍛え、いわゆる“色持ち”へと成長させるというのだ。
 統務院(じぶんたち)にはそれまで、彼らの編入を猶予して欲しいという。
『本当に彼らの力がつくのなら歓迎はするが……』
『しかし“結社”どもは呑気に待ってなどくれんぞ!?』
『そうだ! それまでの期間、奴らと対決する兵力はどうする!?』
『兵ならたんまりと持っておろうが。正義の盾(イージス)なり正義の剣(カリバー)なり
を動かせば良かろう。どのみち、共闘させる予定なのじゃろう?』
『……ぬぅ』
『それは、そうだが……』
 だが王達は渋っていた。そもそもジーク達を特務軍に任命したのは、激化する“結社”と
の戦いにおいて、自分達の被るダメージを最小限に抑えたいという思惑に端を発するに他な
らない。
 テロに屈する姿勢はみせられない。しかし現実として起こる被害と、人々の不満の矛先が
政権(じしん)に向くのは何としてでも避けたい……。
 どれだけ“世界の秩序”として強いメッセージを打ち出そうとも、その内面は少なからず
脆さを孕む。何よりも決して一枚岩ではない。
『……いち武人として断言しよう。この先、色持ちでない戦力では厳しい。何より無策のま
ま、ただ精神論だけでぶつかっても、損失はかさむばかりじゃ。それでも手前の面子を優先
するかの? お主らの部下達が報われぬわい』
『っ、貴様──!』
『僭越ながら。私も、ライネルト総長に賛成致します』
 あくまで、敢えてその弱さに切り込んでいく。論破しようとする。
 だがそこへ手を挙げ、怒れる王達を説得しに掛かったのは──議事堂に同席していたダグ
ラス及びヒュウガだった。
『確かに二年という空白は戦力の不足を否めないかもしれません。ですが約束通り“剣聖”
によってジーク皇子達が色持ちに変われば、大きく戦力は増強されるでしょう。それまでの
間なら、我々が埋めてみせます。元よりこれは、いち冒険者クランに任せてしまっていい問
題ではないのですから』
『右に同じく。長い目で見ても、こっちにとってもメリットは大きい筈ですよ? 皆様方が
期待するだけの成果が得られないどころか、彼らを早死に──折角の自発的な駒をみすみす
失わせてしまうリスクだって減ります。まぁ本当に“剣聖”が、約束の期間までに彼らを仕
上げてくれればの話ですけど』
『……それに、我々は結社(かれら)についてあまりに知らなさ過ぎます。先日ご報告申し
あげた、デュゴー・スタンロイ両名を討ち取った“フードの男”についても然り。何故この
ような暴挙を繰り返すのか、その理由が判ればより効果的な対策も取れましょう。ただ彼ら
と只管いたちごっこな戦闘を繰り返すよりは、もっと……』
『……』
 王達は口を噤むように黙り込んでいた。
 指揮系統的には部下の、指令官からの諫言。だが少しでも終わりの見えない戦いを終わら
せる事が出来るのなら……。その点では、彼らの訴えは政治的利害とも一致する。
『……止むを得ん、か』
 ややあって、映像の向こうのハウゼン王がゆたりと首肯する。
 会議は、そんな盟主筆頭の意思を切欠にして、この猶予期間を容認する方向へと向かって
いった。

『──』
 廊下を、軍服を纏ったダグラスとヒュウガが歩いている。
 二人は黙っていた。粛々と、飄々と。互いに肩を並べて統務院の二大戦力同士が会議後の
静寂の中を進んでいる。
「……ヒュウガ。貴様、どんな手を使った?」
 そんな空気を破ったのはダグラスだった。横目を遣り、このもう一人の司令長官を睨む。
ただそれは怒りというよりは、ある種の不快感・不全感に似た感情であるようにみえる。
「さて? 何の事だか……」
「とぼけるな」
 カツンカツンと二人分の靴音を鳴らしながら、ダグラスの語気が少し強くなった。
 一方で当のヒュウガは、相変わらずの人を食ったような微笑である。
 気持ちダグラスが半身を入れて進路を塞ぐようになった。それに合わせて、ヒュウガの歩
みも少しばかりブレーキが掛けられる。
「私の引責についてだ。本来なら、大都(バベルロート)の一件で私は長官の任を解かれて
もおかしくない。結社(かれら)が狙っていると分かっていて、それでも防げなかった。警
備責任者としての非は私にある。……なのに下されたのは厳重注意のみだ。辞任を口にする
事すら出来なかった。しかしそれでも王や議員達は“不満”げだった。何かしら水を差され
ていたとしか思えん」
「……。ちょっと先立って説明しただけだよ。今の、俺達の現状を改めて、ね」
 やれやれ。ヒュウガはそうわざとらしく、肩を竦めてみせると言った。止まりかけていた
歩みが再開される。眉を顰めたダグラスがこれについて歩き出すのを、彼は視界の端に捉え
ながら言った。
「辞めて何になるのさ? あんたが辞めて情況が好転するかい? 精々あの戦いでの成果が
一つ増えたと結社(れんちゅう)を調子付かせるだけさ」
「……」
 否定はしない。ダグラスはぐうの音も出なかった。
 だがな、ヒュウガ。政治とはそんな割り切ってしまえるほど功利的なようで、功利的では
ないんだよ……。
「だから事前に説いたまださ。他に信用に足る、能力の高い人材がいるかってね。七星と彼
が使徒達を食い止めてくれたからこそ、貴方達は無事逃げることが出来た。その事実をもう
忘れたのですか? ともね」
 だが根っからの軍属である自分とは違い、彼は元々長く傭兵だったのだ。こちらの価値観
を押し付けた所で無意味だろう。そんな諫言を迷いなく叩き込んでいたらしい事もそうだ。
この男──兄妹達には武力はあっても、心よりの忠誠というものは無い。
「だってそうだろう? あんたほど上に従順で、且つ下に慕われている人材はない」
「……買い被りだよ」
 カツカツ。二人は長い廊下を歩いていた。まだ大都は再建途中だが、こういう自分達の中
枢への贅だけは、やはりと言うべきか惜しまないらしい。
「お前だって、部下達を統率しているのは同じじゃないか」
「うちはそっちほど“真面目”な奴らじゃないからね。大体、俺達は守るってより寧ろ焚き
つける側な訳だし」
 自嘲なのか、諦観なのか。ダグラスはやはりこの男は底が読めないと思った。
 ともあれ自分が現在の任を解かれる事はないようだ。しかしその一方、あの会議で自分達
に課された条件というものがある。
「……それにしても。戦力の強化、か」
 故にダグラスは若干の気恥ずかしさも相まって、そう話題を変える。
 それが王達から示された、留任の条件だった。
 来たる“結社”との決戦に備え、正義の盾(イージス)と正義の剣(カリバー)を増員す
ること。ブルートバードの二年間の空白を埋める、その決定に伴い、それぞれに司令官級の
人材を登用すべしというもの。
「探さないといけないね」
「ああ。彼らに対抗できるだけの、人材を」


 剣聖(リオ)による錬氣の猛特訓が始まった。
 ジーク達は連日、街外れにあるこの空き地に集まっては彼からの教えを受けた。
 晴れの日はそのまま外で。雨が降っていても、周囲に点在する廃屋でしのぎながら決行。
 因みにクロムは、色持ちの一人として当初からリオの補佐としての役割を担った。たとえ
彼でも一人で全員を教え続けるには無理がある。
「……ふんっ!」
「ふむ。オーラを炎に変える──《炎》の色装だな。典型的な変化型の一つだ」
 修行の内容はごくシンプル。実際に見て、体験すること。只管その繰り返しだ。
 メンバーの中で唯一、自覚はないが発動できるダンの炎のオーラを見て、リオがそう即座
に断言した。おお! と団員達からバラついた拍手が向けられる。
「……念の為に訊くが、お前はどうやって使えるようになった?」
「どうって言われても……。よく分かんねぇなあ。気が付いたら何となく使えてたし……」
 ガシガシと髪を掻きながらのダン。リオはやはりか短く頷くと、一度皆に向き直る。
「見ての通り、彼は無自覚なタイプだ。メカニズムは知らないが直感だけで発動する事に成
功した例だな。基本的によほど戦闘センスがないとこうはならない。なので、あまり当てに
はしないように」
「ああ、そうなんだ……」
「へへっ。流石は副団長(ダンさん)だ」
 一方、クロムは廃石材の前に立っていた。その周りを、他の団員達がそわそわといった様
子で囲んで見守っている。
「……色装」
 オォンッ! 呟きオーラを練った次の瞬間、クロムの右腕が濃い黒鉄色に染まった。
 驚く一同。更にそのまま彼が鋭い正拳突きを打ち込むと、この廃石材は一撃で粉々に消し
飛んでしまう。
「私のこれは《鋼》の色装という。自身オーラに質量を付与する性質だ。このようにオーラ
を込めれば込めるほど、拳は硬く強力なものになる。尤もその反面、どうしても自重が増し
て身体が重くなってしまうがな」
『……』
 己の色装を覚醒させる為の方法はシンプル。とにかく色装を帯びた攻撃を受けて受けて受
けまくる事だ。
 リオ曰く、実践に勝る訓練はない。ただでさえ二年という時間を区切って修行を始めた事
もあり、何をもっても先ず効率を重視せざるを得ないのだ。
「ひっ!? だわっ!」
「リ、リオさん! ま……! 待って、待って! 死ぬ、死ぬゥ~!!」
 故に基本的には幾つかのグループに分かれた面々が、リオ及びクロムとひたすら交代を繰
り返して組み手を行う。その間他のメンバーは只管オーラを練り、座禅よろしく己の魔力と
延々向き合い続ける。
「大丈夫だ、急所は外している。それにお前達は皆、俺の色装を添えたオーラを嗅ぎ取って
いるんだ。素養はある。安心してじゃんじゃん倒れろ」
『い~やァァァ~ッ!!』
 剣聖(リオ)の霞むような、それでいて本人は全くと言っていいほど疲れをみせない剣閃
の雨霰。クロムの、全身を自在に硬化させた上で放つ攻守無双の徒手拳闘。
 ジーク以下団員達は毎度ボコボコにされ、ボロ雑巾になりながらも、組み手一回のタイム
アップを迎えた。どうっと皆々涙目で倒れ込み、すぐさま苦笑を隠せぬレナやステラ達から
の治療を受ける。事前に霊石も大量に購入してあるので、魔力切れからの回復時間を待たず
して再び実戦と瞑想のループへとご案内だ。
「マジ、きつい……」
「死ぬ……。これ本当に死んじゃう……」
「なあ。本当にこれで効果があるのか? クッソしんどいだけで色装らしきものなんざ全然
視えて来ないんだが……」
「だよなあ。でもやるっきゃねぇだろ。リオも、別に苛めるのが目的じゃねえんだし……」
 大きく全身で息を荒げながら、ジークは仲間達と共に空き地の地べたに倒れ込んでいた。
 まだ特訓が始まって一週間も経っていない。オーラを、魔力(マナ)を使い込む事で導力
を鍛える目的も兼ねているのだろうが、やはりそれらしい実感が持てないと不安にはなる。
(そもそも魔導が使えてりゃあ、一先ず魔力(マナ)は視えるんだがなあ……)
 息をついて寝転がったまま、そっと向こうに集まっている座禅組を見遣る。
 今はシフォンやサフレ、クレアといった面子がただじっと両手を組んで座りオーラを練っ
ていた。リオの話ではあれも気装の修行になるそうだ。曰く戦士育ちでは錬氣と断氣、魔導
師育ちでは集氣と見氣にその錬度が偏りがちになるのだという。
 それぞれが必要とした技術を優先していった結果、陥る傾向。
 色装をマスターするのも大事だが、この偏りをなるべくなくして基礎を固め、応用力をつ
けていくのもまた必須であるという。
(俺の色装、か)
 長時間剣を握って使い込まれた手をじっとみる。目に映るのは五本の指と少々ゴツゴツし
てきた掌で、それ以外に超常的な何かがいきなり現れる訳でもない。
 どんな性質(もの)を持っているのだろう?
 リオの場合は刃のように鋭い感触だったし、クロムは鉄のように重い感触だったが……。
「よし、全員十周したか。十小刻(スィクロ)休憩する。水分をしっかり摂っておけ」
 うい~ッス……。ようやく解放されたといった様子で、団員達がへろへろ汗だくになりな
がら空き地の方々に散って行った。レナ達が用意していたスポーツ飲料やタオルを配って回
っている。
「……どうだ、ジーク。お前の魂の形は視えてはきたか?」
「リオ……。んにゃ、今ん所何にも。まぁこれだけオーラを使い込んでりゃ、全くの無駄に
はなりはしないんだろうけどさ」
 ゆたりと歩いて来たリオの姿を認め、ジークは仰向けから上半身を起こして振り向いた。
 レナが「どうぞ」と飲料とタオルを持って来てくれる。ジークとリオは礼を言って受け取
ると早速それらを使い、暫し休憩を取る皆々の様子を眺めて黙す。
「難しいもんだな。リオ達は結構サクサクっと使ってるから錯覚しちまうけど、今の俺には
ただの一撃じゃないって事が分かる程度だ」
「それだけでもかなり大きいんだがな。元より設定している目標がいきなり過ぎるというの
もある。そもそも色装は、知ったとしても全員が全員覚醒できる訳ではないしな」
「えっ……」
「? 言わなかったか。ついてゆけない者は容赦なく捨て置いて進むと言ったろう。俺も皆
が皆、色持ちまで進化できるとは思っていない。せめて半分──クランの主要メンバー達が
覚醒できれば上々だろう」
「……」
 眉間に皺を寄せ、ジークはぐぬぬと俯き始めた。
 マジかよ。俺、本当に強くなれるのか……?
「……大丈夫だ。俺がついている。統務院にも大見得を切ったんだ、多少ボロ雑巾になろう
とも錬氣法のいろははしっかり叩き込んでやる」
「はは……。そりゃあ心強い……」
 顔は全然笑っていなかった。だが一方で内心、何だか嬉しく思えた。
 初めて出会った時から何処か全てに諦めを持っていたような彼が、ここまで懸命になって
くれている。不謹慎かもしれないが、何だかそんな変化が又甥ながら正直嬉しい。
 暫く風に吹かれていた。ややあって、休憩時間も終わった。
 懐中時計を取り出して特訓再開の合図をするリオ。皆が、重い腰を上げながら再び二種類
のフィールドに戻っていく。
「……以前、魔流(ストリーム)を感じろって言ってたのは、これの事だったんだな」
「ああ。見氣だけじゃない。オーラの表面的な揺らぎだけではなく、その深層にある姿形を
知覚した先にあるのが色装──お前の魂の形だ。どれだけ銘だけを知っても、そこに辿り着
けない限りは、一生この力を物にする事はできないだろう」
 ジークがぼうっと思い出しながら呟いた。
 リオも頷き、黒の上衣を翻して歩き出しながら言った。
「……ジーク」
「うん?」
「それも大事だがな……。お前にはもう一つ課題を与えたい。併行して“六華と語らえ”。
聖浄器(あれ)は元より、意思を持つ道具だ」

「──形質変化ねぇ」
 その一方で、アルスとエトナ、そしてリンファはブレアが暮らすアパートを訪れていた。
 大都消失事件、清峰の町(エバンス)での静養、そしてリオによる特訓開始。
 導力仕掛けの送風器に当たりながら、一通りの話を聞いた彼は胡坐を組んだまま、手でぱ
たぱたと自身を扇いでいる。
「俺に頼まれてもなあ。はたして個人的に教えちまっていいものか……」
 そう彼は、眉を潜めて目を細め、ぶつぶつと戸惑いの弁を述べていた。
 この日アルス達がアパートを訪れたのは他でもない。彼に色装(形質変化)の教えを請う
為だ。先日のリオの審査によって、アルスも兄らと同じくその異変に膝を曲げた一人だった
のだが、他ならぬリオ自身や兄らの意向により特訓には参加させて貰えていないのである。

『駄目だ。お前らは学院の方に集中しろ。次からは……本物の戦争なんだぞ』
『で、でも……』
『俺もジークの意見に賛成だ。アルス、お前は特務軍じゃない。学生だ。この街にいるのも
そもそもは留学という体だろう? 本分を通せ。……魔導学司校(アカデミー)に通ってい
るんだ。いずれ色装を学ぶ機会も出てくる』
『……はい』

「そ、そこを何とか」
「頼むよ~、ブレア~」
 ならばと二人は無茶を承知で、彼のアパートを訪ねた。話を聞いたリンファも護衛として
ついて来ている。
 ぶんっと頭を下げるアルスに、すっかり砕けた口調になったままでぽんと両手を合わせて
頼み込むエトナ。ブレアは目を細めたまま部屋の隅に視線を逸らしていた。ヴヴヴと送風器
や、蝉の音だけが聞こえてくる。暫く両者は黙り込み、二人の後ろでじっと控えていたリン
ファが何か助け舟でも出そうかとした所で──彼が口を開く。
「……そもそも、魔導の形質変化は三回生以降のカリキュラムだ。“剣聖”からも聞いたと
は思うが、本来こいつは万人に開かれたものじゃない。カリキュラム上は三回生以降って事
になってるが、実際にはマスター出来ないまま卒業していく奴も結構いる。それを、魔導師
でもない奴も混じって二年でとか……無茶し過ぎだろ。まぁお前に限って言えば、今までの
成績やら素質からして不可能じゃないとは思うが……」
 ガシガシと髪を掻きながら、ブレアは呟いていた。
 相対して床の上に座しているアルスと、前のめりに詰め寄ろうとするエトナを見る。
「俺の一存では教えかねる。俺や学院長辺りはよくても、他の教員やら理事の連中が文句を
言ってくるのは目に見えてるしな。形質変化は使えるだけでで大きな脅威だ。仮にまだ一年
も経ってないお前に教えたとして、何かあった時の責任は誰が取る? 俺の教え子だ、多少
のリスクぐらい背負ってやるが……誰も彼もが寛容じゃねぇのは解ってるだろう? ただで
さえお前は良くも悪くもイレギュラー──並大抵の力じゃないんだ。恐れ、保身、嫉妬……
お前にゃ悪いが、断行した所で跳ねっ返りがキツイぜ?」
「で、でも……でも、僕も強くなりたいんです! 兄さんが必死の思いでクロムさんを助け
て来ました。母さんと父さんが不利になると分かっているのに自分達の事を告白しました。
皆今も闘っているんです。“結社”と、色んな“敵(にくしみ)”と闘っているんです。僕
だけがこのまま安穏と学院生活を送っていていいのかなって……。今皆の役に立たなきゃ、
何の為に頑張って来たのか、分からなくなりそうで……」
「……だからだよ。兄貴の言葉は正論だ。お前達を守れなきゃ、何の為に修行までして強く
なるんだ?」
「それは──」
「悪い事は言わねえ。じっくり腰を据えて学べ。カリキュラムを進めりゃあ、どっちにして
も形質変化は学べるんだ」
「駄目だよ!」
 じっとしていられないといった様子で訴えるアルスにブレアは淡々と諭す。
 危なっかしいんだよ……。しかし続いて宥めようとしたその言葉に、今度はエトナが噛み
付いてくる。
「三回生からなんだよね? それじゃあ間に合わない。二年後にはジーク達の特訓も終わっ
て“結社”との戦いが本格的に始まってる。それまでに強くならなきゃ、遅いんだよ!」
 ぶわっと翠色の光粒を激しく撒き散らしながら、エトナは言った。アルスも、じっと控え
ていたリンファもそれぞれに眉を顰める。
「……アルス。オーラを練ってみろ」
「? はい」
 だがブレアはそんな叫びには答えず、代わりにアルスへそう命じた。
 頭に小さな疑問符を浮かべたが、それでも言われるがままに従うアルス。オォン……と、
呼吸するように彼の全身にオーラが巡った。するとどうだろう。これにブレアがオーラを纏
わせた右手で触れると、次の瞬間アルスのオーラが轟と大きく膨れたのである。
「これは……?」
「……《燃》の色装。俺の形質変化だ。触れた対象のオーラを一時的に強化する事が出来る
ってモンでな。地味だろう? 直接的な攻撃力がある訳じゃない。精々味方のサポートやら
自分の魔導、煌(オーエン)を強化させるのにちょこっと使う程度だ。もしかしたらお前の
色装も、直に敵をぶっ飛ばせるようなタイプじゃないかもしれねえ」
「……」
「聞いてはいるんだろ? 色装の性質ってのは本当に人それぞれだ。俺みたいに使い所が微
妙なものもあれば、逆にド派手なものもある。だがその度合がイコール強さじゃねぇんだ。
使いようなのさ。如何に自身の特性を受け入れ把握して、使いこなすか──。人には出来る
事と、出来ない事がある」
 ややあってゆっくりとオーラが元の強さに戻っていった。ブレアが解いたのに倣い、アル
スも自身のオーラを解いて、また向かいにどかっと座り直す彼を見ていた。
「……焦るな。お前はお前の出来る事で皆の力になればい。大体、最初の志はどうしたんだ
よ。瘴気と魔獣を研究して、苦しむ人達を救うって語ってたあの夢は、所詮は夢か?」
「ッ!? そんな事は──」
「分かってるよ。だから焦るなって言ったんだ。誰かが出来る事を自分は出来ない、その事
を一から十まで恥じる必要なんざねぇんだ」
「そうですね……。私もまた、リオ様やクロム殿から錬氣の手ほどきを受けています。全て
はアルス様やジーク様、陛下らへの忠義の為です。私の出来る事はそれだけです。ですから
武力についてはどうか我々に任せてください。お二人には、私達には出来ない事がある」
「リンファ……」
「リンファさん……」
 ぼうっと。相棒が傍らで浮かぶ中、アルスは居住まいを正しそう優しげに胸を張ってみせ
た彼女を見ていた。その姿が、何だかとても眩しくも落ち着き払って見えた。
「そうさな。それによ。正直俺は、お前には戦って欲しくないと思ってる」
「え──?」
「焦る気持ちは分かるぜ? お前らの置かれてる現状っつーか何つーか、きな臭いのは何度
も見聞きして知ってのことだからな。でも……だけども、俺にはそれが危なっかしく思えて
仕方ねぇんだよ。“望んで戦う”ようになるってのは……危ないと思う」
「──」
 まぁ、何だかんだで兄弟って事なんだろうけどな……。ブレアはふっと一度深く沈みかけ
たような自身の声色を誤魔化すかのように、最後にそう付け加えて苦笑(わら)っていた。
 だが肝心のアルスの方はそうはならなかった。
 深く眉を顰めて、暗がりの水面へと落ちていく。はたと指摘された言葉に、自身の罪深さ
のようなものを見出してしまい、ろくに泳げなくなる。
「……」
 じっと、俯き加減になって掌を見ていた。迷宮化した大都(バベルロート)での戦いを思
い出し、頭の片隅に残っていたあの“枝分かれする樹木”を放っていた自分が蘇る。
 戦わずに済めば──勿論それに越した事はない。
 だが実際は、常に自分達は奪い、奪われる存在だ。他ならぬ自分も“結社”によって多く
のものを奪われ、傷付けられてきたと思う。
 ……奪い返すしかないのか? 今度は今までのように届かないかもしれないその手を、遠
くにいってしまう大切な人々へと伸ばして……。
「僕、は……」
 震えていた。掌が、肩が恐れによって震えていた。
 失うかもしれない。奪われるかもしれない。
 だがその為に武力(つよさ)を求めていった先にも──恐怖しかない。
「……その為に学ぶのさ。探せばいい。自分に出来るベストな闘い方をな」
 しかし気付けば、ブレアは対照的に微笑んでいた。まるで自身を省み、アルスがこうなる
事を、その経験で知っていたかのような。
「色装だってそれこそ、その手段の一つに過ぎねぇんだよ。……がむしゃらになるやり方を
間違えるな。学院には飛び級制度ってモンもある。今の内から高成績をじゃんじゃん叩き出
していれば誰もお前の往く道に文句はつけられねぇさ」
 ハッとアルスは顔を上げていた。ぽんとブレアが不敵に笑いながら軽くその肩を叩く。
 エトナもパァッと明るい表情を浮かべていた。やったね、アルス! そう言い、我が事の
ように彼へと飛び込んで諸手を挙げる。くすっと、リンファがそのさまを眺めている。
「そういやアルス。休み中の課題ってまだちゃんと決めてなかったよな」
「ええ。休み明けに煌(オーエン)さんとまた組み手をするって話はしましたけど……」
 ひとしきり光明が差した後、ブレアが言った。テーブルに歩いていって茶を淹れながら、
きょとんとこちらを見遣ってくるアルス達を肩越しに見る。
「ああ。じゃあ一つ課しておこうか。──他人に頼る事を、恥じないこと」

 そうして──幾度目の夜が来る。
 イセルナは馴染みの酒場(バー)で、バラクと共に飲んでいた。
 薄暗い店内に灯る照明。落ち着いた音楽。時折カランと、溶けて小さくなった氷がグラス
を滑り音を奏でる。
「……そうか。街を出るか」
「ええ。今すぐにって訳じゃないけど。少なくとも、アルス君が学院を卒業するまでは」
 カウンター席の一角に溶け、二人は互いの顔を見るまでもなく静かに語り、飲んでいた。
 剣聖(リオ)による二年間の特訓が始まったこと、その間は特務軍へ編入されるのが猶予
されること、レジーナ達にクラン専用の飛行艇を発注し、将来的にはその船を拠点としなが
らこの街を去る心算だということ。
 一通り告げられても、一見バラクは落ち着き払っているようだった。それでも酒の減るス
ピードはイセルナのそれよりも若干速い。
「要するに時間稼ぎって訳か。賢明な判断じゃねぇか? 統務院(おかみ)の言いなりに成
り行きになったって貧乏くじを引かされるだけだからな。大都の一件で情勢も変わる。様子
見には格好の口実だろう」
「そうかもね。それまでに、戦いが終わっているといいんだけど……」
「はん。それはねぇよ。今まで散々手をこまねいてた連中が後始末なんぞ出来るもんか」
 グラスの中の氷をゆっくり転がしながらバラクは哂った。イセルナも無言のまま苦笑し、
くいっとまた一口酒を喉に通す。
 二年の猶予期間(モラトリアム)。
 それは文字通りレノヴィン兄弟と、クラン・ブルートバードが大きく羽ばたく為の準備期
間でもある筈だ。
「ところで……結局貴方達は来なかったわね。滅多にない機会なんだし、貴方達もリオさん
に教われば良かったのに」
「分かってて言うか、お前は。俺達は特務軍に加わってもなきゃ、お前らの傘下でもねえ。
こっちもこっちで事情があるんだよ。まぁ確かに、“剣聖”直々の教えってのは魅力的では
あるが……」
 一度だけジト目。バラクはこの隣の彼女をちらと見遣ると、そう少し吐き捨てるように言
いながら次杯を手酌していた。
 くすくす。しかし当のイセルナは軽く口に手を当てて笑っている。彼がグラスに注ぎ終わ
るのを待つと、彼女もまたこのボトルを引き寄せて自身のグラスに酒を入れた。
「そういう事じゃなくて。そっちの団員達(みんな)のことを考えたんでしょう? 貴方っ
て見かけによらずいい人だから」
「見かけ云々は余計だ」
 軽く眉間に皺を寄せ、バラクが即座にツッコミを入れる。
 一口、二口。グラスの酒を煽る。
 相変わらず鋭いというか、食えない女だ。それでいて基本が温厚で出来ているものだから
こちらも必要以上に嫌味を感じる事ができない。
「うちは若ぇのが多いからな。戦場どころか、魔獣の間引きすら満足に経験してねぇ半人前
がゴロゴロいやがる」
 だから彼は言った。冷静な分析と、彼女へのささやかな当てつけも含めて。
「そんな所帯のまま勇んで加わってところで、無駄に犬死にする奴を増やすだけだ。半人前
には半人前の、分相応ってモンがある。……てめぇらみたいな家族ごっこ(だんけつバカ)
とは違うんだよ」
 しかしイセルナは不快一つ見せず微笑(わら)っているだけだった。特に何か反論する事
もないまま、グラスを片手にじっと店内の静けさの中に佇んでいる。
 三口、四口、五口。その間も、バラクはちびちびと飲み続けていた。二人の間に険悪でも
なければ蜜月でもない沈黙が横たわる。彼女の傍にはブルートがいる筈だが、いつも以上に
二人の晩酌に遠慮しているのか顕現する様子はない。
「……いつから、こうも差がついちまったのか」
 カラン。時間を掛けて小さく小さく溶けた氷が小気味良い音を鳴らし、バラクのそんなぼ
やきを気持ち掻き消していた。
「辿ってきた選択肢(みち)が違う、それだけよ。貴方が間違っているって事じゃない」
「言われなくても分かってる。俺達は俺達なりにやっていくさ」
 くいっ。残りの酒をバラクは飲み干した。そしてすぐに、ボトルから次杯を注ぎ込んでは
また口をつけて喉を鳴らす。
 暫くの間、また沈黙が続いた。その隣でイセルナはやや伏目がちになり、ちびちびと静か
にグラスの中の酒と氷を見つめている。
「……死ぬなよ」
「……善処するわ」
 言って、互いの顔を見ぬままにカチンとグラスを。
 二人の団長はそのまま、暫し夜が更けるがままに酒を酌み交わし続けた。

 ──物語は、新たな段階(ステージ)を迎えようとしている。
 ジークは六華を手に取り見つめ、繰り返し剣の型を取る。サフレ以下団員(なかま)達も
リオやクロムの指導の下、稽古と瞑想に勤しむ。
 アルスは魔導書や講義ノートの山と格闘を続け、その後ろでエトナがうとうとしながら宙
に浮かんで船を漕いでいる。
 レジーナ達ルフグラン・カンパニーの技師らは“夢の船”製造に着手し、一方で統務院が
捕らえた“結社”の信徒達およそ二百人の公開処刑が全世界に発信されていた。ケヴィンと
ウゲツの下にはその統務院から使者が訪れ、コーダスは妻(シノ)や王宮の皆に見守られ励
まされながら日々リハビリに励む。
 夜一人残されたホームの酒場。その明かり乏しい暗がりの中で、ハロルドは独り密かに頭
を抱えて苦悩し、魔流(ストリーム)が入り乱れる静謐の空間では使徒達が“教主”に捧げ
られる願望剣をじっと仰ぎ見ている。

 ──さぁ、時をあるべき今に戻そう。
 それは即ち新聖暦九八七年。
 レノヴィン兄弟の運命が軋み始め、幾つもの試練を経て、彼らが迷宮化した大都より人々
を救ってからおよそ二年の歳月が流れた世界である。

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  1. 2015/04/04(土) 18:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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