日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(長編)ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-Ⅴ〔57〕

 悪意はなかった。ただ奇しくも同じ場所に居合わせただけだったのだ。
「……暑ぢぃ」
 彼はその日、一人とぼとぼと堤防道を歩いていた。
 季節は夏本番を迎えんとする頃。日々強くなる日差しもあり、スーツの上着はとうに脱ぎ
捨て片腕に引っ掛けている。
 その首から下がっているのは写姿器だ。彼はとある雑誌社所属の撮影技師(カメラマン)
だった。
 尤もその会社自体はお世辞にも大手とは言えない。はっきり言って零細中小の部類だ。故
に会社自体も、必然的に彼も、ここ暫くは大きな儲けを得られずにいた。
 ネタだけなら……転がっている。このご時世だ。きな臭い事件の一つや二つ、叩けば幾ら
でも出てこよう。
 だがそんな中でも特に世間を騒がす──大口の狙い目は、基本的に大手の連中が掻っ攫っ
ていってしまうものだ。自社で抱えるオリジナルの情報というのは乏しい。かといってある
事ない事を書き並べてセンセーショナルを演出した所で、昨今は訴えられるリスクが高いと
きた。各国の司法も、表現の自由より、国益の側に立っている感を個人的には覚えている。
 ……確かに、煽り立てるだけの報道を健全と呼ぶべきかどうかは、疑問だとは思う。
 しかし現実は稼がねばならない。そして少なからず、人々は日々の不平不満をぶつける事
のできる“敵(ダシ)”を求めている。
 彼は揺れていた。何もそれはこの降り注ぐ日差しの所為だけではない。
 俺達が“正義”を標榜した(かいた)って、どうなるものさ。
 馬鹿正直に王侯貴族・豪商様の機嫌を損ねたって、デメリットの方が多い。
 なら無難に、こっちも“ニーズ”に合わせた商売をしようじゃないか──。
 そんな何時かの、先輩達の含み笑いが脳裏を過ぎっては消えていく。
「何か……いいネタねぇかなぁ」
 堤防道の上で、ぼうっとそんな嘆きにも近い呟きを。
 彼は眩しさに半目になりながらも軽く空を仰いだ。清々しい。青く、時々むくむくとそそ
り立っている雲。
 スキャンダラスな記事作りがどうにも厭で、結局取材に飛ばされたのは近隣の村々。
 夏に向けた農夫らの姿や、所々で始まる祭りの気配など。彼はここ数日各町村を回っては
取材の許可を取り、そんな──きっと紙面の片隅にしか載らないであろう風景を撮るばかり
であった。
 かつての志。内側と外側の、現実。
 降り注ぐ陽光が、かくも忌々しい。
(ん……?)
 そんな時だった。何となく眺めていた、川を挟んだ向こう岸の一角に、彼は誰かがいるの
を見つけたのだ。
 微かに耳に届く水音。嬉々とした若い声。
 彼はじっと目を凝らした。向こう岸の堤防道、その途上にある木々に囲まれた辺り。
 そこに何人か──水浴びをしているらしい者達がいる。
「呑気なもんだな」
 内心悪態はつきつつも。されど職業からか自身の癖か、彼は次の瞬間にはフッと笑い、首
に下がった写姿器を持ち上げるとレンズを覗き込んでいた。
(……ッ!? ちょっと待て。あれは、もしかして……)
 故に、ようやく気付く。気付いてしまったのだ。
 川辺で涼を取っていた少年達。
 そのレンズ越しにズームしたその中に、見覚えのある少年──トナン皇国第二皇子アルス
の姿があるのを。
 彼は思わず目を丸くしていた。レンズの向こうで、同じく見覚えのある翠の少女精霊と共
に川辺で足を浸している皇子を見つめ、彼は殆ど衝動的にシャッターを切っていた。
(おいおい、マジかよ……。確か皇子は、暫く療養するって話じゃなかったのか……?)
 そっとレンズから顔を上げ、おずおずと周りを確認するように見渡す。
 こちら側の堤防道には他に誰も居なかった。
 だが向こう岸、アルス皇子達のいる側はそうはいかないだろう。たとえプライベートな場
であっても、随伴の武官の一人や二人、近くに潜んでいると考えるのが普通だ。
(……こりゃあ、ずらかった方がよさそうだ)
 皇子達の姿を捉えた写姿器を首に下げ、彼は駆け足になり堤防道の坂を滑り降りていく。
幸いにも追っ手は来なかった。おそらく川を隔てていた状況に救われたのだろう。
 人気もそう多くない田舎町を、彼は息を切らして駆けていった。
 こいつは──スクープだ。
 内心の興奮を隠し切れず、彼はぎゅっとこの愛器を握り締める。
 ようやく自分にも運が向いてきたのかもしれない。まさか皇子の静養先が、この町だった
なんて。
(急いで戻ろう。こいつを、社に持ち帰れば……)
 興奮。にわかに揺さ振られ始める功名心。
 だがこの行動が、後に大きな事件を招くことになろうとは、彼は未だ知る由もなく──。


 Tale-57.言葉と魂、吐き出す先に

『次は~フォーザリア、フォーザリア~。国定鉱業区へは毎日運行、定期鋼車が便利です』
 梟響の街(アウルベルツ)を出発して数日。ジーク達一行は空路よりヴァルドー王国北の
玄関口・オルタヴェネクより入国し、そこから目的地フォーザリアまでを鉄道の乗り継ぎで
目指した。
 身バレ──警備上の都合から予約車両を使わざるを得ず、揺られること暫し。
 ジークと仲間達はようやくそう響く車内アナウンスを聞き、いそいそと荷物を取り出し直
して列車を降りたのだが……。
「あっ、来ました。皇子です! ジーク皇子一行が今、構内に降り立ちました!」
「やはり今回の慰霊式に参加するという情報は正しかったようです。大勢の警備要員が周囲
を取り囲んでいます」
「皇子! 今回の式典参加について一言!」
「今回がご自身初めての公務という事になりますが、やはり先の爆破事件に対する謝罪を、
という意図でしょうか?」
『……』
 ずらりと待ち構えていた。幸い嗅ぎ付けられることは予め想定し、ヴァルドー側も厳重に
警備を敷いてくれたお蔭で直接かち合う事態にはならなかったが、構内には既にマスコミ各
社が映像機や写姿器を手にこちらから情報を引き出そうと躍起になっていた。
「……マスター」
「放っとけ。行くぞ」
 オズの(鎧風キジンなので表情がある訳ではないが)心配そうな茜色のランプ眼と声に、
ジークはそれでも敢えて寡黙なさまを保った。コートのポケットに両手を突っ込み、腰に差
した六華を揺らしながら、少し慌てて周囲をフォローしていく侍従や警備兵らを引き連れる
ようにして仲間達と改札へ向かう。
「皇子!」「何か一言!」
「オーキス公の死については、どうお考えですか?」
『……』
 駅前のターミナルに出てもそれは同じだった。
 構内以上に集まったマスコミの群れ、或いは野次馬の類。
 それら人々をヴァルドー側、加えて統務院の人員と思しき兵らが自分達の身体で境界線を
作り、懸命に制止している。
 ……そうだよな。王国(ヴァルドー)だけじゃない。名目上、今回の式典は統務院が主催
という形で執り行われる。
 なのに、マスコミ連中は他の年季の入った政治家達ではなく、自分に大挙する。
 ジークは密かに唇を噛んで押し黙った。改めて、あの事件の“責任”が圧し掛かる。
「お待ちしておりました」
「さぁ、こちらへ」
「ああ……。世話になる」
 そんな人だかりを避けるように、警備要員らが分かつようなその中を通過し、ジーク達は
既に用意された黒塗りの鋼車群と役人らに迎えられた。
 そのまま、交わす言葉もそこそこに一行は分乗していく。民間人も乗る定期鋼車では間違
いなく大騒ぎだ。他の出席者と同様、このまま目的地フォーザリア鉱山まで一直線である。
(……。中々、静かに参らせてはくれねぇもんだな)
 ようやく一息をつき、ジークはミラーガラスな車内から、遠くなっていく駅を周囲の風景
を眺めた。
 後方で記者達が写姿器のストロボを焚いている。市街に居合わせた往来の人達が、何処と
なく暗澹とした眼でこちらを見てくる気がする。
 慰霊式。先の鉱山爆破事件で犠牲になった人々を、この地上(セカイ)の世界政府が責任
をもって弔わせて頂く。
 だが……そんなものは所詮方便だと知っている。人々も気付いていない訳ではなかろう。
 ただ純粋にひた向きに鎮魂の祈りを──そんな想い以上に、貴族達にとってはこれもまた
パフォーマンスである筈だ。犠牲者を悼む。そうかこつけ、その実は“結社”イコール悪、
即ち自分達こそが正義だと演出する為の。
 正直、釈然とはしない。
 確かに実際、あの惨事を起こしたのは結社(やつら)であって、その理屈もあながち間違
ってはいないのだが……だからといって、そう安易に自分達が“正しい”と言い切ってしま
えるものなのか。
「……」
 蔑ろにされてしまっている印象は、否めない。

 それでも、一行を乗せる鋼車群は粛々と鉱業区へと入って行った。
 案内されたのは事前の情報にもあった当面の宿。
 マスコミの視線からも解放され、此処でジーク達はようやく人心地をつく事ができた。
 荷物を置き、ぐぐっと伸びをして旅で凝り固まった身体を解す。あとは式典が始まるまで
待機し、身支度を整えておくだけだ。
「それでは、ジーク様」
「早速着付けを」
 ススッ……。そうして気を緩めていた所へ、やって来たのは侍従達だった。
 着付け。その言葉(フレーズ)にジークは明らかに面倒臭そうな表情(かお)をする。
「……やっぱ、着なきゃダメか?」
「はい。当然です」
「慰霊に訪れた、その御心は私達も存じ上げております。ですがそれも、表向きは統務院主
催の式典への参加でありましょう?」
「何よりジーク様にとっては初めてのご公務。お二人ご兄弟の侍従として、そのような場で
赤っ恥をかかせる訳にはまいりません」
 既に喪用の民族衣装(ハガル・ヤクラン)を手に畳んで準備し、言い含めに掛かってくる
随行の侍従達。
 ジークは苦笑しながらぽりぽりと髪を掻いた。
 妙にぐいぐい来るな……。イヨさんやリンさんをアルスの方へ遣った分、二人に色々発破
でも掛けられたか? そう思い、小さく息をつき、観念する。
「しゃあねぇな」
 侍従達に連れられ、ジークは仕切り壁で区分けされた部屋の奥へ移動していった。
 その様子を仲間達は、各々部屋の一角で何気なく見遣っている。
「……なぁ、ジーク。梟響の街(むこう)でもそうだったが、そんなにヤクランが嫌か? 
れっきとした母国の衣装だろう? 恥じる事はない。場合にもよるが、国定の民族衣装なら
ばちゃんと公的な正装としても通じるぞ?」
「別に嫌って訳じゃねぇよ。ヤクラン自体は母さんが時々着てたからな。ただ……まだ慣れ
ねぇんだよなあ。ほら、アトスって基本北国だろ? だからこいつ一本だと妙にスースーし
て落ち着かなくってさ……」
 そして、最初に話を振ってきたのはサフレだった。
 侍従達によってさも着せ替えごっこな様相を呈し始めているジークの背中に、己が背を仕
切り壁の断面に預けながら、そう澄ましたように訊ねてくる。
「ああ、そうでしたか」
「でしたらご心配なく。こちらに、肌着(インナー)を用意してございます」
「アルス様も、以前同じ事を仰られておりました。皇国(トナン)は温暖ですので、私ども
も失念しておりました」
「お、おう。用意がいいな。そんなら早く言ってくれりゃあ──」
「お伝えする前に後回しにされ、剣の稽古に逃げ回っていたのはどちら様でしょう?」
「……。スミマセン」
 だがそんな戦友(とも)の心配は無用だったようだ。肩越しに振り向き、ジークがそう正
直なところを述べた次の瞬間、にゅんと侍従達がそう新しくトナン風に設えた肌着をかざし
てみせる。
 少し固まり、しかしまた口が滑り、彼女達からにこやかな反撃を貰うジーク。
 気持ちしょんぼりしていた。それでも侍従達による着せ替えもとい衣装チェックは、その
間も着々と進められていく。
「カッコイイですのにね? ヤクラン」
「まぁ、男心は複雑なんだよ。ジークの場合、自分の出自を知るまでに色々あったからな」
 分かったような口を……。後ろでひそひそと、そうやり取りをしているマルタとサフレの
声を聞きながらジークは思った。
 尤も、別に怒ってはいない。何というか……こそばゆい感じなのだ。
 そもそもあいつの事だって、何時ぞやにアルス達から聞いているのだ。
 父親(サウルさん)との確執。それがこの前の入院の最中、雪融けをみたらしいこと。
 ……何だい。気づけば随分とその糞真面目も、丸くなりやがってさ?
「と、ところでジーク様」
 そんな最中だった。ふと一人の若い侍従が見上げてきて言う。
「その、本当に宜しかったのでしょうか? 例のスピーチ原稿、あんな風にしてしまって」
「……いいんだよ。今更やっぱり撤回しますなんて言えるのか?」
 そう、ですね。彼女が黙った。他の侍従達も、同様に内心心配していたらしく、静かに眉
を顰めては影の差す表情(かお)をする。

 ──式典はやはり統務院(せいじかたち)のパフォーマンスだった。フォーザリア慰霊式
へ招待されて数日、ジーク達の下に届けられたのは、いわば式典の“台本”だったのだ。
 そこに記されていた大まかな流れは以下の通りである。
 先ず開会宣言をファルケン王が。次に出席者──各国名代の貴族や、フォーザリアの採掘
利権に関わっていた商人らによる献花、そして彼らによるスピーチが待っている。
 それだけならいい。
 たが例に漏れず、ジークもその一人に挙げられていたのだ。何よりその際に喋って欲しい
内容までもを、運営側は内々に指定してきたのである。
 当初、侍従達も参列の打診があった時点でスピーチの原稿を用意はしていた。
 だがこの統務院(うんえい)側のやり方に、他ならぬジークがキレてしまったのだ。
 彼は式典関係の書類を届けに来た使者を目の前にして、手渡された原稿を一読した後、事
もあろうにそれを破り捨てて、言い放つ。
『……悪いが、この原稿は使わねえ。俺は、俺の言葉で謝りたいんだ』
 その時の使者の驚きっぷりと、侍従達の声なき悲鳴といったら。
 それでも結局、使者は長い間唖然とした後「……では、そのようにお伝え致します」とだ
け応えて立ち去って行ったのだが。

「本当に大丈夫、でしょうか?」
「うーん。一応今日までお咎めが無いとはいえね……。まぁ当日、改めて原稿を押し付けら
れる可能性はあるけど」
 当然ながら、水面下では王侯貴族の少なからずがこの態度を快く思わなかったらしい。
 だがジークは、一度啖呵を切った手前、そもそも撤回する気などなかった。
「心配すんな。仮に首が飛ぶんなら俺一人だろ? そもそも、連中は俺を利用して世間のポ
イントを稼ぎたがってる。内輪でこっそり進めようとしてたことだけで、いきなり俺の利用
価値をかなぐり捨てやしねぇよ」
 改めて心配する侍従に、渋い表情(かお)をする仲間達に、ジークは言った。
 着合わせが済んだヤクランを翻す。ついっと親指で、自身の首を撫でながら哂う。
 だって筋だろう。鉱山丸々一個、何人もの犠牲者が出た。その喪失を悼み、謝罪するより
も闘いの為に利用するなんて、誠意のせの字もないじゃないか。
 多分、それが政治ってものなのかもしれないけど……そんなやり方が当たり前なら、俺は
政治なんてやらない。
「承知の上さ。奴らの道具になって、堪るかよ」
「ジーク……」
「ま、嫌いじゃないぜ? そういうの。どうせ特務軍でも散々こき使われるんだ。ちったぁ
牙の一つや二つでも見せとかないと、お上も図に乗るだろうからなぁ」
「そういう問題じゃ、ないと思うけど……」
「全くだ。少なくとも受け取るだけ受け取っておけばまだマシだったろうに」
「デモ、アノ時ノマスター、カッコヨカッタデスヨ?」
「あはは……」
 心配やら賛同やら呆れやら。仲間達の反応は様々だった。
 それでも、自分について来てはくれるらしい。ダンの言うように、皆少なからず世界政府
としての統務院には、何かしら思う所はあるのだ。
 そっと目を閉じる。脳裏に、瞼の裏に、蘇る。
 あの時救えなかった鉱夫達。デモの片棒を担がされていた人々。そしてオーキス公──。
『……?』
 ちょうど、そんな時だった。
 ふと一同がいる部屋の扉がノックされ、皆が思わず振り向いた。
「? 誰でしょう?」
「皆さんは奥へ。我々が見てきます」
 武官の侍従が数人、ジーク達をその場に制すると扉の方へと歩いていった。一同が見守る
中、扉越しに誰何するやり取りは程なくして終わり、そこに懐かしく見覚えのある者達の姿
が現れる。
「やっほー。ジーク君、皆」
「レジーナさん、エリウッドさん!」
「やあ、こんにちは。こっちに来た時の様子、映像器で観たよ。なので挨拶をとね」
 鋼都(ロレイラン)で出会い、大都(バベルロート)の一件では市民らの避難誘導に尽力
してくれた機巧技師・レジーナとエリウッドだった。
 あの戦いが終わり、それぞれの居場所へ帰ってから幾週間。
 にわかに緊張した空気がフッと緩んで賑やかになった。特にオズは、二人に親のように見
上げられ、心なしか茜色のランプ眼を潤ませているようにも見える。
「オズ君も久しぶりー。どうだった? 何処か身体に不具合はない?」
「ハイ、大丈夫デス。レジーナサン達ノ改装ハ、現在モトテモ快適ニ動作シテイマス」
「ところで、二人も正装してるって事は、もしかして……?」
「うん。僕らも明日の慰霊式、参列するよ。そちらのように招待された訳ではないけどね」
「おべっかイベントって事は分かってる。でも、あたし達にも責任の一端はあるからさ?」
「レジーナさん……」
 ジークの、仲間達の顔色が思わず暗くなった。
 だが当の彼女はにゃははと笑っている。さも、そんな重苦しくなるような空気を自ら払拭
しようとするかのように。
「まぁまぁ。積もる話はあるだろうけどさ? とにかく今はこれからを見ようよ?」
「ああ。自責の念が無いと言えば嘘になる。でも、僕らが前を向いて進んでいければ、それ
は多少なりとも彼らの──生前願ったであろう生き方になる。供養に、なると思う」
「……そう、ですね」
 絞り出した苦笑(え)み。覚えていよう。せめて、自分達だけは。
 かくして新たに合流した仲間と共に、ジーク達はそう改めて静かに気持ちを引き締める。

「──あ。おかえりなさい、団長」
 夕暮れの梟響の街(アウルベルツ)。そろそろホームの酒場も本格開店となる所で、今日
の依頼を済ませたイセルナ達以下団員らが、一グループまた一グループと帰って来る。
「ただいま。皆、大体帰って来た?」
「ですね。遠出組以外はもうこっちか宿舎にいる筈ッスよ」
「そう……」
 イセルナ・カートン。クラン・ブルートバードの団長。
 加え同伴していた団員ら数人と共に、彼女は空いているテーブル席の一つに着いた。
 カシャリ。そして懐から取り出し、置いたのは──金が詰まった麻袋だった。
「どうしたんですか? これ」
「ああ。クラン(うち)の口座から下ろして来たんだよ。途中、財友館に寄ってたんだ」
「そろそろ伯爵に謝礼を渡す頃合なのよね。結局今も、伯爵にはうちの宿舎で抱え切れない
分の団員達の滞在先を手配して貰っている状態だし……」
 答えながら、イセルナは袋から、一つ一つ中の硬貨や紙幣を取り出しては整理し始めた。
 まめな性格も手伝って、たくさんのそれを綺麗に、百単位を一まとめにしてテーブルの上
へ並べていく。
「一、十、百……。えっと、三万ガルド?」
「おお。大金ッスね」
「んでもまだ一部だぞ? さっき言ったように謝礼用だしな」
 へぇ……。何となく二人を囲み、見物と洒落込んでいた団員達が驚き、そして心持ち緊張
したようにテーブルの上のそれを見ている。
 ざっと数えてみて三万ガルド。庶民にとっては大金の域だ。しかも同伴した団員は、これ
がまだ自分達クランの口座額のほんの一部だと言う。
「何ていうか……感無量ッスね。ジーク達護衛のお蔭なんでしょうけど、気付けばすっかり
金持ちになってたんだなあ」
 ぽろり。団員の一人が正直な感想を呟く。
「……そうね。でも、まだまだ足りないわ」
 だが当の勘定をしていた、団長イセルナはあくまで冷静だった。むしろそう言い、並べた
資金の一部を見つめると、じっと思案顔をしていた。
「足り、ない……?」
「えっ? まさか伯爵の側、もっと寄越せって言ってきてるんです?」
「ううん。そうじゃないの。ただ、色々やろうと思うとね……」
 要領を得ない感じだった。故に団員達は、誰からともなくお互いに顔を見合わせている。
 どういう事だろう? 支出が多い、という意味なのだろうか?
 だが団員達は他に思い当たる節はない。この前の“結社”の偽者の件だって、リオさんは
報酬の三割ほどを受け取ると、またふらり一人出て行ってしまったし……。他にすぐさま支
払わないといけないような相手方といっても……見当がつかないのだ。
「なら、運用でもしてみるかい? ミィル立てか、セイニー立てか。最近のレートからする
に前者を勧めるけどね」
「……そうね。全部をとはいかないけど、考えておいた方がいいかも」
 そうして皆の頭に疑問符が浮かぶ中にあって、カウンター内にいたハロルドがその様子を
見てやって来た。ど、どうぞ。その傍らではトレイを持ったレナが、ちょんとイセルナの前
に淹れたての珈琲を一杯、置いていく。
 ──因みにミィルは地底層で、セイニーは天上層で主に流通している通貨である。
「ふぅむ? 深刻だな」
「やっぱり、何か手を打たないといけない……か」
「ええ」
 向かいのテーブル席で休憩をしていたシフォンとグノーシュが、他の団員達を交えながら
そう言葉を向けてくる。イセルナは頷いた。彼らやハロルド、幹部級の面々も、ここまで口
にする彼女に何か思い当たる節があったようだ。
 自分達の知る我らが団長は、いわゆる守銭奴という性格ではない。
 そんな彼女が、より多くの資金を必要と考えている。その理由となる懸案がある。
 即ち、それは──。
「皆。聞いて」
 スッと場の皆に振り直り、イセルナは言った。
 その言葉に団員一同が注目する。宿舎の方からぼちぼち酒盛りにと顔を出してきた残りの
団員達に加え、それまで店内の壁に背を預けていたリカルドもちらとその視線に倣う。
「知っての通り、私達クラン・ブルートバードはその規模を大きくしたわ。それはひとえに
ジークやアルス君を守る為。この先の戦いに備え、戦力を増強する為よ」
 コクと頷いた。皆分かっている。
 幹部が目を細めている。おそらく彼らは、次の言葉に察しがついている。
「確かに規模は大きくなった。そのお蔭で大都(バベルロート)の一件でも何とか王達を助
け出し、皆で帰って来ることが出来たわ。勿論、この街を守ってくれたハロルド達も」
 ハロルドが無言で、眼鏡のブリッジを押さえる。イセルナは言って、ばさりとマントを翻
すと、その場から立ち上がって皆を見渡した。
 沈黙。相棒(ブルート)が、彼女の肩に顕現した。清峰の町(エバンス)での静養に出掛
けたアルス達、フォーザリアの慰霊式へ出発したジーク達を除き、今ここには大よその主要
メンバー全員が揃っている。
「だけど、さっきも話したように今のホームじゃ、新しく増えた分の皆を抱え切れないわ。
個別に、或いは伯爵に融通して貰って、彼らの滞在先を確保している状況なの。その意味で
も伯爵には本当に感謝しているわ。でも……このままじゃいけない。何より対結社特務軍が
本格始動すれば、私達はもっと機動的な体制を余儀なくされることになる」
 それに……。イセルナは言いかけたが、まだこの場では話さなかった。
 しかし団員達は少なからず読み取る。一瞬、ほんの一瞬だが影が差すように苦笑(わら)
った彼女の横顔に、自分達は間違いなく“居た堪れなさ”の類をみたのだから。
 皆は待った。受け止めるつもりだった。
 だって自分達は団員だから。このクランのメンバーだから。
 だから団長(かのじょ)の意思には、真摯な想いには、ついていこうと思う。
「──ホームをね、移そうと思うの」


 式典当日は、あたかも嘆きを体現するかのように鈍い灰色が空一面を覆っていた。
 フォーザリア鉱山現場近くの丘。各々に喪服(ジークはハガル・ヤクラン)を纏った一行
は慰霊式が行われるそこへ、他の参列者に交じって訪れ、始まるその時を待っていた。
「しっかし何で此処なんだよ。肝心の場所はあの下だろ」
「仕方ないわよ。今でも瓦礫の撤去は済んでいないし、そんな所へおいそれと大人数を遣っ
て二次災害を起こす訳にはいかないでしょ?」
「表向きは、そうでしょうね。でも……統務院、いやヴァルドーも憎いチョイスをしてくれ
たと思いますよ。現場で見上げるよりも、こうして崖から見下ろす方があの惨状がどれだけ
大きいものか、手に取るように分かる。人々に印象付けるには好都合だ」
 流石に、あの事件の現場に直接入る事はできなかった。
 リュカの言うように安全性の問題もあるだろう。一方でサフレが推測するように、運営側
の思惑もあるのかもしれない。演出(パフォーマンス)は、もう始まっているのだから。
「……」
 白黒のヤクランに袖を通し、ジークは幾つもの参列者らのグループの一角として場に混ざ
っていた。
 あの時の現場、未だ巨大な瓦礫──鉱山だった岩山の破片が転がり積み上がっている全景
を臨む崖の上で、既に各種設営は済まされていた。
 ヴァルドーを始め、見渡せば各国の代表者と思しき貴族、或いは鉱山関係者らがあちこち
で早速雑談を始めている。だが大都(バベルロート)での一件もあり、何処も皆国主や首脳
級の人物が来てはいないらしい。名代の者ばかりのようだった。
「お? 始まるみたいぜ」
 そして……そんな暫くの待ち時間を経て、設えられた壇上に、ファルケン王と数人の衛兵
らが悠然と現れて来る。
 参列者一同の声が、波打つように止んでいった。
 壇上の背後、現場を見下ろす崖の先端には、大きな石の慰霊碑と、それらを取り囲むよう
に既にたくさんの白や黄色の菊が添えられている。
 ダンの声に、ジーク達もこの西方の盟主を見遣っていた。置かれていたスタンドマイク。
それを軽くぽんぽんと叩いて反響をチェックし、ファルケンは語り始めた。
『あー。ごきげんよう、参列者の皆さん。本日は忙しい中集まって頂き、ありがたく思う。
これより我々ヴァルドー王国及び王貴統務院による、先のフォーザリア鉱山爆破事件の慰霊
式開会を宣言する。“結社”の心なき凶行の犠牲になった者達の無念に、是非皆で手を合わ
せて欲しい』
 式典のスケジュール通り、ホスト・ヴァルドー王ファルケンによる開会挨拶だった。尤も
彼自身、その性格から、完全に丁寧な敬語で話すのには苦労しているようだったが。
『……先ずは、この国の王として皆々に謝らねばならない。見ての通り、このフォーザリア
鉱山は大都消失事件より前“結社”の襲撃によって無惨にも破壊されてしまった。その折、
多くの関係者が犠牲になり、当時の現地責任者・オーキス公爵も死亡した。私の落ち度だ。
この場を借りて、深く謝罪と哀悼の意を表明する』
 だが意外な事に、ファルケン王が語り始めたのは謝罪──自らの非を認めるような文言で
あったのだ。
 ジーク達、或いは彼の人となりをよく知る他国の貴族ら。その各々に静かな動揺が走り、
互いに顔を見合わせる変化が散見される。
『……しかしだ。私は問いたい。我々はここで、こうして一様に暗い顔をして押し黙ったま
までいいのだろうか?』
 それでも皆は程なくして気付かされる事になる。呑み込まれる事になる。
 一度は小さく壇上で頭を下げたファルケン王。だが次に紡いだ言葉は、文字通り彼と多く
の者達を鼓舞する、リベンジの表明であったからだ。
『知っての通り、今回の犯人は結社“楽園(エデン)の眼”だ。彼らは我々の幸福と富を追
求する権利を真っ向から否定し、力で以ってそれをねじ伏せようとしている。そんな彼らの
横暴に、これで我々が屈するような事が──これまでの戦いを止めてしまうな事があれば、
一体何の為の死だったのだろう? このフォーザリアで、過去の戦地で散っていった者達の
命は、如何ほどの価値に貶められるだろう?』
 ざわっ……。声こそ無かったが、周囲の参列者の気迫が増していくのが肌で分かった。
 いや、気迫と言っては語弊があるだろう。戦意(ぞうお)だ。
 ファルケン王が口にした過去少なからず“結社”の犠牲になった人々と、部下達。そんな
彼らの喪失の記憶が、萎えかけていた参列者らの心に赤黒い火を点けていったのである。
『我々には責任がある。より多くの人々を豊かにし、繁栄を約束すること。その為の王だ。
我々は戦わなければならない筈だ。ヒトが社会を作る、その最たる目的を哂い、人々の命を
も奪う彼らを止めなければならない筈だ。……今日この場は祈りである。だが同時に、決意
を新たにする場でもあると私は確信している。再びここから、我々は失われた者達に報いる
べきだと』
 しん……。びりっとマイク越しに響いたファルケン王の言葉に、刹那出席した場の面々が
押し黙っていた。
 だが次の瞬間、爆ぜる。
 貴族・商人(さんれつしゃ)達の大きな拍手が、彼へと惜しみなく向けられたのだ。
「こいつは……」
「先手を、取られたみたいだね」
 そんな中でこの流れに乗らなかったのは、ジーク達や一部の反戦メディアくらいだろう。
 にわかに沸き立った会場に、ジークは静かに眉を顰めた。エリウッドもかつての総指令官
が壇上で彼らに軽く手を挙げて応えているのを、そう酷く落ち着いた様子で見つめている。
 鎮魂にかこつけた、リベンジ宣言。
 おそらく彼は始めからそのつもりで開会の挨拶に立ったのだろう。
 ジークは唇を結んだ。同じくめいめいに不安や、面白くないといった表情をする仲間達と
ちらと視線を交じらせる。
 道理でスピーチ原稿の一件の後、何もリアクションが無かった訳だ。
 関係なかったのである。或いはああいう反発を多かれ少なかれ秘めるであろうことを、彼
自身は予測していたか。
 ──少なくともこれで、後に続くスピーチ者は、反戦的な意見を述べ難くなる。

 それでも式典は容赦なく続いた。直後ファルケン王の開会挨拶は終わり、本来メインであ
る筈の献花がしめやかに行われていった。
「……」
 列に並び、順繰りに花束を慰霊碑の周りに置いていく。手を合わせ、その背後に広がる現
場に向けて鎮魂の祈りを捧げる。
 ジークも同じくその所作に倣っていた。自分の番が回って来、仲間達を後ろにじっと手を
合わせ、瞳を閉じて祈る。
 パシャパシャ。流石に控え目にだが、後方のメディア席から写姿器のストロボを焚く音が
耳に入った。目をこそ瞑っているが、肌でその光が届くのも感じる。
 祈りは……届いているのだろうか?
 あの時、守れなかった人達。そうでなくとも怪我を負った人達。
 彼ら(メディア)を通じて世界に発信される自分の姿は、どう映るのだろう? どれだけ
ただ犠牲者達(みな)に謝りたくて頭を下げても、そう取って貰えるのだろうか?
 風都(エギルフィア)での一件が、脳裏に過ぎる。
 自分は結局、災いを撒き散らしているだけじゃないのか? 同じなんじゃないか? ファ
ルケンら権力者というものがどれだけ己らの“正義”を語っても、現実に傷付いた人達にと
ってそんなことは、何の慰みにもならないんじゃないか……?
「あ、おい!」
「そこの女ァ、止まれェ!!」
 だが──ちょうどそんな時だったのだ。ふとずっと背後の方で騒がしい物音と兵らの声が
したかと思うと、次の瞬間、荒削りだが確かな「殺気」がこちらに向かってきたのである。
「ジーク、レノヴィン……ッ!!」
 一人の中年女性だった。彼女は隠し持っていたのか、ナイフを両手で握って構え、悲鳴を
上げて逃げ始める参列者らの合間をごり押すように飛び込んで来ようとしていたのだった。
「ジーク!」
「チッ。避けろォ!」
 仲間達が、周囲の兵らが目を丸くした。或いは舌打ちをして駆けつけようとした。
「……」
 なのに、ジークは突っ立っている。
 明らかに彼女が自分を狙い壇上へ一直線に突っ込んで来ているのが見えているのに、ただ
振り向いてその場に立ち、悲壮な表情を浮かべる彼女とその切っ先を見つめている。
「っ!?」
 がしっ。早業だった。いよいよ彼女の刃がジークの胸元に届こうとしたその瞬間、彼は霞
む速さで左腕を上げ、彼女をその刃ごと握り止めたのである。
 女性は目を丸くしていた。大きく瞳を揺るがせていた。避けなかった事に、真正面から受
け止められた事に、酷く驚いた様子だった。
「くっ!」
「この──」
「馬鹿野郎ッ! 撃つんじゃねぇ!」
 だが驚いたのは何も彼女だけではない。咄嗟にこの襲撃者に反応し、四方八方から銃口を
向け、抜剣した兵士やファルケン以下各国の出席者らも同じだった。
 即時射殺。
 だがその結末を他ならぬジーク自身が鬼気迫る絶叫で以って制し、世界が再び動き出す。
 彼はがしりと受け止めていた。この女性の繰り出してきた刃を左手で強く握り止め、掌か
ら血が滴り始めているにも拘わらず彼女を食い止め続けている。
「……撃つんじゃねぇ。ここでもし、この人を問答無用で殺してしまえば……俺達はもう二
度と“彼女達”の声を聞けなくなる」
「ッ──?!」
 絞り出すような呟き。そんな彼の言葉に、途端彼女に篭っていた力が抜けた。
 ギィンッ。ジークの左掌からナイフが血を帯びて滑り落ち、固い地面の上に落ちる。
 仲間達が出席者が、或いは後方のマスコミが唖然としていた。写姿器や映像機のレンズの
中に、彼の血滴る立ち姿だけが映っている。
「どう、して……? だって、貴方が来た所為で……貴方が来た所為で、主人はッ!」
 立ったままのジークを見上げるように、尻餅をついた彼女が言った。いや、吐き棄てた。
 おそらく夫がフォーザリアの関係者だったのだろう。ごく普通の喪服・身なりであること
からしても──いち鉱夫か。
 それはきっと怨嗟だった筈だ。こんな無茶をした理由だった筈だ。
 なのにジークは応えない。只々、酷く哀しそうな眼をして彼女を見下ろし、
「……すまなかった」
 そして次の瞬間、何の躊躇いもなくその場で彼女に向かって土下座をしてみせる。
『な──!?』
 驚いたのは出席した貴族達だ。仮にもジーク・レノヴィンは爵位の最高位、皇爵家の嫡男
である。そんな“選ばれし者”がいち庶民に土下座して謝るなど……彼らの常識では考えら
れない事だった。
「すまなかった……俺の力が足りないばっかりに。謝って済む事じゃ、ないとは思うけど」
 なのに彼は現にそうしている。ジークは自身に襲い掛かってきた──状況からも十中八九
復讐をしようとした彼女に、そう地面に頭を擦り付けながら謝っている。
 当の彼女は、愕然としていた。
 警備兵らも怒鳴られた手前、困惑して立ち尽くすしかない。参列の貴族達や一般人、取材
に来ていた報道陣も、その多くが同様のさまだ。
『……』
 ファルケン王や統務院の高官は、密かに舌打ちをし、或いはジークを見下している。
 侮蔑の視線を感じた。だがジークはその姿勢を止めなかった。そんな彼を唯一仲間達だけ
は程なくして理解し、駆けつけようとしかけたそのままの位置で見守っている。
「……何で、ですか」
 するとどうだろう。ぴしゃん、女性の両の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「何で……何でそんな簡単に謝っちゃうんですか。貴方は、あのレノヴィン兄弟でしょう?
行くところ行くところで事件を起こして、無関係な人達を巻き込んでいく、あの」
「……」
「なのに、そんな事されたら……貴方を、憎めないじゃないですかぁっ!」
 参列していた人々の少なからずが、ぎゅっと自身の胸元を掻き抱いて俯いた。彼女の心の
叫びに、仲間達の言葉に出来ぬ辛さがその顰めた表情(かお)に出る。
 それでもジークはただ黙って土下座の格好をしたままだった。じっと、彼女から投げ掛け
られる言葉に、想いに、ただ黙して耳を傾ける。
 ──予想はしていた。人々(かれら)には、大よそそんなイメージを持たれていたのか。
 疫病神。そうだ、疫病神だ。少なくとも彼女らにとって、その認識は事実であると思う。
実際これまでも自分達と“結社”との戦いは、多くの者達を巻き込んで行われてきた。
 これは、世界の危機なんだ!
 そう言った所で、一介の市民を自負する彼らに何の切迫感があろうか。
 ただ広がっていくのは、自身と関連の薄く、しかし突然に理不尽な破壊だけである。
 ……いつもそうだ。皺寄せを喰らうのは、いつもごく“普通”の人達だ。だから彼らに宿
った各個の憎しみに耳を傾け、その炎を弱めるよう消せるよう努力し続けなければ……きっ
と争いは繰り返される。
(貴族のプライドが何だってんだよ。そんなモンこそがこの世界を滅茶苦茶にしてるんじゃ
ねぇのかよ……?)
 女性は激しく嗚咽していた。害意はすっかり削ぎ落とされ、只々その場に泣き崩れてしま
っている。
「お、皇子」
「もう、頭をお上げください」
 ようやく指示が飛んだのだろう。ざりざりっと数人の兵士がこちらに近付き、土下座した
ままのジークに呼び掛けて来た。
「……」
 黙したまま。ジークはゆっくりと顔を上げた。
 共に地べたに座ったような格好。だが対する女性の方は、程なくしてこの兵士らに両脇を
固められ、場の一同の注目をストロボの光を浴びながら連行されていく。
「頼む。その人に、手荒な真似だけはしないでくれ」
「それは……」
「……お答えできかねます」
 では。去り際、ジークは言ったが、末端の警備兵にそんな権限はないということか。
 次第に人ごみから遠くなっていく彼女の姿。足元に落ちたままのナイフ。
 一般的に貴族に、それも王族に危害を加えようとした不審者に待っているのは概して極刑
の類だが……。
『ジーク!』『ジーク君!』
「マスター!」「ジークさん!」
「大丈夫なの? もう、無茶するんだから……」
「ジーク様。お、お怪我は?」
「すっ、すぐに手当てを──」
「……大丈夫だよ。心配すんな。それよか金菫を持って来てくれねぇか? これくらいの傷
なら、あれを使った方が手っ取り早い」
 仲間達が、参列者らの脇に控えていた侍従らが駆けつけて来た。
 それでもジークは平然としている。すいっと自力でその場から起き上がり、軽く土埃を被
った衣を払いながらそんなことを頼む。
(……そうさ。これくらい)
 遺族達(かれら)の痛みに比べれば。
 そう静かに自嘲(わら)う彼の左手からは、尚もぽたぽたと赤い雫が垂れ続けていた。


 清峰の町(エバンス)に滞在し始めて、気付けば一週間が経とうとしていた。
 アルスはここ暫く、友人──フィデロやルイス、そして町の人達の厚意もあって実にゆっ
たりとした時間を過ごせている。
 そして今夜、町では以前フィデロが話してくれた夏祭りが開かれていた。
 当然アルス達も皆で連れ立ち、こっそりリンファらが蔭で警備に当たり、また一つ夏の思
い出を作ろうと喜び勇んで出掛けたのだが……。
「いたぞ! アルス皇子だ!」
「皇子ー。こっち向いてくださ~い」
「ご静養中失礼します。お体の具合はどうですか? 宜しければ映像機(こちら)に人々へ
向けたメッセージをお願いします」
『……』
「え? マジで来てんの?」
「本当だー。キャー、浴衣姿も可愛い~♪」
「話には聞いてたけど、本当にここに居たんだなぁ」
「おいおい、勘弁してくれよ。庶民の娯楽(まつり)くらい邪魔すんなって」
『…………』
 祭りに来ていた人々以上に、マスコミが押し掛けていた。
 ただでさえ人が多くなる今日この夜に、わざわざご丁寧に映像機や写姿器のレンズを向け
ては、人ごみの一角に無粋なるざわめき空間を作り出している。
「ちょっとー。何で記者達がいる訳!?」
「さぁ……。僕がこの町にいるってバレたからだと思うけど……」
「確認するけど、侍従さん達が発表した、とかじゃないよね?」
「うん。してない筈だよ。こうなる事は充分予測できるし」
「となると……誰かがリークした、か」
「う~ん、おっかしいなぁ。親父もアルスが来てからすぐ、町内会の皆に口止めしてくれた
筈なんだけど……」
 毎年のんびりとしたいち田舎町の夏祭りが、今年はにわかに大所帯の様相を帯びていた。
 清流とその堤防に沿って並ぶ屋台と客の人波。そこへマスコミや祭り目的ではなさそうな
野次馬も加わり、元よりそう広くない道が一層混雑している。
 ぷくっとエトナがあからさまに膨れっ面になり、紺の浴衣姿のアルスも困惑していた。
 同じくルイスにフィデロ、灰色と黒縦縞の浴衣姿の友人二人も、このいつもとは違う祭り
のさまに参ってしまっている。
「ま、小さい町だしな。どのみちバレるのも時間の問題だったろうよ」
「そう、だね……。でも流石にタイミングが悪かったかも」
 すると苦笑(わら)ってアルスは言い、ついと視線で人波の影に控えていたリンファ達を
呼んだ。通り過ぎる祭り客らから、次々とお構いなしの視線が飛んでくる。中には携行端末
を持って来た人もいるらしく、パシャリとこっちを撮影して立ち去って行くなんてパターン
もあった。
 ……このままじゃ、皆さんに迷惑が掛かる。
 アルスはリンファ達に頼み、マスコミらの群れを追い払って貰うことにした。
 けれども、くれぐれも穏便に。リンファら武官の侍従達は早速彼らの下へと駆け寄って行
き、何やらあれこれと交渉をしていた。
 やがて振り返り、リンファが指で輪っかを作ってオッケーのポーズ。同時に後ろの彼らが
いそいそ渋々と撤収し始めるさまも確認できる。
「……どうでした?」
「ええ。祭り客の迷惑になるという旨と、取材なら祭りの後にでも申請して頂ければ応じる
から今は退いてくれと。……折角のご静養中ですのに、勝手ながら、アルス様のご負担を増
やしてしまう結果になってしまいますが」
「いいえ、大丈夫です。そういう事なら少しくらいは。それに、きっとそうでもしないと、
お祭りがもっとぐちゃぐちゃになってしまうでしょうし……」
 有難うございます。リンファはそう静かに言って頭を垂れた。
 周りの祭り客らも、その変化に気付き始めている。邪魔者(マスコミ)の群れがにわかに
退いてゆき、気のせいか祭囃子の音色が先程よりも軽快に聞こえてくるような気がする。
「……それじゃあ、気を取り直して祭りを堪能するとしようか」
「うんっ」「おー!」
「へへっ、俺達に任せときな。伊達に十七年、同じ祭りを経験してねぇからよ?」
 だが……騒動はそれだけでは終わらなかったのだ。
 改めて友人達、相棒と共に夏祭り──庶民の文化の中で遊び始めるアルス。
 飲み食いを始め、金魚すくいや射的、くじ引きに型抜き菓子。
 暫くの間、アルス達は目一杯遊び回った。そんなさまを、リンファら武官の侍従達は遠巻
きに優しく見守り、祭りそれ全体も何時しか楽しく活気溢れる一時に包まれたかのように思
われた。
『──それではこれよりお待ちかね、流し雛の放流を始めます』
 ぱちぱち。橋の上に集まった人達が見守る中、たけなわになった今年の夏祭りもとうとう
メインイベントを迎える。
 拡声器越しに青年団の有志が宣言し、小船に乗せられたたくさんの人形(ひとかた)が、
清峰の町(エバンス)の清流をゆっくりと流れていく。
「……」
 夜の闇と、あちこちで焚かれた篝火。
 黒い水面に映える幻想的な光景。
 暫しアルスも、このイベントを静かに堪能していた。橋の縁に両肘を乗せ、うっとりと優
しい瞳で流し雛達が流れてゆくさまを眺める。
「……おい、あれ何だ?」
「え?」
「ほらあそこ。向こう岸に何か──」
 そんな時だったのである。流し雛が流れて行くその先、ちょうどこれらと橋上のアルス達
を一緒に捉えられる絶好のポイント。そこに性懲りもなく、我先にと集まっていた報道陣ら
の焚くストロボを浴びて、突然流し雛らを乗せた小船がどす黒い大量の靄──瘴気に包まれ
始めたのだ。
 町の青年団らが逸早く気付き、指し示す。
 だがその時にもう既に遅く、ボコボコと激しく沸騰した水面からは、濃い紫色をした……
巨大なスライム状の怪物が這い出てきたのである。
「ひっ!?」
「ま、ままっ……」
「魔獣だー?!」
 刹那、濃紫の巨体が咆哮する。橋の上、堤防沿いにいた人々が一斉に悲鳴を上げた。
「あれは……」
「おいおい、マジかよ……。一体、何がどうなってやがんだ?」
 逃げ始める。或いは腰を抜かして、わたわたとその場で這いずり出す人々。
「──っ」
 友人や相棒らと共に、思わず唇を噛みながら、アルスはその変貌した夜空を見上げた。

「急げ、もたもたするな! あのでろでろに呑まれるぞ!」
「皆さん落ち着いて! 堤防沿いから向こうへ、町の奥へ避難してください!」
「おい、誰か早く守備隊を呼んで来い! あんなの俺達じゃどうにもできんぞ!」
 賑やかな夏祭りの川沿いが、にわかに恐怖と混乱のるつぼと化していた。
 水面から突如現れた巨大な魔獣に慄き、我先にと逃げ出していく人々。それを何とか秩序
ある避難に結び付けようとする青年団。或いは最寄の導話設備へと駆けていく警備要員。
「……あれは、バイオタイラント。ゲルの、集合体……」
 ぱくぱく、ごくり。
 二度三度と言葉を詰まらせながら、そんな人々の中でアルスは呟いていた。
「ゲルぅ? ……言われてみれば、確かに」
「だが妙だな。どうして急に──」
「呪(しゅ)だよ」
 加えてフィデロ・ルイスが見上げ、疑問を呈する中、エトナが言った。
「さっき向こうで記者達がストロボを焚いてるのを見て確信した。キャパシティが限界を振
り切っちゃったんだよ。この辺り一帯の自浄能力が、いきなり大人数になったヒトに対応で
きなくなったんだと思う。写姿器も半分は魔導の力で動いてるからね。その一斉に排出され
た魔力(マナ)と、穢れを集めて流れていこうとしてた流し雛。二つが合わさって濃い瘴気
になったのね。動植物じゃなく、物質系の魔獣として出てきたのがその証拠」
 思わずそう神妙に語る彼女を見遣り、フィデロ達が押し黙っていた。
 そしてそれに併せて逃げ惑う人々を掻い潜り、リンファら侍従武官達も合流してくる。
「ご無事ですか、アルス様? フィデロ君達も」
「あ、はい」「僕達なら平気です。それよりも……」
 見上げる。濃紫の巨大なスライム状の魔獣、もといバイオタイラントはその常時でろでろ
と溶ける身体を揺らしながら、大きく口を開け、紅く光る双眸をゆっくりと記者達の方へと
向けていた。
「──チッ!」
 次の瞬間だった。バイオタイラントの右手が彼らに振りかぶられる。
 それを見て逸早く動いたのはフィデロだった。
 両手甲型の魔導具・迅雷手甲(ヴォティックス)。その肘部分から吐き出される電撃状の
エネルギーで彼は一気に水面ギリギリに飛び出しながら、同時に急上昇。瞬間「らぁッ!」
と気合いの雄たけびと共に、彼らを襲おうとしていたこの右手を全力で弾き飛ばす。
 ぐらり。バイオタイラントの身体がふらついた。ざばざばと、夜の清流にこの酸毒の身体
が触れ、耳障りのする激しい蒸発音が聞こえる。
「……やっぱ打撃はあんま効かねぇな。おい、あんたら! 大丈夫か!?」
 それでもその隙に、フィデロは集まっていた対岸のマスコミらの下に降り立った。
 驚き、そしてすっかり怯えている記者達。「ぼやっとしてんな、急いで逃げろ!」と急か
した彼の言葉にその殆どが慌てて散り散りになって行ったのだが……ただ一人、それも出来
ずに真っ青な顔をして腰を抜かしている男がいた。
「ぁぁ……」
「おい、おっさん。何やってる。早く逃げろ!」
「違うんだ。違うんだ。俺はただ、もうちょっといい暮らしがしたかっただけで……」
「……あん?」
 撮影技師(カメラマン)だった。一週間ほど前、昼間のエバンス川の堤防で水浴びをする
アルス達を撮った、今回のマスコミ殺到の原因を作ったその当人だったのだ。
 だがフィデロにそんな事情など分かる筈もない。ただぶるぶると、何かに憑かれたように
謝罪し続ける彼に、フィデロは眉根を寄せた。
 ……少なくとも、ここに残したままじゃ危ない。
「フィデロー!」
「後ろだ! 避けろ!」
 だがダメージから復帰したバイオタイラントの二撃目が、既に二人の頭上に迫っていた。
 向かいの橋から知らせてくれるエトナとルイスの声。それに素早く反応し、フィデロは再
び迅雷手甲(ヴォティックス)のエネルギーを噴射すると、この男性の首根っこを掴んだま
ま急いでその場から離脱する(はなれる)。
「おい、いい加減にしろおっさん! 逃げるんだよ! ここは俺達に任せろ。な?」
「あ……。あ、あぁ……」
 ぺちぺち。そして心ここにあらずといった様子なので二・三度軽く頬を張ってやり、改め
てそう逃げるように言い聞かす。
 すると男性はようやく我に返ったようで、辺りを見渡しコクコクと頷くと、文字通り転が
るように情けない声を上げ、夜闇の向こうへと逃げ去っていった。
「大丈夫か?」
「ああ。連中は逃がしたぜ。野郎、明らかに狙ってたからな」
 自分を生み出した者達への応報か。堤防上に着地したフィデロを追って、アルス達が駆け
寄って来ていた。皆で水面を見上げる。バイオタイラントは暫し攻撃すべき対象を見失い、
蠢きながら辺りを見渡していた。
「とにかく、奴を何とかしなければなるまい。D班以下は、町の皆さんと避難誘導の手伝い
を。C班までは私と来い。アルス様達をお守りし、あの魔獣を退治する!」
『了解ッ!』
「……」
 アルスは半ば茫然としていた。リンファが部下達に指示し、散開していく声と足音を耳に
しながらも、頭の中はぐわんぐわんと、先程から自責の音が反響し続けている。
 僕の所為だ。
 僕がここに来なければ、こんな事にはならなかった……。
「──ス、アルス!」
「ッ!?」
「……アルスは悪くないよ、引き金は記者達(あいつら)じゃん。……守るんでしょ? 誰
であろうと皆を、私達の魔導で」
 だがそんな相棒を、他ならぬエトナがびしっと声を掛けて叱咤していた。
 ハッと我に返り、ニッと笑う彼女を見つめて、アルスはその瞳に再び強さを取り戻す。
「うん……そうだね。自分に出来ることを、やらなくっちゃ」
 改めて見上げる。バイオタイラントもこちらに気付き、のそりとその身体を向け直そうと
している。
 落ち着け。こんな時こそ考えるんだ。
 バイオタイラント。ランクSの魔獣。だけどその本質は、ゲル達と変わらない──。
「皆さん、聞こえますか? 灯り、ありったけの灯りを持って来てください! どれだけ奴
が巨大でも、結局はゲルの集合体です。元々暗く湿った場所に生息している奴らは、熱と光
には滅法弱い。四方から火で囲めば、動きを封じ込める筈です!」
 キッと腹を据え、アルスは振り向いて周囲に叫ぶ。
 仲間達も頷いた。皇子(かれ)が、本気を出す。
「は、はいっ!」
「よし、そうと決まれば……!」
「おーい、手の空いてる奴は手伝ってくれ! 篝火を竿に移すぞ! あのデカブツを囲んで
炙ってやれ!」
 応ッ! 青年団ほか警備要員らも動き出し、会場内のあちこちにあるの篝火が、何本かの
長い竿に継ぎ足されていった。
 バイオタイラントが粘つく口を開けて威嚇している。襲い掛かろうとしている。
 アルスにエトナ、フィデロ、ルイス、リンファ達がそれぞれ奔走する彼らを庇うようにし
て構えた。更に後方には逃げていく祭り客らがいる。肩越しにちらり。アルスはルイスに、
追加で指示を出す。
「ルイス君、君の魔導具で防護壁って作れない? タイラントと今逃げてるお客さん達を隔
てるように出来ないかな?」
「……なるほど。お安い御用さ」
 今度はルイスが、風繰りの杖(ゲイルスタッフ)を取り出した。
 石突に繋げられた白い飾り布が揺れている。彼はこの杖を握ったまま、背中の鳥翼を羽ば
たかせて飛ぶと、上空から逃げ惑う人々の最低ラインを見極めて一振り──密度を持つ風の
防壁を作り出す。
「こ、今度は何だぁ?」
「風……?」
「これは防護壁です! 僕らが奴の攻撃を食い止めます! 皆さん急いで避難を、少しでも
遠くへ!」
 ルイスの中空からの言葉に、最初戸惑っていた人々もめいめいに頷き、その逃げ足を再開
した。我先に、やがて各々が遅れがちな者に肩を貸してやりながら。避難の方はこれで大分
進んだと見受けられる。
「時間を稼ぐよ。火で動きを封じたら、僕達が中和結界(オペレーション)を張る」
『了解!』
 咆哮し、襲い掛かってくるバイオタイラントに、アルス達は果敢にも向かっていった。
 切り込み役はフィデロ。電撃のエネルギーを満たした迅雷手甲(ヴォティックス)で縦横
無尽に飛び回り、この巨体を左右に翻弄しつつ、しかし直接打撃では効果が薄いとみて雷光
による目潰しを主軸に足止めする。
 そんな彼を、ルイスとアルス・エトナの魔導射撃が援護した。
 風繰りの杖(ゲイルスタッフ)から放たれる風の刃や弾丸、アルスとエトナが短縮詠唱で
放つ土塊の砲弾。
 濃紫の身体に次々と穴が空いた。だがそれでも相手は物質──不定形の魔獣だ。動きを食
い止めることは出来るものの、決定的なダメージには繋がらず、すぐにその穴は溶け広がる
他の部分によって塞がれてしまう。
「ちっ、キリがねぇな。おわっと……!」
「凍らせれば何とかなるかもしれないけどね。生憎、あれだけの大きさの標的をとなると」
 二度三度、バイオタイラントの薙ぎ払いが辺りを蹂躙した。
 ルイスによる風の加護もあり、回避することには事欠かなかったが、二人がぼやくように
このままではジリ貧になってしまう。
「皇子ー!」
「お待たせしました!」
「いっくぜー! 囲めーッ!」
 そんな時だった。それまで火を継ぎ回っていた、大型の篝火がようやく準備を整えて駆け
つけて来たのだった。
 壮年男性が叫ぶ声を合図に、川のこちら側と向こう側、四方八方から長い竿に点けられた
煌々とした篝火がバイオタイラントに押し付けられる。
「ォ、ヴォオォォ……!?」
 明らかに苦しんでいた。熱と光、彼らが本来最も嫌うそれらが視界いっぱいに満ち、その
巨体は川を渡ろうとしていた最中の位置で立ち止まらざるを得なくなったのだ。
「よしっ!」
 だが──相手も最高ランクの危険度を持つ魔獣。そう簡単に大人しくなる筈もない。
 威勢をつけた漢達の篝火。それらを振り払うようにバイオタイラントもがき苦しむと、次
の瞬間、その身体を震わせて己が一部を四方八方にばら撒き始めたのである。
「ひっ!?」
「危なっ! 溶けっ、溶ける!」
 多数のゲルだった。それもバイオタイラント本体由来の、強い酸毒性を宿した個体達。
 アルス達にだけではない。篝火を差し出していた町の人々にも。彼らがビクつき、怯え出
すのもお構いなしに、ゲル達はじゅうじゅうと地面を溶かす音を上げながらじわじわと彼ら
の方へと這い寄り始める。
「しまった……!」
「皆さん、逃げて! そいつらに触れたら無事じゃすまない!」
「──」
 しかし、救いの手はあったのだ。リンファ達が、アルスが叫んだその時、彼ら篝火部隊の
面々を守るように、襲い掛かるゲル達を叩き潰した男が現れたのだ。
 その手には金属製の大槌。更にその全体には、小人の姿をした精霊の、炎の加護が与えら
れている。
「親父! ポフロン!」
 カルロと、その持ち霊ポフロンだった。息子(フィデロ)がぱぁっと笑顔になって呼んで
来るその声に、この父親は照れ臭さそうに鼻の下を擦っている。
「やばい事になってるって聞いて飛んで来た! 俺達も加勢する! このちっこい奴らは俺
達に任せとけ!」
 気付けば彼の後ろに、松明を持参で武装した者達がいた。守備隊だ。
 アルス達はほっと胸を撫で下ろした。応援が間に合ったらしい。互いに顔を見合わせて、
頷き合う。
「アルス様、急ぎ中和結界(オペレーション)を。周りのゲル達は私どもが処理します」
「うん。お願い」
 リンファ達が刀に槍、直接斬り突きするのではなく剣圧で迫ってくるゲルらを薙ぎ払い、
アルスらを守るようにぐるりと円陣を組んだ。
 その援護にアルスも頷く。大きく口を開け、息を吸い込み始めるバイオタイラント。
 吐息(ブレス)か。そうはさせじと、彼は頭上の相棒と共に、その必殺技を発動する。
「──領域選定(フィールド・セット)!」
 ビンッと、翠色の球体がバイオタイラントの全身を取り囲んだ。
 何重にも重ねた障壁。そこに直後、吐き出されたヘドロのブレスがぶちまけられる。
「ぐっ……」
 顔を顰めた。それでもブレスはそのまま内部で跳ね返り、威力はバイトタイラント自身に
戻っていく。目に入ったようだった。まるで忌々しいと言わんばかりに、その重低音の咆哮
が辺りにこだまする。
「準備、完了(スタンバイ・レディ)。施術……開始(オペレーション・スタート)!」
 両手の五指から勢いよく飛び出していくマナの糸。群成す意糸(ファル・ウィンヴル)。
 アルスはそれら糸で編んだ手術(オペ)具を巧みに操り、次の瞬間、次々にこの巨大な魔
獣に繋がる魔流(ストリーム)を断ち切っていった。
 鍛錬を重ね、高速の域に辿り着いたその手捌き。その魔流(ストリーム)一本一本が切り
離されるに従い、バイオタイラントはビクンと痙攣し、確実に動きを鈍らせていく。
「アルス!」
「うん。注入──開始(ナチュライズ・オン)!」
 締めだった。編まれたマナの糸束が掴み、差し込んだのは別の魔流(ストリーム)。瘴気
ではなく、汚染のない綺麗な魔力(マナ)を一気に流し込まれ、瞬間、バイオタイラントは
今までにない悲鳴を上げてのたうち回った。
 崩れていく。力を削ぎに削がれ、その巨体が維持できなくなっていく。
 でろでろ、ぼたぼた。夜の川面に、力を失った大量の澱みが崩れ落ちていく。
「皆、今だよ!」
「あいつの核を──人形(ひとかた)狙って! 奴の力の源泉は、穢れの溜まった、あの紙
切れだよ!」
 リンファが太刀を水平に構えた。ルイスが杖を持ち上げた。フィデロがぐんとこの魔獣の
頭上へと飛翔する。
「トナン流錬氣剣──刈鳥(がいちょう)!」
「盟約の下、我に示せ──羽毟の風(リッパーウィンド)!」
 リンファがオーラを滾らせ、飛ぶ斬撃を放つ。ルイスが白い魔法陣を展開し、風の刃を爆
ぜ飛ばす。
 巨大な一閃がバイオタイラントの身体を抉った、更にそこへ風刃が入り込み、その不定形
の奥を外へ外へと切り刻んでいく。
「おぉぉぉぉっ!」
 フィデロが大きく振りかぶっていた。掌から魔法陣と共に雷剣の閃(サンダーブレイド)
を出現させ、酸毒の身体の中で漂っている、黒く光る人形(ひとかた)らに狙いを定める。
「どっ……せいッ!!」
 かち割り。そのまま、力任せに振り下ろされた雷剣は、ざっくりと人形(ひとかた)らを
焼き斬っていた。
 じゅう。燃え尽き、同時にバイオタイラントの身体が断末魔の叫びと共に消滅していく。
 じゅう。あちこちに飛び散っていた小振りの紫ゲル達も、カルロや守備隊、武官侍従らの
手によって一体残らず撃破される。
「や……」
「やったぁ! ぶっ倒した!」
「勝った……俺達が勝ったんだ!」
「よっしゃあ、やったぜ!」「流石はアルス皇子!」
「いや。止め刺したの俺──」
「皇子万歳!」「皇子、万歳ーっ!」
 数拍の余韻。そして次の瞬間、場に居た人々が一斉に勝ち鬨を上げた。
 消え去った巨大魔獣。それに打ち克った自分達。その立役者としてのアルスとエトナ。
 最後の一撃を叩き込み、着地したフィデロが「あの~……」と冷静にツッコミを入れてい
たが、一度火の点いた彼らの嬉々はそうすぐには鳴り止みそうにない。
「まぁ、人徳の差って奴さ。諦めなよ」
「あ、ははは……」
 そんな幼馴染に、ルイスはこちらもある意味酷く落ち着いた様子でポンと彼の肩を叩いて
いる。アルスは、その傍らで「どうもどうも~」と笑みを振りまく相棒と共に、ただ苦笑い
を浮かべて立ち尽くす他なかった。
(……僕の所為だと知ったら、やっぱり恨まれちゃうのかな……)
 自分を責める必要はない。
 されど彼は、内心そんな懸念を抱かずにはいられなくて。


「……」
 無駄にふかふかなベッドの上に寝転び、ぼうっと左手を見ている。
 掌は綺麗さっぱり治っていた。あの後すぐに金菫を使い、傷を治療してしまったからだ。
 それでも未だ、手には刃と血の感触が残っている。
 時刻は夜。場所は先の宿。夕食も風呂も済ませ、ジークは部屋奥のVIPスペースでぽっ
かりと空いた時間を持て余していた。
「……何つーか、すっげぇ疲れた」
「あのなあ。それはこっちの台詞だっての。気持ちは分からんでもないが、いきなりあんな
無茶をしやがって」
「……ジークは甘い。彼女がもし“結社”の刺客だったら、腕の一本くらいもがれてた」
 何となしに呟く。仕切り壁の向こうで同じく暇を持て余していた仲間達が、そんなジーク
の言葉に呆れ口調だったり、静かにお説教だったり。
「そりゃあ、そうかもしれねぇけど……」
 あの女性の乱入により、やはりというべきか慰霊式は大幅に縮小せざるを得なくなった。
 彼女の確保の後、表向きのメインである献花は行われたが、その後の関係者スピーチは多
くが省かれて終わることになった。
 はてさて、事は上手く転んだのか否か。
 少なくとも翌日には各紙が今回の事件を報じるだろう。ファルケン王の決意表明と、その
後起きた自分への襲撃──遺族の復讐と、土下座謝罪。
 一国の皇子がまさかの行動! などとでも書かれるのだろうかな……?
 今更ながらに想像しては、ジークはやれやれとうんざりする。
「ま、まあまあ」
「とにかく大事に至らず何よりです。ジーク様、今夜はゆっくりとお休みください」
「何せ今日は初めてのご公務だったのです。それに加えてあんな事があれば……お疲れにな
られるのも無理はございませんよ」
 無茶を心配され、説教を食らったのは式典直後もだったし、今はもう叱られるほど激しく
言葉を交わす訳でもなかったが、侍従達は居た堪れず、そう苦笑して言ってきた。
 ああ。それも無い訳ではないのだろう。
 初公務。圧し掛かるプレッシャー。だけどもジーク自身は、元より今回の遠征が平穏無事
に終わるとは必ずしも思っていなかったのだ。
「……思ってた以上にって意味だよ。正直言って、ああいう人が出てくる事は予想してた」
「えっ?」
「当たり前だろ。あの女(ひと)も言ってたけど、俺が来なけりゃ、あの山はもっと違った
結末があったかもしれない。憎んでる遺族はいるだろうさ。たとえそれが当てつけだとして
も、ああいう人達には他にぶつける先がねぇからな」
『……』
 当人はそうベッドの上に寝転がったまま、何の気ないように語っている。
 だが侍従らは、仲間達は、にわかに身を強張らせ目を見開いていた。
 ジークはその外見の振る舞い以上に解っていたのだ。
 因果。或いは自責する想い。
 だからこそ、あそこまで自分の言葉で“謝る”ことに拘っていたのかもしれない……。
「ジーク、それは」
「ああ。分かってる。結社(やつら)とは戦うさ。悔しいが、ファルケンのスピーチは半分
当たってる。もし今いる俺達が力に屈しちまったら、その力で壊されてきたものが全部無駄
になっちまう」
 リュカが居た堪れなくなって止めようとした。だがジークは見た目、平然とした様子で撤
回する様子もない。ぎゅっと左手を握り直す。受けた傷は、もう見た目だけなら、すっかり
消え去ったかのようにみえる。
(……あの女(ひと)、大丈夫かな?)
 だがそれと、戦いの都合で人の想いを封じ込める事とはまた別だ。
 ジークは改めて心配だった。自分を狙った、ぶつけようのない哀しみ故に刃を向けてきた
あの女性がその後、どうなってしまったのか?
 当事者として式典の後、重ねて運営側には寛大な処置で済ませるよう、侍従らを通して要
請は送りはした。だがあの行動は事実として犯罪だ。無事であればいいが……。
(その後、か)
 むくり。ジークはベッドから起きて座り直した。まだ休む気にはなれなかった。自分には
まだ気になっていることが他にもある。
「なぁ、イヨさんから何か聞いてないか? クロムの事だ。大都(バベルロート)の事件の
後、統務院に捕まったって話は聞いているんだが、肝心の居場所が分からなくってさ。前々
からイヨさんには調べてくれって頼んでたんだけど……」
「ああ、はい」
「お話は、私どもも聞いておりますが……。特には」
「……そっか。まぁ何か分かったら連絡くれる筈だしな。無茶ってのは承知だが、あいつと
はもう一度会って話したいんだよ」
 控える侍従らが困ったように互いの顔を見合わせていた。隣室の仲間達も──特に彼本人
と一戦を交えたダンは、静かに眉を潜めて珍しく思案顔をしている。
「何だか嫌な予感がするんだよな。この前、副団長とグノーシュさんが商人から聞いたって
話もあるし……」
 ちょうど、そんな時だったのだ。直後ふと、コンコンコンと、部屋の扉をノックする音が
聞こえ来たのである。
『……?』
 誰だろう、こんな遅くに? ジーク達は互いに顔を見合わせた。
 先日のようにレジーナやエリウッド──ではないと思う。とうに二人は式典の後、自分達
の宿に戻って行ったのだから。
「どうも。夜分に失礼致します」
 ダンや侍従達が注意深く近付き、ドアを開けて応対した向こうにいたのは……軍服に身を
包んだ統務院からの使者だった。
「……一体、どのような御用でしょうか?」
「何か、急を要する事でも?」
「ええ」
 気のせいか、お上特有の高圧さが和らいでいるような?
 それでも侍従らは、警戒を保ったまま訊ねていた。そんな問い掛けに、軍服の使者らは取
っていた帽子を胸元に押し当てたまま、告げたのである。
「今回、突然お訪ねしたのは他でもありません」
「ジーク皇子。実は折り入って貴方がたにお願いがあり、参りました」

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  2. ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle-
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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