日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)均すセカイの行く先は

時期的には残暑の折となりました。皆さん、如何お過ごしでしょうか。
ちなみに私の現住所では曇り空が多くなっています。風も涼しく(強く?)なっています。
一過性のものなのかもしれませんが、少しずつ秋の足音が近付いているのでしょうか?
だとすればありがたいですね。読書の秋、執筆の秋の到来ですから。
こんにちは、長月です。
連載用長編の第二章が書き上がりました。あとはざっと手直しなどをして週末にはUPできる
かなと思います(あぁ良かった……。これで連載という態は保たれる(^o^;)ホッ…)


今回の雑記は、筆が進む今現在と絡めて「才覚」や「個性」についてのお話です。
(一応最初に言っておきますが俺、天才なんスよ~w みたいな事ではないですよ?)
思えば、僕の創作畑との出会いは数奇なものでした。
高校時代に知った文芸部の存在と、友人の「じゃあ長月も書いてみれば?」という言葉。
あれから幾数年。僕はホクホクとして、悶々として、試行錯誤を繰り返してやっとのこさの
思いで今の積み重ねを形にしてこれました。これも一重に周りの同好の士や友人らの助けが
あっての事だと思います。 アリガトウデス m(_ _)m

ただ、そんな個人的な創作の楽しさはあるにせよ、現実として個人の「創造性」とは何かに
つけて圧迫されがちであるのもまた事実ではあります。
偏見(私情や信条)からくるサブカルへとの規制といった政治的・暴力的手法は勿論の事、
僕ら人が子供から大人へと育ってゆくその過程においても数少なくない“摘み取り”の場面
が待ち構えています。
加えて、昨今では所謂「発達障害」などと総称される状態のお子さんも少なくありません。
(尤も元からそういう“変わった子”自体は昔からいて、ただ単にそういった症候群として
定義されて一括りにされたから余計に目立つようになった……とも考えられますが)
ますます、世の中は「同じ」である事が本質としては難しくなっているのです。
なのにそういった“変わった”面を『治療』と称して──大人達の「あるべき」姿へと変え
ようとするのは、もっと言えば「均そう」とするのは、何だかおかしくはないでしょうか?

確かに教育というもの自体が『社会の駒を養成する作業台』であり、その人材を社会に求め
られるクオリティ(性質)にせしむには人間相手といえどその個々を「均す」過程が付き纏
うという点があるのは否めません。
そして現実問題として“変わった子”の言動が周りの人々にとって「問題行動」に映るがた
めに、何より一々その者に自分のエネルギーを注ぐのが惜しい為に、予めコミュニティ全体
の要請に合わせて、彼ら・彼女らを「均す」ことを迫られるのかもしれません。
ですが……それはある意味で短絡的ではないでしょうか?
何よりも、他人を無理からに自分の思い通りに動かそう、変えてもいいんだという発想は高
慢ではないのでしょうか?
どんなに変に思えても、実際に話を聞いてみれば彼らなりの筋は通っているものです。
(それを各人が受け入れるのかどうかは、もう少し別次元の問題かもしれませんが……)
人間とは結局の所“自分勝手”です。
それは均すことを強制する側もそうですが、される側の不満の理由ともリンクします。
しかしだからといって一部の他者の意向がその者のそれを叩き潰していいのだという道理に
は、やはり違和感があるなというのが僕個人の思いです。教育であれ、治療であれ。どんな
大義名分を掲げたとしても、それはその者が持つ可能性──創造性(個性)を摘み取る結果
になりかねないからです。

どうぞ思い返してみて下さい。
世の中で活躍している著名人などに、所謂「折り目正しいステレオタイプ」な人間がどれだ
けいますか? むしろ、何か個性なり特徴のような“変わった”何かを持っているからこそ
彼らは輝き、人々に注目されているのではありませんか?
矛盾しているのです。全体の「均等」にそぐわない個性を異端として排除しながらも、一方
でそうした個性が一度花開く形となれば、掌を返すように賛美し、弄ぶ。
そんな場面を見るとき、僕はとても胸糞悪い思いに駆られます。
結局、人は都合の良いものや大流に乗っかるだけなのでしょうか。
貴方達が賞賛するその個性の影で、一体どれだけの“社会に要らない”とされた個性が握り
潰されて来たのか……。それともそんな事は当然であって、そんなに個性を発揮したけりゃ
上手いこと“世間様”に合わせろよと哂うのでしょうか。

僕は思います。
こうした小さい頃からの「均し」の淘汰は、人々に相互理解の為のプロセス(にかける労力
とそこに見出す価値観の大きさ)を削ぎ取ってもいるのではないかと。
“変わった子”だけに留まらない。何時か何処かで見知らぬ誰かと出会った時に、僕らはそ
の彼らの中の思いを汲み取り、読み取ろうとする努力を知らぬ間に怠るように刷り込まれて
いるのではないでしょうか? それが一々労力を割かない「実務的」スタンスだとして。
でもそれは確かに短期的には楽でも、長い目で見れば多くの人々にとって結果大きな損失に
なっているようにも思えてくるのです。
実際に、この世界は対立・諍いという名の相互理解不全に満ちているのですから……。

マルチな才覚も喜ばしいけれど、それと同じくらい何かに拘り貫き通し、そして昇華された
個性はとても輝いていると思うのです。
僕らはそんな無数の可能性を無理やりに均してまで、この国の本質たるムラ社会という名の
コミュニティの体裁を守ることに、果たしてどれだけの価値があるのでしょうか?

……最後に、僕の好きな言葉を幾つか引用して〆ようと思います。
日本におけるユング心理学の第一人者・河合隼雄氏の著書の中にある言葉です。

『人の心などわかるはずがない』
『やりたいことは、まずやってみる』
『己を殺して他人を殺す』
『人間理解は命がけの仕事である』
 そして──『すべての人が創造性を持っている』
                   
                引用:河合隼雄『こころの処方箋』(新潮文庫、1991)

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  1. 2011/08/19(金) 00:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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