日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「チルドレン」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:扉、禁断、幼少期】


 父の書斎には、地下への入口がある。フローリングの床板を一部蓋にしてある、何の変哲
もないものだ。
 だが幼少時の僕にとっては、当人が古書蒐集を趣味としていた事も相まって、その扉はあ
たかも地下迷宮への入口のように思えた。子供の時分には珍しくない、妄想の類だ。
『何をしている!? 早く出て来い、アレン!』
 だから興味本位でこっそり潜りに行った時、父にはこっ酷く叱られたものだ。
 蓋を開けっ放しにしていたのも見つかった一因か。ともかくワクワクと過分な期待を胸に
地下室を降り、しかし勿論そこには迷宮など広がっておらず──ただ雑多に物が置かれてい
ただけの様を見て落胆していた所を、ちょうど書斎にやって来た父に見つかったのだった。
『……いいか。二度とあそこに入るんじゃない。……分かったな?』
 なので、当時の記憶は結構に曖昧になってしまった。
 あの時地下室には具体的に何があったのか? 見たのか?
 それさえ覚えていればこんな事にはならなかったかもしれないのに、あの日の自分は、父
に激しく言い付けられたことですっかり直前までの記憶が吹き飛んでしまったらしい。
 ──頷く事しか出来なかった。あの頃から既に自分は理解していたのだ。
 この人は、僕を愛してなんかいない。むしろ憎んでいる。そこで口答えでもすれば、次の
瞬間にはどんな報復が飛んでくることか。
 平手打ち? それともより強烈な、憎しみの眼?
 どちらも同じだった。どちらも嫌だった。だから何故を問う事もせず頷いていた。身体に
深く染み付いた反応だった。
 僕の中で父と言えば、長年気難しい人だとか、近寄りたくない人だという印象ばかりが強
かったように思う。実際彼は僕に対して殆どの場合つっけんどんだったし、時にはまるで発
作のように手を上げてきもした。
『もう止めて、あなた!』
 だから時には母が止めに入る事もあった。ひしっと僕を抱き締め、庇うように二人の間に
割って来るのだ。
『……それでいいのか? ローラ』
 なのに、何故だろう。僕の記憶には奇妙な光景が焼き付いている。
 拳を振り上げたまま止まり、酷く全身を震わせている父。
 しかし彼は、妻(はは)のその“反抗”に対し怒りを新たにするようなことは皆無だった
と記憶している。ただじっと僕らを見下ろし、深く影を差して俯く様はまるでじっと何かに
堪えているかのようだった。
『俺は、お前達に……』
 迷い? 分からない。ただ少なくとも彼が自分に向けてくる瞳は、好意的なそれではなか
ったように思う。
 故に子供心ながらに確信していたのだ。僕はいちゃいけない子なんだって。
 故に似ていくのだった。父が自分にそうするように、僕もまたすぐに感情を爆発させては
周りに当たるように為った。
 ──必然。
 周囲からは、次第に問題児として扱われるようになった。


 そして、そんな人々の評や自身の性質が色濃くなったのは、間違いなく僕があの事を知っ
てしまったからだろう。
 未だに父との確執こそあれ、僕はあの家で育った。
 時は流れ、その頃僕は周りの“普通”な人々に避けられつつも、地元のハイスクールに通
う一介の学生だった。
『皆様、お願い致しまーす。どうか献血にご協力をー』
『……』
 その日はちょうど、気の合う(と言っても周囲からすれば柄の悪いと形容されるような)
友人ら数人と旅行に来ていた。
 自身地元から離れ、都会の持つパワーに呑まれていたからなのかもしれない。
 いや、あの日あの場所でなくとも、いずれは白日の下に晒されていたことなのか。
 最初こそ皆で群れて観光をしていたが、やがてそれも飽きて結局各員の自由行動となって
いた。元より我の強い連中の集まりなのだ。n時間後に昼食った定食屋に──そう集合時刻
と場所を決められただけでも上々である。
『それ、オレでも出来んの?』
 特に他意はなかった。ただ不意に持て余した時間を潰せるのなら……。そう思い、初めて
だが受けてみようかと思った。
 幼少の頃に比べてすっかり変貌したこの自身。そんな柄の悪いそうな志願者に、テント下
で道行く人々に声を掛けていた受付嬢は次の瞬間慄いたように硬くなったが、それでも仕事
と言い聞かせたのだろう。すぐに「ええ、勿論です」と営業スマイルを寄越してきた。
『決まりですので、一応二・三検査もしますねー』
 テーブルに相対して座り、ちくりと注射の針が自分の身体の中から血を抜く。
 小振りな試験管に移されたその血を、受付嬢や後ろのスタッフ達があれこれと処理に掛け
ていた。そういや血って、人工的には作れないんだっけか……。ぼうっと、注射跡に貼られ
た保護パッドを撫でながらそんなどうでもいい事を思う。
『はい、お終いです。AB型の血液ですね。ご協力有難うございましたー』
『……え?』
 だから、何も知らずにこやかに彼女からそう言われた時、自分は脳天を打たれたような衝
撃に襲われた。
 だって、あり得なかった。
 自分の記憶が間違っていなければ、父はA型、母はO型だ。血液型の遺伝法則云々くらい
なら自分の頭でも把握している。この両親からは──Bの入った子供は生まれない。
(どういう、事だよ……?)
 示唆するもの。過ぎる結論。
 もしそうならば、自分は──。

『いいから答えろッ! お前らは一体オレに、何を隠してる?!』
 もう旅行どころではなかった。
 友人達には体調が優れないと言い訳をし、一足早く自宅への帰還。
 いや、自宅なんて表現すら優し過ぎる。
 予想通りなら、この男は──。
『それは……』
 全て話した。旅先で何となく献血を受けたこと、自分がAB型であること、その検査結果
が間違いではないと確認もしたし、二人の血液型もA型とO型で間違いないこと。
 その上で、詰め寄った。この父を名乗る男に、自分はこれまでにない憎悪で胸倉を掴み、
答えを強いた。
『あ、アレン……。あのね……?』
『触るな! あんたも同罪だろう!? 黙ってろ。今は、こいつに直接訊いてる』
 だがそれでも、ここまで言っても、この男は中々白状しない。
 暫く睨み合いが続いた。この男は目を細めたまま自分を直視しようとしなかった。
 何度か口が小さくぱくぱくと開かれる。観念した、とでもいうかのような。
『……ああ、そうだ。お前が考えている通り、俺達とお前の間には、血の繋がりはない』
『ッ──!』
 帰って来るまでに理解していた筈だった。だけど直接、かの父──いや養父からその事実
を肯定された瞬間、これまでずっと溜め込んでいた奥底の感情が爆発していた。
 殴る、蹴る、叩き壊す。僕は吼えていた。養母が慌てて止める声もそこそこに、構ってい
られる余裕もなくて、この男を殴って殴って殴り続けていた。バランスを崩したこの男を蹴
って蹴って蹴り続けた。
 嗚呼、そうだよ。道理だよな。
 血すら繋がっていなかったんだ。赤の他人だったんだ。理由(わけ)は知らないが、それ
なら自分を疎み続ける態度にも合点がいく。
『や、止めてアレン! 仕方なかったのよ……。お父さんを責めないで……!』
『五月蝿い、あんたも同罪だって言ったろーが! 畜生ォ! 寄って集って、僕を馬鹿にし
やがって……ッ!!』


 それからというもの、自分はすっかりあの家には寄り付かなくなった。
 言ってしまえば堕ちる一方。不良仲間の家や溜まり場を点々とし、金に困ればそれまで気
が引けていた強請り・集りにも手を染めるようになった。
 学校にもろくに行かなくなった。教師の方も、あいつはもう駄目だと匙を投げたらしい。
 そうなれば、もう日常はバイオレンスだ。
 盗んだ金で遊ぶだけじゃない。時には、いや毎日のように他の勢力(グループ)との喧嘩
に明け暮れるようになった。自棄が拗れに拗れて、自分でも何をやっているか解らなくなっ
ていたのだろう。
 だから当然の結果といえば当然の結果だった。
 家を出てから何年かしたある日、自分達は暴力事件を起こしたとして逮捕・収監されるに
至ったのである。
「──結局、オレは憎まれたままってことかい? クソ野郎よぉ」
 故に時計の針はもう戻らない。服役中、ある時手紙が来た。養父が病に倒れ──そして亡
くなったという報せだった。
 元より娑婆からの手紙が届くにはラグがある。こちらが知った時にはもう病床、そして死
を報せるそれが殆ど一緒になって届いたのだ。そもそも家族──血の繋がらない家族の葬儀
に出るから釈放(だ)してくれなんて言っても通る訳もない。受けた懲役も決して短くはな
かったし、何より牢屋の中で模範囚をやれるような程、自分は更生も出来なかった。
 だから今、こうして此処にいる。
 ようやく刑期を終え、娑婆に出てから陸路で何日も。心許ない懐と様変わりした世界を考
えてもそう一日二日で慣れる筈もない。どうせ遅れに遅れるのだ。様子見がてら野宿や沿線
のモーテルなどを利用しゆるゆると、でも正直な話気が進まないまま、こうして育ったこの
田舎町まで帰って来て、随分と風化の進んだ養父(あいつ)の墓の前にいる。
「ま、仕方ないか。名実共にオレは前科者。社会の爪弾きモンだからなあ」
 ぺいっ。申し訳程度に、道中で買った最安値の簡単な花束を墓の傍に放り投げる。
 化けて出るとか、そういう信心などはなかった。
 でもまぁ、これで一応形の上では手向けは済ませられただろう。改めて二度と、この町に
戻る事はない。
「……アレン?」
 なのに、巡り合せってものはとことん意地悪なもので。
 さっさと墓参りを済ませ、退散しようとしていた。ジーンズのポケットに両手を突っ込ん
だまま、その場で踵を返した直後の事だった。
「あんたか……」
 養母(ローラ)だった。相手もそうだが、何年も会っていないのに一目で分かってしまう
というのは何とも可笑しな話である。……すっかり、やつれてすらいるというのに。
 見た限り、彼女は花束を持っていなかった。
 当然か。今日は命日でも何でもない。じゃあ、どうして?
「用事で近くまで来ていたから……。出所したのね。手紙、ちっとも返事くれなし面会にも
出てくれないから、一体どうしてるか全然分からなかったのよ?」
「知らなくていいだろ。オレがここまでやらかしてぶち込まれた時点で、とうにあんた達と
の縁なんぞ切れてるモンだと思うが」
 彼女は静かに苦笑するのみだった。実際、粗相をした身内の態度としてよくあるパターン
ですらある。
 なのに彼女は小さく首を横に振っていた。そんなことはない、とでも。
 チッ……。自分は隠せぬ苛立ちと共に、またゆっくりと歩き出していた。
 言葉もなくすれ違う。戸惑いの後、彼女が墓前に祈りを捧げる気配が分かった。
 何故だろう? 足が止まった。背を向けたまま、暫く眉間に皺を寄せてその場に佇んでし
まう自分がいる。
「……何処に、行くの?」
「さぁな。関係ないだろ。ま、ねぐらの一つや二つ、探せば見つからぁ」
 降り切るように。さぁ足を踏み出して。
 なのに、彼女は自分を見ていた。じっと妙に強い眼差しで自分を捉え、再びこの歩みを止
めに掛かってきていた。
「アレン」
「んだよ。いい加減に──」
「家に来て。貴方には、ちゃんと話さなくちゃ……謝らなくちゃいけない事があるの」

 もう何年ぶりの自宅だろうか。それでもその節々に記憶が引っ掛かるというのは、我なが
ら女々しい気分すらある。
 結局珍しく彼女に気圧されて戻って来てしまった。カツカツ、二人分の靴音が家の前の芝
生から木板の軒下へと移動して音を刻む。……当たり前だが、随分とこの家も傷んだな。
「先ずはおかえりなさい。どうせだからゆっくりと昔話を──なんて言ったらまた出て行っ
ちゃうわよね。……こっちよ」
 玄関先でそう冗談にもならない冗談で一度苦笑し、彼女は家の中を進んだ。自分も、今更
戻ることも出来ず、ただのそのそとその後についていく。
「……おい。此処って」
「ええ。書斎よ、お父さんの」
 なのにどういう事だ。案内されたのは、あの男の書斎だった。
 幼い頃、妄想を膨らませて忍び込んだ地下室。故に逆鱗に触れ、二度と入るなとこっ酷く
叱られた場所。
 結局その約束は守られ続けた。その後彼との不仲が深まる一方となり、自分からこの部屋
を訪れようとも思わなくなったからだ。
「……入って。今、ランプを点けるわ」
 なのに。にも拘わらず、彼女は躊躇なくスーッとその地下室への蓋(とびら)を開けた。
先に自分を促してくる。その手には、棚の一角から取り出した年季物のオイルランプ。
 見れば部屋のあちこちに物が詰まった段ボールが置かれていた。そういえばかつて棚一杯
に詰められていた古書も何処へやら。……遺品の整理中なのだろう。
 それでも、さっぱり意図が掴めなかった。しかしその間にも、彼女はそれとなく後を歩い
て来る形で以って進むのを促してくる。
 ええい、ままよ。自分は階段を降りていった。
 そうだよ。もうこの部屋の主はこの世にはいないんだ。何を怖れる事がある?
『──』
 此処はこんなにも狭かったろうか? 記憶の風化、それと当時まだ子供だったからこそ広
大と錯覚していただけなのか。
 物置きである、その点においては変わらなかった。
 だが今日この日、十数年ぶりにこの場所に来てはっきりした事がある。
 殆どは雑多な物置であるようだったが……ある物らが一つの古い木机の上を中心として置
かれていたのである。
「これは……ベビーグッズ、か?」
 小さな小さな乳児用の服だった。哺乳瓶だった。すっかり古くなったベビーカーも机傍に
佇んでいるし、もう片方には幾つものぬいぐるみが並べられている。
「……? チャーリー?」
 だから気付いた。そうして暫く、急に目の前に広がったこの年季物のベビーグッズをあれ
これ手に取っていると、それらにはそう知らぬ名が刺繍されたりシールが貼られたりしてい
たのである。
「私達の子供よ。生きていたら、貴方より三つほどお兄さんになっていたかしら」
 するとそれまでじっと後ろに控えて彼女が、ぽつっとそう口にして歩み寄って来た。
 子供? 自分が思わず眉根を寄せる。
 自分の、兄? それは何か。今は亡き、この夫婦の──。
「ここはね。チャーリーに与える筈だったものを置いていた部屋。貴方を引き取るより前、
私は一人の男の子──チャーリーを産む筈だった。初めての……子供の筈だった。だけど結
局、私は流産してしまったの。そしてもう二度と、子供が産めない身体になったわ」
「……」
 全身が鉛のように重くなったように感じた。そんな話、今まで聞いた事もない。
 だがそんなこちらの反応を予め予想していたかのように、彼女は自分のすぐ前まで近付い
ていた。胸に手を当て、静かで酷く哀しげな表情(かお)。更にそこに抱えられていたもの
がそっと、差し出される。
「これは……。エディ? あいつの?」
「ええ。あの人の日記。書斎を整理している時に偶然にね。断片的だけど、随分前からつけ
ていたみたい」
 訊かされ、自分はまるで取り憑かれたかのように頁を捲った。
 小さな手帖サイズだった。彼女が話すように走らされたペンはどの頁も覚書のようで、そ
こから生前の養父を知るには、幾許かの時間を要することになった。

 ****

『○○年 ×月△日
 ローラ妊娠。医者の話だと三ヶ月ほどらしい。柄にもなく小躍りした。これじゃあ仕事が
 手に付かないな。困ったもんだ。だけどこれが幸せってやつなのか』

『○○年 ◇月×日
 俺達の子供の性別が判明。男の子だそうだ。二人で話し合って、チャーリーと命名。産ま
 れて来るのが楽しみだ。ローラのお腹もだいぶ大きくなっている。買い物リストを作る。
 産まれるまでにいろいろ必要な物があるよなぁ』

『○△年 ×月××日
 チャーリーが、死んだ。ローラが流産……した。いや、お前は悪くない。俺は決してお前
 を責めなんてしない。でも、嗚呼。チャーリー。ごめんよ、ごめんよ……』

『○◇年 △月□日
 やっぱり相当ショックだったようだ。ローラが日に日に弱っていくのが分かる。俺はどう
 すればいい? 喪ったチャーリーを取り戻せばいいのか? そんなの、無理だ。あの子は
 死んでしまったんだ。あの子はもう戻ってこない。もう……』

『○×年 ◇月○日
 ローラには大層驚かれた。仕方ないか。でもこれが俺の出来うる最大限のことだと思う。
 名前はアレン。ちょっと好奇心が旺盛過ぎる気もするが、元気な子だ。親は何故こんな子
 を捨てたんだろうか? でも大丈夫。俺とローラで立派に育ててみせるさ』

『◇○年 ×月□日
 ……俺は何て傲慢なんだろう。代わりなんて端から無理な発想だったんだ。チャーリーは
 チャーリーで、アレンはアレンなんだ。何故俺は、そんな当たり前の事が分からなかった
 んだ』

『◇○年 △月◇日
 ローラの顔色があの頃に比べてずっと良くなった。アレンとの仲も良好だ。いい母子にな
 ってくれるだろう。……でも俺はそうはなれそうにない。どうしても何処かで意識してし
 まう。あの子は他人の子だ。仕方なかったとはいえ、本来の親と別々にしているんだ。俺
 は罪深い男だ。血が繋がらないからというだけで、何故我が子とした子を愛せない??』

『◇×年 ○月×日
 何て事だ。アレンが自分の正体を知ってしまった。くそ、こんな事なら旅行になんか行か
 せるんじゃなかった。言っても反発しただけなんだろうが。嗚呼、どうすればいいんだ?
 傷が痛む。あれは剥き出しの怒りだった。俺は……やっぱり間違っていたのか? ローラ
 は俺を慰めてくれたけれど、やっぱり間違ってたんじゃないか? いくらローラも、自分
 の為にアレンを引き取ったと解ってくれても、俺のやったことは』

 ****

「今話したってもう遅過ぎるのだけど……エディはずっと悩んでいたわ。貴方を本当の子と
して愛せないことに、そんな自分の不出来に苛立って。だから貴方に向けていたあれは疎ま
しさじゃないの。あの人自身の、自分への憎しみよ。ああでもしなければ、あの人はもっと
早い段階で壊れていたのかもしれない」
「……」
 どれだけ睨むように手帖を読み込んでいただろう。そっと、母さんは自分に語り掛けるよ
うにして口を開き始めていた。
 ゆっくり、落としていた視線を上げる。辛さ、哀しみ。今なら……解る。
「貴方のことを第一に考えて、ある程度大きくなったらちゃんと全てを話して謝るべきだっ
たんかもしれないわね。ううん、そうしなきゃいけなかった。でも、出来ずにずるずると歳
月ばかりが過ぎてしまったわ。多分、エディも気取っていたんでしょうね。やっと元気を取
り戻したのに互いの関係を壊すような真似をすれば……どうなるか。考えただけでも、怖か
った」
 全部私達のエゴよ。ごめんなさい──。
 そして、彼女は謝ってきた。ぼろぼろと涙を零し、深々と頭を下げてきた。
 でも……自分は首を横に振ることしか出来なかった。ふるふると、戸惑いばかりが胸奥を
占領していくばかりだった。

 かつて彼女が流産してしまったチャーリー、二人の実子。
 実際にお腹を痛めた妻はその喪失から中々立ち直れず、夫は遂にある決意をする。
 養子をとること。それが自分だった。
 彼はこの手記の中に述懐している。しかしそれは傲慢な選択だったと。人一人の生命を無
関係な筈の他人のそれで代替しようとした、恥ずべき行為だったと。
 彼がその養子を愛せなかったのは、罪の意識故(そのため)だったのか? 愛してしまっ
ては、自分の行為を正当化することにもなりかねない。その為に半ば無意識下で冷淡な態度
をとるよう、己自身に課していたのかもしれない。
 明確な答えは分からない。だが少なくともそれは混濁しているし、屈折したものだ。
 養母(はは)は彼に伝えたらしい。貴方が自責の念に駆られることはないと。哀しみに暮
れていた自分を何とかしたいと願った、それ故の選択だったと理解していたらしかった。
 それでも……現実はこうだ。
 一人は自責の念なのか早死にし、一人は自棄の末に正真正銘の罪人になった。遺された母
は妻は、それでも待った。自分が出所して(でて)くる時を。きっと……この事実を伝えた
くて。

「ぁァ──」
 セカイが、揺れる。セカイが、白黒に褪せて、ノイズする。
 全くの誤解だったのだ。そしてこの話が事実ならば、自分の中にある多くの記憶の断片、
それらが持っていた不自然な綻びの全てがぴたりと一致する。猛烈なスピードで辻褄が合っ
ていく。
 母が謝っている。何度も、何度も。涙を零して、今にもひれ伏してしまいそうな程低く。
 だか違う。悪いのは自分だ。話さなかった、彼女と彼に全く非がなかったとまでは言えな
いのかもしれないが、それ以上に理由があった筈、その彼らの言葉に今日の今日まで耳を傾
けようとしなかった自分こそ、この一家を壊した最大の悪ではないのか。
「どうして……こんな……」
 だから、自分が泣いていると気付いたのは、そんな思考の渦が駆け巡って何拍もした頃。
 決壊するように零れ落ちていた。ろくに見えないほど霞むように、止まらぬ涙が自分の眼
に映るセカイを曇らせ、見えなくする。
「僕、は──」
 最早立っていられなかった。母のそれ以上にこの身はその場に崩れ落ち、ただただ溢れ続
ける涙と胸奥を貫く嘆きばかりが、全身の感覚の中で激しく反響する。

 少なくとも。自分は犯してしまったのだと気付いた。
 文字通りの法による罪ではなく、更にもっと残酷な、あたかも冷え切った刃先を突き立て
るかの如きそれを。
                                      (了)

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  1. 2014/10/20(月) 18:00:00|
  2. 週刊三題
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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