日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-〔2〕

 それはある意味、世界にとっては日常の出来事であった。
 だが同時に当の彼らにとっては、それらは決して納得できる理(ことわり)ではない。
 魔獣は、人々にとって時にその生命すら脅かされる忌むべき害獣である。
 それはただ、瘴気という“死の毒に中てられても尚、生きようとした者の末路”である、
故に彼らは邪悪な存在である──そんな人々の「常識」からの起因だけに留まらない。
 ヒトと魔獣の境界が侵される時。
 それは圧倒的な彼らの「狂気」が、人々に襲い掛かることを意味するからである──。

「ぐっ……! ダメだ、押さえ切れん……っ」
「踏ん張るんだ! これ以上下がったら村の皆が危ない!」
 何処にでもある、ありふれた小さな村だった。
 ヒトによる開発の魔手が及んでいない、山間の小さな集落。
 その鬱蒼とした森の奥から、魔獣の群れが迫っていた。
 ギラリと血のような真っ赤な眼を向けて、その狂気の歩みを押さえ込もうとする村の自警
団の面々と、押し合い圧し合いの競り合いを繰り広げていた。
「何が何でも耐えろ! 守備隊(国が領内各地に派遣している駐留軍事・警察隊)には連絡
を飛ばしたんだ。それまで持ちこたえるんだ!」
 だが相手は魔獣。腕っ節だけのにわか勢力では容易に退けられる筈もない。
「バカヤロー! 死ぬ気か!?」
 ちょうど、そんな最中だった。
「で、でも……っ。精霊達(みんな)が泣いてるんだ、苦しんでるんだ!」
「だからってお前まで森の中に行って何ができんだよ!」
 自警団らの戦線の少し後ろ──ちょうど村と外を結ぶ小川の橋の手前で、一組の幼い兄弟
が揉み合っていたのである。
「ジーク、アルス!? 何でここに……」
「馬鹿野郎っ! 何してるんだ、早く村の中に逃げろ!」
 それは村に住むとある兄弟。
 彼らは剣や槍に力を込めて魔獣の猛進を押さえながら口々に叫ぶ。
 だが、その一瞬のやり取りが“隙”にならない訳がなかった。
「がぁっ!?」
 次の瞬間、一つ目のゴリラのような魔獣──サイクロプスの剛腕が彼らの一人を捉えた。
 地面に叩きつけられる音。くぐもった叫び声。そして崩される防衛線。
 その兄弟達はビクッと身体を震わせて硬直し、その変化を見た。弾き飛ばされた自警団員
らを蚊帳の外に、魔獣の鋭い爪が倒れた彼の身体を、
「──が、ぁぁぁぁぁぁッ!!」
 突き刺した。
 絶叫と、飛び散る血飛沫。他の自警団員たちも思わず尻餅のまま、顔を背ける。
 だが……事はそれだけでは終わらなかったのである。
「う、あァ……」
 突如倒れた彼から、濛々と上がり始めるどす黒い靄(オーラ)。
「あ、あれって。まさか」
「……瘴気」
 兄弟達、そして自警団員らはすぐにそれが何を意味しているかを悟る。
「まずいぞ。マーロウが“中てられ”やがった……!」
「に、逃げろぉ! 巻き込まれるぞ!」
 そして武器も投げ捨てて一目散に逃げ出していく大人達。
 その言葉はきっと兄弟達にも向けられたものだった筈だが、二人は恐怖と動揺で耳に入っ
ておらず、ただ唖然とその場に立ち尽くしている。
「ァ、ガアァァァァ──!!」
 やがて、狂いの絶叫が響いた。
 どす黒い靄、生を蝕む毒素・瘴気が彼をじわじわと覆い尽くしたと思った次の瞬間、その
黒の皮膜を破るようにボコボコと隆起し、何かが飛び出す。
 腕。しかしそれは最早ヒトのものではなかった。
 隆々とした巨大な、鋭い爪を持った怪物のそれ。
 間違いなく今まさに、彼は──魔獣と化そうとしていた。
「お、お前達……」
 ゆっくりと起き上がった彼は、右半身は既に瘴気に中てられ魔獣化しつつあった。
 一つ目のゴリラのそれと同じような、明らかにヒトの身体には不釣合いな膨張したように
隆起した巨大な上腕。
 それでも尚、彼は内から押し寄せる狂気に激しく顔をしかめながらも、兄弟達に言う。
 ビクリと。二人は肩を寄せ合って震えた。
「…………俺を、殺せ」
 その震えは次に紡がれた言葉によってより激しく確かなものとなった。
 弟は焦点が合っておらず、今にもその場に崩れ落ちそうで。
 兄は辛うじてそれは免れるも、その命令──懇願に黙って震えながらふるふると首を横に
振っている。
「殺すんだッ!! このまま、じゃ俺は……完全に、魔獣になってお前……達を、村……を
ほろ、滅ぼし……ちまう」
 彼は殆ど怒声に近い叫び声でそう拒否しようとする少年の兄を叱咤した。
 途切れ途切れになってゆく声でヒトの意識を繋ぎ止めながらそう言うと、一度発狂したよ
うな叫び声を上げて魔獣化した腕を渾身の力で振るった。
 その思わぬ一撃。すると残りの魔獣達は首を狙った一閃を受け、例外なく倒れ伏す。
「こ、これで……一先ずは、時間が……稼げる。俺を、殺せ……。俺が本当に、魔獣になっ
て……お前らを殺しちまわない、内にッ」
 苦悶の顔から遣られた視線。
 その先を追うと、地面に転がっていた自警団員らの武器がある。
 それを兄が認めたのを確認してから、彼はゆっくりとこちらに向かって近付いて来た。
「何でもいい……。首だ。首を、刎ねれば……何とかなる……」
 ごくりと兄が息を呑んだ。
 近付いて来るのは魔獣? それともよくしてくれた気のいい村のおじさん?
 その場に崩れ落ちて震えている弟をそっと傍の木の幹に預け、少年は再びゆっくりと顔を
上げた。ふるふると。自分には殺せないよと、拒もうとする。
「いいから早く! お袋さん──シノブさん達が、巻き添えに……なっても」
 再び彼が叫ぼうとする。
 だがその瞬間、ドクンと何かが強く脈打ったようにして彼ははたと動きを止めた。
 しかめていた顔がガクガクと震える。
 そして俯いていた顔を上げたその両の眼は──血のように真っ赤に染まっていて。
「ガ、アァァァァァァ……ッ!!」
 狂気が彼を押し遣った瞬間だった。
 ボコボコと残り半身を魔獣に変えてゆく瘴気の毒。少年に振りかざされようとする剛腕。
 そしてそれは少年にとっても殆ど自己防衛という本能だったのかもしれない。
 その襲い掛かる一撃を頭上に、彼は咄嗟に駆けていた。
 地面に叩き付けられた腕。駆けながら拾い上げた一本の剣。
 それを、指示の通りに魔獣化したその首へと力の限り跳んで、振り下ろして──。
「がッ!?」
 深々と刃がまだヒトの姿を残す首を横断していた。
 短い悲鳴と、どす黒くなりつつある血飛沫。少年は数拍遅れてから、ぎゅっと瞑っていた
その目をゆっくりと開いた。
「…………よく、やっ、た……」
 目に映ったのは、グラリと自分の目の前で倒れてゆく、魔獣として侵食されていった村の
おじさんだった筈の姿で。
 首が半分千切れるようになりながらも、自分にそんな言葉を遺して逝こうとする村のおじ
さんの姿で。
 ズンと大きな音と共に、彼は倒れた。
 生気を失っていく眼。尚もシュウシュウと瘴気によって滅んでゆくその身体。
「ぁ……ぁぁ……」
 少年の手にはどっしりと剣の感触があった。
 べっとりと魔獣の血で塗れた刃。よく知る村のおじさんが殺められた元凶。
 驚愕、恐怖、悪寒。
 見開いた目だけでは自分の姿を直視することができないような錯覚だった。
 血塗りの剣を握ったまま、少年はガクガクと震える。
 殺した。俺が、マーロウおじさんを……。
「あ、あ、ぁあ──」
 生まれて初めて魔獣(いのち)をこの手で殺めたその日。
 少年は血に汚れた姿のまま、曇天の空に向かって慟哭の声を上げた。


 Tale-2.剣の兄と書の弟

「──ッ!!」
 強烈に蘇って来たあの日の映像(ビジョン)。
 ジークは弾かれたようにベッドから飛び起きていた。
 じわりと肌を伝う嫌な汗。
 その一方で、カーテンの隙間から差し込む朝の光は穏やかだ。眠気の中にある人々をそっ
と撫でるように照らす光である。
(……夢、か)
 ガシガシとバサついた髪を掻きながら、ジークはむくりと身をよじって薄布団を払った。
(久しぶりにアルス達と会ったせいか……?)
 ベッドの脇に腰掛けて足を伸ばし、そんな事を考える。
 だがそんな思考が過ぎるのを自戒するかのように、ジークはぶんぶんと首を横に振る。
 もう戻れない日なのだ。彼らはもう、戻って来ない……。
 ジークはすくっと立ち上がると身を返し、すぐ横の梯子に足を掛けて二段ベッドの上を覗
き込んだ。
「……すぅ」
「う~ん。もう食べられな……Zzz」
 そこにはジークの新たなルームメイトとなったアルス達が眠気の中にいた。
 ほんわかとゆるい表情(かお)で寝転がっているアルスと、その上を身を丸めてふよふよ
と浮かんだまま眠りこけているエトナ。
 穏やかな寝顔。
(そういえば、二人のこういう顔を見るのも久しぶりなんだよな……)
 ジークは暫しそんな事を思いながらその寝姿を眺めていたが、ややあってはたと自身の頬
が緩んでいることに気付く。
 いけない……気を引き締めないと。ぱちんと軽く両手で頬を叩く。
 雑念を眠気と共に払い、ジークはアルスを軽めに揺さ振りながら声を掛けた。
「お~い。アルス、エトナ。朝だぞ起きろ~」
「うぅん……? あぁ、おはよう。兄さん……」
「うにゃ。あ、あと五分……」
「おう。早いとこ起きろよ? さっさと支度して酒場の方に行くぞ。まぁ一応お前らは正式
なクランメンバーって訳じゃないが、かといって朝飯の手間をかけちまうもなんだしな」
「そうだね。ほら、エトナも起きて起きて」
「ふぁ~い……」
 寝惚け眼を擦って身体を起こすアルスが、まだ半分夢の中のエトナを促す。
 それを見遣ってから、ジークはすとんと梯子を降りた。
 寝巻き代わりの古着を蓋付きの洗濯物用の籠の中へ脱ぎ捨てると、引き出しとクローゼッ
トから何時もの半袖シャツと長ズボン、そして腰近くまでをカバーする上着を取り出して手
早く着替えを済ませる。バサついた長髪を、大雑把に紐で括って尻尾のように散らす。
 何時もの格好。ジークは同じく梯子を降りてくるアルス達に振り返って言った。
「先ずは手洗い場だ。歯ブラシとコップ、持って来いよ」
 三人は着替えを済ませて一旦部屋を出た。
 ジークを先頭に向かったのは、左右に延びる廊下の中ほどにある手洗い場だ。
 そこには同じく、既に起きた他の団員達が隣接するトイレに入っていたり、横並びに水で
顔を洗っていたりとわらわらとした朝の身支度の光景があった。
「おう。三人ともおはよ~」
「おはようさん。アルス君もエトナちゃんも」
「おはようッス」
「あ、はい。おはようございます」「おっはよ~♪」
 そしてその中にジーク達も混じり、早速冷えた水を蛇口から捻り出して顔を洗い始める。
 冷たい刺激が眠気の残る体に心地よい。
 数度、顔全体をその冷やっこさで洗ってから、すぐ頭上に取り付けられた戸棚の下からぶ
ら下がっている棒に引っ掛けられているタオルの一つを取って顔を拭く。
 宿舎は基本的にクラン一つの共同生活だ。
 設備も自室の備品を除けは、大概はこうして皆で使い回している事が多い。
「おい。歯磨き粉寄越してくれ」
 タオルを棒に引っ掛け直し、ジークが言った。
 すると何処からか「あいよ~」という声と一緒に歯磨き粉のチューブが投げ込まれれる。
ジークは「ありがとよ」と受け取ってから蓋を開け、戸棚の中に置いていた自分のコップと
歯ブラシを取り出す。
「アルス。お前も今日以降はこっちに置いておけよ。一々持ってくるの面倒だしな」
「うん。分かった」
 歯磨き粉を分けて貰いながら、アルスが同じくコップと歯ブラシを手にこくんと頷く。
 二人は揃ってもごもごと歯を磨き始め、その後ろをエトナが様子を観察するようにして浮
かんでいる。ちらと彼女が目を遣ってみると、左右にはずらりと同じように顔を洗ったり歯
を磨いたり或いはトイレの順番を待つ団員達がそこかしこにいるのが確認できた。
(何だかむさいなぁ……。いや、まぁイセルナさんとか、女の人も居はするけど……)
 改めてとエトナは内心苦笑する。
 だがそれは自身にとって大きな問題ではない。相棒(アルス)が行くのなら、何処にだっ
て自分はついてゆく。それが持ち霊というものだ。
「あ、トイレ空いたみたい。行ってくる」
「おう。分かってると思うが、他の奴をあんまり待たせるなよ?」
 口をゆすいで歯磨きを終えて、はたとアルスが空いたトイレへと駆けて行った。
 ジークは「分かってるよ」と微笑むその後ろ姿を見送りながら、自身と弟のコップと歯ブ
ラシを軽く水洗いし、戸棚の中へと隣り合うように保管する。
「……そういやジーク、お前聞いてるか?」
 そうしていると、ふと仲間の団員の一人がそう話し掛けてきた。
「何を?」
「いやな? 何か団長が皆に話があるんだってよ。朝飯食い終わっても暫くは酒場に残って
てくれってさ」
「団長が? 何だろ……」
「さぁ? ま、そういう事だからもし伝わってない奴がいたら伝えておいてくれ」
「あぁ……。分かった」
 言うとその団員は身支度を終えたのかスタスタと立ち去ってしまった。
(何か俺達、団長が注意するようなヘマしたっけか……?) 
 少々慌しい、しかしもう見慣れた朝の身支度風景。アルスはまだトイレの中にいる。 
 ジークは手洗い場の漕に軽く背を預けながら、弟が戻ってくるのを待った。

 酒場に足場を運ぶと、やはり既に少なからぬ団員達が朝食を摂っている最中だった。
 ざっと店内を見渡すとカウンター内にはハロルド、席にはイセルナとリンファ、テーブル
席の一角にはマーフィ父娘。
「やぁ。おはよう、三人とも」
 そしてシフォンと、主要メンバーも揃っている。
 ジーク達は彼に姿を認められ、手招きを受けた。
 三人は各々に挨拶をすると、彼の着くテーブル席に腰掛ける。アルスはこういった人気や
忙しなさが珍しいのか、時折ちらちらと周囲を見渡していた。
「手洗い場もそうだったけど、やっぱり皆忙しそうだね。これだけ人がいると朝ご飯を食べ
るだけでも大事になるんだろうなぁ……」
「まぁな。飯の用意とか、裏方は基本的に支援班──ハロルドさんやレナと所属連中がやっ
てるんだよ。とはいっても、俺も含めて他の団員も輪番で手伝ってはいるんだがな」
「ふぅん……。そっかぁ」
「えぇ、でも皆さんの健康管理も私達の役割ですから。おはようございます。ジークさん、
アルス君、エトナさん。はいどうぞ、今日の朝食です」
 するとジーク達の姿を認めて、今度はトレイに朝食を載せたレナがやって来た。
 皆への奉仕が楽しい。そう全身で語っているかのように嬉々として、彼女は慣れた手付き
で二人分(精霊であるエトナは物質的な食事を必要としない)の料理を配膳すると、コクリ
と丁寧にお辞儀をして再びカウンターの中へと戻ってゆく。
 ジークとアルスはその後ろ姿を見送ってから、ポンと手を合わせた。
「じゃあ、早速……」
「いっただっきま~す」
 今朝のメニューはパンに牛乳、厚切りベーコンやレタス、トマトを和えたサラダ、そして
玉子のスープ。朝の胃腸にも優しい、あっさりとしながらもそれでいて量もしっかり確保し
てあるラインナップである。
 一足早く摂り始めていたシフォンに続き、ジークとアルスは暫し咀嚼した食べ物という名
のエネルギーをもきゅもきゅと空腹の身体に取り込んでゆく。
(ん……。美味い)
 副業とはいえ、酒場を営んでいるハロルド(と手伝うレナ)の料理の腕は中々のものだ。
 身体が資本の冒険者にとっては絶好の食環境だと言えるだろう。
 ジークはパンを一口二口と齧りながら周囲をちらりと見渡していた。
 同じく食事中の団員達も少なくないが、その一方で食べ終えたと見える団員達が居残って
まったりとしている姿も確認できる。
 先刻聞かされた、例のイセルナからの話とやらを待っているのだろう。
(……? ステラ?)
 そんな皆の様子をステラがこっそりと物陰から覗いているのに気付いたのは、ちょうどそ
んな折だった。
 ちらと向けたジークの視線に、ややあって彼女も気付いたらしい。
 銀髪をふぁさっと静かに揺らして物陰に掛ける手に力を込めている。
 やっぱり、まだ出てくるには勇気がいるのか。
 ジークは内心の“罪悪感”と共に、彼女の視線の先──サラダを口に運んでいるアルスの
顔をそっと見遣る。十中八九新しい宿舎の住人となったアルス達を警戒しているのだろう。
(またレナに訊いておくか。それか暇を見て、俺が直接様子を見に行くか……だな)
 くいと牛乳を口に含んで喉を潤し、ジークはそんな思案を巡らせる。
「……どうかした、兄さん? 何か考え込んでるみたいだけど」
「ん? あ、いや……何でもねぇよ。と、ところでお前、今日はどうする? 俺らはまたギ
ルドに顔を出しに行くと思うが」
 なので急にアルスがそう訊ねてきてジークは内心ドキリとした。
 だがアルス自身はステラに気付いているようではないらしい。ジークは一瞬跳ねた動揺を
抑えながら、そこはかとなく話題を変えようと試みる。
「う~ん、そうだね……。街を散策してみようかな? 受験の時は追い込みを掛けていたか
らあまりじっくり見て回れなかったし」
「そっか。でもお前、エトナと二人で大丈夫かよ?」
「なら僕が同行しよう。ギルドに顔を出すにしても、何も全員で行く訳でもないからね」
「まぁそうだが……。悪いな、助かるぜシフォン」
 アルスの応えたその予定に、シフォンがそう追随してきた。
 そしてフッと微笑むこの友は、片肘を椅子の背に乗せながら周りに振り向く。
「……という訳だけど、他に誰か来ないかい? 僕一人よりも何人かいれば、色々と案内で
きると思うのだけど」
「ふむ。では私も行こうか」
「あ。じゃ、じゃあボクも……」
 次いで彼の呼び掛けに応えたのは、リンファとミア。
 コクと頷くイセルナを、何処か微笑ましく見遣っているレナと少々怪訝な様子のダンを、
二人はそれぞれに目を遣ってからシフォンの首肯を確認する。
「はい。じゃ、じゃあよろしくお願いします」
「……ならさっさと食っちまわないとな。お前、この量食い切れるか? 小食にはちょいと
辛い量じゃねぇか?」
 少し恐縮と言わんばかりに苦笑いを浮かべてコクリと頭を下げるアルス。
 ジークはその横顔を見遣りつつ朝食の残りを喉に通してから、元よりさほど頑丈とは言え
ない弟を半ば無意識の内に気遣っている。
「ううん、大丈夫。ちゃんと頂くよ」
 それでもアルスは頑張ろうとした。言って、もきゅっとパンの残りを齧り出す。
「……。無茶はするなよ」
 そんな弟に、本心から、少し照れ隠し気味にそう最後にぼそっと付け加えて。
 ジークはベーコンで包んだパンの欠片を口の中に放り込む。

「ふぅ。食った食った……」
 それからややあって。
 朝食を平らげたジーク達のテーブルの上には三人分の空になった皿が鎮座していた。
 腹回りを軽く撫でつつまったりとするジーク。アルスはお冷の残りをくいっと飲み干すと
その皿をざっと見渡して訊ねる。
「ねぇ兄さん。普段の後片付けとかはどうしてるの?」
「ん? あぁ……俺たち団員は客って訳じゃねぇから、食い終わったらカウンターに出して
おくんだよ。後は厨房の面子が洗っておいてくれる」
「そっか。じゃあ、僕が出してくるね」
 言ってアルスは皆の皿を重ねると、両手に抱えてカウンターの方へと持って行った。
 カウンターの内側から迎えたレナに受け取って貰う。
「すみません、誰か手伝ってくれませんか? 皿洗いの人手が足りないのですが」
 すると仕切りを隔てた厨房の方から、ひょこっとハロルドが顔を出してそんな事を皆に呼
び掛けてきた。
「あ、はい。僕でよろしければ手伝います~」
 アルスは優等生よろしく、その頼みに逸早く応えていた。
 レナにカウンターの中へと通して貰い、そのまま同じくやって来た数人の団員らと共に厨
房の方へと消えてゆく。
 朝は特に皆が入れ代わり立ち代りで飯を食いに来るからな……。
 ジークはぼんやりとその後ろ姿を見送っていたが、
「──皆。ちょっといいかしら?」
 ちょうどその時、まるでこのタイミングを待っていたかのように、カウンター席に座って
いたイセルナが不意に立ち上がったかと思うと身を翻し、場の面々に向かってそう呼び掛け
たのである。
「今朝の内に伝令はしたのだけど……。もしここにいない子には後で言っておいてね」
 もしかしなくても、例の皆への話だろうか。
 団員一同が一斉に彼女へ視線を向ける中、ジークもまた同じくそんな事を思いながらこの
涼しげな容貌をした女団長を見遣る。
「これからの私達の活動方針についてなのだけど……。魔獣討伐といった『傭兵畑』以外の
依頼──『便利屋畑』の依頼の受注を増やしていこうと思うの」
 少なからず団員達は顔を見合わせ、怪訝の声を漏らした。
 それでもイセルナにとってはその反応は予め想定内だったらしく、
「皆は、本当によくやってくれている。昨日の魔獣討伐も犠牲者を出さずに完遂することが
できたわ。でもね? 知っての通り、今回も怪我人は出てる。だから臆病になったという訳
ではないけれど、貴方達のことを考えれば、もっとローリスクな仕事の割合を増やしてもい
いんじゃないかって思ったの。……昨夜、ダン達とも話し合ってのことよ」
 団員達はどう応えていいか分からないといった様子だった。
 見てみるとダンも、リンファも、シフォンも彼女の発言を追認するように各々が小さく頷
いている。
「……団長。それはもしかして、アルスがうちに来たからってんじゃないっすよね?」
 しかしその中にあって、ジークだけは少々違う反応を見せていた。
 イセルナをじっと半ば睨むようにして、眉間に皺を寄せた不機嫌面。
 その問い掛けに彼女は答えなかったが、その沈黙は肯定に等しかった。
 テーブルの上で握った拳にギュッと力を込めて、ジークは自身何とか感情を押し留めてい
るかのように続ける。
「……見くびらないで下さいよ。俺達はまだまだやれる。この手の依頼がハイリスク・ハイ
リターンだって事くらい、皆分かっててやってる筈だ」
 見れば団員達もちらほらと頷いていた。冒険者としての、傭兵畑の戦士としての矜持がそ
うさせているのだろう。
 そんな反応に、イセルナは少々苦笑気味に笑って応える。
「そういうつもりで言っているんじゃないわ。ただ、今までよりも業種の配分を考え直さな
いかって言っているの」
「でもだからってそれで魔獣がいなくなる訳じゃないでしょう? 俺達がやらなきゃ誰が」
「落ち着けよ。勇気と蛮勇は別物だぜ」
 身を乗り出しそうになって、食い下がるジーク。
 だがその彼を、副団長たるダンが止めた。娘のミアがきょとんとする程に、そこに何時も
の荒っぽい気質はなく、ただ一人の先輩冒険者としての冷静な眼がジークを捉えている。
「……すんません」
 その眼差しに抑え込まれるようにして、ジークはそっと席に座り直した。
「確かに、アルス君がうちの下宿人になったからというのもあるわ。むしろ私達が話し合う
切欠になったわけだし……。でもね? だからこそ貴方達には無駄に命を危険に晒して欲し
くないの。魔獣を間引かなければ誰かが犠牲になる。それは確かよ。でも、その討伐の為に
貴方達が犠牲になってしまえば、悲しむ人がいるんだってことも……忘れないで?」
 改めてイセルナは言った。それは懇願するように、まるで家族を想う母のように。
 皆は押し黙っていた。それだけ彼女の心遣いが身に染みるように思えたから。ダンの発し
たその言葉で、自分達のややもして無鉄砲な“武勇”を内省し始めたから。
「…………分かり、ました」
 やがてたっぷりの間を経て、神妙に黙する皆を代表するように。
「団長が、そう言うのなら……」
 眉間に皺を寄せ目を合わせられないまま、ジークはそうぼそりと呟いたのだった。


 レナは食事を載せたトレイを手に宿舎の廊下を歩いていた。
 既にクランの団員達の多くは不在だった。それぞれがギルドに出向いたり、個々に受けて
きた依頼の為に出掛けているのだ。
 そんなすっかり人気の少なくなった昼間の宿舎の一角、空き部屋を挟んだ角部屋のドアの
前でレナは立ち止まる。
「ステラちゃん、私だよ。朝ご飯持ってきたんだけど」
「……。ちょっと待ってて」
 呼び掛けると、ドアの向こうから控えめな返事が聞こえてきた。少し間を置いて、カチリ
と鍵が開く音がすると、そっとドアを半開きにしてステラがおずおずと顔を出す。
「大丈夫だよ? 皆、ギルドに行ったり依頼主さんの所に行ったりしてるから」
「うん……。あ、入って」
 レナはステラの後に続いて彼女の部屋の中へと入っていった。
 閉め切ったカーテンで部屋は少々薄暗い。ステラ自身が(クラン仲間達以外の)人の目を
避けるように閉じ篭った生活を送っているためだ。
 だがそれを補うように、室内にはふわふわと下級精霊たちが淡い光を放って漂っている。
 魔導を修めている者でなければ、精霊を知覚することはできない。
 そこに居るのは黒い人魂の姿であったり、髑髏に羽根が生えた姿であったり。
 ステラの得意とするのは“冥”魔導──闇を司る魔導だ。それ故に彼女の力に惹かれて集
まってくる精霊達も、自然とその多くが冥属性の奇蹟を司る存在になる。
 元神官の養父に影響されている為か“聖”魔導──光を司る魔導を得意とするレナとは、
ある意味で対照的だとも言える。
「ごめんね。机の上、片付けるから」
 言ってステラはテーブルの上に積まれていた本(おそらくその殆どが魔導書と見える)を
片付け始めた。
 普段部屋に籠っている分、彼女は日頃の魔導の研究に余念がない。
 それは生粋の魔法使いの民・ウィザード故の気質とも言えるのだが。
「はい。どうぞ」
「ありがと。……いただきます」
 そして空いたテーブルの上に配膳し、早速ステラは遅まきの朝食を摂り始めた。
 レナは何時ものように闖入者が来ないように外の様子に気を配りつつも、この心の傷を抱
える友をそっと見守っている。
 でも、やっぱり本当は彼女も含めて皆で一緒に──。
「ねぇステラちゃん」
 若干の躊躇いはあったが、レナは意を決してこれで何度目になるか分からない問いかけを
しようとしていた。こくんと牛乳を喉に通してこちらを見遣ってくるステラに、彼女は神妙
な、心配げな眼差しで以って言う。
「やっぱり……まだ表に出てくる勇気は、ない?」
「……。うん」
 ステラの返事は、レナの予想通り否だった。
 だがそれでも、出会ってすぐの頃の“怯え”に比べれば随分落ち着いてきたようにも思え
るのだが……。それを言ってしまうのは自分の勝手な解釈に他ならないとも思っていた。
「でも、今朝は酒場の方に顔を出そうとしてたよね? ジークさんも、何気に気付いていた
みたいだったけど」
「う、うん。でもやっぱり」
「……アルス君が来たから?」
 推測の域だったが、レナはそっとステラにそう訊ねてみていた。
 返事は返って来ない。だがその沈黙は間違いなく肯定のそれに等しくて、
「大丈夫だよ。だって、ジークさんの弟クンだもん」
 レナはつい、自分の中の信頼を友に押し付けてしまって。
「そんなの分からないよ!」
 だからその言葉を後悔した時には、既にステラがくわっと声を荒げていた。
 マナが感情の触れ幅と共に増幅したのが分かった。辺りをふよふよと浮かんでいた精霊達
もそれに影響されて一瞬、剣呑な気配を纏おうとしたのも分かった。
「……分からないよ。私の正体知ったら、何て思うかなんて……」
 だが驚き、申し訳ないという表情(かお)をしたレナを見て、ステラの声はスッと尻すぼ
みになっていた。
 立ち上がりかけた腰を下ろし直し、高揚で“血のような赤”に染まった両の瞳をそっと掌
で覆い隠すようにしながら、自らで一人その昂ぶりを治めようとしている。
「ステラちゃん……」
 レナは後悔していた。そして心配で堪らなかった。
 アルス君の下宿話を持ってきたのは他ならぬジークさん。そしてアルス君が魔導師の卵だ
という事も自分を含めて聞かされている。
 だが──ジークさんは、彼にステラちゃんの事を話してあるのだろうか?
(でも、アルス君が忌み嫌うような素振りはなかったし……)
 レナは内心迷っていた。一抹の疑心がどうしても拭え切れない。
 ジーク本人に聞いてみれば分かるのだろうが、生憎もうイセルナ達と共にギルドへと出掛
けてしまっている。
 でも本当は優しい人だと信じていた。この前だって、弟クン用に学習机や本棚の見繕いを
手伝って欲しいと頼んできた。ぶっきらぼうだけど……本当は優しい。あの人は、きっと。
「……大丈夫だよ」
 そしてレナは、やがて自分に言い聞かせるように口を開いた。
 そっと顔を上げてくる友に、フッと笑い掛けて言う。思い出してと投げ掛ける。
「ステラちゃんは、ジークさんやイセルナさん、クランの皆の事、信じてないわけじゃない
でしょ?」
「う、うん。それは……そうだけど」
「だよね? 最初は私達も驚いたよ? だけどそれ以上に皆、ステラちゃんの力に、居場所
になってあげたいって思ったんだと思う。だからステラちゃんも、この部屋に腰を落ち着け
ていられるんじゃないかな?」
 ステラは上目遣いで友を見遣り、黙り込んでいた。
 無言ながらの肯定。それは自分の正体を知っても尚、保護してくれた恩義があるから。
「大丈夫だよ。ジークさんも、クランの皆も……信用できる人達だから。アルス君だって、
きっと話せば分かってくれると思う」
 あの日の出会いと、ジークが見せた優しさを思い出しながら。
 レナは友の心の傷を、そっと優しく撫でるように呟くと、そう静かに微笑んだ。
「だって誰よりも、それはステラちゃんが一番知っている筈だもん……」

 朝食と支度を済ませた後、イセルナとダン、そしてジークら十数名の団員達は依頼を見繕
うためにギルドを訪れていた。
 そこには多くの冒険者(どうぎょうしゃ)達が窓口や依頼書の貼り出してある掲示板を中
心に集まり、今日明日の糧を得るべく品定めを行っている。 
(う~ん……。便利屋の類っつっても色々あるもんなんだな……)
 そんな面子の中に混じり、ジークは間仕切り付きの端末が並ぶスペースで、画面に映し出
されている仲介中依頼のデータに目を通していた。
 中身は会社の警備といった若干「傭兵畑」とも被るものから、清掃代行に子守り、落し物
探し、果ては浮気調査など。そんな「便利屋」の名に相応しい雑多な依頼データの数々が、
次々とディスプレイの上を流れてゆく。
(何つーか、ガクンとグレードが下がった感じだよな。ホント……)
 小さくため息をついて、ちらと仲間達の様子を見遣ってみる。
 すると案の定、他の団員達もそれぞれに依頼書やデータベースを参照しているが、皆一様
にその内容と傭兵畑(じぶんたち)のそれとのギャップを感じているらしいかった。
 勿論、ジーク達も今まで一度も便利屋系の依頼を受けた事がない訳ではない。
 魔獣討伐のような大口の依頼の場合を除き、基本的にクラン所属の冒険者であっても自分
の食い扶持──契約する依頼は自分で確保するのがこの業界の常識だ。
 それでもクランに属するメリットは、それ以外の雑務を代行して貰ったり、衣食住の面倒
を見て貰えたり、そして何よりも依頼争奪における競争力で有利に立てる点にある。
 ただその分、依頼の大小を問わず契約した依頼は一度クランの代表に目通しをしなければ
ならない等、クラン毎によって種々の掟(ルール)はあるのだが。
(団長と副団長も交渉中……か)
 窓口の方では、イセルナとダンが顔馴染みの職員と何やら話し込んでいる。
 大方、クランとしてのコネクションで他にも依頼が来ていないか訊いているのだろう。
 仕方ない……。団長命令だし、もう暫く粘って探してみよう……。
 そしてジークがそう思い、再び端末を操作しようと画面に向き直った。
 ちょうど、そんな時だった。
「──ダン・マーフィはいるか?」
 ガラリとギルドの扉を開けて入って来た一行。
 その中心に立っていたのは、一人のいかにも気難しそうな強面の男性だった。
 肩に引っ掛けて羽織るロングコートの下から覗く腕や頬などに見える鱗の名残と、蛇を思
わせる長く頑丈な尻尾。
 それはまさに、爬虫類系亜人・蛇尾族(ラミアス)の特徴である。
「なぁ、あれって“毒蛇のバラク”だよな……?」
「ああ……。クラン・サンドゴディマの頭だろ? 名指しとか、何が始まるんだ……?」
 彼らの姿を認めて、ギルド内の冒険者達がざわつき始めた。
 その解釈──ダンが名指しで呼ばれた事を含めた多くは「何かごたごたが起きるのでは」
といった様相を呈している。
 この男・バラクを先頭に三人の幹部らしきメンバーが後に続く。
 一人は綺麗なセミロングの白髪を蓄えた、犬系獣人の女性。
 一人は唾広帽を被った六本腕の──昆虫系亜人・蟲人族(インセクト・レイス)の男性。
 一人は赤毛に褐色の肌、荒ぶる南海の狩猟民・蛮牙族(ヴァリアー)の青年。
「おう、お前らか。何か用か?」
 ぞろぞろと十数人程度の集団。
 だが名指しされた当のダンは慣れたもので、平然としていた。
 イセルナやブルート、ジーク達団員らもが黙して見守る中、猫の亜人と蛇の亜人はじりっ
と対峙する。
「……クランの代表として先日の詫びに来た。調子付いたうちの若いのがお前の娘にちょっ
かいを出したそうでな。おい、お前ら。さっさと頭下げろ」
「ひっ。す、すみませんでした!」
「ご、ごめんなさいでしたっ!」
 しかし厳しいのは、少なくとも今回は顔だけだったらしい。
 咥え煙草を燻らせた強面を向けて背後を促すと、すっかりビクついて飛び出してきたのは
先日ギルドの前でミアに絡んできたあの若い冒険者二人組だった。
 しおらく、というよりはすっかり怯えた様子で。
 ダンとバラクの二人に睨まれた蛙状態で、彼らはぶんっと頭を下げてくる。
 その対応に、ダンは少し「大仰だな」と苦笑するように口を開いていた。
「あ~……アレか。お前のとこの若造だったんだな」
「ああ。ま、こっちでシめてやってもよかったんだが、迷惑を掛けた当事者に侘びを入れる
のが筋ってもんだろ。……今日は、娘っこの方は来ていないみたいだがな」
「すまねぇな。今日はシフォンやリンと一緒にアルスに街を案内してるんだ」
「アルス? 誰だ、新入りか?」
「ん? あ~……そっか、知らねぇよな」
「そこの、ジークの弟クンよ。今度ここのアカデミーに入学する事になって、うちの宿舎を
下宿先に提供しているの」
 軽く眉根を上げるバラクに、イセルナが代弁して答えた。
 端末のブースからこちらを見ているジークを一度視線で示し、ふわっと穏やかな微笑みで
そう言う。
「ほう。あの無鉄砲小僧の……。ふん、随分と対照的じゃねぇか」
「ははっ、違いねぇ。ま、この詫びはミアにも伝えとくよ。もっともあいつがそんなに気に
病んでるとは思えねぇけどな」
 獣人の副団長と、蛇亜人の頭領が荒削りに笑い合う。
 どうやら、危惧するような喧嘩沙汰が展開される心配はなさそうだった。
 それが分かると、周りの冒険者達も視線を戻し、再び自身の依頼の品定めに戻ってゆく。
(……やっぱ俺って、サンドゴディマの連中にもそういう認識なのか……)
 ただ一人、話題に上らされたジークだけは苦笑交じりの落胆で複雑な顔をしていたが。
「まぁそれで詫びの代わりと言っちゃ何だが……こいつを分けてやる。キリエ」
「はい。ボス」
 そうしていると、次いでバラクが白髪の犬系獣人・キリエに目で合図を送った。
 一歩進み出て彼女が取り出してみせたのは──数枚の依頼書。
「うちで確保した依頼の一部だ。好きなのを窓口に持っていってくれ。……便利屋畑の依頼
を探しているんだろう?」
 イセルナとダン、そしてジーク達団員らがその提示に顔を見合わせていた。
 何かあるのか? 一瞬イセルナらは警戒したが、サンドゴディマの面々とは同じ冒険者ク
ランとして良き好敵手(ライバル)であり、時に良き協力者ともなる間柄だ。
 クランの代表として。
 イセルナは頷くダンを見遣ってから、
「……じゃあ。お言葉に甘えて」
 そっと一歩を踏み出して、その依頼書へと手を伸ばした。

 一方その頃、アルス達四人はのんびりとアウルベルツの街中を歩いていた。
 街の案内として先ずは大通りの店を梯子し、次いでギルドや他の交流のある冒険者クラン
にも顔を出してみる。その後は、各々がお勧めの場所を巡ってみることになった。
 ミアは、日頃常連として通い詰めている甘味処を。
 リンファは、顔馴染みの酒屋と東方から輸入した品々を扱う骨董店を。
 シフォンは、静かに昼寝もできる緑地公園と幾つかの書店を。
「ありがとうございました~」
 だが当のアルスは、
「~♪ やっぱり街って凄いなぁ。こんなに珍しい本が沢山……」
 何よりも梯子して廻った街の本屋を気に入ったようだった。
 これで何軒目になるだろう。アルスは店主の見送りを背に受けて店を出てきた。
 その両手いっぱいの紙袋に入れられているのは、大量の本。しかもその大半が一般人には
到底理解のできない魔導書や各種学術書の類である。
「……凄い量の本」
「そうだね。流石はアカデミーの学生さんといった所か。勉強熱心なのは良い事だよ」
「だけど結局、僕達の案内があまり役に立っていなかった気もするよねぇ……」
 少々、いやかなり呆気に取られているミア達を尻目に、アルスはほくほくとした笑顔でそ
の書物の山を抱えていた。
「まぁアルスは昔っから本の虫だからね~。村にいる時も、アルスの部屋は本で窒息しちゃ
いそうなぐらいギュウギュウだったし」
 ふよふよと浮かびながら、そう苦笑いで言うエトナ。
「村というと……確かサンフェルノ村、だったかな? ジークとアルス君の生まれ故郷の」
「あ、はい。そうです。ここから街道と山を越えた先にある、小さな村です」
 そしてシフォンがふとレノヴィン兄弟の故郷についてそう記憶を辿り始めると、アルスは
視線を向けてはにかんだ。
「緑がいっぱいで皆いい人で、夏も涼しくて過ごしやすくて……北の方にある分、冬は少し
ばかり辛いですけど。でもとってもいい所です。兄さんは『何にもねぇ田舎だ』って言って
ばかりでしたけど。だけど自然も豊かで精霊もたくさんいて、僕にとっては凄くいい環境で
した。……こうしてエトナとも出会えましたしね」
「アルス……」
 その言葉にエトナはじーんとし、うんうんと何度も頷いていた。
 微笑み合う魔導師の卵とその持ち霊。
 そこには間違いなく、パートナー同士としての信頼関係が築かれている。
「……ミア?」
「ッ!? な、何でもない……」
 ぼ~っと、見惚れるようにそんな彼に目を向けていたミアを、小首を傾げたリンファが現
実に引き戻す。そんなやり取りと関係性を、シフォンは静かに目を細めて見守っている。
 ゆっくりと四人は街のメインストリートに合流し、歩いていた。
 周囲には賑やかな活気と人々の往来が五感に届いてくる。
「……。兄さんはあの日から今日までずっと、この街で暮らしてきたんですね」
 それからどれほどの穏やかな沈黙が続いていたのだろう。
 ふと、円形に広がる石畳の広場へと四人の足が続こうとしていた頃、アルスはそうぽつり
と誰にともなく呟く。
「あの……。皆さんは冒険者になった兄さんとは、長い付き合いなんですよね?」
「うん? そうだね、かれこれ五年になるか……」
「ふふ、早いものだよね。まだ僕にとっては昨日みたいな事なのに」
「シフォンさんはエルフだから、時間の感覚が違うってだけじゃないかな……」
 ちらりと横を向いて、アルスはリンファ達三人を見遣った。
 五年。それは兄が村を出奔してしまった時期と符合する。エトナがぱちくりと目を瞬かせ
て自分を見下ろしている。
「……教えてくれませんか? 兄さんがこの街に来てから、一体どんな暮らしをしてきたの
か。村を出て行ってしまってから今まで、兄さんはどんな兄さんだったのか」
 きゅっと唇を結び意を決するように、アルスはややあってそう一同に訊ねていた。
 はたと見せられた真剣な彼の表情。
 それだけ兄の出奔が、この年若い魔導師の卵には大きな出来事だったのか。
 三人は少々戸惑い気味に互いを見遣ってから、慎重に口を開く。
「そうだね……。大体半年ぐらいはフリーで冒険者をしていたみたいだよ」
「でも、いくら成人の儀を終えているとはいえ、たった一人でこの業界を渡り歩くのは難し
いものだ。私達がジークと出会ったのも、ちょうどそんな頃だったな」
「……一言で言うと、無鉄砲。今もあまり変わらないけど」
「はは。でもまぁ、昔に比べればジークも随分丸くなったとは思うよ? 何せ出会いたての
頃は何かにつけて剣を抜きたがる気の荒い子だったからねぇ……」
 今は友として、先輩として付き合いを深くするシフォンが、そう言って懐かしげに若干に
空を仰ぐように目を細める。
 広場の奥では、路上パフォーマーが人だかりに囲まれて音楽を奏でていた。
 横笛を吹く金髪の青年とハープを弾く桃色の髪をした少女とが、その穏やかな音色を人々
へと届けている。
「……でも、今思えばあの頃から妙な所はあったよね。彼が魔獣を斬り伏せている時に見せ
る、違和感みたいな」
「……違和感、ですか?」
「ああ。何だろうね……上手く言えないけど、何だかジークは目の前の敵以外のものも一緒
に斬り伏せようとしているかのように、僕には見える。力んでいる……とでもいうのかな」
「敵以外の、もの……」
 遠くを、いや自身の記憶を手繰るようにシフォンは呟いていた。
 ミアとリンファも互いに顔を見合わせると、その証言と自分達の記憶を照合しようとして
いる。アルスは暫し彼のその横顔をじっと見つめていた。
「……そうですか。やっぱり、兄さんもあの事を悔やんでいたんですね……」
 そしてたっぷりの沈黙の後、アルスの漏らしたその言葉に、シフォン達は思わず小さな怪
訝を示していた。
 何故か神妙な面持ちになっているエトナ。
 アルスはゆっくりとそんな彼女を見上げて一度互いに顔を見合わると、
「兄さんは、きっと自分からは話さないと思います。だから……僕の口から、話します」
 再びそっと視線を──とても哀しげな眼を、三人に向ける。


「──あれが例の村か」
 ジーク達はアウルベルツから乗合馬車に乗り、郊外に位置するとある小さな村へとやって
来ていた。
 停留所に降り立ってから次の行き先へと駆けてゆく馬車を視界の隅で見送りつつ、ダンは
顎を擦りながら静かに眉根を寄せている。
「ブルート。魔獣の気配はする?」
「……ここから視る限りは確認できぬな。もっと奥へ分け入れば違うのだろうが」
「そりゃそうだろうよ。だけどこの面子のままで実は魔獣でした、なんてオチは勘弁して欲
しいけど」
 念の為にイセルナがブルートに確認を取っていた。
 そのやり取りを聞きながら、ジークがごちる。他の十数人の団員達も「全くだ」と言わん
ばかりに頷いている。
 イセルナがバラクから受け取った依頼書の内容はこうだ。
 曰く『村の害獣を始末して欲しい』と。
 依頼書の区分は便利屋系の類にカテゴライズされていた。ギルドを通してあるのだから、
仮にこれが魔獣を指すのであればそれ相応の記載がある筈なのである。
 しかし……何故か依頼書に載せられていた情報は、少なかった。
 だからこそ、イセルナは念の為にブルートに魔獣の気配を調べさせていた。
 もし仮に魔獣だと──虚偽情報だとしたらむしろこちらが被害者だ。そうなればホームか
ら応援を呼んで対処はするが、その後ギルドを通じて然るべき抗議を行おう──。
 バラクから受け取ってしまった手前、それが今更突き返すわけにもいかない中で皆が話し
合った結果だった。
「ま、とりあえず依頼主に話を聞いてみねぇ事には始まらねぇさ。行くぜ、お前ら」
 これだから便利屋依頼は嫌いなんだ──。
 ジークは内心そうため息が出る思いだったが、ダンが言って皆を引率し始めたために仕方
なく自身も腰の刀を揺らしてついてゆく。
 依頼主である村は、木々に囲まれた小さな集落だった。
 各地に都市が形成されているとはいえ、その発展の恩恵を受けている者は現実的には限ら
れている。だからこそ、より若者は豊かさを求めて街へと出てゆくのだろう。
(ま、俺も他人の事言えた立場じゃねぇけど……)
 皆と共に村の入口に差し掛かり、周囲の緑豊かな風景を見遣っていたジークはぼんやりと
そんな事を思いながらも密かに己を哂ってみせていた。
 自分だって田舎の集落に生まれ、そして“逃げ出してきた”一人なのだから。
「……レギオンの方ですね? ギルドから連絡は受けていました」
 村の中に一歩踏み入ると、まるで待ち構えていたようにあちこちから村人らしき人々が姿
を見せた。神妙な、いや神経質になっていると表現するのが正しいように思える面持ち。
 どうにも──怪しい。
 その村長らしき彼ら一団の様子を見て、ジークは半ば本能的にそう思った。
 それは他の仲間達も同じだったようで、ジークがちらと肩越しに目を遣ってみると、彼ら
もまた同じ思いだと言わんばかりにこっそりと頷き返してくる。
「はい。お迎えご苦労様です」
「で? あんたらが手を焼いているっていう害獣とやらは何なんだ? 何処にいるんだ?」
「……先日、村の者で何とか捕獲には成功しています。ですがこのままでは、いずれ私ども
の手には負えなくなるでしょう。ですので今回依頼を……。どうそ、こちらです」
 それでも団長・副団長としてイセルナとダンはあくまでビジネスライクの姿勢を貫こうと
していた。
 すると痩せぎすな初老の村長は、そうざっと現状を説明してくれた。
 件の害獣に警戒しているのだろうか。彼に付き従う他の村人らは鍬や量産剣などの得物を
手にしている。
 イセルナら面々はその不穏さに気付かぬ振りを通しつつも、彼らの案内についてゆく。
「……こちらです」 
 案内された先は、村の敷地の外れにある大きめな納屋の一つだった。
 ただ奇妙だったのはそこに掛けられた施錠があまりにも厳重過ぎると点。
 思わず、ジークら団員達の表情が怪訝で硬くなる。
 しかしもう遅いと言わんばかりに、次の瞬間には村長の合図で村人達が一斉にその何重に
も渡って掛けられていた鍵を開け始める。
「さぁ。どうぞ」
 ギィィと、錆びかけの扉が軋んで開いた。
 明かり取りの窓もないらしく、中は昼間にも拘わらず、暗く埃っぽい。
 だが……半ば押し込められるように促され足を踏み入れたジーク達が見たものは、そんな
不快感を圧倒的に上回るものだったのである。
「ひっ!?」
「な、何だお前ら……!?」
「もしかして、お前らレギオンか……?」
「そんな……。嫌だ。俺、死にたくねぇよぉ!」
 そこに居たのは……紛れもなくヒト。徹底的に緊縛された若者が四人だった。
 そして何よりも、彼らの両の眼が突然の来訪者によって“血のような赤”に染まっている
のがはっきりと見て取れる。
「────ッ!」
「チッ……」
 ジークの顔が猛烈な苦悶で引き攣った。ほぼ同時にダンも憤りを隠さずに舌打ちをする。
「おい、どういう事だよ。こいつらは……魔人(メア)じゃねぇか」
 魔獣化は、何も動植物だけに留まらない。
 いやむしろヒトという存在自体もまた、そのカテゴリの中の一つでしかない。
 そんな魔獣化現象の中のレアケース、亜種こそが魔人なのである。
 外見はヒトと大して変わらない。
 いや、ヒトの姿を留めたまま中てられたのが魔人だとも言える。
 だが瘴気に中てられたという魔獣化の洗礼を受けた身であるという事実が消え去る訳では
なく、その身は魔獣と同じく不死性の高い“怪物”的要素を備えている。
 そして、これも魔獣と同じく、彼らは感情が昂ぶるとその眼が血のような赤に染まるとい
う特徴も持っている。
「ええ……そうです。数日前、この者達は村の郊外にある忌避地(ダンジョン)に侵入した
のです。瘴気も濃く魔獣も棲む場所だというのに……」
「で、でも! あそこはまだ掘れる鉱石がいっぱいあるんだ」
「採って来て街で売ればここでの暮らしも楽に」
「黙れッ!!」
 村長らは、振り返ったジーク達の退路を塞ぐように納屋の入口を包囲していた。
 悶絶するかのような怒声。
 痩せぎすの双眸がギリギリと射殺すように、納屋の奥の──魔人と化してしまった村の若
者らに向けられる。
「……なのにこの者どもは立ち入った。そして瘴気に中てられた挙句、あろう事か死にもせ
ずに魔人となって帰って来よった」
「お前ら冒険者だって知らない訳はないだろう?」
「魔人も、魔獣も、どれだけ世の中の連中に忌み嫌われているのか、分かってるだろう?」
「だからって……!」
 ギリッと歯を食い縛るジークの肩をそっと叩き、イセルナは小さく彼に首を横に振った。
 確かに魔獣は人々にとって忌むべき“害獣”である。
 そして魔人もまた、その魔獣化の亜種存在として人々の忌避の──ひいては迫害の対象に
なっているのが現実だ。
「このままこやつらを村に置いておく訳にはいかん。かといって解き放っても周りにこの村
の生まれだと知られれば、儂らの生活も脅かされてしまう」
「……。だから、俺らにこいつらを“始末しろ”って依頼を出すのか」
 もうお互いに腹の中を隠す事はしなかった。
 元より検めればすぐに分かることだった。だからこそ彼らは武装し、半ばこの場にジーク
達を軟禁してでも目的を果たそうとしているのだろう。
「申し訳ないですが、人殺しを請け負った覚えはありませんよ」
 あくまで冷静に。
 イセルナがそう皆を代表して言ったが、それは結果的に村長を激昂させることとなった。
「うるさい! つべこべ言わず早くその“化け物”どもを殺すんだ! 人殺しだと? 何を
言っとるか。こいつらは魔人だぞ、もうヒトなどではないわ! そもそも魔獣殺しはお前達
“荒くれ者”のお家芸だろうが! さぁ殺せ! 早く殺せ……ッ!!」
 痩せぎすの身体から、忌避からくる狂気が迸っていた。
 殺せ、殺せ、殺せ!
 他の村人達も迫るようにそうイセルナ達に連呼する。
「……偏見とは、消えぬものだな」
「今更言ってもしゃーねぇだろ。所詮こんなもんだ」
 ブルートとダンのそれぞれの嘆息。
 それはイセルナ以下、団員達も同じ思いだった。あくまで自分達は──。
「…………」
 その時だった。
 ふとジークが戸惑ったままの面々の中から一歩抜け出し、腰の刀に手を掛けたのである。
 ザラリと金属音が室内に響く。まさか本当に? 魔人と化してしまった若者達はその刃が
自分達の姿が映すのをガクガクと震えながら釘付けになっている。
「ほら見ろ! その坊主は儂らの言う通」
「黙れよ。クソジジイ」
 だがその切っ先は若者達には向かなかった。
 刀が抜かれたその刹那、ジークは身を返しながらその切っ先を村長の鼻先寸前へとピタリ
と突き付けていた。
 言いかけて、中断される村長の声。
 それまでじっと俯き加減に表情を前髪に隠していたジークが、キッと顔を上げる。 
「……ふざけんな。俺達は単なる快楽殺人者じゃねえよ」
 その表情(かお)は静かな怒りに満ちていた。
 狂気よりも、ずっとずっと深い怒り。それは痛みを知るが故の憤りだ。
 イセルナもダンも、他の団員達も始めは驚きこそはしたが、誰一人その突出を止めようと
はしなかった。
「俺達はな……人を守る為に魔獣を間引いてるんだよ。殺したいから殺すんじゃない。そう
しなきゃ守れないものがあるから、俺達は武器を取っているんだ。……人を守る為に命張っ
てる俺達が、人を殺す訳ねぇだろうが」
 それは皆がジークの言葉に賛同しているという証。
「……ふ、ふん。荒くれ者が偉そうに何をわっ!?」
 だがそれでも村長は言い返そうとした。
 しかしその言葉が完成するよりも早く、今度はジークの刀が彼の喉元へと突き付け直され
る格好となる。
 緊迫で動けない村長。迂闊に手を出せずにいる村人達。
 ジークは、そんな中で再び淡々と思いを紡ぎ出す。
「あぁ……。確かに俺達は荒くれ者だよ。てめぇら一般市民さまに比べれば収入も安定しな
い、勝手気ままな浮き草稼業さ。……でもな、こんな俺達でも冒険者としての誇りはある。
自分達の力で以って魔獣を間引いて、皆の生命(いのち)を守ってるんだ。てめぇらは俺達
や守備隊の皆の頑張りで今の暮らしを送ってるんだよ。なのに、てめぇらみたいな安全地帯
でホクホクしてるだけの、奇麗事や偏見で凝り固まった野郎なんかに……俺達の仕事をとや
かく言う資格なんてねぇんだよ!!」
「うぎゃぉっ!?」
 叫んで、刃の代わりに鳩尾に飛んで来たのは、手首を返した素早い鞘打ちだった。
 その衝撃に為す術も無く、村長は短い悲鳴を上げて地面を派手に転がっていった。村人達
が思わず飛び退き、ジーク達の包囲網が解けてゆく。
「……まぁそういう事ですから。ごめんなさいね?」
「分かるだろ? 俺達は魔獣は殺しても、無罪の魔人(ヒト)までは殺せねぇ」
 そしてジーク達はゆっくりと歩を外へと進めた。
 ダメージでふらついている村長を囲むように、村人らはその僅か十数名──だが自分達よ
りも圧倒的に強い十数名を只々怯えと共に見上げるしかない。
「納屋の中の兄(あん)ちゃん達は、ここで解放する。……文句は言わせねぇぜ」
 そんな人々の為に魔獣を狩り間引く一団の中央で、ジークはヒュンと彼らに刀の切っ先を
向けると、そう宣言する。

 それは、僕たち兄弟がまだ幼かった──今ほどの力すらなかった頃の出来事です。
 あの日……サンフェルノを魔獣が襲ったんです。
 後々から聞いた話では、別の村が無理に森に入っていた所為で魔獣が僕らの村へと追い立
てられたのが原因だというものでしたが、今となってはその真偽もはっきりしません。
 初めは村の自警団の皆が食い止めようとしました。
 僕たち子供や女性を村の奥に避難させて、最寄の守備隊にも連絡して、彼らが到着するま
で何とか持ちこたえよう。そんな作戦だったんです。
 でも、そんな大人達の算段を狂わせたのは……他ならぬ僕たちだったんです。
 ご存知の通り、瘴気は生を蝕む毒素です。それは精霊達も例外じゃない。いいえ──マナ
に最も近い存在と言われている彼らの方がむしろ、ヒトよりもずっと瘴気に弱いんです。
 だから、村の周りで苦しむ精霊達(みんな)の声をあの日の僕は放っておけなかった。
 兄さんが止めようとしても、僕は自分達の置かれている状況も顧みずに皆の下に向かおう
としていました。
 そして、僕たちは出くわしてしまったんです。
 村の大人達が侵入してくる魔獣と押し合いになっているその最前線に。
 結果的に、僕たち兄弟が来てしまった事でその均衡は崩れました。
 それだけじゃない。……その内の一人、マーロウおじさんが魔獣に押し倒され、あろう事
か瘴気に中てられてしまったんです。
 おじさんは、その場で死にませんでした。魔獣化に……陥ったんです。
 だけど、他の自警団の皆がそれを見て逃げ出しても、おじさんは最後の最後まで僕たち村
の皆の身を案じてくれていました。
 魔獣になりかけて狂いそうな自分を抑えて、残っていた魔獣をその手で倒して。
 そして怯えて動けなかった僕たちに言ったんです。
『──俺を殺せ』と。
 このままでは自分は完全に魔獣になってしまって村の皆を、僕たちを手に掛けてしまう。
だからまだヒトとしての意識が残っている今の内に、息の根を止めてくれ……と。
 僕たちは拒みました。殺せるわけなんてなかった。
 でもそうしている内に、おじさんは完全に魔獣側に“持っていかれて”しまって。
 ……でも次の瞬間、兄さんは落とされていた剣で、おじさんの首を斬り裂いていました。
 今でも、僕は忘れられません。
 どす黒い血に塗れて、剣を片手にガクガク震えてあの兄さんの姿も。
 首をざっくりと斬り裂かれたのに、ホッと安心したように僕たちに微笑んで逝っていった
おじさんのあの表情(かお)も。
 結局、それから暫く経った後で、守備隊と近隣の冒険者さん達が村に到着した事で事態は
何とか収拾しました。
 でも……僕たちは色んなものを、失っていました。
 マーロウおじさんは勿論の事、時間を稼ぎをしていた村の自警団の皆も少なからず犠牲に
なっていて。
 ……。その中で一緒に戦っていた父さんも、村に戻ってくる事はありませんでした。
 悔しかった。僕たちは、何もできずに……いえ、むしろ自分達の所為でよく知った人すら
も結果的に死に追いやってしまった。
 力が、欲しかったんだと思います。
 兄さんは、村のご隠居さんで元冒険者の竜族(ドラグネス)のクラウスさんに剣を。
 僕は、その娘さんで村の教練場の先生でもあるリュカ先生に魔導を。
 もう二度と、瘴気や魔獣の──自分の力不足の所為で誰かを悲しませたくも、失いたくも
なかったから。
 そして十五になって、成人の儀を済ませた兄さんは逃げ出すように村を出て行きました。
 無理もないですよね。いくらマーロウさんのご家族が「仕方なかったのよ。最期の頼みを
聞いてくれてありがとう」と赦してくれていても、自分の手でおじさんを殺したという事実
は変わらないんですから……。
 きっと兄さんの剣が“目の前の敵以外”も斬っているように見えるのは、あの日の悔しさ
を必死に振り払おうとしているからなんじゃないでしょうか?
 ……ええ。兄さんも分かっているとは思いますよ。そんな事をしてもあの日は帰ってくる
わけじゃない。でも、何もせずにはいられないんだと思います。
 ですから……僕からもお願いします。
 一見無鉄砲で、言動がぶっきらぼうでも、今まで通り皆さんには兄さんを見守って導いて
あげて欲しいんです。……そもそもの原因を作った僕が言える立場じゃないですけど。
 きっと兄さんは、僕よりもずっと苦しんできた筈なんですから──。

「あ。おかえり、兄さん」
「……おぅ。ただいま」
 ジーク達が宿舎に帰ってきたのは、その日の空が暮れなずむ頃だった。
 部屋のドアを開けて近寄ってきた足音に気付き、アルスは真新しい机に着いて耽っていた
読書の手を一旦止めて振り返る。
「流石にもうそっちは帰って来てたか」
「うん。お昼過ぎにね。大通りのお店を回った後、皆と外でお茶をしてから」
「そっか。しかし随分と買い込んだな……」
「あ、はは……。品揃えが良かったからつい、ね。兄さん達はやっぱり依頼に?」
「あぁ。ま、そんな所だ」
 早速半分近くが埋まった本棚を見遣ってジークが言う。
 そんな反応に思わず苦笑する弟に生返事をしながら、ジークは三刀と三小刀の得物六本を
部屋の一角の掛台にそっと置くと、どっかりとベッドの縁に腰掛けていた。
(……言えるわけねぇよなぁ)
 何時ものぶっきらぼうな顔に浮かぶ微かな苦笑。
 だがそれは単なる疲労ではない。
 害獣退治と思いきや、実は魔人になった村人の殺害だったというトンデモ依頼。
 故意に人に災いを成している魔人ならともかくとしても、そんな依頼を受ける訳にはいか
なかった。
 結局今回の依頼は撥ね付けた。虚偽情報だったとギルドにも通報を済ませた。魔人と化し
てしまった当人達も「人目に触れると迫害されるかもしれない。でも生きろ」と解放した。
後の事はギルドや当事者連中が何とかするだろう。
「……疲れた。ちょっと横になるわ。飯時になったら起こしてくれ」
「うん。分かった」
 ふぅと大きく息をついて、ジークは上着をベッドの柵に引っ掛けごろんと横になる。
 アルスはそんな兄を微笑んで暫し見遣ってから、再び本に目を落とした。
(兄さん、無理しちゃって……)
 四年近く会わなかったとはいえ、僕たちは兄弟だ。何かあったらしい事くらいは分かる。
 でも兄さんはきっと話さないだろう。自分も、だったら無理に訊くべきでもない。
 紙面に広がる魔導の構造式。
 世の中も、このようにもっと分かり易く体系化されればいいのかなとアルスは思った。
 だけど、同時に仮にそうなってしまうときっと面白くなくなるのだろうなとも思った。
 例えば──今こうして自分を気遣って、じっと堪えてくれている兄の優しさも。
 徹底的にロジカルな世界とはいうのは統治しやすいのかもしれないけれど、人にココロが
なくなってしまえば、きっとその世の中は冷たく哀しいものになる。
「……ぐぅ」
 兄の寝息が聞こえ始めた。
 アルスは肩越しに一瞥し、フッと微笑みを漏らす。エトナはそうした彼の様子を見てちょ
こんと小首を傾げながら浮かんでいる。
 今だからこそそう思うのかもしれない。
 だけど……ココロがあるから、僕らはきっと弱くも強くもなれるんだ。
「おやすみ。兄さん」
 暮れなずみの陽と机上のランプに照らされながら、弟はそっと兄の寝顔に呟いていた。

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  1. 2011/08/19(金) 21:00:00|
  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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