日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)白だ黒だとルサンチマン

もーいーくつ寝ーるとー、寝正月──すらあっという間だったよ\(^q^)/

明けました。一応おめでとうございます。
少々遅めの新年のご挨拶と替えさせていただきます。こんにちは、長月です。

ぶっちゃけ私個人、結局年末年始というのはあまり実感が沸かないまま、気付けば終わって
いた感じでしたねぇ。一応部屋の大掃除などはしましたが、それ以外の周辺の慌しさは寧ろ
創作活動の邪魔(ノイズ)だ程度にしか捉えていなかったように記憶しています。今思えば
何とも重症化する一方の中毒──ある種「狂気」にも近い感覚なのでは?とすら自分で自分
が恐ろしくなったりもするんですがね……。
(元々創作は“趣味”の側であって、先ずもって第一になるのは現実の日常及び生計である
べき筈なのに)
辛うじて月頭の三題ラッシュに新作のプロット作り、あと何時ものユー録月一執筆。
そもそも、もっとそのエネルギーを注ぐべき現実(たいしょう)はあろうものなのですが、
どちらにしてもすぐヘタりがちなコンディションを整え直さねば_(⌒(_;=△=)_-3

……今年こそは、もっとちゃんと他人と関われるようにしないといけませんね。
もう自分は、すっかり時間が許す限り己の「好き」に没頭してしまう。
故にそれ以外の諸々が煩く感じられてしまうし、多分その没頭が、また自身の人付き合いの
下手さに悪循環の一押しを加えているんではないかと思うのです。

生身の対人スキルだけではなく、ネット(こちら)側でのそれだって。
オンオフ問わず自分は人の輪(特に“盟主”の強権が振りまかれるそれ)に馴染めず、大き
過ぎると萎縮してしまうし、その人達が「成功」してしまうと自分には利用価値は見出され
ないだろうと気付けば距離を置いてしまいがち。
そもそも高圧的な相手・態度自体が苦手で、その集団で“争い(議論という皮を被ったもの
も含む)”が日常的に起こるようならば、十中八九もう「駄目」です。結局、嗚呼やっぱり
自分は無理なんだな。人間とは“こんなもの”なんだなと憎──冷めてしまう。
ポジティブ教徒に改宗する(できる)気は今も全くしないけど、だからといってその諦念と
憎念だけで生きるのはやっぱり宜しくないと思うのですよ。曲がりなりにも物書きを名乗る
ならば、そこで安住せず、何とかそれらを昇華する方向に物語達も自分の精神自身ももって
いかなければφ(・_・;)

……そんな感じで文筆と人格、身分、この両輪が今年少しでも一人前に近付き、以前よりは
他人様に胸を晴れる男に為れればいいなぁ。
そんな事を、今はぼやっと思っています。何だこの挨拶_| ̄|○


新年一本目から愚痴るのは宜しくないとは思うのですが、やはり暦が一つ加算されたぐらい
では人間ってものは変わらないのだなぁと。

何でしたか。皮切りは確か、天皇陛下の年始の挨拶だったかと思います。
「歴史を学んで」そんな一節を切り取り、右巻き左巻きの有象無象、自称言論人どもが新年
早々お互いの主義主張をぶつけ、或いは哂い合っているのを見て、やっぱり今年も去年と同
じく世は諍いで満ちるのだなぁとげんなりしたものです。
他にも早々、僕のツイッタ(小日記)で呟いた単語に反応したのか、突然相互でも一方でも
ない垢がふぁぼってきたかと思えば──反ア○ノミクス的な呟きを蒐集、並べる事で、おそ
らくはその主張の“多数派さ”を誇示したいらしい輩でした。

嗚呼、厭だな……。ていうか自分の言葉で語れよ。他人の褌で相撲をとるな(苛)
以前大きく問題になった、所謂まとめサイトの転載に怒り心頭になって全面対決すらした、
当時の某アングラBBS民らの気持ちが今になって分かったような気がします。
個人的には年末年始にかけ、マウスにヘッドホン、眼鏡と身の回りの必需品が次々に壊れて
しまって幸先が悪いなと感じているのに(新調はしました)こう面倒というか、厭な出来事
がプラスされると余計に気分が落ち込んでしまいますよ。
(ちょうど年が変わるんだし(持ち物が新しくなるのは)区切りがいいじゃないと、一方で
知り合いの創作人さんからはそんなポジティブな見方が出はしたものの……)
なんででしょうね?
世の少なからぬ人々は何故そこまで、ああも自分の「正しさ」を信じる事が出来るのか……。

一つ目を惹いたエントリがありました。曰くイデオロギーは一神教の信仰に近い、と。
ああそうかもしれない。その時僕は思いました。
「正しさを信じる」というのは、多分厳密ではないんでしょうね。むしろ彼らが抱いている
「正しさ」の範疇からはみ出す反対意見を「駆逐」する──その行為自体が、その実彼らの
(仮初でしかないとはいえ)安寧を担保しているのではないでしょうか? 実際辞書的にも
イデオロギーという語は闘争性を含みますから、あながち間違ってはいないのでしょうし。
往々にして外野の人間達が彼らを冷めた目で見つめ、距離を置きたがるのは、そもそも彼ら
のような人種が、議論や共生をその実望んではおらず、只々排除排除──俺達の望むセカイ
が欲しいんだ!と願っているから。その触れれば怪我しそうな全身の剣呑さを何処かで知っ
たり感じたりしているからなのでしょう。

ルサンチマン、という言葉があります。これはざっくり要約すると「持たざる者が持つ者に
対して抱く敵意」の念です。強者に対する憤り、怨恨、憎悪、非難──これら思念は嫉妬や
羨望に起源がある、自己欺瞞の感情と云われています。
「義憤」といえばパッと思いつくでしょうか。心当たり、記憶があると思います。
今に始まった事ではないものの、何かしら“事件”が起こる度に、その当事者を(そもそも
無関係な筈の第三者が)寄って集って非難する。口撃する。所謂炎上という現象が起きる。
そしてこうした現象が、今日何も社会的「強者だけ」をターゲットに発生しない現実に、僕
はかねてより恐ろしさを感じてきました。
以前、僕はこの世界を読み解くキーワードの一つに“憎悪”があると言いました。さてはて。
ではその“憎悪”が織り成す心模様は、果たしてそう単純な二項対立であるのかどうか。
一面ではそうです。ミクロに観れば……確かに非難する(火をくべていく)側とくべられる
側です。でもマクロに、この世の中全体を観れば……何もくべる側・くべられる側は必ずし
もそれぞれ固定的ではない。くべる側が、ある状況においてはくべられる側になる事だって
珍しくはない──弱者Aが「上」のBを憎み、Bがより「上」のCを憎み、或いはAやBが
Cなどの「上」の存在を憎む──そんな複層的な連鎖が厳然として在る事が、恐ろしい。

僕は諍いが嫌いです。
それは当初、争い合う人達に“単純”に辟易してきたからでした。気付けばそれは僕にとり
トラウマとなり、彼らの言う「正しさ」の内容に拘わらず、諍いの事実それだけでそれらを
全て壊してしまいたくなる程の衝動を催す、スイッチであり続けています。
でも……ここで分けて把握して、胸に留めておかないといけない事があると思うのです。

一つはこの衝動が酷く個人的な起源──おそらく他人(かれ)らのイデオロギーと同じもの
である事を忘れないこと(そうでないと今度は僕が、この「諍うなというイデオロギー」を
他者に押し付けるだけの末路になる)
一つはこの衝動から発した人嫌い──自身の人付き合いの苦手さは、きっと克服すべきもの
であるということ。過去古くも最近の辟易でも、その憤りを目の前にいる現在(いま)の彼
彼女にぶつけてはならない(別者な)のだということ。
そして何よりもう一つは……人々の憎しみを憎むからこそ、他ならぬ自分自身がその憎念に
呑まれてしまっては、その憎念の中で留まったまま「満足」してはならないということ。

“話し合えば誰であっても理解し合えるという前提がそもそもの間違い”
“解り合えないから、喧嘩になるから、国境(領分)ってものがあるんだろ”
(それでも喧嘩するんだから世話ないが)

時に誰かが、時に僕自身が、このネットの海で嘯きます。それは実際全くの間違いだとまで
は言えないのでしょう。
でも……少なくとも現状僕は、そこまで出会う人全てを簡単に切り捨てていくのは難しいと
感じています。僕も人間ですから、そりゃあ堪忍袋の緒が切れて「もう限界だ」となる事も
少なからず経験して来てはいますが……やっぱりその度に暫くは自己嫌悪に苛まれますよ。
「あいつは切り捨てられて同然だ」と、非情に(つよく)はなり切れない自分がいます。
筋金入りのネガティブ教徒、性悪説を身に沁みて生きてきた御仁達には「甘い」と哂われる
のでしょうか? だけど僕は──彼らの思いに半分は賛同できても、もう半分は賛同できな
いままでいる。少なくとも僕という人間は、あそこで彼らと“一緒に立つ”べき者ではない
ような気がして。

僕は(アマチュアですけど)物書きです。言葉を起こす時は大抵、物語です。
人が煩い。諍いが憎い。だけどもその感情「だけ」を物語の箱庭に詰めて、立ち寄った人間
に叩き付けてドヤ顔するままでは……書き手としては一流ではないと思うのです。たとえ物
語世界自体が暗くとも、僕はやっぱり諍いを無くしたい。メッセージなるものらを解釈され
たり、或いは物語の中で追体験した嬉々なり暗澹なりを現実に持ち帰って貰って、同じ事が
またそちらでも満たされるように(ないし二度と起こさないように)と願うようになって貰
えれば嬉しい。……それは結局、間接的な価値観の流布(巷の喧伝家どもと本質は同じ)だ
と責められるかもしれないし、そもそも理想論だとご都合主義だと受け付けない──前段の
ような人達を借りれば、良くも悪くも魂が屈折してしまった人達もいるのだろうけど。

甘いのかな? まだ世界に期待している部分がある、甘ちゃんなのかな?
それでも同じ穴の狢にはなりたくないな。誰から見ても……なんてどだい無理だけど、僕は
憎念のままに白を黒に、黒を白に裏返すことに心血を注ぐような人間になってはいけない。
寧ろぐぐっと憎念の存在は否定せず(したって消えないし)とも、彼らのそれをしっかり見
つめては写し取り、見直し返す為の箱庭を作る職人?になりたい。

ともすれば、そんな卑怯な野望など。

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  1. 2015/01/05(月) 18:00:00|
  2. 【雑記帳】
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<(歌帳)とある物書の気紛短歌 2015 | ホーム | (企画)週刊三題「エンゼルテイル」>>

コメント

知ることが良いことだとは限らない。
なんて言葉をこの記事を読んで思い出しました。
すみません、それだけですが。
  1. 2015/01/05(月) 20:42:22 |
  2. URL |
  3. 幹也 #-
  4. [ 編集 ]

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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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