日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-〔1〕

『──……え、ますか?』
 何処からともなく声が聞こえた。
 それは途切れ途切れで弱々しくて、沈み込んでいるこの意識を弾き起こすには強さが足り
なかった。
 いや──そもそもここは何処なのだろう?
 辺りはしんとしている。閉ざされた黒。その筈だったのに、ふと意識を「下」に向けてみ
るとそこからは大量の淡い緑や青の光が静かに溢れてきているのが分かった。
 そしてそうした意識を、感覚を覆っているのは自由の利かない、それでいて何だかホッと
するような不思議な浮遊感。それらは何処からか聞こえてくるこの声と相まって、僕を優し
く包み込むかのような温かささえ与えてくれているような気がする。
『私の、声が……聞こえますか?』
 すると、フッと弱々しかった声がはっきりと聞こえるようになってきた。
 その声の主は、聞く限り多分女の人だろうと思った。
 優しい穏やかな声。間違いなく先程から聞こえていた声だ。
 意識がすうっと引き寄せられるような感覚。だけどその寸前で……気付く。
 彼女の声は、何処か押し殺した必死さのようなものを含んでいるらしいという事に。
『…………』
 その言葉の後、暫く彼女は黙り込んでいた。
 いや、もしかしたら聞こえなかっただけかもしれない。
 ──ここにいるよ?
 そう言おうとしたのに、声が出なかった。沈み込み浮遊する意識と同じように、もしかし
たら身体の自由もまた利かないのかもしれないと思った。
 その間も「下」では、深い深い奥底から湧き出す水のようにただ静かに無数の淡い光の粒
が漂ってはそっと消えてゆくことを繰り返している。
『もし……貴方が』
 やがて再び彼女が口を開いた。
『もし貴方に、この声が届いているのなら。もし貴方が、その意思と力を持つのなら』
 それは多分……懇願だったと思う。
 必死に自分の中の強い感情を抑え、あくまで冷静にこの人気の知れない薄闇の中に呼び掛
けるその声は、確かに願いだったと思う。
『……お願いです』
 だからその願いを、僕は何とか叶えてあげたいと思えた。
『どうかあの人を、止めて下さい──』
 次の瞬間、力任せに引き上げられるように意識が、奥底で瞬き続ける淡い光が、眼下に遠
退いてゆくのを感じながらも……。



▼第Ⅰ部『梟響の街(アウルベルツ)』編 開始

 Tale-1.廣きセカイの片隅で

 目の前には鬱蒼とした緑が広がっていた。
 人の手が満足に入っていない自然。そう言えば聞こえはいいが、多くの場合こうした場所
というのは“奴ら”にとっては身を隠す格好の棲み処になる。
 その日も、ジーク・レノヴィンは仲間達と共にそんなヒトと未開の境界線付近に佇みなが
らじっと待機をしていた。
 腰に下がっているのは愛用の三本の刀と、上着に隠すように差した三本の小刀。
 ばさつき伸びっ放しなその黒髪は彼自身の性格を覗かせるように紐で大雑把に後ろで括ら
れ、小さな尻尾のようになっている。
(シフォン達はまだか……?)
 じっと目を凝らして茂みの奥を見遣る。黒い瞳の中に未開の自然が映り込む。
 黒い瞳と髪。それは紛れもなく女傑族(アマゾネス)の血を受ける者の証でもある。
「団長、皆」
 ややあって茂みが揺れ、ストンと数名の人影が降りてきた。
 ジーク達が視線を向けると、そこには色白で尖り耳──妖精族(エルフ)の青年と他数名
の斥候役の仲間達。
「確認してきたよ。グラスホッパーとアラクネーがそれぞれ二十体前後といった所かな」
「俺達には気付いてないみたいだな。てんでバラバラにうろついてる」
「今なら一気に畳み掛けられるんじゃないっすかね」
 このエルフの青年、シフォン・ユーティリアらはそう先遣の報告を口にする。
 腰元の柄にそっと手を掛けたジークと、他の仲間達は誰からともなくその視線を集団の中
のとある人物らに向けていた。
「そう……。ありがとう」
 その先、ジークら面々の中心にいたのは四人の男女。
 一人はこの集団のリーダーでもある涼しげな美貌の女性、イセルナ・カートン。
 一人は戦斧を握る猫系獣人族(ビースト・レイス)の大男、ダン・マーフィ。
 一人は一見して神父風の黒の礼装に身を包んだ薄眼鏡の男性、ハロルド・エルリッシュ。
 一人は長太刀を腰に下げた、ジークと同じ黒い瞳と髪の女性、ホウ・リンファ。
 彼女達、そしてシフォンを含めたこの五人こそが、ジークらこの場の面々が所属している
冒険者クラン「ブルートバード」の創立メンバーでもある。
 シフォンら遊撃隊の報告を受け、イセルナはそっと口元に手を当てた。
 サァっと緑の奥から風が吹き、彼女の羽織るマントがなびく。彼女はその数拍の間を置い
た後、クランの団長として宣言する。
「じゃあ、早速任務開始といきましょうか。皆、打ち合わせ通り配置に就いて」
『応ッ!』
 その言葉を合図に、面々は一斉に散開を始めた。
 ダン、リンファ率いる前線の斬り込み隊が中央と左右の三方面に分かれ、そのすぐ後ろに
イセルナ率いる主力隊が長方形に陣形を取る。遊撃隊と支援隊は更にその後ろだ。
「準備はできてるよな、ミア?」
「……うん。大丈夫」
 斬り込み隊の第一陣の中に収まったジークが、ゆっくりと腰を落として刀の柄に手を掛け
ながら顔見知りの猫系獣人の少女──ダンの一人娘でもあるミアに声を掛けた。
 両腕に装着した手甲の下でポキポキと拳を鳴らし、静かに彼女は応える。
 戦斧の柄でトントンと肩を叩く父・ダンも、ちらと背中越しにその様子を見遣っている。
「ハロルド、レナちゃん。結界を」
「えぇ。レナ、始めますよ」「は、はい……っ」
 隊伍を整えた面々を確認してから、イセルナは背後を──支援部隊を率いるハロルドと、
その傍らで緊張気味に立つ彼の養女(むすめ)・レナらに呼びかけた。
 養父の言葉に、ぴくんと羽毛のような耳と背中に生えた真っ白な翼が揺れる。
 鳥系の亜人種・鳥翼族(ウィング・レイス)。レナはその内の白鳥系に当たる少女だ。
 大きく深呼吸をしながら目を瞑り、胸の前に組まれた両手。
 ハロルドと支援隊の面々は彼女のその動きを合図に、一斉に呪文を唱え始める。
『穢れ許さぬ金霊よ。汝、輝く糸を以って囲いの籠を紡ぎ給え。我は穢れを纏いし彼らに健
やかなる浄化を与えんことを望む者……』
 魔導。それは今や世界中の人々にとって欠かせない二大技術体系の片輪である。
 奇蹟という名の現象を司る“精霊”達と、特殊な共通言語たる呪文と自身の魔力(マナ)
を以って交渉し、その恩恵を借り受ける術(すべ)。
 それらは何も一般市民だけでなく、ジーク達のような冒険者にとっても様々な面で有益で
あることに変わりはない。
『盟約の下、我に示せ──聖浄の鳥籠(セイクリッドフィールド)』
 一般人にはただの雑多な音声にしか聞こえない古代の言語。
 だが詠唱が完成した次の瞬間、ハロルド達の足元に人数分の金色の魔法陣が展開された。
 同時に金糸のような無数の輝く線が周囲に広がり、あっという間に面々を中心とした一帯
は文字通り金色の鳥籠(ドーム)の中に包まれる。
『──ギギッ!?』
 驚いていたのは、茂みの向こうに思い思いに潜んでいたジーク達の“標的”だった。
 鋭い針のような脚で蠢く大人一人以上の大きさはあるバッタのような生き物。
 同じく上半身が褐色の肌をした女性で、下半身が蜘蛛のような生き物。
 それらはまさに「怪物」という姿に相応しい。
 魔獣。それは“瘴気”に当てられ怪物化した者達の総称である。
 マナの劣化は、本来世界に存在する者全てを精神の面から育む生命エネルギーというその
働きを、それとは真逆の方向──生の終焉へと導く毒素・瘴気へと変えてしまう。
 魔獣とはその中にあって死滅せず、狂気の中で怪物と化してまで生き延びた存在なのだ。
「今よ!」
 ドームが形成されたのを見計らい、イセルナが叫んだ。
 同時に堰を切ったようにジーク達は得物を引っ下げて茂みを飛び越えると、虚を衝かれて
いる魔獣の群れとへ突撃してゆく。
「ふっ──!」
 ジークに目掛けてグラスホッパーの刃のような脚が振り下ろされた。
 しかしその一撃は地面を抉るだけで、当のジークはその伸ばされた脚を伝い一気に跳躍、
空中で二刀を抜き放つと前傾のベクトルに任せてその甲殻の腹に斬撃を叩き込む。
 そして上がる断末魔。
 バッタ型の魔獣は文字通りの“三枚に下ろされ”て切り裂かれ、地面に倒れた。
「ジーク、突出するな。複数で囲んで確実に仕留めろ!」
「分かってますって!」
 本来、生半可な攻撃手段では魔獣は倒せない。いや……死なないのだ。
 元より瘴気という生を蝕む毒にすら耐えて生き延びた魔獣は、普通の生物に比べて圧倒的
なまでの不死性を誇る。その凶暴さもさる事ながら、多少の傷ならすぐに塞がってしまう。
 そこで有効な方法は二つ。
 一つは魔導による遠隔攻撃であり、もう一つは錬氣法(マナ・コート)と呼ばれる戦闘に
特化したマナの制御法である。
 普段は生体が呼吸するのと同じように、大気中と身体中を巡っているマナを意識的に配分
する事で魔獣の治癒力を上回る威力を、魔獣の破壊力を上回る耐性を獲得できうるのだ。
 その為、この錬氣法は冒険者──特に魔獣討伐や兵力供与といった依頼を主に受けている
所謂「傭兵畑」の者達にとって必須技能の一つとなっている。
「どっ……せいっ!」
 真っ先に飛び込んでいくジーク、それに続く仲間達。
 ダンは副団長として若い面々に熱くなり過ぎないよう注意を飛ばしつつ、自身の得物であ
る戦斧に握り締める掌からマナを伝わせて振り薙いだ。
 迫ろうとしたグラスホッパーの前方両脚と頭を、次いで身体を回転させながら二撃目で後
方の甲殻の身体を粉砕する。典型的な強化の錬氣法だ。
「……ちっ! 今度は俺らが囲まれてるぞ!?」
「退くな、押せ押せっ!」
 その背後では、リンファ隊の面々が個々では拙いと踏んだらしい魔獣らの集団攻勢に晒さ
れ始めていた。
 繰り出されるグラスホッパーの刃のような足先や、アラクネーの刃のような五指。
 それらを面々はマナを配分した得物と強化を施した肉体で何とかしのいでいる。
「……。皆、少し下がってくれ」
 それでも中央に立つリンファだけは冷静さを失っていなかった。
 凛とした一声を仲間達に掛け、自分の背後に退避させる。
 すると彼女は腰に下げた長太刀の柄をそっと握り、
「トナン流錬氣剣──」
 深く長い息をついて目を見開くと、
「円(まどか)!」
 繰り出すしたのは、目にも留まらぬ高速の抜刀。
 次の瞬間、マナを纏った斬撃が宙に孤を描くように飛び、襲い掛かってくる魔獣達がその
一太刀の下に斬り伏せられる。典型的な放出の錬氣法だ。
 数の上では、確かに「ブルートバード」総出の兵力の方が上ではある。
 しかし相手は一般の人間では太刀打ちできない魔獣の群れ。
 それ故、結界で力を抑え込まれているとはいえ、そんな彼らを軽々と薙ぎ倒すダンやリン
ファに、ジーク達クランの面々は素直な感嘆の声を漏らしてしまう。
「やるなぁ……。副団長もリンさんも相変わらず強」
 すると、ジークの背後で短い気合の声と共に強烈な打撃音が響いた。
 思わず振り返ると、そこには背後から迫っていたらしい首ごとへし折られて絶命した魔獣
と、その当の殴り飛ばしたらしいミアの姿。
 その拳には、錬氣で強化されたマナが淡い光として漂っている。
「……油断しちゃ、駄目」
「あ、あぁ……。悪ぃ、助かったよ」
 それはそれだけ高濃度のマナを拳に込めていたということ。
 感情の読み取れない淡々とした声色でこちらを向く彼女に、ジークは両手に二刀をぶら下
げたまま思わず苦笑いを浮かべる。
 そうしてリーダー達の武勇に奮起されるようにして。
 団員達は、荒削りながらも魔獣達を再び押し返し始めていた。
「ギギ……ッ!」「~♪」
「シャァァッ!」「ふっ……」
 そんな刻々と移り変わる戦況に注意を配りながら、団長・イセルナもまた魔獣達の猛攻の
中にあった。
 しかしそこに焦りの色は微塵もない。
 あくまで華麗に、まるで舞うように最小限の動きで魔獣の攻撃をかわし、マナを伝わせた
サーベルで受け流して体勢を崩させてからの一閃を、
「盟約の下、我に示せ──冷氷の風渦(アイストーム)」
 駄目押しの魔導を撃ち込んで次々と魔獣側の兵力を削り取っていく。
 掌から拡がった青色の魔法陣。そこから生じた冷気は急速に放射され広がり、魔獣達はそ
の渦に揉まれて一挙に凍り付かされる。
「シフォン! ハロルド!」
 イセルナが叫ぶ。
 今度はそれを合図にシフォンら遊撃隊と、ハロルドら支援隊が攻撃の体勢に入る。
「散開っ!」
 その二度の彼女の号令で、それまで魔獣に押し迫っていたジーク達前線のメンバーが一斉
に距離を置いた。
 突然出来た、空間的余白。
「撃ち方、構え!」
『盟約の下、我に示せ──』
 そこにぽつねんと残される形になった魔獣の残党に向かって、
「てーっ!」
『日輪の浄渦(アジローレ)!』
 シフォンの放った錬氣を纏った矢や遊撃隊の面々が放った銃弾、そして螺旋状に渦巻く光
撃の魔導が一挙に爆音と共に降り注ぐ。
 残党達から上がる断末魔。だがそれはややあって聞こえなくなった。
 急にしんとした周囲からゆっくりと晴れていく土埃。そこには討伐者らの攻撃を受けて遂
に全滅した魔獣達の屍が累々と横たわっている。
 やがて散開していた前線メンバーらは再び集まり直し、討伐漏れがないか──まだ息のあ
る魔獣が残っていないかを確認して回ってゆく。
「……悪ぃな。これも、俺達ヒトが安心して暮らしていく為なんだ」
 二刀をゆっくりと鞘に収めながら、ジークもまたそんな小声の言葉をこの忌み嫌われた怪
物達の末路へと投げ下ろす。
「団長、全滅確認しました!」
 そして団員の一人がそう、代表して報告の声を上げた。
 ジークも他の団員達も、ダンら幹部メンバーも、その一言に何処かフッと安堵の表情を漏
らす。構えていた得物も解いて心なしリラックスし始めた面々を見遣ると、イセルナは剣を
そっと鞘に収めてから言った。
「うん、任務完了ね。じゃあギルドに連絡して浄化班を呼んでちょうだい。浄化作業が済み
次第、撤退開始よ」
『了解!』
 それは討伐終了を告げる一言。
 その言葉にジークら団員達は皆、息ぴったりの返事で応えたのだった。


 ブルートバードが拠点(ホーム)を置く街・アウルベルツは北方の大国アトス連邦朝の北
東内陸部に位置している。四方に延びる国内の幹線街道にも近く、この辺り一帯における人
や物の行き来の要衝ともなっている街だ。
 ジーク達のホームは、そんな街の一角にあった。
「──皆、お疲れさま」
 酒場『蒼染の鳥』(バー・ブルートバード)。
 イセルナはホームの敷地内にあるその店内で、任務から帰って来た一同を見渡して言う。
「今回も皆のおかげで魔獣討伐を成功させる事ができたわ。ギルドへの報告はさっきダンと
ミアちゃんに頼んだから、今日はゆっくりと休んで。明日からも頑張りましょう」
『うぃ~っす!』
 締めの一言。団長のその言葉を以って今日は解散となった。
 団員の大半はそのまま店の裏手にあるクランの宿舎へと向かっていき、残った面々も思い
思いに仲間との雑談を始めている。
(……ふぅ)
 そしてジークもまた、そんな仲間達の緊張が解けリラックスした雰囲気の中に身を委ねる
ようにしてテーブル席の一角で静かに一息をついていた。
「やぁ。お疲れさま」
「お疲れ様です、ジークさん」
「ん? おう。お疲れ~」
 そうしていると、シフォンと盆にカップを載せたレナが歩み寄ってきた。
 シフォンが対面するように席に着き、レナが二人分の珈琲を出してくれる。
 ジークは「ありがとよ」と微笑む彼女に返すと、シフォンとかちんとカップを合わせて一
先ず一口。熱過ぎず温過ぎず、且つしつこくない味わいがじわりと喉を潤してくれる。
 それから暫く、二人は他の団員達のそれと同じように雑談に興じていた。
 シフォンはクランの創立メンバーの一人ではあるが、ジークとは年齢が近い(といっても
あくまで人族(ヒューネス)換算であり、実年齢では彼の方が遥かに上ではあるのだが)事
もあり、二人は普段からこうして少なくないプライベートの付き合いがある。
 彼はジークがこのクランに所属するようになってからの、一番の友と言っても差し支えが
なく、また同時に冒険者としても良き先輩でもあった。
「……しかし、ジークも随分と腕を上げたよね。以前よりも魔獣を討つ効率が上がっている
ように僕には思えるよ」
「そ、そうか? ま、まぁ一応これでも日頃の鍛錬は欠かしてねぇし」
「ダンには突っ込み過ぎだと注意されていたけどね」
「うぐっ……。それは、確かに言われたけどさぁ……」
 褒めてくれたり、かと思えば手痛い所を撫でてからかってみたり。
 シフォンは、物腰が落ち着いている割には思いの外茶目っ気がある性格をしている。
 そもそも、一般的にエルフは保守的・排他的な気質が強い種族と言われている。
 なのに彼というエルフは、自分達多くの人々と積極的に交わっているように見える。それ
は前々からジーク少なからず引っ掛かっている疑問点でもあった。
『──僕はね。妖精族(ぼくら)はもっと……ヒトと共存するべきだと思っているんだ』
 ふと脳裏に、以前シフォン本人が漏らしていた言葉が過ぎる。
 苦笑と疑問符。二つの異なる思考と感情が混線するのを感じながらも、ジークは目の前で
温厚な微笑をみせるこの友に話を合わせて相槌を打つ他なかった。
「何。ジークに向こう見ずな所があるのは昔からだろう? これでもまだ、うちに来て日の
浅かった頃に比べれば大人しいものだよ」
 すると今度は、近くの席で愛刀の手入れをしていたリンファが口を開いた。
 芸術品にしてもいい程のその刃を、打ち粉で優しくポンポンと撫でつつ、フッと凛とした
容貌を緩めて何処か遠い日を見るような眼でそう微笑む。
「あ、あの頃は……。も、もうその話はいいじゃないですか。昔の事くらい……」
 ジークは思わず口篭もった。
 それはまだ、今よりも幾分か若かったが故の無茶を繰り返していた日々。
 がむしゃらさに身を任せ、同時にそれを自覚できていなかった日々。
「……そうだね。今はもう立派な僕達クランの一員だよ」
 シフォンがそう言って微笑んでいる。リンファが静かに頷き、刀身を拭い紙に通す。
 創立メンバーにして、冒険者としての先輩二人。
 シフォンとリンファにからかわれるような格好になり、ジークは返す言葉もなくただ照れ
隠しに残りの珈琲をくいっと飲み干しに掛かる。
「…………」
 そんなジーク達を含めた団員達の団欒の様を、イセルナはカウンター席から穏やかな眼差
しで眺めていた。
 団長として、一人のヒトとして自分がこのような居場所を作り出せた事に喜びを覚えて。
「嬉しそうだな」
 そして次の瞬間、渋い男性の声色がしたと同時に彼女の肩の上に突如として現れたのは、
静かに揺らめく青いオーラを纏った、一体の半透明な全身青色の梟。
「ふふっ、そうね。一仕事終えて一息つけているというのもあるのかしら」
「……今回はあまり力を貸してやれなかった気がするが。辛くはなかったか?」
「そんな事はないわよ、ブルート」
 ブルート。それがこの青梟、イセルナの「持ち霊」の名だ。
「貴方のおかげで魔導をスムーズに使えるもの。私達だけが必死にならなくてもいいのは、
それだけクランの皆の実力がついてきているからでしょう?」
 持ち霊。それは簡単に言えば、特定の人物と専属契約を結んだ精霊のことである。
 本来、精霊族(スピリット)はその姿形すら千差万別で、このブルートのようにヒトのよ
うな力と自我を備え、且つ自身の意思で顕現している個体は決して大多数とは言えない。
 それ故“持ち霊付き”であることは世界中の奇蹟を司る彼らに認められたという魔導を扱
う者──とりわけ魔導師にとって大きなステータスであり、また魔導の実務上もおいても、
細かい詠唱を省略できるといったメリットを示すものでもある。
「それに……貴方は知性の精霊。元々戦いを好む者ではないでしょう? だったら皆の成長
には感謝しなくっちゃ」
「……否めぬな。だがイセルナ、我は汝の持ち霊だ。……汝が生まれる前から、我はその魂
の音色に惹かれて契約を結ぶことを選んだのだ。必要とあらば多少の力は貸すつもりだぞ」
 もっとも、イセルナが伴霊族(ルソナ)という“生まれながらに持ち霊を宿す民”の出身
である為、そのままそうした一般論が通用する訳ではないのだが。
「その辺りの思考が堅いのは流石知性の精霊といった所だね。はい、どうぞ。ミルクたっぷ
りのブレンド珈琲」
 その会話に混ざるようにカウンターから出てきたのは、黒スーツにエプロン姿という格好
に身を包んだハロルドだった。
 ソーサーに載せたカップをイセルナの前に置き、ちらとブルートのそんな堅苦しさと主へ
の忠義に微笑ましい視線を向ける。イセルナは「ありがと」と小さく返すと、そっと甘い味
に包まれた珈琲を一口、また一口と堪能し始める。
「それは我を褒めているのかけなしているのか……」
「褒めているに決まっているじゃないか。何せクランの名前も、この店の名前も君から取ら
せて貰っているのだからね」
 そうしれっと言ってみせる、ホームの食堂兼副業としての酒場の店主。
 ブルートは若干胡散臭そうに目を細めていたが、特にそれ以上文句を言うつもりはないよ
うだった。
 団長たるイセルナと、自分の名を冠したこの冒険者集団とその拠点。
 その店内には、気付けば少なからぬ兵力にまで成長したこのクランの団員達のくつろぎの
姿が点在している。
 語らう者、軽食を摂る者、或いはテーブルに突っ伏してくてんと寝てしまっている者。
 そんな仲間達の中をレナはとてとてと立ち回って給仕役を務めていた。
 イセルナもハロルドも、そしてブルートも。
 暫しの間、三人は何処か達成感にも似た静かな感慨に浸っていた。
「ん……?」
 ちょうど、そんな折だった。
 カウンター内の壁に取り付けられた導話器(マナを用いた通信装置。電話のようなもの)
がはたとベルを鳴らし始めたのである。
「はい、もしもし。酒場『蒼染の鳥』です」
 一度布巾でサッと手を拭い、ハロルドはゆたりと導話器に近付くと、その本体から伸びる
筒状の部位を耳元に当ててこの掛かって来た通信に応対していた。
 カウンター席のイセルナが、刀の手入れを終えようとしていたリンファが、談笑を続けて
いたジーク達、この場の面々がおもむろに彼へと視線を遣る。
 導話器の前でハロルドは何度かこくこくと頷いていた。
「ジーク君」
「あ、はい。何すか?」
 それからややあって、受話筒を胸元に遣って振り返ると、
「君に導話だよ。例の弟くんから」
 思わず姿勢を伸ばし気味にしかけていたジークに、彼はそう告げた。

「もしもし。僕、アルス・レノヴィンといいます。兄さ……ジーク・レノヴィンの弟です。
今そちらに兄はいますか? お話は伝え聞いていると思うのですが」
 所変わってアウルベルツ駅の構内。
 その導話器がいくつも設置されてたスペースの一角で、アルスはこれからお世話になる下
宿先へと一報を入れていた。
『ああ、君がそうなのかい? 初めまして、話はジーク君から聞いているよ。今度こっちの
魔導学司校(アカデミー)に入学するんだってね』
 兄が所属しているクラン・ブルートバードの連絡先をダイヤルすると、応対してきたのは
紳士然とした声色の男性だった。
 以前聞かされていた面々の情報を記憶から辿る。確か下宿先は酒場も兼務していた筈だ。
 という事は、この声の主がその店主も兼ねている……ハロルドさんなのだろう。
『でも、確か彼の話だと入学式まではまだ日がある筈じゃなかったかな?』
「え……?」
 しかし次に導話の向こうのハロルドが紡いだ一言。
 アルスはその言葉を聞いて、思わずため息と共にくしゃっと頭を抱えた。
「兄さん、伝え忘れてたんですね……。実は学院から連絡がありまして。大事な伝達事項が
あるので僕には早めに手続きに来て欲しいと……」
「あぁ……。なるほど」
 アルスが改めてそう事情を説明すると、ハロルドも納得と嘆息を漏らしたようだった。
『じゃあ、ジーク君に代わった方がいいね。彼なら今テーブル席にいるから』
「あ、はい。お願いします」
 言われて応えると、ガサゴソと雑音が混じった。遠巻きに兄が呼ばれているのが聞こえて
くる。アルスが暫くそのまま待っていると、ややあって兄が導話に出てきた。
『おう。どうした、アルス?』
「どうしたじゃないよ……。兄さん、伝え忘れてたでしょ? 学院から早めに手続きに来て
くれって言われたから出発の予定を繰り上げるって。この前導話したじゃない」
『えっ、そうだったっけ……? じゃあお前、まさか今こっちにいるのか?』
「いるよぉ。今さっき駅に着いた所。……ホント、念の為に連絡を入れてみてよかったよ」
 ぷくっと頬を膨らませてアルスは言う。
 導話の向こうで兄は慌てているようだった。やはり完全に頭から抜けていたらしい。
 こんな事なら、あの時クランの団長さんなりに繋いで貰っておけばよかったなぁ……。
 アルスは受話筒を耳元に当てたまま、今更ながらにそんな事を思う。
『わ、悪ぃ。すぐに迎えに行く』
「いいよ別に。住所も分かってるし、ここには前にも受験で来て多少の地理なら調べてある
から。それよりも兄さんは今度こそクランの皆さんにちゃんと伝えておいて? このままだ
と僕が勝手に押しかけるみたいになっちゃうよ」
『ぬぅ……。わ、分かった。すまん……』
「うん。じゃあ少しゆっくりめに時間を潰しながらそっちに向かうね」
 バツの悪そうな兄に今度こそ伝達をと念を押して、アルスは受話筒を置いた。
 途端に意識を一斉に刺激するのは、ざわつく構内の雑音達。
 目を遣った改札の向こう側では、大陸の各地を結び、多くの人々を運ぶ列車が何台も鎮座
しており、再び走り出すその時をじっと待っている。
 機巧技術。それは魔導と並ぶ今日の文明の要、二大技術体系の片輪だ。
 歴史の長さでは魔導に及ばぬものの、かつての「大帝国」時代に大成されたこの機械を自
在に作り出す技術は、鉄道や飛行艇、鋼車(こうしゃ)(自動車のようなもの)といった、
各地で開拓の進む今日の世界に不可欠な技術となっている。
 魔導が人的要素の強い技術だとすれば、機巧技術は物的要素の強い技術。
 今日の活発な人や物の行き来と豊かな暮らしは、この両者が上手く相互に活用される事に
よって成り立っていると言ってもいい。
「ジーク、忘れてたんだ?」
 するとぼうっと構内に目を遣っていたアルスの少し上から声が降ってきた。
 アルスが視線を移すと、そこには中空にふよふよと浮かんでいる、翠色のオーラを纏わせ
た一見して踊り子風な衣装の少女の姿。
 彼女の名はエトゥルリーナ、通称エトナ。アルスの持ち霊である。
「うん。だから兄さんがクランの皆に話している間、僕らは遠回りで向かおう?」
「それはいいけど……大丈夫? 迷わない?」
「大丈夫だよ。地図も持って来てるし、いざとなれば人に聞けばいいしね」
 アルスは苦笑いをして言った。
 心配し過ぎなんだよ。兄さんも、エトナも。
(兄さんだって忙しいんだ。僕らの為に一生懸命働いてくれている。なのに、僕は……)
 ぐっと胸の中を撫でる心苦しさ。
 アルスはそんな感覚を払い除けるようにざっと周囲を見渡してみた。
 案の定、ちらちらと往来の視線が自分達に向いているようだ。
 精霊の存在自体は一般の人々の間でも常識のことだ。しかし実際にその姿を知覚できる者
は限られている。魔導を修め、しっかりとしたマナの制御を身につけている者であるか、或
いは精霊自身が人前で顕現してみせているかのどちらかでない限り。
 それが常識。だけど──自分がその事に気付くのは、もっと後になってからだった。
「……アルス」
 そんなぼんやりとした思考に気付いたのか、エトナが控えめな声を掛けてきた。
 自分を見る表情は心配の色を映し、外見の可憐な少女らしい優しさを宿している。
「……。大丈夫だよ、行こっか」
 分かっているからこそ、アルスは彼女に微笑で応えていた。
 そして足元に置いていた大きめのキャリーバッグの取っ手を握り締めると、アルスは彼女
という持ち霊を伴い、その紺色のローブを翻してその場を後にする。

 世の冒険者たちはその活動を保障されるべくとある組織に加盟している。
 それが七星連合(レギオン)。世界中の冒険者を統括し、彼らと依頼主達との仲介などを
こなす、民間最大の武の勢力である。
 元々は魔獣の脅威から人々を守るべく創設された組織だが、今日ではそうした「傭兵畑」
だけでなく広く一般の人々からの依頼とそれらを主力とする「便利屋畑」の冒険者も多く抱
えており、世界各地にその支部(ギルド)を構えている。
「次の方どうぞ~」
 それは此処アウルベルツも──というよりも、ある程度の規模の街ならすべからく──例
外ではない。窓口職員の女性に促され、窓口に延びる行列の一つで待機していたダンとミア
の父娘はようやく自分達の順番を迎えていた。
「依頼完了の報告に来たんだが」
「はい~。ではカードと報告書類を提出して頂けますでしょうか」
 言われて、ダンは懐に手を伸ばした。
 取り出したのは一枚の薄い金属製のカード。
 七星連合加盟証──通称レギオンカード。レギオンに加盟登録した者一人一人に交付され
ている、冒険者としての身分を証明するIDカードである。
 ダンがカードを、ミアが抱えていた今回の依頼書類を窓口に提出すると職員はそれらを受
け取り、先ずはカードを手元の専用機器の溝(リーダ)部分に通した。
 ピコッという機械音と共に、魔導の力で手元の空間に出力されている画面に次の瞬間、多
数のデータが映され始めた。
 彼女はそれらとミアが渡した書類を見比べてから、
「はい。クラン『ブルートバード』副代表ダン・マーフィさんですね。少々お待ち下さい」
 そうデータ照会が通ったことを告げると、そのままの流れで慣れた様子で手続き業務を進
めてゆく。
「ミア」「……何?」
 そうして待っていると、ふとダンが隣に立っているミアに呼び掛けた。
「先に帰ってていいぞ。今日は疲れたろ? 後は俺がやっとくから。ついでに次の依頼の目
星をつけてから帰るからさ」
「……分かった」
 こくりと小さく頷いて、ミアはその場から離れた。
 窓口の周囲にはたくさんのテーブルや依頼書が張り出してある掲示板が設置されており、
そしてそれらを吟味したり雑談を交わしている冒険者(どうぎょうしゃ)達がわんさかと屯
している。
 そんなある種当然ながらにむさ苦しい空間を横切り、ミアはギルドの玄関を出た。
 街の大通りに面した、賑わいのある区画の中という立地条件。
 それだけでもこの組織が持つ力の大きさが垣間見えてくる。
「おっ? 可愛いネコちゃん発見」
 ちょうどそんな時だった。
 ふとミアに向かって掛けられた声。その方向を見遣ってみると、ギルドの敷地の傍で二人
組の若者がこちらに近付いて来るのが見えた。
 細身のキザな風体と、小柄だが気の強そうな面構え。
 二人はミアの左右を囲むようにして立つと、ヘラヘラと笑いながらこう声を掛けてくる。
「ねぇねぇ、ギルドから出て来たって事は君も冒険者?」
「実はさ、俺らもこう見えて冒険者やってんだ~。よかったら組まない? 俺らが色々教え
てあげるからさ」
 そんな口実を作ったナンパ。
 ミアは寡黙なまま眉間に皺を寄せ、じっとこの二人を睨み返した。
 だがそんな彼女の元々の口数の少なさを、彼らは別の──それも手前勝手な意味で──解
釈で以って捉えたらしかった。
 初対面なのに馴れ馴れしく、そして下心が透けて見えて。
 小柄な方の若者がそっと手を伸ばして──。
「……ボクに、触るな」
 バシッと、次の瞬間ミアはその手を少々乱暴に振り払っていた。
 加減はしたつもりだった。しかし父譲りの、獣人族という種としての身体能力の高さは殺
し切れず、その軽い一発ですら彼は大きくよろめき、弾き飛ばされていた。
「なっ……!?」
 驚く当人とその相棒。
「この、尼ぁっ!」
 だが驕りに覆われたこの若者達に、自身と彼女の力量差を見出すことはなかった。
 代わりにむしろ二人は一気に怒りの沸点を越え、うち細身の若者は腰元に下げていた小剣
を抜き放つといきなりミアにその刃を振り上げてきたのである。
 反射的に身体を反らしてその斬撃をかわしたミア。
 しかし僅かにだが、その頬には赤い一筋が走っていた。
「……」
 身勝手に逆上した若気の冒険者二人。突然始まった刃傷沙汰に悲鳴や驚きの声を漏らして
視線を向け始めた往来の人々。
(面倒な事になった……)
 ミアは相手とは違い、冷静に周囲の様子を窺いながらそう思っていた。
 この程度で平静を失うような雑魚なら、軽く一撃を叩き込めば終いだろう。だが強い力で
あればある程、その行使には慎重でなければならない。
「こんのぉ!」
 それでも対する細身の冒険者は再び小剣を振りかぶって地面を蹴っていた。
 やれやれ……。仕方ない。
 半ば嘆きに近いため息と共に、ミアは静かに拳を握った。
 あまり気乗りしないまま、大上段で飛び込んでくる彼の土手っ腹に一撃を──。
「盟約の下、我に示せ──風紡の矢(ウィンドダート)」
「ごふッ!?」
 だがミアの拳が振るわれる事はなかった。
 代わりに聞こえてきたのは、驚愕の混じった細身の冒険者の短い声ならぬ声。
 一瞬、スローモーションのように見えた。
 彼が斬りかかって来る、まさにその瞬間に螺旋状の風の塊がその横っ腹に命中し、彼をそ
のまま思いっ切り吹き飛ばしたのである。
 ズザーッと通りの石畳に転がり、気絶した若者。何が起こったのか分からず目を丸くして
いるもう一人と、同じく往来の野次馬達。
「……?」
 そしてミアはゆっくりと視線を移して、見た。
 風の塊が飛んできたその先に、一人の少年が立っていたのを。
 紺色のローブに身を包み、紺の混じった黒髪をしたヒューネスの少年。
 小柄な体格をしているせいもあるのかもしれなかったが、自分よりは二つ、三つは年下に
見える。
 何よりも目に強烈に目に映ったのは、こちらに向かってかざされた掌を中心に展開され、
今まさにそっと消えようとしている白色の魔法陣。そして、彼に付き従うように中空に浮い
ている碧色の──十中八九精霊の少女。
 それは他ならぬアルスとエトナの姿で……。
「……もしかして、魔導?」
 普段あまり感情を表に出さないミアも、流石に驚きの気色を漏らしていた。
「オラァッ! てめぇら、俺の娘に何してやがる!」
 だがそんな驚きも束の間、気付くとギルドへの報告と軽い下見を終えたダンが泣く子も黙
るような怒声を上げて姿を見せる。
 その様はまさに怒れる獣そのもので……。
 思わずビクッと身を振るわせる野次馬達と、そして残されたもう一人の若気の冒険者。
「げっ……。親父同伴だったのかよ」
 すると流石にこの状況はマズいと踏んだらしい彼は、
「お、おい。逃げるぞ!」
「うぁ……? ちょ、無理……身体が、動か」
「待てやゴラァッ!」
「ひいぃっ!?」
 一度は相棒を揺り起こそうとしつつもダンの二度目の怒声に完全に怯え、そのまま彼を路
上に放置したまま一人猛ダッシュで逃げていってしまう。
「あ! このッ……!」
「もういい、お父さん。ボクなら大丈夫」
「ぬぅ? まぁ、お前がそう言うなら……」
 すかさず追いかけようとしたダンだったが、それは他ならぬミア自身が止めていた。
 これ以上状況をややこしくしても意味は無い。それよりも……。
「……あ、えっと。大丈夫でしたか?」
 マーフィ父娘が振り返ると、おずおずとアルスが近寄って来ていた。
 ふわふわとその後ろをついて来るエトナも、自分達に向けられている周囲の往来の眼に若
干の気まずさにも似た思いを感じているらしくその表情は繕った苦笑いのそれ。
「うん。平気」
「もしかして、さっきのは坊主が撃ったのか?」
「はい……。歩いていたらそちらの娘さんが暴漢に襲われそうになっていまして、つい」
 驚く二人に、アルスは謙遜を通り越した苦笑で弁明していた。
 こんな少年が魔導とは。
 十中八九同じ感想を抱いて互いの顔を見る二人だったが、
「あ。そこ、ほっぺ怪我してます」
「? うん……大丈夫。これくらい放っておいても」
「駄目ですよぉ。女の子なんだから顔の傷にそんな無頓着でいちゃ」
 次の瞬間、ミアの頬の赤筋に気付いたアルスにずいっと詰め寄られる。
 そっと彼から差し伸ばされる手。
「今治しますね。ちょっとじっとしていて下さい?」
 言って、アルスは軽くその傷口に掌を当てると静かに呪文を唱え始めた。
「生けとし生ける者を支え見守る黒霊よ。汝、我が朋の抱えたる傷を癒し給え。我はかの者
の痛みを、傷を治せしむことを望む者……」
 するとその詠唱と共にアルスの掌から淡い光が漏れ始めた。
 どっしりと落ち着いた、包容する鮮やかな黒土色の光と彼の足元に展開される魔法陣。
「盟約の下、我に示せ──地脈の癒(キュアライト)」
 つむぎ終わったその瞬間、光がゆっくりとミアの頬の傷に集まっていった。
 ほんのりと温かな熱を伴う感覚。だがそれもほんの数十秒のこと。
「……はい。終わりました」
 そう言ってアルスが魔法陣を消去して一歩後退した時には、そんな感覚は静かに消え失せ
ミアの頬にできていた筈の赤い筋は跡形も無くなくなっていた。
「…………」
 ぼ~っと頬に手を当てて目を瞬かせているミア。にこっと優しく微笑んでいるアルス。
 暫くミアはまるで何かに取り憑かれたようにそんな彼の見上げる顔を見ていた。
 そんな彼女に、小さく疑問符を浮かべて小首を傾げるアルス。すると暫しそんな様子を娘
の傍らで見ていたダンが、
「あ~……。その、なんだ。すまんな。娘を助けてくれたみたいで」
 照れと訝しさ半分の苦笑でぼそっとようやく口を挟んでくる。
「いえいえ。僕の方こそ余計なお節介ではありませんでしたか?」
「そんな事はねぇさ、ありがとよ。ほらミア、お前も礼ぐらい言えって」
「あ。うん……。あ、ありがとう……」
「はい。どういたしまして」
 ダンに促されてぼそっと礼を述べるミア。
 しかしその視線は何故か定まらず、何処か頬もほんのり赤く上気しているように見える。
「むぅ……」
 そんな彼女の表情を認めてエトナはアルスの背後で小さくむくれ始めていたが、当のアル
ス本人は全くそんな事には気付く様子もなく、にこにこと微笑んでいる。
(──ん? ミア? 猫の獣人さんの親子……。これって兄さんの言ってたクランの……)
 その代わりにアルスはふとそのやり取りの中で飛んでいたフレーズに、はたと思い当たっ
ていた。ぶつぶつと呟きながら一度眉間に皺を寄せる。そしてややあって、アルスは思い切
ったように二人に訊ねたのだった。
「あ、あの……。もしかしてですけど、お二人ともブルートバードっていう冒険者クランを
ご存知ですか?」
「あん? 知ってるも何も、俺らのクランだよ」
「……お父さんが副団長」
「あぁ……やっぱり!」
 予想的中と言わんばかりにアルスは破顔した。傍らのエトナも「おぉ?」と驚いている。
「そうだったんですね。えっと自己紹介が遅れました。初めまして、僕アルス・レノヴィン
といいます。ジーク・レノヴィンの弟です」
「ジークの……弟?」
「おぉ! そうだったのか。お前さんがあいつの……。話なら聞いてるぜ」
 その言葉を聞いて、ミアもダンも差異はあるがパッと驚きと歓迎の気色を見せた。
 ぺこりと頭を下げてお辞儀をする彼にミアは目を瞬かせ、ダンは陽気に豪快に笑う。
「ちょうどいいや。これから俺達もホームに帰る所だ。一緒に来るか?」
 くいっと立てた親指でホームのある方角を差しながら訊ねてくるダン。そしてコクコクと
小さく何度も頷いているミア。
「……はいっ。勿論です」
 アルスはエトナと一度顔を見合わせると、満面の笑みでそう答えたのだった。


「え、えっと……。あ、改めてよろしくお願いします。お世話にな、なりますっ」
 その後、マーフィ父娘と共に『蒼染の鳥』に到着したアルスとエトナは、ジークより話を
聞かされていたイセルナ以下団員達の出迎えを受けることとなった。
 その思っていた以上のウェルカムぶり──というよりも大人数の眼差しに対して面食らい
ながらも、アルスは何とか笑顔を作ると、これからお世話になる下宿先の面々にコクリと頭
を下げてそう挨拶をしていた。
「そんなに硬くなるなって。俺だっているんだし、そんなに気兼ねされても困るって」
「ふふ。そうね。少々騒がしい所かもしれないけど、自分の家だと思って……ね?」
「……はい。ありがとうございます」
「ははっ、良かったねアルス。いい人達みたいで」
「うん。そうだね……」
 ジークやイセルナ達は、そんな礼儀正しい彼に逆に若干の戸惑いを感じつつも今日から加
わるこの新しい仲間を微笑ましく見る。
「でも、凄いよね。アルス君ってアカデミーに入学するんだよね? 試験、結構難しいって
聞くのに」
「……そういえばアルスって、何歳?」
「十六だ。俺より三つ下だからな」
 ポンと手を合わせて感心するレナと小首を傾げて呟くミアに、ジークが代わって答えた。
 ちなみにレナは十七歳、ミアは十八歳である。
「ふむ? だとすれば浪人でもしたのですか? 確かアカデミーの受験資格は“成人である
こと──ヒューネス換算で十五歳以上”の筈ですが」
「い、いいえ。一応これでも現役合格……です」
 ハロルドの言葉に、気恥ずかしそうに答えるアルスの言葉。
 その返答に「おぉ~!」と場の面々が驚きの声を上げた。そんな面々の中空では何故かエ
トナがさも自分のことのように胸を張っている。
 レナも言っていたように、確かにアカデミーはその門戸自体は開かれている。成人に達し
てさえいれば性別や種族、出自は問わない。だが魔導師という世界が必要とする人材を育成
する場所が故にその分入学試験自体のレベルは高く、一筋縄では合格できない筈なのだ。
 否が応なしに向けられる羨望の眼差し。
 アルスはそんな皆の視線に照れたように苦笑し、ポリポリと頬を掻いていた。
(……? リンさん?)
 ただ一人、ジークはその中にあって、
「どうかしたんすか、リンさん? さっきからアルスを見てぼ~っとしてますけど」
「えっ? あ、ああ……いや、何でもないさ。ただ顔立ちこそ似ているが、兄弟なのに随分
と違うものだなと思ってね」
「ん~……まぁそうっすね。お互い強く受けてる血が違うんですよ。俺は母さん──女傑族
(アマゾネス)の、あいつは父さん──人族(ヒューネス)の血を濃く継いでるらしくて」
 何処か上の空なようにも見えるリンファを認めて、そう声を掛けると、彼女のその疑問に
あっさりとした口調で答えていた。
「……。そうか」
 大陸同士の行き来が難しかった大昔とは違い、今は飛行艇の航路も整備され人々の往来も
活発になっている。それに伴い、異なる種族同士の恋愛・結婚も最早珍しくはない。
 だがリンファは何を思っているのか、苦笑の後に微笑を漏らすと、そう短く呟いた。
「十六か。だったらもう成人の儀は済ませてるんだよな? よぉ~っし、今日は宴会だ! 
おいハロルド酒を」
「駄目だよ、ダン。アルス君はさっき着いたばかりなんだし、せめて今夜にしなよ」
 ダンは既にアルスの歓迎(というよりもそれが口実で酒が飲めること)で笑っていた。
 しかしそんな酒豪の彼をよく知っているからか、そこですかさすシフォンがやんわりとそ
う言ってその企みを諭す。
「そうね。アルス君の歓迎会をするにしても準備は要るし……。それでいいかしら?」
「え? でも、わざわざ僕のためにそんな……」
「気にすることはないよ。こういう時に騒ぐのは冒険者(ぼくら)の習性みたいなものだか
らね。料理やら準備やらは任せておいてくれ。いいかな? 二人とも」
「まぁいいっすけど。お前らもいいよな?」
「う、うん……。大層だとは思うけど兄さん達がそこまで言ってくれるなら……」
「私もオッケーだよ。というかアルスがうんっていうならついてくだけだもん」
「よっしゃぁ! 今夜は宴会だぜ!」
 そうして話がまとまり、ダンは心底嬉しそうに笑った。
 ぐいっとその太い腕を肩に乗せられ、ぐわぐわ揺らされる脳味噌ごとアルスの周りで、他
の団員達も宴会と聞きテンションが上がり始めている。
「あ~……。副団長、とりあえずアルスを離してやってくれません? 夜からなら、それま
でに俺達は細々とした用事を済ませてきますから」
「ん? おう。例の学院の手続きがどうのってやつか」
「ええ、そんな所です。いくぞアルス、エトナ」
「は~い」
「う、うん。じゃあ皆さん、一先ず僕たちはこれで」
 そしてジークはそんな面々の渦中から弟を引き取ると、改めてペコリと皆に頭を下げる彼
の代わりにキャリーバックを持ってやり、三人して宿舎の方へ歩いていく。
「────へぇ、これがジークの部屋なんだ」
 冒険者クラン「ブルートバード」が拠点を構える敷地内は、大きく分けて三つの施設に分
かれている。
 表の通りに面する形で団員らの食堂を兼ねる酒場『蒼染の鳥』が。
 その裏手の空き地──中庭はクラン面々の運動場として使われ、更にその向かいには団員
らが寝泊りする横長の宿舎が一棟建っている。
「何だか、思ってたよりもこざっぱりとしてるかも」
「というより……物が少ないんじゃない?」
「……まぁ基本、寝泊りに使うか着替えを置いてるかだけだしな」
 ジークが使っている部屋も、団員の例に漏れずその宿舎の一角に宛がわれていた。
 本人の言葉の通りやや殺風景な室内を見渡しつつ、アルスとエトナは言う。
「宿舎は基本、二・三人で一部屋になってる。まぁここはお前が来るって分かってた事もあ
るから俺一人だったんだけど。トイレ兼手洗い場は各階の真ん中と端っこ、風呂場は一階の
真ん中だ。使い方とかの細々とした決まりは……まぁその内覚えるだろ。分からないことが
あったら俺や他の連中に遠慮なく訊いてくれ」
「うん。分かった」
 ボフッと二段ベッドの下に腰掛けてジークがさらうように説明をしてくれ、アルスは微笑
みながら頷いていた。キャリーバッグから荷物を取り出し、一先ず仮の整理を始める。
(あ……)
 そこでアルスは気付いた。
 窓際に真新しい机と空っぽな本棚が置かれていることに。
(もしかしなくても、これって僕の為の……なのかな?)
 兄は自身が口にするくらいに勉学が苦手だ。だとすればこれらは十中八九自分の下宿に合
わせて用意され、運び込まれたものだろう。
 アルスは素直に嬉しかった。
 口調も言動も、いつものぶっきらぼうなままの兄。
 だが、こうして密かに自分の為に手を回してくれる不器用な優しさが、嬉しかった。
 エトナもそんなアルスの内心の嬉々を読み取っているのか、にこにこと静かに微笑を見せ
つつ、自分を見下ろしながら中空に漂っている。
「……なぁ、アルス」
 そうして荷物を整理していると、ふとジークがベッドに腰掛けたままの格好で声を掛けて
きた。アルスは「何?」と言わんばかりに振り返り、いつの間にかじっと目を細めて自分を
見ている兄の表情(かお)を確認することとなる。
「お前、本当に宿舎(こっち)でよかったのか? はっきり言ってここは騒がしいぞ? 依
頼によっちゃあ昼夜関係なしで動くしよ。それに学院の近くにアパートを探した方がよっぽ
ど環境は」
「ううん、大丈夫だよ。僕は……こっちの方がいいんだ」
 兄の何度目かになるその言葉に、アルスは半ば遮るように答えていた。
 実は受験の為に一度アウルベルツに来た時も、アルスはクランの面々に顔を出そうと思っ
ていた。普段兄が世話になっているその仲間達に、せめて挨拶ぐらいはしたいと。
 だがそれは他ならぬジークが断わった。
 曰く「お前は大事な時期なんだから、今は受験に集中しろ」と、わざわざ学院近くに宿ま
で取ってくれて。
 そしてその後合格通知が届き、今度は──少なくとも在学中はこの街に住むと決まった時
も、彼は同じくアパートを探してやろうかと打診してきたのだ。
 しかし、今度はアルスがその申し出を断わった。
『僕なら兄さんの部屋でいいよ。クランの皆さんがいいよって言ってくれればだけど……。
家賃だってゼロにできるし、母さんも兄さんと一緒だったら少しは安心すると思うんだ』
 そうして切り出した、このクラン宿舎への下宿話。
 ジークはその時も「勉強に集中できるのか?」などと渋って──心配してくれたが、家賃
や母の名を出された事で最終的には承諾し、話を通してくれた。
 とはいえ、その際にアルスが口にした言葉。それは半分本当で、半分は違う。
 確かにそういった打算があったのも事実だが、本音を言えば“久しぶりに兄さんと一緒に
暮らせる”からというのが大きかった。
「……そっか。ま、お前がいいって言うなら無理強いはできねぇしな……」
 十五歳──成人の儀を済ませるや否や、一人故郷を飛び出していってしまった兄。
 寂しかったのかもしれない。息子が足早に姿を消してしまい、ぽつねんとしていた母の心
の機微に影響されていたのかもしれない。
 だから母の為にも──自分の本音からも、アルスは一人暮らしよりも兄(とクランの皆)
との再びの共同生活を望んだのだった。
「あ~……。とりあえず荷物の整理は大雑把でいいぞ? 必要なら後で何人かに応援を頼め
ばいい事だしな。それよりも、軽く一服したら学院へ行くぞ。さっさと急かされた手続きと
やらを済ましちまおうぜ」
「……うん。そうだね」
 腰掛けたベッドから起き上がり、ガシガシと髪を掻きながら言うジーク。
 アルスは荷物に伸ばしていた手を止めると、そんな思いをごまかすように苦笑した。

 一方、時を少し前後して。
 レナとミアは同じく宿舎内の相部屋でのんびりと昼下がりの時間を過ごしていた。
「…………」
 ただ一つ、いつもと少しだけ違っていたのは、ルームメイトたるミアの様子が何だかおか
しいという点で。
(ミアちゃん、どうしたのかな……?)
 レナはぱらりと手に取る本のページを捲りながらも、テーブルに両肘をつきぼんやりと何
か物思いをしているかのような彼女を時折ちらちらと覗き見るように見遣っていた。
 同じクランの創立メンバーの娘同士(といってもレナ自身は養女だが)として、二人は物
心がつくよりも前からの付き合いがある。
 決して口数は多くないが、いざという時は主張し肝の据わっているミア。
 養父譲りの柔らかな物腰と、控えめで常に相手を立てる清楚可憐なレナ。
 お互いに補い合うように、惹かれ合うように、二人はこれまで幼馴染──いや親友として
の関係を重ねてきた。
 ただ、ちなみにもう一つ付け加えるとすれば──。
「……ん? あ、は~い」
 コンコンと控えめなノックの音。
 レナははたと気付き本から顔を上げると、反射的に返答を寄越す。
「……入ってもいいかな?」
 するとそっとドアを開けて顔を出してきたのは、白系の銀髪を左右の耳元辺りで結い、淡
く黒いローブに身を包んだ眞法族(ウィザード)の少女。
 年齢は二人よりも下の十六歳。とはいえ、ウィザード特有の銀髪がその印象を実際よりも
少し上に、神秘的にも見せている。
 ステラ・マーシェル。
 付き合いはまだ短いものの、二人と行動を共にするもう一人の親友とも言える少女だ。
「うん。勿論」
 レナはふんわりと微笑んで即答していた。
 するとステラはきょろきょろと辺りを見渡してから、おずおずと室内へと入ってくる。
「ねぇさっき、誰か来ていたみたいだけど……?」
「うん。アルス君っていってね、ジークさんの弟さんだよ。今度こっちのアカデミーに入学
するんだって。凄いよねぇ」
 それはまるで人の眼を警戒するような、怯えの混じった様でもあって。
「ジークの……そっか。あ、えっと……」
「大丈夫だよ。さっきお父さんが、ジークさんと一緒に出掛けたって言っていたから。すぐ
には帰って来ないと思うよ?」
 だがそれは無理からぬ事だった。
「……。うん」
 何故なら、彼女は“とある事情”によりこのホームで半ば引き篭もりに近い生活を送って
いるのだから。
 籠り切り故かはたまた元々の体質か。
 ステラは先んじてレナに微笑と共にそう補足を受け、白い肌と銀髪の下で複雑な表情を浮
かべていた。くるくると、耳元の横髪を指先で巻いてはゆるりと離して弄って場を濁す。
「それで……ミアはどうしたの?」
 だがそんな彼女も、先程から上の空状態のミアには気付いていたらしい。
 レナは静かに苦笑いを零してから、肩をすくめてみせて言う。
「よく分からないんだけど、さっきからずっとこんな感じなの。ダンさんと一緒にアルス君
をホームに案内してきてからかなぁ……? 私が呼びかけてみても全然反応しなくて」
「ふぅん……」
 ステラはその話を聞きながら、暫くじっとミアの横顔を見遣っていた。
 対するミアは、相変わらずテーブルに両肘をついたままぼんやりとしている。
 すると、ややあってステラはおもむろに立ち上がった。レナはその行動に、頭に疑問符を
浮かべて見守っている。
 そしてステラは、そ~っとミアの傍らに忍び足で近寄って──。
「アルスが来てるよ」
「……!?」
 ぼそっと、彼女の耳元にそんな一言を囁く。
 次の瞬間、それまで心ここに在らずといった状態だったミアが突如として反応した。
 頭の猫耳とふさっとした尻尾が一緒にビクンと逆立って跳ね上がり、まるで弾かれたよう
に身を返して部屋の奥へと飛び退る。
「……? あれ、ステラがいる」
「み、ミアちゃん? 大丈夫……?」
 驚いていたのはミアは勿論、レナも同じだった。
 そんな互いに別々に驚きや戸惑いの表情を見せる二人を、ステラは暫し黙して観察してい
るようにも見える。
「うん。やっぱりね」
 そして、ステラはその中で何かを確信したように言い放った。
「ミアはアルスに惚れている」
「えっ」「──ッ!?」
 レナは短い驚きを。ミアは茹で上がったように耳まで真っ赤な表情(かお)で。
 そしてミアのそれは、語るまでもなく彼女の言葉が間違っていないことを認めているよう
なもので……。
「えぇっ!? それって本当なの、ミアちゃん? そっかぁ。ミアちゃんが……」
「ち、違う。ボクはそんなこと一言も……」
「でも顔に出てるよ? ミアには珍しいくらいはっきりと真っ赤っか」
「……っ」
 ミアは頭がショートしたようにふらふらとしながら、その真っ赤になった自身の両頬を押
さえて押し黙ってしまっていた。
 その傍らに寄ったレナは何故かウキウキしながら、まるで自分の事のように満面の笑みで
そんな親友を微笑ましく見遣って呟いている。
 一方でステラは、そんな二人の友の姿を見つめながら、
「……ふふ。そっか。でもこれで“私達は皆”恋する乙女って事だね……」
 小さな小さな声で一人、そうごちる。

「うわぁ……随分と人が多いんだね」
「うん。サンフェルノとは大違い」
 一息の休憩を入れて支度を整えた後、ジークとアルス(そしてエトナ)はアウルベルツの
街中へと繰り出していた。
「ま、そりゃそうだろ。この辺りじゃ一番大きい街だしな」
 少々興奮気味な二人とは対照的に、ジークは慣れっこな様子で腰の三刀を揺らしながらそ
の一歩先を歩いている。
 その言葉の通り、ジーク達の歩く通りの両翼には大小様々な露天が軒を連ねており、人族
をはじめ多種多様な種族の人々が行き交っていた。
 露天を開いている内の少なからぬ者は、商才に長ける奉人族(サヴァノ)。
 往来を客に手相を視ているのは、額に第三の眼を持つ星詠の民・星眼族(ジプシィ)。
 木箱を背負った両生類系の亜人は、優秀な薬師を多く輩出する蛙人族(トードニア)。
 軒先で酒瓶片手に碁を打っているのは、頭に角を持つ鬼族(オーグ)と半人半器の付喪神
たる宿現族(イマジン)。
 各地から集まり、或いは旅立つ。そんな人々の流れがこの街に賑わいを形成している。
「分かってると思うが、人が多いからくれぐれもはぐれるなよ? 二回目つってもお前はお
上りだしな。ここは村みたいに気のいい奴らばっかりじゃないんだ」
「うん……分かってる」
 ちらとすぐ後ろをついてくるアルス達を確認するように肩越しで見遣ると、ジークはそう
淡々とした口調で言葉を重ねていた。
 アルスはそれに小さく頷いていたが、
「……やっぱり兄さんは、村に戻ってくるつもりはないの?」
 ふと暫しの沈黙を挟むとそんな事を兄に問い返す。
 ジークはその問いにすぐには答えなかった。再び振り返ることはせず、
「俺はこれでも一応、稼ぎの半分はそっちに送ってるだろ? 責任は果たしてるつもりだ。
今の生活もそこそこ忙しいしな。依頼はこっちの都合なんて待ってくれねぇし」
「そう、だよね……」
「……その、なんだ。母さんや師匠(せんせい)やリュカ姉、皆元気にしてるか?」
「うん。母さんもクラウスさんも、先生も村の皆も……元気だよ。僕がこっちに出発する前
には村総出でパーティーまでしてくれたし」
「そっか。変わんねぇなぁ、そういう所は」
 ただじっと背を向けたままで往来の中を歩く。
「……それよりも今は、お前のやるべき事に集中しろ。皆もそれを望んでる筈だ」
「うん……」
 背中でそう語る兄。
 アルスはか細く頷いていたが、その後ろ姿をまともに見ることはできなかった。
 ジークはそんな弟と、自分達を複雑な表情で見比べているエトナの姿をそっと肩越しに一
瞥すると、曲がり角に差し掛かって言う。
「ほらこっちだ。さっさと行くぞ」

 魔導学司校(アカデミー)は、今日の魔導の最高学府・魔導学司(アカデミア)が魔導師
育成のために各地に設立・運営している教育機関である。
 ある程度の人口規模を有する都市を中心に開校されており、難関の試験を通った者であれ
ばその出自は一切問わない。倫理と実践、何よりを実力を重んじる──そんな学び舎だ。
 当のアカデミー・アウルベルツ校は、通りの角を折れ、緩やかな坂を上った先にあった。
「ちょっと待ちなさい」
 どっしりと建てられた正門。
 ジークがアレスとエトナを連れ立ってそのまま門をくぐろうとした時、はたと両端に立っ
ていた守衛らしき男性二人がその進路に割って入ってきた。
「君は何だね? 剣を下げてこの学院に何の用かな?」
「あん?」「あ、えっと……」
 彼らの視線の先には──ジークが下げている三刀。
 ジークは眉間に皺を寄せたが、アルスの方は素早く彼らの意図を察したようだった。
 アルスは持って来ていた手提げ鞄の中を弄ると、
「あの。僕、今年度ここに入学する事になったアルス・レノヴィンといいます。学院の方か
ら早めに手続きに来てくれと連絡を受けまして……。あ、こっちは付き添いに来てくれた兄
さんです。この街で冒険者をやっています」
 紙製の『仮学生証』と印刷されたカードを守衛達に見せて、そう説明する。
「……ジーク・レノヴィンだ。これで身元は確認できると思うが」
 弟のその対応を見て、ジークも若干面倒臭そうにしながらも懐から自身のレギオンカード
を取り出してみせ、余計な誤解を解こうと試みる。
「ふむ。冒険者か」
「レノヴィン……ああ、例の」
 すると守衛達は、ゆっくりと警戒を解いたようだった。
 内一人が傍の詰め所へと駆けて行って何処かへ連絡を取っていたかと思うと、再びこちら
へと戻ってくる。
 そしてそれまで塞いでいた道を、二人は促すようにして互いに身を退いて言った。
「失礼したね。どうぞ」
「一応言っておくが、学院内での無闇な抜刀は控えるように」
「……ういっす」「はい。では失礼します」
 以前に受験で来ている事もあって、学院の敷地内に入ってからはアルスが先頭に立った。
 知的な静けさの漂うキャンパス内。まだ長期休業中ということもあるのだろうが、人の姿
は疎らに思える。
 アルスの記憶と構内の案内板を頼りに、三人はほどなくして事務局のある棟に着いた。
「あの~、新入生の入学手続きに来たのですが」
「はい。では合格通知と仮学生証を見せて下さい」
 窓口から呼び掛けたアルスに、一人の女性職員が応対してくれる。
 アルスが鞄の中から言われた通りそれらを提示すると、彼女は手元に置かれた端末を操作
して照会を開始。
「……はい、アルス・レノヴィンさんですね。それで、そちらの方は……?」
「こいつの兄だ。今日は付き添いで来た」
 またかと片眉を上げてレギオンカードを取り出してみせるジークの返答を受けると、冷静
な事務的な口調で「そうですか」とだけ小さく頷いて一旦席を外し、後ろのオフィスの一角
から手続き用の書類の束を持ってきた。
「それでは、こちらに必要事項とサインをお願いします」
「はい。分かりました」
 そしてアルスがそれらにペンを走らせ始める。
 ふよふよと中空に浮いたまま、エトナは後ろからその様子を眺めている。
 ジークも、これで一先ずかと窓際に背を預けて腕を組んで目を瞑り、じっと手続きが済む
のを待つことにした。
(アルスがアカデミーの生徒ねえ……。昔っから頭は良かったけど……)
 閉じた視覚の中、ペンを走らせる音が微かに聞こえてくる中、ジークは改めてそんなこと
を思った。
 自分とは違って勉学──魔導に才能に恵まれた弟。勿論、本人の努力も相当なものだが。
 しかし剣を振り回すぐらいしか能のない自分に比べれば、よっぽどこの先彼はきっと世の
中に通用する人材になると自分は思っている。
 だからこそ、あの村の中で小さくまとまっていて欲しくない。そう思うのだ。
 気心の知れた村人達との暮らしと“あの日”の辛い記憶が残るあの村には……。
(まぁこんなのは所詮、俺の勝手な押し付けになっちまうんだろうけどな……)
 行きがけにアルスにあんな事を訊ねられたからだろうか。
 ジークは窓際にもたれ掛かったまま、静かにフッと自嘲気味に己を哂う。
「兄さん、終わったよ」
「ん……? おう」
 そうしていると、はたとペンの音が止んでいた。
 鞄を提げ直しながら向き直ったアルスとエトナに、ジークは目を開いて身体を起こす。
「お疲れ。それじゃあ、さっさと帰──」
「あ、ちょっと待って下さい」
 だがその時、ジークの台詞に割り込むように先程の女性職員が口を挟んできた。
 何事かと振り向く三人に彼女は言う。
「え~と、アルス・レノヴィンさん。このまま学院長室へと向かって貰えますか? 学院長
から直接会って話したい事があると伝達を受けています」
「学院長が? アルスに?」
「はい、構いませんが……。ねぇ兄さん。もしかして連絡のあった、早めに学院に来て欲し
い理由って……」
「ああ。どうやらこの事らしいな」
「では少々お待ち下さい。学院長室に繋ぎますので」
 そして互いの顔を見合わせるこの兄弟を横目に、彼女は早速導話を掛け始める。
「──こちらが学院長室になります。くれぐれも粗相のないように」
 暫くして、三人は連絡を受けてやって来た一人のウィザードの女性によって、別棟の一角
にある学院長室の扉の前へと案内されていた。
 眼鏡を掛け、ビシッとスーツを着こなした一見すると秘書風の外見。
 エマ・ユーディと名乗った彼女も、その道中の事務的な自己紹介からするにこの学院の教
員の一人であるらしい。
「あ……アルス・レノヴィンですっ。お呼びに預かりさ、参上しましたっ」
 傍で控えるエマの視線と目の前の重厚な扉、これから会う人物からかアルスは緊張で身体
を硬くしつつも背を伸ばしてドアをノックしていた。
「はい。開いていますよ。どうぞ」
 ドアの向こう側から返ってきたのは、穏やかな声色。
 後ろのエマに無言で促されるようにして、アルスとエトナはおずおずといった感じで中へ
と足を踏み入れていく。
「……ようこそレノヴィン君。そしてその持ち霊・エトゥルリーナさん。私が当校の学院長
を務めています、ミレーユ・リフォグリフです」
 学院長・ミレーユは室内の上座の自身のデスクに着き、そうアルス達を出迎えた。
 ウィザードである事を示す白系の銀髪が、さらりと長く流れている。
 アルスはどれだけ老練な魔導師なのかと思っていたが、少なくともその外見は若かった。
 フッと両肘をついて組んだ手。
 すると彼女は入口の前で思わず立ち尽くしている二人を、
「そんなに緊張しなくてもいいですよ。さぁ掛けて? よければお兄さんもどうぞ」
「あ、はい……」
「……。じゃあ、失礼します」
 そして廊下側で待機の姿勢を取っていたジークにも声を掛ける。
 三者三様の戸惑い。
 だがこのまま立ちっ放しというわけにもいかず、三人はややあって彼女と対面するように
入ってすぐ傍、下座のソファへと腰掛けた。ボフンと高級さを示す沈み込みの感触が全身を
包み込む。
「先ずは合格おめでとう。そしてようこそ本校へ。私達教職員一同は貴方を歓迎しますよ」
「あ、ありがとうございます……」
 ミレーユは一先ずといった感じで合格への祝辞を述べる。
 その言葉にアルスは緊張して恐縮していたが、一方で隣に座るジークは対照的だった。
「で、学院長さんよ。まさかそれがアルスを呼んだ理由じゃないだろ? 一体うちの弟が何
をしたっていうんだ?」
 言葉なく慌てるアルスに、中空から「ちょっとぉ。失礼だよ」と視線を投げるエトナ。
 ミレーユの傍らに移動していたエマも僅かに眉間に皺を寄せていたが、当のミレーユ本人
は多少の荒っぽさには動じないらしく、むしろフッとその微笑を濃くして答えていた。
「勿論です。今回わざわざ早めに来て貰ったのは他でもありません。レノヴィン君、貴方に
は今度の入学式でスピーチを頼みたいのですよ。……新入生主席としてね」
『えっ!?』
 その言葉に、ジークとエトナは重なった驚きの声を漏らした。
 だがそんな二人よりも、
「…………スピーチ? 主席? ぼ、ぼぼぼ、僕がですかっ!?」
 むしろ告げられた当人が一番驚いていた。
 学院長直々という事もあるのだろう。アルスはソファにちょこんと座ったまま、動揺でぐ
らぐらと瞳を揺らしてその場で固まっていた。
 元々あまり活発な方ではないとはいえ、コイツは……。
 ジークはそんな緊張で既にガチガチになってしまっている弟に向かって訊ねる。
「つーかお前が主席なんて聞いてねぇぞ? 合格通知に点数は書いてなかったのかよ?」
「書いてないよぉ……。合格したかどうかしか……」
「試験の個人成績は、入学式の三ヵ月後までに事務局で手続きをすれば書類として発行され
るようになっています。プライバシー保護の面もありますので」
「……なるほど」
 すると半ば泣きつくような返答をみせるアルスの言葉を補足するように、エマが眼鏡のブ
リッジを軽く押さえながら言った。
「ちなみにレノヴィン君の成績は二百点満点中、筆記試験は二百点。実技面接は百八十八点
でした。受験生の中でも断トツのトップ成績です」
「それに、確か面接前の導力(どうりょく)測定では750MC……だったわよね?」
「はい。今年の受験生達の平均値が520MCでしたから、こちらも高水準ですね」
 ちなみに導力とは、個人が制御できるマナの限界量(キャパシティ)の指標である。
 単位はMC。一般人の平均は100MC前後だが、訓練による導力強化が大前提である魔
導師に関しては、一般的に1000MCを越えると一流と言われている。
「……改めて聞くと凄ぇな」
「すっご~い、凄~い! やったね、アルス」
「う、うん……ありがと。頑張った甲斐が、あったみたいだね……」
 ミレーユとエマが教えてくれたアルスの成績。
 ジークは驚きで勢いを削がれ、エトナはアルスの傍をくるくると飛び回りながら我が事の
ように喜んでいる。
 ただ一人、当のアルスはまだ緊張しているのか、返す言葉はぎこちない謙遜だった。
「別にご実家に導話させて頂くか、書面を送れば済んだ事ではあったのですが……。内容が
内容ですし、直にお願いするのが筋だろうと思ったのです。それに……これほどの好成績を
収めたルーキー君をこの眼で見てみたいという個人的な理由もありまして」
 口元に手を当てて上品に笑い、少し茶目っ気ぽくそう理由を話したミレーユ。
 ──そんな事の為に、わざわざアルスの上京を繰り上げさせたのかよ?
 対するジークは内心そう思ってあまり面白くなかったが、はにかんでいる弟と嬉々として
いるエトナの姿を見ると結局言葉にする気にはなれなかった。
「それで、どうかしら? スピーチ、引き受けて貰えるかしら?」
「あっ。えっと……」
 そして改めて、この依頼に対する意思表示をミレーユは訊ねてくる。
 アルスはまだ戸惑っているようだった。ちらちらとジークの、エトナの顔色を窺うように
視線を泳がせている。
「……わ、分かりました」
 だがそれも数十秒。やがてアルスは意を決したように、
「そのスピーチ、お受けします。精一杯頑張らせていただきます」
 ごくりと息を呑むと、そうミレーユを見据えて受諾の意思を伝えたのだった。


「それじゃあ、未来の大魔導師クンのこれからを祝して……乾杯!」
『乾杯~っ!!』
 そしてその夜。
 酒場『蒼染の鳥』にて、アルスの歓迎会が幕を開いた。
 大ジョッキを片手にしたダンの音頭を皮切りに、クランの団員達は一斉に唱和してお互い
のジョッキを打ち合わせる。
「か、買い被り過ぎですよ……」
 そんな彼らの輪の中に放り込まれたようにして、今夜の主役たるアルスは恥ずかしそうに
苦笑しながら呟いている。
「そんな事ないよ。アルスはもっと自信を持っていいと思うけどなぁ」
「う~ん……。そう言われても」
 ふわふわとその傍らで浮かんでいるエトナは、パートナーが主役なこの宴を喜んでいるよ
うだった。ちびちびと目の前の料理を口にしているアルスに、彼女はせめてこんな時くらい
は胸を張っていいものにと思いながらそんな言葉を投げ掛けてみる。
「ま、謙虚も美徳だがな。だが顔を上げなきゃ見えるものも見えなくなるってもんよ。ほら
よアルス。お前も飲め飲め」
「……はい」
 そうしているとダンと、複数の団員達がずいっと身を寄せてくる。
 ドンッとテーブルの上にジョッキを置き、ダンがそこになみなみと酒を注ぎながら言う。
 アルスは勧められるがままにそっとジョッキを両手で掴んだ。シュワシュワと静かに泡が
せり上がってくるたっぷりの酒を、ゆっくりと時間をかけて飲み干していく。
「ふはぁ……。げぷ」
 わっとテンションの上がる面々。
 だがその量も相まってか、飲み終えたアルスは苦しそうに見える。
「ん? どうした、もしかしてキツイのか?」
「は、はい……。正直あまり慣れていなくって……すみません」
「お前が謝ることはねぇよ。副団長。そいつに無茶させないで下さいよ?」
「……お父さん、お酒が絡むと強引だから。アルス、大丈夫?」
「は、はい。何とか大丈夫です」
 すると皆の輪の横でシフォンと飲んでいたジーク、焼き魚の肴をつまんでいたミアが口々
にダンに批難の声を漏らした。
「ぬぅ……ミ、ミアまで。あ~……分かったよ、俺が悪かったって」
 堪らず渋面を漏らしてダンが言い放つと、周りはにやにやとしたり我が事と苦笑したり。
 そして流石にその後はアルスに無理に飲ませようとする者はおらず、代わりに彼への質問
攻めの時間が始まっていた。
「魔導は何処で勉強したんだい?」
「村の教練場(寺子屋のようなもの)の先生が元魔導師で……。その先生に基礎から教えて
貰っていました。あとは自分で色んな魔導書を読んでみたり、でしょうか」
 それは魔導師としての彼だったり。
「エトナちゃんとの馴れ初めはどんな感じ?」
「ふふ~ん。聞きたい? 聞きたい? えっとねぇ──」
「村の近くの、子供の頃よく皆で遊んでいた森の中に住んでたんです。その頃から僕は精霊
が見えていたみたいで、一緒くたになって遊んでいて。多分それが最初だと思います」
「むぅ。それは確かにそうなんだけどぉ……」
 持ち霊エトナとの出会いについてだったり。
「はいは~い。アルス君の好きな女の子のタイプは何ですか?」
「ちょっ、レナ──」
「う~ん……あまり考えた事ないですね。馬が合うのなら別にこだわりなんてないと思うん
ですけど、やっぱり僕にないものを持っている人がいいのかなぁ」
「そっか~。だって、ミアちゃん?」
「……レナのバカ」
 はたまた色恋沙汰についてだったり。
 語らい、飲み交わし、笑い合い。
 やがて宴の空間は主役だった筈のアルスをそっちのけで散らばってゆく。
『ハイ八杯目、ハイ八杯目、ハイ八杯目~!』
「んぐっ。くはぁ~!」
「……うむ。美味だ」
 中央のテーブルではいつの間にかダンとリンファの飲み比べが始まっていた。
 すっかり出来上がった団員達のコールの下で、豪快な飲みっぷりのダンと、同様に飲んで
いる筈なのに平然としているリンという酒豪二人が何度ともなく空ジョッキを置いていく。
 その騒々しい輪の外では、シフォンらが静かに時折肴をつまみながらそんな光景に視線を
遣っており、カウンター席では溜息顔のブルートと微笑を湛えるイセルナ、そしてその内側
ではハロルドとレナがゆたりと皆が平らげた料理の食器を洗っている。
「……?」
 だがそんな中で、 
(アルスとジークが、いない……?)
 ぼ~っとテーブルに肘をついていたミアはふとそんな様子の変化に気付き、ピクンと頭の
猫耳を揺らす。

「こんな所にいたのか、二人とも」
 アルスは酒場の裏手の軒下、クランの宿舎と中庭を臨む小さな段差に腰掛けていた。
 ふらっと現れ、声を掛けてくるジーク。アルスはゆっくりと振り返った。
 すっかり暗くなかった夜闇に、エトナの碧色のオーラが静かに溶けるように漂っている。
「どうしたの? 皆まだ飲んでるんじゃ……」
「ああ。すっかり出来上がってる。だから抜けてきた。副団長やリンさんのペースに合わせ
ちまった日には悲惨なことになるからなぁ。身を以って経験してる者としてさ?」
「あ、はは……」
 思わず苦笑いを浮かべるアルス。その傍らに、ジークはそっと立った。
「とりあえずお疲れさん。見ての通り荒っぽくて騒がしい連中だけど、少なくともここの皆
は信用できるぜ? 五年ここにいる俺が保障する」
「うん。僕もね、なんかいいなぁって思った。……家族みたいな感じだよね」
「家族ねぇ……そういう類とはちょっと違う気もするが。まぁでも、同じ釜の飯を食ってる
冒険者仲間って意味じゃそうなのかもな」
 ジークはそんな少々過大評価な弟の言葉に、照れ気味に頬を掻きながら言った。
 家族というよりは、拠点を構えたパーティというものに近いとジークは考えていた。
 冒険者としての目的は一にするが、必要以上に馴れ合う事までが集う理由ではない。とは
いえ、確かにこのクランは結束は強い方なのだろう。他のクランではもっとドライなのかも
しれないが。
「……僕も学院で友達、できるかなぁ」
 するとポツリとアルスがそう呟いた。
 ジークはその声を耳にし、フッと口元に笑いを浮かべる。
「大丈夫だろ。何せお前は新入生主席なわけだからな。友達かは分かんねぇけど、少なくと
も注目はされるんじゃねぇの?」
「うぅ。やっぱりそうなのかなぁ……? あまり目立つも恥ずかしいんだけど」
「おいおい。入学式のスピーチを頼まれた奴の言う台詞かよ。……やっぱ、緊張しているの
か? 無理そうなら断わればいいだろ。式までまだ日はあるんじゃねぇのか?」
「うん。来週の賢者の日(第六曜日。十二日で一週間である)だけど……。でも断われる訳
ないじゃない。学院長先生から直接頼まれたことだし……」
「真面目だなぁ」
 ジークは思わず苦笑した。
 だがそんな所も弟のいい所だと思った。恥ずかしくてとても口には出せないが。
「…………」
 アルスはエトナのオーラを灯りに、じっと夜空を見ていた。
 そこには星々の他に、遠くマナの雲海の中に“浮かんでいる大陸”が点々と確認できる。
「……僕ね。不安なんだ。厳密にいうと期待半分、不安半分ってところなんだろうけど」
 ぽつりと一言。アルスはその視線のまま、そう兄に抱く思いを漏らし始める。
「……今までずっと僕は村で暮らしてて、魔導も先生にみてもらって勉強してきた。だけど
本からだけじゃ、満足できなくなっている気がするんだ。もっと色んなものを見て聞いて、
いっぱい勉強して……。もっともっとたくさんの事を知りたいんだ」
 そこで一度、アルスはフッと苦笑のような声を漏らした。
「当たり前の事なんだけど、僕達の知ってる世界は今こうして立っている地面──大陸だけ
じゃない。この大陸だって実はマナの雲海に浮かんでる大陸の一つに過ぎなくて……一つの
顕界(ミドガルド)っていう世界に過ぎなくて。この空の向こうには他にも色んな世界が広
がってる」
「ああ、そうだな。普段はアウルベルツの周りで仕事してるから忘れがちだけど」
「……初めて本で読んで知った時はびっくりしたよ。でも、それ以上に怖かった。結局は僕
なんて、そんなたくさんの並列した世界の中の小さな一粒でしかないのかなって……」
 ジークは合いの手の後のその言葉に押し黙っていた。
 学院生活の不安だけではなかったのか。
 なまじ知識が豊富なだけに、そこから広がるイメージの広大さに押し潰されそうになると
いう不安。いや恐怖感なのだろうか。分からなくはない。でもそれは──。
「だから魔導を習ってるのか? 魔導は別界に行ったって通用するしな」
「う~ん……それもあるのかもしれないけど。でも、一番の理由はもっと別の事だよ」
「じゃあ何なんだよ?」
「……。内緒」
 人差し指で口元を押さえ、アルスは茶目っ気ぽくそう言ってみせる。
 だがジークには、それが何処か無理をしているようにも思えた。
 ふよふよと傍らに浮いたまま、そんな彼を黙して見つめているエトナへちらと一瞥を向け
てから、ジークは片眉を上げて両手を組む。
「なんつーか……。お前は高い所を見過ぎだな。ポジティブな言い方をすれば上昇志向だと
も言えるんだろうが……」
 ふーっと大きく一息。
 今度はジークが夜空を、夜闇の中に浮かぶ大陸群を目に映す番だった。
「俺だって冒険者だ。色んなものを見てみたいって気持ちがないわけじゃない。だけどな、
そんな遠い目標つーか何つーか……背丈に合ってない所ばかりに目を遣ってばかりもどうか
と思うぞ? 頭を上げっ放しで足元が留守になってちゃ本末転倒だろうよ。高い所を目指し
たきゃ、足元から少しずつ積み上げてゆかねぇとさ」
「……足元から、積み上げる」
「ま、お前は俺と違って出来がいいんだ。そんなに焦らなくたっていいって事だよ。無理し
て崩れちまったら、結局遠回りだ。お前はお前の道をゆっくりしっかり進んでりゃいい」
 アルスは少し驚いたようにそんな兄の横顔を見つめていた。
 ジークもちらとそんな弟の様子を見遣る。
「……そうだね。ありがとう、兄さん」
「礼を言われるようなことはしてねぇよ。……無茶だけはするなって話だ。まだお前の学院
生活は始まったばかり──というか、厳密にはまだ始まってすらいねぇんだしな」
 フッとアルスは微笑んだ。ジークはその笑顔を直視できないとでも言わんばかりに、再び
夜空の方へと顔を向けてしまう。エトナがくすくすと静かに笑っている。
 無数の浮遊大陸。並列する世界。
 だがそんな事は関係ない。ただ自分達は、自身の道を誠実に歩んでいければいい──。
「……頑張れよ、アルス」
「うん。兄さんも」
 広き世界の片隅で。
 久々に再会を果たした兄弟の一日目は、こうして過ぎてゆくのであった。


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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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