日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「我が為でなく」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:暁、最強、ヒロイン】

※今回、盛り過ぎました。約18000字あります。
なので読了の際には予めそのつもりでm(_ _;)m



 慎重に何度か相手の攻撃をかわしては観察をし、彼の武器を振るう際の癖を見定めると、
オーギュは刹那、カッと目を見開いてその切っ先を切り結んだ。
 会場が、観客達がしんと静まり返る。
 そしてどうっと、数拍の沈黙を破るように直後、対戦相手の男が白目を剥いて倒れた。手
にした手斧と盾が耳障りな金属音と共に石畳のリング上に打ち付けられ、転がる。
『勝った! 勝ちました~! これでオーギュ選手、九九五連勝! またしても無敗記録を
延ばしたァ~!!』
 リングに響く実況役の叫び。それを合図とするように観客達が沸いた。
「……」
 振り抜いた剣をゆっくりと手元に引き直し、数歩身を返しながら、オーギュは昏倒したま
まの今日の対戦相手の姿を見下ろす。
 賛辞の声。だがそんな人々の沸き立つ歓喜の音すら、彼には苛立たしかった。
 静かに顰めた眉。被った兜に隠れて目立たないそれは、一秒でも早く彼自身をこの場から
立ち去らせるには申し分なく……。
「──おう、オーギュ。また勝ったみてぇだな」
「すげぇぜホント。相変わらず化け物じみた強さだなあ」
「これであと五勝か……。期待してるぜ!」
 通り過ぎていく自分を冷淡と一瞥する、この国の正規兵らの視線に内心一層眉を顰めなが
ら、オーギュは会場──この闘技場(コロシアム)の館内奥へと引っ込んで行った。すると
牢屋越しから、今やすっかり顔見知りになってしまった同じ剣闘士らがこちらを羨望の眼差
しで見つめている。身なりも小汚く、中には負傷してもう満足に戦えない者も少なくない。
「……。ああ」
 オーギュはただ短く言って自身の房へと戻って行った。見張りの兵達がその一挙手一投足
を監視して(みつめて)おり、やがてガチンと厳重に檻が閉じられ施錠される。

 闘技場(コロシアム)。
 ここは“帝国(ザイド)”市民が連日訪れる娯楽施設だ。そう──娯楽施設だ。
 今日、サイド帝国の版図は本拠のある此処西大陸をほぼ制圧し、徐々に周囲の群島を呑み
込みながら広がる一方の様相を呈している。
 抵抗する国は、ことごとく攻め滅ぼされた。そうでなくとも帝国は潤沢な鉱資源と軍事力
を背景に、近隣諸国への攻勢外交を強めている。
 突け入る弱点があるとすれば、山岳に囲まれた土地ゆえの農業生産だが……それも我が祖
国である共和国(ランバート)がその支配下に置かれた事で克服されてしまった。王はギリ
ギリまで戦いを回避しようと尽力されたが、いち軍団長としてその穏健な策は結果的に帝国
の都合のいいシナリオを作らせる暇を与えてしまったとオーギュは考えている。

 ──連続一千勝を果たした剣闘士には、自由が与えられる。

 自分たち敗れた国の捕虜に告げられたのは、そんな一縷の希望であり、枷だった。
 冷静に考えれば到底無理な話ではないか。どんな武人でも常勝無敗などあり得ない。寧ろ
戦わずに済む方法を、状況を作り出す事こそ平時の勤めでもある。どれだけ正義を語ろうと
も、暴力は暴力なのだから。
 それでも……自分は勝ち続けてきた。死に物狂いで連勝成績を重ねてきた。剣闘士仲間達
からは気付けば半ば英雄視されているが、何て事はない。ただ余分な思考を徹底的に排し、
勝つその目的の為だけに心身を最適化し続けただけのこと。……この身はとうに、在りし日
のような“生”には満ちていない。
 ただ目的だけがあった。一千勝の先にある「自由」を、ただ彼女に譲り渡す為に。
『お前……本気か?』
 当初面談した帝国将校の、信じられないという表情(かお)を今も覚えている。
 自分は懇願した。もし本当に一千勝したら、シエル──お前達が落とした共和国(くに)
にいた恋人にその「自由」を与えてやってくれと。帝国が支配下に置いた、軍属でない一般
市民は、剣闘士とは別に市民の下──奴隷身分として一生こき使われるからだ。
 将校達は困っていたようだ。自分から己の可能性を手放したいなどという輩は、まぁ過去
にいなかったのだろう。そして帝国の法にも、こちらの要求を突っ撥ねるだけの根拠はなか
ったらしい。
 それからだ。自分はがむしゃらに戦った。
 生まれも事情も様々な、しかしきっと向こうも微かな希望を抱いて望んでくる対戦相手達
を、自分は問答無用に切り伏せてきた。心を鬼にしなければきっと何処かで敗れていた。
 俺はいい、事実敗軍の将だ。だがシエルは違う。ただ懇意にしていた相手が軍人であった
だけの、ごくごく普通の女性なのだ。愛しい人だ。
 あの女性(ひと)を屈辱の日々に置くなど、自分が許せない。認められやしない。少しで
も短くしてあげたいと願った。どうか君は逃げてくれ。もっと、もっと遠くへ……。
 闘技場(コロシアム)を運営する将校から、十勝毎に彼女へ手紙を出す事を許可された。
勿論自分は毎回近況と励ましをしたためた。返って来た返信、封筒は、涙で濡れた跡がつい
ていた。
『私なら大丈夫。何とか生きて、働いています──』
 せめて無事だけでも知れて、その度に酷く安堵した。そして闘志に激しい火が灯る。やが
て先の将校は手紙の許可を十勝から二十勝、三十勝と反故にしていった。
 こちらの心を折る為なのだろう。だが寧ろ、自分は一層燃えた。とはいえ、それは決して
健全なものではないと自覚はしている。ある種憎悪、執念に近いものだと自覚している。
 少なくとも勝ち続ければシエルは自由の身になる筈だ──否、何が何でもさせてやる。
 それだけが自分を今日まで生かしてきた。反故は、五十勝毎の時点で止んだ。
 ……九九五勝。一体何年掛かっただろう?
 ずっと薄暗い房の中に入れられて、見世物として戦って。次第に暦の感覚も分からなくな
っていった。そんな時の流れの中で一人また一人、同期の剣闘士が消えていき、今では自分
の連勝記録だけを聞いて無駄な憧れを持つ後輩ばかりになった。
 囚われてるんじゃねえよ──。何度彼らに言いたくなって、呑み込んだことか。
 詮無い説教だ。本人としては傍迷惑だが、仮に自分という連勝者が「自由」への希望の象
徴、精神的な支えとなっているのなら、それを下手に壊してしまうのは憚られる。実際今ま
でも終わりのない剣闘士生活に疲弊した結果、自ら房やリング上で命を絶った者も少なくな
いからだ。
 あと五勝。それで帝国の法が定める奴隷身分からの解放に辿り着く。シエルが、こんな糞
みたいな国から逃れる事ができる。
 しかし、本当に認められるのだろうか?
 大体もって、一千勝などという数字は事実上、剣闘士らをこの国に縛り付ける為の方便と
して書かれたものだと思われる。しかしそれが現実の物となろうとした時……為政者はどう
するのだろう? 難癖をつけて約束を反故にするか。それとも、あらゆる手段を用いて自分
の一千勝を阻みに来るか……。
(考えても仕方ないか。どのみち俺一人で封じ込められるものじゃない。あと五勝、あと五
勝すれば、否が応でも奴らは俺かシエルの処遇に突き当たらざるを得なくなる)
 そもそもこれまでの勝利は、全て彼女に捧げてきたものだ。
 因みに譲渡の話は全く伝えていない。彼女のことだ。その事を聞いたら頑なに辞退しよう
とするだろう。
 だから黙っている。
 もう何処ぞの帝国側の奴(あほう)が、告げ口をしてしまっている可能性はあるが──。

「──ギュ。おい、起きろ。オーギュ」
 そんなぼうっと沈み込んだ彼の意識を、ふとやや乱暴に揺り起こす者があった。
 オーギュは自身の房の中で目を覚ました。この日の試合を終え、着替えを済ませるとその
ままベッド(と言っても粗末な物だ)に寝入ってしまっていたらしい。
「……何です? 飯には早いような」
「違ぇよ。さっさと居住まいを正せ。皇帝陛下からの勅だ」
「お前らもだ。よーく聞け」
 やって来ていた兵らとリーダー格と思しき将校──以前手紙云々で顔を合わせた事のある
運営に関わっているあいつだ──はそう言ってオーギュと、何事だと牢から顔を覗かせてい
る他の剣闘士らに向かって言った。将校が慎重そうに黒塗りの筒から書面を取り出し、読み
上げる。
「剣闘士オーギュ。汝の武功に鑑み、此度特別の試合を設けんとす。我が選びし精鋭五人と
戦い、その本懐遂げてみよ。サイド帝国第七代皇帝・ヴィドーⅠ世」


 まさか向こうから仕掛けてくるとは思わなかった。オーギュは控え室に一人篭りながらも
じっと先日からの動揺を抑え込んでいた。
 皇帝が持ち掛けてきたのは、残り五勝を賭けた五連戦。今や闘技場(コロシアム)最強と
言われるようになった自分を主役とした、特別ステージだという。
 だがそれは、所詮表の顔。要するに向こうがいよいよ全力で自分の一千勝を潰しに掛かり
にきたという事だ。興行的にも同じ勝者ばかりではつまらないだろうし、仮にこのまま自由
を手に入れた奴隷という先例を作ってしまっては、奴らの“飴と鞭”がその均衡を崩してし
まうだろうから。
(しかし五連戦か……きついな)
 俯いて両手で握る長剣、長椅子の傍らに置いた小盾と腰の投擲用ナイフ三本。
 向こうから言ってきたのだ。並みの使い手ではない筈。一人か二人、或いは全員、皇帝の
息が掛かった戦士が紛れて込んでいるとみて間違いはないだろう。それも殺しに。やはりこ
のまま自分が生き長らえられると都合が悪いとみえる。
 牢の顔見知り達は応援してくれた。頑張ってくれと、是非買ってくれと。俺たち奴隷全員
の希望となって欲しい、帝国の糞どもに一泡吹かせてやって欲しいと。
「剣闘士オーギュ。一戦目だ、準備はいいか?」
「……ああ」
 だがすまんな。俺はもう誇り高き軍人なんかじゃないんだ。
 全ては恋人(シエル)の為に。
 この剣は、とうにエゴイスティックだよ。

「ほほう? お前がオーギュか。想像してたのよりはひょろっとしてるなあ」
 一戦目の相手は、半裸の巨漢だった。下手すれば二周りほど大きいのではないか。
 男は非常に好戦的な眼をしていた。こちらとは全く違う。
 ……なるほど、血飛沫を愛でるような輩か。引き摺っている巨大な鎖鉄球も要警戒だが、
ああいう手合いは加減なぞしない。やはり殺しに掛かってきているか。
『それでは両名、準備は宜しいですか?』
 今や見慣れたリングの上、石畳にはオーギュとこの対戦相手がやや距離を取って向き合っ
ている。オーギュはちらと周囲を見渡した。
 観客は満員御礼、帝国の“市民”でごった返している。かなり高く作ってあるその観客席
より下は落とし穴となっており、落ちれば串刺し確実な針の山。更に四方の壁からは時間に
応じて猛獣が解き放たれ、リング上にも幾つかのトラップが迫り出す演出だ。
 力押しでは厳しい。上手くこれらを利用する必要が出来て来そうだ。
「おうよ!」
「……始めろ」
 男が呵々と笑い、オーギュも黙したままざらりと剣を抜き放った。
 既に沸いている観客の声が煩い。それを見遣って、遥か高所から──背後にガラス壁で囲
まれた観覧席に座って不敵にこちらを眺めている皇帝を擁き、実況役の男らがそう拡声器越
しに声を張る。
『では御前試合第一戦、トゥール対オーギュ。開始っ!』
 ぶら下げられた大鐘が打ち鳴らされたその直後、先に動いたのはこの巨漢・トゥールであ
った。案の定、引き摺っていた鎖鉄球を一気に引き寄せてこれを空中に持ち上げると、猛烈
な速さでぐるぐると振り回し始める。
 巨大な凶器が空を切っていた。暗い影が彼を中心として周回していく。
「へへへっ。どうだぁ? このまま一気にミンチにしてやっからよ」
「……」
 じりっ。そうトゥールは笑いながら少しずつ近寄ってくる。
 だがオーギュは黙してた。じっと動きを見るように、加速していく一方の黒い円周を睨み
続けている。
『おーっと! これは流石のオーギュ選手も動けないか? このまま振り回されるハンマー
の餌食になって──』
 しかし実況役が茶々を入れようとしていたその瞬間、オーギュは地面を蹴っていた。
 霞むような、こちらも猛烈なダッシュ。そしてそのタイミングは鉄球がトゥールの後方に
回ったのと時を同じくして。
 驚いたのはトゥールの方だった。
 まさかこんなにあっさり……? しかしその間(しこう)が、彼のその後の敗北を決定付
ける事になる。
「ぐっ……!?」
 薙いでいた。体格差を逆手に取り、オーギュは彼の足元に迫ると、その剣をざっくりと水
平に薙いでレガース越しに両膝を砕いたのだ。
 ズシン。にわかに身体の支えを弱らせるトゥール。
 だがそれでも彼の戦意は喪失していなかった。むしろ自他問わず、血が流れたのを興奮剤
とするかのように吼えたのである。
「ははっ、無駄だ! その程度の威力じゃ何もならんぞ! 所詮」
「気ぃ付けろ」
「んあ?」
「鉄球。後ろ」
 一閃の斬心。姿勢を低くしたままのオーギュ。すかさず鉄球を引き寄せてこれを叩き潰そ
うとしたトゥースの後頭部を、他ならぬ彼の鉄球が直撃したのだ。
 文字通り目が飛び出る程に星を飛ばし、白目を剥いて、ぐちゃぐちゃになった後頭部から
大量の血を流してその巨体が倒れる。
 ひょいっ。オーギュは軽く横っ飛びをしてこれをかわし、次の瞬間大きくリングに倒れ込
んで──ほぼ間違いなく即死したであろうこの対戦相手を見下ろす。
『こ、これは何という事かー!?』
 煩いな。そうオーギュが思うほどに実況役が叫び、観客らが唖然とした様子でリング上に
視線を注いでいた。
 ぐったりとトゥールは動かない。チッと、観覧席の皇帝がこの第一の刺客を蔑むように見
つめている。
『じ、自滅……? 戻って来たハンマーが後頭部を直撃し、トゥール選手ダウンー! これ
は思いもよらぬ結末だー!』
 慌てて地上階に控えていた兵士らが確認に出てくる。そして既にこの巨漢に息がない事を
確かめると、実況席に向かってふるふると首を横に振った。
『……やはりダウンのようです。第一戦、オーギュ選手の勝利!』
 おおおおおっ。観客席が少々控え目な──心なしか残念そうな声色で沸いた。
(そりゃあこうなるだろう。遠心力に頼った武器だ。一旦その軸を崩してやれば、そいつは
手前にだって危害を加えうるんだぜ?)
 それでもオーギュは軽く眉根を寄せただけで、やれやれと剣を担ぎ、一度控え室の方へと
戻っていく。

「ふへへ……。覚悟するんじゃな、若いの。儂を前にして五体満足でおれると思うな?」
 二人目の相手は、全身を覆うボロ布を纏った老人だった。
 歯抜けな皺くちゃの顔が性悪く嗤う。申し訳程度の休憩を挟んでこれと向かい合ったオー
ギュは、早速この老人の胡散臭さの正体を観察する。
(鎧じゃなく布、機動力重視か? いや、違うな。あの不自然に膨らんだ背中といい、何か
仕込んでいるか……)
 今度は剣を片手に、盾をもう片方に持つ格好で構えていた。老人自体は脆弱だろう。だが
何をしてくるか分からない。防御を優先すべきと、これまでの実戦経験が教えている。
『それでは御前試合第二戦、ヴィランテ対オーギュ、開始っ!』
 その一手はこの直後に来た。ゴングが鳴らされたと同時、老人・ヴィランテが左腕を向け
てきたかと思うと、その袖口から真っ直ぐ炎が噴き出したのだ。
「くっ……!」
 間一髪。オーギュがこれを転がりながら避ける。
 勘は正しかった。盾が彼の代わりに、見るも無惨に焼け落ちる。
「ひひひっ。どうじゃ? 儂のバーナーは。お主に恨みはないが、研究資金の為じゃ。焼け
死ぬが良い!」
 言って二度三度、再び炎が唸りを上げる。
 オーギュはできるだけ離れて、距離を取って逃げ回るしかなかった。轟々と、その度に火
炎放射が彼の背を狙う。
(こんな武器ありかよ!? いやまぁ、事前に報せときゃ基本何でも持ち込めるけど……)
 実況役の熱の篭ったアナウンスが会場に響き渡る。観客達の声が合唱のように聞こえる。
燃やせ、殺せ──帝国の市民。さもあらん。
 オーギュはそれでも必死に考えていた、観察していた。どうにかして、あいつに突け入る
隙を見つけなければ……。
(ふんふん。なるほど、あの背中のでっぱりは多分燃料タンクで、それを本物の右手で操作
して火力やらを調節している、か……)
 分かった事は二つ。一つは彼の攻撃力の源が背中にあるということ。もう一つは、衣越し
の右手が偽物だということ。
 おそらくは衣の下でレバーなりを弄っているのだろう。そのタイミングを見られないよう
に、義手か何かを肩につけて見た目右腕にみせかけている。だが照準を合わせる度にふらふ
らを揺れるそれを注意深く観察していれば、見抜けない事はない。
「こんのっ、いい加減に焼け死ねぃ!」
 轟。再三の炎がオーギュを襲う。
 だがこの時既に、オーギュは確信しつつあった。この火炎放射──あまり連発出来ない。
 そう見極めた後は早かった。彼は撃ち込まれる炎を避け、迂回しながらも着実にヴィラン
テへと駆けて近付いていき、射程に入るのを待った。
 勿論、相手のではない。こちらのである。
「──っ!」
 投げナイフを一本、オーギュは狙い澄まして投げた。
 標的は右腕。義手ではない、衣の下で上下する本物の右手である。
「がぁッ!!」
 ドンピシャ。オーギュが投げ付けたナイフは、真っ直ぐに伸び、その刃をヴィランテの右
腕を捉えていた。
 びんっと衣の下でビクつき、もがく本物の右手が見える。
 やはり右袖から覗くのは偽者の手であった。ぽたぽたとそこから血が滴っていく。
「終わりだ、爺さん。左腕を攻撃──多分背中のタンクから伸びるホースに巻き付けている
以上、もう操作は出来ねぇよ」
「う……五月蝿い!」
 だがヴィランテは諦めなかった。左手で刺さったナイフを抜き、震える右手で再び衣の下
の調節レバーを握る。
「……そうかよ」
 轟と再び炎が吐き出された。しかしもうオーギュには当たらない。レバー操作を隠すこと
もしなくなった、これまで何度も発射までのラグを観ている彼にとって、その攻撃は容易に
見破れるようになっていたからだ。
 空振りした炎。その横を低く駆けていくオーギュ。
 観客達が、実況役らが目を口を開けて見た。すれ違いざまに、滑るように振るわれた剣。
ヴィランテの背中、全身を覆う衣で隠していた燃料タンクに裂け目が入り──他ならぬ彼自
身を延焼させる。
「悪ぃな。俺も必死なんでね」
 悲鳴を上げてのたうち回り、どうっとその場に倒れ込む対戦相手の老人。
 オーギュはそれに振り返る事もせずに残心から姿勢を正すと、呟く。

「──」
「ん? 戻って来タ? 次、三人目ダヨ」
 時を前後してオーギュの対戦相手らが詰める控え室。
 そこはトゥールとヴィランテの二人が脱落した今、剣闘士の割にはやけに身なりのいい優
男とそれとは対極にあるような荒々しい、褐色の肌をした少女、そして全身黒い鎧を纏った
騎士がいる。
 少女は鼻をひくひくさせ、この二人を見遣っていた。
 優男は一戦目が始まる前にふらっと出て行き、戻って来たし、鎧騎士の方は先の二人がや
られたというのに顔色一つ言葉一つ漏らさず──というより窺えず、ちょうど今し方戻って
来た所だ。
「やれやれ……私の出番ですか」
 言って、優男が立ち上がった。その腰には、まるで飾り程度の細剣(レイピア)が下がっ
ているくらいで、まるで戦う者のようには見えない。
「まぁ見ていてくださいよ。彼は“私には勝てない”ですから」

 三人目の相手は、この闘技場(コロシアム)には似つかわしくない優男だった。
 オーギュはあからさまに怪訝に眉根を顰める。一応腰には剣を下げているが……どう見た
って戦士という感じではない。
 まぁそもそもこの連戦も、皇帝の側から仕掛けてきたものだ。よく分からないが何か自分
を阻むものを持った人材なのだろうと注意しておく事にする。
 そうだ。とにかく勝つこと、その事だけに意識を集中するべきなのだ。
 一応リング整備の間、休憩を取ることはできるが、いい加減体力も消耗してくる……。
『それでは御前試合第三戦、ロワイア対オーギュ、開始っ!』
 剣を抜いたのはほぼ同時だった。元々両手持ちを前提とした長剣、対するは細剣。
 速さは向こうだった。しかしカバーする防御面はこちらが圧倒的に優位。ガキンと、両者
の刃がぶつかる。ロワイアの素早い連続突きを、オーギュは刀身の広さで補いながら応じて
いく。
「……ふぅ」
「? 何だよ。もう息切れか」
「いや、そうじゃないさ。ただ無意味な戦いだと思ってね」
 なのに、どうも様子がおかしい。実感として、剣技の覚えはあるようだが、このくらいで
あれば簡単に押し勝てる。なのにそのロワイア本人は、寧ろ余裕綽々といった様子でやはり
気障に振る舞ってくるのである。
「五月蝿ぇ、てめぇに何が分かる!」
 苛立ち、思わず大振りに振り下ろした一撃。
 だが彼はそれを細剣で受け止めていた。ぐっと踏ん張り、刀身が揺らいでいる。すると彼
はにゅいっと鍔迫り合いが故に自然近くなったこちらの顔を覗き込むようにしてくると、言
ったのだ。
「シエルさん、でしたっけ。貴方が解放したい恋人の名前は」
「──っ」
 オーギュは半ば反射的に全身が強張った。だがすぐに惑わされてはいけないと自身を戒め
て彼を睨み返した。
 驚く事じゃあない。とうに皇帝(むこう)側はこちらの願いを知っているんだ。揺さ振り
を掛けてくるのだったら、想定の範囲──。
「いいんですかねえ? 私を切り伏せちゃって。そうなったら彼女、どうなると思います」
「な、に……?」
 ふふふ。その言葉の意味を肯定するように、ロワイアは不敵に笑った。弱者を蹂躙する、
性悪なサディストの表情(それ)である。
「降伏しなさい、剣闘士オーギュ。さもなくば、事前に放っておいた部下達が貴方の恋人を
抹殺するでしょう」
「ッ!? てめっ──」
 そういう事か。怒りに駆られながらも抑え込み、されど振り払った剣は、しかしひらりと
ロワイアにかわされた。
 優雅にバックステップ。こちらを不敵に見つめて微笑む彼。
 一番拙い方法を採ってきやがった……。こいつを倒せばシエルが? だが一千勝を諦めれ
ば、それこそあいつを「自由」にしてやれる手立ても無くなる。やっぱり奴らは反故にする
気満々だったのだ。どうする? ここで見誤れば……。
『おや? どうしたのでしょう? オーギュ選手の動きが止まりました。一方ロワイア選手
は悠然とその周りを歩いています』
 少なくとも実況役や観客達はこの策略を知らないようだった。それはそうだろう。あくま
で闘技場は興行──帝国市民の娯楽として開かれているものなのだ。そこにこんな自分達の
裏事情と策略、言ってしまえば「やらせ」が行われるかもしれないと分かれば同じ帝国の者
としても黙ってはいまい。長らく勝ち続けている、自分がやられる瞬間は待ち望んでいるか
もしれないが。
「さて。どうします? 面子が大事なら、一応私が剣技で上回ったという演出をさせていた
だきますが……?」
「……」
 ぎゅっと剣を握る。だがそれは攻撃に打って出る為のそれではなく、不甲斐ない自身を苛
める為のもの。
 細剣(レイピア)の切っ先をゆらりと向け、ロワイアは悠然と向き合い構えていた。
 糞野郎が。人質を取った以上、どうせこのまま俺達を無事に帰すつもりはねえんだろ?
 オーギュは静かに唇を噛み締めた。
 せめて、シエルの無事だけでも確認できれば……。
「──オーギュ!」
 だが、そんな時だったのだ。ふとオーギュの耳に、その瞳に、本来ここにはいる筈のない
人物の声が姿があったのだから。
「……シエル?」
 他ならぬ彼女だった。自分の窮状を見かねてなのか、観客席の一角で彼女は確かにそこで
はたっと立ち、声を張り上げて自分の存在を伝えて(アピールして)くる。
「な、何故だ? 何故あいつがあそこにいる……?!」
 そして、それは結果的にオーギュのピンチを救う事になったのだ。
 驚いていたのは彼だけでない。ロワイアもだったのだ。
 即ち、今あの場に彼女がいる事実は奴の差し金ではない。人質として捕らえられた、その
見せしめではないという証明ではないか。
「んにゃ──ろうッ!!」
「ッ!? ひっ!?」
 故に、オーギュは猛然と駆け抜けた。慌てて振り返り、先程の優雅さなど何処に行ったの
かすら分からなくなって引き攣ったロワイアのどてっ腹を、散々に斬り伏せてやった。どう
っと、彼はそのまま泡を吹いてリング上に倒れ込む。
「~~ッ! やったぁ!」
 観客席で、少なからず周りから浮いているにも拘わらずシエルが喜んでくれている。
 剣をさっと払い、見上げてみれば……どうやら彼女の傍にも知り合いらしい数人がいた。
オーギュは静かに苦笑いを零し、安堵する。
(……ともかく無事でよかった。でも何なんだ? 基本奴隷身分(おれたち)は市民区には
入れない筈なのに。こいつの手下じゃないとすると、一体……?)

 四人目はまさかの少女だった。ぽつねんと佇み、じっとこちらを窺っている彼女に流石の
オーギュも困惑の色を隠し切れない。
(何だよ。皇帝が選んだ精鋭っつってたが、人選おかしいんじゃねぇの?)
 肌は褐色。服は上下とも短く、形容するならば野生児といった感じか。腰には短剣が鞘に
収まって二本下がっている。他にもベルト部分に小さくデコボコした筒口が幾つも見受けら
れる。投針か。
『それでは両名、準備は宜しいですか?』
「……」「ああ」
 だが、存外にダメージが蓄積している──こと精神の側から磨り減ってきている感が否め
ないとはいえ、負ける訳にはいかない。
 あと少しなのだ。あと少しで……約束の一千勝に届く。
『それでは御前試合第四戦、ニケ対オーギュ、開始っ!』
 だがゴングが鳴った瞬間、対戦相手の少女は大きく飛び退き、更に間合いを取っていた。
オーギュは少し出鼻を挫かれた格好になる。剣の柄を握った手が一瞬だけ止まる。
「っ!」
 しかしそんな迷いは余計なものだ。リングの外周を駆けていく彼女から、素早く何かが投
げ付けられてくる。オーギュは反射的に剣を抜き放ちざまにこれを弾き飛ばした。カランと
軽い金属音を立てて、足元に幾つもの投擲針が転がる。
(やはりそうか。見た目の通り、肉薄した戦いはご所望ではない、と……)
 思い、されどもオーギュは地面を蹴る。
 そう思惑通りにさせる気など元より無かった。防具も薄い。直接一撃を叩き込めばおそら
く勝負はつくだろう。
 問題はそこまで彼女が接近を許すかという点と、そもそもこの距離の取り方が単に間合い
だけなのかという点だが……。
「──ふっ!」「無駄、だっ!」
 それでも彼女、ニケは相変わらず投擲針を投げ続けてくる。
 常人では考えられないような素早い身のこなしでリング外周を駆け、その方向を先回りし
て来ようとするオーギュへ、さも牽制のように投擲針を投げ付ける。されどことごとく、彼
は巧みに長剣の刀身を盾にして、この遠距離攻撃を防いでは弾いてみせる。
(中々すばしっこいな。何処かの狩人か。だが、手持ちの針も限りがある筈……)
 故にオーギュは待っていた。最後の一戦のために体力を温存したいという事もある。彼女
の投擲針がそのストックを失った瞬間、一気に切り結べば──。
(……いや。待っているのは、俺だけじゃない?)
 ハッとなってオーギュは闘技場(コロシアム)正面の壁を見上げた。そこには試合開始か
らの時間を刻む大きな時計が設えられている。
 そうか。初めからこいつは、闘技場(ここ)のギミックを目当てに……。
『十五分経過! ここで一体目の牙虎(サーベルタイガー)の投入だー!』
 そして実況役のアナウンス。リングに繋がる鉄柵の一つが開けられ、そこから鋭い牙を持
つ大きな虎が姿を見せる。
 この闘技場(コロシアム)が観客を沸かせる為に投入するギミックの一つだ。ただ剣闘士
同士が戦うだけでなく、獰猛な獣に挑戦者が喰われるさますら、彼らは愉しむのである。
「──」
 しかもそれだけではなかった。ふと間合いを取ったままだったニケが立ち止まったかと思
うと、彼女は右手の親指と人差し指とを口に含み、キュイイッと口笛を鳴らしたのである。
 ……するとどうだろう。それまで本能のままにオーギュを彼女を見比べながら近付いて来
ていた虎が、はたっとその狙いをオーギュ一本に絞った。
「ッ! そういう事かよ!」
 牙を剥き出しにして襲い掛かってくる牙虎(サーベルタイガー)。オーギュはようやく、
彼女という年端もいかない少女が四人目であることの意味を悟った。
 詳しくは分からない。だがあの少女は、猛獣も手懐ける技術を持っているのだろう。だか
らこそ最初の内は逃げに徹して、この解放の時を待った。白兵力は、これで十中八九逆転す
るのだから。
「ちぃっ!」
 彼女の口笛が命令なのだろう。虎はニケには目もくれず、ひたすらオーギュを追い回し続
けた。あわや噛み殺される! その度にオーギュは剣撃を叩き込み、僅かに出来た隙を見て
リングを右から左からと逃げ回る。
(拙いな……体力を無駄に消費しちまう。それに、このまま持久戦なんぞやってても、二頭
目三頭目と虎が増えるだけだ)
 ならば。オーギュが採るべき戦法は一つだった。
 牙虎からの猛攻を掻い潜り、ニケの下へと走る。大きく長剣を振りかぶり、とにかく本丸
である彼女を潰す。
 ……だが対する彼女自身も負けてはいない。この状況でも敢えて突っ込んでくるオーギュ
を見ると腰に手を伸ばし、今度は素早く抜き放った二刀の短剣でがっしりと、彼の一撃を受
け止めたのである。
「うぅっ」「……っ」
 何て身体のバネだ。オーギュは素直に感心した。
 体格差は軽く二周りを越えている。なのに彼女は、屈伸とこちらの力の流れを読み、小さ
な剣二本でその一撃を止めてみせたのだ。
「のわっ!?」
 そんなオーギュの背後を、再び牙虎が襲った。咄嗟に剣を引き、半身を返して背中方向に
転がるオーギュ。割り込んできたこの猛獣と少女ニケ、二対一の戦いに転じる。
(拙いな。これじゃあ、ジリ貧だ。せめてこの虎を何とかしないと……)
 大振りの牙虎の間を縫うようにして、ニケが巧みに短剣を振るってくる。
 ぶわっ。オーギュの眼に、その網目状の刀身と刃先から垂れる雫が見える。
(あの形状……毒か)
 相手は本気だ。必死になっている眼で分かる。それも、どんな手も厭わないほどに。
 だから、オーギュは敢えて彼女と切り結んだ。喰らおう喰らおうとしてくる牙虎をかわし
ながら──否、主と組み合っているが故に迂闊に襲えない状況を作りながら、彼はこの少女
に向かって説く。
「もう諦めろ! 虎どもなら、俺も何度もやり合って呼吸から何から慣れてる。お前がどれ
だけこいつらを使えたって、こうして組み付いてりゃ実質一対一だ。……降参してくれ。君
みたいな小さな子が何で、こんな……」
 距離と取られ直さない──逃げられないよう、気持ち力を押し気味に剣同士をぶつけなが
らオーギュは問う。
 最初ニケは眉間に皺を寄せて黙っていた。ギチギチと二本の短剣が長剣の刃と交わる。
 だが彼の言葉にも、その闘志が衰える様子はなかった。むしろ安易な情けを掛けられてい
ると解釈したのか、憤りの感情を覗かせ始めてすらいる。
「……お前には関係ナイ。お前を倒せバ、ボク達の森、帝国焼かナイ。それダケ」
 確かにそう呟き、彼女は今まで以上に殺気を込めてオーギュの剣を弾いた。毒液を仕込ん
だ二刀の短剣がゆらりと、一歩下がるオーギュを見据えている。
「だから、っ! 手駒になったと? 守るもんか。そうやって君を体よく利用しているだけ
だと分からないのか!?」
「五月蝿イ! 奴隷になった奴ニ、説教される筋合いなんテ無い!」
 霞むような速さで、ニケの短剣が何度も迫る。
 オーギュは“説得”しながら、その攻撃をじっと受け防ぎ続けていた。時間が過ぎ、別の
鉄柵から二頭目の牙虎が投入されようとしている。
 増えた虎達は、ぐるぐると両者の周りを歩いていた。いつでもオーギュを食い殺せるよう
に。だけども彼がしつこくニケに組み付くが故に、圧し掛かれずに。
「……約束なんて守られるか分からないんだぞ。今の俺が、ちょうどその典型だ」
 再び鍔迫り合い。なのにオーギュの声色は妙に落ち着いていた。
 ふいっと反論できなくなるニケ。彼は、直後また打ち合いをしながら、言う。
「闘技場(コロシアム)で千連勝──帝国の決まりでは、それで奴隷は自由の身になれる。
だがどうだ。残り五勝となった時点で、あいつらはこんな試合を組んできた。明らかに俺を
潰す為だ。端っから約束なんて守りたくなかったんだよ。そんな連中が君の約束──森?
故郷を侵さないなんてこと、守ると思うか」
「う、五月蝿──」
「分かってるさ。どのみち蹂躙される。俺の故郷もそうだったからな。まぁ、うちの場合、
主君が“話せば分かる”と戦いの準備を二の次にしていた所為もあるんだが……」
「……」
 弾き合い。二人は距離を取り直していた。実況役や観客達が相変わらずやかましい。倒せ
殺せだのと五月蝿い。皇帝が、片眉を上げてじっとこちらの様子を眺めている。
「だから、一応言っとく。後悔するような手は採るな。戦え。それで結果奴らに潰されたと
しても……無駄じゃないさ。無駄でたまるか。こんな力任せの国、そう長くはもたねぇよ」
 ハッとニケは一瞬目を見開いたようにみえた。
 だがそれだけである。それでも少女はオーギュからの言葉を所詮揺さ振りと捉えて、自ら
唇を噛み締めて自戒するように殺気を立てると、再び地面を蹴って襲い掛かろうとする。
「──長くは、もたねぇよ」
 だがオーギュはこれを迎え撃たなかったのだった。むしろ両者の間合いが空いたのを察知
して襲い掛かる二頭に増えた牙虎らの腹を、屈み込みながら一気に剣で薙いだのである。
 どうっと二頭が倒れた。血を流し、そして突然苦しみ出して……白目を剥き、泡を吹く。
「何ガ……? ッ!? まさか」
「そう。そのまさかだよ。理解が早くて助かる」
 ニケは自分の得物を見ていた。その網目状の──表面積を増やし、より効果的に敵へ毒を
塗りつける構造のナイフを見遣って、オーギュの、同じくその毒が付着して垂れる長剣の刃
を瞳に映す。
「やっぱ君は根はいい子なんだな。俺の話を、聞いてくれた。お蔭で邪魔な虎(こいつら)
を仕留める為の毒(ぶき)も調達できた」
 初めから彼はその心算だったのだ。敢えてニケと打ち合ったのも、しっかり自身の得物に
短剣の毒を写し取る為……。
 少女は唇を噛んだ。攻撃の要である牙虎達はもういない。次の三頭目が出てくるには……
まだ暫く時間がかかる。
「……よくも、騙したナ」
「半分な。でも俺の喋ったことは、嘘偽りないぜ」
 くてん。彼女はリングに膝をついた。一対一でぶつかるだけでは勝てないと、彼女自身も
自覚していたからだ。
 ポーズとして。オーギュが剣の切っ先を彼女の首筋に向ける。ゆっくりと、少女が短剣を
置いて両手を挙げ、降参の意思を示す。
『おおっと降参だー! しょ、勝者、またしてもオーギュ選手ー!』
 実況役の戸惑いがそのコールに篭っていた。観客達のブーイングが少なからずあった。
 馬鹿どもが。だがオーギュはこれでいいと思った。
 今更過ぎるが、目的の為とはいえ血に染まらないに越した事はない。

(あと……一人)
 最後の戦いに備えてリング整備の間仮眠を取ったが、オーギュはあまり眠れた気がしなか
った。残るは投げナイフ二本と長剣一本。これだけで果たして一千勝目を飾る事が出来るの
だろうか。
『さぁ、いよいよここまでやって来てしまいました! 御前試合最終戦、先ずは挑戦者オー
ギュ選手の入場です!』
 場内から歓声が上がっていた。しかしそれは決して好意的なものではなかろう。五人目、
最後の刺客。その人物が自分を倒す瞬間を彼らは心待ちにしているのだから。
『続いて一千勝を阻む最強の刺客! ディーガ選手!』
 リングに差す日がいつもよりも眩しく感じる。
 気力はもう立っている事自体拒むような有様だった。だがオーギュはリング片面にスタン
バイし続け、この向こう側から歩いて来る対戦相手をじっと見据える。
「……」
 鎧騎士だった。全身黒ずくめの鎧騎士だった。
 途端、ディーガコールが観客中から沸き起こる。オーギュは既に剣を抜き放っていた。対
して相手の装備はこの分厚い鎧に長盾、剣先が半月状に広がった大剣。
(こいつは……今までの奴らとはレベルが違うな)
 オーギュはそう、殆ど直感的に感じ取っていた。
 今まで勝ち残れたのは、ひとえに相手もまたある意味“素人”だから、剣闘士だからだ。
 だがこの相手はどうだ? 違う。感じる。かつての自分と同じ──騎士が纏う雰囲気と同
種のものを。即ち職業柄の戦闘経験の多さという普段のアドバンテージが、おそらく彼には
通用しない。
(……正規兵か。最後だけあって必死だな。観客も、剣闘士じゃない云々にもう突っ込む気
はなしか。或いは本気で気付いていないだけなのか……)
 両者は並ぶ。一人はごくりと喉を鳴らし、一千勝目を迎える為に。一人は尚も黙し、大剣
を持ち上げもせずにただじっとこちらを見つめている。
『両名準備は宜しいですね? では御前試合最終戦、ディーガ対オーギュ──開始ッ!』
 そしてゴングが鳴った。オーギュにとって最後の障害を払い除ける時が来た。
 今度はオーギュの側から攻め入った。飛び込んだ。のんびり観察する余力はおそらく持て
ないだろう。ならばいっそ叩き込みながら、相手の癖を見定めるしかない。
「……」
 初撃は盾で防がれた。しかし次の瞬間、死角から大回りに抉り込むように大剣が斬り上げ
られてくる。
 オーギュは反射的に身をこの大剣側に若干移し、刀身を盾にしてこの一撃を受け止めた。
強烈な衝撃。だがそれもディーガは読んでいたようで、次には空いた右脇を、その長盾の突
進でもって打ってくる。

「──中々粘りますな。腐っても元軍人、ですか」
「しかし大丈夫か? 一千勝を阻止する為に、我が国の騎士まで動員したというのに……」
「心配するな。ディーガは騎士団の中でもきっての剛の者。オーギュも連戦で少なからず疲
労している。すぐに押し返すさ」
「……」
 始まった第五戦、オーギュの一千勝目を賭けた大一番。
 ガラス壁に守られた観覧席で、皇帝の取り巻きらが不安や自信を口々に浮かべていた。豪
奢に飾り付けられた椅子にヴィドー王は、そんな彼らを半分無視するように肘をついて試合
の推移を観ている。
「いいや、用心に越した事はない。おい、下階に行ってトラップの発動頻度を最大レベルに
引き上げるよう伝えろ。あと狙撃隊にも配置につくように。奴隷に、夢を叶えさせるな」
 うち神経質な老齢の臣下がそう兵らに指示し、彼らが慌てて散っていく。
(……妙だな)
 それでも尚、ヴィドー王自身はじっとリング上で激しく入れ替わり立ち代わりして競り合
うオーギュとディーガを観ていた。
(余の記憶が正しければ、ディーガはもっと膂力に頼った戦い方をする騎士だった筈だが)

「っ、はぁ……っ!」
 何度目とない反撃、こちらの攻撃が弾かれて、オーギュは内心じわじわと焦りを覚え始め
ていた。
 ……堅い。あの盾も大剣も、ことごとく自分の攻撃を防いでしまう。
 次第に押され始めているのを実感していた。積み重なった疲労が少しずつ、しかし確実に
脚にキているのを自覚しながら。
(こっちが勝ってるのは身のこなしだけか……。隙がない。どこから突いても的確に迎撃さ
れちまう)
 どうにも違うと思った。最初見た目のゴツさからしてもっとパワーに頼った攻撃をしてく
るのかと思いきや、実際はカウンター型で巧みに相手の勢いを利用してくるタイプであると
みえる。
 流石は世界屈指の大国の将か。
 本来、出自などからすればなら仇である所の相手だが、今はただ純粋にその武芸に感心せ
ざるを得ない。
「くっ……!」
 そうして、再び剣と剣を克ち合わせる。ギチギチと激しく鍔迫り合いをする。
 駄目だ。相手の装備からしても、力押しでどうにかなる相手ではない。
 鎧だ。どうにかしてこいつの動きで生じる(物理的な)隙を、見つけなければ──。
「そう必死にならないでいい。オーギュ殿。私は、貴方を殺すつもりなどないのだから」
「ッ!?」
 なのにだ。そんな時、はたと鎧の中からそう呼び掛けられたのである。
 穏健な声音だった。ごつい黒騎士鎧の姿からは想像もつかない、いい意味で優男のそれで
ある。オーギュは思わず混乱した。剣こそ尚も鍔迫り合いは続いているが、この時ペースは
一挙に相手に取られてしまったと言ってよい。
「ああ、離れないで。暫く私と、戦っている演技(ふり)をしてください。まだ仲間達から
の合図が出ていないのでね。シエルさん──貴方の恋人を、ある意味今一番戦火から遠い場
所に避難させたのも私達です。ご協力、してくれますね?」
「……! じゃああれはお前の。お前は誰だ? 帝国騎士のディーガ、じゃねえな?」
「ええ。本物の彼なら今頃瀕死の傷を負って簀巻きになっていますよ。私はティアナ聖教国
聖騎士、セオリム。此度結成された連合軍に加わっています」
「連合軍……??」
 しかし二度三度、彼──ディーガの鎧を被ったセオリム主導で剣戟を演じつつ、オーギュ
はいきなりの話に頭がぐるぐると混乱し切りだった。
 聖教国(ティアナ)。海の向こうの大国じゃないか。何故こんな所に?
 いや、それよりも何故こいつはシエルを助けた? どうやって奴隷街から連れ出した?
確かに三戦目、ロワイアの敷いた策は彼女本人が観客席(あそこ)にいる事で一気に瓦解し
てくれた訳だが……こいつらに何の得がある?
「全ては貴方のおかげですよ。元ランバート共和国第二軍団長オーギュ・ディアマット殿。
貴方が闘技場(コロシアム)での御前試合という好機をもたらしてくれたお蔭で、私達はこ
の国を落とす事ができる」
「!? 落とす……? それって」
「ええ」
 そして──そんな時だったのだ。十数度目かの鍔迫り合い(の演技)の最中、突如会場上
空に大砲の音が響き渡ったのである。
 観客達が天を仰いだ。
 これも演出か? しかし実際の試合のタイミングとはまるで違う。そもそも興行の大筋を
把握している筈の実況役でさえ、ポカンと口を開けて空を見上げている。

「へ、陛下! 緊急事態でございます!」
「……どうした」
「敵襲ですっ! 陛下不在の王宮に突如大挙して軍勢が押し寄せ……。既に状況は平時の守
備では持ちません。半数以上が敗走を始めていると」
「そ、それと奴隷区にも。どうやら奴隷達を解き放とうとしているようで……」
「──」
 ビキビキ。ヴィドー王の眉間に次々と血管が浮き上がっていた。
 周りにいた臣下らを睨み付ける。ひぃっと彼らは慄き怯え、すぐに確認と対応を取らせる
べく動き始める。
「ご、ご報告ー!」
「闘技場(こちら)にも軍勢が迫って来ています! 包囲され掛かっています! 陛下、急
ぎ離脱を!」
「……。余の留守を狙ったか、小癪な……」

 混乱は加速度的に会場全体に広がる。
 観客達も、他国の軍隊が攻め入っていると聞き、我先にと逃げ惑い始めていた。しかし如
何せん人数が多い。敵の思う壺だと警備要員らが制止に掛かるが、もう動き出した群集とい
う大波は彼らには止められなくなっていた。
「……帝都に、敵軍?」
「そうです。我々は長年、少しずつ水面下で仲間達を潜ませ続けていました。全ては帝国を
倒す為。世界中に戦火を撒き散らす、巨大な悪をその根本から絶つ為です」
 黒騎士──もといセオリム曰く、帝国の拡充政策に苦慮していた聖教国(ティアナ)以下
各国は、密かに打倒帝国のため結集していたのだという。
 年々拡大していくかの国の版図。遅々としてしか進まない自軍の勢力。
 しかし今回、オーギュがその一千連勝を賭けて御前試合に望むという情報を受け、今こそ
好機だと上層部は判断したのだそうだ。
 御前試合。即ち皇帝ヴィドーは王宮から闘技場(コロシアム)へとその居場所を変える。
しかし王宮はそれでも権力掌握の象徴であることに変わりはない。
 だからありがとうとセリオムは言った。貴方の戦いは、何もシエルさんだけの為のもので
はなかったのだと。
「……そう、だったのか」
 もう演じる必要もない。
 ぶらりと剣を手に下げ、オーギュは混乱極まる観客席を見ていた。その一角でこちらに向
かって親指を立て、おそらくセリオムの仲間達らしき男達がシエルを護るようにしてその人
ごみの中へと紛れていく。
「行きましょう、オーギュ殿。お疲れとは存じますが、もう暫し我々と共に戦っていただき
たい」
 ガチリ。鎧のバイザーを開けて覗いたのは、そう促す優男の眼。
 リングの向こうでも戦いが始まっていた。入り込んだ彼の仲間らが自分達を捕らえようと
やって来た帝国兵らと一戦交えていたのである。
「……ええ。喜んで」
 差し出された手を握り返し、オーギュは再び握る剣に力を込めた。とうに心身は連戦の疲
労を蓄積しているのに、不思議と全身から力が漲ってくる。
 恋人(シエル)が無事だからか。
 帝国への意趣返しが出来るからか。
 もう一千勝だの約束の反故だの、閉じたセカイの心配もせずに自由になれるからか。
 それとも……その全てか。
「おぉぉぉぉぉーッ!」
 駆け出す。兜を脱ぎ捨てたセオリムと共に走り出す。剣を引っさげ、帝国兵へと向かって
いく。先ずはこの「自由」をもたらしてくれた恩人達を、手助けする。
「せいッ!!」
 一閃。
 大きく跳躍したオーギュの一撃が、この帝国兵らをまとめて吹き飛ばした。
                                      (了)

スポンサーサイト
  1. 2015/02/01(日) 18:00:00|
  2. 週刊三題
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(雑記)口を塞ぐものは何か | ホーム | (書棚)感想:夏目漱石『それから』>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://higurasisouann.blog27.fc2.com/tb.php/552-992b2c97
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

訪問者累計

最新記事

最新発言

検索窓

月別履歴

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

分類/索引

【案内板】 (2)
【小説:短編】 (20)
本の蟲 (1)
硝子野不動産店 (1)
夏の日の幻影 (1)
四番線の彼女 (1)
夢視の宿 (1)
線を曳く町 (1)
炬燵の神様 (1)
三者三盗噺 (1)
色眼鏡 (1)
奴らは攻城戦師 (1)
詰め替える (1)
同じ籠の狢 (1)
二十年後の遺言 (1)
轍の先 (1)
水に流せば (1)
真夜中の御二柱 (1)
いつか見た夢 (1)
神様達の初詣 (1)
白い花束 (1)
丸の代償 (1)
【小説:長編】 (141)
Amethyst League (6)
アンティーク・ノート (3)
ユウキのヒカリ (5)
NIGHT GUNNERS (5)
レディ・ルーン-Bonds of RU'MEL- (6)
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- (83)
死に損いのデッドレス (5)
Dear SORCERY (4)
サハラ・セレクタブル (24)
【企画処】 (315)
週刊三題 (305)
その他参加物 (10)
【資料庫】 (15)
【落書帳】 (6)
【詩歌帳】 (6)
【雑記帳】 (303)
【読書棚】 (30)
【遊戯倉】 (23)
path. (4)
decide: (3)
ユー録FW (15)

記事録

交友関係

このブログをリンクに追加する

(RSSリンク)

(QRコード)

QR

@long_month からのツイート