日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)あまりに遠くて、皆の幸

( ˘ω˘ )

気付けば九月も半ばとなり、陽も風もずっと柔らかくなりました。流石に照り続けると眩し
いくらいですが、真夏の頃に比べれば遥かに過ごし易い。まぁ相変わらず午睡の誘惑には負
けっ放しなんですけども;
こんにちは、長月です。先日連載(ユー録)の五十五章をUPしました。
加えて今回の更新によって、なろうさんでの総合点が200ptの大台を、投稿総分量が300万字
をそれぞれ突破するという節目にもなりました\(^o^)/
これまで手に取ってくださった全ての皆さんに最大級の謝辞を。
宜しければ今後とも、緩々と生温かくお付き合いくだされば是幸いですm(_ _)m

……創作の秋ですね。いや、勿論何の秋かは人によりけりですが、自分はね?
物書き仲間さんと話していて、ふと話題に上った件の総分量。改めて自身のユーザー名にて
検索を掛けてみれば──文字数:3,000,000超。
気付かぬ内に此処まで来ていたか……。そしてこれはあくまで「なろうさんに投稿した分」
なので、当庵のみのコンテンツ(過去の長編系やら企画物やら、雑記やら短歌やら)を全部
合計すればとうに+云万という数字になっていた訳で……f(=_=;)

でも足りない。書いても書いても創りない。創作中毒だからです←結論
(今は波が上向きってこともあるのだろうけど)どうにも気持ちだけは前のめりで、だけど
実際身体は思うほどついては来なくって。
年齢やら持ちうるキャパシティやら? でも、分かっていても、その度につい歯痒い思いを
するヾ(:3ノシヾ)ノシ 確かに個々人のリソースってのは有限で、皆がそれらを割きながら自身
生を過ごしているのだけど、それもこれも「ない」「なくなる」に気を取られ過ぎるからそう
急いてしまうのかもしれないなあ、などと。どうせ防ぎようはないのだしね

禅の教えによれば、水が半分入ったコップを指し『中はいっぱい。半分は水で半分は空気』
と云うそうです。

はて、自分には何が「ある」のだろうか? 何を「為せている」のだろうか……?(:3 _ )=


創作充の天狗鼻というか、今日び要らないお節介というか。
かねてより(数年来の病気持ちを切欠とした)僕の観測範囲内では、毎日のように様々な人
達の嘆きや思惟を目にします。
ある人は日記のように日々の細事を載せ、ある人は世間を騒がせる時事について評論家を気
取ってみたり。またある人は自分の“商売”にソーシャルメディアをずずいと活用し、所謂
信者を増やす(=喧嘩を仕掛けてくる誰かを淡々とリムブロする)ことが日課で、また別な
ある人は沸々と、或いははたと、沸々と込み上げる世界への想いを吐き出しています。

……ですが思うのですよ。特に最後のような人達──「この世界が苦しい」ともがいている
人達。そんな人達に、僕は何も出来ていない。していない。
個人としての僕は日々自分の創作を楽しみ、悶々とし、そのリソースを割く毎日を過ごして
いる訳ですが、果たしてこの営みは他者にとってどれだけの意味を持つのだろう? なんて
ことをまま考えるのです。
ええ、偽善かもしれない。少なくとも僕に、目に付いた人達全てを救う“能力”や“義務”
といったものはない。自身、創作活動によって満たされてきたもんから、ふいっと少なから
ぬ他人──が放つ負の言霊を何とか取り除きたい、なんてことを目論むのかもしれません。

僕は、諍いが嫌いだ。それでも尚言葉で拳で殴り合おうというのなら、こちらからぶっ飛ば
してでも“静か”にさせたいと思うことさえある。
……純粋な「正義感」なんてものじゃない。
ただ僕は、この知覚するセカイが騒々しくなるのを少々過度に嫌っているだけで、かといっ
て大人しく口を噤んで耳に栓をしたままやり過ごせるだけの度量を持っていないだけで。
だから失敗する。失敗したと思う。たまに「五月蝿いんだよ!」と注意しても、その出発点
が彼らを思ってではなく、自分の為だと分かっているから(何よりキレた所で何もその先を
豊かに変える訳でもない“不毛さ”しかないから)後悔する。踏み込んでおいて後悔する。
その度に「自分にそういう義務はないんだから」と今日びの冷めた処世術を嘯き、言い聞か
せてみたりする。結局不毛だから、止めておいた方がいい。

でも……それでいいんだろうか? 義務や相応の縁がある訳でもなし、他人様のネガティブ
なんて放っておけ(自分のことだけやってればいい)ってのは……正しいんだろうか?
僕は観ています。生き辛いと嘆き、居た堪れなくもがき続けている人達を。
僕は通って来ました。苦しい助けて。しかし手を伸ばした人にすら噛み付くという矛盾を。

正直言って、確かに面倒です。
今も以前の経験からいわゆるメンヘラというか、負の感情を拗らせた人達との縁が出来る事
がままあるのですが……まぁこれがややもすると面倒になってくる。疎ましくなってくる。
何が疎ましいかっていうと、ほぼ間違いなく当人の「学ばなさ」なんですよ。辛い苦しいと
言いながら、こっちが大丈夫か? ○○ならまだマシじゃない? △△とすれば楽になって
くるよと繰り返し言うのに、掴まない。繰り返し繰り返し、その「つらさ」の方にしがみ付
いている。それでこちらのリソースをふいにしているのだという自覚が(多分)ない。
……だから、僕とてそこまで繰り返されるとキレるんですよ。ポジティブ教に改宗しなさい
とまでは言わないけれど、目的?が逆転してしまってるんですよね。「苦しい」から誰かを
求めていたのに、気付けば誰かを求めるから「苦しがる」みたいな。
                                               同族嫌悪? うん。
そりゃまあ……世間様からはオカシイ人・面倒くさい人って思われるよなぁと。同時に現在
こういう感慨を抱いている自分は非情だなぁと、ある意味でそれは自身が「治癒」した後で
ある証なのかもしれないけれど、自分も(多分)ああだったことを忘れ、鼻にかけているん
ではないかい?と。
(勿論そうではなくて、自分からその負の感情に立ち向かい、考え続けるひたむきな人達は
この限りではないのです。念の為。そういう人達が──今でも自身と被っている人達がいる
からこそ、僕はネットの海でそういう「生き辛さ」の声を観測し続けているのであって)

幸い、僕という個人は創作活動という糧を得て一頃に比べて随分回復してきたと思います。
尤もそれでも罹患前の自分に戻れることは無いのですが、だけども一度精神的に死ぬような
辛さを味わった身だからこそ、今改めて思うのです。

──この「治癒」をお返しできないだろうか? 今ものたうち回る他の誰かに、同じように。

以前僕は雑記などで言っていました。物語の書き手とは相手方を「変えてやろうと企んでは
ならない」と。あくまで「提示するだけ」に留めるべきで、自分の書いた物語から何かしら
の糧なり慰みを得ること自体は、受け手の自由(解釈)に委ねるべきだ、みたいなことを。
今回此処に、僕は加筆・修正を加えたく思います。
厳密に言うと……言い回しを変える、という感じでしょうか。基本的に相手を変えてやろう
と企む物語は(そもそも表現が手前勝手な本質である以上、より理性的であるべきとして)
三流だと考えますが、受け手の得る解釈(もの)に関しては、それをただ「放任」するだけ
では足りないのかなぁ? と考え直すのです。

……だって、何も変わってはいないじゃないですか。少なくとも僕自身の観測範囲では。
今でも現在進行形で世界は苦しみに満ちている。ミクロなレベルでは、そのマジョリティに
そぐわない精神性により日々の生活すら苦しい人達だったり、仮に「平凡」であっても今日
びのブラックな労働で疲弊しつつ、されど辞めたとしても(自身で起業したりする程の能力
が人脈が、天運がある訳でもなく)更に落ちるだけの現実だったり。マクロなレベルでは、
言わずもがな国内外のイデオロギー闘争で掻き乱されていく社会の有り様だったり、或いは
テロリズム対既存秩序といった、分かっていてももう人類には止められないんじゃないか?
という程の暴力の連鎖だったり。
なのに僕は創っている。雑音を嫌い、篭ってばかりいる。同好の士とのオフ会に出掛けても、
街の人波に酔い気味で帰って来るくらい、バイタリティには乏しい。先述のように、確かに
僕には誰かを助けなければならない“義務”なんてないのだけど……ただ「嗚呼クソッタレ
な世界だなあ!」と文章に書き付けているだけじゃあ、何にもならないんじゃないか。

思うに、物語に於ける“救い”とはただの明暗のような、作品個体の「属性」だけに留まら
ないような気がするのです。
何て言うのかな……繋がっている。虚構と現実の世界が、物語で繋がっているのだと思う。
それらはあくまでフィクションで現実ではないのに、描かれたそのセカイを手に取った誰か
がそれを現実として咀嚼し始めた時、たとえリアル全体からみればその一つ一つは微々たる
ものであっても、その時確かに世界は変わるんだと思う。ちょっとずつ、多分僕ら自身も認
識できていないくらいの何かが。

だから、凄く遠い。物語(言葉)が紡ぐ力が遍く皆を幸せにできるには……あまりにも時間
が掛かり過ぎる。そもそも無理難題なのかもしれない。多分だけど、一つの物語に出会った
ことで変われた誰かが一人生まれる頃には、もう百なり千なり、それこそ圧倒的大小多数の
不幸が生まれているんじゃないか?
だから、ゴールには辿り着けないのだろう。少なくとも自分が生きている間には。
実際有史以来、無数の物語が紡がれてきたって、僕らヒトが遍く満たされたなんていう史実
は何処にも記されていないのだから。

だから……僕は、そもそもの前提をひっくり返して改め直さなければ。
一人でいいんだ。何人かでいいんだ。僕が僕の書いた物語で、言葉で、誰かが得るものを見
出してくれるのなら……それで。人は無力だ。最初から皆を救おう──生き辛さにのたうつ
人々で溢れる世界自体を、己の視界から、いや根本的に排除しようなんて不可能なんだ。
(大体、一人すら掬い上げられないで、皆など……)
それでも、描くことは出来る。
何かしらの救い──回答(こたえ)を、その物語セカイに込めることは出来る。
多分それが虚構と現実を繋げるキーだと思うし、より積極的に書き手が受け手に「示せる」
ものなのではないかと思うのです。

自分の物語を手に取る誰かを『俺の都合のいいように変えてやろう』ではなく、手に取る誰
かが『変わるかもしれない。それ自体を自身の喜びとする』こと。

物語に於けるエンターティナーな精神というのは、もしかしたらそういった心持ちを言うの
かもしれませんね。

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  1. 2014/09/15(月) 22:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
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