日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)暗い物語、明るい物語

嗚呼、忙しない(体調の変動が)

暫くぶりです。というか何気に雑記の間隔がデフォで空いてきたような……(:3 _ )=
アベレージとして週一くらいの頻度で(近況報告を)書ければいいかなぁとは思いますけど、
中々頭で描くように身体はついてきませんね。ネタも切れてきたし
前回の雑記から十日が経ちました。気付けばもう11月です。秋もフェードアウトしました。
改めてこんにちは。霜月ですが、長月です。

更新の過去ログをみていただければ分かる通り、ここ暫く自分はほぼ二・三日おきには一本
小説を書いているような状況が続いていました。
三題(五週分)→久しぶりに単発短編→三題(今月はカレンダー的に実質四週なので、半ば
突貫的にいっぴに一週分、翌日からを二週分を書いてUP)という格好。何気にかなりのハイ
ペースであった計算になります(単発から数えても5日で15000字強)

……だからか、ものっそい疲れてましたね。
「泥のように眠る」というのは、げにこういうさまなんだなぁと。
執筆と執筆の間の空き日を埋め尽くす、それこそ身体にこびり付くような疲労。起きてられ
ないくらいのだるさ。結局ほぼ半日──昼間は二度三度と仮眠を取らざるをえず、活動力が
プラスに転じてくるのが日も暮れてから(これは拙い。夜型に引っ張られている……。
先述のように、冷静に数字を拾い上げみればそりゃそうかとなりますが、身体は正直って奴
でして、存外に肉体はハードモードだったようです(´・ω・`)<もう若くないのよ……?

それでもまぁ、今朝の段階でようやくこびり付いていた疲労も拭えたようです。随分と楽に
なりました。まぁあれだけ馬鹿みたいに寝てりゃあな(あと足つぼ踏みと電マ機のお陰)
なのでとりま、当面の三題も片付けましたし、暫くぶりにこうして雑記をば。
ユー録は次章執筆も控えているので、今度こそぶっ倒れないよう改めて身体と相談し、コン
ディションを整えつつ。逸るペースは意識的に落としませう。

まぁ色々と描きたいんですけどね。因果なものです。
あと、tktkの方はスクリプトとの闘いで詰んどります<(^o^)>


当庵及び拙作らを手に取ってくださっている方は(というかこの文章の文体からも)ご存知
かと思いますが、私こと長月(長岡壱月)の文章──小説は総じて暗く重いものが多いです。
安易に二項対立として語るのは宜しくないんでしょうが、この点には自身もかねてより自覚
はあって、しばしばバランスを取らんとするように“明るい物語”を書こうと自身を引き留
めたりする事も珍しくありません。

ただまぁ……正直言って前者の方が自分には合っていると言わざるを得ないんですよね。
もっと歳を取って、もっと色々な苦楽を経験すればこの価値観も百八十度変貌するのかもし
れませんが、これまで生きてきて書いてきて、現状“暗い物語”の方がしっくりきます。
いやね? 違和感があるんですよ。
いくら虚構の世界とはいえ、綺麗サッパリ「解決」して好転していくセカイってのが……。
そんな単純な話じゃない。AはBと絡まっているし、BはCと、CはAと、更に更にDやE
はそれらに各々繋がっていて──。その得たもの、幸せの影にはきっと、また別の不運不幸
が下敷きされている・潜んでいる筈だと……まぁそうこの捻くれ者はあっちやこっちやと顔
を傾けてはそれら影を探したがるのです。
……だから、やっぱり誰得になるんだろうなあ。手に取る他人の為にではなく、先ず自分の
為に物語をこさえている(大団円愛好家の皆さんごめんなさい?)

どちらが優れていて、どちらが劣っている、という単純な比較問題ではないと思います。
でも物書き──創作人が創作人として認識されるにおいて、他者とはいずれ切っても切り離
せぬ、念頭に入れるべき存在となる筈です。
自己満足・内々の趣味の域で留まっている内はまだよくても、どだい創作人って者はエゴの
強い人種であって、何だかんだいって認めて貰いたいと思うのですよ。
そうなると、どうです?
“こちらのMP(精神力)を削ってくるだけの物語”を、嬉々として手に取りますかね……?
昔友人が語ったような『せめて物語の中では気楽でいたいよ』という心理。切な嘆き。
それを無視して、いくら書き手自身の精神衛生の為とはいえ、ただ醜悪“だけ”を描き殴っ
て突きつけていれば……暴力的だと僕は思うのです。仮にも創作を名乗るのなら、多少なり
とも藝術として昇華させむってのが創作人ってモンでしょうと。多分、その方面への努力を
放棄して憚らなくなった時、その創作人のレベルは打ち止めになるんじゃないかな? かの
文豪も言いました。精神的向上心のない奴は馬鹿だと(耳の痛い言葉です
ただ、じゃあ読み手にウケれば正義なんだっていう考えには……僕は賛同しません。
似ているようで別の命題ではないかと思うのです。あと、物語の結末がそうであるように、
人間は一言で含有できるほど簡単な生き物じゃない。

結局は按配の類なのだと思います。
昇華──“自分”なりの納得いくクオリティを追求すること。他人の評は後からついてくる。
成功──受け手らの求めるものを書いて寄越す。職業的な作家となれば、必須のスキル。
肝要なのは、両者を自分の中でどう「交差」させしむか? なのだと考えます。理想論では
ありましょうが、前者ばかりにエネルギーを注いでも周囲との乖離が激しくなる一方です。
それでも尚「成功」するのは、本当に一握りの天才だけでしょう。
かといって後者ばかりに拠って立っても行き詰まると思います。物語とはある意味、書き手
の核なるものを手を替え品を替えしながら、半ば延々突き詰めていく過程の産物であると僕
は考えます。その核──自身の軸を始めから他人に委ね、流動的であらば、そのことは誰に
でも出来るものだ。僕や貴方じゃなくてもいい。物語とは……そうじゃない筈です。
そりゃあ、確かに重要ですよ? 金を儲けないと暮らしていけないですし。
でもそれが第一目的なら、別に創作じゃなくていいんです。むしろ“真っ当”に働いた方が
よほど確実に懐は膨らむと思いますよ。道楽、といえば言い過ぎかもですが、創作で喰って
いこうというのは、ぶっちゃけ“普通”じゃないですから(苦笑)

だから、選べばいいのかな?と思います。
先ず受けるものを書いていこう。そこから技量を磨いて、実績を積んでいこう。そんなアプ
ローチで渡っていくのも良し、僕みたく(不器用に)受けより先ず自分が頷いて書け、且つ
その「確信」を整理・追及する術として究めたいと思うのか。
物語は古今東西、たくさんある。
明るく痛快な大団円もあった。重苦しく非情な模写的現実もあった。
でもそれらは、どちらもどの向きも、誰かがそれらを認めてきたから、好んできたから今日
も残ってきた筈。実際現代でも際物──エログロナンセンスな創作を愛する書き手・受け手
はいて。だからサブカルと呼ばれて。長らく日の目を浴びずとも嬉々としていられた。

……でもですね。それでも苦言を呈すとするならば、昨今の風潮ですよ。
均されてしまうおそれであります。この国が、どうにも『明るく綺麗な物語しか許さない』
向きになってきている、ような。

繰り返しますが、明るい物語だからけしかん、ではないのです。文字通りそれ「しか」許さ
ないという空気が醸成されていく向きが、僕はいち(重暗い系)物書きとしてやきもきして
しまう所だというだけなのです。
具体的に言うと、ニッポン高揚を目指す向き。日本の技術は凄いんだぞ、日本の伝統文化は
素晴らしいんだぞ。みたいなそれ。それを妙にプッシュするキャンペーン的なもの。
(一応言っておきますが)僕はアナーキストではありません。むしろただ斜に構えて哂う事
がカッコイイみたいに思って思考停止している連中なんざ、藝術のげの字も解せぬ人種だと
すら思ってますから。否定する、疑ってみる。そこはいい。だがそこから昇華させる、その
決意が無い──すっからかんな奴は、何の分野であってもド三流だ──。
……脱線しました。私怨?はまぁ置いといて。国策としてもそうじゃないですか。
クールジャパン(笑)と言って、お上が文化の上澄みだけを掻っ攫おうとする愚行(せめて
現場環境の改善に金を出してくれれば御の字だけど、やっぱり彼らの基準で“文化”を規定
したがる本音が見え隠れしますし)加えて国民、末端のユーザーらも、形は違えど自ら物語
世界を均してもいいやと考えている節がある。
まぁ「楽」なんですよね。その方が。
勿論人々の全てがそうではないとは言っても、商業的、最大公約数としての人々は重く暗い
物語よりも、とっつき易く“消費”しやすい明るく簡単な物語を求める傾向にある。
スマホゲームが大きな勢力を持つようになったのと似ていると思うのです。
あれはじっくり腰を据えてゲームをする、じゃないですよね? 基本的に空き時間を潰す、
そうしたニーズと合目的的だったから広まった(まぁ最近ではそこから重課金に引きずり込
んでいく形のビジネスモデルに移行している感があって久しいですけど)
先ほども言ったように“消耗品”になったのです。多くの人々にとって、物語は己と対等な
知の層・糧なる他者ではなくなった。ワンランクツーランク下の、都合のいいアイテム位の
存在になった。
……仕方なくはあるんですけどね。不景気が続き、普通の人々にとって先ず大事なのはその
生計です。元より必需品ではない物語達は、n番手にならざるを得ない。
それでもそんな人々の向きをけしかん!と嘆くとすれば、それこそ旧態的な文壇だの、昔な
がらの文藝愛好家くらいでしょう。そしてだからこそ、優先順位が違うからこそ、益々両者
は同じ世界(リアル)に於いて乖離する……。

確かにそれらは、はっきり目に見えているものではありません。でもこれって、落ち着いて
考えてみると「怖いな」と、僕は思います。
文章なり物語──従来よりある言論・表現というものは、得てして「人々が見ようとしない」
部分を掘り返し、突きつけ、揺さ振ることにその真髄があると信じられてきました。
ですが、今日びその働きは間違いなく鈍らされている。鈍っている。否定すらされる。

“俺達はこんなもんじゃない! この国は凄いんだぞ!”
“止めようや、そういうの。前を向こう。解決すべきはこれから先の生活だろ?”

さも従来の物語(に込められたアンチ現在的な言説)が、少なからぬ人々にとって「邪魔」
で「無粋」な割り込みだと捉えられてきているように思うのです。
確かに、その言い分は全く間違ってはいないのかもしれないけれど、そうして(敢えて暴力
的にならぬよう昇華し一個のそれとした)物語にすら拒否反応を示し、ポジティブ教に、生
きることのハードルをお互い自ら高く高くし合っていく先に……果たして本当に皆が笑い合
えるような幸福があるのでしょうか?

光あれば影がある。光濃ければまた影も濃く。
だから過去に囚われろ……なんて事までは言わないけれど。

影を許さないというのは、やっぱり穏やかじゃないよなぁと思うのです。
(その癖、陰で支えた人達、みたいなのは殊更美談として報じますし……。厭ですね)

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  1. 2014/11/03(月) 15:30:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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