日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(雑記)ネガティブ教徒は理想郷の夢をみるか

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暦が八月になりました。一時は夏本番の暑さに晒されていましたが、ここ数日は連荘で迫っ
て来ている台風の影響でこちらは曇天時々不躾な雨天です。
豪雨の被害に遭っている地域の方達からすれば不謹慎な言い方になるのでしょうが、やはり
晴れてるよりも曇っている、或いはしとしとと趣のある(←ここ大事)雨が降っている方が
自分は好きですね。こんにちは、長月です。

先月、丸々と少々掛かってようやっとユー録Ⅴ部のプロットがこさえ終わり、さて執筆再開
だ──と思っていたのですが。それまでの詰め込みと、何より私情がにわかに圧迫的なもの
になり、自身のメンタルが随分と疲れてしまっているように感じる今日この頃です。
「暑さでしんどいなぁとか、ぼげーっといっている場合じゃない」と先日のなろう活報では
したためていましたが、正直ここに来てコンディションの不安定さ──比較的短いスパンで
の体調変動(の波)が強くなっているように思います。まぁそれも、そもそもを辿れば全部
自分の耐性の無さが招いた自業ではあるのですが、未だ取り掛かる踏ん切りがつくにはコン
ディションが落ち着いてくれないようで……m(_ _;)m

難儀だなぁ。
もっと色々と創りたい(創らなきゃと思う)のに、常にそこへ「無価値」の波が押し寄せる。
だから(繰り返すけれど精神衛生的にも)割り切って考えないようにして、切り離してしま
えばいいんだろうけど、そもそもそういう“器用さ”を持ち得たのなら自身こういう道筋を
辿ることも無かったんだろうし……(:3 _ )=


僕は「諍い」が大嫌いだ、というのは以前から折につけて零している所ですが。

改めて思うのですよね。僕のこの創作活動ってものは、本当身勝手なんだよなぁと。
一度厭だと思ってしまうと、もう論理的な整合性など関係ない。ただそこに「諍い」がある
ことに対して、強烈なまでの拒否反応が出てしまう。なのに、その癖自分が創作として専ら
描こうとするのは、そういう争いや業にのたうち回る人々や世界で……。
物足りない。円満なセカイじゃ、たとえ箱庭の中でも何だか物足りない。
さもダブルスタンダードじゃないですか。他人達のリアルは駄目で、自分が描く分にはいい
だなんて。尤も『敢えて逆を描くことで厭を表現する暗喩』にしているとも解釈できますが、
それでも言っている事とやっている事が違うというのは否めませんし……。
“藝術”と称するにはおこがましいんじゃないか?って思うんですよね。
どのみち僕が創り出すその源泉は、憎悪ってことになるじゃないですか。厭を突き通さんと
する我が侭としてのツール、というか。

加えて、最近じゃあただ「否定(批判)」している誰かを見聞きするだけでモヤモヤと厭な
気持ちになるようになってしまうのです。論理的じゃない。
いや……「否定(批判)」という言い方では不十分かな? 「哂いながら否定(批判)」を
している・してくるような誰かが厭だ、と言い直すべきなのでしょう。
多分自分には視えてしまうのでしょうね。そうやって対象を「哂う」態度が何よりも、人々
の間に対立構図を煽らせ、拡げていく源になりうるってことが。こと人ってのはポジティブ
な話題よりもネガティブ──言ってしまえば他人の(特にイヤな奴の)不幸に関わる話題の
方に喰い付きやすい習性を持っていますし。
だから、個々人の倫理や“余裕”などの歯止めが無ければ、あっという間に拡がっていく。
悪意なんかは今日び簡単に。さりとてそれを脊髄反射だと「批判」してみても、某フォロー
さん曰く、
『悪い所ばかり目に付く? 当たり前じゃんよ。危険を察知するのは生物の本能でしょうが』
とも語られていて。
(まぁ……言われてみればそうか。決して善い使われ方ではないけれど……)

──明るく楽しい物語を“創らないといけない”。
何度も何度も、自分が暗い重い物語ばかり書く、思いつくのを自省するにつけ、その念は僕
にとり色濃く上書きされていくように感じられます。
尤もそうじゃなくてもいい、こっち(硬い重い)を好む人やそういう思索の種の需要がある
のも一方では事実なんだと思います。むしろ旧代の文学というのは、そういうものの担い手
であったのかなと僕自身も考えるくらいに。
でも……あくまで“旧代”では、なんですよねえ。時代の趨勢を観ればエンタメ的な小説、
創作物の方がずっと幅を利かせているのはれっきとした事実で。僕の知る限りですが、一般
文藝と呼ばれる部類の小説も、ラノベ的な文体(台詞書きを中心にした文章構成)のものが
増えて来ているように思いますし。
……それが「悪い」って訳じゃあ、ないんですけどね。要は面白ければいい訳で。書き手の
方も先ず自分が描きたいもの、楽しめることを優先しないと精神衛生上ぶっ壊れ易くなって
しまうぞーってのはある。
ただ長い目で観て振り返れば、エンタメ色が一時の流行り廃りであっても、やっぱり自分の
ような書き方・物語の性質(込めんとするもの)が正しいのか? 求められているのか?
何よりこちらが意図したような効用を発揮しているのか? と問うと……正直怪しいと言い
ますか、疑心暗鬼になるのは否めないんですよねぇ。

たとえ僕自身が『敢えて逆を描くことで厭を表現する暗喩』の心算であっても、勿論そう取
られていない可能性だってありますよね?(尤もそんな“齟齬”すら、あーだこーだと斜め
あさってに分析し合って語らうのもまた、文藝の面白さと言えば面白さではあるんですが)
ぶっちゃけ、額面通りに感じ取られてしまっている可能性は結構あると思うんですよ。
敢えて──(僕自身が厭だという)リアル、諍いでのたうち回る世界を描いて箱庭という名
の物語の中に閉じ込め、読者さんに提示する──表現と示唆の種とするにしても、人によっ
てはそういうアプローチ自体が「厭」だと思うかもしれません。事実、とある友人がかつて
僕に言った『せめて物語の中でくらいは救われたいよ』といった旨の反応・志向がその好例
だと思っています。
彼らとしては娯楽──(現実から一時逃れて)慰みにしたい。
だけど僕なんかは、多分そういう意図である人に対してすらも、思索──現実を考える鏡を
突き付けてしまいがちなのだと思うのです。どっちが良い悪いとか優れているとかではなく、
単純に(その個々人・時々の)ニーズの問題として。そも「これは違うな」と思えばサッと
離れて、彼らがめいめいに求める毛色の本棚へ行けばいい(そして僕ら書き手もそれを一々
咎めるような無慮なことはしない)と割り切り、相互にそうやって“選び合う”ことを是と
していれば、余程の事がない限り両者に決定的な対立は生まれないと思う(と信じたい)の
ですけれど……。でも、少なくとも僕個人という書き手は、その割り切り合いの上に胡坐を
掻いたまま我を通して書き続けるのは……どうやらメンタルが弱いようで。

堂々巡りする思考を、吐き出した思いを、何とか前進させたく思うのです。

──現実(リアル)は決して善良なもの(ばかり)ではない。
悪貨は良貨を駆逐すると云うように、パッと目に付いた・経験した──世界全体という視点
でみればごくミクロ、一角での出来事でしかない悪意でも、その人間を歪ませ、憎悪に染め
るには十二分で。
──その悪意が厭だ。その憎悪が拡がっていくのが厭だ。そうやって争ったって、その先に
何が在ると言うんだ? 僅かばかりの「勝ち」だろう。だけどすぐに終わる。またすぐに彼
らの“敵”は現れるだろう。
見つけて、晒し上げて、攻撃して、潰して、また新しく見つけて……。
詮無い。不毛だ。そんな現実が厭だった。だけどそんな諸々のしがらみと、僕らはこの世に
生れ落ちた以上、同じ大地に生きざるを得ない以上、一緒に暮らすしかない。
──だから、僕は描こうとするのだろうと思う。敢えてリアルのそれと重なる、争いと業に
のたうつ人々や世界を描いて、表現する。提起する。不毛だろ? 虚しいだろう?
きっと……(今でも)欲しいんだろうなと思う。
──それは多分、理想郷だ。願わくば諍いなど無い、平穏な世界に僕は生きたい。
だけど現実はそうは問屋が卸さなくて、だからせめて人々が峻別して“棲み分ける”ことが
出来ればベターなのかなと思う。
単一の倫理(善きルール)で縛るにはもう僕らは多様になり過ぎた、個別になり過ぎた。
それでいて“余裕”が乏しくて同じセカイにぶち込まれているもんだから、弱者を見つけて
咎人を見つけて、憂さを晴らす。それが諍いだ。おおよそ全ての元凶だ。だから尚の事、僕
らは棲み分けておけばいいと思う。もっと小粒散在で在ることを許せる世の中になって……
余程の事でもなければ立ち入らない。さりとて固く閉ざし切ってしまう訳でもなく。

責任からの逃走? そんな小さな規模に還ったって、膨れ上がった今日の欲望のシステムは
もうそれでは立ち行く訳がないと云われる。きっと誰かが不平等だ!と言うだろうと。
(だから不必要に統一されるべしとして干渉をせず、棲み分けた単位毎に収まってればいい
んじゃない?って思うのだけど……。此の欲ってのが人間、なのかな)
そもそも、その責任とか義務とか、何処の誰が決めて強いるようになったんだろう?
故に個人的にげんなりとするアナーキスト、よほど己の地力に自信のあるらしい個人主義者
達が「国家」なり「民族」に抱く嫌悪感の一端“だけ”ならば……僕にも解らんではない。
だけども《他に誰もいなければ絶対の安寧が得られる》ということ、その実行は少なくとも
間違いだと僕は思う。

人は一人じゃ生きていけない、だなんて陳腐な言葉じゃなくって。
(むしろこの言葉もまた、荒々しい統一を正当化する為の方便になりうるから)
平穏な世界を生きたいと願って、だけど他者を「滅ぼして」それを実現するなんてことは、
きっと貴方が厭だと言った“敵”と同じ所業──同じ穴の狢だから。
厭だと思うなとは言わない。精神の自由は何よりも守られるべきだと思う。
教義的な「愛」よりも、静かに見極め、相手との心身の「距離を取り直す」こと。
その方がよっぽど現実的で確実なんじゃなかろうか。

……僕は、未熟だな。
雑記にして綴った方が、素直な気がする。物語達にして託すより、明確じゃああるまいか?

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  1. 2014/08/05(火) 17:00:00|
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

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