日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅴ〔58〕

「──俺達に、頼み?」
 夜中、はたと訪れた統務院からの使者(らいきゃく)の言葉に、ジーク達は思わず顔を見
合わせていた。
 世界権力の元締めがわざわざ人を? 一同はそう思ったが、どうやらこの使者達当人も、
こうして派遣される──頭を下げに向かわされるのは内心本意ではないらしい。
「はい」
「“結社”の魔人(メア)、クロムに関してです」
 ぶすっとした、仏頂面のままに返された言葉。
 しかしそれはジーク達にとって、待ちに待った情報でもあった。
「あいつのこと知ってんのか!? 教えてくれ、今あいつは何処にいる!?」
「……落ち着いてください。お静かに。機密事項ですので」
「現在彼は、監獄島の一つ、ギルニロックに収監されています」
「かんごく……じま? ギルニロック……?」
 思わず詰め寄ってきたジークに、使者達はあくまでそんな慇懃無礼さで。
 眉根を寄せてそう彼を押し戻し、声量を抑えて出たフレーズに、ジークは目を瞬きながら
仲間達の方を見遣る。
「統務院が罪人達を収容する為に所有している、監獄用の浮遊大陸のことよ」
「霊海に浮かぶ孤島、と言った所だな。普通、大陸同士は連絡の為に飛行艇の航路が張り巡
らされているものだが、あそこは脱獄を防ぐ為、敢えて人や物の出入りを厳しく制限してい
ると聞く」
「へぇ……」
 リュカがサフレが、補足するように答えてくれた。
 使者の胸倉から手を放し、ゆっくりと数歩後退する。なるほど、道理で情報が見つからな
かった訳だ。
 眉間に皺を寄せて、キュッと使者が首元の乱れを直す。
 すると大都(バベルロート)での一戦に立ち会っていないミアが、不思議そうに小首を傾
げて言った。
「でも、それで何故ボク達の出番なの?」
「……それが彼の要望──突き付けてきた条件なのですよ」
「現在、使徒クロムはギルニロック最下層の牢にて取り調べを受けているのですが、この男
は随分と強情でしてね。『ジーク・レノヴィンとその仲間達に話すのが先だ』と、頑として
口を割らないのです」
「何せ相手は魔人(メア)。ちょっとやそっとの痛みなど応えませんし、そもそも“結社”
の核心に迫れるかもしれない生き証人をみすみす失うのは忍びない」
「そこで上層部は、皆さんに協力を仰ぐ旨の決定を致しました。我々と来てください。ギル
ニロックまでご案内します。……貴方がたにとっても、彼らの仔細については知りたい筈と
存じますが」
 クロム……。息を呑むジークの呟きが、返答を促す使者達のそれと重なり合った。一方で
仲間達はそれぞれに驚き、思案し、或いは不安な表情を浮かべている。
 特に当時迷宮内で本院と一戦を交え、その寝返りの契機を作ったダンは、ガシガシと髪を
掻きながら俯き、難しい顔をしている。
『……』
 渋い表情(かお)。またその点では使者達も同じだった。
 彼らはあくまで一国の皇子らに対し礼節を保ったまま告げてこそいるが、そのサングラス
の下には苦渋を、気に食わないという本心が静かに滲み出ているように思う。
「どうするよ? ジーク」
 やがて自身のうなじを撫でつつ、くいっとダンがこちらに視線を投げてきた。
 仲間達も侍従らも、それぞれ不安や緊張の面持ちではありながら、その返答・意思決定は
同じく他ならぬジーク自身に委ねることで一致している。
「……勿論、行くよ。あいつとは一度、じっくり話さなきゃって思ってたんだ」
 皆をぐるりと見渡し、ジークは答える。首肯。その返答はやはり皆想定していたらしい。
 ダンが口元に小さく弧を描いて片眉を上げる。サフレがじっと目を細め、リュカとマルタ
が苦笑や安堵で胸を撫で下ろすのを、ミアは横目に見ている。オズはそんな仲間達と侍従、
主のさまを交互に見つめ、ただじっと茜色のランプ眼を瞬かせている。
「有難うございます」
「では、早速飛行艇を手配致しましょう。明朝、改めて伺いますので、それまでに御支度の
程を」
 深々。最後まで無愛想なままの一礼を。
 意気込むジークの言葉(へんじ)に、使者達の反応はあくまで冷ややかだった。


 Tale-58.獄なるセカイに彼は想ふ

 此処ギルニロックは王貴統務院直轄領の一種、重犯罪者収監特別区──通称『監獄島』の
一つである。
 所在地は顕界(ミドガルド)西方、領空としてはヴァルドー王国西奥の霊海上。
 ギルニロックを始め各地の監獄島は、その設置目的から外界との交通手段が大きく制限さ
れている。
 具体的には就航する飛行艇の便数、ないし通行者資格の厳格運用など。基本的にここでは
新たに収監される罪人達の護送船の他、定期的に出入りする物資運搬船を除いて進入できる
ルートは存在しない。それはひとえに世を震撼させた犯罪者達を、万が一にでも野に放って
しまわない為だ。
 自力での脱出はほぼ不可能。
 霊海に浮かんだ、その陸地全てが牢獄という名の要塞。
 それが此処、監獄島ギルニロックである──。

「見回りお疲れ様です!」
「ああ。地下封印房まで頼む」
 人工的な灯りしか点っていない暗い石材の廊下。
 そこにずらりと張り巡らされた鉄格子の向こうとこちら側を見張るゲートの前に、一人の
青年将校が足を運んでいた。
 セラ・ウゲツ。まだ若いながらこの監獄島で副署長を務める人物だ。
 軍帽の左右から垂れた髪は黒。いかにも真面目そうなその瞳も黒。腰には太刀を一本差し
ているなど、紛うことなき女傑族(アマゾネス)である。
 彼は門番の獄卒達から敬礼を受けつつ、行き先を指示した。ややあって詰め所の横にある
昇降機の扉が開く。
 供は連れず、彼は一人昇降機の中に乗った。魔導と機巧仕掛けの金属箱が、ゴゥンゴゥン
と不気味な音を上げながら地下深くへと潜っていく。
「……」
 島全体が牢獄、何層にも渡る構造を持つ当監獄島にあって、地下層は特に凶悪な罪人達を
収監しているフロアである。
 チン。小気味良い金属音が鳴り、昇降機の扉が開いた。
 刹那その視界には、ぼんやりと照らされた暗闇と、こちらを見遣る無数の視線がある。
『ウゲツだ……』
『統務院の狗が来たぞ』
『出せ、ここから出せ!』
『畜生っ! ぶっ殺してやる!』
 轟々。収監された凶悪犯らの恨み節が耳に響いた。しかしウゲツはもうとうに聞き慣れた
とでも言わんばかりに視線一つ移さず、真面目に顰めた表情のままカツカツと無骨な石畳の
上を進み、両サイドの彼らの只中を通り過ぎていく。
(やはり、胸糞が悪い……)
 監獄の副署長という要職にありながら、ウゲツは数日おきの署内巡回を欠かさなかった。
 それは彼のまめな性格故というのもあるが、何より彼自身、罪人溢れ返る今日(いま)の
状況に対して思う所があったからだ。
 ──キリがない。
 大雑把に言ってしまえば“迷い”なのであろう。或いは甘さなのか。
 彼は内心疑問に思っていた。毎年毎年、程度の差こそあれ、収監される罪人は増える一方
なのである。
 それは即ち、それだけ現在の世界──王貴統務院が治めるこの顕界(ミドガルド)に不満
を持つ者が多いということだ。だからといって公の秩序を破壊せんと凶行に走る向きに賛同
する訳ではないが。
 しばしば思う。此処に、或いは他の監獄島に収監された者達は何を思ったのだろう? 事
実上二度と社会に復帰できないような烙印を押されると分かっていても、それでも彼らを突
き動かしたものとは何だったのだろう?
 貧困、転落、憎悪、思想信条。
 それこそ罪人の数だけ事情も理由もあるのだと思う。だが、それらを全て世界にとっての
悪として断じ否定し、一絡げにし、人々の目に見えぬ闇の中に閉じ込めるだけで解決すると
は到底思えない。
 確かに、次善の策ではあるのだろう。
 しかしそれが曇りない“正しさ”かと問えば……否であると思う。
「おらっ! さっさと吐けッ!」
 そうして廊下を進んでいくと、やがて音が聞こえた。
 バシリッ、バシリッと打ち付けられる鞭の音。あらん限りの力で叫ばれる罵りの声。
 ウゲツは「またか……」と静かに嘆息をついた。
 廊下の最奥。対“色持ち”専用の封印房が広がる一角で、今日も看守達が「取り調べ」を
行っていたのである。
「いつまでもだんまりが通じると思うなよ!?」
「どうせお前は始末されるんだ。署長達のお手を煩わせるな!」
 封印房の中に、鉄製や棘の付いた鞭を振るう数名の看守達がいた。
 次から次に放たれる一撃、飛び散る血。だが、散々に打ちのめされている筈の当人は、悲
鳴の一つも口にせずにただじっとこれに耐え続けている。
「……」
 鉱人族(ミネル・レイス)の僧侶だった。その両手足には魔導を封じる呪文(ルーン)を
刻んだ重い枷が嵌められている。
 名をクロムといった。先の大都消失事件を起こした“結社”の使徒の一人だという。
 彼はただじっと黙して俯いていた。一薙ぎ鞭が打たれる度に、その褐色の肌にぱっくりと
鮮血の傷が走る。
 しかしそれらは次の瞬間にはひとりでに塞がっていく。半ば不死身に近い肉体、彼が結社
の魔人(メア)であることの証だった。
 故に血の跡、汚れだけが残る。只々彼は俯き、じっとこの看守達の「取り調べ」が終わる
のを待っていた。……だからこそ、看守達の苛立ちは解消されるどころかむしろ日に日に増
してすらいる。
「……学習しない者達だ。言ったろう。君達に話すことはない」
「黙れ! 貴様、自分の立場を弁えて──」
「いいのか? 話すことは簡単だ。だがそれを聞いたが最後、君達は世界中にいる“結社”
構成員らから命を狙われることになる。その覚悟が……本当にあるのか?」
 うっ──!?
 捕らわれた筈の側と、捕らえた筈の側。しかし今この瞬間、両者の力関係はまるで逆転し
ていた。血塗れ、ボロボロになった囚人服姿になっても尚、衰えることのないクロムのその
眼光と迫力に、看守達は思わず鞭を振るう手を止める。
「お前達!」
 そこへウゲツが気持ち早足でやって来た。その声に彼らが半ば反射的に敬礼のポーズを取
ってみせてくる。
「またやっていたのか。無駄だよ、彼は口を割らない。ジーク皇子を連れて来なければ、本
気でこのまま黙秘を続ける気だ。魔人(かれ)にならそれが出来る」
『……』
 無闇な取調べ──否、拷問は止せとウゲツは何度も注意した。
 しかし彼らがその鞭を手放さず、行為が二十回を越えた辺りから彼はもう一々注意する気
も起きなくなっていた。
「先日、統務院の使者がフォーザリアにおられる皇子達の下へと向かったらしい。数日中に
もこちらに来られるだろう。取り調べは彼らを伴ってからだ」
 改めてじっと彼らを見渡し、ウゲツは言う。しかし看守達はどう見ても納得していないよ
うだった。
 面従腹背。罪人達への武力行使は何も今に始まった事ではないが、よほど彼という存在が
腹に据えかけているらしい。
「……気持ちは分からないでもない。今まで“結社”は散々世界中で事件を起こしてきたか
らな。だがそのメンバーだからといって、魔人(メア)だからといって、好き放題傷付けて
いい訳じゃないだろう? 私達はあくまで監視員であって、裁きを下す側の人間ではないん
だぞ?」
 改めての説教を。だが看守達の気配はやはり反抗的だ。
 中にはぶつくさと、視線を逸らしながら反論まで呟く者すらいた。
 魔人(メア)を庇うんですか? “結社”は世界の敵ですよ? 副署長は甘過ぎる──。
「何だ? また血の気の多い部下達の躾か?」
 そんな時だった。ふとカツンと靴音がし、場の皆が思わず強張る人物が姿を現した。
 猛牛(バッファロー)系獣人の大男──ギルニロック署長、ケヴィン・イーズナーだ。
 流石のウゲツも、看守達と共にびしりと敬礼せざるを得なかった。
 軍服がはち切れんばかりの隆々とした体躯、威圧感。その咥え煙草からはゆっくりと煙が
立ち昇っている。
「しょ、署長!?」
「どうして此処に……?」
「ウゲツに用があってな。聞けばまた封印房の方へ見回りに行ったと聞いたから、もしやと
思ったんだ」
 カツンカツン。彼は牢屋越しにクロムを見た。
 血で汚れ、あちこちが破れた囚人服。両手足に繋がれた封印の枷。対するクロムもまた、
無言のままゆっくりと顔上げると、この最高責任者と暫し見つめ合う。
「もうじき次の交替組が来る。お前達は戻って休め。何があっても大丈夫なように、状態だ
けは万全にしておかんとな」
『はっ!』
 肩越しに一瞥と声を掛けられ、それまで燻っていた看守達は蜘蛛の子を散らすようにその
場から駆け出して行った。
 その時、彼らの何人かがこちらを睨み返したように思えたが……ウゲツはもうどうしよう
もないと気に留めないよう努める。
「あまり締め付けてやるなよ。皆が皆、お前のように清廉な心を持っている訳ではない」
 ケヴィンは言った。ゆっくりと踵を返し、一歩二歩と来た道を戻り、敢えて声量を抑える
ようにして一人残されたウゲツに言う。
「私はこれから会議に出なければならない。先の消失事件で捕らえた“結社”達の処遇につ
いて、統務院上層部でもまだ意見調整がつかなくてな。暫く通信で付きっきりになる。皇子
達の下へ使者は行っているのだろう? すまんがその間、私に代わって応対して欲しい」
「は、はい。それは構いませんが……」
 用事というのはこの事なのだろう。ウゲツは気を引き締めた。
 だがそれでもこの胸のもやもやが晴れないのは何故か?
 ……分かっている。彼らも署長(このひと)も、目の前で行われている理不尽に正面から
挑もうとしていないからだ。
 迫害じゃないか。入れ替わっただけじゃないか。
 世界も、祖国も。
 ただ殴った側が殴られる側に変わっただけじゃないか……。
「ウゲツ」
 ぽつり。こちらに背を向けながらケヴィンは言った。
 沸々として始めていた気持ちが、ふいっと解される気がした。彼の声は、きっと密かに哀
しかった。
「お前は“正しい”よ。だが、その正しさが他の誰かにとっても正しいとは限らないんだ。
どんなに綺麗な“正しさ”よりも、もっと私的な感情がその者を上回るなんてことは珍しく
ない。お前は真面目だからな……ついその“正しさ”を他人にも強いてしまう。まぁ、それ
がお前の良い所であり、危なっかしい所でもあると私は思うんだが……」
 フッと、ケヴィンは肩越しにそう複雑な苦笑を浮かべていた。ウゲツもまた、その面持ち
を真っ直ぐに見据えて、だからこそ固く唇を結ぶ他ない。
「あまり囚人に情を掛け過ぎるな。潰れるぞ。……私はお前のような優秀な部下を、こんな
所で失いたくはない」
 思わず眉間に皺が寄った。声にならない声が出そうになった。
 しかしケヴィンは小さく告げると、そのままゆっくりと歩いていき廊下の向こう側、暗闇
の奥へと消えていく。
「……」
 灯りの火達が揺れている。黙したままクロムが地面を見つめている。
 片手で胸を掻き抱き、俯いた視線。
 そのまま暫く、ウゲツは牢屋の前に立ち尽くした。

 使者達が言っていた通り、翌朝には飛行艇がチャーターされていた。
 そう大きくはない小型の船。人数もそう多い訳ではないし、悪目立ちしてマスコミに嗅ぎ
付かれるのを警戒しているのだろう。夜も明け切らぬ薄暗い内に、ジーク達は早速これに乗
り込み目的地を目指した。
「──見えましたよ。あそこです」
 そうして霊海上空を西に飛ぶこと数刻。一行は操縦士の向けてきた一言に、一斉に窓へ寄
って行っては眼下に現れたそれを見る。
 監獄島ギルニロック。その姿は確かに空の孤島であった。
 浮遊大陸(りくち)同士が霊海を介して離れていることはそう珍しくはない。だがそこは
土地自体が比較的に小振りなそれである事に加え、遠目からも分かるほど外敵に備えた要塞
の様相を呈している事でより孤立した印象を与える。
 吹き過ぎていく風が、無数の魔流(ストリーム)が鳴いていた。
 ジーク達はじっと、丸く切り取られた窓ガラスからその全景を見つめ、誰からともなく改
めて緊張した面持ちになる。
「あそこに、あいつが……」
 そんな一行の中で、とりわけ神経を尖らせている人物がいた。
 土色の髪をアップにまとめ、着古した作業着(ふだんぎ)姿で先程からぐっと、窓際の壁
に指を立てている女機巧技師──レジーナだった。
 睨み付けるような眼。咀嚼しようにもまだ自浄し切れていない感情。
 そんな相棒を、同じく簡易のスーツを着たエリウッドが、その視界の端に捉えたまま佇ん
でいる。
(……やっぱ、恨んじゃうよなあ)
 二人は昨夜、使者達が帰った後すぐに連絡を入れて誘った格好だ。導話の向こうで大層驚
いていたようだったが、クロムと対面できると聞いて程なく二人も同行を申し出てくれた。
 だがしかし。一方でジークは、本当に彼女達を呼ぶべきだったのだろうかと内心不安を抱
いてもいる。フォーザリアは勿論、大都(バベルロート)も。相次いだ事件を仲立ちに、彼
らには少なからぬ仇怨がある。
 自分としては……組織を裏切ってまで皆を助けてくれた彼を憎み切れない。そこまで心変
わりした理由が知りたい。
 あわよくば。もう気取られているのかもしれないが、そう思っている。
 だからこそ、レジーナさんにはきっと気分のいい事にはならないだろう。
「あの。レジーナさん、エリウッドさん」
「……ん?」
「その、ギルニロックに入ってからの事なんですけど」
 なのに微笑(わら)っていた。ジークが意を決して言ってしまおうと思っていた言葉を、
やんわりとエリウッドが遮ったのだ。
「……分かってる。団長さん達から大体の話は、あの迷宮(なか)で何があったのかは聞い
てるよ。話し合いもした。仮に向こうでレジーナが暴走しようものなら……僕が止める」
 言って一瞬、スーツの懐に手を。
 ガチリと金属の音が聞こえた。あの時と同じく、護身用に持っている拳銃だろう。
 見ればレジーナもちらっとこちらを振り返っていた。表情こそ不服、むすっとしたものだ
ったが、彼の話通り、少なくとも復讐(せいぎかん)を振るう為に一緒に来ている訳ではな
さそうだ。
「皆さん、そろそろ着陸致します。席に着いてベルトを装着願います」

 操縦士と、そのすぐ後ろに控える例の役人達が、何度か映像越しにやり取りをしていた。
 読み上げられたコード番号とこちらの映像を確認、着陸許可が降りると、いよいよジーク
達を乗せた飛行艇は高度を落としながら監獄島へと入っていく。
 植樹スペースこそ点在しているものの、その地面は殆どが黒く固い石材で均されていた。
ゴゥンゴゥン。やがて飛行艇は唸りを上げながら地上の係員らの誘導を受け、どしりとその
巨体を落ち着ける。
「お待ちしておりました。私の名はセラ・ウゲツ。当監獄の副署長を務めさせて貰っており
ます。本来は署長のケヴィンがお迎えするべき所なのですが、現在所用で手が放せない状態
でして。代わりに、我々が案内させていただきます」
 そして船旅を終え、タラップを降りたジーク達を出迎えたのは、一人の青年将校率いる島
の関係者達だった。
 ウゲツと名乗ったその青年。髪と瞳の色からして女傑族(どうほう)らしい。
「……おう。よろしく頼む」
 だが一瞬、ジークは彼に妙な違和感を覚えていた。
 単なる気のせい、知識のなさなのかもしれない。こっちが祖国の皇子だからという事なの
だろうか。
 軍人の割には随分洒落ているというか、女傑族らしく(ぶじんぽく)ないというか……。
 それでも脳裏を掠めたのは数拍の事。ジーク達はそのままウゲツら関係者らに案内されて
ギルニロック内部へと入って行った。
 外の草木も伴った要塞とはまた一味違った、剥き出しの閉塞感。
 流石に統務院直轄の監獄の一つというだけあって、その内部は冷たく暗い石造りという、
らしい雰囲気に包まれている。
 ウゲツと二十人ほどの獄卒、及びここまで同行してきた侍従の武官らに先導され、囲まれ
ながら監獄内を往く。
 やがて程なくして一行は、その内部を上下に貫く昇降機へと乗り込んだ。
「使徒クロムが収監されているのは、当監獄の最下層。地下封印房です」
「封印房?」
「対魔導、錬氣使いの為に作られた厳重なエリアです。ここに収監された囚人は皆、手足に
魔導を封じる呪文(ルーン)入りの錠を嵌められ、抵抗の術を持ちません。既に警備要員ら
も増員して待機させてありますので、ご安心を」
 昇降機がゴゥンゴゥンと降りていく中、ジーク達はウゲツとそう幾つかのやり取りをして
到着を待つことになった。
 何はともあれ肝心のクロムについて。
 どうやら彼はかなり高いレベルの警戒の下に置かれているらしい。
「……ジーク様」
「うん?」
「その、深入りする形を承知でお聞きしたいのですが、何故使徒クロムは頑なに貴方がたを
名指しにするのでしょう? 大都(バベルロート)の折、彼と何かあったのですか?」
「あ~……。それはぶっちゃけ、俺もよく分かってねぇんだけどよ……」
「迷い、だそうだ。何でもあいつ、フォーザリアでジーク達を仕留める間際に躊躇いっての
を持っちまったみたいでさ」
 少し思案したように口元に手を当てた後、ウゲツが訊ねてきた。
 それはむしろこっちが知りたいくらいなんだが……。ジークは苦笑いを零したが、それに
答えてくれたのは壁に背を預けて黙していたダンだった。
「どうやらあいつにとって“救い”の有り無しどうのこうのってのは随分と大きな問題だっ
たらしい。ま、あの見てくれからして坊さんなのは間違いないからな。でもって、そのおか
しな方向にぶっ飛んでいた考えを、こいつの無鉄砲さが叩(はた)き直したんだとよ」
 わしゃわしゃ。笑いながらダンはジークの頭を撫で回していた。
 当のジークは、その掌の大きさに気持ち沈みながらも為すがままにされ、ミアやサフレが
妙に白い眼でそれを見ている。
「一度あいつとはかち合った身だが、少なくともただの快楽殺人者って訳じゃなさそうだっ
たぜ? あんたも此処のお偉いさんなら多少どんな人間かは見てるだろ? 今までの罪は、
消えないがな」
『……』
 リュカは口元に手を当ててじっと考え込んでいた。マルタも最初こそダンの話を聞いて表
情を綻ばせていたが、ややあって一方で皆のそれが浮かないままであると気付いてしゅんと
してしまう。
 オズはランプ眼を点滅させつつ、エリウッドと顔を見合わせていた。
 そんな中レジーナは箱の隅で、居た堪れないといった感じで視線を逸らしたまま、じっと
片肘をついたまま動かない。
「……なるほど。心を許した、という訳ですか」
「そういう事になると思うんだがな。とはいえ、肝心の話ってのは実際に会ってみねぇこと
には分かんねぇけど」
「俺達に先ず、か……」
「一体、私達に何を伝えたいんでしょう?」
「どうなのかしら。でも彼は“結社”の内部にいた人物、幹部クラスよ。少なくともこれま
で以上に踏み込んだ話が聞けるとは思うわ」
 仲間達も、階が深くなるにつれ不安と期待がより入り混じるようになっていた。
 ひそひそ。マルタのハの字に垂れ下がった眉のまま訊ねる声に、リュカは彼女を優しく励
ますように答えている。
「……お言葉ですが、あまり期待はされない方がいいかと」
「我々の経験からして“結社”達の拘束力は非常に強いです。彼もまた、延命の為に自分に
都合のいい相手を呼び出している可能性は、ない訳ではありません」
 だが同伴する獄卒らは、一方でそう消極的な意見を持っていた。
 何を……? そしてジーク達は、ただ言葉なく頭に疑問符を浮かべる。
 嗚呼そうか。世間的にはまだ、あいつが事件の最中に鞍替えしたことはちゃんと広まって
いないんだっけ。
 まだ大半の人間は、あくまで彼が統務院に“捕らえられた”と思っているのか……。
「……そうですね。情報さえ引き出せれば、上層部も生かしておく必要はないでしょう」
 だからこそ、ウゲツが彼らの諫言に同調してそんな事を呟いた次の瞬間、ジーク達は思わ
ず目を見開いていた。
 それは即ち、殺されてしまうという事か。
 しかし幾らなんでも、現場のいち責任者がこの場で断言してしまうのは拙いのでは……?
「い、いいのですか? 話してしまって」
 加えて動揺したのは獄卒(ぶか)達も同じだったらしい。今更ながらこちらの顔色を窺い
つつ、尚も流れゆく昇降機の外を見つめているウゲツに顔を向けつつ、彼らは言う。
「──」
 コクリ。ちらりとこちらを見たウゲツは、小さく首肯していた。
 ダンの話も大きかったのかもしれない。彼はもう、自分達をただ会いに来ただけの顔見知
り程度では済まないと考えたのだろう。
 ジーク達が息を呑む。視線で、未だ若干戸惑う彼らに促した。
 獄卒らは互いの顔を見合わせていた。しかし上官の首肯(きょか)もある。このまま黙っ
てしまうのは印象が悪かろう。
「……これはまだ内々の話なのですが」
「魔人(メア)クロムは、近い将来公開処刑されます」


 私は、顕界(ミドガルド)西方北部、マインロッキーの山々の一角にある鉱人(ミネル)
の里に生まれた。
 生家は、先祖代々僧侶を輩出する信仰に篤い一族だった。そんな両親や親類・縁者を見て
育ったからか、やがて成人した私はさも当然のように同じく信仰の道に入ることになる。
 ……神とは何か?
 少し言及を割こう。その正体は遥か天上層に棲む創世の民・神格種(ヘヴンズ)である。
 創世。その異名の通り、彼らはこの世界が始まった頃より存在した。
 幾つもの世界に分岐し広がっていく世界樹(ユグドラシィル)の生育を見つめ、守護し、
その少なからぬ者達が後世神話として語り継がれる張本人となった。
 故に彼らは──今でこそ後発のそれらが多くを占めようになったが──現在に至るまでず
っと“不滅の存在”であり続けてきたのである。
 語られること。即ち、信仰。それが彼らの力の源だ。
 同時にそれは彼らを不滅たらしめる全てでもある。神格を得る以前、彼らの多くは不死身
でも何でもなかった。しかし人々に祀られ、畏れられ、語られるようになった時、彼らは神
と為る。物理的な肉体を必要とせず、信仰というエネルギーの集合体によってその不滅性を
維持する。彼ら神格種(ヘヴンズ)が他の種族と大きく異なる点はそこにあると言えよう。
 幼い頃は、ただ漠然と「神」を信じて、見様見真似に祈りを捧げていた。
 しかしいざ信仰の道に──僧侶として学び、修行を積む中で神格種(かれら)の詳細を知
る事となって、私の中では二つの思いが同居し始めた。
 一つは「神」が実在すると知った嬉しさ。
 そしてもう一つは、あくまで「神」は“信者にとっての神”でしかないという事実。その
事実に対する、ある種の失望に近い念であった。
 神は、その奇蹟を自らを信仰する者達の為に振るう。
 信者は、その恩恵が故に彼の者を信仰し、その思念がエネルギーが神を神たらしめる。彼
の者はそれ故に、信者に「のみ」救いの手を差し伸べる。
 ……当たり前の話だ。そう言ってしまえば確かにそうなのだろう。
 ギブアンドテイク。信じる者は救われる。だが私は修行を続ける中でずっとこの“常識”
に違和感を覚え続けていた。やがて一人前と認められ、僧侶としての実績も積み、相応の地
位に就くことが決まっても尚、結局私の中のもやもやは晴れる事はなかった。

『僧都(そうず)クロムエル・オルダイト。貴殿をサディーハ院の住職に任命する』
 二つの出会いがあった。
 内一つは転勤。地底層の一つ、器界(マルクトゥム)のとある寺院を任される事になった
点である。中には自分を左遷されたと噂する同僚もいたが、私は特に不満ではなかった。こ
れも修行の一環、より歳月を重ね、修行を積めばいつかこの胸の靄(まよい)も消えてくれ
るのではと、この頃はまだ信じようとした節があったからだ。
 地底層。魔界(パンデモニム)、器界(マルクトゥム)、幻界(アストラゥム)。
 魔族と総称される四種族がその多くを占め、一年を通して薄暗い闇が空一面を覆う地。
 私は赴任した後、ずっと寺の軒先でそんな空を見つめていた。或いは雑念を断ち切らんと
読経や写経に丸一日を費やし続けたこともある。
 この地底層の更に深くには、冥界(アビス)──俗に言う「あの世」が在る。
 肉体から剥離し、彷徨う死者の魂は、かの地に流れ着き、死神達の導きによって閻魔らの
裁定を受けることになる。そして三存(肉体・精神・魂)の分離を防ぐ結界に守られながら
やがて彼らは再び世界を巡る魔流(ストリーム)に乗り、次の生誕の時を待つのだ。
 転生。この魂の、生命の再生産こそ輪廻の真実である。
 だからこそ……私は思った。ならば、ここまで修行の道に苦する必要はなかったのではな
いか? より良い転生の為の信仰上の善行。だが実際により深く潜れば直接逝けるのなら、
そもそも神が信者の──己が力の源の為にのみ動くのであれば、この営みに果たして意味は
あるのか?
 救いなど……何処にも無いではないか。
 私達は“生かされて”いる。この世界のサイクルに、歯車として回り続けて。
『──う~ん。クロムさんは、神様にいっぱい期待し過ぎてるんじゃないかなぁ?』
 だが、もう一つの出会いがあった。
 名をシオンという。鬼族(オーグ)の、私が赴任した寺院にしばしば足を運ぶ熱心な信徒
の女性であった。
 年中薄暗い空をものともしない鮮やかな赤と白の着物、何より屈託の無い笑み。
 私達は、いつしか膝を突き合わせて語り合うようになっていた。住職といち信仰者。そん
な肩書きの差など酷くつまらないと思えるほどに、彼女の言葉は明朗だった。
『期待、し過ぎる?』
『うん。大事なのは神様が万能かどうかじゃないと思うの。困った時に支えになってくれる
誰かがいる。信じるって、そういうことなんじゃない?』
『……』
 そうだったのだ。今思えば、彼女はあの若さにして足るを知っていたのだと思う。
 尤も本人はその素晴らしい境地を自覚していなかったようだが……。少なくとも私は此処
に来れてよかったと思った。彼女と、彼女のような瑞々しい信仰に出会う事ができて、一体
どれだけこの穴だらけの胸奥が救われたことか。
『神様もクロムさんも、私達も。それぞれが手の届く人達と幸せになれれば充分じゃない。
それって、凄く素敵なことだと思うよ? 私も……幸せ』
『シオンさん……』
 肩を寄せ合った。どちらからという訳でもなく。気付けば私達は惹かれ合っていた。
 そうなのかもしれない。
 何も“全て”を救おうとしなくてもいい。ただ、すぐ傍にある幸せに気付いて、少しずつ
皆がそれを守っていければ……。地道ではあっても、そうすればきっとより多くが救われる
結末を迎えることが出来るのかもしれない。
『シオンさん』
『うん?』
『来週、私は本山の総会出席のため一度地上(むこう)に戻ります。そうしたら──』

 あの年の総会は、今も強く記憶に残っている。
 それだけ醜かった。忘れられないあの瞬間に繋がっているからだ。
 私が所属していた宗派本山で開かれたこの総会は、次代の執行体制を決める為の話し合い
と投票を行う事が主な目的だった。
 誰それが相応しい。いや、私が立候補する──何時の間にか、修行時代の同期らは組織内
の権力争いに躍起になっていた。畳と座布団時期の中ずらりと左右に相対した、喧々諤々に
“議論”する中で、ただ私だけがこの場に似つかわしくないと感じた。
(シオンさんが、町の皆が待ってくれている。手の届く幸せなら、もう私は得た……)
 だが同期らは、当時の執行役員らは、私がこの駆け引きにまるで興味を示さなかったこと
に大いに落胆・侮蔑していたらしい。
 特に失望したのは、その向きに私の両親や親類らも加わっていた事だ。
 あのまま順調に実績(くどく)を積めば、或いは大僧正にも推されたというのに……。
 私は結局言い出せなかった。彼らの俗物な欲に応えられぬまま、紹介したい女性(ひと)
がいると切り出す場面は終ぞ見つけられなかった。
『それに、重視すべきは地底層(した)での布教活動です』
『ここ数年、あちらでも開拓は進んでいます。今後、多くの人々が富の中で思い煩うことで
しょう』
『我らの神の奇蹟を、より多くの方に受け入れて貰わねば。既に他派の本山も幾つか新拠点
獲得に動き出しているとの事……』
 加えて事態は更に悪化していった。私が彼らの勢力争いに与するしないに拘わらず、己が
神への信仰をより多くの人々に取り込もうと各宗派間の抗争が顕在化していたのである。
 特に重なった時期が悪かった。信仰のそれとはまた別に、顕界(ミドガルド)と地底層と
の政治情勢においてもまた大きな事件が起きてしまったのだ。
 ──地底層における、反開拓派の武装蜂起。それらを鎮める為に動員された、王貴統務院
連合軍との武力衝突。
 これに各宗派の武僧部門が加わり、各地の争いは本来の必要以上に燃え上がる。
 私は居ても立ってもいられなかった。本山の重鎮らに、他派の武僧らにすぐさまこんな戦
いを止めるよう何度も書簡を出し、陳情にも走った。
 しかし……もう止められなかった。誰にも、最早。
 そうしてあの日、報せを聞いて私は本山を飛び出した。顕界(ミドガルド)を降り、今や
自分の唯一心安らぐ筈だった場所へと舞い戻った。
『シオンさん! 皆さん!』
 最初、私は目の前の事が信じられなかった。受け入れたくなかった。
 瓦礫の山と化していたのである。山野は焼き払われ、町はことごとく壊され、そして彼女
と過ごしたあの寺院も──跡形もなく無惨な姿を晒して。
『……クロム、さん』
『シオンさん! 大丈夫ですか!? 何てことを……。こんな、酷い傷……』
 後々で突き止めた話では、複数の宗派の武僧達が町の近くで衝突し、その戦火が広く近隣
の集落にまで広まったのだという。
 蹂躙された。打ち壊され、焼き払われた。
 要の私(じゅうしょく)が不在であるのをいい事に、奴らは他の神とその信徒を赦さず亡
き者にしようとしたのである。
 身体中が戦慄いていた。己の無力を、人生を酷く恨んだ。
 何故彼女達が巻き込まれなければならない? 犠牲にならなければならない?
 ただこの人達は……すぐ手の届く所にある幸せを抱き締めて、慎ましく美しく生きていた
だけだというのに。
『す、すぐに手当てを。いや、医者を──』
『いいの』
 なのに、彼女は微笑(わら)っていたのだ。こんな理不尽を受けて、自身瀕死の傷を負わ
されているにも拘わらず、あんなにも優しく微笑(わら)っていたのだ。
『自分の事は、自分が一番分かってる。他の、まだ動ける皆をお願いします。……ごめんな
さい。貴方のお寺、守れ、なかっ……た……』
『──ッ?! シオンさん、シオンさんッ!!』
 傷だらけ、煤だらけになりながら、フッと彼女の身体が腕の中で軽くなる。
 動かなかった。動かなくなった。応えは返って来なかった。つぅっと意識する前に、頬か
ら冷たい粒が流れ落ちていた。
『ぁ……。アァァァ──ッ!!』

 闘いは終わった。地底層三界の各地を幾つもの焼き跡と廃墟に変え、武力衝突は統務院側
の圧倒的勝利で幕を閉じた。
 その後の事はよく知らない。ただ反開拓派の暴走という汚点を外交カードに、以降地底層
でも強力に開拓が進められていったことは間違いない。
 まるで、始めから無かったかのように。
 あの戦いで、無数の悲劇の中で失われたもの達の上に、一つまた一つと開拓政策の恩恵が
上書きされる。
 ……私は彼女達を丁重に弔った後、一族の猛反対を無視して所属宗派から脱会した。
 もう期待することなど何も無い。彼らも、家族・親類縁者も“敵”にしか見えなかった。
 風の噂では後年、あの宗派は衰退の一途を辿ったらしい。
 私は脱会後、十年以上に渡り、山奥に篭った。
『な、何故だ? 何故今になって私達の前に現れた!? クロム!』
 理由は──決まっている。復讐だ。
 私は十年以上、山奥で己を鍛え続けた。戦士に必須である錬氣法の存在も知り、その極意
も猛特訓の末に修得した。
 突然山を降りた私に、かつての同期らは大層驚いていた。あの日宗派を抜けた時点で、彼
らの中ではとうに記憶から消えた──死んだも同然の相手だったのだから。
『……解らないのならそれでもいい。冥界(アビス)で永劫、自分自身に問い続けろ』
 止めっ──!? ボロボロの血塗れになった彼らを、私は一人一人、その居場所を突き止
めては殺し歩いた。
 身につけた《鋼》の拳。鉱人(ミネル)の硬質化能力。
 その全てが、この瞬間の為に磨かれてきたのだ。
 殺した。殺して殺して、殺し回った。
 最期まで醜い争いを止めなかったかつての同胞達。あの日、彼女と町の皆を奪った武僧の
グループも勿論、一人残らず捜し当てて皆殺しに。
 ……なのに、私は何一つ満たされなかった。去来するのは、酷く虚しい脱力感だけ。
 当たり前といえば当たり前だ。どれだけあの日に関わった者達を殺しても、あの人が帰っ
てくる訳じゃない。むしろ自分のこの行いは、彼女の魂を泣かせていたことだろう。

 救いは、無いのか?
 神格種(かみがみ)は人の争い、生死に関わる大事にすらその奇蹟(ちから)を振るおう
とはしなかった。
 解っている。彼らは自らが消えるのが怖いのだ。
 Aを守ることでBを失う。彼ら神格種(ヘヴンズ)にとって“信仰”が減ることは己が存
在の不滅性を脅かす死活問題なのだから。
 だから人は死ぬ。いつも時代と強き悪どもの理不尽に曝されて、その魂達はいつか深き底
の冥界(アビス)へと流れ往く。それを、私達はただじっと見つめる事しか出来ない……。

『──あっちに逃げたぞ! 逃がすな、確実に仕留めろ!』
 それでもこんな私にも遂に年貢の納め時はやってきた。幾度目か、他人を殺して回る私を
討伐する為に差し向けられた軍勢に、私は深手を負わされ敗走していたのである。
 彼らの怒声が聞こえる。幾つもの足音とガチャガチャと鳴る銃剣の金属音が聞こえる。
『……』
 私は思わず転がり込むように倒れていた。逃走中、山奥にとある洞窟を見つけ、そこに身
を潜めて大きく息を荒げていたのである。
(ぬッ──!?)
 しかし妙に苦しい。傷の所為ではない。何だかこの場が、妙に臭うような……。
 気付いた時には遅かった。そこは忌避地(ダンジョン)だったのである。
 じくじくと瘴気が私を蝕んでいた。奥で魔獣の気配がする。吸ってしまった瘴気がゆっく
りと身体の中を侵していく感触がする。
 意識が朦朧としてきた。嗚呼。いよいよ自分も、ここで終わるのかと思った。
(シオンさん……)
 眉間を顰めていた。あの失われた笑顔が忘れられない。
 終われなかった。今も世界は争いで満ちている。このまま転生しても、きっと私達は何処
かで不幸と理不尽を繰り返す。
(私は……)
 気付いてはいた事だ。二の轍だったなどと。
 どれだけ彼女達の死を悼んでも、その報いの為に拳を振るっても、結局自分はそんな争い
の環に取り込まれているに過ぎないのだと。
 力なく手を伸ばした。視界が霞む。それでもまだ、死にたくなかった。
 救いを。この世界に……真の救いを。
 もうあんな目に、もう二度と、全ての魂らが哀しまぬように──。
『ほう? この状況でまだ求めるか』
 そんな時だったのだ。不意にざりっと、耳元で砂利を草を踏み締める音がした。
 枯れ黄の、フード? よく見えない。だが、誰かがいる。
 一人、二人、三人……。
 気付けば見知らぬ何者か達が、力尽きゆく私をそっと取り囲んでいたのである。
『……よし、決めた。ねぇ君、僕達と来るかい? 君は……見込みがある』
 そしてそんな朧気な視界の中、フードの彼がそう屈み込んで来ると、そっとその手を私に
差し伸べてきて──。

「起きろ! おい起きろ、魔人野郎!」
「……」
 乱暴にまどろみから叩き起こされた。一瞬大きく揺らいだ目の前の世界に、思わずクロム
は静かに眉を顰めた。
 伝わる冷たい石の感触、血痕だらけの身体、手足に嵌められ鎖で繋がれた封印錠。
 そうだ。決して戻っては来ない。
 もう二度と彼女達も、あの日失ったものも……。
「ったく。よくもまぁあれだけタコ殴りにされてて眠れるよなあ。ムカつくな」
 見れば牢の前にずらりと看守や獄卒達が並んでいた。
 腰の警棒や剣、或いは肩に担いだ長銃。これはまた随分と物々しい様子だが……。
「喜べよ。てめぇの駄々が叶ったぜ?」
「ジーク皇子達だ。今こっちに降りて来てる」
 親指で背後を差し、吐き捨てるように。如何にも面白くないといったように。
 見下ろす彼らは、そう面を上げてきたクロムに対して告げる。


 公開処刑。
 獄卒の一人から発せられたその一言に、昇降機内(ば)の空気が一瞬にして凍り付いた。
 ジークと仲間達は勿論、どうやら初耳だったらしい他の獄卒らも。
 そんな皆の様子をウゲツはじっと肩越しに見つめている。じっと感情を押し殺すような表
情をしている。ジーク達はすぐには言葉が出なかった。皆それぞれに目を丸くし息を呑み、
定まらぬ視線を方々に向けて黙している。
「……やっぱりお咎めなしとはいかねぇか。詰まる所、見せしめか」
 横たわった重い空気。
 だがそれを破ったのは、またしてもボリボリとうなじの毛を掻いたダンだった。
「死んで償えるものならね。フォーザリアだけじゃない。今までだって、散々……」
「そうですけど……。でも、本当に効果があるんでしょうか? 相手はテロ組織です。仮に
彼の処刑で統務院の面子が保てたとしても“結社”はそれを『尊き犠牲』と言い張る可能性
が高いですよ?」
「聖戦……」
「でしょうね。どちらにとっても、彼の命は今や戦略材料(カード)だ」
「で、でも! クロムさんはあの時、仲間になってくれた筈でしたよね?」
「エエ。ソモソモコーダス様ヲ救イ出セタノハ、彼ノ協力ガアッテノ事デシタ」
「大を取るか小を取るか、かな? 少なくとも僕達の立場じゃあ、処刑それ自体を覆すのは
難しいと思う」
「……」
 彼を皮切りに、仲間達が口々に言う。
 疑心や賛同、或いは諦観。
 しかしそんな皆の中にあって、ただ一人ジークだけは、壁に寄り掛かったままぎゅっと強
く唇を結んだままだった。

『そのおかしな方向にぶっ飛んでいた考えを、こいつの無鉄砲さが叩(はた)き直したんだ
とよ』

 先刻、ダンが言っていた言葉を思い出す。
 そういえば大都(バベルロート)の一件でも、迷宮の天辺で副団長はそんな事を言ってい
たっけ。
 どうやらクロムとは一度サシで戦ったらしいが、結局あいつがこちら側につく事になった
理由について、結局自分は何も詳しいことを知らない。
 改心してくれた……。そういう認識でいいのだろうか?
 仲間というフレーズ、文字通り身を粉にして黒騎士(ちち)とぶつかっていた姿。何より
そんな崖っぷちの転換を決意をしたにも拘わらず、戦いの後は罪人として捕らわれた現在。
 当人とて想定していなかった筈はないのだ。
 でも、それでも、このまま統務院(おかみ)の為に死ななければならないなんて……報わ
れなさ過ぎる。
「……俺は、処刑するべきじゃないと思う」
 ゆっくりと。ジークはそう固く閉じていた口を開いた。仲間達が、ウゲツ以下監獄の面々
が怪訝に静かにこちらを見遣ってくるのが分かる。
「あいつは“結社”の中身を知ってる人間だ。急いで殺るには勿体無さ過ぎる。それに殺し
てきたって意味じゃ……俺達も似たようなモンじゃねぇか。冒険者は魔獣を──元はヒトだ
ったかもしれない奴らを殺す。戦場で他人を殺す。オズに至っては元・戦争兵器だ」
『……』
 皆が黙り込んでいた。反論しようにも出来なかった。
 静動。激情に駆られるレジーナや獄卒らが視界の端でハッとしている。引き合いに出され
たオズも、その過去を抉られたにも拘わらず、それでも鎮痛なまま俯きがちな主を気遣うよ
うにそっと身を乗り出している。
「“敵”だから殺してもいい。そんな基準、幾らだってひっくり返せる──」
 吐き出し、絞り出すように呟いた言葉。
 ちょうどその時だった。昇降機が最下層に辿り着き、チンと小気味良い金属音を奏でた。
 誰も二の句を継がなかった。ただ「……案内します」とウゲツが扉を潜り、一行を目的の
封印房へと誘う。
 カツンカツン……。暫し石畳に響く足音と左右の囚人らの殺気を感じながら、ジーク達は
ただその最奥にある牢屋へと近付いていく。
「──」
 殺風景な牢の中に、彼がいた。
 既にずらりと並んでいたのは武装した獄卒や看守。その道を空けた奥にじっと座するよう
に、両手足に枷を嵌められ、血であちこちが汚れたクロムがこちらを見上げている。
「……来たぞ。随分、意固地になってるみたいじゃねぇか」
 最初、ジークはその姿に、身体中の血液が沸騰するような激情に駆られた。
 何だこのボロボロさは? てめぇら、今日までこいつに何をした──!?
 ジークはそう第一声を発する前、ぎろりとウゲツら関係者を睨んだ。だがウゲツを除き皆
が皆、そ知らぬ顔でわざとらしく視線を逸らしてくる。
「……要らぬ犠牲は増やしたくなかったのでな。……来てくれて有難う」
 ぱくぱく。クロムがフッと笑った、その事がジークをどうしようなく悶々とさせた。
 ダン以下仲間達も、すぐ後ろでじっと二人のやり取りを見守っている。クロム当人の指名
もあり、暗黙の内に代表するは彼以外にあり得ないと一致しているようだ。
「ムショ暮らしはきつそうだな」
「そうでもないさ。……君達だってこの先、統務院の身代わりをさせられるんだろう?」
 どうやら特務軍の件を、彼は聞き及んでいるらしい。ジークは仲間達と一度ちらっと顔を
見合わせた。
 嗚呼、そうだ。
 あまり無駄話をしている余裕なんてものはない。
「それで……何なんだ? そんなにされてまで、先ず俺達に話したいことってのは」
「ああ。積もる話は色々あるのだがな。しかし先ず……何よりもこれだけは君達に伝えてお
かなければなるまい」
 クロムはそう言って静かに目を細めた。核心に、本題に迫ろうとしていた。
 ジーク達がごくりと息を呑む。周りを囲むウゲツ達も多かれ少なかれこれに倣っている。
 彼はゆっくりと口を開き始めた。時間がにわかに酷く遅くなったように感じる。

 明朝、清峰の町(エバンス)の各戸に届けられる新聞。
 団長イセルナを囲む、クラン・ブルートバードの面々。
 中空に浮かぶ映像(ビジョン)らに向き合いながら会議を続けているケヴィンと、何処か
暗がりの中で身じろぎしている何者かの影。

「結社“楽園(エデン)の眼”の最終目的は──“大盟約(コード)”の完全消滅だ」

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  1. 2014/12/11(木) 18:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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