日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「ボーダーアウト」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:白、空、憂鬱】


 人類の大多数が本物の太陽を見ることがなくなって、果たしてどれだけの年月が過ぎ去っ
たのだろう?
 その時代、空とは即ち白だった。曇り空の灰色でもなければ晴天の青でもない、見上げる
全てに隙間なくちりばめられた、澱んだ白色の天であった。
 理由──原因はとうに判っている。他ならぬ人類の営みの所為だ。
 かつて少なからぬ人々が訴えたであろう環境汚染。しかし“成長”を大前提とする世界の
仕組みはそれを許さず、止まることなどできず、造り消費し続けた。
 その結果の、現在である。今や大気汚染は目に見えてこの星をすっぽりと覆う巨大な層と
化し、地上と天上を隔てて久しい。故に人々は、清浄設備に守られた都市(ポリス)から外
に出る際は支給されるガスマスクを装着しなければならず、結果かつての一時代に比べその
繁栄は大きく減退したと言わざるを得ない。
 それでも……人類は今も抗っている。空に届かないのなら、届けさせればいい。
 世界各地の都市(ポリス)群に建つ超高層タワー・通称《バベル》。
 人類は白き大気汚染と闘いながら、この神話のそれに肖った天衝く塔を積み上げ、汚染層
の上空に在る本来の天(そら)を目指した。太陽の光が満足に届かぬ、多くの生物が死に絶
え新たな生態系が形成されてゆく地上での繁栄を比較的早い段階で諦め、人類はこのタワー
上層部で受けた太陽エネルギーを文明の要として新たな秩序を築いていったのだ。

 汚染層を境目に、その上層、空から太陽エネルギーを作り出して地上の都市(ポリス)群
へと送る“天街(ソルフロント)”。
 汚染層を境目に、その下層、最寄ないし相互にネットワークされた各地の《バベル》から
送られたエネルギーを使い人々に必要な物資・食料を生産する“地街(テラフロント)”。

 持ちつ持たれつ。二手に分かれた人類。
 しかしその実は天に住む者達が特権階級として地を見下ろし、地に住む者達は日々課され
た生産活動に従事せざるを得ないながら、羨望と嫉妬を交えて天を仰ぐ。
 変わらなかった。ただ仕組み(システム)だけが変わっただけだ。
 より固定化された、汚染からの保護を大義名分に、より限定された世界となって。


「よし、扉開けてくれー!」
 言って、目の前の鉄扉が軋みながら左右に開いていった。
 尤もそれを扉というには些か体裁が悪い。その実は波打つ古びたトタンと薄い金属板で出
来た形ばかりの仕切りである。
 それでもこの日、タムは清々しい笑みでその瞬間を迎えていた。空が白き層に塗されて久
しいとはいえ、それでも多少なりとも明るさくらいは差し込んでくる。
 場所はとある都市(ポリス)の郊外だった。スラムと言って差し支えない。
 一応清浄設備自体はこの辺りにも延びてはいるが、肝心の半透壁(セルドーム)が此処に
は無い。貧民の貧民たる象徴でもある。
 タムは小脇に抱えていたガスマスクを装着した。途端に顔回りが蒸し暑くなる。
 そう言えば今は、かつて季節的には夏と呼ばれていた時分なのだっけ? 今日(いま)は
年中似たような気候なので知識の上でしか知らないが……。
 ゴゥンゴゥン。そして彼の後ろからは、ゆっくりと動いてくるものが一つ。
 プロペラ式の飛行機だった。尤も統一政府による正規のそれとは違い、これは基本廃材を
集めて地道に組み上げた、彼お手製の機体である。
 そしてこれこそがタムの趣味であり、夢であり、その全てであると言ってもよかった。
 普段スラム地区で、仲間達とジャンク屋稼業を営む彼には夢があった。
 ──いつか自分の力で、天街(ソルフロント)を見下ろしてみたい。汚染層の上にあると
いう本物の空を見てみたい。
 だが普通に、それこそ《バベル》経由で昇ることは困難だ。基本的に両街(フロント)の
行き来は厳しく管理されており、総じてタワー上層の住人とは特権階級なのだ。
 だから、タムはこんな挑戦をもう何年も続けている。
 地街(テラフロント)の住人は勿論、同じスラム地区の人々からも彼はしばしば奇異の目
で見られていた。──生産工場(プラント)で働きもせず、何をやってるんだと。
 それでもタムは諦めなかった。夢を追い続けた。
 皆、諦めている。自分達は一生この限られた都市の中で過ごすんだと思い込んでいる。
 違うだろ? ヒトは、もっと自由に生きたっていい筈だ。少なくともかつて俺達の先祖は
そうだった。そりゃあその奔放さがあんな汚染層(そら)を作ったんだと言えばそうだろう
けれど、何も精神(こころ)まで小さくなる必要は無い。
 ……皆の為でもあるんだ。少なくともタムはそう思っていた。
 自分があの白い偽物の空を突き抜けるさまを見れば、皆も少しは元気になってくれるかも
しれない。生れ落ちた時代を、境遇を、呪い続けることの詮無さに気付いてくれるかもしれ
ない。
 笑っていて欲しかった。この街に生きる皆が、家族みたいなものだから。
 ぽんぽん。色合い的に継ぎ接ぎだらけの機体を軽く叩いてやる。撫でてやる。
 今日はテスト飛行。第……何回目だっけ? まぁいいや。
「タムー。シャフトの回転はどうだーい?」
「いい感じだ! この前よりもパワフルになっている気がする」
「そりゃそうよ。あんたの要求通り、バッテリを倍に増やしたからね。でも分かってんの?
部品を増やせばそれだけ自重が増すわ。この前よりも高度が落ちるかもしれない」
「承知の上さ。だけどどのみち、あのままの馬力じゃあ本物の空(あそこ)には届かない」
 唸りを上げ始めたエンジンの声に負けぬよう、仲間達の一人であるユーリと、マオとのや
り取りもまた大声でのものとなっていた。
 ひょろっと背の高いこの友人と、口煩い口調が最早耳慣れ過ぎ、親しみすら感じられて久
しい幼馴染の少女。
 加えて他にもジャンク屋稼業の仲間達が見守っている。
 そんな皆にぐっと親指を立ててみせると、タムはヘルメットを受け取ってコックピットへ
と乗り込もうとする。
「──ああ、よかった。ギリギリ間に合った……!」
 そんな時だった。見れば格納庫もといトタン小屋にまた一人、見知った少年がぱたぱたと
入って来る。
「シュウ。来てくれたのか」
「うん、連絡を受けて急いでね。この前よりも馬力を増やしたっていうから、もしかしたら
悲願の瞬間が見れるかもしれないし」
 彼の名は、シュウといった。一同が認める仲間である。
 だが……その身なりは明らかにタム達とは一線を画していた。着古したボロ布ではなく、
丁寧に仕立てられた上物の衣服なのである。髪もさらりと整えられていて、その柔和な微笑
みをより美しく、魅力的に映しているかのようだ。
「はは、そうだな。届くように頑張るさ」
 実を言えば、彼は他ならぬ天街(ソルフロント)の住人なのだ。
 しかし縁あって訳あって、今や彼はタム達の同士──いや、むしろ面子の中でタムに次ぐ
情熱を持っている人物だと言っていいのかもしれない。
 こつんと互いの握り拳をぶつけ合い、タムは改めて操縦席に乗り込んだ。その機体が勝手
に飛んで行ってしまわないよう、仲間達が後ろから何本ものロープでぐっと引っ張り押さえ
てくれている。
「じゃあ合図行くよー。5、4、3、2、1……テイクオフ!」
 マオの指信号を受けて、その支えがパッと離された。そして既に準備万端なエンジンはい
よいよ最大級の唸りを上げ、先端のプロペラを激しく回転させながら前進していく。
「いっくぜーッ!!」
 格納庫もといトタン小屋が激しく揺れた。ユーリやマオ、仲間達がその風圧に頭や裾を押
さえて耐えながら、リーダー・タムの離陸の瞬間をしかと見届ける。
「第一段階は成功っと……。流石にここまでは卒なくこなせるようになったね」
 だがぼうっとはしていられない。ユーリを中心とする分析班が、早速機体から無線で送ら
れプリントアウトされる飛行情報に目を通し、同じく無線でサポートの指示を送る。
「少し吹かし過ぎだ。もう一ギア下げて」
『あいよ』
「うん……安定してきた。ミーティング通り、高度を稼ぐ時は直線じゃなく螺旋を描くよう
にして飛ぶんだ」
「──」
 テスト飛行、いつものと言えばいつもの忙しなくも充実した姿の仲間達。
 そんなさまを、空のタムを、シュウは文字通り目を輝かせて見渡し、仰いでいた。
「……凄いね。この前よりもスムーズに昇っている気がする」
「だねぇ。重さが心配だったんだけど……あいつもそれなりに腕を上げて来ているってこと
なのかなあ?」

 そもそも、シュウがタム達と出会ったのは偶然であった。
 いや必然だったのかもしれない。シュウと彼が抱く夢はとてもよく似たものだったから。
 シュウは天街(ソルフロント)の住人──特権階級の生まれである。《バベル》の警備部
門の要職を務める父と、同じく高官一族出身の母、そして弟と妹の五人家族の長男として生
まれた。
 切欠は……今もはっきりとはしていない。だが間違いなくあったのは、違和感だった。
 《バベル》内にある学校で学んだこと。天街(ソルフロント)と地街(テラフロント)の
関係。自分達は与える側、選ばれた存在なのだという、幼少期からの刷り込み。
 だが彼は成長するにつれ、そんな大人達の言葉に益々疑いを持つようになっていった。
 確かにここは上層、白い汚染層よりも上に位置し、地上の人々のように毎日変動する大気
汚染警報に怯えながら暮らさずともよい。健康、安全という意味では、確かに自分達は恵ま
れた環境に生きていると言える。
 ……だけど、そこで彼らが偉ぶる理由に納得できなかった。
 受け取っているじゃないか。地街(テラフロント)から送られる物資を、食糧を。これら
がなければ自分達は程なく困窮するだろう。その実、空の孤島に生きているという事実を、
大人達は何故直視しないのだろう?
 解っているつもりだ。しない、したくない、してはいけない。
 優越感だ。
 人の上に立つ人、選ばれた存在。そう己に深く認識させることで、天地に関わりなく自分
達ヒトが限られた場所でしか最早生きられないのだというこの現実に向き合わずに済むよう
にしているのだろう。
 ……小さい。子供ながらにシュウはそう思った。先祖からの自業自得なセカイで、尚も着
飾ってはしがみ付いて。やる事といえばおべっかだらけの腹の探り合い。
 厭で厭で仕方なかった。親の都合で、長男だからという理由でああいう社交の場に付き合
わされてきたが、一度として楽しいと思ったことはなかった。
『お? 何だお前、この辺じゃ見たことねぇ顔だな』
 だから──逃げ出した、ことがある。家出だ。昇る側は難しくても、降りてみるには案外
簡単だったことをあの時知った。
 そして見知らぬ地街(テラフロント)まで降りて来て見事に迷子になってしまったそんな
時、彼は運命の友と出会ったのだ。
『へえ……お前、天街(ソルフロント)の生まれか。スゲーな。あっちは皆がそんなキラッ
キラな服着てんの?』
『階級によると思う。自分で言うのも何だけど、僕の家は結構上っぽいから……』
『マジかよ。スゲーなあ。じゃあさじゃあさ? 空ってどんななんだ? 本物の空。あっち
はくすんだ白じゃない、本物の空ってのがあるんだろ?』
『えっ』
 事情を話す中で出自を名乗ったのに、彼は無邪気に笑う。
 そしてシュウは、更に彼から訊ねられたその一言に、思わず言葉を失う。
 本物の空。地上の人々は、そのままでは決して見ることの叶わぬそれ。
 だが自分は殆ど印象に残っていない。青かったような、白が点々としていたような……。
一望できる環境には住んでいるから、何度も見てはいる筈なのだ。なのに、いざ問われると
そんなことすら覚えていない……。
『……ごめん。実は僕も、あまりよくは見てはいないんだ。君達にとってのあの汚──白い
空のように、僕らにとっては当たり前過ぎるのかも』
 精一杯の誠意のつもりだった。一方で癪障る余裕だと蔑まれる覚悟もしていた。
 なのに、何も返って来ない。シュウは恐る恐る彼の方を見ていた。
 そして目を開く。刹那、彼は──破顔していたのだから。
『お前、変わってるなあ。先公や親父達の話じゃあ、天街(むこう)の連中って高慢ちきの
嫌な奴ららしいのに』
 故にシュウは唇を結ぶ。そうだよ、その認識は間違ってはいない……。
『……よしっ、決めた!』
『?』
 なのに、いやだからか、彼はまた呵々と笑った。そしてこちらの意思もそこそこにぐいっ
と手を取って握ってくると、言ったのである。
『お前も一緒に来いよ。俺達はさ、今飛行機作ってんだ。自分達の力で、あの偽物の空を突
き抜けて本物の空を拝みに行くんだ』
 だからついでだ。お前も乗せてってやるよ──。
 それはシュウにとって、とても眩しい誘いに思えた。
 自分の力で、しがらみに囚われず、自由を満喫する。世界の広さを、全身で感じる……。
『あ、そういや自己紹介がまだだったな。俺はタム。ここから三区画くらい外れた所で仲間
達とジャンク屋をやってんだ。お前は?』
『……シュウ。学生、かな。家の事はさっき話した通り……』
『そっか。よろしくな、シュウ。じゃあ早速皆の所へ挨拶に行こうぜ!』
『え? ちょっ、ひ、引っ張──』

 そうして瞳の奥で出会いの頃の記憶が再生されていた最中、皆がひときわ高い歓声を上げ
るのをシュウは聞いた。
 最高記録だ! 仲間の一人が叫んでいる。改めて見上げれば、確かにタムの乗った飛行機
は今までになかったほど高く──汚染層の近くまで迫ろうとしている。
『うぉぉぉーしッ! 行ける、行けるぞ! 高度見てるか、ユーリ!』
「ああ、今皆が小躍りしてるよ。観測値にも出てる。最高記録だ。出力をもう少し余裕を持
てる改良すれば汚染層の高度に届く」
『おお、やっぱりか! それじゃあ……一旦降りる』
 背後の格納庫の中から、無線でそうユーリ達とやり取りするタムの声が聞こえた。
 何故そのまま試さない……? シュウは思ったが、すぐに理解する。
 今いないからだ。あの機体に、コックピットに、未だ自分が乗っていない……。
「うおー、タムー!」
「やったぜ! 大成功だ!」
「おうっ。これであそこに届くのも時間の問題かもな」
 やがて旋回しながら高度を落とし、飛行機が着陸してくる。スピードが殺され切り、格納
庫に収まった機体から出て来たタムに、狂喜乱舞した仲間達が揉みくちゃになって駆け寄っ
ていく。
 彼は笑っていた。そしてこちらを見て、確かに一度頷いてみせる。
 シュウは頬を緩め、頷き返した。やっぱりそういう事だ。
 約束の通り……その瞬間(とき)は二人で迎えよう、そんなメッセージ。
「ああ。おそらく次のフライトで突破できる。多少今よりも機体を鋭く調整し直してからに
なるだろうけど」
「おー。やったじゃん、タム。この馬鹿も、やればホンモノになるんだねぇ……」
「馬鹿って何だよ馬鹿って。つーか何だ? お前、泣いてんのか?」
「ぐず……ッ。泣いてない~!」
 あだだっ!? 更に駆け寄る幼馴染(マオ)の変化に気付いて指摘してしまい、彼女から
ぎゅむっと両頬を引っ張られるタム。
 仲間達は、勿論シュウも笑っていた。何だかんだで一番傍にいて、心配し続けていたのは
彼女だろうから。そもそも野郎ばかりの面子にあって、ただ一人の女の子。それだけで気苦
労の一つや二つなど枚挙に暇がなかっただろう。
(これで、僕達の夢が……)
 そんな二人の様子を、シュウは皆と一緒に暫し眺めていた。次のフライトが待ち遠しい。
「──」
 ただ一人、線目のままくすりともせずに観測データを眺めるユーリに差す影に、誰一人と
して気付くこともないままに。


 それからはタムら仲間達は急ピッチだった。
 本業──ジャンク屋稼業もそこそこに、来る日も来る日も機体の最終調整。元より稼業と
名乗っていても、その実スラム地区にはよくある非公認のゴミ拾いのようなもの。言って真
剣に勤しんだからといって着実に飯が確保できる訳でもない。
 そしてそれは、前回のテスト飛行から一週間ほどのことだった。連日作業を続け、されど
肝心要の時にぶっ倒れないように飯と睡眠はしっかりと取り、タム達は遂に白き偽物の空へ
と挑むに至ったのである。
「流石に、緊張するな」
「大丈夫だ。操縦するのは俺だかんよ。お前は後ろで、ユーリ達からの通信に対応してくれ
てりゃあいい」
 格納庫は既に扉を目一杯に開き、その時を今か今かと待っていた。コックピットにはタム
とシュウが前後に乗ってスタンバイしており、ガスマスクもヘルメットも装着済みだ。
「気を付けてね。あんたらの夢……叶えて来なさい」
「しっかりな! 信じてるぞ!」
「ほい、カメラ。実際に見るのには劣るが、帰って来たらその写真でパーティだぜ」
「あはは……。頑張っていい画、撮ってくるよ」
「……。準備はいいかい? 二人とも」
 尚も惜別のように纏わりつく仲間達を一旦除けるように、ユーリがそう心持ち遠巻きな位
置から声を掛けた。既にその傍らには電源の入った観測機材。こちらも準備万端といった所
である。
「おうよ。いつでもオッケーだぜ」
「はい。お願いします」
 タムとシュウが頷き、仲間達は統率の取れた動きでめいめいに期待の後ろへ散った。重石
を先に結んだロープをぎゅっと握り締め、その瞬間(とき)を待つ。
「エンジン、点火!」
 轟。機体が衝撃で震えながら、その生命力を発揮し始めた。
 揺れる場、激しく流れ始める風。そのエネルギーはプロペラにもしっかりと伝わり、回転
するこの滑らかに削られた金属が更に風を掻き回す。
「じゃあ、合図行くよ? 5、4、3、2、1……テイク、オフっ!」
 マオの指信号。カウントダウン。そのタイミングぴったりに繋がれていたロープが全て取
り払われた。徐々に前進を早くしていく機体。ゴーグル越しのタムが、皆が大きく離れたの
をミラー越しに確認してぐいっとレバーを手前に倒し込む。
『行ったー!!』
 放たれた矢のようにぐんと加速していった直後、機体は真っ直ぐに空へと昇って行った。
その後ろ姿を勇姿を、仲間達が諸手を挙げて見送り、叫ぶ。
「よぉ~し。いい子だ……」
『離陸は成功だな。左右のバランスを安定させろ。螺旋上昇の指示をこちらから出す』
「りょ、了解」
 それからは言わば、復習だった。総決算である。地上のユーリからの無線サポートを受け
つつ、体勢を整え、機体をより安定した上昇へと持っていく。
『出力正常。エンジンの余力も計算の範囲内だ』
『よし、そろそろ螺旋上昇を始めてくれ。くれぐれも慎重に……な』
「ああ。任せとけ」
 左に折れたまま、少しずつ高度を急へ。加速をつけながら上へ上へ。
 操縦桿を握るタムも、流石に目をギラつかせながらも緊張しているようだった。シュウも
そんな彼の後ろ姿を見つめながら、無線機を片手に眼前を過ぎる空を見ている。
「……見えた!」
 そして、その瞬間(とき)は来る。
 白い偽物の空、汚染層がすぐ近くまで迫っていた。
 シュウはちらと地上を振り返った。言わずもがな凄い高度だ。
 遥か上空から降りている《バベル》の根元に、あたかも纏わりつくようにして形成されて
いる都市(ポリス)群。真四角や真ん丸の屋根をして並ぶ生産工場(プラント)。
 これが世界か。世界なのか。
 僕らが、天街(ソルフロント)の大人達がその栄華を謳う、世界なのか。
(……小さいんだな。この地上に比べたら、全然)
 更にごぅっと、シュウの身にタムの身に今までとは異質の風が吹きつける。
 汚染層だ。歯を食い縛って操縦桿を握るタムは今、まさにこの白き偽物の空と激しくぶつ
かり合っている。
 防護服を用意して厚着になっている。その筈なのに身体に伝う感覚はかくも寒い。
 それは何も強風だからという訳ではない筈だ。汚染の、長い年月の間蓄積してきた、人類
の怠惰・高慢に対する不快さ……。
「いっ、けぇぇぇぇぇーッ!!」
 無線の向こうで仲間達の声援が聞こえる。タムが叫び、レバーを限界まで倒しても尚力を
込め続ける。
 分け入るように、割って入るように。白い偽物の空を突っ切っている。
 自分達は今、ヒトを長きに渡って隔てて来た元凶と真正面から向き合って──。
「──」
 言葉を、失った。
 目の前には……目を見張るほどの青が、不定形な塊で点在する綺麗な白が広がっていた。
「空」
 ぽつり。一体どれだけお互い黙っていただろう? 最初にそう短く声を漏らしたのは他な
らぬシュウの方だった。
 エンジンがふと静かになっている気がする。本物の空はそれだけこの突然の闖入者も黙し
て受け止めているように思えた。
「すっ──」
「す?」
「スゲー! これが本物の空かあ。ははは! やったぜ、皆! 俺達、遂にやったんだ!」
 操縦桿を握ったまま、手元にぶら下がっている無線機に届くように、半分無意識だったの
だろうがタムは大きく声を上げて叫んでいた。高らかに宣言していた。
 おぉぉぉぉ──! 無線越しに聞こえる仲間達の怒声のような喜びの叫び。もうあっちが
どうなっているのか分かりやしない。シュウは苦笑した。そして嗚呼そうだ忘れない内にと
カメラを手に取り、ゆっくりと周囲を見渡しながら何度もシャッターを切る。
「……」
 そして視界の隅にちらりと、この空とは本来相容れぬものも見えた。
 《バベル》だ。普段自分が住んでいる、今や実の息子さえ見下すことを隠さなくなった父
らが住まい、権力の椅子に座している場所……。
『ム、タム──シュウ、聞こえるか? やったな。大成功だ』
「ああ。スゲーよ、本物の空ってのは。こんなに青くて綺麗なんだな。後ろにゃ《バベル》
も見えるぜ。大したもんだよな。こんな所にまで屋根を延ばしてるなんて、実際に見てみて
もイマイチ実感が湧かねーや」
『仕方ないさ。俺達は生まれも育ちも地街(テラフロント)なんだから』
 ザザッ。流石にノイズが雑じっていた。無線越しにユーリの声が聞こえる。
『分かっていると思うが、言っておくぞ。あまり“羽を伸ばし過ぎる”な。《バベル》との
距離を詰め過ぎると彼らの警戒空域に入ってしまう。すぐにお前達の位置を捕捉するから、
こっちの指示に従って間合いを維持してくれ』
「おうっ」
「分かりました。お願いします」
 だが──次の瞬間だったのである。その時にはもう遅かった。
 刹那、視界の隅に飛び込んで来た赤い閃光。
 その方向へ、側方の《バベル》へと振り返る二人。
 彼らの瞳に映ったのは、タワーの一角からこちらに向かって放たれた、赤く黒い尾を引い
て襲い掛かる砲撃そのもので──。

「目標に命中しました」
 そんな一部始終を……いや、それ自体を実行した者達がいた。
 そこは《バベル》内の一室だった。室内は全体的に照明が落とされて暗く、灯り窓もない
内部では軍服姿の士官らがモニター上に映る、赤く燃え盛る「飛行体だったもの」が落下し
ていくさまを追い続けている。
「撃墜地点を確認しろ。あれとこの高さで生きているとは思えんがな」
 そしてこの場の彼らに指示を出しているのは、一人の中年将校。彼は纏う厳しい雰囲気こ
そまるで違うが、シュウによく似た顔立ちをしていた。
 デスクの上で肘をついて両手を組む。
 無理もない。何故なら彼は──他でもないシュウの父親なのだから。
「……馬鹿者が」
 ただそれだけ。シュウの父はただそれだけをごちる。
 今まで頻繁に地上に出掛けていたことを知らなかったとでも思っているのか。何も言って
来ないから大丈夫だと判断していたのか。
 甘い。だから地街(テラフロント)の不良などに感化されるのだ。恥を知れ。この天衝く
塔へ闖入せんとした不届き者と共に消えてなくなるがいい。
 下の息子に、娘。跡目を継がせる子はまだいる。二人とも今のお前より優秀だ。
 必要ない。上に立つ者の義務を怠り、成績を落とすばかりのお前には……うんざりだ。
「准将」
 するとそんな彼の下に、一人の部下が近付いて来た。
 敬礼。彼と同じく生真面目そうな面持ち、纏う雰囲気。彼の側近の一人だ。
「何だ? 二人とも始末したろう?」
「はい。直撃しているので無事では済まない筈です。先ほど降下調査班も送りました。予定
通り万事抜かりはありません」
「うむ」
「それで、ユーリ・ジュタスの件ですが」
「ああ、彼か。既に調査班には私から命じてある。……密かに始末しろ、とな」
 コクリ。側近は眉一つ動かすことなく頷いていた。さもそれが予定内、当たり前であった
かのように、そのまま彼は「それではそのように。失礼します」と踵を返して自分の担当へ
と戻って行ってしまう。
「……“代わりに自分とマオ・フラウ、及び彼女の家族全員を天街(ソルフロント)に移住
させろ”か」
 帽子に隠れた表情。
 だがシュウの父は確かにフッと、そう口元に弧を描く。
「悪いね内通者君。この限りある地に、君達の席など始めから無いんだよ」
                                      (了)


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  1. 2014/08/02(土) 18:00:00|
  2. 週刊三題
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自己紹介

長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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