日暮創庵

-当庵は長岡壱月によるごった煮創作ページ(主に小説)です-

(企画)週刊三題「本越しの彼女」

──これから毎週、小説を書こうぜ?

毎週一回、ツイッタの「診断メーカー」で出たお題で小説を書いてみるという
自己鍛錬、 それがこの『週刊三題』であります。
さてさて。紡がれる文章は良分か悪文か、或いは怪文か?
とある物書きの拙文晒し、此処に在り。

【今週のお題:本、残念、ヒロイン】


 それはおよそ一ヶ月前の事だ。学園の二年生である巧は、青春の大舞台に臨んでいた。
「も、本宮っ」
 場所は人気の少ない特別教室棟の裏手、時刻は放課後。茜色が掛かるその芝と砂利の点在
する場所で、巧は一人の少女を呼び出していた。
 本宮栞。肩まで伸びた目隠れな髪と小柄な身体に知性を秘めた、いわゆる文学少女という
表現がよく似合う同級生だ。
「す……好きだ! 俺と、付き合ってくれ!」

 そもそも巧は彼女とはクラスも違う。更には彼女は文化系で、彼は体育会系──サッカー
部に所属している少年である。
 普通なら接点など無かろうものだった。だが奇しくもという奴である。巧本人の内心を借
りれば「運命の出会い」だったのかもしれない。
 一月ほど前、学園は定期試験を間近に控えていた。
 そうなると学生の本分である。大なり小なり、彼らは試験に備えて勉強をするなり体調を
整えるなりしてその時を待つだろう。
 だが巧は、この備えすら覚束なかった。要するに勉強が苦手だった。
 なのでこれまで通り、ヤマを張って赤点だけでも逃れればいいやと考えた。だが今回ばか
りは母からの非情なお達しがその目論見を大きく揺るがす事になる。

“次に赤点を量産するようなら、部活辞めさせるからね!”

 お冠である。母には、息子がサッカーに現を抜かし学業を疎かにしていると映っていたよ
うだった。いや、実際それほど間違ってはいない。巧自身、自分にはとうに勉強は向いてい
ないという自覚があり、好きなこと──サッカーに力を入れるようになったのも、ある種の
逃避(別の拠り所を作るため)であったのだろう。
 これには巧も参った。今までの赤点続きの成績を見かねてのこと、母は本気でその最後通
牒を実行するだろう。
 それだけは嫌だった。怖かった。他に取り得もないような自分からサッカーを奪われてし
まえば……本当に自分は“何もない”のだから。
 回避しなければ。故に巧は珍しく、試験前の部活休眠期間に入ると、自らの意思で試験勉
強すべく学園の図書室に通う事になったのである。
『──ッ』
『おっと……』
 そこで彼は出会った。図書委員として、そして本の虫として此処に入り浸っていた栞と偶
然書架の一角で出くわし、彼女が委員だと知っていい参考書や問題集はないかと訊ねたのが
切欠だった。
 存外、親切だった。
 最初見た目こそ目隠れの、やや陰気な子とみえたが、訊かれたことにはとても正確に応え
てくれる。ちょこん。彼女は何冊か室内を巡ってリクエストに適う本を胸元に抱えながら持
って来ると『……試験勉強?』と控え目に訊きながら渡してきたのである。
 巧は苦笑した。まぁこの時期にこんな探し物をしているのだから、そう考えて当然か。
 なので正直に話すことにした。次に赤点だと好きなサッカーを続けられなくなる、心地の
いい居場所と仲間から遠ざかることになる。苦手だけど、それだけは何としても避けなくて
はいけないからと。
 するとどうだろう。彼女は暫く目を瞬いたかと思うと『なら私が教えようか?』と提案し
てきたのである。
 巧は驚いた。面識のない、しかも異性にそんな接近の仕方をするなんて。
 この子は見た目以上に大胆──優しい子なのかもしれないと思った。だが実際問題、自分
だけで勉強しても成果が上がる保証もなかったため、結局は二つ返事でこの提案に縋ること
になったのだが。
 結論から言って、彼女は救いの女神だった。その教え方はもの凄く分かり易かった。
 声色は終始物静かでマイペース。だけど何が分からないのかすらも分からない巧の勉強の
レベルを、彼女は訥々としたやり取りの中で確かに読み取り、一から彼に手ほどきを与えて
くれたのだった。
 結果、巧は珍しく一教科も赤点を取ることなく今回の試験を終えた。ひとえに彼女のきめ
細かい指導のお陰である。巧は結果返却後の後日、図書室に足を運び、やはり司書室で一人
本を読んでいた彼女に何度も何度も礼を言った。頭を下げた。
『そんな……。私は大したこと……してない』
 なのにボフンと、彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしがる。相変わらず控え目だった。
『いやいや、そんなことねぇって。本宮が手を貸してくれなかったらあんなに分かんなかっ
たよ。自力じゃ無理だったさ』
 だからいじらしいなと、元より巧は好感を持ち、そう笑ってみせていたのに。
『……でも最後は塚本君の頑張り。その気になればできるんだよ。居場所を失いたくない、
その気持ち、凄く分かるから……』
 そんな風に自分の打算も我が侭も、全部哂うことなく受け止めはにかむ彼女に。
 巧は──気付けば強く惹かれていたのだ。

「……」
 意を決した男の告白(しょうぶ)。向かい合う栞はよほど驚いたのか、言葉こそ漏らさな
かったが両目を大きくまん丸にしてこちらを見返していた。
 ごくり。巧も握り締めた両手に力を込めて、じわりと緊張が満ちていくのを感じる。
 あの時は驚いた。正直言って嬉しかった。自分はサッカーとか、運動くらいしか能の無い
バカで、今回彼女を頼ったのもその僅かな拠り所にしがみつこうとしていたからだ。その実
みっともない、いけない動機じゃないのかと何処かで思っていたのだと思う。
 なのに彼女は哂わなかった。共感すらしてくれた。
 加えて言ってくれた。その気になれば君にだってできるんだよと。
 長く……聞くことのなかった言葉だった。周りの大人達は皆、自分を勉強のできない筋肉
バカとみているのだと悟って久しかったから。
 信じてくれた。面識なんて無いに等しかったのに。
 いやだから先入観、のようなものを持って接してくることもなかったのだろうが、それだ
けでも救われた気がした。彼女は拒まなかった。試験期間が終わっても暇が出来れば図書室
へ足を運び、あれやこれやと会話の華を咲かせた。相変わらず彼女は控え目で相手を立てが
ちな子だったけれど、一緒にいてホッとするのは明らかだった。
 ……それを、今自分は自身の手で壊そうとしているのかもしれない。
 なぁなぁで続いていた関係。そこに明確な好意を、恋心を持ち込んでぶつけてしまった。
 分かっている。これは厚意に甘えて体重を預け過ぎる行為なんじゃないかって事くらい。
 でも、打ち明けたかった。隠したままではいられなかった。
 だからこそずるずると続けるのではなく、後悔を残さず終わらせたかった。
「わ、私なんかで……いいの?」
「勿論さ。その、迷惑じゃなければだけど」
 もじもじ。真っ赤になった顔と逸れた視線、お腹の前で組まれた両手は忙しなく弄ばれて
いる。巧は言った。あまり強い言い方はしない方がいい。今までのやり取りから彼女の性格
は知っている。……似ているんだと思う。其処が無くなれば自分を名乗れる何かがなくなっ
てしまう同士で、且つそれを多分お互い誰かに憂いなく認めて貰った経験に乏しい。
「~~ッ」
 だから今度は自分が彼女のそれを、受け入れたい。
 巧は待った。この行動がお節介で終わるか否か。その返答を。
「……そ、その。私でよければ……」
 そしてコクンと下げられた彼女の頭。返された言葉。
 次の瞬間、巧はこれまで経験したことのない幸福感で満たされたのだった。

「──あァ? まだ何もヤってねぇだ!?」
「ばっ、声がでけぇよ!」
 そして現在、時刻はちょうど午前の授業が終わった直後。
 緊張感から解放された教室の中で、巧は前席の悪友・力也の放ったその言葉に慌てて蓋を
しに掛かっていた。
 ざわ……。クラスメートの何人かが訝しげにこちらを見ていた。そんな視線を巧は愛想笑
いで押し返し、この自分よりもずっと大柄な彼をずいと顔を突き合わせて小声になる。
「……ったくよ。驚き過ぎだ。まだ一ヶ月だぞ? 流石に気ぃ早過ぎだろ」
「もう一ヶ月の間違いだろ。告ってオッケー貰ったんだろ? デートもしたんだろ? それ
で何がいけねぇんだよ」
「だ~か~ら~。男はそうかもしんねぇけど、女の子はそうとは限らねぇだろうがよ。そも
そも切欠自体はこの際置いとくにしても、付き合うようになったのは半分俺が押し切っちま
ったのが大きいんだ。これ以上がっついて傷付けたり怖がらせたりなんてできねーよ……」
 彼との見解の相違は、つまりはそういうことだ。
 恋人、男女間のアレには未だ一切ノータッチ。それはおかしいだろう? という話で。
 だが巧は力也の言う手の早さは、少なくとも栞には適用すべきではないと思っていた。
 何せ彼女は大人しい。質問すれば如才なく答えてくれるものの、基本的に彼女は静かに本
を読む、風に吹かれるといった過ごし方を好む大人しい子だ。そんな彼女──我が恋人に、
若いリビドーを容赦なくぶつけるというのは流石に酷だと思うのだ。
 そりゃあしたくないのかと言えば自分も男、イエスではあるが……今し方口にした通り、
経緯が経緯だけに何だか後ろめたさが拭えない。
「情けねぇなあ。手練手管はお前の十八番じゃねぇか。ボールは転がせても女までは同じよ
うにいかねぇってか?」
「サッカーと一緒にすんな。つーかそれ、結構ゲスな言い方だぞ……? 大体俺達はそんな
ガツガツした関係じゃねえっての。もっとこう、ピュアなだな……」
「ピュア、ねえ」
 悪友は笑っていた。いや哂っていた。こちらの躊躇いがとうに分かっているからだろう。
尤も、半分くらいはやっかみもあるのだろうが。
『お前、いつの間に……!? お前とは、同じ漢の道を進むものだと信じていたのにぃ!』
『くそぅ……妙に真面目に試験勉強してたなと思ったらそんな事が……。リア充爆発しろ』
 付き合始めた事を打ち明けた時、こいつの発した言葉と血涙の形相を思い出す。
「……まぁ、結局はお前ら自身のことだ。俺がけしかけたって気持ちがなきゃな」
 なのにこの悪友は、同じ部活でボールを蹴り合う仲間は、フッとそう急に真面目な物言い
をしたかと思うと笑った。
 口元に弧を。ついっと顎と視線を、彼は巧の背後へと遣る。
「あっ」
「……っ」
 そこにはいつの間にか、クラスの戸口からそーっとこちらを覗いている、弁当袋を提げた
栞の姿があって……。
「無駄話はこれくらいにしとこう。精々イチャコラしてこい」
 バシン。そう悪友に呵々と笑って背中を叩かれる。
 彼女を待たせる訳にもいかないだろう。巧は程なくして教室を後にすることとなった。

 力也に直前、あんな事を言われてしまったから妙に意識してしまう。
 巧と栞は二人連れ立って学園の中庭に来ていた。他にも生徒はちらほらおり、女子集団を
始めとした華やぎがそこにはある。
「いただきます」「……ます」
 そんな中心から一回りほど外側に逸れ、二人は木陰にこっそりと陣取っていた。いつもの
定位置である。
 ぽんと手を合わせてお行儀良く呟く栞の横で、巧も倣うそれを。
 彼女はちょこんと可愛らしい弁当箱だが、自分は例の如く登校中にコンビニで買ってきた
惣菜──大盛りの焼きそばパンだ。
「はむっ……」
 暫く、二人は黙々と食事を進めることに集中していた。
 とはいえそれは別段、二人の関係が冷え切っているからではない。繰り返すが基本的に栞
は大人しく、何か話を振ってあげない限りあまり喋らない。かといって気軽に聞けそうな話
題など巧はとうに使い切っており、自然二人の間に降りるのは最早談笑よりもこうした静け
さもとい沈黙が勝っている状況が続いている。
(このままじゃマズいってのは、分かってるんだけどなあ……)
 ちらちら。巧は焼きそばパンを齧りながら傍らの栞を見る。彼女はやはりちょこんと大人
しかった。箸でそっと突いているのは色とりどりのおかず。それを男の自分には小さ過ぎる
と思うくらい数度に割っては口に運んでいる。……妙に可愛い。何というか、小動物が餌を
食み食みしているような、そんな横顔。
「……」
 ただ気のせいか、昨日も今日も終始、頬っぺに赤みが差しているようにも見えるが。
「どうかした、塚本君?」
「ッ!?」
 だがそうしてぼうっと、惚気て見ていたのがいけなかった。はたと気付くと、今度は彼女
の方がこちらを見返していたのだ。
 今度はこっちがぼうっと熱くなる。い、いや何でも……と言葉を濁さざるを得なくなる。
 加えてお互いの体格差だ。彼女は自分よりも随分と小柄だから、どうしても隣り合って座
った状態からだと上目遣いを向けられる格好になる。その瞳が、妙に潤んでいるような錯覚
に捕らわれる。
 巧はあたふたと視線を逸らさざるを得なかった。
 心臓が鳴っている。悪魔の格好をした悪友が、頭の中でぐいぐい背中を押してくるようで
踏ん張ってしまう。
 落ち着け、俺。とにかく落ち着くんだ。
 な、何か話そう。このまま無言じゃイケナイことばっかり考えちまう……。
「その……本宮っていつも弁当だよなって。大変だろ? 確か前に自分で作ってるって言っ
てたから」
「もう慣れてるから。塚本君のお家は……難しいんだっけ?」
「ああ。仕事一筋の人だからな。流石に子供三人分を作って出社ってのは厳しいと思うぜ。
そもそもお袋、あんまり料理上手くねぇしな……」
 以前にもあった話題だが、会話にはなった。巧はそう言いつつ、以前妙に張り切って大失
敗した母(かのじょ)の手料理のことを思い出して遠い目になる。
「そう、なんだ。……ちょっと食べてみる?」
 だからそうちょっと考え、栞が言ってきた時には遅かった。
 はい? そうぽかんと中途半端に開けた口に、そーっと箸で摘ままれた卵焼きが、彼女が
自分で作った卵焼きが運ばれようとしている。
「むぐっ!?」
「ど、どう……?」
「……美味い。お袋とはまるで違う……」
 半ば場の勢いに押されて口の中に放り込まれた卵焼き。巧は少し咽かけたが、次の瞬間に
はほんのりと優しく広がるその甘みにうっとりとなっていた。
「褒めてくれるのは嬉しいけど……。その言い方は塚本君のお母さんに失礼だよ」
「あ、ははは……そうだな。ま、でもそれだけ美味かったってことだよ」
 流石は本宮。自分で作って来てるだけの事はある。
 ん? ちょっと待てよ。これって所謂「あーん」って奴じゃあ──。
「……だ、だったら今度から」
「わっ、悪いな。本宮の飯なのに。そうだ、俺のも食うか? 普通の惣菜パンだけどっ」
 故に巧は直後彼女が紡ごうとした言葉には気付かなかった。それだけ頭が真っ白になって
いた。代わりに発したのはそんなやり合いっこ。動転していてもそこは意識しまくりな状態
である。差し出した焼きそばパンの端は、彼が齧っていた側とは逆方向の部分だ。
「……ありがとう」
 もきゅ。少し躊躇ってから受け取り、栞はそう言って焼きそばパンの欠片を口の中に放り
込んでいた。みればその頬もほうっと赤くなっている。
 嗚呼、本宮も今になって気付いたか……。
 そう巧は(あさっての)把握をし、自身も残りのパンに齧りついた。栞もまた自身の弁当
にて同じように。
 また暫く、二人は黙々と食事を続けた。その間も中庭の中央にいる生徒達は、時折食事が
メインなのか分からなくなるくらいきゃいきゃいと雑談に華を咲かせている。
 もうちっと、俺も本宮ともあれくらい話せたらいいんだけどなぁ……。
 最後の一口を平らげ、ペットボトルの緑茶に口をつけ、巧は悶々としたものを抱える。
「──ん?」
 ちょうどそんな時だった。ふと暗がりが差した気がして頭上を仰ぐと、つい先程までは多
くの晴れ間が広がっていた空が、灰色一色に染まり始めていたのだ。
「曇ってきたね」
「ああ。こりゃあ一雨来るぞ」
 二人して、木陰からそう曇天を見上げる。
 どうやら今日は、早めに教室に戻った方が良いらしい。

 そしてこういう時の予想というものは、案外スムーズに当たるものだ。
 午後から、付近一帯ではしとしとと降り続くとなった。授業中、室内での座学の時は大し
て影響はないものの、こうなると外のグラウンドは完全に泥濘状態である。
 故に、巧や力也の所属するサッカー部も今日は本来の活動をすることはできない。ピッチ
整備の為にも乾燥を待ち、二・三日は掛かるだろう。それまでは精々軒下や屋内での筋トレ
や走り込みくらいなものだ。
「……」
 なので、この日の練習もそう長くは続かなかった。
 普段の準備運動で行うキャパの1.5倍のトレーニングをこなして、解散。故に中途半端
に時間が余った巧は、一人ある場所に向かっていた。
(本宮、いるかな……?)
 図書室である。放課後も、彼女は大抵ここに居残って本を読んだり課題を片付けている事
が多かった。
(にしても力也の野郎。なーにが『ヤるのか? ヤるのか?』だ。普通に考えて生活指導の
先公に説教食らうだろうが……ん?)
 せっかく出来た時間なのだ。どうせなら彼女と一緒に過ごそうと思ったのだが……。
(いない? いや……司書室の中か)
 最初、扉を開けた時には室内には他の生徒の姿はなかった。
 だがこうして鍵は開いているのだ。開館状態ではあるのだろう。なので巧は、伊達に彼女
とこの図書館との付き合いの長さもあり、すぐに入り口の新刊案内コーナーを通り過ぎ、逆
コの字状にその向こう側へと移動する。
「本宮~?」
 そこは司書室の出入口だ。新刊コーナーを抜けた先が一般の利用スペースなので、此処は
ちょうど両所の間に割り込むように出っ張った壁になる。
 巧はそーっとドアを開け、右手の方を見遣った。するとはたして、彼女はいたのである。
「……」
 栞は案の定、本を読んでいた。司書室から利用スペースを一望できる席、即ち窓口部分の
席に腰掛け、じっとこちらに背を向けて頁を捲っている。
 巧は知っている。こうして集中している彼女は、ちょっとやそっとじゃ気付かない。
 さっき入って来た時も返事がなかった。今日は利用者も少なく、それで自分の読書に没頭
しようと思ったこともあるのだろう。
 そろり。巧は近付いて行った。
 背後からそろり。そういえば本宮って、実際どんな本を読むのだろう? 話題の一環で訊
いたことはあったが、その時は知識が深過ぎて結局よく分からなかった記憶がある。
(……んぅ?!)
 だから、何となく後ろから覗き込んでみて──驚いた。一瞬気付かなかったが、ちょうど
彼女が読んでいた頁が隣に挿絵のあるそれだったためにどんな種類の本かが巧にも見当がつ
いてしまったからだ。

 ──漫画ちっくな官能小説。即ちえっちなエンタメノベル。

 何を真剣な様子で読んでいると思ったらそれかい!? っていうかよく見ればこの子、頬
赤くなってますよ。まさか興奮? 興奮してるの? そのえっちな──男が女をアレやコレ
している挿絵と文章を見ながら、読みながら興奮してるのか?
「……」
 気付かなかった。気まずいものを見た。
 嗚呼、それで無地のブックカバー付けてるのね。利用者が来たらバレちゃうし。
 どうしよう。今のこの状況って、凄くリスキーなんじゃ──。
「……? ふぁっ!? つ、塚本君!?」
「おっ、おう……。邪魔、してるぜ。気付かなかった……みたいだけど……」
 なのにタイミングという奴はどうしてこうも意地悪なものなのか。
 内容が一区切りでもついたのだろう。ちょうどそんな時、ふと栞が気を緩めてぐぐっと伸
びをし、何気なく後ろを振り返って──素っ頓狂に叫んだ。
 嗚呼もう逃げられない……。巧は可能な限り穏便に対応しようとした。顔は絶対引き攣っ
ていたとは思うが、あくまで平静を装い、彼女に挨拶をかける。
「……。み、見た?」
「えっと」
「この、小説の中身」
「あ~……うん」
 勿論というべきか、栞は開いていたその頁を超スピードで閉じ、足元の鞄の中に突っ込ん
でいた。おずおずと訊いてくる。巧もここで下手に嘘をつこうとは思わなかった。
 だってばっちり見てしまったから。今この瞬間彼女が、恋人になってくれた彼女が、両目
に涙をいっぱいに蓄えて顔を真っ赤にしていたから。
「──ごめん!」
「──ごめんなさいっ」
 同時に頭を下げて、そう直後二人の声が重なった。
 えっ……? だが二人はお互いに、相手が謝ってきたことに驚いたようで、程なくして顔
を上げるとぽかんとした様子で互いを見合わせている。
「な、なんで本宮が謝るんだよ?」
「だ、だって私、こんなことを……」
 また声が重なった。言いかけてお互いに口を噤む。
 何かおかしい。齟齬があるらしかった。塚本君から、いや本宮から先に──何度か互いに
言葉を譲り合って、結局巧が最初に喋る方に落ち着く。
「その、ごめんな。集中してるみたいだから邪魔しちゃ悪いかなって思って。でも、何読ん
でるんだろうって魔が差して……」
「ううん、私こそ放っておいてごめん。軽蔑……したよね?」
「……は?」
 だからまたあんぐりと口が開いた。
 軽蔑? 何で自分が本宮を軽蔑なんてしなきゃいけないんだ?
 咎められるべきは、彼女の時間(プライベート)を覗き見する格好になった自分の方では
ないのか……?
「何を言ってるのか分からんが……もしかして、さっきの小説のことか? 別に女がエロ本
読んでてもおかしくはねぇだろ。男だって読むぞ」
「……読むんだ」
「コホン……。いや、俺の場合は今はいい。何か勘違いしてるっぽいが、別に俺は軽蔑とか
微塵も思ってねぇぞ? ただ、ああ本宮もこういうのに興味があるん……だなって……」
 だからそう笑い飛ばそうとして、巧はようやく事の重大性に気付いてしまった。
 語尾が自然とゆっくりに、尻すぼみになる。自分が発した言葉で、自分達の置かれたこの
状況の意味にやっと理解が及ぶ。
 ──本宮が、ああいうことに興味がある……?
「マジかーッ?!」
「ええっ!? 分かってて言おうとしたんじゃないの!?」
 思わず叫んでいた。栞も珍しく、そうこの彼にツッコミを入れていた。
 だがすぐにそんな妙なハイテンションは四散する。
 二人は程なくして、互いに抱いていたそれに気付いてしまった訳で。
 ぶしゅうと、さも茹で上がったように顔面が全身が真っ赤になった訳で……。
「いや、だって。本宮、お前、いつも大人しいから……」
「そ、それは性格もあるけど……緊張してるんだよ。かか、彼氏と一緒、なんだし……」
 わたわた。何処に届こうでもない両手をふらふらさせ、巧は言った。
 それに栞は答えて言う。顔を真っ赤にして、目隠れ髪の俯き加減に両手の指先をもじもじ
と合わせながら。
「……そっか」
 顔はまだ火照っている。だが今この瞬間は不思議と、すうっと心地の良い熱量に変わって
いくように感じられる。
「ごめんな。その、あんまりがっつくと嫌われるんじゃないかって思ってたから……」
 きゅっ。そっと彼女の手を取る。ハッと、彼女が顔を上げて瞳を潤ませている。
 前髪の下のその素顔は、やはり可愛かった。惚れた身が言うのも何だけれど。
「流石にいきなりってのは……色々拙いだろうけど。でもこれからは、もっと、こ……恋人
らしいこと、しような」
「……。うんっ!」
 きゅっ。握った上から握り返される、もう片方の彼女の手。
 かつて見惚れたように、そのはにかむ笑顔はどんな物語よりも美しかった。
                                      (了)

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  1. 2014/07/20(日) 18:00:00|
  2. 週刊三題
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長岡壱月

Author:長岡壱月
(ながおか いつき)

創作もとい妄想を嗜む物書きもどき。書いたり描いたり考えたりφ(・_・)
しかしながら心身共々力量不足な感は否めず。人生是日々アップデート。
今日も雑多な思考の海に漂いながらも何とか生きてます。
【小説/思索/落書き/ツクール/漫画アニメ/特撮/幻想系/小説家になろう/pixiv】
(※上記はPN。物書き以外では概ね、HN「長月」を使用しています)

【注】当庵内の文章や画像等の無断転載・再加工ないし配布を禁止
します。

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