日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)サハラ・セレクタブル〔1〕

 そこは薄暗い、やけにだだっ広い一室だった。
 内装は酷く殺風景のようだ。暗くて全体までは見渡せないが、調度品の類は一切置かれて
いないように見える。
 代わりに、幾つもの機材が置かれていた。
 竿状の器具の先に付いた観測機、ただ一ヶ所に集められた心許ない照明、淡々と電子音を
立てながら画面にグラフを描き続けるノートパソコン。それらを、何人もの白衣の人物達が
操作してその時を待っている。
「……」
 そんな彼らに囲まれるように、一人の男性が立っていた。
 白衣こそ引っ掛けているが、下に着たワイシャツはネクタイも無く比較的ラフなものだ。
年齢は三十歳半ばくらいだろう。彼はやや俯き加減で表情を隠し、照らされる照明や種々の
機材からのフォーカスをただ一身に浴びていた。
 ガチリ。ややあってその彼が動く。
 そうしてゆっくりと持ち上げ始めた右手には、一つの奇妙な装置が握られていた。
 形容するならば──銃身が極端に短い拳銃。或いは寸胴なメリケンサックのような。その
全体はメタリックな銀色で統一されており、唯一上面の一部だけが半透明のスライドカバー
で覆われてこの複雑そうな内部構造を守っている。
『TRACE』
 男性は、銃身の底に取り付けられた小さなボタンの一つを押した。
 室内にその機械的なコールが鳴り響く。白衣を羽織った人々が静かに固唾を呑んでいた。
 手首を返し、この拳銃型の装置を左手方向へ。
 ピンと。平たく開いた左手は、この凹んだ中に埋まる銃口へ。
「……っ!」
 押し付ける。すると瞬間、バチバチッと青白い電流が彼の掌と銃口の間で迸り、彼を銃口
から引き剥がそうとする。
 周囲を囲む計器が一斉にざわつき始めた。ディスプレイ上のグラフが激しく上下しながら
交わらぬ二曲線を描いていく。
「ぬ、うぅ……がぁッ!!」
 だがそこまでだった。彼は暫くこの見えない力に必死に抗ったが、結局弾かれるようにし
て装置もろとも吹き飛び、大きく床に叩き付けられてしまう。
「──大丈夫か!?」
 白衣の面々は慌てた。それでもこうした事態は想定済みだったのだろう、彼らは急いで周
りから飛び出し、床に倒れたこの男性の下へと駆け寄る。
「……はい。大丈夫、です」
 彼は息を荒げていたものの無事なようだった。それでも肉体的な、いや精神的なダメージ
は否めないのか、口元に浮かべる苦笑には力がない。
 白衣の皆が彼を抱き起こし、介抱していた。
 そんな中でリーダー格らしい恰幅のいい男性が、独りこの輪の外で沈痛に佇むとある女性
にそっと歩み寄ると、言う。
「あまり一人で抱え込まないでくれよ。君が倒れでもしたら、我々の計画はその途端に中断
を余儀なくされるからね」
「ええ……。分かっています」
 飾り気のない、首筋から少し下まで伸びた髪。落ち着いた、しかし同時に既に熟考が始ま
っていると思しき半ば上の空な声。
 彼女はこのリーダー格の男性を一瞥すると、また先の倒れた男性の方を見ていた。彼は支
えられながらも起き上がろうとしている。まだ、やれます──。本人はそう言ったのだが、
周りの面々が必死になってそれを止めに掛かっていた。
「……また失敗しちゃいましたね」
「そのようだな。……なぁ、もっと出力を下げて発動させられないものなのか? このまま
続けていては、彼の身体も……」
「無茶言わないでください。これでも計算上ギリギリの性能値と戦ってるんです。彼には悪
いですけど、これ以上妥協すると……本末転倒になってしまいます」
 そうか……。リーダー格の男性は気落ちした様子で顎鬚を擦り、暫しその場に立ち尽くし
ていた。女性の方も押し黙り、皆の輪の向こうで辛そうにしている彼を申し訳無さそうに見
つめている。
 もう一度お願いします! 駄目だ!
 適合値はどうなった? 今の所、前々回が最高ですね……。
 白衣の面々が彼を落ち着かせたり、わたわたと機材の方に戻ってああでもないこうでもな
いとチェックをしている。
 暫くざわめきが続いていた。集められた照明だけが変わらず同じ方向を向け続けており、
弾かれてその位置が大きくズレたこの彼の足元を照らしている。
「くそっ。一体どうすれば……」
「彼で無理だっていうなら、もう……」
『……』
 そんな時だった。先程のリーダー格が、そう弱気になる皆を励ますようにパンパンと手を
叩くと、進み出ながら言ったのだった。
「諦めるな! もう一度頑張ろう。この研究は人類を守る為のものだ。我々が投げ出してし
まったら、一体誰が奴らを止められる?」
「──っ」「所長……」
「今日はここまでにしよう。だが後日、また実験を再開する。……すまないが、それまでに
もう一度再調整を頼むよ」
「……。はい」
 やがて、このリーダー格の男性の一言で、面々が撤収作業に入り始めた。機材の電源を落
し、配線や部品を片付け、ぱたぱたと彼らは慣れた手際で室内を本来の殺風景でだだっ広い
それへと戻していく。
「……」
 皆に支えられて出て行く彼と視線を交わらせて見送り、リーダー格の男性達があれこれと
議論をしながら立ち去るのを横目に、彼女は一人部屋に残っていた。
 ゆっくりと靴音を鳴らして部屋の奥──彼が弾き飛ばされた場所に歩み寄り、床に落ちた
ままの先の拳銃型装置を拾い上げる。
『──』
 すると次の瞬間、スライドカバーの下から立体映像(ホログラム)が現れ、そこに金属の
六翼を持った小さな少女が姿を見せた。
 脇腹や手足首など、随所に金属質のフレームや輪を備えた空色のワンピース。
 若々とした白銀色のおさげ髪に、胸元に取り付けられている茜色の球体。
 そんな彼女の表情は今しゅんとし、申し訳なさそうな上目遣いでこちらを見ている。
「……大丈夫」
 しかし白衣の彼女は、そう呟くように言った。たとえ辛くとも、彼女はこの電子の少女を
努めて優しい微笑みで見つめ返す。
『……』
 ゆっくりと、二人は振り向きながら辺りを見渡した。
 室内は変わらず薄暗い。皆が撤収した事で、先ほどまであった各種機材も自分達の研究の
痕跡も、今はすっかり隠されている。こなれたものだ。

 再実験。これでもう何回目になるだろうか。
 再実験。やはり彼では駄目なんだよと思う。

 人気の無い静寂。秘匿されたその部屋で。
 二人は暫く、じっと文字通り暗がりの中に立ち続けていた。


▼シーズン1 開始

 Episode-1.Prologue/運命は電脳と共に

「──……んぅ」
 聞き慣れた目覚まし(アラーム)の音が、睦月をまどろみの中から揺り起こした。
 被っていた布団からもそっと顔を出し、枕元に置いていた掌サイズの端末──デバイスに
手を伸ばす。カーテン越しに朝日が差し込み始めているようだった。閉め切っていたのに目
が効く。
「……コマンド。現在時刻」
『六時、二十五分、デス』
 まだぼうっとする頭で画面をタップしてデバイスを起動し、そう命じる。すると数拍も経
たずに機械的な音声が返ってくる。
 音声認識。聞いた話では“旧時代”の頃にはこの技術自体中々珍しいものだったらしい。
 寝惚け眼を擦って起き上がる。技術の進歩とはかくあるものか。今やデバイスは国民一人
に一つはあるのが当たり前になっており、大抵の情報はこうして音声入力ですぐに参照する
事が出来る。
 特にこのデバイスを統括的に動作させる為のAIプログラム──通称『コンシェル』は、
少なからぬ人々にとってその良きパートナー、或いは家族のような関係だ。
 画面の中の存在とはいえ、その外見は自由にカスタマイズ出来るし、使い込めば使い込む
ほど自分にぴったりの性質・傾向を備える。自然と愛着も沸こうというものだ。
 ……尤も睦月自身は、そういったカスタマイズ性を楽しみはせず、使い勝手の良い汎用型
のコンシェルを使っているのだが。
(そろそろ、起きなきゃ……)
 ある程度布団を整えて折り畳み、睦月はベッドから降りた。これも慣れたようにクローゼ
ットから学園の制服を取り出し、手早く身支度をする。
 机の上に置いていた鞄を片手に、階下に降りる。こちらもブラインドの隙間から朝日が眩
しく漏れ注いでいた。
 一旦鞄を台所の椅子に置いておき、先ずは洗顔と歯磨き、トイレを。
 そうして眠気もスッキリした所でさてとと、睦月は同じく椅子に引っ掛けてあった水色の
エプロンを付けながら、今日もまた台所に立つ。
「ご飯は……うん。炊けてる」
「弁当箱、おかず、オッケー」
 これが彼のいつもの日常、朝の風景だった。
 予約した炊飯器から炊き立ての米がふんわりいい匂いを立てるのを確認しつつ、返す足で
冷蔵庫を開けると幾つかのタッパーやラップを被せた皿を取り出して朝日差し込むテーブル
の上に仮置きする。
 どれも昨夜、下ごしらえしたおかずばかりだ。
 後は自然解凍させながら弁当箱にご飯を詰めて、これらを三人分、丁寧に慣れた手つきで
盛り付けていく。
『おはよう~、むー君』
 そんな最中だった。ふと玄関のチャイムとインターホンが鳴り、ほんわかと優しい、聞き
慣れた少女の声が聞こえて来る。
『……』
 制服姿の、楚々とした感じの少女が覗き込んでいた。
 青野海沙(みさ)。
 睦月のお隣さんで、幼い頃から家族同然に暮らしてきた幼馴染の一人だ。
 肩甲骨辺りまでサラリと伸びた長髪が、飾らずも美しい。
 手拭で水分を拭いながら、睦月は画面越しに、これまた何時ものように微笑み掛ける。
「おはよう、海沙。入って。こっちはもうすぐ終わるよ」
『うん。お邪魔しま~す……』

 睦月が自分と、彼女達のお弁当を作り、海沙が朝食を作る。これが佐原家の長年続いてき
た朝の風景だった。
 一応インターホン越しに挨拶をして、すぐに海沙が合鍵を使って家の中に入ってくる。改
めて「おはよう」と交わすと彼女もまたエプロンを借りてコンロの前に立ち、慣れた感じで
ハムエッグとトースト、コーヒーを二人分淹れてくれる。
 お弁当も作り終え、三人分の袋にそれぞれ収め終れば朝食だ。テーブルを挟んで睦月と海
沙は、他愛もない雑談をしながらしっかりとこれをお腹の中に収め、口をゆすいで手早く洗
い物済ませると戸締りを確認してから家を出る。
「あら、おはよう。睦月君、海沙ちゃん」
「おはようございます」
「おはようございます。おばさま」
 すると道向かいの軒先で、一人掃き掃除をしていた中年女性がこちらを認めてにっこりと
微笑んでくれた。睦月も海沙も、返すその笑顔と挨拶を忘れない。
 睦月の佐原家と、お隣さんの青野家。更にこの道向かいの天ヶ洲家。
 シングルマザーで多忙な睦月の母に代わって、両家は睦月がその幼い頃から何かと世話を
焼いていくれていた。
 海沙の両親は街の市役所職員、天ヶ洲家は「ばーりとぅ堂」という定食屋を営んでいる。
 諸々の手続きや、日々の食事。睦月はこれまで何度も彼女達に助けられてきた。今ではす
っかりこなれた料理も、元はこの天ヶ洲──輝・翔子夫妻から習ったものである。
「お? よう、おはようさん。今日も仲睦まじいねえ」
「~~っ」
「……おはようございます、輝さん。あの、宙(そら)は?」
「ああ。あいつなら多分まだ寝てるんじゃねぇか? 毎度すまねぇな。おい、母さん。そっ
ちは俺がやっとくから、宙を起こして来てくれねぇか?」
「はいはい。ホント、ぐーたらな娘でごめんね……?」
 いえいえ……。途中で家──店の中から顔を出してきた輝に訊ねられ答え、睦月達が見送
る中、翔子は掃き掃除を夫にバトンタッチすると家の中へ戻って行った。
 ばたばた。暫くして、何度か中で慌しい物音。彼女ともう一人、少女が何やらあーだこー
だと言い合っているのが漏れ聞こえていた。
「うわっとっと……。ごめーん、遅くなっちゃった! あ。朝ご飯ある?」
 ややあって店の引き戸がガラッと開く。すると中から、海沙と同じく女子用の制服に身を
包んだミドルショートの少女が転がるようにして飛び出して来た。
 天ヶ洲宙。
 睦月のもう一人の幼馴染で、海沙の親友。彼女とは対照的に大雑把で快活な少女だ。
「おはよう。大丈夫、あるよ。おにぎりにしておいたから、行きながら食べなよ」
「やっほーい! 流石はあたしのソウルメイト!」
「も、もう。ソラちゃんったら……」
「はは。まぁもう慣れたというか、これが宙だしね」
 もきゅもきゅ。ふりかけたっぷり塩加減絶妙なラップで包んだおにぎりを、宙は妙にキラ
キラしながら頬張り出す。

 気をつけてな~。
 輝と、再び出てきた翔子が自分達に手を振ってくれる。
 睦月たち制服姿の幼馴染三人組は、そうして今日も元気に学園に向かって歩き出した。


「ふい~。満足満足……」
 最初こそまだ寝惚けが残っていた宙だったが、睦月のおにぎりを食べてすっかり覚醒した
らしい。ただでさえ快活な性格が、朝のエネルギー補給を終えた事で一層強くなっている。
 睦月達三人は、住宅街を抜けて川沿いの堤防道を歩いていた。
 季節は春。新芽の季節。道端に生える草木は緑艶やかで、首を伸ばす花々も冬の頃に比べ
れば随分と華やかに色めいている感じがする。
「それでね、それでね?」
「ふふ。可笑しい……」
 二人の幼馴染は並んで歩き、何時ものようにガールズトークに興じていた。
 今年から高等部一年生。だけど、こういうさまを見ていると、何だか学年が上がったとい
う実感はまだ遅れてやって来ているような心地さえある。
「……」
 平和だった。しかし睦月は、この平穏が“作られた”ものだと知っている。そうだと時折
言い聞かせなければ、目の前の眩しさと自分の中に在る暗闇とのギャップに押し潰されそう
だったから。

 ──今から半世紀以上前、この国はとある大改革を断行した。
 国力強靭化。人によっては強権政治の復活などとも言われている。だが実際、その大改革
が実行されたことで、この国は再び強力な産業立国としての繁栄を謳歌している。

『皆が貧乏である事より、先ず富める者から富めばいい』

 一言でこの“新時代”の性質を形容するならば、そんなフレーズがぴったりだろう。
 時の政府は幾つかの大きな制度変更を行った。全ては衰えた国力を取り戻す為、その富を
国中に満たす為だった。
 その主柱が“集積都市”である。それまで細かに分かれていた地方を、国家の名の下に幾
つかの都市圏に再編、各地の人々をそれら各地の集積都市に強制移住させ、産業のより能率
的な発展を図ったのだ。他でもないこの街・飛鳥崎も、そんな集積都市の一つだ。
 勿論、当初はかなりの反発があったようだ。
 何せ都市以外に暮らす人々からすれば、文字通りの地方切り捨てである。愛着のある土地
から離れる事を拒んだ者達も少なくなかったが、それでも時の政府は過疎化の根本的治療や
国土の有効活用を旗印に、従わぬ者を置き去りにしてでも改革を断行していった。
 現在この国は、各地に点在する集積都市を中心にして、その郊外は工場の並ぶ工業地区、
或いは延々と農地の広がる農業地区などに再編成されている。
 その殆どは大小の参入企業や、集積都市の第三セクターが運営する。集積都市への移住を
拒んだ人々やその子孫は、彼らから土地を借り──買い戻し、細々と生計を立てる他ない。
一方で集積都市に移った者は、やはり生計を立てなければならぬ事は当然同じだとはいえ、
先端技術の粋を集めた豊かなインフラの中での快適な暮らしが保証される。中でもとりわけ
情報分野──VR関連は、この半世紀で著しい進歩を遂げてきた。
 ……いわゆる、飴と鞭なのだろう。
 自分達「国」について来る者には手厚く、そうでない者は後回しに。
 年々競争激しいこの世界情勢にあって、全てを民の自由気ままに任せていては富を維持で
きないと考えたのだ。多少(いや実際かなり)強権になっても、強力に経済・産業を支援し
なくては自分達は国際社会の中に埋没する……そんな強い危惧があったと言われている。
 その事は他の改革の一つ、“多婚”制度にも現れている。
 基本的にはこの国は従来通り一夫一妻だ。だけども特定の条件──ぶっちゃけてしまえば
高額所得者であれば、その限りにおいて複数の配偶者を持つ事が可能となった。
 但し……その権利を持てば、一方で義務も発生する。
 富はより国中へ。彼らは同時にその生み出した富を社会に還元していくこともまた、法律
によって義務付けられた。
 なので制約こそ少なくないが、今日この「タコンさん」状態な人は、探せば割と簡単に目
にする事ができる。

(……まぁ、僕には縁のない話だけど)
 幼馴染の少女二人の背中を少し遅れて追いながら、そう睦月はのんびりと鞄を肩に引っ掛
けつつ歩いていた。
 いけない。つい思考が要らぬ遠さまで飛んで行ってしまった。
 確かに自分はこの飛鳥崎集積都市に住んでいるが、ごく普通の一般市民だ。
 母のように優れた頭脳もなければ、何か負けないくらい得意な事がある訳でもない。
 ただずっと……こんな自分にも、平穏な日々が続いてさえくれればと思う。
「? 睦月?」
「むー君?」
 すると前の二人が、ふいっと雑談を止めてこちらを振り返ってきた。
 怪訝に見つめられて、思わず照れ隠しに苦笑する。
「……何でもないよ」
 堤防下の河川敷では、まだ幼い子供達が遊んでいた。
 辺りには川への飛び込みを禁止する行政からの看板(ホログラム)や、色んな会社の宣伝
のそれが中空に表示されている。
 ──子供達は、輪になって遊んでいた。
 その中心には二人の男の子。それぞれの手には拳銃型の装置(ツール)が握られており、
銃口部分からは射出されているホログラム上に映る二体のメカ……のようなものが激しくぶ
つかって戦い、彼らを熱狂させている。
「お? TAだ」
「本当だ。あんな小さな子も遊ぶようになったんだねえ」
「そうだね。ま、デバイス──コンシェルなら殆どの人間が持ってる訳だし、お小遣いさえ
あれば遊べるっちゃ遊べるんだけど」
 “TA(テイムアタック)”
 今巷で大人気の、お互いのコンシェル同士を戦わせる事ができるゲームである。
 多少値段は張るが、召喚拳銃を模した専用のツール──“リアナイザ”に自身のデバイス
をセットし、引き金をひく事で目の前のホログラム上にそのコンシェルが現れるのだ。基本
的には元のAIを流用した自動戦闘だが、デバイスをセットしたスライドカバーの部分から
同じくホログラムとして呼び出せるタッチパネルを操作すれば、随時個別に指示を与える事
も出来る。
 眼下で遊んでいる彼らを認めて、宙が海沙が、それぞれ微笑ましくこれを眺めていた。
 同じく睦月も後ろから見ていた。それでも若干、気持ちも遠巻きだ。
「そう言えば、宙もやってるんだけ」
「うん、やってるよ。オンゲには無い臨場感があるからねー。……睦月は、やらないの?」
「……あまり興味は無いなあ。コンシェルとはいえ、戦うのを楽しむってのは、ちょっと」
「ふふ。むー君らしい」
「ていうか、睦月のコンシェルって汎用型だもんね。ぶっちゃけ、チューニングされた子で
ないと勝つのは難しいし」
 それに……。柔らかに苦笑する海沙と共に、宙は言った。
 思い出したように、だが彼女自身は特に重大と考えている訳ではないように、言う。
「最近は何かと物騒だからねぇ。何か話じゃ“怪物騒ぎ”なんてのもあるらしいし……」

「──おはよう~」
「おう、おはようさん。佐原」
「今日も両手に花で登校かい? ははっ。爆発しろ」
「……」
「はいはい。毎朝ご苦労さま」
 学園──飛鳥崎きってのマンモス校、国立飛鳥崎学園に着くと、睦月達は慣れた様子で昇
降口を上がり、クラス教室に入った。
 小中高一環教育なので、大抵のクラスメートは顔見知りだ。
 これまた何時ものように茶化され、ほうっと顔を赤くする海沙を宙と二人で引っ張ってや
りながら、睦月は自分達の席へと歩いていく。
「……よう」
「お早う御座います」
「おはよう。皆人、陰山さん」
「おはよう。三条君、陰山さん」
「皆っちも國っちもおはよー! 相変わらずとんでもねー金持ち力(オーラ)だ……」
 そうして窓際の席で三人を迎えてくれるのは、少々近寄り難い感じを持つイケメン男子と
短いポニーテール以外は女子要素がなりを潜めているような女子生徒。
 睦月の親友・三条皆人(みなと)と、その従者・陰山國子だった。
 宙がそう挨拶代わりに茶化し、当の本人達は何時ものようにスルーしているが、実際彼は
かなりいい所の御曹司だ。國子はその三条家に代々仕えてきた一族の出で、現在は彼の護衛
役を務めている。
「う~、ちょっとくらい乗ってよー。滑ってばかりじゃんか~……」
「一応自覚はあるんだ……」
「あはは……。五月蝿くてごめんね?」
「気にするな。慣れたし、俺は……結構楽しい」
「そうなんだ?」
「皆人様はあまり、感情を表に出さない方ですから」
「……それ、あんたが言えた台詞?」
 実際皆人は淡々とこそしていたが、確かに口元に緩く孤が描かれている。
 宙はやはりボケたりツッコんだりと忙しかったが、國子とのそんなやり取りを海沙は何が
嬉しいのか静かにニコニコとして見守っている。
「はーい、皆さんおはようございまーす。そろそろホームルーム始めますよー」
 そうしていると、担任の豊川先生(通称トヨみん)が入って来た。
 丸眼鏡やふんわりとしたウェーブの髪と同様、間延びした声。それでも睦月達クラス一同
は、折り目正しくそれぞれに席に戻り、朝の一齣を迎える。

 そして、昼休みになった。
 まだ年度・学期が変わって間もない事もあるのだろう。午前中の授業の大半はガイダンス
的なものや軽めにテキストを消化するだけで終わる日が続いている。
 尤も、睦月達のクラスでも男子達が数名──プラス某女子生徒Sが早速居眠りでもってそ
の多くを過ごしていたのだが。
「待ってましたー! お弁当!」
 何時もの、中等部時代からの定位置(ばしょ)。学園の中庭。
 高等部になって少し歩く距離は増えてしまったが、それでも小中高各部のクラス棟で囲ま
れるように位置する此処は、休み時間になると学年を越えて多くの生徒で賑わいをみせる。
 東西南北に植えられた四季折々の樹。手入れの行き届いた芝生と植え込み。
 睦月たち五人は、その一角に陣取って早速弁当箱を開けている。
「本当、好きだよねぇ……」
「それだけ喜んで貰えるなら僕も作り甲斐があるってもんだよ。はい、どうぞ」
 睦月・海沙・宙の三人は睦月お手製の弁当を、皆人と國子はそれぞれ持参の弁当を。
『いただきます!』
 箸を握って手を合わせ、これも何時ものご挨拶。
 特に宙は元気だ。遊ぶ事と食べる事、その両方が何よりも好きな少女なのである。
「ん~……美味しい~♪」
「そうだねえ。味もさっぱり目で栄養も考えられてるし、むー君さまさまだね」
「はは。ありがとう。照れるな……」
「……天ヶ洲。お前も定食屋の娘なら自分の弁当ぐらい自分で作ったらどうなんだ?」
「あー、それ前にも言ってたけど無理。あたしも作れなくはないんだけどさあ、睦月の方が
断然上手いんだもん。なのに何で自分で作らなきゃいけない訳?」
「それは、そうだが……」
「いいのいいの。あたしは睦月に食べさせて貰うんだから」
 果たしてそれでいいのか──? そこまで好評を貰って嫌ではないが、睦月は苦笑いをし
ながらおかずを突いていた。
 輝さん、泣いてるぞ。きっと。
 気の所為か、そう豪語する宙の横で海沙が何やら顔を赤くして俯いていたようだが……。
「皆っちこそどうなのよ。その豪勢なお弁当、自前って訳じゃないでしょ?」
「ああ。家の家政婦達のものだ。彼女達の仕事を取ってしまうからな。基本的に家じゃあ俺
は台所にすら立たせて貰えん」
「あはは……。女の戦場って奴だね」
「時代錯誤も甚だしいけどねぇ。“旧時代”ならダース単位で文句が飛んでくるよ?」
「……天ヶ洲さん。さっきの発言と真逆ですよ」
 とかく、会話の牽引役は宙だ。海沙と國子はその合間合間を繋ぐブレーキ役を務める事が
多く、睦月はそれらを微笑みながら眺めている事が多い。
「あたし過去には拘らない主義だから。んー、でも改めて凄いよねえ。ゴロゴロと高級そう
な食材が入ってるし。流石は天下の三条電機だわ……」
「……俺が偉い訳じゃないさ。財を立てたのは曽祖父さんであって、それを引き継いできた
祖父さんや親父だ。俺は、ただそのお零れで暮らしているに過ぎない」
「皆人……」
 嗚呼、またこれだ。
 睦月は眉を下げ、静かにため息をつきながら苦笑した。
 時折、この親友(とも)はこういう旨の返答を口癖のようにする。確かに権威を笠に着る
坊ちゃんよりはマシかもしれないが、そこまで自分を貶める事はないのにと思う。
 ……だけど、だからこそ自分達は出会ったのかもしれない。
 何だか放っておけなかった。知ってしまって、はたと時々自分を見ているようで、何とか
笑顔にさせてやれないかと願った。そうして色々な事があって……今彼とそのお付きの彼女
はこの輪にいる。
 相変わらず感情を露わにするような人間ではないけれど、最初の頃に比べればずっと素直
になったと思う。クラスの皆は、分からないと口を揃えるけれど。
(……いいんだ。それで)
 平和だ。つくづく睦月はそう思う。
 学年こそ変わっていくが、まったりとした時間の流れ。皆の笑顔。
 自分はこの空間が大好きだ。大切な人達には是非とも笑っていて欲しいと願う。
 まるで“自分が恵まれているかのような錯覚”──埋没し掛かり、はたと気付く。
 そこで改めて自分は生きているんだなと思う。また少し……自分は此処に居られる。
「──失礼」
 そうして昼飯を摘まみつつ談笑していると、すっくと國子が立ち上がった。手にデバイス
を持っている。電話だろうか。自分達にそう一言言い残すと、彼女は一人校舎側の物陰へと
消えていく。
「……ねぇねぇ。放課後どうする?」
 しまった。気まずいと思ったのだろう。
 だからこのワンクッションを幸いと、やや強引に空気を変えるようにして、宙はそう新し
く話題を振ってきた。
「わ、私はいつも通り図書室、かな? 委員のお仕事もあるし」
「俺も用事がある」
「え~! そうなの~……?」
「っていうか宙、水泳部の方はいいの?」
「ん~……。別にいいんじゃない? あたしはレギュラーでもないし、単純に繰り上がり組
だから。泳いだり浮かんだりしてるのが好きなだけで、別に大会で入賞云々とか考えてない
しねえ」
 あはは。そう言って宙は笑っていた。曰く皆が暇なら遊びに行こうと思っていたらしい。
 相変わらず自由な子だ。今更変えてやろうなんてつゆも思わないが。
 ただ、地の運動能力や社交性がある分、それを活かさないのは正直勿体無いなとは思う。
「そういう睦月は?」
「ん? ああ。僕もちょっと。今日は、その、今月分の」
「……あー」
「おばさまの所だね」
 うん。睦月は頷いた。幼馴染達も毎月の事なのですぐに合点がいく。
 今日は母に食料やら何やらを届ける日なのだ。基本、勤め先──研究所に篭りっきりな生
活をしている母には食料や日用品を買いに出掛けるような暇がない。だから月に一度、それ
らを一纏めにして届けに行っているのだ。
 郵送すれば済むんじゃ……? 最初の頃こそよくそう言われたものだが、彼が母一人子一
人の母子家庭である事を知った者達の多くは、その問いが野暮だと悟ってくれた。こうでも
して口実を作らないと、ろくに会えないような仕事柄なのだ。
「オッケー、オッケー。行って来なさい。親子水入らずの時間だもんね」
「向こうに着いたら、おばさまに宜しく言ってね?」
「うん。勿論」
「……」
 幼馴染二人が呵々と笑い、或いはにっこりと微笑み、送り出してくれる。
 睦月も笑み返していた。だがふと、そんな中で隣の親友だけが、何故か神妙な面持でこっ
ち見ている事に気付く。
「……皆人?」
「ん、ああ。……気を付けてな」
「? うん……」

「──そうですか。また出没し(で)ましたか。はい、はい……。では落ち着いて、先ずは
速やかに情報収集に当たってください。……ええ。皆人様にもすぐお伝えします」


『次は~飛鳥崎ポートランド~、次は~飛鳥崎ポートランド~』
 ついうとうとして沈み込んでいた意識が、その車内アナウンスによって引き戻された。
 放課後、睦月は友人達と別れて一旦自宅に戻り、食料などをキャリーバッグに詰め込むと
再び家を出た。
 集積都市各地を結ぶ幹線鉄道に乗り、南下していく海岸線へ。
 駅名の通り、母の勤め先は飛鳥崎の南──湾岸の埋め立て区域に在る。
 そもそもこの飛鳥崎一帯は、かつて国内有数の港として栄えていた。故に南に行けば行く
ほど風景は海と、各種研究施設ばかりになるし、北に行けば行くほど幾つも重なり合った緑
多き丘陵地帯となる。
 睦月は一人車内アナウンスを聞くと、停まった駅で降りた。ホームから改札に下り、キャ
リーバックを転がしながらポートランドの玄関口に立つ。
 街の中心部に比べ、この港湾区域はとても殺風景で機能的だ。
 先述の通り、この人工の海上島には様々な研究施設や工場の類が整然と並んでいる。逆を
言えばそれしか無いのだ。
 辺りを見渡すが、此処に生活の気配はまるで見受けられない。時折巡回している警備員が
遠巻きに見えるだけだ。睦月は相変わらずの風景に深く息をつきつつ、そっと撫でるように
胸元を押さえると、その内来るであろう区内を巡る移動用の無人車を待った。

 そうして、慣れたもので今回も難なく目的地へ。
 三条電機第七研究所(ラボ)──母が研究員として所属する勤め先である。
 相変わらず大きい。そして機械的。全景としては多分、巨大な円柱の缶を左右に繋げたよ
うな形をしている。
「……お?」
 正面玄関へ向かってキャリーバッグを転がしていると、直前の守衛室からこちらを覗き込
む顔があった。
 今やすっかり顔見知りになった警備のおじさん達だ。
 向こうで破顔する彼らに、睦月はぺこりと小さく会釈しながらも、規則通り首に下げてお
いた通行許可証を取り出した。ガラガラと荷物と共に、厳重に閉じられた分厚い硝子の扉の
前まで来ると立ち止まる。
「こんにちは。佐原香月の息子です。母への面会をお願いします」
「おうおう、いらっしゃい。今月の支援物資だな? 待ってな。博士に連絡するから」
 言って警備員らはそう気安く微笑(わら)い、内一人が部屋の奥にある内線の番号を押し
始めた。
 睦月は何時ものように待つ。
 ……だが今回は、その“何時も”が何もかも少しずつ違っていたのだった。
「そういや睦月君。ちょっと、言っておかなきゃいけない事があるんだが」
「? はい」
「実はよ、少し前に研究所(ラボ)の中で配置替えがあってな。宛がわれてる部屋も結構入
れ替わっちまってるんだ。確か博士も、その内だったと思う」
「そうなんですか……」
「ああ。だから前みたいに自分で歩いていくのは無理だ。迷子になっちまう。今博士に直接
連絡取ってるから、話しな」
 はい。睦月は頷いて、警備員らに招かれるように守衛室に入った。
 内線はちょうど繋がった所らしい。若い警備員が二言三言向こうとやり取りし、こちらに
気付くと受話器を渡してくれる。
「……もしもし」
『もしもし? 睦月? ごめんねー、すっかりメールするの忘れてたのよ。新しい部屋がこ
れまた難儀な所でねぇ……息子であってもホイホイ入れるセキュリティ強度じゃないのよ。
だから、これからそっちに迎えを遣るわ。はぐれないようについて来て。──冴島君、お願
いできるかしら?』
「──っ!?」
 だから、内線の向こうで母・香月がそう同席しているらしいその人物の名を呼んだ時、思
わず睦月は身を強張らせていた。
(冴島さんか……)
 じゃあ待ってるね。母からそう言われて、電話を切る。
 ゆっくりと振り返った。警備のおじさん達が、小さく頭に疑問符を浮かべている。
 気が重い。
 ……正直、あまり二人っきりにはなりたくないのだけど。

「やあ、お待たせ。久しぶりだね。睦月君」
 警備員の皆に研究所内に通され、硝子と無骨な丸柱のロビーで待っていると、その彼は姿
を現した。
 すらりと高い、少し痩せ気味の長身に薄眼鏡、やや癖っ毛のぼさついた髪。
 冴島志郎。母と同じこの研究所(ラボ)に所属する研究員で、部下だ。年齢は確か三十代
半ばだったと記憶している。引っ掛けた白衣がこれまた結構似合っていて、飾らぬワイシャ
ツ姿とナチュラルな優しい微笑みがその人の良さを物語っている。
「……お久しぶりです。冴島さん」
 しかし、正直睦月は彼が苦手だった。母の部下という事で過去何度も面識があるのだが、
未だに彼と一対一で話そうとすると要らぬ緊張ばかりが出てしまう。
 理由なら……判り切っている。
 彼は母に想いを寄せているからだ。それも、自分が知っている限り、かなり真面目に。
 実際、母はこれまで何度もアプローチを掛けられたようだった。だがそれでも母はのらり
くらりとかわし、良き研究仲間としての付き合いを続けている。
 おそらくは自分を気遣ってくれているのだろう。或いは本当に再婚する気がないのか。
 だから……だからこそやり難かった。
 母の良き仲間──少なくとも自分自身もその人柄に悪評を持っていない以上、その理由で
以って彼に辛く当たるなんて事も出来なかったからだ。
 努めて冴島は微笑(わら)っている。何時ものように自分と打ち解けようとしている。
 だが睦月はどうしても緊張してしまう。暫くの間、最初に一言を交わした二人の間に何と
も言えない沈黙が流れる。
「……。まぁ、それじゃあ、行こうか」
「……はい。お願いします」
 冴島は“チームリーダー”たる母の同僚だけあって、研究所内で中々の地位にいる。
 実際、彼は懐から取り出したカードキーで専用エレベーターを起動させ、睦月を目的の階
まで案内してくれた。ぐんぐんと降りる。降りた後は再びこのカードキーと、更に暗証番号
を入力し、何重にもロックされた研究所(ラボ)深部の扉を易々と開いていく。
(やっぱり、この人には慣れないな……)
 後をついて歩きながら、睦月は間違いなく自己嫌悪に陥っていた。
 冴島さんが悪い訳じゃないんだ。そんな事、分かり切ってる。むしろ“いい人”だ。
 でも、それでも……彼が母に想いを寄せているという事実だけで、そんな理屈が根こそぎ
吹き飛ばされてしまう。もしかしたらこの人は、自分の父になる人かもしれないと、その思
考ばかりがへばり付いて離れなくなる。
 本当の父ではない。そもそも、その人物の顔どころか名前すら知らない。
 だからと言って幼い頃ならいざ知らず、この今の自分に「父ですよ」と言われてすんなり
と受け入れられるのか?
(今まで苦労を掛けてるし、母さんには幸せになって欲しいけど……)
 肝心の当事者である母自身も、煮え切らない。だからこそ余計に、決められない。
「……母さん、どうですか?」
 故に睦月が場を持たせようと何とか紡いだ言葉は、非常に曖昧なものだった。
 それでも冴島は肩越しに振り向いて微笑(わら)う。気のせいか天井も低くなってきたよ
うな通路の中で、彼は迷いなく語る。
「相変わらずの仕事中毒だよ。最近は特に大口のプロジェクトが動いてるから、いつも以上
に働き詰めでね……。正直心配だったんだ。ありがとうね、睦月君。香月さんも、これで少
しはリラックスできると思う」
「……だと、いいんですけど。荷物を届けるなら、別に郵送でもいいんですし……」
「でも毎月こうして足を運んでくれてる。そうだろう? 喜んでるさ。すっごく。あの人は
研究以外になると不器用な所があるから高めテンションでも装わなきゃ、中々君に伝えられ
ないんだけどね」
「……」
 嗚呼、本当にそうだ。そして貴方は、何でそこまで母を知っているんですか。
 やはり睦月は居た堪れなかった。彼が悪い訳じゃない。ただ、彼と一緒にいるこの空間が
苦手だったのだ。
 自分だってはっきりと認識したのは、だいぶ物心ついてからだ。
 母は普段、割と明るく振る舞っている事が多い。だけど本当は凄く無理をしている。
 本来はもっと情熱(パッション)の人なのだ。なのに自分の──大切な人の前では、そう
した一面が見せてしまう脆さを必死に隠したがる。
 単に母の顔がみたいからだけじゃない。
 自分が毎月わざわざ食料などを渡しに来るのは、そんな彼女の本質を忘れない為だ。
 自分は恵まれているのだという錯覚──その陰で、たくさんのものを背負い込んでいる人
がいる。その事を忘れたまま、自分は笑顔でいたくない。
「……そう、難しい顔をしなくていいんだよ。香月さんも分かってるから」
 だから苦しい。結局見透かされているようで、悔しい。
「あの人、一旦集中し出すと寝食も忘れちゃうからさ……僕らも心配なんだ。時々、まるで
研究に没頭することで壊れないようにしているように見えて、放っておけないから」
 だから息子の君が来てくれるだけで、きっと彼女は救われている。目一杯寄り添ってあげ
てね? と彼は言う。
 はい──。睦月はただ、そう短く答える事しか出来ない。
 部屋の前に立つ。一体誰が誰の為に想っているのか、分からなくなる。

「──なぁ、あいつら誰だ?」
「え? 何処?」
 一方睦月達は知る由もなかった。時を前後して守衛室を、この第七研究所(ラボ)を遠巻
きに眺める人影があったことを。
「ほら、あそこ」
「……ああ、本当だ」
「研究所(ラボ)の関係者じゃ……なさそうだな」
 不審者。警備員達がひそひそと確認し、取り敢えずと二人が守衛室から出て行く。
『……』
 沈黙。相手は三人。
 不気味なまでに、生気に乏しい男達だった。

「いらっしゃい、睦月。冴島君もご苦労さま」
 母の新しい研究室(ラボ)は、地下フロアの一角に変わっていた。
 同じく冴島がカードキーで扉を開けると、待っていましたと言わんばかりの笑顔で彼女が
そう二人を出迎えてくれる。
 やや小柄な体に引っ掛けた白衣と着崩したシャツ。
 飾り気のない、首筋から少し下まで伸びた髪。
 佐原香月。睦月の母親で、腕利きのIT技術者である。
「いえ。これくらい……」
「元気そうでよかった。はい、これ。今月分の諸々」
 早速部屋の中へ進んで睦月はキャリーバッグを開けると米やレトルト食品、日用品などを
広げてみせる。
 室内は思っていた以上に大きく、何ヶ所か間仕切りこそあったが基本的に複数人が活動す
る事を想定した大部屋のようだ。冴島が睦月を連れて来た事で、こちらもやはり今や顔馴染
みとなった他の白衣の人達──母の同僚、チームの仲間達が次々に顔を出してきては歓迎し
てくれる。
「了解。いつもありがとね~」
「ううん。じゃあ、しまっておくね? ええと、冷蔵庫は、と……」
 ややもすれば、香月は我が子を撫でくり回す──未だ子ども扱いしてくる癖がある。返す
言動ほど嫌ではなかったが、それでも気恥ずかしい。
 睦月は苦笑(わら)いつつ、そう呟きながら部屋の壁際に置いてある冷蔵庫の方へとキャ
リーバッグを転がしながら歩いていく。
『……う~ん? 誰か、いるんですかぁ?』
 ちょうど、そんな時だったのだ。
 睦月の声や物音で気付いたのだろう。ふと何処からか半分寝惚けているような少女の声が
聞こえてきた。
 冷蔵庫に米やら何やらを詰めている途中。睦月は頭に疑問符を浮かべて室内を見渡す。
 だが当然ながら、ここにいる人達は皆研究者──大人である。見渡してみても声の主らし
き女の子の姿は何処にも見当たらない。
(し~っ! パンドラ、今は静かにしてて!)
 すると、何やら香月らが慌てていた。
 どうやらこちらにバレないよう、ひそひそ声で話しているようだったが、その相手が相手
だけにバレバレである。
 ──端末(デバイス)だった。母は何故か、ホルダーにセットしてあるデバイスの画面に
向かってそう語り掛けている。更にホルダーからは幾つかの配線が延びており、すぐ脇に置
かれたデスクトップPCと繋がっている。
『? 何を慌ててるんですか? そう言えば、さっきから未遭遇の生体反応がありますが』
「……母さん?」
「うっ」
 ビクン。香月は、冴島ら白衣の研究仲間達は、途端に「拙い……」といった様子で硬直し
ていた。冷蔵庫に中身を移し終わり、睦月は立ち上がる。
 先月の分、まだ残ってたな。忙しくてもちゃんと食べなきゃ駄目じゃない。
 かといって持ってくる量を減らすと、それに甘えちゃうからなあ……。
 ぼうっと、一方でそんな事を頭の片隅で動かしながら、母達の方へ近付いていく。
「あ、いやね? いくら息子とはいえ、私達にも守秘義務ってものがね……?」
『息子? えっ? じゃあそこにいるのは博士のご子息なんですか!?』
 慌ててデバイスを隠そうとする香月。だが不用意に放ったそれは、デバイスから聞こえて
くるその少女の好奇心を刺激してしまったようである。
 会わせてくださいよー! だ、駄目だって!
 二人(という表現は正しいのか)の、傍から見れば奇妙なやり取りに、睦月も何だか興味
が沸いて来てひょいっと、彼女に回り込むようにしてこのデバイスの画面を覗き込む。
「お……」
『お?』
 そこには、少女がいた。デバイスの画面の中に、これまた珍妙な格好をした女の子が浮か
んでいたのだ。
 サイズが全然違うのではっきりとは言えないが、見た感じ十歳くらい。
 空色のワンピースに白銀のおさげ髪、背中から生えている三対の金属の翼。
 何というか、全体的に近未来といった感じである。両の手首・足首には何やら文様を刻ん
だ輪っかが嵌っているし、脇腹や目の下の頬、肩口など金属質の小さなフレームが何段か重
なってくっ付いている。
 何より目を引いたのは、胸元に取り付けられた茜色の球体だ。
 さっき聞こえてきた声が彼女のものだとすれば、成る程と思う。
 その……上手く言えないけど、確かに太陽のように明るくて真っ直ぐな子だなと。
『お、おおー! もしかして、貴方が博士のご子息の睦月さんですか?』
「う……うん。そうだけど」
『やはりそうでしたか! いやいや、ちょうど調整中でうとうとしていたので気付かずにす
みません。私、佐原博士に作られた最新鋭コンシェル・パンドラと申しますです。睦月さん
の事は博士からよく聞かされております。よく出来たご子息のようで』
「は、はあ。恐縮……です?」
 よく喋る子だなあ。睦月は思わず、そのテンションに押されていた。
 見た目のサイバーな、神秘的な感じは海沙と被るのだが、いざ口を開いた時のテンション
は宙のそれと間違いなく同類である。
 あわあわ……。香月達は取り囲むように慌てていた。さっき守秘義務がどうのと言ってい
たので、まだ外に漏れてはいけないのだろう。
「……母さん、この子」
「うん。まぁバレちゃったら仕方ないか……。そうだよ、この子はパンドラ。うちのチーム
で開発した、新しいタイプのコンシェルよ。調整中で寝てるから、あんたが来てても大丈夫
だろうと思ってたんだけどねぇ……」
 ばつが悪そうにぽりぽりと頬を掻きながら、母は言った。だが睦月はそれで納得する。
 何せ母は、何でもこの分野ではかなり有名なコンシェルの開発者であるらしい。一説には
彼女の登場で、コンシェル達のAIは五十年分の進歩を遂げたと言われるぐらいだ。
 その仕事柄、研究漬けであまり家にも帰って来ないが、そうして偶に母の事を褒めちぎら
れると、内心息子としてはほっこりと嬉しくなる。
「そっか……。最近忙しいって言ってた母さん達の仕事って、この子の事だったんだ」
「まぁ、ね。プロジェクトの性質上、AIのレベルをかなり高くしてあるんだけど、聞いて
の通りとにかくくっちゃべる子になっちゃってねえ……」
「はは。だがまぁ、俺達自身は結構楽しいんだがな」
「そうそう。何か、子供が一人増えたみたいな感じがしてね」
 あははは……。他の仲間達がそう言葉を継いで笑う。睦月もそれは感じていて、何だかい
いなあと思いつつ、この輪の中で佇む。
「それじゃあ、この子はまだ市場には出ないんですね。皆が見たらびっくりするだろうな」
「あー……。そりゃそうだろうけどな。だがそもそも量産の予定は無いんだ」
「あくまで研究目的、の為にチューニングされた特別なコンシェルだからね。さっきチーフ
が守秘義務云々って言っちゃってたのもそこなんだけど……」
「ああ、そうなんですか?」
「ええ。だから今はとりあえず、冴島君のデバイスに入って貰ってるわ」
 なるほど。睦月は皆から事情を聞かされて頷いていた。
 というか、守秘義務なのに話していいのだろうか? まぁ主任の息子だから見られたもの
は仕方ないから、特別にという事なのだろうけど……。実際当の母本人も、そう朗らかに苦
笑して手の中の彼女──パンドラと顔を見合わせている。
『私としては……不服なんですけどね』
「え?」
『だってそうじゃないですか。志郎は博士につく悪い虫なんです。博士に作って貰った私と
しては、そんな人をマスターとするのは、やっぱりヤです』
「……」
 皆が、そして冴島が何とも言えない苦笑をして黙りこくっていた。香月が「こ、こら」と
窘めているが、睦月はむしろもっと別の事を考えていた。
(コンシェルが、マスターの選り好みをする……?)
 これが最新鋭のAIだというのか。流石は母の謹製というべきか。
 そもそも、コンシェルはデバイス内のシステムを統括し、その使い手をサポートする為に
作られたプログラム人格だ。故に前提として、自身──デバイスの所有者に服従、従順であ
る事が求められる。
 だがこの子は違う。現在の所有者らしい冴島に対してはっきりとノーを表明している。
 それだけで既に異質だ。普段自分が使っているコンシェルが無個性な汎用型だとはいえ、
彼女が非常に特殊な──それこそ人間のそれに限りなく近い複雑な思考を持っている事を示
す一例であるだろう。
(或いは……)
 まさかとは思う。或いは、作者である母の本音が組み込まれているのか。
 だがそんな仮説を、睦月はすぐに否定した。母の性格を考えれば、そんな回りくどい事は
しない筈だからだ。大体、彼からのアプローチは、今まで散々かわしてきたじゃないか。今
更そんな返答をするようなメリットは……見当たらない。
 ぷくーっ。画面の中でパンドラはふくれっ面で両腕を組んでいた。それを香月や他の研究
仲間達がまぁまぁと、さも子供を宥めるように声を掛けている。
「……でも良かったよ。母さん達も、何だか楽しそうで」
「……。睦月……」
「じゃあ、そろそろ帰るね? 元気そうだったって、皆にも伝えとく。海沙達も、母さんに
宜しくって言ってた」
「ええ、ありがとう。こっちからも宜しく言っておいて。帰り道、気を付けてね?」
 そうして暫く母子の対面を果たし、研究室を後にしようとした──その時だった。
『ッ!?』
 轟音、振動。刹那、室内を揺るがす衝撃が睦月達を襲った。
 思わず一同は手近な物にしがみ付き、踏ん張った。バラバラと小さな欠片が天井から零れ
落ちるのを見る。
「な、何?!」
「地震……じゃないよね?」
『施設内全域に緊急警報、緊急警報。侵入者が確認されました。セキュリティレベルをSに
変更します。関係者は総員、直ちに避難を開始してください──』
 次いで研究所内に響き渡るのは、そんなアナウンス。
 侵入者? 睦月はその不釣合いな響きに眉根を寄せたが、事実現在進行形で繰り返す上階
からの大きな振動と爆音に、ただ身を硬くする事しか出来ない。
「侵入者……まさか」
「……拙いぞ。皆、急いで避難路に! 研究データの確保も忘れるな!」
 ばたばた。にわかに白衣の面々が慌しく走り回り始めた。機材から記憶用デバイスを抜き
取り、電源を落す。施設の関係上こうした事態に備えて訓練はしてあるらしく、彼らの動き
は中々に統一されている。
「──っ」
「さ、冴島君?」
「おい、馬鹿。止せ!」
『ちょっ……ちょっと、志郎ー!?』
 しかしそんな中、冴島は思わぬ行動を取っていた。続く轟音に深く眉根を寄せると、突然
デスクの上に置かれたままだったデバイス──パンドラをもぎ取って一人、部屋を飛び出し
てしまったのである。
「くそっ! あいつ……まさか」
「そのまさかだろうよ。だが無茶だ、あれは未だ……」
「……ごめんね、睦月。まさかこんな……」
「? あの、一体何が──?」
「とにかく追うぞ! あいつを一人にさせちゃ拙い!」


 研究所(ラボ)の玄関、破壊された守衛室。
 警備員達は、皆一様にボロボロになって倒れていた。少し前までは、すっかり顔見知りに
なった関係者の息子君を送り出してやったばかりだというのに。
「あっ……、ぐぅ……」
 倒れ込む彼らの視線には“非日常”が広がっていた。この詰め所だけでなく、玄関前の石
畳から何からを滅茶苦茶にしている、その張本人らがいる。
『──』
 怪物だった。蛇腹の配管を身体中に巻きつけ、鉄板のような顔をした、怪物としか言いよ
うのない人型の異形が三体、のそりと研究所(ラボ)の内部を目指そうとしている。
 更にその少し後ろを、生気の乏しい三人の男がぼうっとついて行く。
 そもそもこんな事になったのはあいつらの所為だ。不審に思って行く手を塞いだ仲間が、
奴らが呼び出したあの化け物達にやられた。
「……オイ、オ前」
「っ!?」
 するとどうだろう。柱が折れ、点々と火の手が上がり、逃げ惑う人々など一切無関心であ
るかのように異形の一体が研究所(ラボ)を見上げるのを止めてこちらに近づいて来ると、
この警備員の男性を首から持ち上げて問うてくる。
「我々ノ“敵”ハ、何処ダ?」
「て、き? 何の……がっ、話、だ……?」
 意味が分からなかった。苦しい、息が出来ない。何て力だ。
 大の大人を、腕一本で持ち上げるなんて……。
 彼は詰まる喉と身体中の痛みに苦しみながらも言った。怪物達が、残り二体もがこちらに
戻って来て、何やら互いに顔を見合わせている。
「……本当ニ知ラナイヨウダ」
「所詮ハ末端カ」
「ドウスル?」
 伝え、問われる。意識が朦朧としてきた。
 すると突然、次の瞬間、彼を捕らえていた異形はぶんっとこの彼をその場に投げ棄て、思
わず衝撃で苦痛の息を吐くさますら省みずに、再び研究所(ラボ)へ向き直って言う。
「仕方ナイ。虱潰シニ当タロウ」

「──ま、待って……! 母さん、皆さん、一体どうしたっていうの!?」
 警報が鳴り響く中、睦月は走っていた。
 本来ならアナウンスの通り、避難経路とやらを見つけて逃げるべきなのだろう。
 だが香月やその研究仲間達は、彼にただ早く逃げろと言ったまま、自分達は全く逆──上
階へ続く道へと駆け出していたのだ。
「来るな、睦月君!」
「いいから君は逃げるんだ!」
「で、でも。だった皆さんも……!」
 立ち止まって追い返す余裕すら無かったようだ。自分達を見捨てて逃げられないと言わん
ばかりに追って来る睦月に、彼らはただ叫びながらも走り、階段を上へ上へと上り続けるし
かなかった。
「……細かい話は後よ。とにかく、冴島君とパンドラを回収しなくっちゃ」
 そうして、何度か階段を上り切り、その階の通路に出た時だった。
 捜していた冴島がいた。しかし彼は、睦月達に背を向けたままじっと立っている。
「……」
 目の前には鋭利な何かで切り裂かれたような、銃弾でも撃ち込まれたような、分厚い防護
壁だったものがあった。睦月は唖然とする。彼がカードキーと暗証番号を使わなければ開か
なかったあの頑丈な防壁が、何で……?
「冴島!」
「何やってる!? 早く戻──」
「来ちゃ駄目だっ! 奴らがそこまで来てる!」
 勿論、白衣の皆が呼び戻そうとしていた。だが彼はその場を動かない。まるで自分達を守
るかのように、その場に立って壁の向こうからやって来る人影と対峙しようとしている。
『……』
 怪物だった。形容するなら、それ以外にどんな言い方があるだろう?
 数は三体。一見すると人型だが、明らかに人間ではない。
 蛇腹の配管を巻きつけたようなボディに、鉄板をそのままぐるりと覆ったような顔。瞳は
右か左かに空いた大雑把な穴からだけで、ギンと赤く不気味な光を宿している。
 更にその後ろから、人間の男達が三人、ついて来ていた。仲間か……?
 しかし様子がおかしい。この男達は三人とも、まるで生気の乏しい抜け殻のような状態だ
ったのだ。加えてその手には、それぞれ見覚えのある拳銃型のツールが握られている。
「あれって……リアナイザ?」
 そう、睦月が正体を認めて呟いた直後だった。ゴガッと、邪魔だと言わんばかりに怪物達
が進路上の防壁跡をぶん殴って壊したのだ。大きなコンクリートの塊が、幾つも飛び散って
辺りに転がる。
「……ま、まさか。そんな。でも、そんな事……」
 気持ち後退りする。そして睦月は信じられないといった様子で漏らしていた。
 リアナイザがあるって事は……まさかこの怪物達はコンシェルなのか? 確かに姿形は何
とでも出来るし、あのメカ感というかサイバー感は、きっとそうだ。
 でも、仮にそうだとしても、あり得ない事実が目の前に広がっている。
 コンシェル達はあくまでデバイスにインストールされたサポートプログラム──AIだ。
リアナイザで画面の外に出たように見えても、それは結局はVRでしかない。
 現実(リアル)の物に触れて、尚且つそれを破壊するなんて事、出来る筈が無い……。
「やばいな……。まさか直接乗り込んでくるなんて」
「何処で情報が漏れた? いや、今はそんな所を突いてる場合じゃないが……」
「冴島君! 止めるんだ!」
「お願い、早くこっちへ。まだそれは一度も成功してないのよ!」
 母が、研究仲間達が必死に叫んでいた。見ればいつの間かにそこには恰幅のいい男性──
記憶が正しければ確か、ここの所長を務めている男性らの姿もある。別の階から合流して来
たようだ。
「……」
 だが冴島はそんな声を聞かなかった。
 黙したまま、そして意を決したように。
 彼は睦月達に尚も背を向けたままで、懐からある物を──メタリックな銀色で統一された
拳銃型のツールを取り出す。
「? 銀の、リアナイザ……?」
『ちょっ──志郎、本気!? あんた、今まで散々痛い目に遭ってきたでしょうが!』
「分かってる! だけど……今僕がやらなきゃ、出来なきゃ……!」
 パンドラが半分罵倒するような声色で叫んでいた。だが冴島は止まらない。彼女が入った
デバイスをこの銀のリアナイザにセットすると、彼は銃身の底に並ぶ四つボタンの内、唯一
上段のそれを押した。
『TRACE』
 すると、そんな機械音のコールが鳴る。香月達が駄目だと駆け出そうとしていた。それを
危ないと他の研究仲間が後ろから羽交い絞めして食い止める。
「……」
 リアナイザの銃口を、冴島はゆっくりと平らにした左掌の押し付けようとしていた。
 怪物達が迫る。スッと持ち上げた五指から、ザラリと鋭い鉤爪が伸びていた。
『志郎!』
 バチッ……! パンドラが叫ぶのと、彼の掌に青白いスパークのような奔流が流れ始めた
のはほぼ同時だった。
 睦月は思わず目を見張る。どうやら彼はそのまま掌に押し付け切ろうとしているらしい。
 だがこの青白い奔流に邪魔されているのか、リアナイザの銃口は中々左掌に触れられずに
いる。
「止めろ、冴島!」
「お願い止めて、冴島君!」
『無茶だよ! あんたには使いこなせない!』
「分かってる! でも、でも……っ!」
 皆が、パンドラまでもが制止しようとしたが、それでも冴島は粘った。バチバチバチッと
青白い奔流は更に激しくなり、彼は押し戻されるその手を必死に押さえ付ける。
 怪物達はじっと様子を窺っていた。
 それはまるで、この結末を知っているかのような……。
「──っ! がぁ……ッ!!」
 はたして冴島は吹き飛んだ。この青白い奔流に弾かれるようにして、大きく後ろの柱へと
激しくぶつかったのである。
「冴島!」「冴島君!」
「冴島さん!」
 香月達が慌てて彼に駆け寄って行った。だがよほど強く打ち付けたのだろう。意識はある
ようだが、苦しげに瞼を閉じて起き上がる事すら出来なかった。
 睦月は足が止まる。ハッと気付けば、怪物達が再び歩き出していたからだ。
 背後の男達は相変わらず生気のない抜け殻のようだ。鉤爪になった五指をギチギチと不快
に鳴らして、この三体の異形らは明らかに自分達を狙って近付いて来る。
「……。っ!」
 だからだ。だから、気付いた時には睦月は転がり込むように来た道を戻っていた。
 母達がその物音に気付いてこちらに振り返る。怪物達もちらと視線を遣ってくる。
 ──睦月の手には、先ほど弾かれて床に転がっていた、銀のリアナイザが握られていた。
「睦月……?」
「おい、まさか……」
『え? ちょ、ちょっと睦月さん?! 何を──』
 皆が戸惑いの声を上げている。だが睦月は聞く耳を持たなかった。無我夢中だった。
 先ほど冴島がやっていたように、銃身の底にある四つのボタン、その唯一上段に付けられ
たそれを押す。
『TRACE』
 同じ、機械音のコールが鳴った。
 今やらなきゃ……。睦月は冴島が辿った先ほどの光景を脳裏に再生しながらも、バチッと
掌に強い静電気のようなものを感じながらも、その銃口を自身の左掌に押し付ける。
『READY』
 弾かれる──事はなかった。何故か今度は、押し返される感触こそあったものの、銃口は
次の瞬間吸い込まれるように左手の中に収まったのである。
「……認証した」
「おい。嘘だろ……?」
「睦月君が、EX(エクステンド)リアナイザを……」
 ざわざわ。だが何も驚いているのは彼らだけではない。
 無我夢中だったとはいえ、当の睦月自身もこれには驚きを隠せなかったのだった。
「え、えーっと……?」
『……はっ。と、とにかく! こうなったらぶっつけ本番です。引き金をひいて、変身して
ください!』
 銃口を押し付けたまま、さて何をすればいいのかと固まる睦月。
 それを我に返ったパンドラが、スライドカバー部分からホログラムを出して姿を見せると
指示を飛ばして言った。……変身? 少し呆気に取られたが、事実今は怪物達が現在進行形
で自分達に迫ろうとしている。
「……変身!」
『OPERATE THE PANDORA』
 よく分からないけど。でも睦月は言われるがままに引き金を──陸上のスタート合図の時
よろしくザッと上空に銃口を向けながらひいた。
 するとどうだろう。次の瞬間、新たにそんな機械音が響き、拳銃──リアナイザからは銀
の、デジタル数字の群れが輪になってゆっくりと睦月に向かって降りていき、銃口から撃ち
出された白い光球はうろたえる睦月を狙うようにしてぐるりと旋回、刹那滑り落ちるように
彼と重なって眩しい光を放ったのだ。
『──』
 香月達、そして怪物達がその光に一度目が眩み、やがてゆっくりと庇の手を除けた。
 そしてその視線の先には、一人の人物。
 間違いなく睦月が立って引き金をひいたそこに、文字通り“変身”を遂げた彼の姿があっ
たのである。
「……え? ええぇぇぇーッ?!」

 本人も驚いて見返すその姿。
 睦月は白亜の、胸元に茜色の球(コア)を備えた、見た事もないパワードスーツに全身を
包んでいたのだった。

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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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